人民新報 ・ 第1044号<統合137> (2001年12月15日)
  
                                目次

● ブッシュは戦争と挑発をやめよ 日本の戦争国家化を許すな

● 全国各地で 12・ 8反戦行動

● 奉祝キャンペーンに抗議デモ

● 首切り自由社会を許さない! 霞ヶ関で一五〇〇人の大行動

● PKO法改悪反対 市民団体が緊急参院議面行動

● 国労本部による訴訟取り下げ策動を許すな

● 国鉄闘争の前進に向けての態勢を12・3総決起集会

● 金曜連続講座の講演から
                 食のグローバリゼーションと日本農業 B   大 野 和 興

● 一人ぽっちの掃海母艦「うらが」出航抗議

● 米帝国主義の終わりの始まり   北田大吉

● 映画 「 伊能忠敬 子午線の夢 」

● 映画 「 日本鬼子 」

● 複眼単眼 
      女の長生きは悪しき弊害? 石原慎太郎の暴言つづく




ブッシュは戦争と挑発をやめよ 日本の戦争国家化を許すな

歴史的「安保国会」

 今年後半の第百五十三臨時国会は、十月八日から始まったアメリカ帝国主義のアフガニスタン侵略戦争を支持し、自衛隊を米軍などの戦争の兵站・救援活動などに参戦させるための参戦三法を強行採択し、さらにPKFの凍結解除などのPKO法の改悪を強行した。この国会は全国のさまざまな市民・労働組合などの連日の抗議の行動を無視し、憲法の平和原則をふみにじって日本を参戦国化させた、歴史に重大な汚名を残す国会となった。
 これらを推進したのは自公保与党政権であり、協力したのは一部の良心的議員をのぞく鳩山民主党であり、マスコミの大部分だ。これによって、国会は一種の新しい翼賛状況が形成されている。

米国の独覇体制建て直し

 アメリカは九・一一無差別テロ事件を最大限に利用し、これを「自由主義世界と文明全体に対する挑戦」と位置づけることで、世界各国に「テロと反テロ」のいずれかの踏み絵を踏むように要求した。そのことによって自らの体制的危機にゆらぐ世界的独覇体制を建て直し、支配権を再確立しようとした。さまざまな口実は設けられたが、アフガニスタン攻撃の真の目的は、そのための行動という文脈の中にのみある。
 いまやブッシュのアメリカ帝国主義はイラク、ソマリア、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)などの国々に「テロ支援国」のレッテルをはり、軍事的攻撃の恫喝を繰り返している。この手口にならって、イスラエルはこの時とばかりにパレスチナ民衆に襲いかかり、虐殺に手をそめている。世界各地に危険な戦雲がたちこめている。
 この身勝手なアメリカの戦争恫喝を絶対に許してはならない。アメリカはただちに戦争を中止せよという運動を国際的な連帯のなかで強化しなくてはならない。

小泉の帝国主義的野望

 しかし、小泉内閣は日本支配層の帝国主義復活・強化の野望にそって、このアメリカの要求を好機ととらえ、「世論の高支持率」を背景に、一挙に国内の安保法体系を改変・飛躍させようとした。
 小泉首相は「テロ対策特措法」などの憲法違反の諸法案を、戦後の国会での憲法や安保問題に関する議論の積み重ねすら無視して、「神学論争ではなく、常識で判断する」とか「憲法前文と第九条の間にはすき間がある。憲法の枠内ギリギリだ」などという乱暴きわまりない「論理」で正当化した。いま「戦後民主主義」の名で呼ばれた憲法の平和主義、人権尊重、主権在民の原則そのものが根底からの挑戦を受けている。
 加えて与党は来年年頭からの第百五十四通常国会に有事立法案の提出や、集団的自衛権の行使を合法化する安全保障基本法案という大問題の法案の提出を準備し、あわせて「憲法改正のための国民投票法案」を準備している。
 これらの諸法案は対外的な侵略戦争体制の強化と、日本社会の軍事化を促進するものであり、絶対に許すことはできない。

社会の軍事化の兆候

 十二月十日、東京の市民運動諸団体は、アメリカ大使館に、事前のアポイントをとって要請文の手交に出向いたが、米大使館からずっと離れた路上で警察機動隊に阻止された。警察の態度は一切の説明なしの問答無用であった。「代表二名と撮影担当一名以外は米大使館に近づかせない」というのだ。
 この日、夜、アメリカ大使館へのデモのために三河台公園に集まった市民には公園入口で検問と身体捜索がなされようとした。主催者の断固たる抗議で身体捜索はやめたが、これらの警察権力の異常に横暴な姿勢が、昨今の情勢の変化と無関係ではありえないことは明らかだ。こうした警察権力の対応の変化もまた軽視してはならない。
 これらのひとつひとつの反動化を見逃さず、日本の戦争国家化に対して反撃に移らなくてはならない。


