人民新報 ・ 第1035号 (2001年9月15日)
  
                                  目次

● 東アジアの緊張と日米同盟強化のブッシュ来日と日米首脳会談反対

● 小泉首相の靖国神社参拝に抗議し
    李京海さん(韓国の地方議会議員)永田町で二九日間のハンストを貫徹

● 個人情報保護法案をぶっとばせ 2600人の労働者・市民が結集

● 鈴木宗男の「日本単一民族・アイヌ民族同化論」に異議あり!
            --北海道選出議員としてのモラルハザード
                                       黒 田 哲 也

● 郵政事業の民主的改革を実現し、「郵政民営化」と闘いぬこう! (上)
                                           矢吹 徹

● うち砕かれた「つくる会」の野望  しかし、闘いはこれからもつづく
           「教科書問題」の総括と今後の闘いへの問題提起
                            沢井信一郎(教育労働者・北海道)

● 複眼単眼

     政府発表の失業率の怪しさ すでに10.4%か?




東アジアの緊張と日米同盟強化のブッシュ来日と日米首脳会談反対

 
小泉首相の「聖域なき構造改革」のかけ声だけは響くが、そのもとで日本経済はガタガタと音をたてて崩れている。その無策・無責任ぶりに、すでに与党の中でも不協和音が拡大している。
 一方、これとは対称的に、小泉首相の就任以来、目立って変化しているのが、日米安保・防衛問題であり、改憲問題だ。「つくる会」の教科書採択問題では文科省の検定を擁護しつづけ、靖国神社の参拝を強行した。就任後の日米首脳会談では憲法違反が明白な「集団的自衛権の行使」や、核軍拡と緊張を激化させる「MD(ミサイル防衛)」への道を開いた。また改憲の提起を目指して、「首相公選制」の検討のための私的諮問機関を発足させた。集団的自衛権の行使の「合法化」をねらう「国家安全保障基本法」や、有事立法の具体化としての「国民緊急事態法」などの悪法の制定の動きもある。この秋の臨時国会からはこれらの危険な法案が、与党の数に任せて審議されようとしている。
 これらの動きは、二十一世紀の平和と共生をめざす日本やアジアの民衆の願いに反するものであり、とりわけ東アジア一帯の軍事的・政治的緊張を激化させるものだ。
こうした中で来日するブッシュ米大統領と小泉首相の再度の首脳会談がどのような役割を果たすのか、その危険性は火をみるよりも明かだ。
私たちは今回の日米首脳会談と、ブッシュ・天皇会見など一連の動きを許さない。
すでに東京ではブッシュ大統領の来日と日米首脳会談に対する対抗アクションの取り組みが広範な人びとによって準備されている。ここにその呼びかけ文の要旨を掲載し、ともに支持し、闘うことを呼びかける。(編集部)

 来たる十月にブッシュ米大統領の来日が予定されています。
 十月二十日から上海で開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議への出席の途上、日本と韓国を訪れるものです。ブッシュ大統領就任後、初の来日、訪韓、訪中という事になります。日程は十月十六日〜十八日の来日、その後の訪韓、訪中が有力とされており、来日中には、小泉首相との日米首脳会談、天皇との会見なども予定されています。
 この間ブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約(CTBT)、京都議定書、人種差別反対世界会議からの撤退を相次いで表明するなど、自己中心的な単独行動主義(ユニ・ラテラリズム)を強めてきました。とくに軍事面では、@ミサイル防衛(MD)という名の大軍拡政策の推進、Aこれまでの「二正面戦略」の見直しと、対中国を中心として引き続き朝鮮半島などもにらんだ東アジアへの重点移行、BPKF(国連平和維持軍)などによる地域紛争介入で「同盟国」の役割分担拡大――といった戦略の再編を進めています。今春、ブッシュ政権が行った対朝鮮政策の見直しは、昨年の南北首脳会談による朝鮮半島の和解と平和、民族自主の高まりに冷水を浴びせ、引き続き緊張関係を持続させようとするものです。
 こうした中でブッシュ政権は、日本が米国とともに軍事行動を行うための「集団的自衛権」容認に踏み込むよう要求するなど、軍事面での日本の役割分担要求を強めています。今年五月に発表された米国のランド研究所報告では、沖縄米軍基地の「整理・縮小」どころか、台湾海峡をにらんで沖縄の下地島をはじめ琉球諸島南部への新たな米軍展開まで提言しています。
 一方、小泉首相は、米国の要求に沿うように、政権発足当初から「集団的自衛権」行使の容認、憲法改悪を公言しながら、内外の強い反対の声を押し切って靖国神社の参拝を強行しました。「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史歪曲教科書問題とともに、まさに「戦争のできる国」づくりのための国民的土台づくりをめざす危険な動きです。この中で、報道によれば政府・自民党は、有事法制の国会提出を、来年の通常国会にも提出する方針を固めたといわれています。
 先にキャンプ・デービットでおこなわれた第一回首脳会談で、小泉首相は、沖縄駐留米兵による性暴力事件発生直後にもかかわらず、ブッシュ大統領に抗議すらせず、米国のミサイル防衛計画に「理解」を表明しましたが、今回の日米首脳会談は、これら一連の動きをさらに加速するものとなるでしょう。
 また、一昨年のWTO(世界貿易機関)シアトル会合や、先のジェノバ・サミットが世界の多くの民衆の抗議の渦に包まれたように、市場万能・弱肉強食の「グローバリゼーション」「新自由主義」に対する抵抗も強まっています。いま、グローバル化の名のもとで、米国を頂点とした一握りの富める者がますます富み、そのなかで南北格差は一層拡大し、「先進国」と呼ばれる諸国内でも貧富格差が拡大しています。こうした状況こそ、国境を越えて生活の糧を求めることを余儀なくされた移住労働者問題を生み出している構造的要因です。そして、各国内で強まる自国中心主義は、これらの人々をターゲットとした差別・排外主義の高まりの悪循環をも生み出しています。石原都知事の在日外国人に対する排外主義的扇動は、まさにその典型的事例です。
 小泉首相の「改革」路線が、まさにこうした「新自由主義」の流れに沿ったものであることは言うまでもありません。日米首脳会談は、数日後のAPEC上海会議への日米の利害調整の面も持っています。
 私たちは、このブッシュ大統領の来日と日米首脳(小泉・ブッシュ)会談に対して、市民・民衆の側から、日米新ガイドラインと有事法制、集団的自衛権行使の容認、憲法改悪、違憲の皇室外交、沖縄米軍基地の固定化の動き、さらにグローバル化の名のもとで進められる新自由主義、単独行動主義の動き等々に対する反対と、沖縄米軍基地の縮小・撤去をはじめとするさまざまな要求をぶつけていくことが必要ではないかと考えます。
 すでに韓国でもブッシュ訪韓に対する市民・民衆によるさまざまな行動が準備されており、日本の行動との連帯も呼びかけてきています。私たちの行動は、この韓国の行動と具体的に連帯した取り組みとなります。
 
