人民新報 ・ 第1060号<統合153> (2002年5月25日)
  
                                目次

● 戦争準備の小泉内閣を打倒しよう!
    ときは今! 有事3法強行阻止の世論の高揚を
    有事関連三法案の廃案を要求 各界の人びとが連日の行動

● 沖縄戦は「軍隊は往民を守らない」ことを教えた
          5・15復帰30年 平和と暮らしを守る沖縄県民大会

● 団結を破壊する臨時大会の中止を

● 憲法と小尻さん銃撃事件を考える集会(兵庫・尼崎)

● 『女性国際戦犯法廷』判決の実現へ / VAWW−NET Japanが国際シンポジウム

● 浜岡原発の運転停止を / 浜岡原発止めよう 関東ネット結成

● 2002年5・3憲法集会の発言から  ・・  小田 実(作家)  暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)

● 図書  ドキュメント「憲法を獲得する人びと」(田中伸尚)

● 映 画 「鬼が来た!」 (原題 「鬼子来了!」

● 複眼単眼 / ふるさとの田畑は荒れ なお野山は青々



戦争準備の小泉内閣を打倒しよう!

    ときは今! 有事3法強行阻止の世論の高揚


有事関連三法案の廃案を要求 各界の人びとが連日の行動
 
 小泉内閣と自・公・保与党は月内にもこの希代の悪法、戦争準備法案である有事法制関連三法案の衆議院通過を狙っている。
 いまこそ国会の外での世論を高め、法案の強行を阻止しようと、全国各地の運動の高まりに呼応して、国会周辺では市民・宗教者・労働組合などが五月十九日から「ピースウィーク」と位置付けて連日、多様多彩な行動を繰り広げている。
 これに先立って、五月十六日午後、「平和を実現する宗教者ネットワーク」と「許すな!憲法改悪・市民連絡会」のメンバーは、公明党・民主党、自由党、無所属の国会議員、約二百人の事務所を訪れ「有事法制を廃案へ」の要請文と、五月二日の朝日新聞に掲載した意見広告「私たちは有事法制に反対し、平和憲法を世界に広げます」を手渡しながらの要請行動をした。
 十九日午後二時からは都内の上野、新宿、有楽町の駅頭三ヶ所で計百五十人の市民・宗教者・労働組合員らが、五・二四集会の案内のビラを配布しながら、リレートークや署名などさまざまな行動を繰り広げた。
 パイロットやスチュワーデス、看護師などのユニホームを着た労働者たちや、さまざまにくふうした市民のプラカードが人目を引いた。上野駅前では人びとがつぎつぎに立ち止まって、二時間で約四百名の有事法制反対の署名が集まった。
 二〇日は正午から衆議院議員会館前で「STOP!有事法制」国会前路上集会が開かれた。集会は「テロにも報復戦争にも反対・市民緊急行動(許すな!憲法改悪・市民連絡会、日本消費者連盟など)」と「平和を実現する宗教者ネットワーク」の呼びかけで、約六〇人の人びとが駆けつけ、つぎつぎに有事法制と小泉内閣に怒りをこめて発言した。社民党と共産党の国会議員も連帯の挨拶をした。
 同日午後一時からは議員会館に場所を移して、「市民緊急行動」の主催で「有事法制NO!市民のリレートーク」集会を開いた。
 参加した約五〇人の市民とともに、評論家の佐高信さん、元薬害エイズ訴訟原告の川田龍平さん、民主党の佐々木秀典衆議院議員など十数人が発言。「この一週間を有事法制阻止のピースウィークに」との決意を述べた。
 五月二一日正午からは衆議院第二議員会館前で「STOP!有事法制・国会前集会」が開かれた。呼びかけたのは「5・ 集会実行委員会」で、陸・海・空・港湾労組二〇団体の労働者をはじめ、宗教者、市民など二〇〇人が参加し、国会にむかって「有事法制反対」「戦争動員反対」「加害者にも被害者にもならないぞ」などのスローガンをたたきつけた。
 同日三時からは「新聞労連」の主催する「メディア規制、有事法制に反対する5・ 院内集会」が開催され、約百名のメディア関係者や市民が参加した。
 集会では新聞労連の畑衆委員長が「メディア規制と有事法制は本質的に通底するものだ。反対の運動を強めよう」と挨拶、池田泰博福委員長は「戦争をしない国から戦争をする国、戦争へひきづられる国に変える法律だ」と指摘した。
 新聞労連元委員長で朝日新聞の編集委員の藤森研氏は「沖縄に行ってきた。武力攻撃事態法は軍民混在の本土決戦を想定しているが、それはかつての沖縄戦の状況だ。小泉首相は『備えあれば憂いなし』などというが、沖縄戦の軍民混在の戦争という状況を再び繰り返すというのか。政治の仕事はそうさせないように努力することではないか」「一九五〇年に結成した新聞労連は、歴史の反省の上で『戦争のためにペンをとらない』と言いつづけてきたが、いまこそそれを実践に移すべき時だ」と述べた。
 二二日は正午から一三〇〇人が参加した国会前集会が開かれた。午後は自治体議員有志の院内集会、二三日は国会前集会と日比谷野外音楽堂での五千人集会、二四日は女性諸団体による「ちょっと待ってよユウジ」院内集会と、明治公園での五万人集会。有事法制に反対する運動は急速に高揚しつつある。
 二〇日には大阪でナショナルセンターの違いを超えた五千人余の集会が開かれた。
 全国各地でいまこそ創意工夫して全力をあげて有事法制NO!の声をあげる時だ。


