人民新報 ・ 第1026号  (2001年6月15日)    

                             目次


● 被災地住民の思いを改憲に利用するな!
     神戸市民が地方公聴会に多様な抗議行動

● 首切り自由化をもたらす小泉「労働改革」に反対する

● 間接差別禁止の法制化、同一価値労働同一賃金の実現めざし
                  「均等待遇アクション2003」発足

● ・資 料・米国「ランド研究所」のアジア戦略報告要旨
       米国とアジア  ―米国の新しい戦略と軍事態勢をめざして―

● 「つくる会」の歴史教科書との闘いは「歴史の内戦状態」 姜尚中さん(東京大学教授)

● 石原都政と闘う福士よし子さんをふたたび都議会へ

● 複眼単眼
    森喜朗のナショナリズムと田中真紀子のナショナリズム





被災地住民の思いを改憲に利用するな!

     神戸市民が地方公聴会に多様な抗議行動
         中山(会長)葉梨(自民委員)が市民に暴言


 衆議院憲法調査会神戸公聴会は四月の仙台市に続いて、六月四日午後、神戸市のホテルオークラ神戸で開かれた。テーマは「二十一世紀日本のあり方」だが、この神戸公聴会の隠されたテーマは「危機管理と憲法について」であった。中山会長は事前に陳述人にたいして、「危機管理、および首相公選制について質問する」と通知していた。このような会長のテーマ設定そのものがきわめて恣意的であり、改憲論議を前提とした運営で、憲法調査会の発足の主旨とも異なっているのは明らかだ。
 改憲派は大震災の被災地神戸を舞台に、「現行憲法が危機管理体制の整備にとって不充分であること、被災の救援活動にとっての自衛隊の役割が重要であること」などを浮かび上がらせ、改憲の必要性を確認したかったにちがいない。しかし、結論を先にいえば仙台の「失敗」の教訓に学んで右翼「日本会議」などと呼応して、周到に準備されたはずの神戸公聴会での改憲派の目論見は、お世辞にも成功したとは言いがたい状況であった。
 そうした状況に追い込んだのは、ひとえに神戸を中心とする関西のさまざまな市民運動の人々の力であった。
 一方、市民運動が公聴会の後に開いた報告集会では「市民の闘いによって中山会長ら改憲派の神戸公聴会での企ては成功しなかった。しかし、それでも仙台市につづいて憲法調査会は地方公聴会を開催したという結果は作られた。安心しているわけにはいかない」という指摘があり、確認されたことも重要な点だ。 

「ストップ改憲!『神戸公聴会』を監視する実行委員会」の活動

 この神戸調査会に対して、神戸をはじめ関西の市民運動、労働運動などの人々が結集して「ストップ改憲!『神戸公聴会』を監視する実行委員会」が結成された。五月十九日、神戸市で関西各地の人びと四〇人が参加した実行委員会では、憲法調査会の動きや仙台公聴会の様子の報告のあと、改憲のための手続きをつみあげるためだけの、形式的で真に市民の意見を聞こうともしない地方公聴会の実態を批判し、@広く市民から憲法についての意見をつのる「市民の八百字の意見陳述運動」や、前日に公聴会に対抗する「市民が開く公聴会」の開催、当日の公聴会前後の取り組みなどをきめた。
 そして実行委員会代表に家正治さん(姫路独協大教授)、佐治孝典さん(近代史研究者)、澤野義一さん(大阪経法大教授)、和田喜太郎さん(関西共同行動)を選出した。事務局は「憲法を生かす会・神戸」「戦争を起こさせない市民の会」「憲法を考える懇談会」の三団体が担った。
 実行委員会は、意見陳述人や傍聴の申し込みを市民に呼びかけつつ、地方公聴会が「広く国民の意見を聞く」といいながら、一般市民の意見陳述が近畿ブロックで二人しかいないことや、傍聴もさまざまに制限されていることに対して、二十三日、大阪の中山太郎事務所に申し入れを行い、「公開質問状」を憲法調査会に郵送し、記者会見を行った。
 また政党推薦の意見陳述人に貝原県知事や笹山神戸市長が決まったのを知ると、「公聴会では自治体の首長として、憲法を生かし、守る立場での意見陳述をするよう」申し入れ、県知事からは「主旨を理解する」旨の回答もとった。
 六月二日には午後四時から神戸・大丸前で市民への宣伝行動を行い、三日午後一時からは神戸市の中央労働センターで「憲法調査会を検証する六・三神戸集会〜市民が開く公聴会」を開いた。
 この会場には満員の二百五十人が参加し、報道関係者も多数取材に参加した。集会では憲法調査会市民監視センター事務局の高田健さんが「『論憲』から改憲へ憲法調査会の経緯と実態」と題する報告を行い、広島および関西各地の各団体の人びとから今回の地方公聴会についての意見発表が行われ、「集会アピール」が採択された。
 高田さんからは憲法調査会の審議がきわめていいかげんであり、参考人の議論の水準も決して高くないこと、運営にも計画性もなく、ただただゴールに改憲だけがあって、そのために審議をしたという実績づくりをしているとしか思えないという実態が報告された。そして地方公聴会もこれと同様、おざなりなものであり、地方住民からの意見を聞いたという実績づくりにほかならないことも指摘された。「三〜五年で憲法の調査を終える」という改憲派の委員たちの声高な叫びが調査会の空気を支配している。これに反撃する運動を国会内外でつくりだすために奮闘しよう、という報告があった。
 集会のあと、参加者は買物客で賑わう神戸の元町と三ノ宮までの繁華街をデモ行進して、市民に小泉内閣による憲法改悪策動反対を訴えたあと、一時間にわたりビラを配って宣伝した。
 四日は正午から地方公聴会会場のホテル・オークラ神戸の近くのメリケンパークで約百人が参加して「公聴会を監視・傍聴する集会」を開催し、公聴会に出席する市民側の意見陳述者と傍聴者を激励した。この集会には社民党の北川れん子衆議院議員もかけつけ、挨拶した。
 午後一時からは公聴会の会場、ホテルオークラ神戸の内外での傍聴・監視行動を行った。
 公聴会のあと、午後五時半から実行委員会の記者会見が近くの私学会館で行われ、午後六時からは同会場で「神戸公聴会報告集会」が約百三十人の参加者のもとで開催された。
 和田実行委員会代表のあいさつのあと、高田さんから公聴会の概要と特徴、意見陳述者の中北龍太郎さん、中田作成さんからの感想、社民党の憲法調査会委員の金子哲夫議員の報告などが行われ、最後に実行委員会の家正治代表から集約と今後のアピールが提起された。
 高田さんは「神戸公聴会に異議あり、改憲のための実績づくりを許さないとい神戸をはじめとする関西の人びとの運動は、先の仙台市での運動につづいて大きな成功を収めたと評価できる。この神戸の活動を全国の仲間たちに知らせ、さらに大きな改憲反対のうねりを作っていきたい。しかし、昨今の小泉内閣の改憲の動きは容易ならぬものがある。全国で憲法九条の改憲に反対する共同行動をつくりあげなくてはならない。共同をするということはいつも団子になってやれということではなく、それぞれの歴史も、立場も違っているのだから、それぞれの独自性を生かした運動が必要だ。しかし、肝腎の時は立派に共同できる関係を作り上げることが大切だ。目前の参議院選挙での前進はもとより、九条改憲阻止の五千万署名の提起なども含めた、国民投票でも勝ち抜くことのできる態勢づくりをめざしてさらにがんばろう」と述べた。
 この三日間の集中的な行動によって、神戸公聴会は「民意集約ほど遠く」「運営方法に批判あいつぐ」(神戸新聞)とマスコミが報道したように、その実態が広く暴露された。

