人民新報 ・ 第1011号 (2001年1月15日)
  
                                  目次


●ブッシュ新政権の日米軍事同盟強化とアジアでの緊張激化政策の危険性

●経済・環境・平和の闘いはひとつ    広沢賢一

●社会主義と民衆運動の新しい世紀  団結して、ともに前進しよう A 

    昌益の熱い思いに答えられるか / 石渡博明 (安藤昌益の会事務局長)
    駐日米軍の撤退をめざして / 上原成信 (沖縄一坪反戦地主会関東ブロック代表)
    力を作りあげよう / 北田 大吉
    日本の改憲攻撃者はヒットラーから何を学ぼうとするか / 佐藤敏昭 (三多摩労法センター)
    無党派層と日本共産党 / 菅沼正久 (長野大学名誉教授)
    若者の便りに灯りを見る / 砂場 徹
    新保守革命と対抗戦略 / 樋口篤三
    平和憲法擁護の一大戦線を / 広沢賢一 (元衆議院議員)


●沖縄・名護市民上京団  ジュゴンの住める環境を訴え

●「教育改革国民会議」 最終報告のねらいについて批判する @

●二十一世紀に伝えられるべき歴史の証言  ― 稲たつ子歌集「わが戦争」を読む

●百姓一揆を肯定的に描いた大作がいま生まれたことに拍手 映 画 ・ 郡上一揆

     

ブッシュ新政権の日米軍事同盟強化とアジアでの緊張激化政策の危険性

歴史の逆流
 
 アメリカでは難行した大統領選挙の開票さわぎの末、共和党のブッシュ候補が当選した。この一月二十日はブッシュ新大統領の就任式になる。この経過は全世界の人びとに「アメリカ民主主義」の落日の到来を感じさせるものとなった。
 すでに任命予定の新閣僚たちの顔触れは、湾岸戦争時の布陣の二番煎じと言われるほどで、チェイニー、パウエル、ラムズフェルド、ライスなどタカ派の連中が目立っている。
  一般に、アメリカの二大政党制では、政権交替によって従来のアメリカ帝国主義の対外政策に重大な変更は生じないと言われる。しかし、対中国政策でいえばクリントンの「戦略的友好関係(パートナーシップ)」から、ライス新・国家安全保障担当大統領補佐官のいう「戦略的競争関係」への変化など、一定の政策調整はでてくるし、日米関係などでも同様だ。ブッシュ次期政権が取るであろう対外政策は、東アジアの平和にとって、決して好ましい流れではないことだけは確かだ。
 新政権の外交・安保顧問のリチャード・アーミテージ元国防次官補が中心のシンクタンクが昨年秋にまとめた対日政策「米国と日本ー成熟したパートナーシップに向けた前進」は、本紙でも幾度か紹介したが、このところさまざまなメディアに取り上げられている。そこでは次のように指摘されている。

 二十一世紀、朝鮮半島、台湾海峡、印パ国境、インドネシアなどアジアでは大きな紛争が、ヨーロッパとは比べものにならない確率で起こり得る。日米安保体制はこれまで以上に重要になっている。日本が集団的自衛権の行使を自ら禁止していることは、同盟協力の制約となっている。アメリカは日本がこの制約を外すことを歓迎する意志を明確にしなければならない。日米関係は従来の「負担の分かちあい(バーデン・シェアリング)」ではなく、米英同盟のように「力の共有化」(パワー・シェアリング)へと進まなくてはならない。集団的自衛権の行使、秘密保護法の制定、有事法制の制定、国連平和維持軍本体業務参加凍結の解除、日米ミサイル防衛協力の拡大を進めなくてはならない。沖縄問題では日米特別行動委員会(SACO)合意の米軍基地の再編・統合・削減にとどまらず、アジア太平洋地域への分散も模索すべきだ。

戦争挑発策動強めるか

 この執筆者のひとり、カート・キャンベルは、十一月二十九日、米国の大学で開かれたシンポジウム「変化の中の安全保障・二十一世紀の日米同盟」で「九十年代、米国の指導者はエネルギーの大部分をヨーロッパに注いできた。しかし、この先一〇年では朝鮮半島、中国、インドネシアのあるアジアで大きな事件が起きる可能性が大きい。日本とともに関与する必要があり、二十一世紀は両国のパートナーシップが強まると思う」と指摘した。
 昨年らい、アメリカの「アジア・シフト」が顕著になりつつあったが、その中でクリントン政権のオルブライト長官は「ならず者国家」主要打撃戦略から、対「非対称的脅威」国家戦略(「ならず者国家」は「問題国家」に変更)への転換を言明した。
 しかし、ブッシュ新政権のコンドリーザ・ライス国家安保担当補佐官は「どんな名称をもちいようと、そうした国家は悪い国家です。国際システムにとって有害であり、また安定にとっても有害です。私はむしろ『ならず者』という表現を好みます」(フォーリン・アフェアーズ)と、事実上、米国の世界軍事戦略の再転換を主張している。
 両政権の間にはアジア政策に一定の差異がみられる。これはアメリカの朝鮮半島、中国政策に影響を与えずにはおかない。
 アーミテージは昨年末の記者会見で「(北朝鮮とのミサイル開発・抑制交渉については)次期政権はクリントン政権以上に懐疑的だ。われわれは平壌が米国と話したくなるまで待つ。いそぐ必要はない」と述べ、「(中台問題では)次期政権は台湾関係法に基づいて行動する」と述べている。
 日本では読売新聞などは年頭早々から「基本的に日本は、国際協調を進める中でしか国益の増進はできない国である」などと述べながら、「将来にわたり、日米同盟関係を一層強固にしていくことが肝要である。米国の期待に日本が的確に対応せず、同盟国にふさわしい分担責任をはたせなければ、日米関係が機能停止に至ってしまう懸念も生じる」などと危機感をあおっている。
 だが、この道は日本がアメリカとの同盟強化の代わりに、アジア諸国との間に緊張を激化させる道を進むことだ。これは歴史の逆流に他ならない。
 新しい一年、平和と共生を願うアジアの人びとと共同して、アメリカ新政権の危険な対日政策、対アジア政策に反対し、日米同盟の攻守同盟的強化に反対して闘う課題はますます緊急の課題になった。


