人民新報 ・ 第105号<統合147> (2002年3月25日)
  
                                目次

● 戦争準備の有事(戦時)法制に異議  市民・労働者ら二五〇〇人がデモ

● 第3回有事法制を考える市民と超党派議員の集い

● 2002年ピースサイクル運動スタート

● 尼崎に新たな憲法運動の市民組織誕生  市民発/九条を世界へ尼崎市民の会

● 5・3憲法集会 準備進む

● 『めしと魂と相互扶助』 樋口篤三さんの出版記念シンポ

● ふたたび焦点化する朝鮮半島情勢とわれわれの課題 / 工藤 敬

● 資料 / 全日本海員組合 ・ 有事法制制定に反対する理由

● 3・8国際女性デー  おんなたちの祭り

● 部落史から取り残された諸賤民について I
                       弾左衛門の不思議(そのB) 勝扇子(かちおうぎ)事件

● せんりゅう

● 複眼単眼 / 侵略を拒否するイスラエルの若者たちへの共感



戦争準備の有事(戦時)法制に異議  市民・労働者ら二五〇〇人がデモ

 「有事法制」の国会提出の時期が迫っている。現在、その日は四月十日前後とも言われている。
 三月十四日午後六時半から東京・日比谷野外音楽堂で約二五〇〇人の市民・労働者が結集した「異議あり!有事法制 憲法に基づく平和政策を求める三・十四全国集会」が開かれ、終了後、銀座方面に向けてパレードが行われた。
 この集会を主催したのは「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」「フォーラム平和・人権・環境」「原子力資料情報室」の三団体による実行委員会で、自治労・教組など全国各地からの代表をはじめ、さまざまな分野の市民運動の人びとや労働組合員が参加した。
 集会に先立って「ウリパラム」の人びとによるチャンゴの演奏「平和のビートで世界を変えよう!」が元気な舞台を作った。
 集会の司会は「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の土井登美江さん。土井さんは開会挨拶で「『有事法制に異議あり』を掲げて、初めて開かれる市民と労働者の大集会を成功させ、今後の出発点にしよう」と訴えた。
 主催者挨拶は「フォーラム平和・人権・環境」の江橋崇代表。「いよいよ有事法制が国会に出されようとしている。本集会は、昨年の米軍によるアフガニスタン空爆以来、つづけてきた市民の共同行動が、小泉政権の有事法制に異議ありを掲げて動きだす集会だ。今後、さらに発展させよう」と発言した。
 各界からの挨拶で、民主党の横路孝弘・前副党首、社民党の土井たか子党首が連帯挨拶し、出席した民主党・社民党の衆参国会議員が壇上で紹介された。
 民主党の横路孝弘氏は「小泉首相は『備えあれば憂いなし』などといって、有事法制を進めようとしているが、どこが日本に攻めてくるというのか。いま必要なことは、そのような備えなどではなくて、人びとの生活の問題に緊急に取り組むことだ。有事法制の危険な本質を暴露して闘っていく」と述べた。
 社民党の土井たか子氏は「小泉首相は『有事に備える』といいながら、その実、国家総動員体制を作ろうとしている。日本は武装で対応するのではなく、戦時を招かないように平和的な外交、平和的な国際貢献によって努力することこそ真に有効な備えではないか。いま国会に出されようとしている有事法制は、平和憲法を根底から覆すもので、許してはならない」と指摘した。
 市民団体、NGO、労働団体からの挨拶では、「原子力資料情報室」の伴英幸さん、「ATACC Japan」の秋本陽子さん、「ピースボート」の中原大二さん、「全港湾労働組合」の伊藤彰信さん、「日本消費者連盟」の富山洋子さんが発言した。
 富山洋子さんは「私たちはテロにも報復戦争にも反対という立場で、暴力に反対して闘ってきた。戦争は最大の国家の暴力行為だ。有事法制はその戦争を進める体制づくりであり、私たちは全力をあげて阻止するために奮闘したい」と決意を述べた。
 採択された集会アピールは、要旨、以下のように指摘した。
 有事法制が国会に上程されようとしている。法案の詳細はまだ明らかではないが、小泉首相は昨年来、米国の戦争を支持して「テロ対策特措法」を成立させ、自衛隊をインド洋に派遣した。この首相の姿勢をみれば、有事法制は国際紛争を武力で解決する道、緊急事態を名目に市民の権利を大きく制限する道を歩むのはあきらかだ。ともに憲法に基づく平和政策を実現するため行動しよう。
 パレードでは「人権無視の『有事法制』に反対するぞ」「自治体や民間に戦争加担をさせるな」「アメリカは戦争政策をやめろ」「テロも報復戦争も許さないぞ」「私たちは戦争に協力しないぞ」「政府は憲法を守れ」などのスローガンを叫んで人びとに訴えた。