 神戸公聴会

 「傍聴席から、男性が叫ぶように言った。『震災後、必死で生きてきたひとりひとりの思いをもっと勉強してから、神戸で公聴会を開いてほしい』。四日、神戸市で開催された衆議院憲法調査会の地方公聴会。会の在り方や意見陳述者の顔触れに対し、傍聴席の反応は厳しかった。一般傍聴席は百人分、意見陳述者の市民公募枠は十人中わずか二人だった。『もっと多くの人が参加できる場所があるはず』『なぜ平日に開くのか』。改善を求めてきた市民団体などはこの日も申し入れ書を提出、抗議の意思を伝えた。十人のうち、自治体首長が四人を占めた。女性はゼロ。さらに派遣委員からの質問は結果的に一部の委員に集中」(六月五日「神戸新聞」)と報道されたように、神戸公聴会は憲法の民主主義原則からは程遠い運営となった。
 冒頭に指摘したように、中山太郎会長は「危機管理と首相公選」についての意見を聞きたいとあらかじめ、陳述者に伝えていた。あの神戸の未曽有の被災を改憲に利用するかのように、危機管理体制の不備を憲法のせいにして、改憲の世論を促す意図は明白だった。各政党が推薦した陳述人には貝原・兵庫県知事(自民推薦)、柴生・川西市長(民主推薦)、笹山・神戸市長(公明推薦)、小久保・北淡町長(21世紀クラブ推薦)と四人の自治体の首長がならび、自由党推薦の大前繁雄・元県議は県会で「 従軍慰安婦は公娼」などと発言した人物、保守党は兵庫県医師会会長を推薦、一般公募枠のひとりは改憲派という構成だった。
 しかし、中北龍太郎さん(社民推薦)、浦部法穂さん(共産推薦)、中田作成さん(一般公募)らだけでなく、執拗に憲法の地方自治問題や危機管理問題についての憲法の不備、あるいは震災における自衛隊の活用の重要性について誘導しようとする改憲派の国会議員たちの質問にたいして、県知事をはじめ意見陳述人が容易に同調しない場面もあった。首相公選についても多くの陳述人が不賛成で、疑問を呈した。
 一方、改憲派からは「日本はすばらしい立憲君主国だ。天皇をはっきりと元首にすべきだ」などの意見もでた。
 中山会長に求められて立った傍聴者の発言に対して、会長が突然、「そういう国会議員に対する批判は妥当ではない」と強圧的に反論したため、傍聴席からは相次いで「会長は横暴だ」との抗議の声が上がった。これにたいして会場内の右翼分子が挑発的に暴行を働いたことをきっかけに、会場は騒然とした状態になり、中山会長の閉会挨拶はかき消されてしまった。
 中山太郎会長は公聴会終了後の記者会見で「意見はなかなか激しかった」といい、つづいて自民党の葉梨信行委員が「第九条をテーマにした議論で一部の人がエキサイトしていた。あれは土地柄なのか。落ち着いて議論してほしい」などと、中山会長の横暴な運営の責任を転嫁する発言をした。
 実行委員会は、翌日、この発言が報道されるとただちに抗議の行動を起こした。

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 ・資料・

 
 葉梨信行幹事(衆議院憲法調査会)は「土地柄」発言を撤回し、謝罪してください

 衆議院憲法調査会会長 中山太郎様

 ストップ改憲!「神戸公 聴会」を監視する実行委員会
 代表家正治(姫路独脇大 学教授)/ 〃 佐治孝典(近代日本 史研究者)/ 〃 澤野義一(大阪経済 法科大学教授)/ 〃 和田喜太郎(関西共 同行動)

 きのうの『神戸新聞』は、貴会が第二回公聴会に続いて、一昨日ホテルオークラ神戸で行った記者会見で、葉梨信行幹事が「あれは土地柄なのか」と発言されたと報じています。葉梨信行幹事には、国会議員にあるまじき、いや人にあるまじき発言です。ただちに撒回され、関係者はもちろん、近畿二府四県の自治体に対し謝罪していただくよう強く要請いたします。また、中山太郎会長におかれては、一幹事の言動とはいえ、憲法調査会現地派遣団としての記者会見における発言であり、同じく会長としての訂正と謝罪をしていただくよう要請します。以下に具体的な理由を述べます。