全国各地で 12・ 8反戦行動

 十二月八日、日米戦争開戦から六十年目にあたるこの日、全国各地で反戦の行動が行われた。
 東京では正午から「戦争への道を許さない女たちの連絡会」(吉武輝子代表ら)が、有楽町のマリオン前で「女たちの街頭リレートーク」を行い、土井社民党党首らが参加した。
 その後、午後一時から銀座の水谷橋公園に集まった約百名の人びとで、日比谷公園までのデモ行進を行った。デモは「憲法九条の改悪をゆるしません!」「米軍の戦争への自衛隊の協力を許しません!」とシュプレヒコールを繰り返し、銀座をあるく都民たちに平和を訴えた。
 午後五時半からは東京・渋谷の宮下公園で、「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」が呼びかけた集会が行われ、約二百名が参加した。集会では来日中のアフガニスタン女性革命同盟(RAWA)のマリアム・ラウィさんが連帯挨拶をした。
 集会のあと、若者で賑わう渋谷の街をイマジンなどの曲を流しながら、キャンドル・パレードをした。
 市民緊急行動が呼びかけた「12・8全国いっせい行動」には、インターネットで結びながら、全国各地で約五〇箇所の行動が取り組まれた。


奉祝キャンペーンに抗議デモ

 十二月一日、皇太子妃雅子が女子を産むと、マスコミや右派組織は一斉に「奉祝」キャンペーンを開始した。新聞は号外を発行し、街には「日の丸」がたった。皇居前など各所に記帳所が設けられた。 こうしたなかで、「賛美奉祝キャンペーン反対」「男性の天皇でも、女帝でも、天皇家のあととりはいらない」と主張する集会が、一日午後、東京・渋谷の宮下公園で開かれ、デモが行われた。生まれた当日のデモとあって、街ゆく人々の注目度は抜群だった。
 すでにマスコミなどでは「女帝」キャンペーンが始まっている。福田官房長官や山崎自民党幹事長、中曽根元首相らが一斉に「女帝容認」発言をしている。彼らはこれを改憲論議とむすびつけるねらいがある。天皇制という人権と民主主義を超越した存在の跡目問題で、男女平等を語るのは全く珍妙なことだ。


首切り自由社会を許さない! 霞ヶ関で一五〇〇人の大行動

 小泉政権は派遣労働の拡大・有期労働契約期間の上限延長と対象拡大、裁量労働制の拡大、ホワイトカラーへの適用除外を含めた労働基本法見直しなどを進め、厚生労働省は「解雇ルール」の立法化に着手した。日に日に激しくなるリストラ・解雇攻撃の中で、多くの争議団・労組・市民団体が大きく団結して、解雇を許さない闘いを前進させなければならない時である。

 十二月四日、「首切り自由社会を許さない」霞ヶ関大行動が、一五四団体、一五〇〇人をこえる労働者が参加して展開された。この行動は、立て続けに出されている東京地裁の「首切り自由」判断に対し広範な労働者・労働組合の力を結集して、昨年の十二月七日に行われた「東京地裁・高裁 ヒューマン・チェーン」に続くもので、今年の行動のスローガンは、「これ以上、首切りをさせてはならない。これ以上、犠牲者を出してはならない。痛みを感じる人、怒っている人、すべての人は手を結ぼう」、サブスローガンは、@大量失業を生み出す小泉構造改革を許さない、A裁判所の解雇自由判断は許さない、Bクビ切りの為の法律はいらない、C守ろう人権・平和・環境を、報復戦争絶対反対、をかかげた。
 霞が関大行動は、正午の日比谷野外音楽堂での出発集会ではじまった。集会は「私たちは、本日、ここに集まった多くの仲間と共に、今後も、『首切り自由』を許さず、国際労働基準に基づく、解雇規制と労働者の権利確立をめざす闘いを強化していく。『小泉構造改革・規制緩和・失業反対!』『解雇規制を!』の声を大きくあげていこう。労働者保護と解雇規制こそが世界の潮流である。その流れに逆行する日本の異常な状況を変え、『首切り』・失業のない、真に働き易い二一世紀を実現するために、更に奮闘する」と決議した。
 集会を終えて、チンドン屋さんによる元気のでる演奏を先頭に、厚生労働省、地裁・高裁、国土交通省などへの請願行進を行った。
請願内容の主なものは、厚生労働省(@首切り自由のための「解雇ルール」の法制化に反対、A首切り自由につながる派遣労働、有期労働、裁量労働制の対象拡大に反対、B高齢者の切り捨て反対)、地裁・高裁(解雇権濫用の法理・整理解雇四要件の法理・雇い止めの法理による公正な判決・決定を、A不当労働行為を認定した労働委員会命令を尊重した判決・決定を、B賃金仮払いの一年期限を改め本訴確定時までに延長を)、国土交通省(@公共交通における規制緩和政策を見直し、安全性・公共性の確保を図ること、A紛争企業に対し正常な労使関係を確立する指導をすること、Bとくに一〇四七名の元国鉄職員の解雇争議を政府・JRの責任で当事者が納得できる解決をすること)、文部科学省(@教育基本法の改悪をやめ、学級定員数削減・教員定数の抜本改善など教育条件の改善、A「つくる会」教科書を合格させた文部科学省の責任を明確にし、透明で公正な教科書採択制度実現を、B「日の丸・君が代」の強制をやめること、C私立学校に対する私学助成を)などであった。
 また、人事院に対して、郵便局職員の公正審査を求める請願(@大量配転の郵便局業務への影響、とくに作業ミスへの利用者の苦情申告・交通事故などの労災の状況、また配転者の罹病・退職・死亡の状況について職権で調査を行うこと、A新宿北局事案について判定が遅延した経過と原因を説明すること、B配転事案について請求者側の立証を先行させるという審査指揮を改めること)がおこなわれた。(注・新宿北局事案:新宿北局の飯野さんは、前局での一年三ヶ月勤務だけで、配転させられた。これは「同一局所に五年以上勤務者対象」という配転に関する労使間ルールに反したもの)
 なお当日には、霞が関行動の前後に、全都反合共闘会議による東京総行動が闘われた。行動対象は、富士銀行、UBS、東京スター銀行、あさひ銀行、三井住友銀行、道路公団、郵政事業庁、日逓、阪急交通社、コクド、由倉工業、東京外語専門学校、昭和シェル、フジTV、NTT新宿、JR東日本などで、それぞれの場所で抗議集会・要請行動を行った。


