人民新報 ・ 第1050号<統合143> (2002年2月15日)
  
                                目次

● 戦争の「備えあれば憂いあり」 有事立法、日米首脳会談反対!

● 生きざまをかけ、有事立法阻止
    テロにも、報復戦争にも反対!市民緊急行動 富山洋子さん

● 石川一雄さんは無実だ 最高裁は特別抗告審で事実審理をおこなえ

● 参戦国化と象徴天皇制の再編に抗して 2・11 反「紀元節」集会・東京

● 国労本部の闘う闘争団への除名策動を許すな

● 平和を考える学習集会  市民緊急行動が開催

● 報復戦争の国際法上の問題点(上)
      市民集会での阿部浩己(神奈川大学)さんの報告

● 「私たちはついに教え子を戦場に送り出してしまった!」
     教育基本法・憲法改悪反対、「日の丸・君が代」強制反対、千葉県民集会

● 部落史から取り残された諸賤民について G          
                 弾左衛門の不思議(その1)

● 図書紹介 / 池田五律・「海外派兵!…自衛隊の変貌と危険なゆくえ」

● 複眼単眼 / 「平和」を掲げて戦争翼賛に利用される冬季五輪



戦争の「備えあれば憂いあり」 有事立法、日米首脳会談反対!

 二月十二日、自衛隊のインド洋派遣の第二次艦隊が出航した。現在、インド洋にいる艦隊がどのような活動をしているかは、軍事機密という口実でほとんど報告されない。この問題では国会も、文民統制も有名無実化している。
 だが、実際には自衛隊の艦船が、今回の「反テロ戦争」の口実とされているアフガニスタンだけでなく、ペルシャ湾でイランやイラクを監視する米軍その他の艦船への補給活動など、昨年の参戦三法の枠すら飛び超えて、究極の憲法違反である「集団的自衛権の行使」に該当する軍事活動を行っていることが漏れ伝えられている。まさに戦争とはこのよにすすめられるものなのだ。
 二月五日、与党国家緊急事態法整備等協議会は「日本が武力攻撃を受けた場合の有事法制整備について、基本理念や整備手順を包括的に盛り込む緊急事態基本法(仮称)と、自衛隊の行動を円滑化する自衛隊法改正案を『武力攻撃事態対処関連法案』として一括して」、通常国会に法案提出することを確認した。
 この有事法制案は「戦争やそれに近い緊急事態」が起った時、「住民保護」の名目で、すべての行政機関と企業、およびそこで働く人びとに強制力をともなった動員命令がだせるものとなっており、拒否や違反者への処罰など強制力を持っている。これは周辺事態の「協力要請」からさらに踏み込んだものだ。また、かつての隣組体制にも似た民間防衛組織の設立なども含まれている。私権の制限の規定も具体的で、@電子戦実施のために必要な周波数の確保、A自衛隊機の航路確保のための運航統制、B作戦上必要な港湾封鎖、D危険水域での漁業の禁止などが含まれている。
 小泉首相は「備えあれば憂いなし」などといい、「平時にこそ有事のことを考えよ」といっている。しかし、「備え」というが、どこの国が日本を攻めてくるというのか。いま日本周辺でもっともありそうな戦争とは、「二〇〇二年も戦争の年」と宣言し、今年の年頭教書演説で横暴にも「悪の枢軸」よばわりして北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)やイラク、イランを名指しで非難し、先制攻撃も辞さないことを匂わせている米国のブッシュ大統領らが引き起こすかも知れない戦争しかありえない。
 いま世界でもっとも危険な戦争挑発者こそ、アメリカのブッシュなのだ。小泉政権はこのアメリカに無条件で追従するしか能がない政権だ。
 この道は日本がアジアの民衆にかぎりなく敵対していく道だ。
 政府・与党によって「備えあれば憂いなし」などというかけ声で急がれる「有事法制」とは、このブッシュの引き起こす戦争に自衛隊を参戦させるためものだ。まさにこの「備え」こそが私たちの「憂い」のもとになるに違いない。
 二月十七〜十九日のブッシュ大統領の来日と日米首脳会談、およびそれにつづく韓国、中国訪問は、経済危機の出口が見えないアメリカが、その延命のためにいっそう日本などへの圧力を強めるためのものであると同時に、度重なるアメリカの軍事挑発、火遊びが戦火を引き起こしかねない国際情勢のもとで、それに日米がどのように共同対処するのか、戦争談合のための来日でもある。
 小泉政権の「経済構造改革」は、先のG7での各国の圧力の前に混迷の度を深めている。「有事法制」への執心は、あわよくばこの危機への民衆の不安を、「有事」に向けることで解消し、またアメリカの圧力も軟らげようとするものだ。


