人民新報 ・ 第1025号 (2001年6月5日)
目次
● 小泉政権のファッショ的新保守主義との闘い(下)
「 首相公選」による改憲の突破口づくりと「靖国神社参拝」の居直り
● プルサーマルに住民がNO! 東電の城下町・刈羽での歴史的勝利
柳田真さん(たんぽぽ舎)に聞く
● がんばれ闘争団 ともにGO ! 国労闘争団共闘会議(準)結成
● 闘う労組への介入・弾圧を許すな
公安二課・万世橋署が東京管理職ユニオンをデッテ上げ捜査
● コリア国際戦犯法廷を成功させよう!韓国、沖縄・日本から米軍基地撤去を!
アジアの平和と朝鮮半島の統一を求める第5回日韓共同シンポジウム
● 「石原都政にガツン、ひとりでもNO!」をかかげて活躍する
無所属・市民派(杉並区選出)の福士敬子(ふくしよしこ)さんを再び都議会へ
● 改めて杜会主義の原点について考える
第一回社会主義究会例会(大阪)
● 複眼単眼
負傷した貴乃花の優勝と小泉「改革」、相撲改革
小泉政権のファッショ的新保守主義との闘い(下)
「 首相公選」による改憲の突破口づくりと「靖国神社参拝」の居直り
小泉純一郎首相にしても、田中真紀子外相や塩川正十郎財務相にしても、この内閣の閣僚たちの厚顔無恥さぶりにはあきれるほかはない。平気で前言を翻したり、言ったことを「忘れた」りするのだ。
前号で指摘した「集団的自衛権問題に関する認識の基本的な間違い」についても、小泉首相はようやく「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の違いについて初歩的な理解に到達したようだが、にもかかわらず当初の「集団的自衛権容認」発言は変えないで居直っている。
「首相公選制」実現を改憲の突破口にするねらい
小泉首相はその就任の記者会見で「首相公選制のためだけの改正なら理解されやすい。首相公選は総理を選ぶ権利を国会議員から国民に手渡す政界の規制緩和だ」と語った。
所信表明演説では「首相公選制について早急に懇談会を立ち上げ、国民に具体案を提示します」とも述べ、衆院予算委員会では「アメリカ型でもイスラエル型でもない日本型だ。天皇制と共存する公選制を考えている。議員も国会も廃止する気持ちはない。国会議員が推薦する人が候補者になり、全国民が投票する。候補者は国会議員でなくてもよい。閣僚は過半数が国会議員という規定をもうけないこともある。いずれにしても懇談会を立ち上げて検討したい」と述べた。
そして「(公選制が実現すれば)憲法をこうすれば改正できると国民に理解されやすいのが首相公選制だ」と、首相公選の改憲を九条改憲の突破口とする意図も隠していない。
小泉が言うこれらの内容をもつ首相公選には、直接には憲法第五章(内閣)の憲法六六条から六九条の改定が必要だが、それだけでなく、解散や首相の任命に関する第一章(天皇)の六条・首相任命、七条・解散などとも関連する憲法の本格的な改定作業をともなわざるをえないし、また「国民投票法」の制定も必要になる。
小泉首相はこの問題でも事態をどこまで理解しているのか、きわめて心許ないものがある。衆議院憲法調査会の中山太郎会長は「彼があんなこと(首相公選制に絞った改憲)をいうとは思わなかった。えらいことになった。(国民の理解を得やすいというが)そんな簡単な話じゃないんだ。リーダーの選出方法をまったく変えるということは、象徴天皇制をどうするかなどいろいろな問題がある。ブレーンにあまり相談されずに発言されたのではないか」と述べ、暗に批判した。 五月二三日の参議院憲法調査会では自由党の平野委員が「現行憲法によれば改憲の発議権は国会にあり、内閣が改憲の提案をすること自体不可能であることなど考えられていないのではないか」と批判する始末であった。
自由党の小沢一郎党首らは、首相公選論と天皇の元首としての役割に矛盾が生ずるので反対だと主張しているが、小泉は「矛盾しない」と答えている。これは中曽根らも含めた「首相公選論」者の中で共通認識になっている。首相公選の議論の過程で象徴天皇制との共存が確認されることは、首相と元首の任務の分離の確認であり、事実上、天皇の元首としての役割の確認に導き、天皇制の強化につながることになるからだ。
小泉はこの「首相公選」を叫ぶことで、森前首相の時代にみられる民衆の極度の政治不信のたかまりを逆手にとって、あたかも首相公選制の導入が直接民主主義を実現する「政治の規制緩和」であるかのように宣伝する。だが、この間の政治の腐敗の原因は直接には「制度」の問題でないことは明らかだ。この際、資本主義的な議会制民主主義の制度が真に民意を反映し得ないという基本問題はさておいて、この間の民衆の政治不信を招いた永田町政治の腐敗と民意からの乖離は、政財官の癒着の問題であり、またいっそう民意が反映しにくくされている小選挙区制など選挙制度の問題でもある。いわゆる派閥政治の問題もこの政財官の癒着構造と不可分であり、首相や議員候補者が形だけの「派閥離脱」をして解決する問題ではない。まして、この間、国家主義的な新保守主義者たちが唱えてきた首相のリーダーシップの強化論、大統領的首相の待望論には、きわめて危険な要素がある。新ガイドライン関連法案を強行通過させた小渕内閣当時の第百四十五国会の例をあげるまでもない。国会の論議が形骸化され、民衆に法案の内容が十分に明らかにされないままに強行採決される現在の国会は、あきらかに行政府の異様な突出状態である。小泉が「議会と併存する公選首相」などというのはまやかしで、結果は政府のますますの独裁そのものだ。
