人民新報 ・ 第1023号  (2001年5月15日)    

                             目次

●小泉改憲政権に反撃 五・三憲法集会に五千人 共同して高く掲げよう第九条

●労働者の団結を確認した第72回日比谷メーデー

●憲法と戦争を考える5・3大阪のつどい

●天皇制と「日の丸・君が代」の戦争・戦後責任を問う

●憲法集会講演 ・ 憲法を育てるということ ( 評論家 加藤 周一 )

●金曜連続講座 ・ 金子勝さん  日本再生論その後(下)

●改憲を許すな!生かそう憲法 東京南部地域集会

●千七百五十名の解雇撤回を求めて闘う大宇自動車労働組合を断固支持する

●守ろう平和憲法信州ネットワーク 市民の憲法講座と第二回総会開催

●複眼単眼 ・ 「幻想」か「幻惑」か はたまた「幻滅」か




小泉改憲政権に反撃
   五・三憲法集会に五千人 共同して高く掲げよう第九条


 五十四年目の憲法記念日の東京は、朝から雨が降りしきる肌寒い天気だった。
 しかし、「生かそう憲法、高くかかげよう第九条、二〇〇一年五・三憲法集会」の会場の日比谷公会堂は開会一時間半前の十一時半頃から人々の長い列ができはじめ、それが地下鉄の出口まで延々とつづいていた。十二時半に開場するとすぐ公会堂の椅子席は埋まり、立ち見席とロビーで聞く人たちで、主催者が用意したプログラムの二千八百五十枚はすぐになくなった。
 午後一時、集会が始まってからも小雨の中を参加者の行列はつづいた。主催者は予想外の事態に、急拠、ワイアレスマイクを使って会場の発言を場外の宣伝カーに中継することになった。たくさんの右翼の街宣車が轟音をあげて会場周辺を走り回る中、人々はかさをさして野外から会場での発言に耳を傾けた。この時点で「残念」といいながら帰宅した人々もかなりあった。集会参加者は会場の内外あわせてほぼ五千名に達した。例年開かれてきた各グループの憲法集会が数百人規模(昨年の「許すな!憲法改悪・市民連絡会」主催の「私と憲法のひろば」は六百五十人)だったことを考えると、今回の規模の大きさがあらためて確認できる。集会の日の夕刻から各テレビ局の報道や翌日の新聞各紙の報道は、大きくスペースをさいて、集会の成功を伝えた。

集会の成功をもたらしたもの

 このようなかつてない規模の憲法集会が成功裡にかち取られたのにはいくつかの理由がある。
 第一には、おりからの自民党総裁選で当選した小泉純一郎が、「新世紀維新」などとファシストばりの政治手法で「改革派」を名乗りながら、「首相公選のための改憲」「自衛隊の軍隊としての公認」「集団的自衛権の行使の容認」「靖国公式参拝実施」などを叫んでいることへの、人々の不安と怒りの表明だ。
 小泉は戦後歴代の首相のなかで、就任にあたって公然と「改憲」を明言した最初の首相になった。マスコミは翌日の五・三集会の報道のなかで、「小泉効果」などとも書いた。
 第二には、小泉の政治姿勢の背景ともいうべき流れ、昨年の両院の憲法調査会の成立以来の改憲動向への人々の危機感だ。
 「論憲」をうたい文句にして発足したものの、憲法調査会の運営の実態は「憲法改正調査会」であり、改憲のための審議の積み重ねというアリバイづくりの機関の役割を果たしているだけだ。そしてすでに衆議院憲法調査会では四月の仙台を手始めに地方公聴会も始まった。中山太郎衆議院憲法調査会会長は「(中間報告として)来年の早い時期にそれまでの二年間の活動を振り返りたい。……この先、憲法調査会が最終的な報告を出す時点で、各会派の意見が食い違うようなことがあれば採決することも考えられる」(読売新聞・五月三日)などと言っている。
 また昨年のアメリカの超党派の政策担当者による「アーミテージらの提言」とブッシュ新政権が相次いで日本に「集団的自衛権の行使」を迫ってきたこと、これに応えて、本紙でも資料として連載したように自民党国防部会が「集団的自衛権の合法化のための国家安全保障基本法」や有事法制の早期確立、自衛隊法の改定などの提言を行い、今般の自民党の総裁選ではそれぞれの候補者たちが改憲や有事法制、集団的自衛権の行使などを叫んだことなども、今日の小泉発言と憲法状況の背景にあるのは疑いない。すでにアメリカ新政権の危険な威力誇示政策によって、東アジアの緊張は増大している。日本政府はこれに呼応しようとしている。
 これらの動向のいずれもが日本国憲法成立以来、最大の改憲の危機の高まりといわれる理由だし、一昨年の新ガイドライン関連法の成立以降、さらに系統的に進められてきた「戦争のできる普通の国」づくりの結果だ。もはや日本の支配層にとっては、集団的自衛権の行使の「合憲化」などの究極の解釈改憲という可能性は残しつつも、平和憲法の明文改憲は不可避の課題になっている。
 そして第三の理由は、これらの憲法状況を反映して、今年の憲法集会は市民運動と宗教者、労働組合、そして新社会党系、社民党系、共産党系など超党派(メッセージは民主党の佐々木衆議院議員、沖縄社会大衆党の島袋委員長、さきがけ国民会議の中村議員、無所属の川田議員などからもよせられた)で構成された諸団体など六つの市民団体が共同して組織した実行委員会によって準備されてきたことだ。
 このことが、憲法状況、政治の動向に不安を抱く多くの人々の集会参加のための敷居を低くした。当日はいわゆる一般の参加者が多数をしめた。またこの共同の広がりはマスコミ各社の注目するところとなり、集会前から何度も「社民党と共産党の党首が憲法集会で初めて同席する」「憲法六団体が共同で集会」などという報道を流し、憲法集会の開催が多くの人々に知らされた。実行委員会事務局には市民からの多くの問い合わせがあった。

