人民新報 ・ 第1045・1046号<統合138・139> (2002年1月1日)
  
                                目次

● 戦争と社会的危機の時代に、社会主義の旗を掲げて前進しよう
                       労働者社会主義同盟中央常任委員会

● 2002年・・社会主義と民衆運動の世紀の創造にむけて、 団結し、ともに前進しよう 
    自分の脚で立ち、未来を見据えて / 石渡博明(安藤昌益の会事務局長)
    階級観点を堅持して闘う / 板井庄作
    「飯は分かち食らうもの」 / 井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)
    暴力の連鎖を断ち切るために / 内田雅敏(弁護士)
    あらゆる領域で根源的対抗基軸を / 小寺山康雄(自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合)
    何を考え、何を行うべきか / 佐藤敏昭(三多摩労働者法律センター)
    民衆のメディアを構築しよう / 砂場徹
    思想・理論の面でスターリン主義を克服しよう / 隅岡隆春
    新たな統一戦線を! / 樋口篤三
    古い図式から離脱を / 降旗節雄

● イーターなんかいらない!全国集会  国際熱核融合実験炉誘致に反対

● 資 料 日本国憲法改正国民投票法案要綱(憲法調査推進議員連盟)

● 米軍の非人道兵器使用問題と、自衛隊のイージス艦派遣論議にまつわる問題

● 浜岡原発が重大事故 そしてそれは東海地震のど真ん中にある
                      柳田真さん(たんぽぽ舎)に聞く

● 闘う闘争団を支持し、四党合意を撤回させ、国鉄闘争の前進を

● 全港湾・全国一般・全日建が厚労省へ申入れ 中小・パート労働者への対策強化を

● フィリピントヨタの首切りを撤回し、組合つぶしを止めろ!
             フィリピン豊田労組と共に本社抗議行動

● 沖縄・終わらない戦後、踏みにじられる生存権 許すな!憲法改悪・北部市民連絡会が集会

● 労働・市民団体が外務省で 日韓投資協定NO!の緊急行動

● アメリカは戦争をやめろ 東京・香港などで ・ アジア一斉行動

● 資料 声 明<憲法改悪をくわだてる 「憲法改正国民投票法案」の国会上程に反対します>
                                    「許すな!憲法改悪・市民連絡会」

● 映画
     映画「光の雨」 / 映画『光の雨』は連赤の「なぜ?」を明らかにしたか
     映画 「ホセ・リサール」 / フィリピン独立運動の指導者の生涯

● 地域から 
     従軍慰安婦写真とパネル展

● せんりゅう   ゝ 史

● 複眼単眼
        ビデオの怪、メディアの怪 日本共産党の怪……




2002年

    
反戦平和の壮大な闘いの年に 

            自衛隊は参戦をやめろ


                 有事(戦時)法制、改憲国民投票法を阻止しよう


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戦争と社会的危機の時代に  社会主義の旗を掲げて前進しよう

                       労働者社会主義同盟中央常任委員会

 内外情勢が歴史的変化を遂げつつある中で私たちは、西暦二〇〇二年の新年を迎える。
 冷戦後の地球上で単独覇権体制を作り上げたアメリカ帝国主義が、我がもの顔にふるまって、横暴のかぎりをつくしている。この尻馬にのって、小泉政権は足下の経済財政危機対策すら放り投げて、アフガニスタン戦争に加担・参戦した。もはや自衛隊の仮名も無用と思わせる日本軍が、米軍と一体化して戦っている。
 アメリカでの九・十一無差別テロ事件は「終わりの始まり」ではあっても、ブッシュらが言う「新しい時代の始まり」ではない。
 九・十一テロ事件と米英軍などによる「対テロ報復戦争」の開始を契機に、これまで潜在・蓄積されてきた諸矛盾が噴出し、二十一世紀は前世紀にまさるとも劣らない世界的激動の時代、戦争と不況、階級闘争と各種の社会的闘争と革命の時代であることがますます明らかになった。
 すでに世界資本主義は、冷戦崩壊後の一〇年間の相対的な安定期を終え、グローバリゼーションによる激動の嵐の中にある。
 労働運動、社会主義運動は困難に陥り、資本の反動攻勢が吹き荒れた。その結果、全世界的な規模で貧富の格差が増大した。
 だが一方ではアメリカ帝国主義と多国籍資本にたいするさまざまな抗議行動が頻発・拡大し、WTOや各種の世界会議に対する連続した抗議行動が展開され、各地で反米反帝闘争が続いている。この動きに対処するための理論が「文明の衝突」論である。
 世界が北側の「先進資本主義」諸国グループと南側の「途上国」グループにわかれていることは事実であり、両者の格差・矛盾・あつれきが日増しに拡大していることは誰の目にも明らかである。
 しかし、それは帝国主義の搾取と収奪の問題であり、キリスト教勢力によるイスラム教圏への侵略・浸透などによるものではない。またここからの脱出を、アラブの支配層のように帝国主義のおこぼれをもらって富を蓄積することで、表面的な近代化をはかったり、アフガニスタンのタリバン政権のように宗教的な原理主義の徹底によって解決を試みるのは、反人民的な時代錯誤でしかない。世界の矛盾は南北の矛盾だけではなく、北の諸国の内部でも、また南の諸国の内部でも階級矛盾が存在し、搾取・収奪があり、富の偏在がある。それらの搾取・収奪構造は資本主義によって構成されている。戦争と圧迫、隷従を強いる悲惨な現実からの解放は、この資本主義の廃絶によってしかありえない。
 マルクス主義・社会主義の道から全く逸脱したソ連圏の崩壊や中国の資本主義化の現実から、マルクス主義・社会主義の理論と運動は世界的にその影響力を失っている。しかし、いま復活・再生の条件が形成されつつある。
 アメリカは「テロ撲滅」を口実になおイラク、ソマリア、イエメン、スーダン、北朝鮮、フィリピンなどへの攻撃を準備している。ブッシュの手口を真似たイスラエルのパレスチナにたいする攻撃はきわめて重大な段階に入った。
 現在のアフガン戦争が長期に続くわけではない。戦争が終われば一定の「平
和」の時期がくるかも知れない。しかし、軍事力による平定(「平和」)は問題の解決ではなく、その再生・拡大の入口にすぎない。
 現在の世界の抱える矛盾・あつれきの大きさは、次なる紛争へとつながるにちがいない。ブッシュのもとで米国の戦争は常態化・普遍化されるだろう。
 そのアメリカに従って小泉政権は、日本の参戦体制の常態化をはかっている。憲法違反の集団的自衛権の行使と日米安保の攻守同盟化は現実化した。あとは法的整備による現状追認・合法化だけである。いま日本の支配階級は、有事(戦時)法制の確立など「参戦国家体制」の整備のピッチをあげ、九条を中心に憲法の改悪攻撃を加速している。第一五四通常国会で政府・与党はそれらの課題を一挙に棚卸ししてくるだろう。
 今日の日本社会のかかえる困難の象徴は、失業者(率)の急激な増加である。日本は深刻な経済的危機(経済不況、失業率、国家財政赤字、不良債権、株価の低迷、社会保障制度の崩壊の徴候など)に陥り、簡単にはそこから脱出できそうにない。小泉改革は遅かれ早かれ破綻に直面する。
 問題は小泉「改革」の破綻のその時までに、それにかわる「危機克服」の勢力・運動、路線・政策が形成できているかどうかという主体の問題にかかっている。
 いま、客観的条件の進展と主体的条件の立ち遅れの間には、大きな落差が存在している。焦ってはならないが、私たちの闘いは時間との競争でもある。
 私たちは戦争と反動攻勢の強化と、反戦運動の展開が同時進行する状況下で、断固として反戦平和・改憲阻止の闘い、そのための壮大な統一戦線の形成、そして世界人民との反帝国際共同行動を実現させていかなければならない。
 新年にあたり、私たちはこのことを改めて固く決意する。

二〇〇二年一月一日


2002年

 社会主義と民衆運動の世紀の創造にむけて、 団結し、ともに前進しよう 

 私たちは、新たな年に、より多くの人びとと連帯して闘いを前進させていきたいと思っています。各界からメッセージをいただきました。(紹介は次号にも続きます)

                                   
    人民新報社一同
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自分の脚で立ち、未来を見据えて

  
石渡博明(安藤昌益の会事務局長

 新世紀の幕開けは、必ずしも私たちが望むような形ではやってこなかった。いやむしろ、私たちの願いとは逆行する形で幕を開け、逆流は流れを増して今日に至っている。そうした中にあっても流されることなく、私たちは自分の脚で立ち、未来を見据えていかなければなるまい。
 徳川時代中期、上下・二別の身分制の真っ只中にあって「貪ぼる者もなければ、貪らるる者もない」未来社会を構想し、倦むことなく説き続けた安藤昌益がいたように。
 昨年は、日本とカナダで昌益の紹介者ハーバート・ノーマンの復権があり、今年はおりしも昌益没後二四〇年、来年は生誕三〇〇年に当たる。
 「戦争」や「グローバリゼーション」が世界を席巻し、民衆が難民化を余儀なくさせられた今だからこそ、昌益の思いを今に受け継ぎ、昌益の復権を通して平和の大事さ・命の尊厳を訴えると共に、搾取・抑圧のない社会の実現に向けたささやかな一歩を踏み出していきたい。

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階級観点を堅持して闘う

          
板井庄作

  新しい年が明けました。今年もひきつづき、そしてさらに闘争を発展させるために頑張りましょう。
 昨年はイスラムの闘争が世界に衝撃を与えました。
 しかし、この闘争を宗教上の原理に帰したら、また例えばハンチントンという人が言うように文明間の闘争と規定するべきでしょうか。
 こういう主張は一面だけをとらえた主張です。階級闘争は宗教的な形態を含めて複雑な表現形態をとります。
 われわれは階級観点を堅持して、イスラムの闘争が帝国主義と対抗する側面を支持しますが、その誤った側面にも注意を向けなければなりません。
 政治の反動化が進み、戦前の天皇制警察国家の再来のような状況も出てきています。
 しっかりと腰を落ち着け奮闘しましょう。

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「飯は分かち食らうもの」

  
井上澄夫(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)

