人民新報 ・ 第1021号  (2001年4月25日)    

                             目次


● 第七十二回メーデーにあたって
  労働者の団結した力でリストラ、憲法改悪攻撃を跳ね返そう!

● 5・3憲法集会の大成功をかちとろう

●憲法調査会初の地方公聴会に  仙台市民が集会で厳しい批判

●「つくる会」の教科書採択に批判 検定前と本質では変わりなし

●金曜連続講座・金子勝さん 日本再生論その後(上)

●資料 わが国の安全保障政策の確立と日米同盟(自民党政務調査会国防部会)A

●「満月まつり」で沖縄の米軍基地に反対する一夜

●寄稿  「えひめ丸」事件と日本の戦争・戦後責任

●複眼単眼  米軍事偵察機事件、集団的自衛権、平和運動

●文芸評論 アーサー・ヘイリーとアレックス・へイリイ アメリカ文学の一断面から (下)




第七十二回メーデーにあたって

    
労働者の団結した力でリストラ、憲法改悪攻撃を跳ね返そう!

                    労働者社会主義同盟中央常任委員会


   (一)

 すべての労働者のみなさん!
 第七十二回メーデーにあたって、労働者社会主義同盟中央常任委員会は、全国の労働者のみなさんに熱烈な階級的連帯のあいさつを送ります。
 アメリカの大幅な株安・バブルの崩壊は世界的に深刻な影響を与え、資本主義が歴史的な危機の状況にあることをあらためて示しました。アメリカ・ブッシュ政権は、米軍偵察機の対中国諜報・軍事挑発、朝鮮半島問題の平和解決への逆行など覇権主義・強権政治の傾向をいっそう強め、また環境問題でも独善的な姿勢を露骨に示すなど、世界の労働者・勤労人民の平和と社会進歩の願いに敵対しています。
 二一世紀の世界と日本は、歴史的な激動の幕開けを迎えました。中東での新たな戦争の危機があらわれ、アジアでも軍事的緊張の高まりなどが顕著になり、またアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど多くの国々では階級的・民族的・宗教的な諸矛盾が激しくなり、人民の闘いの高まりがみられます。
 日本経済はいっそう不況色を深めました。リストラ・搾取強化は、多くの労働者と家族の生活と将来を不安なものにしています。自民党政治は、森内閣の誕生からそののたれ死にまでの失態劇の連続、新総裁選出での混乱、そしてあいつぐ選挙での敗北など末期症状を露呈させています。しかし、支配層は、こうした経済不況と政治的混迷を一層の反動攻勢によって突破するという危険な道を歩もうとしています。
 まさに今年のメーデーと日本の労働運動をめぐる状況はきわめて重大なものになっています。この数年、資本の攻撃と政治の反動化は急ピッチで進行しました。リストラ・解雇が強行され、失業者が増大し、労働者の生活と権利は厳しい局面に至っています。労働条件の低下、生活の悪化が進んでいます。平和と民主主義も危機的な状況に直面しています。政府・資本家階級は、日米軍事同盟の強化、戦争法体制・有事法制の確立の策動を強め、ついに憲法そのものの改悪にまで手をつけはじめました。
 われわれをとりまく情勢は、侵略美化教科書の検定通過、石原都知事の排外主義発言などの危険な動きが続き、「新たな戦前」といえる様相をますます強めています。沖縄から飛び立ったアメリカの偵察機と中国軍機の衝突事故と、その後の横須賀を母港とする米空母キティホークの中国近海への展開などは、多くの人々に、日本がアメリカの軍事戦略に深く組み込まれ米日帝国主義によるアジア支配をねらう戦争の危険性が身近にあることを気づかせました。
 いまこそ、労働者と広範な勤労者は団結して反撃にたちあがらなければならない時です。残念なことに、このように労働者の生活と権利、平和と民主主義が脅かされているのに、有効な反撃が組織出来ていません。それは、労働運動の指導権が労資協調主義勢力に占拠されているからです。しかし、主体的には、階級闘争と社会主義の立場に立つ闘う潮流が、いまだに弱体な段階にあることに根本的な原因があります。今年のメーデーを機に、メーデーの戦闘的伝統を継承・発展させていこうと決意している潮流は、イニシアティブを発揮して具体的な一歩を踏みだす決意を新たにすべきです。そして広汎な労働者・労働組合のなかに不抜の思想的・政治的組織的影響力を確立するために協働しましょう。資本の側では、すでに旧財閥の系列を超えて大再編が進行中です。資本家階級に対抗して勝利するためには、闘う原則を基礎に出来るだけ広範な勢力の結集が焦眉の課題となっています。
 「万国の労働者、団結せよ!」の旗の下、国内の、そして全世界の働くものの団結をかちとろう。

    (二)

 すべての労働者のみなさん!
 現在、中小春闘が粘り強く闘われています。しかし、春闘前半の山場であった三月十四日のJC(金属労協)一斉回答は惨憺たる状況を呈しました。
 自動車、電機、造船重機、鉄鋼(隔年春闘のため今年は一時金のみ)の金属四業種大手への回答は、昨春闘とほぼ同率の二%ほどとなりました。JCのなかでも格差が広がりました。自動車では、ベアでトヨタ六百円、三菱ゼロなどです。なお、NTT、電力は二年連続のゼロという結果です。こうした内容を、一部マスコミは、「JC系は前年比マイナス止める」と報じていましたが、JC幹部の評価する企業業績の回復とその結果の「賃上げ」というものは、数年連続している人員削減や賃金抑制の結果が出てきたことによるものです。ベースアップというものが、賃金総額を従業員総数で除したものを前年のものと比較したものですから、分母である労働者が少なくなれば少なくなるほどそれは大きくなるものです。それが少しよくなったということは、リストラで仲間の労働者を犠牲にした賃上げということであり、労働組合としては決して評価できるものではありません。企業主義に縛られて、生き残った本工労働者だけの利益をエゴイスティックに追求するのではなく、労働者の連帯の原則を日本の労働組合は今こそ再確認すべきです。
 JC春闘の結果を見て日経連の奥田碩会長は、「労使を取り巻く経営の環境の問題や、定年後の再雇用の問題なども交渉の議題にあがっている。春季労使交渉がカバーする範囲は賃金以外にも広がりつつあり、好ましいことだ」といっそうの春闘改革=解体を主張しました。
 厚生労働省は、三月二十八日に「二〇〇〇年賃金構造基本統計調査」を発表しました。それによると、パートタイムでない一般労働者の賃金は、この三年間は対前年比賃金増は一%を切っています。それと、企業規模での格差が大きいということです。大企業を一〇〇として、中企業(男性=八三、女性=九〇)、小企業(男性=七六、女性=八二)となっています。
これから、リストラ合理化攻撃はいっそう本格化することは必至です。こうした時こそ労働組合の出番であり、日本の労働組合は抜本的な再生を求められているのです。

