人民新報 ・ 第1020号 (2001年4月15日)
目次
●三国人発言から一周年・石原都政にNO!市民団体・労働団体などが共同で都庁包囲
●二〇〇一年のピースサイクル全国ネット スタート集会
●国鉄闘争は新しい段階に突入 「国労闘争団共闘会議(仮)」結成へ
●ひびけ沖縄のこころ関西のつどい 朝鮮半島・沖縄・日本から米軍は出ていけ!
●資料 わが国の安全保障政策の確立と日米同盟(自民党政務調査会国防部会)@
●映画評 「日本の黒い夏(冤罪)」
●文芸評論 アーサー・ヘイリーとアレックス・へイリイ アメリカ文学の一断面から(上)
三国人発言から一周年・石原都政にNO!
市民団体・労働団体などが共同し、都庁包囲で多様な行動を展開
今年も繰り返された危険な石原発言
石原都知事が昨年の陸上自衛隊練馬駐屯地での「創立記念式典」で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。震災が起きたら騒擾(そうじょう)事件が予想される」との、いわゆる三国人発言を行い、内外の厳しい批判を浴びてから一年がすぎた。
この間も石原都知事はその発言を反省することなく、逆に居直って、憲法違反の廃憲論、軍国主義、排外主義、女性蔑視、巨大開発、福祉の切り捨てなど人権を無視し、破壊する言動を繰り返してきた。これらの不当極まりない言動は在日外国人をはじめ内外の人びとから抗議され、さまざまな市民の行動も展開されてきた。
だが、一方ではこの間の小渕内閣から森内閣に至る議会政治の末期的症状の蔓延と、バブル崩壊以降の日本経済の深刻な不況からくる閉塞感によって、自民党など従来の保守政党に絶望した人びとの間で「石原新党待望論」も生まれ、右派マスメディアによって喧伝されてきた。石原はあきらかにこの状況を意識し、自らの野望の可能性をも計算しながら、挑発的言動をつづけてきた。
石原は四月八日に昨年同様に行われた陸自練馬駐屯地の創立式典でのあいさつで、またも「陸上自衛隊、陸軍がゲリラその他によって内部の撹(かく)乱、騒擾事件を積極的に鎮圧するために出動する計画が一部の新聞で報道されていたが、ごく当たり前のこと。(自衛隊の)力が発揮されてはじめて災害、被害は最小限に食い止められる」と述べ、公然と自衛隊を軍隊として扱う居直り発言を行った。そして「不法入国した多くの外国人が卑劣な犯罪を繰り返し、東京の治安そのものが危機にひんしている」と排外主義・差別発言を繰り返し、「(昨年の三国人発言は)一部の卑劣なメディアが曲解に導くような報道をした結果だ」とマスコミに責任転嫁した。
多彩な都庁包囲行動
これらの石原都知事の言動に反対し、抗議してきたさまざまなグループが共同して、「三国人」発言一周年にあたる四月九日、広範な実行委員会を組織し、都庁包囲行動を展開した。
実行委員会は石原やめろネットワーク、社民党東京都連合、新社会党、東京革新懇、都職労、東京全労協、東京地評、東京労連などによって構成された。
午後六時からは新宿の柏木公園で市民団体による集会が開催され、都庁に向けたパレードが行われた。同時に都庁周辺ではプレ集会としてコンサートや労働組合などによるアピールがつぎつぎに行われた。
七時から始まった集会ではカウントダウンで一斉に「石原都政NO!」をコールしたあと、実行委員会代表の辛淑玉さん、宮崎学さん、梁石日さんから挨拶が行われた。
都庁包囲の人間の輪行動のため、発言者の演壇は東西に分かれ、相互に交流しながら行われた。
西側では「東京都の女性財団廃止・ウィメンズプラザ直営化に反対する会」の土井登美江さん、「平和遺族会全国連絡会」の西川重則さん、「三宅島被災者支援委員会」の柴田勇雄さん、「東京湾十六万坪の自然を守る会」の田巻誠さんなどがアピールした。