 一、「土地柄」とは、辞書によれば「その土地の風習やそこの人々の気風」とあります。一昨日の公聴会での、どの「九条をテーマにした議論」を指摘してのことかは問題ではありません。貴会にとって好ましからざる発言や行動が、仮にあったとしてもそれをもって「その土地の風習やそこの人々の気風」と関連づける乱暴なやり方は、とうてい許されるものではありません。ましてや日本国憲法を議論する場で国会議員からこのような発言が飛び出すとは、日本国憲法の下で暮らしてきた私ども国民には、理解しがたい、恥ずかしいことであります。

 二、出身地や住所による差別が不当であり、これをなくすことが国民すべての課題となって久しいことはご承知の通りです。「その土地の風習やそこの人々の気風」をあげつらうことは、このような差別を助長するばかりでなく、差別をなくそうとつとめる多数の人々に対する挑戦でさえあります。

 三、「会」としての記者会見の場で、公述人や傍聴者の言論について論評すること自体、「調査する」貴会の目的から逸脱しています。ましてや国民の「ご意見を聴取」と銘打たれた場での発言を、主催者が論評するとは以ての外だと言わねばなりません。

 なお、運営のあり方について、事前に再三にわたって申し入れや要請をしていたにもかかわらず、改善がされなかったことについては、改めて申し入れを行います。

 できるだけ早くご回答くださるようお願いいたします。

 『神戸新聞』二〇〇一年六月五目の記事より関連部分
 閉会後の記者会見で中山会長は「仙台と違い、意見(のやり取り)は、なかなか激しかった」と総括。自民党の葉梨信行議員が「第九条をテーマにした議論で一部の人がエキサイトしていた。あれは土地柄なのか。落ち着いて議論してほしい」と言葉を継いだ。(神戸新聞』)

 ストップ改憲!「神戸公 聴会」を監視する実行委員会


 首切り自由化をもたらす小泉「労働改革」に反対する

 「痛みを恐れず、聖域なき構造改革を断行する」。こうした小泉流「新世紀維新」なるものが、労働者にとってどのような影響をもたらすのかが、はっきりしてきてきた。
 五月十一日、小泉首相は厚生労働省にたいし、「二・三年の期限付き雇用の対象拡大」「解雇ルールの明確化」を指示したが、それは「期限付きの短期雇用や解雇をしやすくすれば、企業はもっと人を雇うことができる」というまったく転倒した理屈によるものである。この首相指示を受けて坂口厚労相は検討を進めるとしている。こうした方向は、「過度に規制された労働市場が企業の活動の阻害物となっている」として、労働力のいっそうの流動化を主張している財界の意を汲んだものであり、日経連「新時代の『日本的経営』」のさらなる現実化にほかならない。
 この数年、労働裁判での反動判決が相次いでいる。とくに東京地裁は、昨年来、企業の「解雇の自由」を全面的に認め、これまでの労働組合運動の闘いによって安易な解雇を押しとどめてきた「整理解雇の四要件」を否定する判決を連続的に出してきている。
 現行の労働基準法第十四条は、「労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるものの外は、一年を超える期間について締結してはならない」と労働契約の上限を一年と規定している。これを三年まで延長させようとするのは、けっして雇用を確保しようというのではなく、逆に正規労働者を有期労働者へ置き換えていくことになるという仕組みづくりとなっているのだ。
 正規雇用労働者は、判例上は、正当な理由がない解雇の効力は否定されている。このような解雇制限法理を免れるため、資本は恒常的に必要とされる業務においても一年を超えない雇用期間を定めて労働者を雇い入れるのである。しかし、一年以内と制限されている労働契約期間が三年まで認められれば、確実に有期労働契約は広範に増大する。なぜなら、労働契約期間が一年以内というのは企業にとってあまりにも短すぎるのであり、解雇制限法理を免れつつ、労働者を低賃金のうちだけ使用したり、また、技術者を知識や技術が陳腐にならない間だけ雇って最大限の儲けるためには、一定の期間は辞めさせずに強制的に働かせなければならない。さらに、解雇制限法理の適用なくして三年間かけて労働者を選別できるという意味で、試用期間の大幅な長期化ということにもなる。現在、求められているのは、むしろ、不必要な有期雇用を認めない法規制であり、使用者は、職務の特質や臨時の必要性など正当な理由がなければ、有期の労働契約を締結できないこと、更新がなされた有期労働契約は期間の定めのないものとみなすなどの法的規制を実現すべきであろう。
 小泉「改革」は、人件費コストを最小限に抑え、必要なときに必要な労働者を活用し、不要となれば期限切れで解雇するといういわゆる「ジャスト・イン・タイム」型の雇用システムを拡ろげる結果をもたらす。小泉は「企業はもっと人を雇うことができる」と言っているが、正規雇用の有期労働者への置き換えが進み、失業者と不安定雇用労働者層を増大させることになるのである。有期雇用労働者には、期限切れを理由に更新拒否=解雇されたり、労働条件において差別的に処遇され、また更新時での賃金・労働条件の切り下げが横行しているのが現状であり、雇用・労働条件などあらゆる面で正規労働者よりも劣悪な条件におかれている。
 今後、政府の産業構造改革・雇用対策本部が、中間とりまとめ(六月下旬)、最終結論(九月)を出す言われている。
 有期雇用労働者権利ネットワーク(共同代表・宮里邦雄弁護士)は、五月十四日、小泉発言に反対するアピールを出すとともに、二十九日には厚生労働省にたいする要請行動を展開した。労働者の権利を奪い、雇用不安をいっそう増加させる小泉「労働改革」を許してはならない。共同して闘いを強めて行こう。
 
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 ・資料・

 小泉首相の「三年までの有期労働契約の対象拡大」発言に反対するアピール(抄)


             有期雇用労働者権利ネットワーク(二〇〇一年五月十四日)

 
 三年までの有期労働契約の対象拡大・・・何が問題か?

