人民新報 ・ 第1034号 (2001年9月5日)
目次
● 石原・小泉らによる有事総動員体制づくりの危険な策動
日米両軍と民間の共同演習化 新段階の東京都総合防災訓練
● 四百人あまりが治安出動訓練反対のデモ ビッグレスキュー2001反対三多摩集会
● ピースサイクル
福井→舞鶴→大阪、そしてヒロシマ 足でかせぐ平和の芽作り
ピースサイクル(おおさか) 8・15小泉首相の靖国参拝許さん
神奈川ピースサイクル 各地の運動と結びながら
● いまさら首相公選制の調査? 衆議院憲法調査会の訪欧
● わだつみ会八・一五集会
民衆の戦争詠に耳を傾け、天皇の戦争貢任を考える
● 失業率がついに5%に 小泉内閣の構造改革攻撃、リストラ合理化に反対しよう
● 部落史から取り残された諸賤民についてD
ケガレと部落差別(その1) 大阪部落史研究グループ
●読書案内
アイヌ・モシリの風(著者・チカップ美恵子)
南北統一の夜明け・朝米関係の軌跡をたどる(著者・鄭敬謨)
●複眼単眼 / 政治の芸能界化の進行 無内容の小泉メル“ガマ?”
石原・小泉らによる有事総動員体制づくりの危険な策動
日米両軍と民間の共同演習化 新段階の東京都総合防災訓練
九月一日を前後して、全国各地で「防災訓練」が行われ、内閣府の発表では一九八万人が参加したという。
東京では九月一日、多摩地域を中心に、小泉首相、石原都知事らの出席のもと、昨年にひきつづき自衛隊二〇〇〇人が参加したのをはじめ、今年は米軍基地と米軍人が直接参加し、民間などを合わせ一万五千人が参加した「東京都総合防災訓練」(ビックレスキュー2001−首都を救え−)が行われた。沖縄では三十一日に行われた那覇市の防災訓練に初めて陸海空の自衛隊が参加した。
石原都政は今回の「訓練」のねらいとして「昨年のビックレスキュー東京2000の成果と課題を踏まえ、今年度の訓練により大都市における防災訓練のフォーマットを完成させる」ことを掲げた。訓練会場には、米軍基地や自衛隊基地、JR八王子駅前、都立南多摩高校、調布基地跡地、多摩川河川敷、立川広域防災基地などがあてられた。新たに横田基地をはじめいくつかの会場に米軍人が参加したこととあわせて、昨年にひきつづき自衛隊二〇〇〇名を先頭にした軍事訓練・治安訓練色濃厚な演習となった。
「ビックレスキュー2001」は埼玉県や川崎市などを含む七都県市合同防災訓練の一環として行われた。すでに七月十七、十八日には都庁や江東・杉並区役所などで「本部運営訓練」と称する図上演習が行われていた。今回の「訓練」は、戦時や災害時を想定した「陸海空三軍」による演習を重視する石原都知事の下で行われる二回目の大規模演習で、昨年は「三国人」発言などで排外主義をあおりたてながら、東京・銀座などを装甲車を先頭に七千百名の自衛隊が走り回って多くの批判を浴びたが、今回もその路線を継承する危険な演習となった。
事前の図上演習による統合訓練や、都立南多摩高等学校(八王子市)の使用と同校生徒五〇名以上のボランティア参加は大きな問題だし、とりわけ多摩地域の自衛隊基地の使用、米軍横田基地、米軍赤坂プレスセンターの使用などは、日米両軍と自治体、民間団体の共同訓練に道を開いたものであり、「防災訓練」を新たな危険な性格へと引き上げたものだ。今回、米軍は横田基地において航空官制業務などを受け持ったほか、多摩川河川敷での訓練などに将校らを派遣して共同訓練の体制をとった。
小泉政権の発足以来、従来の日米新ガイドライン路線による「戦争のできる国」づくり、「新たな戦前」に対応する国家体制づくりは、「聖域なき構造改革、規制緩和」の名の下に急展開し、憲法改悪、集団的自衛権の行使(「国家安全基本法」の制定)、米軍のMD(ミサイル防衛システム)開発への参加・協力、PKO法の改悪、PKF凍結解除、防衛庁の「省への昇格」、有事法制の準備(「国民緊急事態法」の制定)、「戦争のできる兵士づくりとしての首相の靖国参拝」などなど、多様にすすめられてきた。石原の「ビックレスキュー2001」は、これに首都東京の側から呼応し、促進するものだ。
石原に招請されて東京都参与の職につき、「ビックレスキュー」をコーディネートしている志方俊之(元陸自北部方面総監)は「そもそも戦闘訓練と災害訓練は二者択一ではない。通信とか、輸送とか、補給とか、やっていることは大半が同じ。弾を撃つところだけが違う」(朝日紙・八月二八日)と、この「訓練」の性格をあけすけに語った。
石原都知事はこの日も「知事講評」や記者会見で「いざとなったら、軍がでてきてくれるぞというこころの連帯をつよくもつことができる」「みなさんが自分の街を守るという自覚でやってくれたことがほんとうにうれしい。昔のなつかしい日本人を見る思いがした」「敗戦以来、横田基地を日本人が初めて使ったんだ。日米関係のためにいい実験をしたと思う」と述べた。またザムゾー・米軍横田基地司令官は「米軍、自衛隊、民間奉仕団体のすばらしい統合演習を見ました」と語った。
四百人あまりが治安出動訓練反対のデモ ビッグレスキュー2001反対三多摩集会
九月一日、早朝からの防災の日・治安出動訓練反対行動に続いての報告集会が、四百三十人が参加して調布市・グリーンホールで開催された。主催は、ビッグレスキュー2001に反対する三多摩行動。
はじめに、主催者は次のように述べた。