充実した集会

 集会は司会を「憲法を生かす会」の嶋崎英治さんと「憲法会議」の田中洋子さんが行い、東京都手話通訳派遣協会の協力があった。
 主催者の挨拶では「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の内田雅敏弁護士が「市民が中心になって、これまでさまざまに違った運動経験をしてきた諸団体の協力で開かれている。挨拶する諸団体だけでなく、メッセージをよせてくれたさまざまな人々に見られるように広範な協力がある。今後とも発展させ、改憲を阻止したい。憲法九条は二十一世紀の地球号を導く星となると思う」と発言した。
 各界からの発言では「戦争への道を許さない女たちの会」の吉武輝子さんが、「平和なくして平等はない。平等なくして平和はない。戦争と性暴力、あらゆる暴力の根を断ちたい。その象徴が沖縄です。基地のない、軍隊のない島にしたいと闘っている。私たちも願いは同じです。会場を多くの方が取り巻いている。半分の方が入れないという。涙がでるほどに感動し、勇気がでました」と発言。
 航空の現場の六十二組合二万二千人が参加する「航空安全推進連絡会」の大野則行さんは「周辺事態が起ればわれわれがまっさきに動員される。民間航空機が兵員や武器・弾薬を輸送すれば、紛争相手国の直接の攻撃目標になる。国際民間航空条約は民間航空機の軍事利用を禁止しているのに、民間航空機の軍事態勢への組み込みが強まっている」と指摘した。
 「二〇〇一年女性の憲法年連絡会」の守谷武子さんは、今年早々、この女性の連絡会を発足させた経過を報告した。
 ある高校三年生からは、「平和像をつくる活動のなかで、過去の歴史や経験を知り、憲法にこめられた思いを学んできた。小泉首相が改憲を言い出したり、侵略戦争を美化する歴史教科書ができたり、たいへん腹がたっている。私たち子どもたちに平和や命の尊さ、未来への希望を教えてくれる憲法のバトンを途絶えさせないで、広げよう」との訴えがあった。
 「平和憲法を広める狛江連絡会」の小俣真智子さんは、「何か行動しなくてはと思い、市民連絡会に加わり、憲法調査会を傍聴するようになった。そこではマクベスならぬ憲法九条殺しの劇が演じられていた。狛江市でもなんとかしようと、昨年八月からはじめ、いまは七四名の会員がいる。ぜひ、みなさんもご自身でそういう会を作ってください」と語った。
 「日本山妙法寺」の武田隆雄さんは、「この憲法はもっとも理想的な平和をうたった憲法です。実に世界のどこにもない憲法です。私たちは平和よりほかに国家の目的はない、人類の目的はない。争いをしないことのほか、平和をつくる道はないという信念をもって、この憲法を守ります」と訴えた。
 メッセージはすでに述べたように広範な各界からよせられた。壇上では出席した各党の国会議員が紹介された。
 文化行事では高校生や中学生による憲法劇「もっと平和に」と、東京フィルハーモニ交響楽団楽員の福村忠雄さんのチェロと林さち子さんのピアノによる「ラルゴ」「アンダルーサ」「鳥の歌」「白鳥」の演奏が行われた。
 スピーチでは評論家の加藤周一さん(本紙三面に大要を掲載)と、作家の澤地久枝さん(本紙次号に大要掲載予定)が講演した。
 加藤さんは日本近代の歴史を振り返って平和憲法の意義を指摘し、改憲論の謬論をひとつひとつ的確に反駁した。
 澤地さんは琉球大学で学んだ経験から、沖縄問題の根本は米軍基地をなくすことだと訴え、また自衛隊を憲法にしたがって変えていきたいと訴えた。
 社民党の土井たか子党首と日本共産党の志位和夫委員長の発言は各方面から注目された。土井党首は「こんなにいっぱいの日比谷公会堂をはじめて見た」と前置きして、戦前の斉藤隆夫の「反軍演説」を回顧した。斉藤は「一寸にして断つことができなければ尺の恨みあり。尺にして断つことかもできなければ丈の恨みあり」と言ったが、まだだと思っていると手遅れになる、と述べ「参議院選挙では自分の党にこだわらない、憲法を守り、生かしていく勢力を三分の一以上にしよう」と訴えた。
 志位委員長は「小泉が、自衛隊をして『いざという場合には命を捨てるもの』と言ったが、怖いことだ。小泉は無定見なタカ派だ」と指摘した。そして「相手のねらいは九条改憲の一点だ。首相公選は改憲の練習にすぎない」「九条を守れの一点で大同団結し、憲法擁護の共同と運動を、立場の違いを超えて大きく発展させることを呼びかけたい」と発言した。

右翼の妨害をはね退けながら

 各界からの挨拶やメッセージはその幅の広さを示したし、加藤周一、澤地久枝、土井たか子、志位和夫の各氏のスピーチはそれぞれ大きな拍手を受けた。チェロの演奏や学生の憲法劇も感動を呼んだ。最後に集会アピールが採択された。カンパの訴えには百万円を越す会場カンパが寄せられた。
 集会後の銀座パレードは雨もやみ、右翼の執拗な妨害をはね除けて堂々と行われ、元気に「生かそう憲法、高くかかげよう第九条」とアピールした。

巨大な共同を目指して

 集会は成功した。しかし、これはほんの第一歩だ。この集会の成功を基礎に、小泉政権の改革派を装った危険な改憲の政治をうち破る流れを作り出すことが次の課題となっている。すでに国会の論戦では民主党若手議員などから小泉の路線に共感の声が上がっている。憲法調査会では「第九条二項を改憲しよう」という声が与党議員から相次いでいるし、「首相公選」などという主張は中曽根元首相ら自民党委員だけでなく、公明党や民主党などからも相次いでいる。マスコミのいくつかもそうした「改憲世論」づくりに手を貸している。
 まず東京都議選挙につづく参議院選挙で、ひとりでも多くの改憲反対派を、党派の違いを超えて国会に送り出すために努力しなくてはならない。同時に、議会だけではなく、いずれは改憲の国民投票の発議などをも迎え撃つことができるような「五千万人規模」の一大署名運動を、国会の外で市民運動、労働運動などによる大連合と超党派で実現するために、いまから態勢と世論を準備しなくてはならない。この闘いは、二十一世紀前半の日本とアジアに重大な影響をもたらす闘いとなる。


