人民新報 ・ 第1017号  (2001年3月15日)    

                               目次

● 政治の「大崩壊現象」の中で喧伝される  首相公選論のまやかしと闘おう

● 憲法改悪反対の大きな共同行動へ  5.3憲法集会(東京)の準備すすむ

● 大切なのは、互いに知り合い、助け合うこと
    リストラは人間と社会を破壊する それに労働者は立ちむかう!

 資料
 
  解雇制限法の制定などを求めて 春の全国キャンペーンのよびかけ

● 闘う闘争団激励・交流集会

 闘う闘争団がニュースを発行

● 職場通信 労働強化と退職強要が横行 ― 郵政事業庁になって

 「教育改革国民会議」 最終報告のねらいについて批判するD          吉野 啓爾

 都民集会・石原都政でいいの? 差別を助長し、デマをふりまく石原都知事

● 図書紹介
   現代を読み解き、二十一世紀革命の展望を探る 『国権と民権』山川暁夫=川端治論文集

● 複眼単眼
    文化遺産 アフガンのタリバンと織田信長と

● 参考資料
    中国の情報戦争理論と実践 A  コソボ情報戦争についての中国の解釈



   


政治の「大崩壊現象」の中で喧伝される
                 首相公選論のまやかしと闘おう


 産経新聞の久保紘之編集特別委員の次のような危機感の表明は、支配層総体に共通するものだろう。
 「現在は、ロッキード事件当時よりもはるかにスケールの大きな大破局状況に立ち至っているといえるだろう。それはバブル破裂以降の金融・市場経済の『信頼の基盤』の崩壊に始まり、大蔵省、警察、そして外務省と連鎖反応的に総崩れしつつある官僚システムの『信頼の基盤』、さらには首相の統治能力はいうに及ばず、政党政治そのものの急速な地盤沈下。この“日本沈没”を思わせる『大崩壊現象』のただ中……」
 森首相の事実上の退陣表明が行われたというが、森はいまだ首相の座に居座りつづけている。久保に言われるまでもなく、この内閣はまったく腐敗している。森喜朗だけの問題ではない。自公保連立政府総体の腐敗と無責任体制なのだ。支配階級自らの目前の利害で動くだけで、「あとは野となれ、山となれ」そのものだ。八日の予算委員会では宮沢財務相が「国の財政は、いま非常な、やや破局に近い状況だ」などと平然と発言する。実に無責任の極みだ。このでたらめな内閣が改憲を語り、有事法制の具体化を語っているのは許し難いことだ。
 一方、こうした「大破局状況」のなかで「首相公選論」による改憲論が勢いを増してきている。
 三月七日の参議院憲法調査会では、参考人に招かれた小林節・慶大教授が「(首相公選を)一度やってみればいい。『なぜあの人が首相でないといけないのか。われわれの声を代弁していない』というフラストレーションが国民にたまっている」と述べたし、八日の衆議院憲法調査会では、孫正義・ソフトバンク社長が「特定の人がリーダーを選ぶのではなく、電子投票で国民の声を直接反映した大統領制(あるいは首相公選)を導入するべきだ」と発言した。
 最近は両院の憲法調査会では民主党や公明党の委員たちから、繰り返し「首相公選制の実現のための改憲の必要性」が語られている。
 これらは現在進められている九条二項にターゲットを絞った改憲論の本流ではないが、総体として改憲への雰囲気を作り出していく上で重要な役割を果たしている。
 首相公選論は六十年代の中曽根康弘の提唱以来、古くからあるが、最近のそれは民衆の森自・公・保内閣への極度の不信感を前提としている点に特徴がある。  九三年には山崎拓らYKKを含む七十数名によって「首相公選制を考える国会議員の会」が結成され、九六年に発足した旧民主党は「首相公選制」をかかげた。九九年末の文芸春秋で鳩山由紀夫が改憲論を展開したなかでも「首相公選」が唱えられており、現在の民主党も大半が首相公選論者だ。創価学会の池田大作名誉会長も、一九九九年に首相公選論を述べたが、本紙二月五日号が指摘したように、あらためて本年年頭にそれを展開した。これらに勢いを得て中曽根康弘元首相も最近、繰り返し首相公選論を提唱している。さらに一部では「首相公選の会」なども作られており、市民運動としての首相公選論の展開もこころみられている。
 これらの改憲論者はまさに「転んでもただでは起きない」連中で、森政権への民衆の不信を逆手にとって、改憲風を吹かせようとしているのだ。
 あたかも「首相公選」は民主主義の実現・強化に通じるかのような宣伝が、いま行われている。 しかし、首相公選論者の真のねらいは強力な危機管理能力をもった首相の実現にあり、それはこの間、行革と称して中央省庁再編を強行しながら支配層が狙ってきた首相権限の強化と同様だ。これは中曽根の主張に見られるように、象徴天皇制のもとでの大統領的首相の実現を目的としており、それによって民主主義は前進するどころか、逆に強権的な支配が登場することになる。日本の「三権分立」はそれ自体がまやかしであるという議論はさておいても、これまででも行政府の権限が強すぎると言われてきたのであり、「公選首相」の下で国会はますます形骸化されていくに違いない。
 「国民自身がトップリーダーを選ぶ」という耳障りのよいうたい文句に隠れて進められようとしている強権政治と、憲法改悪のための「首相公選論」を徹底して暴露しなければならない。



