人民新報 ・ 第1018号  (2001年3月25日)    

                             目次

● 史実と歴史認識を歪曲し、侵略戦争を美化する「つくる会」の歴史教科書糾弾! 教育基本法と憲法の改悪策動を許すな!

●改憲阻止に向け熱心に討論
 憲法調査会市民監視センター設立1周年シンポジウム/憲法調査会1年の検証・いま聞こえる改憲の足音
● 恒久平和調査局設置法案の実現を  歴史の真実実を明らかにする集会

●JCの低額一斉回答を乗り越えて 二〇〇一春闘を闘おう

●金曜連続講座
  改憲派の『新しい人権』とは何か?   (西原博史さんの講演から)

● 国労本部の闘争破壊策動・訴訟取り下げを許すな !

●正しい日韓関係確立のための学術会議に参加した韓国歴史関連学会共同声明
 「日本の歴史教科書の改悪を憂慮する」

●複眼単眼
  挑発者、ゴーマニスト小林よしのりの嘆きと怒り

●参考資料 
  中国の情報戦争理論と実践 B (コソボ情報戦争についての中国の解釈)




史実と歴史認識を歪曲し、侵略戦争を美化する「つくる会」の歴史教科書糾弾!
                                  教育基本法と憲法の改悪策動を許すな!


「つくる会」の策動と、それへの反撃の運動の高まり

 西尾幹二や藤岡信勝ら「新自由主義史観」を標榜する右翼集団による「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、つくる会)によって、侵略戦争を美化し、排外主義を煽りたて、憲法改悪を唱える新しい歴史教科書(発行・産経新聞社、発売・扶桑社)が作られ、いま文部科学省の検定を通過しようとしている。そして五月からは教科書の採択が始まり、「つくる会」はそこで自らの教科書を採択させるために、教職員の教科書調査・研究・選定への関与を違法と断定するような地方議会にたいする陳情・請願運動を行い、すでに二十八の県議会がそれを採択している。
 これらの策動は産経新聞をはじめとする右派分子のバックアップのもとで、潤沢な資金を使い、全国的に展開されている。
 いまこれに反撃する市民運動が各地ではじまり、三月十六日には大江健三郎(作家)、坂本義和(東大名誉教授)、三木睦子(三木元首相の妻)、子守陽一(東大教授)、東海林勤(日本基督教団牧師)、隅谷三喜男(元東京女子大学長)、溝口雄三(大東文化大教授)らが記者会見を行い、「つくる会」の教科書の危険性を指摘する学者・文化・宗教関係者十七氏の声明を発表(他に作家の井出孫六、作家の井上ひさし、一橋大教授の鵜飼哲、慶応大教授の金子勝、写真家の大石芳野、東大教授の佐藤学、東大助教授の高橋哲哉、早稲田大教授の樋口陽一の各氏)するなど、抗議の声があがっている。三月十七日夕刻には東京の日本教育会館で約百五十名の参加で「教科書問題を考える実行委員会(平和フォーラムなど)」による「教科書問題をめぐる三・一七緊急集会」が開かれ、三月二四日には「日韓同時開催・ピースマーチ、『新しい歴史教科書』なんていらない」が韓国ソウルのパゴダ公園の集会に呼応して、ピースボート事務局などによって渋谷の宮下公園で開かれる。
 一方、中国や朝鮮民主主義人民共和国、韓国(歴史学関連学会の共同声明・本紙四面に掲載)などではこれに抗議する運動が急速に高まっている。

 三・一七緊急集会

 三月十七日の緊急集会では東京学芸大学の坂井敏樹さんと弁護士の中島通子さんが講演した。
 坂井さんは要旨、次のように指摘した。
 今回の韓国国会本会議での抗議の「決議」は、同じく教科書問題での一九八二年当時の文教委員会での決議よりも重大で、いま韓国ではマスコミによる批判や歴史学会によるシンポジウムの開催などをはじめ、批判の声が急速に激化している。
 韓国では九八年の小渕・金大中による「パートナーシップ共同宣言」や、八二年の宮沢官房長官談話などで歴史教科書問題は改善されたと受け取る人が多かっただけに、怒りは大きい。この問題は近現代史部分だけでなく、日本人の歴史認識全体の問題だ。
 これに対して日本政府は今回も内政干渉を云々しているが、中国や韓国は「結果としてよくなること」を求めているのであり、この間、日本政府が言ってきた「信頼関係」や「政府の責任」に基づいて対応せよと言っているのだ。未だに残る植民地支配の痕跡の問題、学問研究の成果を無視する身勝手な歴史認識と偏狭なナショナリズム、韓民族の主体的な営みを阻害する歴史認識、国際的には通用しない「日本の内なる論理」による主張などが問題なのだ。
 中島さんは次のように述べた。
 八二年に山住正巳さんなどと「教科書問題を考える市民の会」を作ったが、またこういう問題が起きてきた。先の「女性戦犯法廷」のNHKの報道は右翼の介入により大きくねじ曲げられた。これは大きな問題だ。この民衆法廷は被害者本人の告発と史実に裏付けられた証拠にもとづいて、東京裁判で性暴力がさばかれなかったことを告発し、その上で、天皇ら戦争推進者の戦争責任を指摘した。
 従軍慰安婦の記述問題から教科書攻撃が始まったのはなぜか。第一に、それは日本帝国、皇軍を美化し、アジア解放の戦争だったと言いたい者にとっては恥辱だからだ。第二には戦争における性暴力は避けられない、公の場で言うべきことではないとして隠しておきたいからだ。
 つづいてこの集会は「市民の力で憲法・教育基本法を尊重した教科書を選んでいこう。教科書問題を考える市民ネットワークを強めよう」というアピール(別掲)を採択した。