しかし、池田大作の指示を受ける公明党も、また第二保守党となっている民主党も「首相公選」を支持している。小泉の首相公選論はゆるやかではあれ、改憲の世論を高め、改憲派の連合を作り出すのに役立っていることは見落とせない。
煽情によって強行しようとする靖国参拝の危険
小泉純一郎は総裁選の過程で、遺族会や軍人恩給連盟などに属する自民党員の支持を獲得するために、それらの諸団体へのあいさつまわりの中で靖国公式参拝を明言した。以来、彼は脱兎のごとく公式参拝に突き進んでいる。そして「宗教的活動であるから(参拝が)いいとか悪いとかいうことではない。A級戦犯が祭られているからいけない、ともとらえない。私は戦没者に心からの敬意と感謝をささげるために参拝する」「戦没者にお参りすることが宗教的活動だと言われればそれまでだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」(十四日、衆院予算委員会)などと言っている。そして「なぜそんなに批判されるのか分からない。戦没者にたいし、敬意と感謝の誠をささげたい。嫌なことがあると『特攻隊の気持ちになってみろ』と自分に言聞かせている。つらいことがあればそういう気持ちを思い起し、苦労は何でもないと立ち向かっている」(二一日、参院予算委員会)と、愛読書が「あぁ同期の桜」という小泉らしい感情論のレベルでひどい発言もした。
ほんとうに「なぜ批判されるのか分からない」とすれば、小泉はこれまでの国会での議論の経過にあまりにも無知である。一見、奇妙に見えるが、靖国神社への参拝が「公式かどうか」が問われるのは憲法二十条の「国およびその機関は……いかなる宗教的活動もしてはならない」の政教分離規定に抵触するからにほかならない。だからこそこれまでの国会論議のなかで、「公人でないこと」「宗教目的をもたないこと」「宗教的形式をとらないこと」などが議論され、「肩書きを書くのか」「公用車を使うのか」「公費を使うのか」なども問題になってきたし、政府の見解、あるいは最高裁の判決などでこれに言及され、定着してきたのである。読売や産経新聞が「つまらないこと」などとこれを揶揄するが、それは憲法問題だということを意図的にゴマかしているデマゴギーに他ならない。靖国公式参拝はまさに憲法二十条違反なのだ。首相は「宗教的活動だといわれればそれまで」ではなく、「宗教的活動」は厳にしてはならないことなのだ。
それだけではない。靖国神社は明治政府が一八六九年創設して以来、国家神道の象徴として日本軍国主義の精神的支えであった。それは戦没者一般を祀るものでもなく、例えば明治政府に反乱した西南戦争の戦没者は祀られていないし、逆に先のアジア・太平洋戦争のA級戦犯十四名が祀られている。戦争中は日本帝国主義軍隊の将兵の精神的支柱とされて、侵略戦争推進の道具にされてきたものだ。アジア諸国のひとびとが首相の靖国神社参拝に抗議するのは当然のことだ。この戦争責任・戦後責任の問題ぬきに、アジア諸国からの批判を「内政干渉だ」などとする議論は問題のすりかえにほかならない。
小泉の靖国参拝問題はひとつには憲法の政教分離原則違反の問題であり、いまひとつは戦争責任に関わる歴史認識問題である。これらの問題を覆い隠して、特攻隊礼賛発言などの心情論で世論の支持をあおり立てる政治手法を徹底して暴露しなくてはならない。
小泉内閣にたいする反撃の闘いとして、まず、来る東京都議会議員選挙と、参議院議員選挙で勝利をかちとらなければならない。
プルサーマルに住民がNO! 東電の城下町・刈羽での歴史的勝利
柳田真さん(たんぽぽ舎)に聞く
原発の住民投票は、巻町につづいて今回の刈羽村が二回目です。巻は歴史上初めてですから、その後、沖縄の名護や御嵩などにも大きな影響を与えました。しかし、あれはひとつの原発を止める運動でした。今度はプルサーマルという体系そのものにかなりの打撃を与える住民投票だったのです。
推進側は必死で資源エネルギー長官など大臣名のビラや田中真紀子名のビラなどで大宣伝をしました。刈羽村は東電の城下町で三・七世帯に一軒が東電の企業に努めている人たちです。はじめから三〇%近くはそういう人たちです。プルサーマルが止まると原発が止まる、失業しますよと脅されていた。
そこで反対五三%で勝ったのですから、実質は八〇%以上の得票だと思いますよ。東電の城下町で勝ったというのは歴史に残る快挙です。
出口調査では女性の七〇%くらいが反対と言っていました。男は会社や立場にしばられている。
原因を推測してみると、まず住民投票条令を作る運動を何年も地道にやってきたこと、これが大きかった。その時はたしか三七%くらいしか署名が集まらなかった。署名は名前を書くから、すぐ電力から来るわけで、署名はできなかったけど、プルサーマルに不安をもっていて、投票の時にははっきりと投票したということになったと思う。推進側は新しい原発を作るときにはカネを落とせますが、プルサーマル新しい原発ではないから、カネは落とせない。だから職を失うと脅したり、国策に地方では抵抗できないと言ったりしましたが、膨大なカネがきますよという宣伝はできなかった。これはプルサーマルの弱いところです。
品田村長には圧力がいっぱいきています。プルサーマルがストップすると東京圏の電気事情が困るとか。これは核燃料サイクルの輪を断ち切ったことになります。核燃料サイクルというのは願望であって、もともとなかったというべきものです。推進側はサイクルだと強弁してきましたが、それが断ち切られたのです。