昨年、二一世紀最初の年は、この世紀こそ戦争と無縁であってほしいと願う人びとに冷水を浴びせた。平和は遠ざかり、第三次世界戦争の予感さえ人びとの心に宿り始めている。
 一九世紀から二〇世紀にかけて重層的に蓄積された世界大の構造矛盾は、二度の世界戦争を通じても解消されず、二一世紀に重い宿題を残した。問題は極端な富の偏在である。一部の富者層と膨大な貧者層の対立が、国民国家の枠組みを越えていよいよ熾烈になっている。「飯は分かち食らうもの」という共生の思想が、全世界の民衆に共有されるべきだ。
 日本は一九九九年、新ガイドライン関連法を成立させ、戦争国家化に向けて大きくカーブを切り始めた。そして昨年の戦時海外派兵法(テロ対策特措法)など参戦三法の成立によって、この国は軍国(もうカッコを付けることはない)になった。二次にわたる艦隊派遣、航空自衛隊による米軍物資の輸送がすでに行なわれ、この再生軍国は現に、極度に貧しい国を敵として戦争している。この現実に向き合うところから、私たちの二〇〇二年は始まる。

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暴力の連鎖を断ち切るために

           
内田雅敏(弁護士)

 昨年暮れ、『懲戒除名』(太田出版)、『敗戦の年に生まれて』(同)を出版した。現在五十六歳である。敗戦から五十六年を経た現在、戦後的なるものがことごとく破壊されようとしている。憲法改悪、教育基本法の改悪の動き等々である。議会内の多数派が、立法によって憲法という基本法を破壊するという「法の下克上」をなし、立憲主義を否定しようとしている。これは議会内多数派による憲法否定・破壊のクーデターである。このような憲法無視の態度は、「周辺事態法」「日の丸・君が代」法制化の小渕内閣、そして「天皇を中心とした神の国」発言の森内閣の頃より強まってきたが、小泉内閣になってその感は強まった。
 しかし悲観ばかりはしていられない。昨年五月三日の日比谷公会堂における憲法集会に見られるように全国各地で有名無名の人びとが憲法改悪、米軍への戦争協力に反対する運動を継続している。国外においてもしかりである。パレスチナ、アフガンの事態を目にするととき、暴力の連鎖を断ち切るためには憎悪の根源にこそメスをいれなければならないことがわかる。今、「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利を有する」と宣言した日本国憲法の前文にいう「平和的生存権」の正しさを確認し、粛々と生きようと思う。

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あらゆる領域で根源的対抗基軸を

 
 小寺山康雄(自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合)

 四〇年前の「構造改革」論争は、左翼世界限定のコップの中の嵐にすぎなかったのに、小泉の「構造改革」は流行語大賞になるほど人口に膾炙している。構改派としては遺憾千万である。
 リストラは明日のわが身と、先行き不安に怯える人は過半数を超えているというのに、失業率が増えるのはやむをえない、構造改革のためには我慢せよ、と公言する小泉の支持率はいまだに七〇%台。差別むきだしの石原の高支持率とあわせて、この国の大衆心理はデマゴーグと強者待望のファシズムである。ブッシュやシャロンは自爆テロを最大限利用し、彼らの蛮行に屈従するか、さもなくば死かの二者択一を全世界に迫っている。もはや十字軍の時代への逆行である。
 復古反動がナショナリズムへの回帰でなく、かぎりなきアメリカニズムとしてであれ、グローバリズムとして展開されているのが今日の帝国主義である。
 反戦・平和・労働・人権・自由・民主主義……。あらゆる政治的・文化的言語の領域で、根源的対抗基軸をうちたてるために、共に闘わん。

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何を考え、何を行うべきか

  佐藤敏昭(三多摩労働者法律センター)


 「01・9・11事態」に対応した米国の「ならず者せん滅戦争」をにわかには容認しない。「同時多発テロ」という如き命名もとる所ではない。
 @ 湾岸戦争の米国兵の死者二八名、イラクの捕虜一七万、死傷十五万、米国の辿りついた軍事力は十年を経てまた高くなっている。
 安全地帯にいて原爆発射をする。こうした人類の到達した知と技術を米国が独占し人殺しに使っている。
 A 巨悪米国に対する闘いはわかるとしても、一貫した哲学がない、だから脆いというような呟きがわれわれの間からさえ聞こえる。
 しかし、これは間違いである。われわれの間から「原理」側を含めて共同の戦略を求め、戦線を構築せねばならない。
 これがわれわれの行動である。
 マルクスとカント、非暴力のガンジー、主敵を求めた毛沢東等、今こそ先人の英知に学ぶべきである。

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民衆のメディアを構築しよう

               
砂場徹

 この国のマスコミは完全に堕落した。NHKが最も悪質、読売は当然としても、朝日、毎日も歩調をそろえて、得意満面にアメリカの報復テロ戦争を賛美・美化し続けるさまは戦前を思い出させる。先の大戦で当時のマスコミが翼賛報道に徹し、多くの人びとを死に追いやったぬぐい去りがたい戦争犯罪者であったことは周知の事実である。戦後マスコミはそのことの反省から再出発したはずだ。いま何を恐れているのであろう。
 小泉内閣が、傍若無人なアメリカに無原則的に迎合し、この間の事態を奇貨として「戦争の出来る国家」へと国是を転換した。この事態に対してもマスコミは、権力に尻尾をふって忠誠競争に奔走している。市民が一万人規模の集会を開いても、それが反戦平和の集会であるかぎり、完全無視を決め込むという破廉恥を押し通している。
 いま、分野を越えた大衆運動の連携・団結が強く求められるが、その上に民衆のメディアを構築したいものだ。 

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思想・理論の面でスターリン主義を克服しよう

                 
隅岡隆春

 二一世紀を迎えた。この世紀は世界社会主義革命の時代である。
 プロレタリア革命政党は、思想・理論の面におけるスターリン主義の克服に力をいれ、マルクス主義を原状に復しマルクス主義の革命理論で武装しなければならない。
 エンゲルスは、プロレタリア革命党の大きな三つの闘争形態、政治闘争・経済闘争、思想理論闘争をあげ、理論闘争の重要性を強調した。レーニンは「革命的理論なしに革命運動もありえない」と言った。
 第一次世界大戦末期、十月革命に向かう時期の一九一七年八〜九月に、レーニンは「国家と革命」を書く。
 この不朽の名作は十月社会主義革命を勝利に導く理論的原動力となった。
 当時の国際共産主義運動は、第二インターの頭目カウツキー修正主義の支配下にあった。
 レーニンはこの著作の冒頭で「マルクス主義の歪曲が未曾有に広がっているので、われわれの任務はなによりもまずマルクス主義の真の国家学説を原状に復することである」としてカウツキー修正主義の反マルクス主義の本質を科学的理論的に徹底的に暴露した。レーニンは、資本主義から社会主義(共産主義第一段階)へ移行するための過渡期の国家・プロ独国家と民主主義、社会主義と民主主義の不可分の関係を解明している。
 十月社会主義革命以後、反マルクス主義のスターリン主義は、半世紀以上にわたって国際共産主義運動に君臨してきたが、レーニンがカウツキー修正主義を思想理論的に粉砕したように、このスターリン主義を粉砕してマルクス主義の社会主義思想理論を復活させてこそ二一世紀世界社会主義革命勝利の展望を切り開くことができる。

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新たな統一戦線を!

            
樋口篤三

 
日本の政治社会をかえるためには、その社会的基盤である市民社会をかえなければと考え、市民運動もはじめて八年目になった。東久留米の稲葉三千男市長は、私たち市民の会を母胎として市民運動と共・社民・新社の枠組みで実現した全国唯一の自治体であった。前回、国立市の女性市長が加わった。今回は稲葉急病引退、後継をめぐって二転三転した。選考委員(五人)の一人であった私は、共社両党と折衝したが、最大の問題点は「統一戦線」の思想が双方にほとんどないことであった。一九八〇年以来、両党に路線としてなかったことの反映である。憲法危機はみな感じているが、闘う主体をどう作るかになると、大連合、統一戦線の発想はない。高齢者には人生のその経験はしっかり生きているが。
 国家権力に抵抗する人民は固くふんでも三割いる(鶴見俊輔)。そこを固め中間層とも連携する(教科書闘争勝利の教訓)、新たな統一戦線構想と構築は、護憲勢力(保守、中道の一部を含む)と左翼総体の緊急かつ根本問題の一つである。

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古い図式から離脱を

         
降旗節雄

 二〇〇一年は集中テロとアフガン戦争の年となりました。ビンラーディンも叫んでいるように、この戦争はグローバリズムと反グローバリズムの間の戦争です。
 二〇世紀末葉から世界を支配する潮流はグローバリズムとなりました。多国籍企業と先進国の空洞化、グローバル・マネーとしてのドルと世界的金融資本(巨大投資銀行とヘッジ・ファンド)およびIMF・世界銀行・WTOという世界経済政策主体――この三位一体構造が、現代世界の支配者なのです。
 アメリカの覇権構造はこのグローバリズム組織と連繋してはじめて成立しえているのです。
 左翼勢力も、そろそろ冷戦構造や反スタ、反アメリカ帝国主義といった二〇世紀型国際対立の古い図式から離脱して、このグローバリズムへの全面戦争へとその戦列と戦略と政策を組みかえるべきでしょう。
 新年の初頭にあたり、新しい世界の根本対立の構造へと思いをこらされるよう願いたいと存じます。


イーターなんかいらない!全国集会  国際熱核融合実験炉誘致に反対

 国際熱核融合実験炉(イーター)の日本誘致に反対して、十二月一日、誘致候補地の一つ、茨城県那珂町でパレードが行われました。
 この行動は、日本の他の候補地である北海道・苫小牧市や、青森県六ヶ所村をはじめ、全国各地の反原発運動に取り組む団体・個人の呼びかけで行われたもので、市民約一〇〇名が参加しました。
 現地・那珂町ではイーター反対のパレードは初めてという画期的なもの。好天に恵まれ、一時間半の行程を元気に「原子力施設=イーターはいらない」「住宅地近くに危険な施設を持ってくるな」と声を上げながら歩く一行に、沿道の住民も関心を持って見ていました。
 その後、水戸市の自治労会館に移って、「イーターなんかいらない!全国集会」を開催。
 脱原発とうかい塾の相沢一正さん(東海村村会議員)の司会で、原子力資料情報室の伴英幸さんが開会挨拶、反原子力茨城共同行動の河野直践さんが主催者挨拶。
 続いて各地からの現況報告を、苫小牧・核の諸問題を考える会の石塚オサムさん、青森県反核実行委員会の今村修さん、東濃・放射能公害を考える会の寺尾光身さん、大阪の地球救出アクション97の稲岡美奈子さんが続き、集会アピールを上げて閉会しました。
 現在稼動中の原発が原爆と同じ核分裂によってエネルギーを得ようとしているのに対し、核融合炉は水爆と同じ核融合によるもの。政府やイーター推進勢力は、原子力施設であることを意図的に隠し、あたかも放射能も出ず、安全であるかのように装っていますが、全く危険極まりないものです。
 危険な放射性物質トリチウムを燃料に使い、超高温(一億度C)・超高磁場で実験を行う、核分裂炉とは異なったタイプの予想を超える事故(プラズマのデスラプション、ヘリウム爆発、水素爆発など)の危険性を内包し、二十年間の運転で四万dという大量の放射性廃棄物を排出する、危険で、高コストで全く採算の見込みさえありません。
 技術的にも完成の見込みさえついていないもので、電力中央研究所の平岡徹特別顧問さえ、「核融合炉が実用になるためには一工夫、二工夫どころではなく、炉として成立するには何か全く異なった新概念を加える必要があるだろう。また、ある種の神の恩寵に近い現象を見つける必要があるだろう」と述べるほどだ。
 しかも、そのようなものに一兆円以上とも言われる予算を、とりわけこの財政危機の折に支出するなど、まったくのムダと言うものです。
 危険でムダなイーターの日本誘致を阻止し、開発中止に追いこもう。 (茨城通信員)