「つくる会の歴史教科書」の問題点

 集会で指摘された「つくる会」教科書の問題点は要旨以下のようなもの。
 検定申請中の扶桑社版「つくる会」の歴史教科書(白表紙本)は、一三七箇所の修正を認めて、大きく改善されたとの体裁で、いま検定をパスしようとしている。しかし、「つくる会」の西尾会長が朝日新聞のインタビューに答えて「われわれの考え方そのものは残している」と述べているように、その危険性は基本的には変わっていない。
 大日本帝国憲法を肯定的に描く反面、日本国憲法については押しつけ憲法論の立場から否定し、憲法調査会の動向を「改正」にむかうものとして評価。教育勅語を全文掲載するなど、教育基本法の理念に敵対している。
 「従軍慰安婦」の記述はまったくなく、逆に「韓国併合」を正当化している。
 アジア太平洋戦争・十五年戦争をアジア解放の戦争、「大東亜戦争」と礼賛し、南京大虐殺などについては「論争がつづいている」などを強調して、否定に道を開いている。
 侵略戦争肯定史観を基調としている。
 神話から歴史を記述し、「天皇中心の神の国」という歴史観を植え付けようとしている。
 「四大文明にさきがけた縄文文明」などと強調することで、「日本国家」「日本文明」の優越制を極度に強調している。
 歴史学の成果を否定し、「歴史は科学ではない」などと一面的な自説を押しつけるものとなっている。



●改憲阻止に向け熱心に討論
   憲法調査会市民監視センター設立1周年シンポジウム
   憲法調査会1年の検証・いま聞こえる改憲の足音

 衆参両院への憲法調査会設置に対抗し、改憲のための機関とすることを許さないという立場から、「憲法調査会市民監視センター」(代表・奥平康弘東大名誉教授)が発足して一年になった。この一周年を記念し、三月十日、東京・御茶ノ水の総評会館で憲法調査会市民監視センターの主催する「憲法調査会一年の検証・いま聞こえる改憲の足音」と題するシンポジウムが開かれ、一七〇名の学者・研究者・弁護士や市民が参加し、熱心に討論した。
 冒頭に代表の奥平康弘氏が開会あいさつを行ったあと、奥平、三輪隆(埼玉大学)、中島通子(弁護士)、内田雅敏(弁護士)の各氏によるシンポジウムが行われた。
 開会にあたって司会の高田健氏が市民監視センターの発足以来の経過報告を行った。
 市民監視センターは憲法研究者や弁護士を中心にして月一回の例会と月刊「憲法通信」の発行、ホームページでの憲法情報の発信などの活動をしている。現在、約四〇〇名の研究者・弁護士・市民などが賛同して、年間会費五千円を納めて支えていることなどを報告した。
 代表あいさつで奥平氏は「『論憲はあたりまえだ』という建前によって国会につくられた憲法調査は、いまや『論憲』どころではなく、『改正』をどうやって実現するかという方向にどんどん流れており、国会内外での『改憲ムード』を作り出している。しかし、それはこのシンポジウムに大勢の人びとが参加しているように、これを許さないという声の高まりを生み出している面もある。監視センターはこれからも憲法調査会の議論を監視し、学者・研究者の立場から、その理論的な批判をすすめ、広く市民のみなさんに伝えていく役割を果たしていきたい」と述べた。
 シンポジウムでは三輪氏は「憲法調査会で行われている議論は決して水準も高くないし、議論も茫漠としていて迷走気味で、改憲キャンペーンの中心的な舞台にはなり得ていない。しかし、改憲の発議権のある国会に憲法調査会が作られたことを軽視してよいということではない。いずれこれが改憲発議のための受皿になるだろう。読売や日経などのマスコミの動きや、自由党、自民党橋本派の改憲案の提起など、改憲草案をつくるための叩き台をつくるような動きがある。民主党も鳩山などが突出しているし、護憲派の野党の中でも揺れがあるのは無視できない」と指摘した。
 奥平氏は「憲法調査会などの動きを通して、『憲法は改正したほうがいいかも知れない』というレベルでのムードづくりがすすんでいる。『新しい人権規定』論などもそのための動きだ。『憲法を削るのではなく、いいものを付け加えて、増やすのだからいいではないか』という。しかし、『知る権利』でも、憲法に明文的規定があったのではなく、憲法の権利を生かす努力の中で獲得された。知る権利や環境権は憲法に書かれたら達成されるというものではない。憲法を諸悪の根源だなどとして、改憲をいうのは間違いだ」と指摘した。
 中島さんは「この間、反戦平和の運動と人権、とくに女性差別に反対する運動を二つの柱に取り組んできた。改憲の動きの中では、いつも第九条と二四条の家族・女性の問題は密接不可分の問題だった。憲法調査会の議論で曽野綾子は『戦後の中絶での殺人は大東亜戦争の三三回分にあたる』などと述べた。辞任した改憲論者の村上会長は女性運動の最大の敵だった。すべての暴力に反対するという立場から新たな女性運動を作るべき時代になっている。九条と現実には大きなギャップがある、これをそのままにして護憲を唱えるのではなく、現実を九条に近づける運動が必要だ」と述べた。
 内田氏は「会社が『憲法番外地』だと指摘されてきたが、いま日の丸・君が代法制化によって学校が『憲法番外地』にされている。これには年間を通じて人権教育、個人の尊厳を大切にする教育を実践することで突破しなくてはならない。憲法や教育基本法を変えれば、倒産や少年犯罪はなくなるというのか。憲法第十二条にあるようにさまざまなところで憲法を生かす実践をする、権利のための闘争の義務、闘う民主主義を実践しなくてはならない。憲法の理念を導きの星として闘っていこう」とうったえた。
 その後、会場からの熱心な質問・意見が相次いで、時間はたりなくなるほどだった。最後に司会から五・三憲法集会に向けた共同行動の努力を成功させようとの訴えがあった。



