人民新報 ・ 第1037号<統合130> (2001年10月5日)
  
                                目次

● ブッシュの「報復戦争」強行を許すな 「米軍戦争参戦法」を阻止しよう

● テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動第二波 1800人の市民が集会デモ

● 下地島の軍事基地化の動き 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが集会

● 米国の報復支持決議、両院で採択   参院は社民党の一部も賛成

● 米国大使館に要請行動 これ以上、人を殺すな

● アメリカの同時多発テロを考える 市民と超党派議員の集い

● 全労協などが国会前座り込み

● 国労大会(10月13日〜14日) 四党合意破棄、闘う体制を再確立を

● きな臭さが漂う中で、埼玉「憲法を考える集い」一周年

● 社会主義とはどのような杜会なのか 社会主義研究会(大阪)・第二回例会

● 部落史から取り残された諸賤民について E ケガレと部落差別(その2) 大阪部落史研究グループ

● 書 評 / 「戦後」の枠組みを解きほぐす  ジョン・ダワー著 「敗北を抱きしめて」

● 地球調査・診断の現場から O  --- 予測できない岩盤崩落の恐怖 ---

● 複眼単眼 / アフガンでのNGOと引き算の思想 報復戦争は衆人環視のホロコース




ブッシュの「報復戦争」強行を許すな

             「米軍戦争参戦法」を阻止しよう


 この第百五十三臨時国会で、小泉政権は国の最高法規たる憲法を土足で踏みにじって、従来の政府解釈をも無視し、「米軍等支援法」と称する米軍報復戦争参戦法の成立をはかっている。
 小泉内閣が踏みにじっているのは憲法の平和原則だけではない。彼らが金科玉条のごとく掲げてきた日米安保条約の規定を突破し、二年前に強行採択した「周辺事態法」すら飛び越えてしまった。政府は防衛庁設置法の五条十八項「調査・研究」を名目にした自衛隊による米軍船の護衛出動を強行し、そのうえ同じ名目を使ってインド洋で自衛隊と米軍の共同作戦を強行しようとしているのだ。このような「調査・研究」名目などという自らも信じていない途方もないウソによる米軍の戦争への参戦・共同作戦の強行は無法、あるいは「法の下克上」そのものだ。
 いま政府がこの十月半ばにも成立を狙っている憲法違反の「米軍戦争参戦法」による対アフガン、対アラブ共同作戦の実施などという無法が許されるとしたら、それは政府とこの国の支配層が、自ら「法治主義」の外皮を脱ぎ捨て、権力主義的で独裁的な政治手法、新手のファシズム的政治手法を行使することをあからさまにする以外のなにものでもない。
 米国のアーミティジ国務副長官が「ショウ・ザ・フラッグ」と米軍の戦争への自衛隊の参戦を要求すると、小泉首相も「自衛隊には危険なところへも行ってもらわなくてはならない」などと応じた。そればかりか、米軍当局の要請すらないにもかかわらず、医療、輸送・補給活動のためとして自衛隊のインド洋やパキスタンへの派遣の準備もはじめた。これは「後方地域」支援などでは全くない「後方支援」であり、この兵站協力活動は国際法的に見ても参戦行動そのものだ。
 新国家主義的勢力や、日本の軍事大国化を目指す勢力は、口先では「テロによる犠牲者の追悼」などと言いながら、好機到来とばかりにはしゃぎまわっている。それだけでなく、自民党の「護憲派」と目されてきた宮沢元首相さえも「ニューヨークで日本人が二〇人以上も死んだのだから、新法は米国のためではなく日本自身のためであり、集団的自衛権などとは関係がない。日本は戦争以外は何をやってもいいのだ」などと、実質的な参戦容認発言を繰り返すありさまだ。
 だが、考えて見るがいい。アメリカでの未曾有の無差別テロについては、その実行者や背景組織、あるいは事件の背景となってきた要因などについてはいまだに何一つ明らかになっていない。ただブッシュ大統領らアメリカの当局者だけが、証拠もなしにイスラム教徒のビンラディン・グループの犯行だと決めつけているにすぎない。当のビンラディンらはそれを否定している。まして、彼らがアフガンにいることをもって、アフガンへの「報復戦争」を公言し、話し合いの交渉を求めるアフガンにたいして、無条件の屈服を要求するという傲慢な覇権主義をあらわにして、戦争をしかけようとしているのだ。そして、あらゆる手段を駆使してヨーロッパやアジア諸国に「報復戦争」への協力を脅迫している。
 これはブッシュが言うのとは違った意味で、確かに世界的規模での「新たな戦争」だ。それはアメリカの独覇的な国際構造のもとでの「新たな戦争」であり、それを通じてさらにアメリカの独覇体制を強固なものとする野望によるものだ。アメリカ帝国主義は今回の無差別テロに乗じて「報復戦争」を遂行し、「正義と自由の防衛」の旗印のもとにヨーロッパと日本をはじめとするアジア諸国を戦争に協力させ、あわよくば危機に直面するアメリカ経済をも救いだそうとしている。
 すでに本紙前号で指摘したように、アメリカが叫ぶ「テロへの報復戦争」は米国による国家的なテロにほかならない。二十世紀にアメリカが世界で覇権を求め、勝手気ままに抑圧・収奪してきたことから生じた矛盾が世界に充満している。今回の事件の真相の判断は留保しなければならないが、一般にこうした事件の根源にはアメリカをはじめとする帝国主義そのものがある。だからこそアメリカの報復戦争は問題の解決にならないだけでなく、まったく道理がないのだ。
 小泉内閣がいまやろうとしていることは、このようなブッシュの無法な戦争に付き従うことで、帝国主義世界で「名誉ある地位を占める」という、経済大国から政治大国、軍事大国としての地位の確立だ。
 小泉内閣は新法を十月中にも成立させ、参戦を正当化したうえで、一月からの通常国会では、従来の政府見解を覆す「集団的自衛権の行使」の合憲化のための「国家安全保障基本法」や、有事法制(仮称・国民緊急事態法)などを制定することをねらっている。支配層はそのうえに明文改憲へとつき進み、名実ともに「戦争のできる国家」へと飛躍させようとしている。
 どこから見ても違憲の参戦法「米軍等支援法」の成立を阻止する課題は、いま緊急の課題だ。テロへの報復と称するアメリカの大量殺戮戦争を許さず、それに積極的に加担する小泉政権の策動を許してはならない。
 「無差別テロ反対!。米国の報復戦争反対!。小泉政権の加担反対!米軍等支援法反対!」の声をあげ、一〇・二一反戦デーをはじめとして、この一致を基礎にした広範な共同行動を全力をあげて組織しよう。


