人民新報 ・ 第1057号<統合150> (2002年4月25日)
  
                                目次

● 憲法停止・「国民総動員」を企てる有事(戦時)三法阻止の声を今こそ

  STOP!有事法制4・ 集会 労働者、市民、宗教者ら五〇〇〇人結集

● 4・16

   閣議決定抗議国会行動に市民・労働者ら五〇〇人
   異議あり!有事法制集会には三〇〇〇人

● 第73回メーデーにあたって
   労働者の団結した力で有事法制を断固阻止しよう!(労働者社会主義同盟中央常任委員会)

● 国鉄闘争の新たな前進へ 「不当解雇撤回・国鉄闘争に勝利する共闘会議」結成

● 吹き飛ばせ 小泉改革 戦争NO! 全国キャラバンを集約して 4・17春の中央行動

● 郵政四・二八裁判・東京地裁が不当判決

   「私はあくまで郵政省の首切り責任を追及する」(池田実)

● マルクスの「過渡期社会」像の検討 A  マルクスとパリ・コミューン (北田 大吉)

● 資料 / 明成社版・高校日本史B教科書など2001年度検定についての見解(子どもと教科書全国ネット)
              
● 複眼単眼 / 改憲派も憲法違反と認める小泉首相の有事法制、批判の視点



憲法停止・「国民総動員」を企てる有事(戦時)三法阻止の声を今こそ

  
STOP!有事法制4・ 集会 労働者、市民、宗教者ら五〇〇〇人結集

 「STOP!有事法制4・19大集会」は四月十九日午後六時半から、東京の日比谷野外音楽堂に五〇〇〇人の人々を集めて開かれた。集会は陸海空港湾労組二〇団体、日本山妙法寺、キリスト者平和ネットの三団体の呼びかけで開かれ、考え方や立場、党派、労組のナショナルセンターの違いを超えた市民、宗教者、労働組合員、女性、青年など幅広い分野の人びとが結集したもの。
 小泉首相は十七日に「武力攻撃事態法」と称する有事(戦時)三法案を国会に提出し、この第一五四通常国会を大幅に延長してでも法案の採択をねらっている。しかし、この法案と憲法の整合性がないとの意見は大方のマスコミすらも指摘するところであり、現在、法案への批判が相次ぎ、法案への賛否は国論を二分している。これに反対する運動は全国各地で急速に盛り上がっている。国会でも社民・共産の反対だけでなく、自由党も独自の立場から反対し、民主党の大半も賛成しきれないでいる。そればかりか、与党の自民党、公明党のなかからさえも批判や消極論が相次いでいる。
 にもかかわらず小泉首相はこの問題法案を短期間のうちに成立させようとして、近く特別委員会を発足させ、連休前の二六日には衆議院本会議での「主旨説明」の手続きを強行しようとしている。
 この日の集会では各界の代表から「戦争法」への怒りが次々に表明され、法案廃案に向けた闘いの決意が語られた。
 冒頭、主催者を代表して「陸海空港湾労組二〇団体」の構成団体「航空安全会議」議長の大野則行さんが挨拶、「命と安全を守る立場から、さまざまな人々と協力して法案反対の声をあげる」と決意を表明した。
 連帯挨拶で社民党の福島瑞穂幹事長は「これは戦争法であり、憲法を殺し、停止する悪法だ。激しい怒りを感じる」と述べ、衆議院議員の川田悦子さんは「首相は聖域無き行政改革の名のもとに医療改革やメディア規制などの悪政を進め、これと一体で有事法制を強行しようとしている。いまこそ力を合わせよう。あきらめずに命を守る闘いを」と発言した。共産党の筆坂秀世書記局長代行は「自由と権利に制限を加えるなど、ふたたびファシズムへの道を歩むのを許さない」と述べた。
 会場に参加した各党の国会議員が紹介されたあと、民主党の佐々木秀典衆議院議員のメッセージが代読された。佐々木氏は「備えあれば憂いなしと声高に言う小泉内閣がすすめるこの法案は憂うるばかりだ」と述べた。日本婦人有権者同盟の紀平梯子会長、フオーラム平和・人権・環境、日本青年団協議会の東和文会長らの連帯のメッセージも紹介された。
 発言に立った日本弁護士連合会の川中宏副会長は「すでに日弁連は、この法案は憲法との矛盾があり、上程に反対だとの声明をだした。武力攻撃事態の定義も全くあいまいであることなどきわめて問題のある法案で、ひきつづき闘っていく」と挨拶し、国際婦人年連絡会世話人の江尻美穂子さんは「戦争への道を歩むことを認めることはできない」と述べた。
 各界・各分野からの発言では浄土宗見樹院住職の大河内秀人さん、全建総連全国青年部幹事の品川太さん、社会保険病院看護婦の堂園幸子さん、日本消費者連盟代表の富山洋子さん、高校生の上保匡勇さんらが決意を表明、青年グループのCHANCEの有事法制反対ウエーブのパフォーマンスのあと、集会宣言の採択、キリスト者平和ネット共同代表の鈴木伶子さんの閉会挨拶があった。
 鈴木さんはこの日の共同行動をさらに五月二四日、明治公園での五万人集会の成功につなげようと行動提起した。
 デモは国会請願コースと銀座コースの二手に分かれて行われた。銀座コースのデモの先頭には航空関係のパイロット、スチュワーデス、医療労働者、船員などの労働者が職場のユニフォーム姿でならび、街の人びとの注目を集めた。