労働者の団結を確認した第72回日比谷メーデー

 五月一日、第七十二回日比谷メーデーが開かれた。五月にしては珍しい肌寒さの中、会場の日比谷野外音楽堂とその周辺には早朝から多くの労働者が結集してきている。
 集会式典に先立ち、韓国の地で流血の闘争を闘い抜いている大宇自動車労組合唱団の歌と演奏が力強く行われた。
 はじめに酒田充国労東京委員長が主催者あいさつでメーデーの意義などを強調する発言を行う。しかし、会場からは野次が飛ぶ。それは、JRに法的責任なしとする四党合意承認を強行した一月の国労大会での酒田委員長の行為に対して向けられたものだ。酒田委員長は、大会警備の責任者として警察の導入、マスコミの報道規制、闘争団の傍聴妨害などを先頭を切って指揮したのである。野次は、こうした反労働者的な行為にたいする労働者たちの怒りのあらわれである。
 つづいての連帯あいさつは、矢沢賢都労連委員長。矢沢委員長は、国労闘争の意義を強調し、かつての東京の都電撤去反対闘争の歴史にふれ、右派と言われた東交労組指導部も解雇された左派組合員を最終的には守りぬき解雇撤回をかち取ったこと、そして解雇撤回をかちとった労働者たちはやがて東交労組の指導部になっていったことについて語り、国労本部に度量の広さを求め、会場からは大きな拍手がおこった。
 東京都産業労働局長の来賓あいさつにつづいて、大阪中の島メーデー実行委員会などからのメッセージが紹介された。
 つづいて大宇自動車闘争について韓国金属連盟からの訴えがあり、そして再び大宇労組合唱団の歌となり、海を越える労働者の連帯を確認しあった。
 決意表明は、大倉電気争議団と国労闘争団。
 最後に、メーデー・アピールが採択された。アピールは、「私たちが進むべき道は、競争を規制し協力と共生をめざすものであり、効率第一主義を規制し公正と安定をめざすものでなければなりません。グローバリズムには、職場や地域に立脚した感じ方・見方にこだわった真に国際的な共感を対置しなければなりません。仲間一人ひとりを支え合うまともな労働組合として、職場内外の仲間と手を繋ぎ、闘いの陣形を今すぐ整えましょう。私たちはメーデーをこうした闘いの場として位置づけ、統一メーデーの実現を求めてきました、残念ながら統一メーデーの実現は今年も果たせませんでしたが、この困難な時代の中でこそ労働者の一層の幅広い結集と闘いが求められていることを改めて訴え、統一メーデーを希求する立場を再度確認し、第七十二回日比谷メーデーの成功を宣言します」と述べている。
 藤崎良三全労協議長の団結ガンバロウで、式典は終了した。デモ隊が出発する中で第二部が始まり、5・3憲法日比谷集会への参加のよびかけが行われた。デモの隊列は二つにわかれ、土橋コース(区職労・市職労、民間労組、東水労、国労など)、鍛冶橋コース(都高教、民生局その他都庁職、東京清掃などや)で、シュプレヒコールを上げながら行進が行われた。


憲法と戦争を考える5・3大阪のつどい

 今世紀初めての憲法集会が、二百二十名の参加者で大阪市立住まい情報センター(地下鉄天六)にて開催された(主催・憲法九条の会関西・関西共同行動など)。
 五十四歳の誕生日を迎える日本国憲法は、絶えず傷つけられ、その存在を脅かされながらも、平和と民主主義の灯火を灯し続けてきた。小泉新内閣に政権が移り、驚異的な支持率に支えられ、なにやら改革を模索している中、早速にも改憲の目論み。今回はこのような風雲急な中、黒田伊彦さんのスライドによる紙芝居、ダグラス・ラミスさん(アメリカ人から見た日本政治・憲法)の講演、岡木光影さんのフォークソングなどなど盛りだくさんの興味深い憲法記念のつどいであった。
 つどいの開会の挨拶で、九条の会関西を代表して千木忠さんは、一昨年のハーグでの世果市民会議で日本国憲法の九条が採択され、決議されたことにふれて、世界で日本国憲法の理念が平和教育の必須科目として取り上げられるべきだと訴えられた。
 次に「りんごの唄―焦土の中の日本国憲法」のスライド上映とお話しが、関西大学教員黒田伊彦さん(日の丸・君が代反対関西ネットワーク)からありました。スライドの内容は第二次大戦の敗戦直前に東京大空襲に会った主人公タケシ少年が、家族と雛れ離れになり、苦労をして生き抜く中敗戦を迎え、家族と巡り会う。その背後に「リンゴの歌」が流れ、やがてタケシが中学に入り「新しい憲法の話」を聞き感動する、というもの、また、黒田先生は「リンゴの歌」は故サトウ・ハチローが軍歌を意識して作ったという話や、憲法の一条(天皇制)と九条はマッカーサーの意向でセットとして作られた、また、天皇の人間宣言の意味する所など私たちが知り得ないことまで興味深く話した。 
 閉会の挨拶で関西共同行動の中北龍太郎さんは、日本はきわめて危険な方向に進もうとしている。交戦権・憲法の矛盾・改憲へという流れが作られようとしている。いま国会での工作と世論対策を小泉政権は画策している。仙台に続き神戸でも世論対策の公聴会を開こうとしている。ぜひそれに向けて反対していこうと訴えた。
 最後に集会決議が読み上げられ、参加者一同賛同して散会した。(大阪・鳥井)