    (三)

 すべての労働者のみなさん!
 連合は、ついに伝統ある五月一日メーデーをやめ四月二十八日の開催としました。労働者の団結を確認する統一行動日を勝手に変えて、団結してこそ資本・政府と対抗できる労働者・労働組合の力を分散化させることは大きな誤りです。しかし、連合メーデーにも注目すべきことがおこっています。当初は、お祭り色の強いものととして計画された連合メーデーも、政治の反動化・景気の先行き不透明感から「雇用と生活の危機突破!働くものの力を結集し、政権交代で新しい政治を実現しよう!」をメーンスローガンとする「世直し!怒りのメーデー」ということになりました。連合の笹森清事務局長は、先ごろひらかれた記者会見で、「自公保政権ノーを掲げたメーデーなので厚生労働大臣には出席を要請するが、政府代表の出席は求めない。政権与党にも呼びかけない」と語りました。連合指導部が、これまでの政府・与党ベッタリの姿勢を変更せざるをえないほど、連合傘下の労働組合員も自民党政治に対して怒っているということです。連合指導部が、政府・与党との対決を言うのであれば、団結による力を発揮しなければなりません。労働者の団結の象徴である統一メーデー実現のために闘うことはいっそう重要かつ差し迫った課題となっています。連合内外の闘う労働者は一致協力して、メーデーの統一・労働組合運動の闘う統一のためにいっそう奮闘しなければなりません。

    (四)

 すべての労働者のみなさん!
 労働者階級の闘争力の源泉は団結です。メーデーにあたり、さらに大きな結集と団結の意義を確認しよう。
 激しいリストラ・雇用破壊攻撃、賃下げ・労働条件の劣悪化と闘おう。
 四党合意を認めず闘う闘争団を支持し、新しい国鉄闘争の共闘組織をつくりだし、国鉄闘争の勝利にむけて闘おう。
 未組織労働者の組織化、労働組合組織合同を進めよう。
 闘う労働運動の潮流をつくり出し、ナショナルセンターの枠をこえて労働戦線の左翼的再編の基盤を形成しよう。
 日米安保体制粉砕、軍事基地撤去、自衛隊解体のために闘おう。
 アジア諸国をはじめ全世界の民衆との国際主義的連帯を強めよう。
 戦争法体制の確立を阻止し、憲法改悪を許さない幅広い戦線をつくりだそう。憲法改悪阻止運動の大合流をかちとり、右翼の妨害をはねのけて、5・3憲法統一行動を成功させよう。

万国の労働者、団結せよ!


 明文改憲と国家安全保障基本法や国民緊急事態法制定への反撃の第一歩

             5・3憲法集会の大成功をかちとろう

 四月十七日夜、東京の文京区民センターで「五・三集会」第三回実行委員会が開かれ、四十数団体の代表七十名が出席した。
この日は午後三時から国会で同実行委員会による記者会見が行われた。すでにこの「五・三集会」はテレビや新聞で報道されているが、記者会見では市民運動が軸になって超党派の実行委員会が結成されていることに記者の関心が集まった。
午後五時からはJR水道橋駅で街頭宣伝が行われ、実行委員会参加の各団体の約三十名の人びとがチラシを配りながら、大型宣伝カーで通行人に参加を呼びかけた。
 実行委員会の会議では司会を「憲法を生かす会」の筑紫建彦さんと「平和憲法二十一世紀の会」の中小路清雄さんが担当した。
冒頭、事務局を代表して「憲法会議」の田中洋子さんが「間近に迫った集会を成功させるために、協力しあおう」と挨拶した。
 国会の憲法調査会の報告を衆議院の春名直章議員(共産)、参議院の福島瑞穂議員(社民)が行い、共同して五月三日の行動を成功させようと発言した。
 事務局からの「経過報告とプログラム案、当日の役割分担案」などの提起を「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんが行った。報告では、すでに各界からの賛同人が三百名を超え、これらの人びとから六十万円以上のカンパが寄せられていること、マスコミの報道で多くの人びとの関心が急速に高まっていることなどが紹介された。
 プログラムではスピーチとして評論家の加藤周一さん、作家の澤地久枝さん、社民党の土井たか子さん、共産党の志位和夫さんなどが確定した。挨拶は高校生の白神優利子さん、「戦争への道を許さない女たちの連絡会」の吉武輝子さん、「日本山妙法寺」の武田隆雄さん、「平和憲法を広める狛江連絡会」の小俣真智子さんなどの挨拶を受ける。また沖縄社大党の島袋宗康さん、さきがけ国民会議の中村敦夫さん、民主党の佐々木秀典さん、新社会党の矢田部理さん、無所属の川田悦子さんらの政治家や、日本青年団協議会、地婦連、婦人有権者同盟、全労協、全労連などからのメッセージが寄せられることも確認されている。
 文化行事は、学生たちによる憲法劇と、東京フィルハーモニー交響楽団の福村忠雄さんらによるチェロとピアノ演奏による「アンダルーサ(グラナドス)」、「鳥の歌(カザルス)」などが決まった。
 集会終了後、日比谷公園から新橋、銀座、東京駅八重州南口までのパレードを行うなどを確認し、当日の役割分担などの体制について確認した。
 最後に「キリスト者平和ネット」の小河義伸さんが、画期的な集会を力をあわせてぜひとも成功させようとしめくくった。
 先の自民党国防部会の提言「わが国の安全保障政策と日米同盟」が、憲法無視・究極の解釈改憲である集団的自衛権行使の合法化のための「国家安全保障基本法」や、「(国民)緊急事態法」の制定を提起し、自民党総裁選挙の茶番劇の中では、積極的に集団的自衛権の行使に触れる候補があらわれ、靖国公式参拝などは当然とされている。ブッシュ米大統領に追随して中国との緊張を煽り立てる危険な動きも顕著になった。
 一方憲法調査会では仙台での地方公聴会開催につづいて、六月四日には神戸の地方公聴会の開催を強行しようとしている。
 これらの危険な動きに反撃する民衆の闘いの広がりを作り出すことは、戦争に反対し、平和を願う人びとの緊急の任務だ。市民団体や宗教団体を中心に超党派で開催される「五・三憲法集会」は、多くの人びとが注目しているように画期的な意義をもっている。
 右翼の挑発をはじめ、この集会の成功を恐れるさまざまな勢力の暗躍もある。これらの妨害を跳ね除けて、この集会を勝ち取ることは、今後の民衆運動の前途にきわめて大きな積極的影響を与えるに違いない。
 全力を挙げて、この成功を闘いとろう。そして戦争と侵略を策動する勢力に反撃する巨大な一歩を踏みだそう。