憲法改悪反対の大きな共同行動へ
        5.3憲法集会(東京)の準備すすむ


 今年の五月三日の憲法記念日にできるだけ広範な人びとを結集して「生かそう憲法、高くかかげよう第9条 2001年5・3憲法集会」を開催するための第二回実行委員会が、三月六日午後六時半から東京の文京シビックセンターで開かれた。
 この日の実行委員会の会議には憲法関係の市民団体、平和団体、労働団体などさまざまな分野の約四十団体から六十数名の代表が参加した。
 司会は「憲法を生かす会」の筑紫事務局長と「憲法会議」傘下の田中全労連副議長が行い、開会のあいさつを「キリスト者平和ネットワーク」の小河事務局長が行った。
 小河氏は「五月三日に向けて、たくさんの人びとの協力で憲法九条を守る運動が進められている。二十一世紀に残された課題、とりわけアジアの人びととの和解と共生をかならず実現できるように奮闘したい」とあいさつした。
 つづいて国会の憲法調査会の報告として春名衆議院議員が報告し、質疑応答が行われた。
 春名議員は「二十一世紀の日本のあるべき姿を議論することで改憲派は憲法を古くなったと言おうとしているが、憲法をよくよめばこれらの問題でもますます憲法が導きの糸となることがあきらかになる」と報告し、「近く開催される地方公聴会も憲法を守るうねりの一環としたい」と報告した。質疑ではこの「地方公聴会」の位置づけへの疑問もだされた。この地方公聴会をめぐっては、先ごろ開かれた憲法調査会で、その開催の是非をめぐって同調査会では初めての起立採決が行われ、共産党は賛成し、社民党が反対したという経過がある。
 実行委員会に対する事務局からの報告と提案は「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田事務局次長が行った。
 すでに各界からの賛同者が二四〇人を越え、賛同金は四十数万になったこと。当日のスピーチに評論家の加藤周一さんと作家の澤地久枝さんを予定し、また社民党と共産党の代表らの発言が予定されていること。文化行事としては東京フィルハーモニー交響楽団員によるチェロの演奏と、中高大学生によるミュージカルなどが決まったことなどが報告された。
 また実行委員会としての記者会見の予定や、実行委員会統一宣伝行動、次回の実行委員会の開催なども提起され、以降、宣伝と参加者の確保に全力を注いでいくことが強調された。
 討議のあと提案が承認され、「平和憲法  世紀の会」の中小路清雄さんが閉会のあいさつを行い、「画期的なこの集会を成功させるために協力しよう」と語った。■

 「生かそう憲法、高くかかげよう第9条 2001年5・3憲法集会」
 日時・五月三日午後一時
 会場・日比谷公会堂
 参加費は無料
 集会のあと銀座パレード
 主催・実行委員会




大切なのは、互いに知り合い、助け合うこと
    リストラは人間と社会を破壊する それに労働者は立ちむかう!


三月十日、東京・ハーモニーホールで「共同シンポジウム リストラは人間と社会を破壊する 二〇〇一年春、労働者は立ちむかう!」(主催・実行委員会)が開かれた。
 現在、非正規労働者の数は急速に拡大している。全労働者に占めるパート、アルバイト、派遣などの非正規労働者は、この十年で一九・二%から二七%に拡大している。女性労働者では、約五〇%すなわち二人に一人が非正規労働者となっている。非正規労働者の急増は、九五年以来顕著であるが、それは日経連の「新時代の『日本的経営』」方針のでた年であり、その後、九七年の独占禁止法の改定、産業再生法、民事再生法、会社分割法などのさまざまな規制緩和法制によって法的に支えられ、労働者にとっては、労働基準法や労働者派遣法などの改悪が、労働者の生活と権利をおおきく後退させるものとなった。いまこそ、倒産に負けない闘い、パート、派遣、有期雇用労働者などの権利拡大の闘い、均等待遇を求める女性労働者の闘いなどが大きく合流して、労働運動全体に衝撃を与え、リストラ・雇用破壊への反撃をつくり出すべき時である。

社会的規制をつくりだす

 主催者を代表して平賀勇次郎さん(全国一般労組東京南部)が次のような問題提起をおこなった。
 この十年は、経済のグローバル化とリストラによって、日本社会の一つの柱であった日本型企業社会の崩壊が進んだ。雇用柔軟化・非正規労働者の拡大のため、政府・資本の政策や法制度の改悪・再編が強行され、その結果は、労働時間規制があいまいとなり、命をすり減らすようなサービス残業の横行となった。こうした状況の中で開かれる今日のシンポジウムは、非正規労働者、中小企業労働者の現実から闘いを作り上げてきた人びとから問題提起を受け、いままでの労働運動がなかなか手をつけられなかったパート、派遣、有期契約、自主生産など労働社会を構成する具体的な一つひとつの要素・分節で必要な規制を加え権利を確立する運動などが、互いに知り合い、助け合うことを通じて、ひとつひとつの取り組みを横につなげて社会的な基準として練り上げていくためのものだ。

多方面からの問題提起

 つづいてのパネルディスカッションでは、四人のパネリストがそれぞれのテーマで問題提起を行った。
 二〇〇〇年均等待遇キャンペーンの酒井和子さん(均等待遇・同一価値労働同一賃金と間接差別)、派遣労働者ネットワークの関根秀一郎さん(改正派遣法と派遣労働者の権利状況)、日本労働弁護団の鴨田哲郎弁護士(非正規雇用労働者の権利と法律問題)、埼京ユニオンの川野辺勇次さん(失業時代の労働者の自立と自主生産)が発言した。
 酒井さんは、パート法を改正し「均等待遇」を明記させるキャンペーンでは、同一価値労働同一賃金を実現させること、間接差別を是正させることを目的としていていたが、今後は間接差別問題を労働組合自身の課題にすることを強調した。
 関根さんは、今後の派遣法の改正では、違法な状態で派遣労働者を受け入れた派遣先の企業の雇用責任がポイントとなると述べた。
 鴨田弁護士は、いま論議中の司法改革では裁判費用の敗訴者負担まででているが、労使の力関係の差のある労働裁判は除外という動きに経営側の経営法曹会が反対の動きをしていることを批判した。
 川野辺さんは、倒産させられたカメラのニシダの自主生産活動について紹介した。