生きざまをかけ、有事立法阻止

    
テロにも、報復戦争にも反対!市民緊急行動 富山洋子さん

 二月二日、東京で開かれた市民集会での日本消費者連盟・富山洋子さんの挨拶。本紙の文責で掲載する(関連記事は二、三面)。

 いま私たちが有事法制に反対していくうえで、日本という国家の中に生きる私たち一人ひとりの生きざまが問われていると思います。
 私たちは昨年の九月以来、反戦のためのさまざまな行動を積み重ねて来ました。しかし、私たちが渾身の力をふりしぼって「テロにも報復戦争にも反対」という二つの言葉にくくって表現した権力と暴力にたいする根源的な怒りがからめとられるような形で、ブッシュ政権はアフガンへの攻撃をはじめました。日本では小泉政権が早々と戦争協力をうちだし、参戦法などの法律を制定し、戦争がしやすい国家への道をさらに広げてしまいました。
 私たちはその中で歯噛みしながらも、「平和を実現するキリスト者ネット」や「日本山妙法寺」の人びとと共同して、国会前の行動や院内集会をしてきました。あるいは「フォーラム人権・平和・環境」の人びととも大きなデモをやってきました。
 それらの中で私たちが訴えてきたことはマスコミにはほとんど報道されない状況でした。しかし、わたしたちは屈せずに人びとに語りつなぎながら、日本がすすもうとしている方向を人びとにあきらかにし、訴えてきました。
 私たちの主張は「テロにも報復戦争にも反対」という言葉でくくっていますが、これは根源的な意味では非暴力の運動です。暴力とは国家の暴力装置を含みます。そして差別構造もそうです。また私たちの命をおびやかす原子力発電もまた暴力です。人権を抑圧したり、封殺したりする法律もまた暴力です。また有事法制はそのような国家がもっている暴力装置をさらに拡大し、私たちの思想信条の自由はもとより、生存権そのものをも脅かすものです。
 こう思うのは私の戦時体験によります。私が生まれた時にはすでに日本国家は戦争をしていました。すでに「戦時」でしたが、侵略戦争は私たちに「非常時」という言葉を植えつけました。「非常時」の中で私たちは食べるものさえも手に入れることができませんでした。私たちが「ひもじい」といえば「それは敵性的な用語だ」として封じられました。私はそのわが身の体験の上にアフガンの人びとの飢餓と貧困を思います。
 しかし、この貧困と飢餓は、世界最大の食糧輸出国であり、あらゆる意味で強力な力を備えているアメリカの中にさえあるわけです。アメリカの首都ワシントン州でさえも四人にひとりの子どもたちが飢え死んでいると言われています。アメリカ全体では五百万もの人が飢餓と貧困で死に至っているといいます。有事法制とはこの差別構造をさらにひろげていくものです。
 もうひとつの私たちの課題は憲法改悪のための国民投票法案に反対する課題です。有事法制に反対し、それを国会で成立させないように闘いますが、その中で憲法改悪のための国民投票法案に反対することの重要さを多くの人びとに語っていかなくてはならないと思います。
 小泉政権の人気というのはマスコミが作り出したものだと思いますが、田中真紀子前外相の更迭を機に、支持率にかげりが出てきたといいます。これまで小泉政権がやってきた福祉の切り捨て、医療の切り捨て、私たちの生活が脅かされるというこれまでの小泉政権の政策だけでも、その存続を許すことはできませんが、さらに有事法制や憲法改悪のための国民投票法案などを国会に持ち出すことをもくろんでいます。
 このままにしておくなら、私はいままで生きてきた生きざまを踏みつけられる思いがします。これらの悪法にたいして、私自身の生きざまをかけて反対していきたいと思います。


石川一雄さんは無実だ

      
最高裁は特別抗告審で事実審理をおこなえ

 東京高裁第五刑事部(高橋省吾裁判長)は、一月二三日、石川一雄さんへの冤罪・権力犯罪である狭山事件の異議申し立てに対し不当な「棄却決定」を出した。
 狭山弁護団は、今回の異議申し立てで、一九九九年の東京高裁(高木裁判長)の棄却決定や原判決の誤りを明らかにする「指紋鑑定」など決定な意味をもつ新証拠を提出してきた。しかし高橋裁判長は、充分な証拠調べもせずに、また検察に対する証拠開示命令も行うことなく、棄却を強行した。
 石川さんと狭山弁護団は棄却決定に抗議し、一月二九日には最高裁に特別抗告を行った。
 特別抗告は、刑事訴訟法が規定する法的手続きであり(高裁の決定に不服があるときは、@憲法違反A最高裁判例違反を理由として最高裁に抗告できる)、狭山弁護団は最高裁でもあくまで事実調べを強く求めて闘っていくとしている。
 高裁の棄却決定に各地で反撃の行動が展開されているが、東京では二月六日に千代田区公会堂で「狭山事件の棄却決定を糾弾する東京集会」が開かれ、約五〇〇名が参加した。
 これは、部落解放同盟東京都連、部落解放各地区共闘、東京平和運動センター、国労東京、東水労などによって構成される狭山東京実行委員会が主催したもので、集会スローガンは、@東京地裁の異議申し立て棄却糾弾A石川一雄さんは無実だB最高裁は特別抗告審で事実審理をおこない、再審を開始せよD反差別共同闘争の発展をかち取るぞ。石川さんと連帯して、狭山事件の再審をかち取るぞ、であった。
 はじめに主催者を代表して本郷真一実行委員会議長が、今回の不当な決定は、政治の反動化・人権の無視という風潮の中で起こった、こうした流れを許さない闘いを強めて行こうとあいさつした。
 森本一雄実行委員会事務局長は集会基調で「棄却決定を受けたこの悔しさと怒りをバネに、一人でも多くの人に狭山の真相を知ってもらう取り組みを進めます」と述べた。
 青木孝弁護士による弁護団からの報告につづいて、片岡明幸部落解放同盟中執が発言し、その中で、部落解放運動にとっての狭山闘争の意義として@多くの活動家がつくれたことA国家・政府に対する批判的な目を持つことが出来たことB連帯の輪を広げたことC人権・反差別運動の先駆的な役割を強めたことなどをあげ、狭山闘争の勝利のために闘おうと発言した。
決意表明は、部落解放同盟東京都連合会と東京水道労働組合が行った。
 集会決議では、「不正義は糾(ただ)されなくてはなりません。私たちの合い言葉は『真実は必ず勝利する。法の不正義にわれわれは必ずうち勝つ』です。そしていつの日か必ず、石川さんとともに勝利をかち取ります。今日を起点に、この悔しさと怒りをバネに、私たちは闘います」と今後の戦いへの決意を確認した。