第3回有事法制を考える市民と超党派議員の集い

 三月十八日午後、参議院議員会館で「有事法制を考える市民と超党派議員の勉強会」が開かれ、約百五〇人の市民と国会議員が出席した。国会議員は社民党の福島瑞穂参議院議員、共産党の小泉親司参議院議員、民主党の今野東衆議院議員、無所属の川田悦子衆議院議員ら十名ほど。
 講演は「日本国憲法と緊急事態法制」と題して水島朝穂・早稲田大学教授、報告として全日本海員組合の平山誠一中央執行委員が行った。
 この学習集会は一月二五日に開かれた「有事法制を考える院内集会」、二月二五日の星陵会館での集会につづくもの。社民党、共産党、民主党、無所属などの国会議員と市民の、「有事法制」反対の連携を作り、発展させようとの努力は、参加している民主党の議員はあまり多くはないが、有事法制に反対する重要な試みのひとつと言うことができる。
 水島氏は講演で「いま、なぜ、有事思考が跋扈(ばっこ)するのか」と設問し、「九月十一日はパンドラの箱を開けた。ひとつは国際法の枠組みを崩した。米国のブッシュ大統領の周辺からは核兵器を使用するという発言が出ている。国内的には、小泉首相の『憲法には隙間がある』という発想によって憲法の抑制が外されつつある。そして冷戦の終えんで失業寸前にあった軍隊、公安機関、それをささえる企業などが一斉にこの時期によみがえってきた。このようなタガの外れた国際社会の中で、日本の小泉政権はアメリカの外圧に従う形をとりながら、主体的に軍事カードを切る国になろうとしている。小泉政権はアメリカの一国主義突出に悪乗りしている。有事法制の動きはこの中に位置づける必要がある」と指摘した。
 また「小泉首相は憲法九九条によって憲法尊重・擁護義務があるにもかかわらず、『常識で行こう』『備えあれば憂いなし』『国民的常識から見れば、自衛隊は誰がみても戦力だ』『最高裁は自衛隊は違憲ではないとの判決をだしている』『本音で議論しよう、憲法そのものが国際常識にあわないところがある』などといって露骨に憲法九条を軽視する姿勢をしめしている」と指摘した。
 そして「そもそも有事法制を必要とする立法事実、客観的事情がいま本当にあるのか」と設問し、「テロも不審船も有事法制を必要とする理由にはならないばかりか、有事法制の発想はアジア諸国と諸国民を仮想敵としているのだ。このような考え方は日本の侵略の歴史を無視し、軽視する無反省な態度から生じてくるものだ」と指摘した。そして「緊急事態」が仮想敵国を前提とするために、その仮想敵国とされた当該国民への悪感情があおられることの危険を指摘し、「拉致」事件がこのタイミングで取り沙汰されることにもうさんくささを感じざるをえないと述べた。
 平山さんは内航海運は国内貨物輸送の四一%をしめていることを指摘したうえで、その海運に従事する者三万数千人で組織する全日本海員組合が、「連合」に所属しつつも有事法制に反対する理由を述べた。
 「船員はかつての戦争でも大きな犠牲を強いられた。有事法制はかつての国家総動員法に基づく船員徴用令を想起させるもので容認できないこと」「基本的人権や私権の制限を含む関係法案、政省令の親切や改定など、戦時国家統制と国民動員を合法化する諸法規を包括法案として短期に成立させようとすることは、民主主義の否定という点からも認められない」と述べ、かつて内閣法制局長官が「有事の際の民間人徴用や物資の徴発は、公共の福祉との関連で、憲法上明白に禁止された徴兵制度と区別されてよい」と言ったことを引用しながら、いま「有事に従事命令が船員にたいして出される法案」が提出されようとしていることに対して、海の平和を心から願う船員として全力で闘っていく、と発言した。


2002年ピースサイクル運動スタート

 三月二〜三日、二〇〇二年ピースサイクル全国ネットワークスタート集会が埼玉県で開かれた。
 一日目は、午後、熊谷駅に集合し、丸木美術館、埼玉県平和資料館、吉見百穴の順路でフィールドワークが行われた。丸木夫妻の遺志を継いで丸木美術館(針生一郎館長)は運営されている。現在は常設展の「原爆の図」連作、「南京大虐殺の図」、「アウシュビッツの図」、「水俣の図」、「沖縄戦の図」の他、「Oh NO!報復戦争」詩画展などが催されていた。見学時間が短いこともあってか、集合時間になっても館からなかなか出てこない人もいた。
 この後、平和資料館に移動。そこで夜に講演していただく石垣敏夫さん(埼玉県平和資料館を考える会事務局長)と石田貞さん(埼玉県朝鮮人強制連行真相調査団長)と待ち合わせ、館の案内人に同行して館内を見学した。平和資料館の見方は立場の違いで変わるもので、戦争の悲惨さや当時の生活の苦労などは残された資料を見ればおおよそ想像できる。
 石田さんは展示物より一〇分のビデオを見ることをみんなにすすめた。それは朴粉伊さんの証言を記録したものであった。戦争が始まれば徴兵されてしまうので、鉱山にはいれば戦争にいかなくてもすむと思い、夫とともに日窒鉱山(秩父)にはいった。その時から一九九五年の証言(調査当時八十二歳)までの日本での辛苦の生活が語られている。
 石垣さんは年表を作成し、館に掲示させる要求を受け入れさせたことを話した。今では学校の先生たちがこの年表の写しを貰っていくようにもなっているそうだ。
 吉見百穴のあるこの辺りの地形は丘陵地帯となっている。山となっている中段には二百十九個の古墳時代後期の横穴墓群が在る。その地表より横穴が掘られている。入坑しながら石田さんは当時東京周辺の空襲が激しくなるのにともない、大宮工場にあった軍事施設の中島飛行機工場をここに移設させるため、朝鮮人労働者を使い一九四五年一月から掘り始められたと話した。近年になって高校生のクラブ活動で軍需工場跡であることが明らかにされてきた。松代の大本営跡と並び比較的良く保存されているのが吉見百穴であると説明された。
 宿泊所で夕食の後、二人の方にフィールドワークの続きの話と交流をして一日目を終えた。
 翌日、今年から事務局が東京から関西に移って、二〇〇二年全国ネット方針方針案が提起され決定された。