沖縄戦は「軍隊は往民を守らない」ことを教えた

 
守ろう平和憲法、止めよう有事法制、5・15復帰30年 平和と暮らしを守る沖縄県民大会

 全国各地からの代表を含めて、沖縄の「日本復帰」から三〇年を問いつつ行なわれた「平和行進」の三千人が合流して、五月十八日、宜野湾市の平和公園で「守ろう平和憲法、止めよう有事法制、5・15復帰三十年 平和と暮らしを守る県民大会」が開かれた。この三〇年、対アジアの最前線の基地の島としての沖縄の役割はかわらなかった。全国の米軍基地の七五%を置く沖縄は、つねに有事体制の下に置かれ、その犠牲をこうむってきた。いま国会で強行されようとしている有事法制は全土をこの沖縄の状況に置くものだ。沖縄の平和なしに日本の平和、アジアの平和はない。集会参加者は改めて有事法制阻止、憲法改悪阻止の決意を固めた。(集会決議別掲)

5・15復帰30年決議 「日米両政府に告ぐ」

 「基地の島・沖縄」ー使い古された沖縄の代名詞は、復帰三十年たった今も何ら変わらない。植民地的ともいえる二十七年間におよぶ米軍支配の下、私たち沖縄が強く復帰に求めたものは、「平和憲法」へ返ることであった。
 しかし復帰時に適用されたのは、「日米安保条約」と言っても過言ではない。その超法規的な日米安保は、日本政府をして、公用地特措法・地籍明確化法・米軍用地特措法と、沖縄だけに適用させる差別立法をつくり、米軍基地の「自由使用」を存続させた。そして今、変わるどころか、名護市への普天間基地移設、浦添市への那覇軍港移設など、あらたな基地建設は、沖縄基地のさらなる強化・固定化を意味する。
 復帰に向けた県民要求は、「即時・無条件・全面返還」であった。ところが時の政府は、この要求を聞き入れず「核抜き・本土並み」にすると言った。それさえもほごにされたままではないか。
 沖縄米軍基地から派生する事件や事故はまったく後を絶たない。県民は「基地あるがゆえの被害」に戦後苦しめられ続けてきた。
 私たちは、日米両政府は沖縄・日本に駐留する軍隊を即時に引き上げ、米軍基地を撤去することと、撤去後は日米両政府の責任で環境浄化など完全回復させること。とくに日本政府は、自治体、地主、、基地従業員などの要求を受け入れ、誠意ある措置を講ずることを強く求める。
 私たちは、復帰の内実を問い続けながら、一方で本土の沖縄化にも警鐘を鳴らしてきた。周辺事態法という米軍支援法は、全国の民間空港・港湾の米軍による「自由使用」を可能にした。恩納岳を切り裂いてきた実弾砲撃演習は、本土に移転され、夜聞演習など沖縄以上の演習が行われている。