会場からの発言

 会場からは、カンタス航空客室乗務員組合の裁判闘争、日本インドネシアNGOネットワークによる外国人研修制度の問題点、東京労働安全衛生センターなどからの報告などがあった。■



 資料
 
解雇制限法の制定などを求めて 春の全国キャンペーンのよびかけ

 中小労組政策ネットワークは、「リストラは人間と社会を破壊する」をスローガンとする「二〇〇一年春の全国キャンペーン」を呼びかけている。
 キャンペーンは、中央段階では政府・厚生労働省、地方段階では各労働基準局、職業安定局、職業能力開発局、社会保険庁地方局などに対する要請行動を行う。
 中央交渉(政府・厚生労働省)では、@解雇制限法の制定要求、A四月一日実施の改正雇用保険法の是正要求(六十歳定年退職に伴う失業給付日数の削減<三〇〇日↓一八〇日>を原状回復すること)、B外国人労働者および外国人研修生・技能実習生の権利確立、C非正規雇用労働者の権利確立、D国際会計基準導入による退職金制度の改正で不利益変更にならないよう指導すること、E個別労使紛争システムについて、労働相談活動を行っている合同労組、中小ユニオンの果たしている役割を認識し、相談活動を阻害しないこと、を要請する。
 また、各級議会へは、ILO九四号条約(公契約における労働条項に関する条約)、一五八号条約(使用者の発意による雇用の終了に関する条約)、一七五号条約(パート労働に関する条約)の批准決議の請願が行なわれる。
 行動スケジュールでは、東海道キャラバン(四月五日大阪出発)、北関東キャラバン(四月三日宇都宮出発)のルートが取り組まれ、各ブロックでの行動を並行させながら、四月十二日には中央行動を取り組み、厚生労働省や経団連などへの行動、スト決起集会、そして夕刻には中央集会(会場・社会文化会館)や国会デモが予定されている。
 なお、三月二十五日正午から二十四時間にわたって、「若者、フリータ、非正規雇用   時間ホットライン」も取り組まれる。■



 闘う闘争団激励・交流集会


 国労大会は、四党合意を承認した。しかし、解雇撤回・JR復帰を闘う闘争団(「闘う闘争団」)は、闘い続けている。
 三月一日には、「闘う闘争団激励・交流集会」がシニアワーク東京で開催された。 
 集会でははじめに「戒厳令下の国労大会」(ビデオプレス制作)がビデオ上映された。一月二十七日の四党合意が強行されたあの歴史的な第六十七回続開大会の異常さがビデオに映し出される。国労右派に対する怒りがこみ上げると共に闘いの決意がみなぎる。
 「闘う闘争団」代表の一人である内田泰博さん(旭川闘争団)は、ILO理事会に代表を派遣して直接訴え、また国内世論を高めるための全国キャラバンなどの行動を起こす。こうした闘いのために事務所を東京に開設する。そして、ニュースの発行やホームページの開設、JR東日本本社前行動などを展開していくと闘う決意を述べた。■



闘う闘争団がニュースを発行

 「闘う闘争団ニュース」の第一号が三月七日に発行された。
 ニュースは、「当事者である闘争団・家族を始め国労組合員や支援者の理解を求めることなく、続開大会は機動隊まで導入して『四党合意』の承認を一方的に強行しました。私たちは自らの意思で政府・JRの不当労働行為責任を求めて引き続き闘い続けます」と闘争継続の決意を述べている。
 また、「三月六日には日本政府の事実誤認の追加文書に対抗する追加資料を携え、闘争団二名を含む五名のチームをジュネーブ(ILO)に派遣しました。派遣団の帰国後の今月末には、報告集会も予定しています」と新たなILO闘争の開始を報じている。
 「闘う闘争団ニュース」の編集委員会は、、FAX03-3805-4068、eメールは、iwasakimatsuo@livedoor.com



職場通信

労働強化と退職強要が横行 ― 郵政事業庁になって


郵政事業庁になって早二ヶ月が経過した。
 意識しなければ、郵政省がなくなって総務庁になっただけといえるが、しかし、変化は少しづつ、否、大きくなっているのが現実である。
 私の局では九時になって局の入り口はシャターを上げる際、今までは窓口の職員だけで利用客を迎えていたのが、全課職員交替で「お迎え」をおこなわせはじめた。とくに集配課は毎日班替わりで出勤者の半数以上が並ばされている。業務に支障があるといっても聞き入れず今も続けられている。
 某局では営業のミーティングでやらせている。その他にも、交通事故や誤配について本人に話したり、果ては髪・ひげ・つめの検査をお互いにやらせる始末である。やらせる当局も当局だが、黙ってやっている人、やるのを黙認している組合も問題である。
 そんな中、最近できた新某局で自殺者が出た。新局に人事交流で配転させられた人なのだが、仕事中発作的に四階から飛び降りたという事だ。自殺の原因は同僚からのイジメだというらしい。彼は前局では勤務時間を守って仕事をしていた。当たり前と言えばそれまでだが。
 ところが新局では仕事量が多く、勤務時間を守らず昼休みも仕事をしている職員が大多数であるという(残念ながら私の局でも例外ではない)。彼は前局でやっていた通り昼休みをきちんと守り、当然のことをしていた。
 だがそうすると仕事の進み具合が遅くなり何らかの影響を同僚に与えていたのかもしれない。そのことでかなり文句を言われていたという。彼は前局では役職についていたが、精神的にノイローゼ寸前の状態になってしまったので、降格願いを出して一般職員となった。
 そういった矢先「みせしめ」かどうかはわからないが、新局に飛ばされてしまった。つらい思いをしながらもがんばってきたが、とうとう耐えきれなくなってしまったのだろうか。
 勤務時間を守らないのは、自分で自分の首を絞めているだけだが、一方でそういう実態があり、現実なのである。しかしだからといって、時間をきちんと守り、それによって仕事が遅くなっても、文句を言われることではないはずだ。その張本人は責任をとるべきだが、その状況を知らんふりしていた当局、組合も同罪である。
 今、公社化に向けて「赤字をなんとかしなければ民営化だ。そんな仕事をしていると公社に行けない。行かせないぞ」と当局は私たちを脅しつけている。赤字を作っているのは私たちではない。そう言えば今年どのくらいの局が対象か知らないが、職員通用口をオートロックにするという。防犯上ということが理由だそうだが、入る場所はたくさんあり、全く意味のない改修である。こんなことをする金があるなら、赤字というのはウソだ。私たちのボーナスアップも賃上げもできるはずだ。
 公社へは改革基本法三十三条で国家公務員の身分が保障され、全員行くことができるが、問題はその後である。公社は自由に定員を変えることができる。人事部長が入る。「三十万人を二十万人にする」と。
 今後の人減らしに管理者による退職強要が横行するだろう。強制配転による自主退職、職員間の激しい生き残り競争が始まるだろう。管理者とて例外ではない。郵政版バトルロワイヤルだ。反マル生闘争はそういうことに反対して闘ったのに、隔世の感がある。
 その時、私はどうなっているだろうか。私は今も、これからも労働者として当たり前の仕事をし、当たり前のことを主張行くつもりなのだが……。
                                       (埼玉・郵政労働者)■