一、私たちを取り巻く情勢

@9・ 以降の世界の動き…アメリカで起きた同じ多発テロ事件は世界に大きな衝撃を与えたました。無差別に多大な被害と犠牲者を生み出した「テロ」が許されるものではありません。十月七日には、米英によるアフガニスタンへの空爆が開始され、罪もない市民が犠牲になっている。アメリカはイラン、イラク、北朝鮮などを名指しして戦争の拡大を公言している。二一世紀の世界を平和と共生の世界につくりかえるためには、あらゆる覇権主義と侵略に反対し、平和的解決をめざす以外にありません。テロも戦争も反対!暴力の連鎖を断ち切ろうを合言葉に二〇〇二ピースサイクルを展開しよう。
A危険な国内の動き…
 小泉内閣は、いち早くアメリカの報復戦争支持を打ち出し、後方支援としてインド洋への参戦を行いました。さらに、日本海での「不審船」との銃撃戦を梃子に「有事法制」の成立へと急速に進んでいます。教育現場での「日の丸」「君が代」の強化や昨年八月に強行された小泉首相の靖国神社への公式参拝も戦争を遂行するのに必要なナショナリズムの強化に他なりません。小泉内閣の「戦争体制」づくりが着々と進められており、憲法改正にむけて国民投票法案が出されようとしている今日、憲法の改悪反対の闘いが大きな山場を迎えています。

二、全国共通課題

@テロも戦争も反対!の世論喚起=暴力の連鎖を断ち切ろう(戦争やテロでは何も解決しない)/憲法九条を世界に(非武装、非暴力の世界連帯)
A小泉内閣の有事法制反対!・アメリカの戦争協力に反対しよう/しない・させない戦争協力/戦後補償の実現を/「日の丸」「君が代」の強制反対/基地のない世界を
B原発のない社会を!・行き詰まるプルサーマル計画/増大する使用済み核燃料/老朽化する原発と廃炉問題
C自然との共生・止めよう自然破壊/リサイクル運動の推進
Dすべての人々の人権を確立しよう
E反戦・反核、反原発、人権、環境など平和の思いをペダルにメッセージに!・自分が出来る範囲で出来ることを呼びかける/区間参加や一日参加の追求/平和への思いを形に(ピースカード)、檄布、ハンカチ、寄せ書きなど。
 この他全国ルートと日程やピースメッセージの全国目標を一〇〇〇通、自治体訪問目標を二〇〇箇所に取り決めた。
 また二〇〇二ピースサイクル全国ルートマップのスローガンを「ふれあいと感動の旅―人と地域を結んで自転車が走るー子どもたちに戦争と核のない未来を」と決めた。 (埼玉通信員)


大型揚陸艦「しもきた」配備、有事法制反対 幅広い共同で3・10 ヒロシマ集会

 三月十目、広島県呉市阿賀公民館で、「大型揚陸艦『しもきた』配備、有事法制・憲法改悪反対! 3・10ヒロシマ集会」が開かれ、原水爆禁止広島県協議会や社会民主党広島県連合や新社会党広島県本部やピースリンク広島・呉・岩国など二十二団体から五〇〇人が参加した。
 あいさつに立った金子哲夫衆議院議員(社民党)は、「与党は人数が多いので、有事法制の制定につながる法案の提出をさせない世論づくりが必要だ」と述べた。
 つづいて藤井治夫さん(軍事問題評論家)が「STOP!戦争への道 許すな有事法制」と題して講演を行った。
 講演では、海上自衛隊は、海外派兵反対の抗議の中で五六年ぶり戦争に参加した。アメリカの対日戦略は日本に対するアメとムチだ。戦争を知らない世代とともに平和の実例を育てることが重要だ、と話した。
 坪井直さん(広島県被団協事務局長)は、二月の訪米特別報告を行い、「アメリカでアフガニスタンヘの軍事攻撃への反対と『報復』戦争では何も解決しないと訴えた」と報告した。
 最後に集会参加者全員で採択したアピールはつぎのようによびかけている。
 三月末には、強襲上陸用船LCACを搭載した「おおすみ」の二番艦「しもきた」、さらに潜水艦「いそしお」、護衛艦「あけぼの」、多用途支援艦「ひうち」の四隻を配備しようとしています。『軍都・廣島』へと逆戻りしつつあり、核も戦争もない平和な二十一世紀にとの願いも踏みにじられ、看過できない事態へと進んでいます。有事法制定は、包括法・個別法の如何を問わず、市民の生活と権利、地方自治を制限するだけでなく、戦争を誘発しかねない法律です。私たちは、有事法制定・憲法改悪を許さない闘いに全力をあげる決意を表明し、様々な団体・市民が、平和を守るために行動することを呼びかけます。 (広島通信員)


尼崎に新たな憲法運動の市民組織誕生

      
市民発/九条を世界へ尼崎市民の会

 三月十日、尼崎市労働福祉会館で、七五名の賛同人と一般の参加者で「市民発/九条を世界へ尼崎市民の会」が発足集会を行い、事務局長の経過報告と今後の活動の提起を承認し、共同代表三名を決定して出発しました。
 総会の一部では、代表世話人の挨拶と、@ネパールの子どもたちに絵本を贈る「アジア絵本の会」と、A国労闘争団からの活動報告が行われました。
 二部では、@神戸大学教授の浦部法穂さんから「二十一世紀をふたたび戦争の世紀にしないために」と題する記念講演が行われ、A国会報告を衆議院議員の北川れん子さんが行い、B諸集会などのアピールがあり、C「市民の会」の結成宣言を採択して終了しました。
 尼崎では毎年、朝日新聞の小尻記者追悼の集会を「表現の自由」を柱にして行われてきましたが、これにいくつかの組織と個人が加わり、実行委員会形式で「五・三憲法集会」が行われてきました。それが、昨年の憲法調査会の神戸公聴会への抗議活動など、情勢のあわただしい動きのなかで、「幅広い、恒常的な」組織の必要性が痛感されて来たのでした。
 尼崎では、今月も「ペシャワール会」の中村哲医師の「アフガニスタンからの報告」を聞く会や、小田実さんの「今こそ良心的軍事費拒否国家をめざそう」の講演会、「人らしく生きよう 国労冬物語」の上映会、「731部隊展」と、数多くの集会を市民組織が計画しています。各組織はこれら全ての集会を成功させようと、協力が進んでいます。
 この秋には尼崎市長選挙があります。この会もこれらの動きに積極的に参加することを確認しました。
なお、浦部法穂さんの講演要旨は以下の通りです。
 @はじめに・二〇〇一・九・十一以後の世界と日本。二十一世紀はふたたび戦争の世紀になるのか。A国家と法、「国」とは何か、「憲法」とは何過、私たちの契約の根本にあるもの、B日本国憲法の平和主義と安全保障観の国際水準、「個人の尊重」原理の徹底としての平和主義、日本国憲法の平和観、「反平和主義」の現実、C真の「人間の安全保障」へむけて。(尼崎通信員)