憲法調査会初の地方公聴会に  仙台市民が集会で厳しい批判

 衆議院・憲法調査会が行うはじめての地方公聴会が四月一六日、仙台市で開催された。
 公聴会を翌日に控えた十五日午後二時から、仙台市の「イズミティ21」で「憲法調査会を検証する四.一五仙台集会」が開催された。市川寛治さん、佐藤瑩子さん、山田幹夫さんなど仙台で市民運動に携わってきた人びとと、宮城全労協の大内忠夫さんの四氏の呼びかけによる集会実行委員会が主催した。
集会には市民七〇名ほどが集まり、テレビカメラや新聞記者などが取材するなか、熱気ある集りとなった。
 集会は大内忠夫さんが司会を行った。開会挨拶にたった市川寛治さんは、仙台市の平和運動の経緯をふりかえり、オーバービー博士の集会開催や憲法五〇周年運動などで全国的な広がりにも努力してきたことにもふれつつ「ふたたび仙台の平和運動をもりあげていこう」と呼びかけた。
 つぎに挨拶した佐藤瑩子さんは、戦争直後には「天井が抜けたような明るさ」を感じたことなど、運動の原点を思い起こし「憲法調査会のあり方に疑問をもっている」と述べた。

  ※  ※  ※

 集会にかけつけた「第九条の会ヒロシマ」事務局長の藤井純子さんは、「全国の人たちとつながって運動をすすめたい。広島で地方公聴会が開かれる時の準備として、仙台のみなさんの運動のやり方を学びたい」と挨拶した。
 講演と報告では、宮本なおみさん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)と高田健さん(憲法調査会市民監視センター)がそれぞれ四〇分ほど話をした。
 宮本なおみさんは「憲法改悪に立ち向かう私たちの視点と課題」をテーマに講演した。講演の特徴的な内容は以下のようだった。 戦後の歴史的事件を紹介しつつ、天皇制を持ったまま主権在民と平等の原則を謳ったことや、膨大な基地を持ったまま武力の不使用と戦争の放棄を謳ったことなどをあげ、「憲法は出発の時から矛盾をもっていた」と指摘した。しかし、一方では教科書裁判をはじめ、憲法改悪に反対する運動も戦後ずっと存在した。またPKO違憲訴訟や女性運動などの民衆の運動に憲法はずっと後ろ楯になってきた。
 今後の課題としては憲法九条の2項に私たちの理念をうちたてることだ。非武装、非暴力が非軍事につながる。高齢者や障害者や女性が生きていくのに非暴力は基本になる。非武装の国として名高いコスタリカでは、教育に国家予算をたくさん使い、非武装の教育を徹底しているという。石原慎太郎は外国人を蔑視し、排外的な発言をくり返している。これに対し多民族社会を対置し、戦争を起こしにくい社会を作っていくことではないか。指紋押捺の課題でも闘ってきた。外国人やアジアの人びとと一緒に生きていける社会を作ることが非武装や九条につながっていく。
 各課題の運動体で憲法への関心が高くなっている。その中で九条は大事だが、憲法のなかには天皇制をはじめ変えたい箇所がいくつもあるからとして改憲論や論憲論に乗るような、あるいは、憲法草案作りが必要だなどの意見もある。しかし、この時期に危険な考えだと思う。彼我の力量を考えて、今は一歩も変えさせないことが肝心で、憲法調査会にどう対抗するかの方が先だ。それぞれの課題の闘いが、すべて憲法を生かすたたかいなのだ。

  ※  ※  ※

 高田健さんは「論憲から改憲へ、憲法調査会の経緯と実態」をテーマに次のように講演した。
 予定されている仙台の地方公聴会の、十人の公述人とわずかな傍聴者で東北六県の人びとの声を聞いたとして「一丁上がり」としてしまっていいのか。国会の憲法調査会で採決があったのはたった一回だけで、地方公聴会の開催についてだった。地方公聴会の開催は時期尚早で、改憲を一歩すすめることにつながる、改憲を具体化させてはならないと社民党が反対したからだった。これはそのとおりだった。
 調査会の参考人の中身もひどくデタラメな理論が多い。最たるものは渡辺昇一上智大学名誉教授で「大日本国憲法は民主的だったがロシア革命の影響で軍部が戦争にはしった」という珍論をのべた。野党が審議拒否している時に片肺でも調査会は開催してしまう。
 憲法調査会設置の前と後では状況が大きく変わった。論憲を口実にして、公務員の憲法遵守義務が国会議員によって公然と無視されている。法務大臣がたて続けに改憲を表明したりして、論憲を認めた結果、憲法状況の常識が違ってしまった。今では民主党も公明党も改憲派となった。民主党の鳩山は集団的自衛権では小沢一郎も「そこまでは」というほどだ。創価学会の池田大作は首相公選がよいと言っている。国会の大部分が積極的改憲派になっている。
 改憲の具体化や時期は支配層でもまだ決め兼ねている。一つは九条二項を変えるか三項目を付け加えて自衛隊の海外派遣を合法化すること、あるいは「首相公選制」や「新しい人権挿入」などを先行させるのかどうか。時期についてもまだ世論の状況をみているのではないか。こうした中で仙台で地方公聴会が開かれる。初めての地方公聴会に、仙台市民が対抗公聴会を開催する意義は大きい。これに習って全国各地でも取り組むように働きかけたい。