東側では「日の出の森トラスト運動」の大沢豊さん、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の内田雅敏さん、「国立の教育を守る市民連絡会」の遠藤良子さん、移住労働者、「全国自立センター協議会」の樋口恵子さん、「戦争に協力しない!させない!練馬アクション」の井上澄夫さんなどが、つぎつぎに発言し、石原都政をそれぞれの現場から糾弾した。
その後、労働組合や各政党などからの発言がつづいた。
都庁を包囲した人間の鎖
閉会のアピールは評論家の佐高信さんが行い、つぎのように発言した。
「石原は先の総選挙で徳州会病院の徳田虎雄と、例の強姦発言の西村慎吾を応援した。これが石原の友だちなのだ。ここに石原の正体があらわれている。先日、ある外国の記者に、例えば欧米では知事がこのような三国人発言などをしたら即刻、クビだ。日本ではどうしてクビにならないのかと言われて、言葉に詰まり、たいへん恥ずかしい思いをした。日本ではクビにならないどころか拍手喝采されるむきもある。それは西村慎吾に拍手するのと同じことなのだ」と。
この夜、都庁はペンライトやローソクを持った人々の人間の鎖で包囲された。
二〇〇一年のピースサイクル全国ネット スタート集会
三月十日、十一日の両日、二〇〇一年のピースサイクル全国ネットスタート集会が岐阜県の瑞浪市で開催され、全国各地から代表が参加した。二日間の集会の準備は岐阜ネットワークが担当した。
初日は午後から核燃料サイクル開発機構(旧動燃)の東濃地科学センターと地下軍需工場跡のフィールドワーク。翌日は、二〇〇一年ピースサイクルの基調論議である。
この東濃地科学センターとは、旧ウラン鉱山跡を使って超深地層研究、空中物理調査、地上物理探査、ボーリング調査などの地層科学について研究する施設ということだが、要するに高レベル放射性廃棄物の地層処分(最終処分)のための研究機関である。
ピースサイクルの一行は、幹部研究員の案内のもとエレベータで坑道に入り、説明を受けた。原発施設と同じで、PRに努めているようだ。
説明した研究者によれば、物質の地下移動は地下水の移動との関係で解明できる=放射性物質は水に解けにくい=地下水の移動は極めて遅い=放射性物質の地下処分は可能ということになる。問題は、核物質を最終処分地にどう移動するかにあるらしい。さらに「研究を否定しては、賛成も反対もない」とも言う。
地元では、核燃が作ろうとしている超深地層研究所に核廃棄物が持ち込まれたり、そのまま最終処分地になるのでないかという不安が渦巻いている。地元の瑞浪市は、超深地層研究は必要であるが、最終処分は受け入れないという立場である。しかし、現状における最終処分の研究は、原発の推進・拡大につながる。
続いて訪れたのは、同じく瑞浪市にある明世(土狩山)の地下軍需工場跡。ここは川崎航空機岐阜工場の疎開工場としてつくられ、強制連行の中国人と朝鮮人が働かされていた。総延長が七キロ以上だから、規模としてはかなり大きい。
夜の交流会では、土岐市の核融合科学研究所の問題、県内北部の徳山ダム建設問題などについても話を聞いた。
翌日の基調討論では、以下のことを確認した。
沖縄ピースサイクルを六月二十一日から二十六日とし、七月十五日に東海村から広島、長崎、六カ所村にむけてスタートする。広島には八月五日、長崎には八日に到着。(六ヶ所村は未定)
「地域・自治体からの戦争非協力」「憲法改悪反対の世論形成」「核兵器の廃絶と脱原発」「環境破壊反対とリサイクル」「戦後補償とアジアの人々との友好・連帯」といった内容を柱に、底辺にある広範な平和への思いを結集することをめざす。そのために様々な人々からピースメッセージを集める。自治体や米軍基地、自衛隊基地、原発関連施設への申し入れ行動を展開する。米軍兵士や自衛官、原発関連労働者へのメッセージを送る。
二十一世紀の夏もまた、ピースメッセンジャーたちが全国を駆け巡る。
国鉄闘争は新しい段階に突入 「国労闘争団共闘会議(仮)」結成へ
三月三十日、東京・日本教育会館で「解雇撤回・地元JR復帰を闘う国労闘争団と共に闘う集会」が開かれ、闘争団・家族や支援の労働者など多数が参加した。
