人民新報 ・ 第1015号 (2001年2月25日)
目次
● 地域から平和をつくろう 非核・平和条例を考える全国集会
ヨコスカ
● KSD・機密費問題の徹底究明を! 市民団体が緊急国会行動展開
● 労社同の山川暁夫同志一周忌のつどい開く
「山川さん一周忌と出版記念の会」(3月24日)よびかけられる
● コンピューター通信を労働者の連帯の武器に − レイバーネット日本が発足
● 戦争の時代は終わっていない 復活して三十五回目の「紀元節」に各地で抗議行動
● 卒入学式での不起立・リボン・伴奏拒否をめぐって 「日の丸・君が代」強制を許さない
「日の丸・君が代」強制反対ホットライン開設集会
● 2・11 日本原現地集会に二三〇名結集 日本原から自衛隊は出て行け
● 「教育改革国民会議」 最終報告のねらいについて批判するC
● 女性財団廃止・ウィメンズプラザ直営化方針に反対する緊急集会に参加して
● 複眼単眼 川端治、山川暁夫、そして「国権と民権」論文集
地域から平和をつくろう 非核・平和条例を考える全国集会 ヨコスカ
二月十日〜十一日、神奈川県横須賀市の文化会館などを会場に「地域から平和をつくろう 非核・平和条例を考える全国集会 in ヨコスカ」が、神奈川県内と全国各地から約五〇〇名が参加して開かれた。
十日午後一時からの集会の冒頭、司会者からこの日、ハワイ沖で先月十日、神奈川・三浦岬から出航した愛媛県宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ原子力潜水艦に衝突・沈没させられるというたいへんな事故が起こったことが報告され、その後、事態が明らかになる中で緊急抗議文が採択された。
開会あいさつは横須賀地区労の矢野直彦議長が行い、非核市民宣言運動・ヨコスカの新倉裕史さんが基調に関連して発言した。
記念講演は「地域から平和を考える」と題して山内徳信(元沖縄県読谷村長)さんと「非核・平和条例運動の意義」と題して江橋崇(法政大学教授)さんが行った。
夕刻からは交流会、翌日は分科会が行われた。
集会の基調は要旨、つぎのようなものであった。
政府・与党によって、一昨年は「周辺事態法」をはじめとする「ガイドライン関連諸法」、昨年は「憲法調査会」の発足や「船舶検査法」などが強行成立させられるなど、平和を脅かし、憲法第九条を改悪しようとする動きが相次いだ。すでに全国各地において、米軍艦船の入港など「周辺事態法」を具体化する動きは顕著になっている。神奈川県でも横須賀、厚木基地を中心とする軍事基地機能が強化され、二十一世紀初頭には横須賀を原子力空母の母港しすることが画策され、すでに埠頭延長工事が多くの反対の声を無視し強行されている。このような状況の中で一九九九年一〇月には函館で「非核・平和条例全国交流集会」が開催され、「非核・平和条例」をみんなで作り上げ、地域から平和を構築していくことが提起された。現在、米艦船は日米安保条約にもとづく地位協定(そして周辺事態法へ)を理由に入港しているが、非核・平和条例運動では自治体の戦争非協力の体制をいかに構築するかが中心課題となる。すでに各自治体で「非核(兵器)・平和都市宣言」が採択され、平和行政の推進がうたわれている。
この運動は第一にこの「非核(兵器)・平和都市宣言」を具体化させること、第二に自治体が固有の権限としてもつ港湾法・港湾管理条例による港湾管理権による入港拒否が出来る条例の制定、第三にその内容は外国艦船の入港に際し、核兵器不積載証明書の提出の義務化、自治体の判断にもとずき平和に反する行動については拒否するということをその柱としている。
非核・平和条例の存在は、米地位協定、周辺事態法に対抗して十分にその効力を発揮することになる。特に、米艦船が日常的に出入りしている横須賀においてこの条例が実現出来れば米軍の行動は大きな制約を受けることになる。
非核・平和条例制定運動には広範な市民と労働組合、労働者の運動の結合が必要不可欠であり、大衆的な運動を背景に自治体が核艦船の入港を拒否出来る体制を構築しなければならない。
米海軍横須賀基地が空母「ミッドウェイ」「インデペンデンス」「キティホーク」の母港となってから二十七年が経過している。
米海軍空母の通常艦が今後全て原子力艦に切り替わっていき、「キティホーク」に替わる空母は原子力艦となることは確実である。その時期は二〇〇八年頃と想定される。現在、原子力空母停泊のための横須賀基地の十二号バースの延長工事が強行されている。しかも水銀、鉛、ヒ素などによって汚染されているにもかかわらず、日本政府の「思いやり予算」によってだ。
私たちは、原子力空母の母港化に反対し、横須賀基地の返還、跡地の平和利用の実現を強く求める。
KSD・機密費問題の徹底究明を! 市民団体が緊急国会行動展開
森政権のもとでつづけざまに政治的腐敗事件が噴出している。いまこれに抗議するさまざまな市民運動が広がっている。
二月十五日午前十一時から「盗聴法の廃止を求める署名実行委員会」などの人びとによる「KSD・機密費流用問題の徹底究明を!二・一五緊急市民集会」が衆議院議員会館前で開かれ、その後、正午から議員会館の会議室に移動してふたたび集会が行われた。
議員会館前では通行人にチラシを配布しながらの街頭リレートークが行われた。参加した各市民団体の代表たちからはつぎつぎに森政権を糾弾するアピールが行われた。
議員会館内の集会では各党の国会議員と市民団体からの発言が行われた。あわせて、この日までに集められた「盗聴法の廃止を求める国会請願署名」の提出も行われた。
集会は海渡雄一弁護士の司会で行われ、民主党の佐々木秀典、共産党の木島日出男、社民党の北川れん子、無所属の川田悦子などの国会議員が連帯のあいさつを行った。ほかに社民党の国会議員八名、共産党の議員二名も出席した。
