人民新報 ・ 第1030号  (2001年7月25日)    

                             目次


● 日米軍事同盟強化・改憲と、民衆生活破壊の
             デマゴーグ・小泉政権に断固とした反撃を!

● (資料)
      自衛隊の東ティモール派遣に反対するNGOの声明

● 21世紀最初のヒロシマ・デーへ!

● 米兵の犯罪に政府は責任をとれ 沖縄の代表らが院内集会と外務省への緊急行動

● (資料)
      小泉首相の靖国神社参拝表明に対する反対声明
          (愛媛玉串料違憲訴訟原告団/愛媛玉串料違憲訴訟弁護団/愛媛玉串料違憲訴訟最高裁大法廷勝訴判決記念集会実行委員会)

● 中国人強制連行・劉連仁さん裁判 国に責任あり! 東京地裁が画期的な判決

● 複眼単眼
        あぁ、神様、仏様。右翼と靖国神社とお寺さんのこと




  日米軍事同盟強化・改憲と、民衆生活破壊の
                   デマゴーグ・小泉政権に断固とした反撃を!


 参議院議員選挙は最終盤戦に入っている。しかし、マスコミの報道によってタレント選挙的なムードだけが先行し、肝腎の争点は鮮明にされていない。
 小泉首相は各所で異例の数の聴衆を集め「聖域なき構造改革」「痛みをともなう構造改革」による「自民党と日本の革命」をアジリまくっている。しかし、その政策の内容はカラッポで、実際、小泉自身が「すべては参議院選挙が終わってからだ」などとうそぶいている始末だ。
 だが、日米首脳会談やジェノバ・サミットなどにおける小泉首相の言動から、日米基軸を鮮明にした対外政策と、改憲などの政治反動、弱者切り捨てによる大資本救済の「経済改革」政策など、その危険性はすでに明らかだ。

あからさまな対米追随路線

 かつてこれほどあからさまに対米追従を口にした首相があっただろうか。日本経済が力をつけるにしたがって、対米追随の本性を露呈するのを嫌い、歴代、少なからぬ首相たちは最初の外遊にアメリカ以外の国をえらんだ。小泉はまったくおかまいなしに米国に立ち、ブッシュ新大統領に媚びを売り、MDや環境問題などアメリカ帝国主義の一国覇権主義的な軍事優先外交を支持し、米国内外で孤立するブッシュ大統領を援けた。そしてアジアやヨーロッパ諸国の批判も意に介せず、日米同盟基軸の対外路線を鮮明にした。
 キャンプ・デービッドでの日米会談では、日米安保と在日米軍の意義を強調し、「米国あっての日本」といわんばかりに「日米関係の悪化を他国との関係で補うことはできない」などと発言した。
 また石油産業をバックにしたブッシュ政権が、温暖化防止の「京都議定書」からの一方的離脱を宣言すると、小泉首相はボンの「気候変動枠組み条約第六回締約国会議」(COP6)を前にブッシュ政権を擁護し、「ボン会議での最終合意はできない」などと発言、欧州連合などからの厳しい批判を浴びることになった。
 実は小泉のいう「経済構造改革」はアメリカの要求でもあり、小泉は日米首脳会談でも、サミットでもその推進を確約した。アメリカは日本が世界恐慌の震源地になることを恐れるだけでなく、米国の債権や株を買うことでアメリカ経済をささえるジャパン・マネーを安定的に確保しようとしている。不良債権処理はアメリカ経済のためにも不可欠の課題だ。
 一方でアジア諸国が相次いで日本政府に要請した「靖国参拝」の中止と、「つくる会」作成教科書問題については、それをまったく無視して居直り、韓国、朝鮮、中国をはじめとするアジア諸国との関係の悪化を招いた。いま日本がアジア諸国のなかでかつてなく孤立していることを見逃してはならない。
 一方、田中外相は先に訪米した際にパウエル米国務長官にたいして「日本人が世界に貢献し、自分の国を守るため、憲法はいまのままでよいかなど、受益と負担を考えなければならない。……九条の問題を中心に政府自身が議論し、最後には国民投票となる」などと発言した。現職の外相による日米会談での「改憲発言」はかつて例を見ないものであり、憲法違反そのものだ。
 参院選後の臨時国会では小泉政権がすすめる集団的自衛権行使や、その実質づくりのためのPKO法見直し、PKF参加などが議論されるのはさけられない情勢だ。

「聖域なき構造改革」による民衆生活破壊

 小泉首相の「痛みを伴う構造改革」の叫びにたいして、すでに「市場」は不信感を示し、東証株価指数は「危機ライン」の一二〇〇を割り、日経平均株価も一万二〇〇〇円を割った。「不良債権の最終処理」を「構造改革の第一歩」として、「骨太の改革の方針」を進めるとした小泉経済改革路線は、経済を「市場」の自由主義、効率と競争に委ねて強いものが勝ち、弱いものが犠牲になる新自由主義政策を推進するものだ。
 このもとで中小零細企業の倒産はかつてない規模で引き起こされ、失業はあらたに百五十万人も増加し、五〇〇万人になる。「痛みを伴う」とは誰にとっての痛みであるのか、明白だ。すでに際限のない景気の低落に怯える自民党の一部からは事実上、小泉路線を否定する補正予算による景気対策の要求がでてきている。この政権のもとでは、国家財政の危機は時間の問題で消費税の大幅引き上げや、インフレ政策に行き着くのは必至だ。「改革のツケ」は全面的に民衆の犠牲に転嫁される。  
 今回の参議院選挙は、野党民主党などがこれらの悪政を推進しようとする小泉政権に正面から対決しようとせず、「改革の本家争い」をしていることに最大の悲劇がある。すでに小泉政権への支持は発足当時と比べれば低落しつつある。ちゅうちょすることなく、あらゆる機会をつかんで、小泉政権のペテンを暴露し、闘うことこそ、この傾向を促進する。
 私たちはこの選挙戦を通じて、あるいは大衆行動を組織して、希代のデマゴーグ・小泉純一郎の危険性を暴露して闘わなくてはならない。選挙戦では新社会党、および社民党・無所属の「護憲」派の候補者を支持して、全力で闘わなくてはならない。ここにこそ参院選以降の民衆運動の前進がかかっている。


