人民新報 ・ 第1059号<統合152> (2002年5月15日)
  
                                目次


● 共同の力をさらに強め、STOP!有事法制  5.24大集会の圧倒的な成功へ
   生かそう憲法、高くかかげよう第九条、許すな有事法制、五・三憲法集会に5000人

● 辛淑玉さんが語る在日の危機感 5・3憲法と戦争を考える大阪のつどい 

● 信州護憲ネットが5・3集会  「有事法制に反対」訴える

● 三井鉱山に賠償責任、しかし国の責任を問わず 原告団は控訴

● 資 料 / 「公社法案」「信書便法案」に関する郵政全労協の声明

● 「有事立法」に反対する全国共同行動 ― 集会と全国交流討論会 ―

● 4・29集会とデモ W杯を利用した戦争責任の欺瞞的清算を許すな

● マルクスの「過渡期社会」像の検討 C  人間的解放の物質的条件

● 中国映画  活きる(原題活着)

● 複眼単眼 / 海幕のマッチポンプにみる「備えこそ憂い」の一幕



共同の力をさらに強め、STOP!有事法制  5.24大集会の圧倒的な成功へ

生かそう憲法、高くかかげよう第九条、
許すな有事法制、五・三憲法集会に五〇〇〇人

全国各地で「有事法制の廃案」をかかげて憲法集会

 平和憲法の危機が語られ、国会では憲法破壊の有事法制案が審議されているさなかの五月三日、憲法記念日には北海道から沖縄まで、全国各地で改憲反対派の集会が、いずれも例年にない多数の参加者を得て開かれた(二面参照)。
 東京では午後一時から日比谷公会堂で「生かそう憲法、高くかかげよう第九条、許すな有事法制、二〇〇二年五・三憲法集会」が開催され、会場内外に約五千名の人びとが結集した。
 この集会実行委員会は従来の経過や立場の違いを超えた、広範な勢力を代表する八つの市民団体が事務局を構成し、社民党・共産党の党首の参加と、民主党の横路前副代表のメッセージなど政治的にも幅広い共同が実現し、大きな成功をおさめた。
 この成功は昨年の集会の成果を受け継ぐものであり、この一年、市民団体が軸となって社民党、共産党、あるいは民主党の一部や労組などが、アフガン報復戦争反対、テロ特別措置法反対で共同する動きとして継続され、今日に至っている。

富山洋子さんとコスタリカのバルガスさんの挨拶

 集会は憲法改悪阻止各界連絡会の高田公子さん、憲法を愛する女性ネットの山口菊子さんの司会で始まった。
 実行委員会を代表して許すな!憲法改悪・市民連絡会の富山洋子さんがあいさつした。
 「世界に誇るべき私たちの平和憲法が最大の危機にさらされている今、会場に超満員の結集があっただけでなく、会場の外にも多くのみなさんが詰めかけておられることを互いに喜びたい。この力を次なる展開に向けて蓄積していきたい。四月二六日、有事法制案が国会に提出された。また改憲議連は憲法改悪のための国民投票法案の国会提出も目論んでいる。この政治状況の中で、運動への取り組み方の違いを超えて、昨年にひきつづきこの日比谷公会堂に結集したことは意義深いものがある。戦中世代である私にとってはこの平和憲法は宝物だ。世界の人たちとともにかかげていくべきものだ。しかし、日本政府は有事法制などによって憲法を破壊しようとしている。本日、全国各地で憲法集会を開いている皆さんとともに有事法制阻止の大運動を展開したい。今日の憲法集会を契機に、さらに世界の人びととともに反戦平和をめざしていきたいと思う」
 非武装憲法を持つコスタリカから国際反核法律家協会副会長のカルロス・バルガスさんが連帯あいさつにたった。
 「コスタリカは一九四八年の内戦後、軍備を放棄した。そして社会保障や教育、労働者の権利の尊重、環境などを大切にしてきた。コスタリカはさまざまな製品とともに平和、非武装、人権尊重というものを輸出している。日本が再び戦争への道を歩むことがないように、憲法九条を守ってくださるように祈りたいと思います」と。
 各界からのあいさつは平和をつくりだす宗教者ネットの小河義伸さん、全港湾労働組合の伊藤彰信さん、若者のグループCHANCE!の有志、女性の憲法年連絡会の中小路貴子さん、子どもと教科書ネット21の糀谷陽子さんが行った。参加した社民党と共産党の国会議員の紹介のあとメッセージの紹介が行なわれた。衆議院議員の川田悦子さん、日本婦人有権者同盟の紀平梯子さん、全労連の小林洋二さん、新社会党の小森龍邦さん、参議院議員の島袋宗康さん、参議院議員の中村敦夫さん、日本青年団協議会の東和文さん、全労協の藤崎良三さん、衆議院議員の横路孝弘さんが連帯のメッセージを寄せた。
 若者たちの太鼓の演奏が行なわれた。高校中退者や活きる道に迷う若者たちの学校「のむぎオープン・コミュニティ・スクール高等部」の若者たちの「のむぎ平和太鼓」が力つよく響きわたった。