PKO法改悪反対 市民団体が緊急参院議面行動

 十二月六日昼、「PKO法の改悪を許さない緊急国会行動」が行われた。当日は九時から参院外交防衛委員会で同法案の審議が行われていた。
 よびかけたのはキリスト者平和ネット、日本山妙法寺、テロにも報復戦争にも反対・市民緊急行動で、雨の中、八〇人の市民が行動した。集会での発言は大津健一さん(キリスト者平和ネット)、木津博充さん(妙法寺)、富山洋子さん(市民緊急行動)の主催者挨拶、田嶋陽子議員(社民党)、小泉親司議員(共産党)の国会報告、および新しい反安保実の国富さん、グローバル・ピース・ウオークの田村さん、宗教者平和協議会の石川さん、共同センターの佐藤さん。
 集会は「本日、悪法の強行に明確な抗議の意思を表明し、今後の反戦・平和運動の出発点とする」ことを確認した。その後、議員会館前の路上で、シュプレヒコールや、抗議の歌、発言などの集会を行った。


国労本部による訴訟取り下げ策動を許すな

 国労本部は、すでに破綻が明らかになっている四党合意を強引に推し進め、国鉄分割・民営化に伴うJR不採用にかかわる裁判闘争まで「撤回」しようとしている。警察に守られながらの全国大会でも、国労本部は四党合意承認を強行しながらも裁判闘争の継続も決めざるをえなかった。しかし、十一月二十八日の国労本部中央執行委員会は、先の十月定期全国大会で採択した運動方針を修正し、実質的に裁判闘争撤回の方針を出してきた。それを十一月二十九日付けの「北海道新聞」は「裁判闘争『撤回』 国労が方針変更」と報道した。
 この事態に対して、解雇撤回・地元JR復帰を闘う国労闘争団はただちに行動を起こした。
 十二月三日、闘う国労闘争団の内田泰博、原田亘両共同代表、田島省三事務局長は国労本部の寺内書記長と会見し、今回の事態について説明を求めるとともに、最高裁判決への対応策を要望したが、本部の対応はまったく不真面目なものだった。
 闘う闘争団のファックス・ニュース第30号はつぎのように本部での話し合いの交渉を伝えた。
 「『北海道新聞の誤報だったのか? 方針を変更したのか、変更していないのか、はっきりしてほしい』という質問をしたところ、書記長は突然怒り出し、応接室から出ていってしまった。そのために話し合いは二十分弱でうち切られた形になったが、私たちは書記長のデスクまで行き、今日の説明では分からなかったので、改めて答えを聞きに来たい旨を伝えた。……方針を変更したのか、していないのか、そんな簡単な質問にも答えない(答えられない?)本部。組合員に説明できないことを本部はしているのか? こんな重大な問題をうやむやにするわけにはいかない。……本部の勝手な『方針変更』問題について、みなさんも怒りの声を上げてください!また、最高裁判決に対する対応策を本部に求めてください!」。
 国鉄闘争の破壊につながる訴訟取り下げを許してはならない。
 国鉄闘争への支援を強めよう。


