人民新報 ・ 第1031号 (2001年8月5日)
  
                                  目次

● 小泉反動内閣の攻撃と闘い、 改憲阻止の広汎な統一戦線を!

● 2001 ピースサイクル(埼玉/東京)

● 国の劉連仁裁判控訴を糾弾する

● あの教科書だけは、子どもたちに渡せません!

● 金曜連続講座講演記録
      小泉政権の改憲論A ポピュリズムと右派原理主義の結合批判  (高田 健)

● 記録映画 梅香里(メヒャンニ)

● 部落史から取り残された諸賤民について C (大阪部落史研究グループ)

● 複眼単眼  8月15日雑感




小泉反動内閣の攻撃と闘い、 改憲阻止の広汎な統一戦線を!

 (1)

 第十九回参議院議員選挙は、改選議席一二一議席のうち、与党が自民六五、公明十三、保守一、野党は民主二六、自由六、共産五、社民三、そして無所属二という結果であった。衆議院同様、参院でも自・公・保連立与党は安定過半数を占めることになった。
 支配層とマスコミが作り出した「小泉旋風」にのった自民党の一人勝ちだ。公明党は現状を維持したが、新国家主義色を強める小泉首相にとまどいつつもますます政権から離れがたくなっている。保守党は敗北し、消滅の危機に立たされた。
 野党も民主党、自由党はいくらか議席を伸ばしたとはいえ、政権交代の夢にははるかに及ばず、今後の展望を指し示し得ていない。とりわけ民主党は小泉政権誕生以来、「改革」の本家争いで動揺をつづけ、野党の体をなしていなかった。
 共産党、社民党はこの間の退潮傾向に歯止めをかけることはできなかった。巻返しをねらった切り札の志位委員長体制下での共産党の敗北は、同党にとって大打撃となった。
 前回の参院選で議席を失った新社会党は、党の存在をかけて闘ったが議席回復ができなかった。
 わが同盟は今回の参院選挙を憲法改悪阻止にむけた闘いと位置づけ、小泉政権と対決して、新社会党、および社民党や無所属の「護憲派」候補を支持して闘った。これらの努力は、今後の統一戦線の発展の重要な礎石となるに違いない。

  (2)

 投票日直前に東証株価指数はバブル崩壊以降最低を記録した。にもかかわらず、自民党は圧勝した。それは、有権者が構造改革にともなう「痛み」があるにしても、小泉政権を崩壊の危機に瀕した日本社会の改革の「最後のチャンス」ととらえたからにほかならない。これは、多くの人びとが日本の経済・政治・社会すべての分野にわたっての混迷・腐敗の深化の中で先行きに深刻な不安を感じていることのあらわれだ。
 現在の日本資本主義は解決不可能といえるほどの諸困難に直面している。金融機関などがかかえる巨額の不良債権、政府の国債残高、各種の政府借入金、県や政令指定都市の地方債などの公的累積債務はいまや七〇〇兆円を超え、依然として増えつづけている。すでに北海道拓殖銀行や日本長期信用銀行、山一証券などの倒産、金融機関の三大グループへの再編などが進行し、リストラ・合理化による大失業時代が到来しようとしている。この原因は、歴代の自民党政治の「つけ」にほかならない。自民党はひたすら日本とアメリカの独占資本へ奉仕してきたが、それがついに行き詰まりを見せたのだ。
 住専にはじまった金融機関の救済策は、公的資金(税金)を湯水のようにそそぎ込んで、金融資本とそれにつながる金持ち層を救っただけで、日本の金融構造は一段と腐敗と破綻の様相を強めている。こうした事態を「解決」するという小泉の「改革」に期待が集中したのである。
 小泉は自民党の中の「反自民」として自己を描き出し、旧来の保守本流との対抗を演じている。これが小泉「革新」の主要な内実である。私たちはこの小泉改革が無責任な、ペテンであることを繰り返し指摘してきた。
 財界は小林陽太郎・経済同友会代表幹事の談話などに見られるように、選挙の結果を歓迎し、「国民は小泉総理の『聖域なき構造改革』を信任した」として、構造改革の断行を与野党に迫っている。今後、小泉政権は二〇〇二年予算案の策定を手始めに「聖域なき構造改革」と称するきわめて反動的で、大企業擁護、民衆犠牲の諸政策を進めることになる。
 だが、小泉政権をとりまく環境はきわめて厳しい。経済財政諮問会議のいわゆる「骨太方針」は、道路特定財源の見直しによる旧来型公共事業の削減、特殊法人の廃止・民営化、地方交付税の削減などの実施を決めており、とりわけ来年度予算編制で国債発行額を三〇兆円以下にするというのが首相公約だ。
 しかし、現在の経済状況は重大事態にある。小泉圧勝が報じられた日、トリプル安(株安、債券安、円安)になった。とくに株価は、与党圧勝でも、バブル崩壊後の最安値記録を更新したのである。六月の失業率は四・九%と過去最悪となった。経済の九月危機説が囁かれはじめた。こうした中で、核心問題の不良債権処理をすすめれば、中小・零細企業の大量倒産はもとより、ゼネコン・大手スーパー・銀行などの倒産も予想され、そして失業の激増という「痛み」が現実化する。「構造改革」と悪化の一途をたどる景気は二律背反の課題だ。
 すでに自民党内では族議員などなどの既得権益派の改革反対・慎重派のうごきが活発化し、景気対策強化せよとの声が上っている。竹中経済財政相も塩川財務相も補正予算必至の発言をしはじめた。
 その上、外交でも難問が山積している。アメリカからの集団的自衛権行使の承認・ミサイル防衛構想への参加要請などがある一方、「つくる会」教科書問題や靖国神社公式参拝強行にたいする韓国・中国など近隣諸国からの抗議と関係悪化が進んでいる。とくに靖国神社参拝問題は、アジア諸国からの孤立をまねくだけでなく、与党内では公明党との緊張があり、自民党内にも反対意見は少なくない。