テロにも報復戦争にも反対!

     
市民緊急行動第二波 1800人の市民が集会デモ

 九月十七日の四〇〇名の緊急行動につづいて、二十四日午後、東京・代々木公園B地区で市民緊急行動の第二波行動が行われた。
会場にはインターネットなどで知った多くの市民や平和団体、消費者団体、女性団体、国際ボランティア団体、宗教者などさまざまな市民グループがかけつけた。
 集会のあと、渋谷の街をデモした。このデモには中学生などの若者たちも参加し、プラカードを高く掲げながら、道行く人びとに反戦を訴えた。街の若者たちもピースサインで応えるなど、この問題への関心の高さをうかがわせた。
 集会では、沖縄からかけつけたダグラス・ラミスさん(元米海兵隊隊員、元津田塾大教授)が、アメリカの軍人だった複雑な立場から発言した。
 アメリカは独立以来、初めて本土を攻撃された。米国人にとっては大きなショックだ。市民の戦争のへの意識は高揚している。軍国主義者やFBIやCIAが望んでいたことだ。テロにたいしてさらなる国家テロを生む報復は止めなくてはならない。
 あの映像でみな心が痛んだと思う。しかし、表立っては言わなくても、心の中で「ざまーみろ」と思った人もいる。「テロはいけない。でもねアメリカはああいうことをしてきたでしょ。だから報復は止めよう」といってもいまは説得できない。
 遺体の捜索も終わっていないし、葬式も終わっていない。みんな頭にきている状態なのだ。いまは「でもね」というのは早すぎる。いま有効な方法は米軍や自衛隊など軍の関係者に直接訴えることだ。米兵は命令を拒否できる権利があるのだから。
 
 集会では実行委員会を代表して日本消費者連盟の富山洋子さんがあいさつした。ヨコスカの米軍基地の状況の報告は、非核市民宣言運動ヨコスカの新倉裕史さんが行った。また国際的なNGO活動を展開する日本国際ボランティア・センターの代表も連帯挨拶をした。
実行委員会からは次回の第三波は十月七日、午後二時から渋谷の宮下公園で開催すること、九月二十七日の臨時国会開会日には国会の議員会館前で全国労働組合連絡協議会の人びとの座込み闘争に連帯して市民緊急行動もそれに参加すること、またもしも不幸にしてこれらの声が届かずに報復戦争が始まった場合には、その日の夕刻午後六時に衆議院議員面会所前に結集して抗議闘争を行うこと(戦争が日本時間の午後六時以降に始まった場合には翌日の午後六時)などが決まったことが報告された。


