人民新報 ・ 第1012号  (2001年1月25日) 

                 
目次

● 日経連の賃金抑制攻撃に抗して、二十一世紀初の春闘を闘い抜こう

● 改憲阻止の一大共同行動へ   五・三集会の準備はじまる

● KSD汚職問題で村上参院憲法調査会長に辞任を要求

● 沖縄で相次ぐ米兵の暴行事件に市民団体や地方議会が抗議

● 新しく生まれた反戦団体  厭戦市民の会・ヨコハマ

● 東京女性財団廃止問題  廃止反対に動く怒りと懐疑の女性団体

● 4党合意を阻止し、闘争団要求を軸に闘いを前進させよう

● 「教育改革国民会議」最終報告のねらいについて批判する A

● 憲法否定を煽動する石原都知事の危険な企て

● 詩 ・      母        安藤 裕三

● 複眼単眼   新聞の右傾化と第一線記者の歴史認識の危うさ


            

日経連の賃金抑制攻撃に抗して、二十一世紀初の春闘を闘い抜こう

 日経連は一月十二日の臨時総会で、今年の労働問題研究委員会報告「多様な選択肢をもった経済社会の実現を」を採択した。一部マスコミは、それを「業績が回復した場合は、成果を還元することも選択肢」としたとして、昨年の賃下げの必要性を訴えたものに比べ一見柔軟な姿勢を打ち出したかのように報じたが、実際には「賃金水準の引き上げは困難である」と依然として賃上げゼロ攻撃を主張するものである。景気回復のかけ声にもかかわらず、このところの株価下落で景気の先行きに一段のかげりが出始めており、それを口実に経営側がいっそう厳しい対応をしてくることは必至である。
 今春闘は、アメリカの景気の急速な冷え込み、資本主義経済の世界的な混迷期への突入、そしてそれらの影響は、すでに長期にわたり不況局面から脱出できずにいる日本経済をいっそう危機的なものにしていく可能性が大きい。資本は攻撃を一段と強め、労働者の犠牲は大きいものとなる。また、政治的には、有事立法、集団的自衛権、憲法改悪にむけての反動的な攻勢が熾烈となる重要な年である。そのなかで、労働者・労働組合がいかなる役割を果たすのかが問われているのだ。
 全国の労働者の皆さん。団結をかため、頑強な闘争体制をつくり出し、要求貫徹に向けて闘おう。

雇用・賃金と労働者の状況

 昨年十二月二十六日、総務庁は「労働力調査」を発表した。それによると、十一月の完全失業率は四・八%となっている。男女別では、男性が五・〇%(前月比〇・一ポイント増)、女性が四・五%(同〇・二ポイント増)であった。
 また完全失業者は三〇九万人(前年同月に比べ一四万人増)となった。そのうち、「非自発的離職者」(リストラ・人べらし合理化を理由とするもの)が九四万人(前年同月比で四万人増)で、三カ月連続の増加となっている。
 十一月の常用雇用(規模五人以上)の動きをみると、一般労働者が〇・七%減少し(三十四カ月連続の減)、パートタイム労働者は二・八%増と引き続き増加している。こうした傾向は、一九九九年度の派遣事業者事業報告(労働省、十二月二十二日発表)によれば派遣労働者は九八年度に比べて一九・三%増加し、延べ百六万七千九百四十九人となり、はじめて百万人台に突入したことがあきらかになった。
 この状況下で、労働者の間には急速に先行きに対する不安感がひろがっている。一月十七日に日本リサーチ総合研究所(内閣府と経済産業省が共管)が発表した昨年十二月の消費者心理調査では、「生活不安度指数」(今後一年間の暮らし向きの見通しを指数化)が、一三一となり昨年十月の調査より二ポイント上昇(=悪化)した。リサーチ総研では、株価低迷が大きく影響したとして「消費者心理の先行き不透明感が強まった」と言っている。また調査の中では、「今後一年間に自分または家族が失業する見通し」では、六六%の人が「不安」だと答え、「今後一年間の収入見通し」では、三二%が「減る」と回答している。
 いま、労働者の健康破壊が進み、労働災害、そして労働者の自殺が増えている。これらが示すのは、リストラ合理化・解雇攻撃がふきつのり、日本の経済・社会がきわめて重大な段階に入ったということである。
 春闘は、雇用労働者のみならず、広汎な人民大衆の生活と権利を守り抜く「国民春闘」の伝統を引き継いで闘われなければならない。いまこそ労働組合はその本来の任務を果たすべき時である。