国鉄闘争の前進に向けての態勢を12・3総決起集会

 十二月三日、東京・千代田公会堂で「JRの不当労働行為は許さない!リストラに負けない! 総決起集会」が開かれた。
 はじめに、解雇撤回・地元JR復帰を闘う国労闘争団の内田泰博共同代表が、四党合意はすでに完全に破綻している、全国すべての国労闘争団は、これまでの闘いを無駄にしないためにも具体的な闘いを実践しようと述べた。
 北川れん子衆議院議員(社民党)は、「パキスタン調査訪問とバーバラ・リー下院議員との会見の報告」と題して戦争反対の特別報告を行った。
 「リストラ・首切り反対闘争の報告」では、電通労組横浜分会、全国一般東京労組情報学園分会、新宿区職労、特殊法人労連の仲間が発言し闘争報告と決意表明がなされた。
 集会では次のような行動提起が行われ、参加者全員で確認した。
@ 政府・JRの双方を解決交渉テーブルに着かせるために、最高裁闘争とあわせて、政府・国土交通省の責任を追及する新たな「鉄建公団訴訟」が必要であり、提訴がなされた場合には原告団へのさまざまな支援の取り組みを行う、AILO闘争では、政府の不当な対応を許さず、ILOの公正な結論を勝ち取るために、最高裁に不当な判断を出させないために、申立組合を大きく拡大していく、B闘う国労闘争団を財政面から支える「守る会」(仮称)の結成をはじめ、全国に支援組織の結成とネットワーク化を図る。また、「一億円カンパ運動」を継続して取り組む、C「首切り自由」と大失業に反対するさまざまな闘いと結合させ、節目節目に「JR総行動」や集会等を取り組んでいく。JR採用差別から丸十五年の来年二月十六日には、人権シンポを開催する、D映画「人らしく生きよう 国労冬物語」の全国一〇〇ヵ所上映運動を取り組み、支援層の拡大と支援組織の結成につなげていく、E「首切り自由」と大失業に反対するさまざまな闘いと結合させ、節目節目に「JR総行動」や集会等を取り組んでいく、Fリストラ・首切りに反対し、一〇四七人の闘いの勝利をめざす全国キャラバン行動を準備する、など。


金曜連続講座の講演から

         
 食のグローバリゼーションと日本農業 B

                                  
大 野 和 興

米作と野菜の崩壊

 農業の生産力の指標のとり方はいろいろありますが、私は「労働力」と「土地」と「土」で見る。
 農業労働力は人口ピラミットで見ると、いまいちばん厚い層は七〇歳、この人たちは五〇年前は二十歳ですから、戦後一貫して農業を支えてきた。この人たちががんばっている。しかし、もうあとはない。
 日本の農業は三百数十万戸くらい。このうち農水省は農業・食糧政策の対象にしているのは最大限四〇万戸です。これでは農水省などいらない。土地は耕作放棄地が続出している。農地面積は約五百万ヘクタール弱。二〇一〇年には四百万を切る、うち八〇万は耕作放棄地だといわれている。歳をとって遠方の土地から捨てていく。私の山形の友だちも三年前にいちばん遠くの田圃をすてました。
 土が退化している。土の「進化」は多様性だと土壌学ではいう。多様性にも物理的多様性、化学的多様性、生物的多様性などがあります。生物的多様性がある土は豊かな土ですが、化学肥料・農薬をやることで殺してしまう。あるいは連作することで特定の微生物だけが繁殖する。バランスが崩れて病原菌になる。
 化学的多様性は微生物の活動のなかで岩石を溶かして、さまざまなミネラルをだす。ミネラルは生物体にとって不可欠なものです。生物の多様性がなくなることで、化学的多様性もなくなる。
 物理的多様性というのは団粒構造といいますが、土は小さなつぶつぶのあつまりで、そこに空気や水がはいってフワフワして植物が吸収する。それを機械化、化学化でぎゅうぎゅう押しつめられ、バンバンになる。物理的多様性もなくなる。多様性が日本の土から失われている。農業の効率化、近代化のなかでこういうことがすすんできている。そこへコメの価格下落と野菜の輸入がかぶさってきている。
先行きは実に暗い。

東アジア農業の危機

 私は東アジア全体は潜在的飢餓地帯だと思います。日本も韓国も食糧自給率が五割をきっている。北朝鮮も飢餓で、ここは毎年毎年、食糧が足りない。災害があったというのですが、それを含めて構造的なものです。天災に弱い国の構造基盤になっている。それでも北朝鮮は自給率は六〜七割です。中国がWTOに加盟するなかで農業政策の転換をしている。穀物自給率については、アメリカに市場の一部を明け渡すように転換し、野菜に変えている。
 野菜は日本の企業がタネまでもっていって契約栽培している。タネをもっていって、技術指導して、契約で買い上げて、沿海ですから冷凍工場を合弁でつくったところで冷凍食品にして日本にもってくる。生鮮ではいってくるのも多いですが、冷凍野菜が一般的になっている。スーパーの冷凍ケースにはいっている芋とかカボチャはみな輸入品です。外食産業、特に居酒屋チェーンなどの和風の料理は全部、中国ものとみて間違いない。中国も穀物は輸入地帯になっている。
 これではいったい東アジアはどうなるのか。