 今、国会で蕃議されている有事法制という名の戦争法は、憲法で戦争をしない国と定めたことをくつがえし、戦争のできる国にしようとしている。
 ひとたび戦争が起これば、犠牲になるのは誰なのか。「軍隊は往民を守らない」ことを沖縄戦ははっきりと教えた。侵賂戦争は中国やアジアで一般庄民の大量虐殺を起こした。これでもこの国はほんとうに戦争のための法律をつくると言うのか。
 私たちは、戦争のための法律を拒否する。そして戦争のために国民の知る権利を抑制し、権力側に都合のいいメディア規制法案にも強く反対する。
 「かたき土を破りて
 民族の怒りに燃ゆる島
 沖縄よ」
 復帰三十年の今、沖縄の怒りは全国の怒りとなってここ県民大会に結集している。
 私たちは、命んかきてぃん、戦と軍事基地を許ちやならんと誓う。
 以上、決議する。

二〇〇二年五月十八日


国労臨大(五月二七日 午前一〇時〜 社会文化会館)

 団結を破壊する臨時大会の中止を

四党合意は破綻した
 
 四月二六日の三与党の声明は、JRに法的責任なしとする四党合意の破綻を意味している。国労本部は、これまでの誤りを改めて、闘争の原点に帰り、国家的不当労働行為を許さず、一〇四七名の解雇撤回、地元JRへの復帰の戦列を再構築すべきときである。
 三与党声明は国労本部を窮地に落とし込んだ。本部は、エリア委員長・書記長会議(四月三十日、五月八日)、全国代表者会議(五月十四日)を開き、その中では、社民党を通じて声明の真意をつかむ、臨時大会を開くなら解決に結びつく担保がなければならないなどとしてきた。
 ところが、五月十六日、国労本部は指令第一一号を出した。
 それは、五月二十七日(月)に第六九回臨時全国大会を社会文化会館を会場にして午前一〇時〜午後一時の日程で臨大を強行するというものである。開催の理由としては、社民党との打ち合わせ(五月十五日)の中で、社民党から解決をはかるためには「国労の態度を明確にした臨時大会を開催すべき」との判断が示されたためといっている。また、大会の議題も@JR不採用問題の解決に向けて、Aその他となっているだけである。
 国労本部は、「解決について社民党が大会後に責任を持つという決意が表明された。社民党の要請、決意を受け臨時大会を開催する」(寺内書記長)と言っているが、その内容は何か、社民党の誰が責任をとるといっているのか、社民党にそうした力があるのか、実際のところ中身は何もないのである。またもや嘘を重ねているだけである。
 国労本部が臨大で狙っているのは、国鉄闘争の解体であり、闘う国労運動の終焉である。
 国労臨大は絶対に中止させなければならない。 

