人民新報 ・ 第1014号 (2001年2月15日)
目次
● 「戦時国民総動員法」を含む有事(戦時)法制の企てを暴露しよう
森反動内閣を打倒し、憲法改悪阻止へ ! 5・3共同行動の成功を
● 共同の集会をめざして ――5・3憲法集会第一回実行委開催
● 基地も戦争もない 世紀を!三多摩集会 憲法の平和主義は二十一世紀を開く
● 東京の市民団体、参議院選挙で 社民党と新社会党などに改憲反対での共同を要請
● リストラ合理化攻撃と闘い 解雇規制立法をかち取ろう
● 「学校を変えたい……」 教育研究発表会に参加して考えたこと 花山涼子
● 複眼単眼 ・ JR山手線の事故死を利用する政府と右翼
● 図書紹介 ・ 白石忠夫(編著) 世界は脱クルマ社会へ (緑風出版
)
「戦時国民総動員法」を含む有事(戦時)法制の企てを暴露しよう
森反動内閣を打倒し、憲法改悪阻止へ ! 5・3共同行動の成功を!
日本経済が行き詰まり、人々はいい知れない不安と閉塞感に襲われている。国家財政も未曾有の危機に陥っている。森内閣の支持率は下がり続けている。この危機に際して、森首相は有事法制や憲法改悪を提起することで野党の分断をはかり、延命しようとしている。自らの党利党略でこの国を危険な道に引きずり込もうとする森内閣を絶対に許してはならない。
米新政権の東アジア戦略を先取りする森政権
「有事法制は、自衛隊が文民統制の下で、国家、国民の安全を確保するために必要であります。昨年の与党の考え方を十分に受け止め、検討を開始してまいります」
一月三十一日午後、第百五十一通常国会の施政方針演説で、森首相は「有事法制」確立への作業の開始を公然と表明した。
昨年四月の森首相の所信表明演説では「与党の考え方を十分に受けとめ、政府としての対応を考えていく」とだけ述べていたが、今年はその「検討を開始する」と明確にした。
森はこの国会を「明治維新、戦後改革に次ぐ、第三の根本的改革」をする「日本新生のための改革国会」などとしたうえで、この「有事立法」への具体的取り組みを明言した。野党から憲法違反との指摘がされると、森は「有事法制は自衛隊が文民統制の下で国家・国民の安全を確保するために必要であり、平時においてこそ備えておくべきものだ。検討は憲法の範囲のなかで行う」と居直りの答弁をした。
森は「アーミテージらが昨年十月にまとめ、日本に対し『集団的自衛権の行使』の解禁や『有事法制の整備』などを求めた政策提言を再三読んでおり、演説は米国のブッシュ政権との安全保障面での連携強化も強くにじませている」(一月三十一日、産経)と言われている。また自民党国防部会が「自国が攻撃されていないのに、自国と密接な関係の国への武力攻撃にたいし軍事力で阻止する権利と称する集団的自衛権」の問題で、三月下旬をめどに政策提言をまとめるとも言われている。まさに米国新政権の対日軍事要求を先取りするような政策だ。
「有事立法」は一九七七年の福田内閣時代に防衛庁内部で検討が始まった。しかし、これらの「研究」は「立法の準備ではない」と確認され、平和憲法との関連で法制化の動きは封じられてきた。
ところが、第百四十五国会で新ガイドライン関連法が成立し、昨年の第百四十七国会冒頭で両院に憲法調査会が設置されると、昨年三月には、当時の自自公連立政権の与党三党は「法制化のための作業を開始するよう」政府に要請した。森が述べた「検討開始」はこの三党要請を足がかりに、これまでの「研究」に限定されたしばりを解き、新たな具体化の段階に引き上げようとするものだ。
政府は森発言にそって、内閣の安全保障会議の下に「法制化のための検討会議」を設ける方針で、内閣官房長官を中心に各省庁の局長級で構成し、法制化のための問題点を検討するという。
斉藤防衛庁長官は森首相の所信表明演説に対して、「一歩踏み込んでいただいた。野党は大反対、公明党は慎重だが、必要なものは必要として、一日も早く立派な枝ぶりの有事法制を作っていきたい」などと述べた。
そしてこれに関連して、またも使い古された「北朝鮮ミサイル脅威論」を持ち出し、「北朝鮮は相当貧しいが、一点集中方式を政治的にとってくる可能性が高い。その一点がミサイル開発につながってくるのではないか。南北首脳会談など外交上は進展があったが、(軍事的緊張緩和の)具体的な証左を見ることができない」と自己の有事法制推進を正当化するための挑発的発言をした。
「国家総動員法」の具体化をねらうもの
「有事立法」とは正確には戦時非常立法のことだ。戦時非常事態のことを「有事」などとあいまいなことばで表現するようになったのは、一九七八年からで、それ以前の防衛庁の文書は、みな「戦時」と言っている。これは日本の「防衛」用語特有のギマン的な「言いかえ」だ。
「有事法制」すなわち戦時緊急法制は、先の新ガイドライン関連法での「周辺事態」とは異なり、直接に日本が戦場になる場合を想定したもので、首相の「防衛出動」命令による自衛隊の活動を円滑にすすめるための法制のことだ。これまでの「研究」では関連法令を三分類し、第一分類を防衛庁所管法令、第二分類を他省庁所管法令、第三分類を所管官庁が明確でない法令としてすすめてきた。
八一年の第一次中間報告で第一分類についての研究が公表され、物資の収用、土地使用の手続きに関する政令の制定や出動手当の支給をはじめとする、防衛庁職員給与法改正の必要性などを指摘している。
八四年に第二次中間報告は第二分類に関するもので、防衛庁と各省庁が協議の上だされたもので、部隊の移動に関する道路法や指揮所など構築物建造にかかわる建築基準法の在り方などがあげられている。
