人民新報 ・ 第1019号 (2001年4月5日)
目次
●「国家安全基本法」などの策動に反対
自民党国防部会、ブッシュ政権の圧力に呼応し究極の解釈改憲論「集団的自衛権の行使」も提言
●山川暁夫さん1周忌と論文集出版のつどい開かれる
多彩な人々が遺志を受け継ぐ決意」
●女性国際戦犯法廷は何を裁いたか
右翼の策動を受け入れたNHK報道に抗議
●六月市議選を前に尼崎市で市民シンポジウム
ほんまに変える 議会を変える
●首切り自由を許すな! 3・23春闘総決起集会
●米日支配層を脅かす世界的な連鎖恐慌の危機 『破局』の歯車が回り始めた
●複眼単眼
『差別意識』は誰にあるのか 日本の歴史修正主義について
●保育制度がさま変わりする 営利型保育で働く保護者を締め出し
●「国家安全基本法」などの策動に反対
自民党国防部会、ブッシュ政権の圧力に呼応し
究極の解釈改憲論「集団的自衛権の行使」も提言
三月二三日、自民党国防部会は政府に対して「従来の憲法の解釈を変えて、集団的自衛権の行使が可能だとの立場に立つ」よう求める提言を行った。これは昨年十月、アーミティージら米国の対日政策担当グループがだした「提言・米国と日本、成熟したパートナーシップに向けた前進」に見られる対日政策を全面的に受け継いだブッシュ新政権の要求への対応策であり、支配層がめざす明文改憲が実現するのを待つことができないままに、従来の日本政府の憲法解釈の範囲を完全に飛び超えようとする究極の「解釈改憲」策動である。あわせて、この自民党国防部会の「提言」は「国家安全基本法」「緊急事態法制」「領域警備などの明確化のための自衛隊法の改定」などを提起している。
自民党国防部会提言要旨
自民党国防部会の提言は以下のように述べている。[自衛隊の態勢整備]政府の有事法制研究を踏まえ、新しい事態を含めた緊急事態法制として検討作業を開始し、早急な立法化が必要。武装工作員などに対処するため、領域警備に関わる法整備を行う。
[国際貢献]PKF本体業務の凍結解除などを整備する。
[問題点]集団的自衛権を国際法上有しているが、行使することは憲法上許されないとの政府の憲法解釈は、日米同盟の信頼性確保や多国間共同訓練、周辺事態における支援、協力活動の制約となっている。
[わが国の姿勢]集団的自衛権を国際法上有している以上憲法上も有しており、その行使は許される。ただしその行使の可否については個別的自衛権の場合と同様、必要最小限度の範囲にとどめるべきだ。行使はケースごとに国益を考慮してわが国が主体的に判断する。自動的に米国の戦争に参加することとなるといった批判は当たらない。
[方法]早急に実現可能とするため、従来の政府解釈の変更を求め、それとともに「国家安全保障基本法」(仮称)といった新法を制定し、その中で「集団的自衛権行使」「国連の集団的安全保障への参加」などの範囲を明確に規定する方向での検討を進める。この場合自衛隊の武力組織としての明確な位置付けも重要。
集団的自衛権も個別的自衛権も憲法は否定
日本国憲法第九条からみて、日本が自衛隊などの武力装置を持ち、「自衛のための戦争」を行ったり、アメリカとの間に軍事同盟条約を締結すること自体が憲法違反であることは明白だ。事実、最近では憲法調査会などでも改憲派自身が「自衛隊が憲法違反であることは条文上は明らか」とか「憲法が自衛隊などの現状に違反している」などといっているのをみればわかることだ。その意味で、現行憲法は日本国家に「自衛戦争の権利」も含めて一切の交戦権を認めていないことはいうまでもない。
しかし、歴代政府は強引に「解釈改憲」の手法を使い、「日本が攻められた場合に反撃する個別的自衛権」は合憲だと主張してきた。その際、「自国が武力攻撃されなくても、同盟国が攻撃された場合には共同で反撃する権利があるという『集団的自衛権』は国際法で認められている」が、憲法の制約からその「権利の行使はできない」などと説明することで、九条の勝手な解釈に一定の「歯止め」をかけざるをえなかった経過がある。しかし、この「集団的自衛権」にしても、アメリカが強引に「国連憲章」に割り込ませたもので、国連の決定がなくても米軍が独自に行動できるようにした論理であり、世界各地に展開される多国籍軍などに見られるように世界平和を維持する論理とは正反対のものだ。 だからこそ歴代政府の解釈改憲の論理をささえる内閣法制局も「集団的自衛権の行使は憲法九条で許容される日本の防衛のための必要最小限度の範囲を超えるので憲法上許されない」として集団的自衛権の行使を認めてこなかったのだ。
アメリカの対日要求に呼応