土井・志位、小田、暉峻各氏のスピーチ

 スピーチは土井たか子社民党党首、作家の小田実さん、埼玉大学名誉教授の暉峻淑子さん、志位和夫共産党委員長が行なった(発言詳報は次号)。
 土井党首は「戦争の準備をすれば、戦争になる。平和への努力をすれば平和がやってくる。有事法制の廃案をめざして、五月三日だけでなく三六五日が憲法の日です」と述べた。
 小田さんは「世界には戦争主義と平和主義がある。しかし平和主義はだんだん押されている。いま改めて理想を追求し、良心的兵役拒否の道をとろう」と呼びかけた。
 暉峻淑子さんは「平和と民主主義と人権の三つは縄のように一緒になって初めて効力がある。日本は有事をつくらないというのが日本国憲法です。今日、こんなに集まってくださったように、市民の力も大きくなっています。集会がおわったら、みなさん、一歩でも動きましょう。それが大事です」と訴えた。
 志位委員長は「有事法制は参戦法案であり、国民の自由と人権を踏みにじる戦時体制づくりです。憲法と有事法制は絶対にあいいれないもので、憲法を総破壊するものです」と述べた。
五・二四集会の成功へ

 平和を実現するキリスト者ネットの西原美香子さんの訴えで、会場から百五十万円のカンパが寄せられた。集会アピールは憲法を生かす会の小笠原はるみさん、パレード説明は全労協の武藤弘道さん、閉会あいさつは全労連の田中洋子さんがおこなった。
 集会後、銀座から東京駅にむかった行進は、右翼の妨害に屈せず、「改憲反対、有事法制反対」を都民にアピールした。
 この共同行動の成功を、さらに有事法制阻止に向けて「STOP!有事法制五・二四大集会」の成功につなげよう。


辛淑玉さんが語る在日の危機感

         
5・3憲法と戦争を考える大阪のつどい

 五月三日の憲法記念日に、大阪の天六「すまいの情報センター」で『憲法と戦争を考えるつどい』―9・11後の平和創造に向けて―が同実行委員会のもとで開催された。二七〇名の人が参加し、会場は満杯だった。
 主催者を代表して関西共同行動の原田恵子さんは、議員辞職や秘書問題の混乱のなかで、小泉内閣の進めようとしている「傭えあれば、憂いなし」とする有事三法案の成立を阻止しなければならない、同時に審議人りしたメディア三法棄についても反対していこうと訴えた。
 講演は姜尚中さんに替わり辛淑玉さんだった。
 辛さんは「憲法と男」と題し、戦前戦後の男たちのあり方と今、将来について会場の参加者を爆笑の渦に巻き込みながら話した。楽しく、しかも深刻な現状に鋭く突っ込み、突っ込まれた男性の参加者も思わず笑ってしまうのだが、課題が多く出された集会だった。たとえば、男たちはじっとこらえて、黙ってやりぬく。
 戦前の兵隊にしても、今の企業戦士にしてもそうしなければ、男にとっても生きてこれなかった。しかしそこでは、<女性の権利>がないがしろにされ、女性の犠牲のもとに支えられていた。家に帰っても会話をしない親父、そして男の子はけんかしても負けるなと教えられる。でも命の電話は多くが女の子、自殺するのは男の子だ。アンケート調査にもとづくデータを示しながら、男女共同参画事業の必要性を訴えた。そして、「憲法九条を日本人は武カを放棄しただけでなく、全世界に向かって具体的に口にし、行動をすることが大切だった。ペルーの日本大使館の事件のときの犯人との交渉をした神父さんのように。憲法の望んだ人間像が見えない、その姿を作っていく必要がある」と語った。
最後に辛さんは日本人の危機感について述べた。「9・11の事件のとき、とっさに目分の母親に家のすべての鍵をかけ、電気を消すように言った」という。そして事件が次第に明らかになったところで、「あぁ朝鮮人の犯行でなくてよかった」と感じたと。そして「日本人にはこの危機感がない」と語った。
 集会ではこの後、大阪経済法科大学の澤野義一氏(第9条の会・関西代表世話人)が憲法の状況と、三月に訪問された軍隊のない国コスタリカの報告などがあり、集会アピールを採択した。(大阪・鳥井)