天皇制と「日の丸・君が代」の戦争・戦後責任を問う

 「強制はしない」と約束して国会で採択された「国旗・国歌法」の制定以来、二度目の卒・入学式となる学校現場では、約束に反して「日の丸・君が代」の強制が広がっている。
 法制化で勢いづいた右翼勢力は各地の「日の丸・君が代」強制反対の集会やデモなどに暴力的に介入してきており、また「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択の動きや、女性国際戦犯法廷に関するNHKの報道に右翼が介入し、暴力的に圧力をかけるなどの動きが強まっている。
 成立したばかりの小泉内閣は首相を先頭に、九条改憲、「集団的自衛権」の行使、「首相公選」のための改憲、靖国神社公式参拝など憲法破壊の発言を強めている。
 これらの危険な動きに反対して四月二九日午後二時から、東京の渋谷勤労福祉会館で約百二十名の人びとを集めて「天皇制と『日の丸・君が代』の戦争・戦後責任を問う四・二九集会」が開かれた。主催したのは日本基督教団・靖国・天皇制問題情報センターや反天皇制連絡会などによる実行委員会。四月二九日は「みどりの日」とされたかつての天皇ヒロヒトの誕生日であり、これについてはさらに「昭和の日」と改名する動きもある。
 集会では秋田県在住の作家・野添憲治さんとキリスト者の大島孝一さんが講演を行った。
 野添さんは、まず花岡事件に四十一年間取り組んできた立場から、昨年の花岡事件の「戦後補償訴訟」の和解決着について次のように語った。
 昨年、鹿島が和解基金を出したことで裁判はおわった。しかし、裁判以外は何も終わっていない。基金での解決というのは長い目で見れば前進だし、すばらしい方法だと思う。しかし、鹿島はまったくお詫びをしていないし、企業の戦争責任を認めていないことも事実だ。前進だったが、大きな問題を残して終わったとも言える。中国にいくとそれをつよく感じる。
 地元では花岡事件の運動化は難しい。事件とのつながりがたくさんあり過ぎる。しかし、そこから始めなくてはならない。わたしたちが生きている現場で、その歴史を掘り起こしていかなくてはならない。
 例えば全国各地で花見の対象になる桜の染井吉野の七割方はいまの天皇アキヒトが生まれた時に植えたものだ。有名な秋田の角館の桜もそうだ。これだって日常性の中の天皇制だ。これからも自分のまわりの小状況と闘いながら、大状況を問題にするという姿勢でやっていきたい。
 大島さんは「かつて自分は赴任した学校で日の丸・君が代は使わせないという方針でやってきたが、いま考えてみると、使わないことにこだわり、なぜいけないのかについては事実を教えてこなかった。これは間違いだったと思う」と述べた。
 各団体からの挨拶は、東京・多摩地区で活動する「日の丸・君が代はいりません実行委員会」の谷島さん、右翼の暴力的な妨害に屈しないで闘ってきた「日の丸・君が代の法制化と強制に反対する神奈川の会」の京極さん、起立しない区議会議員を学校行事に招かないという不当な差別に反対して闘う「日の丸君が代の強制に反対する市民ネットワーク」の船波さん、広範な共同で五・三憲法集会を準備してきた「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田さん、整理解雇と闘う韓国の大宇自動車労組を招いて交流集会を準備している「日韓民衆連帯ネットワーク」の渡辺さん、県警による言論の妨害を許さない裁判に勝利した「天皇制を考える栃木連絡会」の石崎さんから行われた。
 最後に「右翼天皇主義者の排外主義キャンペーンや脅迫行動が、経済や社会のグローバル化の動きの進展に対応するかたちで噴出してきているいま、私たちは右翼の暴力に屈しないというだけではなく、右翼をも活用しつつ天皇制の戦争責任・戦後責任を不問にし続けようという、支配者たちの政治にトータルに対決する本日の行動をステップに、さらにこの活動を持続することを宣言する」という集会宣言を採択した。


憲法集会講演

     憲法を育てるということ
                          評論家 加藤 周一


 二〇〇一年五・三憲法集会で評論家の加藤周一さんと作家の澤地久枝さんがスピーチした。本紙は今号と次号でその要旨を紹介する。(文責・編集部)