日経連の賃金抑制攻撃
 
 資本家陣営の労務対策の参謀本部である日経連が毎年初に出す「労働問題研究委員会報告」は、その時々の支配階級の情勢認識と方針を明らかにし、労働者階級にたいして全資本家が団結して対抗するように呼びかけるものである。
 今年の「報告」は、冷戦以後の十年間で世界資本主義市場は一変し、日本では「グローバル化、情報技術(IT)革命、環境問題、少子・高齢化」など「かつてない事態が進行」し、「わが国経済社会は従来とは大きく異なる事態への対応に迫られている」としている。そして「人間の顔をした市場経済」の理念を昨年に引き続き今年も掲げている。
 だが、日経連の方針は、従来通りの賃金・労働条件を低下させ、労働者へ犠牲をしわ寄せする「国際競争力の強化」=巨大な利潤の確保そのものであり、「公的規制の改革、リストラによる企業体質の改善など、一部に景気回復の兆しも見えてきた」と言っていることからもわかるように、その攻撃をいっそう強化することにほかならない。国家財政の大赤字、膨大な不良債権のことはいわずとも、すでに株価の急落などによって景気回復どころか、その悪化が見えてきているのである。
 今後、日経連に指導される資本家たちは「公的規制の改革、リストラ」攻撃を一段と強めてくる。
 また「報告」は、雇用問題の「解決」のためと称し、「中長期的な働き方の多様な選択肢」のため、雇用期間の定めのない短時間就労、在宅勤務など「従来になかったような働き方」を提起し、そのために「労働法制面での諸規制の緩和・撤廃」の促進を求めている。これは、なによりも「雇用コストの削減」のための「多様化」=常用労働者を不安定雇用労働者に入れ換えることを意味し、解雇をやり安くし、失業者と賃金・労働条件の劣悪な下層労働者の大群をつくり出すことに他ならない。
 さらに報告は、@賃金人事制度での成果主義の徹底、A教育改革(産学共同の推進)、B社会保障改革(「中福祉・中負担」ということでの大衆負担増)、税制改革(消費税増税)をあげ、あらゆる領域面での攻撃の展開を政府に要求し、労働者に更なる高負担と犠牲を強要するとともに、日本国家社会の「民間主導」による反動的再編を狙うものとなっている。

連合の「闘争」方針

 連合は、生産性向上の成果はまず雇用の安定に、ついで一時金にまわすという労問研報告について、「生産性向上分は賃金の引き上げにも適正に還元するのが本来の生産性基準原理だったではないか」と破綻した生産性基準原理を楯にとって弱々しく反論するだけである。
 そもそも連合は、日経連の「人間の顔をした市場経済」の理念について、「われわれとしても基本的には賛成である。しかし、それを単なる『理念』に終わらせないためには、いくつかの具体的施策や条件整備が必要である」として、@「人間の心」を重視した経営のあり方、A社会的なセーフティネットの整備、Bワークルールの確立、C中長期的な視野に立った経営をあげ、「人間の顔をした市場経済」なるものを下支えするというのが基本スタンスなのであり、「問題は、『人間尊重の経営』の理念が『国際競争力』や『人件費コスト削減』の論理のなかに埋没していることであり、日経連は経営団体としての指導性を発揮すべきである」とまで言い、春闘が労資の利害対立を「闘争」で決着をつけるという基本すら捨て去っている。
 連合春闘は、闘うという「理念」すらない中で、一%以上の賃上げ(高卒三十五歳、勤続十七年)を要求しながら三月十四〜二十三日の集中回答日に向けスタートした。全労連、全労協その他も春闘討論集会など春闘行動を開始し、二〇〇一春闘は本格化の段階に入る。
 
団結を拡大して、二〇〇一春闘を闘い抜こう

 いま、自民党(保守党・公明党)政治の中で、経済・政治・社会のすべての面で、不透明感がひろがり、いつ大きな事件が起こっても不思議ではない状況にある。
 支配階級による労働者・勤労人民への犠牲のしわよせにたいして、怒りが職場・地域に広がっている。
 右傾化と闘争放棄の流れに抗して、この怒り・不満を組織して闘わなくてはならない。深まる不況のなかで労働者の生活の一層の困難が増し、労働者の要求の高まりと闘わない労資協調主義組合指導部の路線・政策との間の矛盾が鮮明になりつつある。こうした中で、闘う潮流が先頭に立ち、原則的かつ柔軟に統一・共同の運動を拡大していくなら、労働組合運動の前進の芽をかち取ることが出来る。
 労働者のみなさん。
 日経連の賃上げゼロ攻撃に反対し、労資協調主義指導部による闘争抑圧を許さず、賃上げ、全国一律最低賃金制度の実現、国鉄闘争の防衛と前進、反失業・雇用確保・解雇制限法の制定、労働時間の短縮、労働法制の全面的改悪反対と解雇四要件を無視する労働裁判の反動化に抗し、行政改革・規制緩和に反対し、年金・医療など社会保障制度の改悪と大衆収奪に反対し、そして有事立法など戦争のできる国家体制づくりを阻止するため、憲法改悪を許さない広範な統一戦線の構築、日本労働組合運動の戦闘的左翼的再生のために、職場、地域で断固として闘い抜こう。



