人民新報 ・ 第1024号 (2001年5月25日)
目次
● 小泉政権のファッショ的新保守主義との闘い
(上)
日米共同で東アジアにおける緊張激化を挑発
● 「ランド報告」の先行実施・故障や給油を口実に 沖縄の波照間・下地に米軍機
● 歴史歪曲を許さないアジア連帯緊急会議・同緊急集会
韓国・中国・フィリピンなどアジア各国の人びとを迎えて
● 5・15沖縄「復帰」を問う集い
米軍犯罪続発抗議、名護新基地建設反対
● 憲法集会講演
九条をむざむざと奪われてなるものか 作家 澤地久枝
● 五・三憲法集会各界からの発言
戦争への道を許さない女たちの連絡会 吉武輝子
航空安全推進連絡会議 大野則行
二〇〇一年「女性の憲法年」連絡会 守谷武子
子どもの平和像をつくる会
平和憲法を広める狛江連絡会 小俣眞知子
日本山妙法寺 武田隆雄
● 映画評
神の子たち−忘れられた子どもたちPART2
● 部落史から取り残された諸賎民について@ 大阪部落史研究グループ
● 複眼単眼
マサコと天皇制の危機 女帝問題と皇室典範改定の動き
小泉政権のファッショ的新保守主義との闘い
(上)
日米共同で東アジアにおける緊張激化を挑発
「これはファッショでは?」と自民党議員
小泉内閣は発足以来、従来の政権が留保していた政治の進路に関わる重要政策問題の突破を相次いで図っている。
その就任にあたって「首相公選」を口実に公然と憲法の改定を主張したのも、憲法第九十九条の憲法遵守義務の規定下にある歴代首相の中では異例のことである。従来の政府がその憲法解釈において「不可能」としてきた「集団的自衛権の行使」を改憲なしに「実行する可能性を研究する」と言明したのは、「憲法違反」などというよりはむしろ「憲法破壊」というべきものである。また、アジア諸国から厳しい批判があって歴代首相が躊躇してきた「靖国神社公式参拝」も「当然のこととして行う」と言明した。
バブル経済の破裂に端を発した前世紀末の一〇年以来の長期にわたる経済の危機は、いまだその出口も見出せないままだ。これは小渕内閣・森内閣と続いた、大資本の利益を野放図に擁護する戦後最悪で無責任な自公保(自由)連立政権への民衆の政治不信とあいまって、この国の民衆の生活を重苦しい閉塞感で包んでいる。
先の自民党総裁選以来の小泉に対するマスコミでの支持率の異様な高騰は、民衆のこのような政治への極度の不信の反映を意味している。
テレビをはじめとするマスコミによる意図的なキャンペーンとの相乗効果で、小泉が森派の会長という立場で森政権の悪政を一貫して擁護してきたことや、「郵政民営化」をやみくもに主張する以外になんの実績もなかった政治家にすぎないことなどは忘れ去られてしまった。政治への極度の不信感は、小泉が「自民党の解党的出直し」とか「構造改革」、あるいは「改革断行内閣」などと主張するや、それへの「爆発的」な期待の表明につながっていったのだ。
この状況は自民党の内部からさえ、「ひょっとしてこれはファッショではないかという、ある意味の怖さを感じる」(五月十七日、衆議院憲法調査会・西川京子議員)などという意見が出るほど異様なものとなっている。当選以来の石原都知事の動きといい、この小泉内閣にたいする世論の動きといい、これらが中曽根元首相が言うように「小泉はナショナリズムを重視するわれわれの側」、すなわち中曽根、小泉、石原らの政治的連携のもとで作り出されている、危険な新保守主義の潮流であるだけに、軽視してはならないものがある。
だが、おそらく小泉も知っているように経済政策で多くの人々が期待するような政策はすでに出尽くしてしまっており、大向こううけする政策的な目玉になりうるようなものはない。「構造改革」などといったところで、大資本のための政治を前提として、この未曾有の経済危機から脱出する手術をするのは容易ではない。
森政権下で形成された政府危機から脱出するために、都議選、参議院選まで高支持率を維持することが至上命題になった小泉政権としては、勢い、政治的政策・課題で「改革」を印象づけなくてはならない。バブルの支持率はいつかは破裂することもたしかなのだ。だからこそまったくの欺瞞であるにもかかわらず、派閥政治からの脱却と自民党の改革などの「実績」を強調するのもこの文脈からでてくる。
そして、党内外の小泉への支持を固めるために不可欠なのが、世論の「支持」の高い「首相公選制」実現の強調である。また自民党内の巨大な圧力団体の遺族会や軍恩連の支持を獲得するための「靖国公式参拝」論の強調である。そして支配層を安心させるための日米基軸路線の堅持、アメリカ・ブッシュ新政権の対東アジア政策に呼応する集団的自衛権の行使の合憲論である。
「改革断行」を標榜しながら進められる小泉政権のこれらの諸政策は、「改革」とは名ばかりの自民党の一方の潮流、新保守主義を受け継ぐにすぎない。それは西川議員の言を待つまでもなくきわめて危険な要素を含んでいることは明らかである。
小泉の集団的自衛権についての無知と憲法破壊路線
この国会で行われた小泉首相と社民党の辻元政審会長の「集団的自衛権」にかんする議論は、首相がひんぱんに「集団的自衛権」問題について言及するにもかかわらず、実際にはその意味するところについて、恐ろしいほどに無知であることを露呈した。
小泉は集団的自衛権と集団的安全保障の区別や、またそれと新ガイドライン関連法の「後方支援」との違いもまったく理解していなかった。彼によれば、「日米共同訓練中の米軍が公海上で外国に攻撃されたときに支援できないということで、同盟関係が成り立つだろうか」という認識程度である。
いうまでもなく集団的自衛権とは、同盟国ないしそれに準ずる国が外国から武力攻撃を受けたときに、その国で戦うことを合法化する論理である。だから、従来の政府見解の「専守防衛」などとはまったく関係のないアメリカの戦争にたいして、参戦するということだ。これであれば、かつての朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、中東戦争にも自衛隊の戦闘部隊を派遣できることになる。だからこそ、歴代政府は「集団的自衛権は国連憲章ではどの国にも認められている権利であるが、第九条をもっている日本としては行使できない」との見解を示してきたのだ。これを自民党の山崎幹事長は「国会決議で確認する」ことで行使するなどといい、小泉も「それはひとつの方法だ」などと述べたのだ。