 今日は、憲法を守るという話ではなく、憲法を育てるという話をしたいと思います。
 日本国憲法はたくさんの目標を掲げていますが、その主な柱は三つある。一つは平和が目標ですね。あるいは戦争放棄、戦争はもうイヤだということです。第二の目標は人権の尊重ですね。人権という考えは、日本では憲法とともに非常に強く入ってきたわけです、三番目はもちろん民主主義です。主権が人民にあるということ。政府は人民のためにあるので、人民が政府のためにあるのではない。
 憲法がいっているのはそういうことですが、それならば日本の国民的な目標はどういうものであったか。いままでの近代日本の国民的目標は、第一に「富国強兵」のうちの「強兵」で、当初は成功して、のちに失敗した。その次の第二の目標は「経済成長」で、やはりはじめは成功し、のちにかなり失敗した。それで冷戦のない条件のもとで二十一世紀に入っていくときに、どういう目標をもつか。もういっぺん軍事的なことをしてもだめでしょう。それは、いままでやってみて失敗したわけです。それから大企業中心にしてむやみに膨張政策をとっても、それにはいろんな意味で限度があります。そうすると何がいいか。目標としては平和憲法。できたのは四七年だけど実行できなかった。条件が変わってこれから先、日本の国民的目標になり得るのは平和憲法を徹底させること。憲法というのは、できたらすぐに神通力を発揮するのではなくて、だんだんに社会の中に育てていくもの、だからもっと育てていきましようというのが私の提案。二十一世紀の日本の国民的目標というのは、たぶんそれしかないと思います。だから憲法を変えるのではなくて、憲法を育てるのが目的だと思いますね。
 いま、安全保障のことでいろいろ問題になっているのですが、安全保障というのは、だんだん一つの国だけで安全にすることは難しくなっている面があります。だから、ある地域で多くの国が集まって安全を保障しようという考え方がすすんでいくわけです。そのとき、その地域の中で、日本の場合だったら東北アジアの地域で、安全な環境をつくるためのいちばん大事なことは、そこにある国の信頼関係です。信頼関係の方が、軍備の増強よりはるかに大事なんです。別の言葉でいえば、現実主義的だと思う。だから現実的に日本国の安全を保障しようと思ったら、隣国との信頼関係を築くことですね。
 安全のために軍備を増強するという方法はどうしても信頼関係を傷つけますから、それは非現実的な方法ですよ。それはだんだん時代遅れになりつつある。現実を離れている。もういっぺん現実を離れて、できないことを軍事力でやろうとして大失敗をする必要はないでしょう。
 だから二十一世紀になって大事なことは、安全保障を信頼関係の方に切り替えることです。その一つの表現が、たとえば朝鮮半島における金大中大統領の「太陽政策」だと思います。そして、日本の平和だけではなくて、世界全体の平和、もっと大きな地域の平和ということになれば、そのいちばん大きな問題は南北問題の解決ですね。南北格差をなんとかすること。そのためには武器はほとんど役にたたないです。軍備を調えることで南北問題にアプローチすることはできません。他の手段を講じなければいけない。経済的、政治的、文化的なです。
 安全のために現実的な政策は武器で、外交的手段、それから政治的、文化的手段は非現実的だ、という考え方はまちがっていると思います。それはむしろ逆だと思います。
 したがって、日本国憲法はすでに平和主義を掲げているのですから、それを変える必要はないと思います。変える必要があるという人の意見の一つに、五〇年もたってもう古いからというのがあります。これは非常に幼稚な考えです。大日本帝国憲法は五〇年以上も生きた。ただの一行もかわっていない。憲法五〇年は別に古くはない。
 もう一つは、「押しつけられた」というのがあります。「押しつけられた」から変えようというのもバカげた考えだと思いますよ。いいことを押しつけられることもありますからね。押しつけられたことは皆悪いとはいえないわけです。たとえば、その劇的なものは「男女平等」です。「男女平等」は押しつけられたものだからもう一度不平等にする必要がありますか。
 それから、いま憲法を変 える、ことに九条に触れるということは、新ガイドラインで決まった。米国が戦争をするときは日本もそれを支持する、その支持をもっと強くするために米国側の圧力が加わっているでしょう。憲法を変えろという人たちは、変えること自体押し付けられているわけでしょ。押し付けられた憲法を変えろと押し付けられているわけです。
 もう一つは、外国でもやたらに憲法を改めるというのです。そういうことはあります。米国の憲法にはアメンドメント(修正条項)がたくさんあるし、ドイツの憲法もたびたび改められている。しかし、外国が憲法をどのくらいひんぱんに改めているかことが問題なのではなくて、何を変えているかということが問題なんです。憲法を変えるときには大事な原則を補足して、もっと強化するためにいろんな細かいことを付け加える場合と、その原則そのものを変えてしまうという二つがあります。
 もし、第九条をもっと自由に軍備ができるように変えるのであれば、それは憲法の精神、原則を補足して強化する改憲ではなくて、別の方角に切り替える改憲です。そういうことが、外国でたびたび起こっているわけではありません。
 それから現実とのくい違いということが言われます。しかし、法律と現実はいつでも違うわけです。違いがあるのは当たり前なんです。違いがあるときに、現実に憲法を変えて近づけるのではなくて、憲法の方に現実を近づける方がよろしいんです。憲法は、はじめから日本の現実を叙述しているわけではない。どこへ行くべきかという目標を指示しているわけですから、目標に向かって現実を変えていくのが当然のことだと思います。
 ですから、憲法をただそっとしておくだけでなく、むしろそれを育てていく、目標に近づけていく、趣旨を徹底させるということが大事だと思います。
 日本人が日本国に誇りをもつというのは、理想的な目標を掲げ、それをどう追求するかという視点によって決まってくるわけです。いままでは、軍事力だった、軍事大国でそれはダメだった。それから経済大国だけが、金もうけだけが唯一の目的でもダメだった。日本国憲法を守ろうということを追求し、徹底させていこうという日本国民の姿勢は、同時に日本国民の日本国にたいする誇りになると思います。


金曜連続講座・金子勝さん    日本再生論その後(下)

繰り返される歴史

 問題のキーポイントに不良債権問題があるわけです。ここで歴史をふりかえって見る必要あります。
 第一次大戦で日本はバブル経済に入った。そして、二十三年に関東大震災、二十七年には金融恐慌が起こり、大量の不良債権が発生しました。二十九年十月にはアメリカのウオール・ストリートの大暴落です。にもかかわらず日本は、グローバル・スタンダードである金本位制に復帰するために、金輸出を解禁して本格的な大恐慌に陥ってしまうわけです。
 今回の状況では、一九九一年に日本のバブルが破綻します。そして九五年に阪神淡路大震災がありました。九七年には金融システム不安で山一証券、北海道拓殖銀行などが潰れる状況になりました。大量の不良債権が発生しました。二〇〇〇年三月には、アメリカのITバブルが崩壊が始まります。そして、日本は二〇〇一年三月に、グローバル・スタンダードである金融ビッグバンに突っ込んでいる。いまの政府がやっていることは、あの当時やっていたのとみんな同じです。
 つまり、ある覇権国の秩序が崩れるときには非常に似たパターンをとりやすいということです。言われているのは、ダメなところは市場原理でどんどん潰しましょうということのようですが、しかし、実際は、やらないだろうと断言できる。

経営者に刑事罰を

 なぜバブル処理が日本ではこれだけ長引いたのか。その理由はあきらかです。経営者責任を問い刑事罰を適用して一気に公的資金をいれてバランスシートから不良債権を切り離すことが解決の条件ですが、これをやらなかった。
 アメリカは、九一年に、危ない銀行は一回潰し営業譲渡させて引き継がせる政策を進めました。なるべく雇用が少なくならないようにしながら、不良債権の整理回収機構にあたる整理信託公社(RPC)が買い取って一気にこうしたやり方をした。いわば手術をしたわけです。しかし、日本ではそうはいかなかった。日本では、経営者責任を一度も問わない。問うたとしても小出しです。政府のやっていることは、なにが前向きですか。全然そうなっていません。銀行は赤字決算して破綻している。公的資金をいれたにも関わらず、それでも赤字決算を出しつづけているのだから銀行経営者は首になってしかるべきです。
 これまで、住専に始まり、つぎつぎと何兆円を投入して今度で四度目になります。その間、銀行経営者は、これで不良債権は終わったと何度も繰り返してきました。かれらの辞書は、「終わりは始まり、最終は最初」なんです。例えば、北欧だったら経営者の首をはねて国有化し整理する。これが欧米の常識です。
 では、日本はなぜ経営者の責任が問われなかったのか。それは、レフリーがいない、公認会計士が一緒に粉飾やっているんです。金融監督庁、これもごまかしに加わっている。監督庁が検察で銀行が被告だとしても、この二つは仲良しなんです。だから、司直の手を入れないかぎり、こうした構造は直らない。司直の手を入れない限り不良債権の査定でさえも行われないというとろにあります。