反撃に転ずる緊急集会

 五月十四日、シニアワーク東京で「三与党が『四党合意』破棄! 『屈服』から反撃に転ずる緊急集会」が開かれ、国労や支援共闘の労働者で会場が埋まった。主催は、国労に人権と民主主義を取り戻す会、鉄建公団訴訟原告団、一〇四七名の不当解雇撤回・国鉄闘争に勝利する共闘会議。
 司会は三好登さん(国労東京・中央支部)。三好さんは、この五月九日に結成されたJRで働く国労組合員が中心の組織である「取り戻す会」の事務局長。
 はじめに早稲田大学名誉教授(国鉄闘争共闘会議顧問)の佐藤昭夫さんが、「三与党声明を解く」と題して現段階の特徴とこれからの闘いに向けた問題提起を行った。
 三団体の決意表明は、取り戻す会の山田則雄代表、鉄建公団訴訟原告団佐久間誠事務局長、国鉄闘争共闘会議の二瓶久勝議長が行った。
 山田さんは、当日、闘う闘争団に対しての経済面からの卑劣な締め付けをする国労本部に対して、取り戻す会として、「生活援助金の凍結と闘争団の統制処分に反対し国労に人権と民主主義の回復を求める要請書」をもって本部三役に強力に申し入れたことを報告した。要請内容は、@闘争団への生活援助金凍結の指示を撤回すること、A分裂首謀者の査問手続きが終了した段階で、闘争団処分の査問委員会は解散すること、B大衆行動における闘争団の除外等の差別的取り扱いをやめること、C今後一切のデマ宣伝をやめること、D機動隊に包囲された機関会議は行わないこと、E組合員の声に謙虚に耳を傾け、徹底した話し合いの中から団結を作り出すこと、であった。
 集会は、与党三党による『四党合意』破棄通告により新たな局面を迎えた国鉄闘争を平和と民主主義を守る闘いと結びつけてたたかおうというアピールを拍手で採択した。


兵庫・尼崎

   
憲法と小尻さん銃撃事件を考える集会

 五月三日、兵庫県・尼崎市で、憲法と朝日新聞襲撃事件を考える尼崎市民の集い(5・3尼崎青空表現市実行委員会、市民発/9条を世界へ 尼崎市民の会の共催)が開かれた。
 今から十五年前の一九八七年、憲法記念日の五月三日、朝日新聞阪神支局に目出し帽をかぶり、散弾銃をもった男が侵入し、小尻知博さん(二九歳)が殺され、右翼団体が犯行声明をだした。
 この一五年間、青空表現市では小尻さんの取材を受けた人びとが思い出を語り合いながら、卑劣な襲撃を許さないために、例年色々な形で言論・表現を発展させてきた。多くの市民が小尻さんへの想いを共通にし、さらにその輪が広がってきた。
 阪神尼崎駅前には、小尻さんを追悼するための献花壇が設けられ、襲撃事件の時効を許さない市民が多数詰めかけた。
 まず献花壇の横いっぱいに巻紙が広げられ、市民注視の中で書家の木割大雄さんが、十五年前に小尻さんの死にささげられた永岡美紀さんの詩を墨黒々と力強く大書した。
 つづいて大勢の人が各々の小尻さんへの想い、銃撃を許さない決意を述べ、歌や踊り、演奏などが行われた。
 その横では大道芸人ギリヤーク尼崎さんによる踊りが行われた。

 三時からは会場を尼崎労働福祉会館に移して講演会が開かれた。
 これまでは集会ごとの実行委員会方式で憲法問題を考えてきたが、今年は三月から恒常的な『市民発/9条を世界へ 尼崎市民の会』が結成されたので、今回の五・三は、その初めての催しである。
 講師はジャーナリストの長沼節夫さん。長沼さんは駅前での小尻さんへの市民の追悼の献花を見た時に「強い市民の運動があるのだな」という印象を持ったことを述べ、次のように講演した。
 「在日の金成日さんが強制具によって警察に指紋押捺をさせられた時に、小尻記者が取材にきて激励すると共に世間にこの問題を知らせていったというのを聞いた。あぁ小尻さんは本当に困った人の所に取材に入っていたのだな、と思った」と。
 そして、この間、隠されてきた天皇―マッカーサー会見のメモの存在とその取得の経緯について報告し(これは当日コピーで会場に回覧されたが天皇の戦争責任と現在に至る延命のために何がなされたたかを知る上で貴重なものであるし、非常に興味をそそられるものであった)、これらの経緯の中で個人情報保護法案の持つ危険性を述べた。
 また金大中氏との交流と拉致事件に至る経緯も興味深いものであった。  そして記者がいかに緊張した中で取材していかなければならないか、また天皇の会見メモは象徴のはずの天皇がその時でさえ政治的に振る舞い、憲法の根幹を当初から脅かしていたことを示していることについて報告した。

