人民新報 ・ 第1043号<統合136号> (2001年12月5日)
目次
● 9条を殺すな!戦場へ行くな! 自衛官こそ反戦を! 横須賀、呉などで抗議行動展開
● 呉基地からの海外派兵に抗議する ヒロシマ・ナガサキからの海外派兵を許さない
●アフガンに平和を 今すぐ停戦を 八〇〇〇人の労働者・市民が結集
● PKO法改悪を許さないぞ 宗教者・市民が共同で緊急議面集会
● 全泰壱さん焼身抗議三十一周年 日韓働く者の連帯と交流の集い
● 補給艦「とわだ」派兵に抗議の早朝行動
● 戦火と飢餓のアフガン民衆に支援のカンパを!緊急行動
● アメリカは戦争をやめろ 新しい反安保実行Y 立ち上げ集会
● 金曜連続講座の講演から
食のグローバリゼーションと日本農業
A 大 野 和 興
● 地方で強い改憲反対の声 改憲議連は国民投票法準備
● 資 料 / 憲法調査会名古屋公聴会開催にあたっての緊急声明
● 本 / アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
著者・モフセン・マフマルバフ 訳・武井みゆき+渡部良子
● 複眼単眼 / 中国のWTO加盟のもたらすものと日中貿易摩擦
9条を殺すな!戦場へ行くな! 自衛官こそ反戦を!
横須賀、呉などで抗議行動展開
「9条を殺すな!」
「戦場へ行くな!」
「自衛官こそ反戦を!」
「報復戦争に加担するな!」
「戦時派遣を許さないぞ!」
「『うらが』は出航をやめろ!」
「横須賀からでていくな!」
十一月二五日午前七時過ぎから、横須賀基地の対岸の埠頭に集まった市民団体の人びと約五〇人は、掃海母艦「うらが」にむかってシュプレヒコールを繰り返した。海上では平和船団の「おむすび丸」などが「戦場へ行くな」「自衛官こそ反戦を」の横断幕を掲げて行動した。この日の早朝行動に参加したのは「非核市民宣言運動・ヨコスカ」「ヨコスカ平和船団」「すべての基地にNOを・ファイト神奈川」「許すな!憲法改悪・市民連絡会」など。
午前八時二六分、ラッパを合図に「うらが」は、中谷防衛庁長官らの見送りを受けて、パキスタンにむけ出航した。「うらが」は広島・呉から出る補給艦「とわだ」、長崎・佐世保から出る駆逐艦「さわぎり」と日本近海で合流し、インド洋・パキスタンに向う。自衛隊発足以来、はじめての海外での戦時軍事行動で、平和憲法を真正面からふみにじる行動だ。
補給艦「とわだ」に積み込まれた油は米海軍空母戦闘群の軍艦に補給され、掃海母艦「うらが」に積まれたテントなどの物資二〇〇トンは、カラチ港で陸揚げされる。「とわだ」と「さわぎり」は、先に情報収集の名目でインド洋に派遣された護衛艦「くらま」「きりさめ」、補給艦「はまな」と合流して、米軍の燃料輸送など本格的な米軍兵站支援を開始する。
この派遣を契機に、自衛隊が日本軍として、アメリカが行う「テロへの報復と根絶」を名目にした戦争に際限なく付き合い、協力する道が開かれた。私たちはいま日本の軍隊が外国で戦争をしているという現実をしっかりと確認し、反戦運動の高揚でこれに対処していかなくてはならない。
二五日、横須賀の市民団体は共同で「アフガン難民の声を聞け、『殺しながら助けるのか』、米軍支援物資は一万トン、難民救援物資は二〇〇トン」と題した抗議文を発表した。
「(米軍艦船への給油は)まさにアフガニスタンの人びとの頭上に爆弾とミサイルの雨を降らせている空母等の戦闘行為を助けるものであり、憲法第九条に明白に違反する。これにより日本は言い逃れのできない参戦国となる。しかもその場所は公表されない。……空母搭載の戦闘爆撃機が出撃する地点やトマホークが発射される地点からどの程度離れた場所なのか、外洋上での作戦に私たちは確認するすべをもたない。こうした軍事機密の増大は、近い将来、私たちの生活にも重大な影響を与えずにはおかない」と指摘した。
そして「十一月九日に佐世保から情報収集を名目に三隻の軍艦が出動したが、第二護衛艦群の自衛官の中からは『戦争をするために自衛隊に入ったのではない』と数名の辞職者がでたと報道されている。……家族からの不安も高まっている。私たちが開設した『自衛官ー市民ホットライン』には自衛官とその家族から、不安と隊内での処遇にたいする怒りの声がよせられた。中谷防衛庁長官は『希望するかどうかを確認して』隊員を選抜すると国会で答弁しているが、実態はどうであろうか。佐世保から本日、派遣される駆逐艦『さわぎり』は、九九年十一月に乗組員の三等陸曹が自殺する事故が起きており、『無理やり飲酒させられたり、いじめられたりした』と両親が訴え、佐世保地方総監部が事故調査委員会を設置したほどである。今回の派遣に際して、自衛官の人権がさらに抑圧されることはないのか。派遣を拒否した自衛官がどう処遇されているのか、私たちは微力ながら、今後も監視の眼を光らせたい。私たちは自衛隊艦船の撤収と、一日も早い基本計画の終了を小泉内閣につよく求めるものである」と指摘した。
呉基地からの海外派兵に抗議する
ヒロシマ・ナガサキからの海外派兵を許さない