市民団体からは「盗聴法に反対する市民連絡会」の富山洋子さん、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さん、東京・北区区議の古沢久美子さんなどがあいさつをした。
発言者たちは口々にKSD汚染議員と盗聴法推進議員、憲法改悪を進める議員などの多くは重複していることを指摘し、希代の悪法・盗聴法の廃止と、憲法改悪阻止を闘いぬく決意を表明した。
またアメリカ原子力潜水艦の事故は断じて許せないが、その時にゴルフをしていた無責任な森首相が、その上にゴルフ会員権疑惑を指摘されていることなどひどい状態で、人びとの自民党森政権への怒りは高まっていると指摘した。
さらに盗聴法の審議が始められた頃、「収賄罪も対象犯罪に加えたらどうか」という意見があったが、いまとなっては対象犯罪に収賄罪がなかったことがよく理解できる、との指摘もされた。
なお、この日提出された署名は約一万六千名分で、廃止を求める署名は累計で約二十二万名になった。また盗聴法は発効したが、いまだに令状請求がされていないのは、人びとの闘いの反映だとの指摘もあった。
労社同、山川暁夫同志一周忌のつどい開催
三月二四日「山川さん一周忌と出版記念の会」よびかけられる
労働者社会主義同盟の前議長であった山川暁夫同志が亡くなってから丸一年がすぎた。
二月十二日午後、山川同志が眠る神奈川県川崎市の墓地・春秋苑で、わが同盟の同志たちによる一周忌のつどいが開かれた。
参加したのは、同盟中央常任委員会、東京都委員会、神奈川県委員会、埼玉県委員会、茨城県委員会の代表など。
山川同志のお墓は小高い見晴らしのよい墓地の一角にある。参加した同志たちはお花をささげ、全員で黙祷をして、民衆の解放のために闘いつづけた山川同志を偲び、あらためてその遺志を受け継ぐことを決意した。この場には山川同志のお連れ合いの聡子さんも参加した。
参加者は墓参のあと、会場を移して偲ぶ会を開いた。
なお、各界の人びとの呼びかけによる「山川暁夫さんの一周忌と山川暁夫=川端治論文集『国権と民権』出版記念の会」(よびかけ文別掲)は三月二十四日、東京・御茶ノ水の中央大学駿河台記念館で開かれる。
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「山川暁夫さんの一周忌と山川暁夫=川端治
論文集『国権と民権』出版記念の会」のご案内
「もう一年も経ったのか」と思われる方も少なくないと思います。
山川暁夫さんが逝ってからこの一年、世紀末から新世紀へと移行したこの一年は、世界的にもまた日本でも大きな問題が続出しました。それらの事象の深部にあるものと、それにつづく道筋をさぐろうとしながら、それを解明し得ないことにいらだちを覚えることも少なくなかったのではないでしょうか。
そんなとき、なにかにつけ、山川さんだったらいま、これをどう語り、どう分析し、どう見通し、どのように書いただろうかという思いにとらわれることも多かったのではないかと思います。
このたび「山川暁夫=川端治論集『国権と民権』」刊行委員会の手により、山川暁夫さんの膨大な論文の中から一九七〇年以降の単行本未収録のものに限って選抜した論文集が編纂されました。
あらためて目を通しますと、この三〇年の問題群への山川さんの観点の対置は、過去の歴史的業績ではなくて、まさに現在に通じているものであり、私たちが生きていくうえで大きな支えになるものだということを思い知らされます。
このたび、左記の次第で「山川暁夫さんの一周忌と山川暁夫=川端治論文集『国権と民権』出版記念の会」を企画いたしました。
皆様におかれましては、ご多忙のところとは存じあげますが、なにとぞお運びいただき、ご一緒に山川暁夫さんを偲び、かつ山川さんの仕事に学ぶ場を共にできれば、呼びかけ人一同、幸甚に存じます。
二〇〇一年二月
呼びかけ人
有田芳生(『短かった二〇世紀の総括』構成)
江波戸哲夫(『アメリカの世界戦略』担当)
大内要三(『国権と民権』担当)
斉藤邦泰(『現代史の記録』担当)
高須次郎(『八五年体制への序章』担当)
高田 健(『命どぅ宝・いま平和をつくる闘いへ』担当)
高野 孟(「帝国主義『自立』か真の独立か」共著)
森 詠(『報告 金大中拉致事件の構図と事実』共著)
山川暁夫さんの一周忌と山川暁夫=川端治論文集『国権と民権』出版記念の会
日時・三月二十四日(土)午後一時〜三時
会場・中央大学駿河台記念会館
(JR御茶ノ水下車)03(3292)3111
会 費・一万円(本代含む)
連絡先・出版記念の会
03(3221)4668
コンピューター通信を労働者の連帯の武器に − レイバーネット日本が発足
二月十日、東京・法政大学92年館で、コンピュータ通信を労働者の国際的な連帯の武器として活用するためのメディアである「レイバーネット」日本の設立総会が開かれた。
藤崎良三全労協議長の来賓あいさつに続き、呼びかけ人を代表して伊藤彰信さん(全港湾労組書記長)が設立にいたる経過報告、設立趣意書、会則などを提案した。
伊藤さんは経過をつぎのように報告した。
レイバーネットは、一九九一年にアメリカで労働運動のサイトとしてつくられ、労働組合の闘いを伝え、また自由な情報交換の場として発展してきました。日本でも電子メールによる労働相談、国鉄闘争の闘争団のホームページなどが大きな役割をはたしていますが、これからのリストラ攻撃・グローバル化という状況の中で、それらに対抗して行くためにも労働者の情報ネットワーク化・インターネットの活用は避けて通れない課題となっています。昨年夏にイギリスのレイバーネットの主催者のクリス・ベリーさんが来日して意見交換をしたときから日本でもレイバーネットの設立準備が始まり、そして今日の設立総会を迎えました。この間確認してきたことは、国内の労働運動の情報交換、海外の労働運動の紹介と日本からの発信、個人をベースにした運営、無理をせずに出来るところかやっていくことなどです。