4・16

   
閣議決定抗議国会行動に市民・労働者ら五〇〇人

       
異議あり!有事法制集会には三〇〇〇人

 四月十六日の夜にも政府が「有事(戦時)法制三法案」を閣議決定するといわれる状況のなかで、これに抗議する緊急の国会行動が同日正午から国会の議員会館前路上で、市民団体、宗教団体、労働組合などから五百名を結集して開かれた。この日の行動を呼びかけたのは「許すな!憲法改悪・市民連絡会」「日本山妙法寺」「キリスト者平和ネット」の市民・宗教関係三団体。平日の昼にもかかわらず、衆議院第二議員会館前を中心に、都内のさまざまな団体が結集した。陸海空港湾労組二〇団体の労働者らも駆けつけ、共同行動に参加した。
 主催者あいさつは日本山妙法寺の木津上人。
 国会議員は佐々木秀典(民主)、金子哲夫(社民)、春名直章(共産)、保坂展人(社民)、特に佐々木議員は民主党が本来の野党第一党の立場にたって、憲法違反の有事法制に反対して、結束して闘うように奮闘するとの決意を表明して参加者の共感を集めた。連帯あいさつは「連合」系労組などで構成されている「平和フォーラム」から五十川事務局次長が行なった。これも共同の広がりを示すものとして注目された。
 参加団体からの発言は「一坪反戦地主会関東ブロック」の上原成信さん、「キリスト者平和ネット」の鈴木伶子さん、「陸海空港湾労組二〇団体」を代表して海員組合の藤丸徹さん、「新聞労連」の池田泰博さん、「安保破棄実行委員会」の佐藤さん、「CHACE」の海南友子さん、「ふぇみん婦人民主クラブ」の赤石千衣子さん、「日本消費者連盟」の富山洋子さんらが行なった。集会には「命と安全をおびやかす有事法制に反対する」立場から参加した航空客室乗務員の服をきた労働者、海員組合員、医療労働者などの姿が注目を集めた。
  ※  ※  ※
 四月十六日夜、東京の日比谷野外音楽堂には「異議あり、有事法制」のスローガンで約三〇〇〇名の市民と労働者が結集し、集会のあと、東京駅までデモ行進をした。この集会は三月十四日の同主旨の集会の第二波行動。
 集会を主催したのは「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」「平和フォーラム」「原子力資料情報室」などで構成する実行委員会。
 発言では各界から多様な人びとが登壇した。社民党の福島瑞穂参議院議員、民主党の佐々木秀典衆議院議員、日本YWCA憲法改悪阻止プロジェクト、全日本海員組合、盗聴法に反対する市民連絡会、すべての武器を楽器に・ピースメーカーズネットワーク、テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動、パレスチナ子どものキャンペーン、清末愛砂さんなどだった。


第73回メーデーにあたって

   労働者の団結した力で有事法制を断固阻止しよう!

              
労働者社会主義同盟中央常任委員会

 すべての労働者のみなさん!
 第七十三回メーデーにあたって、労働者社会主義同盟中央常任委員会は、全国の労働者のみなさんに熱烈な階級的連帯のあいさつを送ります。
 メーデーの始まりは、一八八六年五月一日にさかのぼります。その日、アメリカで労働者は一日八時間労働日を求めてゼネストに立ち上がりました。この日が「万国の労働者の団結の日」なりました。 
 日本では、一九二〇年にはじめてメーデーが行われました。それ以来、治安維持法やさまざまな口実を設けた禁圧に抗して、闘う伝統が継承されてきました。
 メーデーは、私たちの先輩たちの血と汗によって、労働者の一大デモンストレーションとして、政府・資本家に対する闘争の日として闘いとられてきました。
 私たちも、多くの労働者・勤労人民とともにこの輝かしい歴史を受け継ぎ、守り、いっそう戦闘的なものとして行かなければなりません。
 いま、戦争の危険が高まり、多くの人びとが失業するという事態が到来しています。小泉内閣は、アメリカが「悪の帝国」と名指したソ連が崩壊し日本を侵略する国家などが支配階級でさえ全く想定できない状況で、覇権国家アメリカの軍事的行動を支えるための戦争法・有事法制の立法化、そして憲法改悪をもくろんでいます。私たちは、この間の事態を、「戦後」から「新たな戦前」への転換であり、日本社会は、経済、政治、文化のすべての面で劇的に変化したと認識し闘ってきました。そして、時代は一段と進展し、小泉内閣によって、戦後はじめての自衛隊(日本軍)の戦争への参加という事態にまでたちいたりました。
 また小泉「構造改革」の中で日本経済はいっそう不況色を深め、リストラ・搾取強化は、多くの労働者と家族の生活と将来を不安なものにしています。
 メーデーと日本の労働運動の直面するものはきわめて重大なものです。労働者と広範な勤労者は団結して反撃にたちあがるときです。
 すべての労働者のみなさん!
 労働者階級の闘争力の源泉は団結です。
 メーデーにあたり、さらに大きな結集と団結の意義を確認しましょう。
 日米安保体制粉砕、軍事基地撤去、自衛隊解体のために闘おう。
 アジア諸国をはじめ全世界の民衆との国際主義的連帯を強めよう。
 戦争法体制の確立を阻止し、憲法改悪を許さない幅広い戦線をつくりだそう。憲法改悪阻止運動の大合流をかちとり、右翼の妨害をはねのけて、昨年を上回る5・3憲法統一行動を成功させよう。
 激しいリストラ・雇用破壊攻撃、賃下げ・労働条件の劣悪化と闘おう。新たな段階に入った国鉄闘争の前進をかち取ろう。郵政の民営化、NTT十一万人合理化に反対しよう。未組織労働者の組織化、労働組合組織統一を進めよう。闘う労働運動の潮流をつくり出し、ナショナルセンターの枠をこえて労働戦線の左翼的再編の基盤を形成しよう。
 グローバリゼーションと技術革命は、世界的な失業・経済不況と格差・差別を拡大をもたらし、さまざまな社会的軋轢を生じさせ、局地戦争、階級闘争・各種の社会的闘争を激発させています。支配層は、既得権益を守り、いっそう増大させるために、ひたすら労働者・人民に犠牲を強いる新自由主義的「改革」によって、資本主義を延命させようとしています。しかし、労働者の反撃は始まりました。政府・資本と闘わずには生きることが出来なくなったこと、闘わねば権利も生活、平和もそして生命さえ奪われるという意識が形成されつつあります。
 「万国の労働者、団結せよ!」の旗の下、国内の、そして全世界の働くものの団結をかちとろう。