森首相は自らの政権が末期に際しているにもかかわらず、年頭の国会での所信表明演説で「有事法制の整備の具体化」を表明し、研究開始以来二十四年ぶりに日本政府として有事法制の具体化に着手することを言明した。そして退陣表明後の訪米と日米首脳会談でも「日米軍事同盟強化」を要求するブッシュに公約し、いま末期政権の駆け込みさながら「有事法制(例えば防衛庁の外郭団体の平和・安全保障研究所は「国民緊急事態法」を提唱している)」「集団的自衛権の容認」「自衛隊法の改定による領域警備の明確化」などをバタバタと進めようとしている。
これらのいずれもが従来の保守政権の安保防衛政策を大きく踏み超えるものであり、憲法の改定なしにはおよそ不可能な問題のはずであった。
しかし、森政権と自民党は、憲法改悪・明文改憲の準備をすすめながらも、彼らが「日米同盟の信頼性の確保」と称するアメリカ政府の要求に対応するためには、明文改憲の達成を待てない状況に追い詰められてもいるのだ。
だからこそ、これまでの歴代政府の「常識」すら破り、「解釈」の名にすら値しない究極の解釈改憲として、事実上の超憲法的態勢を作ろうとしているのだ。
改憲阻止と、有事法制反対、集団的自衛権行使容認反対の結合を
公明党はこのテンポの早さにたじろいだ様子を見せているが、すでに有事法制の具体化の促進では旧自自公連立時に確認をしている。この間の動きを見れば同党が集団的自衛権行使の容認に走るのも時間の問題だろう。民主党は党のプロジェクトチームが緊急事態における法制の在り方についての見解をまとめ、「日本有事や大規模災害の際、政府が国民の権利を制限する『国家緊急事態法』の制定を提唱」するなど、有事(戦時)法制の問題では自民党と本家争い、先陣争いをしている始末である。
だが九条にかぎって言えば改憲反対の声は依然として世論の多数である。当面では五月三日の憲法記念日の全国各地での共同行動を大胆に大きく発展させながら、九条改憲阻止の闘いと「国民緊急事態法」など有事立法の具体化に反対し、事実上の領海外での戦闘をも合法化する「領域警備」などを明確にする自衛隊法の改悪に反対する闘い、および「集団的自衛権行使の容認」など日米攻守同盟の強化の企てに反対する課題と結合して闘わねばならない。
●山川暁夫さん1周忌と論文集出版のつどい開かれる
多彩な人々が遺志を受け継ぐ決意」
生前、山川暁夫さんと親交があった各界の有志の人びとの呼びかけによる「山川暁夫さんの一周忌と川端治=山川暁夫論文集『国権と民権』出版記念の会」が、三月二十四日午後一時から東京・お茶の水の中央大学駿河台記念館で開かれた。この会には山川さんの遺族の人びとをはじめ、各界の関係者百名余がつどい、山川さんの多方面にわたる先進的な業績を偲びながら「論文集」の刊行を祝った。
この日の会は高田健(国際経済研究所)さんの進行で始まり、呼びかけ人を代表して斉藤邦泰(伯楽舎)さんがあいさつをした。献杯のあいさつは元総評副議長・元全港湾労組委員長の吉岡徳次さん。
各界からあいさつに立ったのは、山川さんの多方面にわたる交友関係を物語るように、長谷川慶太郎(評論家)、田原荘一郎(評論家)、宮崎学(作家)、大内要三(『国権と民権』編集者・朝日新聞社)、高須次郎(緑風出版)、高野孟(評論家)、白石忠夫(評論家)、足立実(東京東部労働組合)、森詠(作家)、武藤一羊(評論家)、佐々木公一、犬丸義一(哲学者)、有田芳生(評論家)、加藤哲郎(一橋大教授)、林茂夫(軍事評論家)、川上徹(同時代社)、宮本なおみ(元目黒区議)、星野安三郎(憲法学者)などの人びとであった。
最後に山川さんの連れ合いの山田聡子さんがあいさつをした。
戦後史を語る上で不可欠な著作に
斉藤邦泰さんは「山川さんが亡くなって一年になりました。私たちがこの本をぜひつくりたいと考えたのは、ものごとと格闘している山川さんをいつでも私たちの側において置きたい。山川さんに聞きたいことはまだまだたくさんあった。それらについて山川さんの書いたものの中から答えを引き出したいという思いからでした。あらためてこの本を作りながら、山川さんは本当に多くのものを残してくれたと感謝しております」と述べた。
吉岡徳次さんは「山川さんには労働組合の会合にたびたび来て講演してもらったが、鋭い情勢分析と情熱にあふれる山川節が忘れられない」と語った。