  (3)

 小泉内閣の「聖域なき構造改革」改革攻撃がもたらすものは、労働者・勤労人民にとっては、苦痛と悲惨な状況であることは間違いない。小泉改革の本質が良くて利権構造の再編にすぎず、実際には労働者・勤労人民大衆への搾取・収奪・強圧であるということは近い将来に明らかになる。総論で「改革」賛成でも、「痛み」が具体的に自分の所へ襲来する各論改革によって、人びとは期待を裏切られ、小泉・自民党への批判は強まるのは不可避だ。
 こうした状況は、小泉首相が自民党を分裂させ、解散・総選挙による政界の大再編に突入してまで「改革」路線を貫くのか、それとも混迷のうちに内閣総辞職にいたるのか、予断は許されない。小泉の叫んでいる構造改革は、患者にメスを入れただけで手術をやめるとか、またはよってたかってさまざまな「荒療治」を行い、そのことによって日本経済そのものをいっそう混迷・混乱に導く可能性が高い。いずれもが民衆をいっそうの苦難に直面させるだけだ。
 すでに、東証株価はジグザグを描きながらも下落中であり、一〇〇〇〇円割れを予想する論者も増えている。加えて、アメリカ経済はITバブルが崩壊し、中南米諸国の経済危機と連動して、世界同時不況の入り口にあるという観測も出始めている。 
 憲法改悪を軸とした政治的な諸課題でも、あるいはこの「聖域なき構造改革」でも、いずれにせよ近い将来の大政治再編は避けて通れない課題だ。その時には自民党と民主党が大再編のるつぼにたたきこまれる。石原慎太郎などの超排外主義的な、よりいっそう新国家主義の色を濃くした政権がうまれでる可能性も否定するわけにはいかない。
 私たちは今回の参院選での自民党圧勝と、その後におこる階級格差のいっそうの拡大、大々的な民衆への犠牲の転嫁という事態を想定し、労働者・勤労人民大衆の利益を守り、安保・改憲攻撃、リストラ・合理化攻撃に反撃する具体的な運動にいっそう力を入れてとりくむ。とりわけ小泉反動内閣と正面から対決する憲法改悪阻止の広範な統一戦線を作り上げるために、全力で奮闘する。


2001 ピースサイクル


埼玉

 七月十四日、梅雨は昨年より一週間早く明け、ピースサイクル埼玉ネットの実走日を迎えた。
 一昨年より定着してきた四コース(熊谷、寄居、浦和、蓮田)で実走が行われた。自治体訪問については、事前に行われたミニピースと当日分とを合わせ二〇カ所を回ることができた。
 当日は土曜日で、自治体は閉庁しており、訪問数は昨年より減になると思われていたが、参加者の提案で自治体とかけあい、訪問受け入れを実現させた。
 今年五月に「さいたま市」が三市合併により作られた。これまで旧市との信頼関係を築き上げてきたが、また新たに信頼関係の積み重ねのスタートとなった。各市には次のような要請書を提出した。
@貴自治体が行った「平和を願う宣言」(非核平和宣言など)の趣旨を生かすため、必要な予算を計上し、非核・平和のための行政に積極的に取り組まれたい。
 A全世界の核兵器廃絶に向けた取り組みを強化するよう、政府への働きかけをされたい。
 B新ガイドライン関連法の成立により、「周辺事態には自治体と民間の協力」が求められるが、参戦につながるこの「協力」は、拒否されたい。
 C広島・長崎に原爆が投下された八月六日・九日には、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う思いをこめて、サイレンを鳴らすなどの行動を行い、広報などでその趣旨を広く住民に周知されたい。
D自然環境保護政策を推進されたい。
E自転車道及び歩道の整備を推進するなど、自動車中心社会の緩和政策を推進されたい。
ある市では三年目にして市長が顔を見せ、メッセージの中で平和行政への関心を示していた。しかし、一方でこの市長は改憲賛成派ともいわれている。
自治体では平和行政にあってはたがいに競争意識が働いているようだが、「周辺事態」で自治体と民間の協力が求められた場合、国論を二分する問題がでてくるようになると、現在の平和行政ではとても脆弱なとりくみにしかなってないように思える。
 熊谷コースはミニピースサイクルとして七月六日、十三日の両日で十三ヶ所の自治体へ要請行動をした。
また、十三日には、群馬ピースネットの引継ぎ集会が国労熊谷支部事務所で行われた。
 浦和コースでは、昨年までは浦和市、与野市、大宮市へ要請行動してきたが、今年五月、三市合併により「さいたま市」一市への要請行動となった。三市合併にあたっては市民運動の合併反対署名運動があった。また、市議会では議員任期の二年繰り延べを決議してしまった。これに反対する署名運動と請願があったが議会では否決された。議員の中にはこれを機に辞職した議員も出た。「さいたま市」は二年後政令都市を目指して近隣の上尾市、伊奈町を合併しようとしているが、上尾市では事実上の吸収合併となるので反対運動が起きている。最近では賛成派の運動も活発化しており、国策である地方分権と自治体合併推進の余波はまだ続きそうだ。
 蓮田コースは昨年より春日部市がつながりコースの延長がされた。今年は春日部市と岩槻市の間を八人で実走し、日森さん(衆議院議員)、春日部市議員も一緒に自転車で走った。岩槻市役所前で引継ぎが行われ、丸木美術館まで全員完走した。
 各コースの終着、ビールで無事に完走したことに乾杯。総括集会が開かれ各コースの取り組み状況の報告がされた。司会から寄居コースは本日実走されているかどうかわからないとの報告があった。しかし、少し遅れて家族と友人たちで到着、参加者から大きな拍手で出迎えられた。また、丸木美術館事務局長からもあいさつあった。
 この後、都幾川河原でバーベキューでの交流会が開かれ、来年はもっと参加者を増やすことを約束して、郵政労働者の団結ガンバロー三唱でしめくくった。(埼玉通信員)