信州護憲ネットが5・3集会  「有事法制に反対」訴える
  
 五月三日、長野市若里市民ホールで、守ろう平和憲法信州ネットワーク(信州護憲ネット)が第四回「市民の憲法講座」と第三回総会を開催した。この集会を主催した信州護憲ネットは、二年前の五月三日に長野県下の護憲団体や労働組合、平和運動や脱原発運動をしている市民運動団体などの代表や活動家が呼びかけで結成された。年会費一〇〇〇円で個人参加を基本とし、一年間単位で更新するというゆるやかなネットワークで、二〇〇一年は二三人の代表委員と約七〇〇名の会員で構成されていた。年一、二回の「市民の憲法講座」(ほぼ一〇〇名ほどが県下各地から結集する)が開催され、会報も発行されている。その他に長野市の信州大学の教室等で、「市民の憲法大学」を毎月一回程度開いている。
 それぞれの代表委員は、個々に関わっている団体での活動をしながらも、「憲法九条の改悪に反対しよう」「憲法を暮らしに活かし、広げ、未来を拓こう」をベースに結集している。
 今年の集会には、一二〇名余が参加し約二時間半の講演と年間活動方針の確認をおこなった。中心テーマは、やはり「有事法制」で、信州大学助教授で代表委員でもある愛敬浩二さんが「有事立法のどこが問題か?なぜ問題か?そして、今何を考えるべきか?」という演題で、約一時間の講演を行った。
 愛敬さんは講演の冒頭で、「世論調査などで、国民の多くが九条も必要、自衛隊の必要と言うような認識を持っている事がわかる。これは、矛盾している認識ではあるが、こういう認識の人たちに語りかけて、矛盾に気づき有事立法に反対してもらえるようにしたい」「今回の有事法制の組み立て方は、すでにある法律の『適用除外』という形になっていて、対象の法律を知らなければ解らないようになっている」ここが問題で危険な法案であると指摘した。
 さらに、武力攻撃事態とおそれのある事態ということで、危険度が増している。また、防衛庁はすでに、研究済みの冷戦型で立法化しようとし、小泉首相周辺は「テロ対策、不審船、拉致疑惑」を範疇に入れようとしている。それゆえに、法案としては不備だらけになっているが、これが通されてしまう危険がある。通してしまえばその不備も次の「改正」と言う形で芋づる式に事が運ばれてしまうことも指摘された。
 さらに、有事法制がなければ、もし米軍が北朝鮮を攻撃して、報復で日本の原発が襲われたり、基地が攻撃される事態になっても、日本は何も軍事行動が出来ない。しかし、日本の支援的軍事行動が保証されなければ、アメリカも北に対する攻撃が出来ない。つまり、アメリカが東アジアで戦争をしかけるには日本の軍事力(つまり自衛隊)を必要とし、そのために有事法制は必要という図式になっている。だから、有事法制もなく、アメリカが戦争を起こさなければ、日本には武力攻撃事態は発生しないことになると言う関係にあると説明され、有事法制不要論を展開した。
 ただし、「テロ対策、不審船、拉致疑惑」を有事(武力攻撃事態)と混同してしまうと、「対テロ戦争」に積極的に協力させようとするアメリカの思惑と「九・一一事態」を利用して憲法改悪にまで走りたい現日本政府の思惑が一致してしまう。問題はあるが、日本における「不審船、拉致疑惑」対策はすでに、法制化しているもので十分対応出来る。「対テロ戦争」を正当化すると、戦時と平時の区別も消滅してしまうとも指摘した。
 講演に集まった人々は熱心に聞き入った。
 そのあと、憲法と住民自治の視点からの特別報告や代表委員のスピーチがあった。スピーチの中では、有事法制に反対する緊急行動の決意や近々のピースサイクルへの参加要請など、出席していた代表委員がそれぞれ反戦、平和へのアピールを行った。 二〇〇一年の活動経過、財政報告、二〇〇二年活動方針などを確認して、最後に、代表委員全員の連名で「有事法制に反対する声明」を発表することも、報告された。(長野通信員)