下地島の軍事基地化の動き

       
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが集会

 今年の四月十七日、沖縄・宮古の伊良部町(人口七〇〇〇人弱)議会が「自衛隊訓練誘致」を決議したり、五月十五日にはアメリカの空軍系シンクタンク「ランド研究所」がその報告書で「米空軍による下地島空港の利用」を具体名をあげて提言した。もともと民間のパイロット訓練飛行場だったこの空港が、いま米日の新軍事戦略の中できわめて重要な位置をしめつつあり、注目されている。
 九月二十七日、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックは、フリージャーナリストの寺川潔さんを招いて下地島空港問題の実状についての学習会を開いた。以下は寺川さんの報告の一部。
 下地島は沖縄本島から三百キロの「離島の離島」である伊良部島と狭い水路を挟んだ無人の島。一九七九年に「民間航空機のパイロット訓練および民間航空機使用」の目的で開港。三千メートル滑走路を持つ「国境の島にある大型飛行場」として開発されたが、バブル破裂にともない使用が激減し、町の税収も激減。九八年には会計監査院が「国費のムダ」を指摘。
 町の財政危機から町長や議会には「自衛隊機訓練誘致」を提言する動きが強まったが、その直後の四月二八日、米軍機がフィリピンでの合同訓練途上に同空港に強行飛来した。
 五月十五日のランド報告書は、米国の世界戦略を東アジア重視、台湾海峡問題重視にシフトすることを提起するなかで、日米安保体制もに従来の北方戦略重視から南方戦略重視への変更を要求した。その中で台湾海峡にもっとも近い大型空港としての下地島空港の軍事使用を提言した。「例えば下地島は台北から二五〇海里弱の距離にあり、一万フィートのかつ走路を持つ民間空港が置かれている。この島はまたかなり大きい港があって、日本のパトロール船の基地に使われている(寺川氏註・これは事実ではない)。琉球列島南部の一つか二つの島に基地を置くことは明らかに台湾防衛に有利であろう」と。
 そしてこの直後、十六日に反対の声があがる中、米軍機が再び飛来した。米軍機の度重なる飛来は事実上の基地化につながるものであり、宮古地区の人びとの反発を受けている。
 しかし、その後も、同空港を軍事基地化する動きはつづき、自民党の麻生政調会長や橋本元首相、衆院沖縄北方問題特別委員会委員などの視察がつづいている。地元の軍事基地誘致派は「尖閣列島への中国船の出没など、南方海上波高しであり、軍用飛行場への転用もやむなし」などという議論をすすめている。すでに日本政府は米軍の世界戦略の重点変更に対応して、「防衛大綱見直し」を視野に入れた「防衛力のあり方検討会議」を防衛庁内に発足させた。
 しかし、地元の地区労など軍用基地化に反対する人びとは、自衛隊誘致や米軍用空港への転用などの動きが、逆に台湾海峡などの緊張を激化させることにつながることを心配している。また軍事基地化の動きがはっきりしてくるなかで、当初、自衛隊誘致を支持していた保守系町議などのなかにも動揺が起きている。すでに「下地島空港への自衛隊誘致に反対する宮古郡民の会」が地区労や教組、女性ネットワークなどによって結成された。


米国の報復支持決議、両院で採択   参院は社民党の一部も賛成

 臨時国会開会日の九月二七日、衆参両院で「米国における同時多発テロ事件に関する決議」が与党三党や民主党などの賛成で、て採決された。「国会決議」は通常、全会一致によるという慣例も無視した強引な採択だった。
 衆議院の決議では「米国を襲った同時多発テロは、命の尊さをまったく顧みない残虐非道な行為であり、かかるテロリストの想像を絶する暴挙は、ひとり米国民のみならず、人類すべてに対する共通の許しがたい挑戦である」「断固とした決意で国際テロと闘わんとしている米国政府及び米国民を支持し、テロ行為を地球上から追放することが国際社会の一員であるわが国の重大な責務である」「米国を始め関係諸国と力を合わせつつ、わが国として可能なかぎりの協力を行い」という確認がなされた。これには共産党、自由党、社民党、無所属の川田悦子議員などが決議に反対した。
 参議院では社民党を決議支持にとりこみたいと与党が画策して、前記案文の「力を合わせつつ」と「わが国として可能なかぎりの協力」の間に「日本国憲法の理念を踏まえ」という文言を挿入した。その結果、共産党と自由党は反対したが、参議院社民党は分裂対応となり、大淵絹子、大脇雅子、山本正和、又市征治の四人が賛成にまわり、大田昌秀議員が棄権、淵上貞雄、福島瑞穂、田嶋陽子の三人が反対した。民主党の大橋巨泉議員、無所属の中村敦夫議員らも反対した。
 社民党の「決議賛成」派は「日本国憲法の理念を踏まえ」と入れさせたことによって、今後の国会論議において政府が憲法無視の政治に走ることにたいする歯止めができるのではないかという。しかし、この間の小泉首相の発言は「日本国憲法の枠内で」の対米協力とか、所信表明演説で日本国憲法の前文を引用しながら、「国際協力」を主張して対米協力論を展開するなど、小泉首相がいう「憲法の理念」という言葉は何のしばりにもならない。それどころか、こうして社民党の一部も賛成したという事実をつくりあげることによって、さらにアメリカの報復戦争に加担していく大義名分を得ようとしたのだ。
 この「戦争協力決議」はいま上程されようとしている「米軍等支援法」の盾の役割をはたすものであり、支持は明らかに誤りだ。社民党の賛成派議員はただちにその道を引き返さなくてはならない。


米国大使館に要請行動 これ以上、人を殺すな

 九月二一日正午、アメリカ大使館前に「全国FAX通信」「STOP!改憲。市民ネットワーク」など都内の十五の市民団体の呼びかけで約百名の市民が集まり、テロと報復戦争、および日本政府の参戦の動きに反対して、要請行動を行った。
 緊急の呼びかけで、ウイークデーの昼の行動にもかかわらず、たくさんの市民団体・個人が集まり、関心の高さがうかがわれた。アメリカ大使館前は警察の警備のもとで献花と記帳所が作られていたが、その前で参加各団体が要請文を読み上げ、大使館関係者に手交した。
 あいにくの小雨降る中ではあったが参加者は「これ以上、人を殺すな」「テロにも報復戦争にも反対」「日本政府の戦争加担反対」「憲法改悪反対」のシュプレヒコールを叫んだ。