「闘う闘争団」は、@JRの不当労働行為は許さない!AILOの第二次勧告是正、最高裁は公正な判断を示せ!B「全面解決要求」「国労闘争団か求める解決要求」の実現を!をスローガンにしたこの集会の目的を、「要求解決まで闘い抜く、闘う闘争団・家族の決意を全体に明らかにすると共に、大きな成果をあげたILO派遣の報告などに加えて、『JRの不当労働行為は許さない!国労闘争団共闘会議』(仮称)の結成を呼びかけること」だと位置づけている。
集会ははじめに、「闘う闘争団」代表の内田泰博さん(旭川闘争団)が発言した。
内田さんは、国労大会への機動隊導入、「闘う闘争団」への圧力など国労本部による攻撃を批判するとともに、闘争団としてはJRに責任ありの態度を貫き通し国内・国際の分野で闘いを具体的に展開していくという闘う闘争団の決意と訴えを行った。
つづいて、同じく「闘う闘争団」代表である原田亘さんが、ILO結社の自由委員会事務局、国際自由労連事務局長、日本のメディアへの申し入れや情報提出などの活動で確実な第一歩を踏み出すことが出来たと、ジュネーブ派遣団のかちとった成果を報告した。
佐藤昭夫さん(早大名誉教授)は「四党合意の問題点と最高裁闘争の課題」と題して次のような講演を行った。
「国労大会で四党合意承認が強行されたが、次は訴訟の取り下げ問題が焦点となっている。訴訟を取り下げれば、(国労敗訴の)不当な判決を公正なものと認めることになってしまう。裁判闘争を続けることが重要である。国労大会は四党合意を承認するとともに、最高裁闘争も決めている。訴訟取り下げは全国大会の決定にも違反するものであり訴訟取り下げを許さない闘いが必要だ。もし、本部が取り下げたとしても、闘争団独自の訴訟も考えられる」
激励あいさつでは、連帯する会、西部全労協、首都圏の会、作家の宮崎学さん、オリジン電気労働組合労組・本間正史さんから、闘争団を支え勝利までともに闘い抜くという力強い激励の言葉が続いた。ルポライターの鎌田慧さんからメッセージも紹介された。
東京清掃労組星野良昭委員長が、東京清掃労組が独自にILOに要請文を送付したことを報告し、新しい共闘組織の結成にむけて「闘う闘争団への連帯アピール」を提案した。
「解雇撤回・地元JR復帰をめざす闘争団の闘いを支援することは、全社会的に推し進められようとしているリストラ攻撃に対し、共に闘う責務でもあります。私たちは、奪われた人権の回復と社会正義の実現をめざし、闘う闘争団の「決意と訴え」を全面的に支持し共に闘うため、「JR不当労働行為は許さない!国労闘争団共闘会議」(仮称)結成にむけて歴史的な第一歩を印したことを内外にアピールします」
このアピールには当日までに、星野清掃労組委員長の他にも、設楽清嗣東京管理職ユニオン書記長、橘幸英都職労書記長、矢沢賢都労連委員長など多数の支持が表明されている。
家族からの訴えとして、音威子府闘争団家族の藤保美年子さんが「十四年間の闘いが無駄にならない解決にむけてこれからも頑張る」と力強い決意を表明した。
最後に、「闘う闘争団」から行動提起が行われた。
ILOへ第二次派遣団を送る、各国労組への支持要請、労組・市民団体・個人からのILOへの要請行動、ILO対策プロジェクトの結成、最高裁へ高裁不当判決を正す要請、「公正な判断を求める要請書」署名運動の展開、政府・JRに向け闘う闘争団として交渉団の結成、全国キャラバンの実施、カンパ活動などが内容である。
集会では、協同センター労働情報の石田精一さんからパンフ「闘争団は負けない」の収益金の第一次分である百万円が「闘う闘争団」に手渡された(なお会場カンパは、十四万四千七百三十六円となった)。
この集会で、国鉄闘争は、機動隊導入・四党合意強行の国労本部からの自立と強固な支援体制の再構築にむけて新しいスタートを切った。
ひびけ沖縄のこころ関西のつどい
名護にあらたな基地をつくらせない! ジュゴンの海、ヤンバルの森を守ろう!
朝鮮半島・沖縄・日本から米軍は出ていけ!