中国人強制連行裁判福岡訴訟判決・一部勝訴

  
三井鉱山に賠償責任、しかし国の責任を問わず 原告団は控訴

 四月二十六日(金)に中国人強制連行・強制労働裁判の判決が福岡地裁において言い渡された。昨年七月の劉連仁判決に引き続き、画期的な判決内容になった。
 中国人強制連行・強制労働福岡裁判は、二〇〇〇年五月十日に、三井鉱山に強制連行・労働をさせられた中国人一五名が、国と三井鉱山(本社は東京)を相手取り、強制連行・強制労働等の不法行為責任に基づく謝罪広告掲載と損害賠償(一人につき二〇〇〇万円と弁護士費用)の請求している裁判である。
 判決は、@強制連行・強制労働について、「被告国と被告三井鉱山の共同不法行為」の事実の存在を認定した。連行企業とともに国の不法行為の成立を正面から認定した判決はこれが始めてである。Aこうした詳細な事実認定に基づいたうえで、被告三井鉱山による「時効、除斥」の主張も排除して、これにより責任を免れようとする被告三井鉱山の免責を「正義の理念に著しく反する」として許さなかった。B不法行為の成立を認めた被告国に対して、「国家無答責」の法理を理由に、結論としては国の責任を免除している。C戦後における被告らの保護義務の存在を認めている。
 この判決に対して、被告三井鉱山は、不当にも即日控訴した。
 原告団・弁護団と支援団体は、判決後の四月三十日夕方に三井鉱山と交渉を行った。三井鉱山側は、原告の要求である謝罪を頑なに拒否したばかりでなく、和解についても拒否し、はなはだ不誠実な対応を繰り返すのみ。控訴審でも事実認定について争わない姿勢を示している。
 三井鉱山は国策で炭鉱としては全国最大の五千五百十七名にのぼる中国人の割り当てを受け、監視付きの「タコ部屋」に押し込め、食事は、一日に小さなマントウ五個で強制労働をさせた。また、「日本人従業員によるリンチ」が日常的に行われていた。酷使の結果、そのうちの千七十二名を死亡させた。およそ五人に一人が亡くなった計算となる。
 この日は、朝から外務省などの関係省庁への申入れ行動、社民党や共産党などの政党要請や、議員への協力要請を行った。
 夜は、シニアワークで福岡裁判判決報告を行い、弁護団からの判決報告や、判決を聞くために来日中の原告からの想いなどを聞き、闘いの成果を確認しあった。
 現在、中国人強制連行・強制労働の裁判は、北海道から福岡まで全国で七件の訴訟を起こしている。
 今後は、劉連仁判決・福岡判決を一つの武器に、戦後補償実現に向けた法廷外での大衆的な活動が重要になってくる(五月九日、原告団は国の責任が問われないこと、賠償額が減らされたことを不服として控訴した)。(A)


資 料

    「公社法案」「信書便法案」に関する郵政全労協の声明


 小泉内閣は、四月二十六日、「郵政公社法案」「信書便法案」を閣議決定し、国会に提出した。
 この法案は、利権も絡み合った与党自民党内での郵便事業への全面的民間参入に反対する勢力との攻防の中で、自民党の事前承認を抜きにして内閣が独自に提出するという、かつてない取り扱いで提出されることになった。このような異例とも言える法案提出は、小泉首相の「公約」でもある郵政民営化と密接に関連していることはいうまでもない。
 小泉首相がここまで法案提出にこだわった大きな理由は、法案をめぐって主要な争点となったとされる「郵便事業への民間参入の在り方」ではなく、郵便事業への全面的な民間参入を実現し、そのことにより郵政事業全体の民営化の流れを加速させることを狙ったものであり、とりわけ、貯金・保険事業の民営化を早期に実現したいということにある。
 小泉首相は、「民間にできることは民間に」を大義名分にしつつ、銀行を軸とした金融業界の資金の運用先として、国民金融公庫の解体を強行し、次に資金の調達先として二〇〇兆円を超える資金をもつ郵便貯金の解体を目指しており、いかに構造改革・利権の排除を強調し「自民党的なものの解体」を叫ぼうとも、結局は、国民・利用者の利益より、銀行業界の利益確保・生き残りを優先しようとする「族議員」にすぎないのである。
「郵政公社法案」「信書便法案」は、「あまねく公平、公共の福祉に寄与」というユニバーサルサービスの確保を明記しつつも、企業性の追求を強調している。しかし、企業性の追求とユニバーサルサービスの両立はある意味で相反するものであり、さらに、民間企業の参入の中で競争が激化し、結果的に独占を廃止した諸外国の現状を見るまでもなく、サービスの切り下げ・全国均一料金体制の見直し、大口・企業優先料金体系の拡充、地方の切り捨て、等々、ユニバーサルサービスの解体につながっていくことは明らかである。
 私たち郵政全労協は、現状のような「官営」でもなく、また「民営」でもない、郵政事業を地域と密着し、地域住民と共に作り上げ、社会に役立つ、文字通り「公営」としての事業運営を求めてきた。
 その意味でも、今回提出された「郵政公社法案」「信書便法案」には、国民・利用者の利益を守り、社会的有用性のある郵政事業を目指す立場から、断固として反対するものである。