資 料

   
日本国憲法改正国民投票法案要綱

                 
(憲法調査推進議員連盟)

第一 総則

 一 趣旨

 日本国憲法の改正についての国民の承認の投票(以下「国民投票」という。)については、この法律の定めるところによるものとすること。

 二 国民投票に関する事務の管理

 国民投票に関する事務は、中央選挙管理会が管理するものとすること。

 三 国民投票に関する啓発、周知等

 総務大臣、中央選挙管理会並びに都道府県及び市町村の選挙管理委員会は、国民投票に際しては、あらゆる機会を通じて、国民投票の方法その他国民投票に関し必要と認める事項を投票人に周知させなければならないものとすること。

第二 国民投票の投票権

 国民投票の投票権を有する者は、国政選挙の選挙権を有する者のほか、選挙犯罪により公職選挙法上公民権を停止されている者とすること。ただし、この法律に規定する罪により禁鋼以上の刑に処せられた者は、投票権を有しないものとすること。

第三 投票人名簿及び在外投票人名簿


 1 市町村の選挙管理委員会は、国民投票が行われる場合においては、投票人名簿及び在外投票人名簿を調製しなければならないものとすること。
 2 投票人名簿の被登録資格としては、公職選挙法上の選挙人名簿とは異なり、引き続き三箇月以上当該市町村に居住していることは要件としないものとすること。

第四 国民投票の期日等


 1 国民投票は、国会が憲法改正を発議した日から起算して六〇日以後九〇日以内において内閣が定める期日に行うものとすること。ただし、国政選挙の期日その他の特定の期日に行う旨の国会の議決がある場合には、当該期日に行うものとすること。
 2 内閣は、少なくとも国民投票の期日の二〇日(衆議院議員の総選挙の期日に行う場合にあっては二百、参議院議員の通常選挙の期日に行う場合にあっては一七日)前に、国民投票の期日及び内閣に送付された憲法改正案を官報で告示しなければならないものとすること。
 
第五 投票及び開票

 一 一人一票

 国民投票は一人一票に限るものとすること。

 二 投票管理者及び投票立会人

 投票管理者及び投票立会人に関し、必要な規定を置くものとすること。

 三 投票用紙の様式

 投票用紙には、憲法改正に対する賛成又は反対の意思を表示する記号を記載する欄を設けるとともに、憲法改正案を掲載しなければならないものとすること。

 四 投票の方式

 投票人は、投票所において、憲法改正に対し賛成するときは投票用紙の記載欄に○の記号を、憲法改正に対し反対するときは投票用紙の記号欄に×の記号を、自ら記載して、これを投票箱に入れなければならないものとすること。

 五 開票管理者及び開票立会人(略)

 六 投票及び開票に関するその他の事項(略)

第六 国民投票分会及び国民投票会(略)

第七 国民投票の効果

 一 国民の承認

 国民投票の結果、憲法改正に対する賛成投票の数が有効投票総数の二分の一を超える場合は、当該憲法改正について国民の承認があったものとすること。

 二 憲法改正の公布

 内閣総理大臣は、中央選挙管理会より、憲法改正に対する賛成投票の数が有効投票総数の二分の一を超える旨の通知を受けたときは、直ちに当該憲法改正の公布の手続を執らなければならないものとすること。
 
第八 訴訟(略)

第九 再投票及び更正決定(略)

第十 国民投票に関する周知(略)

第十一 国民投票運動に関する規制


 一 特定公務員等の国民投票運動の禁止

 1 中央選挙管理会の委員等、選挙管理委員会の委員及び職員、裁判官、検察官、警察官等は、在職中、国民投票に関し憲法改正に対し賛成又は反対の投票をさせる目的をもってする運動(以下「国民投票運動」という。)をすることができないものとすること。
 2 国民投票の投票管理者、開票管理者、国民投票分会長及び国民投票長は、在職中、その関係区域内において、国民投票運動をすることができないものとすること。
 3 不在者投票管理者は、不在者投票に関し、その者の業務上の地位を利用して国民投票運動をすることができないものとすること。

 二 公務員等及び教育者の地位利用による国民投票運動の禁止

 国又は地方公共団体の公務員等及び教育者(学校教育法に規定する学校の長及び教員をいう。)は、その地位を利用して国民投票運動をすることができないものとすること。

 三 外国人の国民投票運動の禁止等

 1 外国人は、国民投票運動をすることができないものとすること。
 2 外国人、外国法人等は、国民投票運動に関し、寄附をしてはならず、何人も、国民投票運動に関し、外国人、外国法人等から寄附を受けてはならないものとすること。
 3 何人も、国民投票運動に関し、外国人、外国法人等に対し、寄附を要求し、又はその周旋若しくは勧誘をしてはならないものとすること。

 第十二 罰則(略)
 
 第十三 その他(略)
 
 第十四 附則(略)


 米軍の非人道兵器使用問題と、自衛隊のイージス艦派遣論議にまつわる問題

 市民講座の「戦争と平和を考える金曜連続講座」は十一月三〇日、軍事評論家の西沢優さんを招いて、講座を開催した。当日のテーマは「米英の対テロ報復戦争と自衛隊『戦時』派遣を目のあたりにして」というもの。全体として興味深い講演だったが、その一部、非人道兵器の問題とイージス艦派遣問題にかかわる部分を紹介する。(文責は編集部)

米英軍の非人道兵器の実験場

 今回、米英軍はさまざまな非人道的兵器を大量に投入しています。

@クラスター爆弾

 これは今日の非人道兵器の典型例です。
 飛行機が爆弾を落とす。ある高さで二つに割れ、地上の一定の高さに達すると子爆弾が全部で二〇二個ばらまかれる。一つが破裂すると連鎖的に広がって破裂する。データでは五百メートル四方で爆発するといわれる。一個一個の子爆弾はきわめて高性能で、戦車でも装甲車でも刺し貫く。塹壕もそうです。さらにこの兵器の残虐さは数%の割合で爆発しない弾が含まれ、それが地雷として転がっている。土地の人が爆撃が終わったと思って畑にいったりすれば、そこでやられる。子どもがさわっただけでやられたというニュースが最近、よくでている。不発弾ではなく、はじめから百個に七〜八個の割合で入れておくのです。国際的にも非難が起きています。国会で野党議員が小泉首相に迫ったら「当然だ。テロのほうがもっと恐いじゃないか」と答えました。

Aバンカーバスター爆弾

 地面の奥深くに軍事施設が建設されているとする。山があってその地下に陣地がある。そこにバンカーバスター爆弾を落とす。バンカーは「地下」、バスターは「破壊」の意味ですね。これを一定のレーザー誘導をするのですが、重量で落下させ、だいたい三十メートルくらい突きささる。その時間だけ発火を遅らせた信管で建物の中に入っていって爆発する。密閉された地面の中の爆発なので、大きな爆発力を発揮して、ひとつの山くらいは吹き飛ぶ。これはかつての湾岸戦争の時に使いましたが、今回、それを改良して使っている。

B燃料気化爆弾

 約七トンのパラシュート付きの大型爆弾です。飛行機から落として、ある高さになると割れて、ガソリンのようなものをふり撒く。五百メートル四方くらいにふり撒かれてできたガソリンの雲のようなものに火を付けると、一挙に爆発する。まず強烈な衝撃波が起る。建物や人間はみな潰される。それからものすごい熱が生まれる。火災が生じる。酸素が全く奪われる。
 遠く離れた人でも、爆発の音を聞いただけで戦闘意欲を失うという。この爆弾は東京ドーム六七個分の広さを壊すといいます。かつてのロシア軍の将軍は「ひとつの地域を根こそぎ壊してしまうものであり、核兵器と同じようなものだ」と言っている。爆発の原理が違うだけです。 

イージス護衛艦派遣とりやめにいたった背景

 イージスというのは「神の盾」という意味です。イージス型の護衛艦は日本には「こんごう」ほか四隻ある。米海軍は約六〇隻もっている。米軍以外は日本だけがもっている。海上自衛隊の最高級の艦船です。
 インド洋派遣は米軍からの強い要請だった。野党や一部マスコミは反対した。いろいろと事態が展開する中で、自民党の内部の橋本派などからも「こんごう」を出すなという声がでてきた。防衛庁や外務省、小泉首相などは出したかったのですが、中止になった。その真相はこうです。
 インド洋にデェゴガルシア島という大補給基地があります。この島はイギリスからアメリカ軍が借りた形で大補給拠点になっている珊瑚礁の島です。これは赤道の南側にあります。湾岸戦争の時にもここからいろんな物資を補給したし、B その他の戦略爆撃機も飛んでいった。
 デェゴガルシア島は珊瑚礁で、山がない。そのために防空レーダーを置く場所がない。レーダーは丸い地球の遠くを見通すために、高い山の上におく。地球の湾曲率というのは割とあるので、小型漁船くらいだったら、六キロも先だったら、かなたに沈んでしまって見えないはずです。相手がこの島を攻撃しようと低空で突っ込んでくると、地上のレーダーではすぐ傍までこないと見えないために、すぐ傍まで来られてしまう。
 この防空問題が重大問題なのです。そのためにたとえばデェゴガルシア島の二〇〇キロ先にイージス護衛艦を配置したい。イージス艦は高性能のレーダーがあり、五〇〇キロ以上先のものがみえて、すぐ情報を分析して、戦闘体制がとれるのが特徴です。自分からもミサイルが射てる。このイージス艦をデェゴガルシアとアフガンの間に置きたい。しかし、それは米空母を守るための虎の子の護衛艦です。艦隊防衛のためのイージス艦をそこに配置したくない。だから海上自衛隊にやらせたいわけです。
 自民党の橋本派などから反対が起るのは、これをやると集団的自衛権の行使であり、違憲だということが一目瞭然になる。デェゴガルシアは外国の領土です。そこへ日本の軍艦が行って守るということは、集団的自衛権の行使そのもので、許されないことです。これをやればテロ対策法も意味がなくなる。
 山崎幹事長らの発言のように「いろいろ工夫しながら、すき間すき間を縫うようにして、本当は憲法違反だけどなんとか辻褄あわせをして切り抜けようとしてきた」ことにたいして、これは許されない。米国の領土防衛です。自民党内でも気が付く連中は、それをやったらおしまいだと騒いだ。それでイージス艦の派遣が取り止められたのです。