十一月二十五日、午後一時から呉市中央公園において、「STOP!自衛隊の海外派兵 日本の戦争加担を許さない! 11・25中国ブロック呉集会」が開かれた。中国ブロック「平和フォーラム」(平和運動センター・原水禁・護憲)の主催で、約二〇〇〇名が参加した。集会終了後、海上自衛隊潜水艦基地までデモ行進を行い、「ピースリンク広島・呉・岩国」の海上デモと合流し、補給艦「とわだ」の海外兵に抗議した。
主催者から、中国ブロック「平和フォーラム」代表の竹谷博さんが挨拶し、地元から、広島県平和運動センター議長の田中秀和さんが挨拶を行った。連帯挨拶では、社会民主党の金子哲夫議員などが挨拶を行った。
現地報告では、「ピースリンク広島・呉・岩国」の湯浅一郎さんが、「今朝、海上自衛隊呉基地からの補給艦『とわだ』への海外派兵に反対する抗議行動を市民団体など約二〇〇名が参加して闘ってきました。補給艦『とわだ』(呉)、護衛艦『さわぎり』(佐世保)、掃海母艦『うらが』(横須賀)がインド洋に向けて派遣されたが、三隻の艦艇の即時撒収を求めていきたい。戦時下での反戦運動を職場や地域でやりましょう」と報告した。
集会決議は、「冷静さを求める多くの国民の声を押し切り、国会で『テロ対策特別措置法』など関連三法が十月二十九日、強行・スピード可決された。十一月二十日、小泉首相は、自衛隊の米英軍の後方支援として、基本計画に先行してしてインド洋に派遣している自衛艦三隻に加え、呉・横須賀・佐世保から自衛艦隊を派遣することを命令した。この命令は、自衛隊創設以来初めてで、戦闘行為が続いている地域に自衛隊を派兵し、参戦させることになり、日本が平和的解決手段を放棄し、米英の報復軍事作戦に一体化するものであり、憲法第九条に違反することは明白である。…テロ・報復の連鎖ストップ…日本の戦争加担を許さない…ヒロシマを再び出撃基地とさせないを声高らかに訴えよう」と決議した。
集会終了後、海上自衛隊潜水艦基地までテモ行進に移り、シュプレヒコールを行い、「自衛隊の海外派兵反対!」「自衛隊の参戦反対!」「憲法を守れ!」「憲法九条を守れ!」「平和憲法を守れ!」「アフガニスタン空爆をやめろ!」などを訴えた。海上では、平和船団がボート九隻を浮かべ、「自衛隊の参戦を許さない!」と海上デモで抗議していた。
合同のシュプレヒコールで「自衛隊の海外派兵をやめろ!」「自衛隊は参戦するな!」「ヒロシマからの海外派兵を許さない!」など、自衛隊艦船に向けて参加者全員で抗議した。(広島通信員)
アフガンに平和を 今すぐ停戦を
八〇〇〇人の労働者・市民が結集
十一月二七日、東京代々木公園B地区で、「アフガンに平和を!
いますぐ停戦を求める11・27集会」が開催され、労働者・市民など約八〇〇〇人が参加した。
はじめに、呼びかけ人の「フォーラム平和・人権・環境」の江橋崇代表が、多くの人びとの結集で戦争に反対していこうと挨拶。
日本国際ボランティアセンターの谷山由子さんは、タリバンが去った後の北部同盟などの支配で、解放が訪れたような報道がなされているが、実際には治安が極度に悪くなっており、本格的な冬を目前に病気や栄養状態の悪化などがすすみ、それ対する真剣な対策が求められている、とアフガン現地の情勢を報告した。
海外派兵の事後承認審議が行われている緊迫した国会情勢の中で衆参議員も多く壇上に並び、小泉政権の戦争政策に反対する姿勢を示し、代表して三名の国会議員が発言した。民主党の金田誠一議員、土井たか子社民党党首、無所属の川田悦子議員は、それぞれ、戦争政策に反対して平和の声を上げるときだと訴えた。
一言メッセージでは、富山洋子日本消費者連盟代表、李仁夏在日大韓基督教会名誉牧師、WE21ジャパンの郡司真弓さん、反核FAXポスター展実行委員会代表のU・G・サトーさんらが発言した。
基地の町からの報告として、新倉裕史さん(非核市民宣言運動)が、二五日の自衛艦隊派兵反対闘争について述べた。
集会アピールを採択し、渋谷の街をデモ行進し、反戦を訴えた。
PKO法改悪を許さないぞ 宗教者・市民が共同で緊急議面集会
政府は先の参戦三法につづいて、PKF凍結解除などのPKO法の改悪案を提出、二九日に衆議院安全保障委員会で採択した。この動きに抗議して、二九日昼、緊急の国会行動が行われた。呼びかけは日本山妙法寺、キリスト者平和ネット、テロにも報復戦争にも反対・市民緊急行動で、約一〇〇名が参加した。全労連、全労協などが連帯挨拶をした。
全泰壱さん焼身抗議三十一周年 日韓働く者の連帯と交流の集い
十一月二三日、東京・荒川の町屋文化センターで、「全泰壱(チョン・テイル)さん焼身抗議三十一周年 日韓働く者の連帯と交流の集い」がひらかれた。
今年の十一月十三日は、朴正煕軍事独裁政権下の韓国・ソウルで青年労働者の全泰壱さんが劣悪な労働環境を改善するため、「勤労基準法を守れ!われわれは機械ではない!」と叫んで、抗議の焼身自殺を遂げて三十一年目にあたる。彼の行動は、韓国の労働者・学生・知識人たちに大きな衝撃を与え、その後の韓国労働運動の発展に大きく影響し、また、日系進出企業下の劣悪な労働実態を明らかにし、日韓労働者連帯運動は新しい段階に入ることになった。韓国では一九八八年から毎年、焼身抗議日の前後に全泰壱精神継承のための全国労働者大会が行なわれ、日本でも日韓労働者連帯の集いが開催されてきた。
