人民新報 ・ 第1032・33号 (2001年8月25日)
  
                                  目次

● 憲法違反の靖国参拝を強行した小泉政権は総辞職せよ
             アジアの民衆とともに闘争を堅持しよう

● 東京・千代田区長、右翼に屈服、松井さんの講演中止 
           「言論の自由を守れ」とすぐ反撃の集会

● 小泉首相は靖国参拝をやめろ! 官邸前で抗議のリレートーク

● 五六回目の8・6  広島で多彩な市民の行動展開

● 右翼の暴力に抗して靖国神社行動
      憲法に違反し、アジア民衆の声をふみにじる小泉

● 不戦の誓いをあらたに 草の実会一〇一回デモ

● 右翼の暴力・挑発を跳ね返し、「靖国・戦没者追悼式」反対集会

● 参議院選挙の結果と平和憲法のゆくえ 土浦市で平和のつどい

● ピースサイクル

   四国ピースサイクル / 伊方原発ストップ! エネルギー政策の転換を

   茨城ピースサイクル / 東海村から広島・長崎へ

   長野ピースサイクル / ピースメッセージ携え楽しく

● 一〇四七名の解雇撤回! 地元JRへの復帰!
          四党合意による闘争破壊を許さない

● 韓国政府の労働ネット・進歩ネットへの弾圧に抗議する

● 平和のための証言集会 外務省、北代表団の入国を拒否

● 靖国参拝反対  8・2院内集会/小泉参拝反対  8・8院内集会

● 金曜連続講座講演(要旨)
           天皇制の歴史と女性 / 鈴木裕子

● 図書 右派のジャンク・ブック 
    「永遠なれ、日本」(中曽根康弘・石原慎太郎対談集 PHP研究所)

● 中国映画「山の郵便配達」を観て
       八〇年代中国の 矛盾や苦悩を想う


● 複眼単眼  石原慎太郎の政治手法と民主主義




憲法違反の靖国参拝を強行した小泉政権は総辞職せよ
アジアの民衆とともに闘争を堅持しよう


十五日参拝ずらしは欺瞞

 歴史の流れと、内外の多くの人びとの声に逆らい、小泉純一郎首相は八月十三日、靖国神社に参拝した。靖国神社の発表では、この日、首相は参拝に先立ち、神道の儀式である「お払い」も受けたという。
 十五日には中谷防衛庁長官、武部農水相、平沼経産相、片山総務相、村井国家公安委員長らの五閣僚が参拝し、ほかに竹中経財相、塩川財務相、柳沢金融相、尾身沖縄北方担当相ら四人が「事前参拝」している。就任以降、すでに個別に参拝したという田中外相らもいる。
 まさにこの内閣は「靖国」信者で固められていると言わねばならない。
 また「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・瓦力元防衛庁長官)のメンバーが、山崎拓・自民党幹事長をはじめ八八名(ほかに代理百五人)で集団参拝した。橋本龍太郎元首相、綿貫民輔衆院議長、安倍晋三官房副長官らも参拝した。
 首相は就任以来、「日本の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に成り立っている。戦没者に対する心からの敬意と感謝の気持ちをこめて、八月十五日に参拝するつもりだ」と強弁しつづけてきた。
 にもかかわらず小泉首相は当初予定した十五日を「前倒し」して姑息にも十三日に参拝することで、あわよくば内外の批判をかわし、実質的な靖国神社の参拝の利を得ようとした。
 しかし、この日にちの変更自体はアジアをはじめとする国内外の人びとの切実な中止要求を無視して、憲法違反と侵略戦争賛美の靖国神社参拝を強行したという点で本質はまったく変らず、小泉純一郎の首相としての責任は即刻退陣に値する重大な問題だ。

植民地支配と侵略戦争を明確に認めない小泉

 小泉首相はあらかじめ用意された「十三日の談話」で「先の大戦でわが国を含め世界の多くの人びとに大きな惨禍をもたらした」「過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」として次のように述べた。 「あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることにあらためて思いをいた(すため)、……八月十五日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました」
 「総理としていったん行った発言を撤回することは慚愧の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国論益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責……にあります」などなど。
 また十四日、政府は社民党の議員の質問趣意書にたいして「首相が公的な立場にあるからといって、私人として行う場合を含め、一律に憲法に定める政教分離の原則に違反しない」との答弁書をだした。
 しかし、小泉首相が乱発する「平和」とか「犠牲者への哀悼の誠」などという言葉に真っ向から対立するのが靖国神社であり、これに参拝したうえで、「わが国の基本的考え方に疑念をいだかせかねないのであれば」などという文脈は、反対者の誤解にすぎないとの居直り発言だ。
 また「政教分離」の原則に反しないなどというが、靖国神社の発表で神道儀式による参拝を行ったのは明らかであり、どこからみても憲法二〇条違反だ。
 またこの「談話」で「植民地支配と侵略」に触れたことや、十五日の全国戦没者追悼式での式辞で「先の大戦において、わが国は多くの国々、とりわけアジアの諸国の人びとに多大な損害と苦痛を与えた」と国の加害責任に言及したことを評価する議論もあるが、それは早計だ。「侵略と支配云々」は一九九五年の「村山首相談話」を踏襲するものだと、山崎拓・自民党幹事長が解説していることから見てもなんら新しいことではないし、「わが国」の加害責任の問題も、これまでの日本が行ってきた植民地支配と侵略戦争全体への責任を認めたものとは考えられないからだ。この点では小泉政権への幻想や「評価」を広めることではなく、彼の欺瞞の「追撃」こそが必要なのだ。

対米追随とアジアでの孤立の道の選択

 小泉首相はこうしたさまざまな小手先の「しかけ」で、首相就任以降、いっそう危機に陥っている近隣外交を建てなおそうともがいている。
 実際、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書検定合格以来、韓国・北朝鮮、中国などをはじめとするアジア諸国との外交関係は最悪であり、アジアの人びとの中には日本軍国主義への警戒心が沸騰している。
 小泉首相が就任以来示した基本的な外交姿勢は、対米一辺倒であり、とりわけ覇権主義の志向が濃厚なブッシュ政権への支持と追従だ。就任してまっさきに駆けつけた日米首脳会談では、世界の人びとに小泉のその姿勢を見せつけた。対米追従のためにはアジアの批判を無視しただけでなく、地球温暖化問題での「京都議定書」批准拒否という理不尽なブッシュの政策を支持して、ヨーロッパ諸国をもあきれさせた。いま日本とアジア諸国の関係は戦後最悪というべき事態になった。
 笑止千万なことに、今回の「靖国参拝の十五日回避」の動機には、マスコミで語られているような連立与党内矛盾とか、アジアの世論への配慮だけでなく、「対米関係悪化にも配慮」(毎日・産経など)した結果だという。アメリカの意向を受けた外務省幹部が「日本が中韓両国との関係を悪化させた場合、ブッシュ政権等のアジア戦略が狂ってくる」と忠告したというのだ。

「靖国参拝阻止」の闘いはさらにつづく


 十五日を前後して、韓国や中国では日本大使館などへの民衆の抗議行動がつづいた。韓国では「小泉処刑!」などのスローガンをかかげたデモも行われた。台湾でも、香港でも、そして東南アジア各地で日本政府にたいする抗議の行動が展開された。韓国の人びとは来日して街頭や国会の前だけではなく、靖国神社に乗り込んで体をはって抗議行動を展開した。ところが政府はこれらの声を無視しただけでなく、市民集会参加のために入国を申請した北朝鮮代表団の来日を不許可にした。
 「反省」を口にしながら不当にも「劉連仁裁判」の控訴にふみきった。アジア各地からのさまざまな戦後補償のうったえにも耳を貸そうはしない。これらが「つくる会」の教科書問題とあわせてアジアの怒りの的になっている。
 国内でも参拝糾弾の声はかつてなく高まった。政教分離の憲法原則に違反し、アジアの人びとへの戦争責任・加害責任を認めようとしない日本政府にたいする市民や宗教者による運動は全国各地でひろがった。国会や駅頭での、十三日に至る連日の市民の抗議行動が高まった。十三日から十五日にかけては、韓国の市民運動の人びとが靖国神社で座込みを実行したし、多くの人びとが共同して右翼の「聖域」である靖国神社境内での抗議行動に立ち上がった。
 安倍官房副長官はごうまんにも「A級戦犯合祀について中国が批判するのはわかるが、日本人の批判はよく理解できない。国内的にはすでに恩給法などの改正で、A級戦犯の遺族も恩給の対象となっている」「ここ数年間、首相の参拝ができていない中で、小泉首相が行かれた意義は大きい。大切なのは何年も連続で参拝することだ。二、三年つづけても軍国主義にならないし、……毎年騒ぎが起きることにはならない」などと発言した。ここに小泉政権の本音がでている。こうした発言を断じて許してはならない。
 靖国参拝をめぐる小泉政権との闘いはまだ始まったばかりだ。


東京・千代田区長、右翼に屈服、松井さんの講演中止

             
「言論の自由を守れ」とすぐ反撃の集会

 本紙七月十五日号が報じた横浜での右翼の暴力事件につづいて、今度は東京の千代田区でまたしてもジャーナリストの松井やよりさん(元朝日新聞編集委員)への右翼による「集会・言論抑圧」事件がひき起された。
 松井やよりさんは日本の戦争責任やアジアの女性たちの人権問題について積極的な言論活動を行ってきた人で、昨年の女性国際戦犯法廷を成功させた主催者の中心的な人物であり、この間、「維新政党・新風」(代表・西村某)や「チベットに自由を」(代表・酒井某)などと名乗る右翼集団の攻撃のターゲットにされてきた人だ。
 八月二日、千代田区当局は「千代田区男女平等・人権課主催で八月十日開催予定の公開講座『インターネットと女性の人権』(講師・松井やより)」を「区長の決定で中止した」と講師の松井さんに告げてきた。
松井さんが理由を聞くと、「右よりの団体から、慰安婦や天皇の問題で活動している人物を講師にするのは行政の中立に反するものだと連日、メール、ファックス、電話での抗議があり、もし中止しなければ、講座前の三日間、区に抗議行動をするといっている。会場の建物には保育園などがあり、近所には病院もあるので、最悪の場合を考える必要があり、また千代田区には皇居や靖国神社などがある特別な区であることを考慮して、中止をトップが決めた」という。
 この決定がだされた八月二日には「チベットに自由を!」をと称する右翼が、代表の酒井某(東京大学教授)を先頭に十数名で千代田区役所に押しかけ、「机をたたき、言葉による暴力でまくしたて、男女共同参画センターの図書や国際平和推進課のポスター企画にまで言及し、見直しの約束を取り付けさせた」(千代田区議竹田靖子、寺沢文子、小枝すみ子連名の区長あての要請文より)といわれ、区長の決定はこのあと、これに対応して出されたものだ。
 この右翼集団は関東各地でほとんど同じメンバー十数人で、国際戦犯法廷関連の市民運動などへの介入を繰り返している札付きの集団で、市民運動家を装って市民集会などに介入し、破壊活動をしていることで知られている。