有事法制には、自衛隊、米軍、国民の生命・財産保護関連の三つの分野それぞれに関連する法律が必要だが、これまでは自衛隊関連法制の研究だけにとどまっていて、第三分類に関連するものと米軍関連は,八八年段階で「研究」のテーマに、米軍の行動に関わる法制と、国民の生命財産等の保護のための法制が加えられたが、実際には進んでいなかった。防衛庁は今回はここまで検討対象を拡大するというのだ。
二月四日の「沖縄タイムス」などの報道によれば、防衛庁も防衛局長をトップとする検討チームを作り、積極的に対応する方針で、これまで、事実上、手付かずだった「米軍に関する法制」、「国民の生命、財産保護に関する法制」(いずれも九九年版防衛白書で有事法制の対象として指摘されている)にも検討対象を拡大するとした。
米軍関係では、作戦行動中の米軍への物品・役務の支援、道路交通法など米軍にも一部適用されている国内法規の扱いなどが中心となり、九九年に成立した新ガイドライン関連法と合わせて、日米共同作戦体制は全面的なものとなる。
国民の生命財産保護の問題については、報道では食糧備蓄など安全保障上必要になる政策の調査が中心になると言われている。しかし、実際はそれだけにとどまらない。
国民の生命財産等の保護のための法制とは、軍事評論家の藤井治夫氏によれば、「第一次中間報告で『有事に際しての住民の保護、避難または誘導の措置を適切に行うための法制』(これは民間防衛体制を意味している)、第二次中間報告で『民間船舶、民間航空機の航行の安全を確保するための措置、電波の効果的な使用に関する措置』(これは船舶・航空機の運航統制・電波管理を実施するための法制などをさす)が例示されている」、つまり国家総動員のための有事立法だといえるものだ。
藤井氏は「民間防衛とは、軍防衛と並立する重要な機能とされ、『軍以外の官民の組織による防衛活動を総称』するものと定義されている」と指摘し、「住民保護はおまけで、ねらいは国民の戦力化」だと指摘している。
いますすめられようとしている「有事法制」の検討の具体化は、日本非常事態、日本戦時のための「ヒト、モノ、カネ」の根こそぎ動員、国家総動員のための法制化だ。まさに「有事法制」とは平和憲法の形骸化を極限まで推し進めようとするものである。
有事法制の問題では、野党とはいいながら自由党はもともと「法制化」論であり、「本気かどうかまだ信じられない」などという「批判」をおこなっているにすぎないし、民主党も先ごろ「緊急事態に対する法制化の在り方について」をまとており、「(有事法制では)私たちのほうが先行している」(鳩山代表)と本家争いをする始末だ。
しかし、この「有事法制」は「解釈改憲」の範囲をはるかに超える乱暴な憲法体系の破壊に他ならない。
憲法調査会の「憲法改正調査会」化を突破口とした改憲攻撃に反対する闘いと結合して、全力をあげて有事立法反対の世論を巻き起こし、森内閣をうちたおさなければならない。
共同の集会をめざして ――5・3憲法集会第一回実行委開催
昨年までは五月三日は、東京だけでも連合系、共産党系、市民派系など、いくつかの記念集会が並行して開かれていた。この中で市民運動はここ数年来の「私と憲法のひろば」にみられるような共同の行動をつよめ、運動の共同を提唱しつづけてきた。
国会での憲法調査会の動きをはじめ、改憲の動きが強まっている中で、今年の五・三はぜひ大きく統一して行いたいとの声が盛り上がり、一連の努力の経過を経て、実行委員会の結成にこぎつけた。これは今後の運動の前進にとって画期的な意義を持つに違いない。 実行委員会の結成を呼びかけたのは憲法改悪阻止各界連絡会議、憲法を生かす会、キリスト者平和ネット、平和憲法二十一世紀の会、許すな!憲法改悪・市民連絡会、「今週の憲法」編集部(オブザーバー)の六団体。
第一回実行委員会では、要旨、以下のような確認がされた。
@実行委員会の運営などについて。
■五・三憲法集会実行委員会の共同行動の原則
*非暴力の集会であること。
*参加団体への誹謗・中傷をしない。
*実行委員会は一致点にもとづいて運営する。
*参加者・参加団体は実行委員会の決定を尊重して行動する。
■実行委員会の構成は原則として呼びかけ団体(事務局)の推薦する団体。
■事務局は呼びかけた六団体で構成し、必要に応じて事務局で補充する。
A集会。
■会場は日比谷公会堂。
名称・「生かそう憲法、高く掲げよう第9条 2001年5・3憲法集会」
B集会プログラム
講演(予定)は加藤周一さん、沢地久枝さん。終了後、パレード、銀座コース。
C予算
会場カンパと賛同費でまかない、参加費はとらない。
■賛同カンパ送付先。
郵便振替口座・00120−2−163660 口座名「5・3実行委員会」などを決定した。
実行委員会は政党政派の違い、思想信条の違いを越えて、大きく共同する方向で進んでいる。
同時に「実行委員会の運営の確認」事項に見られるように、いわゆる内ゲバ潮流など、意見の違いを暴力で解決しようとする部分に対する厳しい批判も確認されている。たとえ一部の人びとがこれらの確認に背くとしても、それは運動のなかで大衆的な信頼を失うことになるに違いない。
実行委員会は、こうした自らの共同の努力を通じて、全国各地の人々がそれぞれの地域で共同行動と連携をつよめ、発展させることを願っている。
実行委員会連絡先は「市民連絡会」・03(3221)4668
基地も戦争もない 世紀を!三多摩集会
憲法の平和主義は二十一世紀を開く
「国会の中に、なんて多くの戦争したがり屋が!いつの間に」(周辺事態法の時に)国会の周辺に集まった私たちは、恐怖を感じたほどでした。しかし、戦争したがり屋は国会の外でもふえつつあるようです。日本の憲法の「平和主義」は、昨年のハーグ会議でも世界の平和の実現のために注目を浴びました。沖縄や政府の動きに一喜一憂するだけでなく、沖縄、アジア、世界の平和を願う人々と連帯しながら、私たち自身も自分の住む地域で平和を築く行動を作っていけるよう、知恵や情報をもちよる集会にしませんか。