(1)正規労働者を有期労働者へ置き換えていくことが狙い
 使用者側は、固定費としての人件費コストを最小限に抑えるために、必要なときに必要な労働者を活用し、不要となれば期限切れで問題なくお引き取り願える雇用システムを拡大しようとしています。そのために、固定費となる正社員を削減し、有期雇用や派遣労働者を増やしていこうとしています。しかし、使用者にとっては、現在の労基法十四条に定める労働契約期間の定めは、原則一年であり、例外として対象を明確に限定して三年までの契約期間を認めているだけで非常に使い勝手が悪い、だから対象限定を取れ、期間も五年まで延長しろというのが、彼らの論理です。それ故、対象が拡大あるいは限定が外されれば、新規の正社員採用は大きく減少し、有期雇用の拡大はいっそう促進されるでしょう。それは既に女性労働において現実化しています。
(2)労働者が契約期間拘束される・・退職の自由をめぐって
 他方、二年ないし三年の労働契約は、その期間労働者をも拘束します。普通の正社員であれば、就業規則などの規定に従って事前に申し出ればいつでも退職できます。有期契約の場合は、契約期間中に合理的理由がなく退職したり、使用者の同意なく退職すれば、債務不履行で損害賠償をかけられるおそれも出てきます。

(3)労働者側にニーズはない
 小泉首相は「二・三年の期限付き雇用ができたり、社員を解雇しやすくすれば、企業はもっと人を雇うことでできる」と発言しています。しかし、現在の雇用情勢の中でこのような施策をとれば、「雇用」は拡大するどころか正規雇用との置き換えが進み、かえって失業者と「不安定雇用」を増大させるだけです。使用者の都合で期限切れを理由に一方的に更新拒否(解雇)されたり、有期契約故に労働条件において差別的に処遇されているのが有期雇用労働者の現実です。また、有期雇用については、更新時における賃金・労働条件の切り下げが使用者の意のままに行われています。
 要するに、有期雇用労働者は雇用・労働条件などあらゆる面で使用者と対等ではないのです。だからこそ、有期労働者の権利の確立、対象の限定、更新された場合は期間の定めのない雇用と見なすなどの法的保護が必要なのです。それがあってはじめて労働者のニーズで多様な働き方が選べるのです。
 以上の視点から、私たちは三年までの有期労働契約の対象拡大に反対するとともに、多くの心あるみなさんに反対の声を上げられるよう訴えます。



間接差別禁止の法制化、同一価値労働同一賃金の実現めざし

                      「均等待遇アクション2003」発足

 
 いま女性労働者二〇〇〇万人の約半数は、パート、契約社員、派遣スタッフなどの非正規社員として、安い賃金で働くことを余儀なくされ、均等法や育児・介護休業法の保護も受
けられない状態にある。また正社員として働いていても賃金をはじめさまざまな差別がある。
 こうした労働現場の男女差別をなくそうと、弁護士や研究者、国会議員など三〇名の呼びかけによって実行委員会が作られ、昨年一年間活動をつづけた「均等待遇2000年キャンペーン」はおおきな成果をあげた。今回、同じ呼びかけ人によって、さらにこの動きを発展させ、法制化をめざす「均等待遇アクション2003」が発足した。
 昨年の「キャンペーン」では、間接差別のアンケートの実施、働く女性のため
のホットライン、政党アンケートや間接差別をやさしく紹介したパンフ「間接差別を許さないイギリス」の発行、全国四カ所で開催した日英シンポジウムなどをとりくみ成功させた。いまでは「均等待遇」という言葉が市民権を得てきた。
 「アクション2003」の運動では、「均等待遇」をさらに定着させ、二〇〇三年までに間接差別の禁止と均等待遇を関連法に組み込ませることとしている。具体的には、@パート法を改正し「均等待遇」を明記させること、 A間接差別の禁止を均等法などの法律に明記させること、 B同一価値労働同一賃金を実現させること、を目標にしている。そのためにILO一一一号(雇用差別)条約や一七五号(パート労働)条約の批准、一〇〇号(同一報酬)条約の実施状況に関するカウンターレポートの提出、諸外国の先進的な法制度取り組みに学び、交流を深める、裁判支援、政党アンケートなどの取り組みを展開する予定だ。
 「打ちやぶろう!均等法をはばむ壁」と題した六月一日の発足集会は、東京・
池袋のエポック で行われた。弁護士の中野麻美さんが「均等法を実現しよう」と問題提起した。
 中野さんは「グローバル化・IT化のなかで賃金が値崩れしているが、いまだからこそ人間を大切にするワーク・ルールを」として「二〇〇三年までに大きなうねりに育てていこう」と呼びかけた。
 つづいて「パートは安くていい?わけない!」というテーマの、参加者とともに構成する「フォーラムシアター」では、会場がおおいに沸いた。すでに実施された政党アンケートの結果も紹介され、最後に「目標にむけてしっかり行動しよう」と呼びかけられた。
 なお、「キャンペーン」実行委員会では、その活動をパンフレットにまとめている(A版八七頁、五〇〇円)。女性労働問題に関心のある方は是非一読をおすすめする。


・資 料・

   米国「ランド研究所」のアジア戦略報告要旨

       
米国とアジア  ―米国の新しい戦略と軍事態勢をめざして―

 以下は、レーガン政権時代の国防政策担当者で、現在のブッシユ政権の特別補佐官兼国家安全保障会議上級部長のザルメー・カリザドら八人の戦略専門家が作成した、国防総省系シンクタンク「ランド研究所」の戦略報告の要旨である。この報告は五月十五日付けで公表された。報告はカリザドのいう中国にたいする「封じ込めと関与政策の併用」的な政策の立場を唱え、日本にたいしては改憲と集団的自衛権の行使を促し、台湾危機の際には琉球諸島南部の島(下地島や波照間島)の基地を使用することなど、具体的で危険な構想をたてている。(編集部)