用語の意味すら理解しないままに、誰かに耳元でささやかれているかのごとく「集団的自衛権の行使」を騒ぎ立てる小泉の政治手法、これが憲法無視、憲法破壊でなくて何だろうか。このような「憲法解釈」を合法とするなら、それは全くの政府専制にほかならない。
本紙が繰り返し指摘してきたように、昨年十月のアーミテージらによる超党派の「アメリカの東アジア政策」である「提言」は、日本の集団的自衛権行使を要求していた。そして米新政権の中枢に入ったアーミテージは、「小泉首相の集団的自衛権についての発言を心強く思った。……現在の憲法解釈が日米協力の障害になっていることは事実だ」と露骨に従来の限界の突破を要求した。
またその「提言」が言う「米英同盟をモデル」にした日米同盟について、米新政権の高官は「信頼して共同作戦できるのは、その能力と訓練から英海軍と日本の海上自衛隊だ。日本は守備範囲を一千海里に限ってきたが、米国は拡大したいと考えている。マラッカ海峡まで、ペルシャ湾までという考えもある」と「シーレーン防衛」についても従来の枠の飛躍的拡大を要求しているのだ(五月十三日、朝日新聞本田優編集委員)。
そしてさらに、五月十五日に公表された米国防総省系のシンクタンク「ランド研究所」の「米国とアジア、米新戦略と軍事態勢に向け」(以下、「新提言」)は「米国は、徐々に『普通の国』になろうとしている日本の努力を支援すべきだ。すなわち、日本は、集団的自衛に参加し、その安全保障上の視野を領土防衛以上のものに広げ、共同作戦を支援するのにふさわしい能力を獲得することだ」と述べ、「日本の憲法改正の努力を支持すべきだ」としている。
この「新提言」はさらに米国の東アジア戦略を、朝鮮半島に軸足を置いてきた従来の「北東型」から、台湾海峡に重心を置く「南方型」へと戦力配置の移動を提言。「中国にたいする『コンゲージメント政策』(クリントンの対中関与政策=エンゲージメントと、共和党保守系に伝統的なコンティンメント=中国封じ込め政策の併用を意味する)」政策を主張した。これは中国を「追い詰めないが、武力統一に備える」方向への、戦略の転換の提言である。
その結果、沖縄の先島地方、例えば三千メートル滑走路を持つ下地島空港(伊良部町)の利用などを提言している。すでに米空軍は「給油のため」と称する下地島空港や波照間空港(竹富町)の強行利用を繰りかえしはじめた。
小泉政権の「集団的自衛権行使」論が、中国をはじめとするアジア諸国との緊張を激化させる危険な政策であることは明白だ。
(つづく)
「ランド報告」の先行実施・故障や給油を口実に 沖縄の波照間・下地に米軍機
四月二十八日につづいて、五月十六日、沖縄・伊良部町の下地島空港にフイリピンでの合同演習に参加していた米軍空中空輸機二機とヘリコプター九機が飛来。竹富町の波照間空港には、同日、ヘリ四機が飛来し、長時間にわたって居直った。
これらの米軍機の強行着陸は、いずれも給油や機器トラブルを理由にしているが、その理由はつじつまの合わないことが多く、県の担当者からも「だましだ」との声があがっている。
これらは「ランド報告」などが想定する「台湾有事」にたいする訓練の一環であり、両民間空港の恒常的米軍使用の既成事実化に狙いがあると見られている。伊良部町では財政難から町長が先ごろ、「自衛隊の訓練の誘致」を表明しており、今回の米軍の行動は地方自治体の弱みに付け込んだもので、許しがたいとの指摘もでている。
歴史歪曲を許さないアジア連帯緊急会議・同緊急集会
韓国・中国・フィリピンなどアジア各国の人びとを迎えて
歴史を歪曲する「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を、子どもたちの教室に持ち込ませないための「採択阻止運動」は、この六月がヤマ場となって来た。
この教科書に対しては、国内の各界から抗議の声が上がっているだけでなく、韓国、中国、朝鮮民主主義人民共和国など、アジア各国からもきわめて強い抗議の声が上がっている。
このほど、「つくる会」の教科書の採択を徹底して阻止し、アジア共通の未来をつくる歴史教科書の確立をめざして、六月一〇日から十一日にかけて、東京でアジア緊急連帯会議を開催するための実行委員会が発足した。実行委員会を呼びかけたのは、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク、平和を実現するキリスト者ネット、子どもと教科書全国ネット21の三団体で。五月八日、西早稲田の日本キリスト教会館で三五人ほどの各界の代表が集まって第一回実行委員会を開いた。
実行委員会では以下の事が決められた。
日時・六月一〇日(日)午後一時から十一日(月)午後九時まで。
主会場・在日本韓国YMCA(水道橋駅下車)
主なプログラム・アジア連帯会議は一〇日十三時から十一日十二時まで。事前申し込み登録制。二日間三千円、一日のみ二千円。
六月十一日十七時から人間の鎖(文部科学省前)
六月十一日十八時三〇分からアジア連帯緊急集会(日本教育会館一ツ橋ホールで一般公開・参加費千円)
目的・「つくる会」の教科書採択阻止。アジアの共通の未来をつくる歴史教科書の確立。
事務局・日本キリスト教協議会(東京都新宿区西早稲田二ー三ー十八ー二四。電話03・3203・0372。FAX03・3204・9495)
賛同・団体一口三千円、個人一口二千円。
会議にはアジアの被害国から「慰安婦」問題、南京虐殺、マレーシア住民虐殺などの関係者五〇名をまねく予定。実行委員会は「アジアの人びとの叫びをしっかりと受け止めながら、地域でできること、個人でできることについて智恵を分かち合っていきましょう」と呼びかけている。