 事態を知った前記三名の無所属の女性の千代田区議会議員の呼びかけで、講座開会予定の八月十日、千代田区の区民集会室で「緊急集会ー集会・言論の自由を守ろう!松井やよりさんと集会・言論の自由を大いに語る会」が開かれ、千代田区内外から百数十名の市民が参加し、松井さんの報告をうけ、熱心に討議し、こころからの怒りを込めた抗議の決議文を採択した。
 集会で松井さんは冒頭に三〇分、中止になった講演で報告する予定だった「インターネットと女性の人権」について、考えていることを報告した。そのうえで「こうした集会にどれだけ集まるのか、失敗すれば右翼を勇気づけることになると心配していただけに、たくさんの市民が集まってくれてたいへん心強い」と述べ、次のように語った。
 「昨年の女性国際戦犯法廷は内外から多くの人々を結集し、天皇の戦争責任を明らかにし、有罪を宣言するなど大きな成功をおさめた。海外のメディアの関心は高く、世界各国で大きく報道された。だからこそ右翼の反撃も厳しくなった。終了後、まずNHKへの攻撃がなされ、報道がねじ曲げられ、骨抜きにされ、番組が改竄された。ホームページでは松井や『慰安婦』への執拗な攻撃がされ、国際法廷は欧米の白人キリスト教による陰謀だなどと言われた。これらの右翼はチベット問題やインドネシア問題などで動いている団体で、市民運動スタイルでやってくる。教科書ネット の俵義文さんも同様の攻撃を受けている。同じ人々が系統的に動いている」
 「松井への攻撃は国際戦犯法廷への攻撃であり、天皇有罪判決に対する攻撃だ。いま天皇と『慰安婦』とフェミニズムはタブーにされつつある。そしてこれらの一部の右翼の行動を許容する社会的風潮がある。グローバル化の中で、ナショナリズムと原理主義が台頭している。メディアがズルズルと右傾化している。敵が見えない形で攻撃され、その圧力を恐れ、言わない、書かないというムードが作られている。見えない敵の圧力とそれへの社会的無関心のなかで、ともすると社会の孤島にとじ込められているような感じに襲われることもあるが、本日のような反撃をつくりあげ、闘っていきたいと思う」と。
 会場からはドイツで教鞭をとっている女性、北海道から駆けつけた人、あるいは同様な圧力を学校の内外から受けている教員、千代田区の職員、区民などから、怒りと連帯の決意を表す発言があい次いだ。


小泉首相は靖国参拝をやめろ

              
官邸前で抗議のリレートーク

 八月三日、許すな!憲法改悪・市民連絡会が呼びかけた「小泉首相は靖国参拝を止めなさい!首相官邸前緊急リレートーク」が行われた。
 十二時半に衆議院議員面会所に集まった三〇名を超える市民たちが官邸前に向うと、麹町警察が阻止しようとした。「天下の公道を市民が歩いているのを阻止する根拠を示せ」と迫られて警官がタジタジになったところで、官邸に向かい大きな横断幕を二枚ひろげてリレートークを開始した。
 つぎつぎにマイクをにぎって官邸にむかって発言する市民たち。女性が、地域の市民が、宗教者が、無所属の区議会議員が、若者が、それぞれ小泉首相の靖国参拝中止を要求した。国会からは社民党の植田むねのり衆議院議員と福島瑞穂参議院議員が参加した。
主催者の市民連絡会事務局の高田健さんは「政教分離原則を定めた憲法に違反し、アジアの人々に敵対する靖国参拝を強行しようとする首相に直接、市民の意見を伝えるための行動だ」と主旨を述べ、練馬ネットワーク井上澄夫さんは「勝手に憲法違反ではないと解釈する方法での参拝を考えているだろうが、公でも私でも靖国参拝をしてはならない」と指摘した。また北区区議の古沢くみ子さんは「おかしいですよ、小泉さん。普段は歯切れがよいあなたが靖国参拝になるとなぜ寡黙になるのですか」と中止を呼びかけた。
 以降、国会周辺では連日、さまざまな市民団体による抗議の行動がつづいている。


五六回目の8・6

          
広島で多彩な市民の行動展開

 ヒロシマは八月六日、人類初の原爆投下から五六回目の日を迎えた。
異常とも思える猛暑が続く連日の天気が嘘のように、この日の午前中だけは何故かどんよりとした曇り空のなか、朝から各団体の式典に向かう人たちや、市民集会に参加する人、様々な思いを抱いて広島にやってきた人々があふれた。
前日の五日、全国各地から平和、環境、人権問題などを自転車に乗って訴えながら広島に到着したピースサイクルの仲間が、十二時に原爆ドームのピースサイクル到着集会に集い、六〇名の仲間が歓迎した。
 十四時から、今年も昨年に引き続き「8・6ヒロシマ平和のつどい2001」(湯浅一郎代表)が、YMCAコンベションホールで開催され、全国各地から一五〇名の仲間が集会に結集した。
「ヒロシマからの連帯、二一世紀のビジョン」のテーマを掲げた集会は第一部の発言者として、@上関原発問題はいま…と題して山戸貞夫さん(上関原発を建てさせない祝島島民の会)、A韓半島の自主的・平和統一を考えると題してカク・ムノさん(在日韓国民主統一連合広島本部結成準備委員会委員長)、B北東アジア非核地帯をと題してチョン・ウクシクさん(韓半島の平和のための市民ネットワーク)の各氏が現状報告と闘いの経過など発言された。
 そして特別アピールとして、国などを相手に被爆者として地位確認などを求めた「被爆者援護法裁判」の原告、カク・キフンさんが力強く被爆者援護法を在外被爆者に適用せよと訴えた。
第一部のまとめとして主催者代表の湯浅一郎さんが集会の趣旨を説明した後、小泉政権の下、新たな核軍拡、アメリカべったり、他方で靖国参拝問題、教科書問題でみられるよう、歴史をねじ曲げることで国際的に孤立の道を突き進もうとしている日本。人類初の原爆が落とされたヒロシマからの連帯の道を皆さんと探って行きたいと述べた。
第二部では、各地域、各団体からのアピールと討論がおこなわれ、ピースサイクルを代表して岡山ネットの下市このみさんが、ピースサイクル運動の歴史と必要性についてアピールを行った。
 六日、沢山の人々が集まった平和公園で「市民による平和宣言ビラ」がまかれ、原爆投下の八時十五分、原爆ドームを埋め尽くした人々は反核、平和の願いをこめてダイ・イン。終了後グラウンド・ゼロのつどいが今年も開催された。 グラウンド・ゼロのつどいでは、地元の音楽家による民族楽器を使っての平和音楽、大阪ピースサイクルの子供たちによる朗読劇、全国から集結した市民運動グループの平和アピールタイムなどが行われた。
 九時三〇分から、中国電力前で、上関原発に反対している祝島漁協や、住民、各地の反原発団体メンバーら約一〇〇人が参加し一時間、正面玄関前で抗議の座り込みを行った。座り込みでは「住民無視し、環境破壊につながる上関原発計画は撤回するべき」などと訴え、最後にシュプレヒコールを行い、集会を終了した。
午後からも各会場で平和集会、屋外ではデモ行進などが開催され、こうして、二十一世紀最初の八月六日は闘われた。(広島通信員)


小泉首相の靖国参拝糾弾


右翼の暴力に抗して靖国神社行動

       
憲法に違反し、アジア民衆の声をふみにじる小泉
     
 八月十五日。靖国神社の周辺は、早朝から緊迫した雰囲気に包まれていた。
 右翼の街宣車が道を埋め、一見してヤクザ風の連中が今日は右翼として黒の礼服、日の丸バッジに身を固めてうろつきまわっている。
 神社内では、旧軍の軍服姿の集団や、巨大な日の丸をかかげた右翼が行き交う中、英霊にこたえる会・国民会議主催の「戦没者追悼中央国民集会」なるものでは、小泉首相は堂々と十五日に参拝すべきだったとか、A級戦犯はいない、みな昭和殉難者だった、などとの侵略戦争を美化する反動的な発言や「同期の桜」などの軍歌が歌われたりしていた。
 しかし、反対派の行動も活発だ。
 全国各地で抗議集会が開かれ、いくつかの団体は靖国神社にむけて抗議行動をおこなった。
 九時半、国立千鳥が淵戦没者墓苑には、大島孝一日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会委員、弓削達フェリス女学院大学名誉教授、内田雅敏弁護士、小川武満平和遺族会全国連絡会事務局長、菱木正晴真宗大谷派反靖国全国連絡会事務局長などを世話人とする「8・15小泉首相の靖国参拝抗議実行委員会」の二百数十人が集合、十時過ぎから、「憲法に違反し、アジア民衆の声をふみにじる行為をやめて下さい」「小泉首相の靖国神社参拝に反対します」を掲げて、靖国神社にたいする抗議行動を開始した。
 「小泉首相はアジアの声を聞け!」「政教分離の原則を守れ!」などの横断幕をかかげて、第二鳥居にむけて行進。
 突然、右翼暴力団が襲いかかってきた。白の半袖シャツに、黒のズボンで統一され、指揮者の指示にしたがって殴り込んでくる。反対派襲撃を準備してきたことは明白だ。何人かが抗議行動の隊列に飛び込んで来て、殴る蹴るの暴行をはたらく。警察は形式的には押さえるが、事前に密約でもあったのであろう、右翼は一人も逮捕されない。だが、抗議行動参加者は、暴力や警察の妨害にも屈しない。断固として、首相・閣僚などの靖国神社参拝に反対して闘い抜いた。
 抗議行動の後、千鳥が淵ボート場周辺において、朝の行動の総括集会が開かれた。
 森山つとむ日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会委員長は、三木首相の参拝以来十六年にわたって靖国行動を続けてきたが、今回のように神社の中に入れないのははじめてのことだ、右翼は暴力的に反対運動に対してぶつかってきたが、これは小泉の参拝でかれらが元気になっている証拠だ、なんとしても来年は靖国参拝をやめさせなければならない、そのためにいまから準備しようと述べた。
 平和遺族会の木村さんは、十三日の小泉の参拝抗議行動を報告した。
 関西から駆けつけた真宗大谷派の菱木さんは、小泉首相の靖国公式参拝に反対する訴訟を準備中であり、多くの人が原告団に参加するように呼びかけた。
 大津健一日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会委員長は、いま日本は戦争の道を歩んでいる、小泉首相が十三日だろうと参拝したことの意味は重い、来年の参拝をさせないために日々の活動を一層強化しようと述べた。
 土方美雄さん(日の丸・君が代NO!通信編集委員会)が、8・ 声明「日本の戦争責任を否定し将来に禍根を残す小泉首相の8・ 靖国神社参拝に抗議するとともに、新たな運動に向かって進むことを宣言します」を読みあげた。そこでは、「日本の侵略戦争を『聖戦』、天皇の軍隊の側の死者のみを『英霊』とたたえる靖国神社、とりわけ『A級戦犯』を合祀する靖国神社に小泉首相が参拝したことは、憲法の政教分離・信教の自由の原則に明確に違反するばかりか、戦争につながる一切を拒絶したいと願う人びとの心を踏みにじり、アジア各国民衆との友好関係を破壊する暴挙であり、これを絶対に許すことはできません。また私たちは来年以降首相の参拝を許すことなく闘いを持続する覚悟でいます。教育現場における『日の丸』『君が代』の押しつけや、日本の侵略戦争を肯定する『新しい歴史教科書をつくる会』教科書の採択推進など、この国を再び戦争国家へ変えて行こうとする危険な動きに連動する首相の靖国参拝に満腔の怒りを表明するとともに、更に運動を拡大して、このような動きに抗して闘うことを明らかにします」と抗議と今後の運動の方向がうちだされた。
 朝の行動を終わり、参加者の多くは、次の集会・抗議行動に移っていった。