改憲阻止の一大共同行動へ   五・三集会の準備はじまる

憲法調査会の発足を契機に、右派からの憲法改悪の動きが急速に強まる中で、これに対抗する本格的な共同行動を形成する動きがすすんでいる。
 十二月十一日に東京で発足した「二〇〇一年五・三憲法集会」実行委員会がそれだ。
 この実行委員会は、この間、憲法問題に取り組んできた中央段階の主な六つの団体(憲法会議、憲法を生かす会、平和憲法二十一世紀の会、キリスト者平和ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会、「今週の憲法」編集部)が呼びかけたもので、当日は三十数人のさまざまな団体からの出席で実行委員会の結成が確認された。この出席者は政治的には、社民党、新社会党、共産党など、それぞれの党派的な流れと、市民団体や宗教団体などを含むものであり、地域的には首都圏規模の広がりを見せつつある。これらの運動の統一行動は憲法に関連する運動の分野では、初めて実現する画期的なものだ。このような政治的規模の統一行動は、最近では一昨年の五月、新ガイドラインに反対する一日共闘の集会が開催されただけだ。
 これまでは五月三日の憲法記念日には、都内でもいくつかの集会が同時に開かれており、今回は「連合系」が未結集であることから、それらのすべての共同ではないが、憲法改悪に反対する広範な戦線の形成に向けて、大きく一歩を踏みだしたものといえる。
 この実行委員会の実現は、許すな!憲法改悪・市民連絡会などがよびかけて開いた昨年十月四日の「懇談会・どこへ行く? 憲法調査会」の成功以来の努力が実を結んだものだ。
 実行委員会では五月三日、東京の日比谷公会堂で共同の集会を開催すること、事務局(連絡先は〇三・三二二一・四六六八)は呼びかけの六団体が担うことなどが確認された。
 五月三日の憲法記念日の共同集会の成功をめざして、さらに多くの人びとの結集と共同の努力がのぞまれる。



KSD汚職問題で村上参院憲法調査会長に辞任を要求

 自民党の国会議員とKSDとの癒着・汚職問題について、市民団体「許すな!憲法改悪・市民連絡会」は十六日午前、次のような公開質問状を村上正邦参議院憲法調査会会長あてに送付した。なお村上議員は同日午後、憲法調査会会長職を辞任することを表明した。

  質 問
  
参議院憲法調査会会長村上正邦様
                               許すな!憲法改悪・市民連絡会
            
 前略
 報道によれば、村上議員は十五日午前、KSDに関連する一連の重大な疑惑に責任を感じ、自由民主党の参議院議員会長の職を辞することを決断されたそうです。私どもは、このKSD問題については今後、議会などの適切な場を通じて、広く市民に情報公開され、民主主義の原則に基づいて政治への信頼が一歩でも回復するような方向で、しかるべく責任を果たされることを望みます。
 しかし、私どもが解せないのは、新聞の報道では自民党の「参議院議員会長」の職の辞任としか知らされていないことです。報道された村上議員の談話では「もとより政権与党自由民主党の参議院議員会長の職は重く、自らのけじめのつけ方に苦慮してまいりましたが……」とは述べてありますが、憲法調査会の会長など他の職責についてはどうけじめをつけられるのか、私ども市民にはわかりません。
 私どもは全国の憲法問題に関心をよせる草の根の市民団体一五〇ほどのグループのネットワーク組織として、この間、重大な関心をもって発足以来の憲法調査会の審議を欠かさず傍聴してまいりました。私どもの見るところ、参議院の憲法調査会での村上会長の占める位置と責任はきわめて大きなものと思われます。
 憲法調査会という国の最高法規を議論する調査会の会長の職務の責任は、自民党というひとつの政党の議員会長職にまさるともおとらぬ重職ではないでしょうか。私どもは当然、憲法調査会の会長職も辞任されるべきだと考えております。村上参議院憲法調査会会長としては、今回のKSD問題に関連して、どのようなけじめをつけようとされているのか、おたずねいたします。
 ご回答をお待ちいたします。                               以上