(資料)
      
自衛隊の東ティモール派遣に反対するNGOの声明

 このほど、アジア太平洋資料センターなどがよびかけて、自衛隊の東ティモール派遣に反対する左記のようなNGOの声明がだされた

内閣総理大臣 小泉純一郎様
外務大臣 田中真紀子様
防衛庁長官 中谷 元様

 私たちは、東ティモールに関心を持って活動しているNGOです。
 新聞報道によると、中谷防衛庁長官は六月二一日、「東ティモール独立後に国連が新たな平和維持活動を行なう場合には、自衛隊の派遣を前向きに検討する考えを表明し」「みずから現地を視察する考えを示」したということです(共同通信、二〇〇一年六月二二日)。また、自衛隊は七月中に二佐二人を東ティモールに派遣し、UNTAETから平和維持作戦(PKO)についての情報を集めることも報道されています(共同通信、七月十六日)。
 しかし私たちは、自衛隊を東ティモールに派遣する必要は全くないと考えています。かりに派遣が、新たに編制された国連平和維持活動(PKO)下での「後方支援業務」と「人道的な国際救援活動」に対して行なわれるとしても、私たちは派遣につよく反対します。 

 自衛隊の海外派遣については、PKO法成立当時から、「自衛隊を海外に出さない」という歴代の政府見解(一九五四年の参議院決議への答弁や一九八〇年一二月の政府答弁)などを根拠に、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた憲法九条に違反することが指摘されてきました。私たちNGOはこの指摘を重く受けとめ、東ティモールなど様々な国で非軍事に徹した平和的国際協力に取り組んでいます。この立場から日本政府にも対しても、自衛隊の派遣ではなく非軍事分野での貢献に力を入れることを求めます。

 また東ティモールの現状から考えても、自衛隊派遣は必要ないことです。
 八月三〇日の憲法制定議会選挙を皮切りに、憲法制定、独立と、東ティモールは、現実の独立に向けて大きく動き出そうとしています。いま東ティモールに必要なのは、この独立を成功させることです。独立後の東ティモールの平和は、何よりもインドネシアとの関係にかかっています。日本政府が最優先すべきは、反独立派民兵指導者とそれを支援するインドネシア軍人を処罰するための国際戦争犯罪法廷の設置、西ティモールで活動を続ける反独立派民兵組織の完全な武装解除、インドネシア政府と国軍に東ティモール敵視をやめるよう繰り返し求めることなど、独立東ティモールが平和に生きるための国際環境づくりに力を入れることです。
 東ティモールでは、独立を目前にあらゆる分野で東ティモール人の参加が進められています。カンボジアで自衛隊が行なったような道路工事にしても、水補給にしても、医療や教育にしても、すでに国連機関や各国政府、NGOなどが東ティモール人と共同で進めています。そこにわざわざ自衛隊を派遣する必要はありません。大事なのは、東ティモール人と一緒に考え、一緒に仕事をすることです。日本の「国威」を示し、国連平和維持活動(PKO)への参加実績づくりを目的とした自衛隊派遣は必要ないと、私たちは考えます。


21世紀最初のヒロシマ・デーへ!

 アメリカ・ブッシュ政権の「一国主義」、軍事覇権確立の政策のもとで、これまでの「弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約」や「包括的核実験禁止条約(CTBT)」による大国間の核協調体制が危機を迎え、また核軍拡競争拡大の危険が増してきている。
 このような時期に小泉政権の外交は、このアメリカの危険な政策に追随し、協力する意志を再三にわたって表明し、アジアやヨーロッパで国際的な孤立を深め、世界の反核・平和を願う人びとから糾弾の的となっている。
 二十一世紀初めての今年の「八・六」を中心にしたヒロシマの闘いをこうした情勢の中で迎える。
 八月五日(日)は正午に、今年も全国各地を回って、平和を願う熱い思いを携えてきたピースサイクルの仲間たちが原爆ドーム前に到着し、集会を開く。
 午後二時からは「8・6ヒロシマ平和へのつどい2001」が広島YMCA会館で開催される。つどいではピースリンク・呉・広島・岩国の湯浅一郎さん、上関原発を建てさせない祝島島民の会の山戸貞夫さん、在日韓国民主統一連合広島県本部の代表などの発言が予定されている。
 八月六日(月)はヒロシマ・デーで、早朝からのビラ配布、原爆ドームでのダイイン、脱原発を要求して中国電力本社前の座込みなどが企画されている。
 問い合わせは082−297−7145


米兵の犯罪に政府は責任をとれ
             沖縄の代表らが院内集会と外務省への緊急行動


 七月十九日午後一時から、衆議院第二議員会館で「米兵の性暴力と小泉内閣の責任を追及する七・一九緊急集会」が開かれた。きわめて短期間の準備だったが、都内各地と沖縄からさまざまな市民団体の代表が出席し、七月十日のアメリカ大使館前での延べ二百人の抗議行動につづく抗議の行動の継続として、緊急集会の意義を確認した。
 集会を呼びかけたのは、安里英子(フリージャーナリスト)、安次富浩(名護ヘリ基地反対協議会代表)、新崎盛暉(沖縄から基地をなくし、世界の平和を求める市民連絡会代表世話人)、糸数慶子(沖縄県議)、上原成信(沖縄一坪反戦地主会関東ブロック代表)、内田雅敏(弁護士)、小笠原公子(NCC平和・核問題委員長)、島袋宗康(参議院議員)、辛淑玉(人材育成コンサルタント)、高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)、中島通子(弁護士)、西野瑠美子(フリージャーナリスト)、松浦順子(NCC女性委員会委員長)など二〇名の人びと。
 集会の開会に際して、呼びかけ人を代表して新崎盛暉さんが開催趣旨の説明に代えて「報告」(別掲)を行った。
 その後、安里英子さんが外務省への抗議文(別掲)の確認をして、ただちに外務省に向った。
 外務省への要請には島袋宗康さん、新崎盛暉さん、安里英子さん、伊藤成彦さん、内田雅敏さんら八名の代表が参加し、一時間にわたって河相・北米局参事官と交渉した。
 その間、外務省正門前では抗議の行動が行われ、シュプレヒコールや横断幕によるデモと、一坪反戦地主会や草の実会などの代表からの発言があった。
 午後三時半からは再び衆議院第二議員会館にもどり、外務省交渉の報告と、記者会見などを行った。
 報告では、外務省側は「今回の事件で日米地位協定の見直しを考えることはない」と断言するなど、真剣に事件の再発を防止する姿勢がないことが怒りをもって伝えられた。