大内要三さんは「この本の三十三本の論文を選び、また巻末の著作目録をつくる仕事をしました。山川さんには膨大な著作がありました。企業ジャーナリストとして働いていた時期の文章、七四年以降に自立してマップインサイダーなどの時にだした文章、そして八四年以降、新しい政治運動をつくる活動のなかでかかれた文章とたくさんあります。ただ、それらが無署名であるため、すべて割愛しました。また起点をどこにするかという問題もあり、例えば五十年代、六十年代に書かれたものはやはりいま読むとつらいなぁというものもあり、七十年代を起点にしました。それでも重要な論文はたくさんあるのですが、単行本に掲載されたものは割愛しました。山川さんは最後まで国権と闘い、民権のために闘ったジャーナリストであると思います。日本の戦後史を語る上では山川論文を読まなければ分からないと言われる時代が来ることを確信しています」と語った。
民衆の運動の導き手として
白石忠夫さんは「山川暁夫さんのたったひとりでも全世界を相手にして闘うという気概を教えられた。最後までともに闘いたかったが、先に亡くなられてしまったが、教えを忘れずがんばろうと思う」と語った。 足立実さんは「山川さんはわれわれ労働者に対して、どんな時にも革命を訴え、社会主義を目標にしろと教えてくれた数少ない人だった。ソ連が崩壊した時も、山川さんは事務所で勉強会を開いて教えてくれた。私はそれを山川学校と呼んでいた。それをいまでも忘れない。昨日行われた地域での春闘集会でも山川さんの孫弟子にあたる労働者が社会主義の話をしていた」と述べた。
宮本なおみさんは「憲法改悪を許さない運動を地域でやっているが、山川さんにはなんども私たちの地域に来てもらい、話をしていただいた。私たちは運動を大きく展開するように頑張りたいが、今日お集まりの知識人のみなさんもぜひ理論の面で改憲派をうち破る努力をしてほしい」と発言した。
川上徹さんは「何かの本で敗戦後の時期は何もなかったが希望はあった。いまは何でもあるが希望はないと書いているのをみて、なるほどうまいことを言うと思わされた」と語った。
山田聡子さんは「ひたすら突っ走った人生でした。誰かのエッセイに自分の幸せをふり捨てても頑張る人は愛されると書いてありましたが、今日の集いをみて山川もそういう人だったのかなと思いました。その意味で幸せな人生だったと思います」と挨拶した。
●女性国際戦犯法廷は何を裁いたか
右翼の策動を受け入れたNHK報道に抗議
昨年十二月に開催された「女性国際戦犯法廷」は国際的な協力を得て、二十世紀最後に日本民衆の正義と良心を示し、大きな感動を与えている。この法廷の成功を支えた「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW−NETジャパン)が三月二〇日、東京ウィメンズプラザホールで「『女性国際法廷』は何を裁いたか……『法廷』の評価と今後の課題……」という集会を開いた。集会には五〇〇名も集まりホールは超満員で、さながら国際法廷当時の熱気が引き続いているような状況となった。
開会の後、松井やよりさんが全体報告をした。そのなかで「三月はじめ、国連の女性の地位委員会への報告のため一〇日間、ニューヨークへ滞在したが五回も報告する機会があり、『法廷』への世界の関心は大変たかい。中でも三月八日の報告では、国際法廷の開催を各国の女性が祝ってくれた」と「法廷」の評価の高さを報告した。今後の課題としては「東京裁判で性奴隷制が裁かれなかった資料を公開させるなど、判決の最後にある勧告をどう実行していくかだ」と話し、「戦時性暴力の不処罰の文化を変えよう!というのは国連では、すでに合言葉のようになっている」と報告した。
続いて、出来上がったばかりの「女性国際戦犯法廷」記録ビデオが上映された。上映時間は約六〇分。「法廷」の裁判官、検事団、証言者、証拠の立証など裁判の審理状況がよくわかる。しかし、なによりも昭和天皇「有罪」の判決が出た直後、被害者たちが躍り上がって喜ぶ、その姿は感動的で、「法廷」開催の意義を十二分に物語っている。
集会の基調報告は二名で行った。川口和子さんは「民衆法廷としての『法廷』」について、西野瑠美子さんは「被害回復からみた『法廷』」について話した。