  ※  ※  ※

 四・一五集会は最後に「『論憲』の名のもとに、『まず改憲ありき』で、マヤカシの手続きだけを積み上げる憲法調査会に異議あり!」のアピールを拍手で採択した。
アピールは「この一年、調査会における議論の中で際立ったのは、改憲派からの『早く改憲を!』の声ばかりであった。憲法の理念がこの社会でどれほど実現されているのか、国会はそのために何をしなければならないかなど、真面目な論議は永田町の多数派によってかき消されるばかりであった。憲法調査会の運営は『論憲』などといいながら、改憲に向けた手続きとして、既成事実づくりに熱中していると疑われても仕方無いようなものであった」とし「引き続き憲法調査会と地方公聴会の動きを監視しよう」と呼びかけている。
 同集会実行委員会のメンバーは、翌日の地方公聴会の傍聴と監視活動を行った。
 集会終了後は県庁で記者会見を行い、まず改憲ありきの形式的でアリバイ的な審議のやり方について批判的な見解を表明した。
      


「つくる会」の教科書採択に批判 検定前と本質では変わりなし

 四月七日、東京・杉並区の産業経済会館でシンポジウム「子どもとともに生きる」が開催された。主催は「杉並の教育をつくるみんなの会」。教育改革国民会議報告についての対談と、教科書問題を題材とした市民集会だ。「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が、文部省の検定を通った後、全国的にも素早く開催された集会のためか会場は満員となった。
 最初は、喜多明人・早大教授と小学生の子どもを持つ映像ジャーナリストの熊谷博子さんの対談で、テーマは「教育改革国民会議に示された『子ども観』」。
 熊谷さんは、国民会議の報告が「単純な論理で、ダメな子はダメ、ダメな教師はダメとして排除していく。個人の尊重などなく何の悩みもない。あまりにも単純で覆すのが難しい」。喜多さんも、報告は「居酒屋談義、素人のお喋りのレベルで人権感覚が麻痺するようなことを決めた。都が十年ほどやっているボランティア活動が、高校の入試でプラスになるので「証明書をくれ」という子どもがいる。強制と自発的参加では身につくものがちがう」と話した。
 つづいて「国際問題になっている『教科書』とは」の題で俵義文さん(子どもと教科書全国ネット)が報告した。
 NHKは『つくる会』の教科書について『大幅な修正で合格した』と報道したが、しかし実際は決して大幅な修正とはいえない。三二〇頁の教科書で意見のつかなかったところが圧倒的に多い。八三年の教科書問題のとき、『新編日本史』には八〇〇箇所に意見がついた。中国・韓国からの反発で、当時の中曾根首相ですら強権を発動して再検定させ、三五〇箇所の意見がついた。当時と検定の方法が同じではないが、今回の一三七箇所は余りに少ない。
 では検定で意見がついたのはどこか。『歴史は科学ではない』という記述にたいし、検定は『抽象的でわかりにくい』という意見で、本質をズラすものだ。なにより、ゆがんだ歴史観には意見がつけていない。それもそのはずで、昨年四月から検定を担当した新任の調査官は、なんと執筆者の弟子だという。侵略戦争を肯定し美化する見方、大東亜戦争という記述も残った。
 検定意見がつかなかった箇所は、『眠り続ける中国・韓国』で、日本は欧米の植民地支配にいち早く植民地支配で対抗したが、中韓は対抗しなかった、として植民地支配を肯定している。『国民の油断』にもある『朝鮮半島は日本につきつけられた匕首』という記述も残った。『つくる会』の公民の教科書とあわせ、憲法の平和主義や人権を敵視している内容だ。神武天皇についての記述はほとんど残り、事実と神話の区別がつかない産経新聞は『修正前と後ではかわらない。変わったというのはいわれなき中傷だ』と書いている。今回の検定で『つくる会』の歴史観が実現した教科書ができたといえる。
 この教科書にもともとなかったことは、女性、民衆が出てこないことだ。性別役割分業を肯定し、憲法二四条を歪曲している。
 七月の教科書採択がひとつの山場になる。『つくる会』は都道府県で一〇%の採択、一五〇万部を目標にしている。石原都知事は『教育委員が教科書採択をするように』との通達を出し、電話で点検する異常な事態だ。教師の意見を重視する教育長はとばされた。『つくる会』は東京を採択の重点にしている。市民・子どもの親が教育委員会に要請していくことが必要で、署名運動などもよびかけたい。


金曜連続講座・金子勝さん
                     日本再生論その後(上)


 金曜連続講座は、慶応大学教授の金子勝さんに、「日本再生論その後」と題して話を聞いた。金子さんが、資本主義はもう一段高い繁栄期に突入したなどというニュー・エコノミー論が横行していた時から、バブル景気の危険性と崩壊を主張してきたことはよく知られている。現在、日本の不況はより深まり、そしてアメリカでは株式市場、ナスダック市場ともに大幅に低落して乱高下の不安定な様相が見られる。金子さんは講演で、金融・証券のグローバリズムの発生から、今日のアメリカ経済のバブル崩壊状況にいたる経過、その原因、そしてこれからのオルタナティブなどについて熱っぽく語った。現在の情勢を理解するうえで、金子さんの話は多くの示唆に富んでいるので、三回に分けて掲載する。(文責・編集部)