新崎盛暉さんの発言要旨

 小泉首相がアメリカに行って日米首脳会談をはじめる直前に、沖縄で米軍兵士による女性に対する性暴力事件が起りました。その段階でブッシュはとりあえず「遺憾の意」を表明したけれども、小泉は何もいわなかった。
 これは報道されているところです。その後、いわゆる身柄引渡しの問題はすぐに解決されるだろうといわれていたのが、なかなか進まず、長引いたのはご存じの通りです。
 私も共同代表のひとりですが、「沖縄から基地をなくし、世界の平和を求める市民連絡会」は七月五日に緊急に県民へのアピールをだし、「この問題を主体的に解決しよう」と呼びかけました。翌六日に嘉手納基地のゲート前で緊急集会を行いました。いそいで準備したので集まり具合が心配でしたが、一〇〇人以上の人たちが結集して抗議行動をしました。
 日米地位協定の改定の問題とからんで提起されたのは、この問題がはじめてではないことはご承知の通りです。九五年のいわゆる少女暴行事件があって、地位協定の見直しをという声が高まったのですが、それにたいして日米両国政府は「運用改善」の申し合わせということで、幕を引いた。それが問題のなんらの解決にならないということを証明したのが、今回の事件だったわけです。政府関係者の中でも、一部は「改定に踏み込まなければならない」という動きもありましたし、沖縄では稲嶺知事をはじめ多くがそういう姿勢をとった。
 日米地位協定の改定要求は、九五年の大田知事の段階で沖縄県が提起しただけではなく、去年の八月に稲嶺県政の成立後にももういちど、見直しの要求がでた。そういう中で、いろいろな事件・事故・犯罪が頻発し、今日に至ったわけです。今回の事件が突発的に出てきたわけではないということを確認しておかなくてはなりません。
 いま小泉政権の登場のもとで参議院選挙を迎えています。小泉政権は問題をすりかえたり、あいまいにしたりしながらではありますが、「聖域なき構造改革」を唱えています。しかし、この日米安保、地位協定の問題についてはまったくの「聖域」として手を触れない。閣僚の一部が「地位協定の改定に踏み込まなければ」と言っている段階でも、彼は「話し合いで問題を解決するのが基本だ」と言っていた。話し合いで米兵の事件が解決するなら、こういう問題は起らないわけです。そういう問題のすり替えが行われている。しかも現在の参議院選挙では、外交や安保の問題がまったく争点にもされていないというきらいがある。今日の緊急集会はそういう状況にたいして一石を投じるという、すくなくともこの日米安保や地位協定にたいしてどう考えるかということくらいは争点にすべきだという提起をしているものだろうと思います。
 いうまでもなく日米地位協定は、アメリカ人に特権を与えているのではない。引渡しが延びている時に、「自国民を安易に日本の不備な司法制度、警察制度のもとに引き渡すのは人権問題だ、云々」ということが言われたけれども、これは一般的なアメリカ人を対象にしている協定ではなくて、あくまで米兵・軍人だけにたいして特権を与えている協定です。このことがややもするとあいまいにされてしまう。日本の警察制度や人権にたいする態度などに多くの問題があるのは事実です。いまわれわれが問題にしているのは、軍隊・米兵に特権的地位を与える地位協定をこのままにしておいていいのかという問題です。

                  ……………………………

内閣総理大臣小泉純一郎様 外務大臣田中真紀子様

          謝罪と責任ある回答を!


 六月二九日未明、沖縄・北谷町で米兵がまたも女性に対する性暴力事件を起こした。日米両政府、とくに日米同盟と米軍駐留を「国策」としてきた日本政府は、このような人権蹂躙に重大な責任がある。私たちは怒りをもって性暴力事件に抗議し、日米両政府の責任を追及するとともに、在日米軍地位協定の抜本的改定と基地の縮小・撤去を求める。
 衆院外務委員会は「国民の生命、財産、人権を守る政府の責任」をあげ、「日米地位協定の見直しをも含めた検討」を求める決議を行なったが、小泉内閣は「運用の改善」の表明にとどまっている。九五年九月の痛ましい少女暴行事件の後も、政府は地位協定は「運用の見直し」で足りるとし、「凶悪犯罪」の場合は起訴前でも米側は容疑者の身柄を日本側警察に引き渡す「好意的配慮」をすることで合意した。ところが今回、「容疑者の人権確保」を理由にこの合意さえ履行されず、容疑者の身柄が引き渡されたのは犯行から一週間もたっていた。
もはや「運用の改善」という言葉で国民を歎き、地位協定の不平等性を継続することは許されない。米兵といえども日本で犯罪を行なった場合は、日本の国内法で処されるべきである。
 小泉内閣は、ただちに在日米軍地位協定の抜本的改定を米政府に要求すべきである。
 しかし、沖縄という小さな島に在日米軍基地の七五%を集中させ、数万人の戦闘要員を常駐させている限り、米兵による犯罪や事故がなくなることはない。犯罪や事故の確実な防止は、米軍基地の縮小・撤去以外にない。政府は「SACO合意の実行」を口にする。しかしそれは沖縄の現状をほとんど変えないばかりか、名護市東部沿岸に新たな海兵隊基地の建設計画を進め、周辺住民に新たな基地の重圧や犯罪・爆音・事故を追加し、貴重なジュゴンやサンゴの生命を奪うものである。さらに米国の新戦略は、中国や朝鮮民主主義人民共和国を敵視し、東アジアをにらんだ出撃基地として沖縄を重視しており、先の日米首脳会談にみられるように、小泉内閣はこの米戦略との協力の拡大強化を進めようとしている。
 これでは沖縄の住民・女性、全国の基地周辺住民は安心して生活することはできない。政府は米軍基地の着実な削減を進め、東アジア諸国との平和と友好、軍事的緊張緩和と軍縮の
ために努力すべきである。日米同盟の強化と沖縄の米軍基地の存続・強化を進める限り、沖縄は平和の島になることはなく、米兵による犯罪は住民を傷つけ苦しめ続ける。私たちはこれ以上、政府による沖縄の女性・住民に対する人権侵害と差別を許さない。
 小泉首相と田中外相に誠意ある謝罪と責任ある回答を求める。