『めしと魂と相互扶助』

      樋口篤三さんの出版記念シンポ


 三月十七日、東京・後楽園会館で、樋口篤三さんの『めしと魂と相互扶助』出版記念シンポウジウム・祝う会がひらかれた。樋口さんは昨年、ガンの大手術をしたが大変元気そうだ。この会は、矢沢賢・都労連委員長、中西五洲・三重県高齢者生協理事長、長谷川武久・全日建運輸連帯労働組合委員長などをよびかけ人とするるもの。 
 第一部は「めしと魂と相互扶助―高野実、清水慎三と今日の課題」と題して、樋口さん、渡辺治一橋大教授、龍井葉二・連合総合労働局長が発言した。樋口さんは、革命のモラルと下からの対抗戦略を強調し、、「機能前衛」の役割をはたす横断左翼・イニシアチブグループをつくり出そうと述べた。
 第二部は出版を祝うパーティーで、樋口さんの持論の「横断左翼論」を地でいく幅広い層の人びとから激励と祝辞が続いた。


5・3憲法集会 準備進む

 今年もさまざまな市民団体や宗教団体、労働団体を含む広範な超党派の人びとを結集して開かれる「生かそう憲法、高くかかげよう第九条、許すな有事法制、二〇〇二年五・三憲法集会」の準備がすすんでいる。今年は有事法制をめぐる情勢が緊迫していることから、集会名称にもそれが取り入れられた。
三月十二日には都内で第二回実行委員会がひらかれ、市民団体や、労働組合など四〇団体の代表が出席し、第一回実行委員会で選出した事務局(許すな!憲法改悪・市民連絡会、憲法会議、憲法を愛する女性ネット、憲法を生かす会など八団体)からの提案にそって熱心に方針を検討した。
当日は午後一時から日比谷公会堂で集会を開き、その後、銀座パレードにでる。
スピーチは小田実(作家)、暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)、志位和夫(共産党委員長)、土井たか子(社民党党首)の四氏で、ほかに文化行事や各界からの挨拶、非武装憲法を持つ中米コスタリカからの連帯挨拶などを行う予定。参加費は無料。当日は手話通訳を用意する。


ふたたび焦点化する朝鮮半島情勢とわれわれの課題

                            
工 藤 敬


 二月十七日からの訪日を皮切りに、ブッシュの東アジア歴訪が行われた。アフガン空爆を続行し、フィリピンなどへの軍事介入の拡大、さらには朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン、イラクを「悪の枢軸」として緊張を煽りたててのアジア歴訪であった。
 このブッシュの東アジア歴訪に対して、日韓の民衆は連携して抗議行動を繰り広げた。それは、アフガン戦争反対とともに米国の戦争拡大政策、とりわけ朝鮮半島における新たな緊張激化と戦争策動に反対する強い意志を示すものであった。
 ブッシュの「北朝鮮=悪の枢軸」発言等により、再び焦点化している朝鮮半島情勢と当面する課題を明らかにしておこう。