 呼びかけ団体(九月一〇日現在)

 アジア連帯講座/NCC(日本キリスト教協議会)平和・核問題委員会/沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック/核とミサイル防衛にNO!キャンペーン/韓国良心囚を支援する会全国会議/憲法を生かす会/国連・憲法問題研究会/在日韓国民主統一連合/新社会党中央本部/STOP!改憲・市民ネットワーク/全国労働組合連絡協議会(全労協)/戦争協力を拒否し、「有事法」に反対する全国FAX通信/戦争に協力しない!させない!練馬アクション/命どぅ宝ネットワーク/日韓投資協定NO!緊急キャンペーン/日韓民衆連帯全国ネットワーク/派兵チェック編集委員会/反天皇制運動連絡会/非核市民宣言運動ヨコスカ/ピースサイクル東京ネットワーク/ピース・チェーン・リアクション/明治大学駿台文学会/許すな!憲法改悪・市民連絡会/労働運動活動者評議会/反安保労働者講座、ほか個人七名。

実行委員会連絡先(順不同)

 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック090(3910)4140
 戦争協力を拒否し「有事法」に反対する全国FAX通信03(5275)5989
 日韓民衆連帯全国ネットワーク03(5684)0194
 許すな!憲法改悪・市民連絡会03(3221)4668


小泉首相の靖国神社参拝に抗議し

    李京海さん(韓国の地方議会議員)永田町で二九日間のハンストを貫徹


 小泉首相の靖国神社参拝に抗議して、韓国の全羅北道議会議員・外交協力委員会委員長の李京海さんが八月十四日から九月十一日まで、二九日間、永田町の衆議院第二議員会館前で、決死のハンガーストライキを行い、十一日、折からの台風の真っ只中で支援者とともに終結集会を行って帰国した。
 八月三〇日の時点で、体調を案じた韓国の全羅北道議会議員四名などが、病院の診察を受けさせたあと帰国手続きをして空港に同行したが、李さんは帰国を拒否した。空港で同僚議員を見送ったあと、ひとりで電車で国会前に戻り、断食闘争を継続した。以降も健康を心配した支援者らが断食の中止を説得したが、李さんの意志は堅固で、命をも犠牲にする覚悟で闘いを継続した。
 李さんは九月に入り、体力も限界に近づき、横になって目を閉じていることが多く、肌寒い雨の日でも傘を立てかけたまま横になっていた。それでも李さんの闘志は堅固だった。九月九日、李さんの生命を案じた全羅北道議会議長らが来日し、日本側の支援者らとともにハンストの中止を訴えた。その結果、闘いは日本にいる仲間がさまざまな形でかならず引き継ぐことを確認し、再度、内閣府に要求を出して、十一日、李さんはハンストを解いた。
 李さんが内閣府に出した
三項目の要求(要旨別掲)にたいして、小泉首相はいまなお完全に黙殺している。李さんに対するこの非道な対応を絶対に許さない。

小泉首相の靖国神社参拝は韓国・日本の友好関係を大きく損なうものだ!

 小泉首相は国内外の強い反対を顧みず、八月十三日に靖国神社の参拝を強行しました。このことは、両国の平和友好の流れに水をさす反平和的な欺瞞行為であり、両国民の良識を踏みにじることに他なリません。私たち韓国民にはかつての植民地時代の『神社参拝強制』という苦い経験が、今でも傷深く残っているからです。
 日本の軍国主義・国粋主義の象徴である靖国神社を小泉首相が参拝したことに、激しい怒リと失望を禁じ得ません。この時代錯誤的な行動は、両国民の友好関係へ願いを完全に無視するものであり、アジア平和への挑戦であります。
 ここに、韓国民の厳しい怒りを伝え、かつ日本社会の良識に再び呼びかけるた
め、以下の要求項目を掲げ断食闘争に踏み切りました。

 一、小泉首相は靖国神社参拝を反省し、謝罪せよ!
 靖国神社参拝はアジアの平和、世界の平和を脅かすものである
 二、靖国神社に合祀されている韓国人(二一一八一人)の名簿を霊爾簿から削
除し、韓国の家族にもどせ!
 合祀は本人や遺家族の人権・宗教の自由を無視するものである
 三、「つくる会」歴史教科書の検定合格を撤回せよ
 扶桑社の歴史教科書は日本のアジア侵略や韓国植民地侵略を美化するものである