参戦国化と象徴天皇制の再編に抗して 2・11 反「紀元節」集会・東京

 二月十一日午後、「参戦国化と象徴天皇制の再編を問う二・十一反『紀元節』集会」が東京の文京区民センターで開かれ、一二〇名の人びとがデモと集会に参加した。
 集会は日本基督教団靖国・天皇制問題情報センターと第五期反天皇制運動連絡会などによる実行委員会が主催した。
 デモは午後三時からの西神田公園での集会につづいて神田界隈で行われた。右翼は街宣カーを繰りだし大音響を立ててデモを妨害した。
 集会は午後六時から行われ、冒頭に実行委員会から基調報告が提起された。基調は@右派の動向と象徴天皇制、A動員システムとしての追悼儀式と国旗・国家、B「日の丸・君が代」強制、教育三法改悪から教育基本法改悪へ〜強まる教育の国家統制、C「女帝」論議と象徴天皇制の再編、DW杯を口実にした治安体制の強化と「皇室外交」の拡大に抗議の声を、」という項目で報告された。
 報告は「女帝論と戸籍・皇統譜」に関する佐藤文明さんと、「ハーグ国際戦犯法廷の報告」としてVAWW−NET JAPANのメンバーが行った。
 佐藤さんは「女帝容認論は一見、男女の平等の実現のように見えるが、実際には女性解放につながらない。最近「文芸春秋」などに書かれている女帝論を見ると、女性はつなぎとして考えられ、男子継承者本位の女帝論で、結局、男女の性差を強調するものとなっている」と批判した。
 VAWW−NETからは「被害を受けた『慰安婦』の女性たちは責任者処罰を切望していた。加害国に生まれた人間として何ができるのか。たじろがずに天皇の戦争責任を問わねばならないと思った。そうしなければ暴力の連鎖を生むことになると、困難で夢のような国際戦犯法廷に取り組んだ。多くが法律のプロではないが、こころざしがあり、取り組んでいけばある程度のところまでは実現できるのではないかと思っていた。国家ができなかったことを民衆がとりくみ、国際法を市民の立場から使っていこうとした。判決で『天皇ヒロヒトは強かんと人道に対する罪で有罪……』と言われたとき、それは歴史的瞬間、決定的瞬間だった。これは模擬法廷でも、予備法廷でもなく、真の意味で民衆法廷だった。それをいちばん喜んだのは被害者の女性たちだった」と報告があった。
 連帯アピールは、校長の暴力事件でっちあげで解雇された千葉の教員の渡壁さん、靖国参拝違憲訴訟の会の中川さん、一坪反戦地主会関東ブロックの上原さん、二・一七ブッシュ来日反対闘争を準備している渡辺さん、許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田さん、日本の参戦を許さない実行委員会の岡田さんが行い、最後に京都と大阪の集会からの連帯のメッセージが読み上げられた。