二〇〇二年五月一日


国鉄闘争の新たな前進へ

     
「不当解雇撤回・国鉄闘争に勝利する共闘会議」結成

 四月十六日、東京・大井町「きゅりあん」大ホールに、一〇〇〇名の労働者・市民が結集して、「一〇四七名の不当解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議」の結成集会が開かれた。
 第一部は共闘会議結成総会。
 東京清掃労組の星野良明委員長が次のような議長就任のあいさつ。
 国労中央は鉄建公団訴訟を闘う闘う闘争団にたいして査問委員会の設置を決定したが、まだその査問も行われていないのに、生活活動費を凍結したり物販リストから外すという労働組合としてあってはならないことをおこなった。国鉄闘争は国労だけの占有物ではない。時代の先端を担った闘争である。今日、正式に共闘会議が発足するが、これを市民運動も含めた国鉄闘争の新たな出発点としたい。
 共闘会議結成準備会から報告を準備委員長の二瓶久勝さん(オリジン電気労組書記長)が行った。
 一五年をかけた闘いの第一の問題は、人生を賭けて闘ってきた労働者たちの名誉回復ということだ。お父さんたちはやはり正しかったのだというということを子どもたちに思わせる勝利を闘いとらねければならない。今後の闘いでは、上部団体が連合であろうと全労連であろうと全労協であろうと問わない幅広い結集していかなければならない。
 メッセージ紹介では、多数の中から、川田悦子衆議院議員(無所属)、フランスのSUD―Rail(フランス国鉄 連帯・民主・統一労組)からのものが読み上げられた。
 連帯あいさつは、東京都労働組合連合会・矢沢賢委員長(文書代読)、全国農林漁業団体職員労働組合連合・河村洋二副委員長、特殊法人等労働組合連絡協議会・柳沢淳議長が行った。
 議案の提案は、結成準備会の内田泰博事務局長(国労闘争団)。
 今日結成される組織は、「短期決戦の共闘会議」である。会員は、すでに団体加盟を主に五万人となっているが、なによりも財政の確立のためには個人会員の拡大が求められている。
 この共闘会議の目的は、@一〇四七名の解雇撤回・地元JR復帰の実現に向け、JRにおける差別反対の闘いはもとより全ての争議、運動と結合して闘う、A反首切り、人権擁護、平和・環境・福祉の破壊を許さず、労働委員会制度の形骸化・司法の反動化に反対する闘いと結合し社会運動への飛躍をはかる、BILO闘争を柱に、反グローバリゼーションの国際連帯を強め、労働者の権利確立に向けた広範な国際世論づくりをめざす、ものである。
 当面の活動としては、(一)大衆行動では、@国鉄闘争共闘会議と鉄建公団訴訟原告団代表による交渉団を編成し、政府、JR会社、鉄建公団、政党、国会議員などへの申し入れ、要請、A裁判期日や六月のJR株主総会にあわせての大衆行動、B六月に国鉄闘争共闘会議全国交流集会を開き、以降の運動の意志統一を図る、C最高裁闘争および鉄建公団訴訟については、予想される裁判期日に傍聴体制もとより大衆行動を行う、(二)ILO闘争では、@六月四〜二〇日に開かれるILO総会にむけ、当面一〇〇〇組合を目標に共同申立組合を拡大する、A各国労組が集まるILO総会への代表団派遣を準備する、(三)組織拡大についてでは、@国鉄闘争共闘会議への団体・個人加盟を強力に進める、A「人らしく生きよう」の全国上映会を進め、国鉄闘争への理解と関心を広げる、B闘争団の全国オルグ活動を受け入れ、物販活動を強化する、ことである。
 会場発言では、国労闘争団とともに闘う新潟の会、「人らしく生きよう」上映実行委員会、自治労高知県職労、国労東京中央支部から闘争勝利に向けての熱い連帯の発言がつづいた。
 そして、議案は全員の賛成で採択された。
 共闘会議の役員は、議長に二瓶久勝オリジン労組書記長、副議長に星野良明東京清掃労組委員長と柳沢淳特殊法人労連委員長、事務局長は内田泰博さん(国労闘争団)が選出された。また顧問には、矢沢賢・都労連委員長、橘幸英・元都職労書記長、橋本剛・北海学園大学名誉教授、大口昭彦弁護士など十二名の人びとが就任した。
 集会の第二部は「歌と講演」。
 沖電気争議を闘っている田中哲郎さんが歌い、ルポライターの鎌田慧さんが「リストラ時代の新たな国鉄闘争に期待すること」と題して講演した。
 鎌田さんは、十五年間闘い続けられてきた闘争団のみなさんと集会に集まられた闘う人びとに敬意を表すと前置きして、次のように述べた。
 国鉄の分割・民営化以前から「国鉄処分」について書いてきたが、そこで行われてきたことは、労働者をまるで政治犯か流刑囚のように扱う国家的な不当労働行為そのものだった。そしてその結果は、汐留の跡地に大企業や大金持ちが入りこんだことだ。鉄建公団訴訟は、人間回復の運動としてもある。国鉄闘争は人権問題の最も集中された問題となっている。残念ながら、かつての国労運動では抑圧された人びととの連帯ということはできなかった。これからの国鉄闘争は、市民運動的な新しい質を持った運動として、広範な人びとを結集するものと期待したい。かつて分割・民営化反対の新聞広告をやったが、そうした運動をもう一度活性化させたいと思っている。鉄建公団訴訟を支援し見届けていきたい。
 国労闘争団が壇上にあがり、国労闘争団決意表明として、鉄建公団訴訟原告団の酒井直昭団長が、いま国労の闘う旗が根本から折れようとしているが、いまこそ分割・民営化の前年にかち取られた国労修善寺大会を思い起こし断固闘いぬこう、と力強く発言した。
 当日のカンパが五十四万円近くに達したことが報告され、団結頑張ろうで集会を終えた。
 共闘会議の会費は、団体会員(一口 一〇〇〇円/月)、個人会員(一口 三〇〇〇円/半年)、賛助会員(三〇〇〇円/月)
 連絡先/東京都港区三田三―七―二四 ストークマンション三田二〇一号 「一〇四七名の解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議」 Tel 〇三(五七三〇)六六二五