この日は集会に先だって、韓国料理教室、チャンゴ教室、韓国音楽教室、一日ハングル教室、一日ビデオ上映会など盛りだくさんな企画で韓国文化を体験する場が設けられた。
「連帯と交流の集い」では、鳥井一平・全統一労組書記長が主催者を代表して次のように述べた。
労働運動の課題には、労働力を高く売ること、労働者を人間として扱わせること、社会の公共性の確立という三つがある。しかし、日本の労働運動は、労働力を売ることはともかく、人間としての扱い、とくに社会性の確立という面では実現に程遠い状況にある。われわれが韓国労働運動から学ぶことは、これらの課題を労働組合運動にしっかりと根づかせること、これが、「勤労基準法を守れ!われわれは機械ではない!」と叫んで焼身抗議した全泰壱さんの闘いを考え受け継ぐことであると思う。
つづいて実行委員会の尾沢孝司さんが、日韓両国の労働者に甚大な悪影響をもたらす日韓投資協定が今年中にも調印され、来年の通常国会で批准されるという緊迫した状況にあること、そして両国での反対闘争の状況について報告した。
講演は、韓国・民主労総政策室次長のファン・ジョンイルさんが「グローバリズム・構造改革といかに闘うのか」と題して行った。
民主労総の歴史は、韓国労働運動の歴史そのもの、また韓国の全体の変革の歴史と言っても過言ではない。アメリカの軍政下や朝鮮戦争時代に韓国の労働組合は戦闘的に闘った歴史をもつが、アメリカと韓国の李承晩をはじめとする諸政権は、労働運動を徹底的に弾圧した。御用労組である大韓労総(現在の韓国労総)がつくられ、労働者はまったく権利を奪われ、労働運動はないも同然にされた。そうした時に全泰壱烈士の闘いがおこった。その後、労働者の闘いは激しい弾圧を受けながらも一歩一歩前進してきた。一九七九年には社会的な大混乱の中で朴正煕大統領が射殺されたが、その契機はYH女性労働組合の闘いであり、その闘いが各地に拡がっていったのだ。
八〇年代には労働者と学生が連帯して全斗煥軍事政権にたいして民主化闘争を闘った。とくに八七年には多くの組合が結成され大闘争が展開された。そうした運動を基礎に、二十数万人の組合員によって九〇年に全労協が結成された。九五年には民主労総が結成され、一九九九年についに合法化をかちるまでに成長してきた。
民主労総は激しい弾圧を受けてきたし、いまも受けている。これまでの闘いで命を失った仲間も多いし、現在も段炳浩民主労総委員長をはじめ数百人が逮捕されている。
九七年には金大中政権が誕生し、民主労総も大きな期待をもった。しかし、結局は同政権も、新自由主義と構造改革の機関にすぎないことが明らかになった。九七〜八年にかけてのIMFの緊急支援を受ける事態に陥ったが、これを境に構造改革は一気に進められた。派遣法など労働法の改悪が強行され、九七年には四三%だった非正規雇用労働者は、現在は五六%にまでなっている。民主労総は、現代、大宇など大企業・大工場を組織基盤にしているが、いま一番戦闘的なのは非正規労働者だ。民主労総が運動でいちばん大切にしていることは、いつも、疎外されている人びと、苦しんでいる人びと、社会の底辺の人びとのところに目線を置いて闘うということだ。マスコミの調査によると、社会的影響力ある団体・勢力として民主労総をあげる人が多い。このように民主労総は組合員以外に農民、都市貧民など広範な層からも支持を受けている。
民主労総は様々な労働者の国際会議に参加しているが、韓国以外の労働者とともに、全世界の労働を変えて行きたいと行動している。
集会は最後に、<私たちは内容も明らかにしないままの日韓投資協定の「基本合意」に強く反対します!>との声明を参加者の全員で確認した。
補給艦「とわだ」派兵に抗議の早朝行動
十一月二五日、午前六時三十分から、海上自衛隊呉基地において、テロ対策特別措置法に基づき、米軍支援のため派遣が決まった補給艦「とわだ」の海外派兵に抗議するため、市民団体などが抗議集会を開き約二〇〇名が参加した。
「『報復』戦争と日本の参戦を許さない!呉実行委員会」と「『報復』戦争と日本の参戦を許さない!広島実行委員会」の共同で平和船団(約五〇名)海上デモと海上自衛隊呉地方総監部での抗議行動が行われた。早朝にもかかわらず、東京都、大阪府、福山市、広島市、呉市などから市民が結集した。
海上では、ボート十六隻を浮かべ、横断幕「自衛隊の参戦を許さない!」と「やめろ海外派兵」の横断幕を補給艦「とわだ」に見えるように高く掲げた。
またシュプレヒコールで「自衛隊の海外派兵をやめろ!」「自衛隊は参戦するな!」「補給艦『とわだ』は出ていくな!」「ヒロシマからの海外派兵を許さない!」などと抗議行動を行った。
午前八時、抗議の中を補給艦「とわだ」は黒い煙を残し、呉港を出航していった。
まとめの集会で、呉実行委員会を代表して湯浅一郎さんが、「ヒロシマからの海外派兵に抗議しよう」と挨拶し、広島実行委員会を代妻して横原由起夫さんが、「日本の行く末を決めることになる。広く世論形成を」と挨拶を行った。