二〇〇一年七月十九日


(資料)
      
小泉首相の靖国神社参拝表明に対する反対声明

 「玉ぐし勝訴記念集会(愛媛玉串料違憲訴訟最高裁大法廷勝訴判決記念集会)実行委員会」では、小泉首相の靖国神社参拝について、以下の反対声明を六月二九日付で送付しました。

 小泉首相は、総理に就任以来、八月十五日には宗教法人靖国神社に、一国を代表して参拝することを繰り返し表明してきました。六月二〇日の衆参両院の国家基本政策委員会合同審査会の党首討論や、さらに二五日の参院決算委員会においても「参拝することが憲法違反だとは毛頭思っていない」とあくまで自らの参拝動機を絶対化し、その強硬姿勢を変えていません。言うまでもなく首相は憲法尊重・擁護の義務を負う立場(憲法第九十九条)にあります。国の機関である首相が、国会の場において、靖国神社に参拝する個人的心情のみを強調し、憲法の定める「信教の自由」(二十条一項)「政教分離の原則」(二十条三項、八十九条)を無視しつづける行為は、現憲法の平和主義、基本的人権、ひいては国民主権を危うくするのみならず、国際協調主義と敵対する危険な言動と言わざるを得ません。

 私たちは「国およびその機関」の一つである地方公共団体が、靖国神社などの特定の宗教団体に対してのみ特別のかかわり合いを持つことの是非を問う、愛媛玉串料違憲訴訟を十五年にわたり闘ってまいりました。その結果、一九九七年四月二日、最高裁判所大法廷において、十三対二という圧倒的多数で、歴史的な住民勝訴の違憲判決を得ています。大法廷の十三人の裁判官が、国およびその機関のかかわりに対し、「特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない」との判決を下しました。さらに判決では、「憲法制定の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことゆえに、地方公共団体と特定宗教とのかかわり合いが憲法上許されることになるとはいえない」との指摘も得ました。
 この点については、すでに一九八五年の中曽根康弘元首相の公式参拝に対する、岩手靖国訴訟の仙台高裁確定判決(一九九一年一月一〇日)が、「正式参拝の方式によらない参拝であっても、祭神に対する拝礼という行為を参拝と観念する以上、参拝の実質が変わるものではないから、右の一事をもって、参拝が宗教的行為としての性格を失い、あるいはその宗教的評価が減殺されるものとは到底認め難い」と、極めて明快な違憲判決を下しています。
 靖国神社は言うまでもなく、一宗教団体にすぎません。A級戦犯を合祀し、先のアジア太平洋戦争を侵略戦争ではなく聖戦と位置づけ、戦死を見習うべき死としてたたえ祀っています。靖国神社のこのような独自の宗教観が許されるのも、国家の非宗教性と宗教への中立性が前提にあるからです。しかし、首相自らが、靖国神社という特定宗教への公式参拝を強行するならば、その前提はくずれ、再び国家の宗教利用によって、精神(内心)の自由が蹂躙されるであろうことは、すでに過去の歴史が証明しています。国会において「強制はしない」と約束しながら、学校現場における「日の丸・君が代」の強制化が進む現状を見ても、それは明らかであります。

 戦死という国民の死の意義づけ―どのような死に方に価値があるかという価値判断―に対し、国家は介入してはならないという歴史の教訓こそが、わが国における政教分離原則制定の大前提であり、戦争犠牲者の真の願いに応えるものであると私たちは考えます。
 このような歴史の教訓と願いに耳を貸さず、靖国神社参拝発言を繰り返すことは、日本人戦争犠牲者のみならず、アジア諸国の戦争犠牲者に対する冒涜であり、背信行為であると言わざるを得ません。戦後五〇年にあたり日本の国会は、再び侵略国家にならないことを国際社会に誓いました。先の大戦を美化し正当化しつづける靖国神社への参拝姿勢を崩さない小泉首相に対し、日本の植民地化と侵略によって、甚大な被害をこうむった韓国・中国をはじめアジア諸国から懸念と抗議の声があがってくるのは、当然の反応であります。

 小泉首相は、日本とアジア諸国との関係のみならず、国際社会との平和と共生への道を閉ざす選択をすべきではありません。私たちは、小泉首相が、いまこそ憲法制定の原点に立ち帰り、二十一世紀の国際社会の中で日本が果たすべき役割を冷静に展望し、八月十五日の靖国神社への参拝を中止されることを、切に望むものであります。
 二〇〇一年六月二九日