会則では、レイバーネットは、「インターネットを活用して労働運動の情報をネットワークすることをとおして、労働者の権利を確立し、国内外の労働者の連帯を強化することを目的」とし、そのために、@インターネットを活用した労働運動の情報ネットワークの確立、Aウェブ・サイトの運営、B労働運動におけるインターネット活用の研究、C国内外の同趣旨の組織との連携、Dその他目的を達成するために必要な事業を行う、ことが提案された。
つづいて、松原明さん(ビデオプレス)が、二〇〇一年度の事業計画、同年度予算案を提案した。
安田幸弘さん(市民電子情報網)は、レイバーネット・ウェブサイトの実際の画面を使って説明した。
討論の結果、すべての議案が採択され、最後にレイバーネット日本の代表に伊藤彰信さん、副代表安田幸弘さん、事務局長松原明さんなどの役員が選出された。
韓国・ノドンネットの状況
第二部は設立記念集会であった。
はじめに韓国ノドン(労働)ネットワーク協議会事務局長のイ・ヨングン(李龍根)さんが「韓国労働ネットワークの経験と国際連帯」と題して約一時間の講演を行った。以下はその要旨。
韓国労働ネットワークは一九九八年年十一月に正式に発足しましたが、実際には九六年末の労働者のゼネスト闘争に遡ります。
九六年十二月二十六日の労働法改悪強行から資本の新自由主義的な攻撃が本格的に始まりました。それは資本側に「解雇の自由」を法的に保障し、新自由主義的構造調整の基礎を用意したものです。労働法改悪は労働者階級の怒りと抵抗を引き起こし、一か月余り労働者等のゼネスト闘争がもりあがりました。
この時、工場と街頭での闘争の熱気と同じほどの熱い闘争がオンラインの空間でも展開したのですが、それが「ゼネスト通信支援団」の活動でした。
情報通信運動グループを中心に、一般の通信利用者の自発的な参加で構成されたゼネスト通信支援団は、当時「ブラックリボン運動」と 「<ストライキ支持>のヘッダー掲揚運動」など、 オンラインでの各種のキャンペーンを主導する一方、 「ゼネスト・ホームページ」 を運営して国内外のネットワーカーにゼネスト闘争のニュースを伝える最も有力な窓口になりました。このような活動の結果、パソコン通信とインターネットでゼネスト支持の世論が大きく広がり、インターネットのメールを通じて国際的な支持世論も引出すなど、国内外で新鮮なインパクトを作り出しました。
九八年四月には、「労働ネットワーク推進準備会」がつくられ、この時に社会運動陣営による共同の独立ネットワークの構築とネットワークの物理的資源(ハードウェア、通信回線、装備など)提供を目標とした「進歩ネットワークセンター推進準備会」も同時に発足しました。そして、九八年十一月十四日に「進歩 ネットワークセンター」と「韓国労働ネットワーク協議会」が正式に発足しました。
労働ネットワーク建設の過程には、多くの労働組合と労働運動団体が公式に 参加しました。民主労総と韓国労総という二つのナショナルセンターが両方とも参加し、韓国労働 理論政策研究所、労働組合企業経営研究所などの労働専門研究機関、そして労働情報化事業団、労働者ニュース制作団のような情報通信・メディア関連団体など、計十七の労働組合・団体が韓国労働ネットワーク協議会に会員団体として参加することにより、労働ネットワークは韓国の労働運動で情報交換の中心としての位置を占めることになりました。
「韓国労働ネットワーク協議会」は、個人が加入する会員団体ではなく、労働関連団体が加入する団体間の協議体です。
現在、労働ネットワークに加入している会員団体は次の通りです。
@労働組合総連合団体(全国民主労働組合総連盟、韓国労働組合総連盟)、A労働専門研究機関(労働組合企業経営研究所、韓国労働社会研究所、韓国労働理論政策研究所、産業労働学会)、B労働者政治組織(労働者の力準備会、民主労働党)、C情報通信・メディア関連団体(労働者の声、労働者ニュース制作団、労働情報化事業団、蔚山労働者情報通信支援団、韓国労働政策情報センター)、D労働運動支援団体(民主社会のための弁護士の会・労働委員会、永登浦産業宣教会、外国人労働者対策協議会、移住労働者闘争本部、全国労働団体連合、韓国非正規労働センター)、Eその他(国際連帯政策情報センター、全国労働者文化運動団体代表者会議)。
このように、韓国労働ネットワークには韓国労働運動を代表するほとんどの 労組・団体が加入しています。そのため、情報通信ネットワークを通した労働運動の意思疎通と連帯において、労働ネットワークが持つ代表性は非常に高くなっています。
インターネットという媒体は、社会構成員のあいだでのコミュニケーションと世論の形成、そして連帯と行動の重要な場に浮上しました。特に、オンラインデモの場合、時間と空間の障壁を超え、全国のネットワーク利用者、さらに全世界のネットワーク利用者が容易にひとつになり、共同行動ができるという点で、オフラインの集会・デモとは違った効果があります。
こうしたインターネットデモの威力を資本と政権も理解し始め、かれらは通信秩序確立法のように、インターネット空間に対する監視と統制を一層強化しようとしています。
これに対抗して労働ネットワークは、インターネットという空間で民主主義が貫徹され、インターネットでの権利が拡張されるよう努力すると共に、これを統制しようとする政権に対抗する戦いを展開し続けていきます。