浜岡原発が重大事故 そしてそれは東海地震のど真ん中にある

                    
柳田真さん(たんぽぽ舎)に聞く

 十一月七日に静岡県の浜岡原発一号機で重大な事故が発生した。浜岡原発だけではない。このところ各地で原発事故が相次いでいる。原子力発電開始から三十年以上、かなりの数の原発は老朽化してきていて、大災害の発生も予想されている。とくに浜岡原発は、予想される東海大地震の地殻上に建てられているのである。
 浜岡原発事故について、テロ・戦争と原発の関係、今後の展望などについて、反原発運動で大きな役割をはたしている「たんぽぽ舎」の柳田真さんに聞いた。(文責・編集部)


 十一月に静岡県の浜岡原発一号機(中部電力)で大きな事故が起こり、大惨事の一歩手前というような事態になりましたが、どういう事故が起こってしまったのでしょうか。

 ―― このところ老朽化した原発の事故があいついでいます。浜岡原発では、中枢の安全系でダブル事故になりました。はじめに「緊急炉心冷却装置(ECCS)の蒸気配管破断で放射能が漏れたとされました。事故の原因について、経済産業省の原子力安全・保安院などは、配管内にたまった水素が発火して、爆発的に燃焼し、配管に大きな圧力がかかっての破断と発表しました。原発の配管内での水素爆発は世界的にみても初めての大事故でした。さすがに中電も現在浜岡に四機ある原発の三機を止めることになりました(三号機は定期点検)。しかし、事故調査の過程でさらに大きな事故が見つかりました。原子炉を止めて調べたら、原子炉内の水が制御棒案内管の溶接部から洩れていたことが発見されました。このことは、七月位の時点から、格納容器内の水蒸気が異常に増加するデータがでていたことからもわかっていたはずなのに、中電は水漏れを承知の上で原発の運転を継続してきたのです。ECCSは、なんらかの事故で原子炉の冷却水が少なくなると大量の水を外から注水するためのもので、これが機能しなくなると空炊き状態になってしまい、メルトダウン状態が起きることになります。
 原発四機のうち三つを止めた。ところが電力の不足にはならない。いままで休ませていた火力を立ち上げ、発電をした結果、電力の供給は大丈夫だったのです。真夏のクーラーを使う一週間くらいの時を除けば、原発を止めても電力にほとんど問題はないということが立証されました。
 中電は、事故原因が水素爆発なら弁をすればいいとして、弁の新設をして、早期に運転再開をしようとしています。中電だけでなく、東京電力、東北電力、日本原電などは、今後の定期点検の時に、補修すればいいということにしていますが、そんなことで果たしてよいでしょうか。とても心配です。
 今回の事故でもそうでしたが、会社側などは何かと理由をつけてナマデータを出してきません。あれこれの解釈・見解ではなく、ナマデータを出してほしい。
 つぎに原発と地震の関係です。とくに浜岡原発と近い将来に起こるといわれている東海地震との関係です。地元紙「静岡新聞」(十一月十三日)に茂木清夫論説委員(東大名誉教授)が「浜岡原発と地震」と題して書かれています。茂木さんは、前地震予知連絡会長(前判定会会長)です。それによると、東海地震の可能性をはじめて指摘したのが一九六九年で、七四年には一段格上げして観測強化地域に指定、七八年の大規模地震対策特別措置法では適用の第一号で東海地方が指定され、「現在、巨大地震が最も懸念されているところが東海地方であることは研究者も行政も認め対策を講じている。ところが、そのど真ん中に浜岡原発が、それを無視するかのように次々建設されたのである」と書いてあります。そして「安定した地殻にある欧米と違って、わが国は地殻変動がもっとも活発な所にある。原発の事故の悲惨さを考えれば、浜岡のこれまでの対応でよいはずがない」と結んでいます。地震予知連絡会の会長というのはこの問題では最高のポストであり、その人がこうした発言をしているのです。本来なら、全国のマスコミが一面トップで報道すべき問題なのではないでしょうか。全国紙やテレビは東海大地震と浜岡原発を全く別のものとして、切り離して報道しています。地震の時、原発が最も心配なのに……。報道規制がされています。

 アメリカはテロへの報復だという口実でアフガニスタンに戦争をしかけ、日本の小泉内閣は憲法の枠を破って参戦しました。このテロや戦争と原発の関係について、どうお考えですか

 ―― 原発とテロ、とくに飛行機について考えてみますと、原発はたしかに横からの衝撃にはかなり丈夫に作ってあることは事実ですが、上から、例えば、飛行機が墜落してきた場合など非常に脆弱です。原発は耐えられません。
 日本の空では、まず米軍機が優先され、つづいて自衛隊機、民間機となり、そのほかにもプライベートな飛行機も飛んでいます。テロでなくてもひしめき合った日本の空で何らかの事故が起こったら大変です。例えば御須鷹山に墜落した日航機の事故ですが、あれは操縦不能になってしまっていた。海に不時着させようとしてもどこに墜ちるかわからないのです。また、原発の中央制御室などは普通の建物ですから、飛行機墜落には耐えられません。また原子炉の水の取り入れ口などがもし爆破されたら大変なことになるのは明かです。原発はテロ攻撃には弱いのです。
 それと原発と日本の核武装との関連です。国は、高速増殖炉「もんじゅ」などへ多額の資金をつぎ込んでいます。それは、そうした設備は高濃縮のプルトニウムを作れますから、そのまま核兵器に転用できるものです。他の国がプルトニウムから撤退しているにもかかわらず、日本はこうした動きを止めていません。
 いま、アメリカのアフガン戦争を背景に悪用して、イスラエルのパレスチナへの攻撃が強まっています。日本も参戦で戦後史を画する事態になりました。こうして戦争の状況が強まっていますが、すでに戦争のなかで核兵器ともいえるがものが使われていることです。それは、劣化ウラン弾です。劣化というと放射能がないようにきこえますが、普通のウランに比べれば少ないにしても、れっきとした放射能の汚染源です。劣化ウランはその固いという性質で、厚い鉄甲を突破して戦車の中で爆発させるとか、アフガニスタンでも使われたように地中深く潜り込んで地中深いところを破壊しています。そして、それが大変な量の放射能をまき散らして甚大な被害を与えているのです。劣化ウランは、原発のゴミで処理に困るものですが、それが軍事に使われているのです。
 また原発警備と称して、地元の原発反対派の人を監視下においています。現在、十七カ所に五二機の原発がありますが、浜岡原発などでも警察による二十四時間の警戒体制が敷かれています。また、海上保安庁は今回の法改正で三五_砲を使用してもよいということになりました。これらは総体として、警察国家化と人権無視の原子力帝国となる可能性を増大させています。

 三重県海山町の住民は原発を拒否しました。この意義は大きいと思います。現在の運動の状況、また今後の展望、また柳田さんが、反原発運動にかける思いなどを

 ―― 海山町では、中電がうらで莫大な資金を投入して、推進派にテコ入れしました。推進派のビラを見ても立派なもので、金も人もかなり投入したということがわかります。それでも、海山の町民は原発誘致にノーを出しました。これは、新潟県巻、そして刈羽の住民投票での勝利に続くものです。何の問題ででも国民(住民)投票をやればいいとは思いませんが、「そこに住む人びと自身が決める」ということはなによりも大事なことです。
 現在の原発をとりまく状況はまとめると次のようになっています。
 まず第一に、原発が老朽化してきていることです。原発は十七年くらいで減価償却を終え、あとは企業が儲けるだけですから、ボロになっている炉も平気で使う。しかし一号機はもう三〇年を越したものが増え、あちこち故障が続出するのは当然です。
 第二には、原子力産業に人がいなくなっていることです。たとえば、かつては人気のあった東大の原子力工学科は、名前をいろいろ変えて学生あつめに苦労しています。また東芝や日立といったメーカーでも第一線の技術者などを原発から他部門へリストラしています。
 第三には、ウランにプルトニウムもいれるMOX燃料(プルサーマル計画など)ですが、その危険性は高まっています。
 第四には地震の心配です。
 そして最後に電力自由化で、これはコストの低減競争では安全面が犠牲にされています。
 このように原発の危険性がものすごく高まっていて、いつ重大事故が起こっても不思議でない状況です。原発のない東京も、浜岡から二二〇`b、東海村からは一一〇`bです。すべての人が原発事故と密接にかかわり合っているのです。
 最後に、私がなぜ原発運動にこだわるかということについてですが、戦争協力法などいろいろな悪法に反対しますが、それらはたとえ成立しても政権が替わったりすれば取り消しができる、しかし原発事故、放射能災害は取り返しがつかないということです。原発は、現在でも放射能のごみを出し、働く人びとの死の労働の上に、電気をとりだすだけのものですが、その上、重大な事故などが起こってしまったら、子孫に重大な負の遺産を残すことになってしまいます。人類と全生物の生存にかかわる課題だと思います。
 破局を止めたいという願いから、ドイツでは二十年で原発をなくすことを決めました。緑の党などは即時の廃止を求めましたが、とにかく原発をなくすことになりました。日本でも、住民投票、JCO臨界被曝事故9・30二周年など運動の盛り上がりがあります。これからも戦争反対などの運動と連携しながら、原発の廃止に向けて運動を前進させて行きたいと思っています。