高齢経営者と未来

 日本の経営者は、年齢が非常に高い。これから二十年後を考えた場合、今の経営者の年齢でやったってうまくいくわけないのはわかっているじゃないですか。だって、かれらは、あと十年間会社がもてば俺は退職金もらって辞められるという気でいる。政治家もそうです。だから私は、経営者の年齢を四十歳代半ば以下におとせと言っているんです。そうした年齢の人たちは、二十年後も生きていかなければならない。だから未来についていちばん真剣に考えているんです。そして、今後のことは、かれら自身に選ばせていかなければならない。
 しかし、やる気のある中堅が自閉してくさっている状態にあるのが現実です。

「市場原理」での解決とは

 柳沢金融担当相などは、しきりに「市場原理」でやらなければならないと言っています。たしかに本気で、不良債権問題の解決にとりかかったら大変なことになります。かれは大蔵の出身です。やったら自分の子飼の役人も処罰しなければならなくなる。すくなくとも局長以上には責任をとらせなければならない。日本の構造は、先に述べたように解決不能の状態にあるわけですから、いま手術をするには、責任をとらせること、つまり刑事罰を適用するしかないのです。なぜか。諸外国でこうした問題をやるときに必ず出てくるのは、背任問題からです。そして会計粉飾です。
 日本では、責任を押しつけ合って前に進まない。だけど背任と会計粉飾は問える。それ以外に不良債権を確定することはできない。ここが大事です。長銀でもどこでも潰れた瞬間には背任が明らかになる。だけど、みんなやっているのです。それを、市場原理で、といっているのは、司直が入ったら追い込まれるから困る、そういう感覚です。それでも民事責任は問えるはずです。責任者から、しっかりと財産没収はするべきです。

ルールの確立

 いま言っている責任問題というのは、単にモラルの問題や感情から言っているのではない。本当に悪いものを処罰するルールの確立、そこなんです。
 量的緩和をして、超低金利にして、そして円安にして輸出で稼ぐ。強調しておきたいのは、こうした今まで不良債権の処理の仕方は全部ダメだということです。いまや日銀のバランスシートはめちゃくちゃです。バブルが破綻した直後には、十九兆円の国債が手元にあった。それが、いまや七十四兆円です。これを市場で売ったら暴落です。
 だから日銀は国債を永久に買い続けなければならない。これは戦前の高橋是清の財政政策と同じですが、戦争にいたる道です。これは危ない。
憲法九条があって良かったと本当に思います。もし軍隊があったら、政財界は腐っているって言ってクーデターです。軍政の方が安心できるというような国もありますが、そうなっては終わりです。今の金融緩和は、じゃぶじゃぶ国債を買い支えながら、財政赤字を出して、公共事業やってゼネコ支えて、そうしてお金を返させてる。また銀行は貸出先ないので、国債を買わせて、その国債を日銀が買って支えてる。これがいままでの政策です。

食い逃げ世代を超えて

 こうした政策をを転換させると言っている人は誰もいない。残念ながら野党にもいない。
 必要なのは、公的資金を巨額で一気に注入することです。
 それに見合うように、雇用に影響が出ないように、分権化を進めて、小さな公共事業をやったり、社会保障・セーフティネットを張り替えたりすることです。堅実にいかにして底割れを防ぐかという政策をやっていくことです。これは景気が良くなるという政策ではないが、これ例外にない。
 景気が良くなるといって、ビッグバンだとか例外なき規制緩和だとかやってきましたが、みんな失敗した。現在は破産寸前にあるということ、こういう時には大きい手をねらってみんな沈んでいくんです。
 不良債権について、金融監督庁は、約三十二兆円あると言っている。銀行の自己査定では六十四兆円です。大きい違いです。それを評価基準が違うからだと説明していますが、どっちにしろ、こんなに大量の不良債権があるんです。
 しかし、問題を解決するにしても経済戦略会議の最終報告(一九九九年)は、前向きの責任と称して、三年間棚上げとしています。つまり、二〇〇二年三月まではなにも追及できないということです。しかし、追及したら政府の責任が明らかになり、これまでのすべて政府の政策間違いだと言うことになってしまう。
 僕の発想は違う。ギャンブルの例えで言うなら、もう負ける、負けるけど自分の財布の中にあるお金の範囲内に借金をとどめようとするしかない。もう一度現実を直視して一から出直そうという発想です。自分たちが十年持てば食い逃げできる。あとは年金なんて知らないよ。そういう親父たちの食い逃げ世代ではなくて、三十代〜四十代の人たちを前面に押し上げて、自分のリアリティーをもっている人たちをリーダーにしていくことでしか、とてもいまの状況は変えられないということです。  (おわり)