 四月二十七日

  郵政全労協 議長 三木鎌吾


「有事立法」に反対する全国共同行動 ― 集会と全国交流討論会 ―

 五月四日午後三時から都内で開かれた討論集会では、冒頭、主催者を代表して天野恵一さんから「交流会は有事法制をめぐる緊迫した情勢の中で、各地の運動や歴史的違いを尊重して、顔の見える交流会として準備された」と主旨説明があった。報告は各運動分野の四名から行なわれた。
 「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんは「いま国会で議論されてい
る有事法制は究極の解釈改憲法案であり、憲法の三原則に真っ向から対立する軍事法体系の確立をねらうものだ。『憲法改正』国民投票法案の提出の動きもある。しかし、各種の世論調査では九条改憲は依然として少数意見だ。そのような中で市民版憲法調査会という、改憲を前提とした新憲法案づくりの動きも飛び出した。民主党の右派などの議論と歩調をあわせるものだ。同時に有事法制に反対する側もすぐ行動にでるのではなく、まず学習してからなどという、腰の重い状況もある。これを克服して地域で人びとの中で有事法制反対の世論を高めることは緊急の課題だ」とのべた。
 「ピープルズ・プラン研究所」の武藤一羊さんは「アジアの民衆が連帯した平和連合という運動がフィリピンや韓国の民衆運動を中心に作られつつある。これをまず東南アジアで連携してつくりつつ、全アジアに広め、アメリカのグローバリズムに反対する下からの動きを作りたい」と発言した。
 沖縄からきたフリーライターの安里英子さんは「有事法制の動きは日本の沖縄化をすすめるものだ。沖縄振興政策は基地問題に関するアメの政策というのが本質だ。復帰三〇年というが沖縄の基地は維持されているし、新基地まで作られようとしている。これは国際的な軍事化の流れの一環ではないか」とのべた。
 「日本キリスト教協議会」の大津健一さんは「日本のキリスト教や仏教の世界でも保守化傾向、内向きの傾向がでている。アメリカのブッシュ政権の背後にもキリスト教会がある。この米国教会や米国市民との対話の必要を痛感している。このままでは有事法制は通ってしまう。有事法制反対の一点で共同を作り、四・一九から五・二四全国行動へと流れをつくりたい」と提起した。
 「派兵チェック編集委員会」の岡田剛士さんは「パレスチナの戦争がつづいている。暫定自治政府の大統領が監禁されたことは象徴的事件で、イスラエルは自治政府の機関に関連する建物を集中的に破壊している。それは将来のパレスチナの市民社会の基盤を壊すねらいがある。しかし、一方でイスラエルの中に兵役拒否をする人びとの動きがでてきた。軍隊ではイスラエルの安全は守れないという考えに基づくもので、注目に値する」と指摘した。
 質疑応答のあと、七時からは全国交流討論会で、各地の報告と討論が行なわれた。


4・29集会とデモ

 
W杯を利用した戦争責任の欺瞞的清算を許すな

 昭和天皇ヒロヒトの誕生日にちなんで作られた祝日「みどりの日」に際して、ワールドカップを利用した、天皇制の戦争責任を欺瞞的に清算しようとする動きに抗議する集会が、四月二九日午後一時から都内の豊島区立生活産業プラザで開かれた。
 主催は「W杯・天皇訪欧を問い、天皇制の戦争責任を追及する共同行動」に結集する諸団体。
 先の小泉首相の奇襲的な靖国参拝など、支配層による天皇制の強化を狙う動きは絶えない。この「みどりの日」も、さらに「昭和の日」に変えようとする右派の動きも強まってきている。今年は日韓共催のサッカーのワールドカップが準備されており、そのスポーツ・イベントを利用した「日の丸・君が代」などによるナショナリズムの煽り立てと、これを「皇室外交」の舞台に利用する動きがある。また有事法制をこのW杯のお祭り騒ぎの中で、人々に隠れて強行することにも利用している。
 集会には百二〇人の市民が参加し、「天皇制の戦争・戦後責任」と題する伊藤晃さん(千葉工大教員)の講演と「韓国民衆運動とワールドカップ問題」という都裕史さん(沖・韓民衆連帯)の報告を聞いた。
 集会後、池袋の繁華街を「ワールドカップでナショナリズムをあおるな」「天皇賛美のみどりの日反対」「憲法違反の皇室外交をやめろ」「憲法改悪反対」などのスローガンを叫びながらデモ行進をした。