市民が生産流通システムの変革に挑戦

 ではどういう方向があるのか。
 日本で農業が近代化し、大規模化し、流通も含めて変化するなかで、地域が崩壊してきた。大量生産方式で作った野菜はおりからつくられた高速道路にのって東京・大阪にもっていく。それをスーパーが大量販売をして、大量に廃棄することでゴミの山ができる。大量生産、大量流通、大量消費、大量廃棄、これが三〇年間つくられてきた生産流通システムです。
 いまこの大量廃棄でフンづまりがおこっている。売り方、買い方、食べ方、作り方を含めて転換期に入っている。
 実は大量消費の延長上には大量輸入がある。たとえば東京が発展して人口が増える。近郊で野菜が間に合っていたのが、茨城になり、福島になり、秋田・岩手、そして十勝平野と東京に野菜を供給するところが広がっていく。十勝と黒龍江省とどうちがうか。ちょっと遠くなった、ちよっと海を越えただけの話だ。スーパーにとっては十勝から入れるのも、山東省から入れるのも同じ。安いのがメリットだ。その中で地場を捨ててきた。農業の側自身が捨ててきた。東京でいかに高く売るかが生産・流通戦略になる。そのためには大量に作って、荷を絶やさないで、規格にあったものをつくる。規格にあわないと使ってくれない。ダンボールに四本入るのが大根で、五本入るのは大根じゃない。ゴミだ。
 山形県の長井市ではこの十年、市民運動で循環型の地域づくりをやってきた。町場でできる生ゴミを堆肥にして地元の農地に入れ、地元の農地で作ったものを地元で食べるという市民運動です。
 長井は三万三千人の小さな田園都市です。田圃と畑の中に町がある。消費者世帯は五千世帯。年間に十億円は青果物を買っている。うち長井市でできるものは六%。九億四千万は全国や外国からくる。たとえば葱は豊橋からくる。長井はいい葱がとれる。それは東京・大阪にいく。農協は東京でいかに高く売るかばかり考えている。「足元の九億をどうするのだ、もったいない」ということに最近、みな気がついている。地場の市場をもういちど見直し、作り直していく。
 これは安全性からみてもいいことです。水物を遠く運ぶのはムリがある。当然、保存料や漂白剤を入れる。蓮根などは保存量で白くする。二酸化硫黄です。
 地場からもういちど見なおすと、そんなに農薬は必要なくなる。旬のものが食える。旬のものをつくるにはほとんど農薬はいらない。作り方が変わり、売り方が変わり、買い方が変わり、食べ方が変わる。

民間同士の交易の夢

 もうひとつは、理想論になりますが、国家を介しないほうがいい。日本の農民が苦しんでいて、中国の農民はウハウハかというと、そうではない。間にたっている企業がウハウハなだけです。
 中国でも過剰生産に陥っている。ごぼうを食べるのは日本だけですが、中国に作ってもらって日本に入れる。過剰になると廃棄するしかない。野菜の価格は暴落する。持っていき先がない。ネギもそうです。高いタネ代をはらって買わされて、売るときには売れなくなっている。中国の農民も決して幸せではない。グローバリゼーションにふりまわされている。
 敵は中国の農民ではなく、日本企業だ。日本の農民はおとなしすぎる。もっと日本企業と闘わなくてはならない。しかし、高齢ですからねぇ。
 もうひとつは住み分け的交易を、いまの競争的交易に変えて作っていく。ワカメはずいぶん中国から入ってくる。全漁連と中国の漁民組織が話し合って、一定のところで中国は輸出を押さえ、入ってきたものは日本側がきちんと売るという民間協定をやっている。間に国家を介さないでやっている。韓国とも漁業紛争は政府を介さないでやっている。
 農民は国家にたよるのではなく、たとえば深谷ネギの深谷の市長さんが向こうにいって、お互いに民間協定をむすぶようなことができないか。そうすることで市場原理の交易を作り替えていくことができないかなどとも考えます。 (おわり)


一人ぽっちの掃海母艦「うらが」出航抗議

 「確か駅前に集合のはずだったのに、おかしいな」。十一月二十五日朝七時、京浜急行田浦駅に降り立ったが、駅前に見知った顔がいない。例によって私服のかたまりはいるし、警備の警官も多い、ここで間違いはないよなー。
 前に中年女性の二人連れがいて、警官に港への道順を尋ねている。「この人たちも抗議行動に来たのかな」。私も二人運れの後について港に向かう。途中どこかのセクトらしい小集団が数倍の人数の機動隊にカッチリ固められて誘導されてくるのにすれ違う。やっぱりここでよかったんだ。そこに前を行く二人連れの会話「マスクなんかしちゃっていやーね」「堂々と顔出せばいいのよ、だから左翼って嫌い」…なんだ、抗議行動に来た人たちじゃないのか。
 港まで来ると警備は一層厳重で、警察の大型バスや警備の車両が何台も配置され、警官と自衛隊の警備隊が巡回している。フェンスに囲まれた一角はもう基地で、入りロが「うらが」見送リ式典の受付になつていた。晴れ着の制服姿の自衛隊員が受付作業をしている。
「来賓用」「ご家族用」とあって、受付を済ませた人々はマイクロバスで会場に向かう。件の二人連れは、居合わせた顔見知リと「地元に住んでいるんですから、駆付けなくてはと思いまして」などと挨拶しながら受付を通っていった。どうも自衛隊友の会かなにかのメンバーのようだ。
 取り残されて、仕方なく岸壁にたたずみ、港を見守る。受付での会話から、「うらが」のマストと船尾だけが建物の蔭から見えていることを知る。「集合場所はJRの田浦駅だったんだ」。地元に住んでいながら横須賀方面にあまり足を運ぶことのない私は、連絡を受けた時、はなから京急田浦駅と思い込んでしまっていた。
 「ただ今…グループ五〇名が…」ひっきリなしに警官の無線交信が聞こえてくる。警官と自衛隊の警備隊が、胡散臭そうにジロジロ見ながら背後を行ったり来たりする。
 「ただ今、長官ご到着」。受付付近の無線交信が言う。「うらが」の向こう側から内火艇が二隻廻リこんできた。しぱらくしてラッパの音と共にそれだけのぞいている。ポールにするすると日の丸が上がった。受付の自衛隊員が直立不動の姿勢をとる。式典が始まったらしい。
 「自衛隊員の皆さん!」。突然大音量のスピーカーががなり立て始めた。少し離れた岸壁に横付けした二台の右翼の街宣車からだ。「テロ集団は全世界の敵」「今般、地元小泉総理の英断により自衛隊を派遣」「貿易センタービルで亡くなった日本人犠牲者も喜んでくれることだろう」「世界に晴れて堂々と日本の姿を示すのだ」「十分訓練を積んだ優秀な自衛隊、今こそその力を発揮する時」「湾岸戦争の時の侮しい思いを晴らそう」「本来ならイージス艦を派遣すべき所」「しかし、皆さんの物資輸送の業務もこれはこれで実に重要な任務」(ひいきの引き倒し!?)「全員無事御帰還を祈る」そして締め括りはダミ声で「日本国自衛隊万歳!」…後で抗議行動に参加した人から聞いたところでは、シュプレヒコールに対しても「公安条例違反」と警察が規制を加えたとのこと。付近に民家もあるのに、警察は遠巻きにしているだけで、右翼の騒音は野放なし。
 やがて、建物の蔭から勢いよく煙があがる。「うらが」の煙突からだ。船尾に乗員が整列しているのが見える。周囲をボートが果敢に巡っている、海上抗議行動を行っているのだろう。マストと船尾が大きく旋回する。出航だ。
 「日本の参戦反対!」「自衛隊の出兵抗議!」胸の中でシュプレヒコールを挙げた。(佐山)