このような呼びかけのもとに、二月四日午後、東京三鷹市で「基地も戦争もない
世紀を!三多摩集会」が約七〇名の人びとの参加で開かれた。
主催したのは「アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会」「うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会」「沖縄を考える市民の会」「立川自衛隊監視テント村」など東京・三多摩地区の市民団体の共同による実行委員会。
第一部は「ナショナリズム、保守主義、憲法。憲法九条の可能性」と題した講演で、成蹊大学教授の加藤節さん(講演要旨別掲)。
第二部では、各地の市民団体からの活動報告があった。
報告は「名護ヘリポート基地に反対する会」の原義和さん、「横田飛行差し止め訴訟団」の福本道夫さん、「派兵チェック編集委員会」の池田五律さんで、さらにさまざまな賛同団体からのあいさつが行われ、最後に「集会アピール」が提案され採択された。
アピールは日本政府と各省庁や両院憲法調査会会長などへの要求として、
@沖縄の名護における新たな基地建設を中止し、沖縄全土から米軍基地を撤去すること
A横田基地をはじめとする「本土」にあるすべての米軍基地を撤去し、日米安保条約を解消すること
B憲法調査会など、憲法九条の改悪に向けた動きを中止すること
C自衛隊を含めすべての軍隊を廃止すること、を確認した。
加藤節さんの報告(要旨)
冷戦終焉後の日本の課題に対応して、二つの動きがでてきた。
ひとつは新国粋主義の流れだ。アジアに対する日本の戦争責任を問うことを自虐として退ける歴史観、あるいは軍国主義を美化する戦争論、そして「第三国人」などと呼んでアジアの人々への敵視を煽る排外主義だ。さらにはこの国を「天皇中心の神の国」とみなすような日本特殊論が加わる。この背後には経済不況による日本の地盤沈下を、あらたな共通価値としての民族の自負心を作ることで乗りきろうとする動きがある。
もうひとつは一昨年の「日米防衛協力のための新ガイドライン関連法」だった。湾岸戦争を契機に「普通の国」論や、国際貢献のための海外派兵論が広がった。これは半世紀にわたったこの国の「戦後」を「新たな戦前」へと展開させるものだった。日本を巻き込む有事を近未来の可能性のものと想定し、この国の政治・軍事・社会体制をその方向で整備しようとするものだった。
しかし、新ガイドライン関連法は「新たな戦前」体制を完成させるものではなかった。それに欠けているものがふたつある。
ひとつはこれに対応する憲法秩序が欠けている。いま起こっている改憲論はこの欠落を埋めようとするものだ。
もうひとつは日本国の戦争に協調的な国民を不断に作り出すためのイデオロギー的裏づけに欠けている。これへの対策が九〇年代に登場したナショナリズムの動きと軌を一にしている。
現行日本国憲法には開かれた普遍性に通じる平和主義と、閉じられた日本的特殊性の中核をなす象徴天皇制の二つの要素が同時併存している。
改憲論とナショナリズムは憲法の平和主義を抹消するものだ。改憲派ナショナリストが守ろうとする価値は特殊日本的なものの根幹の天皇制であり、きわめて保守的なものだ。
われわれに問われているのは平和主義の理念の再創造だ。今だに近代の主権国家がどれひとつとして軍事主権を放棄することなく、それが二十一世紀にまでつづくような時に、憲法の理念としての平和主義には二十一世紀を切り開いていく先駆性が秘められている。
東京の市民団体、参議院選挙で
社民党と新社会党などに改憲反対での共同を要請
戦後最悪と言われた小渕政権を超える最悪の森政権のもとで、自公保暴走国会は常態化している。このままでは本格的な有事立法制定や、憲法の改悪も一気にすすめられかねないとの危惧をもった東京の市民運動の有志は、この間、数回にわたって、参議院選挙東京選挙区での共同候補の可能性について話し合い、こころざしを同じくする政党政派の共同を呼びかけてきた。
二月一日夜、東京の中野商工会館で、社会民主党と新社会党の東京都の責任者と、すでに東京選挙区に候補を擁立すると発表した沖縄社会大衆党の代表を招いて「憲法が危ない、私たちは共同の力で参議院選挙をやりたい」というタイトルの集会が開かれ、都内各地の自治体議員や市民運動と沖縄からの参加者を含めて約七〇名の人びとが出席し、熱心に討論した。主催は「私たちは共同の力で参議院選挙をやりたい(準備会)」。
冒頭に主催者側から、この間の取り組み経過の報告があった。その中で、参議院東京選挙区は四議席あるが、従来、指定席の共産党以外に、もう一議席を市民運動に一定の理解がある候補が議席を得てきたこと、しかし、今回、社民党や新社会党などがそれぞれ独自に候補を立てれば、その議席は改憲派に奪われることから、なんとしても統一候補を立てたい、その可能性をさぐりたいとの主旨説明があった。
つづいて社民党、新社会党、社会大衆党から現状の報告があり、現職の田英夫議員が引退する社民党はまだ候補を決定していないが、新社会党と社会大衆党は共同の候補を決定して運動に入っていることなどが報告された。
会場からはつぎつぎに「改憲反対の共同候補の可能性をさぐるべきだ」「勝てる選挙をやろう」「三党は協議のテーブルにつくべきだ」「市民運動を分裂させてはならない」などの真剣な意見の表明があった。
最後に、主催者の市民運動側から三党の代表に「@共同の可能性をさぐるために、三党と市民側の四者で話し合いの場を持つこと、Aこの努力は二月一杯を期限とすること、B二月下旬に再度、このような市民集会を持つこと」を提案し、三党を含め参加者全体の了解をえた。