国労本部の闘う闘争団への除名策動を許すな

 二月三日に東京新橋・交通会館(国労本部)で、国労の第一七二拡大中央委員会が開かれた。今回も本部前の道路は機動隊のバリケードで完全封鎖され、周辺にも機動隊員が配置されるという異常なものであった。
 今回の中央委員会では、査問委員会の設置が焦点となった。
 JRに法的責任はないとする四党合意は、すでに誰がみても破綻している。しかしあくまで四党合意にしがみつく高島中央執行委員長は、あいさつのなかで「(交渉が進まない)主たる原因は、私たち内部の不団結」であるとし、「本部方針に従わず『別組織、別方針、別行動、別財政』のもとに、『最高裁に対する参加申し立て』や『鉄建公団に対する雇用関係存続確認訴訟』の独自行動をとる一部闘争団員の闘争破壊、団結破壊は絶対に許すことはできません。……今後、解決に向け重要な局面にあって、機関決定を無視し、『わが道』をいく組織を内部に抱えたままでは、組織としての体をなさず、力を発揮することができない」として「査問委員会の設置を提案」した。
 寺内書記長にいたっては、「(国労の)方針を無視し続ける(鉄建公団訴訟などの)原告闘争団員に対しては、国労の進める解決の救済対象者から除外せざるをえない……(訴えの取り下げに)応じない闘争団員については国労規約に基づき厳正な対処を行なわざるをえない」と闘う闘争団員を恫喝したのであった。
 本部が提案した査問委員会設置は二つ。一つは四党合意派の新井前中執が首謀者となった今回の組合分裂の中心となった組織に対するもの、もう一つは闘争団の有志で起こした鉄建公団訴訟の原告に対するものである。
 中央委員会で、本部は論議を早々に打ち切り採決を強行した。
 反対派の激しい抗議で会場内が騒然とする中で採決が強行された。代議員は四十一人で、右派による分裂については全員が賛成、闘争団への弾圧に対しては三十一人が賛成(十人が反対)で査問委員会設置が決まった。
 国労組織分裂のあと開催された中央委員会の主な矛先は、警察に守られたことでもわかるように、国労分裂派ではなく、闘う闘争団であったことは明かである。
 国労本部は、四党合意を強行するために、闘争破壊の策動を強めている。本部は、大阪・岡山採用差別事件の東京高裁判決に対して「解決の促進をはかる」ためとして、最高裁への「上告をしない」とした。
 しかし、こうした本部の敵前逃亡・闘争破壊にたいして、闘争を堅持する闘争団員は、鉄建公団の提訴などの新たな闘いに立ち上がったのである。
 四党合意での解決などは国労本部でさえ信じてはいない。国労官僚の胸の内にあるのはただ自らの保身・延命だけであり、そのための国鉄闘争の完全破壊なのである。
常に警察に守られてしか大会・会議を開けない国労本部の姿は、腐敗・汚職の泥にまみれた自治労官僚と同様である。
 大失業時代が本格的に到来し、理不尽なリストラ合理化は国鉄の分割民営化方式を先駆として、いま全国に蔓延している。
 広範な労働者は、闘争団への支援を強め、国労本部の弾圧・除名策動を許さず闘おう。
 団結を拡大して資本の攻勢と断固として闘い抜こう。


平和を考える学習集会  市民緊急行動が開催

 昨年末以来、「テロにも報復戦争にも反対」のスローガンを掲げて、十数回のデモと集会を行い、さらに他の人びととの共同行動をしてきた「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」(許すな!憲法改悪・市民連絡会、日本消費者連盟など)は、アメリカのアフガニスタン武力制圧と暫定政権の誕生の中で、「空爆が平和を作った」という風潮が蔓延する状況にたいして、本当の平和とは何か、市民の側の論理を明らかにするための学習集会を開催した。
 集会は二月二日、午後一時半から五時まで、東京・四谷の主婦会館プラザエフで開かれ、講演は「報復戦争の国際法上の問題点」と題して阿部浩己さん(神奈川大学)と、「有事法制は何をもたらすか」と題して、木元茂夫さん(派兵チェック編集委員会)が行った。
 最初に主催者を代表して「市民緊急行動」の富山洋子さん(日消連代表)が挨拶(要旨・別掲)した。
 講師の阿部さんは国際法の研究者の立場からこの間の報復戦争の問題点を詳しく解説し(要旨・別掲)、会場の質問は時間が足りなくなるほどで、阿部さんはこれらにていねいに答えていた。
 木元さんは資料を駆使しながら有事法制の問題点を指摘した。
 アピールとして「二・十七行動実行委員会」から「アメリカは戦争をやめろ!小泉は自衛隊を撤兵しろ!二・十七ブッシュ来日に抗議する行動実行委員会」の取り組みについて訴えた。市民緊急行動からは「有事法制に反対する署名」への取り組みが訴えられた。また、五月頃にアメリカのバーバラ・リー下院議員を日本に招こうとしているグループから協力要請の発言があった。


 報復戦争の国際法上の問題点(上)

      
市民集会での阿部浩己(神奈川大学)さんの報告

 二月五日、「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」が開いた学習集会で、国際法学者の阿部浩己さんがアメリカの「反テロ報復戦争」について、大変興味深い講演をした。
 各地の平和運動家の皆さんにとっても有意義なものであると思われるので、本紙の文責で講演要旨を二回にわたって掲載する。(編集部)


@ はじめに

 一月八日の朝日新聞に「民間死者三七〇〇人余、アフガン、同時テロ越す」というのがあった。
 アメリカのある大学教授が集計したもので、週刊誌「タイム」に載った。昨年十二月六日の時点でアフガンでの一般市民の死者が三七六七人で、誤爆、誤って殺してしまった数だ。これは九月十一日の事件の死者、この時点で三二二五人より上回った。
 もうひとつ、ジャパンタイムスの一月十六日付投書欄に載っていた記事で、FAO(国連食糧農業機構)の統計で、去年九月十一日の一日で、世界で子どもだけで三六六一五人が飢餓で亡くなった。
 九月十一日の「同時多発テロ」にだけ焦点があてられているが、その結果としてアフガニスタンでは「テロ」で引き起こされた死者の数以上の死者がでているし、一日だけでもこれほど多くの子どもが亡くなっている。こういう大きな不条理を抱えた国際社会の法が国際法だ。国際法を勉強してくると、国際法とは一体なんのためにあるのだろうかという疑問がだんだん脹らんでくる。その脹らんできた疑問をさらに大きくしたのが、去年の九月十一日の事件を契機として起った、アメリカの戦争というよりは一方的な襲撃というべき戦争だ。