 過去二〇年にわたって、アジアは注目すべき変質を経験してきた。米国の安全保障および米軍のプレゼンスによって提供される傘のもとで、アジアはめざましい経済成長、国内施設の拡充および相対的な平和を経験してきた。一九九七〜八年に、いくつかの国が深刻な経済的逆流の被害をこうむったが、注目に値するインドネシアをのぞき、ほとんどは回復している。
 米国は、アジアにおける諸事件がひきつづき経済的発展、民主化および地域的平和の道に沿って進むのをみることに深い関心をもっている。しかしアジアには潜在的には平和と繁栄の構造を反古にしかねない深刻な問題に直面している。とくに中国は、世界に覇権を求め、その過程において、潜在的に地域の秩序を崩壊させかねない新興国家である。同様にインドは、いずれも現在核兵器能力を拡大しているパキスタンと進行中の対決にまきこまれている。パキスタンも統治の深刻な危機に直面している。北京は、言行ともに脅迫的姿勢を維持しながら、台湾を強欲ににらんである。東南アジアでもっとも人口の多い国であるインドネシアは、その分裂をもたらしかねない人種的および宗教的緊張にかきむしられている。マレーシアとフィリピンは特有の国内的不安定に苦しんでいる。また米国の展望から他のすべてについていえば、朝鮮半島における軍事的対決は、現在、好ましい政治的傾向があるにもかかわらず、六〇年を経過している。

 アジアにおけるできごとを平和と安定を確保する利益に具体化するのを助けるために、米国は、多くの重大な挑戦を成功裏に管理しなければならない。なかでも米国の即時の注目を占めなければならないものは朝鮮である。米国は北東アジアにおいて、北朝鮮たいする抑止と防禦の軍事的姿勢を継続しなければならない。しかし、北朝鮮の脅威は、朝鮮半島の政治的統一、南北間の和解あるいは北朝鮮体制の崩壊の結果として消失するであろう。二〇〇〇年六月の韓国の金大中大統領と北朝鮮の指導者金正日の間の頂上会談は、アジアにおける政治ー軍事的状況がかつて考えられてきたよりもはるかに急速に変化する可能性があるという証拠を提供している。

 朝鮮の脅威が存続するとしても、他のアジア諸国は、米国の戦略および軍事的姿勢における大きな調整を求めるように思われる仕方で変化しつつある。もっとも重要な変化のひとつは、新興国家、その軍事的現代化計画、東アジア地域におけるその高められた役割としての中国の出現である。米国の軍事にとって、これは台湾にたいする中国の可能な軍事力使用にたいしていかに対応すべきかという短期の問題を提起している。長期的には、中国の軍事力の増強は、地域にとっても米国の戦略およびその軍事にとっても、とくに中国が地域第一主義を追及するならば、かなりの意味をもつであろう。

 しかし朝鮮と中国は、重要な変化が起こりつつあるこのダイナミックな地域の唯一の部分ではない。インドも地域の政治ー軍事的諸事件に大きな役割をおび始めており、それはまたパキスタン支持のカシミール暴動に直面し、一九九八年には両国によっておこなわれた核実験によってより危険な状況がつくられた。東南アジアにおいては、スハルト体制の崩壊をめぐる騒動が、インドネシアの分離主義運動および国民内部の不和と一緒になって、同国の領土保全および安定についての不確定性の増大を目立たせている。東南アジア最大の国家として、インドネシアは地域全体にたいして重要な影響を与えるであろう。さらに日本およびロシアは、政治的および軍事的地位を高めることを熱望している。同じく統一朝鮮は地域における大きな政治的ー軍事的役割を演じることができよう。統一しなかった場合にでさえ、韓国はより活発な地域政策を追求するための経済的、技術的および軍事的資源を開発しつつあるように思われる。

米国の目標

これらすべての潜在的な挑戦に応ずるために、米国は統合的な地域戦略を定式化しはじめなければならない。この地域にたいする米国の全般的な長期的目標は、アジアにおいて戦争に導く可能性のある拮抗、疑い、不安定の成長を排除しなければならない。この全般的な目標はつぎに三つの副次的な目標を必要とする。
@地域的覇権国の興隆の阻止。アジアの潜在的な覇権国はアジアにおける米国の役割を掘り崩そうとするであろうし、その目的を主張するために軍事力を使用する可能性が大ありであろう。アジアの人間的、技術的および経済的資源があるならば、敵対国による地域の支配はグローバルな挑戦の姿勢をとり、現在の国際的な秩序に脅威を与えるであろう。
A安定の維持。安定はアジアの繁栄の基礎となっている。アジアがより繁栄し、より統合されるべきであるならば、各国は平和的に発展するために自由でなければならない。
B米国は、アジアにおけるすべての争論に積極的に参加できないかもしれないが、それらが統制を乱さないように諸事件に影響を与えようと努めることはできる。
 さらに米国は、地域全体への経済的アクセスを維持し増大することを望んでいる。これは、最近数十年における地域の繁栄を支持してきた自由貿易に助力してきた政策の継続を意味している。