改憲を許すな!生かそう憲法  東京南部地域集会

 四月二十五日、東京・大田区において、「改憲を許すな!生かそう憲法東京南部地域集会」が実行委員会の主催で、約四十人の参加で開催された。
 伊藤誠さん(経済学者)、北村小夜さん(元教師)、ともに地元在住の二人が呼びかけ人となり、地域で自衛隊の海外派兵反対や沖縄の基地撤去の運動、環境問題、労働運動等を担っている人たちが、実行委員会を結成、「5・3憲法集会」へ向けた前段の地域での取り組みとして集会を開催した。
 集会では最初に、憲法調査会市民監視センターの高田健さんが、「憲法論議一年を検証―改憲調査会化した憲法調査会―」と題する講演をおこなった。
 高田さんは最初に、小泉新首相の危険性と改憲派の動きについて分析、問題点を明らかにする。総裁選挙の過程での、九条を変える、集団的白衛権は憲法を変えなくても行使できる、靖国神杜に公式参拝をする、首相公選のための改憲をする、という発言を紹介し、特にこの間の政権がいくら解釈改憲をしても無理だとしてきた集団的自衛権の行使ができると明言したことに彼の本質があると強調。また、集団的自衛権の合法化のための自民党の国防部会による「国家安全保障基本法」立法化の提言が、小泉発言に呼応するかのように出されている。戦後、憲法は日米安保条約にたいして一定の制眼の役割を果たしてきた。それを解釈改憲でしのいできたが、周辺事態法成立後それも眼界で、自衛隊は憲法違反だ、だから憲法を改正して現状に合わせろと改憲派はこれまでの主張と反対のことを言い、九条改憲の論拠にしていると、その矛盾点、非論理性を指摘する。
 また、発足一年を経過した憲法調査会について具体的に紹介。「論憲」ということで始まったはずだが、「論憲派」だった公明党、民主党は「改憲派」に変わった。「これが議論なの?」と驚くほどで、相互の議論になっていない。委員は自分の発言質問をするだけで、終わればいなくなる。五十人の委員のうち半数もいない。いても居眠りをしている。まともな議論をするしくみになっていない。地方公聴会を含めて、形式的な実績を積み上げるだけで、まさに「改憲調査会」になっていると、調査会の現状を批判。
 改憲への道筋については、九条二項の改正か三項を新たにつくるか、あるいは首相公選や新しい人権の付加などという、二つの方向性があるが、前者の方が多数とはいえまだ決定的ではない。環境権や首相公選制で改憲をという議論は改憲に慣らせて次に九条をやるという迂回作戦であるという。
 最後に、改憲派の攻勢の中で、より大きな団結を目指し、違いを乗り越えて開催される「5・3集会」の参加を坪びかけるとともに、戦争放棄、主権在民、基本的人権の憲法の三原則をより実現させていく、改憲を許さないというだけでなく、三原則に沿って日本を変えていこうと提起をする大事な時期にきていると述べ、講演を終えた。
 引き続き集会では、「地域からの発言」がおこなわれた。大田区内で区議会、教育委員会に対して、「つくる会」の教科書採択に反対している区民の会、日の丸、君が代反対に対する処分攻撃に抗して闘っている教師の発言などが続く。
 最後に「集会アピール」を参加者全員の拍手で確認し、集会を終えた。


千七百五十名の解雇撤回を求めて闘う大宇自動車労働組合を断固支持する

 五月二日、新宿のハーモニック・ホールで、「整理解雇反対!大宇自動車闘争の現場から来日! 日韓労働者連帯 講演と歌の夕べ」が開かれた。
 四月の警察による血の弾圧と労働者闘いを伝えるビデオ『大宇自動車―整理解雇撤回の闘い』が上映されたあと、全国金属産業労働組合連盟仁川本部組織部長・大宇自動車共同闘争本部のヤン・ハギョン(陽鶴龍)さんが報告を行った。
 労働者はなぜ闘うのか。会社は不渡りを出しているのに、金宇中大宇会長は、巨額の金をもって逃走した。それなのに、なぜ労働者だけが犠牲にならなければならないのかということだ。
 一九九八年に韓国はIMF(国際通貨基金)の管理下にはいったが、それ以降は非常に厳しい情勢になってきている。自動車関係の争議でも、この間、現代代労組が一定の譲歩をうけいれざるをえなくなり、起亜争議では権力の介入もあり、今年の大宇の整理解雇反対の闘いだ。一連の労働争議は政府の新自由主義政策による構造調整からおこっており、雇用不安時代の労働運動として大きい意義をもつ。韓国内でも大宇自動車の位置は大きく、総労働と総資本の闘いとして注目されている。
 大宇では、雇用不安を前に、九九年から多くの仲間が一週間仕事に出たら一週間休むという勤務形態になったり、賃金が七〇%くらいに切り下げられたりしている。そして、ついに十一月には不渡りが出て、ついに今年の二月には千七百五十人の解雇となった。
 闘いの中で、労働者は徐々に変わっていった。工場にペンキで金大中大統領や金宇中会長を批判するスローガンが書かれ、工場は鉄パイプやバリケードで防衛された。四月には警察の流血の弾圧が行われたが反撃が展開されている。
 大宇が身売りしようとしているアメリカのGM本社前でも行動を展開した。労働者の闘いで、GMは買収に躊躇している。そうすると大宇には、二つの道しか残されていない。大宇は清算整理してなくなってしまうか、自力での立て直しを行うかだ。立て直しには、労組の側も未払い賃金や退職金の一部を出資していきたいと考えている。もちろん大宇再建団や政府はもっと出すべきだし、自治体もそれなりに出資すべきだと思う。
 ダムも小さな針の穴からくずれるという言葉があるが、われわれの闘いも、こうした精神で闘っていきたい。今度は勝利の報告でみなさんと合いたい。ともに頑張ろう。
 講演に続いてユ・クムシンさん、ヨン・ヨンソクさん、パク・ウニョンさんが、韓国の労働歌を歌った。
 中岡全労協副議長が、日比谷メーデーでの大宇労働者へのカンパを送った。


守ろう平和憲法信州ネットワーク 市民の憲法講座と第二回総会開催

 去る五月三日、長野市において守ろう平和憲法信州ネットワーク市民の憲法講座と第二回総会が開催された。
 会場には約百六十名ほどの会員や市民が参加した。
 この守ろう平和憲法信州ネットワークは、昨年の憲法記念日に発足して以来、長野県内で千名余の会員が参加して、長野市や松本市で講演会や学習会を開き、年三回の会報を発行するなどの活動をして来た。
 それぞれの立場でいろいろな活動をしながら、憲法の前文と第九条の改憲に反対することで一致した、代表委員制のゆるやかなネットワークであるため、必ずしもインパクトのある行動が出来るわけではないが、長野県内の反改憲勢力として、一定の地位を占めている。昨年八月以降ホームページも開設している。
 今年の憲法講座では、代表委員の一人である東栄蔵さんが「憲法と人権」と題して、島崎藤村の「破戒」のモデルとなったという大江磯吉(明治期の長野県内被差別部落出身の教師)の闘いを例にとって護憲の闘いへの精神的な位置付けを強調する講演を行った。
 さらに、信州大学教育学部助教授の愛敬浩二さんが、「国会憲法調査会一年とこれからの焦点」と題して、改憲派にとっては千載一隅のチャンスかもしれない、そして小泉内閣の登場によって、「お試し改憲」と解釈改憲による「普通の国」化が実現する危険性がある。日本企業のグローバル化対応の中で、九条改憲の熱望もあるなど、危険性が説明された。
 参加した代表委員もそれぞれの活動と反改憲の決意や戦争の出来る国家化の問題、沖縄で十一歳のときに戦争体験をしている女性の話などのスピーチが行われた。
 約三時間の講演会と集会であったが、取材の一部マスコミの若いカメラマンたち以外は(県内すべてのテレビ四社が取材には来ていたが、全体をとおして取材していたのは一社だけであった)ほとんど最後まで熱心に聞き入っていた。
 また、県内では憲法制定時に発行された文部省教科書「あたらしい憲法のはなし」の復刻版などが驚くほど売れているという話もニュースになっており、憲法への関心は高まっているようである。
(長野通信員T・H)