午前十一時、海上自衛隊呉地方総監蔀において海上自衛隊呉地方総監と中谷防衛庁長官に対して、「テロ対策特別措置法」に基づく戦争最中の自衛隊呉基地からの補給艦「とわだ」の海外派兵に抗議する申し入れを行った。
11・18呉ピースアクション 三〇〇人の労働者・市民が参加
十一月十八日には、呉市中央公園において、アフガンの民衆を殺すな!自衛隊の参戦を許さない!呉集会(「報復」戦争と日本の参戦を許さない!呉実行委員会、「報復」戦争と日本の参戦を許さない!広島実行委員会と憲法改悪を許さない広島県民会議の三者主催)が労働者など約三〇〇名が参加して開かれた。
集会では、呉実行委同会を代表して湯浅一郎さん、広島実行委員会を代表して横田由起夫さん、憲法改悪を許さない広島県民会議を代表して栗原君子前参議院議員が挨拶した。
集会では、「米国同時多発テロ事件で多数の市民の命を奪った蛮行を私たちは絶対には許すことはできません。国際協力による真相究明と犯人の厳正な処罰を求めると同時に、テロ事件を口実にしてブッシュ政権によってはじめられた報復戦争を一日も早くやめさせよう。テロ犯罪に対して報復戦争で応えること自体が国際法違反です。五六年前に、歴史上最大の国家テロとも言える、原爆投下の惨劇を経験した広島の地に住む私たちは、テロにも報復戦争にも断固反対します。すでに、全世界から報復戦争の即時中止を求める声があがっている。今こそ、平和を求める全世界の民衆と連帯し、報復戦争の即時中止と、自衛隊の参戦阻止を大きく広く訴え、小泉政権による平和憲法破壊と戦争国家作りをやめさせよう」とのアピールが採択された。
集会後、海上自衛隊潜水艦基地までのデモ行進に移り、海上自衛隊呉地方総監部で抗議の申し入れを行った。
海上では、平和船団の湯浅一郎(ピースリンク・広島・呉・岩国)さんらがボート九隻を浮かべ、横断幕「自衛隊の参戦を許さない」「やめろ海外派兵」を掲げ海上デモを行っていた。そこに陸上デモが合流し、海上自衛隊潜水艦基地(Fバース)は、「呉からの自衛隊の参戦をゆるさない」との抗議の声が停泊している自衛隊艦船に大きく響いた。(広島通信員)
戦火と飢餓のアフガン民衆に支援のカンパを!緊急行動
米英軍などによるアフガニスタンへの「報復」戦争がつづき、とくにクラスター爆弾や準核兵器と言われる燃料気化爆弾まで投入した無差別爆撃が行われているなか、難民流出と飢餓が増大していることに抗議し、アフガニスタン民衆に連帯するキャンペーンが都内数箇所で行われた。
「テロにも報復戦争にも反対、市民緊急行動」が提唱したもので、「空爆やめろ、餓死者を出すな、自衛隊派遣でなくNGO支援を、十一・二三緊急同時キャンペーン」として、都内の京成上野駅、新宿駅、渋谷駅などをはじめいくつかの駅頭で、一斉にビラまき、カンパの訴え、写真パネル展示、リレートークなどの活動が行われた。
京成上野駅頭では「許すな!憲法改悪・市民連絡会」のメンバーを中心に二六名のスタッフがマイクで訴えながらキャンペーンを行った。展示されたパネルをみていた子どもたちがカンパに応じる場面や、成田空港からきた外国人がカンパする姿がみられた。
この日の上野・新宿・渋谷の募金総額は約八万円で、全額「ペシャワール会いのちの基金」に届けられた。ビラは三千枚が配布された。
アメリカは戦争をやめろ 新しい反安保実行Y 立ち上げ集会
「アメリカは戦争をやめろ!日本の参戦を許さない十一・二三集会」が二三日夜、東京の文京区民センターで開かれ、約七〇名が参加した。
主催は「日本の参戦を許さない!実行委員会(新しい反安保実Y)で、この集会はその発足集会を兼ねるものとして開催された。
集会では太田昌国さん(民族問題研究)と岡田剛士さん(パレスチナ行動委員会)などが発言した。
太田さんは「ロシアのナロードニキや朝鮮の安重根をはじめとする、専制政治の下で自分の命と引き替えにその最高指導者を暗殺した歴史を思い浮かべる。あるいは映画アルジェの戦いではフランス植民者の子どもを巻き込んで爆殺した。しかし、九・十一は絶望的攻撃であり、解放闘争としての理念を欠いた行為であって、これらとは異なり世界の民衆的な利益に敵対する行動となった」と指摘した。
岡田さんは「この間、イスラエルは圧倒的な武力の優位を背景に、一方的な殺戮(さつりく)をおこなってきた。イスラエルは九・十一を好機ととらえ、さらにパレスチナへの軍事攻撃をエスカレートさせている」と報告した。
討論の中では「国連の介入を求める意見が運動側にもあるが、国連の歴史過程に対するまやかしと幻想があるのではないか。大国主導の国連が何をしてきたのか、何ができるのか」などという指摘があった。
金曜連続講座の講演から
食のグローバリゼーションと日本農業 A
大 野 和 興
食のグローバリゼーションと稲作、畑作の全面崩壊
日本は畑作の全面崩壊過程に入りました。中国やアジアから野菜がどんどん入ってくる。いま日本の野菜産地で引き合っているところはまったくない。有機農産物をつくって少し引き合っているところは別として一般的産地は軒並み赤字。統計でも、野菜の作付け面積、収穫量、生産量、出荷量は急速に減っています。