(1)「北朝鮮=悪の枢軸」論――問われる米国の約束不履行


 ブッシュの「北朝鮮=悪の枢軸」発言の主な論拠は、「大量破壊兵器開発疑惑国」という点にある。だが、米朝交渉の経過を知る者にはほとんど論外というしかない。この点を振り返ってみよう。
 まず<核問題>をめぐっては、九四年のジュネーブ包括合意で、核問題解決と米朝間の関係正常化の方向が確認され、それを基礎に朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を立ちあげ、北朝鮮原発の黒鉛減速炉から軽水炉への転換支援プロセスが進行してきた。
 <ミサイル問題>についても、当時の米国側実務担当者であったロバート・アイホーン前国務次官補の証言によれば、年間三〜四回の人工衛星の代行打ち上げ、ミサイル輸出中止の見返りとして年間三〇〜四〇万トンの穀物支援――という線で合意寸前だったとされている。そして、二〇〇〇年秋には趙明禄―オルブライトのワシントン―ピョンヤン相互訪問が実現、関係正常化と米国大統領の訪朝まで明記した米朝共同コミュニケが発表されている。つまり、米朝は関係正常化寸前まで行っていたのである。
 ところが、米大統領選でブッシュ政権が成立。「ならず者国家」発言や、駐韓米軍はそのままに北朝鮮の通常戦力の削減要求まで一方的に持ち出し、交渉を暗礁に乗り上げさせ、そしてついには「悪の枢軸」発言まで飛び出すに至ったのである。
 実は核・ミサイル問題をめぐって、来年二〇〇三年が米朝間のターニング・ポイントになっている。それは、北朝鮮への軽水炉の供与期限となっている年であり、また北朝鮮が交渉中のミサイル発射実験凍結を宣言した期限も二〇〇三年となっている。
 この間、この問題をめぐって約束不履行を繰り返してきたのは明らかに米国側である。たとえば軽水炉の建設も二〇〇三年どころか、大幅に遅延しており、合意されていたその間の重油提供についても、絶えず滞ってきた。つまり、「北朝鮮=悪の枢軸」などというブッシュ発言は、約束の期限を前に、約束を果たせない者の<居直り>に等しいのだが、いずれにせよ、二〇〇三年に向かってどのように優位なポジションを確保するかが米国の当面の最大の関心事となっている。
 ところで、九九年秋に米国の北朝鮮政策見直しのための「ペリー報告」が発表されている。その核心は、もし朝鮮半島で戦争発動をすれば米軍数万、南北の軍および民間人にいたっては数十万人の被害をもたらさざるを得ないというシュミレーションに基づいて、米国が好む北朝鮮の体制ではなく、「あるがままの北朝鮮政府と交渉せざるを得ない」ことを打ち出した点にある。つまり、ここでクリントン政権は、伝統的な<北朝鮮政権打倒戦略>からの転換を図ったのである。もちろんそこには、南北分断=共存のもとで南北の同時管理という狙いが込められていた。
 二〇〇〇年六月の南北首脳会談で、民族自主、和解・統一が確認されたことは、このクリントンの意図を牽制する大きな意味をもっていた。朝鮮半島問題をめぐる構図も、<クリントン的南北分断管理 民族自主・和解・統一>へと転換しようとしていたのである。
 問題は、ブッシュはこの「ペリー報告」の線をあえて越えてまで戦争的手段で問題を解決しようとするのか、結局は、葛藤のすえ、かつてのクリントンがそうであった様に、<抑止と対話>のうち対話を主とするという線に戻ってこざるを得ないのか―ということだ。

(2)有事法制と憲法9条改悪攻撃(日本の「戦争のできる国」の完成へ)

 周知のように九四年をピークとしたいわゆる「北朝鮮核疑惑」問題の時、クリントン政権は戦争発動寸前まで行ったが、カーター訪朝によりジュネーブ合意へと急展開した。その米国側の最大の理由は、先の「ペリー報告」が指摘している点であった。
 その当時と比較して、今、どのような新たなファクターがあるのか。
 @「核疑惑」問題の時期には、日本の「戦争のできる国家」体制が不備であったこと。当時、在日米軍は日本政府に一九〇〇項目にも及ぶ対米支援リストを提出したが、それに対応できず、当時の羽田連立政権は「有事時限立法」で乗りきろうとした。しかし、この間、米軍支援リストは日米新ガイドライン、周辺事態法など関連法の成立で織り込まれ、テロ対策特別措置法など対テロ三法の成立、そして今国会に提出されようとしている有事法制が成立すればまさに「戦争のできる国家」体制は完成段階に入る。二〇〇〇年秋のいわゆる「アーミテージ(現米国務副長官)・リポート」が、日本の「集団的自衛権への踏み込み」、「米英同盟並みへの日米同盟の再編」を要求した線とも合致している。憲法9条を最大のターゲットとした明文憲法の動きも強まっている。
 この日本の動向が、朝鮮半島での新たな戦争の危険性にとって大きな意味を持つことは明らかである。この点は、日本民衆に大きな責任がある問題であることはいうまでもない。
 Aしかし、反面で朝鮮半島の南・韓国で南北和解の雰囲気が拡散し、さらにかつては「タブー」同然だった駐韓米軍の存在自体を問題視し、米軍基地返還を求める声が世論化してきた。なにより戦争が起これば、自らも膨大な被害を受けざるを得ない韓国の人々が、朝鮮半島における戦争に反対し、その元凶である米軍の存在自体を問うていることが、戦争を食い止める新たな大きな要素となっている。
 もう一つ加えるならば、中ロもこの地で戦争が起こることには強い反対があるといえる。もし、結果として朝鮮北部にまで米軍が進駐することになれば、中ロとも米軍と直接対峙する状況に直面する。これらは、中ロにとっても大きな戦略的問題にほかならない。

(3)日本政府の対韓国、対北朝鮮政策

 日本の対外政策、とりわけ対朝鮮半島政策について、よく「対米追随であり、自主外交がない」といわれることがある。その面が強いことは確かだが、そうとばかりはいえない。
 前述のようにクリントン政権末期に米朝は関係正常化寸前までいっていたが、これにさまざまな抵抗を繰り返してきたのが日本政府であった。「拉致疑惑」「不審船」問題などを次々と押し出し、仮に米朝が改善されても「日本には固有の課題がある」というわけだ。
 日本政府の対韓国、対北朝鮮政策は、明確に過去問題の居直りと南北分断政策に基づいている。そして、北朝鮮には徹底して敵視政策を取りつづけ、韓国に対しては経済統合の加速と、そのための過去清算問題を隠蔽した「未来志向関係」づくりを意図している。
 まず、日本政府の相も変らぬ北朝鮮敵視政策は、@日本の「戦争国家」化のための口実づくりという面と共に( 年能登沖の「不審船」事件を周辺事態法等の成立に利用し、昨年末の「不審船」事件も有事法制成立に利用しようとしている)、A関係正常化すれば避けて通れない過去清算問題を回避しようとするところに狙いがある(日朝国交交渉の停滞の核心はここにある)。
 他方、韓国との間では日韓投資協定を締結、新たに自由貿易協定締結交渉も開始しようとしている。新自由主義・グローバリゼーションに沿いながら、日韓、そしてさらにASEAN・中国を含む東アジアの経済統合の加速化が現実のものとなりつつある。「戦争のできる国」づくりに対応したナショナリズムを鼓吹する一方で、日韓・東アジアの経済統合に対応する「ソフト」化された演出もおこなっている。サッカー日韓共催W杯をそのために最大限利用しようとしており、昨年末の天皇の「韓国とのゆかり」談話もそうした脈絡の中で出てきたものだ。天皇訪韓は見送られたが、ソウルのW杯開会式への高円宮出席が検討されている。侵略・植民地支配の責任を取らない欺瞞的な対韓皇室外交のスタートだ。
 これらの点を暴露し、ブッシュの戦争拡大政策と有事法制・日米軍事協力の強化、憲法改悪に反対し、朝鮮半島における新たな戦争の危険性についても十分に警戒しながら、韓国民衆と連帯して反戦平和運動をさらに大きくしていく必要がある。また、日韓投資協定国会批准阻止の闘いをはじめ、韓国や世界民衆の闘いに連なった新自由主義・グローバリゼーション反対の闘いを強化していくことが求められている。