米国の戦略「新しい均衡をめざして」

これらの目標を実現するために、統合された政治ー軍事ー経済戦略が求められている。この戦略のための必須条件は、アメリカのグローバルな指導権が継続することである。これはつぎに米国がそのグローバルな卓越性を確保するために、必要な政治的、技術的および軍事的投資をひき続きおこなうことを想定している。経済的には、米国は自由貿易政策の拡大を支持しつづけることによって、たとえば中国ならびにその他の諸国を加入させるために世界貿易機構(WTO)の拡張によって、アジアの発展を助成すべきである。
 政治的ー軍事的条件においては、4つの部分戦略が求められる。
 第一に、米国は包括的なパートナーシップの創造を可能にする二国間の安全保障同盟を深め、かつ拡げるべきである。この多国間化(それは既存の二国間同盟の代替というよりはむしろ補足として役立つであろう)は、最終的には米国、日本、韓国、オーストラリア、そしておそらくシンガポール、フィリピンおよびタイを含む可能性がある。しかし当初は米国がその同盟諸国間の信頼を醸成し、それらに地域的危機にたいして連合国として対処できる軍隊を創造するよう激励することが必要であろう。たとえば日本と韓国の間の改善された関係は、安全保障問題に関するこれら諸国のこんごの協力を容易にするであろう。この努力の一部として、米国はまたこれらの諸国のあいだの情報共用を促進すべきである。さらに米国は日本が安全保障を国土防衛を越えた超えた地平に拡張し、連合作戦を支持するために適切な諸能力を取得することを可能にするための、憲法の改正のための努力を支持すべきである。
 第二に、米国は中国、インドおよび現在は弱くなったロシアを含む、現在は米国の同盟構造の部分とはなっていないアジアにおける新興大国およびカギとなる地域諸国間の勢力均衡戦略を追求すべきである。この戦略の目的は、これら諸国の結合を同時的にアジアにおける米国の死活に関わる戦略的利害を切り縮める「大勢順応」を阻止する一方で、地域的安全保障に脅威を与える、もしくは相互に支配することからこれら諸国のいずれの国をも抑止すべきである。アジアの大国間の安定した勢力均衡発展させるためには、大きな政治的および戦略的機敏さが必要である。ワシントンは強力な政治的、経済的、および軍事対軍事関係を求めるべきであるにもかかわらず、それらはとくに米国の戦略的利害にたいする挑戦が最も少ないようである。
 第三に、米国は他国に軍事力を用いるよういざなう可能性のある状況を処理すべきである。たとえば米国は中国による台湾にたいする軍事力の使用(ならびに台湾による独立宣言)に反対することを明瞭に述べるべきである。同時に、米国は航海の自由や領海における協定された管理コードの遵守の履行を強調する一方で、南シナ海における領土紛争を解決し、そこでの軍事力の使用に反対するために働くべきである。米国はまた、インドネシアその他の東南アジア諸国の結合力、安定および領土の保全を促進し、安全保障協力と相互協力を助長すべきであり、米国は平和的手段を通じてカシミール論争の解決を促進し、地域的核戦争の勃発を妨げるために、その影響力を同様に行使すべきである。さらに米国は、北方領土における日本との領土紛争の解決のためにロシアを鼓舞すべきである。
 最後に、米国はすべてのアジア諸国のあいだで包括的な安全保障対話を促進すべきである。この対話は地域紛争についての討論を提供し、信頼醸成を促進するだけでなく、諸国に未来のある時点において、多国的枠組みに参加するよう助長するものともなろう。米国はまた特殊な未来の挑戦ー米国とその同盟国だけでなく、地域のその他の多くの諸国も同様に関心をもつであろうような挑戦を取り扱う特定の問題についての連合のため、できるかぎり多くの諸国との関係の柔軟性を維持すべきである。

新しい軍事態勢をめざして

アジアにおけるこのような広範囲で柔軟な戦略を実行することは、米国の現在の軍事態勢にたいする大きな調整を必要とする。一九後〇年代以降、アジアにおける米国の注目の焦点は、(冷戦の終了までは)北東にあり、ソ連と北朝鮮に向けられてきた。この態勢は広く南方へ移す必要がある。確かに、これは米国が北東アジアにおける既存の安全保障配置を放棄すべきであるということを意味しない。朝鮮半島における対決は終わらせるべきであるとしても、米国は韓国および日本の双方における基地とアクセスの維持から利益を得ている。実際に、南琉球諸島の米空軍(USAF)戦闘機用の可能な前方作戦基地(FOLS)の設置による日本におけるアクセスの変様は、中国本土との紛争において米軍が台湾を支援するために求められる場合には、大きな支援となるであろう。しかし、これは政治的には日本国内の問題であるかもしれない。
 米国は、既存のアクセス配置を凍結して、アジアのほかのところに新しい配置を創造するよう求めるべきである。たとえば、マニラは米国との関係改善に関心をもっているようであり、フィリピンに立地することは、フィリピンを魅力ある潜在的パートナーとする。長期的にはヴェトナムがシンガポールやタイの申し出たものをこえて、東南ジアに追加的なアクセスを提供することができよう。
 東南アジアは多くの独特な挑戦を示している。自己自身内及び自己自身の危機から(それはおそらく世界の最もありうべき核戦場であるが)この地域はまた、厳密な意味でのアジアと中東および中央アジアの間の重要な連接環である。しかし米国は現在、二次的介入のための信頼できるアクセスを欠いている。パキスタン(現在は軍事的支配のもとにあり、内部爆発のおそれもある)は、ほとんど信頼できるパートナーとはいえないし、現在の国内的諸傾向は、それをいっそう裏書している。米国とインドとの関係は、冷戦後の雪解けのまだ初期の段階にあり、過去によって伝えられた相違や躊躇をまだ克服しなければならない。この地域における基地化の可能性については、オーマンがインドーパキスタン国境へ約五百海里という最も近い国の一つである。オーマン政府と米国との間の関係は良好であり、オーマン自身は適度に堅固な同盟国であることを示してきた。さらに、オーマンにおける基地化のインフラストラクチャーはよく開発されている。
 米国とアジアにおけるその核となる日本、オーストラリアおよび韓国などのパートナー間の安全保障配置の密着した、東南アジアに拡大するかもしれない組織を結合することは、軍事的ならびに政治的段階を必要とする。すべての諸国を包括するように拡大されるためには実地訓練が必要である。フォーラム計画には安定化が必要である。そしてある程度のハードウエアの標準化は人と技術の互換性の育成が必要である。米国とその核となるパートナー間の戦略、作戦及び戦術レベルでのより大きな情報の共有のための手続き及びメカニズムの開発が、特にこの点に関して有用たりうるであろう。
 西太平洋における米国の総合的な態勢は、三つの付加的な段階から利益を得るであろう。第一に、主権を有する米国領土であるグアムは、アジア全体における戦力投下の主要な中枢として改造されるべきである。弾薬、代替部品、及びその他の装備の十分な貯蔵が、迅速な展開と米空軍の資材のかなりの大きさの部分の使用を支援するために設立されるべきである。たとえば地域のどこへでも行ける戦闘機百機から百五十機、爆撃機五〇機。フィリピン、オーストラリア北西部、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ヴェトナム及びタイのC130の範囲内で、資材はグアムから前方作戦基地地域の大部分を越えて迅速に動かすことができる。
 第二に、たとえば、米空軍と米海軍は、輸送機搭載の戦闘機が米空軍のための空対空支援及び防禦制圧支援を供与できるようにする戦術及び手続きを計画し実行し、つぎには米空軍のタンカーや指揮、統制、通信、コンピューター、諜報、監視及び偵察(C4ISR )のプラットフォームによって支援されるべきである。
 第三に、米空軍は、将来の軍事力構造を再調査し、それが長期の戦闘プラットフォームに大きな力点をおく混合から利益をひきだし得るかどうかを考慮すべきである。この文脈においては、追加的な重爆撃機の取得は一つの選択であるかもしれない。しばしば論議されるもう一つの選択は、敵の防禦包囲網を越えたスタンドオフの範囲から非常に多くのスマート爆弾を射出することのできる飛行機であるアーセナル機である。第三の選択は高速で、長距離打撃のできる航空機の小編隊を開発し展開させるすべきであろう。アジアは広大であり、大多数の陸上発進の戦闘用航空機の基地化の選択はごく稀である。長距離および高速は、韓国、ヨーロッパ、ペルシャ湾でさえ、よりコンパクトな脅威における偶発事件を見るときには、目には見えないような思いがけない結末をもっている。