経済・環境・平和の闘いはひとつ
                                    広沢賢一 


 支持率十五%の森内閣が「倒れそうで倒れない」(朝日新聞)、不思議だ。
 経済も同じ。米国経済の弱点はかねて巨額の貿易・経常収支赤字にあると言われていた。OECDの見通しでは二〇〇一年に四七〇五億ドル、GNPの四・七%に達する。この赤字を埋めて、株高好景気をつづけることができたのは、日本や欧州からの資本流入であった。それがいったん投資を手控えると、一挙にドル安・株安・景気後退となる。「IT効果によって景気後退はなくなったというニューエコノミー論」の破綻は明らかだ。
 かくて米経済の「近い将来、もっともある可能性が高いのは強行着陸と軟着陸の中間にある大揺れ着陸」かも知れない。金融市場は動揺し、成長率も二%台まで落ちるとはいえ、ドル大暴落と世界同時不況をまぬがれるシナリオになるのではないかと言われる。
 一九三〇年の大恐慌の原因は、ケインズ経済学によれば、過少需要、言いかえれば相対的過剰生産にあるというが、ここはマルクス経済学も一致する。
 有効需要を増やすには、金利引き下げと政府財政支出(軍需生産と公共事業支出)で、それを管理通貨による公債でまかなうことだ。限度を超えればインフレになる。現に、高度成長・石油危機の時にはスタグフレーションになった。
 もうひとつ、景気を支える高度成長をもたらしたのはフォード・システムであった。労働者にも安い自動車が買えるように、低コスト・生産能率をあげ、高能率・高賃金のシステムだ。戦後の日本でのテレビ・電気洗濯機など三種の神器景気もそのひとつ。さらに社会保障などで所得をあげれば(福祉国家政策)景気はよくなる。
 しかし、これも弱点がでてくる。財政赤字の結果、スタグフレーションとなり、資本家階級にとってはそれは労働者を甘やかし過ぎる、国家が経済に介入するのはよくない、自助努力・自己負担・自己責任の市場経済万能の自由経済にと、七十年代後半から反ケインズの新自由主義政策が、レーガン、サッチャー、中曽根行革でひろがっていった。
 ところがよく見ると、地球規模での核兵器・高度軍需産業は継続し、財政膨張からの脱却もやっていない。それどころか自由経済は、多国籍企業の金融投機、ヘッジ・ファンドなどに広がり、グローバリズムという怪物が途上国を脅かしている。
 しかし、この新自由主義論やニュー・エコノミー論も、今や世紀末、終わりに近づいた。とくに目立ったのは金融投機ー401Kプランで、年金までが株式に依存することになり、株安になると消費も減退に拍車がかかり、世界同時株安と景気後退の悪循環がいつはじまるかという可能性をはらんでいる。
 このフォードシステムというアメリカ文明・生活様式は、同時に高能率・大量生産・大量消費・大量廃棄のシステムであり、世界環境悪化と人心荒廃というたいへんな副産物を生んでいるのである。
 今日、日本の経済をこのようにしたのは、日本の政府与党の対米従属政策であり、その背後にはアメリカのプラザ合意以来の身勝手な要求、政策にも原因がある。アメリカはドル防衛・円高不況を要求し、金利差で世界の資金をニューヨークにかき集め、株高好景気を満喫した。そのため日本には十年間六百兆円の公共事業計画を約束させ、超低金利を強要した。そのため「OECDの統計によると、過去十年間の公共事業費は米国と英国、フランス、旧西ドイツを合計したより日本のほうが多い。一九九六年度では、日本の公共事業費は国内総生産(GDP)の六・六%を占めるのにたいし、欧米各国は一・三%程度だ。逆に、社会保障や保険分野の合計支出は、日本が一%台で、英仏などは五〜六%台だ」(五十嵐法大教授)。
 今年度の四〇%を超える国債依存度は先進国ではありえない異常な数字だ。その元凶が公共事業だ。だから反対に財政再建のカギは、まさしく日本のさかだちを、EUなみに正常化させればよいわけだ。
 もうひとつ、昨年末らい目立つ論調がある。それは「危ないぞ、二十一世紀」である。
 「大量生産、大量消費で物質的に豊かな生活をもたらした高度成長は、一方で多くの負の遺産を残した。公害、人口集中、過疎、生態系破壊、化学物質汚染、地球温暖化などだ。物質的豊かさを極めて、私たちは限界に直面している。量より質の豊かさを求められる時代になってきた」(朝日新聞社説)。まさに二十一世紀は、地球環境悪化を促進しつつある開発至上主義、大量生産・大量消費・大量廃棄をもたらしたアメリカ的生活様式・弱肉強食の新自由主義・グローバリズムとの闘いでもある。
 これはちょうど平和の問題では、金大中の太陽政策で南北朝鮮の雪解けがはじまったことなど、アジアに平和がもたらされようとする矢先に、NMD・TMDで中国や欧州・世界を脅かさんとするアメリカ覇権主義との闘いとも合流して、幅広い世界的な共同戦線を結集し勝利する課題と同じように、地球を救う闘いでもある。

(ひろさわけんいち・元衆議院議員)


社会主義と民衆運動の新しい世紀  団結して、ともに前進しよう A 



昌益の熱い思いに答えられるか
                         石渡博明 (安藤昌益の会事務局長)

  このところ市川誠さん、寺尾五郎さん、山川暁夫さんと、労働運動や社会運動で親しくおつきあいさせていただいた大先達が、あいついで私たちに別れを告げて行ってしまった。あたかも次の世紀は俺たちのでる幕じゃないよ、とでも言いたげに。
 しかし、後事を託されてしかるべき私たち後続世代は、戦争と革命の世紀としての二〇世紀の歴史の重みに、単線的なバラ色の未来を描けなくなっている。
だが翻って、百年前のような世紀末のデカダンスとも無縁である。
 善かれ悪しかれ人びとは熱狂ではなく、冷静に歴史に立ち向かいつつあるとみるべきであろう。
だがそれは、現状をそのまま受容するということとも無縁である。現状は依然として、資本という名の「聖人」が支配する「欲々盗々乱々」とした矛盾に満ちた世の中だからである。
江戸時代中期、安藤昌益は喝破した、「無量を尽くして論ずるところ、只人倫の在り様のみ」と。
私たちはまだ、昌益の熱い思い、熱い呼びかけに答えられていない。


 駐日米軍の撤退をめざして
                   
 上原成信 (沖縄一坪反戦地主会関東ブロック代表)