二〇〇一年八月

 大韓民国全羅北道議会議員・国際協力委員会長/ 韓国農業経営人中央連合会第二代会長 

       李京海


個人情報保護法案をぶっとばせ 2600人の労働者・市民が結集

 「個人情報保護」という美名のもとで、それとは全く反対に、国家や行政機関がプライバシーを含む個人情報を一括して管理するための危険な法案が準備されている。
 九月二日、午後二時から八時まで、東京・日比谷野外音楽堂に二六〇〇人の市民や労働組合員などを結集して、「個人情報保護法案をぶっとばせ!二〇〇一人集会」が開かれた。集会を呼びかけたのはジャーナリストや作家、出版関係者、関連労働組合、市民団体などで作られた同集会実行委員会。賛同人には佐野真一(ノンフィクション作家)、田原総一郎(評論家)、斉藤貴男(ジャーナリスト)、有田芳生(ジャーナリスト)、宮崎哲弥(評論家)、吉武輝子(評論家)、芹沢俊介(評論家)、佐高信(評論家)、青木雄二(漫画家)、岡本厚(雑誌編集者)、桜井よしこ(ジャーナリスト)、城山三郎(作家)、大橋巨泉(参議院議員)の各氏など、多数の思想信条を超えた人びとが名を連ねた。出演者も多様な人びとで、井上ひさし(作家)、澤地久枝(作家)、田中康夫(長野県知事)の各氏ら三〇人にのぼった。
 テーマは各パートごとに「雑誌はいままで何をやってきたのか」「きれいなメディア、きたないメディア」「あなたはいかに狙われ、奪われるのか」「笑い・記憶・権力」「表現よ、限界に向かえ」「小泉政治の何がいちばんダメなのか」などで、延々、六時間を超えるプログラムがつづいた。
 冒頭に主催者を代表して佐野真一氏があいさつした。
「この秋の国会で審議されようとしている個人情報保護法案は、個人が自己の責任と権利にもとづいて生きようとする意志と権利を押しつぶそうとするものだ。私たちはこの社会が、一部権力者や一部官僚の恣意的なコントロールによって左右されることを望まない。私たち自身と、次代をになう者たちの耳と目と口が、これらの者たちによって奪われることを望まない。いまもっとも急がれるのは、個人情報保護法案とそれが法律化されようとする今日の世界と日本のありようを、私たち一人一人の問題としてとらえかえし、それぞれの立場から法案反対の声をあげ、廃案をもとめていくことである。この集まりがその機会となることを私たちは信じて疑わない」とあいさつした。
 また発言にたった各雑誌の編集長らは、それぞれの立場から「法案は言論表現の自由の根幹を揺るがすものだ」(『世界』)、「メディアは報道の義務を果たしていないという市民からの批判に対して、権力の監視・チェックをきちんとしてこなかったことの自己批判からはじめるべきだ」(『サンデー毎日』)、「またこの法律で出版界のヤーナ気分の自主規制が増えるのかと思う」(『ダカーポ』)、「法案は政治家のプライバシーと一般市民のプライバシーをいっしょくたにしている」(『週刊金曜日』)などとつぎつぎに厳しい批判を展開した。
 集会はこの危険な法案を協力して世論に訴え、葬り去る決意を示し、宣言(要旨別掲)を採択した。

宣 言(要旨)

 継続審議になっていた「個人情報保護法案」が再び目を覚まし、雄叫びをあげている。われらはこの法案が、戦前ナチス・ドイツのヒトラーが、報道の範囲と中味は政府が決定すると発令した「大統領令」に酷似する、悪質なメディア規制法であることに警鐘を鳴らし続けてきた。
 われらはまた本法案が、地域文化と企業文化の衰退のあとで、国家権力がみずから保有する情報の公開をしぶり、「知らしむべからず、よらしむべし」の統治手法再構築を狙わんとする本能的野心の顕われであると言い続けてもきた。
 それがいま、何の修正や改変もないままに、強行採決されようとしているのだ。
 この法案の正体は、プライバシー保護の美名の下に、公人である政治家と官僚のスキャンダルまで報道禁止にできる「政治家・役人情報保護法」だ。日本国憲法にも保障された「報道と出版」「思想と表現」の自由を破壊し、権カ保護という新たな「聖域」を作り出す、これは「聖域なき構造改革」の、二枚舌法案だ。
 「コンピュータに一千名程度以上の名簿、あるいは個人データを蓄積する者はすべて『個人情報取扱事業者』になる」との法案作成担当役人の言を思料すれば、これは、職業的表現者や報道関係者であるかどうかにまったく関係なく、老若男女、主婦もサラリーマンも、生産者も流通業者も消費者も、大学教員も学生も芸能人も、八百屋やそば屋やファストフードのパート従業員も、政治家もホスト、ホステスも、すべての市民が「個人情報取扱事業」扱い者にされ、国家の監察下に置かれるのみならず、権力が容易にわれらの情報に干渉できる道を開くことを意味する。
 すなわちそれは、パソコンのある茶の間や書斎、大学や企業やそれらの研究室を取り締まるものだ。
 国民の耳と目と口を奪う、かかる電脳版「治安維持法」の国会通過を、われらは座視するわけにはいかない。
 第二次世界大戦の死者、アジア側二千万、日本側三百万。その命であがなった戦後のわれらの財産「報道と出版の自由」「思想と表現の白由」および「結社の自由」を守り、さらにあらたな情報環境の下でいっそうの充実と飛躍をさせるため、「個人情報保護法案・絶対反対、断固廃案」の声をあげ、ともにたたかおう!
 以上、宣言する。

 二〇〇一年九月二日

 9・2個人情報保護法案をぶっとばせ!二〇〇一人集会参加者一同


鈴木宗男の「日本単一民族・アイヌ民族同化論」に異議あり!