国政選挙での改憲反対派の共同の努力の実現は、各党の比例区選挙への反映の問題もあり、決して容易ではない。東京選挙区のこの一連の努力も、実現の可能性は決して高くない。にもかかわらず、昨今の憲法改悪の動きを見れば、市民運動の側からのこのようなイニシァティブの努力は積極的な評価に値する。
2・1シンポジウム
「日朝国交交渉でいま何が問われているか――日本の過去清算をめぐる諸問題」
二月一日夜、2・1シンポジウム「日朝国交交渉でいま何が問われているか――日本の過去清算をめぐる諸問題」が東京・文京シビックセンターで開かれ、約七十人が参加した。
昨年、各地で取り組まれた「日朝国交正常化の実現と日韓条約の見直しを求める全国署名運動」が主催したもの。
この日午前には、全国署名運動の代表が首相官邸を訪れ、安倍晋三・内閣官房副長官と直接面談し、とりあえずの集計済み署名第一次分・約三万二千人分を提出、要請を行った。また午後には、衆議院議員会館内で、外務省北東アジア課の日朝交渉担当である首席事務官と交渉を持った。
シンポジウムは、これらの締めくくりとして開かれたもの。
国際法、戦後補償、在日の地位保障から
過去清算を問う
シンポジウムでは、はじめに司会の渡辺健樹さん(日韓ネット共同代表)から署名提出行動と外務省交渉の報告が行われ、「政府・外務省は依然として朝鮮植民地支配の有効・合法論を固持しながら、『拉致疑惑』問題などを口実に、日朝交渉を停滞させている。今日の交渉であらためて確認できた」と述べ、一層の世論喚起を呼びかけた。
続いてパネラーの発言に移った。
笹川紀勝さん(国際基督教大教授)から「日本の過去清算問題と国際法の適用問題」、前田朗さん(東京造形大教授)から「日朝国交正常化交渉と『戦後補償』問題」、中村利也さん(指紋カードをなくせ!九〇年協議会)から「在日朝鮮人の地位保障と日朝国交正常化」――についてそれぞれ報告と問題提起が行われた。
笹川さんは、「日朝交渉の最大の課題は過去の清算だ。問題はそれを法的にどうとらえるかだ」として、日本政府が固持している朝鮮植民地支配「有効・合法」論を批判。当時の慣習国際法は、強国が弱国に対して条約を強制することを認めていたが、国家の代表者への強制や脅迫により結ばされた条約は無効としていた。この間の歴史研究の中で、当時の韓国併合条約に至る五つの条約締結の経過が実証的に明らかにされ、今年一月には、この問題で日本・韓国・北朝鮮・米・英・独の学者が参加してハワイで国際会議も開かれた。そこでは南北の学者が接点を持ちながら、歴史上・国際法上の検討を開始しており、これが進むと外務省の「有効・合法」論を貫くことは難しくなる筈だ――と指摘した。
前田さんは、昨年末に開かれた女性国際戦犯法廷の意義について、日本人により戦争責任者の処罰を突きつけたことなどを挙げ、この間の自由主義史観や歴史修正主義の反動的な思潮の台頭の一方で、戦争犯罪をあらためて問い直す、ニュールンベルグ、東京裁判の遺産を乗り越える大きな動きが起こっていることを詳述しながら、日朝交渉の中では、在日の問題を含め全てを問い直すべきだ、と述べた。
中村さんは、在日の人々が占領下で「ある時は日本人、ある時は外国人」として扱われ、天皇の最後の勅令「外登令」で外国人とされた。日韓条約により永住権が認められたが、在日に南北分断が持ちこまれた。在日自身の闘いによって権利は一歩一歩勝ち取られてきたが、外登証の常時携帯、再入国許可、退去強制などあり、民族学校への差別も続いている。そもそも永住権とは権利でなく、資格に過ぎないとされ、しかも「韓国籍」は国籍だが「朝鮮籍」は符号に過ぎないとされている。左翼を含め日本人の無知・無関心が存在しており、排外主義の高まりの中で、この問題を自らの課題としていくことが必要ではないか――と指摘した。
全国署名運動では、これで第一期を締めくくり、新たな計画を準備していくことにしている。
リストラ合理化攻撃と闘い 解雇規制立法をかち取ろう
国労大会が、「JRに法的責任なし」とする四党合意を認めた。国鉄の分割・民営化にともなう国労組合員などの不採用・解雇について、会社側に責任がないというのだ。いまリストラ合理化攻撃の中で、いとも安易な首切りが横行しているが、その強引な解雇のやり方の原点が、国鉄の分割・民営化であった。 日産自動車大量解雇を一つの典型に労働者の権利を無視した一方的な解雇・労働条件の切り下げ・不安定雇用労働者層の増大・失業率の高水準での推移など厳しい状況が、おおくの労働者・家族にますます身近なものとなっている。今日のような状況がもたらされるようになるだろうことは、日経連「新時代の『日本的経営』」(九五年)なる資本家の戦略的な政策が出されたときから気付かれていた。それ以降、政府は資本の要請にしたがい、会社分割法など企業再編をやり易く、同時に労働者の職場を激変させる立法がつづいた。また中労委、地労委での国労勝利の救済命令を裁判所にことごとく破棄され、会社側勝利の判決がでているように労働裁判の反動化が加速している。国労大会が四党合意を承認したことで、資本は、JR型解雇をいっそう赤裸々な形で行ってくる。すでに大会決定に抗して一〇四七名の解雇撤回・地元JRへの復帰をめざす国労闘争団は闘いの継続を決定した。われわれは国鉄闘争の再編強化・国労再生の闘いと結合して、リストラ攻撃反対・解雇規制の運動を推し進めていかなければならない。
リストラ・産業再編の時代
アメリカ経済界を中心に、そしてそれに迎合する学者たちの、解雇権濫用法理は貿易障壁だとして契約自由の徹底を求める主張があり、日本政府の規制緩和推進計画にはこうしたものが色濃く反映している。