不戦の誓いをあらたに

       
 草の実会一〇一回デモ

 午前一〇時、東京・渋谷の宮下公園では約六〇人の年配の女性たちが思い思いの「訴え」や「願い」を書き込んだプラカードや横断幕を持ち寄って集会が始まった。
 「戦争の二〇世紀から平和の二十一世紀へ、私たち草の実会は今日、一〇一回目のデモで訴えます」と進行係の島田信子さんが挨拶した。
 連帯の挨拶では「右翼の妨害で集会が中止されるなど、いま、言論・思想の自由が危ない。会場の貸し出しを拒んだ千代田区で女性区議三人が呼びかけて抗議の緊急集会が開かれた。声をあげ、行動することが大切」と、STOP!改憲・市民ネットワークの土井とみえさん、「つくる会の教科書採択は、昨日、北区が不採択となって、東京二三区で残るは一区・台東区だけになった。子どもたちに歴史の真実を教えていくことが不戦の道につながる」と北区区議の古沢くみ子さん、などさまざまな発言があった。
 草の実会の定例デモは、メンバーが若く元気だった頃は、毎月一回のペースで行っていたが、昨年の一〇〇回目を機に終わりにしようとの声もあったが、小泉政権の危険な状況を考えると黙って見送ることはできないと、一〇一回目が実現した。
 草の実会は戦後、朝日新聞の「ひととき」欄に投書をしたのがきっかけで、全国的に響きわたり誕生した。女学生の時代に戦争体験をした女性たちは、半世紀もの日々、さまざまな反戦・平和の運動を担ってきた。この日の参加の最高齢者は八八歳で、昨年九二歳だった方は亡くなられている。

戦争の惨禍を実体験した草の実会は訴えま

  渋谷の街に「草の実会」の若手の大倉八千代さんの宣伝カーの声が響きわたった。
 「六〇年前の戦時下を思い起こさせる教科書で、子どもたちを洗脳するのはやめてください」
 「歴史の事実を正確に把握し、反省と共に次の世代に伝えることが大人の責任です」
 「軍備で平和を守るというのは幻想です。守られるのは一握りの権力者。国民は大量虐殺の標的にされます」
 「半世紀前、壊滅状態の日本が、世界に向けて贖罪を込めて誓った憲法前文と九条を守り、実現することこそ、二十一世紀の平和への道です」
 「戦争賛美の靖国神社への小泉首相の参拝は憲法違反で、諸外国の信用を失墜します」
 「あなたもわたしも主権者です、しっかり考え、行動していきましょう」

 毎年、このデモに参加している方が「いつも三割の人がチラシを受け取ってくれるけど、今年は一割程度だった。人出は多いが小泉人気の影響なのか、憲法九条にたいしても冷ややかな空気を感じました」と感想を述べていたのが気になった。
 デモ終了後は、反戦・平和の願い熱く、この日の次の集会や行動に移動していく草の実会の元気な女性たちでした。 (城戸翔子)


右翼の暴力・挑発を跳ね返し

            「靖国・戦没者追悼式」反対集会


 「小泉の靖国参拝・『全国戦没者追悼集式』に反対する八・一五集会」は、十一時三〇分に東京・千代田区の西神田公園で集会を行った後、神田・水道橋の白山通りをデモ行進した。午後二時からは文京区民センターで集会を行った。主催は同集会実行委員会で、約二五〇名が参加した。
 集会では天野恵一さんが基調報告をした。天野さんは十三日に強行された小泉首相の靖国参拝を糾弾し、「権力による戦争のできる国家づくりへの不断の意思の反映である」と指摘、「天皇・天皇制の戦争責任を追求し、新ガイドライン・有事法制・九条改憲反対、日韓連帯運動や戦後補償要求運動、『日の丸・君が代』強制反対、『つくる会』教科書採択反対、沖縄連帯、反基地運動などと手をくみ、幅ひろく運動をつくろう」と訴えた。
 講師の松井やよりさん(VAWW−NETジャパン)は、韓国から帰国した足で会場で講演し、首相の靖国参拝に対して韓国では「怒りが沸騰していること。韓国では日本での報道以上に大衆の抗議行動が激しくおこなわれていること。日本軍国主義と植民地支配のシンボルである靖国神社に、戦争の反省がないままに参拝するのはアジアの人びとへの侮辱だと受け取っている。植民地支配下で神社参拝を強制され、多数の投獄者や獄死者を出した経験もある。戦争の神社での『平和メッセージ』に対し、今後に非常に不安を感じている」と生々しい報告をした。また、女性戦犯国際法廷での天皇有罪判決に対して右翼から激しい攻撃があることも報告した。
 緊急報告として、当日靖国神社での抗議行動で右翼から暴力を受けケガ人がでたことが報告された。この集会入り口でも右翼との小競り合いがあった。
 集会は各運動団体からの報告をうけ、活気あるなかで閉会した。


参議院選挙の結果と平和憲法のゆくえ

                  
土浦市で平和のつどい

 八月十五日、茨城県の土浦市で「憲法を生かす会・茨城」と、「ネットワーク500」の共催で「8・15平和のつどい」が開かれ、三〇数名の人々が参加した。
 集会では冒頭に「憲法を生かす会・茨城」の代表・吉田昭久・茨大名誉教授と「ネットワーク500」の坂本繁雄事務局長があいさつした。講演は憲法調査会市民監視センターの高田健さん。
 講演では「小泉首相が十三日に靖国神社を参拝したことに見られるように、日本がいま新たな戦前状況にあること」「小泉政権の憲法改悪発言や安保防衛政策は、昨年末に出されたアーミテージ報告と、それを受けた自民党国防部会提言、さらにブッシュ政権のもとでだされたランド研究所の戦略報告など、一連の日米支配層による東アジア政策の路線に沿ったもの」「さまざまな運動が連携して、改憲阻止のネットワークを形成し、新国家主義の流れに対抗しよう」と強調された。
 最後に新社会党の矢田部理委員長が特別に挨拶した。


四国ピースサイクル
 伊方原発ストップ! エネルギー政策の転換を

四国ルートを走り始めて十三年目の夏がきた。今年は小学五年生と六年生を合む八人だ。
今年は八月一日から四日まで、雨が降らず酷暑の晴天が続いた。
 八月一日、呉から松山行きのフェリーで移動し、高知県窪川町へむけて車を走らせた。
 高知市から窪川町の間(約六〇`b)は高知水道労組の青年部(十人)が担当していた。窪川町は、四国電力が原発の候補地に上がり、反対している地元の島岡幹夫さんのご自宅で高知水道労組と合流し話を聞いた、旅館に行き、青年部との楽しい交流会で盛り上がった。
 八月二日、酷暑の中を高知水道労組の横断幕を車に張り付け、同労組の引き継ぎの激励に送られて、宇和島市(約九〇`b)にむけて出発した。
 国道三八一号を進み、窪川町、大正町、十和村まで五〇`bを自転車走行で完走した。十和村の沈下橋で昼食をとり、四万十川で子どもたちと水泳で涼をとり、自然を楽しんだ。水泳の後は車で宇和島市に全員で移動した。
 八月三日、宇和島市の浄満寺のご住職は、一九九九年十二月に逝去(享年六十三歳)されていたので、全員で焼香した。奥さんの激励を受けて、八幡浜市にむけて出発した。
 十四時、八幡浜市の繁華街で国労の組合員二名と一緒にビラを配布した。
 十五時、八幡浜市で反原発運動を続けている近藤さんと合流し、四国電力の伊方原発に向かって伴走した。
 十六時、伊方原発ゲート前に到着し、閉鎖したゲートから出門した四国電力の藤岡宏一・総務課長らに、「伊方原子力発電所沖にA級の大活断層があり、地震多発国の日本では耐震設計をしても安全ということはない。住民は地震と事故の不安におびえている。四国電力は、老朽化し事故を続発させ危険を増大させている伊方原発をストップさせ、風力、太陽光、バイオマスなど環境に優しく、安全な方法で電カ事業をすすめ、原発中心のエネルギー政策を転換せよ」との抗議文を渡した。
 その後、全員で原発一号、二号、三号炉にむかって、「原発を止めろ!」「老朽化した原発は危ないぞ!」、「海を汚すな!」等をシュプレヒコール。
 夜は、保内町の方をはじめ国労の組合員、「原発から子供を守る女の会」と交流会を持ち、老朽化した原発の事故、伊方原発の危険性が増大し、住民は不安でおぴえていること等が明確になった。
 八月四日、保内町から松山市にむけて出発した。
 四国ピースサイクルは、三回目のときに伊方原子力発電所で四国電力に対し、「抗議文」で抗議したことから、地元との信頼関係が定着した。
 今後、四国の美しい自然に合わない伊方原発のストップを求め、原発反対のネットワークを広げるために頑張りたい。 (広島通信員)