● 恒久平和調査局設置法案の実現を 
           歴史の真実実を明らかにする集会


 日本の戦争責任を明らかにするためには、歴史的事実を明らかにすることが必要であり、その調査を目的とした「国立国会図書館法改正案(恒久平和調査局設置法案)」が国会にだされている。この法案は超党派の有志議員によって九八年の第一四五国会に提案されて以来、いったん廃案になり、再度提出され、継続審議になっているものだ。これまでのアジアや国内の市民運動の人びとの強い要求にもかかわらず、政府は膨大な資料を保有しながらも真実を隠蔽しており、問題が明らかにされていない。
 このほど同法案の早期採択を求めて、歴史学者など専門家五十一名による共同アピール(よびかけ人は荒井信一・駿河台大、笠原十九司・都留文科大、姜尚中・東京大、小谷汪之・都立大、中原道子・早稲田大、永原陽子・東京外大、西川潤・早稲田大、松井やより・ジャーナリスト、宮地正人・東京大、吉見義明・中央大)がだされ、三月十四日午後、衆議院第二議員会館でその報告の記者会見と院内集会が開かれ、約百名の市民が駆け付けた。
 記者会見に先立って、共同アピールの代表者たちは衆参両院議長や各党に審議促進の要請行動を行った。 午後四時から開かれた「歴史の事実を明らかにする立法を求める院内集会」はルポライターの西野瑠美子さんの司会ですすめられ、呼びかけ人を代表して荒井信一氏が共同アピールを発表した。
 ゲストとしてアメリカからナチの追及をつづけるサイモン・ヴィーゼンタール・センターのエブラハム・クーパーさんらがあいさつした。
 クーパーさんは「日本の歴史のブラックホールを埋める努力に敬意を表する。最近おきたえひめ丸の悲劇も、あらゆるアメリカ人が犠牲者に謝罪しなくてはならないが、それだけではなく徹底調査し、真実を明らかにしなくてはならない。戦争についても歴史とともにある事実を明らかにする必要がある。みなさんの努力を支持します」と述べた。
 出席した国会議員のあいさつは、田中甲(民主)、木島日出男(共産)、本岡昭次(民主)、鮫島宗明(民主)、金田誠一(民主)、阿部幸代(共産)などの各議員だった。
 市民や研究者の発言のあと閉会あいさつは土屋公献・元日弁連会長が行った。



●JCの低額一斉回答を乗り越えて 二〇〇一春闘を闘おう

 三月十四日、金属労協(IMF・JC)加盟の主要四業種(自動車、電機、造船重機、鉄鋼)大手組合にたいする一斉回答が出た。マスコミは、百円玉や五百円玉一枚アップ程度のことを「四年連続の最低水準更新は回避した」と報じている。しかし、その実態はどうか。失業者とパート・派遣など非正規雇用労働者の増大、賃金・労働条件の低下など労働者をとりまく環境はますます厳しいものになってきている。労働者の生活と権利を守るべき労働組合が、また資本に対して賃金・労働条件の改善を要求して団結して闘う春闘が、資本の攻勢と労資協調主義潮流の支配を打ち破れずに低迷していることがその大きな原因である。
 JC一斉回答によって今春闘の一つの山場は終わり、これからは、より厳しい状況に直面する中小企業労働者の粘り強い闘いの段階に入る。闘う労働者・労働組合は、いっそう闘争体制を強化してJC超低額回答の沈め石をはねのけて闘おう。

一斉回答の内実

 今春闘の牽引役であった自動車業界では、トヨタ自動車が七六〇〇円(定昇込み、組合員平均)で前年比一〇〇円増の回答をはじめ、ホンダ、日産を含めた上位三社は前年実績を上回った。
 しかし、大幅に利益を増やしているトヨタでさえ、たったの一〇〇円増であり(日産五〇〇円、ホンダ一〇〇円)、一方、欠陥車のリコール(回収・無償修理)隠しによって業績が急激に悪化している三菱自動車工業は、五六〇〇円(昨年比七〇〇円マイナス)、マツダ六四〇〇円(同三〇〇円マイナス)となっている。
 造船重機では、昨年は十三年ぶりのベースアップ・ゼロ攻撃に屈服してしまったが、大手はベア六〇〇円が復活した(二年ぶり)。
 電機は過去最低(三年連続)の五〇〇円で決着した。なお日本コロムビア労組は集中回答日の妥結を断念し交渉継続となった(電機連合加盟労組の横並びが崩れたのは一九九二年以来九年ぶり)。
 隔年春闘方式の鉄鋼は今年は賃上げ闘争はなく、一時金交渉のみだった。
 総じてみれば、要求では定昇ぬきのベースアップ分だけで二〇〇〇〜三〇〇〇円だったのに対して、回答は一〇〇〜五〇〇円というものだった。そして、これはリストラ合理化による人減らし・労働強化を伴うものであり、経営側からすれば、まさに「総額人件費の節約」=賃下げにほかならないのであり、連敗記録は更新されているのだ。

春闘変質を狙う日経連

 こうした結果をうけて、日経連(「日経連ニュース」三月十五日・主張「金属大手の回答をみて」)は、「毎年、一律に賃上げが行われるという考えを改める必要がある。春闘も賃上げをめぐる対立闘争という位置づけではなく、総合的な働き方の諸制度を協議する場へと転換することが望まれる」と春闘を労使協議の場にせよといういっそうの春闘変質論を強調している。そして、中小春闘に対しても、JCを見習って賃金抑制攻撃を掛けていけと檄を飛ばしている。