世の中は論理的に動いていることを理解する

 僕は、『反グローバリズム」という本を書いているんですが、そこでは三大生産要素である貨幣的な資本、労働と土地という生産要素にそもそも市場の限界があるんだという議論を展開しているんですが、よくわからないと言う人が多い。そのことは事実を見ていれば明らかなので、経過的に話します。
 僕は、この一月にアメリカのバブルがはじけると話し、また三月上旬にも同じ様なことを喋りました。その後、実際に三月十三日に世界の同時株安が起きましたし、アジアからの農産物に対してセーフガード(緊急輸入制限)が発動されるという事態にまでなりました。この間、農業が危ないと思って、青森、広島、島根、大分などをまわりました。
 この一年間で思っていた通りの事態になった。なんか言うことがみんな当たるので福永法源か麻原彰晃なんかみたいに不思議に思われる(笑い)。でも、何の不思議もありません。世の中、論理的に動いているんです。でも、とらえかたが今までにない考え方だからなかなか信じられないだけのことです。
 事態がどうして読めていたのかということについて話します。僕は、アメリカのナスダック・バブルの崩壊を去年の十二月頃から言い続けてきた。当てるのは簡単です。それは日本の新聞を読まなかったからです。そのかわり、ロンドン・エコノミスト、ビジネス・ウイークとニューヨーク・タイムスの論説だけを学生にネットで追っかけさせ、批判記事を集め続けていた。それで、もう危ないと確信を持てたので去年の十二月半ばから書きだしたわけです。
 すでに十月二十日くらいから、そういう記事が出始めて、そして段々と頻度が高くなって、これはもうだめだ、いよいよ来たという確信で書いたのが、その通りになっているだけです。

グローバリゼーションの三局面につい


 すでに『セーフティーネットの政治経済学』や『反グローバリズム』で、なぜ金融のグローバリゼーションが出たかということについて、一九七一年のニクソンショック以降の事態について解説していありますから、時間の関係上この部分は省いてグローバリゼーションの三つの局面について述べます。
 グローバリゼーションは金融から進んできたのは皆さんご存知のとおりですが、これは三つの段階をたどっています。
 まず第一は、一九八〇年代です。二回のオイルショックによって、オイルダラーが産油国に遍在したわけです。そうするとドルがそうした地域に集中してしまって回らなくなった。これを回すようにするには、オイルダラーをロンドンに預けさせて、同時にニューヨークでアカウント上で簡単に交換できる体制をつくらなければならない。それが、いわゆる銀行と証券の金融自由化で、いわゆるユーロ市場が急速に発達した訳です。しかし、この時代は、イギリスのサッチャー首相が、証券ビッグバンをやりましたが、まだ基本的には金融は銀行中心のシステムでした。預金を預かって貸すだけのことです。巨額のお金を貸し付けるわけですから、その結果、すべての国で土地バブルが起こりました。そして当然の崩壊です。けっして日本だけのことではありません。

新興諸国を次々に犠牲にして儲ける

 そして九〇年の冒頭に第二局面に突入します。
 アメリカにとっては二つの要因、証券化とグローバル化がありました。アメリカでも、土地バブルの崩壊のために、銀行の実質金利がほとんどゼロに近いところまで落ち込みました。これも今の日本と同じです。そして、国際的には貿易赤字がひどくなります。レーガン政権で財政赤字と貿易赤字が極端にひどくなる。八五年にドル切り下げ、日本では円高不況になり、アメリカの貿易収支はやや立ち直りました。
 ところが九二〜三年のクリントン政権時代に景気が良くなってから、急激に貿易赤字が拡大する。八〇年代以上に貿易赤字が拡大しました。
 決済はドルで支払うんです。アメリカはドルを発行し、それが世界的通貨だからそれで支払う。発行し続けることは簡単なんです。でも反面ではドルの信用は失われる。そこで世界中にあるドルを還流させてアメリカに戻してくるうごきをつくらなければいけないということになる。たとえば日本の生命保険会社がアメリカの国債を大量に買うというようなことです。日本全体としてはたえず稼いだお金をアメリカ還流させる。だけどアメリカは借金がかさむ。債務が増え、実際にアメリカは世界最大の債務国になってしまいました。ドルは危ない、信用できないという声が広がるなか、アメリカは借金拡大をなんとか埋め合わせなければならない。返ってきたドルをぐるぐる回して儲けなければいけない。つまり再投資して投資収益を上げる。銀行の貸付は回収に時間がかかるが、証券だったら、いやだったらすぐ売ってしまえばいい。すごく逃げ足が速くなる。回転率が高くなる。
 しかし、問題は投資先が必要だということだ。それで世界中の新興国を次々に金融自由化に追い込んでいった。ワシントン・コンセンサスといわれているものがありますが、アメリカの財務省とウオールストリートとIMFがぐるになって、そうした国々につぎつぎと門戸開放を迫ったわけです。
 九七年の東アジア通貨危機のきっかけになったタイでは、IMF支援の下に九〇年から三度にわたって金融自由化をやった。オフショア市場は、タイの通貨バーツ以外にドルでも自由に取り引きできる金融市場ですが、そこに大量の資金が流れ込んでくる。そしてタイはバブルになった。そして、バブルになって値上がりした瞬間に売りぬいていく。これをつづけたわけです。
 こうした証券化、グローバル化の帰結は、ある一定の間隔をおいて起こる間欠的国際通貨危機ということです。九二年の欧州通貨危機、九四年末のメキシコ、九五年はアルゼンチン、九七年の東アジア、九八年にはロシアがデフォルト(債務不履行)危機に陥りました。そして、石油の価格が下落し、影響はベネズエラからブラジルにまで広がりました。
 このようにして、値を押し上げておいてアタックして、つまり、つり上げられるだけつり上げておいて美味しいところだけ取って逃げちゃうということです。後には、すべてのところで、不良債権が山のように残る。逃げられない国内の金融機関は不良債権を抱え込むわけです。いまもアジア諸国は不良債権で悩んでいる。これも日本だけではありません。