アメリカの同時多発テロを考える 市民と超党派議員の集い

 九月二〇日、昼、参議院議員会館で「暴力と報復の連鎖を断ちきろう」と題した国会議員と市民の集会が行われ、国会議員四〇名、同代理五〇名、市民二五〇名などが参加した。集会を呼びかけたのは民主党・社民党・共産党や無所属の議員など、超党派の国会議員で、当日は自民党からも何人かの有志(秘書)が参加した。この集会には社民党の土井党首、共産党の志位委員長、市田書記局長らも参加した。
 市民の側からはVAWW−NET−JAPANの松井やよりさん、「テロにも報復戦争にも反対!緊急市民行動」の富山洋子さん(日消連)なども発言した。衆議院議員で無所属の川田えつ子さんは「殺されることと死ぬことは違う。薬害エイズ問題を闘ってきた立場で、殺されることを拒否する。本当の解決は報復することではなく、ことの背景、原因、真相を明らかにすることで、エイズの闘いでも同じだ。平和憲法を持つ日本は、たとえ世界で一国でも、アメリカの国会のバーバラ・リーさんのようになるべきだ」と発言し、共感を集めた。
 最後に集会は「暴力の連鎖を断ち切ろう、法に則った解決を」と題する声明を採択した。


全労協などが国会前座り込み

 九月二十七日、全労協は、大量首切りを進める小泉「構造改革」に反対する国会前座り込みを行った。全労協は、九月の常任幹事会で、小泉構造改革に対決し、労働者の生活と生きる権利・働く権利を守りぬくため、「怒りの三〇〇〇人集会」、国会前座り込み、駅頭宣伝などの秋期行動を決定した。臨時国会の召集日のこの日はその第一段の大衆行動として闘われた。同日正午から衆議院議員第二会館前で座り込み開始集会が始まった。
 全労協の子島利夫事務局長は、大量倒産・大量首切り、不安定雇用・低賃金を生み出す小泉改革に対決し、またアメリカの戦争発動への小泉内閣の支持、有事立法制定・集団自衛権、周辺事態法「改正」などの政治反動を全力を上げて阻止しようと述べた。
 労働組合、市民団体からもアピールが行われた。


国労大会(10月13日〜14日)

  四党合意破棄、闘う体制を再確立を

 九月二十五日、労働スクエア東京ホールで「JRの不当労働行為は許さない! 首切り反対 国鉄闘争勝利集会」(主催・JRの不当労働行為は許さない 国労闘争団共闘会議準備会)が約千名の労働者が参加して開催された。
 はじめに東京清掃労組の星野良明委員長が主催者を代表してあいさつした。「アメリカは戦争モードに突入し、日本はそれに追随して新たな軍国主義へ踏み込んだ。五%を超えた完全失業率をさらに百万人も増加させるといわれる小泉改革は、多国籍企業化した日本企業のために首切り自由社会を実現するものだ。大企業での大リストラの嵐が吹き荒れているが、その走りは国鉄の分割・民営化であった。現在きわめて厳しい状況の中にあるが、多くの仲間が闘う闘争団へ支援を強めている。一月大会での四党合意承認の強行以来すでに八ヶ月経過したが、交渉は半歩たりとも進んでいない。四党合意の正体はますます明らかになってきている。四党合意は完全に破産している。国労以外のわれわれがなぜ国鉄闘争を闘うのか。それはこの闘いが、大不況・大失業時代において展望を切り開く象徴となっているからだ。われわれ支援がやるべきことは、全国の職場に支持する会・守る会を数多くつくり出すことだ。国労大会に求められているのは、四党合意ときっぱりと手を切り闘う方針を確立することだ」。
 集会基調は闘う闘争団九州代表の原田亘さんが次のように提起した。
 第一には、政府・JRに対する大衆行動である。四党合意によって途絶えている大衆行動を立て直すことは緊急の課題である。九月二十七日に開会される臨時国会では、雇用問題とアメリカの報復戦争への協力問題が主題となる。首切り反対・戦争協力反対の闘いとも連携し、九・二七霞ヶ関・国会行動を皮切りに秋の大衆行動を開始し、一〇・一二JR総行動では、JR東日本、国土交通省などに対する半日行動を展開する。
 第二は、新たなILO闘争である。新たな申し立ては、賛同をいただける労働組合の連名で、ILO条約勧告適用専門家委員会に対して行う。専門家委員会は、結社の自由委員会とは違って裁判所に近い役割を持っており、高裁判決が条約違反か否かを判断するのに最もふさわしいところである。そして、判決が条約違反であることは、中間勧告からも明白である。JR採用差別事件はすでに最高裁に上がっているが、仮に最高裁が中労委の上告を棄却するようなことがあれば、その非常識は世界の笑いものになり、専門家委員会から厳しい批判を受けるであろう。新たなILO申し立ては、最高裁の不当判断を許さない有効な闘いであり、仮に最高裁が不当判断を示したとしても、労働委員会命令を武器に闘いを継続する道筋をつけるものである。
 第三は、裁判闘争である。今年四月、東京地裁は、青山会事件で大変重要な判決を出した。それは、新規採用にも労組法七条一号の不当労働行為規定が適用されるという判断であり、JR採用差別事件の判決と真っ向から対立している。下級審におけるこの矛盾を解消することは、容易なことではないと考えられる。私たちは、ILO闘争、最高裁闘争を、労働委員会制度を守り、国鉄方式の首切り・団結権侵害をもうこれ以上許さない闘いとも位置づけて、取り組みを強めていく。一方で、新たな訴訟を提起していく。最高裁闘争、ILO闘争とあわせて、政府・JRの責任逃れを許さず、あくまで国家的不当労働行為の責任を取らせる闘いの柱として位置づける。
 第四は、JR職場における闘いとの連携である。東日本会社のメンテナンス合理化をはじめアウトソーシング、分社化等を、JR各社はこぞって推進している。こうした大合理化との闘い、不当労働行為との闘いを再構築することが強く求められている。私たちは、職場で奮闘している仲間たちと連携を取りながら、闘いを横につなげ、押し上げていく取り組みに全力を挙げる。
 第五は、支援・共闘戦線の拡大である。全国の仲間たちにいま一度闘いの意義と展望を訴えて、「闘争団を守る会」(仮称)の結成を進めていく。その財政支援によって闘う国労闘争団の専従体制をつくり上げながら、点から線、線から面へと支援のネットワークを広げていく。また、一億円カンパ運動も継続して取り組み、パンフレットも逐次刊行しながら闘争資金の確立を図っていく。当面、三〇〇の「守る会」結成を目標に、全力を挙げて要請行動を取り組む。
 最後に、国労定期全国大会についてである。国労本部がすでに発表している方針案には、裁判・労働委員会闘争の欠落という重大な問題がある。大会では、攻勢的な裁判・労働委員会闘争の方針を確立することが求められる。同時に、敗北的「和解」による訴訟取り下げを許さない運動を、職場から巻き起こすことが極めて重要かつ緊急の課題である。場合によっては、採用差別事件と同様に、事件の当事者による第三者参加の取り組みも必要になる。いつまでも「組織のジリ貧論」に萎縮し、破綻した四党合意にしがみついて敗北路線を走っても、国労の未来は見えてこない。いまこそ、社会情勢、JRを取り巻く情勢を冷静に見据えて真摯な討議を行い、国鉄闘争勝利に向けた闘い、国労と国労運動が真に発展する運動のあり方を見出すべきである。私たちも建設的な提言を行っていきたい。
 共闘からの情勢報告では、矢澤賢都労連委員長のメッセージ(都労連飯島組織共闘部長が代読)、オリジン電気労組、全統一労組、北部労協、電通労組全国協議会がそれぞれ国鉄闘争への支援と戦争協力反対のアピールを行った。
 闘争団の決意表明では、闘う闘争団の内田泰博北海道代表と静岡闘争団の野田紀泰さんが、四党合意を葬りさり、戦争への道を拒否し共に闘い抜くと述べ、会場からの大きな拍手を受けた。
 採択された集会宣言「小泉構造改革」に立ち向かい、闘争団と共に『平和と人権』の闘いをはじめよう!」で、「一九八〇年代の中曽根内閣から始まった国鉄改革は、二一世紀の今、『小泉構造改革』として社会全体、労働者全体に徹底されようとしています。私たちは闘争団と共に闘うことで小泉構造改革と立ち向かい、労働者の働く権利・生きる権利、そして人権を取り戻す新たな労働運動を構築していくこと」を集会参加者全体で確認した。