マルクスの「過渡期社会」像の検討 C

          
人間的解放の物質的条件

                             
北田 大吉
八、現代の技術革命

マルクスが共産主義者としての自己形成の道を歩みつつあった一八四八年に書かれた『ユダヤ人問題によせて』は、マルクスの未来社会像についての検討にあたって大きな示唆を与えてくれる。マルクスの思想の基底にあったのは「疎外からの解放」であったが、マルクスは解放を政治的解放と人間的解放と明瞭に区別し、「あらゆる解放は、人間世界を、その諸関係を、人間そのものへ復帰させることである。政治的解放は、人間が、一方では市民社会の成員へ、利己的な独立的個人へ、他方では公民へ、道徳的人格へ還元されることである。現実の個別的人間が抽象的公民を自己のうちにとりもどし、個別的人間のままで、その経験的生活、その個人的労働、その個人的な諸関係において類的存在になるときにはじめて、人間がその『本来の力』を社会的な力として認識し、組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力のすがたで自分自身からきりはなさなくなるときにはじめて、そのときにはじめて、人間的解放は成就されたのである」と述べている。
 共産主義者として『共産党宣言』を書いたのは、そのわずか二年後のことであった。マルクスがブルジョア国家を打倒してプロレタリアートの独裁を樹立する政治革命をこの「政治的解放」とダブらせ、「半国家」としてのプロレタリアート独裁が死滅して協同組合を軸とする協同社会の実現を「人間的解放」とダブらせることは、はたして許されないことであろうか。
 労働が自然にたいする人間エネルギーの発露たるかぎり、それは本来、あらゆる芸術活動と同じく、個人の欲求の自発的な発露としての生き生きとした活動であり、この労働が苦役でしかないような状態はまさに人間疎外にほかならないであろう。
 マルクスは、労働者階級の解放を生涯の目的として追求したが、それは労働者のたんなる政治的解放ではなく、それは労働者階級を総体として奴隷状態に縛りつけている賃金制度、その基礎である分業の固定化、労働力の商品化、価値法則そのものからの根本的解放、人間的解放であった。マルクスは、労働者階級の人間的解放こそ、最終的な人間の解放そのものであることを確信していたのだ。
 しかしマルクスが生を享け、生きるために苦しみ、のたうちながら死んだ一九世紀には、このような人間解放のための条件はまだなかった。ロシア革命にはじまり、中国革命、ヴェトナム革命、キューバ革命が勃発した二〇世紀にも、このような人間解放が実現される条件はなかった。
 二〇世紀も終わりが近づいた八〇年代になって、やっとそのための条件が熟してきた。「技術革命」である。人間は歴史上、三つの大きな技術革命を経験した。一つは農業革命である。今ひとつは産業革命である。そして現在、最後の技術革命を実現しつつある。技術革命の成果は、生産様式の革命的な転換である。生産様式とは、労働力が労働手段を介して労働対象に働きかけて生産をおこなう様式にほかならない。人間をそれ以外の存在と分かつものは労働手段の制作であるが、人間はこの労働手段を使って自然を変革するのである。
 農業革命においては、労働者手段の改良とか自然エネルギーを動力として利用するとかさまざまな発明がおこなわれたが、人間自身はあまり大きな変革を経験せず、主として労働対象の側に大きな変革がみられた技術革命であった。
 これにたいして産業革命は、なんといっても機械を中軸とする技術革命であり、これによって人間の肉体的エネルギーの発揮は、大部分、機械によって代替されることになった。機械化を中軸とする技術革命は二〇世紀にはいっても大躍進をとげ、ついに機械の一大自動体系が社会的生産を支配する生産関係―資本制的生産関係が全世界を覆うにいたった。もっとも自動機械体系が出現したとはいっても、社会的生産から人間が完全に排除されたわけではない。自動機械はついにはコンピュータを使用するエレクトロニクス体系へと登りつめたが、このコンピュータにデータを入力し生産を指揮するのは人間であり、また、自動化されたとはいっても「機械につく労働者」が皆無になったわけではない。人間はいまやますます自動機械体系の一部品として矮小化され、それだけ疎外が激しくなった。
 しかし機械の自動体系が生産を支配することは、資本主義的生産関係の矛盾を極度に押し上げることとなった。それは機械との競争によって多くの労働者を街頭に放り出しただけではない。資本主義は商品を生産するだけではなく、剰余価値を生産しなければ成り立っていかない宿命をもっている。剰余価値の生産のために、各資本家は互いに激しい競争を通じて常に新しい機械を導入し、生き残りを賭けて争っている。資本家は常に新たな投資をおこなっているが、投資される資本の大半は新しい機械の購入にあてられる。このため資本の有機的構成はとてつもなく高くなり、ロボットの投入などにより可変資本の投入はほとんどゼロに近い企業も生まれつつある。こんごの傾向は、まさに可変資本が無限にゼロに近づいていくであろう。
 いうまでもなく資本のうち剰余価値を生産するのは剰余労働のみである。マルクスも資本のこのような内的傾向には疾うに気づいており、これを平均利潤率低下の傾向として認識していた。現在、産業革命に端を発する機械化の波はもはや頂点に達しつつある。これは剰余価値を生み出す源泉である可変資本がゼロに近づくという資本主義に内在する矛盾の激化が最高の水準に達しつつあることを意味している。
 さらに現在進行中のエレクトロニクス革命は、産業革命が人間の筋肉労働を機械によって代替したように、人間の精神労働をエレクトロニクス装置に代替し、これを極限に押し進めつつある。これは自動機械体系が可変資本を相対的に減少させたのとはオーダーを異にする剰余価値の絶対的減少の危機を資本に強いることになる。この問題の本格的検討は別稿に譲るが、これはたんなる資本主義の危機のみならず、新たな人間的危機を招来している。
 進行中の技術革命は、人間の精神的活動をエレクトロニクス装置による代替を中軸とする革命であるということは、多くの労働力を失業者に変えた産業革命のいっそうの発展としてほとんどの労働者を失業者に変え、人間存在にとって大変な事態を招来し、人間の意識をもはや生産の枠を越えて、自然との関係はもとより、人間の生きる意味そのものを問うことになる。
 そもそも現在の技術革命は、生産様式のモメントとしては労働力の革命的変化に導くが、労働力とは人間であり、人間労働力の商品化の行き着く先がどういうことになるかを労働者自身はもとより、社会のいっさいの階級・階層に深刻な問題をなげかけるものである。(おわり)


中国映画  活きる(原題活着

 1994年作品 カンヌ映画祭審査員グランプリ受賞

 監督・張芸謀(チャン・イーモウ) 原作・余華(ユイ・ホア) 主演・家珍=コン・リー、福貴=グォ・ヨウ

                                     
渋谷Bunkamuraル・シネマで上映中

[大きくなったら何になる?]