            --北海道選出議員としてのモラルハザード

                                       
黒 田 哲 也

 経済産業相・平沼赳夫と自民党総務局長・鈴木宗男による、あい次ぐアイヌ民族抹殺発言は、北海道ウタリ協会の指導部の人事問題や、『反人種主義・差別撤廃世界会議』(国連主催・南アフリカ共和国ダーバンで開催)政府代表団へのアイヌ民族参加者をめぐる紛糾へと発展した。そして今また、一切の謝罪を拒んでいる鈴木宗男が、一連の発言に関する北海道ウタリ協会からの質問状を付せん付きで送り返す行動に出るなど、事態は険悪化の一途をたどっている。
 自民党議員セミナーでの「(日本は)小さな国土に、一億二六〇〇万人のレベルの高い単一民族でぴちっと詰まっている」と言う平沼の発言や、「(日本は)一国家・一言語・一民族と言ってもいい。北海道にいるアイヌは今は全く同化された」とする鈴木の外国特派員協会主催講演会での発言は、表現の差こそあれ十五年前の中曽根発言(「日本は単一民族」)と同質のものである。この発言に対し、当初、北海道ウタリ協会の笹村二郎前理事長は、質問状や電話で「発言の真意」を確認する程度で、北海道各地の同協会支部からの抗議行動の要請に応えることなく断固たる抗議行動を回避し続けた。
 その結果、八月上旬に開催された理事会において、「暴言に対する対応に問題がある」として、笹村氏ら四人の役職を解任する動議が賛成多数で可決され、新たな理事長が選出されるに至った。ほとんどのマスコミは、解任された笹村前理事長が鈴木宗男の後援会会長であることを報道していないが、笹村氏が鈴木と同郷の地において建設業者として今後も生き延びて成功していくには、避けて通れなかった道とも言えよう。 この解任決議に対して、当の笹村理事は「間違ったことは何もしていない。解任は不本意」などと述べ、解任はあくまでもアイヌ関連施設の誘致をめぐる理事間の確執と、協会運営の手法の相違という点に求めようとしていたが、実際は鈴木らの暴言を事実上容認したことへの批判であったことは明らかである。一方、新たに理事長に選出された秋田春蔵ウタリ協会前副理事長は、「平沼経済産業相と鈴木議員の差別発言は断じて許せず、早期面会して厳重抗議する」との姿勢を明確にしたが、その直後、外務省は国連の『反人種主義・差別撤廃世界会議』の政府代表団へのアイヌ民族の代表参加を白紙に戻すことを北海道ウタリ協会に通告してきた。民族の代表を誰にするかは、協会内部の問題であるにもかかわらず、解任された前副理事長以外は認めないとするのは内部干渉以外の何物でもない。
 この一連の人選問題の裏には、己の後援会長を解任し、毅然と批判をして抗議行動を組織しようとする秋田理事長らに対する鈴木の暗躍があったことは疑いない。事実、それ以降の鈴木の言動は常軌を逸しており、彼の本質を満天下に示すこととなったのはむしろ良いことであった。
 八月二十四日、札幌市で開催された後援会総会で鈴木は、自身に対する批判に対して「一民族とは国民のこと。アイヌのみなさんは日本語を使っている日本の国民じゃないですか」などと発言し、「一国家、一言語、一民族の一民族とは英語で言えばネーション。日本人、アイヌ人、パキスタン人という時の民族はエスニック」等々、支離滅裂な弁明を行った。
 「民族」と「国民」が、階級的にも構造的にも異なる概念であることは常識である。更に「全く同化されている」との発言は、「血が同化したと言ったのなら批判されても仕方がないが、(日本人と)一緒に生活している『仲間』という意味で使ったものだ。(ウタリ協会の)新執行部はもう少し勉強してもらいたい」などと噛みついた。同化するということは、仲間になることだというのである。前代未聞の詭弁ではないか。
 歴史の事実から言えば、一八六九年に日本政府は、アイヌの大地(モシリ)を一方的に領土に組み込んで「北海道」と命名した。彼らはアイヌ民族の土地を国有地として、天皇家をはじめ政府官僚・資本家・士族等に分配し、屯田兵制度をテコとして「開拓」という名の侵略を開始した。その後、日本政府はアイヌ民族を天皇の臣民として日本の戸籍制度に編入して、日本式の姓名を強制的に押し付け、日常生活の基本である鮭漁や鹿猟に著しい制限を加えて、アイヌを困窮のどん底に突き落とした。
 一八九九年に制定された「旧土人(アイヌは旧土人とされた)保護法」は、保護とは全く無縁の激しい搾取にアイヌをさらし、彼らのわずかに残された財産をも収奪する法的根拠とされた。政府が土地(荒地)を付与して農業を「奨励」し、教育や医療・生活扶助に対する補助を行ったのは、アイヌの経済的自立の芽を摘みとり、日本国民に同化させる狙いがあったからである。同化とは、まさしく民族固有の有形無形文化や言語などを奪い取り、民族を絶滅・抹殺させようとする暴力的行為であり、鈴木の言うような「仲間になる」ことなどでは断じてない。ウタリ協会が「勉強すべきは、鈴木議員本人だ」と述べたのは、全く当然である。
 だが、今回のような発言は、突然口が滑って出たのではなく、小泉らの押し進める「参戦国家」体制づくりを意識したもので、将来的にもそうした体制づくりの障害・反対勢力となるであろう在日外国人や少数民族に、排外主義的に対応するための布石に他ならない。鈴木は北海道選出の議員であり、決してアイヌ民族の存在を忘れていたわけではない(いたるところで「アイヌ新法制定の労をとった」とふれ回っていたではないか)。自分の選挙の時には後援会の重要な票田として頭も下げるが、支配階級に奉仕する政治権力者として国家の進路・方向に関わる部分については、容赦なく切り捨てることをためらわないのである。
 しかしそれでも、鈴木の差別発言に関わる釈明内容は余りにもお粗末で説得性がなく、論理のすり替えや居直りと傲慢に満ち溢れた、モラルのかけらもないものである。その意味で、このような言動を繰り返す輩を国会議員として放置せず、きっちりと責任をとって辞任させることが何よりも重要である。質問状の受け取りを拒否した鈴木は確信犯であり、その行為は秋田理事長の指摘どおり「アイヌ民族への挑戦」である。否、そればかりでなく、ウィルタやニブヒなどの国内の少数民族への存在を否定したものとして、既に国境を越えた抗議行動が展開されているのである。
 だが、差別をした和人には差別されたアイヌ民族ではなく、主として同じ和人の側からの断固たる厳しい批判・抗議行動を加えるのが筋ではないだろうか。わが国の一般紙は、この問題に関してその後の追及を放棄してほとんど取り上げていない。わずかに「読者の投書欄」でお茶を濁しているだけである。
 今後様々な抗議行動が予定されているが、本当の闘いはこれからである。アイヌ民族と連帯して、鈴木らが前言を白紙撤回し、明確に謝罪し、議員を辞任するまで闘い抜こう。