 二〇〇一年一月十六日



沖縄で相次ぐ米兵の暴行事件に市民団体や地方議会が抗議

アメリカのブッシュ新政権の体制が固まっていくなかで、それらの政策担当予定者らからの日本や東アジアの安保・防衛問題に対する危険なタカ派的発言が相次いでいる。
 十六日にコーエン国防長官から発表された「二〇〇一年国防報告」は、日本の一部報道機関から、従来の「東アジア・太平洋の米軍兵力十万人」の記述を削減したことで、「柔軟姿勢」と報道されたが、これは正しくない。すでに広く知られている昨年のアーミティージらタカ派グループによる「政策提言」では、日本の「集団的自衛権の行使」への要求などと併せて、「『十万人体制』を見直し、軍事技術の進展や国際情勢の変化に応じた兵力数や構成、配置などの再検討」を求めていた。今回の「国防報告」でも「(日米同盟は)米国のアジア戦略のカナメだ」と強調し、「アジア・太平洋地域では有効かつ高度な能力を持つ軍隊を維持する」としている。これらは十日、米国防総省が発表した「核、生物・化学兵器や弾道ミサイル開発の報告書」で「北東アジアでは最大の懸念が朝鮮民主主義人民共和国と中国」と規定した戦略的認識を前提としている。
 こうしたなかで、とりわけ沖縄における米海兵隊員による強制わいせつ事件や暴行事件が相次ぎ、県民の怒りが高まっている。
 一月九日にはキャンプ・ハンセン所属の米海兵隊員が高校生に対するわいせつ事件を引き起こし、十四日には普天間基地などに所属する米兵が飲食店で暴行を働き、その後、別の海兵隊員が交番で暴行をはたらくなど、米兵による事件が相次いだ。
 これにたいしては沖縄県議会や名護市議会、国頭村議会、金武町議会、那覇市議会、宣野座村議会などが相次いで臨時議会を開催し、厳重抗議や海兵隊の削減などを要求したのをはじめ、「名護ヘリ基地反対協議会」など県内のさまざまな団体が抗議行動を展開している。
 ところが一月十一日付けの米紙「ワシントン・ポスト」に、キャンプ・ハンセンのゲーリー・アンダーソン元司令官による「海兵隊員の犯罪率が特別に高いとは思わない。米軍のプレゼンスに反対する日本の政治家が、すべての事件を宣伝している。とくにアメリカ人が沖縄にいることを好まない人びとの政治的な懸案があるため、事件が大きく宣伝される」との暴言が掲載された。この人物は一九九六年から二年間、キャンプ・ハンセンの司令官をした人物で、当時の米兵による少女レイプ事件を契機に高揚した反基地の世論を鎮めようとして、有名な「良き隣人政策」を演説した人物だ。
 この発言は、米軍の帝国主義・覇権主義的な軍事優先思想が、司令官から兵士にまで染みわたっていることを示すものであり、事件のたびに米軍当局にわって繰り返される「綱紀粛正」「反省と謝罪」などの弁明がたんなるポーズにすぎないことを赤裸々に物語っている。
 あいつぐ事件と今回の元司令官の発言で、沖縄では海兵隊と米軍基地に対する市民の怒りは高まっている。日本政府は形だけの申し入れをしながら、一方では名護での米軍基地の新設の動きを強めるなど、これらの事件を根絶するために努力する意志はまったくない。
 今後のブッシュ新政権による東アジア政策の展開のなかで、こうした事件が再発する可能性はきわめて高いものになっている。



新しく生まれた反戦団体  厭戦市民の会・ヨコハマ

 またひとつ反戦運動の新しい市民団体が結成された。
「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会・ヨコハマ」(共同代表・信太正道氏ほか)結成集会が十二月二十三日午後、横浜市内で約六十名の人びとを集めて開かれ、成功した。参加者の中にはこの日のためにわざわざ北海道から駆けつけた人もいた。
 この会は『私たちの考え方』として、「憲法第九条の改悪に反対します。戦争を準備する動きを認めません」とする「不戦の誓い」を掲げている。
 この日は信太代表のあいさつにつづいて、十五年戦争で二度前線を経験した元兵士の藤岡明義さんの「私の戦争体験と教訓」と題する講演が行われた。藤岡さんは自分の体験した中国侵略戦争の経験と、フィリピンのホロ島での戦争の経験を具体的に報告した(藤岡さんの著書は『敗残の記〜玉砕地ホロ島の記録』中公文庫、『初陣の記』朝日出版サービス)。
 つづいて横須賀のNEPAの会の清水昭司さんが「平和の配当」と題して発言、ブッシュ新政権が危険な性格をもっていることを指摘した。
 集会はそのあと共同代表の杉本三郎さんが提案した会則を採択した。



東京女性財団廃止問題  廃止反対に動く怒りと懐疑の女性団体

 昨年十一月二二日、東京都は監理団体の見直しを発表した。
この廃止のトップに狙われたのが東京女性財団で、都の女性施策の拠点である東京ウィメンズプラザの運営を任されてきた財団の廃止決定である。しかも発表から四カ月後の今年度末(三月)での閉鎖、という性急さであり、利用者には新聞報道以外の説明はない。
 女性財団は、一九九二年に設立され、発足時は女性団体や都民の参加を得て民間の自主的な活動の場として、都の女性施策のシンボル的な存在だった。
 会館を利用してきた女性団体やグループは、一様に、納得できる理由もあきらかにされないままで、廃止決定の性急さに驚き、経営効率のみを理由とした一方的な決定におおきな疑問をだしている。
 女性団体は、今後の女性政策の行方に不安をもち、十二月都議会に向けて請願署名にとりくんだ。都の廃止決定は、各地の女性センターなどの女性政策の後退につながるのではないかとの波紋をなげかけ、署名は全国的な反響をよんだ。
 十二月都議会では請願の半分以上を女性財団廃止問題が占めた。都議会では「財団の役割は普及啓発であり、はじめから事業収入は期待していない。評価されこそすれ、経過措置もとらずに廃止を決めたのはおかしい」など反対の質問があいついだ。現在賛成は自民党のみである。
 この問題は、最終的には「平成十三年度」予算が審議される二月末開催の都議会での予算審議にかかっている。陳情署名は継続しており、また二月十二日には緊急集会も準備されている。
 なお、女性財団は民間団体なので、廃止は財団自身の決定がなければできないが、都が予算措置をとらないことで兵糧攻めにより廃止に追い込もうとしている。
 石原都知事は財政赤字を理由に、就任後初めての施政方針のなかで、民間委託や監理団体の見直しに言及し、以来厳しくゼロベースでの検討を重ねてきて、この結論となった。監理団体の見直しで削減する総額は七二〇億円だが、女性財団廃止による効果は七二〇〇万円で、目標の〇・一%にすぎないのに、第一号に決定してしまった。背景には石原知事の強い意向であることや、女性財団には正規職員がいないなど、潰しやすいところが狙われたなどの見方がいわれている。
 都は、財団は廃止するが、都の直轄運営として、これまでの事業を後退させないようにするとしている。さらに今後の重点課題として、ドメステックバイオレンス(DV)や企業の参画促進、相談事業の充実をあげている。また相談事業のなかでは、男女平等の推進のために、女性ばかりでなく男性を対象とする相談も扱いたいなどと構想の一部を紹介している。
 これらは、女性政策と企業活動の繋がりをつよめたり、女性のみを対象とする施策を"不平等"とする男女共同参画を逆手にとるものといえる。こうした方向は最近各地で出始めている危険な動きで、男女格差の実態を無視し、誤った「男女共同参画」の傾向であることを指摘しておきたい。
                                                   (首都圏通信員)