資 料

  
全日本海員組合   有事法制制定に反対する理由


 一、私たちは、連合が掲げる安全保障に関する政治方針(九三年大会確認)をしっかりと支持するものでありますが、有事法制整備は船員にとってはかつての国家総動員法にもとづく「船員徴用令」を想起させるものであり、断じて容認できません。新聞報道等によれば、その名称を「武力攻撃事態への対処に関する法制(仮称)」とし、基本的人権や私権の制限を含む数十を超えるといわれる関係法案・政省令の新設や改定など、戦前の国家総動員体制に準じた戦時国家統制と国民動員を合法化する諸法規を包括法案として、一気に国会成立を狙うものと思われます。わが国の将来にとって重大な岐路となる法案を、短期に成立させようとする政府の対応は、国民主権の原則を踏みにじり民主主義を否定する点からも認めるわけにはいきません。

 二、私たちは、日米新防衛協力指針にもとづく周辺事態法制定の際には先の大戦中はいうに及ばず、戦後も多くの武力紛争に巻き込まれるという自らの過酷で悲惨な戦争体験にもとづき、米軍に対する後方(地域)支援活動、例えば民問船舶による物資輸送活動は紛れもない軍事作戦行動であり攻撃の対象となることから職場の安全と命を第一とする観点に立って断固反対し、その廃止を強く訴えてきました。また、周辺事態法は建前として「民間協力」(法第九条)の立場をとっておりますが、「協力から強制」へ、罰則を適用するなどの強制措置を伴う本格的な戦争動員法(有事法制)制定の動きに対し、早くから警告を発してきました。有事法制が周辺事態法の全面的な強化・補完法として機能することにより、やがてわが国領土も武力衝突に巻き込まれることを強く懸念しています。私たち船員を職業とする労働者集団にとって、防衛出動下令のもとで「従事命令」が発動され強制的に軍事物資や兵員の輸送に動員される事態ともなれば、民問人が船員労働を職業として選択する基盤そのものが崩壊することを意味し、労働組合活動も厳しい制約下に置かれると受け止めています。また、民問船舶の航行や海運活動、港湾施設の戦時統制などを可能とする法制度も準備していると報道されていますが、国民生活を根底で支える海運産業は海が平和であってこそ成り立つことを実体験により肌身で理解しているものです。

 三、私たちは、一昨年の八月十五日、先の大戦で沈められた二五三四隻(八九〇万総トン)の民問船舶と六二〇〇〇人余の戦没船員の鎮魂と、自らの「海員不戦の誓い」の証として神戸市にある関西地方支部会館に「戦没した船と海員の資料館」を創設しました。.その「献辞」は「海外諸国との友好と協調によって生きる海洋国日本にとって、平和な海は絶対の生存条件であり、われわれ船員は再ぴ海を戦場にしてはならないと決意する。これは二一世紀に日本の国民のいのちと暮らしを守る安全保障政策のかなめである」と述べ、海の平和は国民全体の利益と安全保障にとっても極めて重要であることを訴えております。今、わが国が行うべきことは、領土が他国の直接的軍事侵攻を受けて国家問の全面的な武力衝突という政府自身も否定する「ありえない事態」を前提に、基本的人権や私権の制限を含め、あらゆる分野で軍事優先の国家統制を可能とする法制度を準備することではなく、平和憲法を持つ国として「平和の理念」を掲げた徹底した多角的重層的な外交努力こそ安全保障政策の基本であると考えます。
                                       以上


3・8国際女性デー  おんなたちの祭り

 三月十日、東京ウィメンズプラザで「二〇〇二年三・八国際女性デーおんなたちの祭り――武器よりごはん 武器よりしごと 武器より歌を!」が開かれた。
おんなたちの祭り一〇周年とあって、二〇〇余名が祭りの一日を活動的で意欲的に楽しんだ。
 午前の部は十時から分科会を開催。テーマは、「女性のための暴力撃退プログラム」「FGM(女性性器切除)廃絶運動の成果」「グローバル化とアジアの女性」「もっと知ろうよ 自分のからだ」「アートシーンにおける女たち」「どうしている?ママ 友達のおつきあい――音羽の事件から……」など多彩だ。なかでも最も参加者の多かった「パート労働と女性の自立」の分科会では、労働者の三七%がパートで働き、賃金・労働条件・年金が均等待遇で、自立して人らしく生きることのできるオランダ社会の調査報告をもとにして議論が進んだ。オランダのような状況を日本で実現するためにはどうしたらいいのか? 日本の実態もふまえて、均等待遇を実現する道筋について考える討議が続いた。
 午後の全体会は、「スライドでつづる お祭りおんなの苦節一〇年」でオープン。一九九三年の第一回から一〇年、「継続は力なり」の熱い思いとその歩みを紹介し、「女が世界を変えなくちゃ」としめくくった。つづいて小野田桃子さんがつくった、おんなたちの祭りの歌「武器より歌を!」などを熱唱した。
 次に「グローバル化と女性への暴力」と題して松井やよりさんが講演した。