抗議先(国会事務所)

平沼赳夫経済産業相
 info@hiranuma.org
電話 03・3508・7310
鈴木宗男衆議院議員
 info@muneo.gr.jp
電話 03・3508・7115


郵政事業の民主的改革を実現し、「郵政民営化」と闘いぬこう! (上)

                                           
矢吹 徹

 はじめに

 ダイレクトメール汚職、さらには自民党高祖派選挙にからむ「郵政ぐるみ選挙」違反など、カラスが鳴かない日があっても郵政管理者のスキャンダルが報じられない日はない。
 周知の通り、国鉄分割民営化の前段、国鉄の累積債務問題とともに国鉄労働者への「ヤミ・カラ」攻撃が集中的に加えられた。現在、郵政民営化は、管理者たちのスキャンダルとともに進行している。全逓本部の全国特定郵便局長会・郵政事業庁・全逓・全郵政の「内なる力を一つに」し、民営化を阻止するという路線は完全に破綻している。郵政労働者は、全特、郵政事業庁との運命共同体を断ち切って、労働組合本来の独自の要求、運動、闘いを押し進めることが必要である。
 郵政労働者は、今こそ郵政事業の民主的改革を実現し、「郵政民営化」攻撃と闘い抜かなければならない。

郵政事業庁移行後の様々な動き

 本年一月六日、郵政省は、長年の歴史に終止符を打ち、中央省庁再編にともない、総務省の企画管理室と郵政事業庁とに分割再編された。いわゆる外庁化である。事業庁は、四月にはいると「郵便新生ビジョン(案)」(以下、「新生ビジョン」)なる大合理化計画を発表し、徹底した人員削減と非常勤化で、単年度赤字の解消を打ち出した。二〇〇三年四月、郵政公社へ向け問題なく進むように思われたが、四月の自民党総裁選で大波乱が生じた。本命と目された橋本氏が敗れ、「郵政民営化論者」小泉首相が誕生することになった。メディアの報道は、小泉改革と連動して総裁選を前後し、郵政民営化待望論一色となった。
六月には、「公社化」以降の郵政三事業のあり方を検討する小泉首相の私的諮問機関「郵政三事業のあり方について考える懇談会」が発足した。座長の田中直毅氏をはじめ委員一〇人中六人が郵政民営化を公言している。
 七月には参議院選が行われた。「郵政民営化反対」でほぼまとまっていたのは、現国会議席保有政党では共産党と社民党(一部は賛成)だけであった。選挙戦の結果、参院の新勢力全体では、三事業の民営化と一部でも民営化賛成が、あわせて三一%、反対が一四%、その他二九%、無回答二七%となった。賛成が反対を大きく上回り、その他無回答五六%と態度を決めかねている状況となった。
そこに新たな問題が浮上した。八月一日、京都中京郵便局総務課長と元副局長が、高祖派選挙違反で逮捕された。九月一日現在、逮捕者は近畿郵政局長を含め十五名、史上まれにみる「郵政ぐるみ選挙」違反事件へと事態は発展している。
とりわけこの間の一連の動きの中で注意せねばならないことは、必ずしも小泉改革に期待を寄せる部分ではないにせよ、一定の市民層や市民派議員、さらには国会議員の中に新たな民営化賛成層が誕生していることである。もちろん、これは民営化反対勢力の働きかけが不足している反映でもある。
 そういった意味において、郵政民営化とはどのような背景と本質を持つものなのかを明らかにし、あわせて郵政事業の本当の改革とはどういった方向かを早急に提示することが求められている。我々は、民営的改革対「国民」のための民主的改革という新たな対抗軸の提示を急ぐ必要がある。
 郵政部内の労働組合の一つ、全労協・郵政全労協は、新たな公共性の確立をめざした独自の改革案をまとめた「事業論パンフT・U」を発表した。さらに、総務省あての「公社化要求」を取りまとめている。我々は、こういった郵政の民主的改革の理念と政策を打ち出す努力を断固支持するものである。こういった試みの内容をわかりやすく地域へ広げ、広範な市民の理解と支持をえるような運動展開が求められている。