愛媛玉串料違憲訴訟原告団
愛媛玉串料違憲訴訟弁護団
愛媛玉串料違憲訴訟最高裁大法廷勝訴判決記念集会実行委員会


 金曜連続講座 講演記録

           
小泉政権の改憲論 @ 
              ポピュリズムと右派原理主義の結合批判

                                     高田 健


二十一世紀改憲論の経過


 小泉内閣発足以来二ヵ月、新聞、テレビなどのメディアではこれでもか、これでもかと言わんばかりに連日、小泉内閣の閣僚などの報道がされ、さまざまに話題を呼んでいる。
 とりわけ、郵政三事業に関する改革の問題と、首相公選制に関する憲法改定のふたつは、小泉純一郎氏の大きな特徴だ。
 本日はそのうちの憲法に関連する部分で、小泉内閣をどのようにみて、どのように考えていけばよいかについて一緒に考えてみたい。
 本日のテーマのサブタイトルに「ポピュリズムと右派原理主義の結合」と書くことで、小泉内閣の現在の政治手法を結論的に規定した。
 「改憲論」というのは小泉純一郎がいいはじめたものではなく、戦後の主な改憲論だけ考えても、今回は三回目くらいの改憲論の高揚になる。戦後、初めて大きく問題になるのは、鳩山由紀夫の祖父にあたる鳩山一郎内閣の当時であり、これは六十年安保の民衆の闘いでつぶされていく。そのあとは中曽根康弘の「戦後政治の総決算」論と関連する改憲論。これも条件が成熟せずに沙汰止みになる。
 今回はこれにつぐ改憲論の高揚で、三回目といってもいいようなものだ。ひとによっては、これを「九十年代改憲論」と呼んでいるが、二十一世紀全体をにらんで支配層が仕掛けてきた「二十一世紀改憲論」と呼んだほうがよいと思う。
 実は今回もそうだが、過去二回の改憲論はいずれもアメリカからの要求が非常に強い。同時に先の十五年戦争で敗北して解体させられた日本の財界が復活・強化してくる過程での要求でもあった。日本国憲法がアメリカから押しつけられたものだからダメだという「押しつけ憲法論」を唱える人たちは、このアメリカからの改憲要求・押しつけについてはどう思うのか。
 現在の改憲論の端緒は八九年から九〇年にかけて、ソ連・東欧圏の解体と、その後の湾岸戦争にある。この湾岸戦争にたいして日本は膨大な資金を注ぎ込んだが、「血は流さなかった」としてアメリカなどから批判を浴びた。ここから新たな改憲論が登場する。九二年のPKO法の成立、九三年には細川連立政権の成立、翌年には読売新聞の憲法改正試案、北朝鮮の核疑惑、九六年の安保再定義、九七年の憲法五〇周年に改憲議連発足、九八年は「テポドン」騒動、九九年には「不審船」騒動を契機にした新ガイドライン関連法の成立と憲法調査会設置のための法整備、そして昨年、クリントン政権末期に「アーミテージ報告」がだされる。この「戦略報告」で日本の集団的自衛権の行使や、改憲の要求がだされた。この「戦略報告」はブッシュ新政権のもとでだされた「ランド研究所報告」として展開され、アメリカの今後のアジア戦略の基本が示された。日本の軍事戦略で言えば、ロシア・北朝鮮を想定した「北方戦略」から、中国と台湾を想定した「南方戦略」への移行だ。
 この間、読売の第二次改憲試案をはじめ、さまざまなひとたちが改憲試案を提起した。ごく最近では現在の自民党幹事長の山崎拓が「憲法改正」という著書をだした。これらの動きを背景に、今日の小泉首相の改憲論がある。

小泉首相の構造改革論

小泉首相の憲法論の分析に入るにあたって、まず「経済構造改革」に少し触れておきたい。
 都議選での小泉首相のスローガンは「自民党を変える、日本を変える」というものだった。これはおかしいことだ。「自民党を変える」というのは他の党が自民党を批判しているのではなく、自分の党を変えることを小泉は主張している。
 日米首脳会談では「経済構造改革」は国際公約になった。
 しかし、この「経済構造改革」は日本経済にたいへんな事態をもたらすものだ。九十年代の「失われた十年」と呼ばれる長期不況、慢性恐慌の経済状況から脱出するどころか、さらに危険な常態になるのは間違いない。帝国データバンクの情報部長の話では倒産予備軍の企業数は百万社以上という。恐ろしい数字だ。日本総合研究所の発表では、この構造改革で二〇〇五年までに百五十万人が新たに失業するという。竹中さんは一〇から


二十万だというが、これは大ウソだとされている。ニッセイ基礎研説は百三十万人、第一生命研説では百四十五万人だ。現在は失業率四・九%、三五〇万人だから、これが八%、五百万人になる。これが経済構造改革の結果、予想される事態だ。これは失業させられる人にとっても、またかろうじて仕事がある人にとっても他人ごとではない。遅かれ早かれ、いまの高支持率は打撃を受けることになる。
 だから改革派として支持を維持しようとすれば、経済以外の構造改革、政治的な構造改革も進めていかなくてはならない。
 最近のメディアの見出しはすごい。比較的権威のある経済誌の「エコノミスト」でも「株暴落か、革命成功か」「失敗すれば市場の暴力革命が襲う」などという。「革命」などという見出しがマスコミで乱発される。小泉政権にとっても「革命推進」は至上命題になってしまった。
 その大きな政治革命の柱が、政治の規制緩和で、「首相公選」などをはじめとする憲法の改定だ。
 いまの小泉政権の高支持率は異常だが、考えてみると、これまでも何度もある。細川政権の時の政治改革への支持だって、そうとうに高かった。熱病のように、とりわけ小選挙区制による政治改革を支持しなければ「人にあらず」の様相だった。
 この時に先頭にたったひとりに北大の山口二郎がいる。あとで「いいすぎた」などと反省したのだが、最近また、小泉の首相公選の私的諮問機関のメンバーに加わった。

「規制緩和」なるもの

小泉首相の改憲論には平和憲法あるいは憲法九条との関係に絞ってもいくつかのテーマがある。ひとつは集団的自衛権の行使の問題、あたらめて靖国神社参拝の問題、有事法制の制定の問題、防衛庁の省昇格問題、あわせて首相公選制の問題だ。小泉首相の改憲論はひとつではないわけで、一個一個、ていねいに批判しておく必要がある。
 首相公選論は郵政三事業の民営化同様、小泉政権の二枚看板だ。
 郵政三事業の民営化は当然だというキャンペーンがされている。規制緩和といって、規制が悪く、緩和するのはいいことだという論調だ。実は民衆にとっては規制がいい場合もあるし、緩和するほうがいい場合もある。「規制」一般ではない。郵政事業民営化は、特権をもっている特定郵便局長の利権集団との闘いだというように偽装される。しかし、小泉は民間運輸業者と結託して「民営化」を主張しているではないか。かつて国鉄民営化が行われた。今日考えて、あの規制緩和・民営化は利用者にとってよいことであったか。合理化で駅のホームには職員がいない。事故が続発する。駅には空き場所がないほど店舗が乱立する。地方の、過疎地の鉄道はつぶされ、バスに変わり、そのバスも止られる。郵政事業の民営化でこのようなことが起きないのか。山奥にまで郵便はとどけられるのか。郵貯の緩和は民間の銀行に変わるだけではないのか。
 解雇の問題でも規制緩和がやられようとしている。街には失業者があふれる。こんな規制緩和は絶対にやってはならないものだ。