きな臭さが漂う中で、埼玉「憲法を考える集い」一周年

 さいたま市の埼玉会館会議室で、「憲法を考える集い」が主催した憲法勉強会「小泉政権の改憲論をどう見るか」が開かれた。
 「集い」は今回で一周年を迎え、高田健さん(国際経済研究所)は結成時と今回との講師をした。
 前回では「戦後」から「新たな戦前」へという問題提起がされたが、まさに「有事法制」「国民緊急事態法」の準備ときな臭さが漂ってきている。高田さんはその日、東京都の総合防災訓練「ビッグレスキュー東京二〇〇一」調布会場の監視行動で見て来た模様を次のように述べた。
規模は七都市県で行われ埼玉県も参加した。動員された陸海空の自衛隊員は昨年の七〇〇〇人から二〇〇〇人と規模は縮小したが、今年は米軍将校も参加する「治安出動訓練」となった。多摩川では渡河橋訓練に市民が偽装難民として参加したことなどを報告した。
 高田さんは、今日の政治状況を一九五一年九月八日のサンフランシスコで対日平和条約と日米安保条約を締結したことから始まる戦後史と小泉政権の路線とを切り離して理解するのではなく、それとの関連でとらえることを訴えた。
 小泉、石原、中曽根の共通性は保守傍流であり、ポピュリズム的な右派原理主義だ。自民党の政治の行き詰まりでそれが登場してきた。中曽根の戦後総決算は実は保守本流の総決算であったし、石原の所属してきた青嵐会は本流に抗する目的を持っていた。小泉は自民党を内部から破壊すると豪語している。
 では差異はあるのか。小泉は首相に当選すると訪米し、親米であることを印象づけた。今までの歴代首相は訪米前には米国以外のアジアなどを回ってから行ったものだ。石原は「NOと言える日本」の著書で親米派でないように装って来たが、彼も「反米」ではない。
小泉政権になってからの改憲論の状況はどうなっているのか。
首相公選論の公然化、集団的自衛権行使の研究、靖国参拝問題にみる「違憲政策」、防衛省法案、防衛大綱改定の動き、PKO法改定とPKF凍結解除の具体化、有事法制など日米同盟の強化に踏み込むことにより、明文改憲への不可避的状況が生まれてきている。アーミティジ報告、これを受けた自民党国防部会の提言、そしてランド研究所報告は、日米支配層のあたらしい東アジア戦略を物語るものだ。これらの報告では紛争地域は中東や朝鮮半島から台湾を中心とした東アジアに移り、中国を押さえつけるような方向へと転換している。そこで果たす日米同盟は、米英同盟のようでなければならないとしている。
今後の展望については世論調査の安保支持七割、九条支持七割という事実をどう考えるかに手がかりがある。小泉政権はこの状況を崩し「戦争の出来る国家」にしようとしているのだ。改憲阻止を軸とした壮大な共同の創出が重要な時期となってきた。
 この後、質疑と意見交流をし、小泉首相の人気とその背後に在る危険性などについての理解を深めることができた。(埼玉通信員)