現在の対立構図はマスメディアの産物

 小泉改革をめぐってメディアは、もっぱら改革対守旧、或いは抵抗勢力という図式を描き出した。しかし、この図式は正確かといえばそうではない。むしろ誤りでさえある。
 まず、小泉改革とはどういったものなのか。それは、これまで自民党が行ってきた湯水のごとく公共投資を行い、利益を誘導し、派閥力学でやってきた政治を打破し、「構造改革」を断行するというものであった。この「構造改革」を主張したのは、二〇〇〇年六月総選挙では民主党であった。二〇〇一年参議院選では、小泉自民党と民主党による「構造改革」の本家争いが生じた。結果は、小泉人気と業界団体のダブルパワーで自民党が圧勝した。
 しかし、すでに九〇年代半ばから、自民党自体が旧来型の政治の克服を開始している。橋本内閣では、新国家主義に基づく一連の反動化を進める一方で、「六大改革」をかかげ、新自由主義的改革を開始した。橋本内閣の手で消費税が増税され、医療保険制度が改悪され、大店法が廃止され、労働法制が相次いで改悪されたのであった。その結果が、今日の大不況に他ならない。橋本、小渕、森と続く自民党政治こそ緩やかな新自由主義=構造改革の路線であったことを事実として押さえておかなければ、今日の本当の対立の姿を見ることはできない。
同様のことが郵政民営化でもいえる。改革対守旧、改革への抵抗勢力という描き方は正確ではない。現在表面化している郵政をめぐる対立は、小泉首相らによる急進的な民営化路線と橋本派、総務省、郵政事業庁による緩やかな民営化路線の対立である。いずれも、民営化=規制緩和を内容とする新自由主義的改革の枠内の争いである。次の項で、郵政公社の問題点について述べることになるが、すでに総務省の公社化原案が発表されている。片山総務大臣は、「限りなく民営化に近づく」などとコメントを述べている。これは、現在の対立の構図を見事に表現するものである。
 我々は、こういった対立構図の本当の性格をつかむことで、民営化問題を原点に引きもどして議論し、「国民」のための郵政の民主的改革を議論することができる。

郵政公社は、緩やかな民営化路線

 守旧派、抵抗勢力と呼ばれているが、実際には、郵政三事業は確実に民営化へ向かっている。
 二〇〇三年四月には、郵政事業庁は、郵政公社へと移行する。郵政公社が、現在の三事業と最も違う点は、郵政公社の経営が、「独立採算の下で自律的かつ弾力的な経営」ができるということであり、「主務大臣の監督は法令で決めるものに限定する」、「予算決算は企業会計原則として、予算の毎年度の国会議決を要しない」、「中期計画を策定し、業績評価とする」など完全なる「独立採算性の導入」によって営利企業化、民営化への道を歩み出すということである。
 郵政公社は、企業会計原則で儲けることが最優先となり、儲かった費用は繰り越しもできれば流用もできる。また、内部留保もできるし、中期計画で運営することもできる。国会のチエックなしで民間企業と同様の経営ができるのだ。
 郵便事業では、民間事業者の参入が始まる。民間参入で現在のユニバーサルサービスが維持できるかどうか、最大の危機がやってくる。郵政公社は、独立採算で儲からないところは削減する経営方針が想定される。削減される郵便局や職員で住民本位の郵便事業が成り立たつはずはない。
 郵貯や簡保も資金運用部への預託を廃止し、全額自主運用が段階的に実施される。「国による保証」問題や「資金の使い方」が問われることになる。自主運用といって「国民」の資産が、元本保証のない市場で運用される。現に、郵貯・簡保の資金運用は、株価の低落の中で多額の損失が生じている。
郵政労働者にとっても、郵政公社は大合理化となって襲いかかってくる。郵政事業庁職員は、公務員でありつつも国の総定員法の適用が外されている。当初の一割が削減目標とされていたときのこと(現在は二五%)であるから、明らかに一割以上の削減を見込んでのことである。職員の人員削減と非常勤化が進むことになるだろう。「民間人で仕事をし、信書の秘密もない」といった民営化論者のたわごとがたわごとではなくなるのだ。
 郵政公社が、「国民」へのサービスの向上とはならず、逆にサービスの低下を招くものであれば、一気に民営化へ進む可能性すらある。郵政公社は、決して法律に記された民営化等の見直しをしないものではなく、民営化への確実なステップなのである。

小泉首相ら急進的郵政民営化論の背景−アメリカと銀行の利益を最優先

 民営化が可能かどうかの以前に、なぜ民営化か、その動機と目的をみておかなければならない。郵政民営化の背景には、銀行や生保業界、さらには、アメリカの金融資本の強い要求がある。全国銀行協会や生命保険協会は、郵政民営化を早くから主張してきた。彼らは、郵政民営化の理由として、いく度となく「官業は民業の補完に徹すべき」であり、郵貯・簡保は肥大化しすぎて「民業を圧迫している」と述べてきた。しかし、郵貯・簡保のバブル経済の時期の肥大化路線は問題があることは事実としても、実際は、郵貯が個人預貯金に占める割合は約三割、個人保険の保有高に占める割合も約一割と一〇年間ほとんど変わってはいない。むしろ、日本版金融ビッグバンの本格的な到来こそ郵政民営化へ駆り立てる最大の動機である。
 日本版金融ビッグバンとは、証券、銀行、保険など金融資本全体の徹底した自由化であり、当然、地方銀行から大手銀行までが激しい競争にさらされることになる。すでに、北海道拓殖銀行や山一証券などがつぶれ、金融業界を大再編の波が襲っている。そのような時に国営の郵貯があったら資金が大量に流れ込み、銀行や生保が困るというわけである。さらに、アメリカの金融資本も日本の個人部門の金融資産一四〇〇兆円をねらっている。アメリカの金融資本は現在証券市場を中心とした金融の仕組みを世界的に構築せんとしており、日本は最大のターゲットとなっている。古くは日米構造協議から、最近では小泉訪米時でもこの問題が取り上げられている。
 小泉首相は、一九七二年の初当選以来議員生活の半分以上を大蔵常任委員会に所属していた。理事や委員長も経験し、その政治経歴は銀行金融畑で染まっている。自民党と金融界をつなぐ族議員の集団「自由経済懇話会」の事務局長的な立場でも活動していたことで知られている。この「自由経済懇話会」には、全国銀行協会、生命保険協会など金融十四団体が参加している。
 実際、小泉首相が打ち出す政策といえば、不良債権の早期処理や露骨な銀行支援策である「株式買取機構」の設置など不祥事が多発し乱脈経営による経営不安、果ては、税金投入で信頼を失った銀行業界への支援策ばかりである。小泉首相について、仏紙ルモンドは、「銀行を代弁する政治家だ」(四月二十五日)と報じている。結局、古い公共事業中心の利益誘導の利権政治から銀行や多国籍企業中心のあらたな利益誘導と利権構造の再構築が進んでいるということである。 (つづく)