A 国際法はなぜ沈黙を強いられたのか

 今回のアメリカの一連の軍事行動、「報復戦争」を通じて感じたのは国際法が一貫して沈黙を強いられてきたことだ。そして同時に、国際法がその姿を変容させつつあるということだ。
 九月十一日の事件が起きた直後から巧妙な形でわたしたちの考え方を操作する動きがあった。まずあの事件を「これは犯罪ではなく戦争だ」とアメリカの大統領が世界に表明した。そしてただの戦争ではなく、新しい戦争だと言われた。だから今の法は役に立たない、いまの法が想定していない事態が起きたということになる。いまの法は乗り越えられたというイメージが作られた。こうした考え方が全世界にマスコミを通じて流された。これはもちろん、意図的に行われた。いまの法秩序を守っていくことが面倒臭いと思った人たちが操作した。これらの人たちだけでなく、これをささえる多くの人たちがいた。
 二人の人をあえて出してみる。ひとりは坂本義和氏。日本の国際政治学者の中でもっともリベラルであり、もっともその市民的価値をその学問の中に体現されてきた、尊敬する学者だ。もうひとりは国連の現事務総長のコフィ・アナン氏。これまでの事務総長と比べて比較的人権や正義にコミットしてきたと考えられる。この二人がこの「新しい事態」にどう発言したか。
 坂本さんは「米国の軍事力行使に対する批判として、それは国連憲章五一条で認められている侵略への緊急対応にはあたらないから、国際法違反だという意見がある。たしかにこの議論は、在来型の国家間の紛争にかんする限り、正しいだろう。しかし今回のような大規模なテロ攻撃は、国連憲章が予想しなかった別種の事態なのだ。…違法論…に立論上の無理が生じるのは当然だ」(『世界』一月号)という。つまり現行の国際法でアメリカは違法というのは無理があるという。
 しかし、これまで国連憲章が予想しなかった無数の「別種の事態」が生じてきた。それを「新しい戦争」などとは言わなかった。国連憲章が予想していたのは在来型の国家間紛争だが、国家と国家の間でない紛争は国連憲章ができてから綿々とつづいてきた。たとえば一九五十年代からイスラエルパレスチナ解放運動との間がそうだし、一九八十年代以降はアメリカ自体が直接間接に関与してつくりあげた勢力と、それによって転覆が企図されてきた国家対非国家との紛争はすでに起きていた。これによっていかに多くの死者がでても、「別種の事態」などとはいわなかった。
 アナン氏について。アメリカが去年の十月から軍事行動を開始した直後、安全保障理事会で二つの決議がされた。一三六八号と一三七三号だ。この決議はテロを批判し、テロ組織に資金が流れるのをやめようという内容だ。アメリカの軍事行動を国連の安全保障理事会で容認するものではない。しかし、この決議がなされたのを受けてアナン氏は「あらためて安保理の承認は必要ではない」と明言した。これは国連のお墨つきになり、アメリカの攻撃は国際法上問題はないことにされた。このアナン氏の行動には「国連憲章に忠実であるべき事務総長としての役割の放棄」という批判がおきた。一九九九年のNATO軍がユーゴスラビアにたいして空爆を開始したときに国連安保理が素通りされたことがあった。今回もまた国連安保理を素通りされたことを事務総長が是認した。にもかかわらずアナン氏と国連にはノーベル平和賞が与えられた。
 このように国際社会で国際法を直接、間接に担うエリートの人びとが、総がかりで「国際法が予定している事態を超えたもの」というイメージを作りだしてきた。国際法にもっとも影響力のある人びとが国際法の力を削ぎ落としてきた。
 ところがこういう事態に対して、今回の集会もそうだが、国際法を守れという声も力強くでてきた。それが可視化されない無数の市民から、デモや声明の形ででてきている。
 国際法はだれのために、何のために存在するのかを考えるよい機会になっている。

B 国際法はテロリズムとどのように向きあってきたのか

 「テロ」は今回が初めてであったわけではない。テロリズムに国際法はどう対処してきたか。まず前提として、「テロ」は一般に「暴力を用いて社会に恐怖状態を作り出す行為」と言われるが、国際法上、一般的に定義している条約などはない。意識的にテロリズムを一般的に定義することをしてこなかった結果だ。なぜかといえば、改めていうまでもなくテロリズムと民族解放闘争、テロリストと自由の戦士はコインの裏表のように、一日にして入れ替わる、きわめて相対的なものだからだ。
 一九六〇年代から今日まで十二の個別条約を作ってきた。それぞれの条約を通じてテロを規定しようとしてきた。それぞれの条約は、たとえばハイジャックを規制する条約、あるいは民間航空機のなかで暴力をふるう行為を処罰する条約、人質にすることを防止する条約、というように…。個々具体的に処罰する中身を明確にして、それを取り締まる形で国際法はテロと向きあってきた。
 さらに具体的に言えば、たとえばハイジャックをどう規制するか、その条約に入った国はそれぞれの刑法を変えて、ハイジャック犯が逃げ込んでいったら処罰できるようにする。処罰できないのだったら、処罰できる国に引き渡すような法律を作るようにする。こうしてハイジャッカーはどこかで処罰される。これを国際刑事法的アプローチという。
 しかし、八〇年代半ばから、軍事力アプローチに大きく転換されていった。これを唱導したのはアメリカだ。
 こういうことをやった国はアメリカだけではなく、その先鞭をつけたのはイスラエルだ。五〇年代から軍事的アプーチでパレスチナ解放運動と向きあってきた。そしてパレスチナ解放運動の行為に対して、その都度、爆撃その他の攻撃を加えることで大きな被害を生じさせてきた。これはほぼ例外なく、国連安保理に持ち込まれた。イスラエルは自分たちの行っている軍事行動を「これは戦争だ」「自衛権の行使だ」「安保理事会の機能が麻痺している」と正当化した。安保理はそれは「自衛権の行使たりえず、国際法上禁止された武力復仇だ。報復は解決にならない」という見解をくりかえし表明してきた。このような主旨の発言はイギリスもフランスも言ってきた。
 一九八六年、アメリカがリビアに爆撃を加えた時から、このような非難の声が急速にカゲをひそめた。アメリカがリビアを攻撃した理由は、当時の西ドイツのベルリンにあったディスコに米軍人が出入りしていた、そこに爆弾が仕掛けられて、多くの死傷者がでた。これを首謀したのがリビアの団体であったということで報復爆撃を加えた。
 これはイスラエルがパレスチナに行ったと全く同じ構図だった。発展途上国の政府代表からは「武力復仇だ」と非難の声があがったが、安保理決議は採択されなかった。国連総会では決議されたが、安保理事会は沈黙し、以後、国連機関はアメリカの軍事的アプローチにたいして沈黙するようになった。