闘う闘争団を支持し、四党合意を撤回させ、国鉄闘争の前進を

 二〇〇一年の国鉄闘争は、国鉄の分割民営化時における不当労働行為についてJRに法的責任はないとする四党合意を軸として展開された。
 国労本部は、一月の第六七回定期全国大会(続開大会)に機動隊を導入して四党合意承認を強行し、十月の第六八定期全国大会も機動隊に「守られ」たものとなった。労働組合の大会が、国家権力によって、それも組合員から防衛されるというこの構図以上に四党合意で突っ走る国労本部の正体を明らかにするものはない。
 年末には、国鉄闘争をめぐってさまざまな動向、潮流の対抗の激化がみられた。とりわけ最高裁闘争をも止めようとする国労本部と鉄建公団を相手に独自の裁判闘争にも取り組もうとする闘争団との対立は熾烈なものとなった。
 この間の際だった動きの第一は、国労本部が、大会決定をなし崩し否定しながら、国鉄闘争の最終的な幕引きという恥べき策動を進めていることである。十一月二十八日に開かれた中央執行委員会は、「第六八回定期全国大会方針の再確認について」の項で、@一月二十七日の第六七回定期(続開)大会で決定した追加方針の「最高裁での判断を公正に行わせる」については撤回する、A採用差別事件以外の改革法に関わる事件については、速やかに和解がはかられるように取り組みの強化をはかる、ときめた。一月大会では、四党合意承認を強行しながらも、それでは全面的な屈服になってしまうのではないかという国労内外の批判をおそれて、四党合意とともに最高裁闘争の継続も決定したのであったが、その一線をも越えるというのだ。同時に中央執行委員会は闘う闘争団に対する圧迫を強めている。「一部闘争団員の新たな訴訟等にたいする対応について」では、@訴訟が起こされた場合、原告等については規約に基づき処分の対象とし、直近の中央委員会・全国大会で査問委員会の設置を求める、Aその間、中央執行委員会の権限(緊急措置を含む)について対応をはかる、B二百十二人の最高裁に対する追加申し立てについては、全員の取り下げを求めて、更に取り組みの強化をはかる」としているのだ。
 第二に、国労本部の思惑がことごとく破産していることである。そもそも国労内の右派潮流であるチャレンジグループや革同主流派は、JR各社(とくにJR東日本会社)が革マル派との関係が深いJR総連との関係を清算してJR内労資関係を再編成するとみて、国労の方針を大きく右に切ってJR連合との合流をはかろうとし、そのために国鉄闘争を終結させようとしたのであった。これは、一部国労右派幹部による、再編されたJR労資関係の中での利権の確保を狙う自己保身中心の動きとしてあった。しかし、現実には国労右派幹部の闘争圧殺の方針は国労内外からの大きな抵抗に遭遇して成功していない。そうこうするうちに、JR東日本会社は国労本部のあまりの「だらしなさ」にあきれ返り、JR総連と新たな「労使安定宣言」を締結した。このことによって、JRの第一のパートナーになろうとした右派の計画は雲散夢消してしまったのである。にもかかわらず、国労本部は反省し誤った方針を改めるのではなく、十一月の中央執行委員会方針で行くというのである。まさに毒喰らわば皿までというところだ。
 第三に、国労の右派の中で、国労脱退の動きが強まっていることである。たとえば、四党合意の立て役者であった新井修一前本部中執(長野地本)は、十二月はじめに国労を脱退し、分裂組織「ジェイアール東日本ユニオン」の結成を呼びかけた。そのよびかけの「趣意書」には、「第六八回定期全国大会では、抜本的な路線刷新と自己改革を求められながら本部執行部は及び腰に終わり……もはや国労内部の自己改革は絶望的……労働組合としての国労運動は終焉した」などと書かれている。闘う闘争団やJR内の闘う組合員の抵抗によって、彼らの目論んだ四党合意=闘争終結がうまく運んでいない。だから、新組織結成・国労破壊の挙にでたというのである。これこそ、四党合意派の、四党合意は国労組合員・国労運動のためであるという言いぐさが全く欺瞞であったことを自ら証明する以外のものではない。
 ところが、こうした脱退・組織破壊の動きに、国労本部は「総団結」を言うだけで、分裂策動を処断するのではなく、実質的にはこれを助けているとしか思えない態度をとっている。国労本部には、闘う闘争団こそが第一の敵であり、分裂策動を強める右派の言い分は理解できるとの発言さえあるという。
 第四に、本部の言い分が、社民党サイドからさえも嘘であることが暴露されたことである。闘う闘争団のFAXニュース第三二号(二〇〇一・一二・七)は、社民党・渕上副党首が上京闘争団員の要請行動に対して発言し、「年金問題については、俎上にものぼっていない」と語ったと報じた。国労闘争団の第五五次上京行動は十二月三日から七日にかけて行われ、国会前での座り込みや、政党への要請行動などが取り組まれたが、六日午後には、高嶋本部委員長と闘争団の代表十名は社民党への要請を行った。社民党側からは渕上副党首など四名が参加し、そこで渕上副党首から解決作業について説明があった。渕上副党首は「現在まで、自民党・社民党が中心に進めてきた。今は、中間的報告をまとめる状況に来ている。それは、人道的な立場で@JRにどう採用させていくか、Aそれに、よりがたい人たちをどうするか、B国労と会社との労使関係をどうしていくかの三点であり、相手側としては厳しい対応をしてきている」「年金問題は厳しいと言わざるを得ない。四党合意の俎上にものぼっていない」と述べた。国労本部は、年金などでの話し合いは前進していると闘争団をオルグしているが、実態が明らかになった。
 第五には、闘う闘争団による新たな裁判闘争の動きである。一昨年にだされた東京高裁判決は「国鉄とJRの実質同一性を否定」し、JRに法的責任はないとする不当なものであった。しかし、その中には、「国鉄が行った採用名簿作成の過程に不当労働行為に該当する行為があったとしても、その責任は現実にその行為を行った国鉄と清算事業団が負うべきものである」とある。国鉄と清算事業団、それらを継承しているのが鉄建公団である。その鉄建公団に「責任はない」とは判決はいっていない。国労本部が裁判闘争を放棄するなら、鉄建公団を相手に訴訟を起こす、しかもその取り組み主体は国労本部ではなく闘争団であり、その裁判闘争とその他の大衆運動とむすびつけていくというのは当然の流れである。しかし、国労本部は十二月六日、「一部闘争団員が新たな訴訟を起こした場合、規約に基づき処分の対象とし、直近の中央委員会・全国大会で査問委員会の設置を求める」という指示第二一号を発して、圧力を加えている。本部の裁判闘争放棄を許さず、鉄建公団を訴える新たな闘いを進める闘争団に大きな支持を集中しなければならない。
 このように四党合意の破綻が明らかになる中で、国労本部はなにがなんなんでも闘う勢力を潰すことに全力をあげている。だが、闘う闘争団の結成、運動の開始、支持の広がりなど闘争継続の体制がつくられていることも事実である。
 国鉄闘争の経験はさまざまな教訓に満ちている。なによりも、労組本部が闘争中止に動き、また企業別組合の本工主義からいえば組合員資格がないとされる闘争団員を先頭に闘争継続を決意し、それを広範な労働省・市民が支援するということは、日本の労働運動にとって特筆すべきことである。現在の国労本部でさえ、かつての修善寺大会で、時の山崎執行部を打倒して六本木新執行部を作ったときには、労資協調主義と企業別組合の本工主義を乗り越える一歩を踏みだしたのだった。しかし、右派の人びとは、闘う部分を切り捨て、労働貴族の道に舞い戻ったのである。
 国鉄の分割民営化攻撃は、現在激化するリストラ合理化の先駆となったが、それとの闘いも、日本労働運動を新たな段階に引き上げる成果をかち取り、国鉄闘争への参加を通じて、労働省・労働組合は多くを学んだ。年開け早々にも、闘争の完全終結を狙う大会を開催する動きもある。JRに法的責任あり、一〇四七名の解雇撤回、地元JRへの復帰の原則を掲げ、階級的帯をつよめて二〇〇二年に国鉄闘争を大きく前進させよう。


全港湾・全国一般・全日建が厚労省へ申入れ 中小・パート労働者への対策強化を

 十一月九日、全港湾労働組合(安田憲治委員長)、全国一般労働組合全国協議会(中岡基明委員長)、全日本建設運輸連帯労働組合(長谷川武久委員長)の三単産委員長は、厚生労働省を訪れ、坂口力厚労相にたいして、中小下請け労働者や日雇い労働者、パート・契約労働者の立場に立った雇用対策を実施するよう要請した。
 三単産委員長は、「政府の失業・雇用対策は、一言でいえば、大企業の正社員労働者を対象モデルにした従来型の枠組にとどまっており、大企業系列下の中小下請け労働者や日月雇用・契約労働・パート等、不安定雇用労働者への視点と対策が欠けているといわざるをえません。これら労働者が労働人口に占める割合の大きさ、そして、大企業労働者と比べて失業・倒産等によってうける影響の大きさからみて、政府の施策は、これらの分野において旧来の枠を超えて強化されるべきだと考えます」として、@雇用流動化の名目で、解雇回避努力や充分な労使協議を経ぬ安易な人員削減や労働条件の不利益変更が横行している現状をふまえて、判例水準(いわゆる解雇整理の四要件、労働条件不利益変更規制等)を土台にした、解雇規制等に関する労働契約法制の整備をはかることをはじめ、A中小下請け企業の実情を調査し、必要な雇用対策の実現、B雇用保険給付の延長、中小労働者に対する特別加算制度の新設、日雇い雇用保険の給付要件の緩和、CILO条約の公務契約条約、均等待遇条約、同一価値労働・同一賃金条約の批准と法整備、D緊急雇用対策の交付金制度を中小企業でも活用できる措置、E労働者・労働組合による仕事おこし事業への助成、を要請した。


フィリピントヨタの首切りを撤回し、組合つぶしを止めろ!