うち砕かれた「つくる会」の野望  しかし、闘いはこれからもつづく

           「教科書問題」の総括と今後の闘いへの問題提起

                            
沢井信一郎(教育労働者・北海道)

「つくる会」の策動は敗北

 今回のつくる会の教科書採択結果を見ると、私立校では、歴史・公民両方を採用したのが六校、歴史のみを採用したのが一校、公民のみを採用したのが二校である。公立学校では、市町村や区に採択権のある地区(五四四地区)では採択はゼロであり、わずかに都道府県教育委員会に採択権のある東京都と愛媛県の一部の養譲学校のみの採択となった(この養護学校の採択は、採用という実績づくりのみのために、子どもたちの実態や学ぶ権利を無視するという許しがたい差別行為である。強い怒りをもってこのことを記しておきたい)。
 以上の数字だけを見る時、「つくる会」側の目標とした一〇パーセントとはほど遠く、新聞報道では〇・〇三五パーセントの採択率であり、数字だけをみれば「つくる会」側の敗北とみることができる。これは良心的な市民運動や闘う教育労働者をはじめとする世論の確かな勝利である。

 「戦争のできる国づくり」めざして

 今回の「つくる会」のねらいは、いわゆる「戦争のできる国づくり」のための思想攻撃であることは言うまでもない。
 湾岸戦争以来、強まる米国の日本に対する軍事的役割の要求。そして立ち遅れた多国籍化企業による経済侵略を保障するための財界による軍事的要求。この二つの要求が、政府・自民党に海外派兵のできる自衛隊と徴兵制を本気で考えさせている。
 その障害となるのは、言うまでもなく憲法第九条であり、それなりに国民に根づいている憲法をよりどころとした平和思想である。
 「つくる会」の歴史と公民の教科書は、その障害を教育や国民の思想の分野から一掃するという明確な政治的課題をもってつくられた教科書である。
 歴史・公民両方に共通する現憲法の「おしつけ憲法」論と、最大限にまで持ち上げられている大日本帝国憲法、明治以来の帝国主義侵略の肯定、国防の意義の強調。これらは先に述べた政治的課題を受けた露骨なイデオロギー注入である。そして、そのイデオロギーのバックボーンとして、またしても天皇制イデオロギーが登場している。歴史の教科書における神話の大幅な記述、公民の教科書における天皇ヒロヒトの二ぺージのコラム、極めて強い復古的な印象をまず第一に感じる。「つくる会」を支えている勢カが神道を中心とする宗教的勢力や旧軍人層、右翼を含んだ国家主義的勢力、あるいは青年会議所などであることを見た時、その復古的主張は当然ではあるが、今後の国家戦略としての「戦争のできる国」を選択した政府自民党及び財界の現代的課題を受けていることが主要な面であることを確認しなければいけない。だからこそ、この教科書は危険な教科書なのである。

 「勝利」とだけは言い切れない

 今回の極めて低い「つくる会」の採択の要因を考える時、国内の主体的な闘いの要因として評価できる面としていくつか上げておきたい。
 @市民運動の高まりとそのネットワークによる全国的な監視体制。
 A良心的なマスコミや著名人・知識人による世論喚起。
 A戦後五〇年以上経過する中で、それなりに根付いている憲法の平和主義。
 B教員組合が実践してきた平和教育とそれに対する社会的認知、などである。
 しかし、反面、われわれの主体的な力とは別に、その露骨な侵略戦争の肯定による中国・韓国をはじめとするアジアの人びとの猛反発と、そのあまりの復古的かつ断定的な内容に躊躇せざるを得なかった教育委員会の姿という敵失に助けられたという側面もある。
 さらに、「つくる会」とそれを後押しする政府自民党の圧力により、各教科書会社が自主規制の名のもとに戦争にかかわる記述を軒なみ後退させたこと、「慰安婦」問題の記述などで右派に攻撃のターゲットとされた「日本書籍」の教科書の採択が激減したこと、また東京都の例でも明らかになったように、教育委員の権限強化と教育現場の意見の排除という「つくる会」の目的がかなり達成されたという冷厳な事実がある。
 これらの事実は、低い採択率をもって「つくる会」の「敗北」とだけは言い切れない大きな問題を残している。