「教育改革国民会議」 最終報告のねらいについて批判するD
    
                                    吉野 啓爾


この小論の最終回となる今回はこの「最終報告」の最大の狙いともいえる「教育基本法の改悪」の意図について分析し、その具体化に向けて、既に全国各地で仕掛けられている「地ならし」的な攻撃についてふれ、これらの攻撃に対する反撃のための圧倒的な大衆運動の喚起を提起することとしたい。

 「最終報告」の最終章においては、まず「教育振興基本計画の策定」について述べている。基本計画の視点は@人間性豊かな日本人の育成の視点、A創造性に富む人間やリーダーの育成の視点、B新しい学校づくりの視点、Cグローバル化に対応した視点の四つから構成されているが、要するに、これまで述べてきた「国家主義」教育のさらなる徹底、エリートの早期育成・効率的な能力主義教育、教職員・生徒に対する懲罰を含めた管理統制の強化・徹底などについて「基本計画」として位置づけたものである。
 文部科学省は一月二五日に「21世紀教育新生プラン 学校、家庭、地域の新生〜学校が良くなる、教育が変わる〜」を発表したが、このプランはまさに「最終報告」の具体化プランに他ならず、「小中学校で二週間、高校で一ヶ月間の奉仕活動の義務化」「問題を起こす児童生徒に対する出席停止の措置」「能力別学級編成を可能にする定数『改善』」「大学入学年齢制限(十七歳)の撤廃」「高校通学区域の弾力化」「指導力不足・不適格教員の異動」「校長権限の拡大・強化、二人教頭制」などについて策定した。そして今通常国会において政府として教育関連六法案を提出し、「最終報告」の具体化に向けて矢継ぎ早の攻勢を仕掛けてきている。
 その最大のねらいは、政府・自民党のねらい、独占の要請にとってまさに「目の上のたんこぶ」である教育基本法「改正」にある。つまり、「最終報告」の内容を具体化することによって、「教育基本法は、実態にそぐわない」という既成事実を積み上げ、中央教育審議会(中教審)に諮問している「教育基本法の見直し」について、「憲法問題にも関わるので慎重に論議する」としている現在の姿勢を、「改正は、実態に則して当然である」と転換させ、教育基本法を改悪することにあり、そしてさらには憲法改悪をねらっているということを見抜かなけれぱならない。
 一方、現場段階においてはこうした政策・施策をスムーズに具体化するための「地ならし」ともいえる攻撃が全国各地で仕掛けられてきている。一つは「日の丸・君が代」強制の攻撃である。なぜ、権カが「日の丸・君が代」の実施率に固執するのか? それは「日の丸・君が代」強制反対の闘い(阻止率)が、組合組織の闘争力量を推し量る格好のバロメーターであることを権力側が熟知しているからである。突際に学校現場でいえば、日常の職場闘争なくして「日の丸・君が代」を排除することはほとんど不可能であり、職場での闘いが組織できない職場においては「日の丸・君が代、反対」の声すらあげられないという状況になってきているのである。
 また組合組織の闘争カ量の低下をねらっているので、当然、行政は強硬な手段を使ってくる。広島では「『日の丸』を掲揚し、『君が代』を斉唱せよとの職務命令」を発し、それに従わない(従えない)校長の懲戒処分を行った。また北海遣においては「君が代」の一方的な導入に抗議して式場から退席した北海遣教組の職場分会代表を処分した。同じく札幌市においては政令指定都市の中で最も実施率が低いことを理由に、産経新聞が一大キャンペーンをはり、市教委が校長に対して、広島と同様の「職務命令」を発している。さらに、東京や神奈川においては「君が代」演奏を拒否した教員を懲戒処分、そして国立においてはここでも産経が「偏向教育」キャンペーンをはり、「ピースリボン」を着用して卒業式に参加しただけの教員を処分(懲戒処分を含めて)した。つまり「処分」という強権をもって、そして国立でそうであったように右翼による「脅迫」をも利用し、「何が何でも『日の丸・君が代』の実施率を一〇〇%にする」ために、教育労働者の「思想・良心の自由」を一切認めず、なりふりかまわぬ攻撃を加えてきているのである。同時に「子どものため」(と行政・校長は言う)といいながら、実際には、本来なら卒・入学式の主人公であるはずの子どもたちの人権(意見表明権など)も全く無視されている状況なのである……。そして、残念ながら権力側の思惑通り、組合組織の闘争に大きな打撃を与えてきている事実は否めない。しかし、一方では国立のように、これまで主に学校現場の中だけで行われていた「闘い」が、市民レベルの「闘い」へと広がりを見せてきているという事実も指摘しておきたい。
 次に、大きな攻撃の二つ目はいわゆる「既得権の剥奪」攻撃、すなわち組合組織の「武器」ともいえる権利を奪うための攻撃があげられる。例えば広島や三重においては労使で合意していた、教組役員らの勤務時間中の組合活動を槍玉にあげ、広島では実態についての「報告書」をあげなかった教職員に対して「処分」を行うと脅し、三重では勤務時間中に組合活動を行った時間分の「賃金払戻」の攻勢をかけてきた。また神奈川においては組合主催の研究会への参加を校長が認めない、あるいは「年休」での参加を強要してくる、というように、労使で合意していた確認を一方的に反故にする攻撃が仕掛けられてきている。そして北海道においては、本紙にも掲載された「思想調査」ともいえる「北海道の教育に関する実態調査」に引き続き、今まさに「四六協定」(協定書)破棄の攻撃がかけられている。三月九日現在、地元紙によると北海道教組組合員は「協定」破棄の「撤回」を要求し、連日、北海遭教委庁舎に「座り込み」行動を展開していると報道されている。
 今述べた事例は一部であるが、いずれも日教組傘下の単組の中では、組織率も高く、比較的「強い」と言われてきた県教組が集中的に攻撃を受けていることに注目する必要がある。つまり「教育改革国民会議」最終報告の具体化政策・施策がスムーズに展開されにくい地域を中心に、的を絞って攻撃してきているのである。
 現在、「行き過ぎた平等主義が日本の教育を腐敗させた」とする町村文部科学大臣を筆頭に、白民党議員、右翼の一部、校長会幹部に動員をかけ、さらにPTA組織も巻き込んだ「教育改革フォーラム」を全国各地で開催し、「最終報告」の内容を宣伝・流布している。
 紆余曲折はありながらも、「平和主義」の浸透に一定の役割を果たしてきたわが国の教育を、再び「戦争の道具」にしてはならない。そのためにも、教育関連六法案を廃案に追い込み、さらには教育基本法の改悪を阻止しなければならない。われわれは今こそ、この「教育改革国民会議」最終報告の危険極まりない意図を見抜き、労働運動と市民運動の連帯を図り、「憲法・教育基本法改悪反対」の圧倒的な大衆運動を形成し、反撃していかなければならない。
                                            (おわり)■