労働ネットワークが、今ではカナダ、オーストリア、ドイツ、韓国、そして日本にも建設され、さまざまな形で同様の努力が全世界的に広がっています。これを通じて各水準の労働組合、労働団体、個人の活動家が運営するウェブサイトがインターネット空間の中で網の目のように連結し、今では各国の労働ネットワークが各国の労働運動と労働者闘争での情報交流と討論の場としての役割を果たすようになりました。ネットワークを通じた情報の交換は、事例と経験の共有を越えて地球的次元に広がった共同対応と日常的連帯の可能性を開かせます。したがってこのような側面からみて、国際的労働運動という点から不均等な経験と特性を考慮し、持続的な連帯活動を展開できる労働者運動の国際的なネットワーク戦略が強く求められています。
新しい取り組みへ
つづいてのパネルディスカッションでは、日本国内でのコンピューター・ネットワークをつかっての労働者連帯の取り組み状況が具体的に述べられた。
パネリストの鈴木玲さん(法政大学大原社会科学研究所)、石川源嗣さん(ジャパンユニオン)、河添誠さん(白木屋・魚民で飲まない会)、安田幸弘さんが、それぞれインターネットでの活用による労働運動の新しい動きを紹介した。
レイバーネット日本のサイトは、http://www.labornetjp.org/
レイバーネット日本設立趣意書
世の中では「IT革命」といわれるように、コンピュータを使った情報伝達、インターネットが飛躍的に発展しています。労働運動の分野でも、インターネットの活用はすすんでいます。ホームページをつくる労働組合は増えています。労働統計資料、労働組合の組織や方針、闘争や活動の情報がインターネットで入手できるようになりました。労働相談も電子メールでおこなわれるようになりました。
海外には労働運動の情報ネットワークのウェブ・サイトである「レイバーネット」があります。イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インド(英語)、韓国(朝鮮語)、ドイツ、オーストリア(ドイツ語)、ラテンアメリカ諸国(スペイン語)の「レイバーネット」です。そして、相互に連携をとって活動しています。これらの「レイバーネット」は、 イギリスのリバプール港湾労働者のたたかい、韓国民主労総のゼネストを海外に伝えることからつくられたように、「グローバル化」とのたたかいの中から生まれたものです。
コンピュータを所有できる人々のいわば先進国の優越的な道具として使用するのではなく、所有できない人々の側に立ちながら、労働者・市民が広く連帯を築く道具として活用することが求められています。
このほど日本においても労働運動活動家、市民メディア関係者、労働運動研究者が集まり、海外の「レイバーネット」にも促され、ウェブ・サイトをはじめとする労働運動の情報ネットワークである「レイバーネット日本」を設立することにしました。
「レイバーネット日本」は、日本において労働者のたたかいを重視しながら、労働運動にかかわる情報ネットワークをつくります。海外にも日本の労働運動を紹介するとともに、海外の労働者のたたかいを日本に紹介します。インターネットを活用した労働運動の前進に貢献します。「レイバーネット日本」は、労働運動の発展を願うすべての人に開かれたネ ットワークであり、個人の自律性・自主性によって運営される参加型の組織です。
「レイバーネット日本」は、グローバル時代において、労働者の権利を確立し、連帯を強化することに役立ちたいと願うものです。
二〇〇一年二月一〇日
闘争団がJR本社前で早朝ビラまき
二月十六日は、忘れもしない国鉄労働者の大量解雇の日。その日の早朝、闘う闘争団は、JR東日本本社前次のようなビラをまき、闘争勝利に向けて闘いを展開している。
JRは採用差別の責任を取れ !
国鉄「分割・民営化」で、新会社JRへの移行を目前にした一九八七年二月十六日。
当時の国鉄が、嫌悪している国鉄労働組合(国労)など特定の組合に所属する職員に対し、「あなたには、新会社への採用通知が来ていません」と不採用の通知を行った日です。私たちにとって、生涯忘れることのできない怒りの日となりました。
身に覚えのない不採用通知を淡々と伝える管理者に、「不採用の理由を聞かせてほしい」と求める声に「JR設立委員会が決めた事なので、私にはわからない」の返答。
職場では以前から管理者が、「国労にいると新会社に行けないぞ。早く国労を抜けろ」と、執拗な脱退強要が行われ、悩み抜いて自殺した職員が一〇〇名を超えました。
このようなやり方は、法律に反する「不当労働行為」にあたると全国の労働委員会が認定し、「JRに採用されていたものとして扱え」と命令したにもかかわらず、JRはこれを無視し続けています。
裁判所までもがJRの態度を是認し、「不当労働行為の責任はJRには及ばず、旧国鉄に及ぶ」として労働委員会命令を取り消す不当判決を出しています。犯罪があっても犯人がいない、責任をとるものがいないなどということが許されてよいはずがありません。しかしこれは、国策で行われた事なのです。
国鉄で使われていた、駅も車両も線路も、不当労働行為の限りを尽くした管理者を含む社員もがJRに継承されており、国鉄とJRが実質的に一体であるのは誰にでもわかることです。
不当労働行為の責任がJRにあることは明らかです。
私たちは、JRへの責任追求を強め、解雇撤回・JR復帰を勝ち取るまで闘い続けます。
JR本社前ビラまき行動実行委員会
解雇撤回・地元JR復帰を闘う国労闘争団
戦争の時代は終わっていない 復活して三十五回目の「紀元節」に各地で抗議行動
二月十一日、復活して三十五回目の「紀元節」を迎えて、これに抗議するさまざまな集会やデモが各地で開かれた。
この日、市民団体を中心にした「紀元節に反対する二・十一集会実行委員会」が主催するデモと集会も開かれた。