社会主義とはどのような杜会なのか

   
社会主義研究会(大阪)・第二回例会

 八月三十一日(金)、大阪の住まい情報センターにて社会主義研究会例会が開催された。テーマは「もう一度、社会主義とは何かから考える、「アソシエーション論」の提起する意味から」と題して、田畑稔先生(広島大学教授)を講師に招いて話しを聞いた。
 先生は唯物論研究会、大阪哲学学校で活躍する中、最近ではとくにアソシェーション論に取り組み、著書に「マルクスとアソシエーション」(新泉社)、「 世紀社会主義への挑戦」(共著・社会評諭社)などがある。
 田畑先生の話によると、日本の社会においてもはや「会社主義」は通用せず、従来型の企業のあり方や運営は成り立たなくなって来ている、今まさに泥沼に落ち込んでいる長期不況にしても、失業問題にしても、その他、さまざまな社会的事件の多発化など、肥大化した国家から出されてくるさまざまな政策・施策がことごとく失敗している。そこで先生は次のように未来展望を提起した。
 「市民が自立しながら、横につながっていく。いま、まさにアソシエーションが求められている。そしてこのアソシエーションをあいまいにしないで、文化として熟させないと未来展望は語れないのではないか」。
 そしてアメリカではいまグローバルなアソシエーシヨン革命が起こりつつある。公的機関や私企業はどんどん人が減らされているのに対して、第三セククー(NPO)は雇用が一番増えている。市民が非営利的に、自発的に、自立しながら横につながって公共的機能の仕事を担って行く新しいシステムである。マルクス主義の基本はアソシエーションを目標にしている。しかし、二〇世紀は「戦争の世紀」で、マルクス主義は国家論を中心に発展し、国家主義的に理解されて来た歴史的経緯があった。結果として二〇世紀は資本主義諸国は国家だけ肥大化してしまった。ソ連も権力を集中して国家が大きくなった。福祉について言えば市民は享受するだけであった。
 中心的な課題は、資本主義の社会において、アソシエーションは権力(資本)をどうコントロールするのかということである。従来のストックホルダー(株主主導)からステイクホルダー(利害関係者すべてに対して)へ、そのためには説明責任、情報公開、交渉・協議をするビジネス倫理学の義務を負わせていく。消費者・労働者・市民が、これらを文化として質の高いものへ発展させ、保持しないと権力を維持できないだろう。
 このことは空想的なことではなく、現に例えば国際外交におけるNGOの働きなどは、逆に彼らの世界市民的なアソシェーションの力を借りないと、世界のさまざまな問題を解決できない。彼らは非常にパワーをつけている。
 @モラルの面でも、A知的ストツク専門家集団でもあり、B途上国の支援や地雷除去などでも大きな成果をあげてきている、などなど。
 田畑先生のアソシエーション論を今回、初めて聞いたわけだが、マルクス主義を未来展望した先生の話は、私たちの生活からかけ離れたものではなく、具体的で分かりやすい内容で、大変勉強になった。(大阪・鳥井)


部落史から取り残された諸賤民について E

             ケガレと部落差別(その2)
  
                        
大阪部落史研究グループ

三、ケガレと殺生戒
 
 仏教国であるわが国には、殺生戒というのがある。穢多という言葉がわが国で始めて文献上に登場したのは、十三世紀の「塵袋(ちりぶくろ」)という辞書だ。そこには、穢多について『穢多とは生き物の命を断つ輩で、鬼や畜生のようなものだ。インドにいるチャンダーラと同じである」と解説している。ここでは、生き物の命を絶つから穢多となっている。それなら、穢多とは「職業起源」が源流なのだろうか。
 では、武士についてはどうか。人殺しを生業としていたゆえに貴族から屠児と呼ばれてさげすまれた。穢多も屠児と呼ばれていた。しかし、生き物を殺して売るものだけが、穢多と呼ばれ、同じ屠児と呼ばれた武士は穢多とは決して呼ばれなかった。
 殺生戒から部落差別が生まれたとしたら、武士はもっとケガレた存在であったはずだ。ということは、穢多は「職業起源」ではないようだ。

四、日本人のケガレ観
 
 死穢のケガレは、禊(みそぎ)によってケガレがはらわれた。禊とは、「川の水を浴びて罪や汚れを払うこと」となっている。「古事記」の時代はケガレといってもこの程度であったということだ。そして、「忌(いみ)」の意味も考えてみよう。「忌」とは、悪しき力の働きにとらわれる前に、あらかじめそれを避ける事をいう。とらわれてしまった後には、「キヨメハライ」がある。悪しき力とは「穢れ」であり、死体や血から悪しき力が発生し、強い力で伝染するからと考えられていた。だから、現在でも近親者の死後、喪に服すとして四十九日間(家にこもって)行いを慎んだり、精進料理しか食べない、殺生を嫌ったりする。最近では少し変わつてきてはいるが、まだまだこの様な意識が私たちを支配しているのではないか。
 「女はケガレてる」のマインドコントロール。もちろん、犯人は男だ。大相撲の土俵・能舞台・トンネルの貫通式、あげればきりがない「女人禁制」。大阪では、大阪府知事になった太田房江知事が、相撲の優勝者に対して知事杯を自分で渡したいと言っているが、相撲協会は伝統を理由にいまだに実現していない。理由は、産穢と血穢。死や産に蝕れる事をケガレとして恐れる考え方を「触穢思想」というが、時代が下がるにつれ、広まり深まっていった。(つづく)