松井やよりさんの講演

 最近きたRAWA(アフガニスタン女性革命協会)からのメールでは、タリバンを作ったのは米国で、米国に支援された軍閥である北部同盟がタリバンに代わり背広に着替えただけなのがアフガンの状況だ。何の裁きもないところで和解は出来ないといっている。メディアの報道してるアフガニスタンの状況とは大きく食い違う。メディアが真実をつたえない今、真実をどのように知り、伝えるかが課題だ。
 テロは民主主義の死から生まれる。世界中でグローバル化に対する女性の反グローバル化の行動は進んでいる。米国は大量破壊兵器をもつ国を攻撃するというが、米国自身はどうなのか?米国はなぜ世界から批判されるのか?米国は二十世紀に二〇〇回以上海外出兵を行い、たくさんの民間人を殺戮してきたからだ。
 グローバル化は経済格差を拡大し、女性は不安定雇用や海外出稼ぎ、人身売買にさらされている。グローバル化はエビの養殖やプランテーションによる熱帯林破壊など環境破壊も生み出している。
 グローバル化と表裏をなすものとして、世界各地でのナショナリズムや原理主義の動きがある。原理主義はイスラムだけでなくキリスト教にもある。中絶拒否や学校を認めない動きなどで、ともに暴力と不寛容が特徴だ。日本の自由主義史観や石原都知事にみられる反女性的姿勢などの傾向もこれに通じる。小泉首相の靖国参拝や構造改革と有事立法もグローバル化に対応しようという動きだ。   
 女性たちは世界中で反戦の活動を続けている。一九九三年のユーゴ内戦のなかでさえ、少数ではあったが対立をしないで平和と対話のために行動した女性たちがいた。女性たちはテロも戦争もない二一世紀をめざす。……

 恒例のリレーメッセージは「中国残留婦人が国を提訴するということは」「DV法と福祉に翻弄されて」「有事立法に反対し人権・平和・主権在民の憲法を育てよう」「東京都女性財団廃止問題の現状と石原都政の女性政策」など訴えが続いた。
 また「愛の奇跡」という題の講談があり、全員参加のフラダンスや「みんなで踊ろう」で会場は盛り上がった。(Y)


部落史から取り残された諸賤民について I  

      
弾左衛門の不思議(そのB) 勝扇子(かちおうぎ)事件 

                          大阪部落史研究グループ 
 


 今回は、弾左衛門の仕事がよく表された『勝扇子(かちおうぎ)事件』を紹介します。私も『弾左衛門の謎」(著者・塩見鮮一郎)を読むまでこんな事件の事は知らなかった。
 この事件は、当時歌舞伎にも演じられたそうだ。簡単に説明すると、これは、江戸中期の歌舞伎界芸能興行権を巡る対立と抗争事件で、裁判沙汰にまで発展している。
 この事件は宝永五年(一七〇八年)に、第五代弾左衛門と歌舞伎・狂言役者がひょんなことから正面衝突した事件だ。この事件の仕掛人・京都四条からくり師小林新助が、この事件の詳細を「江戸公事日記」という形で残している。余談になるが、宝永四年(一七〇七年)この冬二つの大災害が日本をおそっている。東海地方から四国・九州にかけて、マグニチュード八・四の地震(宝永地震と名付けられている)が起こった。それから五〇日ほど後に富士山の大爆発が起こった。
 宝永五年一月十九日、熱心に誘われて小林新助は、京から江戸へ発った。しかし、富士山の噴火のことは一行も書かれていない。
 江戸に着いて、弾左衛門との事件が起こる。江戸四座など、幕府公認の小屋以外では、弾左衛門に話を通して、規定の「櫓銭」を支払うのが決まりだった。
 しかし、人形浄瑠璃の芝居が、エタ身分の許可なく行われた。弾左衛門役所の手代・革買治兵衛が抗議したが、対応にでた頭取栗橋三左衛門・浄瑠璃うたいの薩摩小源太・小林新助側が一応勝った。
 この辺の所を詳しく読みとくと、当時の弾左衛門の支配やエタ身分の状況がよく解るのだが、今回は紙数の関係でやめておく。
 エタ頭を丸め込むことができても、弾左衛門がハイそうですかと引き下がるわけにはいかない。「治兵衛を始め、善兵衛下知に任、芝居つぶし申候」。小林新助の認識が甘かったといわなければならない。
 一座は、町奉行に訴え審議はすぐに始まった。日記には三奉行の名が記されていて、日記の信憑性が保証されている。裁決は、@旅芝居は、江戸二か所とは扱いが違うA旅芝居は、弾左衛門支配下の「乞胸」と一同じ扱いになるBべつに弾左衛門を呼び出して栽評するまでもなかろう、つまりこの時点では一座の訴えは却下された。
 退出しかけた二人を引き止めて小林新助が訴えた。このやり取りを詳しく書くと小林新助の性格がよく解るが、ここも紙数の関係で省略。かなりの差別意識の持ち主だということは読み取れる。小林新助は「旅芝居がなぜ弾左衛門の下に置かれるのか。その理由をお聞かせください」、二人の奉行は「申すところ一理ある」として弾左衛門を呼ぶことになり裁判は続けられた。弾左衛門は、京から来た者のたわごとと思ったかもしれない。江戸のルールを証言すれぱ事足りると高を括っていた。しかし、一座側の証人たちは口裏を合わせ「知らぬ存ぜぬ」で押し通した。いままでしていた「櫓銭」等は、手代が勝手にやったことで私たちは知らないと口裏を合わせ、手代も私の一存でやったと証言した。結局、弾左衛門側の敗北に終わった。
 「勝扇子事件」の記述が長くなってしまったが、当初町奉行・弾左衛門側は、今まで問題なく進んできた「櫓銭」の江戸のルール、すぐ決着がつくものと思っていたが、そうはならなかった。支配のルールが破られることは、町奉行が最も困るだろう。江戸時代は「停滞」の時代だからだ。この後も、「櫓銭」を無視してやられた興業には、弾左衛門側が小屋を打ち壊すということが何度も起こっている。しかし、奉行たちがみている前で打ち壊しても、弾左衛門側に何のおとがめもなかったと書かれている。この事実は、べつに弾左衛門の味方をしているのではない。支配のルールを壊されることが嫌なのだ。恐怖しているのだ。だから、見て見ぬふりをしているにすぎない。(つづく)