午後四時から東京・千代田区の西神田公園に集まった人びと約百名は、文京区の礫川公園までデモをした。デモは右翼団体が街宣車やハンドマイクなどでがなりたてるなど、執拗に挑発してくるなか、毅然として貫徹された。
午後六時半からは「天皇制の戦争責任を追及し、『日の丸・君が代』に反対する二・十一『反紀元節』集会」が水道橋の全水道会館に約百六十名が参加して開かれた。
集会では、ジャーナリストの西野瑠美子さんと憲法研究者の西原博史さんが講演した。
西野さんは昨年十二月に開催された「日本軍性奴隷制を裁く二〇〇〇年『女性国際戦犯法廷』」の画期的意義に触れながら、報告した。
二〇世紀は戦争の世紀だったと言われるが、これはいまだおわっていない。世界には現在、三十六箇所の紛争があり、二十世紀の戦争は今世紀に持ち越されている。戦争責任にきちんと向き合うことなしに、「戦争の時代」は終わらない。日本ではこの戦争責任をあいまいにしてきた日本の戦後を問い、天皇の戦争責任に向き合うことが重要だ。
女性国際戦犯法廷は延べ五〇〇〇人の傍聴者のもとで、六日間行われた。この法廷の主催者は民衆であり、被告は天皇・司令官・日本政府だった。そしてそれはこれらの不処罰を許してきた日本の社会通念そのものをも問うものだった。今回の法廷が死者であっても裁いたのは、被害者の権利の抑圧を許さないという普遍的な正義を追求する立場によるものだ。
法廷がとりわけ、「提出された証拠の検討にもとづき、裁判官は天皇裕仁を人道に対する罪について刑事責任があると認定する。そもそも天皇裕仁は陸海軍の大元帥であり、自分の配下にある者が国際法にしたがって性暴力を止めさせる責任と権力を持っていた。天皇裕仁は単なる傀儡ではなく、むしろ戦争の拡大にともない、最終的に意志決定する権限を行使した。さらに天皇裕仁は自分の軍隊が『南京大強かん』中に強かんなどの性暴力を含む残虐行為を犯していることを意識していた」と指摘したことは大変重要なことだ、と述べた。
西原さんは次のように述べた。
いま基本的人権が脅かされ、とりわけ憲法の十九条が侵される時代だ。この間、日本の市民社会が力を獲得してきているのは事実だが、反面、すさまじい時代になっているのも事実だ。「日の丸・君が代」の法制化、教育改革国民会議などによる教育問題の政治焦点化、そして憲法改悪の動きがある。
憲法研究者には往々にして九条が究極の課題だという認識があるが、九条が変わらなければいいというのではなく、むしろその過程が問題だ。憲法の核心は基本的人権にある。
いま、「国についての正しい認識」を植え付けようとする動きが強まってきて、右翼を勢いづかせるような事態になっている。森首相らの教育基本法改定論は、教育勅語の復活論であり、復古主義だ。しかし、攻撃はそのようなものだけではなく、例えば小林よしのりらに見られるように、「公」や「公共性」から説明し、そのための意識を取り戻すことが、日本人の美を取り戻すことになるという論理がある。これはヨーロッパの「共同体主義」と同じ流れと言えるものだ。これとうまく天皇制を結びつけたのが新自由主義だ。憲法十九条はこのように国家が国民の心の問題に手をのばしがちだということを前提にしている。
日の丸・君が代の押しつけは、去年よりきびしい形で動いてくるだろう。それは暴力的でさえあると言える。奉仕活動を強制してもいいなどというのは恐ろしく暴力的だ。これは憲法の保障する「苦役からの自由」と正面から衝突する。そのおかしさを問うことから始めなくてはならない。
いまはいちばん厳しい時代ではあるが、この社会の人びとはこれを覆す力をもっていると思っている。
講演のあと、神奈川の日の丸・君が代に反対する運動、国立二小の被処分者、北九州学校ユニオン、日の丸・君が代強制に反対するネットワーク、許すな!憲法改悪・市民連絡会などからの報告があった。
卒入学式での不起立・リボン・伴奏拒否をめぐって
「日の丸・君が代」強制を許さない
「日の丸・君が代」強制反対ホットライン開設集会
「卒入学式、○○大会、○○会議の席上、正面に『日の丸』がかかげられ、一同起立・礼が強制される。静粛に心をこめて天皇の歌『君が代』の斉唱を強要される。従わないと村八分、イジメられる。『天皇中心の神の国』という首相発言にあらわれているように、日本という国は一九九九年八月の国旗国歌法成立後、急速に国家主義へと国体が流れていく。過去の戦争責任の公式謝罪も補償もないまま二十一世紀を迎え、十九世紀のナショナリズムが二十一世紀に復活した日本という国に住む私たちはいまの状況をどうとらえ、どうすべきか、一緒に考えましょう」との呼びかけで、今年も「『日の丸・君が代』強制反対ホットライン」が開設され、その出発の集会が二月十七日午後、東京・西早稲田の日本キリスト教会館で開かれた。
集会に先立って行われた記者会見で同ホットライン事務局長の澤藤統一郎弁護士が次のように主旨を説明した。
ホットラインは九九年八月に「国旗国歌法」が成立した時に、何かをしなければならないと考えた有志が、アキヒト天皇「在位十年記念行事」に際して、社会的強制がありうると危惧をして、立ち上げを計画した。十一月に文部省で記者会見をした。
その後、昨年の卒入学式に際してホッラインを行い、今回は三度目になる。
今回のいままでと違うところは、昨年、明確に処分がだされたあとだということだ。
今年は同様のことをすれば同様の処分がありうる事態だ。何が処分問題になるのか、それは不起立とピースリボンの着用、音楽教員の君が代伴奏職務命令にたいする問題の三つだ。これはきわめて実践的な課題だ。
これらの抵抗と、予想される処分を想定し、ホットラインを設置することになる(日程は別掲)。