 国労第67回定期大会・続開大会 (1月27日、東京・社会文化会館)
   4党合意を阻止し、闘争団要求を軸に闘いを前進させよう

         右派(チャレンジ・革同上村派)執行部に代わる闘う体制を確立しよう


 国労第六十七回定期全国大会(続開大会)は、一月二十七日に東京・社会文化会館で開催される。
 政府・国土交通省やJR各社に指導されて国労右派(チャレンジ・グループや革同上村派など)は、この大会において「JRに法的責任なし」という「四党合意」承認を「今度こそは」の決意をもって強行しようとしている。
そのため国労本部右派は、大会での闘争団・家族の傍聴を認めず、また右派系地本から大量の「防衛隊」動員はもとより、機動隊の導入も計画しているという。
 その上、マスコミの取材もシャットアウトして密室での審議・決定強行の動きが強まっている。
 しかし、国鉄闘争の血と汗の苦闘による蓄積を無に帰させ、また国鉄分割民営化方式のリストラ合理化を免罪する役割を果たす「四党合意」は、大多数の闘争団・家族、多くのJR内国労組合員の反対によって三度の大会でも決められず、すでに全く形骸化したものとなっている。こうしたものを、その内容はもとより手続き的に当事者の意見を無視して強引に承認させようとするやり方も、国労の闘う伝統を踏みにじり、日本労働組合運動史上の一大汚点となるものであり、絶対に許してはならない。
 全国の労働者・労働組合は、闘争団と闘う国労組合員を断固として支持し、国労続開大会で、「四党合意」承認を阻止し、闘う執行部を選出し、国労が再び闘いの旗を掲げて前進するよう闘いを強化しなければならない。
 闘争団の総意を結集して闘争団全国連絡会議は、昨年十二月、運輸省・労働省に「解決要求」(全員の解雇撤回、不当労働行為の是正のため八七年四月一日に遡り地元JRに採用の措置をとること、JR各社へ復職を希望する者六百三十六名、バックペイなど約四百七十億円の解決金の要求など)を提出した。闘争団は、闘争を堅持する構えを崩さずJRと政府の責任を追及し続けている。
 国労本部の「四党合意」承認強行は、闘争団を切り捨て、労働組合としての立場を放棄するものであり、もし承認が強行されるならそこから起こることは、事態を泥沼化させるきわめて悲劇的な状況を生み出すだろう。
国労は、四党合意承認を撤回し、闘争団の「解決要求」を柱に闘いを再構築すべきであり、続開大会は、闘う方針を決定する場とならなければならない。
 五月三十日の「四党合意」以来、国労本部は、闘争の敗北的収拾のため、この間に臨時大会(七月一日)、続開臨時大会(八月二十六日)、定期大会(十月二十八〜二十九日)で、「四党合意」承認を様々な手段を弄して行おうとしてきた。しかし、十月大会でも、経過報告は承認されたものの、闘争団をはじめ闘う国労組合員の怒りの抗議で大会休会となり、運動方針案の承認・新執行部の選出は続開大会に先送りされたのである。三度にわたって、本部提案の四党合意承認は阻止されたのである。
 いま、政府・自民党・JR各社はJR完全民営化を推し進めようとしている。しかし、その目論見を一挙に水泡に帰させる不安要因が大きくなって来ている。累積赤字の増加、山陽新幹線のトンネル剥落事故による大事故が囁かれるなど安全問題、それに分割民営化の先兵であったJR総連の混乱・再編などが、国鉄分割民営化政策の破綻を示している。
 続開大会では、国労内のすべての潮流が正念場に立たされ、分化・再編が急速に進んでいる。闘争団をはじめ闘う勢力は、いま各地で全力をあげて国労の闘う方針・闘う執行部の再確立のための努力を日夜展開している。北海道や九州の闘争団も連名で本部への要請行動を強めている(別掲資料)。また前日の二十六日には、これまでの大会闘争に大きな役割をはたしてきた全国実行委員会による集会(とき:一月二十六日午後六時〜 ところ・シニアワーク東京)で開かれる。
 闘いの時である。「四党合意」承認を阻止し、闘う指導部・闘う方針を再確立するために闘おう。

 JRに法的責任はある!
 国家的な不当労働行為糾弾!
 一〇四七名の解雇撤回・地元JRへの復帰!
 裏切り幹部を打倒し国労の闘う路線を守ろう!