ついにバブルは崩壊へ

 第三局面は、九九年からのナスダック急騰からです。
 つまりロシアのデフォルト危機ですべて食い荒らした後に、安全なところはアメリカ自身しか残っていない。これがITバブルとなった。
 九〇年代初頭には、ナスダック指数は一〇〇〇から一一〇〇でした。九八年の末には一八〇〇くらいになった。その後、急激に高騰しはじめ、ピークだった二〇〇〇年の三月には五〇〇〇ポイントを超えるという状況にまでなった。
 ナスダック・バブルがなぜバブルかというと、ドットコム企業といわれるeコマースをやっていた企業をみればわかります。逆オークションで有名なプライスライン・ドットコムというのがあるんですけど九九年の決算では一〇億ドルの赤字を出しています。アマゾン・ドットコムという有名な洋書販売も赤字です。プライスラインの発行した社債の格付け会社の評価はCです。つまり投資不適格です。ところが株は一〇〇倍近い値がつく。
 ナスダックは大幅に下がり、今二〇〇〇台を回復しているが、先行きがわからなくなってきている、例えばデルコンピューターの収益が予想より減っていなかっただけで、上がっちゃう。
 バブル時代は神話が横行したが、今は疑心暗鬼になりかけている。これは危ない徴候だ。すでに最後のよりどころであったニュー・エコノミー神話も崩れてしまったという局面です。
 勿論、軟着陸する可能性もありますが、低空飛行だけで安定できない、おちつかないという状況にあります。(つづく)


資料
 
 わが国の安全保障政策の確立と日米同盟
   アジア・太平洋地域の平和と繁栄に向けて(自民党政務調査会国防部会)A


四、国民の生命・財産を守るための自衛隊の態勢整備

(1)大規模災害等への対処・危機管理体制の充実強化
 大規模災害等から、国民の生命・財産を守るために、地方公共団体との連携の下、自衛隊の活動拠点の確保を積極的に進めるなど、自衛隊による災害対処体制の充実、運用態勢の整備を推進することが、わが国の危機管理態勢の充実強化を図る上で必要不可欠である。

(2)いわゆる有事法制を含む緊急事態法制の整備
 緊急事態法制は、国家・国民の安全を確保するために是非とも必要なものであり、政府の進めてきた有事法制研究を踏まえ、新しい事態を含めた緊急事態法制として法制化を目指した検討作業を開始し、早急に立法化することが必要である。
 また、不審船対処や武装工作員等に対処するため、いわゆる領域警備に係る法制の整備を行なう。この場合、自衛隊が出動する以上、武器の使用については、単なる警察官職務執行法の規定の準用ではなく、国際法規・慣例に基づき、行動ができるよう所要の法改正を行なうべきであろう。

(3)新たな技術革新等への対応
 二十一世紀においては、情報通信技術(IT)革命や「軍事における革命」(RMA)などの新たな動きに対応した運用面を含む態勢の整備が求められている。このため、サイバー攻撃対策を含めた諸施策を積極的に推進する。
 また、ゲリラや特殊部隊による攻撃、NBC(核・生物・化学)兵器などへの対処能力の向上を図る。

(4)中期防衛力整備計画の着実な達成
 昨年末に閣議決定された中期防衛力整備計画は、まさに、こうした新たな世紀の防衛に備えようとするものであり、その着実な達成を図ることが重要である。

(5)防衛産業・技術基盤の維持
 健全な防衛産業の存立は、適切な防衛力の整備、維持を図る上で重要な前提であることから、わが国の防衛産業・技術基盤を適切に維持するための諸施策を実施する。 (つづく)


「満月まつり」で沖縄の米軍基地に反対する一夜

 沖縄の辺野古のヘリポート基地建設に反対して催される「満月まつり」が今年で三回目を迎えた。 
 この日、同じ時刻、沖縄では瀬嵩の海岸ではウチナンチューが、北海道ではアイヌ民族の人びとが、韓国でも沖縄に連帯し米軍の軍事基地に反対する人びとが、そしてヤマトでも延べ五十カ所で「まつり」が行われた。
 私が参加したのは東京の駒込駅前公園の「まつり」だった。
主催は、沖縄の反基地を様々なスタイルで闘う三つの市民グループが共催。
 オープニングは、六時半、薄暗くなった東方の空に満月を迎えると同時に命どぅ宝ネットワークの太田武二さんが「豊年の歌」を熱唱。
 この歌はかつて宮古島の農民が平和への祈りを込め豊年を歌ったものだ。参加者たちから各々の取り組んでいる運動のアピールをリレートークしたり、地元の区議さんや町内会長さん等のあいさつが行われた後、沖縄のお酒を呑んだり、歌ったり踊ったりの楽しい一夜だった。(城戸翔子)