茨城ピースサイクル
 
東海村から広島・長崎へ

ピースサイクル二〇〇一は、七月十五日(日)、茨城県東海村の核燃料サイクル機構(旧動燃)前から出発した。反原発と反核兵器は同じという思いから東海村からヒロシマ・ナガサキに向けての出発となった。
 午前十時からの出発式には、茨城、千葉、東京、神奈川の各ネットからと反原発を地元東海村で担う方々も多数参加した。(写真)
 今年地元の茨城ネットは、事務局の中心を担う杉森弘之さんが参議院選の候補者(茨城選挙区・新社会党)となった関係もあって実走態勢がとれず、他のネットからも実走の応援に駆けつけた。全国ネット事務局を代表して橋本輝之さん、茨城ネットの杉森候補や各ネットの代表そして地元東海村の脱原発村会議員の相沢さんらが、脱原発、反核燃、反核兵器の思いを表明した。
 地元の人々と選挙カーの見送りを受け、十人のピース隊は、予定通り東海村から那珂湊、霞ヶ浦を経て土浦市まで走行した。(茨城通信員)

長野ピースサイクル
  
ピースメッセージ携え楽しく

 2001長野ピースサイクルは、七月二十二日長野県木曽郡の奈良井宿から本走をスタートした。奈良井宿は旧中仙道の宿場であり、現在は漆器の里として知られている。ここから、松本市までの約四十五`bの道のりは、さわやかな信州と歴史を感じるすばらしいコースである。暑い一日ではあったが、参加者が口々に「楽しい」を連発する、走りやすくて快適なサイクリングコースであった。
 長野大学OBの地元からの参加者と他地区から駆けつけた計十七名が、平和への想いをこめてペダルを漕いだ。このコースは、ピースサイクルに新鮮さを持たせようと、昨年から本走初日に県内の新ルートを走ろうと企画した。昨年は野辺山高原から走り、今年は木曽路からとなった。参加者の評判は上々で、試走で地図とにらめっこしながら新しいルートを開拓してきた実行委員にとっては、嬉しい一日目となった。この日だけ参加する予定だった人(六十四歳)が、結局最後まで走る気になったのだから、いわずもがなだろう。
 七月二十八日には、松本・佐久・上田から出発する二コースに分かれて、それぞれが松代大本営跡を目指して再スタート。ここからは、長野ピースサイクルの定番で、三日間かけて新潟県の上越市まで走る。
 総参加数は四十七名(十六歳から六十四歳)、ピースメッセージは約二〇〇通、今年の特徴は県内自治体の首長と議長のメッセージが昨年より多くなったこと、長野県議会議長もメッセージを寄せてくれたことである。残念ながらかの有名な長野県知事には、直接会えなかっためか、今年はメッセージをもらえなかった。八月六日広島市、八月九日長崎市、そして沖縄へのメッセージと寄せ書きは、今年も平和への熱い想いとともに発信され、各地に届けられた。
 長野ピースサイクルには、三年前から視覚障害者の女性も参加している。長野ピースサイクル所有のタンデム自転車が活躍するが、このタンデム車は古いこともあって、きつい坂はなかなかつらいものがある。しかし、思いやりと協力で参加者が一つになるすばらしさがある。今年も参加者は全員それぞれの目的地まで無事完走し、熱い想いを共有することができた。
 恒例の松代での交流会には、沖縄出身の三線奏者で長野在住の方が参加してくれ、沖縄に想いを馳せながら、酒を酌み交わし楽しい一夜となった。当初の計画では、沖縄戦の体験者も参加して、当時を語ってくれる予定だったが、アメリカでの活動旅行中のために実現しなかった。いつもとは違って学習会なしの松代となったが、いつも以上に深夜まで盛り上がった。
 二十九日もやはり晴天に恵まれて、朝から暑い出発となった。三日間のなかで参加者の一番多い日となり、長い自転車の列は沿道の人々の目を引いた。畑仕事の手を休めて見ている人も多かった。途中の須坂市では、脱原発を闘っている市民エネルギー研究所(脱原発信濃ネット)の人たちに出迎えを受け、冷たいスイカを頂いて元気をつけた。
 信濃町までの急な登り坂も、国労の仲間からの激励を受け、励まし合い支え合って登り切った。つらくて長い坂道だが、この坂道を自転車で登りきることが出来たときに共有する苦しみと喜びが、平和運動への連帯感となるのである。
 夜には、キャンプ場で焼き肉をさかなにまたしても交流会。ゲームあり、花火ありの高原でのキャンプは長野ピースサイクルならではの楽しみである。時々、車のラジオで選挙速報を気にしながら、自民党の圧勝を悔しがりつつ、やはり遅くまで交流会は続いた。
 三十日は、いよいよ新潟県に入る。ほとんど下りではあるが、長野県とは違う湿度が暑さを倍に感じさせる。少し走ると、県境に位置する自衛隊の関山演習場がある。ここでは、地元の労組の人から、この演習場の話を聞いた。沖縄の米軍の演習が本土にばらまかれてから、演習の回数が増えているという。冬の雪上演習や、周辺の人家に泊まり込んでの演習もあるという。新ガイドライン以降、周辺住民を巻き込んだ演習や意識的な地域の人と自衛隊員の結婚等もあるという。参加者全員が、身近なところで戦争、軍隊を実感する場所である。
 急な下り坂を一気におりると、もう海が近い。そして、日本海に到着すると、2001長野ピースサイクルも今年の本走を終わる。四日間の長野ピースサイクルは、晴天に恵まれ(?)文字通り「熱い熱いピースサイクル」となった。いつもより若干参加者は少なかったが、それでも新しい参加者と遠く大阪や滋賀、東京から駆けつけた常連と実行委員が一体となって、夏のメインイベントは無事終了した。
 八月末からは、参加者の熱い想いと、ピースメッセージと一年間の活動を収録した報告集作成にとりかかる。秋には報告集会も企画され、通年的に平和運動に関わる取り組みが企画されている。 (長野通信員)


一〇四七名の解雇撤回! 地元JRへの復帰!

      
四党合意による闘争破壊を許さない

 国労本部は、一月の国労大会で、JRに法的責任なしとする四党合意承認を押し切ったが、闘争の原点を堅持する闘争団は、「闘う闘争団」を結成して、勝利にむけてあくまで闘いを継続する体制を固めた。
 国労大会から、すでに半年以上が過ぎたにもかかわらず、四党合意はなんらの具体的な進展もない。六月二十八日にはJR東日本会社の株主総会が開かれたが、そのなかで、株主から出された四党合意関連の質問にたいして、会社側は、「政府・与党から四党合意に関して何の話もないのでお答えしかねる」と回答している。
 四党合意では、国労が大会で「JRに法的責任がない」ことを認めれば、ただちに、与党からJR各社に対し、国労各エリア本部と話合いを始め、雇用の場の確保などを検討してほしい旨の要請がされることになっていたのではなかったのか。しかし、いまだに、何の要請もないというのだ。
 以前から高嶋国労委員長は、「九月には最高裁判決が出る見通しなので、今国会会期末の六月二十九日までには何らかの道筋をつけたい」と言い、社民党の渕上幹事長も国労本部の要請を受け、何回か、四党合意の自民党側代表である甘利元運輸相と会い、四党合意による解決案を示すよう求めていた。そして、六月二十九日には、甘利・渕上(社民党幹事長)会談が持たれ、その席上で渕上が「これまで言われてきた水準でいいから、解決案を出して欲しい」と要請したが、甘利は「(JRは)裁判で決着すればよいと言っている」などとJR側の強硬な考えを伝えるだけで、何の結果も得られなかった。
 甘利は、国鉄闘争の現段階を「囲いの中に(羊を)追い込んでいる段階。どこまで追い込めるかだ」と認識していると言われているが、それは、「JRに法的責任がない」ことを承認した上は、極めて低水準の一人八〇万円とか、二桁のJR「採用」(復帰ではない)などという「和解金」・「雇用」で国鉄闘争を圧殺しよう策動しているということだ。
 また寺内国労書記長は、六月下旬の闘争団全国幹事会との話し合いの中で、「国労と社民党で確認していることとして、@全員の雇用確保、A和解金は闘争団・家族の思いと、国労の裁判費用、生活援助金が反映されるもの、B年金の格差是正があるが、いまだに解決案が出ないのは納得いく解決水準に引き上げる努力をしているから」との答弁をする一方で、解決案の水準については、「数字は出ていないが、解決案の水準は低い感触。その引き上げのために努力中である」と述べている。
 こうした事態から浮かび上がってくることは、「JRに法的責任がない」ことを認めた以上は、国労本部と社民党としては、たとえどんなに低水準でもいいから、早急に解決案を出してくれと自民党にひたすら御願いしている惨めな姿である。しかし、自民党は解決案を出さず、闘争団を「囲い」の中にどれだけ追い込めるかを見極めようとしているのである。国労本部や社民党などがいかに立ち回ろうとも、当事者の納得なくして闘争は終結はないということがここでも確認されなければならない。
 五月三十日に結成された国労闘争団共闘会議(準備会)の存在と闘いの前進が、四党合意の悲惨な具体化を押しとどめている。たしかに前途には多くの困難がある。だが、敵も大きな諸問題を抱えている。いまこそ、闘う闘争団の団結と多くの労働組合・労働者の支援の拡大が求められているのである。

資料 
 
人権の回復のために闘争団とともに闘おう!
   ― 不当労働行為を許さず、地元JR復帰をめざして ―


   ニュース第1号(2001・7) JRの不当労働行為は許さない! 国労闘争団共闘会議(準)

 「がんばれ闘争団 ともにGO!5・30共闘会議(準)結成集会」には、会場の日比谷公会堂をうめつくす三〇〇〇人もの仲間が集まり、新たな闘いに立ち上がった闘争団を支え、共に闘う決意を示していただきました。心より感謝申し上げます。今後は、秋に予定されている大行動などにむけて取り組みを進めますが、この共闘会議準備会が名実ともに闘争団と闘いを共有する運動体として活動していくために、結成の趣旨と方針を改めて提起します。