各国の検事団のまとめを担当した弁護士の川口和子さんは、四〇項目にわたる判決要旨の六項目目についてふれ、次のように語った。「『民衆法廷』の権威は、国家権力から自由であり、政治的に左右されないことだ。東京裁判で天皇は免責された。当時、天皇が戦争の最高責任者だったのは民衆のだれもが知っていたのに、連合国という国家の権威により天皇ヒロヒトはお咎めなしとなった。『法廷』は、東京裁判でも国家の権威により不問にされた、戦時性暴力を裁く一大事業だった。『法廷』は国家が残した国際法違反を、当時の国際法で問題にしたのだ。『法廷』に拘束力がないという批判があるが、国家権力による強制の方がずっと野蛮ではないか。この判決をどう実行するかは、一人一人の市民の手に委ねられている。民衆の力にかかっている。日本国政府と国連に実効力あるものとして、どのようにせまっていけるかが課題だ」 もう一人の基調報告者、西野瑠美子さんは起訴状作成チームの一人として加害責任の証拠調べを担当した。西野さんは「これは歴史研究水準、知識、人の繋がり、忍耐などなど、そして体力と、戦後の力を総結集して行った。ひとつひとつの起訴状にどんなに多くの人びとが関わったか。こうした努力は、被害者の正義と尊厳の回復につながるものだ」と起訴状作成の過程を紹介した。さらに「法廷」の意義について、 @慰安婦制度が人道に対する罪であることを証拠をあげて裁いた、 A被害者が、被害の責任が彼女たちにあると見なす性差別的態度により、沈黙を強いられるという固定観念を変えようとしたこと、B国際法に内在するジェンダーの偏向を認定したことなどをあげた。今後の課題としては、判決を、@国際社会へ世論化していくこと、A国連文書にしていくこと、などを指摘した。また国内の教科書問題などにもアプローチしていくことや、NHKの番組改編にも断固とした姿勢でとりくむことなどの問題を提起した。
基調報告につづき、「『法廷』を評価する」として、つぎの五氏がそれぞれの角度から発言した。内海愛子さんは「東京裁判見直しの視点から」、高橋哲哉さんは「『裁いた』ことの意義」、大越愛子さんは「性暴力を裁いた意義」、安部浩己さんは「国際法の市民化」、東澤靖さんは「ICCと『法廷』の相互作用」について報告した。
最後に沖縄をはじめ各地からの参加者や教科書問題にとりくんでいる人などフロアからの発言もあり、もり沢山で熱気あふれる集会を終わった。「法廷」の判決全文の発表は五月半ばの予定である。
この集会に対して右翼の攻撃は激しかった。開会前から右翼が会場入口付近にたむろし、スピーカーを使い、プラカード、ゼッケンで行動する。参加者を無差別に写真やビデオで撮る。これは集会後までも続いた。十二月の「法廷」開催時よりも組織的になっている。天皇が有罪になったからいきり立っているのか。
NHKのETV二〇〇一シリーズ「戦争をどう裁くか」第二回「問われる戦時性暴力」の番組改編問題についてはすでに新聞でも報道されている。この日、VAWWーNETはこの問題ついて資料を公開した。
それによると、番組作成に協力してきたVAWWーNETは一月三〇日放映の内容を観て驚き、NHKに公開質問状を出したが、回答は納得できるものではない。一方でVAWWーNETの独自調査によると経過の概要はつぎのようである。
十二月の「法廷」がニュースで報道されると、右翼はNHKに抗議を繰り返した。番組企画に対しては、放映中止を求める抗議行動をエスカレートさせ、「NHK反日番組に抗議デモ」を繰り返し、建物内へ乱入した。同時に街宣車が騒ぎ回り、五台の街宣車がNHKの玄関前に突入した。NHKの代表電話だけでなく、担当者の直通電話や自宅にまで、番組中止を求める電話が繰り返された。
こうしたなかでNHK上部の判断で番組は改編され、「法廷」については、主催団体名も元加害兵士の証言も天皇を人道に対する罪で有罪とした判決も削除された。また番組の対談者が知らぬ間に、右翼学者の秦郁彦氏の「法廷」を否定する発言を長時間挿入した。
改編の結果、右翼団体は「番組は骨抜きになり、NHKに勝利した。今後も抗議を続けよう」とホームページで書いている。
VAWW−NETは報道の自由と番組の公正性・中立性を損なう行為として重大な憂慮を表明している。
資料の概要は以上だが、筆者も放映された番組をみて「法廷」を知らない視聴者には、否定的な内容ととらえるだろうと感じた。特に対談者の米山リサ氏の発言は意味不明のものになっていた。この番組改編には、番組のコメンテーターは勿論、「法廷」の国際実行委員会、世界の学者三六〇人連盟などの抗議声明が出されている。抗議行動を強めなければならない。(首都圏通信員)
●六月市議選を前に尼崎市で市民シンポジウム
ほんまに変える 議会を変える
三月十一日、尼崎市で六月の市議選を前にして、『市民派』の統一行動としてシンポジウムがもたれた。
会場となったのは市西よりのJR立花駅前、フェスタ立花内のすこやかプラザ、悪名高い駅前開発の最新ビルである(阪急塚口、阪神出屋敷、JR尼崎に続く開発計画である)。
できた以上は使うことで生かしていくしかないかと思われるが、中小の小売業者や昔からの落ち着いた通りを懐かしむ人にとっては二十七階の高層ビルはどうだろうか?