これ以前に日本は水田の崩壊があった。畑作は専業農家はそれなりに頑張っていたのですが、いまや畑作まで崩壊過程に入った。水田はGATTのウルグアイ・ラウンドが八六年からはじまって九三年に妥結した。日本はコメについて部分自由化を認めた。日本の消費量の五%までの輸入は無条件で認めなくてはならない。一方で国内生産が過剰だということも加わって、年に一割づつ米価が下がってきた。食管制度が九四年になくなり、食糧法になって大幅な市場原理を取入れた。
分業をやっている途上国ではどうか。
ここにある土地はまずその地域の人びとの食糧をまかなうために使われなくてはならない。その地域の民衆の資源でしょう。それが食糧生産にまわらないで輸出作物に回っている。これがどこでも見られる。アフリカの飢餓地帯でイギリス向けのさやえんどうがつくられている状況が世界中でみられる。
もうひとつは、土地改革がサボられている問題です。中南米やフィリピンなどはいまも大土地所有制、地主的土地所有です。大農園があって、農業労働者が働いている。そこでの農民の最大の要求は土地改革です。地主的土地所有から農民的土地所有へという課題です。ところが農民的土地所有を飛び越して、地主的前近代的土地所有がそのまま企業的土地所有に変換していく状況があります。農民はそのまま置き去りにされて、さらに貧困化しています。食のグローバリゼーションのなかでこのような状況がうまれてきています。
戦後の日本農業の変遷
日本についてここに至る道を歴史をさかのぼってみたいと思います。
戦前の一九三五年はコメ需要量が一一〇〇万トン。国内生産は九〇〇万トンしかなく、あとは朝鮮半島と台湾から強制的にもってきた。
敗戦になって一九四五年には国内生産は、天候異変、労働力不足、化学肥料不足などで五八七万トン。海外からは引き揚げ者がもどってくる。自給率は半分に落ちる。飢餓が発生する。そこで「国民の飢えを克服する」として食糧増産政策を国策の基本に置きます。日本の歴史で農業に唯一、夢があった時代です。若い人がいっぱいいて、生き生きした農村がほんの一瞬、生まれます。それが転換されるのは朝鮮戦争、東西冷戦と同時です。食糧と政治が密接に結びついて展開される。農業も転換期でした。一九五四年にMSA(相互防衛援助)協定が調印される。アメリカは常に余剰農産物に悩まされていた。巨大な生産力があった。戦争が終わって自然は手付かず残ったし、戦争で肥大した化学工業、機械工業も農業に向けられる。レーチェル・カーソンの「沈黙の春」もこの当時のことです。その過剰農産物を処理しなくてはならない。日本では食糧増産ではなく、アメリカ依存の政策がはじまる。麦、玉蜀黍、大豆はアメリカにまかせる。東大の先生が「コメを食うとバカになる」という論文を書く。そうして六十年代にはいっていく。
六十年に安保改定、三井三池争議があり、総資本対総労働の闘いで総労働が敗ける。石炭から石油へのエネルギー革命がすすむ。日本資本主義が飛躍する基盤がつくられ、そのあとは経済成長がつづく。
農業基本法は六一年に作られる。経済成長に農業をどう適合させていくかという法律です。貿易為替自由化大綱が作られ、貿易障壁を大幅に緩和し、百二十一品目の自由化、代表的なのは菜種、大豆、配合飼料などです。畦大豆はあっという間に姿を消す。麦がなくなる。日本の農業が世界の農業にむき合う最初の段階です。
日本農業の崩壊と狂牛病の発端
自然の力を利用し、その助けで食物をつくる。地域の風土にそってそれぞれの農業がある。
砂漠には砂漠の農業がある。アジア・モンスーンにはそれにあう農業がある。ヨーロッパ乾燥地帯にはそれにふさわしい農業がある。農業は多様です。
日本では二毛作。同じ田圃で夏はコメ、冬は麦をやる。これは世界でも希有の農業生産方式です。東アジア特有ですが、日本と朝鮮半島の一部です。もうほとんどみられない。これが可能だったのはモンスーンによる。梅雨と暑い夏がコメをもたらし、冬は大陸から乾燥した冷たい風が吹き、日本海側に大雪、太平洋側や瀬戸内海は乾燥する。瀬戸内海の冬の雨量は砂漠地帯以下です。これはヨーロッパ型で麦に適している。
作物を作り回しできる。輪作で次から次へとつくることで、かえって土は肥える。
小さな土地で回転させながら作るという多様性に富んだ農業が日本農業です。
これが急速に崩れる。麦はアメリカにまかせる。水田はコメ単作になる。麦の価格を据え置いて、米価を上げる。だから麦はやめる。おりからの経済成長で雇用ができて、兼業になる。一方でコメの需要が減る。コメ過剰に。減反がはじまる。
経済成長に農業を適応させる。農村の安い労働力と安い土地と安い水を工業に提供する。そのために農業を効率化し、合理化する。それが農業基本法だった。機械化、化学化、大規模化、単作化です。
これが六十年代以降、日本農業の基本的な方針になり、日本の農業が急速に変わる。
狂牛病の発端はこのあたりです。いまや世界の畜産システムは近代的畜産になっています。