都民集会・石原都政でいいの? 差別を助長し、デマをふりまく石原都知事

二月二十四日、東京の板橋区立産文ホールで「石原都政でいいの?2・11  都民集会」が二百三十人の参加で開かれた。
 開会あいさつは菊地洋子さん(アイム東京都教育労働者組合)が、「板橋区選出の土屋都議に教師は苦しめられている。ひたひたとファシズムの影が見えかくれする日々だ。土屋都議は石原を支持、絶賛するが、本当はどうなのか今日の集会で問題点を明らかにしていきたい」と述べた。
 続いて集会実行委員を代表して高橋正憲さん(社民党板橋区議)が、「三国人は戦前、戦後、差別用語として使われていた、いかに石原が時代錯誤しているか。また、防災訓練は石原が就任してから一変した。自衛隊を動員してやったことに大きな問題がある。今日の集会を契機に、新しい流れを作っていきたい」と挨拶した。
 次に学校現場からの訴えが増田都子さん(東京と学校ユニオン委員長)と、古川友章さん(アイム東京教育労働者組合副委員長)の二人から行われたあと、辛淑玉さん(人材育成コンサルタント)による講演に移った。
 辛さんは「自分が大臣のときには何もやらなかった石原は『政府が何もやらないから日本は一〇年遅れている』と言い、『東京から政治を変える』と言っている。彼は羽田空港の国際化を言い出すなど土建業界の裏ボス的存在でもある。また、先日の新大久保駅のホームから酔って線路に落ちた男性を助けようとして死んでしまった一人の韓国人留学生を価値ある人と誉め讃えた。亡くなった三つの命に格差がつけられ、日本人のために命を投げうった人は価値があり良い人と言うことだ。これは天皇に近い順から階級をつくっていく事につながっているのではないか。一方、酔って死んだ男性は無視され、彼に追悼のコメント出した政治家は一人もいなかった。何故、地方出の工事現場で働く男性が、駅の売店で買うまでして酒を飲まなければならなかったのか、と考える人がいなかったのだろうか。『在日外国人に犯罪者が多い』という石原は『府中刑務所の受刑者二千人中四百人は外国人だ』と言うが、ここにしか通訳を置いていないのだから当然のことだ。石原は『いじめっこといじめられっこがいるいじめっこをつくるの教育だ』と言う。かつてヒトラーはジプシー、不法入国者、傷害者、ユダヤ人、金融業者、社会主義者、共産主義者を差別して徹底的に叩いた。石原のやっている事はまさにそれだ。いま、差別の嵐が吹いている。こういう知事を支持する日本人は問題だ。石原の支持率は七〇%と言われている。私たちあとの三〇%としっかり手を結んでいこう。こんなに嵐が吹き荒れているが、私は負ける闘いではないと思っている。国際社会が支持してくれる。次の都知事選までの二年のうちが勝負だ。私たちの力で変えよう。」と結んだ。
 二人目の講師の橘幸英さん(東京都職員労働組合書記長)は、「役員として職場内にしか目が行かないという事を反省しなければならない。今日のような集会は大切だ。労組の役員として威張っているのではなく、地域ユニオンスタイルの組合に学ぶところがあると思う。地域の人々の気持ちを理解する努力が必要だ」と話した。このあと地元の争議組合で闘っている人たちや、「日の丸・君が代」の強制に反対して闘っている人たちからの報告がされ交流の場が持たれた。
 最後に、集会アピールが採択され、閉会のあいさつでは西川進さん(実行委員会代表委員)が「石原都政を変えていくために引き続き運動を発展的に取り組んでいきたい」と述べた。
                                          (東京通信員)■