吹き飛ばせ 小泉改革 戦争NO! 全国キャラバンを集約して 4・17春の中央行動

 四月十七日、首都圏で、全国キャラバン集約行動が展開された。
 「吹き飛ばせ 小泉改革 戦争NO! 4・17 二〇〇二 春の中央行動」は、七時半からの「いすゞ川崎工場正門前緊急行動」(川崎工場閉鎖、下請け切り捨て)に始まり、トヨタ東京本社(フィリピントヨタ組合つぶし、日野自動車解雇)、NTT大手町(十一万人合理化)、郵政事業庁(郵政民営化)、住友重機械本社(人員整理・賃金カット)、日本GM(いすゞ川崎工場閉鎖)、みずほ銀行本店(レイキ・光輪などみずほ銀行関係争議)、厚生労働省前集会が闘いぬかれた。
 ひきつづき夜の行動として、社会文化会館で「中央集会」が開催された。
 集会では、主催者を代表して柚木康子さん(均等法ネットワーク、全石油昭和シェル労組)の発言、金田誠一衆議院議員(民主党)と保坂展人衆議院議員(社民党)による来賓あいさつに続いて、メッセージ(連合の龍井葉二総合労働局長、全労連の寺間誠治常任幹事、全労協の藤崎良三議長)が紹介された。
 全国キャラバンの状況について、南コース(鹿児島・姶良ユニオン)、北コース(東北郵政合同労組)から報告があった。
 中央行動報告(全統一光輪モータース分会)で、当日の朝からの行動と各争議の内容が述べられた。
 そして、労働規制改革の動向について全労働省労働組合の森崎巌さん、公務職場の闘いについて東京清掃労働組合の村上俊英さん、有事法制をめぐる動向と闘いについて「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動の八木隆次さんがそれぞれ報告した。
 最後に集会アピールで「今こそ労働組合の出番だ。団結して闘えば必ず勝利できることを確信して、未組織労働者の仲間とともに、職場・地域から反撃の闘いを創り出そう。草の根から労働者の怒りを小泉政権にぶつけよう。小泉改革NO!リストラ・雇用破壊NO!戦争NO!有事法制NO!を掲げ、解雇規制と均等待遇・差別禁止の立法化、すべての労働者の権利確立をかち取ろう。ナショナルセンターや所属を越え様々な人たちとの共同行動をめざして闘いを進めよう」と確認して集会をおわり、対政府抗議・国会請願デモに出発した。労働組合のデモには市民も合流し大きな隊列となった。衆院議面前では社民党土井たか子党首はじめ多くの議員が出迎え、ともに小泉改革、有事法制に反対の運動を強めて行こうとシュプレヒコールを行った。


郵政四・二八裁判・東京地裁が不当判決

  
 「私はあくまで郵政省の首切り責任を追及する」(池田実)

 三月二七日、東京地裁(山口幸雄裁判長)は四・二八処分裁判の判決を言い渡した。四・二八処分とは、郵政省の不当労働行為とたたかった七八年の全逓・反合理化闘争に対して一般組合員が大量解雇された事件である。しかし、判決の内容は、原告と支援の労働者たちが職場復帰へ賭け闘い続けてきた長い月日を否定するまったくの不当判決であった。原告団はただちに東京高裁に控訴した。
 被解雇者の池田実さんに寄稿してもらった。(編集部


 「判決言い渡しの前に異例ではあるが、裁判所としてひとこと述べたい」
 三月二七日午後四時五五分、東京地裁山口幸雄裁判長は主文言い渡しを前にこう切り出した。六一人の全逓組合員が越年闘争の報復処分として七九年四月二八日に首を切られてから二三年、裁判提訴から一六年の歳月が経て迎えた判決の瞬間であった。傍聴席には定員の二倍近い百人の仲間が異例の立ち見で裁判長の口元を注視していた。
 「一六年という長い年月を要したことが適当であったかどうか、裁判所としても反省しなければならない」
 こう言いわけがましく裁判長が述べた時、私は結論を直感した。案の定、次に裁判長の口から出た言葉は「原告らの請求を棄却する」という一言だった。私たちが職場復帰へ賭け闘い続けてきた長い年月を否定する不当判決であった。
 長い審理によって真相に迫ることができるのなら話は別だが、現実は処分を下した郵政省幹部が次々と亡くなり証人採用が不能となったうえに、社会情勢の大きな変化も影響することとなった。総評・公労協によるストや順法闘争が年中行事のように行われていた処分当時と比べ、四半世紀近く時が経過した判決時には労働側の力が大きく減退しているという杜会情勢になっていたのだ。
 判決文では私たちの闘争について「反杜会性、反規範性が強い」という言葉を反復して使用していたが、まさにその「杜会性」「規範性」こそ時代を反映する鏡であり、主観に基づくものなのである。時の自民党・郵政省一体となった全逓労組つぶしという「杜会性」を見ず、個々の怠業行為(業務規制闘争)のみをとらえ、原告側の「単純参加行為のみを理由に懲戒免職処分に付された前例はない」という主張に対しても、「仮にそうであっても、そのことから直ちに、組合役職者でない者のした争議行為の程度、態様の場合に他の事情と相まって懲戒免職処分に付することが許されないとはいえない」と退けるのだ。さらに、恣意的な現認による不公平な処分という主張についても、「処分の均衡を欠くと主張する原告らの心情も理解できなくはない」としながらも、「結果として、原告らと同等ないしそれ以上の程度、態様で怠業行為を行った者の怠業行為が現認されなかったとしても、またやむを得ないというほかはない」と述べたのである。
 そして最後に、全逓の年末闘争について「その社会的影響は極めて大きく…本件闘争に関与した者の責任は重大である」としたうえで「本件処分が被告の裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものとまではいえない」と結論づけている。最初から結論ありき、長期裁判となったことへの「反省」の言葉も、実は原告に対してではなく、早く「棄却」し反処分闘争をやめさせたかったという郵政側への「反省」ではなかったか。本判決は徹頭徹尾、郵政当局の視点で私たちを悪意に満ちた言葉で指弾するという極めて卑劣な内容となっている。来年に迫った郵政公杜化を前に、職場闘争を完全に根絶やしさせたいという政府、郵政の意向を組んだ権力判決である。
 全逓本部による裁判闘争の放棄という試練を乗り越え、自力で闘い抜いてきた原告団、支援の仲間の心を踏みにじる不当判決だ。原告全員は怒りを新たに四月一○日、東京高裁に控訴した。公杜化にともない郵政の労使関係は大きく変わる。一企業一組合一懸案の全逓と全郵政労組の統一も時間の問題となってきた。
 だが、企業形態がどう変わろうとも私はあくまで郵政省の首切り責任を追及するし、新労組に対しても全逓の闘争放棄を糾弾し反処分闘争の再開を訴えていく覚悟である。