村の人たちの反応では、やはり東海村の九・三〇臨界事故の影響が大きい。あれでいちばん不安になっていた。あの事故は日本の原子力史上最高最悪の事故で、レベル4です。二人の死者、数百人の被曝者、三一万人が退避した事故でした。あの教訓は刈羽の投票が勝利した背景だと思います。九・三〇はチェルノブィリのような大事故が起きるのを避けなさいという「神の啓示」です。
だから、ぼくらは今度の九・三〇事故二周年の集会を頑張って準備しようと思っています。
原発は憲法の三原則にまっこうから対立します。原発からできるプルトニウムは原爆の材料になる。住民にウソを言って、札束で頬をたたいて、民主主義をふみにじり、国策に逆らうものはブルトーザーで押し潰す、これは憲法の主権在民、基本的人権、平和主義に反します。あそこでの抵抗の運動は憲法を生かす運動だという表現をしても間違いではないと思います。 (文責・編集部)
がんばれ闘争団 ともにGO ! 国労闘争団共闘会議(準)結成
五月三十日、東京・日比谷公会堂は、三千人の労働者・市民で満杯の状況となった。ちょうど一年前のこの日、国労本部はJRに法的責任がないとする四党合意を認めたのであった。それから一年間の激闘は労働運動史に残るものとなった。
「もし、これが国労本部の主催だったら、こういう状況にはならなかったでしょう」――ある闘争団員は決意表明の中で述べた。この5・30集会の成功で、四党合意・闘争終結を押しつけようとする国労本部の激しい切り崩し策動をはねのけ、「一〇四七名の解雇撤回、地元JRへの復帰」を掲げて、闘う闘争団を軸に国鉄闘争は再出発した。会場を埋めた結集力と熱気は、勝利に向けての闘いの前途を示すものとなった。国労闘争団共闘会議は全国に組織化を呼びかけ、九月に正式発足する予定である。
「がんばれ闘争団 ともにGO! JRの不当労働行為は許さない!国労闘争団共闘会議準備会結成集会」は、雨にもかかわらず集会開始時間前から多くの労働者が続々と参集しはじめ、一階から、二〜三階へとたちまち席が埋まっていった。
賛同呼びかけ人を代表しての宮崎学さんのあいさつ、ビデオ『われわれは絶対勝つ―|闘う闘争団の歩み』(制作・ビデオプレス)上映に続き、衆議院議員(無所属)の川田えつ子さんが、HIV訴訟での国家権力との闘いをテーマに記念講演をおこなった。
川田さんは、血友病薬害エイズ問題、ハンセン病での国家の非人間的なやり方を批判し、最後に、大事なのは一人ひとりであり、その一人ひとりがつながったときに日本の状況を変えることが出来る、闘争団のみなさんもけっしてあいまいな「解決」を許さないで闘って欲しい、と述べた。
つづいて、音威子府闘争団家族の藤保美年子さんが、十四年におよぶ闘争、とりわけ国労本部がラスト・チャンスだとして四党合意を押しつけてきたことに反対した闘いについて発言した。藤保さんの発言を聞いて、川田さんが再び登壇して激励の言葉を述べるとともに、藤保さんと連帯の堅い握手をした。
矢沢賢都労連委員長は闘う闘争団を支援していくという特別発言を行った。
リストラ・失業攻撃と最先頭で対峙する一〇四七名の闘いは日本労働運動の誇りであり、労働者の共有財産である。四党合意は労働者の権利を譲り渡す不当なものであり、党としてこれを推進する社民党の責任は免れない。都労連はこの闘争が何年かかろうとも闘争団を支援し抜く決意である。
つづく各界の連帯発言では、加藤晋介弁護士、富山洋子日本消費者連盟運営委員長、北海道オホーツク国鉄闘争と連帯する会、大分県国鉄闘争と連帯する会から、熱烈な支援のエールが送られた。
闘争団リレートークは、闘う闘争団に結集する二十六闘争団、約五百名を代表して、南から鹿児島、宮崎、熊本、大分、鳥栖、静岡、東京、仙台、帯広、美幌、音威子府、北見、紋別、留萌、名寄、旭川闘争団の二十数名が闘う決意表明をおこなった。最後に、闘う闘争団の共同代表の内田泰博さん(旭川闘争団)が、大きな支援に感謝するとともに、闘う闘争団として勝利まで闘い抜くこと、そして第二次ILO派遣団がジュネーブに到着し国際自由労連(ICFTU)などとの話し合いが行われていることを報告した。
事務局より闘争団共闘会議(準)としての当面の行動が提起された。
@九月を目処に正式に結成する、A各県に支援の会を結成する、B闘争団支援・労働運動再生の集会を各地で開く、C現地闘争団を激励する交流に取り組む、D会報の発行とインターネットで闘争を広める、E最高裁に公正な判断を求める署名に取り組み、国土交通省・最高裁への要請行動を強める、F闘争団を財政的に支援する一億円カンパを呼びかける。
最後に大きな拍手で、アピールが採択された。
それはつぎのように闘う決意を表明している。
「今日、私たちはここに集い、『JRの不当労働行為は許さない!国労闘争団共闘会議準備会』を結成しました。一人ひとりが主人公の新たな運動への出発です。……国労闘争団員ら一〇四七名の十四年余におよぶ人生をかけた不屈の闘いは、リストラ万能の大失業時代と対峙する広範な戦線の最前線に位置しています。不当労働行為という人権侵害を許さず、社会正義を実現しようという彼らの願いは、私たちの願いでもあります。国労闘争団をはじめ、志や思いを同じくする全国の労働者、市民と手をつなぎ、新しい運動の輪を広げ強めていくために、私たちは奮闘します」