東京

東京ピースサイクルは、七月十八日から二日間の日程で行われ、延べ四十人が参加した。十八日は、千葉県松戸市役所から東京都江東区潮見教会まで走り、千葉ネットから引継ぎ、翌十九日はビキニ水爆実験で被爆した第五福竜丸展示館と練馬区役所の二カ所から出発し、途中、東京都庁で合流して大田区の本門寺を目指し走った。二十日は、神奈川県川崎市にある平和館で神奈川ネットの出発式に参加し無事に引き継いだ。
 今回は初めて訪問する葛飾区役所と東京都庁、文部科学省を訪れ、平和事業の推進や戦争非協力などを要請した。文部科学省では、「新しい歴史教科書をつくる会」による「歴史」と「公民」の教科書が、韓国や中国など近隣諸国の抗議にもかかわらず、文部科学省の検定を通過し、各地でそれを採用する動きが強められていることに対して抗議するとともに、アジア近隣諸国の再修正要求に応じること、また、新潟県刈羽村で行われたプルサーマル計画の賛否を問う住民投票で計画反対が上回ったことを尊重し、プルサーマル計画を中止すること、脱原発社会へ向け、エネルギー政策の見直しを転換するよう書いた要請書を読み上げ手渡した。その後、中国人強制連行裁判で東京地栽が原告の請求どおり、国に対して二〇〇〇万円の支払いを命じた画期的な勝利判決を勝ち取った故劉連仁さんの息子・劉煥新さんが首相官邸前で国に控訴しないよう呼びかける行動にピースサイクルとして参加し激励を行った。
 今年も東京都庁への申し入れを行い、ここで新宿の平和資料館を見学し、到着した練馬ピースと合流した。石原都知事は、昨年九月三日に、陸海空三軍七一〇〇人を動員した「ビッグレスキュー東京二〇〇〇」という大防災演習が都内で行った。そして、今年も九月一日に、三多摩地区を中心に「ビッグレスキュー東京二〇〇|――首都を救え」を実施する。これに対して、ピースサイクルは、@一向に改めない石原差別発言の撤回、A自衛隊を前面に押し出した防災演習の中止、B羽田空港や港湾施設、病院や公園などの都の施設を戦争協力のために使用しないことなどを要請した。
 その後、私たちは目黒区の祐天寺に向かった。祐天寺には浮鳥丸で亡くなった遺骨が収められていて、経緯などお話を伺った。続いて大田区の本門寺に行った。本門寺は、力道山のお墓をはじめ、アジアにかかわるお墓が多くあることが改めてわかった。
 私たちは東京ピースサイクルの実走を終え、交流会へと場所を移した。翌二十日には、神奈川ピースに無事に引き継いだ。
 今回、実走を終えて、改めて車の怖さを実感した。歩道は人でごったがえし、車道には駐車の車が列をなし、走行車との間を縫うように走った。いつ駐車中の車のドアが開くかわらない恐怖の中をヒヤヒヤしながら自転車を走しらせた。平和を訴えるビースサイクルも命がけだ。(東京通信員)


国の劉連仁裁判控訴を糾弾する

 東京地裁民事十四部(西岡清一郎裁判長)は、七月十二日に、戦時中に強制連行され十三年間、北海道の山中で暮らした中国人の劉連仁さん(故人)に対し、二〇〇〇万円を賠償するよう国に命じる戦後賠償訴訟での画期的な判決をだした。この判決をうけて、来日中の劉連仁さんの長男・劉煥新さんをはじめ、弁護団、支援の人びとは、国にたいして控訴の断念を求めて首相官邸、外務省、厚生労働省などへ働きかけをおこなってきた。
 しかし、七月二十三日、国側は、東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。国側は控訴理由として、@劉さんの保護義務を認めた判決には根拠がない、A逃亡中の劉さんの生命や安全が脅かされるという予見可能性はない、B損害賠償権が二十年で消滅すると定めた民法の除斥期間の適用は正義公平の理念に反していない、などをあげている。
 七月二十七日に、東京地評会館ラパスビルで、「緊急報告集会――七・一二中国人強制連行・劉連仁判決を確信して、控訴審の新たな闘いへ!」が開かれた。
 集会で劉煥新さんは次のように述べた。
 東京地裁の裁判官たちの勇気をもった判決に感謝したい。父の遺志が報われた思いだった。しかし、控訴をした日本政府は、教科書問題や靖国神社参拝など平和に対抗する姿勢であるが、これと劉連仁問題と根っこは同じだ。
 劉連仁事件は孤立した問題ではない。中国では八月中ごろにも被害者の連合会がつくられる。中国の各地で資料収集・調査を行い、組織をつくっていく。そして、アジアとくに韓国の人びとと一緒に戦後補償に取り組んで行きたい。
 劉連仁訴訟弁護団の森田太三事務局長は、地裁判決の意義について述べ、これを足がかりとして、またより広範な人びとの輪をつくって控訴審を闘おうと発言した。
 中国人戦争被害者賠償請求事件弁護団と劉連仁訴訟弁護団による「劉連仁事件の控訴に対する抗議声明」は「……われわれは、今回の国の提訴について断固抗議するものである。同時にわれわれは国の控訴にもかかわらず、一審勝訴判決の意義は、みじんも揺るがないことを確信する。今後、控訴審において、あらためて完全勝利することを確信し、中国人強制連行・強制労働問題の全面解決に向けて、いっそう闘いを継続・強化してゆくことをここに宣言する」と言っている。
 国の控訴に抗議の声をたたきつけよう!