 去年六月の朝鮮南北首脳会談は、たいへん大きな出来事だったと思います。金正日氏が率いる国のことが、日本の軍備増強や米軍駐留の根拠にされてきました。素直にものを考えれば、これからの行き着く先は駐韓米軍の撤退のはずです。
 アメリカにとっても、ショックは大きかったようで、国務長官がおっとり刀で平壌に飛びました。
 この首脳会談で、堰を切ったような統一への奔流が起こるかと期待しましたが、あれからもう半年になるのに、これと言った成果が公表されていません。ちょっとがっかりしています。しかし、民族統一へのこの動きはもう引き戻すことはできないと思います。
 日本の国内では、改憲派が幅を利かせて、軍国化に拍車をかけようとしていますが、朝鮮民族の統一は、憲法「改正」を阻止しようとしている私たちにとっては、追い風になると思っています。
 平和憲法の趣旨に則って、駐日米軍の撤退を目指して頑張っていきます。


 力を作りあげよう
              
北田 大吉

 いよいよ、二十一世紀が到来したが、新しい世紀の開幕という明るさは全く感じられない。
景気の先行指標とされる株価は最安値を記録し、景気もピークを過ぎ、今後は長期の低落傾向にあると見られ、国家・地方自治体の累積財政赤字は遂に国家予算の十倍近い六六六兆円が必至となり、春早々にも金融危機再発と囁かれ、景気か構造改革かの二律背反はのっぴきならぬところまで来ている。森政権は憲法を改悪して、緊急権国家の構築により中央突破をめざしているが、これは本質的には戦争と人権抑圧のファシズムにほかならない。
 このような状況に対して、民主党・共産党・社民党など野党の無力、裏切りに対して、民衆は信頼を失い、政治不信が渦巻いている。石川啄木が「ヴ・ナロードと叫びいずる者なし」と嘆いた一般的逼塞状況が支配しているようにみえるが、このような状況こそ本当は革命的危機なのではないのか。
 いまこそほんものの革命党の出番である。力がないという勿れ、なければ力を創りあげればよい。長期かつ困難な道ではあろうが、今こそ革命党の真価が問われる。 
 大いに奮闘しよう。

日本の改憲攻撃者はヒットラーから何を学ぼうとするか
                                 
  佐藤敏昭 (三多摩労法センター)

 ☆ 「世論は経験や認識からではなく、大部分は外から、際限なく、徹底的にそして持続的に啓蒙によって呼び起こされるものである」「大衆の政治的意見はまったく信じられない程強靭で徹底的な加工を、心と理性に施した究極の結果であるにすぎない」
 ☆ 「宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである(インテリにではない)」
☆「政治教育に強力に関与しているものは新聞である」
 ☆ 「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、その代わり忘却力は大きい。この事実から効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、継続的に行われなければならない。あれもこれもでは効果は散漫になる」
 (ヒットラー『わが闘争』より)

無党派層と日本共産党
                 
菅沼正久 (長野大学名誉教授)

 ここまで来た日本共産党はどこへ行くのだろうか。いわゆる「日共問題」であるが、十一月の党大会で久しぶりに新聞の紙面に登場した。
 これまで日共問題の紙面登場には二つの傾向があった。公明党との論争や社会党との統一戦線論争といった、言わば党の外側からの関心が一つの傾向であった。
 もう一つは今回のように、共産党の路線転換と言う内側からの登場である。「日共問題」も次第に社会性を希薄にし、内部問題として、一〜二日の紙面となった感が深い。
 一部の新聞は、今度の日共の路線転換は選挙、とくに今年の参議院選対策とみている。その参議院選対策は、あわよくば無党派層の票の取り込みにむけられている。この思惑はうまくいくだろうか。私のみるところでは日共と無党派層とでは向きがちがうようである。 まず、党派の否定という点である。これがいちばん大きい要素である。
 つぎに保守、革新と分けたばあい、不定流動的である。
 そして、前歴不問である。
 無党派層についてはわれわれも日共もよく研究する必要があるが、少なくとも路線転換、綱領改定といった切り込みの次元の問題とは言えない。日共の思惑通りにゆくだろうか。 


若者の便りに灯りを見る
                 
砂場 徹

 臨時国会がすんで腹を立てているとき、胸に一点の灯火が灯もるような「便り」をもらった。
この尼崎では、私立の「福祉・保育専門学校」が毎年地域の高齢者を招いていくつかのグループに別れて学生と話し合う「特別授業」が行われていて、私も参加している。
 そのときの学生の感想文が送られてきたのである。 大略「今日、砂場さんに聞いたのは、昔の戦争の話題でした。兵隊であるとか、戦争といってもピンとこないことですが、今の世の中、本当に裕福な時代であると改めて思いました。これは昔の人が苦労したからこそだと思う。今日お話されたことを、今後の財産として、いろいろな人にも伝えていきたいと思います」
 こんな内容だが、真剣な態度と質問からこちらが学ぶことが多い。高齢者はもっと語らねばと思う。ますます片隅に追いやられる世情だからこそだ。
 「5・3憲法集会」で会う約束をした。
 楽しみである。

新保守革命と対抗戦略
                
 樋口篤三

 二十一世紀は、世界史の転換点が始まる。
 沖縄サミットに対して「南サミット」百三十三ヶ国が、債務やID格差等で結束して要求したのは、第三世界の大きな一歩を示すものとなった。
 東アジアでは、朝鮮半島で「歴史的和解」がはじまり、また明治維新革命直前に勝海舟がとなえた日本―朝鮮―中国の団結と共通した思想が、金大中大統領(「まず文化から」)や朱熔基首相にあるし、三国首相・大統領会談も昨年に行われた。問題は行動である。
 日本では、社会・国家の歴史的再編をめぐって、憲法闘争を軸に、新保守革命ブロックは「教育革命」(中曽根)、「心の東京革命」(日本の突破口。石原)と「革命的攻勢」を次々に仕掛けてきている。
 政治・政党の時代を画する再編は必至である。
 左翼の思想・政治・運動の根本的再建が問われている。
 対抗戦略(社会革命・協同社会の道)、労働運動の左への転換、社会・市民運動の発展に、協同の力を結集する時だ。
 危機こそチャンス!