寄稿

 
  「えひめ丸」事件と日本の戦争・戦後責任

 さきごろハワイ沖で起きた米原子力潜水艦と愛媛県の水産実習船「えひめ丸」の衝突事故では、日本中の世論が沸騰した。被害者とその家族、遺族はもとより、大多数の日本人が、米国政府および関係者の謝罪、行方不明者の捜索、原因の徹底糾明、「えひめ丸」船体の引き上げと犠牲者への補償を要求した。過失とはいえ、民間人へのPRサービスのためのずさんきわまる訓練と艦の操作が引き起こした事故にたいする当然の怒りであり、正当な要求である。
 この事故から一ヶ月半後の三月二十六日、東京地方裁判所が、韓国人の元「従軍慰安婦」、元軍人・軍属とその遺族らが日本政府にたいして賠償、補償を求めた「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者訴訟」で、請求棄却の判決を出した。これに対して関係者は怒りの声をあげ、「ピースボート」(事務局・東京都新宿区)など市民団体が抗議の行動を行ったが、マスコミも一般世論もほとんど無反応だった。「えひめ丸」事故であれほど燃え上がった日本人の義憤は、どうしたのだろうか。六十年も七十年も昔のことはすっかり忘れてしまったのだろうか。日本人が受けた被害には敏感であっても、韓国人・朝鮮人のことには冷淡なのだろうか。それは前の世代の日本人がやったことで、自分には関係ないと思うのだろうか。それとも、自分や自分の親の世代がおこなった悪事にはふれたくないのだろうか。
 明治政府が軍事力をもって韓国を併合して以来敗戦まで、日本国家は韓国・朝鮮人を無理やり「日本人」とし、「日本人」であることを根拠に、「日本のため」「天皇陛下のため」にと過酷な支配、搾取と収奪、差別と抑圧を続けた。前記の訴訟の原告のうちの元「従軍慰安婦」は、戦時中日本軍の方針にもとづいて、あるいは無理やりに、あるいは甘い言葉でだまし、あるいは貧困につけこんで戦地や占領地に連れていかれ、軍の管理のもとで軍人の性欲のはけぐちとされ、無惨なまでに人権をふみにじられた。元軍人・軍属は日本政府によって日本の侵略戦争の先兵として動員され、命を落としたり、負傷したり、戦犯として処刑・処罰された人びとの一部である。かれらは日本の敗戦後、韓国・朝鮮が日本の支配から解放されたことを契機に、日本国籍を一方的に剥奪し、軍人・軍属に対する補償は日本国籍を有するものを対象とするという法律をたてに、なんの補償もなしにほうり出された。あるいは、個人が外国に対して賠償を要求する法的根拠がないという理由で、これもまた何の補償もなく、見捨てられてきた。東京地裁の判決は、その他の同種の訴訟での判決と同じように、原告の請求を全面的に却下し、日本政府の立場を擁護した。形式法律論に立つとしても、日本政府が五十年以上取り続けてきた正義と人道を踏みにじる行為を容認したことになる。
 しかし、もともと原告の人びとがこの問題を裁判で争わなければならなかったこと自体が、はなはだしく不合理なことなのである。日本政府は今裁判で不正義と反人道の立場に固執するのでなく、五十年前に日本国家の責任として自らすすんで謝罪し、補償すべきだったのである。「えひめ丸」事故では、米原潜の過失による事故にたいして日本人は憤激し、謝罪と真相の解明と補償を要求している。そして米国政府と海軍当局は裁判を経ずして謝罪し、補償を約束せざるを得なかった。しかし、国家による他民族支配と侵略戦争の犠牲に対して、日本政府は謝罪も補償もしようとしないし、その歴史的事実を明らかにすることもしていない。そして、それを求める民衆の声も決して大きいとは言えない。われわれ日本の民衆の声が小さいということが、他方では「新しい歴史教科書をつくる会」が侵略と植民地支配を美化し合理化する反動的な教科書をつくり、教育現場に持ち込もうとするのを許し、教科書問題を韓国、中国からの批判への対応というところにとどめているのである。
 この問題を決して過去の問題ではない。犠牲者の救済にとどまるものではない。形式的な法律論に終わらせてはならない。侵略と植民地支配の事実を明確に歴史にとどめ、犠牲者に対する謝罪と補償を実行するよう日本政府に要求することは、日本人民の負っている重大な責任であり、正義に関わる問題であり、日本の過去、現在と未来に関わる問題である。どんなに困難であっても、この民衆の声を大きくするために奮闘することが求められている。(茨城・杉村 伸)


複眼単眼

   米軍事偵察機事件、集団的自衛権、平和運動


 四月一日、沖縄から発進したアメリカの軍事偵察機が中国近海上で中国軍機と衝突し、中国軍機が一機墜落、パイロットは行方不明、傷ついた米軍機は海南島に不時着した。その後、さまざまなやりとりを経て、米国政府の「謝罪」表明があり、二十四人の米軍要員は帰国した。しかし、現在、米軍機のとり扱いを含めて問題は継続中だ。
 すでに搭乗要員をとりもどした米政府は「非は中国にある、謝罪などしていない」と中国非難を再開した。中国はそれを「責任逃れ」の許しがたい発言だと反論している。
 この事件には考えるべきいくつもの問題がある。
 まず第一に、この米軍事偵察機は沖縄から飛び立っていること。第二にこのような中国沿岸での軍事偵察活動は従来からひんぱんに行われ、衝突の危険が日常的に存在したこと。第三に両機の衝突の直接のきっかけは何か(米軍機が突然、左旋回したのか、中国軍機が近付きすぎて誤って接触したのか)という問題。第四に米軍機が中国側の許可なしで海南島に強行着陸した(あるいは米軍機は救難信号を発信しつづけていたのだという説)問題。第五に米国政府の「謝罪」の問題。さらにブッシュ新政権の対中国政策との関連の問題、などなどだ。
 第三や第四の問題は中米の当事者の交渉では欠かせない問題だが、事実関係の確認を含めて私たちには議論がしにくい。
 この問題を考える前提で確認しておきたいことは、この軍事偵察機とは高度のスパイ機であり、その活動はもともと敵対的な活動であることだ。そして事件がアメリカや沖縄の海岸で起こったのではなく、はるかに離れた中国の沿岸で起こり、米軍機が中国領に不時着したということだ。
 これが米軍による軍事的な挑発行為でなくてなんだというのか。また、この危険な軍事挑発行動の出撃基地に沖縄が使われていることが、この事件で白日のもとにさらけだされたことは重大だ。
 今回の米軍事偵察機の中国軍に対する挑発行動のような明白な事件ですら、日本のマスコミは米軍の責任をキチンと指摘することはしない。こうして「世論」が形成されるのは非常に危険なことだ。
 自民党の総裁選挙の茶番劇の中で、亀井静香が集団的自衛権行使は当然と発言したり、麻生太郎が「韓国が攻撃されたら、自衛隊が出動するのは当然」という主旨の無責任な発言をして、韓国政府まで怒らせた。いま自民党が狙っている憲法の究極の拡大解釈、集団的自衛権の行使の容認とは、麻生がいうようなもので、在韓米軍が戦闘行動に入ったら、その支援のために日本軍が戦争に参加することだ。あるいは米軍の挑発で、米中が軍事衝突をしたら、日本の自衛隊が対中国戦争に参戦するということだ。
 米国のブッシュ新政権がアメリカの国際的な地位と覇権を再確立するために、中国とロシアに対して、一種の瀬戸際政策をとるであろうことはすでに明らかだ。それは昨年のアーミテージらの「提言」の路線の具体化だ。国際的な緊張は不可避的に激化の局面を迎えざるをえない。「あらたな戦前」ともいうべき、この局面に立ち向かうことを、平和運動は覚悟しなくてはならない。平和運動の任務は重大だ。(T)