図書紹介

  現代を読み解き、二十一世紀革命の展望を探る
   『国権と民権』山川暁夫=川端治論文集
          
 緑風出版・A5版上製四九六頁、定価六〇〇〇円+税

                                        
斉藤吾郎

革命の現代史としての意義を有する論文集

 この「山川暁夫=川端治論文集」は、わが労働者社会主義同盟の議長であった山川暁夫さんの、多数の単行本には収録されていない著作の中から代表的なものを選び、年代順に収録したものである。
 川端治の署名になる論文は山川さんが日本共産党員の時代の論文(本書第一部・一九七〇〜七二年)で、山川暁夫の署名の論文は共産党離党後の活動の再開・復活の時期(第二部・七三〜八三年)から、新たな革命政党建設のための努力をつづける過程(第三部・八四〜九一年、第四部・九三〜九九年)で書かれた論文である。
 巻末に所収した「年譜・著作目録」は、多方面にわたる山川さんの活動の業績を網羅しようとして、できるだけ各方面に目配りして集めたものではあるが、収録できなかったものも少なからずある。
 例えば山川さんが革命政党建設のための困難な闘いの先頭にたって、身を削りながらそれらの発行物(「建党」誌、「協働」誌、「人民新報」など)に無署名で書いた政治的諸論文などは収録されていない。山川さんの晩年の十余年はほとんどその執筆のために費やされたといってもよいほどである。今回の目録ではそれらの論文は外してある。
 にもかかわらず、この目録は単なる資料ではなく、現代史を考える上で有効な読み物となっている。山川さんの七二年の人生は民衆解放のための闘いの人生であり、それはそのまま現代革命運動史の断面であるからである。
 諸著作が年代順の配列であることから、収録された山川さんの諸論文に見られる観点には時期を追って変化と発展が見られるし、編者の註記に「今日では不適切と思われる表現・用語もあるが、原文を尊重し手を加えなかった」と書いてあるように、時代的制約もある。とりわけ日本共産党員として活動した第一部と、評論家として活躍した第二部、そして第三部以降の革命政党再建の努力の過程で書かれたものの、三つの段階はそれぞれに特徴がある。
 しかし、読者はこれらの段階の違いと同時に、例えば「統合帝国主義論」の問題や、民衆運動との関連でのアジア、朝鮮半島問題、沖縄の位置づけなどの命題が貫かれているし、その背後にある思想は山川さんが繰り返し語ったように「具体的状況の具体的分析」を徹底して重視する立場である。これらの山川さんが一貫して追求してきた課題が本書全体を貫いていることも読み取ることができるに違いない。

論文「革命運動理論の『再定義』」の意義


 山川さんのこれらの理論的作業は、一九九七年から九八年にかけ、一年余にわたって「建党同盟」の機関誌「協働」に連載された「革命運動理論の『再定義』」に整理されている。
 この連載論文は党建設運動の飛躍をかけた「建党同盟と日本労働者党の組織統合による労働者社会主義同盟の結成」によって、十四回をもって中断されざるをえなかった。山川さんは連載の最終回に「他日を期して、かならず取り組む」と書いたが、統合と同時に同盟の中央委員会議長という大役を引き受けたこともあり、その約束を果たさないうちに亡くなってしまった。
 この山川さんの『再定義』は、そのいずれもが八十年代末からの「ソ連・東欧事態」などを経て、現代マルクス主義が直面する基本的な問題についての大胆な理論的作業であり、山川さんの事業に続こうとする者にとっては格好の学習テキストである。

「新日和見主義事件」の綱領的文献とされた川端論文

 本書巻頭の論文「日米共同声明と七〇年代闘争の展望」(雑誌「経済」掲載)についての、年譜の一九七〇年の項にある山川さん自身が書いた「解説」は大変興味深い。
 「(論文は)共産党関係ではかなり広く読まれ、また影響を与えた。一九七二年の査問(いわゆる共産党内の「新日和見主義事件」という冤罪事件に関連するもので、共産党中央はいまだに謝罪も反省も表明していない。この事件については「査問(川上徹著・筑摩書房)」などに詳しく記録されている……筆者註)の際に、民青関係の査問対象はほぼ一万人を数えたが、それらの幹部に査問委員会が『誰の指導か』と質したのに対して、多くの同盟員が『川端論文』に依っていると答えた事実が確認されている。私は組織関係で何も青年運動に触れる立場にないので、まさに濡れ衣だが、こうした証言があたかも私を指導者とする『分派活動』が組織されたような政治的判断をつくったようである」と山川さんは書いている。
 この問題の論文「七〇年代闘争の展望」では、日本共産党の綱領の引用がしばしばでてきたり、日本共産党の正当性や新左翼への批判が強調されたりしているなど、現在の読者には不思議に思われるかも知れないが、それを共産党の雑誌に掲載させて党内で普及するための革命家川端治の「イソップの言葉」と読むのか、組織人川端治の「共産党への忠誠のあらわれ」と見るのか、評価が分かれるところだろう。