景気動向に頼る連合

 連合は、「二〇〇一春季生活闘争の最大のヤマ場を終えて」を出し、その中で「今年の春季生活闘争は、企業業績の大幅な改善をはじめ、昨年よりも好転した経済情勢を背景に交渉が進められてきた。しかし、終盤になって経営環境が大きく様変わりした一方で、同一産業内でも業種間・企業間のバラつきが見られ、交渉は当初予想より苦戦を強いられた」として、「総じて、前年比マイナス傾向に歯止めがかかったということができるものの、組合員の期待やマクロ経済への影響という面では、流れを変えたという水準には達しておらず、不十分さを残した」と総括をした。
 連合の方針は、景気動向にのみ頼るまったくの他力本願の方針であり、資本の側の攻勢にストライキを構えて実力で賃上げを闘いとるのではなしに、賃上げが日本経済の活性化につながるのだから認めて欲しいと哀願するような方式では、春闘と労働運動をいっそう弱体化させるしかない。
 日経連は言っている。「労働側の賃上げによる消費拡大論に対しては、日経連は、賃上げと消費には相関関係はなく、消費は雇用などが安定していてこそ伸びるものであることを主張した。雇用不安と老後の生活不安の解消こそが景気回復にとって重要である。賃金問題と景気回復の課題は分けて考える必要がある」(3・  主張)と。
 しかし、日経連は、消費は賃金ではなく雇用の安定によってこそ伸びるというが、その雇用は資本家の合理化によって急激に縮小されているのであり、現在の資本主義経済の下では失業をより増大させることが、経営側にとって有利なのだから、その相手を「説得」できるというのは、まったく労働者を騙すもの以外ではない。
 賃上げ闘争そして労働運動は、力関係の場で闘われる。労働組合の側がストライキやその他の実力行使で、資本の側を追いつめなければ、春闘連敗、そして連合結成以降一段とその色彩を強めた資本の一方勝ち状況を克服できはしない。いま、日本以外では、韓国はじめアジアのさまざまな国で、また欧米で労働運動は急速に盛り上がりはじめている。労働運動の陥没状況は、全世界的にみて日本的な特殊性である。だが、労働者の不満の拡大を背景に新しい労働運動の芽がいくつも出始めている。この動きを大切にし、労働運動を下から強化するために闘わなければならない時である。
 JC一斉回答の現実は、闘う労働組合潮流が大きく団結して、労資協調路線を打ち破るためにいっそう奮闘しなければならないことを求めている。



●金曜連続講座

      改憲派の『新しい人権』とは何か? (西原博史さんの講演から)

 憲法第九条の改憲をめざす勢力が、最近、国会の憲法調査会などでしきりに持ち出すものに「新しい人権」論がある。これに対しては市民運動の中でも、きちんと論点が整理されていない面があるのは否めない。 「金曜連続講座」が「改憲派の『新しい人権』とは何か?」というテーマで西川博史(早稲田大学教授)さんの講演会を開いた。三月十六日に東京の文京区民センターでの講演を取材した。その要旨を本紙の文責で紹介する。(編集部)

「新しい人権」とは

憲法調査会が立ち上がったなかで、改憲勢力は最終目標として憲法九条の平和主義を変え、日本がきちんと軍隊を持って外国に派兵でき、外国で人殺しができる一人前の国になることをめざしている。だが改憲論者たちはそのことだけを言っていたのでは改憲という政治的な策動が通らないと思ったのか、ほかのことも同時に言い始めている。
 もとより日本国憲法という憲法典はひとつの法典であり、パーェクトなものではありえない。また、いまの日本に住む人びとが国家機構の上で不満に思っていることはすくなくない。改憲論者たちは現状にあらわれてくる問題点の責任を憲法にすべて押しつけて、これが諸悪の根源なのだというイメージ戦略でやってきている。
 これは桜井よしこ氏らに典型的にあらわれてくる。人権論を中心として憲法改正を飾り立てる議論だ。日本国憲法は古い人権しか保障していない、現代の社会の在り方にとって必要な人権は憲法の中に書いてないという。日本国憲法ができたのは一九四六年段階だから、たとえばインターネットなどについて考えた人はおそらく誰もいなかった。インターネットで展開する言論活動、表現活動の中で言論をどのようにコントロールするかという基本的な仕組みは日本国憲法の中に直接はない。インターネット社会の中で脅かされるプライバシーも憲法のどこを見ても一回もでてこないじゃないかと言われる。
 プライバシーの権利を作ってきたのは誰だったのか。改憲派ではない。これが「新しい人権」と言われる部分なのだ。人権というのは世の発展につれて、人びとの要求が変わってくる、その要求をある程度、実現していく形で人権の中身が広がっていく。昔は権利として煮詰まっていなかったものが、権利として煮詰まってくる。
 日本国憲法の十三条の二項に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」がまとまって全部保障されている。幸福追求権と略するが、これが人間の活動で人権の対象となりうるものは人権として拾いあげることができるという意味で、包括的人権保障の条文だと言われている。十四条にはつづいて平等原則が保障され、そのあと公務員罷免権などなどが規定され、十九条で思想・良心の自由、二十条で信教の自由、二十一条で表現の自由と、重要な自由権が保障されている構造をとっている。十四条以下で述べられていないものであっても、人権ではないと思うのはおかしいのであって、そもそも生命・自由・幸福追求という意味での人間の基本的な生きざま全部が基本的人権の問題になりうるという枠組みをとっていた。
 プライバシーの権利はまさに憲法十三条で権利として保障する必要があると認められた権利だった。ひとりの人間の情報を一元的に管理することによって、例えば病歴、犯罪歴、活動歴、学歴などさまざまな個人の記録を集めていくことによって、個人の弱いところを具体的に作り上げることができる情報が集中される。そういう形で常に国家に監視されていて、国家の監視に脅かされている状態で、人間は本当に自由に生きることができるのだろうか。プライバシーは国家に対して主張できる基本的人権なんだという意識ができあがってくる。国民をだますためにそれを知らないふりをして、日本国憲法にはプライバシーの権利が保障されていないから、憲法を変えなくてはいけないと主張する桜井らのずるさには許しがたいものを感じる。