「教育改革国民会議」最終報告のねらいについて批判する A
                                          吉野 啓爾


 前号では、「最終報告」に新たに付け加えられた「私たちの目指す教育改革」について分析・批判を行い、「最終報告」のねらいは、政府と独占資本が要求する国家主義の醸成とエリート養成にあることを指摘した。今号からは、いわゆる「十七の提案」について順に分析・批判していくこととする。
 「十七の提案」の第一の柱は、『人間性豊かな日本人の育成』であり、ここでは、「教育の原点は家庭であることを自覚」「学校は道徳を教えることをためらわない」「奉仕活動を全員が行う」「問題行動を起こす子への教育をあいまいにしない」「有害情報から子どもを守る」という五つの提案を出している。
 確かに「教育の原点は家庭」であり、この世に生を受けた子どもの「人生最初の教師は親」である。そして、「子どもと一緒に過ごす時間も増やす」べきであろう。しかし、問題は「家庭」、特に親が現在どういう状況に置かれているかということである。
 資本主義社会においては、家庭は、まず「労働力の回復」という役剖を課せられてきた。
 しかし、昨今は、親は企業による能力・成績主義の徹底により、「残業・ノルマ制」で心身をすり減らして労働せざるを得ない状況に追い込まれ、そして、あげ句の果てには企業の合理化により一方的に解雇されるかもしれない、結果的に「企業戦士」として企業に貢献することのみを強いられ、「労働力の回復」すらもままならないほど「搾取」されているのが現状ではあるまいか。
 「最終報告」では、暗に子どもの「非行・問題行動など」のひとつの要因が「家庭教育の責任」であることを示唆しているが、実は競争原理と能力主義による企業社会こそが、家庭を崩壊させ「家庭の教育力」を低下させてきたという本質を全く覆い隠していること指摘しておく。
 次に、「道徳の強化」についてであるが、日教組などの教職員組合が「道徳」の時間を特設することに反対してきた最大の理由は、戦前の「教育勅語」に対する反省からである。
「教育勅語」は、「滅私奉公」を美徳とし、天皇に対する忠誠を子どもたちに押しつけ、皇国史観や国家主義の醸成に大きな役割を果たしたから、つまり、侵略戦争をまさに「教育」の面から支えた「戦犯」だったからに他ならない。
 前号でも述べたように、実は学校での「道徳」は、行政の指導により年々強化されてきている。しかし、子どもたちの「非行・問題行動など」は改善されているとは言い難く、「上からの指導・押しつけ」では、子どもの人格を大切にした教育は行い得ないことを示している。 しかし、森首相の「教育勅語」擁護発言や「日の丸・君が代」強制などと併せて考えると、権力側は、「道徳」を「教育勅語」と同様に「国や企業のために減私奉公させる」道具として利用しようとしていることは明らかだ。
 そして、「奉公」を体験させるために登場したのが「奉仕活動の義務化」である。小・中学校では二週間、高校では一か月間となっている。そして、満十八歳前後には一年間といっていたところを、国民から不評だったために「一定期間」と変更してきている。奉仕活動としては、環境の保全や農作業、高齢者介護などが例示されているが、「自衛隊」への体験入隊なども含まれてくるであろう。
 そして、さらにその先にあるのは「徴兵制」である。PKO法改悪・憲法改悪と併せて「徴兵制」の実現を目論む自民党タカ派を中心とした勢力にとっては、「奉仕活動の義務化」は「徴兵制」への踏み台として必要なものであり、我々はこの点について暴露し、良心的な人民と連帯して「奉仕活動の義務化」については必ずや阻止しなければならない。
 次に、「問題行動をあいまいにしない」対応については極めて暴力的なもので、「問題を起こす子どもによって、そうでない子どもたちの教育が乱されない」ということは、場合によっては公教育から、問題行動を起こす子どもを排除することを意味する。問題行動を起こす要因には、本人の内的な要因の他に、家庭・地域そして学校にも原因があることが多いが、その原因を根本的に解決することなく、子どもを安易に警察権力の手に委ねてしまうケースが増大する可能性があり、そして「少年法」改悪により、子どもの人権が侵害され、さらに「学校不信」を深め、「いじめ」などもより陰湿なものになっていくのではないかと予想される。
 最後に、「有害情報から子どもを守る」ことについていえば、このことを口実に、「言論の自由」「表現の白由」に対する弾圧に発展する危険がある。子どもの発達段階からいえぱ、確かに与えたくない情報もある。しかし、それを「上から政治の力で封じる」ことは許されない。
 以上、第一の柱である『人間性豊かな日本人の育成』について分析してきたが。子どもたちの心を「病む社会」から解放する視点が全くなく、「道徳」や「奉仕活動」などで子どもを縛りつけ、国家の意に沿う人格形成のみに終始した「提案」でしかないことが明らかになった。
                                                      (つづく)