あの教科書だけは、子どもたちに渡せません!

 教科書採択問題は八月中旬には各地の結論がでそろうはこびだ。
 いま報道されている栃木県小山市など下都賀採択地区、東京の杉並区、千代田区、国立市などをはじめ、「つくる会」の採用策動に対して、各地で市民が反撃し、全国的に激しい闘いになっている。教科書採択地区数は全国で五百四十二カ所ある。問題の栃木県下都賀郡や東京の千代田、杉並、国立などでは「つくる会」に連動した一部の動きを阻止したが、東京都のその他の採択地区をはじめ、決して楽観できない。
石原慎太郎東京都知事は都教育委員会に「つくる会の教科書採択」を厳命した。その結果、都教育委員会が採否を決定できる都立の養護学校など計四五校二分校で採択の動きがある。ひきつづき闘いが求められている。
 産経新聞の報道によると、扶桑社の歴史・公民教科書を採択することを決めた私立学校は、常総学院(茨城県土浦市)、国学院栃木(栃木市)、麗澤瑞浪(岐阜県瑞浪市)、津田学院(三重県伊勢市)など二〇校という。
 七月二十四、二十五日に行われる東京杉並区の教育委員会が行う教科書採択向けて、「あの教科書だけは子どもたちに渡せません!」と二十四日十二時半から一時間にわたって杉並区役所を囲む「人間のくさり」が行われ、炎天下、五五二名の人びとが参加し、成功させた。
呼びかけたのは「杉並の教育を考えるみんなの会」(代表・山住正巳・前都立大学総長)など。
 山田杉並区長は昨年十一月、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択をめざして、多くの区民の反対を押し切り、三人の教育委員の更迭を強行し、新しく「つくる会」の関係者が二名、任命された。
 今回の教育委員会での決定は今後四年間、杉並区の区立小・中学での教科書を決定するわけで、侵略戦争美化、国家主義的歴史観、女性蔑視の思想に貫かれ、憲法も民主主義も否定する教科書を子どもたちに押しつけることは許さないと、この日の行動になった。
 杉並区役所前では山住代表をはじめ、杉並区のさまざまな市民団体の発言や、在日の有志、中学生の発言などが相次いだ。同じ日、国立市でも人間の鎖が行われた。
 翌日の杉並区の教育委員会では多くの区民が傍聴する中、五名の委員のうち二名が「つくる会」の扶桑社版教科書の採択を求めたが、三名が反対して否決された。
 右派や産経新聞社などは「不当な組織的圧力があった」などと抗議のキャンペーンをしている。闘いはつづいている。


金曜連続講座講演記録

 
小泉政権の改憲論 A  ポピュリズムと右派原理主義の結合批判

                                         高田 健


 七月十三日、東京の文京区民センターで市民講座の「戦争と平和を考える金曜連続講座」運営委員会が開いた同タイトルの講座での高田さんの講演の要旨を、前号につづき二回に分けて掲載した。(編集部)