マルクスの「過渡期社会」像の検討 A

        
マルクスとパリ・コミューン

                         
北田 大吉

四、 フランスにおける内乱
 
 ところが後期マルクスを代表する『フランスにおける内乱』は、「国際労働者協会総評議会の呼びかけ」という副題が示すように、マルクスが労働運動との深い関わりのなかで書かれたものであるが、この労作のなかでは協同組合運動がマルクスによって高く評価されている。協同組合は未来社会にいきなり出現するものではなく、過渡期はおろか、資本主義的社会構成体のなかで生まれ、成長し、過渡期を経て未来社会において全面的に開花するものである。マルクスは、『フランスにおける内乱』のなかで、「もし協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、資本主義の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣を終らせるべきものとすれば、それこそ共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか!」と述べている。
『フランスにおける内乱』はまた、「現在おもに労働を奴隷化し搾取する手段となっている生産手段、すなわち土地と資本を、自由な協同組合の純然たる道具に変えることによって、個人所有を事実にしようと望んだ」とも述べている。
 「コミューンのほんとうの秘密はこうであった。それは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級にたいする生産者階級の闘争の所産であり、労働者の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった」という叙述はあまりにも有名である。マルクスはついに「プロレタリアート独裁」の概念に到達したのである。これは『共産党宣言』においては、「プロレタリアートを支配階級の地位にたかめること、民主主義をたたかいとること」と抽象的に表現されていた内容を、コミューンの歴史的経験を踏まえて精確な概念として提示したのである。
一八七五年四月から五月はじめまでにマルクスによって書かれた『ゴータ綱領批判(ドイツ労働者党綱領評注)』は、「プロレタリアート独裁」について、「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもない」と述べられている。資本主義から共産主義への革命的転化の時期があること、この時期に照応する政治的過渡期があること、この過渡期の国家がプロレタリアート独裁であること、という三つの命題が含まれている。
 マルクスは『ゴータ綱領批判』において、「長い苦しみののち資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の第一段階」と「共産主義のより高度の段階」を区別している。のちにレーニンは、区別をより際立たせるために、この第一の段階の共産主義を「社会主義」と呼んでいる。『ゴータ綱領批判』に忠実にしたがうかぎりレーニンのいう「社会主義」は、けっして過渡期ではないのであるが、レーニンは時には「社会主義」=「過渡期」でもあるかのような叙述をおこなっている。
 マルクスは続けて、より高度の段階の共産主義社会においてはじめて「個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求となったのち、…そのときはじめて…社会はその旗のうえにこう書くことができる―各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」と述べている。
 プロレタリアート独裁は、政治的には少数者による多数者の支配であるブルジョア独裁に代わって、多数者による少数者の支配のために必要な国家であるが、それは少数派に転落しながらも必死に古い支配にしがみつくブルジョアジーを政治的に、場合によっては軍事的に抑圧するために必要な国家であることは勿論のことであるが、『フランスにおける内乱』のマルクスの叙述によれば、労働者階級を「経済的に」解放するためにも必須の条件である。この面は従来の研究においては、ややもすると忘れがちな面であった。協同組合は資本主義社会の胎内に孕まれ、資本主義社会のなかで育つが、協同組合が全面的な展開をとげるためには、プロレタリアートによる国家権力の掌握が必須の条件であるということである。その意味でもプロレタリアート独裁は「ついに発見された政治形態」なのである。
 マルクスは、『共産党宣言』におけると同じように、『ゴータ綱領批判』においても、「労働者階級の解放は労働者自身の行為でなければならない」と熱っぽく語り、労働者の「賃金制度」からの解放を訴えているが、ここでは更に一歩踏み込んで「労働者が協同組合生産の諸条件を社会的な規模で、まず最初は自国に国民的な規模でつくりだそうとするのは、現在の生産諸条件の変革のために努力することにほかならない」と述べている。
 プロレタリアート独裁が過渡期の国家であるということは、プロレタリアート独裁が国家死滅後の協同社会を作り出す使命を負っているということである。それがプロレタリアートの経済的解放の条件である。とするならば、この権力が一時的には生産手段をその手に握ることがあっても、できるだけ短期間に、これらの生産手段を協同組合生産を中軸とする社会の手に戻さなければならない。プロレタリアート独裁はできるかぎり短期間に自己を止揚し、共産主義を実現しなければならない。プロレタリアート独裁は、そのための具体的道筋をできるかぎり短期間に発見し、それを現実化するために努めなければならない。
 このように考えるならば、プロレタリアート独裁が国家機構を肥大化させ、官僚制度を恒久化するような方策を採ることはまったくの背理であることが理解できるであろう。『ゴータ綱領批判』は、資本主義社会と共産主義社会とのあいだには革命的転化の時期がある、この転化の時期に照応して政治的過渡期があり、この時期の国家としてプロレタリアート独裁が考えられている。とするならば、プロレタリアート独裁は「国家をなくするための国家」、一種の「必要悪」と考えられていることは明らかであり、プロレタリアート独裁に課せられた任務の達成とは、政治的にはブルジョアジーに対する階級的抑圧のほかに、やがて国家そのものを不要にするまでにいたる民主主義の徹底であり、協同組合生産を軸とする国家死滅のための経済的基盤づくりということになろう。