C 武力行使の規制と自衛権

 国際法は軍事力の行使をどう規制してきたか。 「正戦論」という立場がある。一切の戦争を禁止してしまうのは現実的でない。しかし、戦争を規制しないわけにはいかない。それであれば許される戦争と、許されない戦争があると考え、許されない戦争をはっきりさせることで戦争を規制するという考え方だ。十七世紀からしばらく、そうした考え方だった。しかし、十八、九世紀になると、ではいったいだれが正しい戦争、正しくない戦争を判断するのか。すべての国が主権をもっているのであり、それ以上の存在は地球上にはない。すべての戦争が事実上、正戦になる。それでは意味がない。
 そこで無差別戦争観というのがでてくる。これは戦争を入口では規制しない。戦時国際法、いまは国際人道法と呼ばれているもので、戦い方のルールを細かく定めることで戦争を規制しようという考え方に変わった。国際連盟、国際連合によって戦争の違法化がはっきりとした形をとった。特に国連憲章のもとでは武力による威嚇、武力行使を禁止することが明文で定められた。戦争であろうとなかろうと禁止された。当然、武力復仇も禁止された。
 だが、いまはまた国際法をふみにじって新しい正戦論の時代が訪れたと言える。
 国連憲章にも例外がある。自衛権だ。国連憲章五一条に規定があり、「武力攻撃が発生した場合に」許されるとしている。しかし、その要件を厳しく規定している。つまり原則は一切の武力威嚇、行使は禁止される。自衛権の名でこの原則をふみにじってはいけないということで、例外的な位置付けになる。
 そのために足枷がある。第一に武力攻撃が発生していること。単なる武力行使ではなく、正規軍が大規模に武力を展開するほど重大なものでないと五一条にあてはまらない。短時間、国境を越える程度ではダメだ。侵略、あるいはそれに相当するような大規模な武力行使だ。
 そして「発生した場合」であり、「準備している段階」ではいけない。先制自衛は禁止されている。
 そして「緊急性」の要件があり、緊急、やむをえない場合に限って自衛の名のもとに武力を行使することが許される。時間をおいてからやり返すというのは復仇になってしまう。
 そして受けた攻撃を排除するのに必要な程度でしか武力行使は認められない。均衡性の要件だ。そして長期間に自衛権を行使することは認められず、暫定的なもので、近いうちに集団安全保障体制に移行しなさいといっている。
 このように幾重もの要件が規定されている。
 たしかに国連憲章は国家対国家の紛争を予定していたのは間違いないが、国連憲章の歴史を見れば国家対国家でない組織、非国家集団から国家が攻撃を受けるということはあつた。このような場合に非国家集団をかくまっている、あるいは非国家集団と一体化している国に対して自衛権の名のもとに武力を行使することがこれまでもあった。これは非国家集団とそれをかくまっている国の結びつきがどれほど強いのかを見よというのが国際法がもとめているものだ。「政府と当該集団との関係性の考慮」だ。その結果、非国家集団に実際に命令している、管理している、実質的な関与をしている場合はその国にたいする自衛権の行使が許される。しかし、命令、管理も、実質的関与もしておらず、単に自国の領域に非国家集団が根拠地をおいているだけの場合は、その集団をかくまっている国を自衛権の名のもとに攻撃することは国際法上許されない。 (つづく)