米帝国主義の終わりの始まり

                          
北田大吉

 米国の世界貿易センタービルに対するテロ攻撃は、米帝国主義が自ら招いたものであることは、一月二十日に成立したブッシュ政権のチェイニ―副大統領、パウエル国務長官、ラムズフェルト国防長官、ア―ミテ―ジ国務副長官などいずれ劣らぬ戦争屋の顔ぶれをみても明らかであろう。このような「軍事政権」成立を待望していた米軍は、歴史上はじめて米本土に対するNBC兵器による攻撃を予想し、危機感を抱いていたといわれる。

   ※ ※ ※

 テロ攻撃そのものは犯罪で、警察組織による捜査の対象であるが、ブッシュ大統領は即座に「待ってました」と云わんばかりに「新しい戦争」を受けて立つ決意を発表した。

   ※ ※ ※

 「新しい戦争」というブッシュの発言は明らかにウソである。テロは戦争ではなく犯罪であるという意味ではなく、世界の国家という国家を一応抑え込んだ米帝国主義は、次に国家ではなく、非国家組織による米本土攻撃に怯え、すでに八〇年代以降、テロ、ゲリラ戦を含む戦争様相を低強度紛争と位置づけ対応を練ってきたからである。確かに公然と米本土を目標とする低強度戦争は歴史上初めてであるから、その意味では「新しい戦争」といえなくもないが、そのことによって米帝国主義は二十一世紀の戦争が、非国家組織による米本土に対する直接攻撃の常態化として逆に承認するという皮肉なことにもなったのだ。

   ※ ※ ※

 ブッシュは、アフガン戦争の目的として「テロの根絶」を挙げているが、いかなる戦争にもテロが伴っている。戦争が続く限りテロは根絶できない。現にアフガンにおける米軍の空爆は紛れもないテロである。国家によるテロは許せるが非国家組織によるテロは許せないということは道理に外れる。かつてゲリラは非正規軍による軍事行動として国際的非難の対象となったが、これはやがて合法化された。

   ※ ※ ※

 ブッシュがアルカイダのようなテロリスト組織やタリバン政権の壊滅を目標とすることはできるが、テロリスト組織そのものの根絶はどだい無理な話だ。現在、タリバン政権が事実上崩壊し、アルカイダもかなりの打撃を受けているのをみて、ブッシュはソマリアやイラクへの侵攻を狙っているが、これは成功しないどころか、米帝国主義の終わりの始まりとなりかねない。

   ※ ※ ※

 世界革命はテロによって成就されるものではないが、帝国主義が世界的なテロを生み出し、このテロとの戦いによって疲労し、終には命を縮めるはめに陥ることはあり得ることである。われわれはテロには反対し、反テロとしての戦争にも断固として反対するが、帝国主義がテロとの戦いのなかで自滅することは大いに結構なことで歓迎するものである。