ホットラインでは、深刻な質問に対してそんなに上手な回答が用意できるわけではない。一緒になやみ、一緒に問題を考え、時間をおいてリターンするというような対応になる場合もあるが、協力をお願いする。
つづいて行われたシンポジウムでは、内田雅敏弁護士の司会で、浪本勝利(立正大学・教育学)、只野雅人(一橋大学)、澤藤統一郎(弁護士)、遠藤良子(国立市民)らがパネリストになって議論した。
2・11 日本原現地集会に二三〇名結集
日本原から自衛隊は出て行け
珍しく雪のない晴天のもと、岡山・日本原現地で、二十一世紀になって初めての2・ 集会が開催された。
集会は部落解放同盟岡山県連・内海書記長の司会で始まり、日本原共闘会議福島議長が「ハワイ・オアフ島沖での米原潜の緊急浮上によってえひめ丸が沈没し、乗組員に犠牲者が出たことを悼むと共に、米原潜の緊急浮上を断固として糾弾する。そういうことを平気でするアメリカの言いなりの日本政府・自衛隊を許してはならない。日本原基地撤去まで共に闘おう」と闘う決意を表明した。
つづいて大石弁護士が「毎年この日に日本原に来て、仕事を含め忙しい日常生活の中で忘れがちな人問の、そして闘いの原点に帰ることができる。国旗・国歌とどう向き合ってきたのか。憲法九条の理念は諸外国では世界の指標だと言われている。その九条の理念は戦争・武力の放棄は勿論のことだが、人間の思想の自由が含まれている。その思想の自由が権力によって奪われようとしている。このこととどう向き合っていくのかが問われていると、弁護士会の中で訴えている。人間が人として自由に生きる権利、良心にそって生きる権利が奪われようといている。共に力を結集して闘おう」と訴えた。
毎年東京から来られ、現地農民や闘う労働者を激励されつづけている「東京・日本原農民と連帯する会」の澤村代表は、『このように毎年闘う農民を支える集会を開催してくださる事を嬉しく思う。本日は二十一世紀初めての集会という意義のあるものだが、二十一世紀になっても自衛隊にこの地を奪われていることに特別の感慨を覚えます。戦時中の一九四二年から敗戦の年にかけて治安維持法違反という口実で多数の学者・インテリが検挙され、何人も獄中で虐殺がおこなわれるという『横浜事件』というものがある。ポツダム宣言を受け入れた以上、治安維持法など存在するはずもないのに、八月十五日の後に有罪判決が出されるという不当なことがおなわれ、それを巡って裁判がたたかわれている。この間、原告の人びとはほとんどの人が亡くなり、八十歳をとうに越した板井庄作さんという方だけが生きておられる。彼は『権力はわれわれの死をもって裁判を終わらそうとしてている』という。日本原の場合も同じことが言える。一九五三年に一万人が決起した闘いから今日まで鷲田の親父さん、内藤太さんご夫婦をはじめ多くの人びとが亡くなられた。「横浜事件」と同じように闘う農民たちが亡くなるのをじっと待つという卑劣な手段をとっている。鷲田の親父さんは「一人でも闘う農民がいる限り闘える」といわれていた。闘う農民がいる限り敗北はない、それは、その通りだけれど、闘いで勝利するためには、闘う農民の回りに、さらに広範な労働者・人民の連帯を創りださなければならない。それが二十一世紀初頭のお互いの課題とならなければならないと思う。一月二〇日にブッシュがアメリカ大統領に就任した。その新体制をみるとラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領、パウエル国務長官、ライス安保補佐官、アーミテージ国務次官補など国防族の大物が名前を連ねている。昨年十二月十五日に、民主党系と共和党系の軍事専門家が共同で『対日政策』の提言を行った。そこには『中国・北朝鮮』を仮想敵国とする『新冷戦』政策が提唱されている。さらに、日本に対しては「成熟したパートナー」という同盟関係も提唱されている。クリントンが昨年一月議会に提出した「新世紀のための国家保障戦略」の中の『二十一世紀の二五年までに大戦争が起こるとしたら中国、南北朝鮮、日本がつくる北東アジア』などと言っていることと重ね合わせてみれば、ブッシュは、より一層の軍事協力を求めてくるに違いない。結果、日本原における演習の強化へとつながる可能性も強い。気を引きしめて共に手をとりあって頑張りましょう」と連帯のあいさつをした。
つづいて現地農民・内藤秀之さんが、「二十一世紀の計はここにあり、二十一世紀を軍隊のない世界にするために力を合わせて頑張ろう。実射阻止行動、自主耕作、演習場内視察、学習会、交流会など色々な形の闘いが続くけれど頑張ろう。米軍の本土内での演習もたびたび行われているが、日本原のこの地では絶対にやらせない。共に闘いましょう」と訴えた。
『日本原から自衛隊は出て行け』大声コンテスト、集会アピール採択、美作地評岩本議長の閉会挨拶で集会は成功裏に終わり、『平和憲法の会・岡山』を中心にする有志七〇名は日本原駐屯地までの四キロ程の道程を、住民への訴えとシュプレヒコールを繰り返しながらデモ行進をした。
(岡山県通信員)
「教育改革国民会議」 最終報告のねらいについて批判するC
吉野 啓爾
前回は、「 の提案」の第二の柱である『才能を伸ばし、創造性に富む人間の育成』について批判し、提案のねらいは、子ども自身のためではなく、むしろ独占(企業)が「生き残る」ために「才能、創造性」が必要なのであり、その早期発見・早期育成を図るために、さらに「能カ主義」教育を徹底させることにあることを指摘した。今回は、第三の柱である『新しい時代に新しい学校づくりを』について批判・分析することとする。