 「私たちはついに教え子を戦場に送り出してしまった!」

   
教育基本法・憲法改悪反対、「日の丸・君が代」強制反対、千葉県民集会

 「再び自由にものが言えない戦争への道へ進んでいっている怖さをひしひしと感じます」「『教え子を再び戦場に送るな』というスローガンを活かすこと、そして戦争のない世界を作りだすことが『国際貢献』であることを伝えたい」(集会アピール)という思いを集めて、二月九日午後二時から千葉市の教育会館で「教育基本法・憲法改悪反対、『日の丸・君が代』強制反対、千葉県民集会」が開かれた。主催したのは千葉県高等学校教職員組合で約五〇〇名の組合員や市民が参加し、集会後は市内をデモ行進した。
 千葉高教組の早川書記長が提起した基調報告では、昨今の情勢を「同時多発テロとそれにつづく米国の報復戦争、憲法無視の自衛隊の戦時出動、さらに『憲法改正国民投票法』提案の動き、教育基本法改悪の諮問と事態は緊迫している」ととらえ、労働者へのリストラ攻撃と合わせて、教育現場では「『日の丸・君が代』の強制、教科書改悪、主任制強化、職員会議の補助機関化、『不適格教員』の排除、奉仕活動の義務化など」の攻撃がつづいている、と指摘した。そして「憲法改正国民投票法案」「国会法改正案」の準備などの改憲策動と連動して、教育基本法の改悪の動きが強まっており、これを一体のものとしてとらえて反撃するよう訴えた。
 講演は教育総研委員の長谷川孝さんで「先日の全国教研集会で開催地の宮崎教組の委員長が『ついに教え子を戦場に送り出してしまった』と述べた」ことを紹介しながら、「教育基本法の改悪は、憲法と一体になっている基本法を憲法から切り離し、教育を国が与えるものとする。そのために教育を担う教職員を徹底して管理することにねらいがある」などの指摘をした。
 現場からの発言では「卒業式で生徒が実行委員会を作ってやってきたA高校でも新任の校長が『君が代斉唱』を式次第に入れよと強制してきて、現在、話し合い中」と報告。
 B高校では今年初めて沖縄に就学旅行にいくことを報告。全国では一六〇〇校の小中高校が沖縄の修学旅行に取り組んでいる。特に昨年のテロ事件以来、半分近くになっているので、平和学習の一環で進めたいと発言した。
 C高校からは小人数学級の授業が、生徒の考える力を育てるのに役立つと「アフガニスタン」をテーマにした議論の前進を紹介した。
 その他、高退教の会や子どもと教科書千葉ネット 、日の丸・君が代強制に反対する市川市民の会などが報告した。

 集会が採択したアピールの要旨は以下の通り。 

 昨年九月十一目のアメリカにおける同時多発テロに対し、ブッシュ大統領はアフガニスタンヘの「報復戦争」を開始し、さらに戦場を拡大するとも発言しています。また、日本の小泉攻権は「アメリカヘの支援」を口実に、自衛隊を戦時出動させ、今国会において有事法制の関連法案を提出しようとしています。さらに、「憲法改正国民投票法案」提出の動きもあり、憲法を改悪して日本を戦争のできる国」にしようとしている政府与党の本質が明らかになってきました。
 また「憲法の理念の実現は教育の力にまつ」として制定された教育基本法の見直しを、遠山文部科学大臣は、昨年末中教審に諮問しました。教育現場では、「日の丸・君が代」の強制、主任制強化、職員会議の補助機関化、不適格教員の排除、奉仕活動の義務化など、民主的な教育活動をくつがえそうとする動きが続いています。
 しかし昨年の「日の丸・君が代」強制の職務命令に反対する闘いには、千葉県下で、教職員、保護者、県民、生徒が、それぞれの立場で主体的に取り組み、大きな運動を展開することができました。また、侵略戦争を肯定し、憲法の理念をないがしろにした「つくる会」教科書に対して、多くの県民が反対の声をあげ、こうした県民世論が力になってこの教科書の採択を阻止することができました。
 市民の良心と私たちの取り組みによって、政府が失った国際的な信頼を取り戻すことができたのです。このことに確信をもちたいと思います。
 今集会を出発点に、今後一層多くの人々と手を携えて、憲法と教育基本法の改悪を許さず、守り活かす運動を広範に展開していきます。
 教え子をふたたび戦場に送らないために。


部落史から取り残された諸賤民について G
          
                 
弾左衛門の不思議(その1)
  
                           
大阪部落史研究グループ


 今回は、いまだに謎が多いとされている弾左衛門について考えてみたいと思います。今回は、『弾左衛門の謎』(著者:塩見鮮一郎 三一書房)を参考文献にさせていただいた。この文献は、大阪近辺の地名が色々出てきて興味深くあっという間に読み終えてしまった。説明の不十分な点はぜひご一読ください。
 弾左衛門は、江戸の被差別民を統括し底辺を支え、十三代とぎれる事なく続いた。私たちが今住んでいる時代は、経済成長率何%というように成長率で私たちの生活実態を計っているところがあるが、江戸時代というのは、徳川家康が何を考え何をやってきたかが全てで、いうなれば過去の政(まつりごと)が全てで停滞の時代といっても過言ではありません。
 弾左衛門には、由緒書がいくつか残っている。その由緒書第一項には、『私先祖摂津国池田より相州鎌倉へ罷下相勤候処、長吏以下の者依為強勢、私の先祖に支配被為仰付候』(「私」弾左衛門の先祖は、今の大阪府池田市から神奈川県にきて、鎌倉幕府に動めた。鎌倉では、長吏以下の者の勢力が強かったので私先祖に彼らを支配する権限が与えられた)と書いている。ここから読めるのは、弾左衛門が池田から鎌倉幕府に呼ばれ、長吏以下の被差別民を支配する権限が与えられたということです。しかし、これをわざわざ由緒書の最初の項に書いている理由は、江戸幕府に私の仕事は先祖代々統いている事を強調したいためです。ここで疑問に思うのが何の為に弾左衛門を鎌倉に呼んだのかということです。もちろん彼らの仕事だということは容易に推察できる。
 彼らの仕事は、左記の由緒書の後半にいくつか書いてある。『時之御太鼓、御陣太鼓并御陣御用皮細工入用は頂戴仕、』とある。ここにある『時のお太鼓』とは、江戸城の太鼓のことで太鼓生産を行っていた。そして、生活の糧としてはこちらの方が多い『御陣御用皮細工(ごじんごようかわざいく)』、武具全般の皮製品を扱っていたのです。もちろん、先祖代々続いている技術も優れていたと思われる。もう一つ、重要な仕事が、『御仕置もの一件之御役目相勤申侯』と由緒書に書かれています。罪人の処罰をする仕事です。つまり、江戸の弾左衛門の主な仕事は、「皮細工」と「御仕置」が二本柱だった。彼は、これらの仕事を先祖代々受け継いできたことを強調したいようです。(つづく)