 この日、関西では京都、大阪でも憲法集会が開かれ、神戸市では朝日新聞労組主催で小尻さんを追悼し阪神支局襲撃事件を考える集会が持たれた。
 また朝日新聞ではこの日に向けた事件そのものの解明のための特集と小尻記者の取材を受けた人々の想いを連日報道した。(K・K 労働者)


『女性国際戦犯法廷』判決の実現へ

   
VAWW−NET Japanが国際シンポジウム

 五月十五日、東京の明治学院大学で「『女性国際戦犯法廷』判決を実現させよう!二〇〇二年国際シンポジウム」が開かれた。主催はVAWW−NET Japanで「女性国際戦犯法廷」国際実行委員会が共催し、明治学院大学国際平和研究所が後援した。参加者は会場に溢れ、若者の参加も目立っていた。
 「ハーグ最終判決」のビデオ上映の後、松井やよりさんが基調報告した。松井さんは、国際法廷の提起から今日まで四年間の活動を報告し、判決の評価と今後の活動についてふれた。そのなかで、判決が東京裁判で欠落していた女性への戦争犯罪を裁いたことで連合国の責任をはっきりさせたことの指摘、判決がグローバルな市民社会の判断となったことなどが印象的だった。また天皇を含めて起訴された者と国家の戦争責任を明確にしたことの意義を述べた。一方では右翼の執拗な妨害で、集会の開催に困難が生じていることや、NHKのメディア規制に反撃する裁判への取り組みも訴えた。
 「法廷」首席検事のガブリエル・マクドナルドさんからの挨拶が紹介された後、第一部の「法廷」への各国のとりくみが報告された。中国、韓国、台湾、インドネシア、タイ、日本の報告があり、東チモールと朝鮮からはメッセージが届けられた。
 第二部は「女性国際戦犯法廷」メンバーの四名からスピーチがあった。「法廷」首席検事のパトリシア・セラーズさんは旧ユーゴ・ルワンダ国際戦犯法廷のジェンダー犯罪法律顧問を勤めた経験を持つ。セラーズさんは「女性国際戦犯法廷」は戦時性暴力の不処罰を断ち切ることにどう貢献したかについて報告した。
 ミラ・サンさんは「法廷」の法律顧問助手として膨大な作業を準備したのだが、コリアンとして法廷に向き合うことの難しさをのべながら、東京裁判の継続としての女性法廷の意義を語った。
 ロンダ・カプロンさんは、ニューヨーク州立大学教授で、「法廷」では法律顧問を引き受けた。カプロンさんは「法廷」と国際刑事裁判所におけるジェンダー正義について話した。
 カナダ在住で人権と民主的発展のための国際センターのアリアン・ブルネさんは「法廷」国際諮問委員会委員を勤めた。ブルネさんは、女性運動と人権NGOは「法廷」の成果をどう活かすかについて語った。
 尹貞玉さん(韓国挺身隊問題対策協議会元共同代表)はシンポジウムを前に開かれた国際連帯会議の報告をした。
 第三部では、参加した各国から、これからの行動計画が提案された。判決の翻訳と普及や国連への働きかけ、日本政府への責任追及や賠償要求など各国の状況に応じた提案がされた。
 シンポジウムの最後にフィリピンのインダイ・サホールさん(女性の人権アジアセンター)が、二六五頁にわたる判決を国連人権委員会などに生かしていくことなどの国際キャンペーンを訴えた。
 VAWW−NET Japanでは、判決の勧告を実現するための行動として十二項目にわたって今後の計画を提案してる。第一に、民衆法廷の思想とジェンダー正義に基づく画期的な判決を広く知らせ,女性の人権と平和をめざして、司法、教育、福祉、メディアなどあらゆる分野に生かすようはたらきかけるとしている。具体的には、被害者への補償実現のための立法運動や、小中高の教科書に「慰安婦」問題の記述を入れるようにアジア太平洋戦争の被害国とも協力して運動する、「法廷」に提出された証拠資料の保存と公開、国連などに判決と勧告内容を知らせ、各国政府やNGO、国連機関から日本政府に判決の実行を迫るように努力するなど多くの計画を上げている。まずその一歩として近く判決全文の邦訳が出版される。(首都圏通信員)