集会の成功のための協力を呼びかける。
5・15沖縄「復帰」を問う集い
米軍犯罪続発抗議、名護新基地建設反対
五月十五日に、労働スクエア東京で、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催の集会「5・15復帰を問う! 軍人犯罪続発を許すな! 軍用地強制使用と名護新基地建設との闘いの場から」が開かれ、百二十名あまりの労働者・市民が参加した。
はじめに主催者を代表して、一坪反戦地主会関東ブロック代表の上原成信さんがあいさつし、集会前に防衛庁・防衛施設庁へ申し入れ行動を行ったこと、今年の集会を屋内でのものにしたのは、今日の情勢をじっくりと論議し新しい段階での闘いの方向を確認し合いたいからだと述べた。集会の報告者は三名。
最初に池原秀明反戦地主会事務局長が、反戦地主会の活動を報告した。
反戦地主会は、三つの闘いに取り組んでいる。一つは現地米軍との闘い、二つには那覇防衛施設庁との闘い、三つ目が違憲訴訟だ。
米軍用地行政訴訟は、八二年、八五年、八七年、二〇〇〇年と今回の知花昌一さんなどの土地にたいする強制使用の認定にたいして行われているが、その立脚する法律がいずれも時限立法で五年で期限切れになってしまう。だから法律が裁判闘争の途中で消えてしまうので判決を一度ももらっていない。今後は、一つひとつの闘いについては反戦地主会全体としてやるのではなく、人員を制限しながら息長く継続していく方針である。
安次富浩・ヘリ基地反対協議会代表委員は名護での闘いを報告した。
いま沖縄現地の闘いは、この間の選挙に連敗していることに示されるように非常に厳しいところにたたされている。名護でのヘリ基地ついての市民投票では基地反対が勝利し、市長に市民投票重視の姿勢をとるように迫った。しかし政府の沖縄振興策で大金がばらまかれるなかで、金を政府からとることの見返りに基地を認めていくという方向も強まっている。すでに普天間基地の代替施設についての協議会は六回開かれており、その内容が固まりはじめている。新基地の建設方式を、杭打ち方式にするのか埋め立てにするのかなどの三つの案が出ているが、いずれもゼネコンの利益のためのものだ。
われわれは一面追いつめられているが、しかし沖縄県も名護市も苦しい立場に追い込まれている。かれらは新基地の十五年使用期限を公約したが、アメリカからの確約はとれていない。十五年問題は、政府と沖縄の間の国内問題とされ、アメリカとの外交ルートにのせられないでいる。アメリカは、良き隣人政策をとっていると言っているが、つい先日の放火事件をはじめ米兵の犯罪・事故は減っていない。稲嶺沖縄県知事は訪米して、基地縮小などを申し入れるとしているが、出来たとしても海兵隊数百人の削減や訓練地のグアム移転など内容の無いほんの申し訳程度の変化が出てくるくらいだろう。
来年の一月には名護市長選挙が予定されている。もう一度原点から運動をつくり直していくためにも市長候補を公募し市民の手で市政を変えていく取り組みをしたい。
最後の報告者は上村英明さん(市民外交センター)。上村さんは、沖縄が差別されていることを国連人種差別撤廃委員会へ訴えた活動について述べた。
私は八〇年代から北海道のアイヌ問題にとりくんだが、一九九七年にはアイヌ文化を守る法律ができた。現在のアイヌ人口は二万五千人だが、そうした権利を実現するところまで来ている。少女レイプ事件から沖縄について取り組みはじめた。米軍基地をはじめとする沖縄の抱える問題の解決には国内のプロセスだけでは限界がある。どうやって国際社会をうごかすかが問われている。沖縄の問題は人権の問題だ。戦前・戦中、アメリカ占領下、そして復帰してからも、沖縄への差別は一貫している。国際人権規約と人種差別撤廃条約には沖縄が受け続けてきた差別との闘いに有利な条項がある。国連には条約を監視する委員会があり、国連人種差別撤廃委員会では、沖縄に対する差別に関して日本政府が尋問を受けた。こうした国際社会を動かす活動はますます重要なものになってきている。
集会のおわりにアピールが確認された。
憲法集会講演
九条をむざむざと奪われてなるものか
作家 澤地久枝
みなさんこんにちは。そしておめでとうございます。こんなにいっぱい人が集まる、入れなくて外に千人をこす人がいらっしゃるという、こんなに嬉しいことがあるでしょうか。おたがいに喜びたいと思います。
二年と五〇日――私の六七歳から六九歳までの時間になりますが、沖縄の琉球大学でもぐり聴講をしました。皆さんご承知の国際通りに、喜納昌吉さんのライブハウスがあります。そのライブハウスを聞きにいきましたら、派手なジャンパーを着て歌っているのですが、ぱっと背中を向けると「すべての武器を楽器に」と書いてあります。私は「武器はいらない」、陸海空あらゆる意味の戦力を放棄した平和憲法、とくに九条というものは、私たちにとって、あの戦争を通して手にし得た唯一の財産ではないかと思います。これをいまむざむざと奪われてなるものか、変えられてなるものか、と思っています。
私は、沖縄でいい体験をしました。沖縄では一九九五年に小学生が米兵によって性的な暴力を受けるという事件がありましたし、最近になって、今度はそれと同じことを自衛隊員がやっているという問題がおきています。飛行機の爆音で授業中も声を大きくしなければ授業の声が聞こえないような普天間基地のある宜野湾市に大学がありますし、住んでもいましたから、基地のすごさというものはわずかな滞在日数でもわかりました。沖縄問題の根本解決は、米軍基地が沖縄から無くなる以外にはないですよね。
日本政府、ないしは日本政府だけではなくて、その政策をささえている、残念ながら多くの文化人(もの書きを含めますけれども)や経済人もそうです。その人たちは、これからの日本の進路、二十一世紀の日本のあり方としては、アメリカとの関係をより緊密にしていくと言っています。だけどアメリカという国はいいこともしますけれどもしょっ中間違えている。たとえばベトナム戦争、あるいは湾岸戦争その他です。誤謬をおこさないという根拠はないと思います。