支援の輪の広がりを反映して、当日の会場カンパは八十万円を超えた。
闘う労組への介入・弾圧を許すな
公安二課・万世橋署が東京管理職ユニオンをデッテ上げ捜査
首切り・リストラによる大失業時代を迎えて、それとたたかう労働組合に対する弾圧が始まった。
五月十一日、警視庁公安二課と万世橋警察署は、東京管理職ユニオン事務所と設楽清嗣書記長と組合員の自宅など四カ所の家宅捜索を行い、書類・パソコンなど百数十点を持ち去った。
これは、管理職ユニオンが関わるレッドハット社(東京・千代田区外神田)の争議での労組の行動に、「建造物侵入」「暴行」「傷害」をでっち上げて、それを口実にしてのものである。
労働争議に公安警察が直接出てきたことは、雇用破壊と真っ向から闘い、着実に成果を上げてきている管理職ユニオンなど、闘う労働組合の圧殺をもくろむ先制的な攻撃にほかならない。
ただちに共同した反撃を展開しなければならない。
五月二十八日、全水道会館で、「警察権力の労働組合への不当弾圧を許さない集会」が開かれた。
はじめに、主催者を代表して、東京管理職ユニオンの橋本忠治郎委員長が、産業再生法・民事再生法・会社分割法など倒産法制ができ、直接償却が進むとともに雇用トラブルが頻発しているが、それが管理職ユニオンなど雇用問題を正面に出して闘う組合への予防的な弾圧が強めらる原因であり、屈せず反撃することが大事な課題になっているとあいさつした。
つづいて管理職ユニオンの安部誠書記次長が、「不当弾圧の実態と特徴について」と題して報告した。
さる一月十六日、管理職ユニオンは「雇い止め解雇」された組合員の雇用継続または退職条件和解を求めて三名の組合代表によってレッドハットの社長にほんの数分の面談を求めた。それまで会社側は、三回にわたる団体交渉で全面拒否回答を続けていた。団交には会社側は弁護士一名だけが参加するという態度であった。会社施設内での面会要求に、社長は体当たりをしてくるなどの暴力的挑発行為をつづけ、一〜二分で組合側が退出したのにもかかわらず、これを「建造物侵入」とし、また社前でのビラまき行動に間近にまで接近しての写真撮影で挑発してきた社員に抗議し、その男が自ら転んで指先に軽い打撲をしたのを「傷害」だとしている。
五月十一日には、早朝から、当該組合員宅、設楽書記長宅、管理職ユニオン事務所など四カ所に、警視庁公安二課員、万世橋署員ら多数が一斉家宅捜査を行い、今回の争議とほとんど関係のない百二十六点を証拠品として押収し、その後、当該組合員を三回延べ十八時間にもわたって任意出頭取調べ、設楽書記長にもすでに三回十二時間、さらに六時間の取調べを行おうとしているほか、さらに他の組合員二名にも任意出頭を迫っている。取調べの内容は一月の行動についてだけでなく、ユニオンの活動全般、財政状況、経理内容などに及んでいるが、これは、警察の狙いが、管理職ユニオンそのものを潰すことにあることを示している。
しかし、すでに反撃は始まっている。不当捜査に対しては東京地裁への「準抗告」の申し立て、万世橋署への「押収品還付請求」、厚生労働省での記者会見、万世橋署前の抗議行動、また都職労など全国の多数の労働組合が万世橋署に抗議の申し入れを行っている。
つづいて旬報法律事務所の夏目弁護士が、ここ十数年、このような公安弾圧事件は久々であり、これは闘う労組の影響力拡大を阻止し、小泉内閣が進めている労働者の解雇は正当だという法律づくりの条件を準備するものだと発言した。
管理職ユニオンの設楽書記長は、警視庁公安二課による今回の刑事弾圧の目的と意図について次のように述べた。
今回の刑事弾圧の狙いは、頻発する個別的労使関係紛争から労働組合を排除・制限すること、同時に闘う組合を組織暴力対策法が規定するいわゆる民暴型の「あぶない」団体として孤立化させ潰すことである。すでに全日建関西生コン支部へは、警察は、経営側弁護士の「組合活動禁止仮処分」申し立て、「損害賠償請求」などと一体になって弾圧を強行し、また神奈川シティユニオンの相談・交渉・争議活動を「弁護士法」違反容疑で一斉捜査を強行し、管理職ユニオンでも、東京地裁から「組合活動の制限・禁止」の仮処分申し立てを十一件も受け、「損害賠償」は二件になっている。日経連の月刊『経営者』は、東京管理職ユニオンを「暴力的ヤクザ的」集団と書いたが、抗議行動によって、その文書の削除・執筆責任者を失脚させた。現在「雇い止め」解雇を許さないという闘いをデッチ上げ弾圧で抑え込もうとしているが、こうした攻撃を許せば、他の闘っている組合にも同じような弾圧が行われる。絶対に反撃して行かなければならない。
連帯のあいさつは、コミュニティー全国連絡協議会、中小労組政策ネットワーク、都職労、全日建運輸連帯労組、神奈川シティユニオン、全統一労組、江東ふれあいユニオン、東京東部労組、電検労、八王子ユニオン、全国一般東京なんぶ、埼京ユニオンが行った。また、国労高崎地方本部はメッセージをよせた。
集会は最後に、「今回の刑事弾圧の目的が今後ますます不安定化する雇用環境、高まる失業率、増加する雇用トラブルを見据えて、これまでその解決に努力し、めざましい社会的役割を担ってきた個人加盟労働組合の活動に圧力を加え、暴力的な捜査によってダメージを与えようとする権力の意図に出ることは明かです。私たちはこのような権力の弾圧を許さず、弾圧に屈せず、断固として弾圧を跳ね返し、闘い抜く決意です」という決議文を採択した。
コリア国際戦犯法廷を成功させよう!韓国、沖縄・日本から米軍基地撤去を!