(1)大失業時代に抗し、社会正義を実現する運動として
 一九八七年の国鉄の分割・民営化は、当時の中曽根首相が後に「国労をつぶせば総評も崩壊するということを明確に意識してやった」と述べたように、国労つぶしの狙いも秘めた国家による大規模なリストラでした。その手法は、国鉄職員全員解雇、選別採用を可能にする国鉄改革法を制定し、抵抗する国労組合員らの採用を差別するというものでした。「国鉄改革方式」として民間にも広がり、その後の組合つぶしや企業再編といったリストラの原動力となっています。
 国労と闘争団・家族は、採用差別を国家的不当労働行為と主張し「解雇撤回・地元JR復帰」を求めて闘い続けてきました。労働委員会はJRの採用差別を不当労働行為と認定して救済命令を出し、国鉄闘争には上部団体の枠を超えた労組など多くの支援が寄せられました。しかし、九八年五月の東京地裁の不当判決以降、国労本部は闘争からの撤退を画策し、昨年五月三十日には、与党三党と社民党が示した政治的打開案(四党合意)の受け入れを独断で決めて、その事後承認を組合員に迫りました。
 「JRに法的責任なし」と認め、訴訟の取り下げまでも前提とした「四党合意」の受諾は事実上、国労の全面屈服(国労つぶしの総仕上げ)を意味し、闘争団の切り捨てにつながるものです。ところが、国労本部は、反対する闘争団や国労組合員、支援者を「解決を妨害する勢力」と決めつけ、今年一月二十七日に機動隊の出動を要請した異常な大会を強行して「四党合意」の受諾を決定しました。
 しかし、自らの尊厳と人生をかけた闘いを他に委ねる事は出来ないとする闘争団員・家族は「たとえ大会で決められようとも解雇撤回・地元JR復帰まで闘い続ける」決意を固め「闘う国労闘争団」に結集して、ILOや最高裁に公正な判断を求めるなど自立した様々な取り組みを開始しました。
 リストラの嵐が吹き荒れ、働くものが雇用不安にさらされている今日、国労闘争団員ら一〇四七名の十四年にも及ぶ不屈な闘いは、大失業時代に抗する運動の最先端にあります。不当労働行為という人権侵害を許さず、自らの尊厳と社会正義を実現しようという彼らの闘いは多くの人々の願いでもあります。こうした思いを共有できる全国の労働者・市民が連帯し、闘争団が掲げる「解雇撤回・地元JR復帰」をはじめとした諸要求獲得に向け、解決まで共に闘いましょう。
 (2)当事者が納得できる解決をめざそう!
 国鉄闘争が混乱した原因は、国労本部の独断による「四党合意」の受け入れであり、闘争団と家族の意思を踏みにじったからに他なりません。
 私たちは一〇四七名の争議当該が主体となった運動を支援し、労働委員会闘争、裁判闘争、ILO闘争や大衆運動などを、新しく抜本的に立て直し、当事者が納得できる解決を目指して共に闘います。
 (3)自立した個人による双方向の交流と運動を職場・地域に
 共闘会議が結成されるまでの間、準備会はこれまで幅広く相談を続けてきた関係者と闘争団で協議をしながら開かれた運営を行い、事務局は闘争団がその任務を担います。準備会は、大衆行動、裁判・ILO対策などの活動や取り組みを、会報やホームページを通じて明らかにしていきます。
 また、全国の職場や地域で「闘争団を支える会」「○○支援する会」などを、自立した個人を軸に組織し、闘争団や共闘会議準備会からの行動や要請に応えるだけでなく、双方向からの交流や運動を展開していきます。
 (4)長期に闘い続けられる闘争団の自活体制を確立
 労働争議で最も重要なことは自活体制の確立で、これができれば勝利解決に大きく近づくといえます。闘争団も十数年自活を体験してきましたが、不況の長期化や今後のさまざまな動きを考えると、抜本的な自活体制づくりに着手する必要があります。
 同時に、リストラ万能の今日にあって解雇された労働者が事業を起こし、雇用を創出することの社会的意義は大きく、闘争団の事業体を継承・発展させて、積極的な物販や事業を通じた全国の仲間同士のネットワークによる「連帯市場」を形成し、将来的に解雇者や失業者の生活対策としても活用出来るようにしていきます。
 (5)一億円カンパで闘争体制を確立させよう
 大多数が北海道と九州にある闘争団にとって、東京を主戦場とする闘争の資金調達は容易ではありません。当面、事務局体制の強化、首都圏を中心としたオルグ活動など、とりわけ立ち上がりの活動資金が必要となっています。
 全国の仲間の協力で、一億円カンパを達成させましょう。
【カンパ振込先】
● 郵便振替口座
 名義 闘う国労闘争団
 口座番号:00160―4―32404


韓国政府の労働ネット・進歩ネットへの弾圧に抗議する

 韓国の労働運動・民衆運動の前進は、インターネットの活用によるところが大きい。そうであるがゆえに、韓国政府は、なんとか理由をつけて民衆のネット活動を妨害しようとして、さまざまな手段を弄してきた。いま、レイバーネット日本の韓国でのパートナーである労働ネット、および進歩ネット傘下のサイトが、韓国政府の弾圧によってサービス停止の危機に瀕している。
 七月三十一日、韓国政府の外郭団体である情報通信倫理委員会は、進歩ネットワークチャムセサンに専用回線を提供するオンセ通信とサーバを貸している韓国労働ネットの掲示板に書き込まれた文書の内容が「不穏通信」にあたるとして、韓国インターネットデータセンターに対して、この掲示物の削除を要求した。しかし、オンセ通信、韓国インターネットデータセンターとも、掲示板の削除権限はなく、こうした倫理委の要求は、実質的にインターネット回線の遮断とサーバの停止を意味する。これが実施されると、進歩ネットにウェブサイトを持つ韓国国内の五百以上の市民・社会・労働団体のサイトの公開が中断、電子メールの交換さえできなくなるのである。
 進歩ネットワークは抗議声明を出し、電気通信事業法・施行令(表現の自由を抑圧するという理由で違憲訴訟が提起されている)の「不穏通信」の基準による一方的な削除要求は不適切だと反論し、倫理委宛の公開質問状提出、およびネットワーク利用者の抗議行動を呼びかけている。レイバーネット日本でも、抗議のアクションを準備している。
 進歩ネットワークセンターによる抗議声明「情報通信倫理委員会は、進歩ネットワーク掲示板に書き込まれた掲示物に対しサーバホスティング業者と回線提供業者に送った削除要求を撤回して、進歩ネットワークセンターに対する弾圧を中断しろ!」(八月二日)は、つぎのように述べている。
 情報通信倫理委員会に進歩ネットワークサーバホスティング業者と回線提供業者に対する是正措置を即刻撤回し、一切の検閲行為を中断することを要求する。また、そのような権限も名分も持たない情報通信倫理委員会と関連法律と制度は、即刻廃止されなければならないことを主張する。
 進歩ネットワークセンターと労働・市民社会団体は、そのために最後まで闘争することを厳重に警告する。
 情報通信倫理委員会は、進歩ネットワークサーバホスティング業者と回線提供業者に対する是正措置を即刻撤回しろ!
 政府と情報通信倫理委員会は、進歩ネットワークセンターと市民社会団体等のインターネット活動に対する弾圧を中断しろ!
 政府はインターネット検閲を行なう情報通信倫理委員会を解体して関連法と制度を廃止しろ!


平和のための証言集会 外務省、北代表団の入国を拒否

 「二〇〇一年平和のための証言集会」が八月十一日午後六時から、東京永田町の星陵会館で約百五十名の市民の参加で開かれた。この集会はこの日で十六回目になるもの。
 しかし、今回のメインテーマであった「朝鮮民主主義人民共和国の植民地支配・戦争被害者の証言」として日本側が招いた安成得さん(強制連行被害者)と郭金女さん(「慰安婦」被害者)は日本政府による「入国拒否」によって来日できなくなった。これは六月の「アジア緊急連帯集会」での入国拒否に続くもので、暴挙である。
 「北朝鮮」では元「軍隊慰安婦」被害者二一八名、被曝者一三五三人が名乗り出ており、この「過去の清算」はまったく行われていない。今回の機会はこれを解決する出発点ともなるべきものであったが、日本政府の不当な入国拒否により貴重な機会が失われた。
 集会では元日本弁護士連合会会長の土屋公献さんの開会のあいさつではじまり、石川逸子さんの詩(別掲)の朗読が行われた。 その後来日予定者のビデオによる証言とフォトジャーナリストの伊藤孝司さんの報告が行われ、北朝鮮の戦争被害者の実態が明らかにされた。
 集会は最後にアピール(別掲)を採択した。


8・11 平和のための証言集会草稿

                石川逸子


切りおとされた
あなたの首が
空に浮かんでいます

「トキコ」と勝手に呼ばれていた
少女

豆満江ほとりの「慰安所」に
押しこめられていた
少女

朝鮮語喋ったからと
見せしめに
日本刀で首切りおとされた
少女

あってならないことが
天皇の軍隊でおこなわれて
「慰安所」行きは公用 と定められていたとか

鶏のように首絶たれた
少女の無念は
切られ 放られた 首だけがいつか
はるか空の高みに上がっていくのです

晴れた日にも
曇り空にも
かすかに あなたの首は
空に浮かんでいますね

泣き叫んでいる
ウオウ?(どうして)と
泣き叫んでいる
あどけない顔で



 三十六年間におよぶ日本の植民地支配に抵抗し亡くなった方々、また日本がおこなったアジア・太平洋戦争のために強制連行され、さまざまな地で亡くなった方々。その名、その数、その亡くなった日時、亡くなった場所、その一切が闇に伏されたまま、そして、その方々を国にとして真摯に追悼するたった一度の集いもないままに、二十一世紀になってしまいました。

いくど春がきて
あなたたちの骨は
日本の各地に埋もれ
朝鮮全土に埋もれ
それのみか 大日本帝国が強掠した全ての地に
あなたがたの骨は埋もれ

北海道計根別飛行場建設場
(地図でやっと探しあてた 計根別
日本人のほとんどがおそらく一生行くこともない地で
あなたがたは“キショウ(起床)!”となぐられ
棒で突かれても起き上がってこないものは 
空腹に腹だけふくれ 死んでいったという)

長野・松代大本営
(本土決戦にそなえて
三種の神器を守るためにやってくる
天皇のために
夜を日に継いで堅い岩盤を掘り崩すことを命じられ
冬も連行されたままの寒い夏の服で
痛み あるいは発破のさいの事故で
つぎつぎ死んでいった あなたがた
天皇「御座所」完成の日に
消されたという あなたがた)

三月九日・東京大空襲の前夜に
釜山から連行され
「宮城遥拝」のあと やっと宿舎に足を伸ばしたのも束の間
焼夷弾の猛火に焼かれた あなたがた
長崎下大橋の飯場で
原爆に焼かれ
ひとかたまりの灰となった あなたがた

中国東北部 硫黄島 サイパン ガダルカナル
テニヤン タラウ ビルマ 沖縄
天皇の軍隊の性奴隷にされて
病み 爆撃され あるいは日本敗戦の折りに遺棄され
再びもどらなかった 少女たち