日本という国が、日本の政治家の間違いで、たとえば日本人が戦争に巻き込まれるということだけではなくて、日米安保条約というあの軍事条約をさらにすすめようとしていることによって、アメリカの大統領が間違えた判断をしてどこかでバカな戦争をするときに、日本人はそこにいっしょにいって血を流すことになる。それがいまやられようとしている政治だと私は思います。
私はまず日本がやるべきことは、あらゆる国と平和条約を結ぶこと。いっさいの軍事条約はやめたらいいです。武器をとって殺しあうことで解決をした問題がありますか。戦争は何も解決しない。殺し合いをしてどうするのですか。私たちは限られた命の時間しかないんですから。そういう意味で、私はたとえば朝鮮民主主義人民共和国とも大韓民国とも平和条約を結ぶ、アメリカとも戦わないという平和条約を結ぶ。ロシアとも結ぶ、中国とも結ぶ、すべて国なるものと平和条約を結んで、われわれは現在の憲法を守り抜き、そしてとくに九条を大切にし、いっさいの戦力を放棄するというその旗をきっちり掲げるべきではないでしょうか。
その中から初めて、平和でなければできないこと、教育の問題もそうですし、福祉の問題も老人介護もそうです。日本だけではなくて、発展途上国の乳幼児の簡単な病気や栄養失調で死んでいく子どもたち、内戦の犠牲になって死んでいく子どもたち、地雷に触れて死んでいく子どもたち、それから識字率が低くて一生涯読み書きができないような――これは大人を含めなければならないのですが――そういう人たちのために日本が役に立つ。そのためにもお金がいりますけれども、そんなお金は軍事費をカットしたら簡単に出てきます。おつりがきますよね。
日本は人類が未来に向かって達成したい理想として人々が思い描く夢というべき立派な憲法をもっている。でも現実には、自衛隊はさまざまな名称で選挙民をごまかしながら、世界有数の軍事力になるまでに約五〇年かかったわけです。それぐらい憲法というものは侵しがたいものをもっていたのですね。いまその垣根を取っ払おうとしていると私は思います。
ともかく、既成事実としてできてしまった自衛隊があるから、世論調査を見ると自衛隊を認めるという声があがってくる。日本人はやはり既成事実に対して弱いのよね。でもまず、今私たちに必要なのは、私はこう考える、こう判断しこういう意見が私の意思である、ということをおたがいが確認することです。だって一人の「個」という以上に小さい存在はないじゃないですか。一人ひとりが私はこう考える、私はこの憲法、この堕落した政治家によって憲法が変えられることなどとんでもないという意思をはっきりもち、おりあるごとに発表していけば、私は変えられることを防げると思います。
既成事実としてふくれあがった自衛隊をどうするか。日本だけではなくて、世界中に自然災害その他の救助を必要とする事態が起きる可能性がありますね。そしたら、税金によって全部まかなえばいいのですが、よく訓練されて健康で、しかもそれそれぞれの国の習慣とか言葉というものにも練達した緊急救助隊になるよう自衛隊を変えたらいいではないですか。そのことに税金が使われることに誰も反対しません。それからその人たちが出かけていくときには丸腰で行くんです。命を助けにきた人たちを殺すような人はごく少数です。丸腰でいくことに意味があります。自衛隊はもっと縮小して、いらなくする。武器なんかは軍事産業を設けさせているだけで、古くなったら使わなければならないから戦争が起きるんだと思う。
だから国際救助隊として、どこかで、地球の果てでも何かが起きて援助が必要という時にただちに各分野の専門家、たとえば心理学的な医者もいるかもしれませんけれども、それぐらいの知恵は私たちもっているではありませんか。必要なものを全部そろえ、医療品も全部そろえて即座に飛行機を飛ばして、あるいはヘリコプターでそこへ行って救助をする。これは日本国内でたとえば地震が発生したときもそうですね。そういうものに自衛隊を変えていきたいんです。変えることは可能だと思います。五〇年かけてここまできてしまったものを、一朝一夕のうちに全部きれいに変えるということはなかなか大変ですけれども、私たちがこの道を選ぶと考え、そう考える人たちが主権者の中に一人でも増えていったら変わらざるをえないんですね。時間をかけて自衛隊の質的な解体をしたい。そのことによって自衛隊という名前にするのか国際救援隊とするのかわかりませんけれど、よくなるだろうと私は思います。それが私の理想です。
私たちはいずれ何年か後に死んでいくけれども、でもいまの赤ちゃんたち、あるいはこれから生まれてくる子どもたちは、二十一世紀、さらにはその先の世紀を生きていかなければならない命です。人間だけでなく、命あるすべてが、やはり平和な地球で命永らえるような状態でありたい。つまり、未来に向かって人類はどう生きていくか、というときに戦争があっては地球にはいい答えはありません。破滅しか答えはないと私は思います。だから未来の子どもたち、未来に六六〇兆を越す大赤字を背負っているこの国を引き継ぐ子どもたちに本当にすまないと思いますが、その子どもたちの未来のためにも、そしてそれが世界中の子どもたちのためにもなると私は思うのね。
そのためにも私たちは九条を日本語の解釈どおりに解釈をして、考えて憲法を守っていきたい。これは一人ひとりがきっちりと意思をもって守っていかないかぎりずたずたにされます。沖縄問題の解決もその中に含まれます。おたがいがかかえているさまざまな問題もその中に含まれていて、答えは平和しかないです。
今日、これだけの人が集まって、お互いに思いはいろんなところで違ったリしながら、しかし今日、ここに来るということにおいては一致している。その一致しているものを大切に守って生きていきたいと思います。(文責・編集部)