第二部所収の山川暁夫のジャーナリストとしての面目躍如たる諸論文

 ベトナム革命、金大中拉致事件、ロッキード・グラマン疑獄事件の暴露、レフチェンコ事件と言われる二重スパイ事件に乗じた攻撃とそれへの反撃などの諸論文が載っている第二部は、山川さんのジャーナリストとしての活躍ぶりをまざまざと読み取ることのできる部分である。
 山川さんはすぐれた情報分析力と方法(のちに山川事務所で「情報料理教室」を開いて後輩に伝えようとした)をもって、日本の政治・経済・社会問題と国際問題を、革命的な視点から解明し、その構造を暴き、変革への道を説いた。
 山川さんは自らを革命的ジャーナリストと位置づけ、「ぼくはプロレタリアートの斥候だ」と言いながら「世界を相手に回して」情勢を具体的に分析し、執筆活動を行った。
 同時にこの時期、山川さんは「斥候」がその獲得した情報を報告すべき「本隊司令部」(党)が存在しないことをいやというほど痛感したのであった。山川さんが革命政党の再度の建設の活動に引き込まれ、やがてその先頭に立つようになるのは、時間の問題であった。ちょうど、この問題意識と「レフチェンコ事件」にともなう理不尽なキャンペーンによってマスコミから締めだしを食う時期と重なるのである。

「安保」「沖縄」問題の重要性を語りつづけた山川さん

 第三部に「安保は遠くになりにけり、か」、第四部に「命どぅ宝 いま平和を創る闘いへ」がある。
 九十年代前半、新左翼系独立左派や市民運動の中では「冷戦の終焉」との関連で、安保・基地・沖縄問題への関心と関わりが急速に低下した時期があった。いまの読者には信じられないかもしれないが、これらの時期には、それ自体正当な「環境」とか「地域」とかを語ることで、「安保はもはや重要な闘争課題にはなりえない」「安保は終わった」などと平然と語る部分が少なからず存在したのである。
 山川さんはこの傾向を批判し、日米安保問題を民衆に語り続けた。一九九五年九月、沖縄で米海兵隊による少女レイプ事件が起った。沖縄の民衆が大規模に立ち上がった。本土の運動はとまどった。これに連帯する闘いの必要から、改めて安保・基地・沖縄問題の学習が必要になったときに、これに応える「講師」になりうるのは山川暁夫しかいなかった。山川さんは全国を駆け歩いた。「それでも足りない、わかりやすいパンフレットをぜひ作りたい」というわれわれの要請に、「やりましょう」と答えて、ほとんど一昼夜あまりで書き上げた原稿が「命どぅ宝 いま 平和を創る闘いへ」である。このパンフレットは評判になり、わずか二か月のうちに三刷を発行した。
 このパンフレットの最後の言葉は「沖縄を『ランドマーク』にして、日本全体を見直し、アジアの民衆と繋がっていく長期的視点からの闘いを持続的に発展させていくこと。そのためには、本土と沖縄に無数の民衆運動の『網の目』、組織的な交流をつくることがなくてはなるまい。未来への限りない希望と展望をもって、お互いにそのために知恵と行動を重ねあっていこうではないか」である。
 これだけの濃密な論文集の紹介としては紙面に限りがあり、ものたりない。山川暁夫さんをよく知る人も、知らない人も、ぜひ本書を読んでいただきたい。
 出版の事情から定価が高いのは残念であるが、決してそれに劣らない内容である。
 (なお第三部と第四部の扉の年代は誤植である)。
 (本書は人民新報社でも取り扱います)。



複眼単眼

文化遺産 アフガンのタリバンと織田信長と

 国連や、西側諸国、そして日本政府や保守党(「水かけ男」の松浪健四郎の所属政党)、そしてマスコミはいつからこんなに文化財の保護に熱心になったのかと、笑ってしまった。
 ほかでもない。内戦のつづくアフガニスタンのタリバン政権(イスラム原理主義的勢力)が、同国内のバーミヤン石窟群の大仏立像などを「イスラム教の教えである偶像崇拝反対の精神」に基づいて破壊すると発表するやいなや、「野蛮だ、無謀だ、遺蹟テロだ、世界的文化遺産の破壊は許されない」などと、これを居丈高に非難するやら、特使を派遣して「仏像保護を要請」するやら、あわただしい。そしてマスコミがこれを逐一報道する。いまや世界的な大ニュースだ。日本では与党三党が松浪議員が現地とコネがあるのを利用して、彼を含む仏像破壊中止の要請団を派遣した。
 しかし、これらの文化財保護騒ぎを演じている人びとが、はたしてどこまでこうした文化や歴史の問題を考えているのか、それはたいへん怪しいことだ。
 どのマスコミもこれと関連づけて、スターリンのロシア正教寺院の破壊や、中国の文化大革命での紅衛兵による寺院破壊、ポルポト政権によるアンコールワット破壊などを例にあげ、非難する。
 だが善し悪しは別として、こうした事件は日本の歴史でもたびたび起った。現代の日本人に多くのファンを持つ織田信長は、比叡山を襲撃し、焼き尽くしたことがある。彼はこの時代の「革命児」だった。
 「明治維新」の廃仏毀釈の嵐のなかで、永年の僧侶の権力に怒りが爆発し、例えば比叡山では神職が民衆をあおって社殿に乱入し、仏像・経文などを焼き払い、興福寺では千体仏は薪にして、五重の塔は競売にだした。壊すとカネがかかるので焼いて残った金具類の予測値段二五円で落札した。こんなことは当時全国一斉に行われたのだ。
 それだけではない。先のアジア侵略戦争ではどうだったか。沖縄ではその戦争で一切の文化財も焼かれてしまった。広島や長崎はどうだったか。アメリカや「国連(多国籍軍)」のしかけた世界各所での戦争では、文化財は焼かれなかったというのか。文化財の破壊の最たるものは戦争だ。いまバーミヤン遺蹟の保護を言う連中が、これほど熱心に戦争に反対する姿勢を見たことがないのだ。そして平時にも開発と建設の名のもとにさまざまな「文化遺産」が破壊しつづけられているのをいやというほどたくさん見ているのではないか。
 だから「壊してよい」というのではない。これらの遺蹟がたとえ支配権力の強制的な労働によるものの象徴であったとしても、それを作ったのは民衆であり、その角度から「保護」し、教材や人びとの文化的観賞の対象とすることにも賛成だ。しかし、昨今の政府やマスコミなどの対応は、あまりにもうすっぺらなご都合主義的すぎる。
 タリバンを非難する前に、これらの人びとにはせめて自らの戦争責任・・戦後責任くらいは明確にしてもらいたいものだ。
                                            (T)■