九条改憲問題と集団的自衛権・有事法制、靖国参拝

 小泉首相は九条改憲をしたいが、いますぐ実行するには難しいので首相公選を先にやりたいと言っている。だから九条改憲は焦眉の問題にはならない。何年かかかるだろう。
 しかし、ブッシュ政権になってからの九条問題に関するアメリカの要求には厳しいものがある。そこで小泉政権は文字通り究極の解釈改憲論を生み出し、切り抜けようとしている。
 歴代自民党政権は「集団的自衛権は国際法上は持っているが、憲法違反だから行使することはできない」と言ってきた。にもかかわらず小泉首相は「集団的自衛権の行使は違憲ではないのではないか」という考えを打ち出した。これは中曽根康弘元首相などがしきりに説く論理だ。
 「保有しているが、使えない」というのはおかしい説明だと誰しもが思いがちだ。そこを小泉は「おかしいよね」と突く。これが「わかり易い言葉だ」とウケる。だが間違っては困る。このように説明してきたのは自民党歴代政府とそのもとでの内閣法制局なのであって、われわれや野党が言ってきたのではない。
 たしかにこの内閣法制局の説明は一見、矛盾している。まわりくどいし、わかりにくい。そこをスッキリと「国際法で認められているのだから、当然使ってよいのではないか」と小泉は言う。それで従来の憲法解釈を突破しようとしている。これが小泉の危険な政治手法の特徴だ。
 靖国参拝の問題も同じだから、ここでふれておきたい。
 小泉は先の総裁選の中で軍人恩給連盟や遺族会にいる自民党員の支持を獲得するために「首相になったら靖国を参拝する」と公約した。小泉はこの夏、八月十五日に靖国参拝をかならずやるといっている。中国や韓国やアジアの国々が非常に神経を尖らせているにもかかわらず、靖国参拝を強行する姿勢だ。そのための小泉が言う論理が「国のために死んでいった人を追悼して何が悪いかわからない」というものだ。彼は「公人とか、私人とか、憲法の政教分離だとかは関係ない」と居直る。
 「公用車を使うか、使わないか。玉串料はポケットマネーにするか。内閣総理大臣と書くのか、書かないのか。神道形式で何礼何拝するのか」などなど、こういうことは政府が「首相の参拝は憲法違反ではない」と言い包めるために、説明してきた。それを小泉は人びとに「こんなつまらないことを議論している」からダメだと印象づけようとしている。少なくとも「産経新聞」などは、そのように従来の政治を批判している。これが「聖域なき構造改革」の一環に組み込まれ、キャンペーンされる。
 だが、なぜこういう議論になったのか。日本国憲法に政教分離原則が明記してあり、靖国神社は戦後、宗教法人になったのだから、国を代表する人間がそういう特定の宗教施設をお参りすることはできない。これは憲法の原則だ。だから、公人か、私人かという議論は間違いなくまやかしだ。内閣総理大臣と肩書きを署名しようがしまいが、公用車で行こうが、ハイヤーで行こうが、内閣総理大臣や閣僚が靖国をお参りするのは憲法違反だ。こじつけてきたのは自民党と歴代内閣だ。小泉がまずいと思うなら、歴代自民党の解釈改憲ではなく、憲法を変えるしかない。
 そこを責任転嫁したうえ「宗教的活動であるから(参拝が)いいとか悪いとかいうことではない。A級戦犯が祀られているからいけない、ともとらえない。私は戦没者に心からの敬意と感謝をささげるために参拝する」「戦没者にお参りすることが宗教的活動だと言われればそれまでだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」(十四日、衆院予算委員会)などと言う。
 そして「なぜそんなに批判されるのか分からない。戦没者にたいし、敬意と感謝の誠をささげたい。嫌なことがあると『特攻隊の気持ちになってみろ』と自分に言聞かせている。つらいことがあればそういう気持ちを思い起し、苦労は何でもないと立ち向かっている」(二一日、参院予算委員会)と、愛読書が「あぁ同期の桜」という小泉らしい感情論のレベルでひどい発言もした。
 靖国神社参拝問題は、簡単に言えば問題点はふたつある。
 ひとつはすでに述べた憲法の政教分離原則違反。もうひとつは歴史認識の問題、戦争責任・戦後責任の認識の問題だ。
 中国や韓国が靖国神社に参拝する問題にあれこれイチャモンつけるのは内政干渉だという人たちがいる。恐いことだが「そうだ」と思う人がすくなくない。
 しかし、断じて違う。戦争責任の問題は、その戦争の被害をうけ、多大な犠牲をこうむったアジアの人びとが当然、主張する権利がある。「内政干渉」などではない。東条英機らA級戦犯がドサクサまぎれで靖国に合祀されてしまった。靖国にお参りするということは東条英機にもお参りすることになってしまった。
 だから自民党の野中広務などは多少、そこらへんの問題は心得ているから、ある時期、A級戦犯の分祀を提起した。しかし、靖国神社がいうことをきかなかった。「政治の介入だ。神道はいったん祀った人を差別することはしない」と拒否して沙汰止みになった。
 時間がないので詳しくは触れないが、靖国には戊辰戦争以降の二四六万人が祀られているというが、すべて天皇の裁可があったものだけを祀っている。だから例えば会津戦争の会津軍はダメ。その後、明治政府に反乱した西南戦争の西郷軍の戦没者は祀られていない。戊辰戦争の時に幕府打倒に頑張った長州諸隊の内の被差別部落民たちの諸隊は差別的な理由から排斥された。これはあとであらためられたというが……。それでいてA級戦犯ははいっている。そしてもちろん、東京大空襲や広島、長崎の被災者は祀られていない。私は祀れというわけではないが……。まさに天皇の軍隊だけだ。
 こういう問題をすべて切り捨てて、「率直にお参りしたいと思うのがなぜ悪いか」と単純化する。争点をそらす。これが小泉のポピュリズムの形態だ。なんとなく受ける。しかし、これを支持する有権者はやはりまちがっている。
 アジアからみて、こういう日本人はどう思われるのか。大変気味が悪いのではないか。
 この前まで内閣支持率が一桁台だったのに、同じ派閥の長に交代したら、いっきに支持率があがって八、九十%という。自民党本部には一辺十五メートルという巨大な小泉首相の写真がかかげられる。小泉はそれをやめさせようともしない。これはおかしいのではないか。
 きびしくても、ある時期に少数になっても、断固として原則的に闘わないかぎり、事態はかわらないのではないか。ポピュリズムとの闘いにはそういう要素があると思う。
 ちょうど政治改革・小選挙区制に賛成しないのは守旧派で、政治を論ずる資格はないといわれた時に、民主党まで含めて雪崩うった結果が今日の政治状況を生み出した。同じように、小泉改革を支持しないのは守旧派だと言われる。しかし恐れず、躊躇せず、闘う以外にないと思う。