平和憲法擁護の一大戦線を
                      
広沢賢一 (元衆議院議員)

迎春。
 昨年は金大中の太陽政策で南北朝鮮の雪解けが始まりました。
これらアジアの平和に逆行して、米日反動は憲法改悪・集団自衛を企て、バブルの破裂による不況では、銀行・ゼネコンの不良債権保護の弱肉強食政策−年金・医療の改悪による老後不安、リストラ失業、六六〇兆円の大赤字累積など悪政の限りを続けています。
 これらを阻止して、平和と生活を守り、政治革新を求めて、去年、庶民は立ち上がりました。
 長野・栃木の知事選、東京衆院補選では、ついに、「山を動かし」ました。
 そのうえ、年末には、いぜんとしたバラマキ亡国予算大蔵原案発表の日、ついに大幅の世界同時株安がはじまり、将来日本の経済・生活の不安、前途ただならず、です。
 かく、今年こそは、自民政治の終焉・政界再編成にはじまって、世界に範となる平和憲法を守る一大国民戦線の結成のため、二十一世紀は明るい革新日本のため、前進・前進。


沖縄・名護市民上京団  ジュゴンの住める環境を訴え

 「ジュゴンをまもれ!報告・交流会」が、十二月二十五日夜、労働スクェア東京で開かれ、七十名余の市民が参加した。主催は沖縄・名護のジュゴン保護基金委員会(共同代表・玉城芳喜、池原貞雄、香村真徳)で、この日、環境庁、水産庁、防衛施設庁、文化庁などへの要請で代表が上京したことにあわせて開かれたもの。
 最初に玉城芳喜代表が要旨以下のようなあいさつをした。
 「市民投票から三年になる。名護では二十一日に名護市役所を包囲するヤンバル平和祭を行った。今回は七名でジュゴン保護の要請のために関係省庁を回った。今後も継続して運動して行きたい」
 事務局長の東恩納琢磨さんは「ヨルダンのアンマンで開かれた国際自然保護連合(IUCN)の総会で採択されたジュゴン等の保護のための勧告決議を履行してもらうための要請行動をした。決議は保護をするための自発的な調査をしろと言っているのに、SACO合意に基づいて調査をしているなどと言うのは分かっていないということだ。海外のNGOなどとの連携も強めながら、ジュゴンの住める環境を残すための運動を続けたい。二十一日の行動には三百六十人が集まった。市民投票以来、三年経っても市民はまだ基地はいらないという思いを持っている」と発言。
 市議の宮城康博さんは「日米安保によって沖縄に七五%もの基地をおいているということは、差別というほかにはない。このジュゴンの問題はセーフティ・ネットの問題として考えたい。アンマンの決議のあと、アメリカに行ってNGOと会ってきた。これらと連携してジュゴンのキャンペーンをしたい」と述べた。
 満月まつり実行委員会の高江州あやのさんは「各庁を回ってみて、あらためて基地を作ることを前提にしていることを痛感させられた。ヤンバル平和祭は成功したが、まだまだ一般の人の参加が少ない。危機感をもっている。三回目の満月祭を四月八日、韓国の人びとと連帯しながら名護の瀬嵩でやる。全国でもやってほしい」と述べた。

ジュゴン保護基金委員会事務局
連絡先・・名護市字瀬嵩四八電話(FAX兼用)〇九八〇・五五・八五八七


「教育改革国民会議」 最終報告のねらいについて批判する @
                                             吉野 啓爾


 昨年三月に、小渕前首相の私的諮問機関として出発した「教育改革国民会議」が、去る十二月二十二日に最終報告を森首相に提出した。
 既に本紙には、「中間報告」のねらいついて批判した高杉論文が掲載されているが、今号では、まず「中間報告」に新たに付け加えられた「私たちの目指す教育改革」について、分析・批判する。

教育は人間社会の存立基盤ー教育は国家の道具ではない

 ここでは、教育の意義についてふれ、一人ひとりの人間が社会的自立を果たし、よりよき存在になるにとどまらず、「社会や国の将来を左右するもの」として位置づけている。
確かに人間として自立していく上で、教育は一つの大きな要素であることは疑いない。しかし、「社会や国」のために存在するものではないという視点からは一八〇度かけ離れている。教育基本法の前文には、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」が教育の目的であることが唱われている(憲法・教育基本法には確かにブルジョア法としての限界はあるものの、少なくとも戦後五十余年自ら侵略戦争を仕掛けなかった法的根拠になり得た側面は評価していいのではないか)。
 しかし、この言葉の背景には、戦前に教育が国家の道具となり、一律に「滅私奉公」を重んじた価値観が国家主義を醸成したことに対する反省があったことを忘れてはなるまい。そして、戦後、曲がりなりにも「個人の基本的人権や価値観」を大切にする教育を是とする教育活動が営まれてきた。
しかし、この「報告」のねらいは、世界経済のグローバル化の中で、新たな「生き残り戦略」にかける独占資本の要請により、「教育を国家(資本)の道具にする」政策を更に強化しようとしているのであり、彼らにとって教育はまさに「国(資本)の将来を左右する」ものなのである。

危機に瀕する日本の教育 ー政府に責任はないのか

ここでは、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、青少年犯罪の続発を例にあげ、わが国の教育が荒廃していること、現在の子どもたちが耐える力・思いやり・自制心を失っていると断定し、「道徳」を強化することの根拠としている。
確かに、いじめ、不登校、校内暴力、学級崩壊、青少年犯罪などは深刻な問題であることは事実だが、なぜこうした問題が起きてきたのかという分析が一切ない。わが国の学校で行われている教育活動は、多かれ少なかれ「学習指導要領」の影響を受けてきた事実があるが、この指導要領こそ、実はその時々の独占資本の要請を受けて教育内容等を規制してきた代物であり、学校はまさに独占資本の要求する差別選別の競争原理に基づいた労働力の再生産の一翼を担ってきた側面も有しているのである。
「いじめ、不登校」などは、こうした「差別・選別」の能力主義教育に対して、子どもたちが疲弊症状を起こしてきているとみるべきである。
したがって真剣に子どもたちの側に立った「教育改革」を論ずるのであれば、まず、これまでの教育政策に対する自省、そして差別・選別の能力主義を排除することから取り組むべきである
にもかかわらず、そういった視点が全くない。上からの価値観を押しつける「道徳」を強化する(実際の学校現場では、「道徳」の指導は行政の圧力で年々強化されてきているにもかかわらず、こうした問題は解決されていない)ことでは、何ら解決されないことは明らかだ。