             フィリピン豊田労組と共に本社抗議行動

 十一月二十六日、愛知県豊田市の豊田自動車本社会館前は、「フィリピントヨタの首切りを撤回せよ」の時ならぬ抗議の声に包まれた。宣伝カーと組合旗、全国から集まった四十数名の労働者・市民とフィリピンからの代表団二名によるものであった。
 東京本社での抗議行動に続く豊田自動車の心臓部・豊田市の本社工場への抗議行動であった。
 トヨタはテレビでの綺麗な夢を売る宣伝とは裏腹に、世界的な資本進出を果たす中で組合潰しを行ってきたのであった。
 フィリピントヨタは一九八八年よりフィリピンの二つの工場(ピクータン、サンタロサ)で自動車の生産を行い、御用組合ですら利用はしても認定しないような反労働者な政策をとってきた。今回来日したエド委員長たちは、九八年、上部団体を持たない独立組合として登録に成功し、二〇〇〇年三月の一般労働者による組合承認選挙にも成功した。
 これを不服とするトヨタ側は労働雇用省に不服申し立てを行い、最終的に却下されると労働雇用省の公聴会に参加した労働者二二七人を解雇、七〇人を停職処分とした。トヨタはフィリピン政府に投資の撤退もありうるとして脅しをかけつつ労働組合つぶしを行ってきた。
 労組側はこれに屈せず長期の争議体制をつくりながら、粘り強い闘いをつづけている。
 この日の豊田市での抗議行動に先だって二十五日の午後から市内の明勝寺で支援連帯が開かれ、明勝寺会館の二階は全国から詰めかけた労働者、市民でいっぱいとなった。
 七月の激励訪問団の模様を撮影したビデオが上映され、現地フィリピンでの争議の雰囲気が伝えられた。エド委員長が争議の経過を報告し、トヨタのクリーンなイメージとは全く異なる労働者や労組への悪らつな対応が実感できた。
その後、訪問団参加者や支援の労働者からの報告、挨拶が行われ、日本の労働者の方が逆にフィリピンでの労働者の闘いに励まされているのがよく伝わってきた。
 次の日、早朝、三カ所の駅頭で、「トヨタは解雇を撤回せよ」のゼッケンをつけてビラまきを行った。この朝はとくに冷え込みがきつかったが、職場に急ぐ人びとにビラを配布した。
 九時に各駅での宣伝を終え、豊田工場本社ビル前に集合した。豊田においても東京での対応と同じで、はじめはビル内に通そうともしなかった。抗議団がそのまま押し通ろうとする気配を示したため、会社はやっとフィリピンからの代表団、通訳、支援の代表だけを入れた。
 代表団が交渉する間、抗議集会が行われ、全国から駆けつけた労組、市民からの発言がつづいた。
 交渉団が帰ってきて、エド委員長から報告が行われた。結局、豊田側は総務関係者が対応し「申し入れは受け取らない。そこに置いて帰れ」というまったく、ふざけた不誠実な対応であった。
 「フィリピントヨタの対応が、日本にきて東京と豊田でのトヨタの対応を見てよくわかった」とエド委員長に言わせるくらい徹底したトヨタの反労働者的な対応であり、町に流れている「ドライブ ユア ドリーム」とは程遠いものであった。
つづいて、豊田市役所への申し入れ行動と記者会見を行い、その後エド委員長らは大阪の連帯集会へと向かった。
 塗装工と品質管理の二名の労働者からなるフィリピン代表団は、若くてはつらつとしており、日本の寒さに震え上がりながらも元気に交流、申し入れ、ビラまきなどの各行動をこなした。二人は生粋の現場労働者で各々、四人、一人の子持ちで争議を闘っている。代表団は日本の労働者に、フィリピンの新しい世代の息吹と多国籍資本下の新しい労働運動の新鮮な印象を与えた。
 今後のフィリピントヨタ労働者との共同闘争とトヨタ資本を包囲し、追いつめる闘いの発展を念じつつ別れた。K・K(労働者)


沖縄・終わらない戦後、踏みにじられる生存権 許すな!憲法改悪・北部市民連絡会が集会

 十二月十五日、東京・豊島区の生活産業プラザで、許すな!憲法改悪・北部市民連絡会が、沖縄から安里英子さん(フリーライター、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)を招いて、「沖縄からの緊急報告会」を開催した。
テーマは「終わらない戦後・ふみにじられる生存権」で、東京の北部地域を中心に五〇名近くの人びとが参加した。
北部市民連絡会を代表して古沢くみ子さん(北区区議)の開会挨拶と活動報告のあと、安里さんの講演がおこなわれた。

  講演要旨

 沖縄では生きるためのギリギリの闘いとして「生存権」を語ってきたが、権利としての生存権が語られるようになったのは、太田知事の代理署名拒否の最高裁での意見陳述からではないかと思う。
 以来、沖縄ではさまざまなところでこれが語られ始めている。それはただ生きるというのではなく、もう一歩進めて本当に幸せな状態で生きていくための生存権ということだ。伊江島の阿波根昌鴻さんが出した写真集のタイトルに「人の住んでいる島」というのがある。これには、自分たちは人間としての扱いを受けていない、私たちは人間ですよという皮肉がこめられている。
 九月十一日のテロ事件をニュースで聞いたときに、この次は沖縄に爆弾が落ちるのではないかと思い、本能的に逃げる身仕度をした。理性をとりもどしてから、平和市民連絡会の人びとと話し合い、領事館前で集会をやったり、アフガンの人びとへの募金や、米大統領にハガキをだす運動に取り組んでいる。
 最近、石川市でアフガン問題の集会があった。この町では戦後史に大きな事件が二つ起きた。由美子ちゃん事件と、小学校にジェット機が墜落して十数人の子どもたちがなくなった事件だ。しかし、町にはこの記録が残っていない。町は美しくなったが、人びとはあの事件をいまだに口にださない。私は戦後史の中に埋もれさせてはならないと、それを掘り起こす作業を始めた。
 沖縄は平和的生存権以前の状態に置かれている。経済は豊かになったが、米軍基地は動かない。沖縄には「戦後・後(ポスト・ポスト・ウォー)」がない。基地がなくならないかぎり、戦後・後はない。
 沖縄の祭りは女性が中心だ。「命のリレー」という、魂(マブイ)が子孫に伝えられる生命再生の儀式を、新しい言葉で受け継いで行きたい。いまも残る伝統的な村落共同体の中にある相互扶助・自治の考え方が基地の島・沖縄で絶やされないで生きている。
 これからも、生きるという原点のところで、本当の平和とは何かを考えていきたい。(島崎由紀子) 


労働・市民団体が外務省で 日韓投資協定NO!の緊急行動

「私たちは日韓投資協定の締結に反対です」、十二月十八日正午から、霞が関の外務省前では労働組合や市民団体の人びと、約三〇名が宣伝カーとビラによる街頭宣伝活動に取り組んだ。
 「日韓投資協定NO!緊急キャンペーン」の訴えに、昼休み時で外務省の職員などが食事をしに続々とでてきてビラを受け取っていた。宣伝カーからは全国労働組合連絡協議会や、日韓民衆連帯ネットワークなどの人びとをはじめ、さまざまな労働・市民団体の代表がマイクをとって訴えた。
 この日の行動は、日韓両国民衆に重大な権利侵害を及ぼす危険性をもっている日韓投資協定が、各方面からの反対の声を無視したまま、年内にも基本合意されようとしていることに抗議し、協定交渉を即時中断することを要求するためのもの。
 街頭キャンペーンのあと、結集した労働・市民団体から七名の代表が外務省に向かい、北東アジア課の事務官らと会談、申し入れ書を手渡した。
 申し入れ書は、この協定が秘密交渉で、直接に影響をうける労働者や民衆の声も聞かず、日系進出企業など経済界の意見のみ聴取してすすめられている不当なものであること。協定が多国籍企業のための権利憲章として世界の民衆から批判をあびてきた多国間投資協定(MIA)を踏襲し、さらにそれにもない労働条項すら押し込もうとして、労働基本権すら壊そうとしているものであること、などを指摘し、交渉の即時中断を要求している。


アメリカは戦争をやめろ

     
東京・香港などで ・ アジア一斉行動

 十二月十日(月)、米国のアフガニスタン攻撃に反対し、戦争をただちにやめろと要求するアジアの民衆の共同行動が行われ、タイや香港の人びとに呼応して、東京でもさまざまな行動が行われた。
 この行動は十月末、「フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス」(タイ)などアジア諸国で平和のための活動をしてきたグループが香港で会合を行い、アジア平和連合(APA)の結成や反戦の共同行動をすすめることを確認し合った。この日の行動はその手始めとなるもの。
 東京では「新しい反安保実」「STOP!改憲・市民ネットワーク」「日本キリスト教協議会平和・核問題委員会」など約一〇団体の呼びかけで、午後一時、虎ノ門のアメリカ大使館近くの金比羅宮に集まった三〇名の市民グループが米大使館に向った。しかし、アメリカ大使館からはるかに離れた路上で警察機動隊に通行を阻止された。九・十一事件以降の警備体制の変更で、大使館要請行動は代表二名、記録一名以外は通させないということだ。参加者たちはその場で警察の不当な制限に対する抗議の行動を展開しながら、代表団を送り、アメリカ大使館に要請書を手渡した。
 午後三時からは総理府に行き、一〇名で小泉首相あての「申し入れ書」を手渡し、それぞれ意見の表明をした。
 午後六時からは六本木の三河台公園に約六十名の市民が参加して、アメリカ大使館にむけてのデモを行った。集会場の入口では警察が不当な検問と身体捜索を行おうとしたが、参加者は毅然として抗議して中止させた。
 参加者は寒風のなかを元気に「アメリカは戦争をやめろ」「自衛隊はすぐ帰れ」「憲法九条改悪反対」などのシュプレヒコールを繰り返した。


資料

 声 明<憲法改悪をくわだてる 「憲法改正国民投票法案」の国会上程に反対します

 「許すな!憲法改悪・市民連絡会」は十二月、左記の声明を発表し、全国各地の諸団体に賛同を呼びかけた。

 憲法調査推進議員連盟(衆参両院議員約三〇〇名、会長中山太郎衆議院議員、以下、改憲議連)は二〇〇一年十一月、憲法第九六条のさだめる「憲法改正」手続きに関する「日本国憲法改正国民投票法案」と「国会法改正案」をまとめ、次期通常国会への提出を申し合わせました。
 二〇〇一年の第一五三臨時国会は、アメリカの「対テロ報復」戦争を支持し、自衛隊を米軍などの兵站・救援活動などに参戦させる「参戦三法」を強行採択し、さらにPKFの凍結解除などのPKO法改悪をきわめて短期間の審議で強行するなど、憲法の平和原則をふみにじって日本を参戦国化させました。
 小泉首相はこれらの憲法違反の法案を、戦後の国会での憲法や安保問題に関する議論の積み重ねすら無視して、「神学論争をやめて、常識でやろう」とか「憲法前文と第九条の間にはすき間がある」などという乱暴きわまりない「論理」で正当化しました。識者たちはこれを「立憲主義」の破壊であり、「立法の下剋上」だと危機感を表明しています。
 こうした政府与党の政治によって、いま憲法の平和主義、人権尊重、主権在民の原則そのものが根底からの挑戦を受けています。
 加えて与党は第一五四通常国会に有事法制の提出や、集団的自衛権の行使を合法化する安全保障基本法案の提出を準備し、あわせてこの「憲法改正国民投票法案」を準備しているのです。これらの人びとはかつての十五年戦争の反省から出発した平和憲法を一日も早く変えて、欧米並みの「普通の国家」にしようと必死になっています。
 私たちは要旨、以下の理由でこの「憲法改正国民投票法案」の国会上程に反対します。
 第一、この法案は国民投票一般に関する法案ではなく「憲法改正国民投票法案」であり、第九条をはじめとする憲法三原則の改変のための道をつくるものです。
 第二に、衆議院憲法調査会の会長の中山太郎氏が、憲法調査会の定めた「おおよそ五年」という調査期間も終わらないうちに提案しようとしており、まして憲法調査会でもこの問題は一度も調査・議論していません。いま、このような法案をいそいで国会にだすこと自体が、憲法調査会の議論の軽視であり、ルール違反だといわざるを得ません。
 第三に、改憲議連はその「法案提出理由」で、「憲法の定める国民投票のための立法措置をとらないのは立法不作為だ」と指摘していますが、「立法不作為」論は、最近ではハンセン病に関する国の対応にみられたような、憲法が定めてい
る人権などの基本的原理を守るべき法的対応をしていないときにこそ使われるもので、憲法の改定が国民世論のなかで切実な声にもなっていない時に、「立法不作為」などというのは、こじつけにすぎないものです。
 第四に、私たちは「憲法改正国民投票法案」の提出自体に反対する立場であ
り、法案の改善を要求する立場ではありません。しかし、法案の内容自体もきわ
めて重要な問題点が多々あります。(註)
 このような法案をいま国会に上程することは、まさに提案者たちの「衣の下によろいが見える」ものです。
 私たちは憲法の改悪に反対し、政治が日本国憲法の掲げる理念に向かって一歩一歩前進することを願っています。私たちはこの「国民投票法案」の上程に反対します。そして、二十一世紀に日本が平和国家の旗印を高く掲げ、世界の人びとと共生する道を進むために、平和憲法を全力で擁護・発展させることを声明します。