田植えのまっさいちゅう
「チョット来イ」とトラックに乗せられ
そのまま 沖縄の特攻基地つくり 九州の炭鉱
はるかニューギニアの陣地つくりに と 
なぐられ なぐられ 働かされ
そのまま もどってこなかった 若者たち

 耳をすますと、ごおっとはるかな地底から、深い海の底から、あなたがたのぎりぎりという憤怒の声がひびいてくるようです。
 よみがえろうとしている怪物、大日本帝国に向けた、憤怒の声。
 闇のなかに自分たちをおしこめ、今また、帝国万歳を叫ぼうとしている、ぶきみな日本の潮流への死者のあなたがたの憤怒の声。
 そのあなたがたの声に、しずかに耳をすますことから、新しい世紀はようやく始まるような気がいたします。

                 (この詩は集会で朗読されたもの)


「平和のための証言集会」アピール

 日本が戦争に敗れ、植民地だった朝鮮半島が解放されてから五六回目の八月を迎え、本日、私たちは十六回目の平和のための証言集会を開催しました。
 戦後半世紀以上もたつのに、隣の国であり、約半世紀にわたって植民地にしてきた被害国=朝鮮民主主義人民共和国との間に国交もなければ白由に往来もできないという異常な状態を今も日本は続けてきています。日本による加害と朝鮮の人びとの受難の歴史を知ることなく、一方的に「北朝鮮」を「敵視」し、「拒否反応」を示す日本人が少なくありません。その結果さらに交流が遅れ、国交を樹立することなく、とうとう二十一世紀に入ってしまいました。
 今回私たちは、朝鮮民主主義人民共和国の戦争被害者と関係者を招き、大阪・名古屋・東京などで戦争被害の実態を証言していただく集いを市民の手で準備してきました。ところが、日本政府はこれらの代表団の入国を不可とし、歴史を直視する貴重な機会を奪ってしまいました。自民党議員らから圧力を受けて「入国拒否」に至ったと報じられていますが、まったく不当な決定です。党派的な政治判断によって外交が歪められ、市民の知る権利と言論の自由が奪われ、国益も損ねられたことに心からの憤りを表明し、抗議します。
 私たちが招こうとしたのは直接の「戦争被害者」とその調査と対策を担当している専門家です。真実を歪曲し、虚偽の印象をふりまき、過剰に敵視し、対立をあおる誘導の仕方は、最近の歴史歪曲キャンペーンと軌を一にするもので、まさしく「政治的」な圧迫であり、自由と民主主義に反する暴挙です。
 小泉首相は、先の国会での施政方針演説で「日朝国交正常化交渉に粘り強く取り組む」と言明しましたが、この約束にもとる決定です。植民地支配と侵略戦争が引き起こした歴史的な惨禍を直視し、検証することは、歴史教育のためにも、人権と人道と平和を守るためにも不可欠の、党派や政治目的を超えた、歴史的な責務です。日朝国交交渉も、この歴史の検証と清竿なしにはありえません。各地の戦場や沖縄、広島・長崎で苛酷な戦争を体験した日本国民以上に悲惨な体験を強いられた被害国の戦争体験者には、その体験を語り、日本に謝罪を求める権利があります。日本国民にはその被害体験に耳を傾ける責任があります。入国不許可という姑息な手段でその権利を奪い、責任を逃れようとすることは、歴史に対する冒涜ではないでしょうか? 罪深い、恥ずべき「政治判断」でした。小泉首相が捧げるという「哀悼の誠」は加害国日本の戦死者にだけ向けられたものなのでしょうか?
 二十一世紀最初の八月をこうした姑息な手段で乗り切ろうとする日本攻府に、私たちは深い失望と憤りと憂慮を表明します。こうした不誠実極まりない態度と手法は、日朝交渉をさらに遅らせ、戦後半世紀以上たっていまだに隣国との友好な関係・正常な関係を築けない日本外交の異常さをさらに内外に明らかにすることになります。
 私たちは、日本政府が猛省し、歴史を直視し、その非を認め、率直に激罪・補償し、すみやかに隣国南北朝鮮との平和的友好関係を築くよう、日本政府に以下のことを強く求めます。
 一、本日ビデオをとおして証言された被害者を含むすべての被害者に日本政府はすみやかに謝罪し、補償を行うこと。
 二、日本政府は「過去の清算」と日朝国交樹立に同時に取り組み、すみやかに国交正常化交渉を再開すること。
 三、日本政府は「過去の清算」のために関連する全資料を公開し、真相究明を行うこと。
 四、日本政府は歴史の歪曲を許さず、歴史教育・平和教育を充実させること。


靖国参拝反対  8・2院内集会

 八月二日午後、衆議院第二議員会館で平和遺族会全国連絡会、日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会、政教分離の会の呼びかけで、日本戦没学生記念会、中国帰還者連絡会、不戦兵士・市民の会、日中友好協会、アユース仏教国際協力ネットワーク、許すな!憲法改悪・市民連絡会など二〇団体が主催する「小泉首相に靖国神社参拝の中止を求める緊急院内集会」と記者会見が行われた。
 集会には百五十名を越える市民が参加し、社民党、民主党、共産党などの有志議員も出席、小泉首相の靖国参拝中止を要求した。

小泉参拝反対  8・8院内集会

小泉首相の靖国参拝の動きに抗議して、関西からの上京団を中心にした「もう二度と戦争犠牲者をつくらないために。小泉氏油症の靖国参拝の中止を求めます。院内集会」が八月八日午後一時半から参議院議員会館で開かれた。
 集会には愛媛玉串料訴訟や箕面忠魂碑訴訟の関係者をはじめ、各界の市民運動の人々百数十名が参加し、民主、社民、共産などの国会議員が参加した。
 集会では「『国家神道』は、神道とも仏教とも異なる『特定の宗教』でありましたし、その中心である靖国神社へ総理として参拝することは、日本国憲法の政教分離条項に違反することは明らかです。愛媛玉串料訴訟における最高裁判決、岩手靖国訴訟における仙台高裁判決、中曽根首相の靖国公式参拝に対する大阪・九州・播磨の各訴訟に対する高裁判決などで明確に示されています」と厳しく指摘された。


金曜連続講座講演(要旨)

天皇制の歴史と女性

                鈴木裕子


 市民講座の「戦争と平和を考える金曜連続講座」は七月二七日、東京の文京区民センターで女性史研究者の鈴木裕子さんを講師に講演会を開いた。以下は本紙の責任で要約した当日の講演要旨。

天皇家の女たち

@古代天皇家の女たち

 私はいまある雑誌に天皇家の女たちというのを「記紀神話」から書きはじめた。
 律令制下で作られた後宮制度が実はヒロヒトさんの時代にまで続いていた。後宮制度というのは、天皇になる子どもを絶やさないための女官制度だ。
 キサキといわれる人には「妃」「夫人」「嬪」の三種あって、妃は内親王、夫人は中央貴族、嬪は地方豪族出身の女性だ。
 この後宮制度のもとに十二女司とがあって、内侍司以下、最下層は采女。采女は地方豪族から天皇に差し出す献上品で性奴隷だ。
 歴代天皇は非常に多くの後宮を抱えていた。たとえば平安朝を開いたと言われる桓武天皇は名前がわかっているだけでも三一人の妻妾を持っていた。桓武の息子で嵯峨天皇という道楽天皇は後宮、つまり女官との間に五〇人くらいの子女をもうけている。
 これらは血筋・血統をたやさないという名のもとに放蕩三昧を尽くした伝統だ。

A中世以降、明治まで維持された後宮制度


 江戸時代に至ってもそうだ。中世になると武士が権力を握り、天皇は押し篭められる。しかし、血筋のための努力は続けられた。平安時代は生まれた子どもたちは例えば藤原氏などの養子にしたりして、親戚降嫁してきたわけだが、江戸時代になると、手元が不如意ですから大部分は出家させた。それでも近世の後陽成、後水尾、後西、霊元の歴代天皇は、二〇人以上の子女をもうけ、中には三〇人以上も子女をもうけた場合もあった。
 明治天皇のお父さん、孝明天皇オサヒトも庶子だ。「正妻」ではない、側室の息子だ。明治天皇ムツヒトも側室の息子、大正天皇ヨシヒトも側室の息子。むしろ側室の子どものほうが多い。放蕩三昧が、天皇家の血筋を伝承させていくという口実のもとに正当化されてきた。これが天皇家の伝統だ。
 私は「天皇家は性暴力の家柄だ」と言ったことがあるが、例えば雄略天皇は采女をあと一歩というところで殺そうとした。もちろん、それ以前に性暴力をふるっている。いままでの天皇制研究ではセクシュアリティとか、性暴力という角度から見ていなかったが、そういう目で見ると天皇家というのはなんという家なんだろうと思う。

B「象徴天皇制」下の三代の皇后像

 これは良子(ナガコ)、美智子(ミチコ)、雅子(マサコ)という三人だ。ナガコは去年六月に死去した。亡くなった時にさかんに「やさしさの母」というイメージが語られた。いま敗戦直後の朝日新聞を繰っているが、ヒロヒトが「人間宣言」をだすのが一九四六年一月。その前に人間皇后像をメディア戦略としてやっているようだ。女をつかってまず愛される皇室、親しまれる皇室の操作が行われている。「慈しみの母」として、済生会とか児童福祉施設などに行っている。「福祉儀礼戦略」です。天皇ヒロヒトと天皇制を守るためには象徴天皇制に移行せざるを得なかった。そのためには、まず人間皇后像が演出され、ついでヒロヒトの人間天皇像が作られていった。
 象徴天皇制の作業はアキヒト・ミチコ、天皇・皇后制に移る。一九五八年に婚約し、五九年に結婚する。これは入念に準備された。「テニスコートに咲いた自由恋愛」とか言われているが、やはり小泉信三あたりが仕組んだのだろうと思う。象徴天皇制を国民一般に印象づけるために、皇族でも旧華族でもない出身の人と結婚させる。当時「平民」と言った。平民とはなんぞやといいたいのだが、このミチコさんは日清製粉という大ブルジョアジーの出身だ。一般庶民とは縁遠い存在だ。でも当時たいへんなミッチー・ブームで、みんながミッチーになったような気分だった。
 このミチコ・アキヒト象徴天皇制戦略はある程度成功したと思う。戦前の神権的天皇制のイメージを隠蔽し、まさに日本国民の象徴としての天皇制を浸透させていくのに功績があったと思う。
 次の時代はマサコ・ナルヒトだ。マサコさんのほうが最初は圧倒的に存在感があった。記者会見でも彼女のほうが毅然としていた。「私にも一言言わせていただきます」と言葉をとってやった。
 一九九三年六月九日に結婚式をやった。国際婦人年の最初が七五年、中間年が八〇年、最終年が八五年、その直後に雇用機会均等法などもあり、キャリアウーマンといわれる人たちがたくさん出始めた頃、マサコさんはまさにその代表としてひっぱられていった。やはり時代、時代にあった人を連れてくるものだなあと思った。
 この人も父親は外務省の高官、条約局長、次官、国連大使、駐米大使という典型的なエリートコースを歩んだ人だ。彼女はハーバード大学、オクスフォード大学を卒業した。係累をたどると母方の祖父が窒素の社長だった江頭さんだ。もともとは興銀マン。母方の曾祖父は海軍中将で、先年自殺した江藤淳も係累だ。つまり支配階級、エリートの出身だ。