アジアの平和と朝鮮半島の統一を求める第5回日韓共同シンポジウム
韓国の八〇年光州民衆抗争から二十一周年を迎えた五月十九日、東京・文京区民センターで「アジアの平和と朝鮮半島の統一を求める第5回日韓共同シンポジウム」が開催され、約百五十人の人々が参加した。このシンポジウムは、日韓民衆連帯全国ネットワークと韓国・民主主義民族統一全国連合の共催で、三・一朝鮮独立運動七八周年にあたる九七年三月一日に東京で第一回シンポジウムが開かれ、同年十月二十一日の国際反戦デーにソウルで第二回シンポジウムが開催されて以来、ほぼ年一回ペースで開催されているもの。
今回の第5回シンポジウムは、「六・二三コリア国際戦犯法廷を成功させよう!韓国、沖縄・日本から米軍基地撤去を!」をメイン・テーマに開かれた。次々と明るみに出る朝鮮戦争時の米軍による住民大量虐殺など、米軍犯罪を裁く六・二三コリア国際戦犯法廷(ニューヨーク)の成功に向けて、またさらにブッシュ米政権登場により、昨年の南北首脳会談以降の朝鮮半島の和解局面に水を差すような動きの強まり、集団自衛権容認や歴史歪曲教科書の検定通過など日本の「戦争国家」体制の強まりを前に、これらに対する日韓民衆の共同闘争を強めよう――このことが今回のシンポジウム全体を通して貫かれていた。
シンポジウムには、韓国代表として、民主主義民族統一全国連合の執行委員長・韓忠穆(ハン・チュンモク)さん、朝鮮戦争時の米軍による住民虐殺の生き残り証人である黄桂一(ファン・ゲイル)さん、同じく姉が犠牲となった遺家族で慶尚南道対策委委員長の趙顯起(チョ・ヒョンギ)さんが参加。日本側からは沖縄社会大衆党書記長の新垣しげおさんが沖縄の現状報告をおこなった(以上、発言要旨別掲)。
またシンポの冒頭には、朝鮮戦争時の米軍による住民虐殺の現場の検証と生き残り証人の証言、さらに梅香里(メヒャンリ)米軍射爆場撤去闘争など高まる韓国民衆の反米・反基地闘争を記録したビデオが上映され、生々しい映像に参加者は固唾を飲んで見入っていた。日本側主催者挨拶を日韓ネット代表世話人の吉松繁牧師が行い、さらに午後の活動者討論とシンポジウムの各報告を踏まえ、@コリア国際戦犯法廷の成功へ、A韓国、沖縄・日本から米軍基地撤去を。新たな大軍拡計画MD(ミサイル防衛)反対、B日本の「戦争のできる国家」づくり反対――など当面の日韓民衆の共同の課題を盛り込んだ「共同アピール」が全参加者の意思として確認された。
つっこんだ日韓の活動者討論会も開催
シンポジウムに先立ち、同日の午後には、「日韓連帯活動者討論会」が開かれ、韓国側からは韓忠穆(ハン・チュンモク)・全国連合執行委員長から、「ミサイル防衛」(MD)反対や梅香里闘争などの反米・反基地闘争、六・一五南北共同宣言一周年など南北統一闘争、大宇自動車の大量整理解雇撤回闘争をはじめとする民衆生存権闘争など、当面する韓国民衆の闘争方向について問題提起が行われた。日本側からは渡辺健樹さん(日韓ネット)から、小泉政権誕生の意味やその危険な性格、アーミテージ・リポートに見られるブッシュ政権の対日軍事分担要求を含め日本が集団的自衛権容認・行使など「戦争のできる国家」として登場しつつあること、そのなかでの日本の民衆運動の現状などについて報告し、米日に対する共同闘争の強化について問題提起。また土松克典さん(同)からも、日韓投資協定問題での外務省との交渉などを通じた現状報告と日本国内でのこれに対する反対運動が徐々に拡大していることが報告された。
討論を踏まえ、今後の中長期的な日韓民衆の共同闘争の方向を、あらためてすり合わせ、確立していくことを双方で確認した。
(第5回日韓共同シンポジウムでの発言要旨)
韓忠穆さん(民主主義民族統一全国連合執行委員長)
1. MD(ミサイル防衛)を徹底的に排撃し、第二次南北首脳会談の盛大な実現を
去る韓ロ首脳会談で金大中大統領は、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の維持が必要だと語った。そして数日後、韓米首脳会談でこの発言のせいでひどい侮辱を受けなければならなかった。かつて米ソによる無制限の軍備拡大競争の中で、これを互いに抑制しようと結ばれたABM条約に「賛成する」というたったの一言が、なぜ米国の機嫌を損ねたのか。この問いに対する答えは、まさにMDにある。ABM条約を破棄してもMDを推進しようとする帝国主義勢力の世界支配戦略と米軍産複合体の貪欲と陰謀にある。
米国のミサイル攻撃力をそのままにして、他国のミサイル攻撃力だけを無力化しようとするのは、相手を武装解除しようとするものだ。地球上のどんな国も米国の前にひざまづかせようということだ。
冷戦が終わり、米国の軍産複合体は新しい武器市場を作り出すために血眼になった。湾岸戦争、コソボ紛争がそうではなかったか。MDはまさにその究極だ。先日、前・米海軍太平洋軍司令官が訪韓し、「我々の主敵は北朝鮮だ。韓国政府がパトリオット・ミサイルを買って配備すれば、TMD(戦域ミサイル防衛)だ」と語った。どんなに身の毛がよだつ言葉だろう。MDは、現在、私たちが求める祖国統一と民衆生存の道を閉ざそうとしている。MDはまた、東北アジアの平和を妨害し、世界に戦争の暗雲をめぐらせようとしている。私たちは国民の力、同胞の力をひとつにしてこれを阻止しなければならない。また東北アジアの仲間たち、そして平和を求める全世界の人々とともに闘うものだ。
朝鮮半島の平和と統一の道を加速しようとするなら、第二次南北首脳会談を開かなくてはならない。昨年の南北共同宣言をより高いレベルに、より実質的な内容に近づけなければならない。金正日国防委員長のソウル訪問は、米国とその追従勢力の妨害を圧倒して必ず成功裏に実現されなければならない。そして、昨年六月に平壌市民が示した歓迎の波を、こんどはソウルで実現しなければならない。そして我々は、再び内外に向かって自主統一と和解・交流、協力の新しい大長征を宣言するだろう。
2. 民衆生存権と民族の自主権は一つの問題