かつては日本では牛は一戸に一頭か二頭いたが、あっという間にいなくなり、アメリカの穀物を餌にして大量に、効率的に飼う。採卵鶏の経営でいちばん合理的な規模は三〇万羽だという。餌と鶏をセットでアメリカから持ってくる。契約方式で大量に買わせる。地鶏はどんどん減る。豚も牛もそうです。牛は大動物で、そういう近代化がしにくかったのですが、いまの牛、特に乳牛の飼い方はすごいものです。ぼくらが学生時代は一年間の乳量は四千キロから五千キロだせば非常にいい牛でした。つい十年前には八千キロといわれ、驚いていた。いまや一万キロから一万二千キロださないとだめ。完全に乳をだす機械になってしまった。
昔は八産から十産くらいお産をさせた。いまは長くて三産でつぶしてしまう。牛が使い捨てです。そうしないと安い乳製品がはいってきているので、経営がもたない。そこに追い込まれている。乳をとるには蛋白質を食わせる。これまでは大豆カスとか魚粉でした。これは高い。肉骨粉が安い。そこでこれを食わせる。酪農家は犠牲者です。そのはしりがこのころです。北海道の広い牧場で牛がのんびりと草を食んでいるように光景はもうほとんど見られない。
つまり農業から風土性が、自然が、生命が奪いとられていった。その果てが狂牛病です。(つづく)
地方で強い改憲反対の声 改憲議連は国民投票法準備
十一月二六日、衆議院憲法調査会(中山太郎会長)の第三回目の地方公聴会が東海ブロックの名古屋で開かれた。
まだ憲法調査会の議論が十分に進んでいない中での地方公聴会の開催そのものが問題であり、また運営にもさまざまな問題がある。憲法調査会では社民党のみが地方公聴会の開催に反対している。
第一回の仙台でも、第二回の神戸でも、市民団体などからこれらの問題を指摘した要求が中山会長あてにだされているが、今回も東海地方のいくつかの市民団体が「緊急声明」(別掲)を発表し、その問題点を指摘した。
公述人は六人で、前回までの政党推薦六名プラス一般公募二名という方式を変えて、今回は全員公募して、幹事会でそこから選抜するという方法がとられた。公述人に応募したのは五六人、応募に際しては発言要旨を八百字で添付する規定。それによると五〇人が「護憲」、六人が「改憲」の意見だった。しかし、選抜されたのは「護憲」三人、「改憲」三人の割合だった。なんともつじつまのあわない話であり、事実上、公募の意味がなくなってしまう。
フジモリ政権下のペルー大使館に勤務したことのある公述人は「テロの現場にも遭遇したが、私の経験からみると、安易に軍事力で対応することを主張する人こそ平和ボケだと思う」と指摘した。
改憲派側の議論は低調で、岐阜県の高校教師は「憲法が日本の教育をダメにした」と言いながら、「自分も含めて学校では憲法をまったく教えていない」などと支離滅裂な発言をしたり、首相公選のために改憲をすべきだと発言した学生は「自分も知人の学生たちも憲法を読んだことがない」というありさまだった。
最後に会場から五人の傍聴者の発言があり、うち四人がアフガニスタン戦争への自衛隊の参戦に反対し、平和憲法を擁護すべきだと改憲反対を表明した。改憲意見を述べた年配者は「アメリカが作った憲法だから改憲を」と主張した。中山会長はまだ時間が残っているのに傍聴者の発言を打ち切った。
公述人にしても、傍聴者にしても、その雰囲気は永田町とは正反対の空気がきわめて強かった。
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資 料
憲法調査会名古屋公聴会開催にあたっての緊急声明
衆議院憲法調査会会長 中山太郎 様
私たちは憲法調査会の運営方法に対し、また憲法調査会の動きと連動して進められる憲法改定の動きに、重大な危惧を抱いています。この危惧は、一昨年以来の「日米新ガイドライン」関連法、盗聴法、国民総背番号法、「日の丸・君が代」法などの制定が立て続けに行なわれ、このたびいわゆるテロ対策特別措置法による自衛隊の海外出動という一連の事態と無縁ではないと考えています。
十一月二十六日名古屋で開催される衆議院憲法調査会名古屋公聴会開催にあたり、私たちの危惧を緊急声明として表明します。
一、名古屋公聴会が市民に広く知らされないままで行なわれようとしている
地方公聴会は、憲法調査会が全国十一ブロックで開くとして今年から始めたもので、すでに四月には仙台市、六月には神戸市で開かれました。憲法調査会が設置された当初は、「日本国憲法について広範に論議する。改憲を目指すものではない」という前提が言われてきましたが、最近の実態は、「広範な議論」とはかけ離れたものになっています。
公聴会の意見陳述人は、これまでは、市民が選ばれるのは二名程度で、あとはいわゆる会派推薦となっていました。今回の公聴会では、六人の陳述人が一般公募となりましたが、応募者の中から一部会派で構成される調査会幹事会が選ぶので、かえって一部会派の意向が強く働く結果となっています。しかもその選考基準はまったく明らかでなく、まじめに応募して選考されなかった市民は強い疑念を残しています。また、市民の傍聴枠は一〇〇名しかありません。平日の昼間という限定された条件での開催になることも広く市民に意見を聞き広範な議論をする態度とはいえません。今までの地方公聴会開催に際しても多くの市民から、形式的な議論ではなく広く市民の意見が主張できる運営を求める声が出ています。形式的な議論を繰り返すだけでは、憲法改定のための既成事実を積み重ねるに等しいのです。さらに今回の名古屋公聴会は、日時決定から開催までの期間が一ヶ月とあまりにも短いのも問題です。