今日の防災訓練は自衛隊・警察などが主役で、自治体はその枠内での参加であった。防災に名を借りた治安出動そのものである。今年は二つの特徴がある。七月にCPX(図上演習)が行われたことと米軍基地が加わったことである。有事の米軍との協力が想定されているのは明らかだだ。
つづいて現地での闘争の報告が行われた。
【八王子会場(駅前・南多摩高校)監視行動】
今回の訓練で横田基地が入ったことは、有事には自衛隊に米軍基地を守らせるアメリカから命令の実践であり、新ガイドライン実施訓練そのものだ。
都立南多摩高校を会場にしたことは、これまでにはなかったことで教職員組合が反対したが、残念なことに今は校長の権限が強くなっている。訓練会場で聞いてみると、学校の動員は予定を下回っていたということだった。訓練では給食、救護、消火、ライフラインの復旧、体験訓練では起震車なども運び込まれていた。
【調布基地跡地会場監視行動】
駅前に集合してみると付近は警察・私服がいっぱいだった。訓練は東京スタジアムの北でおこなわれることになっていたが機動隊が阻止線をはって入れない。身分証明書の提示や荷物の中身まで検査された上でそれでも入れない。会場に入るのは、自治会などの単位で素性が確認されたものなどで徹底的な管理と選別だ。
東京スタジアムでおこなわれていたSMAPのコンサートのファンにまじって会場に近づいた学生の報告では、高層ビルからの救助訓練などがおこなわれていた。まず爆発音がして、煙が出、ただちに機動隊と自衛隊が到着、最後に消防車が来ていたが、これではまったく順番が違う。人から見られないところで、警察と自衛隊の訓練そのものだった。
【多摩川河川敷会場抗議行動】
自衛隊の父兄会が自衛隊に先導されて会場に入ってきていた。自衛隊員が地図を広げていたり、横田かららしいアメリカ兵も見に来ていた。渡河訓練もおこなわれていた。
【立川基地会場抗議行動】 訓練では、横田から通告のないCH
大型輸送ヘリが飛来した。中には救急車や白衣の人がのっていた。立川基地では、四十人ほどで抗議行動を行ってきた。
【横田基地会場監視行動】 C130大型輸送機に大型救急車二台が出てきて東のほうに向かって走り去った。頻繁に、航空自衛隊、海上自衛隊、警視庁などの離着陸訓練が見られた。
【東京 区内の行動】
都庁周辺、主と防衛の主力である第一師団の行動を監視する練馬・朝霞などでも早朝からの行動が報告された。
行動提起は、戦争協力しない・させない練馬ネットワークの井上澄夫さんがおこなったが、井上さんは、「新宿・歌舞伎町のビル火災は、ホテルニュージャパンを上回る四十四人の死者を出した。このことは、石原が防災をやっていないことを意味する。今日の訓練は自衛隊による治安出動訓練そのものであり絶対に許せない」と述べた。
集会の後、参加者はデモで、防災訓練という名の自衛隊の治安出動反対を調布市民にアピールした。
ピースサイクル
福井→舞鶴→大阪、そしてヒロシマ 足でかせぐ平和の芽作り
今年のおおさかピースサイクルは、『ネジリはち巻き』で昨年の十月から準備にかかった。まず京都北部PCの要請を受けて横の山陰PCを縦ルートにして大阪に向かうコースに変更してもらい、福井県縦断コースを健脚者用として、昨年同様福井県下全原発への操業中止の申し入れを京都PCと共に行った。一日の走行距離は一五〇`bあった。それから京都の舞鶴に入り、オリジナル曲にこだわるロックバンドや地元の人のギター演奏などドリンク付きのミPC歓迎コンサートを五十名で開催してもらった。北方への出撃基地と変質させていく自衛隊基地。ここでは桟橋ゲート前で恒例の出発式を行い一路大阪に向かった。おおさかでは、この山陰ルートと京都ルートのバトンを受けて八月一日大阪市役所を元気いっぱいにスターとした。道中は兵庫PCの仲間と合流し、岡山PCの仲間とも合流しながら、教科書問題などを訴え続けた。そして福山では、鳥取↓米子↓岡山北ルートの仲間と合流し総勢二十数名で、太陽をお友だちにしながら呉を目指した。今年は最高にピースを実感できる夏だ。
京都からナガサキを目指すピースマラソン。大阪発の猛スピードの自転車グループ。平和行進する子どもたちなど「戦争はイヤヤネン!」とみんな自分の身体で訴えている。みんな色んな方法でヒロシマに向かっている。本当にピースサイクルがあって良かった。
呉では四国ルートを走破してきた仲間と楽しい交流会だ。
八月五日、無事にヒロシマのドームに到着した。そして市民集会では、在韓被爆者の方のすさまじい闘いとアピールに心を打たれた。
八月六日その時を朝の太陽の下でダイインで迎えた。そして広島の仲間によるグランドゼロの集会で、おおさかPCは準備してきた構成詩を演じた。核兵器を二度と使わせてはならない。その思いをにぎりしめて、この一年をもっともっとピースサイクルを広げようと思う。
(大阪通信員)
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ピースサイクル(おおさか) 8・15小泉首相の靖国参拝許さん
周辺事態法に反対して二年前からスタートさせた北摂自治体への要請PCを、今年は小泉政権誕生から、八月十五日に変更し準備した。また「南京大虐殺はなかった」の右翼集会を会場で開催させたピースおおさかを本当のピースの発信地とするための結集としていた。