四月一日、大阪城野外音楽堂で、「ひびけ沖縄のこころ関西のつどい」が開催された。つどいには、関西一円から二千五百名の市民・労働者が結集し、米軍、米兵によるこの間の沖縄でのわいせつ・暴行事件を厳しく糾弾し、沖縄・韓国・アジアからすべての米軍基地の撤退を要求するアピールを採択した。
集会は、主催者の挨拶につづき沖縄からの訴えが行われた。
レッドカードムーブメントの島袋博江さんは、昨年のカデナ基地包囲人間の鎖行動の経験を熱っぽく訴えた。
続いて、辺野古命を守る会会長の金城祐治さん、ヘリ基地反対協代表の安次富浩さん、二見以北十区の会の金城繁さんが登壇し、それぞれから挨拶が行われた。金城祐治さんは、「いつまでも平和ぼけしてたらダメ、いま日本列島の西の端で何がおころうとしているか見てほしい」「二度と再びいくさ場につながる基地を、孫たちのためにもつくらせてはならない」と訴えた。
つづいて、韓国から梅香里住民対策委員長のチョン・マンギュさんが訴えを行った。チョンさんは「私は漁夫です。私はいつのまにか不慣れな反米闘士となった。私がつけているオレンジの布は、米軍が爆撃訓練中に掲げる旗です。演習中に旗を引き裂き四十日間投獄されました。今も梅香里は戦争中です。行政的には、韓国の土地、実質的には米国の土地です。不毛の土地となることはほんとうの戦争と同じことです。自然と人間の生態系を破壊する戦争演習をやめさせ、米軍を東アジアから撤退させなけれぱなりません。私たちは火のように立ち上がるでしょう」と決意を語った。
つどいは、韓青同のサムルノリの演奏にうつり、会場カンパが寄せられた。
各団体からのアピールでは、まず、米軍人軍属による事件被害者の会の海老原大祐さんが発言した。海老原さんは、「米軍だけでなく自衛隊による暴行事件が増えている。米軍たちに被害を受けても日米両政府にすべて委ねられてしまう。しかし、沖縄県で損害賠償法案が全会一致で可決された。今こそ、日米地位協定や日米安保を見直していこう」と訴えた。
つづいて、ジュゴン保護キャンペーンセンターの武部恵子さんからは、全国署名の活動の提起が行われた。
団体アピールの最後に、韓統連事務局長の金昌五さんがアピールを行った。金さんからは、二百五十万人の悲劇として米軍の戦争犯罪を世界に告発するためにコリア国際戦犯法廷の開催に向け、力を結集してほしいとの訴えがなされた。
つどいは最後に、「名護にあらたな基地はつくらせない!ジュゴンの海、ヤンバルの森を守ろう! 朝鮮半島・沖縄・日本から米軍は出ていけ!」などのアピールを採択し、ビースウオークに出発した。
途中、警官隊と激しくもみ合いながら、人出でにぎわう大阪城や鶴橋付近で街頭宣伝を活発に繰り広げた。 (大阪支局・矢吹徹)
資料
わが国の安全保障政策の確立と日米同盟
アジア・太平洋地域の平和と繁栄に向けて@ 自民党政務調査会国防部会
本紙四月五日号の巻頭で三月二三日に出された自民党国防部会の「提言」が「緊急事態法制(有事法制)」と「国家安全保障基本法(集団的自衛権行使の法制化)」などについて提起していることを指摘した。この問題は今後の闘いの重要な課題となるので、「提言」の全文を二回に分けて掲載する。(編集部)
一、 はじめに
二十一世紀という新たな時代を迎え、わが国の平和と独立を守り、国家存立の基盤となる国防を全うし、もって国民の生命・財産を守るためには、引き続き、わが国の安保・国防政策の着実な推進が求められている。国防は、国の重要な任務であり、国際社会における責務である。また、国民に対する究極的な福祉とも言える。
戦後一貫してわが国が平和と繁栄を享受できたのは、自衛隊の存在と日米安保条約を基盤とした日米同盟関係が大きく貢献してきたからである。冷戦後の多極型国際社会においては、なお一層「日米関係はわが国にとっても世界にとっても最も重要な二国間関係」であるとの認識を持たねばならない。
新世紀に、さらなる発展が期待されるアジア・太平洋地域の繁栄に向けて、地域の平和と安定が不可欠である。そのためにも、日米同盟関係を一層強化し、日米安保協力の拡大・深化を図っていく必要がある。
冷戦後、日米安保共同宣言、新ガイドラインの策定、ガイドライン関連法の制定などによって日米の安全保障面での協力関係は増進された。しかし冷戦後、次々と生じている新たな事態に的確に対応していくためには、わが国として主体性を持って努力していく必要がある。
わが党は、安保問題について、昨年九月から浜田靖一国防部会長のもとで行なわれた十八回にわたる個別的検討を踏まえ、本年二月から依田智治国防部会長のもとで八回に及ぶ総括的検討・議論を重ね、以下「わが国の安全保障政策の確立と日米同盟―アジア・太平洋地域の平和と繁栄に向けてー」の提言を取りまとめた。