こうしたこととは裏腹に会場の雰囲気と集会の霧囲気はなかなかいいものであった。今元気いっぱい活躍中のTT21の松村史邦さんの市会で集会は始められた。尼崎政治センターの広畑貞昭さんよりシンポジウム開催にいたる経過が報告された。
その後寸劇「議会ってドンなんかなー」が市議選候補者九人と県会議員一人によって演じられた。議会場や委員会の状況や利権のからむ場面をそれぞれの候補者が役割交代しながら演じるのだが、これがなかなかのものであった。普段やられていることをやる役になって演じるので、なかなか迫カがあって会場爆笑のうずであった。なかにはひごろ各自の中に抑圧している部分がでてきたかと見まがうような心理描写的な場面もあった。議会でやじる人、居眠りする人、委員会で煙草を飲んで女性議員に煙をはきかける人、平然と途中退席する人、利益導入を図り行政を威圧する人、さまざまな議員像が描けていて面白かった。中にはもう当選して議員になってると思わせるほど板について演じている人もいた。
なによりもこの演劇を練習し演じることで候補者の連帯感ができ、市民の側からは候補者に対する親しみと一体感が感じられたのではないだろうか? 腹だたしい議会の現状への批判や怒りを越えた次元で。
第二部では会場から寄せられたアンケートをもとに清水耕介さんのコージネイトによってすすめられた。
会場からはさまざまな質問がだされた。
・どんな人が議員になるのか
・議員はえらいのか
・議会では討論されているのか
・行政、議会のうち何を一番変えたいか
・市民と何をやりたいか
・議員の収入はいくらか
・住民投票への考え方
・武庫川ダム問題についてどう考えるか
・保育所料金高いがどうか
若くて明るいコージネータと司会による進行でこれらの広範な基本的な質問に候補予定者が代わるがわる答えていって結構面白かった。
ただ議員報酬についてはもう少し厳しい基準で臨むべきと考えている私にはコージネータの感覚にはついていけないと強く感じてしまった。飯田浩議員の方から市内労働者の平均収入等があげられ、議員の妥当と思われる水準が上げられていたのが救いであった。
最後に衆議院社民党の北川れん子さんより在日外国人選挙権問題を舎む問題提起がなされた。
六月の市議選に向けては、激戦が予想されるがそんな中にも『市民派』がどのような方向性と一体感を持って選挙戦を關い抜けるか?全体としての投票率を押上げ、九人という候補者が重なり合わないところからいかにして得票できるか?が問われることになる。
こうしたことを進める上で大事な面白く楽しい一歩であった。
その後、行政側の出したさまざまな値上げを舎む新年度予算案は、予算特別委員会で全会一致で否決された。 (K・K 労働者)
●首切り自由を許すな! 3・23春闘総決起集会
三月二十三日、JC春闘の低額回答をはねのける意気で闘う春闘行動が展開された。ストライキを含むさまざまな行動を展開した後、午後四時からは、東京九段会館に千三百余りの労働者が結集して、「首切り自由を許すな!3・ 春闘総決起集会」(主催・春闘再生「行政改革・規制緩和・労働法制改悪」に反対する全国実行委員会)が開かれた。
はじめに、主催者あいさつに立った矢沢賢都労連委員長は次のように述べた。
総評労働運動は輝かしい伝統を持っているが、そのなかでも春闘は重要なものである。それは、高度経済成長の結果による賃上げではなく、ストライキを含む実力闘争で闘いとるものであり、そしてその成果を闘い、それを広範な労働者に押し広げたのである。われわれは、こうした春闘を闘いぬかなければならない。都労連の闘いについて述べるならば、今年中に、行革・公務員制度の抜本的改悪方針が出されるが、こうした攻撃を跳ね返すためにともに闘って行きたい。
つづく基調報告は、二瓶久勝事務局長が行った。
先ごろ春闘での連合大手の回答が出たが、それは定期昇給分プラス五〇〇円かそれ以下という程度の低額回答だった。われわれは、ストライキを含む大衆的な闘いを展開し本日の集会に結集し、今後も闘いを強めて春闘再生の流れを社会的に定着させたい。
現在、リストラ・首切り攻撃が吹き荒れ、年俸制、成果主義賃金体系が導入されるなど労働者をとりまく環境は急速に悪化している。また、国家公務員の二五%削減が言われ、国家・地方公務員のリストラ・労働条件の切り下げ攻撃が強化されている。われわれはこうしたことに断固として反対して闘って行かなければならない。そして、厚生年金、雇用保険など国民負担増に反対していく。
この席には国労高嶋委員長も参加しているが、国鉄闘争についてあえて発言させてもらう。一月の国労大会にはわれわれは失望させられた。千人にものぼる機動隊とバリケードで守られ、会場には共闘関係者もいれない、そして四党合意の強行採決がされるという国労の運動に一大汚点を残したものと言わざるを得ない。しかし、国労闘争団の約半数は闘い続ける決意を固めている現実がある。われわれ共闘はそれを支持して国鉄闘争を闘い続けるが、それは労働運動からすれば、それが道理と言うものだ。
決意表明は、国鉄労働組合、金属機器労働組合協議会、全日本建設運輸連帯労働組合、全国一般労働組合全国協議会、全水道東京水道労働組合、東京東部労働組合、東京清掃労働組合、全国一般東京労働組合、全日本港湾労働組合から行われた。
国労の高嶋委員長のあいさつには、会場から激しい野次がとんだ。