憲法否定を煽動する石原都知事の危険な企て

デマゴーグ石原慎太郎

 石原慎太郎東京都知事の無責任な暴言はとどまるところを知らない。「三国人」発言や自衛隊に対する「軍隊」としての激励、あるいは「憲法否定」発言、数限りないほどのこれらの暴言は「石原妄語録」なる単行本になったほどだ。
 歯切れよく現在の政治への批判も展開しているかのように見え、東京という最大の自治体を城として国やマスコミに反抗しているかのごとくみせながら、つぎつぎとマスコミを通じて流される石原発言は、実はデマゴギーに満ちたものであり、石原はそれを厚顔にも乱発しながら、民衆のある部分の「石原新党」「保守再編」「首相公選」などへの期待をつなぐ特異な役割をはたしている。
 雑誌『世界』の昨年の十月号が「石原都知事批判」の特集が次のように指摘したのは的を射ている。
 「問題は、そのリーダーシップと見えるものが、強烈な『思いこみ』によって発揮され、しかもそれが人々の感情を揺さぶっていることである。災害時に外国人が騒擾事件を引き起こすといって、人々の排外感情を煽ったのは、ロス暴動(九二)とノースリッジ地震(九四)を混同して思い込んだ上での発言であった(のち訂正)。靖国神社の公式参拝を問われて『八〇%の世論が賛成』と答えた根拠は、わずか三七件の電話とファクスでしかなかった。行政の責任者の発言としては、あまりに乱暴で無責任な断言といわざるをえない。さらに、長引く経済低迷によって閉塞感の中にいる人々に、むしろその乱暴さに対して共鳴する共鳴板が存在することが問題だ」
 石原の言説については、多くの論者が批判を展開しているが、ここでは「文芸春秋社」が出している雑誌『諸君!』二月号掲載の石原論文「百年河清を待って国滅ぶ」を取り上げる。

石原のいいたいこと

 石原は十一月三〇日、衆議院憲法調査会の参考人として招かれた。論文はそこでの「発言録をもとに加筆したもの」との説明がついている。これには「なぜ憲法を否定しないのか」というサブタイトルと「内閣不信任案同様に現行マッカーサー憲法を否定し、日本人の自己決定能力を取り戻せ!」というリードがついている。
 論文の展開にそって要旨を示しておく。
@憲法調査会で憲法論議がされることは画期的だ。
A「平和憲法」という呼称は危険だ、「マッカーサー憲法」と呼べ。
B世界史的には、日本が強大な軍事産業国家として登場したことが白人の植民地支配を崩した。
Cローマ帝国は自国の防衛を傭兵にまかせた結果、崩壊した。
D日本の自己決定能力の喪失は憲法制定過程期に生じた。
Eドイツは白人社会だから敗戦後協力の手をさしのべられたが、日本はエイリアン扱いで、徹底解体された。
F日本は無条件降伏はしていないのにマッカーサーの詐術にやられ、言論統制で批判ができなかった。
G憲法前文の日本語は醜悪だ。
H歴史経過を踏まえ、国家の専権を確認して、現行憲法を否定せよ。
I自衛隊は憲法違反、新ガイドラインも憲法違反。
J中国帝国主義の領土拡張には、日米中心の集団安保で対抗を。
K国籍を取得しない外国人に参政権を与えるな。
L大統領的決断のできる首相公選制の導入のためにも憲法を歴史的に否定する。

 この論文の書き方で異様な点は「これは決して私のドグマではない」「白人の学者も認めている」「ナセルもスカルノも、マハティールも言っているし、ケマル・パシャも言った」「トインビーも言っている」「決して恣意的に言っているのではない」などとくりかえしつつ、村松剛、江藤淳、白洲次郎、小林秀雄など過去の人びとと意見が同じだとも言う。
 石原の論理の随所にある飛躍や危うさを、このような手法で覆い隠し、権威づけようとする姿勢が一貫している。
 しかし、これらの手法で飾りたててはいるものの、BCDEFなどの論点は真っ赤なウソであり、反論もいらない。

憲法違反の「憲法否定」論

 Iのような議論は、最近の改憲派に共通している。石原は自衛隊も新ガイドラインも憲法違反だと確信している。だから憲法を変えて、自衛隊や新ガイドラインに合わせろという。だから石原は憲法違反を承知で自衛隊についてはくりかえし「軍隊」と規定し、新ガイドラインにそって自治体が協力するのは当然と言い放ってきた。
 しかし、石原が「改憲」を望んでいても、現在は憲法が最高法規となっているのだから、石原は自ら憲法違反を承知の上で憲法違反の発言を繰り返し、憲法違反の政策を実行しようとしているのだ。現行憲法九九条に定められた憲法遵守義務を有する東京都知事として、石原はこの憲法違反問題をどのように考えるのか。これは即刻罷免ものだ。だからこそ、戦後歴代の自民党政権とその亜流は、珍奇極まりない「解釈改憲論」を持ち出して、自衛隊合憲論を言い張ってきたのだ。そのギマンを暴くのは結構だが、刃は石原にも向いているのだ。
 Hの「憲法否定」の主張も同様だ。憲法にも規定されていない「国会の過半数の決議による憲法の否定」などという幼稚な議論を持ち出すのは、まったくの無知か、あるいは憲法体系を完全に無視した「クーデター」の煽動に他ならない。これは東京都知事として許されざることだ。