近代天皇制と家制度

@近代天皇制国家の家族国家像

 天皇制は天皇家という家を存続させることを口実に、女性を落としめることを千年以上にわたってやってきた家柄だ。近代天皇制国家が創出されるなかで、一八九八年の明治民法で、庶民家系にも家制度を完成させた。一口に言えば女性を「家」にとじこめ、つまり家内にした。夫は「主人」なのだ。いまだに、それも若い二十代の女性が言っているのを聞くと、「あなたは奴隷ですか」と言いたくなる気持ちを押さえられない。かように制度としては民法改正でなくなったはずだが、意識としてはつづいている。
 家制度下では女性の妻としての役割は、男性の性的対象と子どもを生み、生まれた子どもを育てる乳母としての役割に押し篭められた。結婚制度は法律婚制度であったのはたかだか百数十年だ。つまりこれは国家が管理するということだ。結婚制度というのは娘の「動産」扱いだ。父から夫へ譲るシステムだ。そこには今日のドメスティック・バイオレンスの生まれる温床があった。俺の持ち物は煮て食おうと、焼いて食おうと、ぶんなぐろうと勝手だ。「夫婦ケンカは犬もくわない」ということで、夫が妻に暴力をふるうことはなんの悪いことでもない。
 「女には命よりも大事な貞操がある」と言われる。この貞操というのは女性の性的人権を尊重するということではない。夫の持ち物である物を他人が手を付ける、所有権を侵害するという意味だ。だから姦通罪は女性側だけで夫側にはない。妻である女性と「姦通」した人は姦通罪の対象になるが、妻でない女性なら、何人囲おうと罪にならない。
 こうして近代天皇制国家における女性の抑圧装置としての家制度が確立していく。そして近代天皇制国家は家族国家であるという主張がなされていく。「臣民の道」という一九四一年、文部省教学局が発行した本では「義は即ち君臣にして情は猶ほ父子のごとく」といわれ、これは擬制家族イデオロギーだ。臣民に天皇に対する無制限の献身と犠牲を強要する。喜んで死ねよということだ。それから「忠孝は不二一本」というのもある。君に対する忠と親に対する孝はふたつにしてひとつだというわけだ。
 この「臣民の道」の中には家族結婚観がでている。家族とはいま生きている家族だけでなく、すでに亡くなった祖先、これから生まれてくるであろう子孫を意味している。だから、子孫さえいれば戦場に行って立派な戦死をとげてください、家は存続しますよということだ。そういう死の美学、死の教えがある。
      
A近代皇室の女たち

 これは典型的な家父長制家族だ。皇族妃たちの役割は、相変わらず跡継ぎを生むことだ。マサコさんがいままでプレッシャーを受けてきたのは、皇太子の子、後々の天皇の子をなかなか生まないことにたいしてのバッシング的なものがあるということだった。
 天皇家の皇族妃たるものの役割は、天皇の子どもを生むことであるというのはいまでも牽固としてある。ナガコは五人目に初めてアキヒトを生んだが、記者会見で「いままでいちばんうれしかったことは何か」という問いに「東宮さんを生んだこと」と答えている。生まれる子どもが性によって歓迎されたり、されなかったりというのはおかしい。
 ミチコさん、マサコさんの時代になっては、女たちでもっている天皇家というイメージは作られてきたが、実際にもっている役割は皇族妃たちに与えられた役割は子どもを生むことで、それはいまだに変っていない。

フェミニズムの反省と希望

@先人の業績の再検証

 戦後女性運動が象徴天皇制なり、天皇制にたいして、注意深い観察をしてきたことはなかったのではないかと思う。
 戦後女性運動の大衆運動として母親運動があった。この意義を百%否定するものではないし、当時の時代制との関連で母親運動の必然性も認めるものだが、しかし、母親運動の筋は、女たちは全部被害者だった、わけても母親は泣くなく自分の子どもたちを戦場にさしだしたのだ、命を生み出す存在は最初から戦争を憎むのだという話だ。願望であればわかるが、願望をもって過去の女性運動や女性たちの戦争協力、戦争加担にたいして蓋をしてしまった。これはある種の歴史修正だ。
 戦後の女性運動は天皇制のはたしてきた役割に対して、総括せずに、向きあうことなく動いてきた。この問題が突き付けられたのは、いわゆる慰安婦問題が起ってからだ。しかも、それは内発的な問題意識は薄かった。
 私たちの大先輩である高群逸枝という、アナーキズム・フェミニストから翼賛主義者になり、さらに戦後派絶対平和主義者に転回した人がいる。彼女もいろいろな著作があり、全何巻と出ているが、その中からは戦争中のものとアナーキスト的なものががいっさい削除されている。高群女性史はある時期、非常に読まれた。彼女の戦争中の言説にたいして批判的な検討がされたのはずっとあとだ。高群逸枝の一九四五年八月十五日の日記はまったくの空白だ。翌日の日記にこう書いている。「昨日正午、戦争集結の大詔(十四日付)を拝す。かしこくもラヂオを通じ陛下御自ら決を下したもう。恐懼置くあたわず。伏してただ泣きわめくのみ。夜は眠りて、醒めて泣き喚くのみ。朝も泣くのみ。しばらくの涙やまず。深く苦しき涙なり」と。この意識で戦後平和主義になる。切れていない。
 端的に言えば平塚らいてふもそうだ。自らのそうした思想的加担と対決した形で戦後が始まっているわけではない。天皇制と共存して、ふたたびまた女性たちの先頭に立ってきたわけだ。そのことはいままで少しも批判されてきていない。その状況こそ問題だろうと思う。
 四六年十二月、日本国憲法ができるに際して、男女平等をうけて皇室典範を変えなくてはならないのではないかと、最後の帝国議会で論議された。多数の議員たちが女帝容認を主張している。中でも社会党の衆議院議員の新妻いとは女帝の容認を主張している。のちに久保田真苗さんとか、三石久江さんが発言するようなことをすでに言っている。
しかし、見逃せないのは天皇制の存在が前提になっているのだ。天皇制が侵略戦争や植民地支配の中でどのような役割をはたしたかということはまったく眼中にない。
 そしていまの女帝論もその繰り返しなのだ。焼直しにすぎないと思う。
 ましてやいまは男権的天皇主義者でさえ女帝論を言いはじめてきている。まるで生まれる子どもが女の子であるかのような前提での発言がある。
 日本のフェミニズムも混沌としている。これまでわりと天皇制に対して反対していた女性たちの流れの中にも、男女平等参画のノリで、済し崩し的にすすんでいる動きがある。

A歴史の陰にある人びとの復権を

 ちょっと前の人だが、反天皇制の女性思想の系譜、管野すが、金子文子、高橋くら子、彼女らは女性史の中では陰の人だが、今、生き返させる必要がある。
 管野すがは「大逆事件」で捕まったとき、「天子なるものは現在において経済上には掠奪者の張本人、政治上には罪悪の根源、思想上には迷信の根本になっておりますから、この位置にある人、そのものを倒す必要があると考えていた」と言っている。
 金子文子は関東大震災の際に爆弾計画をしていたということで捕まった時に、「人間は完全に平等であり、したがってすべての人間は人間であるというただひとつの資格によって、人間としての生活の権利を完全にかつ平等に享受すべきはずのものであると信じております。……天皇をもって神の子孫であるとか、あるいは君権は神の命令によって授けられたものであるとか、もしくは天皇は神の意志を実現せんがために国権をにぎるものであるとか、従って国法はすなわち神の意志であるとかいう観念を愚直なる民衆に印象づけるために、架空的に捏造した伝説に根拠して、鏡だとか、刀だとか、玉だとかいうものを神の授けたものとして祭り上げて、しかつめらしい礼拝を続けて、完全に一般民衆をだましつづけた」とのべた。
 高橋くら子という人は戦前の部落解放運動の組織である水平社の女性活動家だ。一九〇七年生まれで、十五、六の時から解放運動に参加して、全国各地を行脚して、自由・平等ということを説いて回っている。
 「昔、大名や武士というものが、百姓たちが真っ黒になって働いたすべての生産物をしぼりとり、わがまま勝手な振る舞いをした。その残酷な大名や武士がいまはどうであろうか。華族様あるいは特権階級と称して私たちの血をしぼり、プロレタリアを苦しめているではありませんか。……人間を殺した華族様が人間であるならば、真に私ら農民は神でなければならない」と。まだ十五、六歳の時の文章だ。
 こういう人間平等、反天皇制の女性解放思想の系譜がある。これはほとんど知られていない。その思想を生き返らせなくてはならない。彼女たちの復権をはかっていなくてはならない。それは同時に私たちの復権ではないか。