東京東部労組の岸本委員長は、社会主義をめざす労働運動が求められていると決意を述べた。
東京清掃労組の星野委員長は、国労本部の四党合意強行を激しく批判し、闘争団支援体制をいっそう強めていくと発言した。
壇上で争議団が紹介され、代表して、国労闘争団全国連絡会議の金児事務局長が決意を述べた。
採択された集会決議は、「私たちの主張は、『賃金も雇用も』であり、低額回答には経営者と真っ向から対決する闘いが必要です。私たちはこのような立場から春闘再生を目指し、職場でのストライキを基本として本日の集会に結集したことを全体で確認したいと思います。そして、今後も『賃金も雇用も』という考えに立ち、ストライキを基軸に闘い、春闘を社会的に定着させる闘いを展開していこうではありませんか」と闘う春闘を前進させることを確認した。
最後に、全労協藤崎良三議長による団結ガンバローで、リストラ攻撃に対抗し、JC春闘をのりこえて闘う決意を新たにした。
●米日支配層を脅かす世界的な連鎖恐慌の危機 『破局』の歯車が回り始めた
日本発の連鎖株暴落恐慌がアメリカ経済のバブルの崩壊をはじめとして世界を駆けめぐり、各国政府を戦々競々とさせているさなか、国会は戦後四番めというスピードで新年度予算案を通過させた。
しかし、その審議過程は財政・経済の破綻という重大な事態を前に、政府・与党の無策無能ぶりをさらけだし、ただただ見通しもないままに自公保与党の多数に依拠して採決を強行するだけのものとなった。森喜朗首相は辞意を表明したまま居座り、訪米・訪ロの無責任外交に走り、宮沢喜一財務相は「消費税を引き上げる公算大」とか「財政状況はやや破産に近い」などと「デタラメ」な(破産が事実という意味では「デタラメ」との表現は適当ではないかも知れない)国会答弁を連発した。
日米首脳会談では「(日本経済の現状はアメリカの)安全保障に関わる有事」とするブッシュ政権によって「苦い薬を早く飲め」とばかりに「不良債権の処理」「構造改革」「規制改革」などの異例な要求をのまされ、日本政府は窮地にたたされた。アメリカは「日本問題」を強調することで自らの責任とそのしわよせを日本経済に転嫁している。
株価は乱高下があり、一進一退があるが、今だに底は見えない。全体として消費は低迷し、不良債権の処理も見通しがない。そしてアメリカの経済にも期待はできない状況のなかで、下降基調は変わらず、日本資本主義が直面している深刻な危機の出口はまったく見えない。
森首相の失政を指摘し、その退陣に期待する声がマスコミを賑わしているが、事態はそのような生易しいものではない。今回の事態は、少なくみても八十年代後半の財政垂れ流しによる経済政策の結果としてのバブル経済と、その崩壊による慢性的な恐慌を背景として起きたものである。
世間ではいま五月危機説、九月危機説が流れている。
世界的な同時連鎖株価暴落
「遅かれ早かれ到来する」と言われてきたアメリカのバブル経済の破裂を頂点とする「世界的な同時株安(クラッシュ)」が現実のものとなった。
この三月、ハイテク銘柄の多い店頭市場の米国ナスダック総合指数は二年三ヵ月ぶりに二〇〇〇ポイントを割り、日経平均株価は十六年ぶりに一万二〇〇〇円を割った。この世界の総生産の一、二位を占める日米両国の連鎖暴落は欧州各国や東アジア諸国など世界的に拡大し、金融危機が進んでいる。
ナスダック総合指数は昨年三月の市場最高値(五〇〇〇ポイント超)比で六割以上の暴落であり、まさに「ITバブル」の崩壊現象が起きた。
グローバリゼーションの名のもとに、日本や西欧の「先進資本主義」諸国と東アジア諸国をはじめとする世界の新興工業諸国を犠牲にし、経常収支の巨大な赤字を容認しながら、国際的な資金を吸い取りつづけてきたアメリカの一人勝ちの好景気の時期は終わった。インターネットによる「技術革新」が牽引してきた「効率型」経済、労使関係を破壊し、労働者の大半を不安定雇用労働者に変えて、効率を追求しつづけてきたアメリカのニューエコノミー、新自由主義路線の破綻である。
デフレスパイラル?恐慌そのもの
政府は三月十六日、戦後初の「デフレ認定」を発表し、半年あまり前にゼロ金利を解除した日本銀行は、再び「金融の量的緩和策」を決定、実質的なゼロ金利政策に戻った。
しかし、政府がいまさら「デフレ宣言」をするまでもなく、バブルが崩壊して以降の日本経済の「失われた十年」と呼ばれる九十年代はデフレ経済そのものだった。八九年十二月の大納会で、日経平均株価が三万八九一五円八七銭の最高値を示して以降、株価は下げつづけ、いまとうとう一万二千円を割った。実にこの一〇年で平均株価は三分の一以下になった。
もはや「デフレ認定」などという小手先の政策手段ではどうしようもないほどに、日本経済はいま悪性のデフレが深化している。「情報技術(IT)戦略」などという空疎なかけ声をよそに、物価の下落と景気の後退といういわゆるデフレ・スパイラルが進んでいる。
「ゼロ金利」などという悪性インフレ状況と、景気の低迷というデフレ状況の併存という事態が進んでいる。日本経済は危険な停滞・縮小局面に陥った。ちまたでは売上高の現象↓企業収益悪化↓設備投資縮小↓雇用・所得環境悪化↓個人消費減少↓物価下落↓売り上げ高減少という循環の可能性が叫ばれている。
これはまさに資本がもっとも恐れている恐慌そのものに他ならない。
宮沢の無責任財政の破綻。労働者・市民への転嫁を許すな!