主張されている新しい人権

 「新しい人権」と言われているものは、社会環境が変化していくなかで、日本国憲法で明文をもって保障されてはいないけれども、人権としての実態を獲得するに至った国民の要求と定義することができる。一九四六年段階では十分に意識されてはいなかったけれども、その後の社会環境の変化のなかで出来上がってきたもの、それが国家に対して保障を要求するだけでなく、それを主張した場合にある程度の説得力がある、理論的な正当性があるということだ。

 新しい人権として「知る権利」も上げられる。表現の自由という憲法二十一条で保障された自由権の裏面として保障されている。表現することの自由は、同時に表現を受け取ることの自由を含んでいる。知る権利というのがとくにインパクトを持ってきたのは、情報公開制度と結びついてのことだ。これは一昨年段階で「情報公開法」ができ上がり、政府が保有している情報はこれを公開しなくてはならない。いちばん典型的な例はエイズ訴訟にからんでのことだった。
 政府の行っている政策決定は常に責任をともなうが、その説明責任をあとから果たすためには、まず政府の保有している情報は全部公開し、市民と共有したうえで、検証していきましょうという制度が必要だと言われた。情報公開制度は国民がそれを知ることで、国民が政府の動き方を検証できるようにすること、事後的に国民からきっちり検証されるということを知っていれば、政府は自分の個人的な利益、あるいは個別的な業界利益に引きずられた判断をしないようになるという期待をこめている。
 「環境権」は問題の大きい概念だが、一九七〇年代の議論でできあがったときには「健康で、安全な」、文化的にもすぐれた環境を享受する権利としてできあがってきたものだ。公害裁判などを手がかりにしながら、公害によって健康を奪われていった状況のなかでつくりだされていった権利だ。そういう大規模工場を設置・許可した地方公共団体、あるいは国が途中から「知らない、民間工場がやったことだとだ」という。そのなかで、それは国の責任だ、国や地方公共団体が工場を許可するときには最低限、まわりの近隣住民に影響がないかどうか、きちんとチェックすべきだ、という形で環境権が認められてきた。
 もうひとつ重要な問題として「平和的生存権」がある。憲法九条の裏返しと言われる。憲法前文の中にある「諸国民が平和のうちに生存する権利を確認する」、これを平和的生存権と呼んでいる。長沼ナイキ裁判という北海道の有名な裁判だが、自分のとなりの国有林の保安林指定の解除の処分、ミサイル基地をつくるための保安林指定の解除は違法であるということで起した裁判だ。しかし憲法九条違反だからなんとかしてくださいと裁判所にもっていっても、対応してくれない。裁判を起すことができるのは、誰かの違法な行動によって自分の権利、利益を直接に侵害された人しかだめだという建前になっている。そこで裁判の根拠にしたのがこの平和的生存権という考え方だ。平和のうちに生存する権利は、自分の家のとなりにミサイル基地ができたらまっさきに敵の攻撃を受ける対象になるから、自分の安全に直接かかわることがらだ。札幌地裁段階ではミサイル基地は違法だから作ってはいけないという判決がでたが、高裁ではあっさりとひっくりがえされ、最高裁も基本的には同じ見解だった。
 これらが七〇年代に憲法学がつくりだしてきた人権の典型的なものだ。

基本的人権は国に要求する

 人権はまず国に向けられるべきはずのものであって、国は絶対にこれをしてはいけない、これだけはしなくてはいけないという決まりごとを基本的人権と呼んできた。個人の国家に対する権利だ。自由権というのは何をする自由かと言えば「それをやってはいけないと国がいってはいけない」ということだ。不作為請求権という。 これに対して二十世紀に入ってから広がってきた人権に「社会権」と呼ばれているものがある。例えば生存権、これは生活保護を中心とした社会保障を受ける権利だ。教育を受ける権利、義務教育制度だ。あるいは労働者に保障される労働基本権も国家によって直接保障されなければならない権利だ。社会権のもともとの根本的な根っことしての社会保障を受ける権利は、基本的人権の問題として、ここだけは国家に保障してもらわなければならない、あるいは国民みんなでささえていくべき問題だという結論に基づいて、人権としての質を獲得してきた。ところがさまざまな国家の補助金にだんだんそういう論理を使っていくと、結局、基本的人権といわれるものが公権力によって守ってもらう、自分の進むべき方向を決めてもらう権利というふうにまで動かされていく傾向がでてくる。
 それをはっきりと表わしているのが、昨年の十一月に出された法務省の人権擁護推進審議会が出した「人権救済制度の在り方に関する中間取りまとめ」という文章だ。ここで人権救済が必要な類型として四つ挙げている。@差別、A虐待、B公権力による人権侵害、Cマスメディアによる人権侵害だ。基本的人権は対国家的権利だといってきたが、それはBだけで、もっと重大なのは「差別」であり、「虐待」だというわけだ。典型的な人権侵害事例として考えられているのは差別であり、虐待だ。もちろん、差別は克服していかなければならない。虐待もそうだ。しかし、学校における最大の人権侵害はこの発想からすれば最大の人権問題はイジメになる。イジメを防止することが学校の第一の任務だとしたら、暴力を使ってでもイジメさせないことが正当化される危険がでてくる。まず学校は権力として、決して子どもの人権を侵害してはならないという大前提を置くのか、学校は子どもの味方として悪いものを裁く、そのためには場合によっは暴力をつかってもいい所だという位置付けをしていくのか。つまり人権を国家に守ってもらうべきものと考えるのか、場合によっては国家なんかいらないとさえ言い切るような個人の力、原則をわれわれはもっているのか、この分かれ道だ。
 国の側はいままで「国を信じて、みんなでゆたかになろう。信じてやっていけばみんなで豊かになるよ」ということで国家を運営してきた。八〇年代はそれでうまくやってきた。しかし、それがうまくいかなくなったいま、国は別の生き残りをはかっていく。それがたぶん、安全な日本をつくるためには国をきちんとしておかなくてはならないということだ。これからの国家、これからの政府が動こうとしている方向には、ある意味で「国民を守る」という発想がでてきている。国家の手で国民を守るという議論の枠が敷かれている。そういう状況のなかで、「ちょっと待て、国家としては別にやることがあるだろう、国家はそこまでやってはいけないのではないか」という形で、「すべてはまかせられない」という意識を守りつづけなくてはならないのではないか
 二十一世紀は人権の世紀だと言われる。それをどういう人権として作っていくのか、それはわれわれが決めることがらではないか。