映画

 
伊能忠敬  子午線の夢

       監  督  小野田嘉幹
        キャスト  加藤剛、賀来千香子
                西田ひかる、榎木孝明


                     俳優座創立55周年記念作品 2時間7分


 伊能忠敬は十九世紀の初頭に、全国の海岸線や街道を自らの足で実測し、現代の地図に匹敵する精密な全図を作った人である。
 下総の名主・伊能忠敬(加藤剛)は隠居になったあと、五十になった時、江戸にでた。農業にたずさわりながら抱きつづけてきた夢、地球の南北を結ぶ子午線を計り、地球の大きさを割り出すという人類初めての事業への夢のためにである。
この時期、徳川封建体制の下ではあったが、学問の各分野で西洋の近代科学が成長しつつあった。
江戸に出た忠敬は幕府の天文方・高橋至時(榎木孝明)に師事し、やがてその夢は、列強の侵略に怯える幕府の北辺防御とそのための地図づくりの要求とかさなって条件が整い、測量を開始する。
 歩幅を一定にして、一歩一歩歩き、歩数を数え、実測値を記録する。羅針盤と「象限儀」という望遠鏡付の分度器などを駆使し、また星と太陽で方角を読む。密偵に間違えられたり、各地の役人の非協力に遭遇したり、忠敬一行の測量行脚は波瀾万丈である。そして、この伊能の夢に協力したさまざまな人びとがいた。それらの人びととの出会いと別れがある。なかでもお栄(賀来千香子)という有能な女性の協力は、忠敬の励みとなる。結局、測量を開始して十八年、七四歳。完成とはいえないが、伊能はすばらしい全図を作り上げた。
 映画の最後のシーンでの言葉は「人は常に夢を見、その夢によって、織りなされる存在なのだ」。

  ※  ※  ※

 なぜ、いまさら伊能忠敬かという人もいるかもしれない。
 主演の加藤剛は日ごろ、平和憲法を大切に思っている言動を隠さない、さわやかさが感じられる俳優である。紫綬褒章をもらってもいるが…。この加藤が熱演しているというのもひとつの見所である。
しかし、もっと大切な問題もある。筆者はかつて民衆史の研究の一環で、千葉県の九十九里町の伊能忠敬の生家跡や、佐原市の旧伊能家を訪ねたこともある。特に伊能の研究家で、佐原市の浄国寺の小島一仁住職に話を聞いて以来、伊能にたいする視点は大きく変わった。
 伊能忠敬は日本では比較的よく知られた歴史上の人物だが、その知識の多くは戦前・戦中の国定教科書に書かれた伊能像であり、五十歳を過ぎてから天文学、暦学、地理学を学んで、この偉業を達成し「高名出世」を成し遂げた、まさに「精神一到何事かならざらん」(尋常小学修身書巻六の評価)を体現した偉人であるという人物像であった。
 これに対して小島住職は「忠敬がはじめから、その仕事を、自分のためでも幕府のためでもなく、後世のために行うのだという自覚を持っていたこと、これまで誰も行うことができなかった壮大で画期的なものであるとして、その達成のために大きな誇りと使命感をもって取り組んでいたこと」(三省堂選書「伊能忠敬」)を指摘している。
佐原村の庄屋だった当時、忠敬が飢饉に際して、貧民救済に積極的に取り組んでいたことなども指摘している。もとよりその思想は時代や階級的立場による限界のあるもので、「役人にまかない費を出すくらいなら、その分だけ百姓に与えたほうがよほど役に立つ。もしも、不埒な奴らが村に入り込んで騒動をおこすようなことがあれば、銭米を与えた百姓たちにふせがせればよい」とも言ったと言う。
 また井上ひさしは忠敬を主人公にした小説「四千万歩の男」を書き上げている。
 映画「伊能忠敬」はこれらの小島住職や井上らの業績を十分に研究して作られている。
 洪水で崩壊寸前の川に武士の命令にそむいて、立ち向う。下流地域の農民を説得して下流の土手を切り、多くの百姓を救う場面は、この映画に佐原時代と、全国測量で薩摩にいたった場面と二つでてくる。佐原では「流されるおらぁの土地はどうする」と抗議する下流の農民に対して、「蔵を開ける」と答え、薩摩では「みんなで協力しあおう」と呼びかけ、藩と対決する。
 北海道の測量では和人に侵略されつつあった少数民族のアイヌの人夫を人間として扱った結果、アイヌに窮地を助けられる場面もある。これらは史実かどうかは知らない。しかし、伊能という人物の「真実」に迫ったエピソードであろう。
 あまり肩のこらない映画である。(K)