文芸評論

アーサー・ヘイリーとアレックス・へイリイ アメリカ文学の一断面から (下)

  
                                            蒲生楠樹


 (承前) 
 そして最後のほうにアレックス・ヘイリイはどのようにしてマルコムX自叙伝を書いて以後「ルーツ」にたどり着き取材していったかを述べている。「ルーツ」はアレックス・ヘイリイの家族・親戚のなかに伝承されていたクンタ・キンテにまつわる話に基づいて、さかのぼって調べながら、結局アフリカの同じ子孫にたどり着く話である。
 実際のストーリー展開はこれとは逆にアフリカでのクンタ・キンテの誕生から青年にいたる成長期から始まっている。そして白人たちに襲撃されさらわれて、過酷な航海の末にアメリカにたどりつき、何回も脱走を試みてはつかまってしまい、最後には足を切られてしまうことになる。そしてその農園での生活と黒人女性との結婚と娘(キジイ)の誕生、最も恐れていた娘が売り飛ばされての別離、娘は次の農園で農園主にレイプされ『チキン・ジョージ』と異名を取ることになる息子を生む。そして『チキン・ジョージ』とマチルダの間に生まれた子どもたちの一人トム、そして政治家となってイレーネと結婚したトム、そしてその子どものシンシアと夫となったウイル、さらにその子どものドーサと夫のシモニーと世代が続いていく。連絡の途絶えた娘夫婦はある日赤ん坊を抱いて戸口に立つ。その赤ん坊がアレックス・ヘイリイであった。特にクンタ・キンテのアフリカでの生活が印象的であった。それまでの黒人がアメリカに連れさられる際のばく然としたイメージから、具体的に文化と言語を持った存在としてのアフリカでの生活が踏みにじられていく過程がリアルに描かれていく。そして理不尽な奴隷としての扱いからの逃亡のこころみ、その後の数世代に渡るプランテーションでの生活、一八六〇年代の奴隷解放にいたる闘いと社会の変遷が背景に描かれている。
 「風と共に去りぬ」が白人の差別観を前提に南北戦争を背景として描かれているとすれば、「ルーツ」は強制連行された黒人の側から同時代を描いているともとれる。
 私は娘を売りとばされたクンタ・キンテが、どこでこの子どもや孫たちと再会出来るのかを楽しみに読みすすんだが、通常の小説ではないこの物語ではそれは実現されず、ただ代々クンタ・キンテとそのアフリカでの生活が口語りとして伝承されていった。
 また黒人の会話は発音をそのまま綴りにしているために読みづらかったが、その雰囲気と黒人英語へのプロセスの一端がかいま見られた。
 その他アレックス・ヘイリイには共著「クイーン」があるがまだ読んでいない。そして一九八二年アレックス・ヘイリイは亡くなっている。一連の彼の著作には黒人解放に向けた希いが脈々と連なっていることが読み取れる。そしてこれらは今日のアメリカ黒人・アフリカ系アメリカ人の運動のなかに、思想的に深いところで影響を及ぼしていると考えるのだが。

 アーサー・ヘイリイ
 「最後の診断」「ホテル」「マネーチェンジャーズ」「自動車」他多数。


 アーサー・ヘイリーの著作は多分日本社会には個々には良く知られているのではないかと思われる。
 彼の作品に共通しているのはホテルや空港、工場と言ったような現代の生活に大きな役割を果している空間での生活と、そこで巻起こる問題といったことを登場人物を通じて語らせる手法である。そしてそれらの場所はアーサー・ヘイリーがそこで働いたことがあるのではないのかなと思わせるほど、その場の事情に通じている。徹底した取材によってそのことは可能となっているのである。現代生活に身近な空間で起こる出来事を面白くひきつけながらよませる。
 「最後の診断」では病理という世間ではあまり知られていない分野から、一つの病院のできごとが描かれていく。現在までの技術水準に固執しながら生きようとする老医師ピアスンと、新しい手法で問題を切開していく若い医師オードネル、そして全体として病院の改革へと向かっていく時代の波、身近に病院の関係者がいたり労働運動で検査センターの経営統合に直面したりしてきたので非常に興妹深く、面自く読めた。
 一九八〇年代までは本の著者紹介欄で彼の生存が確認できたが、最近のことについては分からなかった。生きていれぱ八〇才代になっているはずである。
 イギリスで生まれ、第二次世界大戦に従軍し、その後カナダに移り住んだという経歴の持ち主であるが、こうした人は北米には多いのではないかと思われる。私の出会った人は、アイルランドからロンドンヘ、そしてアメリカヘと移住し、社会主義運動をしていた。われわれの思っているよりはアメリカとカナダの国境観念はうすいのではないか。そういえぱデトロイトの川の下をくぐるとそこはもうカナダだつた。
 「車」(ウィールズ)を読みはじめてすぐに登場人物の班長か課長に、もとマルコムX主義者というのがでてきて全体のストーリー展開と関係なく、なるほどと自分勝手にうなずきながら読みつつある。

 「山川さん、こういうことだったのですか?」と問いかけたいところであるが山川さんはもういない。
 その時の会合が私の山川さんへの関西への最後の講師依頼となった。その年の十二月に東京で会ったのが最後となってしまった。
 八〇年代の初頭に梅田の地下街でひょっこり出会い、コーヒを飲みながら話あったこともあった。思えば山川さんと初めて出会ったのは、七〇年代初頭に小さな職場グループで合宿での講師を依頼した時であった。その時は、まさか何年か後に社会主義運動で同席することになろうとは夢にも思わなかったのであるが……。