大きく変化する社会の中での教育システムー『順応させる』ことは教育の目的ではない

ここでは、ITや科学技術の進展、経済のグローバル化に対応する教育システムの必要性、そして、中央集権的な教育の払拭、さらには教青の世界のイデオロギーの対立(文部省と日教組をはじめとする教職員組合のことを指すと思われる)をなくすることの必要性について述べているが、詳細については後述することとするが、要は独占資本の要求するITや科学技術の進展などに「順応」できる教育体系を要求しているわけである。
確かにパソコン等の普及により、居ながらにして社会の情報が得られるなど、ITなどの発展はめざましい。
しかし、一方では企業社会においてコンピュータの処理能力を基準にノルマが課せられ、まさに「人間が機械の一部品化」し、「過労死」なども社会問題になっているという事実も忘れてはなるまい。
また、中央集権的な教育行政の払拭について言えば、昨今の広島、東京、神奈川、北海道などにおける「日の丸・君が代」強制に反対する教職員への「処分」を見る限り、政府・文部省に全くその気がないことは明らかである。
教職員組合と教育行政の対立についていえば、まず言及しておきたいことは、憲法・教育基本法から遊離した教育政策を行ってきたのは、むしろ文部省や教育行政の側であり、それに対して、日教組をはじめとした教職員組合は、憲法・教青基本法の精神に根ざした教育政策を要求してきたわけで、対立するのは当然であり、戦後の「民主教育」を一定程度支えてきた教育労働運動の投割は大きいといえよう。
しかし、既に「文部省とのパートナーシップ」路線に転換した日教組は、十分な対抗軸はとなり得ない存在になってしまった感があるが…。

これからの教育を考える視点ーねらいは、国家主義とエリート

ここでは、今後の「教育改革」の拠点として、第一に、人間性豊かな日本人を育成する教育の実現。第二に、創造性に富んだリーダーを育てる教育システムの実現。第三に、新しい時代にふさわしい学校づくりについて掲げている。
詳細については、「 の提案」を批判する際に述べることとするが、着目しておきたいことは「愛国心教育」「家庭教育」の重視、そして、「社会が求めるリーダーの育成」さらには「教育行政や学校の健全な競い合い」を求めていることである。
 一言で言えぱ、これらの言葉を連鎖させるだけでも、ナショナリズムに溢れ、国際競争に打ち勝つことのできる一部のエリート養成を、家庭・地域を巻き込んですすめるねらいがあるということを読み取ることができる。

教育改革への基本的考え方

ここでは、何をなすべきかという視点で、次の二点について述べている。一点目は「基本に立ち返る」ということであるが、彼らの言う「基本」とは「日本人としてのアイデンティティー形成」である。決して「偏狭な国家主義の復活を意図するものではない」とわざわざ断り書きしていることにより、逆にねらいの本質が浮き彫りになっている。「盗聴法」「国旗・国歌法」「住民基本台帳法」改悪などを強行し、国家主義を確固たるものにする外堀を埋めてきた中で、いよいよ教育基本法を「改正」し、教育の場でも国家主義の浸透を図ることをねらっているとみるべきである。
また、二点目では、「直ちに実行」ということであるが、実は、その「先取り」は既に全国各地で始まっている。地域を巻き込んだ「日の丸・君が代」強制の攻撃や文部省や教育行政と対立する教職員組合つぶしなど、枚挙に事欠かない攻撃の事例が、既に「実行」されているのである。   (つづく)


二十一世紀に伝えられるべき歴史の証言  ― 稲たつ子歌集「わが戦争」を読む
                                                   佐山 新


貴重な共有財産として

 一つの短か歌が時代状況を彷彿とさせ、人を粛然とさせることがある。例えば私にとっては筏井嘉一の一首がそうだ。
◎欠食児の父戦死すと報到れり一年生にて事わきまへず
 一年生の教室の昼時、弁当を広げている子どももいれば、貧しくて昼飯を抜かなければならない子どももいる。そんな子どもの一人に父親の戦死の報が届く。先生が説明するが子どもは父の死をよく理解できない。それよりも空腹の方がその子にとってはより切実な事態なのだろう。虚ろな表情が眼にうかぶようだ。父の死によってその子どもに空腹をもたらす貧しさは一層苛酷なものになる・・・
 私は、内の階級性を隠蔽した民族の名をもって歴史を偽造しようとする自由主義史観の凡百のたわごとに、この一首は十分拮抗しえていると思う。
 大岡信は最新刊の『新折々のうた5』(岩波新書)の中で、ある短歌に触れて書いている。「近代短歌史の中でたびたび唱えられてきた短歌滅亡論のどれにもまさって、短歌の命は強かった。その理由の一つは、近代短歌が短歌の記録性の効用にはっきり目覚めたことにあっただろう。現代の短歌は右の歌のように、叙情を直接には意図していない歌をも、冷静な事実の記録そのものによって痛切な叙情詩となしうる道を開拓した」
 そして私は「痛切な叙情詩」の共有財産目録に稲たつ子歌集『わが戦争』を加えることができたことを喜ぶ。

著者・稲たつ子という人

◎ピョンヤンに疎開をせしが二日後に敗戦を聞きぬそれよりの惨
◎ピョンヤンの橋にてひと目逢いたるが夫との永久(とわ)の別れなりにし
◎ダバイの兵去るまでを壕にひそみいき幼子の唇(くち)に乳房押しつけて
◎息ひきし子の髪を切る手に射してピョンヤン十一月の月蒼かりき
◎まだ温き父を抱きて叫びいきピョンヤン一月吹雪の夕べ
◎三十八度線自由自在に飛び交える鳥羨しかりきひた歩きつつ
  ※「羨し」は「ともし」か・・・佐山
◎共に死なむと心決めにき「歩けないもう歩けない」と泣く子を抱きて
◎浩々と輝る北鮮の月の下入水せむとして子を抱き寄せぬ
◎「生キテ還レ!日本ヘ還レ!」と叫ぶ声入水せむとせしとき聞こえたり
◎垢づきし夏衣まといて還りきし師走博多の波高かりき
◎泥棒やヤクザの隠語も覚えたり濁流のごとき戦後を生きて
◎闇米を抱えて貨車をとび降りしかつぎ屋たりし日の足の強かり