首相公選論

首相公選制についても、小泉首相は「首相を選ぶ権利を国民に解放する政治の規制緩和だ」と称している。先般、このための私的諮問機関が発足し、座長が東大の佐々木毅さんだ。先に言ったように山口二郎さんは「反対の立場」で参加するそうだ。 
 首相公選は当然にも改憲を伴う。しかし、改憲の提案、発議権は国会にしかない。憲法改正の発議権のない首相がこういう諮問機関を作ること自体が憲法上、問題だという指摘もある。
 小泉さんは「政治の規制緩和」などというが、最近はあまり言わないが、総裁選挙を前後して言っていたのは「憲法九条を変えたいがすぐには難しい。しかし、首相公選というのはこうやったら憲法を変えることができると、誰にも改正の手続きが鮮明になる」と言う。まったく露骨な話だ。「憲法九条を変えるために、首相公選でいちど国民に改憲のくせをつける」ということだ。
 首相公選論を多くの人びとが支持している理由のひとつは「リーダーシップのある、指導力のある首相がほしい」というカリスマ型リーダー待望論だ。
 もうひとつは「私たち自身が首相選びに参加したい」という市民参加論だ。経済はどん底だし、これからもよくなりそうもない。深刻だ、なんとかしてもらいたい。そのためにはリーダーシップのある指導者が必要だし、われわれもその選挙に参加したいということだ。とりわけ前の政権の森内閣のことがある。青島東京都知事のあとに石原が躍りでたような効果があって、小泉首相は森政権批判を利用して、「自民党を変える」という。
 しかし、森政権をささえた自民党森派の代表は小泉純一郎だった。野党からの不信任案が出た時に、彼は体をはって阻止するといった。「加藤の乱」もこれに敗れた。森政権に責任があるのは橋本派だけではなくて、小泉も同罪か、それ以上だ。にもかかわらず、森政権を誕生させたのは「五人組」の深夜の談合だということばかりがひろまって、首相公選論は勢いを得ている。
 自民党政権の罪状のひとつは政官財の癒着の構造の問題にある。
 あるいは自民党による派閥政治が、党の実力者が首相には必ずしもならないで、キングメーカーなどというのが幅をきかせることなど、議会制民主主義すら軽視する仕組みにある。
 より本質的には日米安保体制のもとでの対米追随の問題がある。
 これらが今日の政治の問題の病根だ。これを首相公選にすり替えられた。
 山崎拓はその著書で「首相公選制とは大統領制である」とはっきり言っている。大統領制は米国、ロシア、韓国、中南米諸国などで、フランスはやや変則的だ。いずれもうまくいっているとはいいにくい。アメリカも先の大統領選挙のフロリダ州の票の問題に象徴される制度の問題があるし、ロシアのプーチンのようなKGBあがりの独裁政治がいいとは言えないだろう。
首相公選制の唯一の成功例と言われていたイスラエルも行き詰まって、最近、やめてしまった。何か、首相公選がやられるとあたかもいい政治ができるかのように言われているが、よくなる保障はない。それどころか悪くなりそうなほうが多い。日本は議院内閣制に属するが、これにはイギリス、ドイツ、イタリア、カナダ、北欧などがある。これはどちらがよくて、どちらが悪いという問題ではない。
 小泉首相も具体的にはあいまいで、中身は諮問機関にゆだねている。彼がいっているのは@一定数の国会議員の推薦か、例えば有権者百万の推薦が必要、A候補は国会議員でなくともよい、B閣僚も国会議員が過半数でなくともよい、という程度だ。
 憲法調査会会長の中山太郎は小泉総裁の誕生の時に「彼があんなことを言うとは思っていなかった。えらいことになった」「そんなに簡単な話ではない。リーダーの選出方法をまったく変えるということは、象徴天皇制をどうするかなど、いろんな問題がある。ブレーンにあまり相談せずに発言されたのではないか」などと語った。「思いつきでいってんじゃないの」という話だ。
 実はそのとおりで、首相公選制のためには憲法も幅広くいじらなくてはならない。第一章の六条、七条、第四章の六十七条、六十八条、ほかにもある。憲法の大幅改定だ。小泉はそこまでは考えていなかった。小泉の首相公選論は非常に浅い、裏付けのない主張だ。しかし、これが支持されている。
 現実政治から離れて、きわめて一般論でいえば首相公選制が絶対、悪いとは言えない。県知事をえらんでいるのだから、首相だってそうしてもいいのではないかという議論は一般的には成り立ちうる。しかし、政治は「頭の体操」ではないのだから、この問題と現実の日本の政治の中で語られる首相公選制の功罪とは峻別して考えなくてはならないのだ。これは改憲論のひとつの「新しい人権論」の問題とも似ている。「環境権」や「知る権利」を書き込むのはいいのではないかという議論と同じだ。
 民主党の首相公選論の多くはこれだ。「自民党のとは違う」といいながら、結局は改憲論の一部を構成してしまう。
 小泉首相は「アメリカ型でもイスラエル型でもない日本型だ。天皇制と共存できる公選制だ」という。ここで天皇の問題がでてくる。自由党の小沢党首は「公選首相と元首としての天皇の役割に矛盾が生ずるので反対」というが、自民党の公選論者はだいたい天皇制との関連では結論をだしている。彼らは「明治以降の天皇制は日本の歴史の中では特殊で、いまの象徴天皇制が古代からの天皇制に合致している」という。山崎は「首相公選の議論の過程で象徴天皇制との共存が確認されることは、首相と元首の任務の分離の確認が必要だ」と、公選制導入と同時に天皇の元首としての地位の確認のための改憲も必要だと考えている。「名誉職的な元首」の確認が必要という。同時に女帝の容認と天皇の職業選択の自由(退位)などの規定も必要だという。
 これは天皇制の強化だ。 (つづく)