私たちは地方公聴会開催について周知期間を長く、かつ周知を徹底させてより多くの市民が公聴会開催の事実を知ることができるように、また傍聴者からの意見聴取、開催日時の工夫など、広く実質的に市民の意見を聞くための運営を実現するよう求めます。
二、「国民投票法案」と「国会法改正案」に反対
十一月十六日、国会の一部会派でつくる憲法調査推進議員連盟の総会で、憲法改定のための手続きを定める「国民投票法案」と「国会法改正案」をまとめたと報じられています。二六日の名古屋公聴会を前にしたこのような動きは、明らかに憲法調査会と連動した動きであると考えられます。またいわゆる「テロ対策特別措置法」に基づくアメリカ軍支援のための自衛隊出動という時期と重なっていることは、この二法案のねらいの中心が憲法第九条変更にあることは明らかです。憲法調査会は国会内の議論が全く不十分なまま設置されました。その中での不十分な議論さえ終結しないうちに憲法改定の手続きを法制化するという動きに対して私たちは強く抗議すると共に、憲法改定手続きの法制化に反対します。
私たちは海外に自衛隊が出動される状況にある今こそ、日本国憲法の基本的な原則である平和主義の意義を再確認し、その平和主義をないがしろにしようとする憲法改悪の動きに強く反対します。その意味で憲法調査会の今後の動きを監視すると共に、市民の中に広く議論をすすめていくことを決意して緊急声明とします。
二〇〇一年十一月二二日
名古屋公聴会をチェックする有志の会(名古屋YWCA平和問題委員会/愛知憲法問題懇話会/名古屋公聴会をチェックする有志の会)
本
アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
著者・モフセン・マフマルバフ 訳・武井みゆき+渡部良子
新書版一九四頁 一三〇〇円 発行・現代企画室
映画『カンダハール』
この妙に長いタイトルをつけた本は、イランを代表する映画監督モフセン・マフマルバフの作品で、二〇〇一年カンヌ映画祭エキュメニック賞、ユネスコのフェデリコ・フェリーニ・メダルなどを受賞した『カンダハール』(イラン=フランス合作、監督・脚本・編集はマフマルバフ)の公開に際して出版した本である。
本書の中心部分は米軍のアフガニスタン爆撃以前の二〇〇一年三月に書かれている。それに米軍のアフガニスタン戦争開始後の二〇〇年一〇月の「フェデリコ・フェリーニメダル」を受賞した際のマフマルバフの記念スピーチ「神にさえ見放されたアフガニスタン」が冒頭に掲載されている。
こうした編集によって本書はアフガニスタンで現在起っている事態を冷静に、かつアフガニスタンの民衆に心をよせながら学ぶことができる本となっている。
巻末には「アフガニスタンからの客人の追放に反対する」という、二〇〇一年六月に書かれたイランのハタミ大統領へのマフマルバフの手紙と映画「カンダハール」の写真八葉、および解説などが掲載されている。
この瞬間もアフガンで殺されている人びと
三月に書かれた「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない……」の扉の部分に次のような言葉がある。
「このレポートを最後まで読むには一時間ほどかかるだろう。その一時間のあいだに、アフガニスタンでは少なくとも十二人の人びとが戦争や飢餓で死に、さらに六〇人がアフガニスタンから他の国へ難民となって出ていく。このレポートは、その死と難民の原因について述べようとするものである」
この内戦に加えて、アメリカなどによるアフガン戦争が行われているいま、かの地で一時間に何人が戦争で死に、餓死しているのだろうか。
アメリカなど世界で最も富んでいる国が、その兵器の粋を尽くして、世界でもっとも貧しい国のひとつアフガニスタンに襲いかかっている。そしてわが日本の軍隊もいま米軍の戦争に加担するために出兵している。片方の手で米軍のトマホークミサイル、クラスター爆弾、バンカーバスター爆弾、燃料気化爆弾などによる攻撃に手をかして、もう片方ではいいわけがましくわずかのテントなどの救援物資を積んで、極東の地から中東まで旭日旗を掲げた自衛艦が出ていった。
「忘れられていた国」アフガニスタン
「アフガニスタンの歴史は、イランからのアフガニスタン分離の歴史である」とイラン人のマフマルバフはいう。
彼は隣国のアフガニスタンの人びとにずっと心を寄せてきた。彼は「毎年二〜三千の作品が作られるの映画の世界で、アフガニスタンをテーマした映画はほとんどない」と指摘する。マフマルバフには『カンダハール』と『サイクリスト』という二本の作品がある。
マフマルバフは告発している。