防衛庁の省への昇格法案

最後にいくつかの問題を付け加えたい。
 これは支配層の政治というものがいかに醜悪なものかを示す最近の事件だ。
 今度の国会が終わろうとする前日、国会に突如、防衛庁の「防衛省への昇格」を実現する法案が保守党から出された。
 国会は終わるのだから、絶対にこんな法案は通らない。当然、継続審議になった。そのしばらく前に自民党からこの案が出される動きがあった。その時に小泉首相はあまりそういうのばかりだしたら「タカ派と言われてしまうからやめてくれ」と言った。それで自民党はやめた。今度は保守党が出した、それを自民党が支持した。しかし、この国会では終わり。どうしてこういうことをやるのか。
 実は防衛庁関係の防衛族の票は百万票あると言われる。連立の一翼を担う保守党はいまのままでは扇千景党首以下、落選確実だ。保守党に法案を提案させて得点を与え、自衛隊関係者の票を保守党に分けたいということだ。自民党はそれを援けた。この連中は防衛庁の省への昇格という憲法違反のたいへんな問題を、選挙の小道具に使う。
 「皇室典範の改定」問題という憲法問題もでてきた。皇太子の妻の雅子が妊娠をした。いままでは雅子に子どもができなかった、弟の子どもたちも女性ばかりで皇位継承できる男児がいないということで心配していた。しかし、今度は雅子に子どもができたら、もし女だったらどうするかということも心配になった。だから皇室典範を変えて、女性でも天皇になれるようにしようという動きがでてきた。山崎拓もその本の中で同様の主張をしている。「女帝は時代の流れだ」などという。
 そしてこの皇室典範の改定による女帝の容認の問題と合わせて、「退位の自由」も語られている。天皇が辞める自由。「天皇に基本的人権の職業選択の自由を認めるなどというのは恐れおおいことではあるが、これは認めなくてはならない」などと説明する。
 実はこの前の昭和天皇に困ったわけだ。いまは天皇が死なないと次の天皇に代われない。病気になって、寝込んでしまうと天皇の仕事ができない。だから今度は、あのようになったら、「職業選択の自由で天皇を辞める」と宣言できるようにしたいわけだ。こんな議論もされている。
 国連常任理事国入りの問題も、前からではあるが、ODAの力にあかせて画策している。当然、第九条との関連が問題になる。
 つぎつぎに小泉政権のもとでこれらの改憲問題が登場する。きわめて単純化された議論が世の中をおおい、「改革か、保守か」の対決などと言われるような議論が横行している。「九条を守れ」などというのは守旧派で改革に反対するものだなどと言われる。
 この単純化された議論にたじろがず立ち向う必要がある。
 しかし、本当に深刻で、悲壮になっているのはどちらなのかということを見極めておく必要がある。
 冒頭に簡単に経済の問題を述べた。小泉は本当は頭が痛い。この経済は改革しなければ、日本資本主義はどうにもならないのは誰にも明らかだ。小泉政権の下では冒頭にいったようにここ数年の間に失業率が八%にもなり、失業者が五百万を超えるような事態になりかねない。
 事態はこれから大きく激動していかざるをえない。そのような中で、政治の動向、経済の動向、民衆の動向、いずれも大きく揺れるゆれざるをえない情勢だ。

闘いが展望を切り開

最後に、朝日新聞の世論調査の数字を紹介して、考えておきたい。
 憲法を改正したいという人びとはたしかに増えている。これは事実だろう。同時に憲法九条に関していえば、朝日の調査では七四%が改定反対だ。毎日新聞が、高校生の調査をやった時も憲法九条への支持はずばぬけて高かった。
 もちろん、日米安保体制を維持しなければいけないというのも七四%いる。だから安保条約も、憲法九条も変えないほうがいいというのが同じく七四%だ。
 だから小泉の改憲はそう簡単にはいかない。これからはその世論の争奪戦ではないか。ここに力を注がなくてはならない。楽観できるものではないが、可能性は大きく存在する。改憲の側も、改憲の提起の仕方や、国民投票のやり方などを必死でくふうするし、メディアでの大々的なキャンペーンがやられるので、簡単にこの数字のようにはならないが、しかし、あきらめる必要はない、希望が持てる数字でもある。私たちの闘いに可能性がある。
 憲法調査会が始まって一年半になった。これをはじめる時に中曽根元首相は二年で議論を終えて、三年目から各党が憲法改正案を出して、二〇〇六年に憲法改正を終えると言った。
 いま山崎拓は二〇一〇年に憲法改正を終えるといっている。最近、中曽根もあと十年で改憲はかならずできるなどと軌道修正した。一年たって中曽根のスケジュールは大きくズレてきている。この間、いろいろな闘いがあり、さらにKSDの件で参議院の村上会長が巻き込まれ、参議院憲法調査会の討議はほとんど進んでいない。
 明文改憲についてはかなり闘える見通しはつきますが、集団的自衛権など、アメリカの要求で改憲派が改めてだしてきている「新たな解釈改憲」の動き、従来の解釈改憲の枠をまったく突破した解釈改憲、この集団的自衛権の問題について反対する世論を作り出すことができるかどうかがカギになっている。これは難しい課題だ。しかし、これを許さない世論を作り上げなければ、明文改憲は先になっても、実態は作られてしまうことになる。いまこれが問われている。 (おわり)


記録映画 梅香里(メヒャンニ)

        2001年梅香里製作上映委員会作品   カラー 78分

                             監督・西山正啓
                           音楽・ウォン・ウィンツァン
                            語り・本多和子