せんりゅう

売上げをぼやきつつ釣銭くれる
貧困が仮想敵なり有事法
「改革」がすすまず腐敗ぞろぞろ
腐敗守らんと有事=戦争法案
むねお「離島?利島?なに?離党…」

米軍居座ってきかん坊のよう 
※@
アフガンでブッシュ式ジェノサイド
アルカイダ殲滅でつぎはイラク
第三次大戦の道へとペンタゴン
記憶に並ぶヒトラーヒロヒトブッシュ
植民と言わぬ援助でひと儲け
猛爆のあとにケシが咲きほこり 
※A

          ゝ史

   ※@ パキスタンから米軍撤退拒否
   ※A アフガニスタン全土でケシ栽 培再びはじまるとの報道。事実ならば、猛 爆へのお返しが大麻でとはしびれちゃう 〜……。


複眼単眼

 
侵略を拒否するイスラエルの若者たちへの共感

 三月十七日午後九時からのテレビ「NHKスペシャル『兵役拒否』イスラエル・六二人の決断」をビデオ録画をして観た。
 このところパレスチナへのイスラエルのすさまじい攻撃にいらだつ日々が多かったのだが、見終えてひさびさにすがすがしい気持ちになれた。あとで聞いたら、「あの番組は見たよ」という友人も少なくなかった。あらすじを紹介する。
 ブッシュの応援を得たシャロン政権の下で戦争がつづくイスラエル。
 昨年の夏、男女とも徴兵制のあるこの国で高校生ら六二人が「兵役拒否」を宣言した。前代未聞の出来事にイスラエル社会は揺れる。テレビはこの若者たちの一人、ヤイール君にスポットをあてながらこの動きを追った。
 ヤイール君が「兵役拒否」を決意したきっかけは、日本でもセンセーショナルに報道されたある映像だった。
二〇〇年一〇月、ガザ地区で銃撃戦に巻き込まれたパレスチナ人の親子が、物陰に身を寄せて銃撃停止を必死に呼びかけつつ殺された。倒れた幼い息子を抱きながら「撃つな」と叫び続けた父親も銃弾に倒れた。
 ヤイール君は「イスラエル軍の攻撃こそが憎しみを増幅し、テロを生んでいるのだ」と考えるようになった。
 兵役の経験があり、いまは不動産会社に勤める父親は反対だ。「経済が停滞し、失業者が増大している。国家の危機だ。このままでは生活が成り立たなくなってしまう。戦うことこそが国家を守るのだ」とヤイール君を説得する。
「ユダヤ人がまたバラバラになってもいいのか」と詰問する父に、息子は「それもいいんじゃない」と淡々と答える。
 ヤイール君は「兵役拒否」を宣言してから友人は減ったが、インターネットで仲間たちと意思を確認しあう。
 この国で「兵役拒否」をすることはたいへんなマイナスを伴う。まず四週間の拘留。いったん帰宅したあと、再び拘留、これは一年に及ぶ人もいる。公務員や国営企業に就職できないことをはじめ、以後さまざまな差別を受け、生涯に暗い陰を残す、という。
 予想よりも早い収監通達がきた。
 収監の前日、ヤイールは友達にメールを送る。「われわれはパレスチナ人と共存すべきだ。この理由からぼくは兵役を拒否する」と。翌日、刑務所の門前には友人たちがプラカードを掲げて激励に集まる。警官の弾圧に抗して、ヤイール君に連帯を示す若者たち。
 十二月二九日、イスラエルで占領政策に抗議する五千人の集会が開かれた。ヤイールの仲間も発言に立った。仲間たちは彼の顔写真と収監まえに送られたメッセージを書いたハガキを参加者に配る。人びとに共感が広がる。年配者が若者たちを激励する。
 今年一月、パレスチナの若い女性の自爆攻撃が起きる。女性の自爆攻撃は初めてだ。それはパレスチナの人びとの耐えようのない怒りの大きさを示すものだった。イスラエルの人々は大きな衝撃をうける。
 次第に父親はヤイールのいない部屋で椅子にすわって息子のことを考える時間が多くなってきた。彼は自問をくりかえす。
 一月、イスラエルの五二人の予備役兵らが新聞に軍務拒否の意見広告をだした。三月、それに賛同する予備役兵は三三〇人を超えた。平和のための抵抗は強固に見えた国軍を揺さぶり始めた。

 私には、ヤイールの父親が息子の思想に対して「拒否」から「理解しよう」とする姿勢に次第に変わっていくように見えた。観ているうちにこの頑固者の父親も愛すべき人物に思えてしまった。
 アメリカの中東支配の先兵になって侵略戦争を繰り返すイスラエル軍とその周辺で、ヤイール君をはじめとする抵抗が起りつつあることは希望が持てることだ。この力は確実に侵略軍の機能マヒと解体につながるに違いない。(T)