本提言は、日米同盟に関する提言である「アーミテージ・レポート」の発表、ブッシュ新政権の発足に鑑み、日米同盟関係の強化のあり方と、わが国及びアジア・太平洋地域の平和と安定を図るための安全保障政策全般についても言及した。特に、将来において、わが国が幅広い国際的な安全保障協力を推進するとともに、日米の安全保障面での協力関係をさらに進める上での問題点は、日本国憲法に由来する集団的自衛権の行使など国内の法制面であることを明らかにし、具体的な解決策についても言及している。
また、二月九日に起こった「えひめ丸」の悲劇的事故については、船体の引き揚げなど関係者の心情に十分に配慮し、事故原因の徹底究明と再発防止策の確立を急ぎ、日米関係の信頼が損なわれることのないようにしなければならない。
二、 最近の国際軍事情勢
(1)国際軍事情勢
冷戦後の世界においては、世界規模の戦争の可能性は大幅に低下し、近年は予防外交の推進や国連などを中心とした国際関係の安定化にむけての各般の努力も行なわれている。
他方、民族、宗教上の対立が顕在化するなど、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジア等において地域紛争・無差別テロ等が発生している。
また、大量破壊兵器(NBC(核、生物、化学)兵器)の拡散が進み、最近ではサイバー攻撃への懸念も増大している。
(2)わが国周辺情勢
わが国周辺地域においては、冷戦後、ヨーロッパと違って多くの国が軍事力の強化を推進し、朝鮮半島や台湾海峡等を巡る問題やわが国の北方領土など未解決な諸問題が存在するなど不透明かつ不確実な情勢にある。
朝鮮半島では、極めて閉鎖的だった北朝鮮は、諸外国との正常化を目指す積極的な外交を展開し、二〇世紀最後の年に、南北の首脳が初めて会談を行なうに至った。しかし、慢性的な食糧不足や深刻な経済の現状にもかかわらず、依然として一五〇万人を超える大軍が、軍事境界線をはさんで対峙している状況等に変化はない。また、北朝鮮による弾道ミサイルの開発・配備や大量の生物・化学兵器の保有、国内における思想の引き締めや大規模な軍事演習の実施など、朝鮮半島の先行きはまだまだ不透明な面が残されている。
中国では、軍事力の近代化・強化を継続し、依然として海洋進出の傾向を強めているが、台湾問題でどのような対応をするかが米中間の重要な対立要因になりかねず、わが国の安全保障にも重大な影響を与えることが懸念される。また、中国の共産党の一党支配体制と国内における経済格差問題などにより、中国が今後この地域において、協調的で責任ある国として発展していくことができるか明らかになっていないことも問題である。
極東地域におけるロシア軍の規模は、ピーク時に比べて大幅に削減された状態にあり、活動も全般的には低調である。しかし、依然として核戦力を含む大規模な戦力が蓄積された状況にあり、その一部において更新・近代化の動きがある。こうした動向については、引き続き注目しておく必要がある。
このほか、ASEAN諸国等においても、特に大きな影響力を有するインドネシアの国内動向など様々な問題を抱えており、留意する必要がある。
三、日米同盟の強化と日米安保体制
(1) 日米同盟関係の重要性
新たな世紀においても、わが国周辺の国際軍事情勢は先にも述べたように不透明・不確実な要素をはらんでおり、日本の平和と独立を守り、アジア・太平洋地域の平和と安全を確保するため、適切な防衛力の整備と日米安保体制の強化が必要不可欠である。
自由と民主主義と市場経済という価値観を共有する世界のスーパーパワーたる米国と第二位の経済大国のわが国が同盟関係にあることは、特別な意義を有するものであり、わが国はもとよりアジア・太平洋地域の平和と繁栄を確保する上で極めて大きな役割を果たしている。
冷戦後の不安定なアジア・太平洋地域においては、依然として国連による集団安全保障体制やアジア地域の集団安保体制が確立しておらず、日米同盟関係の意義は益々重要になってきている。米国のブッシュ新政権も日米を含む同盟関係を重視する姿勢を明確にしている。
(2) ガイドライン関連法と日米同盟
日米安保共同宣言においてガイドライン見直しが決まり、その後、新ガイドラインが策定され、それに基づいて周辺事態安全確保法や船舶検査法が成立するなど、日米防衛協力関係は一歩前進した。
しかし、これらはあくまでも協力強化に向けての一歩に過ぎない。今後は、これを土台として新政権との政策面での協議、共同作戦計画についての検討及び相互協力計画についての検討などのガイドラインの実効性確保のための施策、日米共同訓練の実施、弾道ミサイル防衛(BMD)の日米共同技術研究、その他の装備技術面などの具体的な協力関係をさらに強化していく必要がある。
(3) 新たな脅威に対する米軍と自衛隊の協力関係の強化