五、過渡期社会像の転換

 そこで後期マルクスが、前期の「過渡期社会」像を転換したかどうかの検証が必要となる。
 資本主義社会における賃金法則のもとにおいては、労働者階級は、自己の「内的欲求の発露」としての労働はおろか、「個人の全面的発達」とはまったく反対の部分労働に生涯を通じて緊縛され、とくに機械制大工業のもとにおいては機械の一部品として機械に緊縛され、労働の人間的内容を完全に奪われている.労働者階級に与えられている自由は「失業の自由」であり、その結果、「飢え死にする自由」である。初期マルクスは、このような状況を「疎外論」の立場から解明することに努めたが、『共産党宣言』においては、労働力の商品化のうえに成立する「賃金制度」からの解放というマルクスの従来からの主張のほかに、エンゲルスを含めたさまざまの共産主義者たちの主張を容れて、「分業の固定化」がその原因であり、労働者階級を分業、ひいてはその基礎である「私的所有」から解放することに共産主義者の使命を考えた。たとえば、『ドイツ・イデオロギー』においては、「労働が配分されはじめると、各人は自分に押しつけられる一定の排他的な活動範囲をもつようになり、それから抜け出せなくなる。彼は狩人、漁夫または牧夫または批判的批判家、のどれかであって、生活の手段を失うまいと思えば、それでありつづけざるをえない」それにたいし、「共産主義社会では、各人は一つの排他的な活動領域をもたず、任意の各部門で自己形成をとげることができるが、共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそれゆえに可能になることなのだが、私は今日はこれを、明日にはあれをし、朝は狩をし、午後には漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をする―猟師、漁夫、牧夫あるいは批判家という固定的な専門家になることなく、私の気のおもむくままにそうすることができるようになるのである」と述べられている。このような未来社会の映像はいささかユートピアじみているように感じられるが、いわれていることは唯ひとつ分業の固定化からの解放である。
 『共産党宣言』にしろ『ドイツ・イデオロギー』にしろ、解放にいたる具体的道筋が示されないかぎりは、すべてはユートピアに終る。これに対して、後期マルクスが「自由時間」の問題を取り上げたことは、ユートピアからの大きな前進を意味している。労働者が分業の固定化から解放され、「自分の内的・自発的欲求」から労働することができるようになるためには、そのための客観的な条件が必要である。労働者が生活のため長時間の苦役を余儀なくされるような条件のもとにおかれているかぎり、労働者が「分業の固定化」から解放されることはありえない。労働者が「分業の固定化」から解放されうるためには、少なくとも「長時間の苦役」から解放されるのでなければならない。そのためには生産性の飛躍的向上の結果、必要労働の時間が大幅に短縮され、労働者の手もとに労働者の自由な使用に委ねられる大きな「自由時間」が残されるのでなければならない。労働者は、この「自由時間」を有効に利用して、みずからの自由な発展をかちとり、このようにしてはじめて獲得された能力を短時間の「自発的労働」に投入することができるようになる。(つづく)


資料

 明成社版・高校日本史B教科書など二〇〇一年度検定についての見解

                
二〇〇二年四月九日  子どもと教科書全国ネット

 二〇〇二年四月九日、文部科学省の検定に合格した明成社版・高校日本史B教科書は、現在使用されている『最新日本史』(国書刊公会)の改訂版である。『最新日本史』は、『新編日本史』(原書房)の改訂版として九四年三月に文部省検定に合格している。
 『新編日本史』は、日本を守る国民会議(現日本会議)が作成したもので、当時、「復古調教科書」「天皇の教科書」などと批判され、外交問題になり、しかも、高校教科書は学校ごと採択であり、現場の教師が選ぶために、ほとんど採択されず、(中略)消滅寸前の状況である。そのため、九五年度用の改訂時(九三年度検定)に原書房が撤退して国書刊行会が発行を引き受け『最新日本史』として出版してきた。今回八年目振りの改訂にあたって、国書刊行会もさすがに大幅赤字の同書を投げ出してしまい、明成社が新たな発行者として検定を申請した。(中略)
 しかし、九六年以来の教科書「偏向」攻撃、「つくる会」運動を背景に、日本会議と「つくる会」が一体となって、高校現場への採択増大を働きかける方針を掲げて活動していることを考えると、この教科書を無視することはできない。(中略)以下、……この教科書が高校生用の歴史教科書としていかにふさわしくないかを具体的に明らかにする。