政府・財界は、国際競争に打ち勝つ日本経済を再生させるためと称して一連の反動的な政策を打ち出してきているが、その重要な一環として雇用問題を出してきている。それは、現在の「過剰雇用」を解決すると称するしろものである。
この間、産業再生法、民事再生法、会社分割法(商法改正)などの法律が成立した。これらによって解雇をやりやすくした結果、失業者と派遣・パートなど不安定雇用労働者が急増している。
総務省が一月三十日に発表した二〇〇〇年の労働力調査が、その厳しい現状を浮き彫りにしている。
それによると昨年の平均失業率は四・七%で過去最悪の九九年と同じ。年齢級数別では、男性で「十五〜二十四歳」が一〇・四%、「五十五〜六十四歳」で六・八%、「二十五〜三十四歳」三・五%などで、女性では「二十五〜三十四歳」が七・九%、「三十五〜四十四歳」が三・七%、「五十五〜六十四歳」が三・六%などとなっている。
同じく平均失業者数は三二〇万人で前年より三万人増加した。
注目すべきは、就業者そのものが減少していることである。
昨年の就業者数は、六四四六万人で、対前年比一六万人減少した。三年連続の減である。男女別では、男性は三八一七万人(一四万人減)、女性は二六二九万人(三万人減)となっている。
しかも、年明けから、日本経済の一層の悪化が見られ、株価のとどまるところを知らない下落という状況の下で、リストラの断行こそが立派な経営者であるという資本の論理が強調されるとともに、こうした風潮に便乗した解雇・退職強要・雇止め、そしてJR型をいっそう純化した企業再編による全員解雇までがひんぱんにおこっている。
日本の労働法制の欠陥
労働法では、集団的労使関係については労働組合法が、個別的労使関係については労働基準法が主にあつかってきた。
しかし現在、多発しているのは、労働組合が経営者と対抗する集団的労使関係の紛争ではなく、労働者個人による労働契約をめぐる個別的労使関係のトラブルである。
総評弁護団の流れをくみ労働者・労働組合の側にたって活動している日本労働弁護団の徳住堅治弁護士が、日本労働研究機構(JIL)発行の「週刊労働ニュース」(二月五日)に、「解雇規制とルール化 必要な解雇規制法」と題して書いている。「労働契約に関する規制がわが国の労働法制にはスッポリと抜け落ちているのである。労働者の採用という契約の入口から始まり、雇用中の賃金、労働時間、配転・出向・転籍、服務規律、労働条件の変更その他から、解雇・退職強要などの契約の終了という出口に至るまでの労働契約法制の定めがない。このため、労働契約をめぐるトラブルの多くは裁判所の解釈に委ねられており、裁判法理が重要な位置を占めることになる」が「九九年秋から翌春にかけて、東京地裁労働部において整理解雇事案で労働側八連敗の判決が言い渡された」として、「わが国でも、理不尽な解雇・退職強要を許さず雇用の安定を図るために解雇規制のルール化、そして労働契約法制の制定が求められている」と。
解雇問題については、それに関する法律がないので、戦後の裁判の過程で(その前提としての労働組合・労働者の闘争がある)、「社会通念上相当で合理的理由のない解雇は解雇権の濫用として無効」とする、いわゆる「整理解雇の四要件」(@解雇の必要性、A解雇回避の努力義務、B基準および選定の合理性、C手続きの合意性)が確立されてきた。 しかし、東京地裁などでは、「解雇は本来自由だ」と暴言を吐く裁判官による不当な判決が続けざまにだされている。こうした司法の反動化は断じて許されてはならない。
労働契約法制の確立を
司法に求められているのは、解雇権濫用法理、整理解雇法理、雇止め法理を厳格に適用することであり、会社の意見に迎合した安易な解雇を防ぐ判決をだすことである。
商法改正・会社分割法と同時に、同法に伴って「労働契約承継法」が成立したが、これは、はじめての労働契約に関する法律である。
現在の時期は、ある意味では労働契約法制の確立に向けての好機でもある。
いまこそ、労働者・労働組合は、リストラ合理化攻撃に反撃するとともに、大きく団結して「解雇制限法」の制定・労働契約法制の制定のために闘わなければならない。
資料・
企業再編における雇用・労働条件を守るたたかいの強化を(日本労働弁護団)
一、企業組織再編立法の総仕上げとして、昨年の商法改正により株式譲渡・株式交換による完全親会社(純粋持ち株会社)が容認され、今年の通常国会では会社分割法制を導入する商法の改正がなされた。従来から商法に規定されていた合併と営業譲渡に加えて、今後は完全親子会社化や会社分割を利用した企業再編がますます増加していくものと予測される。
今年九月に経営統合した「みずほフィナンシャルグループ」に会社分割が利用されることが予定されており、また、大手電機メーカーやゼネコン等の不採算部門切り離しによる再建に会社分割が利用されようとしている。これらの事案では、従業員の大量解雇や労働条件の著しい切り下げの問題が生起する可能性が強い。
二、会社分割法制は、企業の要求に応じて様々な活用の仕方が可能であり、企業組織再編を迅速かつ容易にするために企業にとって極めて利点の多い法制度となっている。これに対して、企業再編によって雇用と労働条件に直接影響を被る労働者に関する法整備は全くといっていいほどなされていない。商法改正と同時に成立した労働契約承継法において、一定の労働者の保護は図られているが、極めて不十分なものとなっている。
会社分割における一番の問題は、分割承継される営業に主として従事する労働者の労働契約を承継する旨を分割計画書等に記載するとその労働者の同意の有無にかかわらず労働契約は承継されてしまうと解されている点である。労働者の転籍同意を要件とする民法六二五条一項を排除するような解釈は許されないというべきである。また、会社分割を契機に分割会社及び承継会社において労働者が大量に解雇されたり、労働条件を一方的に切り下げるといった事態が頻発することは容易に予想されるところであるが、企業再編をすれば労働者の雇用や労働条件を切り捨てても許されるといった考え方は絶対に容認することはできない。