 二〇〇一年十二月

 許すな!憲法改悪・市民連絡会

 (註) @憲法が定める「国民の過半数」の承認という改正条件は、憲法という国の基本となる最高法規の性質からみて、国民投票有権者の過半数の賛成を必要とすべきです。法案がいう「有効投票」の過半数という立場は、現実的には通常の国政選挙の投票率が過半数にも充たない場合すらあり、二十数%程度の賛成でも改憲が「承認」とされる可能性があり、妥当ではない。
 A法案では、「憲法改正の投票権までも否定する理由に乏しい」として、国政選挙の有権者以外に、「公選法の公民権停止者」に憲法改正国民投票の投票権を与えている。しかしなぜ「公選法違反者」だけなのか、全く説得力に欠ける。
 B法案は、改正点が複数にわたる場合の投票方法をあいまいにしているが、たとえば九条改悪のために、まったく異質な環境権などの条項が合わせて提起される可能性があり、この一括投票などは作為的で許されるものではないこと。
 Cこのほかにも法案には、きわめで重大な問題点がたくさんあります。


映画

   映画「光の雨」

      映画『光の雨』は連赤の「なぜ?」を明らかにしたか

 
                        高橋伴明監督作品(原作・立松和平)
                        キャスト・萩原聖人、裕木奈江、山本太郎
                        一〇三分


若者たちの夢

 映画のラストシーンで流れる主人公「ぼく」=玉井潔が語る。
 「あの時代に生きたものも、死んだものも、みんなごく普通の子どもだったよ。本当はみんないい子だったと僕は思いたい。君たちとどんな違いもない。この今を生きている君たちの夢はなにか。ぼくらは革命の夢を見ていた。すべての人間があらゆる点で平等で、誰もがその天分を十全に開かせることのできる、いまだこの世に出現したことのない理想の世界を作ろうとする夢の虜(とりこ)になっていた。……誰もわからない世界をつくろうと真剣だった。たくさんの子どもたちがそんな世界の夢を見ていた時代があり、その一人がぼくだった」
 いわゆる「七〇年安保闘争」が高揚した一九六九年九月四日、愛知外相訪米阻止のため革命共闘(京浜安保共闘)が火炎瓶を羽田空港滑走路にたたきつけた。 映画の物語は玉井らが闇にまぎれて羽田の運河を泳いで渡っていくところから始まる。映画はここでも玉井に次のように語らせる。
 「革命をしたかった。ぼく個人ばかりでなく、全体が幸福になる世の中をつくりたかった。各人の持っている能力は百%発揮でき、富の分配はあくまで公平で、職業の違いはあっても上下関係はない。人と人との間に争いはないから、戦争など存在しえない。……そんな社会を作るための歴史的な第一歩として、人々を抑圧する社会体制を打ち破る革命をしなければならない。そのためにぼくらは生きていた」と。立松の小説「光の雨」は、これら当時の若者たちの行動を支えた思想をこのように描いた。
 「光の雨」はフィクションだ。しかし、「連合赤軍による内部総括について、正面から扱った作品である」(立松)。

なぜ殺したのか、なぜ殺されたのか

 立松はいう。「『光の雨』は困難な作品である。書くことには数々の困難が生じ、完成するまでに思いがけないほどの歳月を必要とした。……革命運動をラディカルにおし進めていって、論理を先鋭に追い詰めていき、結果は同志を殺したことで終わってしまったのだ。幾時代かをとおして連綿とつづいてきた精神活動を、斧で断ち切るように断絶させた事件について、表現者たちは誰も手を触れようとはしなかった。……時代を共有する表現者ならば、かならず越えていかなければならない共通の峠というものはある」
 立松は「なぜ殺したのか、なぜ殺されたのか」と問いかけながら、十四人の同志の生命を「総括」という名のリンチで奪った「連合赤軍事件」を描く困難な課題に挑戦した。
 映画の製作にあたって監督の高橋伴明は「あさま山荘事件を撮りたいんやない。なぜそこに至ってしまったのかを撮りたいんや」といった。結論を言えば映画では高橋のこのねらいは成功していない。高橋は「ワッペイ(和平)さんだけに打たしておくわけにはいかないよ。俺は映画でやるからさ」と、立松とは別の映像と言う手段でこの課題に挑戦した。この試みは小説ほどにも成功していない。立松の小説もこの点が決定的に弱いのだが、映画はいっそう厚みに欠ける。残念ながら高橋は立松になにも加えることができなかった。
 これでもか、これでもかとばかりに十四人全員についてのリンチ殺人の場面が克明に描かれる。たしかにそこに至ったのは集団のリーダーたちの個性による側面を否定できない。小説でも映画でも、追い詰められ、孤立していった状況のなかで、これらのゆがんだ個性が拡大されていったことが語られている。当時の公安当局や週刊誌なども、もっともらしく永田洋子や森恒夫の個性のゆがみから説明した。しかし、これをもって「なぜそこに至ったか」の説明にはならない。
 「ごく普通の、いい子たち」が「真剣に革命を夢見」て、結果としては他に類例を見ないほどの凄惨なリンチ事件を引き起こすにいたり、日本の革命運動、左翼運動に重大な打撃をあたえるような反革命的事件を引き起こしてしまった。
 筆者はこの事件の記録を残すための立松や高橋の努力に対して心から敬意を表するのだが、やはり事件を描ききれてはいないという思いが強く残る。

弾圧と内ゲバとヘゲモニー争いと

 「なぜ」という問いに答えるためには、まず第一に当時の社会状況、労働運動をはじめとしてさまざまな社会運動が高揚していた状況が描かれなくてはならないだろう。
 そして、経験の蓄積のない若者たちの新しい組織が革命運動に取り組まざるを得なかったことにみられるような、共産党などの既成左翼の頽廃とそれへの絶望があった。既成左翼はこれらの若者たちを「ニセ左翼」と切って捨てただけだった。そうした条件のもとでの路線の選択の誤りの問題だ。
 当時、京浜安保共闘とその周辺では「建軍路線」か、「ゼネストから革命へか」に代表される路線論争があった。京浜安保共闘の指導部はその未熟さのゆえに建軍路線を選択した。それは七〇年安保闘争の高揚期にあって、新左翼各党派の間でのヘゲモニー争いが激しくなっており、それが戦術の先鋭さの競争になっていったことと関係がある。
 京浜安保共闘は愛知訪米阻止を掲げた羽田滑走路進入のデモでその戦闘性を全国の活動家たちに示そうとした。当時の京浜安保共闘の指導部には「政治ゲリラ戦」などという用語を使ったことにみられるような武装闘争についてのまったく誤った認識があった。民衆から孤立した、宣伝のための武装戦術だという。そのような安易な武装を権力が放置するわけはなかった。
 官憲の弾圧の強化と、新左翼内での「内ゲバ問題」の激化は大衆闘争を停滞させた。にもかかわらず戦術の先鋭さでの争いはさらなる戦術のエスカレートとならざるを得ず、京浜安保共闘はより民衆と結びつく方向ではなく、正反対の武装戦術に走ることになった。
 映画でも描かれているが、武器の奪取が未曽有の弾圧を招き、運動の戦術を硬直化させ、より孤立する山岳アジト建設へと一瀉千里にいたった。こうしてリンチ事件は発生の条件が整えられていった。
 結果として、九・十一のアメリカでの無差別テロ事件と、アメリカの報復戦争が世界を揺るがせているときに、この映画を見ることになった。あのアメリカ帝国主義に対する絶望的な無差別テロ事件と、連合赤軍事件には共通性がある。
 機会があればこの映画を見てほしい。注文はつけたが、映画としても十分に見るに耐えうる作品であることは間違いない。そして、そこから安易に拒絶や絶望を導きだすのではなく、その総括と清算の作業をすすめ、夢の実現に向うあらたな展望をつくりあげる作業にいかしてもらいたいと思う。(S)

          ・・・・・・・・・・

映画 「ホセ・リサール」

        フィリピン独立運動の指導者の生涯

 
                    フィリピン独立100周年記念作品
                    マルリー・ディアス・アバヤ監督作品
                    1998年フィリピン映画


 東京の日比谷公園の一隅にひっそりとホセ・リサールの記念碑がおかれ、フィリピンの国民的英雄が日本にも足跡を残している。
 東京の岩波ホールで上映中の「ホセ・リサール」はフィリピン独立運動の理論的指導者の、わずか三十五年の生涯を劇的にえがいている。作品は、上映時間が三時間にもおよぶ大作だが、歴史的な人物像を、ただ強さと正義だけでなく、優しさと娯楽性をも加えて描きだしている。観客は画面にひきこまれ、豊かな時間を過ごすことになるにちがいない。フィリピンを代表するアバヤ監督の、女性としての感性が、全編をとおし光っている。主演のセサール・モンタノも、ホセ・リサールの、人を魅了する役所にはまっていて、この映画がフィリピンで大ヒット作品となったのは、題材だけによるものでないことが充分うなずける。