 本書には一七七首の短歌に添えて「戦争を知らない世代へ」という、市民運動グループの集会で語り部として招かれた際の案内チラシに寄せた文章が収められている。一九四四年十一月家族五人で渡満、夫の三度めの召集(戦後シベリアで抑留死)、ピョンヤンへの疎開、敗戦、ソ連軍進駐、避難民生活、父と子の死、三十八度線への逃避行、そして帰国に至る経過が簡潔に綴られているだけでなく、著者の非凡な精神を自ずと浮き彫りにする端正なエッセイである。
 ピョンヤンで天皇の玉音放送を聴き、「神国日本が敗ける筈はない、嘘だ、デマだと泣き叫ぶ声が広がってゆきました。『ああ、よかった。これで夫は帰ってくる。内地の夫の両親や長女とも会える。日本へ帰れる』と、胸をなでおろしたのは、私ひとりのようでした。私も人並みの愛国者だと自負していただけに、本音の部分では自分本位の非国民だったのかと情けない思いでした」
 戦争中「贅沢は敵だ」のスローガンに一字を書き加えて「贅沢は素敵だ」としたという話をどこかで聞いたが、そのエピソードに通いあう一種爽快さを感じる。歪んだ時代状況の中にあって「自分本位」であることはそのまま鋭い批評になる。同時にその批評は自身にも向けられざるをえない。
 「戦況はじりじり悪化していたのですが、私の関心は疎開地で空襲に遭ったと聞いた夫の両親や長女のことで占められ、自分たちが一体どこへ向かっているのか、把握していませんでした」という苦い反省。「あの侵略戦争を聖戦と信じ、国家に協力してきた末に、その国家に裏切られ、見棄てられた自分の愚かさへの憤り」それが高齢の(現在八四歳という)著者をなお闘いの場へと誘わずにはいない。
◎戦争を憎む心が吾を支う向日葵の黄濃くなりて夏
◎コバルト治療受けし命を永らえて今日反原発の会に集いぬ
◎蟷螂の斧のごとしと思いつつデモ行進の先頭に立つ
◎砂のごとき民衆の一人たるわが無力PKO法案可決の朝雨しとど降る
◎今ここで泣いてはならじと目を閉じぬ引揚体験語りいたりて
◎デモせし吾を自己満足と批判せし友の名交る派兵反対署名簿
◎色褪せし帽子かむりて足軽し憲法を守れと呼びて歩みたし
◎若きらに混りて吾も熱かりき「沖縄列島」自主上映に

しなやかな感性・記録する眼

 歌集に収められている多くは戦争・戦後体験を歌ったものだが、散見される日常詠にも魅力的なものが多い。
◎マネキンが春を装うウインドに冬着重ねし吾の過ぎ行く
◎町裏の易者に手相見せている茶髪の少女のピアスきらめく
ここには著者の時代へのかすかな違和感が感じられる。それは
◎戦争を知らぬ人らと語りいてどこかが違うもどかしさ覚ゆ
という感慨にもつながるものだろう。しかし著者はしなやかな感性で後の世代にすこやかな希望の芽をつないでいる。
◎若きらが指おどらせて語りいぬ恋始まれる手話かもしれず
◎がら空きの電車に園児ら座してより春の気配がどっと寄せくる
◎老多き街に予備校建ちてより色鮮やかな群が往き来す
◎高校へ進学せずに美容師の道選ぶ子の眸(め)は深く澄む
◎ひい、ふう、みい縄飛びの輪にはずみつつ少女ら春の精となりゆく
◎問い糾すごとく少女の眼は澄めり長崎原爆者追悼ミサに
◎反戦を語る若きに出会いたりいま少し生きていたしと思う
耳の不自由な若いカップルの一心な手話に恋の始まりを感じ取り、就職を選択する中学生の眼に深く澄んだものを見る著者の眼は、無惨な戦争体験のさなかで、異国の民衆が示した人間愛あふれる行為をそのものとしてしっかりと受け止め記録する眼でもある。
◎ズドラーストウィ(こんにちは)と小声に言いてはにかめり弟に似しソ連兵士は
◎ヤポンスキーマダム、ハラショーと陽気なる兵士吾子に向日葵の種をくれにき
◎マーリンキー(こども)はいるかと吾に問いし兵故郷恋しと手真似で言いぬ
◎竜岩浦(りゅうがんぽ)の若き漁師が難民のわが子にくれし白きおにぎり
◎難民の吾子らに菓子を与えむと丘越えて来給いし纏足の嫗
◎北鮮を脱出せむと決めし朝手縫いの靴を太太(たいたい)はくれし
◎難民われに玉蜀黍を与えてくれしチマチョゴリの女(ひと)忘れ難しも
◎官憲の目を恐れつつも難民われらを匿いくれしオモニもありき

歌集を成り立たせたもの

 この歌集は著者の息子さんの勧めで編まれた。
その息子さんが「はじめに」で書いている。「文芸とはほとんど無縁な戦後の生活を送ってきた上に、作歌を始めたのも七十歳を過ぎてからという晩学―略―このささやかな歌集に目を通して下さる方々が、改めて『戦争悪』を問い糾し、ひとりひとりの心のなかに『平和の砦』をより強固に築いて下さればこれに勝る喜びはない」
 また、娘さんが「おわりに」で記している。「この小歌集は、戦争体験世代の私と、戦争を知らない世代の弟が協力して編纂しました。戦争の渦に翻弄され、消えていった家族の姿を書き残すことで、庶民の側から『戦争』を告発しようとする母の意図が、この小冊子によって実現されることを願っております」
 そして、新聞歌壇の選者として著者の作品を取り上げてこられた方が跋文に書いている。「歌人づらをした歌人の作品でなく、たたかい生きる民衆の魂の所産である短歌の清冽さが、ここに溢れている」
 著者の苦難と闘いに満ちた生涯に報いるこれ以上のオマージュはあるまい。
◎わが内に言葉崩しの鬼がいて歌詠む夜の思いさまたぐ
「言葉崩しの鬼」とは、言葉にすることの虚しさ、経験の伝達不可能という、時に激情にも高まる思いだろうか。
◎戦争を詠みつぎて何なさん歌に才ある吾ならざるに
 しかし、著者は敢えて詠み続けることで私たちに大きな贈り物を届けてくれたのだ。