五・三憲法集会各界からの発言
戦争への道を許さない女たちの連絡会 吉武輝子
私が敗戦を迎えたのは十四歳のときでした。そして私の戦後は、アメリカ兵の集団の性暴力からスタートしました。人間でなくなってしまった、そう思いこんだ私が人間であることを取り戻して、人間としての誇りをもった第一歩を踏み出したときに、あらためて戦争と性暴力、平和なくして平等はない、平等なくして平和はない、あらゆる暴力の根を絶たないかぎり、その象徴である戦争の根は絶つことはでききない、そう思って生き続けてまいりました。
いま、その象徴の島が沖縄です。基地のない、軍隊のない、そうした島にしていきたい。沖縄の方たちは、安保条約は国と国の軍事の協定ではない、女であろうと子どもであろうと、身体の不自由な人であろうと、老いた人であろうと、安全に真夜中でも歩ける社会、人間保障時代をつくりたいと懸命に運動を続けています。私たちも願いは同じです。二十一世紀を人間保障時代にしていくために、どんなことがあっても、その基本の精神をもっている日本の平和憲法を守らなければならないと思っています。
今日はこの会場にまいりましたら、建物を取り巻くような多くの人たちが集まっていました。半分の方が入れないということです。私は涙が出るほど感動し、勇気が出ました。同じ思いをもっている方がこんなにたくさんいるのだったら、ひるんではならないと思いました。今日から、ともに人間保障時代をつくっていくために、平和憲法を守っていく、そうした活動にごいっしょに第一歩を踏み出させていただきたいと思います。
航空安全推進連絡会議 大野則行
航空安全推進連絡会議は、航空管制官、パイロット、客室乗務員、整備士など航空の現場で働く六十二組合、二万二千人が参加している団体です。航空の事故を絶滅し、安全を守るために各方面で活動いたしております。
日米新ガイドラインおよびその関連法の問題いらい、陸上、海上、航空、港湾の交通運輸関係の二〇の労働団体が集まりました。周辺事態がおこれば、われわれのような労働者がまっさきに動員される。十五年戦争はいうに及ばず、朝鮮戦争、それから湾岸地域における戦争においても貴重な仲間の命が奪われたという苦い経験があります。すなわち、命と安全の問題であるということで、新ガイドライン反対で一致し、取り組みをおこなっております。
航空の立場からいえば、民間航空機によって兵員を輸送したり、武器・弾薬を輸送したりすることは、紛争相手国からみれば、自分たちを傷つけるものを運んでいるわけですから、それが前線であれ後方であれ、直接攻撃の目標となることは明白です。そればかりではなく、日本の民間航空機はいま世界中に飛んでおります。それがテロやハイジャックの危険にさらされるという問題もあるわけです。事実、スコットランド上空ではパンナム機が爆破されましたし、八七年のベンガル湾上空では大韓航空機が爆破されています。
このようなことから、国際民間航空条約では民間航空機の軍事利用を明確に禁止しています。もちろん、日本もこの条約を批准しております。しかし政府は、九九年に周辺事態法を強行して後、アメリカ兵や自衛隊員を戦闘服着用のまま民間航空機に乗り込ませたり、アメリカ軍の船や飛行機を日本国内の港や空港に出入りさせる、といったことを意図的に増加させている傾向があります。
その中で、今年の一月、防衛施設庁は、日本の航空会社にたいしてアメリカの国防総省の定める輸送資格を取得するように要請してきました。
まさに民間航空機の軍事態勢への組み込みです。有事になれば、輸送は米軍機だけでは足りないということで、敏速に対応できるように、あらかじめ日本の航空会社にその資格を取得しておけということです。
これには労働組合がいっせいに反発しました。防衛施設庁に抗議するとともに、企業経営側と団体交渉をおこなって、資格取得要請を拒否するように要求しました。現時点では、企業側から要請は拒否したとの回答を得ていますが、今後またどのような圧力が強まるか予断は許しません。
民間航空の安全を守るために、今後とも利用者国民とともに運動を広げていきたいと思います。
二〇〇一年「女性の憲法年」連絡会 守谷武子
女性は、憲法の改悪を許さず、憲法のすべての条項、とりわけ第九条を完全実施させて平和な二十一世紀を実現するために、今年早々、「二十一世紀に輝け九条、二〇〇一年を女性の憲法年に」と連絡会を結成しました。この運動には、本日ご登壇くださる澤地久枝さんをはじめ、吉永小百合さん、小林カツ代さんなど、さまざまな分野の広範な女性の賛同の輪が広がっております。現在、中央の三〇団体が参加し、地方連絡会もあいついで結成されつつあります。
賛同は海外からも寄せられています。現憲法起草者の一人、ベアテ・シロタさんは、「平和をめざすたたかいをつづけていくために、『女性の憲法年』の運動は尊い取り組みです。日本の平和憲法は、世界のモデルにならなければなりません」と述べておられます。また、非核フィリピン連合のコラソン事務局長は、「みなさんがスタートさせた『女性の憲法年』の取り組みは、女性の平和への誓いと、母であり姉妹であり娘であるすべての女性たちの世代に、平和で核のない未来を手渡そうという崇高な意思の表明であります」と連帯のメッセージを寄せられました。
「連絡会」は四月二十四日に、本日の集会への参加もよびかけて、有楽町で街頭リレートークをおこないました。また、シールをつくり、小泉新内閣の改憲発言に抗議して、友人や知人に憲法九条を知らせる百万枚ハガキ運動に取組むことを決めました。今日、ここに並びましたが、リボン、タペストリー、旗、扇子、絵手紙などなど、あらゆる宣伝物を使って、草の根からの宣伝運動を急いでひろげています。
私は、「女性の憲法年」のよびかけ人の一人で、日本婦人団体連合会の会長でした櫛田ふきさんが二月に逝去した後、櫛田さんの遺志をひきついで連絡会の事務局を担当しておりますので、女性連絡会を代表して発言させていただきました。みなさん、ごいっしょに、何としてでも日本国憲法を守り抜きましょう。