明成社版・高校日本史B教科書の問題点

1、天皇中心の歴史は一層強まっている。
 (1)年表を削除して、皇統譜による「皇室系図」と「年号(元号)一覧」を掲載。
 小学校・中学校・高等学校の歴史教科書のほとんどには巻末などに年表があるが、明成社は今回あえて年表を削除している。削除された年表に代わって挿入されたのは、「皇室系図」と「年号(元号)一覧」である。
 ほとんどの高校の日本史教科書には、巻末に数頁を割いて年表が掲載されている。年表には、時代区分、年代、天皇、将軍または総理、政治・経済・社会、文化、世界などの欄が設けられており、歴史の移り変わりを総合的に理解するのに不可欠の要素である。
 ところが、明成社日本史は、年表の代わりに皇室系図と年号一覧を載せているのである。歴史を総合的に理解しないで、天皇の歴史だけ学べばよいと主張しているようである。
 (2)皇統譜による皇室系図の問題点。
 一八八九(明治二二)年の皇室典範に基づいて一九二六(大正一五)年に公布された皇統譜令、また戦後新たに制定された皇統譜令は、日本の前近代史の学習には不適切な部分がある。
 (一)神武天皇以降九代の実在しないことが明白な架空の人物を、実在した
 天皇と同格に扱って歴代の順序を数えている。
 (二)『日本書紀』で即位していないことが明白な大友皇子を、『大日本史』などの後世の解釈によって、明治天皇が一八七〇(明治三)年に追贈した弘文天皇という名称で、歴代に数えている。
 (三)これとは逆に、後醍醐天皇から譲位された光厳天皇は、明白な天皇であるにもかかわらず歴代に数えられず、別系統の北朝の第一代にされている。
 このように、皇統譜による歴代順の数字は、史実と伝承を区別しない、あるいは史実に基づかない、誤った歴史の見方を教えることになるので、教科書では採用していない。皇統譜を採用しているのは、「つくる会」の扶桑社版と明成社版だけである。
 (3)伊勢神宮の本殿は法隆寺よりも古いのか。
 明成社日本史は、古墳時代で伊勢神宮・出雲大社の本殿を説明し、つぎの飛鳥
 時代で飛鳥寺・法隆寺の創建について説明している。
 しかし、飛鳥寺は五九六(推古天皇四)年に塔が完成し、法隆寺は六〇七(推古天皇一五)年に完成した。このような仏教寺院の建築に影響されて、これまで山や岩石などの自然物を神として祭ってきた斎場に神社が建てられるようになった。出雲大社の造営は『日本書紀』によれば六五九(斉明天皇五)年であり、伊勢神宮の造営は『大神宮諸雑事記』によれば六九〇(持統天皇四)年のことである。飛鳥寺・法隆寺の創建は飛鳥(文化)時代であるが、出雲大社・伊勢神宮の造営はつぎの白鳳(文化)時代である。
 このような詳しい事実を知らない高校生がこの教科書を読めば、日本では仏教寺院の建築よりも神社建築の歴史のほうが一時代古いのだと、史実とは逆に誤解してしまう。生徒には、史実と違っていてもよいから、天皇にかかわる神社の歴史を外来の仏教よりも古く見せたかったのであろう。神道を異常に重視して史実を歪める特定の意図によるものであろう。(神道の異常な重視は近現代まで同じである)
 (4)天皇中心の歴史叙述という点では、中・近世では「つくる会」教科書をはるかに凌いでいるといえる。
 例えば、中世史だけで、後白河から後陽成に至る三一代の内、一七人の天皇が本文・注・エピソードに登場する。最も人物が多く登場する山川でさえ八天皇名である。また、天皇をもりたてた功臣をやたらに顕彰したがっている。例えば「節義を守った楠木一族の生涯は、長く語り継がれ、後生の日本人の心に大きな影響を与えていくことになった」などと書、南朝方の人物名を二一名も羅列している。

 2、大日本帝国憲法や教育勅語に価値をおき、憲法・教育基本法を敵視する
 「つくる会」教科書同様に教育勅語を全文掲載して高く評価している。大日本帝国憲法はわが国の伝統をふまえたものと強調している。他方、新憲法の意義、国民の受けとめ方についてはまったくふれていない。
 「GHQの命令によって教育勅語の失効排除決議が国会でおこなわれ」と書いているが、これは史実の歪曲である。失効排除決議は国会議員の自発的な意志で行なわれたものであり、当時の衆・参議員を侮辱する記述である。
 全体的に「つくる会」教科書と同様に、憲法・教育基本法の理念に反する内容であり、憲法・教育基本法を敵視する歴史教科書といえる。

 3、侵略戦争を正当化するため、中国・韓国を敵視する、アジアの国々・人々と仲良くできない子どもを育てる教科書である。
 (1)秀吉の朝鮮出兵を侵略とは捉えないで、イスパニアやポルトガルが明を征服しようという野望を挫くためなどとしている。ヨーロッパ人の領土的野心をことあるごとに強調し、秀吉の朝鮮侵略を防衛的行動であるかのように描いて正当化している。また、侵略の具体的実相については何も書かず、文化略奪にも触れていない。
 (2)韓国併合を「日韓併合」と表記し、あたかも対等の合併であったかのように描こうとしている。植民地支配の事実はまったく触れていない。わずかに
アジア太平洋戦争末期の徴兵制施行に関する注で皇民化政策に触れるのみである。しかし、この注で現行本にあった、「民族の誇りに深い傷をあたえていた」という記述は新版では削除している。文部科学省はこれに意見をつけていない。
 また、朝鮮政策では、新たに融和策、開発を強調して、植民地支配を正当化(良いことをした)している(これは検定によってうすめられている)。朝鮮人民の三・一独立運動は「三・一事件、万歳事件」表記し、その弾圧の実態もわずかに「軍隊が出動し、流血の惨事」と書くのみである。
 朝鮮・台湾の皇民化政策について、現行本にある日本語を教え、姓名を日本式に改める、という記述を新版では削除していたが検定で復活させられている。
 (3)日中戦争については、「つくる会」教科書同様に中国側に非があるかのように描こうとしている。満州に関し、中国が日本の保持する既得権益回収に乗り出し、権益の被害が増加したと、日本の被害を強調し、満州事変を正当化している。新版では「満州では反日運動が激化し在留邦人や権益の被害が続出した」と書き加えている(検定で「激化し」は「高まり」に、「続出」は「増加」に修正)。さらに、「中村大尉事件」などを強調している。日本軍の駐屯権は認められていた、などと日本の正当性を主張し、汪兆銘政権を注から本文化して、正規の政権であるかのように美化している。
 第二次上海事件について、新版では、派兵を「居留民保護のため」と強調し、原因について、「上海で海軍士官が中国軍に殺害された事件がおこり(大中山中尉事件)、日本は派兵し、両軍の戦闘となった」と書いて原因が中国側にあると断定している。この部分は、八六年当時、検定合格後に「上海で海軍陸戦隊の士官の殺害がおき」とあったのを、外交問題化して、当時の政府・文部省が削除させた記述である。これについて今回、文部科学省は検定意見をつけていない。日中戦争について、戦前の国定教科書同様に「日華事変」と表記し、(日華事変、日中戦争)と併記したところでは、わざわざ「日華事変」をゴシックにしている。さらに、日中戦争について「戦場となった中国各地の人々のこうむった苦しみは悲惨であり、事態は深刻であった」を削除するなど、わずかにあった加害記述もうすめられている。この「人々がこうむった苦しみ」というのは、前記同様に、八六年検定合格の「民衆の苦しみ」という表現を再修正で加害の意味を入れて表記させたものである。
 中国での加害については、現行本同様に注で南京事件が簡単に書かれているのみである。
 (4)アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と記述し、侵略戦争であることを否定している。
 「大東亜戦争」の戦争目的を批判を含めずに本文化している。大東亜会議、大東亜共同宣言を重視して書いている。新版で、東南アジア占領地支配について、「独立を願って日本軍に協力した人々も多かった」を追加している。これは、「つくる会」教科書と歩調をあわせるもので、侵略戦争ではなくアジア解放戦争だったいいたい意図であったが、検定によって削除された。東南アジア・太平洋地域の住民への加害の事実はまったく無視している。
 アジア諸民族の「戦火の惨害」の責任がどこにあるかをあいまいにし、この戦争のおかげで独立したと思わせる記述をしている。これも「つくる会」教科書と同様である。
 (5)戦時下の国民生活の実態にもほとんどふれずに、国民は「窮乏生活にたえて、勝利のために協力した」と一方的に記述。反戦・厭戦の動きは無視し、国家への奉仕の事実のみを強調している。
 沖縄戦については、「県民が一丸となって抗戦し、中学生や女学生も学徒隊として戦列に加わった」とし、さらに学徒隊の「勇戦」ぶりを強調し、日本軍による住民虐殺や「捨石作戦」の事実は無視されている。これも「つくる会」教科書と同様である。
 以上のように、日本の侵略戦争を肯定・美化し、アジア諸国を敵視し、排外主
 義を煽る内容であり、とうてい国際社会では通用しない、日本を国際的孤立化に導く教科書である。