百姓一揆を肯定的に描いた大作がいま生まれたことに拍手

       映 画 ・ 
郡上一揆

監  督 神山征二郎
キャスト 緒方直人、岩崎ひろみ、古田新太、永島敏行、林隆三、加藤剛、林美智子、日色ともえ、ほか。
     1時間52分

すさまじい全藩一揆

 江戸時代(近世)の農民一揆といっても、初期と中期と後期によってさまざまな違いがある。この「郡上一揆」は一七五四年(宝暦四年)から五八年までの、近世中期の典型的な惣百姓一揆である。近世中期は幕末と同様に、領主や代官の苛酷な収奪に反対して、百姓一揆が大きく高揚した時期である。
 近世初期の農民の闘いは形態としては代表越訴の形態がおおく、直訴した指導者(多くは名主や庄屋)は一揆がおさまれば死刑にされ、農民からは大明神などとあがめられた。
 中期にいたるとこれらの農村上層は名字帯刀を許されるなど、特権層と結託する。農民はひそかに連合して、一村規模ではなく、全藩規模でたちあがり、名主や豪商を襲いつつ、城下に至る。これが全藩一揆、惣百姓一揆である。
 幕末にはこれが世直し一揆と結合し、幕府の根幹を揺るがすことになる。
 郡上一揆が始まったのと同じ一七五四年には、筑後の久留米藩で重税に反対して総計十万の農民が決起するなど、全国で農民一揆が続発した。

あらすじ

 美濃国(岐阜県)郡上八幡藩主金森頼錦は幕閣にとりいるために、藩財政の逼迫にもかかわらず、官々接待にあけくれ、そのツケを農民に回し、年貢の一定額が決まった「常免制」から「検見制」(穫れ高に準じて課税)に移すことで大増税をはかった。この検見制では役人が「坪刈り」と称して実りのよい田圃で測量し、それを基準に課税する。当然、農民はこの悪税の導入に怒りを燃やした。
 宝暦四年、竹槍を持った農民の大軍が城下に押し寄せた。藩支配層はあわてふためき、「江戸の藩邸に取り消しを願う」との家老のお墨付きをだした。この時に歓声をあげて乱舞する農民たちのシーン(写真左掲)がすごい迫力だ。
 だが、この闘いはこれで終わらないどころか、始まったばかりだ。
 宝暦五年夏、美濃の郡代は再び「検見取り」を支配下の農民に言い渡す。庄屋や名主層は藩支配者側にからめとられ、その手先の役割を演じていた。闘いとった「お墨つき」は無効にされる。農民たちは再び闘いの決意を固める。
 農民たちの代表はひそかに山深い草むらに集まり、傘(からかさ)連判状に署名する。当時は弾圧で代表者がかならず処刑されることから、円形の傘の形に署名していき、署名筆頭者をわからなくする。決意を固めた農民たちが鎌に自らの親指を押しつけ、ひとりひとり署名に血判を押す。
 六十余名が選ばれて、江戸藩邸に出訴する。農民たちの組織的反抗に驚いた江戸藩邸は、農民たちをとらえ、あるいは回答を限りなく引き伸ばす策動にでた。郡上の村でも闘いから脱落する者(寝百姓)と闘いを継続する(立百姓)への分岐が始まる。藩の手先となった庄屋たちと、農民たちの厳しい闘いがつづく。
 同様に出訴組の間でも矛盾が激化する。
 宝暦五年十一月、江戸にいた出訴グループの闘争堅持派は、当時、御法度として厳重に禁じられていた公儀(幕府)への直訴を決意する。老中酒井の登城を狙い、周到に準備した農民たちはその駕篭に走りより、決死の覚悟で駕篭を止める。「のちほど屋敷で訴状を受け取る」との約束を得て、駕篭訴は成功する。
 しかし、宿預けになった農民たちは取り調べもないままに放置される。出訴者たちは郡上の郷の農作業を案じつつも、月日は過ぎる。宝暦六年十二月、突然、奉行から駕篭訴決行組の農民たちに「村預け」の裁決が下る。死罪を覚悟していたのに、検見取りについて何の沙汰もないままに、村に生きて返される措置にたいして、駕篭訴団の中でも評価が定まらない。「このままでは戻れない」と号泣する若者。
 宝暦七年一月、駕篭訴の一団が、捕り者駕篭に入れられ、担がれて、村に戻る。百姓衆が大挙して迎えに出る。「駕篭訴さま!、駕篭訴さま!、大明神!」の歓声がこだまするなか、駕篭訴団は村に軟禁される。
 この長期にわたった江戸出訴団の費用は莫大な借金となった。農民たちにカンパが割り当てられる。大金だが、「自分たちの闘い」として、目標を断固として受けて立つと決意する村々の農民たち。必死で資金を集める農民たち。時には豪農に集団で献金を強要もした。貧農も苦労してカネを作る。つぎつぎと割り当て金額を突破した。
 しかし、裏切り者の名主らが、夜、藩兵をつれて会計係の農民の家を襲い、帳簿を強奪する。百姓たちは組織防衛のために、ただちに帳簿奪還をはかり村々から結集し、斬りつける城方の兵との乱戦になる。
 闘いはつづくが検見取りは取りやめにならない。宝暦八年四月、軟禁されていた者たちを先頭に、禁を破って再度、農民たちは江戸に向かい、一隊は目安箱に訴状を投函、他の一隊は町奉行所に駆け込んで訴訟した。
 幕府によって訴状は受け取られたが、「首謀者割り出し」の取り調べのための拷問がつづいた。牢獄は郡上から召喚された農民たちでいっぱいになる。毅然として口を割らない農民たち。 やがて宝暦八年年末、農民十四名に死罪・獄門などの厳しい裁定がおりる。刑場に向う農民たちに役人が告げる。「藩主金森家はとりつぶしに決まった」と。
 塩漬けにされた農民三名の獄門首が郡上に届けられる。その農民の首に会うために、藩主との闘いに勝利した村々から大勢の農民たちがおし寄せる。

百姓こそ恰好いい!