● 国労本部の闘争破壊策動  (訴訟取り下げ)を許すな

 一月二十七日の国労大会で、「JRに法的責任なし」とする四党合意を強行採決した国労本部は、大会決定すら無視して闘争破壊にでてきている。四党合意の内実がますます明らかになってきている。闘う闘争団を支えぬいて国鉄闘争の新たな段階での前進を勝ち取ろう。
   * * * *
 さる三月十五日に、高嶋委員長らの国労三役は四党(自民、公明、保守、社民)に呼び出され、意見聴取された。その席上、与党側は、国労全国大会では四党合意承認の方針を決めたが、同時に追加方針として最高裁での裁判闘争に「全力を挙げる」とも言っているが、これらは「はなはだ矛盾する」ものであり、ただちに裁判を取り下げるようにと求められ、これに対し、国労三役は「責任を持って矛盾を解消していく」と約束した。
 意見聴取後の記者会見で、自民党の甘利明元労働大臣は、「(先ごろ開いた四党協議会の第一回目の会合で)国労が大会で四党合意を受諾する決議をようやくしたが、四党合意の中身と矛盾するような追加決議があったので、四党協議会として国労にその辺を質そうと、今日、国労新執行部の高嶋委員長、田中副委員長、寺内書記長にお出でいただいた」として、意見聴取の中で「裁判闘争を続けていくという話。それは『四党合意と矛盾するのではありませんか?』と国労本部を糺したところ、国労本部側は「そういう矛盾がないように最大の努力をしていく」という回答したと説明した。また、甘利議員は、四党合意で出てくる内容については、「まあとにかく、出たときにはきちんと決着が行われるということだ。だから、中身を見て『やっぱりやめた』ということはあり得ない」と一発回答方式であるとしている。
 記者会見での甘利発言が示しているのは、四党合意承認をもって、裁判闘争を含めすべての闘いを放棄させようとする政府与党、そしてそれに加担する社民党の姿勢であり、大会決定すら簡単に破り捨てて政府・自民党にすりよる国労三役の策動である。
 これにたいして、闘う闘争団はただちに、「四党による意見聴取の真相解明を求める意見書」で国労本部の行為を批判し、闘争強化の方針を出している。
 国鉄闘争の破壊を許さず、闘争団支援の輪をいっそう拡大しよう。