書 評

「戦後」の枠組みを解きほぐす
            ジョン・ダワー著 「敗北を抱きしめて」


                                 佐山 新


 小学校の修学旅行で東京タワー展望台に行き、そこでガイジン(白人青年)を見つけてワーッと群がり、サインをねだった……。
 この作品を読んでいて、四〇年以上昔の記憶がほろ苦くよみがえった。
 「民衆意識」のありように注目し「日本人の敗北の体験のなにがしかを『内側から』伝えるように努力してみた」(「序」)と著者は言う。敗戦から一五年後の私たち田舎のガキの振舞いにも、確かに「敗北の体験のなにがしか」が影を落としていた。あれは『ギブミー・チョコレート』の余韻だっただろう、木造校舎の廊下にずらりと並んだドラム缶と同じ形・大きさの容器、鼻をつまんで飲みほしたララ物資のミルクの記憶と重ね合わせて、そう思う。
 占領期に形成された戦後の枠組みの呪縛に、今なお深く私自身が捉えられているのではないか、それがこの作品から受けた最大のインパクトであった。

◇加害責任をめぐって◇

 典型的には、アジアに対する加害責任をめぐる問題がある。
 「『白人の責務』という言葉で知られる植民地主義的なうぬぼれが、厚かましくも実行された最後の例が、日本占領だった」、その「もっとも悪質な点のひとつは帝国日本の掠奪行為によってもっとも被害を受けたアジアの人々、――中国人、朝鮮人、インドネシア人、フィリピン人――が、この敗戦国でまともな役割、影響力のある立場をなんら獲得できなかったことであった。これらのアジアの人々は、目に見えない存在となってしまった」(「序」)。
 日本人の側にも同様の姿勢があった。
 『きけ わだつみのこえ』について、「この本が戦後日本人に永続化させた犠牲者意識は、じつは戦争中に軍国主義が人々にかきたてていた意識に、危険なほど似ていたのである―略―日本人以外の犠牲者はまったく目に入らなかった」(上巻P二五六)
 「左翼は『国民=民衆』の責任問題をだいたいにおいて回避した。とくに教条主義的な者は、民衆を国家とその抑圧的エリート支配者たちによる搾取の犠牲者として熱心に描きだそうとした」(下巻P三四二)
 これは私自身を含め今も引きずっている問題である。

◇天皇について◇

 「裕仁はしたたかで適応力のある人物であり、天の助け――もっと具体的にいえばマツカーサーの助け――によって生き残り、満ち足りた人生を送った」(下巻P三)
 三章にわたって展開されている「天皇制民主主義」成立過程の叙述は、実に興味深い。
 「アマチュア心理学者や人類学者」による日本分析に依拠して、マッカーサーの天皇処遇方針が決まっていたこと、これに乗った裕仁の狡賢こく破廉恥な立ち回り……。この共同謀議のような経緯による天皇の変身は「政治的にも思想的にも広く深い影響をあたえた。何が正義かは権力によって恣意的に決められるものとなり、戦争責任の本格的な追及は矛先をそらされてしまった」…同P四)
 『安保条約の成立』(豊下楢彦著 岩波新書九六年)で掘り起こされた戦後裕仁の政治的行状とあわせ見る時、「主体」としての裕仁の醜い相貌はくっきりと鮮明である。

◇憲法制定過程◇

 第一二章「GHQが新しい国民憲章を起草する」第十三章「アメリカの草案を日本化する」で憲法制定に至る経過が詳しくたどられている。アメリカ側の、本国では「すでに否定(もしくは無視)されつつあ」った「権利章典的な理想主義」による草案づくり、「日本政府による笑い話のような」試み、中でも憲法研究会をはじめとする「民衆のイニシアティヴ」の発揮に強くスポットを当てている。

◇説得力ある戦後論

 戦後「日本モデル」が三〇年代から形成された「総力戦」体制に由来し、「一九四〇年システム」によって実現した産業と金融の一体化の体制を基盤に占領も成立した、占領は日本の強力な官僚的権威主義を強化し永続化した、とする分析は説得力がある。加害責任といい、天皇制といい、およそ戦後的なるもののの枠組みが「じつは日本とアメリカの交配型モデルというべきものであ」り、特異な条件下での占領体制に起因していることを明らかにすることによって、著者は呪縛から自らを解き放つよう私たちを誘うのだ。
 駆使されている多彩な資料も貴重である。渡辺清の痛烈な天皇批判の書『砕かれた神』の紹介に一二頁を費やす一方、「サザエさん」に言及する。「コドモのからだに今度の戦争はどう響いたか?」という一枚のポスターからだけでも私は多くを触発された。(上巻P一〇三)

                                  (岩波書店刊、上・下二巻)


球調査・診断の現場から O

  
一一 予測できない岩盤崩落の恐怖 一一
 
                           小山 富士夫


 去る八月三一日、埼玉県秩父郡長瀞町の荒川右岸の岸壁が、何の予兆もなく突如、崩落し、高校生一人が重傷を負う事故が発生しました。崩落した岩盤の大きさは高さ約六メートル、厚さ約三・五メートル、幅約十一メートルで総重量約百トンの巨大岩塊です(写真@)。
 周辺の地質は三波川変成帯を構成する、片理の発達が著しい結晶片岩(硬岩)です。地形は垂直に切り立った崖が連続する大露岩帯で、この地域を含めて周辺一帯は国の名勝・天然記念物に指定された風光明媚な場所です。