図書紹介

 池田五律
「海外派兵!…自衛隊の変貌と危険なゆくえ」

                         
創史社 1600円 


 本書は二〇〇一年十一月の、対テロ戦争を名目にした「自衛隊のはじめての正真証明の戦時下における軍事作戦参加」という歴史的事態のなかで、この自衛隊の海外での活動のために変貌してきた実態を、事実に基づいて、具体的に分析している。
 数ある軍事解説書とは異なり、その分析の視点の中心に平和・人権の視点がしっかり据えられ、そこから著者は「自衛隊では安全は守られない、それどころかより危険な道に進んでいく」との結論を導き出し、「自衛隊の解体」を主張している。
 有事法制が国会で具体化されようとしている今日、市民運動や労働運動に携わる活動者が、自衛隊を考えるうえでわかりやすい好著である。


複眼単眼

「平和」を掲げて戦争翼賛に利用される冬季五輪

 米国ユタ州のソルトレークシティーで始まった冬季五輪は、米国の「愛国五輪」「米国的すぎる」と言われるほどその政治的利用が露骨に行われている。
 もともとこのソルトレーク五輪は国際オリンピック委員会(IOC)の委員に金品を贈って開催権をとったという買収のスキャンダルにまみれたものだった。
 オリンピックと言えば「平和の祭典」というのが「常識」だ。だから一九三六年のベルリン五輪はナチスの宣伝の場として国際社会から批判され、四〇年に予定された東京五輪は日中戦争の当事国としての日本に批判が集まり、開催権を返上、幻の五輪となった。八〇年のモスクワ五輪はソ連のアフガニスタン侵攻を理由にアメリカの呼びかけで六六ヵ国がボイコットした。
 ところが今回の五輪は「反テロ戦争」の当事国アメリカで、「あらたな戦争の一年」の最中に開かれるのだ。軍隊で警備され、航空機の離着陸が禁止され、人びとは徹底した身体検査をされ、戦闘ヘリが上空を防衛するという事実上の戒厳令下の開会式。皮肉なジャーナリストは「いま世界でもっとも安全な街だ」と表現した。
 そこではIOCの反対を押し切って「9・11」の貿易センタービル崩壊現場で見つかったという星条旗を持った消防士や警官、選手らが開会式の冒頭に行進した。
 冬季五輪四回目のアメリカで初めて大統領が開会宣言をした。戦争遂行の最高責任者による開会宣言だった。それだけでなく「憲章」に文言も決められている定型のメッセージの発信というきまりを破って、勝手に宣言文の前に「誇り高く、優雅なこの国を代表して」などと米国礼賛をつけ加えた。この傍若無人のわがままぶりにはあきれはてる。彼は前日のレセプションで「五輪はテロとの困難な闘いの最中に国際平和と協力を祝う機会となる」「自由の思想によって人びとは平和に共存することが可能になる」などと述べた。
 筆者は、オリンピックは国家ではなく「都市」が開催するものであり、政治的に中立だなどということは信じない。「スポーツの政治的中立性」もなんとも疑わしいかぎりだ。善し悪しは別にしてこれらには常に国家が介入し、政治的に使われ、戦争にすら利用されてきた。それをことさらに「中立」のベールで覆い隠すのはなんともうさんクサイ話だ。
 この期間、日本でもテレビや新聞の報道を通じて、大規模に国家が民衆をからめとる。「日の丸」が振られ、「君が代」がうたわれ、「ニッポン」が連呼される。「獲得したメダルが何個だ」と騒がれる。「参加することにこそ意義がある」などという美しい言葉はナショナリズムの前に退散させられてしまう。
 アメリカでも同様だ。だが、このアメリカ・ナショナリズムの高揚のなかで、イスラムが敵視され、「悪の枢軸」の国々への戦争が正当化され、煽られることを、アラブや朝鮮の人びとはどう思うだろうか。ブッシュらは冬季五輪にこれらのイスラム諸国からの参加が少ないのをいいことに、冬季五輪を「愛国と戦争」の宣伝の場に変えた。ブッシュに「悪の枢軸」と名指しされたイランの代表団の入場行進は米国の観客に冷たく迎えられたと報道された。(T)