●正しい日韓関係確立のための学術会議に参加した韓国歴史関連学会共同声明

         「日本の歴史教科書の改悪を憂慮する」

 現在日本では二〇〇二年度から使用される中学校歴史教科書の最終段階の検定が行われている。検定を受けている教科書の中には、従来の七社以外に「新しい歴史教科書をつくる会」が中心に編集した教科書も入っている(以下「新しい歴史教科書」という)。 さて、この度、検定を受けている「新しい歴史教科書」および既存の七社による歴史教科書が新たに育っていく次世代への史実の伝違において、たいへん不適切だという事実が知らされている。これに韓国の歴史学関連学会は、正しい韓日関係確立のための学術会議を開催することにした。それを前に、日本の歴史教科書が皇国史観に回帰し、史実を無視しているとの認識を共有し、また正確かつ誠実なる歴史記述が正しい韓日関係確立の前提であるという意志を表明するため、ここに共同声明を発表する。
 第一に、日本の歴史教科書が近隣諸国と関連する歴史的事実を歪曲、不当なる抹殺をしないように要望する。検定を受けている従采の日本の歴史教科書は日本の侵略を進出と表現しただけではなく、「従軍慰安婦」をはじめとする日帝の植民地支配と関連する事実を大幅に削除し、さらに「新しい歴史教科書」は日本の侵略と支配を合法的で発展的であったとまで主張している。また、今回の検定を受けている多くの教科書では韓国民族が熾烈に展開した抗日独立運動に関する叙述が大部分省略された。歴史教科書のこのような改竄・改悪は日本の侵略を経験した韓国をはじめとする近隣諸国を無視し冒涜する行為である。我々は日本の未来のためにも次世代を担う少年たちが自国の歴史に対する客観的な認識を持つ必要があると考える。
 第二に、歴史教科書は侵略戦争を美化し、人種対立をあおるような表現を使ってはならないと考える。我々、既存世代は次世代に対し、平和を教える義務がある。「新しい歴史教科書」はアジア・太平洋戦争を日本が西洋・白色人の支配からアジア・有色人を解放させるために行った聖戦として記述している。これは歴史を倒錯的に解釈する問題をもつだけではなく、自国の歴史を賛美するために他国の歴史をそしり、侵略戦争正当化する典型的な例といえる。今日、世界は国際化・開放化が進展しており、国家間・民族間の相互理解がどの時期よりも切実に求められている。このような時代に日本の戦争を美化し、人種対立を煽動するような歴史教科書を出版することは、反人類的な犯罪であり、反平和的な行為であるとの非難を受けることは当然である。我々は日本の国民と学生たちが、このような憂慮・批判から自由になることを希望する。
 第三に、今回の歴史教科書問題が、若干の字句修正やいくつか事実を加える程度で解決されることを願ってはいない。歴史教科書は次世代の正しい歴史認識を通じ、未来に歩んでいくことを教える重要な教材である。したがって、ユネスコは歴史教科書は国際理解と人類平和に寄与する方向に叙述することを勧告している。現在、日本の歴史教科書はこのような方針からは大きく逸脱している。我々は日本の歴史教科書が偏狭な自国中心主義から脱皮し、国際理解の精神で人類の和解と共存を志向するようなことを希望する。
 最近、韓国と日本は共同の歴史認識を通じ、過去の不幸をぬぐい、互いに誠実な相互理解と和解・協力を追求してきており、その結果、最近では著しい友好親善関係を進展させている。このような状況において歴史教科書問題が発生したことは韓国民をたいへん驚かし、近隣諸国民の憤怒を激発させている。その責任のすべては日本にある。一般韓国人は日本の商品と文化の開放、両国首脳間の「パートナーシップ共同宣言」、二〇〇二年ワールドカツプ共同開催等により、韓日関係がたいへん円満に進行していると感じてきた。しかし、今回の歴史教科書問題は韓国人たちに日本に対する否定的な認識を再び拡大させる契機となっている。歴史教科書問題は韓日関係を時代錯誤的方向に導いており、両国相互に望ましい現象ではない。
 韓国と日本の両国は過去を整理し、善隣友好を進展させ、人類社会のための責任を背負っている。したがって、日本政府と歴史教科書編集に関係する人々、そして日本国民はようやく改善されつつある韓日関係が損傷されないように、適切な借置を取らなければならない。そのために、韓国政府と歴史学者、また韓国国民は今後日本における韓日関係を阻害するあらゆる動きに対しても、仔細に注視しつつ、必要な措置を探求し、対処しなければならないのである。過去に対する正しい理解がなくては望ましい未来は期待できないためである。

 二〇〇一年三月十九日
正しい韓日関係樹立のための韓国の歴史学関連学会(ハングル音順)

 東洋史学会/西洋史学会/歴史教育研究会/歴史学会/震檀学会/韓国古代史学会/韓国現代史学会/韓国独立運動史学会/韓国民族運動史学会/韓国思想史学会/韓国史学史学会/韓国史学会/韓国歴史研究会/韓日関係史学会



複眼単眼 

       挑発者、ゴーマニスト小林よしのりの嘆きと怒り

「自由主義史観」や「新しい歴史教科書をつくる会」などの太鼓持ちをしていた漫画家の小林よしのりの『台湾論』が、台湾内外で話題を呼び起こし、台湾当局が小林の「入境禁止」を発表したり、それをまた取り消したりという騒ぎになっている。 
小林はこの本で「台湾の人びとは親日的だ」などと強調することで、旧日本帝国主義の台湾植民地支配を免罪したり、日本軍の「軍隊慰安婦」にされた人びとは自ら願い出て「慰安婦」になったのだという宣伝をした。これは日本軍によって強制的に「慰安婦」にされた女性たちの尊厳を破壊したもので、台湾の人びとをはじめアジアの人びとから怒りを買っている。

 小林はこの本をだすことで、日本の戦争責任を免罪し、アジア侵略戦争を美化しながら、アメリカや日本、台湾の右翼分子が唱える「台湾独立論」を宣伝し、アジアにあらたな緊張関係を作り出そうと企てた。これはいま採択されようとしている「つくる会の教科書」同様に、新たなナショナリズムと排外主義の動きと一連なりのものだ。『台湾論』の表紙には「『日本人』とは何か!『国家』とは何か!この問題を解く鍵が、日本の遺産を守りぬく隣国にあった」などと書いてあり、ここにも小林の危険なねらいが赤裸々にあらわれている。
 右派メディアの『SAPIO』三月二八日号の連載『新ゴーマニズム宣言』で小林は「わし 台湾への入境禁止となる」という漫画を書き、「台湾のブラックリストにのっちゃった。あんなに台湾は親日的といったのに、きゃはっ はずかしいっ。ふられちゃったみたい」と書きながら、これは「外省人(大陸から渡ってきた人)による反日運動の一環だ」と断じ、「台湾の言論の自由が狭まってきた」と怒りを表明している。そして「世界広しと言えど、たった一冊の漫画本で、しかも、その国への愛情をこめて描いた本が原因でブラックリストにのせられた人間もいないだろう。台湾には真の民主主義を恐がる強烈な『反日』主義者、『反台』主義者がいる!」と叫んだ。
 『台湾論』では「台湾はすばらしい民主主義の社会だ」などと誉め讃えたにもかかわらず、今度はその舌の根も乾かないうちに「残念ながら台湾には『言論の自由』がなかった。つまり『民主主義国家』ではなかった」などと言う。
 小林よしのりにとってすべての善悪の基準は自分なのだ。(T)



●参考資料

 中国の情報戦争理論と実践 B
           コソボ情報戦争についての中国の解釈
   
             チモシー・L・トーマス(米国海外軍事研究所)