参考資料

 
中国の情報戦争理論と実践 A  コソボ情報戦争についての中国の解釈

              チモシー・L・トーマス(米国海外軍事研究所)

 ある論文の示唆によると、コソボ戦争は米国の非対称交戦の好例であった。
 非対称交戦は、空軍対陸軍、海軍対陸軍、陸軍対海軍など異なる兵種間の戦争と定義される。非対称交戦の鍵は、それぞれの兵種の長所をフル展開させ、劣るものには勝るものと組ませ、弱点攻撃を回避させようとするものである。毛沢東は大部隊同士の接戦には反対していたが、彼は「われわれは底抜けに人がよく、公正で、有徳ではない」と述べている。非対称戦争は更に、技術を基礎とし、頼みの綱の情報をもち、接触しない方向に展開し、戦場をより多次元化させるスマートな戦争特性をもつものと考えられている。これは非対称戦争の拡大解釈であるが、中国人の非対称戦争に対する考え方が反映されている。
 もう一つの論文は、非対称戦場におけるNATO軍の情報独占を論じている。これはNATO軍が一方に他方より大きな戦場統制を許して、戦場において任意の戦力、時間、空間を選択できることを意味する。一方のアンテナが他方より遠くまで及び、接触しない、即ち、「防御の範囲を超える」交戦を可能にした。この能力は状況の絶対的統制を与えるが、逆に中国は、反情報、反空軍、反戦場独占を推奨する。この論文は、これらの独占にうち克つために、中国は「われわれの考え方をあらためて、特殊な作戦戦闘、敵背後の戦場、心理戦戦場などの新しい戦場を創りださなければならない」ことを示唆している。これらの準備のいくつかは、打撃の好機を喪失しないように、開戦当初または準備段階においてなされなければならない。
 簡単な準備がNATO軍の情報戦争のいくつかの任務の裏をかくのを助けてくれる。消息筋によれば、これらの準備には、セルビア軍にNATO軍の攻撃計画の一部を洩らしたヨーロッパにおける軍事的安全保障を担当するフランス人将校が含まれていたという。軍事専門家は、イラク軍からNATO軍と米軍の軍用機(レーダー番号、飛行パターン等)とどう戦うべきかを学ぶためにイラクへ人を派遣し、巡航ミサイルをどう捕らえるかを教える教練とリハーサルをおこなった。鍵となる位置と設備を偽装し、偽の目標を設定し、位置の偽装によりNATO軍に誤爆により資源を浪費させた。
 コソボ戦争の予想外の展開により面白い訓練論文が中国の紙上を賑わせた。この論文は、師団と旅団の参謀長を対象にした全軍トップの集団訓練の要約である。訓練は通信指揮学院が開催し、コソボ戦争終結後の一九九九年七月十三日に実施された。
 一人の将校が、NATO軍の戦争遂行には四つの段階があったと指摘した。第一に、NATO軍は打撃目標に関して精確な諜報情報を得るために、情報偵察作戦をおこなった。第二に、NATO軍は、ユーゴ軍の指揮統制システムと対空防御システムを破壊あるいは麻痺させるために、ハード兵器を使用した。第三に、NATO軍は、軍事、経済、輸送、エネルギー、世論その他の目標を攻撃するために、電子戦によって導かれる精密戦闘をおこなった。最後に、NATO軍は、爆撃目標を決定し補正するために、空中と地上から撮影と監視による損害評価をおこなった。情報封鎖などNATO軍のこれらのプロセスには、情報作戦が一貫して参加していると。
 ユーゴ軍は、設備を巧みに秘匿し、NATO軍の偵察任務を阻害するために、伝統的な戦術を採用した。セルビア軍は、全軍を分散させ、待ち受けと結合し、破壊を避けるために移動する地下の戦場を積極的に構築した。彼らはまた、脆弱性を探り出すために、トマホーク巡航ミサイルの特性を研究した。
 戦術としては以下のものが含まれる。
 ・ 打撃の回避。対空防御。NATOの軍用機を目標発見から逸脱させた。
 ・ 魚釣り。レーダーの囮として鉄その他の物質を利用し、ミサイルや軍用機に目標を失わせた。
 ・ かくれんぼう。作戦範囲のなかの目に見えない地帯や死角、NATO軍の偵察衛星の死空間を利用した。
 ・ リレー妨害。攻撃ルートに伏兵をおき、突然レーダーと切替えて異なるレベルの火力を使って妨害し、火力を集中するためにレーダーの利用を異なる様式と接合し、異なる射程の火器を交互に使用した。
 最後に、コソボ戦争は人民解放軍に、現代化の課題の短期解決を急がなければならないことを確信させた。二十年以内に情報戦争において米軍に追つくという目標は、楽観的には考えられない。しかし情報経済と情報戦争能力の建設が並行して進行する以上、この目標達成のための真剣な努力が存在する。情報戦争は擬態や精密兵器だけでなく、ハッキング、電子妨害、麻痺、反情報戦争の遂行でもある。副次的な目標は、「敵のデジタル記録保管所に対する大破壊をおこなう」ことである。したがってコソボ戦争は、中国の視点からみれば、人民解放軍の現代化を促進するものであった。
 
                                      (つづく)■