浜岡原発の運転停止を

 
浜岡原発止めよう 関東ネット結成

 昨年の十一月七日、静岡県の中部電力・浜岡原発一号機は、緊急炉心冷却装置(ECCS)系統の配管破断と圧力容器の冷却水洩れという重大事故をあいついで起こした。それは炉心溶融(メルトダウン)と水蒸気爆発がむすびついて、炉心に蓄積された大量の放射性物質が大気中にばらまかれるという大惨事がおこる寸前の危険な状態にまでたち至っていた。中電は事故機と同型機の二号炉を停止、全国の他の原発でも一斉点検に入った。
 五月十三日に浜岡原発事故についての経済産業省の原子力安全・保安院の最終報告が出たが、水素爆発が起きたことを認めながら、再発防止策として、弁の取り替えなどの水素蓄積への対策をとれば問題ないとするもので、これをうけて中電は夏に二号機を、十月には事故を起こした一号機も運転再開しようとしている。事態は重大である。
 こうした動きにたいして、五月十六日、千代田区神保町区民館で、「浜岡原発止めよう 関東ネット結成集会」が開かれ八〇人余りが参加した。
 安藤多恵子さん(市民エネルギー研究所)、浜岡原発事故に酷似したドイツ・シュレスヴィッヒホルスタイン州のブルンスビュッテル原発事故について報告し、山崎久隆さん(たんぽぽ舎)が基調を報告し、柳田真さん(たんぽぽ舎)が活動方針を提起した。
 活動方針では、東京圏として、@中電事故報告書の分析・批判の学習・討論会、A保安院・原子力安全委員会との話し合い、問題追及、B国会議員への働きかけ、地方議会・議員への働きかけ、C有事立法反対集会などに参加しアピールすること、また静岡と浜岡町を応援する活動では、事故についての中電との公開討論会を目標としながら、@地元五町への働きかけ、A毎月一回地元へビラ入れ、B毎月一回地元へワゴン車等で現地へ出かけることなどが決まった。国会議員などからのメッセージが紹介され、浜岡原発を考える会の伊藤実さん、(JCO)臨界被害者の会の大泉実成さんが報告を行った。
 最後に結成アピールが採択され、「私たちはここに至って、『もう自分たちの身を守るには、自分たちが立ち上がるしかない』との自覚をかため、老朽化による事故と『原発震災』の危険性がもっともさし迫っている浜岡原発(一〜四機)の運転停止を実現すべくここに集まりました。各人の思想・信条の違いは互いに認めあい、現地の人びとともに、『私たちの生命と財産を守るために浜岡原発を止める』べく、こらからも力をあわせて頑張ってい」くことを確認した。