子どもの平和像をつくる会
和光高校の三年生です。東京高校生平和のつどい、世界の子どもの平和像を東京につくる会の実行委員長をしています。
私は平和像をつくる活動をする中で、過去の歴史や戦争の真実を知り、そして日本国憲法に込められた思いを学んできました。多くの戦争体験者の方々のお話を聞き、戦時中、天皇のため、お国のためと信じこまされ侵略をしたこと、その結果、たくさんの子どもたちが自殺させられていったことを知りました。決して忘れられません。そして第二次世界大戦では六千万人の人々の犠牲がうまれ、世界中の人々が深く反省し、二度とこんな戦争を繰り返すまいと誓い、とうとう日本国憲法をつくることができたということも知りました。
けれど今、その日本国憲法にたいして、小泉首相は自衛隊を尊敬されるものにしようと改憲をいいだしています。また、最近、登場した日本の侵略戦争を美化する歴史の教科書を政府が認めてしまうなど、私たち子どもには、歴史の真実がしっかり伝えられなくなっているように感じます。私はこのことにたいして、たいへん腹がたっています。世界中のほんとうにたくさんの人々の戦争の苦しみや、平和をつくっていこうという決意のこもった日本国憲法を変えること、それは歴史の真実にフタをすることであり、またそれは私たち子どもの未来や希望、人間らしい生き方を潰すことになるのではないでしょうか。
私たち、この会場にいる人たちもみんな歴史を切り開くリレーランナーです。平和な、ほんとうに一人ひとりが大事にされる未来をめざす、人間の人間らしい生き方の方向を私たちに指し示してくれる、大事な大事な日本国憲法のバトンを手に、いま私たち子ども自身が立ち上がるべきときだと思います。そして過去の真実を学び、いっしょに悩みながらいまの社会について考え、仲間と力をあわせて走り、過去から受け取った憲法のバトンを未来に向けて、もっと大きくもっと豊かにして次の世代に手渡す、それが子どもたちが作ろうとする世界の子どもの平和像です。募金額も、たくさんの人たちの協力で目標額の一千万円を超えて、いよいよ五月五日には除幕式をおこなうことになりました。
私たち子どもに平和や命の尊さ、未来への明るい希望、そして決意と励ましを与えつづけてくれる日本国憲法のバトンを、決して途絶えさせてはいけません。みなさん、平和を願い、憲法を守る輪をもっともっと大きく広げていきましょう。
平和憲法を広める狛江連絡会 小俣眞知子
私は長いこと小学校で教員をしていましたが、あまりの忙しさに体力の限界を感じ、四年前に退職した者です。退職してゆっくり暮らそうと思っていたのですが、ちょうどその頃、日米新ガイドラインの問題が新聞をにぎわせるようになりまして、毎日憤慨しておりました。でも、憤慨しているだけで何もしないのでは仕方がないと思って、何かしなければとの思いから、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」に入りました。そして憲法調査会を傍聴するようになりました。傍聴してびっくりしました。会の始めから終わりまで座っている議員は野党議員の一部だけで、出たり入ったりを繰り返して、五〇名の過半数を超えていることはほとんどありません。野党議員の質問のときになると与党議員はほとんどいないという状態で、とても憲法について真剣に議論している会とは思えない状況でした。
ある野党議員の方は、「憲法調査会では、マクベスならぬ憲法九条殺しの劇が演じられている」とお話しておられましたが、ほんとうにその通りです。野党議員の方が憲法九条の理念を守っていきたいと発言したことについては、あざ笑うような雰囲気があります。私は、まるで大日本帝国議会を傍聴しているような錯覚さえおぼえました。
国会のこういう状態を一人でも多くの方に知っていただきたい、それをしなければ憲法九条が改悪され、大切な若者たちがまた戦場におくられるときがくるのではないか。そんな危機感から、私の住んでいる狛江でも憲法改悪を許さない、そして憲法の理念を広げていく会をつくることを決意しました。昨年八月、十名の知人に手紙を出し、五名の方から賛同のご返事をいただき、暮には七名の世話人体制ができました。今年二月、朝日新聞の伊藤千尋さんという記者の方をまねいて「平和憲法を活用するコスタリカに学ぶ」という演題で講演をしていただき、百名以上の参加者を得て、現在は七四名の会員の方が登録してくださっています。
狛江では、今日の会のようにいろいろな党派の方、いろいろな地域で活動している方が、仲良く手をたずさえて、憲法改悪は許さないという思いで活動しています。今日いらっしゃった方のなかには、自分の地域にはそういう組織はないとおっしゃる方もいらっしゃると思いますけれども、ぜひそういう方はご自身で会をつくってください。三名の賛同者がいれば会はできると思います。まず第一歩を踏み出してみてください。そしてエネルギーがなくなったときは、国会の憲法調査会を傍聴してください。怒りをエネルギーに換えてください。全国津々浦々に憲法九条の改悪を許さないという会ができてくれば、憲法九条殺しをねらい、集団的自衛権行使を声高に叫ぶ勢力にたいして、大きな歯止めになると思います。会のつくり方がわからない方はどうぞ連絡してください。
ともにがんばりましょう。
日本山妙法寺 武田隆雄
人間に兵器を持つことによる安心感がある限り、国に職業軍人がある限り、世界に軍事同盟がある限り、人間社会に安穏平和の生活は不可能であります。平和とは優勝劣敗を実現する運動競技ではありません。
五月三日、今日は憲法の発布されました記念日にあたります。この憲法は、もっとも理想的な平和をうたった憲法であります。現在、人類の恐れや悲しい運命は、みんな戦争がもたらしています。戦争をやめ、戦争権を放棄するという条項がこの憲法に定めてあります。これは、実に世界のどこの国にもない平和の憲法であります。これが現実の日本において守られております。私たちは、平和よりほか国家の目的はない、人類の目的はない。争いをしないことのほか平和をつくる道はない、争いの道具、平和のじゃまになることは皆捨てなければならない、という信念をもってこの平和憲法を守っていきます。