どのようにして岩盤は崩落したのか

 どのようにしてこのような崩落が発生したのでしょうか。写真@を見ると、ほぼ水平な片理に直交する亀裂や割れ目が発達しているのがわかります。亀裂は著しく開口して川面まで延び、岩の奥深くまでえぐるように入り込んでいます。また、崩落岩塊と背後の岩盤との境界面が茶色になっています。これは開口した亀裂の間に外から入り込んだ未固結土砂が詰まっていたことを示し、それは崖の頂部から水面まで達していたことを物語っています。つまり、崩落した岩盤は、崩落前からすでに背後の岩盤とはほとんど分離していたことを示します。簡単に言えば、崩落岩盤はほとんど宙に浮いたような状態になっていたのです。これではいつ崩落しても不思議ではありません。
 このような岩盤崩落には、図@に示したようなタイプがあります。今回の崩落は(2)の崩落に相当します。図@のすべての崩落タイプに共通していることは、崖に平行に発達する垂直亀裂が幾つも存在していることです。つまり、『崩落予備軍』としての不安定岩盤が崩落の出番を待っているという感じで、崖が消減するまで今後も繰り返し崩落が発生するのです。

予測不可能な岩盤崩落

 このような予兆がない崩落現象をいつ起きるのかと、予測することは不可能に近いことです。しかし、「崩落発生危険箇所」がどこか、また、「危険度のランク分け」は指摘できます。難しいことはさておき、一般的には「高い急な崖は、要注意」です。豪雨の直後とか、風の強い日は崩落が発生しやすいので、野外に出かけるときは細心の注意が必要です。
 日本のような急峻な地形が多い所では、山地や海岸は急崖をなし、私たちは突如として起きる岩盤崩落の危険に曝されているといっても過言ではありません。


複眼単眼

アフガンでのNGOと引き算の思想 報復戦争は衆人環視のホロコースト

 パキスタン・アフガニスタン国境地域で十七年にわたって医療活動をしている中村哲医師(55歳)の話を、二時間ほどにわたって聞く機会があった。アメリカのアフガン報復戦争の危機が切迫する中で、アフガンで暮らしている人びとの生活と考え方の一端に触れることができた貴重な会合だった。
 中村さんを支援するために発足したNGOの「ペシャワール会」(事務局は福岡市)というのがある。彼らの医療活動、ボランティア活動をささえるための資金カンパを寄せてくれる人は郵便振替口座を使ってもらいたい。口座名は「ペシャワール会」で、口座番号は一〇七九〇・七・六五五九。一九八四年にパキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病のコントロール計画を柱にした貧民層の診療に携わる。もちろん、現地では内科も、外科も、そしてより基本的な水源の確保のための井戸掘りにも挑戦する。現在、アフガンに五五〇箇所の井戸と地下水路を確保している。八六年からはアフガニスタンの辺境山岳部に三つの診療所を建設して無料診療にあたっている。
 アフガニスタンは山の国で六、七千メートル級の山脈がドカーンと国のど真ん中にすわっている。とてつもない山で、日本列島がスッポリ入るほどの山だという。活動はその山間の谷を歩いて行ったり、馬に乗ったりして行う。片道、一週間かかるというのはザラだ。タリバン側が交渉を引き伸ばしているなどと報道が流されるが、全土から代表を集めるには歩いて五日、馬で三日という具合だ。時間の流れが違うのだそうだ。住民のほとんどはイスラム教で、インターナショナルであり、宗教的価値のほうが国家的価値よりも優先する。そしてアフガンは世界でもっとも古風なイスラム社会が存在するところだ。イスラム教では客人を歓待することと、攻撃されたら復讐するというのは何にもまさる価値なのだ。中村さんはクリスチャンだが、そのことで迫害されることはない。
 話をする中で、戦争とそのもとでいっそう人びとが苦しむことになることに触れた時、中村さんは涙ぐんで声がつまった。戦争が迫っているのに中村さんは再びアフガンに戻る。戦時下でも活動を継続すると言い切る。当然、生命の危険がある。
 市民運動の中ですらジコチューが幅をきかせるこの社会に日頃からうんざりしているだけに、自らの生命の危険をおかしながら、民衆のために活動する中村さんのようなひとびとがいることに感動した。
 自称「保守的人間」という中村さんだが、その話は説得力に溢れている。「米国務長官が兵糧攻めにすると言っていたが、ここまで食料で苦しんでいる人たちにそんなことをいうのは、衆人環視のもとでのホロコーストと同じだ」と怒りをあらわにする。
 そして「今、しきりに日本が果たすべき役割という足し算の思想だけが語られるが、何もしないことの役割という引き算の思想も大切ではないか」という。生命の危険と隣り合わせの十七年のボランティア活動という背景があるだけに、重みがある。永田町の連中にぜひ聞かせたい話だった。いま「アフガンを敵視しない」「軍隊をださない」「米国に同調しない」などなど、引き算の思想の役割はたしかに大きいのだ。
 翌日、喫茶店で隣の人の見ている「スポーツ報知」をチラッと見たら、横二段、縦七段見出しほどの大きな記事で中村さんの活動が紹介されていたのには驚いた。(T)