子どもに渡しちゃだめ、こんなあぶない教科書六・九集会発言

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 「つくる会」の歴史教科書との闘いは「歴史の内戦状態」

                               
姜尚中さん(東京大学教授)

 「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書が文部科学省の検定をパスした中で、これにたいする反撃が切実に求められている。すでに国際会議などや、文部科学省への抗議行動などが相次いで計画されている。六月九日、東京・一ツ橋の日本教育会館では「子どもと教科書全国ネット」などが主催する「子どもに渡しちゃだめ、こんなあぶない教科書」と題する集会がひらかれた。集会ではさまざまな人びとが発言したが、この問題を考えるうえでひとつの重要な視点を提起した姜尚中さん(東京大学教授)の発言を、本紙の文責で紹介する。(編集部)

 いま「新しい歴史教科書をつくる会」の人たちがやっている本、なおかつ市販されて扶桑社という有数の資本をもった出版社が出している本の問題点は、これが巷間言われているとおり歴史観の問題とか、事実関係の誤り、あるいは正しさというような、いわば学問的な問題、あるいは学校現場における教育の問題としてとらえる必要はないと思います。
 これはひとことでいうと「運動」なのです。もっともたちの悪い政治運動と理解したほうがいい。これを何か歴史学者や教育学者と対等のレベルで話すような性質のものではないということを理解すべきだし、マスメディアもそう理解すべきだと思います。
 これはかつての「国体明徴運動」の現代版だと思います。一九三五年、当時、実質上は憲法学において公認されていた美濃部さんの天皇機関説が排撃を受けました。やがて三七年、文部省が「国体の本義」を出しました。なんど読み返しても、いまの「つくる会」のベースにあるもので、まったく同じです。
 ただ、いま彼らが攻撃しているのは直接的には憲法ではありません。「国体の歴史」、国史です。しかもそれを彼らにとっては自分の物語として語るという考え方です。明らかにこれは「国体明徴運動」です。
 これが教科書として認知されたということは、オフィシャルなものになったということで、決定的に重要な意味があります。民間という形で、たとえどんなに過激な意見をだしたとしても、それはあくまでも民間のこととして片付けられる性質のものです。しかし、一応、政府が公認しているような検定制度をパスしたわけですから、オフィシャルなものになった。彼らの意見を子どもたちに注入することができる、そういうチャンネルをつくった。彼らはその点に、検定をクリアしてオフィシャルになるところに、すべてのエネルギーを傾注しました。
 先日、週刊誌で小森陽一君とぼくと、向こうは藤岡信勝さんと坂本多加雄さんとで討論する機会がありました。彼らの矛盾は明らかです。彼らはさしあたり自分の主張を薄めた形で、検定制度をパスすることにしました。一応、自分たちの意見を部分的にはひっこめたわけです。しかし、改定を通じて、少しづつ、白表紙本で主張していたものをだしてくると思う。
 うがって言えば、これは文部科学省とのデキレースだと思います。おそらくさまざまな水面下のやりとりをしながら進めた。いまは問題になっていますが、ひとたびパスすれば四年後に本当に国民やまわりの人びとが問題意識をこれほどまでにもっているでしょうか。おそらくは徐々に薄れていく。そして実態的には改定を通じて自分たちの見解を少しづつ出していくと思います。
 これが現在の「つくる会」の教科書がもっている性格です。
 いまの東西両ドイツにも「ヒトラーの息子」がたくさんいます。フランスにも、アメリカにもいます。全体的にみれば先進国のなかでも右傾化の傾向は確かです。しかし、権力のど真ん中にそれに共鳴するような、いや逆に言えば「つくる会」を腹話術として、自分たちが公的にいえないものを民間に語らせながら、やがて本隊がでてきつつある。そういう国は少なくともG7の中では日本だけだと思います。
 そもそも戦前の日本のファシズムは、いわばお先棒担ぎの極端なウルトラナショナリズムが、自分たちの進むべき道をはき清め、やがて本隊がそれを掃除して、体制そのものが超国家主義へと変質していくという経過をたどった。 これはドイツやイタリアと根本的に違う。日本は決してファシズムではありませんでした。東京帝国大学や陸軍士官学校をでたエリートたちが、この軍国主義の担い手でした。ドイツでもイタリアでもそれはせいぜいプチ・ブルジョア、あるいは脱落した小市民的階級でした。これがやがて党をにぎり、国を掌握しました。日本は明治国家体制のエリートたちがあの軍国主義の本体でした。いまの動きはあきらかにかつての「国体明徴運動」的な、ある種の前衛部隊として活動しています。
 このことは日本の中に「ヒトラーの息子」ならぬ「皇国の息子」たちが、あと十年後、二十年後にはなんらかのパーセンテージをしめるということです。これは避けられないかも知れない。
 もちろん、これがマジョリティになることはないと思います。しかし、確実にあるパーセンテージがこの日本に生まれることを想像しなくてはならない。
 ドイツにおいてネオナチがそれなりにパーセンテージをしめている。しかし、彼らは社会の中心にいるわけではない。これは日本との決定的な違いです。日本は全体がかなりあやういところにきている。すくなくとも歴史観においては、です。
 過激に言えばこれは「歴史の内戦状態」です。歴史をめぐってやりあうことが、いろいろな形で、今後の日本の軋轢や相克がでてくる。
 彼らは何をめざしているのか。
 せっかく日韓関係が良好になろうとし、南北両朝鮮が和解へと向う傾向がありながら、なぜ日本は逆行するのか。
 彼らの胸底にあるのは反米だと思います。この反米は「アメリカにますます従属していく反米」という矛盾したものを含んでいます。アメリカにたいしての屈折したものが、中国と韓国、あるいは北朝鮮に向けられる。日清戦争以来、近代日本のまわりに独立国家、力をもった地域や国ぐにがなかったという状況と比べれば、まちがいなく、いままでになかった状況が東アジアにできつつある。中国の台頭、南北朝鮮の統一、これらの動きの中で日本の覇権が政治的には少なくなりつつあることは明白です。
 そういう中でこれらの動きがでているということをもう少し深刻に受け止めるべきではないかと思います。問題は今後、教科書各社への攻撃が強まり、藤岡さんは一〇%はまちがいないと踏んでいるようです。
 大切なことは草の根レベルからこの採択を阻止する、それだけではなく事実上、採択されないようなカウンタームーブメントをつくっていく必要がある。それがなければこの流れに抗することはできない。みなさんの奮闘をお願いしたい。