「これほどに、一つの国が世界で忘れられているということがありえるのか。その理由ははっきりしている。アフガニスタンは、今日の世界で、何の肯定的な役割も担っていないからだ。何かの製品で名が知られている経済立国でもなければ、世界に貢献した学問を生み出した国でもない。芸術で名誉を得た国でもない。……アフガニスタンの名を知っている人は、すぐに麻薬密輸やターリバーンのイスラーム原理主義、ロシアとの戦争、長期にわたる内戦という言葉のどれかとの連想でその名を思い出す。……『アフガニスタンは麻薬生産国、国民は粗野で好戦的で原理主義者、女性たちをチャードルの下に完全に包み隠している』と。これらすべてに、バーミヤンおける『世界最大の仏像の破壊』を加えればいいのだ。これは先頃、全世界の人びとの悲哀を掻きたて、文化人や芸術家は誰も彼もが、破壊された仏像を守れ、と叫んだ。しかし、旱魃によって引き起こされた凄まじい基金のためにアフガニスタンで一〇〇万人の人びとに差し迫っている死については、国連高等弁務官の他に悲しみを表明する人がいなかったのはなぜなのか」
そしていま、米国や西欧列強は石油と天然ガスのパイプラインの通り道としてのアフガニスタンの役割に目を付けた。
マフマルバフは結論を得た
「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」と。
マフマルバフは自らの無力さに「仏像のようにくずれ落ちてしまいたい」と深く悲しみながらも、アフガンの人びとの可能性に言及し、自らの勇気をも奮い起こしているようだ。
「アフガン人の病気はさほど不幸ではない。アフガン人医師にすれば仕事を得る絶好の機会である。……飢餓は不幸ではない。パンを消費する絶好の機会だ。パンの不足は不幸ではない。小麦生産の絶好の機会だ。小麦の不足は不幸ではない。無駄になっている水を活用する絶好の機会なのだ。さて水が人工的に管理されれば、ダムができる。ダムが建設されれば小麦ができる。小麦はパンになる。飢えが癒される。飢えを癒す以上のものができれば余剰がでる。そして、余剰があれば、それは発展の可能性となる。発展は近代的生活をもたらす」と。これは楽天的にすぎると誰か、嗤えるだろうか。
本書の背景には、あまりに俗な表現になってしまうが、アフガニスタン民衆への哀しみと愛と連帯のメッセージが流れている。
ぜひいちど読んでもらいたい本である。 (斉藤)
複眼単眼
中国のWTO加盟のもたらすものと日中貿易摩擦
中国のWTO(世界貿易機関)への加盟がようやく実現した。
これによって人口十三億人、世界最大の人口を持つ国家が資本主義の貿易機構にすっぽりと組み込まれることになった。
かつてスターリン時代には「ふたつの世界市場」などといわれ、世界が「資本主義経済」と「社会主義経済」の二つに分割されたと言われたこともあったが(もっとも、その実、ひとつの世界市場の変形に過ぎなかったとの指摘もある)、東西冷戦構造の解体をへて十余年、残された最大の市場が名実ともにWTO体制に移ったのである。
中国経済はプロレタリア文化大革命の総括を経て、とうに資本主義市場経済の道を走ってきたのだから、いまさら資本主義世界市場に組み込まれたなどと書くべきものではないかも知れない。
いま中国経済脅威論が報道を賑わしている。アメリカや日本、ヨーロッパの各国経済が軒並み長期不況に見舞われ、勢いを失っているこの時期に、ひきつづき中国経済は七%前後の経済成長を維持している。中国は最新のコンピュータや電機製品はもとより、鉄鋼・造船などの従来型の工業分野でも生産の拡大傾向を維持している。その勢いはまさに「世界の工場」の様相を示
している。
さきごろ、日本政府はこの脅威に対抗しようとして「セーフガード」を発動したが、多くの指摘があるように「メイド・イン・チャイナ脅威」論は虚像であり、それは「ブーメラン貿易」の問題を故意に見逃している議論だ。実は中国の輸出の四八%、輸入の五二%が外資系企業によるもので、日系企業はその六割を占めている。この部分の「日中貿易」は、実は日本の国内企業と中国に進出した日経企業の貿易、日・日貿易なのだ。いま日本に入ってきているメイド・イン・チャイナの六割は日系企業の製品だ。これにセーフガードを発動してどうなるのだろうか。まさに「石を持ち上げて自分の足を打つ」の図だ。
中国は今後、グローバリゼーションの嵐が吹きすさぶ世界資本主義市場に組み込まれるわけだ。WTO加盟は関税の規制緩和など、中国経済にたいするWTO基準の適用を要求されることになり、これにそった国内法的整備も実現しなくてはならない。先行した資本主義列強との弱肉強食のるつぼにたたきこまれるのだ。
このための競争力の強化は、中国企業の整理・淘汰を要求し、いきおい労働者や農民の労働の形態に反映され、倒産や失業の急速な増大が容易に予想される。事実、最近の中国経済にはそうした傾向が顕著である。いまや中国は穀物の輸入国に変わりつつある。
この道はすべての「先進資本主義諸国」がたどってきた道だ。中国経済の数字上の成長は労働者・農民の犠牲の上にしか成立しない。二十一世紀、この道の前途には何があるのか、それは想像に難くない。(T)