政府は金融機関やゼネコンに公的資金・税金をつぎつぎと注ぎこみ、その救済をはかったが、事態は好転しない。
企業は資金の効率活用と称して、労働者の賃金をまったく押さえ、賃金体系を破壊し、加えてリストラを推進している。この結果、不安定雇用労働者の増加となる。失業率は四・七%と二年続きの過去最悪の数値を示した。年金も破壊され、財政の危機を理由にして介護や医療などの福祉はつぎつぎと切り捨てられている。労働者をはじめとする民衆の生活は大きく圧迫されている。
こうした結果、GDP(国内総生産)の六割を占めるといわれる個人消費は低落をつづけ、二〇〇〇年第四四半期の実質個人消費(物価変動値を調整したもの)は三期連続でマイナスになった。昨年の名目消費支出はここ二〇年来、最大のマイナス幅を示した。
政府がつくった緊急経済対策本部の三月十五日の会合で、ケインズ経済学を信奉する宮沢財務相は「株式買い上げ機構設置計画」についてふれ「損失」をだしたら「財政で面倒をみることも考える」などと、またも企業を救うための公的資金・税金の投入という「危機回避策」を提起した。宮沢のこの発言はもはや「性懲りもなく」というほかはない。これでは財政などいくらあっても破綻する。
こうして政府のすすめる労働者・市民への圧迫政策がさらに景気の下降を招き、国家財政をも圧迫するという悪循環がつづいている。このようななかで、経済・財政の回復・再建のために、「国民も痛みを分かち合う心構えを」「血を流す構造改革を」(経団連・今井会長)などというギマン的で、責任転嫁の路線が各方面で語られている。
労働者・民衆は政府・支配層のこのような責任転嫁の説教を許してはならない。誰によって、誰の利益のために招いた危機なのか、問題と責任の所在ははっきりしている。(S)
●複眼単眼
『差別意識』は誰にあるのか 日本の歴史修正主義について
前号で小林よしのりの「台湾論」について書いた。
だがこういう手合いが日本の一部で跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していることは案外、知られていない。旧軍の同期会などでは酒が入るとかならずこういう話に花が咲くという。それを若い人びとの一部が信じ込んでしまうということもある。「いくらなんでもそんなおろかなことがあるものか」などと言ってはいけない。決して歴史認識などと言えるレベルの議論ではないが、この連中のデマの伝播力はあなどれない。
三月二十三日の産経新聞の夕刊で、編集委員の高山某が「消えた日本の遺産・かれらの差別∴モ識を知れ」という論説を書いている。少し長くなるが以下、その引用。
「パラオの話。第一次大戦のあと、ドイツから日本の委任統治領になった当時は『タロイモと魚が主食だった』……日本はコメを持ってきた(野菜やサトウキビ、パイナップルも持ち込んだ)。そして雇用創出もした。……インフラも整備し、舗装道路を敷き、電気を供給し、電話も引いた。英語で話される日常会話に日本語の『デンワ』が交じるのはその頃の名残だ。(その後、米国はすべてを破壊した)、『黒板消しで日本の影を消し回っているようだった』」と書いて、「泰緬鉄道もそうだ」としている。
高山に言わせれば「日本が解放の戦士としての影響力を残すのを排除するためだ」という。そして高山はつづける。「韓国で日本の総督府ビルがとり壊された。日本はこの国に……ダムも鉄道もつくった。おかげで『はげ山が消え、港も立派になった』(日韓交渉での久保田貫一郎政府代表の発言)。日本の遺産が気に食わないなら鉄道もダムも壊せばよかったと思うが、それは別にして、この総督府とり壊しには、欧米と同じ人種意識がある。……『華夷弁別』意識である。中国文化圏には、この序列が生きていて、……彼らには口でこそ言わないが、そういう人種意識、弁別意識がすりこまれている」
この高山の論理は「日本はアジアの国々を支配して、いろいろと大変良いことをしてあげたのだ。感謝されなくてはならないのに、理不尽な攻撃をされている。それは相手のアジア人に差別意識があるからだ」というものだ。
まことにもって恐れ入る次第だ。これは「新しい歴史教科書をつくる会」の連中も同様の発想だ。本当に高山らは日本の帝国主義は朝鮮半島や中国の人びとのために鉄道やダムをつくったと思っているのか、そうは思えない。これでは韓国や朝鮮民主主義人民共和国の人びと、あるいは台湾やアジアの人びとが日本への警戒の視線をゆるめないのは当然だろう。この記事をアジアの人びとが読んだら、怒りはおさまらないだろう。こんな連中の跳梁跋扈を許している私たちもまた批判の対象とならざるをえないだろう。