 石原都政と闘う福士よし子さんをふたたび都議会へ

 本紙前号で紹介したように、六月十五日告示、二四日投票の東京都議会議員選挙に無所属・市民派の福士敬子さんが、再度、立候補を表明している。
 福士さんは一九八三年以来、十四年にわたり杉並区議会議員として活動し、一九九九年の補欠選挙で都議会議員に当選した。
 石原慎太郎の都知事当選以来、都議会は一部をのぞいて事実上の総与党化状況になっているが、中でも福士敬子さんは石原の反動的で、危険な都政運営に正面から対決して闘っている。
 日の出の森のゴミ処分場建設の強制代執行に反対するなど環境破壊を許さず、東京スタジアム建設などの公共事業費の無駄使いに反対し、暴力的な浜渦副知事の任命や公平性に欠ける外形標準課税にひとりでもキッパリと反対して闘ってきた。また三国人発言に抗議する市民運動や憲法改悪に反対する運動など、さまざまな市民運動・労働運動に積極的に関わり、協力してきた。
 都議選の杉並選挙区は激戦で、定数六人にたいして福士さん以外に十人が立候補する予定。
 福士敬子さんの当選をめざし、杉並区在住の有権者の紹介や、福士敬子事務所の活動のボランティァ、あるいは活動資金カンパなどによる協力を。

 福士敬子荻窪事務所・
  杉並区荻窪一ー三三ー十七電話(FAX兼)〇三・五九三二・二九四七
   郵便振替・00180・4・613159口座名「自治市民 杉並」



複眼単眼

森喜朗のナショナリズムと田中真紀子のナショナリズム

 田中真紀子外相などについてはこの欄で書くつもりはまったくなかった。しかし、最近は彼女をめぐる事態は「単眼複眼」的になってきたようだ。
 「戦後、日本は『核の傘』に保護されていたが、安易な方法だった。日本は自立する必要があるが、古い考え方が政治を支配していて政治的にできない」(フィッシャー・ドイツ外相と)
 「米国のミサイル防衛計画には、個人的に疑惑がある。ブッシュ大統領はテキサスの石油業界の影響を受けているのではないか」(ダウナー・オーストラリア外相と)
 「ミサイル防衛は本当に必要か。日本と欧州は声を合わせてブッシュ政権にやりすぎるなというべきだ」「自分のカウンターパート(同格)はアーミテージ副長官ではなく、パウエル長官だ。会わなかったことが問題になることは理解できない」(ディーニ・イタリア外相と)
 外相就任以来、何かと話題を欠かさなかった田中外相が日米関係についてこのような一連の発言をした。就任した時の「つくる会」の教科書に対する批判発言でも、批判をあびるとすぐに撤退した田中外相のことだから、彼女のこの先のことはわからない。
 だが外務省筋や支配層はこの発言に大慌てしている。産経新聞などは日米関係の「一大事だ」と田中外相の解任要求を叫びつづけている。アメリカも表向き「そ知らぬ顔」をしているが、「日米安保はビンのふた」という議論などの背景にある考え方などで危惧していた危険な傾向がでてきていると感じているに違いない。
 冒頭にあげた発言自体はその限りでみれば、庶民感覚でいえば当たり前のことだ。だから、けっこう支持もあると聞く。例の訪中時の一泊三十万円弱のホテル料金のキャンセル騒ぎもしかり(二転三転してこのキャンセル料金は田中外相が自己負担した)。だが、同じ日の報道で国会議員のうちでいちばん財産持ちが彼女だということも明らかになった。これで「庶民感覚・主婦感覚」を売り物にされては、庶民はたまったものじゃないのだが。
 田中発言といい、石原発言といい、小泉発言といい、そこにはある種、ポピュリズム的な共通性があるのを少なからぬ人びとが感じているだろう。考えるより先にしゃべってしまいそうな田中外相が、そこまで意識して、計画的にやっているかどうかは、この場合、たいした問題ではない。「神の国」発言などの森前首相のナショナリズムは容易に批判されたが、田中外相のナショナリズムが支持を受けるとしたら、情勢がこうした発言をする者を表舞台にひっぱりだしていると見るべきではないか。この連中は人びとを煽り立てて、政治をどこにもっていくというのか。背筋が寒くなるのも事実だ。
 これとの闘いは容易ではない。民主党のように「本家争い」をしたり、共産党のように「是々非々」論などでは闘えない。「教条的」などのそしりを恐れず、腰をためて原則的な批判を堅持することこそが、いまもっとも有効な闘いだ。(T)