ところが、八月十三日に小泉は靖国神社に参拝した。コノヤロー!許るせへん!その怒りが腹の底からこみ上げてくる。当日は二コース(島本町・箕面市発)で十名が走り、各自治体に小泉の参拝に異議ありと表明してまわった。 ピースおおさかは、会場を貸さず、やむなく近くの会館で「不戦を誓うおおさかピース集会」を二十名で行った。そして、戦争の語り部である本多立太郎さんに実体験を約一時間語ってもらった。
戦争を止めるためには、大人が子どもを守るために憲法九条を実行させるその迫力があるか否かだ、と確信させた。
今年から私たちには、お盆休みはない。(大阪通信員)
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神奈川ピースサイクル 各地の運動と結びながら
神奈川では、七月二十日、川崎平和会館で東京からの引き継ぎを行った。
市長メッセージを受け取り、市議や労組からの激励を受け、国立市長から託されたリースを東京の仲間から受け取った。出発前に平和館の展示を見学し、ノースドックに向けてスタート。ノースドックから本牧埠頭へ行き、展望台から湾を見ながら米軍の利用状況について説明を聞いた。米軍物資はコンテナで運搬され、本牧にはこれを一気に積みおろしできる設備と面積がある。また、民間の運搬会社に委託すれば中味の確認が出来ない。このためノースドックよりも本牧埠頭の重要性が増しているという。
海から基地見学
横須賀では、平和船団のヨットに乗り、海上から基地を見学。ブルーリッジ(湾岸戦争で第二次大戦後最大の艦隊を指揮)や空母キティホークが入港していた。キティホークを含め現在の空母は数年後に全艦退役することになっており、その後は、原子力空母が配備される可能性が大きい。
一二号バース(空母の修理・点検を行う)では、延長工事が行われているが、原子力空母の母港化にむけた準備ではないかと危惧されている。
池子・返還運動
七月二十一日、横須賀を出発し、逗子市池子弾薬庫跡地を見学。米軍住宅の建設後、市民感情の変化で、反対運動、土地返還運動が進めにくくなったという。現在、住宅建設に次いで、小学校の本設が進められようとしており、これに反対しつつ、「軍転法」の適用を求める運動が取り組まれている。これは、基地の返還は無償で行うことを定めたもので、戦後、住民投票によって立法化された法律。五〇年前、横須賀から独立したとき、県が軍転法の適用から逗子市を除外したのだが、立法化の過程や法律の精神から考え、権利は消えていないとし、県や国に働きかけている。
厚木基地包囲に向けて
神奈川では、毎年、教会・お寺・幼稚園に宿泊し、平和を願う人たちと交流を行っている。今年も、横須賀の教会で、田中哲朗さんのコンサートを行い、「日の丸」「君が代」や平和について語り合い、平塚では、幼稚園で交流をもち、一緒に作ったカレーを食べながら、静岡の浜岡原発に反対する方たちの話を聞き、小田原では、環境問題−農業体験など地域でさまざまなプログラムを行っている人たちと交流してきた。多種多様な考え方や活動とつながっていくことはピースサイクルの命といえる。十一月には厚木基地包囲が計画されている。(神奈川通信員)
いまさら首相公選制の調査? 衆議院憲法調査会の訪欧
衆議院憲法調査会(会長・中山太郎)は今後の憲法調査会での議論にそなえて、「首相公選制」問題で「ロシア等欧州各国及びイスラエル憲法調査議員団(団長は中山太郎会長)」を派遣した。期間は八月二八日から九月七日までの日程で、国会議員九名、調査会事務局三名ほかが欧州各国とイスラエルなどを訪問する予定。
調査団の主な目的は「首相公選制に関連する事情の調査」という。
副団長は鹿野道彦(民主)で、団員は葉梨信行(自民)、保岡興冶(自民)、斎藤鉄夫(公明)、山口富夫(共産)、金子哲夫(社民)と、若干の別日程で仙石由人(民主)、近藤基彦(21世紀クラブ)も参加する。
調査議員団が訪ねる国は、ロシア、ハンガリー、オランダ、オーストリア、イスラエル、イタリア、スペイン、イギリスの八ヵ国。一九九二年に首相公選制を導入し、唯一の成功例と言われてきたイスラエルでは小党乱立の原因になったと言われるなど政治が混乱した結果、今年三月に同制度を廃止した。今回はこの事情の調査もひとつの柱になっている。またロシア訪問ではプーチン政権下での「強いリーダーシップや大統領制」を調査するという。各政党が標榜する議会制民主主義とプーチンの開発独裁的体質との共通性はあるのかどうか、ほとんど「お笑い」に近い話ではある。また「首相公選制」は事実上の大統領制制であり、その場合、自由党の小澤らが指摘するように天皇制との関係が大きな論点になるのはさけられないために、立憲君主制下のオランダやスペインも調査するという。
小泉首相が就任以来ブチあげてきた「首相公選制」の実現をめざして、すでに首相の私的懇談会の「首相公選制を考える懇談会」(座長・佐々木毅東大教授)が稼働している。これには公選制導入積極論の坂本春生・元経済同友会副代表幹事、久保文明・慶応大教授をはじめ、浅川博忠(政治評論家)、猪口邦子(上智大教授)、大石真(京大大学院教授)、鎌倉節(前宮内庁長官)、北川正恭(三重県知事)、野中ともよ(ジャーナリスト)、三好達(前最高裁長官)、山口二郎(北大教授)などで構成されている。
「政治の規制緩和」などとまやかしのキャンペーンを繰り返しながら、首相公選制の議論を明文改憲への突破口にしようとするこれらの企てを許さない闘いが求められる。