歴史を動かす力は民衆にある。労働者・農民・貧民(注・露天商などの零細民)など汗を流して働く私たち国民の絶対多数がまさに民衆だ。それゆえ民衆は天であり祖国そのものだ。しかるに労働者は生存の場から整理解雇されている。工場にしがみつき泣き叫べば、暴力警察の振り回す棍棒でグチャグチャにされ、逮捕される。農民は暴落した農産物価格と暴騰する利子の間で、借金の山につぶされる。貧民は殺人的な強制撤去と取り締りで生存が脅かされている。
私たち民衆は、民衆抗争で独裁者を追い出し、偉大な闘争と輝く勝利を勝ち取ってきた力ある民衆だ。しかし、それにもかかわらず、民主主義と民衆生存権はそのたび蜃気楼のように消えていった。
問題の核心は民族自主だ。韓国軍の作戦指揮権を米国に握られ、IMF(国際通過基金)管理下で米国に経済の命脈を握られた国の大統領が、どうして米国の指示を拒否できるのか。米国の干渉と支配から解き放たれること、在韓米軍を撤退させること、これこそ、破綻に向かう民衆生存権を救う最も早く、根本的な道だ。
3. 日本の歴史歪曲教科書に抗議する
私たちは、日本の極右団体「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書が検定を通過したことを聞き、大きな衝撃と煮えたぎる怒りを禁じえない。日帝の大陸侵略は、もっとも悪辣で野蛮な侵略行為だった。殺し尽し、焼き尽くし、破壊・略奪が日帝侵略軍によっておこなわれた。これを「解放」のための行動だと言うのか。わが民族は、日帝に反対する数十年間の苦しく血のにじむ闘争を通じて国の光を取り戻した。第二次大戦後の歴史は日帝に妥当な判決を下した。それでも日本はこれを否定している。最近日本では、日の丸・君が代を法制化し、靖国公式参拝まで取り沙汰されている。さらに平和憲法改定、国軍化の動きも活発になっている。米国とTMD共同研究も進めている。
これらの動きは、日本の極右勢力の野心の産物だ。日本の侵略と植民地支配に対して明確に謝罪し補償すべきなのに、これを美化し正当化する行為は許すことのできない犯罪行為である。
私たちは忠告する。日本の歴史歪曲教科書は、歴史を正しく知ることができず、日本の侵略戦争を正当化する教育を受ける日本の若い世代にとっても不幸なことだ。
私たちは、このような歴史歪曲教科書が学校現場で使われないように、教科書不採択運動を繰り広げている良心的な人々がいることを知っている。私たちは、日本政府に強く求める。今すぐ犯罪的な歴史歪曲・ねつ造の試みを中断しなければならない。そして侵略・植民地支配に対して謝罪し、賠償しなければならない。日本軍国主義者が繰り広げているたくらみは、良心的な日本民衆の闘争と平和を愛する全世界民衆の強力な抵抗によって必ず挫折するだろう。
黄桂一(ファン・ゲイル)さん(米軍犯罪被害証人)
私は韓国の慶尚南道のチャンギリから来ました。朝鮮戦争時、米軍により被害を受けた時7歳でした。私の村には避難民が沢山いました。ある日、警察官がきて「家にいると危ないので避難しろ」と言いました。それで避難民や村の人たちと一緒に避難しました。村のそばに川があり、その後ろに山があって、そこで食事を作ったりして生活した。
ある日、家族たちが集まって朝御飯を食べている最中でした。米軍の飛行機が現れてぐるぐると回った。ご飯を食べてから、川に入って原っぱの方に行ったとき、再び飛行機が飛んできて七時から十一時くらいまで避難民のところを爆撃したんです。飛行機が銃撃してきたので、父は私を自分の脇の下に入れて川を渡ろうとしました。しかし、父は撃たれ、弾が貫通して私の顔に当たりました。だけど火の海のところにいたら死んでしまうと思い、川の方に入っていきました。爆撃は2日間続きました。私の姉もいましたが、山の方に逃げ、無事でした。2日後に飛行機はいなくなり、母と姉に会い自分の家に帰ってきました。何もなかったので母は薬草を摘んで治療してくれました。
戦争が終わり、病院で手術を受けましたが、涙腺がこわれており、それで涙がいつも外の方へ出てくるようになってしまった、もう治すことはできないと言われました。
朝鮮戦争の避難民虐殺について全国的な調査が始まり、自分の村にも来た。その時けがをした人はみんな七〜八十歳になっており、死んだ人も沢山いる。昨年アメリカで韓国の虐殺の調査をするので来いと言われた。アメリカで、自分たちがいろいろ犠牲になった話をした。ホワイトハウスの前の大きな公園で集会もやった。在米僑胞にも会い証言もしました。今年4月、またアメリカに行き、今回日本に招待されて証言の機会が得られ、嬉しく思います。
六月二十三日、ニューヨークの国際法廷に沢山の人たちが参加してくれることを期待しています。
趙顯起(チョ・ヒョンギ)さん(遺家族・慶南道対策委委員長)
米国AP通信が 年末、老斤里(ノグンリ)における米軍の住民大量虐殺を報道して以降、慶尚南道でも各所で類似した避難民虐殺事件があったという住民の情報提供により、六ヶ月にわたり調査活動を行ってきました。私たちの対策委員会の調査では、一九五〇年七〜八月の間に、慶南地域だけでナムアン、ウリョン、チャンニョン、マサン、チンジュ、サチョン、ハドンなど少なくとも二十ヶ所以上の地域で、米軍機による爆撃や機関銃掃射によって住民虐殺があったことが確認できました。また同じに行われた米海軍の艦砲射撃で被害を受けた地域もあります。
米軍による住民虐殺は、徹底的に計画された組織的な犯罪行為でした。その根拠は、次のようなものです。@米軍機は低空飛行で民間人だと確認しても爆撃を加えたこと。当時、避難民は老人・女性・子どもが大部分で、避難民だとわかるように白い服を着ていましたが、それでも無差別爆撃を加えたのです。A「戦闘地域で動く民間人はすべて敵と見なせ」という米第二五師団ウィリアム・キーン将軍の作戦命令が、AP通信を通じて明らかにされています。つまり偶発的に起きたことではなく、この作戦命令のもとで組織的に行われたことを意味しています。Bまた「陸軍は自軍陣地に近づくすべての民間人に機銃掃射するよう要請し...私たちもこれに従った」という当時の米空軍大佐のメモなどが米国の国立公文書館発見され、これは米CBS放送でも暴露されました。C幾つかの地域では、非戦闘地域にも無差別爆撃を加え、住民に大量の被害を出しています。