私たちは、この娑婆世界をお浄土に変えて、死んでから地獄・餓鬼・畜生の三悪道におちないように、永遠の命のうえに動かぬ宗教的信念によって、この平和憲法を守ります。私たちは、南無妙法蓮華経と唱えてこの平和憲法を守っていきます。
皆さん心をあわせ、ともに平和憲法をまもっていきましよう。
それから本日の統一和合した集会を準備してくださった方々、ならびに集会参加のみなさん方に深く感謝申し上げます。
映画評
神の子たち−忘れられた子どもたちPART2
監督・編集 四ノ宮 浩 / 撮影 瓜生 敏彦 /
音楽 加藤登紀子 / 共同制作 日本ユネスコ協会連盟
2001年 カラースタンダード 105分
監督の四ノ宮は、フィリピン・マニラ市の北にあるゴミ捨て場の街「スモーキーマウンテン」で一九八九年から撮影を開始し、六年をかけて映画を完成させた。それが前作の「忘れられた子どもたち−スカベンジャー」であり、ゴミ捨て場から出るメタンガスによって自然発火がおこりそのことによってそこは常時煙がたちこめ、スモーキーマウンテンというありがたくない名前をもらっている場所で、資源に再生できるゴミを捜し、それを売ることによって生活のかてを得ている少年たちの姿を描きだしていた。その時の映画評で私は次のように書いた。「たしかに画面に出てくる子どもたちは悲惨な生活をしているのだが、目は輝いている。しかし、なぜかその輝きは直接的には伝わってこない。……これは制作する側の姿勢とも関係ある問題ではないかと、つまり対象者との距離感の問題である。……対象との距離が中途半端だと思うのだが。……」
たいへん引用が長くて申し訳ないがたいせつな部分なのでがまんをしてもらいたい。
このたび制作された「神の子たち−忘れられた子どもたち PART 2」は前作を超えているのか、それとも問題点を相変わらずかかえているのか少し詳しく検証してみたい。
スモーキーマウンテンは、九五年にフィリピン政府によって貧困の象徴との理由で閉鎖された。その後、マニラ首都圏から排出される多量のゴミは現在ではケソン市パヤタス・ゴミ捨て場に捨てられている。
四ノ宮たちは、このゴミ捨て場の巨大な崩落事故―一〇〇〇人以上が死んでいるのだが―や巨大なゴミ捨て場にへばりつくように暮らしている何組かの家族に焦点をあてて撮影している。崩落事故のあとゴミ収集車は来なくなり、家族は生活に困窮し、食事も米だけの生活が続いたり、子どもが病気になっても医者に見せるお金もないような状態が続いているところを延々と描いている。そもそもゴミ捨て場には人間の身体に影響を及ぼす有毒物質もなんら分別されることなくゴミとして廃棄されているので、因果関係はわからないが水頭症という症状を持った子どもが多く出生したりしてくる。そして子どもの突然の死、葬儀。四ノ宮たちは子どもの死者たちを数多く描いた。これは死がなにも珍しいものではなく、生活と隣り合わせに存在しているということを表現したかったことを意図するのだろうが、死者の姿を出しすぎることは逆効果であり何の解決にもなり得ない。
制作意図には次のように書かれている。「日本人が失ってしまった家族の絆や家族愛を映し出し、生きるとは? 本当の幸せとは? 強く考えさせられる映画になっている」。はたしてそうであろうか。そういった意図はフィリピンで無ければ描けないのか。そんなことはないだろう。日本でだって矛盾を切りとって描くことは出来るのではないか。パヤタス・ゴミ捨て場がなぜ存在し、なぜそのまわりにゴミを生活の糧にして生きていく人たちが存在するのか。その社会構造の解明なしには彼らを描くことは出来ないのではないだろうか。フィリピン社会の少数の大財閥、大地主とそれ以外の人びと、警察や軍隊の腐敗、度重なるクーデターさわぎ、民主主義を求める人びととフィリピンに進出し搾取する日本の大企業の姿、それらの姿を織りまぜながら描くことによってパヤタス・ゴミ捨て場に生きる人びとの姿が浮かび上がってくると思う。
昨年、日本の医療機関からでた医療廃棄物がフィリピンに偽って持ち込まれ、検査で医療廃棄物だと判明し、送り返された事件が発生した。フィリピンは日本のゴミ捨て場ではない。そういったことの関連性のなかでこのパヤタス・ゴミ捨て場も語られるべきであろうし、撮られるべきではないだろうか。
私は決して四ノ宮たちの努力を否定するものではない。ただゴミ捨て場の悲惨な現状を写しだすだけでは、日本で生きる人びとは動くことはないであろう。四ノ宮たちは「ここで胸を張って暮らす人びとの家族の愛を伝えていくんだ!」と力説するのだが、私にはそうは見えない。パヤタス・ゴミ捨て場に生きる子どもは明るく目に輝きもあるのだが、大人は現実に打ち負かされ卑屈であり、諦観している姿しか写ってこないのだ。
題名についても言っておきたい。「神の子……」、便利な言葉である。カースト制度が存在するインドで、カーストの外にある不可触賎民のことを「ハリジャン(神の子)」と表現する。逆説的な意味あいもあるかもしれないが、なにが神の子か、という感覚をどうしてももってしまう。そして四ノ宮たちは次のようにも語る。「神は僕たち撮影チームに何を撮らせたいのか」。ここまでくると反発すらおぼえてしまう。神がかり的宗教的ファナティズムは目的意識さえ変えてしまう危険性をはらんでいることを自覚しなくてはいけない。
ここで結論的に言おう。ケソン市郊外のパヤタス・ゴミ捨て場、そこの生きる人びとの姿はこの映画を見ればある程度は理解できる。しかし対象とのギリギリの距離感はまだ相克されていない。(東幸成)
部落史から取り残された諸賎民について @
大阪部落史研究グループ
一、はじめに