ヒトラー的政治家待望論で現状打開を煽る石原


 伊豆大島の噴火の際に、当時の中曽根首相が「閣議を召集」しないで、「一晩で全島避難の決定を下した」ことは「内閣法違反で、超法規的措置」だが正しかったということで、「どうしようもない法律は破ってでも決断するのは政治家の仕事だ」と述べ、「首相公選」論の根拠にもしている。
 あたかも「正義の味方」のような顔をして、このような暴論が語られる。これでは現在の政治が前提としている「法治主義」とか「議院内閣制」とか、議会制民主主義は成り立たない。石原はこういう主張をするには都知事を辞任してからにしなくてはならない。
 停滞し、腐敗し、民心から遊離した現代の政治への不信を背景に、民主主義の否定、権威主義などによる、このような煽動を繰り返すこと自体がファシズムそのものだ。
 また「中国帝国主義」の危険性についての煽動や、「白人」へのいたずらな対抗意識、あるいは「米大統領選挙でもフロリダの百単位の票差できまるのに、新宿のような外国人が多数生活する独特な町の外国人の意志が反映されたらどうなるのか」などという議論も、典型的な排外主義そのものであろう。
ひきつづき石原の言動を監視し、暴露する必要がある。





   母
         安藤 裕三 


生きること
その意味を問えば
こたえは無い
生きること
それはまさにそのこと自体なのだ
九十二歳
無言の業に入って幾年
一切の感謝を生き
すべてへの執着は消え
あるがままにあるのみ
或日突然なきくずれた
その日を境に顔が変わった
清明
無欲無私
何事にたいしても感謝をしている
それからだんだんと無言になり
今や完黙だ
一切を許して
生きる
その意味をさとって

私はそういう母をみている
無言の感謝をみている
一切すべて全世界の感謝をみている
深い尊厳がみえる
それはまさにそのこと自体なのだ
その姿からすべての人の尊厳を
私は想う
しばしば出会うのですが
そういう母が
そういう父が
あっちこっちにいます

二〇〇一年新春に



複眼単眼
 新聞の右傾化と第一線記者の歴史認識の危うさ


新聞の右傾化・第四権力化が指摘されるようになって久しい。友人に某新聞社の記者がいるが、編集委員会なども相当に右傾化しているという。聞けば自分の書いた記事をどのようにして自社の新聞に掲載させるか、現場での苦労は相当なものだ。
 産経や読売の右傾化路線にひっぱられるように、朝日や毎日など他社の論調も、等距離間隔をはかりつつ追随していくさまは、どちらがニワトリで、どちらがタマゴかは別として、まさに社会の右傾化の流れと軌を一にしている。
 たとえば憲法調査会では参考人は議席数に準じて選出されるから、いきおい、でてくるのはつぎつぎと与党系の改憲派論客ばかりになる。改憲反対委員は十分の一しかいないのだから、事実上、改憲論議一色になる。それをそのまま紹介することを、一部の記者は新聞の
中立・公平さと勘違いしている。
 これは記者の質にも影響してくる。
 十二月二十六日の朝日新聞のコラム「記者席」に「『日の丸』狙ってフルスイング」という在米記者の署名記事が載った。書き出しは「旅先での光景が忘れられない」というもの。 
 ロサンゼルスのコリアン・タウンのゴルフの打ちっ放し場で標的として「五枚の日の丸が翻っていた」のをみて「驚いた。コリアン街では、日章旗を的にすればよく飛ぶとでもいうのだろうか。なぜ、普通の同心円の的ではないのか」。
 「なぜ」というのは記者として最低限必要な姿勢だから、こまではいい。しかし、その後がいけない。
 「黙って見過ごすのは違うような気がした。従業員に、あれは何かと聞いた。答えは『ただの的です。……二年前からです。日本の旗かと聞かれたことはあるけれど、苦情を受けたことはありません』 無神経だと思った。不愉快さとともに、もの悲しい気持ちも込み上げた。のどの奥に何かが詰まったようだった。日の丸に向けられるアジアの視線は気になる。一方で日本では国旗・国歌法が成立している。この光景をどうみればいいのか。いまも自問してしまう。日本で他国の国旗みたいな標的があったら、黙認はされないだろうな、などと思いながら」と書いた。
 記者さんよ、これではこちらが「もの悲しい気持ち」になるじゃないか。
「どうみればいいのか」となどと言ってみても、こんなに浅い歴史認識からくる「無神経」ぶりでは話にならない。知らないのならやむを得ない。だが記者たるものはこうした事実から何を導きだすのか。「アジアの視線は気になる」というが、その視線はどういう意味かを考えるべきだ。この記者は外国にいて、すでに「日本国の側」だけからしか考えられなくなっている。在外日本人によくあるパターンだとはいえ、いつしか「菊の紋章」と「日の丸」を背負って「日本」人の代表のような気になっている。
 新聞記者がこれでは困る、ほんとうに困る。
 かつて従軍記者というのがいた。彼らは「日本」に酔いしれ、無責任に大本営発表を垂れ流し、侵略する日本軍を讃えた。この記者がそういう道を歩んでいるというのは果たして言い過ぎだろうか。     (T)