 弱点を克服し、主体的力量の強化を

 いま「日の丸・君が代」法制化をバネとした教育労働者に対する弾圧は、日ごとに強まるばかりである。こういった攻撃と合わせた教科書攻撃は、彼らが四年後の採択に向けた「リベンジ」を誓うように、今回の攻撃よりさらに強圧的かつ巧妙に行われる可能性が強い。今回の攻撃の中で明らかになった反対の力を再確認すると同時に、今後の課題をも明らかにして、われわれがその課題の達成に向けて先頭にたって闘っていかなければ、何年か後は「平和と民主主義」にとって大変な事態になっているといっても過言ではない。
 それに関して、大きく二つの問題を提起したい。
 一つ目の課題は、日本の戦争責任についての徹底的な追及である。今回の「つくる会」が検定を通った、またはそれを許した大きな原因の一つに、日本の加害責任に対する国民的認識の浅さがある。天皇ヒロヒトの戦争貴任を隠蔽する政治的ショーでもある東京裁判からはじまった「戦後民主主義」は、結局、アジアの人びとに対しての加害責任をあいまいにしたまま現在にいたっている。戦後補償問題をはじめとし、アジアの人びととの連帯の運動をあらゆる面から強めていき、加害認識の広まりと、歴史認識の共有を民衆サイドから強めていくことが今後の大きな課題である。
 つまり「つくる会」の教科書のような戦争認識を許さない社会的土壌を、今、しっかりとつくっていくことが、「教科書問題」のみならず真の平和と民主主義にとって大事である。
 もう一つの課題は、今回見られた全国各地の積極的な市民遺動と違帯し、「つくる会」側の予想される政治的な画策を、恒常的な監視のもとにつぶしていくことである。
 栃木県下都賀地区の逆転不採択を頂点とした不採択運動の高まりにより、公立学校での採択ゼロが予想されるという危機的状況に追い込まれた「つくる会」は、都道府県教委に採択権のある養護学校に採用させるという暴挙にでた。
 東京都の例が典型だが、この攻撃を許したのは、石原都知事による計画的な教育委員の人事であった。「つくる会」の教科書採択の基本戦術は、その採択に当たって現場教員と良心的市民を排除し、行政の力によって採択させようとするものである。
 われわれは住民と結びつき、各教育委員会段階での人事をふくめた「つくる会」の政治的画策を許さないとりくみをしていくことと同時に、教育行政に対し住民・市民の厳しい目が注がれていることを自覚させることが必要である。

 以上の二つが大きな課題である。彼らの誤った歴史観・社会観に真に反撃をしていくという面では、われわれの歴史認識や民族問題に対する認識を含めて、まだまだ課題があると考える。
 紙面の関係もあるので、以上の概略で、私なりにまとめた今回の教科書問題についての見解とするが、この問題のもつ根深さと、今回の攻撃が平和に対する極めて危険な動きであることを再度強調しておきたい。


複眼単眼

政府発表の失業率の怪しさ すでに10.4%か?


 ある飲食店で「リストラされて求職中だがうまくいかない」といつもボヤきながら、長時間、チビチビと酒を飲んでいた自称元銀行マンがパタリと現われなくなった。しばらくたったある日、彼が街でホームレスをやっているのを見てしまったという小説のような話を聞いた。何とも言いがたい辛い話だ。この「痛み」を小泉は平気で、いや得意げに人びとに押しつけている。
 本紙前号が「失業率」について詳報した。今回はそのつづき。
 総務省が七月の完全失業率が五%を超えたと発表して間もない九月三日、今度は内閣府が「ひとつの試算として」失業率一〇・四%と発表した。これはどうなってんの?。
 もともと五・〇%と発表された時に「実態とは違うのではないか」との疑問がでていた。ちなみに昨年一年平均では十五歳から二四歳では九・二%、五五歳から六四歳では五・五%と高率だ。またこれは全国平均値であり、地域差がある。例えば沖縄県は九%だ。体感温度ならぬ「体感失業率」はそんなに低いものではないのだ。「諸外国と比べて、本当に日本の失業率はその程度なの?」という疑問もある。だから「完全」というのは実は何の意味もないことで、政府が勝手に名付けたものにすぎない。 
 これは日本の総務省の「失業者」「失業率」の定義に「問題あり」なのだ。
 失業率は十五歳以上の「労働力人口」に占める「失業者」の割合のこと。総務省は「失業者」とは「就業可能で、就業しておらず、過去一週間以内に求職活動をしたことのある人」と定義する。これが七月には三三〇万人いたので、完全失業率は五%だという。ここでいう「労働力人口」や「失業者」には学生や主婦が入らないだけでなく、働きたくても病気で求職活動ができない人、雇用情勢が厳しくて「適当な仕事がありそうにないから」と職安などにいくのをあきらめてしまった人は入らない。単に求人広告を見たり、就職情報誌をかっただけでは失業者に入らない。逆に過去一週間のうちに一時間でも働いた人や、無給でも家業を手伝った人なども「失業者」には算入されない。
 ちなみに米・英・カナダなどでは「過去四週間」と幅が広いし、米国ではレイオフ(一時解雇)された人は求職活動をしていなくても自動的に失業者に算入する。
 総務省の試算では二月末時点の労働力人口は六六五九万人、完全失業者三一八万人、非労働力人口は四一六二万人。この非労働力人口のうち勤務地や賃金などの理由で「適当な仕事がない」と求職活動をあきらめた人が四二〇万人もいたという。これを労働力人口に加えて内閣府が失業率を計算したら一〇・四%になったのだ。この四二〇万人のうち「仕事さえあればすぐ働ける」という意志のある人だけでも一三三万人いたというし、これを加えただけでも、完全失業率は六・六%に達したという。どうみても五・〇%程度ではない。
 これとは別に正社員を希望するパートタイマーやアルバイターなどの半失業状態の人は五〇万人という統計もある。これらは二月の統計だから、総務省がやった七月で計算するとさらにハネ上がるのは間違いないだろう。
 経済評論家の内橋克人氏は「失業率五%とは、いまだ小泉流が『何も始まっていない段階』のものであることを明記しよう。近い将来、失業率と消費税は『二ケタ時代』に突入する」と指摘している(九月四日・東京紙)。本当の「痛み」はこれからだ。 (T)