わだつみ会八・一五集会
民衆の戦争詠に耳を傾け、天皇の戦争貢任を考える
わだつみ会八・一五集会 平和の新世紀へ」は、江戸東京博物館ホールを会場に開催された、第一部は映画「きけ、わだつみの声」「雲ながるる果てに」の上映、第二部が講演というプログラム。
請演会に先立つ主催者挨拶で岡田理事長は、会の名称となっている「戦没学生記念」はあくまで出発点であり、戦争のすべての犠牲者を追悼し、平和を守るために積極的に努力することが会の趣旨であるとし、小泉首相の靖国神社参拝は若者にまた「死んでこい」ということだと厳しく批判した。
うたい継がれる戦争
歌人近藤芳美氏が「戦争体験を詠み継ぐ」と題して講演した。
朝日歌壇の選者を四六年間にわたって続けている経験に立って氏は語った。
毎年八月には戦争歌が集中する、あまり採りたくないという思いもあるが、今年は歴史教科書や靖国参拝問題の影響もあってか、特に多かった。(最近の朝日歌壇で採った短歌を幾つか紹介)。ここには一種鬱々とした民衆の声が読み取れる。(一九五九年の投稿歌をあげて)この頃から戦争をうたった歌か増えてきた。最初は夫や兄弟を戦争で亡くした肉親の作品が多かった。実際の戦争体験者の作品はこれに遅れて登場する。こうした戦争詠の背景には戦時中に戦争を見据えてうたった歌人の仕事があった。呉の高等女学校の教師から召集され、三二歳で戦死した渡辺直已の作晶を最後に紹介する。
涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き広西学生軍なリき
近藤氏の紹介したこの歌は、中国の学生兵士の姿と日本の戦没学徒とオーバーラツプしながら、互いの位置の違いが鮮明に印象付けられる作品である。なお、渡辺直己には次の作品もある。
大きなる機構の中に我あって運命の如戦ひて行くか
明らかな天皇の戦争責任
続いて神奈川大学教授の中村政則氏の講演「戦争責任ー天皇と民衆ー」に移った。学生時代、友人から「社会科学をやる者は先の戦争についてのしっかりした認識をもつ必要がある」と誘われてわだつみ会に参加、「第二集・きけわだつみのこえ」編集に携わった経緯を紹介し、戦没学徒の遺稿が入念に工夫されて家族の手に渡された実状に触れた体験から語り始めた。
昭和天皇の戦争責任に関して、法的責任についてはともかく、政治的・道徳的貢任は明確に問われる。開戦決定について天皇は「若しあの時、私が主戦論を抑えたならは...国内の輿論は必ず沸騰し、クーデタが起こったであらう」と述懐している。また「天皇はつねに平和を念じながら立憲君主としての立場を守ってきた。政府の決めたことを却下できなかった」という論があるが、いずれも本当ではない。太平洋戦争の開戦決定は閣議でなく、一九四一年九月六日、十一月六日の大本営政府連絡会議・御前会議で決まったのだ、天皇が開戦を決断した際にすでに敗戦を覚悟していたという侍従の目記もある。
戦争終結の「聖断」についても、一九四五年二月の近衛文麿の上秦に対して「もう一度戦果をあげてからでないと中々話は難しいと思ふ」とし、ずるずる戦争を続行している間に各地の空襲、硫責島の守備隊全減、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下があった。八月一〇日の御前会議で「国体護持」を条件にポツダム宣言受諾が決定した。
戦争体験から鮮烈に天皇のあり方を問うたものに渡辺清「私の天皇観」「砕かれた神ーある復員兵の手記」がある。再刊して広く読まれるべきものだ。
戦争を知らない世代の戦争責任について、確かに直接の責任はないか、あの悲惨な戦争がなぜ起こったのか、防ぐことはできなかったのか、二度と同じ過ちを繰り返さないために何をすべきか考え、行動する「戦後責任・未来責任」はある。
昨年の八月一五日、NHKが放映した「戦争を知らない君たちへ」のアンケートでは、「戦争の風化」「記憶の風化」の進行が権認される一方、「アジアに対する侵略戦争と思うか」に「侵略戦争だ」と答えた者が五一%、「戦後世代は戦争責任を引き継ぐべきか」にYESが五〇%、「平和のために行動したいか」にYESが五八%、一〇代後半では七三%を示し、若い世代ほど高い数字になっている。
二つの講演とももう少し時間をとって掘リ下げてほしいものだった。最後に、会として七月二〇日に発した「首相の靖国神社参拝に反対する」声明を「参拝抗議」に切り替えることを参会者で確認して終わった。(佐山)
失業率がついに5%に 小泉内閣の構造改革攻撃、リストラ合理化に反対しよう
深刻な政府発表の数字
総務省は、七月の完全失業率(季節調整値)が五・〇%となったと発表した(八月二十八日)。最悪だった六月を〇・一ポイント上回っている。
政府は一九五三年からこの調査を始めたが、今回初めて五%台に乗った。完全失業率のこれまでの最高値は、昨年十二月、今年一、五、六月の四・九%だった。男女別では、男性が五・二%、女性が四・七%で、男性は過去最悪である。
完全失業者数は三三〇万人(男性二〇三万人、女性一二七万人)で、完全失業者数は六月に比べ八万人減少したが、七月としては過去最多だった九九年の同月を上回った(前年同月比では二三万人増加)。
失業者の理由別分類でみると、企業のリストラなどによる非自発的離職者は前年同月と同数であったが、一一四万人の自発的離職者は前年同月比一五万人増である。自発的離職者のうち約六割を占めるのが十五〜三十四歳の年齢層で六十八万人。