映画

   
日本鬼子

       日中十五年戦争の真実を描く 鬼から人間にもどった証言者たちの姿

 殺人、放火、略奪、普通の杜会では許されない所業が許されるどころか大いに奨励され、その数が多ければ多いほど英雄になる唯一の条件、それが戦争である。
 古くは「聖戦」、現代ではより洗練されて「人道的介入」、「テロ組織壊滅」等の美名が与えられようと、その本質にはかわりない。新聞の紙面をかざる「誤爆」であろうと、正しい爆撃であろうと、その下にはかけがえのない生命を奪われた唯一無二の人間がいることを忘れてはならない。
 映画「日本鬼子(リーベンクィズ)」は、かって日中戦争において数々の罪業をくりかえした元皇軍兵士の告白を綴ったドキュメンタリー作品である。
 画面で自らの悪行を告白する一四人の生い立ち、学歴、職業は様々であり、当時の経歴も一般の兵士から将校、憲兵、特務機関員、さらには七三一部隊の少年隊員、軍医と多岐にわたる。
 終戦後、彼らのうち二人は国民党軍に参加して一九四九年まで中国共産党の人民解放軍と闘い、二一人はソ連によりシベリアに抑留され、強制労働を科せられた。国共内戦が人民解放軍の勝利に終わり、中華人民共和国(中国)が建国された翌年の一九五○年、証言者を含む一一〇九人の戦犯が遼寧省の撫順、山西省の太原の戦犯管理所に拘禁されることになった。
 報復と厳罰を覚悟していた戦犯たちは「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という周恩来の指導による人道的な心温まる処遇を受け、良心を取りもどして、自ら罪を認めて中国人民に謝罪する。
 そして、「日本鬼子」から人間的良心に目覚めた彼らは、帰国後に「中共帰りの洗脳組」という偏見を受け、公安や警察から監視され、就職にさいしても数えきれない嫌がらせと妨害を受けたにもかかわらず、再び同じ過ちを繰りかえさないために、自ら行った加害の真実を語り続けてきたのだ。
 人間は弱いもので、忌まわしい過去から言い訳まで使って逃避しようとする。「あの時代は仕方がなかった」、「皆がやっていたから」、「悪いとは知っていたが臆病者と言われたくなかった」、戦後、多くの復員兵はそうやって自分を正当化した。
 そして戦後の「繁栄」の下、自分の犯した過ちさえも、ふり返れば懐かしい思いでに変えてしまった。
 しかし、彼らは自分の過ちから戦後一貫して目をそらさずに生きてきた。映画には過去を語る証言者を見ている妻が画面の隅にいる揚面があるが、それはどんな時でも包み隠さず過去の真実と向き合ってきた人生を表すものと私には思えた。
 ナチスドイツのユダヤ人虐殺を描いた映画「ショア」では、加害者たちは顔を見られるのを嫌い、隠しカメラで撮られていたが、この証言者たちは全てが実名で、顔もさらしているのである。
 そこには、自分を徹底的に解剖しつくした上にたどりついた強固な使命感を感じさるをえない。私は画面に終始圧倒され、その日は何もできなかった。
 権力からの抑圧と監視、世間の偏見と無理解による孤立と生活苦、様々な苦難に貢め苛まれながらも自分の信念を貫き通してきた人間の姿に、何も言えず、平伏するのみである。血で描かれた歴史は決して消え去ることはない。過去を正しく理解し、未来を展望する読者諸兄には、ぜひともこの映画をご覧になっていただきたいと請い願う次第である。(樹人)

 「日本鬼子」日中十五年戦争・元皇軍兵士の告白
 二〇〇〇年作品、二〇〇一年公開、十六ミリカラー、一六〇分
 映画はシアターイメージフォーラム(電話〇三ー五七六六ー〇一一六)にて上映中。
 十二月二一日まで十一時四〇分から三回。翌日からは九時半から一回の上映。


複眼単眼

  女の長生きは悪しき弊害? 石原慎太郎の暴言つづく


本当に怒りを通りこして、あきれはて、開いた口がふさがらないというのはこのことだ。
 都知事の石原慎太郎の暴言癖はすでに有名で、確信犯なのだが、今回のはひどすぎる。
 『都政新報』という一種の業界新聞がある。その報道。
 「この間すごい話をしたんだ、松井さん(松井孝典・東大大学院教授のこと)が。私は膝(ひざ)をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪される。特に先進国にありうるわけだ。でね……、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな」
 読者は一体なんのことだと思うだろう。
 その謎解きの答えが『週刊女性』十一月六日号の女性デスクのインタビューに対する石原知事の発言だ。
 「松井孝典が言っているんだけど、『文明がもたらした最も悪しき有害なものはババァ』なんだそうだ。『女性が生殖能力を失っても生きているってのは、無駄で罪です』って。男は八十、九十歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子どもを生む力はない。そんな人間がきんさん、ぎんさんの年まで生きているってのは、地球にとって非常に悲しき弊害だって……。なるほどと思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね」
 これは松井孝典に言わせたかたちにしているが、石原の本音だ。
 それにしても松井も松井だ。最近は石原ら新国家主義者のまわりに、こうしたたぐいの「知識人」がいて、テレビなどでしばしば対談をする。それが報道で垂れ流しにされる。
 石原は差別や人権の問題などについて、きわめて乱暴な用語法をする政治家だ。かつては障害をもった人に「生きている意味があるのか」とも言ったし、DNA談義もお好みだ。そして「バカ」を連発したり、「なにいってんだ」式の反撃をしたりする。そのときに「べらんめぇ」口調が独特の役割をする。その手口は効果を知っていて使う確信犯そのものだ。それは議論を封殺するし、まともな対話を拒否する。
 石原は本当は議論をおそれているのだ。それを強がりで装うのだ。田中康夫・長野県知事が「石原は本当は臆病だ」と喝破したがその通りだ。
 これにそっくりなのが、小泉純一郎首相だ。
 こんな奴ばらを首相や首長にしておいてはならない。いまこそ石原都知事を引きずり落とすための英知をしぼった闘いを開始しなくてはならない。女たちよ、男たちよ、全国の高齢者よ、怒れ、怒れ。きんさん、ぎんさんよ、よみがえって石原を打ち据えよ。(T)