三、現在、労働省において、労働契約承継法の指針のあり方研究会で、ガイドラインの策定作業が行われている。ガイドラインにおいては次のことを明記すべきである。
すなわち、@労働者の同意のない労働契約の承継は許されないこと、A会社分割の際に、分割会社は不当労働行為の意図や解雇・労働条件の引き下げの意図をもって、特定の労働者を排除するなどの目的のために、分割前になって配置転換や出向を行うことは無効であること、B承継された労働契約の内容となる労働条件はそのまま維持されるものであり、会社は分割を理由として一方的な労働条件の引き下げは許されないこと、C会社分割を理由とする解雇は行ってはならないこと、D会社分割案に関して、労働組合が団体交渉の申し入れをした場合には分割会社及びその完全親会社はこれを拒否できないことなどである。
四、会社分割制度導入後も、従来から用いられてきた営業譲渡や営業の賃貸、経営委任の手法も多くの企業で組織再編に利用されるものと思われる。大阪の不動信用金庫の事業譲渡などに見られるように、今日の営業譲渡では、営業譲渡契約書の条項中に労働契約は一切承継しない旨を明文で定め、全労働者一旦解雇・新規採用といった手法が金融機関だけでなく他の産業でも多用されるようになっている。
また、今年四月から施行された民事再生法にも営業譲渡により債権回収を図るという方法が容認され、四月に民事再生手続き開始申請をした東洋製鋼では、裁判所の許可を得て営業譲渡が行われ、全員解雇された一〇二名の労働者のうちわずか十五名しか譲渡先会社に雇用されないという事態が生じた。今後も民事再生法を利用して多数の営業譲渡が行われるものと予測される。
事業譲渡契約において労働契約の不承継条項を締結することは、譲渡先が譲渡元に対して労働者の解雇を強いるものであったり、譲渡先と譲渡元が相計って労働者を解雇するものであるから、譲渡先が解雇制限法理を潜脱する意図を有していることは明らかである。このような条項は雇用の安定の確保という公序に反して無効と解すべきものである。
五、会社分割や営業譲渡などを利用した企業再編によって、労働者の雇用と労働条件、労働組合の組織と権利は多大な影響を被ることになる。そのため、労働者・労働組合は、会社分割計画や営業譲渡そのものに対して厳重な検証をして会社に対して意見を述べ、団体交渉などにより十分な協議を尽くして、労働者・労働組合が会社の分割計画や営業譲渡に同意しない限り実行させないという態度で臨むことが不可欠である。その際、労働組合としては、会社分割の場合は、分割承継される営業の意義と範囲を明確にさせること、不採算部門の切り捨ては許されないこと、労働者の雇用と労働条件を守ること、恣意的な人選による労働契約の承継は許されないこと、労働者の同意のない労働契約承継の強要は許されないこと、賃金や退職金などの労働債権の支払いを確保させること、労働協約はそのまま引き継がれることなどを求め、また、営業譲渡の場合には、譲渡契約で労働者の雇用を引き継がないという定めをすることは許されず、労働者の雇用を確保すること、労働条件などは維持されることなどを求めて、会社と労働協約を締結するといった取り組みを強化していくことが強く求められている。
二〇〇〇年十一月十一日
日本労働弁護団第四十四回全国総会
資料・
闘う国労闘争団へのカンパを
国労大会での四党合意承認で、国鉄闘争は新しい段階に入った。闘争団は決意も新たに闘争続行の体制を作った(闘う闘争団・有志声明「私たちは要求実現まで政府、JRを相手に闘いつづけます」・本紙前号掲載)。四党合意による闘争完全終結を狙った政府・JRと国労右派幹部の目論みは破産した。しかし、国労本部や東京地本らは闘争団の動きを恐れ、妨害・弾圧の挙に出ている。闘いはいっそうの厳しさが予想される。闘争団へのカンパに協力しよう。(編集部)
二〇〇一年一月二十七日に開催された第六十七回定期全国大会続開大会は、国労の歴史に消すことのできない大きな汚点を残しました。組合員、支援・共闘の仲間の傍聴とマスコミの取材を厳しく規制しながら、一方では厚生労働省やJR会社の人間を会場に入れ、また、国労自らが警備を要請した機動隊が社会文化会館の周辺で道路封鎖や検問を行うというまるで戒厳令下のような異常極まりない状況の中、この大会は開催されました。そして、当事者である私たち闘争団員の意思を無視し、代議員の数の力によって「四党合意承認」を強行採決したのです。
しかし、この「大会決定」に至るまでに、「JR採用は数百人、解決金は一人数千万円」などというデマ宣伝・オルグが国労組織内で公然と行われてきました。そして、社民党の土井党首が解決内容を国労側に伝えていることを認め、自民党の野中氏も一人八十万円の解決金を国労本部が了解していることを認めているにもかかわらず、宮坂前書記長は大会答弁でぬけぬけとこれを否定したのです。このような嘘と欺瞞で固めた提案を前提とした「採決」に有効性などあろうはずがなく、一片の正義も道理もありません。
私たち闘う国労闘争団は、今後もJRの不当労働行為責任を追及し、三十六闘争団の解決要求=解雇撤回・地元JR復帰を勝ち取るまで闘い続けます。
私たちの決意と闘いに対するご理解・ご支援を心からお願い致します。
記
一、私たちの思いと闘いを職場・地域に広げる運動にお力をお貸しください。
二、闘う国労闘争団への闘争資金カンパにご協力ください。
口座 名寄信用金庫音威子府支店
(普通)1013376
名義 闘争団支援カンパ 二〇〇一年
二月 三日