中国人強制連行・劉連仁さん裁判
              国に責任あり! 東京地裁が画期的な判決


東京地裁判決の意義

 七月十二日、東京地方裁判所民事第十四部(西岡清一郎裁判長)は、中国から強制連行され、終戦を知らずに約十三年間、北海道の山中で逃亡生活を送った劉連仁さん(昨年九月、中国山東省で八十七歳で病死)が日本国に賠償を求めた訴訟で、請求通りの二〇〇〇万円の支払いを命じる画期的判決を言い渡した。西岡清一郎裁判長は「終戦で国は劉さんを救済する義務を負ったのに怠った」として国の責任を認め、同時に戦後補償訴訟で初の不法行為から二十年が経過した時点で賠償請求権が消滅するという民法の「除斥(じょせき)期間」について「著しく正義に反する時は適用を制限できる」との判断を示した。
 第二次大戦中、日本は侵略戦争遂行のため、朝鮮や中国の人々を日本に強制連行し労働させた。今回の判決は、こうした国の政策が多くの被害を与えたとして故・劉連仁さんへの損害賠償を認めたものである。賠償の及ぶ範囲は戦後の保護義務に限られているが、戦前にさかのぼって国の責任は明らかになっており、戦後補償裁判にとって画期的なものであり、九八年四月の山口地裁下関支部が元従軍慰安婦三人に九〇万円を国に賠償を命じた判決(今年三月に広島高裁で原告側が逆転敗訴、上告中)に続くものである。
 ここ数年の戦後補償問題をめぐる動きをみると、鹿島建設が花岡事件で中国人の原告側と基金創設で和解したり、新日鉄が元徴用工の韓国人遺族に弔慰金を払ったりするなど、闘いの積み重ねの成果が企業にも微妙な変化を生じさせるようになっていきている。
 今回の東京地裁判決の意義は二つある。その第一は、強制連行を「日本政府が国策として行った」もの位置づけ、劉さんの逃走も「劣悪な労働条件」のためとし、また、国は戦後、「強制連行された中国人を保護し、帰国させる義務がありながら」「劉さんの生命、身体の安全が脅かされることを予測できながら、保護を怠った」と明確に断定したことである。二点目としては、二十年経過すれば請求権が消失するという除斥規定について、劉連仁さんのケースでは国の怠慢と不作為があったとして、これを適用しないとしたことだ。戦後補償問題では、除斥条項がつねにこえられない壁としてあったが、ついに突破する一歩を獲得したことの持つ意味は大きい。
 また、判決の不十分さは、原告側が主張した国の責任を戦前にまで問うという点について、これを退けたことであり、今後の課題として残った。

侵略戦争と強制連行

 中国人強制連行の歴史は、日本軍国主義の侵略そのものと表裏一体である。一九三一年九月の満州事変(柳条湖事件)で日本は本格的なアジア侵略を開始し、三七年七月の盧溝橋事件で中国との全面戦争に突入した。四二年十一月には中国人労働者の内地移入計画が閣議決定された。そうして、劉さんは、四四年九月ころ山東省高密県で強制連行され、日本に移送され、明治鉱業株式会社の昭和鉱業所(北海道雨竜郡沼田村幌新太刀別)で坑内での鉱石掘りや運搬作業という苛酷な重筋労働に従事させられたのである。外務省の報告書によれば、昭和鉱業所での事故は、事故死五名、病死四名となっており、劉さんとともに強制連行され昭和鉱業所で苛酷な奴隷労働に従事させられた二〇〇名のうち四・五%が死亡している。劉さんは、四五年七月三十日に、同じ班の仲間四人とともに昭和鉱業所から脱出した。仲間の三人はいずれも民間人によって発見保護されたが、劉さんはそのことも知らずに約十三年もの間、雑草や山水で命をつなぎながら北海道の山中で暮らすという苦しい生活をおくらされた。その間、四五年八月に日本敗戦し、昭和鉱業所に就労させられていた中国人たちも、死亡者と逃亡者を除き、四五年十二月には集団帰国している。
 しかし、日本政府は劉連仁さんの居所を捜したり身柄を保護しようとはまったくしなかった。ついに、一九五八年二月、劉さんは当別町で発見・保護された。当時、札幌入国管理事務所は、劉さんを、不法入国者、不法残留者とみなして検束しようとしたが、華僑総会などの必死の努力により、劉さんの身元が証明され、同年四月に中国へ帰った。劉さんは、九一年に来日し、日本政府に謝罪と賠償を要求し、九六年三月についに東京地裁に損害賠償請求訴訟を起こし、九六年と九八年にも来日し法廷で証言した。しかし残念なことに、昨二〇〇〇年九月二日に逝去した。裁判は、遺族である妻の趙玉蘭さん、長男の劉煥新さん、長女の劉萍に受け継がれて、闘争は継続され、今回の判決となったのである。