一方、就業者数は六四五二万人(男性三七九八万人、女性二六五五人)で、前年同月から三七万人の減少となっている。
同日に、厚生労働省が発表した有効求人倍率(季節調整値)は〇・六〇倍で、二カ月ぶりの低下となった。七月の新規求人は前年同月に比べ全体で三・一%増加した。電気機械器具製造業が前年同月比五一・二%減と急激に落ち込んだのが目立つが、これはIT(情報技術)関連や半導体不況を反映したものである。建設業は同〇・一%減でほぼ横ばいの状態。増えたのは、運輸・通信業(同四・〇%増)、卸売・小売業、飲食店(九・一%増)、サービス業(一二・一%増)などである。
総務省と厚生労働省の数字を見ただけでも、雇用情勢がきわめて深刻な段階に入ったことは明らかである。
「失業はやむをえない」
失業率の五%突破発表の日、小泉首相は記者会見で次のように述べた。「求人数、求職数の実態を見るとかなり民間の構造改革が進んでいる。これは産みの苦しみだ」として、「雇用対策をしっかりやって、雇用創出にも前向きに取り組んでいく」と強調し、さらに雇用対策のための二〇〇一年度補正予算案の編成に関しては「今後状況を見ながら考えていけばよい」と述べた。また、「改革していくうちに、ある程度失業者が増えていくのはやむをえない」とも述べている。小泉は労働者の生活が破壊されるのを至極当然のことのように見ているのである。小泉の「失業率の上昇は構造改革の生みの苦しみ」などと労働者を無視した非人間的な言動は、決して許すことはできない。
対策なるものの軸は、厚生労働、経済産業の両省が八月二十八日にうちだした八項目の雇用対策プログラムである。それによって地域での雇用のミスマッチ解消や新たな雇用を創出していくとしているのだが、実質的には、各地の労働局と経済産業局、各都道府県、商工会議所などが連携して、企業の求人情報を積極的に開拓したり、地域の実情に合ったきめの細かい求職者支援を行うなどの程度のことだ。
また、厚生労働省は、九〇万人が公共職業訓練を受けられる体制をつくるため、来年度予算の概算要求に約一五〇〇億円を盛り込むとしている。
しかし、こうした情報の収集・整備の雇用による雇用のミスマッチ解消策は少しは効果があるにしても、問題は新雇用の創出がはたしていかなることになるかどうかだ。事態は、小泉らが安易に考えている小手先の政策くらいで解決出来るものではない。日本資本主義が直面している状況は、資本主義制度そのものの根幹にかかわる危機的な事態であるのだから。
失業率一〇%突破も
雇用情勢はさらに悪化する模様である。それも急速に。民間の研究機関はおしなべて、完全失業率がさらに上昇すると予測している。日興ソロモン・スミス・バーニー証券は、「来年半ばには五・五%」、BNPパリバ証券は「来年度後半に六・五%」、日本興業銀行は、「ここ一年で七〜八%」、リクルート・ワークス研究所になると「一〇%近くまで上昇する」と予想している。不良債権の最終処理が本格的に始まれば失業率が一割を超えるような状況になるし、その一方で新規雇用の創出はきわめて難しい。なぜなら、政府が新規雇用創出の分野として鳴り物入りで宣伝しているIT分野、電気通信産業分野では新規の雇用どころか大規模な人減らし合理化が吹き荒れている。NTTは二〇〇二年度に一一万人のグループ従業員を新会社に移すとしているし、日立製作所は二万人規模の削減を行う方向であり、軒並み万人単位の人員整理が予定されている。東芝も国内人員の一二%にあたる一七〇〇〇人の人員削減のリストラ策を発表した。そして、松下五〇〇〇人、富士通一六四〇〇人、NEC四〇〇〇人などもリストラ策を出してきている。これらの大手約三〇社が計画している人員削減数は、NTTの新会社への移籍を除いても一六万人規模に達しており、今後の景気動向次第で、さらに拡大する可能性は非常に高い。
その上、多くの企業は雇用している労働者を「過剰雇用」だとして、人減らしの口実と機会を狙っている。第一勧銀総合研究所は、その「過剰雇用」が二二〇万人に達した(昨年三月現在で)という試算を発表した(八月二十一日)が、そこでは、小売業で七〇万人、建設業で三九万人、製造業で三〇万人などの労働者が「過剰雇用」にされており、この一〇年にわたって抱えてきた「過剰雇用」を整理し、債務残高のキャッシュフロー比率を八〇年代前半の水準に戻すには、二二〇万人の雇用削減が必要でありとしているのである。
連合は政府へのお願い
八月二十七日、連合の鷲尾悦也会長ら幹部は小泉純一郎首相と首相官邸で会談した。この政府・連合双方の代表が会う「政労会見」は、年金制度改革をめぐる政府と連合との対立をきっかけに中断していたもので、九九年七月に行われて以来であった。
この席上、鷲尾会長は、小泉政権の進める構造改革が国民に「痛み」を強いることへの懸念を示したうえで、介護・福祉など社会サービス分野を中心とした一四〇万人以上の雇用創出策や、雇用対策に向けた補正予算編成などを求める要請書を小泉首相に手渡した。それに対し小泉首相は「政府は五年間で五三〇万人の雇用創出と言っている。方向は同じだ」と応じた。