こうした日本人の歴史認識をうち破リ、歴史への責任を果たす作業をすすめるうえで、最近、岩波書店から出版された高橋哲哉著『歴史/修正主義』は必読の本だ。(T)
●保育制度がさま変わりする 営利型保育で働く保護者を締め出し
二人の子供を保育園に預けて通算七年目になる保護者の一人として、最近とみに保育園を取り巻く環境が非常に憂慮すべき事態になりつつあるので、読者の皆さんにそれを報告したくペンを取りました。
改めて説明するまでもなく保育園は、「共働き家庭の一般化」が進むなかで「子育ての社会的支援」の重要な柱の一つとして、昨今その役割がますます重要視されつつあります。このような社会的認知が得られつつあるのも、過去の諸先輩方の息の長い努力と苦労のおかげであり、それら諸先輩方の歴史が、まだまだ十分とは言えませんが、現在の保育水準を勝ち取ってきたのです。
にもかかわらず九〇年代中頃より、行革・財政危機を主な理由として、保育制度を根本的に改悪する動きが強まり、その集大成として九七年に多くの保護者が反対する中「児童福祉法」改「正」が強行されました。
この改悪の主な狙いは、煎じ詰めて言えば、保育に対する国や自治体の責任を放棄し、保育の民活化=市場化を押し進めることにあります。
それまでの保育制度では「措置制度」という名のもと、保育に欠ける状態の児童は必ず保育園等に入所させて保護する、全国一定水準以上(国が定めた最低保育基準)の保育を保障する、保育に関わる費用は一定の割合負担する、の三つの義務を国や自治体に課していましたが、今回の改悪ではこの「措置制度」を削除してしまいました。
この影響は各自治体によってバラつきはありますが徐々に浸透しつつあります。例えば各自治体は、国の最低保育基準に独白の制度を上乗せして国の保育施策の不備を補完してきましたが、措置制度が無くなったことによりこの独自の制度を放棄し、わざわざ国基準の最低保育水準に推し下げようとしています。また保育料も、現在は保護者の収入に応じて保育料を徴集していますが、今後収入とは一切関係なく保育コストから算出して均一の保育料を徴集しようとしています。現在の保育園は、保護者から徴集する保育料では当然不足するので、かなりの部分を国や自治体の補助金で補っていますが(それでも保護者が負担する保育料は高く感じるー年収七〇〇万で三才児童は東京の場合約三万円強)、コスト主義を導人すれば当然ながら保育料は高く設定されてしまうため、人によっては保育園に子供を預けること自体、困難になるなど、本末転倒の状況が発生する可能性もあります。
さらに一番危倶されることは、<営利型保育>の保護育成をはかろうすることです。現在の保育園は主には公立保育園と自治体に認可された私立保育園(法人経営)の二つが中心となって運営されており、これらに入園できない児童が無認可保育園に吸収されているのが実情です。無認可保育園は、国の保育政策の不備を補うために存在しているのですが、自治体から認可されていないため財政的支援がなく(あっても少額)、その結果として保育水準は国基準の最低ラインで、保育料も割高というのが実態です。
<営利型保育>の育成とは、この無認可保育園に補助金を出すなどして、今まで認められていなかった一般企業を保育分野に進出させ、自治体の保育責任の一部を肩代わりさせようとしているのです。
そもそも「保育」という分野で利益を追求しようとすること自体無理があるのに、もし企業が営利を求めるとすれば、当然考えられることとして、保育水準の引下げ(保母の少人数化・パート化等々)や、逆に幼稚園のように特色を売り物にして高い保育料を保護者から徴集することが考えられ、本来保護者が求める保育園とは逆行するものになります。
現在これらの動きと連動する形で、公立保育園の廃園や、公設民営化、調理業務の外部委託、保母の人員削減、短時間勤務保母の導入等の施策が次々と導入されてきており、ここ数年で保育制度が従来とは一変してしまうのではないかと、保護者や働く保母のなかから不安の声が上がっているのが実情です。
私たち保護者が求めているのは「保育が必要なときにいつでも入れる保育園が近くにあること。必要な保育時間を保育してもらえること。誰もが払える安い保育料であること。そして保育園で働く保母が生き生きと働き続けられること」という非常に単純明快な事ですが、この思いが今、正念場に立たされています。自分たちの子供のためにも、そして次の世代の保護者のためにも、多くの方々と連帯して私たちの求める保育を勝ち取つていきたいとおもいます。 (東京・定岡)