冷戦後の脅威は多様化し、国際的なテロや国境を越える犯罪活動やサイバー攻撃など、新たな事態と挑戦への対応が必要となっている。米軍と自衛隊など日米間でいかに協力するかについて協議し、早急に緊密な協力関係を構築すべきである。
(4) 日米の防衛技術協力の促進
日米同盟の中でも防衛技術協力は、同盟関係全般における重要な要素である。
日々進歩する先端技術の防衛・軍事面への対応や最近のサイバー攻撃対策などの実施には、日米間で戦略的提携関係を築き双方向での協力関係を拡大していくなど、装備技術面における協力を積極的に推進する。
なお、双方向の装備技術協力が同盟関係を維持する重要な基盤であるとの観点からも、武器輸出三原則のあり方についても検討する必要がある。
(5) 日米ミサイル防衛協力
弾道ミサイルなどの脅威に対処するためとともに、その拡散を防止するため、日米間で現在、行われている弾道ミサイル防衛(BMD)の日米共同技術研究を推進する。
(6) 情報交換と秘密保全
安全保障へのニーズに対処するには情報を適切に収集・分析することが重要であり、日米双方が情報面での一層充実した協力関係を構築することが必要である。それには、まず日本自らが独自の情報収集力を強化するとともに、重要な軍事情報が他に漏えいすることのないよう秘密保全に万全を期さなければならない。そのためには、新たに法律の改正等も行なうべきである。
(7)沖縄米軍基地問題への対応
沖縄における米軍施設・区域の整理・統合・縮小への取り組みについては、沖縄県及び地元自治体の理解と協力を得ながら、SACO(沖縄特別行動委員会)最終報告を着実に実施し、沖縄県民の負担軽減に努める。
また、米軍兵士による事件に対しては、地位協定の運用改善により個々の問題に対応し、それが十分でない場合には、協定の改訂も提起するなど適切に対処すべきである。
なお、日米間の防衛協力が大きく前進し、より信頼性の高い協力関係が構築することにより、アジアの安全保障体制はより強固なものとなり、沖縄における米軍施設・区域の整理・統合・縮小及び訓練負担の軽減への取り組みが、さらに前進させることになる。 (つづく)
映画評
「日本の黒い夏(冤罪)」
監督・脚本 熊井 啓
原作 平石耕一 「NEWS NEWS−テレビは何を伝えたか」(戯曲)
主演 寺尾 聡(神部俊夫)……河野義行さん 中井貴一(笹野 誠)……テレビ局報道局長
2000年 日活 118分
この映画のなかでは、松本サリン事件の被害者の一人であり、第一通報者である河野義行さんの役柄を神部俊夫という名前で表しているが、便宜上この批評では河野という本名を使いたいと思う。
かつてイラン・イラク戦争のなかでクルド民族掃討のためサリンという化学兵器が使用されたということを聞いたことはあるが、まさか日本でこのような化学兵器が製造され、使用されようとはだれも考えなかっただろう。そのため警察もマスコミもこの化学兵器にたいする知識はほとんどなかった。
河野さんがかつて京都の薬品会社に勤務し、松本に転勤する時に、写真現像のための薬品・青酸カリなどをもらいうけ倉庫の奥深くにしまいこまれていたという偶然性がほとんど予備知識のない警察の予断と偏見を生んだといえるだろう。
この映画は、河野さんが主人公ではない。事件以降過熱する報道のなかで少し踏みとどまって事件の真相を究明しようとした地方局の報道部長が、上層部の圧力をはねけて自らの良心にもとづいて特別番組を制作しようという点に主眼がおかれている。物語は、事件の報道のしかたに疑問を感じた地元の高校の二人の放送部員が、事件を検証するためのビデオを制作するためにテレビ局を訪れるところから始まる。若干ではあるが良識あるテレビ局の報道部員を美化しすぎているような気がある。他の新聞やテレビ局とは違った報道をするのも、言ってみれば視聴率のためである。そのことは映画のなかでもふれられているが、いかにも弱い。
映画のなかで、河野さんは入院中さまざまな偶然が重なって自分が被疑者扱いされていることを知り愕然としたり、その半面警察が犯人でもない人間を犯人と考えることはしないと思うように心が揺れ動く状態はよく表現されている。重大事件であるがゆえに、警察がかなり強引な方法を使ってでもデッテ上げようとする場面も今までよくみてきたような気がする。病みあがりの人間を任意の事情聴取だとはいいながら実際は犯人扱いをして、「おまえが犯人だ」と迫る場面は弱い人間だと警察の思い通りになってしまうだろうという感じがした。河野さんも担当弁護士から「警察は人の潔白を証明する場所ではない。犯罪を犯していない人間が逮捕され、無実の罪を着せられることはいくらでもある」と諭されても、にわかには信用できなかっただろう。