ラストシーン(六十年代末の文化大革命期の中国で)。
福貴「(ヒヨコを買ってきた孫に)いっぱい食べればすぐに大きくなる」
マントウ(孫)「いつ大きくなるの」
家珍(妻)「あっという間よ」
マントウ「大きくなったら?」
福貴「鶏からガチョウになる。ガチョウは羊になって、羊は牛になるのさ」
マントウ「牛の次は?」
福貴「牛の次は……」
家珍「つぎはマントウが大きくなる番よ」
マントウ「大きくなったら牛に乗る」
福貴「牛ばかりじゃない。汽車や飛行機にも乗れる。その頃はいまよりもっといい世の中だ」
 福貴と家珍の思考の奥底にあるこのほのぼのとした底抜けの楽観主義が、激動の中国の四十年代、五十年代、六十年代をしぶとく生きぬかせる。
 映画を見終えて「まぁ、いろいろあるけれど、中国にも明日があるさ」という気分にさせられる。このしっとりとした楽観主義が映画「活きる」の主題だとも言える。
 実はラストシーンと同様の会話が五十年代末の「大躍進」の時期にでてくる。
福貴「餃子は好きか」
有慶(息子)「うん」
福貴「肉は好きか」
有慶「好き」
福貴「いい子にしていれば毎日食べられる。家はいまヒヨコのようなものだが、いつかはガチョウになる。ガチョウが大きくなり羊になる。羊の次は牛だ」
有慶「牛の次は?」
福貴「次は共産主義さ。毎日、餃子や肉が食えるようになるぞ」

 二つの対比でわかるように五十年代の「共産主義」という表現は、文革期には「いまよりもっといい世の中」に変わっている。 昔の筆者だったら、この対比に不満を感じたかもしれない。しかし、いまはそう思わない。大躍進期や文革期の中国の民衆が共産主義の未来に期待したことも決して愚かだなどとは思わない。
 大躍進の夢が敗れ、文革の未曾有の困難の中で、苦難の道を歩みながら、それでも希望を捨てない中国の福貴のような民衆たちにエールを送りたいと思う。
 次世代の子どもたちが成長していく中で、この激動期に多くの人びとが夢見ていた新しい世界を切り開いていく仕事が、そのことばの表現は別にしても、きっと受け継がれていくに違いないと思うからだ。

[監督と原作のことなど]

 この映画は一九九四年作品。カンヌ映画祭審査員グランプリなど受賞。本国では未公開だという。
 中国映画をいくらか見てきた人は、監督の張芸謀(チャン・イーモウ)が「古井戸」「紅いコーリャン」など多数の映画に主演し、「黄色い大地」「菊豆」「紅夢」など多数の作品を撮ってきたあの人だと気づくに違いない。
 「活きる」は中国の四十年代(国民党と共産党の内戦期)から五十年代(解放と大躍進期)、六十年代(文化大革命期)を生きてくる福貴(フークィ)と家珍(チアチェン)の夫婦の視線から、すなわち「一般大衆」の視線でこの激動期を大胆に描いたものだ。
 原作は余華の「活着」で「生きている」という意味の作品。本は「活きる」として角川書店から発売されている。中国では二〇万部を超えるベストセラーになった。張芸謀は原作を大幅に簡略化し、映画をメリハリのあるものにした。
 余華は『日本語版あとがき』で自ら次のように作品を解説した。
「この作品はある男の一生を描いた作品だと思う。したがって時間の長さと短さ、時間の躍動と静寂が表現されている。……『活きる』では時間の変化が福貴の運命の変化を左右し、時間の方式がそのまま福貴の活きる方式につながっている。……福貴の人生は手のひらのように狭い。しかし、それはまた大地のように広いとも言えるのではないか?」と。
 このところ、文革への「恨み節」を繰り返し聞かされ、また「社会主義市場経済」の名による資本主義化の礼賛ばかり聞かされて、そのあまりにも安易な総括に辟易していただけに、民衆の目線を借りて、この激動期を捉え直そうというこころみにはさわやかさを感じた。
このようなチャン・イーモウの作業は、それにすべて賛同できるものではなくとも、現代中国史を考える上では無駄ではないと思った。

[物語]