また、連合の笹森清事務局長は、「七月の失業率五%突破についての談話」(八月二十八日)で、「生活・雇用の重視の景気回復には、まず具体的な雇用創出策が不可欠である。しかし、小泉内閣が示したサービス分野などにおける五三〇万人の雇用計画は、民間の取り組みに対する『期待値』にすぎない。政府は、国、地方自治体の主導による創出策と民間が安心して取り組める方針を一日も早く示すべきである。同時に、新たな雇用不安を招く有期雇用労働、派遣労働の拡大など無原則な規制緩和はやめるべきである。……政労使雇用対策会議を一日も早く開催し、政労使がこの苦難の状況に立ち向うとともに、政府が責任をもって雇用対策を進めていくことを示すときである」と述べた。
連合の失業への取り組みは、このようなものである。政府、財界、労働組合(連合)協同の雇用対策会議の設置。しかし中身は、鷲尾会長が小泉に手渡した「要求」である予算措置以上には出ないことは明らかだ。
連合は、自らの構成員である大手労組組合員のリストラに反撃していない。そもそも労使協調の連合路線は、現在のような資本主義の危機的状況には断固として資本家の側に立つことを目的としてつくられたのだから、当たり前といえば当たり前の話ではある。だが今回の大量リストラが自らの身に襲いかかるという状況を目前にして、連合内部の労働者に大きな不満を生じさせている。今年の大会で引退する鷲尾に替わって連合会長になる笹森(現事務局長)時代の連合は、内外からおおきな試練にさらされるであろう。
小泉構造改革に対決する
雇用情勢は、不良債権の処理、株価のいっそうの下落によって、ますます深刻な様相を見せてきている。
雇用・失業問題の解決はもはや一刻の猶予も許されない社会的な課題となってきている。小泉内閣は、いわゆる骨太の方針(「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革にかんする基本方針」)によって、不良債権最終処理の強行、競争原理の導入、解雇権の自由、有期雇用契約期間の延長、労働者派遣と裁量労働制の規制緩和などによって、広範な労働者・勤労人民にさらなる「痛み」をおしつけようとしている。
いまこそ、労働者、労働組合は、大きく団結して、連合組織の内外で呼応しあい、上部団体、組合所属の如何を問わず、労働者の生活を守り、権利の向上のための共同行動を、あらゆるところでつくりださなければならない。労働時間の短縮、解雇制限法制・労働者保護法の制定、全国一律最賃制の実現、雇用保険制度の改善など、労働者の生活と権利を守り、反失業争議闘争を強化して闘おう。
階級対立の時代へ
東京証券取引所での株価は、連日、バブル崩壊以降の最安値を更新している。鉱工業生産指数も悪化の状況だ。失業率は五%の大台に突入した。この勢いは、止まるところを知らず、早晩、二桁台にものぼる勢いである。
日本経済はかつてない危機の段階に踏み込もうとしている。財政破綻、不良債券、企業倒産、失業などの指標を見れば、ほんの十年前に、マスコミこぞって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと浮かれていたのが遠い昔の夢のような崩壊・低迷ぶりである。
日本だけではない。アメリカも、ついにITバブルがはじけ、ニューヨーク証券取引所、ナスダックともに下降線をたどっている。冷戦・ソ連崩壊後、十年が経過し、二十一世紀に入っての世界資本主義は、きわめて危機的な袋小路に入り込んだといえる。
小泉政権の構造改革攻撃は、日本の経済的社会的危機からの脱出を、労働者や農民、中小企業者など圧倒的多数の人びとに犠牲、「痛み」を押しつけることによって実現しようとするものである。いまこそ、労働者は、幻想を捨てて闘争に立ち上がるときである。
失業・リストラ合理化に抗して闘おう。小泉内閣の反動・改憲攻撃に反撃しよう。
部落史から取り残された諸賤民についてD
ケガレと部落差別(その1)
大阪部落史研究グループ
一、部落差別とケガレ
部落差別の謎とは、差別する側も、される側も、何故こんな差別をするのか、されるのかという事がわかっていない。「なんで差別するんや」と突き詰めて聞いていくと誰も答えられない、黙ってしまうのです。「穢多ってなんや」と聞かれて、「部落に住んでいる奴等のことや」と答える。しかし、これは、答えになっていない。「小川ってなんや」と聞かれて「水が流れてるとこ」と答えているだけで、その発生のメカニズムも何も、今に至るまでわからないまま差別しているのです。
今も深刻な結婚差別。七〇年代の奈良県下で起こった事件は、いずれも被害者は部落外の母親です。息子の結婚に反対した二人の母親の一方は、自分の腹を剃刀で切って目殺を図り、もう一方の母親は、鉄道に飛び込んでしまったのです。どちらも一命を取り留めたようです。この二人の母親の恐れていたことは何だったのか。「血がケガレる」ことの恐れだったようです。この辺に、ケガレと部落差別の関係が見え隠れしているようです。しかし、これもおかしな話で、被差別部落の彼女と結婚したとしても、彼女の血が母親の体内に入るわけではないのです、輸血でもしない限りは。これも突き詰めていくと、どうやら「戸籍」が関係しているようです。代々続いた○○家の家系図に、被差別部落の名前が入るのを嫌ってのことではないか、私の代で「部落の血」が混じってはご先祖様に申し訳ないとの思いからではないかと私は思うのです。
二、日本人のケガレ意識