図書

右派のジャンク・ブック 
    「永遠なれ、日本」(中曽根康弘・石原慎太郎対談集 PHP研究所


 最近、韓国の挺身隊問題協議会の金代表が来日した機会に日本の本屋を見て回っておどろいたという話を聞いた。
「日本の本屋はどうしてこうも右翼の本ばかり、店頭に並べておくのか。日本はこういう社会になってしまったのか」と。
 いつのまにか状況に押し流され、文句を言いつつも「こんなものか」とあきらめてしまうような心情になりがちの思考をガツンとやられたような気がした。本当に日本の出版状況はひどい。ジャンク・ブックとしか言いようがない右派本が麗々しく並べられ、売られていっているのだ。今回、紹介する本もそうした右派ジャンク・ブックのひとつ。
 中曽根康弘元首相と石原慎太郎東京都知事による対談集で「永遠なれ、日本」といういささかクサい題名をつけた本が「PHP研究所」から出ている。これはこの手の右派の共通の用語法で、例えば石原が産経新聞一面に毎月書いている連載エッセイのタイトルは「日本よ」というもの。これもこちらが恥ずかしくなるほどクサいタイトルである。
 この二人に小泉純一郎首相を加えれば、昨今のファシスト三羽ガラスそろい踏みになる。
 この二人は小泉政権の成立の後、ひんぱんにメディアに登場し、「(小泉の)いままでの言動を含めて、彼が何をいったか、よく覚えていないのです」(石原、第七章)というほど思想や価値観がカラッポな政治家・小泉純一郎の思想的・路線的背骨づくりのための掩護射撃をしている。少なくともそのように自らの役割を自認している者たちである。
 この三者は新国家主義者として、ポピュリズム的手法と右派原理主義思考方法を結合させている点で共通項がある。八二歳になろうとする中曽根がいまだに永田町の一角に盤踞して、黒幕然と活動しているエネルギーは、彼が「自分の内に国家がある」と称する心情にある。なんとしても従来から主張してきた「改憲」策動の行く末を見定めておきたいとの執念だろう。そして同じように「自分の内に国家がある」と感じていると称する石原慎太郎は、その意味でまさに彼の同志である。
 本書は危機感に燃えるこの連中が、日本をどこに引っ張っていこうとしているのかを見極め、考える上では格好の書物である。
 本書の章立ては次のとおりである。
(第一章)青春時代・私の原点、(第二章)人間観・死生観、(第三章)国家と日本、(第四章)大東亜戦争と戦後の総括、(第五章)日米安保と国防の原則、(第六章)アジアのリーダーたる責務、(第七章)小泉総理に言っておきたい事、(第八章)日本人の魂の再建、である。
 本書でふたりはきわめて主観的で手前かってなものいいではあるが、一種興味深い歴史観、宗教観、憲法観などをふりまいている。吟味して読むと、それなりにおもしろい。
 例えば第四章では、中曽根は自らの九条改憲論を正当化するために(改憲派がしばしばいうことだが)、「(戦前は軍事と政治が)二元的に対立して、統帥権独立を拡大して軍部の一部が政治を犯し、政治の混迷と漂流が続いて、ついに大東亜戦争に突入したのです。憲法の統帥権の独立の部分を改正していただけでも、あのような結果にはならなかったでしょう。これは現在の憲法にも言えることです。いま第九条を改正しておかなければ、将来何が起るかわかりません。追い詰められた挙げ句、大東亜戦争と同じようなことが起る可能性もあるのです」などと語る。曰く、大東亜戦争の二の舞にならないためにこそ改憲が必要だと。
 そしてとくに政府が「集団的自衛権の行使は違憲ではない」という考えを確立し、この問題を早急にはっきりさせなくてはならないと強調している。今年三月の自民党国防部会の提言などでも言われている「国家安全保障基本法」の策定による、「憲法解釈」の確定を主張し、解釈を合法化しようとする。これはまさに憲法を完全に無視した究極の解釈改憲論である。
 これにたいして石原は「中曽根さんの意見に賛成」だとしながら、よりナショナリスティックに、日米安保でより明確に「日本を守る」とアメリカに約束させるべきだと安保条約の改定を主張し、中曽根にアメリカは簡単には応じないよと諭されると、「水爆二発で全滅する国に実際に水爆が投下された場合、……完全に死滅した国に対して、アメリカがそこまで義務を果たすかというと、はなはだ疑問です。その意味では日本は、TMD(戦域ミサイル防衛)のようなものを独自につくったらいい。……自衛ということを考えたら日本はそこまでやる必要があると思います」などと発言する。
 第七章では中曽根は小泉を支持する理由として、「(小泉の行動は)いままで私が言ってきたことと同一線上にあります。憲法改正、首相公選、集団的自衛権行使の容認、靖国神社の公式参拝など私が言ってきたことをすべて実現しようとしているのです。こんなに有り難い人はいません」とのべ、ベタほめしている。そして「参議院選挙の後には、二十一世紀の日本の青写真を広げながら、政界再編に動いてほしい。憲法改正以下を実現する新政治集団をつくる基礎工事をやってくれることをのぞみます」とあけすけに語っている。
 これにたいして、石原は小泉に不安を表明しつつも、姻戚関係にあるし、息子も閣僚にいることだから、政権が長く続くことをねがっているなどと、与太話をしているところが本書のオチではある。(S)


中国映画「山の郵便配達」を観て

         
八〇年代中国の 矛盾や苦悩を想う

 久しぶりに観た清々しい中国映画だった。
 郵便のほかにはこれといって外界からの文化情報が伝わりそうもない山岳地帯の村落に、一回を二泊三日の行程として郵便を配達する。その配達員であった親が、新しい配達員
となった息子につきそって二泊三日を旅するだけの物語だ。すでに本紙で紹介されているので、今回は感想を寄せてみたい。
 時は一九八〇年代初頭、少数民族が悠久の暮らしを続ける湖南省の山岳地帯。頑固で気まじめな父親は、二泊三日の仕事のあい間に一日だけ家にいて、また配達に出る、という仕事一途の生活を長い間つづけてきた。その結果、息子との会話もほとんど無く、自分の住む村の人間関係も詳しくは知らない。息子も、これまで父親を「父さん」と呼んだことはなかった。父親は「次男坊」という名の犬を友として仕事をしてきた。
 息子の初めての仕事の際に、「次男坊」は父親の下にいて息子とともに仕事にでようとしない。「仕方無く」という形で父親も行動をともにすることになる。この引継ぎの仕事を通して、じんわり、じんわりと、仕事の持つ意味や、父子・夫婦のきずながこれまでとはちがった形でしっかりと形成される。巡っていく村落での父と村人との振る舞いを目の当たりにして、また預かった郵便物への責任感をみて、息子は父への尊敬と信頼を新たにする。父は息子が逞しく成長したことを頼もしく思うようになる。
 回想場面などをとおして、息子は父と母の出会いを知り、父は自分のいない間の、妻と息子の暮らしぶりを知る。また父は、妻が生まれた村落をいつも恋しく思いつつも、一度も里帰りすることがなかった寂しさを知る。冷たい川を歩いて渡る時、息子が父を背負って渡りきった後、体を温める焚き火を囲んで、はじめて息子は父のことを「父さん」と呼ぶ場面は感動的だ。また、一人暮らしの目の不自由なお祖母さんに、孫から送られてくる仕送りの為替だけが入った郵便を、まるで歌舞伎の弁慶さながらに、手紙として読み聞かせる場面。村民と父親との繋がりを引き継ぐ重大さを息子は受け止めていた。記号や数量だけでは表せない「人間のする仕事」の意味を十二分に語っている。
 この映画のもう一つの魅力は、あふれる自然の美しさだ。稲作のルーツをたどれば、そう遠くないこの地域は、つい最近まで日本にのこっていた田畑や里山の風景と、どことなくかようものがあり、農具などもにている。また、二人が歩く山道は、その幅や整備の程度や回りの風景など、ついこの前まで使われていた日本各地の街道のようでもある。映画のなかに登場する少数民族の風習や歌、結婚式のようすなども大いに楽しめる。
 一方、中国が四つの現代化を始めてからまもない時期なので、息子は道すがら携帯ラジオで現代音楽を楽しむ。また郵便配達の山道のはるか下にはところどころに、広い道もできバスも通っている。山の頂上にはアンテナ基地もみられる。
 中国革命以後、約三〇年の自力更生の経済と、その後二〇年余の市場原理の経済。そのなかで人間関係や自然や物質文明はどう変わったのか。一九九九年に八〇年代始めを描いた製作者の矛盾や苦悩は、私たちに共通の課題をなげかけている。 (横山洋子)


複眼単眼

石原慎太郎の政治手法と民主主義

 石原慎太郎・都知事は産経新聞一面に毎月一回づつ「日本よ」と題するエッセイを掲載している。
 八月六日には「『靖国』を思う」と言う題の文章を書いた。
 石原の靖国参拝の論理は「日本にとっては内面的問題であって、国家という次元における自己確認のよすがに他ならない……戦争という国家最大の出来事のために命を賭した先人を悼み感謝するという行為が、国家経営のための基本行事であることを否定する者は誰もいまい」というものだ。ここでは侵略戦争のために死ぬことを強制した上で「感謝する」などという欺瞞がまことしやかに語られている。侵略戦争への反省の念が全くないだけでなく、それを行った国家を正当化し、継承する意志が表明されている。「否定するものはいない」などというのはハッタリだ。
 石原はこういう「靖国論」を前提につぎのように言う。
 「公人として靖国に参拝すると明言した小泉総理の去就の是非を、国の内外がことさらに云々するのは異常としかいいようない」
 「後は現今の日本を代表する総理の行為をそれぞれの日本国民がどう眺めて受け取るかである。総理はことさら揚言せず、黙って堂々と参拝をすませればいい。そして、国靖かれと願って亡くなった尊い死者たちもまた、無言でそれを眺め深くうなづいてくれることだろう」というのだ。
 「首相が行くと決めたのにいろいろ言うな。国民はそれを眺めて受け取れ。首相は黙って実行しろ」ということだ。これが彼のリーダーシップのある首相像なのだ。首相に選ばれたのだから、何をやっても文句を言うなという論理だ。これは民主主義とはまったく相容れない。石原をファシストだと指摘するのはあながち的外れではないことがわかるだろう。
 首相が参拝するという是非を全社会的に議論するのは当然で「眺めている」必要はない。民主主義は主権者は人民であることを前提として成り立っている。
 また首相のほうも「揚言せず」ではなくて、最大限説明する責任があるのもまた民主主義の原則だ。「黙って」いることが堂々としたことだなどというのは、かつて流された「男は黙って〇〇ビール」などとやったマッチョの論理にすぎないのだ。
 石原は実はこのマッチョが大好きなのだ。それが美学だと信じている。「黙ってやる」のは、「コソコソやる」に通ずるもので、少しも「堂々として」いないということが理解できないのだ。ことさらに銃をいじり、ヨットを乗り回し、あるいは中国をシナなどと言い放ち、差別発言を乱発し、あるいはマッチョ用語をことさらに使いまくる。某県の某知事が石原のこのポーズは小心者の強がりにすぎないと喝破したのは同感だ。
 政治家を罵倒して国会議員をやめたのだってそうだし、宮崎県の行事に行って記者から「ついでにヨットレースに参加するのは公費の私物化ではないか」と質問されて怒って帰京したのも同じだ。「怒ってみせる」ことで自分の弱さをかくすのだ。マスコミが偶像を作り上げている。
 この男は小泉純一郎と姻戚関係にある。「小泉が道半ばにして倒れればその骨を拾う」と称して、あわよくば国政に再登場しようと虎視眈眈と狙っている。 (T)