 博打好きの大地主の息子・福貴は賭博の借金で財産をすべて失った。身重の妻の家珍も幼い娘を連れて実家に帰るが、無一文の家貴が博打を止めたのを知り、戻ってくる。
 福貴は裕福な時代の手なぐさみの影絵芝居の巡業で収入を得る。
 旅の途中、国民党軍に捕まり、ついで共産党軍に捕まり、それぞれで影絵芝居をする。
 内戦が終わって家に戻ると、娘は病の後遺症で口がきけなくなっていた。福貴は共産党軍に従軍したことで街のみんなに尊敬される。ある日、福貴はかつて自分の財産を賭博で奪った男が反革命地主として処刑されるのをみる。福貴はいまの自分が地主階級ではなく、貧民であることを確認し、安心する。
 大躍進期、福貴の町でも毛沢東と党の呼びかけに応えて「英国を追い越せ、米国に追い付け」とばかりに街の製鉄運動が起こる。どの家も鉄製品を供出する。人びとは寝る間も惜しんで働いた。「台湾を必ず解放するぞ!」などとスローガンを叫びながら、街には希望と夢があふれていた。その最中に事故で一人息子を失う。車をぶつけたのはかつて一緒に国民党軍、共産党軍で働いた仲間で、区長になっていた男だった。
 文革期、福貴は革命運動の指導者たちが次々に走資派と糾弾されていくのをそっと見守る。
 障害をもった娘が工場の造反派労働者のリーダーと結婚することになった。仲間たちに囲まれて幸福な若夫婦を見る福貴と家珍もうれしい。
 やがて娘は赤ちゃんを産んだが、産後の病院の処置の失敗で母親は亡くなる。病院にいたのは医療技術が未熟な紅衛兵だけで、熟練の医者は追放されていたのだ。
福貴と家珍は残された子どもの幼名をマントウとつけ、育てる。悲しみも、幸せも、人生の苦さも、それぞれの糸があざなわれながら、歳老いた福貴と家珍の人生はつづく。
そして本稿の冒頭の会話になる。(斉藤)


複眼単眼

 海幕のマッチポンプにみる「備えこそ憂い」の一幕


 このところ、アメリカ側からインド洋に展開するアメリカ艦隊の支援活動に、自衛隊が保有するイージス艦の派遣要請があるという記事が何度か新聞に掲載され、注目していた。
四月二九日にはワシントンを訪れた与党三党の幹事長らに対して、アーミテージ国務副長官やウォルフォビッツ国防副長官は「五月十九日で期限が切れる自衛隊のインド洋派兵の基本計画の延長と自衛隊のイージス艦とP3C哨戒機の派遣」を要請したとも報道された。
 イージス艦の派遣問題は昨年のアフガン戦争に関する自衛艦隊の派遣に際しても問題になり、自民党の一部が「それをやったら憲法の禁ずる集団的自衛権の行使になってしまう。そこまではやれない」と抵抗し、派兵寸前で中止された。実際、イージス艦による米軍の前線基地「ディゴガルシア島」の防衛行動は、「集団的自衛権」と呼ばれる共同作戦そのものになる。「集団的自衛権」などというがその本質は「攻守同盟」そのものだ。イージス艦の超一流の情報収拾能力とミサイル攻撃能力によって、日本自衛隊が米軍のイージス艦の代わりにディゴガルシア島の米軍基地を防衛することで、米艦隊はペルシア湾に出動できるのだ。
 アメリカ側からのたびたびのイージス艦派遣要請の記事から、筆者は「いよいよイラク攻撃が迫ったのか」と見ていた。
 ところが五月六日の朝日新聞は一面トップのスクープで「海幕、米軍に裏工作 イージス艦派遣対日要請促す 対イラク戦の前に」という記事を掲載した。防衛庁海上幕僚監部の幹部が四月十日、在日米海軍のチャプリン司令官を訪ねて「イージス艦やP3Cのインド洋派遣を米側から要請するように」と働きかけ、「イラク開戦に踏み切ってからでは派遣は難しくなる。何もないいまのうちに出しておけば開戦になっても問題にならない」と説明したという。
 四月二九日の米側の要請はこれにそったものであることが暴露されたのだ。文字どおりの「マッチ・ポンプ」だ。
 朝日新聞は「文民統制を揺るがす海幕の独走」と批判した。
それはそのとおりで、絶対に許してはならないが、反面、軍隊というのはこういうものだ。自衛隊も例外ではない。小泉が脳天気にいう「備えあれば憂いなし」ではなくて、備えがあれば使ってみたくなるものなのだ。海幕幹部も世界最新鋭といわれるイージス艦をもったために、使ってみたくてしょうがないのだ。幼い子どもがおもちゃを与えられたときの喜びのように。
「制服組」の心理とはそのようなものだ。まさに「備えをすれば危ない」のだ。
 アーミテージは与党幹事長との会談で「防衛庁の省昇格を支持する」とのべ
た。「スピードが大事だ」とも言ったという。
こうした日本軍が何をするのか、その先はまさにいつか来た道だ。   (T)