「つくる会」教科書を採択させない

 五月一日夜、東京・渋谷勤労福祉会館で「歴史歪曲・女性蔑視の『つくる会』教科書を採択させない!」緊急女性集会がVAWW−NETジャパンの主催で開かれた。会場にあふれる三百名が集まった。
 挨拶した同会代表の松井やよりさんは、「小泉首相の支持率が八〇%を越すなどの異常なファッショ的ながれのなか国家主義的政策がつぎつぎと出ている」と述べた。
 基調報告した西野瑠美子副代表は、「つくる会」の教科書について女性の視点からの問題点を次のようにあげた。
 @「慰安婦」はトイレの構造の歴史と公言した坂本多加雄が代表執筆者、 A与謝野晶子を家族制度支持者と描き、女性の自立を模索した津田梅子の生き方にはふれない、B日本軍の性暴力は無視、C天皇の戦争責任を無視、D日本国憲法と教育基本法の理念を否定、 E家制度や夫婦同姓を強調する、F性別役割分担を強調する、G現在の日本は立憲君主制と記述、など多数の問題点があると述べた。
 続いて、韓国から来日し文部科学省など政府への要請や国会前の座り込みなどを続けてきた、挺隊協の金允玉常任代表と二名の日本軍性奴隷制サバイバーが発言した。またドイツで七〇年代からすすめられてきた、共同教科書作成のとりくみについて、ドイツ日本研究所のニコラ・リスクーチンさんが報告した。
 サバイバーの金恩禮ハルモニは「歴代の首相がきちっと解決していたらこんなことにならない。世界に出ていけるのか! ヒロヒトと歴代の首相が認めるべきことを認めなかったからこうなった」と話し、さらに坂本多加雄の発言に対しては、怒りを鎮められず、何回も何回も声を張り上げて糾弾を続けた。
 集会では、現場教師から中学生の歴史学習への真っすぐな捉え方が報告された。また教科書採択に関して東京都・杉並区、岡山市などの状況報告があった。
 最後に採択阻止に向けた緊急署名や、教育委員会への働きかけなどが提起され、集会アピールを採択し、終了した。


複眼単眼
           
「幻想」か「幻惑」か はたまた「幻滅」か

 「広辞苑」を引いてみる。[幻想]現実にないことをあることのように感ずる想念、[幻惑]目先を惑わすこと、[幻滅]美化し理想化していたことがまぼろしにすぎなかったと悟らされること、とある。
 朝日新聞社から『改憲幻想論』という本がでた。著者は朝日新聞論説主幹の佐柄木俊郎。副題に「壊れていない車は修理するな」とある。佐柄木は副題について「これはオーストラリアにおける一九九九年の憲法改正国民投票の過程で、反対運動のリーダーが使った言葉である。英国のエリザベス女王をいまも元首にいだく立憲君主制をやめて、共和制に移行しようとした改憲の提案だったが、反対派の巧妙な戦術もあって、国民投票では否決された。……『壊れていない』点では同国の君主制の比ではない日本の憲法状況を言い表わすのにピタリとくるフレーズだ」と説明している。
 佐柄木は「近年一部メディアなどによって『この国の憲法改正はいまにも実現する』といわんばかりの『改憲幻想』が振りまかれ、あたかもそれが日本にとって避けられない緊急の課題であるかのように作り出されてきたことだ」とタイトルの『改憲幻想』を解説している。そして「日本はたしかに変わらなければならないし、変えなければならない。……とりわけ政治改革と国会改革であろう。ざれ歌ふうにいえば、『日本変えるにゃ改憲はいらぬ。永田町政治が変わりゃいい』のである」と言う。これはまったくその通りだ。
 本書の多くの論点に賛成する。しかし、大きな問題もいくつかある。 例えば本書の結論として「そうした変容(改憲)を許容する人々が多数を占めるとは思えない」とする点だ。佐柄木は、だから改憲は『幻想』だと言うのだ。しかし、現実に支配層が進めている改憲の動きからみて、これは『幻惑』の役割を果たすことにならないか。現下の憲法状況をどう見るのかの問題だ。 改憲が実現化された時に『幻滅』したなどと言われても仕方がないのだから。
 一九九九年春、朝日新聞が「憲法調査会の設置は不可能」と説いたことを思い出す。
 私はその時、ある集会で「事実認識が違う。もしこれによって人々が幻想を持ち安心して、この国会法改定が成立してしまったらどう責任をとるのか」と朝日が結果として運動を『幻惑』する役割を果たしていることを糾弾したことがある。
 結果、朝日の予測は外れたのだった。佐柄木の『改憲幻想』批判もまた同じ役割を果たしはしないか。佐柄木は本書で自衛のための軍事的組織を容認している。これも重大な問題点だ。「狼が来る」という必要はない。そう言うのは間違いだ。しかし、実際に狼は近づいてきている。この時に「来ない」と説くのはどのような役割を果たすことになるのか。佐柄木のこうした「現状追認主義」からくる楽観主義は無責任のそしりを受けざるをえない。
 いまこそ言う。
 『幻滅しないためにも、善意の幻惑を拒否し、幻想を捨てて闘いを準備せよ』と。 (T)