今回は、アメリカの軍事専門家の中国の新戦略分析の結論部分を掲載します。(編集部)

 中国的な味つけがされた情報戦争理論に光を当てる項目はいくつかある。
 第一に、中国の軍事理論家達は、情報戦争を比較的廉価で従順な盟友、戦略的にも国際的地位においても中国が西側に追いつくことを可能にする盟友と考えている。中国は、将来、アジア太平洋地域において重要な戦略的抑止の役割を果たし、有力な経済的主役に導く可能性がある。
 第二に、中国は情報戦争戦力の出現に異常な力点をおいている。中国は、その他の兵糧と並んで、ネット戦力、ネットワーク戦士からなる打撃旅団、情報防護軍、情報軍団、電子警察、統一ネットワーク人民戦争機関の編成を考慮している。西側諸国では、現在、多くの家庭や事務所にコンピュータが普及しているが、社会から軍隊を編成するという考え方はない。中国の理論家達は、情報戦争の勝利はコンピュータ専門家を自前の戦闘に参加させるよう動員することにかかっていると考えている。これらの戦力は、重要な情報結節点と接合点を探るために、ネット・ポイント交戦などの戦略を使用することになろう。
 第三に、中国の情報戦争の強調は、西側と中国の思想の混血である。西側では情報優勢や「システムのシステム」理論が規範的であるが、中国では統制、コンピュータ戦、ネットワーク戦、知識戦が強調されている。中国の思考は軍事・マルクス主義という共通の枠組みによりロシアに近い。しかし西欧やロシアと異なる特殊な情報戦争の語彙も展開されている。鍼灸戦、軍事ソフト科学、情報化された軍などがそれである。
 第四に、中国の情報戦争は、現代への回答を得るために歴史を振り返る。兵法三十六計のような秘密の方法に情報戦争の本性や特徴に適合しているようである。中国人民解放軍はNATOの空襲に抵抗するセルビア軍の能力に大いに感銘を受けたようである。それはテクノロジーを利用した人民戦争の能力に対する人民の信念に証明を与えたからである。
 中国の情報戦争へのアプローチには強さ以上に多くの弱点も存在する。情報戦争の要石には、インフラの完全性と安定性が含まれる。インフラの安定性は、情報時代における部隊の生残り可能性と同様に重要である。中国の弱点が見出だされるところはほかならぬインフラである。中国はテレコミュニケーション産業を急速に増加させつつあるが、これが軍民共用のインフラとなっている。情報戦争はいくつかの技術開発を飛び越し、時間と金を節約するために西側の成果を利用し、「樹に登るために梯子を借りる」ことを可能にした。最後に中国は他国の動きを真似るのではなく、革新的、間接的情報戦争戦略を開発するであろう。指摘しておかなければならないことは、中国の情報戦争戦力が世界の他の諸国の情報戦争戦力とは異なるものであろうということである。
 中国の情報戦争理論と実践には、ほかにも重要な点がある。
 第一に、中国の情報作戦へのアプローチは、「テーゼと反テーゼ」の生ける相互作用によって決定される。弁証法的アプローチは、情報技術と兵器の使用・誤用を明瞭にする仕方を提供する。このアプローチの理解のためには、米国はこの問題を分析できる専門家を訓練すべきである。ロシアも弁証法の信者であるから、それは一石二鳥といえる。
 第二に、中国のアプローチの複雑性の増加(知性戦、時空分析等々)と情報戦争の(指揮と統制の対決、確信と知覚のシステム等々)分散の相貌に対する強調が米国の分析ではほとんど採り上げられなかった分野をカヴァーしていることである。一例としては、兵法三十六計などの戦争術がそうである。情報戦のための中国の文脈と軍事戦略の研究は、潜在的な緊張、誤解、もしくは公然たる過剰な攻撃性さえ暴露することによって、将来の戦争を回避または抑止する助けになろう。最後に、中国のアプローチの研究は、その他の軍事的・政治的分野における中国の政策を理解する上で、米国の政策決定の支援となるであろう。この理解は、台湾との潜在的紛争の戦略的文脈に対するロシアの情報戦争宣言に対する中国からの反応に照準を合わせることができる。
 中国がこの二十年間に追い抜くと期待される情報戦争の他の分野がある。純粋にアカデミックな観点からいえば、中国は情報戦遂行のための知的土台を形成する工学や数学の研究者や技術者という富をもっている。数学者は健全なソフトウェア・プログラムをつくるに必要な演算規則の準備に焦点を合わせることができるし、理論家達は弁証法的な思考過程によって情報戦の研究への革新的なアプローチを開発できる。
 更に中国の専門家達は、外国からの潜在的な情報戦の脅威の裏を掻くための「ソフト」あるいは「非対称」なアプローチに対する巨大な努力を払っている。この調査は現在、指揮・統制や反偵察、反ミサイル戦術に影響を与える方法に焦点を合わせている。この強調は、中国のコソボ戦争の分析によって明らかである。彼らの対空防御兵器の機動性を保持し、レーダーを突然かつ短期間に点けたり消したりするセルビア軍の能力は、NATO軍の戦力を攻撃するためのセルビア軍の損害を大幅に減らす一種の非対称な対応であった。
 米軍は情報優勢、優勢な機動、デジタル化、情報確度に精力を傾けているが、中国の情報戦争の方法の研究は、賢明であるだけでなく必要である。このような研究は、異なるイデオロギー的プリズムや枠組みの思考過程を通して分析すれば、米国システムの内在的な弱点を明らかにしてくれるかも知れない。米国の絶対的誤りは、他の問題解決のスキーム(弁証法)が使用可能であるのに、自らの弱点を明らかにするために自らのプロセスだけを使用することである。(おわり)