 神山征二郎は『ハチ公物語』『遠き落日』などの監督であり、かならずしもこうした民衆の闘いを描いた作品を作ってきた人ではない。しかし、神山は自分のふるさと、岐阜県のこの農民の闘いをいつかは映画にしたいと考えていたという。彼は「ボロを着て、粗食に甘んじ、それでも人間の誇りをすてなかった者たちのことを映画化しておきたかった。つまり百姓こそ恰好いい!」と述べている。
 原作は安保闘争直後の一九六四年、こばやしひろしによって書かれた「郡上の立百姓」。これらの人物像をはじめ大部分が史実に基づいて描かれている。
 この作品の映画化は「郡上義民」の歴史に誇りを持つ住民からの一口千円のカンパ、一万三千口をはじめとする資金と無数のエキストラの協力によって実現したという。
 六十年代や七十年代には、その時代を背景に、こうした民衆の闘いを描いた作品はあったが、一揆を映画に描くのは難しかった。それらの民衆の闘いの作品が商業映画界ではまったくなくなって、突然、二十一世紀を前にあらわれた。出訴中の郡上での農民の闘いが十分に描かれていないことなど、不満はあるが、まずはおおいに評価したい。物語としても息をつく間もなく、最後まで引きずりこまれる作品だ。
 とりわけ若い諸君にぜひ観てもらいたい映画だ。           (高)


国労大会・四党合意を拒否し 闘う執行部を確立しよう

 国労第六七回定期大会の続開大会は、一月二十七日、東京・社会文化会館で開催される。
 国労本部は、昨年五月三十日以来、JRに法的責任なしとする「四党合意」の承認を強引に推し進めてきた。それは、政府・JR会社に屈服し、JR連合との合流による一部ダラ幹の延命のため、右派・チャレンジ派と共産党・革同上村派らによる内側からの闘争破壊策動であった。しかし、闘争団をはじめとする闘う国労組合員、広範な支援の労働者の闘いは、七月一日の臨時大会、八月二十六日の続開大会、十月二十八〜二十九日の定期大会と三度にわたって、屈服の「四党合意」承認を阻止し続けている。
 すでに現執行部は、この間の責任問題で総辞職することさえを表明している。しかし、右派諸グループは、自らの総辞職声明すらうやむやにしながら、続開大会での「四党合意」の承認および執行部の留任の動きを強めている。
 総辞職をさえ表明している執行部による「運動方針案」(「四党合意」承認)そのもの存在の正当性はない。 続開大会の課題は、はっきりと「四党合意」を拒否し、闘う方針の再確立、清新な闘う執行部の選出ということである。
 留萌闘争団は、一月五日付けで、国労中央執行委員会にあてて「続開大会において新執行部による『方針提起』を行い 、『真の統一と団結』を求める要請書」を提出した。それは、@続開大会では、本部原案(運動方針案)及び『四党合意』の採決は行わないこと、A続開大会では、新執行部の選出を前段に行うこと、B新執行部による、新たなる「運動方針案」提起を行うこと、Cその「運動方針案」提起による、国労の「真の統一と団結」を固め合い、早急に具体的な大衆闘争の提起を大会決定すること、D十二月十一日に運輸省・労働省に提出した三十六闘争団の統一した「解決要求」の実現に向けて、続開大会で確認し合うこと、などを強く要求している。


職場短信 職員室と文明の利器
                        紫 羽 哲 郎


今や「流行語」ともなったIT革命を下から支える役目を負わされつつある学校現場であるが、ITに先立つ「OA革命」の状況はどの様だったのだろうか。
学校はもともと、世の中の最先端を行くと思われていたはずであるが、そうした「文明の利器」とは縁遠い傾向にあった。
何故なら、永い間教員(間違っても教師などとは呼ぶべきではない)の使う道具は「チョークとガリ板」と相場が決まっていて、授業も「チョーク一本で勝負するのが教員」とまで言われてきた。ところが、時代はそれを許さなかった。謄写版が輪転機に変ると、ろう原紙が駆逐されて ファックス原紙(通電された針が原紙に穴を空ける仕組み)が入り込み、白黒ながらも写真や図が印刷できるようになってきた。それと同時に青焼き機がコピー機へ昇格する頃になると、それまで主流だった手書きが、小型電動タイプライターによる活字化に、これまたレベルアップすることになり、OAとまでは行かないものの、パーソナル化された機器が職員室に定着する先駆けとなった。
 そして十五年ほど前には、ついにワープロ(わずか八文字程度しか表示されないディスプレイであったが)の登場となって、それを操作できる者は職員室で注目をあびることとなった。
 その頃からだろうか、教職員が同じ学年で対面方式で机を並べているにも関わらず、まともに相手を見て話さなくなったのは。
 原因ははっきりしている。学級や学校の事務、保護者へのお便りもワープロとなれば、四六時中ワープロの画面を見続けることは当然であり、仕事をしながら交わす会話も政治談義などより、たわいないテーマが多くなるのもうなずける。かくして、学校現場も他の企業と変らない風景となり、会話の質が変化していった。問題はその後である。ワープロがパソコンにその首座を奪われるまでには五年とかからなかった。本来学校は、機械による管理という側面からすれば、一番かけ離れた職場であったはずであるが、それはいとも簡単に崩壊した。
 成績処理から健康管理は言うに及ばず、単純な文章や学級の児童・生徒向けの掲示物でさえ機械文字に頼ることとなり、画一化された感じを与える。私の職場で言えば、二十数人の教職員のうち、自分のパソコンを持っていない者は二人くらいである。個人的には、学校にパソコンは要らないし、性能の良いワープロが数台あれば事が足りると思っているが、押しなべて、校長も教頭もヒラも、子どもを見ないで終日、画面を見ているようだ。ひどい話、校長が業者からせしめたソフトで部屋にこもって遊んでいたり、パソコン室が教頭の別荘になっている学校もあると聞く。
 パソコンは所詮道具に過ぎないが、メーカーの巧妙な販売戦略に乗せられて、ユーザーは翻弄されているのではないか。
 無批判にパソコンを導入し、インターネットがパソコンの全てであるかのようなことを吹聴する輩も多いが、その実、搭載している性能の百分の一も使わない者が圧倒的なのである。最早パソコンは「文明の利器」ならず、「文明の凶器」(対話の喪失は言うに及ばず、目は悪くなるし、紙の消費は増えるし、原発の稼動促進にもなる)として、われわれの前に立ち現れている気がする。
 かつて喫煙者であった私は、職場で禁煙・減煙を勧めて煙たがられている(煙たいのはこっちの方であるが)が、今度は「パソコン歴十二年」のキャリアをカサに、『学校にパソコンは不用だ!』のキャンペーンを、「何となく持っていた方がいいかな」くらいの人をターゲットに開始する予定である。(もう手遅れかな?)