人々からそれほど恐れられてきた「ケガレ」とは何だろうか。なぜ、「穢れ多い」穢多と呼ばれ、「穢れを持ち込む者」とされてきたのか。お葬式の「清め塩」、病院や旅館・ホテルなどでの四号室・九号室の欠落、大峰山などの女人禁制。あげれぱきりがないほど、日本人というのは、「ケガレに触れる」ことを忌み嫌います。かく言う私も、解放運動をやり始めて、ケガレ意識を学習するまで、何も考えずお葬式などで家に帰ってくると、玄関前で「清め塩」を体に振りかける行為をしていた。
いや、私はケガレ意識なんか持っていないという人、その証拠を一つ挙げてみましょう。トイレ用のスリッパやタオル、これらは恐らくトイレ専用になっている家庭が多いのではないか、洗濯する時も自分たちのものとは別に洗うと思いますが、どうでしょう。(つづく)
読書案内・「読書の秋」を前に二冊の良書
アイヌ・モシリの風
著者・チカップ美恵子 発行・日本放送協会 一五〇〇円+税
きれいな装丁の「アイヌ・モシリの風」を読みながら、このような本を、もしも日本人の一割でも読むとしたら、日本人はずいぶんとやさしくなるのではないか、靖国だの、単一民族だのという皇国史観の影響も薄まるのではないか、他の民族やマイノリティへの視線がやさしくなるのではないかなどと思った。
本書の巻頭グラビアにあるアイヌ文様刺繍の写真がすばらしい。いずれも著者のチカップ美恵子さんの作品なのだが、そこから北の大地のアイヌ・モシリに生きてきた人びとの息遺いが聞こえてくる。チカップさんはアイヌ文様刺繍家。
チカップさんは北海道の道東で生まれ、やさしい母親や親族たちに囲まれて、ゆたかなアイヌ民族の文化を自然に吸収しながら育った。彼女の生きてきた時代は、アイヌ民族であることを表明するのはどうみても「不利な」時代だったというのに、伯父さんや母親の「魔法にかかったらしく」、「私にとってアイヌ民族であることはあたりまえのこと」と思って生きてきたという。
語りつくせないような、書きつくせないような、そして描きつくせないようないろいろなことがあったに違いない。そしていま五十代になって、アイヌ文様刺繍家として生きている。
本書の第一章「母と娘のアイヌ・ラックル」では、生きとし生けるものをとうとび、共生していこうとするアイヌ民族の女性のゆたかな感性と、その源泉が描かれている。
第二章「天と大地とピトゥ(生活空間)」、第三章「ふれあう心」、第四章「沖縄、太陽のクニの光と影」、第五章「先住民族の祈り、それは生き方」では、アイヌ民族として、マイノリティとして生きることが、沖縄をはじめとして国中に、そして世界中に多くの友を得ていく過程でもあることが、九十年代にさまざまなメディアに書いてきたエッセイをつうじて語られる。
第六章「アイヌ民族の誇りをつむぐ」に書かれているのは、具体的な差別との厳しい闘いと、アイヌ・モシリの「ボーダーレス」とも言えるような思想や世界観が、インターナショナルな「交流」と「連帯」につらなり、それがこの地球星を覆いつくすことへの希望が語られる。
ゆっくりと何度か読み返してみたいと思わせる、この夏、出会った数少ない本である。
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南北統一の夜明け・朝米関係の軌跡をたどる
著者・鄭敬謨 発行・梶u技術と人間」 二五〇〇円+税
二〇〇〇年六月の朝鮮の南北首脳会談は日本に住むわれわれにとってはもとより、全世界の人びとに大きな衝撃と希望を与えた。
その後のオルブライトの訪朝などを経て、当時、クリントンの訪米はほぼ確実と思われていた。しかし、その後の事態は一直線には進んでいない。
朝鮮半島問題を正確にとらえること、理解することの困難さをあらためて思うと同時に、それがわたしたちにとっても本当に重要な問題であることを痛感しつつ、私を含めて自分の思考・洞察力の浅さを悔しく思う人は少なくないにちがいない。
本書はそうした問題の理解の背景となる日本と朝鮮の問題の歴史に触れながら、自らの人生を削って、わたしたち日本人に警鐘乱打している好著である。
本書のテーマとなっている金大中政権論、日朝百年の歴史への視点、南北首脳会談、その分析のいずれもが傾聴するに値する重さを持っている。
著者の鄭敬謨(チョンギョンモ)氏は一九二四年に現在のソウルに生まれる。アメリカ留学と帰国、そして一九七〇年、日本に亡命し、以来、三十年余、「一貫して南北統一のための活動をつづけ」現在にいたる。市民運動に携わっている人は朝鮮半島の平和統一をねがって活動する「シアレヒムの会」という名を聞いたことがあるに違いない。鄭氏はその設立者で代表。
鄭氏の著述活動は、巻末の井上澄夫氏(本書の編集者)の紹介によれば『ある韓国人の心』(朝日新聞社、七二年刊)、『日本人と韓国』(新人物往来社、七四年)、『韓国民衆と日本』(新人物往来社、七六年)、『岐路に立つ韓国』(未来社、八〇年)など。
巻末に収録された鄭氏の友人の詩人高銀氏の献辞の最後の一文は次のようなものである。
「この本を手にする人は悟るであろう。われらの未完の歴史を完成の歴史に変えようとしながら、その未完の歴史の中を生きる苦難の栄光が、いかに得難い貴重なものであるかを。統一! それが成し遂げられたときの歓喜を思ってもみよ。その時が来れば、その瞬間、廃人になろうとも、それを意に介することがありえようか」 (K)
複眼単眼
政治の芸能界化の進行 無内容の小泉メル“ガマ?”