解雇撤回・JR復帰を闘う国労闘争団(闘う国労闘争団)
「学校を変えたい……」 教育研究発表会に参加して考えたこと
花山涼子
こんな校舎で学ばせたい
二〇〇〇年十二月一日。 茅ヶ崎市教育委員会コミュニティスクール研究発表校の三年目の足跡を追って、茅ヶ崎市浜之郷小学校教育研究発表会に参加した。
市の郊外に創設された校舎は新湘南バイパスに隣接してはいるが田園風景の中で、ちょっとモダンである。校舎にはいるとオープンスペースを存分に取り入れ、階ごとに変化がある。建築にも大きな工夫と技術が取り入れられていて、これが日本の公立学校かと驚いてしまった。聞けば、空間の枠をフレキシブルにした学校で、学校建築としてのオープンスクールから教育実践としてのオープンスクールをめざしているということである。組織の枠・時間の枠・空間の枠をフレキシブルにするという大目的をもって築かれた校舎だ。
この私はカチンカチンと仕切られた四角四面の校舎に動揺し、四面楚歌を聞くような思いで働いているのだが、ふれあいホールの広さそのフロアにある広々としたソファーというか、ベンチというか、うらやましい限りだった。螺旋階段ならぬ螺旋滑り台を子どもたちがすべっておりて来るのを見て舌を巻いた。いいねぇ、子どもたち、嬉しいだろうねぇ。うちの学校の子どもたちにも、こんな校舎で学ばせたいねぇ、と思ったものだった。
さて、授業公開Tを次々に見て回った。
授業公開Uは話題提供授業で、私は四年生の「一つの花」を参観した。
ウーン、なんと表現したらよいのか……と絶句しそうになってしまった。子どもたちにたくみ(巧み)のないやわらかな心が育っていることが伝わってくるようだった。それぞれの子どもが、作中のゆみ子やお母さん、お父さんの思いを捉え、自分の思いを折り込んでいく姿、そして、クラスの友人の発言を聞き取り自分の読みを交流させていく姿が確かな手ごたえとしてあった。子どもたちの発言はすべて、一人読みの土台の上に、友人の気持ちもとらえた上でのみごとなもので、クラスの中のコミュニケーションが成立しているのだ。学級集団があたたかい人間関係の築きを基軸にすえていることが伝わってきて、またまた舌を巻いてしまった。
私は多くの研究授業をみてきたが、これほど感動したことはなかった。教師が出過ぎだったり、操りつられのようだったり、紋切り型の授業という感じが強いことが多かった。子どもたちには生命力、なごみながら学ぶ楽しさを味わっているような人間の姿といったものが感じられ、教員にも一人の人間として子どもの発言に学び、子どもを大切にしている姿があった。
昼のポスターセッションや午後からの授業研究協議会もなかなかのものだったが、一千名を越す参加者が一同に会してのシンポジューム「教師が変わる、学校が変わる」は絶望的になっている私の心に光を送り込んでくれた。
学びの共同体を
今回の研究発表会は、「学びあう学びをもとめて」というテーマでの研究発表会であるが、@子どもの学びを授業の中心に据えてA教師たちが自分をしなやかにのびやかなに高めあいBともに学び・育ちあう学校の創造をめざして、の三つを重点に研究が進められて来ている。
シンポジウムは、佐藤学氏(東京大学大学院教育研究科教授)、稲垣忠彦氏(帝京大学文学部教育科教授)、秋田喜代美氏(東京大学大学院教育学研究科助教授)の三氏をコーディネーターとして展開された。
茅ヶ崎市教育委員会は全国にさきがけて、@学びの共同体、Aカリキュラムの開発を柱にし、学びの共同体としての学校の創造に取り組んだ。その学校が浜之郷小学校である
私はとくにわが国の学校教育の問題に頭を痛め苦しんでいる一人の教員にすぎないが、しかし絶望のままではありたくないという思いを持っている。学級崩壊・学校崩壊現象、校内暴力、登校拒否、不登校の問題等、枚挙にいとまのない位の絶望的な状況の打開のためには現実を直視し、道を創り出すしかないと思っている。
シンポジウムの中で、
「学校は学びの場でなくなった。公立学校の子どもたちは本を読まなくなった。自分に自信がなくなった。そして社会は絶望している。学校は今、がんこ者だけになってしまった。親もがんこ、子どももがんこ、教員もがんこである。
教員は週五十二時間働いているのに、その五〇%しか教えることに使っていない。職員室では成績のよい子と問題の子どもについてのみが話題にのぼる。残り八割の子どものことは話題にのぼらない。学級崩壊とか学校崩壊というけれど、職員室がすでに崩壊してる。教員は雑務や会議に追われ、教材研究の時間がほとんどない。今の学校は親が親らしくなくなり、教員が教員らしくなくなってしまった。それを取り戻すことが焦眉の課題である。学校が学校らしく、教員が教員らしくなる、親が親らしくなること、そして子どもが自分を生きることが大切なのだ。私たちはこのことのために努力すべきだ。子どもを中心におくこと。一人一人の子どもで成長しなかった子はいない。未来への希望は子どもである。子どもたちが安心できる学校にすることが肝要である。安定感がないと学習はなりたたない。人と出会い、憩える空間をつくっていく。そのために校務分掌は一人一人の改革(簡素化)をしていく。足りない所は気がついた人がやればいい。すきまがあって協力が生まれる」
学びを対立、競争、けおとしではなく、学びの共同体として成立させて行こうとしているのだ。
小さな実践の積み重ねで
そして続いた。
「改革はいつもインディビジュアル(一人の改革から始まる)なのだ。授業研究はしていても、不毛の地域がある。それは東京・埼玉・神奈川・千葉である。授業にケチをつけることが研究だと思っている人がいっぱいいる。教員の側が育たないようにされている。