これらの犠牲者の遺族、被害当事者の「恨」を解き、名誉回復と真相究明、そしてこうした米軍犯罪を全世界の良心の名で裁き、謝罪と賠償をかちとるため、コリア国際戦犯法廷をはじめ、最後まで闘うつもりです。
新垣しげお(沖縄社会大衆党書記長)
コリア国際戦犯法廷が開かれる六・二三は、沖縄戦が組織的に終結した日で、現在、沖縄では県だけの休日になっており、慰霊祭が行われます。沖縄には、大変な戦争の傷跡と大変な米軍基地が残っているます。そして、さらに着々と増強されています。
沖縄社会大衆党は五〇年十月三十一日に結党されました。当時の米軍政下で、沖縄が日本へ復帰し、人権を守り、平和を達成することを目標にしたわけです。
そもそも何故沖縄が日本から切り離されたかというと、一九五一年のサンフランシスコ講和条約締結によって日本が国際舞台に復帰するその同じ日に、沖縄は全く世界の舞台から消え去り、日本から切り離され米軍政下に入りました。沖縄では、四・二八の屈辱の日として、この屈辱を跳ね返そうと復帰運動が展開されたわけです。
それから五十年過ぎた今も、沖縄は、面積が全国の〇・六%しかないにもかかわらず、在日米軍の七五%の基地が集中している状況が続いています。この小さな島に、なぜ七五%も基地が集中するのか。朝鮮半島の緊張があるので、沖縄の基地が必要といわれてきました。そこで九九年に訪朝団を組織しました。「テポドン」「不審船」が騒がれている時でしたが、北朝鮮のエネルギー事情、食糧事情など、大変な思いをしていることがわかり、北朝鮮は、外国からの侵略に対しては神経を尖らせ、ハリネズミのように守るけれども、「テポドン」を打ち込むとか攻めてくるなどほとんど考えられないことが分かりました。北朝鮮で信川博物館を見学しましたが、ベトナムのソンミ事件ような言語に絶する米軍の住民虐殺があった。これらは是非明らかにし徹底的に米軍犯罪を暴いていただきたい。
沖縄戦で、日本兵、米兵も沢山命を落としましたが、大事なことは住民が全てそれに巻き込まれ、死んでいったことことです。日本軍によって自決を強要され、死んでいった人も多くいます。これは一連の沖縄差別の現われです。敗戦後、天皇メッセージで沖縄を米軍に貸し出す、ということを言っています。そして今なお沖縄には、米軍による重大な人権被害がある。特に九五年の少女暴行事件、これは典型的な例であり、氷山の一角です。こういうことを考えると、日本政府の徹底した差別政策があると考えざるをえません。こうした点を沖縄からも訴えていきたい。
「石原都政にガツン、ひとりでもNO!」をかかげて活躍する
無所属・市民派(杉並区選出)の福士敬子(ふくしよしこ)さんを再び都議会へ
来る参議院議員選挙の帰趨を占うと言われる東京都議会議員選挙がまもなく行われる。今回の都議会議員選挙は、とりわけ石原都政への都民の評価と、石原が積極的に擁護する小泉内閣への有権者による審判の意味を含んでいる。
この六月二四日投票の都議会議員選挙には無所属・市民派の福士敬子さんが、再度、立候補を表明して活発に活動している。
福士敬子さんは一九八三年、杉並区議会議員にトップで当選して以来、十四年にわたり区議会議員として活動してきた。
一九九九年の補欠選挙で61068票を獲得し、圧倒的な支持で都議会議員に当選した。
石原慎太郎の手知事当選以来、都議会は一部をのぞいて事実上の総与党化状況になっているが、中でも福士敬子さんは一人会派「自治市民93」として、石原の反動的で、危険な都政運営に正面から対決して闘っている。
日の出の森のゴミ処分場建設の強制代執行に反対するなど環境破壊を許さず、東京スタジアム建設などの公共事業費の無駄使いに反対し、暴力的な浜渦副知事の任命や公平性に欠ける外形標準課税にひとりでもキッパリと反対して闘ってきた。また三国人発言に抗議する市民運動や憲法改悪に反対する運動など、さまざまな市民運動・労働運動に積極的に関わり、協力してきた。
これらの活動を反映して、福士さんの応援団には小室等、中山千夏、毛利子来、吉武輝子、紀平悌子、永六輔、金子みつ、田島征三、佐高信、辛淑玉など多彩な各界の人々が名を連ねている。
都議戦の杉並選挙区は激戦で、定数六人のところに現在十一人が立候補する予定(自民2、公明・民主・自由・共産・生活クラブが各1、無所属2、中核派系都革新1に、福士さん)だ。 この激戦の中で福士さんを再選させることができるかどうかは、東京の市民運動・労働運動にとってもきわめて大きな意味をもっている。福士敬子さんの当選をめざして、全国の読者・友人のみなさんに、杉並区在住の有権者の紹介や、福士敬子事務所の活動のボランティァ、あるいは活動資金カンパなどによる協力を呼びかける。
福士敬子荻窪事務所・
杉並区荻窪一ー三三ー十七電話(FAX兼)〇三・五九三二・二九四七
郵便振替・00180・4・613159口座名「自治市民
杉並」
都議選にむけた福士敬子の決意 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。 わたくし福士敬子は、前回補欠選挙で、六万票を超える圧倒的な支持で当選させていただいて以来、都議会活動を中心に、日常の政治信条を具体化するための活動に邁進してまいりました。常に身を現場においての活動は、誇るに足るものだと自負しております。 とはいえ、昨今の政治社会状況を見るにつけ、時代はますます閉塞状況に向かっているように思え、憂慮に耐えません。私たちの市民生活の直面する様々な課題を具体的に解決することが、いま求められています。 都議としてのこの二年間の活動の中で、石原都政に対しては是は是、非は非と一貫して筋を通して参りました。いたずらに表面的な評価に惑わされず、真の意味で都民の側にたつことが何よりも大事だと考えているからです。一人会派の悲哀も充分味わっています。しかし、一方、わずか三分間しか認められていない質問時間の制約の中で、さまざまな問題点をえぐり出し、マスコミなどからの高い評価もいただいてきました。一人でも出来ることは多い、これは実感です。 与えられた機会を充分に生かし、自分になしうるかぎりの責務を果たして行きたいと決意を新たにしています。 六月二四日投票の改選を控え、再選を期して活動しています。今後、ますますの奮闘をお誓いし、旧来に倍するご支援、ご鞭撻をお願いいたします。 都議会議員 (自治市民) 福士敬子 |