小泉首相は政権発足時、そのセールスポイントのひとつとして、インターネットで内閣の情報を一般に発信するメールマガジン(小泉は「メルガマ」とさけんだことがある)を創刊すると発表した。
五月二九日に創刊準備号を出して、六月十四日に創刊号を出した。以来、毎週木曜日に配信されている。総編集長は小泉純一郎となっているが、編集長は安倍晋三内閣官房副長官。
内容は毎回「らいおんはーと」と称する小泉首相の雑文と、閣僚二名程度の「大臣のほんねとーく」など。「あとがき」は(晋)と書いてあるから安倍の手によるもの。
このメルマガ読者は現在二二三万八千人でギネス級という。しかし、最近では「中身がない」との批判も多く、解約も相次いでいるようだ。八月二三日号の編集後記では「みなさんから『政策解説』や『双方向性』についてのご要望が多かった」ので、政策解説やキーワード解説、情報コーナーなどを掲載すると弁明している。
「らいおんはーと」などというタイトルもそうだが、ことさらに「塩ジイ」がそれらしい文章を書いたり、政策的には無内容で、まぁ、ほとんど政府閣僚の芸能タレント化を披露するものになっている。
この「メルマガ」を見ていない人も多いので、少し紹介する。
六月十四日の創刊号で小泉は「総理というものは二四時間すべて公人、……不自由なこともありますが、私は二四時間、精一杯のことをやっていきますよ」と書いている。「靖国参拝は公人としてか、私人としてか」などへの回答はすでに「公人に決まっている!」わけだ。
八月二日号では、小泉がジェノバのG8首脳と「途上国」代表との夕食会で『貧困の解決のためには小学校からの教育が重要だ』と、大きな身振り手振りで、長岡藩の『米百俵』の話を紹介した。思わず熱く語ってしまった。話し終わると握手を求めにくる途上国首脳に囲まれた。全員に米百俵の英語版を送ることを約束しました」と得意げに書いてある。これを読んで赤面する思い(?、なにもコッチが赤くなることもないか)だった。
八月九日号では、子どもの頃に蝉やトンボの脱皮に関心をもったことに触れて「今思えば、小さいときから、脱皮とか変身とか、変るのがスキなのかも知れない。官邸の執務室で聴こえてくるセミの声に、こどもの頃を思い出した」と書いている。アラアラ、これは「変身」ではなく「変心」の間違いではないか。「靖国の十五日参拝変更」も「自民党を変える」がすでに忘れられたのもそうだ。これからさらに「変心」がでてくるだろう。
八月二三日号では健康に不安があると週刊誌に書かれたので、打ち消すための「夏バテ」談義。「一〇キロ激やせとか、重病説もでていた。実際はカゼをひいて少し体調を崩し一キロやせただけなのだが。……夏バテで体調の悪いときは、寝るのが一番。……普段、無茶して、薬や注射に頼るのはよくない。改革も似ているところがある。景気が悪くなると国債を増発して公共事業をを増やす。これでは対症療法になるが体質改善にはならない」という。まさか「経済は無策で寝ているのが一番」というのではないだろうね。
八月三〇日号では小泉首相は「歌を詠む」との一文。箱根での夏休みを終えて記者団に示した「短歌」というので報道もされた。
「柔肌の熱き血潮を断ち切りて仕事一筋われは非常か」と、与謝野晶子の歌の「本歌取り」だ。俵万智を何やらの審議委員に引っ張り出したり、下手な短歌を詠んだりと、本人は結構、悦にいっているようだが、実際のところ、他人事ながらまた「赤面して」しまう。晶子の元歌の意味がわかっているのか、いないのか。このノーテンキ男、やはり同じ派閥の先輩の森喜朗前首相と同様、頭をたたくとカラカラと音がするようだ。(T)