日本政府は控訴断念せよ

 福田康夫官房長官は、十二日午後の記者会見で、東京地裁判決について、「国側にとって厳しい判決だ。今後の対応は判決内容を十分検討した上で、関係省庁と協議し決定したい」と述べた。控訴の期限は七月二十六日である。
 判決を受けて、劉連仁さんの長男の劉煥新さんと弁護団、支援の人びとは、日本政府が控訴を断念するよう申し入れる行動を展開している。外務省への申し入れの時には、高橋融弁護団長は「判決を真摯(しんし)に受け止め、謝罪の意を込めた弔慰表明をしてほしい。控訴すれば、判決が指摘した公正と正義に反することになる。判決を契機に戦後補償問題の全面解決を目指してほしい」と訴えた。十二日午後四時すぎには、小泉純一郎首相に控訴しないよう申し入れるため、首相官邸を訪れたが、取り次ぎをめぐり、門の前で弁護団らと首相秘書官らが約四十分間にわたり押し問答となった。結局、官邸と道路をはさんだ内閣府庁舎の面談室で秘書官が対応したその時、劉煥新さんは「首相にお会いできず、非常に残念。国として控訴しないよう強く求めます」と話し、秘書官は「総理にお伝えします」と答えた。劉煥新さんらは、首相との面会の機会をつくってほしいと要請して、連日、早朝、昼と首相官邸の前で、劉連仁さんの遺影を掲げて、「サイレント行動」を行ったり、国会議員への要請、また新宿の繁華街での国の控訴断念要求署名の活動などをおこなった。劉さんは、十三日午後の東京・弁護士での記者会見では、「小泉純一郎首相は靖国神社を参拝すると聞いたが、なぜ強制連行を推進した戦犯を参拝するのか。(第二次大戦では)大勢の人が被害を受けており、そういう人に謝罪し、弔ってほしい」と話している。
 日本政府は、地裁判決を厳しく受け止め、控訴せず、一刻も早く日本の強制連行・強制労働責任を認めたうえで、日本の侵略による本件以外の戦争被害者に対しても真摯な謝罪・賠償をするべきである。
 今回の東京地裁の画期的な判決の成果を基礎に、戦後補償の闘いを一段と推し進め、アジア諸国との真の友好関係を築き上げよう。

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  争点六 (民法七二四条後段の適用の有無)について

 民法七二四条後段の規定は、除斥期間を定めたものと解すべきであり、民法七二四条後段の二〇年の除斥期間の起算点が不法行為時であることは、条文の文言上明らかである。また、同条後段の「不法行為ノ時」につき権利行使可能性の観点から解釈することはできないと言わざるを得ない。そして、除斥期間の規定が不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図しているものであり、基本的には二〇年という時間の経遇という一義的基準でこれを決すべきものであることは否定できないというべきである。
 しかしながら、このような除斥期間制度の趣旨の存在を前提としても、本件に除斥期間の適用を認めた場合、既に認定した劉連仁の被告に対する国家賠償法上の損害賠償講求権の消滅という効果を導くものであることからも明らかなとおり、本件における除斥期間の制度の適用が、いったん発生したと訴訟上認定できる権利の消滅という効果に直接結びつくものであり、しかも消滅の対象とされるのが国家賠償法上の請求権であって、その効果を受けるのが除斥期間の制度創設の主体である国であるという点も考慮すると、その適用に当たっては、国家賠償法及び民法を貫く法の大原則である正義、公平の理念を念頭に置いた検討をする必要があるというべきである。すなわち、除斥期間制度の趣旨を前提としてもなお,除斥期間制度の適用の結果が、著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。・・・・・・


複眼単眼

        あぁ、神様、仏様。右翼と靖国神社とお寺さんのこと


 政界の黒幕を気取る中曽根康弘元首相は、いまの与党の指導者たちに「哲学」がたりないことを日頃から嘆いている。そこで、例えば環境問題などと関連させて、ことあるごとに「(今後)『山川草木悉皆成仏』(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という仏教哲学が世界的に魅力をもってくるでしょう」(「21世紀日本の国家戦略」PHP研究所)などとお説教をする。
 日本にはこの思想に似た話では、神道の「八百万の神」というのもある。
 この中曽根の影響なのだろうか、最近はきわめて無節操にこれらの宗教的思想が政治的に利用(誤用)されている。
 参議院選挙が始まり、党首討論で靖国参拝問題が追及されたとき、小泉首相が「日本人は亡くなるとすべて仏様になる。死者を選別しなければならないというのか」と居直ったのを聞いて唖然とした。
いうまでもないことだと思うが、「仏様になる」というのは仏教の考え方で、神道ではすべてが「神になる」と考えられている。「日本人は死んだらすべて仏様」ではなくて、それぞれの宗教で死後の世界の考え方は異なる。仏様になるのなら、靖国神社に「祀る」のではなく、どこかのお寺におさめなくてはならない。
 まして靖国神社は戊辰戦争以降の戦死者を祀ることにしていながら、それらを明瞭に天皇の名のもとに「選別」し、「官軍(天皇の軍隊)」以外は排斥している。
 私の故郷に近い会津には白虎隊の話がある。この少年たちは戊辰戦争で「官軍」と戦ったので、いまだに賊軍で靖国には祀られない。その会津士族の残党などが「戊辰戦争の西郷隆盛大将への復讐だ」とばかりに官軍の先頭にたって戦った西南戦争では、薩摩軍の兵士は賊軍とされ靖国神社から除外されている。明治維新で高杉晋作らとともに先駆的役割を担った長州諸隊の中の被差別部落民の部隊も、差別的理由からしばらくは合祀されなかった。もちろん、この間の戦争で死んだ多くの非軍人・庶民は除外されている。靖国は「戦争の犠牲者をまつる」のではなく、天皇の軍隊を祀るのだ。靖国神社は天皇制を基準にした差別で成立しているのだ。だからこそ、東条以下十四名のアジア・太平洋戦争のA級戦犯は合祀された。小泉の話がいかにペテンか、明白だ。
 この問題では右派内部にも矛盾があり、靖国神社など神社本庁に盤踞する右派はさらに突出している。漫画家の小林よしのりもそのたぐいだ。小林はこう言う。
 「中国は共産主義だからわからないだろうが、日本では一度神社に神様として祀ったら、もう人間が自分たちの都合でその神様を引きずりおろせないんだよ。バチがあたるわい。それが日本人なんだよ」(雑誌「SAPIO」七月二五日号)。小林のこの「怒り」は「国立墓苑」論を否定しない田中外相や小泉首相にも向けられることになる。
 おなじ「SAPIO」で作家の井沢元彦は「韓国・中国の『死者に鞭打つ文化』に迎合するのですか?」という一文を書いて「日本の文化にもさまざまな欠点はありますが、この『死ねば皆仏』という考え方は、世界に発信してもいい日本のすぐれた文化のひとつだと私は考えています」と述べている。これは小泉と同じで、仏教と神道の区別もついていない。(T)