この授業のねらいはなんですか、という質問は愚の骨頂である。変われる学校には自分の言葉がある。今の公立学校の教員たちは、生きる力とか、支援とか言って、自分の言葉を失っている。公立の学校だからこそ、多様なものがひびきあうようにすることが大切である。開かないと公立にならないのだ。学びとケアと祈り、どこからでも始めることができる。子どもの声に耳を傾け、小さな実践を積み重ねることだ。うまくいっている、ではなく、悩んでいる、傷んでいる授業が出発点なのだ。子どもの小さな変化をとらえ、しっとりとした教室で、ちょっとしたいい授業をしていこう。講演で学校が変わったためしがない」
浜之郷小学校では、行事の精選、校務分掌の改革(簡素化)、会議の削減などの取り組みにより、周辺のいわゆる雑務を効率よく分担し、教員の仕事の約八割を教室を中心に、子どもとの関係を中心に、授業研究、教材研究、カリキュラムづくりという教員の専門性を軸に展開できるようになったという。
教育不毛の神奈川に浜之郷小学校あり、私も浜之郷小学校の研究発表会に参加していちいちなるほどと思った。学校に帰ったら、やっぱり頑張っていかねばと思ったのだ。
複眼単眼
JR山手線の事故死を利用する政府と右翼
すでにあまりにも有名になった事件だが、一月二十六日、JR山手線でホームから転落した人を救けようと線路に飛び下りた二人が退避場所もなく、進入してきた電車にはねられ死亡した。報道によれば先に転落したのはホームで酒を飲んでいた日本人で、救けに降りた人は二十代の韓国人留学生と四十代の日本人カメラマンだった。
マスコミは大きくこの事件をとりあげ、韓国青年の追悼式には首相や外相が出席したし、韓国でも青年の勇気が大きく讃えられている。マスコミは二人の「勇気」や「善意」を讃え、「日本人が失ってしまった精神を韓国の青年が示してくれた」という書き方をしたところも多い。
産経新聞特別編集委員の久保紘之は「『懸命』の気概欠く政治家」と題し、「『人は、ときに命にかかわることさえ顧みず、やらねばならない大事なものがある』、戦後の日本人の間で『死語』になっていたこの古典的な美徳(勇気、名誉、自己犠牲などの市民的徳目)を、二人は文字通り『命をかけて』思い出させてくれた。……日本では憲法第九条『戦争放棄』条項によって『祖国のために死ぬ』という観念が罪悪視され」てきたと書いた。
久保はKSD問題や外交機密費などの政官の「醜悪な腐敗」を批判してみせながら、二人の死を「国家のために死ぬ」ことの賛美に結びつけた。
怒りがおさまらないままに事故の本質に関わるいくつかの点を考えてみた。
事故の翌日が国労の第六七回大会(続開)で、そこでは国鉄分割民営化の犠牲にされた闘争団員たちに全面降伏を強いる「四党合意」受け入れがきめられた。
事故当時、夕刻のラッシュ時間帯にもかかわらずホームに駅員がいなかった。四人しかいない駅員は出改札業務で手一杯だった。ホームの柱には十二箇所に列車非常停止ボタンがあったが、押す駅員がいなかったのだ。民営化されたJR会社の経営は収益第一主義で、徹底した人員整理・合理化がすすめられた。その結果、ホームでの人身事故や自殺は増大している。にもかかわらず、今回も「たとえ駅員がいても助けるのは無理だった」とJR東日本の幹部は弁解した。これはウソだ。駅員が何人かいればホームで酒を飲んでいる人の転落の危険性に、早くから気づいたにちがいない。転落時には非常停止ボタンを押すこともできた。
また、この韓国人青年の祖父が日本に戦前、強制連行された人だという報道があった。森首相や河野外相はもちろん、追悼式で一言もこれに触れなかった。ほんとうは戦後補償問題や日本人の排外主義や差別の問題を考えるまたとない機会だった。
産経の久保らのように、今回の事件をことさらに美談化し、それで「若者論」「教育論」などを論じ、それが教育における奉仕活動強制の正当化などに利用されてはたまったものではない。
もともと、東京のJRの駅のホームはたいへん恐い。朝夕のラッシュ時に狭いホームに人があふれ、肩やカバンなどで押し合い、へしあいしながら、先を争って改札口に向うとき、線路側を歩く人は突き飛ばされないように必死で歩いている。落ちないほうが不思議なくらいだ。ここに時速六〜七十キロのスピードで電車が入ってくる。視覚障害者団体の調査では、その三人に二人がホームから落ちた経験があった。JRはこれらの問題に何の対策もとらないできた。
数年前、筆者の姪の連れ合いも、会社帰りに東海道線のホームから転落し、入線してきた電車に跳ねられて即死した。まだ三十歳を少し越えたばかりだった。 (T)
図書紹介
白石忠夫(編著) 世界は脱クルマ社会へ (緑風出版 二〇〇〇円+税)
石油関係の労働組合運動の現場に足を置いた経験を生かしながら、エネルギー問題などの研究に取り組み、著書を出版してきた白石忠夫さん(筆名・宮嶋信夫)の、自分のゼミの卒業生の磯原知里さんとの共著。
短時間での自由な移動を可能にし、「現代人の夢を実現した」自動車が、その大量生産の結果、クルマ社会を生み、自然環境の許容能力の限界を大きく超え、人間の住む環境を破壊する凶器になった。
石油資源の枯渇の可能性が語られる一方で、それを浪費する自動車がまき散らす排気ガスが大気を汚染し、二酸化炭素による地球温暖化問題を発生させた。それだけでなく、ディーゼル排ガスに含まれる発ガン物質による肺ガンも多発している。交通事故の死亡者は世界全体で年間二五万人、日本でも一万五千人にのぼる。騒音による健康被害も多く、公害訴訟はいくつも起こされている。クルマ社会の交通渋滞はクルマの目的と矛盾をきたし、膨大な財政をつぎ込んだ交通関係の公共事業は政府の財政を破綻に導いている。それでも自動車業界は利潤を追って環境に逆らい続ける。
本書は次の世代の交通体系を考え、行き詰まったクルマ社会からの脱出の道を説く力作。