改めて杜会主義の原点について考える
第一回社会主義究会例会(大阪)
五月十八日夜、大阪府立労働センター「エルおおさか」で、社会主義研究会(関西)が主催する第一回目の社会主義研究会例会が開催された。講師には労働者社会主義同盟中央委員長の橋本勝史氏が招かれ、「ソ連『社会主義』の経験と社会主義の再生を考える」と題する講演演を行った。
橋本氏は、マルクスの社会主義諭に立ち返って社会主義を再定義することの重要性、そして資本主義社会の中で形成されてくる新しい社会の諸条件に注目する必要性を強調した。
マルクスが注目し新しい社会の特徴づけとして重視したものに協同組合運動がある。外部からの援助を受けずに自力で創設した協同組合。こうした協同組合運動が、階級敵対に基礎をおく現在の杜会を改造する諸力のひとつとしてあること、その協同組合生産の組織化が資本主義制度の土台を変革する大きなパワーとなる。
しかし、マルクスは同時に、新しい時代を画するためには労働者階級の政治権力の獲得が必須の条件となることを強調している。
こうした新しい協同杜会の諸要素は今日の社会でも注目され始めて来ている。一つの分野における専門性と自立性をもったボランティアやNGO、NPOなども新しい動きとして評価しなければならい。頭の中だけで新社会を構想するのではなく、現在の資本主義杜会の中に生まれつつある新しい社会の要素を評価し発展させることが、社会主義革命を追求して活動している私たちに求められていることである。
ソ連の歴史を振り返ってみると、レーニンの晩年は、プロレタリアート独裁のもとで長期展望に立った国家資本主義を活用して社会主義へ至る道をつくりだそうとしていたといえる。
しかし、スターリンはこれを否定し、プロレタリアートの革命的な政治的方向なき無条件の経済発展を推進した。その極端な国家主導による経済建設は、労働者・農民の自主性を圧殺し抑圧した。ソビエト政権は有名無実となり、いわゆる口先の杜会主義、実際の帝国主義・植民地主義となり、内外の矛盾が蓄積・激化した。ゴルバチョフ政権は全く問題を解決できず、エリツィン時代にロシアは、国家統制的な国家資本主義から「普通の」資本主義に転換・脱皮した。ソ連の歴史は、先進国革命の挫折、ロシア・プロレタリアートの解体に乗じて、社会主義の強固な杜会的基盤を形成できぬままブルジョア化した国家官僚の一部とブルジョア階級がソ連の政治権力を手中におさめた。こうしたソ連の歴史からも、資本主義の歴史的役割=社会主義の歴史的準備についてのマルクスの理論を学ぶ必要が出てくる。
橋本氏の講演は多岐にわたり、二時間があっという間に過ぎた。
質問も多岐にわたり、久しぶりに議論にも熱中することができた。今回の定例会では改めて杜会主義の原点について考えるいい機会になった。これから、いっそうマルクス主義の学習を強めていきたい。次回が楽しみである。(M・K)
複眼単眼
負傷した貴乃花の優勝と小泉「改革」、相撲改革
いろいろな感じ方があっていいのだとは思うが、筆者は大相撲夏場所の千秋楽はまったく「いやーな感じ」で、興醒めした。
横綱貴乃花が前日の取り組みで負った膝のケガにめげずに出場した。ホンワリでは横綱武蔵丸に敗れたが、優勝決定戦で「気力の上手なげ」で武蔵丸を破り、優勝したのだ。
翌日の各新聞のスポーツ面も一様に「歴史に残る相撲」とか、「負傷押しプロ魂」とか、絶賛した。
貴乃花は「ファンのために相撲を取る」と言ってでてきたそうだ。理事長の時津風は「人間って、こんなにすごい可能性を秘めているのか。同じ世界に住む人間として誇りに思う」と述べたという。
あの調子者の小泉首相も「総理大臣杯」の授与に出かけて、表彰状を読み上げたあと、大声で「痛みに耐えてよく頑張った。感動した。おめでとう」と言ったのだ。小泉は貴乃花の「痛み」を「国民に痛みを分かちあってもらう経済構造改革」にダブらせ、絶好の宣伝の場に使ったのだ。これで福祉切り捨て、リストラ促進、負担引き上げの痛みに耐えろというのか。
小泉内閣は「女性を多用した」などと自己宣伝するが、それならいまだに「けがれるから女性は土俵にあげない」などという相撲協会の封建的体質に文句をいうべきだ。これが解決しないうちは「総理大臣杯」などださないほうがいい。
大相撲はこのところ人気凋落傾向がつづいている。今場所は大関魁皇が横綱の座に挑んだが、早々と負けが込んで休場。五人の大関勢には精彩がない。貴乃花まで休場では、相撲協会の大ピンチは必定という局面だった。貴乃花にとっては「休みたくても休めない」状況に追い込まれていたとも言える。日本の企業社会にはよくある話だ。
ホンワリの対戦で土俵に上がった貴乃花は、膝の痛みでグラリとゆれた。その立ち会いでは立てないままに「待った」をした。貴乃花は相撲協会の看板力士だから、体を壊しでもしたら大変だ。武蔵丸も何やかんや言われるにちがいない。これでは相手の武蔵丸はまったく試合をしにくい。決定戦のあと武蔵丸は「悪夢を見たようにキョトン」として、「悔しいことは悔しいけど、負けは負け」と言った。
ケガをしながら出場する力士にたいして「ケガがおなってから出るべきだ。第一、相手に失礼だ」などという相撲解説をたくさん聞いてきた。この場合、武蔵丸にほんとうに失礼だった。勝つための力がでるわけがない。たとえ武蔵丸が勝ってもあまり誉められなかったに違いない。かつての「君が代」などにまつわる小錦(大関)いじめを思い出す。
今場所はモンゴル出身の朝青龍が活躍し、先輩の旭鷲山も活躍した。モンゴル相撲の技が入って多彩になり、おかげで相撲はおもしろくなっているが、協会は「国技」としてのメンツからモンゴルからのスカウトに人員制限を設けた。日本のプロ野球にもこうした問題がある。
相撲協会はなぜ大相撲の人気が凋落しつつあるのか、わかっていない。(K)