 4、「つくる会」教科書と同じ立場・内容の教科書である。
 すでに、前記の中でも指摘したように、歴史の事実の歪曲、大東亜戦争などの用語、大東亜会議・汪兆銘・教育勅語・沖縄学徒隊・アジアの独立の扱いなど、「つくる会」教科書の問題点と共通している。また、戦争そのものを肯定し、「戦争をする国」づくりをめざすということも共通している。まさに、「つくる会」教科書の高校版というべきものである。

 5、歴史研究を無視し、高校生の教科書としてふさわしくない。
 すでに指摘したように、全体として歴史研究の成果を無視し、勝手な思い込みで歴史を叙述している。また、高校生にとっても理解不能な非常に抽象的な表現や難解な用語が随所に出てくる。高校生を無視した教科書である。しかも、一面的な解釈をおしつけて高校生の歴史認識を歪める内容になっている。受験を意識してか、十分な考慮なしでやたらに多くの事項や人名を盛り込んでいるが、そのために、随所に矛盾した記述が目に付く。結果的に受験にとっても不適な教科書になっている。

日本軍「慰安婦」の記述が消えた問題について

 中学校歴史教科書で、日本軍「慰安婦」の記述が大幅に減少したが、高校新教科書でも一部にこの傾向が見られる。
 日本史教科書には明成社版以外はすべて「慰安婦」を記述しているが、現行本で「慰安婦」を記述していた教科書のうち、世界史で一点(帝国書院)、現代社会で二点(教育出版、桐原書店)、倫理で一点(教育出版)が「慰安婦」をなくしたことが確認されている。未確認であるが、地理でも削除した会社があると思われる。
 これは、出版社による「自主規制」と思われるが、この間の教科書攻撃が背景にあることは明らかである。国際社会では、例えば昨年八月の国連人権小委員会決議や、一二月の女性国際戦犯法廷のハーグ最終判決での日本政府への勧告のように、「慰安婦」を教科書に書いて記憶にとどめる教育をすすめることが求まられている。削除した出版社に対して抗議すると共に、猛省を促したい。


複眼単眼

 
 改憲派も憲法違反と認める小泉首相の有事法制、批判の視点

 自民党の野中広務・元幹事長が北京で有事関連三法案について「わが国の有事ということについて、どうしてそんなに急いでやらなければいけないのか」と述べ、古賀誠・前幹事長も「国会の会期を延長してまで成立させるのは性急すぎる」とのべた。そして保守党の二階俊博幹事長も「デフレ対策のためならともかく、別のことで会期延長するというなら私は反対だ」と述べたという。
 これらの橋本派系はムネオ問題で沈黙させられたかの観があったが、自民党内で少し矛盾が噴き出てきたようだ。
 四月四日の参議院憲法調査会では、自民党の増添要一が有事法制問題で執行部批判をした。彼は「基本的人権の問題に関わるのだから、これらの緊急法制はドイツのように憲法に明記されなくてはならない。それができないなら、今回はプログラム法にとどめるべきだ。こうした重要問題をつぎはぎ的な法整備のやり方で強行していいのだろうか」と発言した。増添は改憲論者だが、小泉の政治手法には疑問をもったようだ。
 同じ憲法調査会で自由党の改憲論者の平野貞夫も「憲法調査会ができて以来、憲法条文に反することが多くなったようだ」と前置きして、@森政権成立をめぐる正統性への疑問、A小泉首相が首相には改憲の発議権もないのに、私的諮問機関とはいえ、首相公選制の諮問機関をつくり議論させていること、Bハンセン病判決の時の政府の控訴断念声明は司法権を無視したものだ、C憲法に反する自衛隊の海外派兵をなしくずしに実現したこと、D百五〇国会でやった「公選法改正」も党利党略で憲法違反だと、五点にわたる憲法違反を指摘し、時分は改憲論者だが、「今の与党のような憲法感覚のもとでの改憲の動きには反対だ」と述べた。
 増添の指摘も、平野の指摘も、私たちとは立場こそ違ってはいるが、ひとつの
問題点を衝いているのは確かだ。
 これらに比べると、三月八日の「週刊金曜日」で「こんなおそまつな(憲法改正)国民投票法は絶対に通してはならない。……よりましな国民投票法案をこちら側もつくって、最大限の議論をかさねるしかない」とひどい意見を述べている山口二郎(北大教授)が、同様の論理で、小泉首相の首相公選制の諮問機
関に名を列ねているのは本当におそまつというべきだ。平野がいう「憲法違反の諮問機関」に、「意見をいうために」入っていった山口のおろかさが責められなくてはならないだろう。山口は反対派を「左翼・市民派のボヤキ漫才」と揶揄しているが、こうした浅はかな「対案主義」者は、九十年代から急速に増えてきた。筆者はこれらは「平時の転向」現象だと思っている。(T)