 
「梅香里」、なんと美しい名前の里だろうか。「韓国ソウルから南西に六十キロ、広大な干潟と豊かな海の幸に恵まれ、人々がおだやかに暮らす漁村」で「春になると海岸線に群生する梅の香が村中に満ちる」ことから名付けられたという。本紙でもたびたび登場してきたこの「梅香里」は、いま韓国の米軍基地に反対する闘いの最前線の村の名前だ。
 沖縄での試写会につづいて、七月上旬、東京でも映画「梅香里」の試写会が行われた。
 沖縄で試写を観た名護の辺野古のおばあたちは「隣の韓国に同じ思いを持って闘っている人たちがある。元気づけられたよ」と語ったという。
 東京の試写会には西山正哲監督も参加し、映画「水俣」などの土本典昭監督や、映画「在日」の呉徳洙監督なども参加し、さらにこの映画を製作した大分の湯布院の製作上映委員会から「米軍基地と日本をどうするローカルNET大分・日出生台」の松村真知子さんが出席した。
 この製作にあたった西山監督は土本監督の「水俣」製作で助監督をつとめ、その後、「みちことオーサ」「ゆんたんざ沖縄」「しがらきから吹いてくる風」「水からの速達」などの作品で知られている。
 製作上映委員会の松村さんは「国境を越えて世界中に展開する米軍基地問題を解決するためには、こちらも国境を越えて、現地の住民同士が交流し、情報交換することが重要になると考えた……沖縄、韓国、日出生台(湯布院)という米軍の基地や演習場の現地とされた住民たちの交流から生まれた『地域合作映画』と呼べるのではないか」と語っている。
 この映画を見ていて思うのは、「梅香里」の米軍基地と米軍演習の問題は特別の問題ではなく、沖縄や、全国の基地で、あるいは筆者もかつて訪れたことがあるフィリピンのアンヘレスやオロンガポで見聞きした話に、あるいはきっと中米ビエケスの人々の闘いに普遍的な問題でもあるということだ。
 朝鮮戦争によって、一九五一年、梅香里は米軍戦闘機の爆撃演習場とされた。以来、豊かな海は奪われ、基地被害に苦しめられ、人権と生存権が侵されつづけている。しかし、ひとびとは生活をかけて海に入り、土地を耕し、基地と闘ってきた。爆撃演習のたまの合間に出る海で獲れる牡蛎などの豊かさには驚かされる。豊富な海産物の獲れる海であることが映像を通じてわかる。
 主人公は漁民の全晩奎さんとその家族たち。全さんたちの闘いは国家保安法のもとで、外部から遮断され、孤立した闘いを余儀なくされてきた。にもかかわらず、不屈に抵抗をつづけた全さん。この全さんたちの闘いに若い学生たちや労働者たちが支援にかけつけるようになった。
 大分在住の作家の松下竜一さんがいう。
 「想像を絶した苦難と不屈の抵抗を、しかし全さんは声高には語らない。静かで淡々とした話ぶりに、暮らしに根ざした闘いの勁さがかえって浮き彫りとなるようである。アメリカ大使館前で抗議に立つ全さんに、通りすがりの女性が声をかけるシーンがある。『あなたの韓服はいいですね。スーツなんか着ないでくださいよ』というのだ。偶然にもこんなシーンをとらえてしまうところが、記録映画の妙というべきだろう。梅香里の全さんは、いつも韓服姿である」と。
 この映画は全さんたち梅香里の民衆の闘いと、米軍犯罪根絶運動本部の女性たちの闘いなどを通じて、米軍基地に反対する韓国民衆の力強いメッセージをとどけている。全国の各地域で上映ができたらすばらしいことだ。
 上映希望者は上映委員会事務局03(3394)3734まで。
 参加者が百人未満の場合は貸し出し料金四〇〇〇〇円。上映にはビデオプロジェクター、スクリーン、音響設備などが必要。 (K)


部落史から取り残された諸賤民について C
                             
大阪部落史研究グループ

三昧聖の伝統的特権と独立運動

 古代から中世そして近世へと時代の変遷とともに仕事の意味と役割の内容も変化してくる。近世においても三昧聖は個々の職場においては墓郷の村々の指示に従い、黙々と職分を果たしていた。しかし、一方では惣墓を管理する宗教者として三昧聖が自己主張をし始めていた実態が伺われる。これには地元墓郷や村方菩提寺(公認宗派寺院)との惣墓敷地の諸権利問題や惣墓での葬儀作方をめぐる行き違いによって一気に吹き出してきた。三昧聖としては従来からの諸役免除特権(村方からの負担配分を拒否できる)に加え、ここで除地をも特権化して惣墓における三昧聖の職分に対し、村方や菩提寺からの口出しを一切排除しようとした。そのためにあちこちで紛争となり当事者同士の解決が困難となり、公儀へ持ち出されることもあったようだ。
 三昧聖のこの伝統的特権についてもうすこし付け加えてみると、その一つに『除地』のことがある。江戸時代、朱印地・見捨地以外で、租税を免除された土地が除き地で、彼らの職場が村方、寺院側、あるいは三昧聖が共有している惣墓も除地であった。
 二つには、惣墓の管理、運営権や墓郷の村々に対するナワバリ権(葬送業務の排他的独占受注権)があり、葬送に際しては身分や格によってそれぞれ銀何匁、着物何反あるいは施主の志し次第とそれぞれにあわせて報酬をもらっていたようだ。また葬送のときに使用される輿あるいは着物、その他供え物など一切も取得する権利もあった。ただ輿など何回も使用できるものの返却や報酬については村や寺院などと再契約を結ぶことはあったようだ。
 村方や菩提寺との紛争の背景に江戸幕府の宗教政策と身分制度があった。それが寺院本末制度で幕府の寺院に対する二重支配、つまり各宗派の本山・本寺に対しその地位をまず認め、本山・本寺と師資相承の関係をもつ寺院を末寺として組織化する権限を与えた。また、幕府は地域の領主(大名・旗本・代官)たちに寺院を掌握させ・本山の許可なく私に新寺院を建立することを禁じ、私に寺号、院号をつけることも禁じた。一七四五年にこの政策がほぼ完備することになる。しかし、宗派・寺院の確定政策から三味聖は漏れてしまうことになってしまった。
 畿内の三昧聖集団が龍松院を本山と仰いで組織化する契機となったのが、十七世紀末の東大寺大仏再興事業である。事業を担った公慶上人が活動拠点(勧進所)として開設したのが龍松院であった。東大寺が大仏開眼供養の式典の末端に三昧聖の参加を許したのは勧進への協力に報いるためであり、以後十八世紀前半から十九世紀半ばに至る時期には龍松院から三昧聖に対して通知や免状が出されている。また、この時期には三昧聖の間で行基信仰が高揚した。