しかし河野さんは著書「妻よ!わが愛と闘いの日々」にあらわされているように弱い人間ではなかった。間違っていることは間違っていると言える強い精神力を持っていた。だから警察の苛酷な取調べのなかでも無実の自白はしなかった。取調べの場面を見て、どれだけ耐えうる人間がいるだろうかと考えた。
過熱する報道のなかで、いつの間にか犯人と名指しされ、脅迫電話や近所の白い目、時に家屋に石つぶてを投げつけられた。そんな時にでも子どもたちに「おとうさんはなにも間違ったことはしていない。世間の人はやがてそれがわかってくれる。学校でひどいことを言われても、それはそのひとが間違っているのだから」と諭す河野さんに、自分自身もそのような状況のなかでも同じように言えるかなとも考えた。
現在、仙台の病院を舞台に、筋弛緩剤を注射して患者を殺害したとして逮捕された人間がいる。そして一部ではあるいは冤罪ではないかとの説もある。私自身それが真実かどうか、判断できない。なにも判断できる材料・情報を持ちあわせていないからだ。しかし、彼は被疑者の段階ですでに犯人扱いされている。
松本サリン事件についても、一般視聴者は新聞やテレビの情報からしか判断できない。しかし、それがいかにあいまいな情報でも、研ぎすまされた人権感覚を持つことはできる。警察のフレームアップに加担しないためにも。
少し良識があった地元のテレビ局はTBSの系列局だが、弁護士の阪本堤さんのインタビューを事前にオウム真理教の幹部に見せ、結果として阪本堤さん一家が殺害された契機をつくり、筑紫哲也キャスターをして「TBSは死んだ」と言わしめたのも同テレビ局だったのは皮肉なめぐりあわせだろう。
映画の手法には問題があるにしても、河野義行さんの家族、とりわけ妻・澄子さんに対する愛情には感心させられた。
映画のなかでオウム真理教のことをカルト集団としか表現できないのはやはり映画の限界なのだろうか。熊井啓監督はかつて、「帝銀事件・死刑囚」(64)、「地の群れ」(70)、「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」(81)などの問題を提起する映画を多数作り上げているが、今回は原作の戯曲に基づくとはいえ、河野さんを主人公にして撮ってほしかった。そしてまた松本サリン事件から六年余り、まだ映画化するには早すぎる感じがした。なぜなら現実の事件の衝撃がいまだに強すぎるから。無実の人に罪をかぶせていく冤罪はこれからも生産されていく、警察組織が今のままである限り。この映画はそういうことを教えてくれる。……河野澄子さんの病状はいまだに回復していない。(東幸成)
文芸評論
アーサー・ヘイリーとアレックス・へイリイ アメリカ文学の一断面から(上)
蒲生楠樹
アーサー・ヘイリイとアレックス・ヘイリイ、よく似た名前であるが何の関連性もない。あるとすれば著名なアメリカの作家であるということぐらいである。私の中でこの二人がつながってきたのは次のようないきさつであった。
ある集会の後の交流会で話が医療過誤の間題になった。その時その日の講師であった山川暁夫さんが「それは蒲生さんの分野だから」と言われた。えっと私は思った。私が以前、マルコムXについて書いたことがあったので、黒人間題やマルコムXのことに話が及ぶと「それは蒲生さんの分野だから」と言われることがあった。でも医療過誤についてそう言われるのはどうしてだろうか?と思ってしまった。
私と山川さんは似た血管の病気を持っていたので、会うとよく双方の病気の情報交換をしていた。それにしても医療過誤とは?との思いがその後続いていた。そしてひょっとしたらマルコムXの自叙伝の聞き語りを書いたアレックス・ヘイリイに良く似た作家、アーサー・ヘイリイに医療過誤をテーマにした作品があるのではないかと思って調べてみることにした。果して医療過誤をテーマにした作品、「最後の診断」があった。それから彼の作品をいくつか英語版で楽しむことになった。またアレックス・ヘイリイについてもいろんな人から、「えっ、『マルコムX』の作者と『ルーツ』の作者は同じですか?」ということを聞いた。そこで何の関連性もない二人の作品を取り上げてみることにしたのである。
アレックス・ヘイリイ 「ルーツ」「マルコムX自叙伝」
マルコムXの聞き語りを書いた「マルコムX自叙伝」は、六〇年代とその映画が制作された九〇年代に書店の店頭に並んだ。私は六〇年代に写真の入った初版本で読んだ。ボクシング・へビイ級チャンビオンで徴兵拒否のモハメド・アリ(カシアス・クレイ)と並んだ写真に当時、ベトナム反戦運動に参加していた私はただもうそれだけでも感動していた。