『新しい時代に新しい学校づくりを』では、最初に「教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる」として、「顕著な効果を上げている教師に<特別手当>や表彰」、「効果的な授業ができないなどの教師には他職種への配置換えを命ずる措置を可能にする」ことにふれているが、要するに、まず学校現場に「能力給」方式を導入することを狙っている。
戦後間もない時期は管理職も教組組合員だったのが、一九六○年までに管理職手当が教頭に支給され、一九六四年にはILO条約批准に伴う国内法改悪により、校長・教頭の組合離脱が強行された。そして、一九七五年には、日教組は「一二・一○全国統一スト」を構え一大闘争を展開したものの「主任制」が制度化され、学校現場は徐々に分断され、管理体制が強化されていった。
そして、今度は「能力給」方式を導入し、一般教員をさらに差別・分断化し、管理統制を徹底しようとしているのである。実は、この方式は、既に東京において実施されている。
昨年四月から、東京都教委が強行実施した「人事考課制度」は、「新たなる勤務評定」と呼ばれ、その方法は、まず仕事の内容・学級運営等について個々の教員が自已評価を行い、さらに校長が校長の判断で勤務成績をランクづけし、都教委に報告し、その判定結果によって一時金などに一○%程度の格差をつけていくというものである。
この制度の導入によって、校長の権限はさらに強化され、一部の職場においては、職員会議での発言も「校長の顔色を窺いながら」発言する、あるいは発言が校長の判定に影響することを恐れ、極端に発言が減った(発言しないのが無難)という驚くべき実態が報告されている。そして、政府・文部科学省が何としても実施しようとしているのが「不適格教員」「指導力不足教員」制度である。人道的に許されない行為を行った教員などを教壇から退かせることをねらいとしているなどと弁明しているが、現段階では判定基準も極めて暖昧で、行政・校長による恣意的判断により、例えば、憲法・平和教育の熱心な教員に対して「偏向教育のレッテルはり」を行うなどして、「行政・校長の意にそぐわない」教員を排除することにもつながる危険性をもっている。 他職種への配置換えについては、「指導力不足の先生については、事務職員などに配置転換」するとされ、学校現場で働く事務職員から猛反発を食らっているが、当然のことである。
さらに「教師の採用にっいては、採用後の勤務状況の評価を重視」するとしているが、これは現在行われている「初任者研修制度」をさらに強化し、一年間を「研修期間」として「仮採用」期間とし、その間に初任者に対する研修・評価を徹底し(組合加入も認めない…)、一年後に「正式採用」するという方法が考えられているようだが、この制度が導入されれば、家庭・子どもがどんどん多様化し、学校現場ではそれに対応できる教員の多様な個性が求められているにもかかわらず、「行政・校長の意にかなうかどうか」のふるいにかけられた、恐ろしく「等質な」教職員集団が構成されていく可能性が高い。
次に、「地域の信頼に応える学校づくりを進める」と題して、「学校の情報公開」「学校の評価制度の導入、学校選択の幅の拡大」「学校評議員制度による学校運営」などについてふれているが、ここで問題なのは、まず学校の評価制度である。何を基準に評価するかという点については、おそらく学習指導要領にもとづく「学力」テストであろう。
実は、来年にも文部科学省による「全国的かつ総合的な学力調査」が実施されようとしているが、こうした「学力」テストの結果をもとに学校間の競争が始まり、学校の序列化が進行していく可能性が高い。そして、「学校選択の自由」が導入されることにより、「学校の自由化」が加速化し、小学校の段階から地域に学校格差が生じ、それらの学校が能力別・家庭の階層別に仕分けされ、極めて同質の子ども・家庭で構成される学校が生み出され、「共生・共学」の意識が全く育たない状況に陥る可能性すら憂慮される。
また、「学校評議員制度」については、既に多くの県において導入されているが、この制度の問題点は、まず「評議員の選択」にある。評議員については校長が依頼する権限をもつ、つまり校長の価値観に見合う「地域の有志」が直接、学校運営に関わって意見を述べ、校長権限をさらに援護射撃するべく役割を担う制度なのである。「地域に開かれた学校」といえば聞こえがいいが、学校評議員を媒介として、学校を中心にコミュニティを再編成していく意図があることも見抜く必要がある。
その顕著な例が、「日の丸・君が代」強制である。まず、学校現場で「掲揚・斉唱」を強行し、そして「義務規定がない」にもかかわらず、地域にもチラシなどで啓蒙していくという動きが全国各地で出てきている。
「学校評議員制度」の導入によって、学校現場は、学校管理規則の改悪で職員会議も諮問機関化され、校長権限は強化される一方で、直接子どもたちの教育に携わっている教職員の声はさらに軽視され、さらには「組織マネジメントの発想を導入」することにより、民間企業と同様に、校長による「独裁的な学校経営」が横行する極めて非民主的な体質を有する場に変質させられようとしているのである。
さらに、「学級編成は、教科や学年の特性に応じて」と述べられているが、既に指摘した「個性を伸ばす教育システム」にあてはめると、エリート組とそうでない組とに能力別に学級を編成し、エリート養成の効率性を高めることが狙われていることは明らかである。 また、「コミュニティ・スクール設置の促進」について言及しているが、これは明らかに「学校の民営化」「学校間競争の激化」につながり、能力による差別・分断に拍車をかけることは疑いない。
以上、分析してきたように、「新しい時代に新しい学校づくりを」においては、学校現場に企業の論理(能力主義・差別賃金など)を導入し、校長権限の強化・拡大を図ることによりさらなる管理統制を徹底すること、そして、競争原理にもとづきエリート養成を効率的に行い、さらには学校を媒介にして地域にナショナリズムを浸透させていくことを可能にする「新しい学校づくり」を狙っていることは明らかである。