 あらすじ

 ホセ・リサールは一八六一年にフィリピンのラグナ州カランバという町の、裕福な家庭の十一人兄弟の七番目の子どもとして生まれた。教養ゆたかな両親のもと愛情あふれる家庭環境に育まれ才能を発揮する。母からの基礎的な教育を受けたことにはじまり、マニラで文学、哲学などを学んだ後に医学を修める。しかし彼の成長過程のどの場面でも、スペインの植民地主義の矛盾につきあたる。なかでも植民地政府とスペイン人聖職者の不正義に怒りと憎しみを募らせていく。そのためマニラでの学業も続けられなくなり、リサールは家族や友人の期待を背にスペインのマドリードの大学に入学し、二三才で医学の修士号をとる。また心理学や文学も研究する。
 その後、リサールはヨーロッパ、アメリカ、アジアの国々を旅行して二二カ国語に通じるようになる。一八八七年に『ノリ・メ・タンヘレ(我にふれるな)』、一八九一年に『反逆』という小説を書き、スペイン人聖職者や植民地政府の横暴と不正、フィリピン民衆への暴虐を暴露した。 
 この小説は大きな反響をよんだ。スペイン聖職者や植民地政府はリサールの罪をでっちあげて国家反逆罪でミンダナオ島に流刑にする。リサールの家族や親戚までにも危害が及ぶ。
 一八九六年、フィリピン革命の動きが始まると、リサールは、マニラの監獄に投獄される。フィリピン革命を進めていた「カティプーナン」は、リサールの思想を精神的なよりどころとし、リサールの肖像や言葉とともにあった。当局はリサールの小説を民衆から奪い焼きはらった。
 スペイン人の国選弁護人はリサールの弁護のために彼と話していくうちに、リサールの信念と理想に心をうたれるようになり、裁判では情熱をこめて「無罪」の弁護をする。しかし、死刑が宣告され、四日後の一八九六年十二月三十日に銃殺される。
 リサールの銃殺の後、革命集団「カティプーナン」らは聖職者や植民地政府・軍とさらに激しく闘った。フィリピンの独立が宣言されたのは一八九八年六月だった。
 さらにフィリピンは、米西戦争に勝利したアメリカの植民地となり、日本の三年間の占領の後、独立の道を歩むことになる。
 映画は主としてマニラの監獄に捉えられているリサールが、牢獄の世話係の少年や弁護人に問われたことに答える形で、回想場面が続く。
 家族のこと、教育過程でのスペイン人からの差別、植民政府の民衆への弾圧、植民政府にへつらうフィリピン人たち、偽善の極致の聖職者、そしてリサールの恋、周囲の者への優しさ、さらに革命と暴力など悩み苦しむ姿が、人として生きる中で描かれていく。南国特有の緑と海と多様な民族、文化の中で……。
 日本の近代国家建設と同じ時間に生き、闘ったリサール。医者でありながら、文学、美術、博物学、言語学にすぐれた人物、リサールの生涯の、光りと陰の記録だ。(Y)


地域から

     従軍慰安婦写真とパネル展
            
 「大正」九年に建設された陸軍の徴兵や志願兵の受付などにひんぱんに利用された県公会堂で、「従軍慰安婦」についての講演と写真パネル展を三日間にわたってやることになった。かつて七三一部隊少年兵だったKさんもここで眼をつけられてハルピンへ送られたのだ。旧軍人会館の九段会館を連想してもらえばいい。題して「平壌からの告発」。歴史の皮肉を感じさせる。
 もっと皮肉をやったスタッフがいた。時おりしも雅子ちゃんの赤ん坊が生まれそうだと日本中が大騒ぎ。公会堂側では生まれたら正面玄関に日の丸を掲げるという。それならばと日の丸が立つ予定の場所に前もって大きな看板を立てた奴がいた。そしたら二日目に生まれて、写真のようなオモシロイ風景となった。
 講演したのはフォトジャーナリストの伊藤孝司氏。「週刊金曜日」をはじめ「世界」「フライデー」にも写真と記事を寄せている人だ。何度も北朝鮮を訪問しているだけあって迫力ある話が聞けた。とりわけ自民党が意地悪して入国を拒否された朝鮮民主主義人民共和国の三人の証言ビデオは北の戦争犠牲者の声を伝えるもので、貴重なものだった。
 写真の中には、日本兵によって入れ墨されたり、妊娠したため軍医によって子宮ごと胎児を引きずり出されたおなかのキズなど、正視にたえないものもあった。まさに「日本鬼子」である。
 開場前から待って一時間以上もかけて写真を一枚一枚たんねんに観て、並べていた本を全部買っていった老夫婦が印象的だった。おそらく朝鮮に住んでいた人だろう。
 閉場時刻間際に入ってきた国際交流協会の会長は多額のカンパをくれた。領収書がわりと名刺をだすと、「知っているよ。PTAの役員やってたでしょアンタ。大あばれして」とニコニコ笑っていた。
 今、沖縄に修学旅行中の高二の愚息が、新宮誕生にイラ立ったらしくて「天皇なんてなんぼのもんじゃ! 日本は民主主義じゃなかったのか!?」とほざくので、「週刊金曜日」に連載されていた「マンガ・日本人と天皇制」を注文した。沖縄から帰ってきてからタイミングよく読ませようと楽しみにしている。(高橋龍児)


せんりゅう   ゝ 史

およろこびもうしあげます株式会社
 ※Xデー用広告一斉に掲載
めでたさも「むずかしいです」姫を抱き
 
※TVインタビュー「はじめて抱いたご感想を」に答える皇太子。男子でなかったから…。
不景気のない御出産うらめしや
 
※リストラ、倒産等で自殺者激増
国籍をもたぬ支配者一人ふえ
 ※皇族は国民ではない。
めでたしや個人消費の風となれ
 
※経済界の第一声
猛爆の中で産まれるお子もいる
 
※ ……。
記帳する指からくさる天皇制
御祝儀で芸能人のたかりよう
※ 誰も彼も仕組まれて「発言」している様子がありありでした。
マミちゃんもデクノボウして一かせぎ
長嶋もかつぎ出されてあおられて
もうかれば〇さま〇さまの売出し
 ※経済効果として利用している流通業者たち。戦前だったら不敬罪だろう。
新宮も代用乳で健やかに
 
※もちろん牛の血は入っていません。昔は乳母がついたが、今はミルクで。
政治家はみんなに笑顔のクセがあり
 
※「嫌いな人でも味方と思え」と小泉首相が言った( 月 日)とか。……天皇・皇室を使ってみんなを味方に……。
ジョーカーのごとく天皇出てきます

サル真似のガザ爆撃で激化する

 ※ 月3日に自爆テロ、イスラエルの進撃……。                   


複眼単眼

   
ビデオの怪、メディアの怪 日本共産党の怪……

 アメリカで「オサマ・ビンラディン氏が事件に関与したことを示す決定的証拠のビデオテープ」が十二月十三日、公開された。「じゃ、いままでアメリカは決定的な証拠もなしにアフガニスタンを爆撃していたの」という意見がどこかのメディアの投書に載っていた。
 アメリカ政府当局者によればビデオの入手は数週間前で、公開に時間がかかったのは「事件の被害者に与える影響を慎重に検討した」ことと、「登場者の発語と口の動きがあっているかなどの信ぴょう性について吟味を重ねたため」だという。そしてブッシュ米大統領は「偽物」「偽造」の可能性という反論を計算に入れて、そのような意見は考慮に値しないとあらかじめ全否定した。
 毎日新聞のワシントン支局の吉田弘之は「(ビンラディン)氏はこれまで犯行を否定していただけに、ビデオの中で語っている内容は生々しく、重い意味を持つ。だが捜査面から見た場合、明確に『秘密の暴露』と言える内容は乏しく、同氏を支持するイスラム原理主義者を中心に、なお議論の余地が残りそうだ」と書いた。彼によれば「発言はこれまでの報道をもとにすれば推測可能な内容で『犯罪の立証』という側面から決定的証拠となるかどうかは疑問が残る」と書いた。
 今回の九・十一無差別テロ事件に関する米欧日各国政府やメディアの対応は、実はきわめて異常だ。この問題で小泉政権はブッシュ政権の主張に終始追随し、NHKをはじめとするメディアはアメリカ政府の情報を一方的に垂れ流してきた。政府も政府であるが、メディアの頽廃はおどろくべきものがある。批判に耐え得るような証拠もないままに、ビンラディンとその組織「アルカイダ」が犯人だと決めつけている。だが「推定する」ことと「確定する」ことはまったく異なるのは常識だ。今回のビデオの件でもそうだが、この程度のものでは、従来の日本の裁判では「公判維持」などできようもないほどの「証拠」にすぎない。少なくとも、近代国家は法治主義を前提にして国家を形成してきた。今回の事件に関するかぎり、それは完全に崩壊した。
 ブッシュは今回の無差別テロ事件を「新しい形の戦争だ」と叫び、「ビンラディンとその組織が犯人だ」「生死を問わず捕まえろ」「それをかくまう者も許さない」などという口実で戦争に突入した。これは西部劇の時代への逆行だ。
 奇妙なことに日本共産党もすでにビンラディン氏を犯人だと決めつけている。そして国連などによる国際法廷で裁けと言う。しかし、知り合いの党員などは「最近の上のほうはおかしいよ」ととまどっている。共産党は裁判の在り方や、現状の国連、国連憲章などをどう考えるのか。この党の「現実主義」はあまりに危なすぎる。
 「では、どうやってテロの犯人を捕まえるというのか」という反論があった。
 テロ事件以降、対話を拒否したのはアメリカ政府であったことを忘れてはならない。アフガニスタンの政府は「対話に応じる用意がある。アメリカはビンラディンが犯人だという正当な証拠を示せ。もし犯人であるなら、アメリカで裁くのではなく、われわれの法か、あるいは第三国で裁くべきだ」という主張をしていたのだ。しかし、アメリカは本紙が幾度か資料を提供したように、従来からの計画通りに問答無用で、アフガニスタンのタリバン政権打倒の戦争にもっていったのだ。国際社会はこのアフガニスタン政府の対応を拒否した時に、問題の正当な解決の時期と手段を自ら放棄した。
 アフガニスタンは米英などの武力で制圧されつつある。かつて世界最強と言われたソ連陸軍をはじめとする軍隊をうち破ったアフガニスタンのゲリラ戦の帰趨は予断を許さないにしても、いま決定的な窮地にたっているようだ。なぜアフガニスタンのゲリラは敗れたのか。アメリカはクラスター爆弾、バンカーバスター爆弾、デージーカッター爆弾など人道上許されない準核兵器の類を大量に投入し、殲滅戦をやったからだ。
 アメリカは戦火をさらに拡大するかも知れないと言われている。イスラエルはアメリカと同様の論法でパレスチナを抹殺する戦争に突入した。戦火の拡大に反対する世論をさらに巻き起こさなくてはならない。(T)