今回、この課題を取り上げた理由は、一つには、部落史の研究者の間で部落史が見直されてきていることです。近世になって農民から税金である米を収奪しやすくするため、分断文配のため、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」式の思想を植え付けるため、当時の権力者である武士階級が部落の下地を作ったとされるいわゆる『近世政治起源説』が通説とされてきたが、この見直し研究が盛んになってきたこと。二つ目には、研究が進むにつれ『近世政治起源説』では限界があり、説明のつかないことが明らかになってきている。三つ目には、いくら時の権力者が絶大な権力を持っていたとしても、「今日からあなたたちは、最下層の身分で皆から差別されます」と言われ何の闘いもなしに民衆がすんなりと受け入れるだろうかと言う私たち自身の疑問と問題意識からです。
そして、上杉聰さん(「部落史がかわる」の著者)の講演を聞く機会があり、そこで「歴史を輪切りにする事はできない、何か新しい事をするにしても、時間の流れがあり、その流れの中である事実が成し遂げられます。人の感情や気持ちにしても過去を引きずりながら徐々に変わっていくものです」と、このことを小川に例えながらより理解しやすく講演しました。「小川の源流をどこに見るかと言う事です。川幅一bから川とみるか、地中からプクプクと湧き水が出ているところを小川の源流とみるかです」と。
私たちは部落史研究の専門家ではありません。仕事の合問を縫いながら、色々な本を読みあさりながらの紙面発表になります。私たちの試みは、読者との議論のかみ合いを目指しています。疑問や「私はこう思う」という意見がありましたら人民新報社までお願いします。シリーズ最終回には、私たちの読みあさった参考文献の紹介をしたいと思いますので、紙面を読んで興味があれば御一読下さい。
二、諸賎民
近世社会の穢多・非人身分に対して、各地域の方言・習慣に基づいて多様な呼び方の被差別民については諸(雑種)賎民と総称して穢多・非人とは別に考えられてきた。制度的賎民(穢多・非人)に対して、非制度的な賎民身分の総称として諸賎民と呼ばれ、部落史の中では本流から外れ軽く扱われてきた。
現在、部落史の源流については「近世政治起源説」とされているため、中世までさかのぼれる諸賎民の歴史が殆ど顧みられなかった。しかし、部落史を考える時、諸賎民身分の歴史も考える必要があります。時間は止まる事なく流れ続けるからです。
中世来からの職能を担う生活者として、中世的職能を持続させながら近世社会に定着した社会集団に、声聞師(陰陽師)・鉢叩・隠亡・雑芸能等があります。彼らは、諸賎民として幕藩制度によって掌握されていた。彼ら多様な被差別民は、村落の周辺に定住し、農民からは祭礼・祝い事や葬送など非日常的に活躍する呪術的行為であるところから、異能者として畏怖の対象になっていた。かわた・非人については、近世幕藩権力によって制度として掌握され、かわたは中世においては戦国大名、大坂(当時はこの字が使われていた)の地では土豪・武将に対して皮革を提供する役割を担っていました。
(つづく)
※ 編集部 この欄は、著者の都合に より月一回のペースで掲載します。
複眼単眼
マサコと天皇制の危機 女帝問題と皇室典範改定の動き
皇太子の妻マサコが懐妊したとの正式発表があった。これを前後して、マスコミでは「うれしい知らせ」「オメデトウ」とか「明るい話題で歓迎」とかのキャンペーンが始まった。
不景気にあえいでいたの日本経済への経済効果を早々と計算する連中もいる。「育児関連株価」が急騰したという。
そして見逃せないのは、これに付随して「皇室典範」改定・女帝容認論が永田町の一部で急速に高まってきたことだ。
憲法第二条では「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあり、「皇室典範」では「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」とある。
皇位継承権はいま第一が皇太子のナルヒト、第二がその弟のアキシノ、第三がアキヒトの弟のヒタチノミヤだ。いままではナルヒトに子どもがなく、アキシノには女児ばかり、要するにノリノミヤ以降皇族の誕生は女ばかり八人も続いている。「このままでは天皇制はどうなる」と千代田城には黒雲がおおっていた。
ようやく雅子に子どもが生まれそうだが、生まれるであろう子どもが男である保障はない。女だったら皇位継承権がない。そしてこの制度がある限り、この不安が、今後、繰り返し襲ってくることへの恐れもある。そこで皇室典範の改定と女帝容認論が浮上する。
永田町では自民党の山崎幹事長らが「皇室典範の改正」を主張し、併せて憲法問題も議論する構えだ。公明党の神崎代表も女帝容認論を述べ、秋の臨時国会で「改正する」考えをしめした。神崎等は「天皇に基本的人権を認め、自発的退位も容認する」としている。民主党の鳩山由紀夫代表は、女帝問題や退位問題は間に合えば今国会中にやってもよいといい、「自由党の小沢党首や社民党の土井党首とも一致している」と語っている。これに共産党がどういう態度をとるかは寡聞にして知らないが、ほとんど永田町も、マスコミも合意ができつつある。
「女帝容認は世界的潮流だ」などというが世界にどれだけ「王様」がいるのか、世界的潮流は圧倒的に共和国だ。「天皇にも基本的人権を」などというが、基本的人権保障の最大の障害になっている天皇制という支配・差別構造そのものを問題にせずに「退位の自由」などを持ち出しているのは笑止千万。そのねらいは先のヒロヒトの末期に「公務に耐えない」状態であるにもかかわらず、天皇を代えられないという深刻な矛盾に直面したことを教訓化しているにすぎない。
運動の側も実はすこぶる心許ない面もある。社民党は福島瑞穂参議院議員らを含めて女帝問題の「検討を開始した」と聞く。フェミニズムの運動の一部にも女帝容認論がある。だが、悪しき「対案主義」におかされた議論に走るのではなく、まず必要なことは皇室典範改定をめざす支配層の危険なねらいを暴露し、対決することではないか。
(T)