次回は、全国各地で仕掛けられている「先取り」攻撃と、この「最終報告」の最大の狙いともいえる「教育基本法の改悪」の意図について分析していくこととしたい。
(つづく)
女性財団廃止・ウィメンズプラザ直営化方針に反対する緊急集会に参加して
二月十二日、東京都内にあるウィメンズプラザにおいて、同緊急集会実行委員会の主催で多くの女性活動家を中心に、幅広い利用者約二〇〇名が参加して開かれた。
都財政が逼迫しているということは、石原慎太郎都政になってから、よりいっそう強調されるようになった。九九年末には「東京の問題を考える懇談会・外廓団体専門部会」が発足し、東京都監理団体総点検のための指針がうちだされた。
つまり都が財政を出している団体の経営状態をチェックし、「採算」のとれない事業は統合・廃止をするという行政リストラである。だがしかし、「外郭団体専門部会」の最終報告においては、六二団体ある中で廃止されるのは女性財団を含めて二団体のみ。あと十五団体は統合への提言がされているが、ここに至る議論は非公開とされ、一般都民は知るよしもない。
実行委員会や、他のさまざまな女性団体が都側の説明を求めたが、管轄の生活文化局の対応は、財政難のため都直営で事業を継続する、女性政策を後退させないとの答えに終始するだけで、納得のいく答えが得られなかった。
都側のいう財政難という点についていえば、女性財団ひとつを廃止することで削減されるのは、財政ベースで七千万円程度である。会場からの意見でも、防災の日に銀座に戦車を走らせた訓練には、数時間で三億円も使ったことの比には及ばないとの声もあがった。 また石原知事の外廓団体に対する施政方針の中でも「もはや存続させる意義を失った団体は躊躇なく統合する」と述べられているが、昨年、東京都男女平等参画基本条令が施行され、男女平等への法的整備が進んできたため、もう財団の役割は終わったという認識には、会場内からもさまざまな反論や疑問が投げかけられた。これらは、教科書の慰安婦記載に反対するような人びとによる女性運動の封じこめを狙った動きと連動しているのではないかという指摘もあった。
女性の権利をかちとる運動はまだまだはじまったばかりである。
法律や条令ができたからといって、いままでの蓄積を踏みにじって、行政主導の女性政策がすすむとは思えない。
三月からは都議会が開かれる。集会は最後に、女性財団の廃止を阻止し、財政獲得をめざして頑張ろうという決議をした。
(東京通信員)
複眼単眼
川端治、山川暁夫、そして「国権と民権」論文集
去年の二月十二日、山川暁夫さんが突然、亡くなった。しかし、ある意味では「突然」ということでもない。いつも心臓の不調に見舞われているのは、まわりの者はよく知っていた。それでも山川さんは民衆の解放のための闘いの道をひたすら走りつづけた。数年前の年賀状には「虎視牛歩」などと書いておきながら、山川さんは「虎視彪走」をつづけていた。それが山川さんの寿命を縮めることになったのは明らかだ。
あれから一年、こんど「山川暁夫、この一冊」とでもいうべき「論文集『国権と民権』 山川暁夫=川端治論文集」(緑風出版・定価六千円)が有志の手で編纂された。
本紙の読者には「川端治って誰?」と思う人も少なくないだろう。
川端治は六〇年代から七〇年代初頭にかけて、民衆闘争の先頭で活躍した新進気鋭の政治・軍事問題評論家であり、多くの人びと、とくに青年たちの闘いに大きな影響を与えた名前だ。
それが共産党の「新日和見主義事件」(ほんとに妙な事件名だが)以降、プツンと消えて、数年後、また人びとの前に気鋭のジャーナリスト山川暁夫が突然に登場する。
以来、山川暁夫は舌鋒するどく権力を批判し、民衆を励ましながら闘いの道を示し、革命のための新しい党論の構築と党建設をかたりつづけた。これはわれらがヤマさんだ。
このふたつの名(ほかにもいろいろあるのだが)はいずれも山田昭の筆名だ。今回の論文集の名前は実にいいと思う。山川さんは明治期の秩父の農民蜂起についても深く研究していて、それとの関係でよく「国権と民権」を論じた。
いまとなっては赤面の至りだが、私はある日の議論の際に、山川さんに「国権と民権などと古い言葉をつかわないほうがいい」などとと言って突っ掛かったことがある。その時、山川さんはとくに反論をしなかった。でもちょっと悲しい顔をしたように思っている。
しかし、「国権と民権」、これこそ今日の政治のあり方を問うべきひとつのすぐれて有効な切り口だと、いまはこころから思う。
二段組五百頁を超える論文集は、これまで単行本に収録されなかった論文を中心に、七〇年〜七二年(第一部)、七三年〜八三年(第二部)、八四年〜九一年(第三部)、九三年〜九九年(第四部)に分けて編集されている。それに年譜と膨大な著作目録がついている。もし、山川暁夫全集が作られるとしたら、何巻になるのだろうか。恐ろしいほどの分量だ。
編者の一人である斉藤邦泰さんはある文章で次のように語っている。
「時系列を追って、掲載順に読んでいけば、それはほぼそのまま、個性的な日本政治史、あるいは絶えず在野でありつづけ、批判者でありつづけた者にしてはじめて書くことができた現代史の記録とでもいうべきものになっています。あるいは、第二部冒頭の『新大西洋憲章と統合帝国主義論』を総論とし、沖縄、日韓、ベトナム、中東、政治腐敗……等を各論とし、『革命運動理論の再定義』」を終章とする『現代世界と切り結ぼうとしている人びとのためのテキスト』として読むことができるかも知れません」と。(論文集は人民新報社でもとり扱います) (T)