三昧聖の独立運動と組織化 

 東大寺と行基信仰を結び付けた絆は行基伝説であり、「行基開創の墓地と職分を継承している」という由緒が三昧聖の特権とプライドの保持に大きな役割を果たしていく。これらの動きが天明綸旨申請である。龍松院を本山とし、龍松院への綸旨発給を公儀が許せば、各職場の三昧聖の集団全体が正規宗教団体として公儀に認可されることになる。それに併せて墓地(職場)リスト『三昧明細帳』を作成し、火葬場、墓地の概要と葬送業務の独占受注権、職場の人員構成が詳細に記録されており(近年急速に研究成果が積み上げられている分野)、自分たちの職分の宗教的な歴史的な意義づけを作っていった。その結果、勧進所龍松院を結節点とする畿内五カ国の国をこえた大集団へと組織化に成功していく。
 これらの動きに各地の村方は惣墓の土地所有権まで龍松院が支配するのではたまらないと猛反発した。また、三味聖の独立運動は意外な所から冷たく突き放された。それは大坂などの大都市の三昧聖である。彼らは奉行所の取り調べで「われわれは龍松院とは一切関係ない」と申し述べ、否定した。先の高田陽介氏は、『三昧聖』の中でその点をつぎのように解説している。小規模の地方、農村部においては独占的に仕事のできるナワバリが必要だった。これに対して大都市ではいつも出てくる大量の遺体のため、排他的ナワバリを確保しなくても、充分やっていけたのではないかと。例えば、道頓堀では一年間に七千人、少ない年でも六千人の火葬をしていたということである。いずれにせよ三昧聖の独立運動は失敗に終わるが、組織統制強化には貢献し、十九世紀には組織は完成期を迎える。しかしそれもつかの間、明冶新政府の免税特権剥奪、火葬禁止、葬送業独占解体などの急激な政策展開を受けて、集団は崩壊する。(つづく)


複眼単眼

         8月15日雑感


 まもなく八月十五日が来る。
 「常識的」には八月十五日が「終戦記念日」と言われる。「終戦」ではなく「敗戦」だというのは正論だが、これはさておくとしても、この「常識」には問題が多々ある。
 「八月十五日」は裕仁天皇が「玉音放送」と言われる「終戦」の放送をして、「国民に戦争を終わることにした」と報告した日であること以外には歴史的にはなんの意味もない。また「玉音」などというが、これはナマ放送ではなく、事前に吹き込まれた録音盤による放送だ。この「録音盤」
の争奪戦の逸話は本欄のテーマからは外れるので省く。
 日本軍と天皇制政府が連合国側のポツダム宣言を受け入れることは八月十四日に決定し、ただちに連合国に申し入れている。 そして九月二日に、米艦ミズーリー号の艦上で日本政府代表が連合国に対して降伏文書に調印した。 以前からさまざまな人びとが指摘しているが、「敗戦記念日」にはこのいずれかが妥当なのだ。
 しかし、「敗戦記念日」は八月十五日にされた。
 たしかに朝鮮や韓国、中国など、アジアの人びとは十五日を日本の敗戦記念日、すなわち解放記念日としているが、日本の側から厳密に見れば、八月十五日説はおかしいと言えるのだ。
 これは天皇の「終戦の聖断神話」がからむからよけい問題が増幅される。繰り返すが、十五日は天皇が前日に吹き込んだ録音で「国民に敗戦を告げた」日にすぎない。これを記念日、歴史の区切りとするのは、「裕仁天皇の御聖断で、これ以上の苦しい戦争の惨禍から国民は解放された」と誤解させるための伏線になっている。
 冗談ではない。山川暁夫同志が常々指摘していたように、「聖断」どころか、例えば二月十四日に近衛文麿が降伏を天皇にすすめめた時に「もうひと勝負してからだ」と降伏を拒否したのは裕仁だった。その間に東京と大阪の大空襲の被害と、沖縄戦、そして広島・長崎の原爆の惨禍があった。裕仁の指示でいたずらに百万人からの無用の犠牲をこうむったのだ。
 この日、小泉首相は靖国にいくという。「好戦的だからではなく、二度とああいう戦争を起こしてはならないと思うからだ」などと弁明しながら。
 こんなおろかな発言をききながら、これを支持する現在の多数派とは何かを考える。
 戦後、「一億総懺悔」論が主として支配層の側から言われた。
 これに対して共産党など左翼は「それは戦争の推進者と動員された犠牲者を一括してしまい、真の戦争責任をあいまいにする」と反対した。筆者もそう考えてきた。
 しかし、いまあらためて考える。ここに戦後思想の落とし穴はなかっただろうか。支配層の意図は別として、民衆の側からもっと真剣に「一億総懺悔」の問題を議論すべきだったのではないか。それがために、今日の「教科書問題」が発生し、日の丸・君が代問題があり、軍事大国化があり、改憲の動きがあるのではないか。あるいは戦争責任、戦後補償、戦後責任などの問題が、いまなおあいまいにされているのではないか。
 最近では八月六日の原爆忌に、広島では原爆の被害と同時に軍都広島の加害性が語られるようになった。あの戦争で民衆の多くは被害者であると同時に加害者でもあったこと、この両者の関係をどうとらえるかなどの議論、思想的な総括が、左翼を含めて戦後の日本中に不足していた。
 丸山真男が「共産党の天皇制」「共産党の戦争責任」の問題を指摘した時に、共産党は烈火のごとく怒った。宮本顕治らはついこの前まで、丸山を痛烈に攻撃していた。ここにも大きな問題が潜んでいた。「獄中××年」を語ることで、共産党を神聖化し、思想的な深化の契機を封じてしまったのだ。
 例えば日中国交回復以前の友好運動の交流の時に、訪中した日本側がいわば常套句的に「侵略戦争」について詫びる時に、中国側が「われわれは日本軍国主義の責任と日本人民は区別しています」と答えるのが常だった。この寛大さにみな感動したものだが、これに便乗してまた日本の民衆運動は、みずからの強固な反戦思想形成の契機を知らず知らずのうちに失っていたのではないか。
 あるいは日中国交回復の時に、中国側の賠償請求放棄についても、日本の政府は、民衆はどう考え、行動したのかという問題だって、あらためて問われていいのではないか。
 暑い八月、小泉ブームが突風のように列島を走りまくっている中で、いろんな考えが脳裏をよぎる。(T)