内容でも刑務所で思想的影響を与えられながら生き方に目覚めていくといったものでぐいぐいと引き付けられた。従って私にとってもマルコムXに興味があったのであって作者には興味もなくあまり印象的ではなかった。マルコムXに関しては何かあるごとに出かけたり本を読んだりしていた。アメリカの左翼グループの出しているパンフレットで読んでみたが、それによると自叙伝で述べられているよりは左翼との交流があったようで、同じ白人でも左翼の白人は別だと考えていたほどである。またアメリカの反戦活動家デヴィッド・デリンジャーさんが来日した時、マルコムXについて質問してみた。彼にとってはキング牧師の印象が強かったようであるが、でもしっかり覚えており、メッカ巡礼以後、彼が変わったことについて話された。同氏の「エールからジェイルヘ」を読む時も注意していたが、マルコムXは一度ヒルトン前にでてきたのみであった(その代わり氏の本にはマルコムXの影響があると言われている黒豹党のボビー・シールについて述べられている)。
また昨年、ある大学でロスアンジェルスから大学講師を招いてのマルコムXにつっいての講演があり、休暇をとって聞きにいってみた。そこの大学の教師がマルコムXの影響はあまりみられないという意見に私は部外者ながら、みびいきながらそんなことはないと反論してしまった。九三年に映画制作されてからもう一度自叙伝を読み返してみた。今回は普及版であり英語版二回目にも関わらず面白く引き付けられて読んでしまった。
そして八〇年に入院した時、そこの医師の好意で蔵書を読ませてもらったが、その中の一冊が「ルーツ」の日本語版であった。そこで私はアレックス・ヘイリイに興昧を持つことになった。はじめの方を読んだところで退院してしまった。そして一昨年あたりから絶版だといわれて取り寄せできなかった「ルーツ」を読みだした。これもスパーク・リーが、『マルコム・エックス』を映画製作してくれたおかげである。それに便乗するように「ルーツ」も再版され店頭に並んだようである。通勤途上の電車の中での読書とあって英語版七百二十九ページを読むのに一年以上かかってしまった。(つづく)
複眼単眼
国益、国民と、市民、民衆、そして人民
日本共産党の新聞「赤旗」を見ていると「国益」という言葉が結構、使われている。例えば最近の森首相の訪米と日米首脳会談で、森首相は「国益を損ねる約束をさせられた」というふうに。もちろん「国民」という言葉はあの新聞にはあふれている。かつて共産党は「人民」「勤労人民大衆」などという言葉を多用したが、最近はまったく消えた。
運動の側でも最近は「人民」「大衆」などという言葉を使う人はあまり見なくなった。かわって「民衆」や「市民」という用語が多くなった。「大衆」というのは何か上から見下している感じがするし、「人民」は「古くさい左翼的なにおい」がして、市民運動には似合わないという、運動側の感性の問題もある。
さて本紙の名称は「人民新報」だし、左翼の機関紙にはいまも「人民〇〇」などと市民」や「民衆」「大衆」などの用語も混在している。それはその場、その文に適切なものを使えばよい。
しかし、実際、「国益」などという言葉が使われると何か背筋が「ゾォーッ」とする。「国益」という概念では、この日本列島上に住むすべての人間がひとくくりの利害集団にされる。「アメリカ帝国主義」対「日本の国益」という綱領からくる図式だから、共産党にとっては当然なのだが、そんなことは願い下げだと思う。この国の支配層とわれわれが、日米交渉でどんな利害で一致するのだろうか。少しこれよりは狭いが「民族」という概念もそうだ。いまでも「森は民族の利益を売り渡した売国奴だ」などという「左翼」もごく一部にいないわけではない。これも一括りの利害共同体でとらえているわけだ。そしてこの場合は列島上に住む他の民族は除外するという大民族主義が派生する。
「人民」という概念は社会の支配者と被支配者の階級的な対立を把握したうえで、被支配者を総称する正確な概念だ。「民衆」「大衆」もこれに近いが、必ずしも階級対立は明確には意識されていない。「市民」となると、自治体の〇〇市ではないから、一定の定義づけがあって、社会の中で「民主主義的に自覚・自立した人間」として「市民」を使う場合が多い。筆者もよく「市民運動」という用語をもちいるが、それでいて日本語としてはこれはイマイチこなれていないなぁというためらいもある。わが故郷の東北地方の寒村で「市民運動」について語るのはおそらく照れくさいはずだ。
歴史学者の網野善彦氏が最近「歴史を考えるヒント」(新潮社)という本をだした。その中に「普通の人びとの呼称」という章があり、彼の持論の「百姓」論もあるが、「人民」や「国民」について論じている箇所があり、おもしろい。網野さんの議論にすべて同意するわけではないが、ずいぶん参考になる。「人民」というのは『日本書紀』にでてくるとか、「国民」も歴史のなかで用語法が変化してきているとか、本屋での立ち読みには好適だ。 (T)