2002年5・3憲法集会の発言から(要旨)<文責・編集部>

生かそう
憲法、高くかかげよう第9条、許すな有事法制

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


作家 小田 実

ベトナムを訪れて

 昨日私はベトナムのホー・チ・ミン市にいました。飛行機に乗って、夜中飛んできて、いまここに来たんです。
 考えてみるとベトナム戦争という戦争をアメリカは何も反省していない。現に同じことをやっている。たとえばベトナムの戦争博物館には巨大な七トン爆弾が置いてあるんです。これは不発弾を持ってきて中の火薬を全部取り出したものです。そのもっと巨大なものがアフガニスタンで使われているんです。枯れ葉剤はまだ使っていないだろうけど、いろんなものが使われている。アメリカ政府は枯れ葉剤にたいして何ら補償をしていないし、責任を認めていない。それは、私たちの日本政府が、中国をはじめとするアジア侵略の責任を十分に認めていない。補償も十分にしていない。まったく同じなんですね。だから日本とアメリカはいっしょになって、いま軍事戦略を展開している。
 この頃の新聞などを開きますと、憲法のことが自由に論議されるようになったというようなことを褒めて書いている、つまり、憲法改正に向かって動くのがいいような論調が多いですね。しかし、いちばん大事なことは、この憲法は実現されていないことです。憲法九条がありながら、どうみても堂々たる軍隊である自衛隊がある。どう考えても軍隊ですよ。憲法九条といったところで実現していなのです。憲法を変えようという論議は多いけれども、われわれ市民が考えて、いかに憲法を実現するか、そのことをお互いが考えて討議する、そういう集会をもっと開くべきだと思います。

戦争体験と平和憲法

 論議の一番中心になるのは理念あるいは理想だと思います。理念、理想は何か、それは平和主義だと思います。平和主義というのは、問題の解決、矛盾の解決に絶対に武力を用いないということでしょう。それは、いちばん大事な原理として憲法にあると思います。それを抜きにしては語れない。
 原理の底にあるのは体験だと思います。われわれは戦争体験をした。まとめて言えば、殺し、焼き、奪うことをやったわけです。そして、それが全部もどってきて、殺され、焼かれ、奪われることになったわけです。殺し、焼き、奪うのいちばんいい例が南京虐殺というのがありますね。殺され、焼かれ、奪われたいちばんいい例は原爆ですよ。広島、長崎。それで戦争は終わった。
 だから結局、連合国も正義の戦争とかいろいろいったけれど、最後は原爆を落としたではないかと、原爆投下の責任をわれわれが追及すると、「おまえたちが戦争を始めたんだ」という。これは実際そうですね。戦争というのはいけないことである、ということを私たちは痛感した。それが体験なのです。その体験の上にわれわれは理念を組み立てた。それが平和主義です。
 そのことをちゃんと書いてあるのが憲法前文です。憲法前文というのは非常に大事だと思います。憲法前文の平和主義を具体化したのが憲法九条なんですよ。

良心的兵役拒否

 私はいま全世界で平和主義か戦争主義かという二つがあると思います。戦争主義というと軍国主義とか侵略主義ととられがちですが、そうではありません。つまり、われわれは問題解決に仕方がないから武力を使うという前提、正義の戦争はあるんだと、他国を侵略するつもりはないんだと、あるいは軍国主義をやるつもりはないんだけれども、仕方がないから戦争をやるんだという論理です。これがいま世界を覆っていると思います。ことに去年の九月十一日以来、そういう戦争主義が全世界に蔓延していると思います。
 平和主義はだんだんと押されているという感じを私はしています。問われているのは平和主義でいくのか戦争主義でいくのかということです。軍国主義でいくとかいうことではなくて、やはり戦争を断固としてやらないのかどうかというけじめが求められていると思います。
 そして一方で、理想を考えていく必要があると思います。私は良心的軍事拒否国家というものをわれわれの目標にすべきだと思うのです。
 ドイツは軍隊を持っています。徴兵制です。しかし、そこには一つ立派な条項がついている。ドイツ基本法には「個人の権利として兵役につかない。個人の権利として武器をとらない。それを個人の基本的人権として認める」という一項があるんです。NATOに加盟することによって軍隊をもたざるをえないところにドイツは追い込まれた。同じような歴史をもった国ですけれども、その時に一つの大きな条項をつけたのですね。
 つまり、個人の権利として武器をとらないということを認めた。ドイツ人は二十歳になると決めるんですね。良心的兵役拒否の道をとるか、あるいは兵役につくか。それは個人の権利として認められています。
 ドイツのみならず、ヨーロッパはだいたいそうなってきています。イタリアも然りです。
 堂々たる法制度として、良心的兵役拒否制度が成立している。ドイツの場合でいいますと、いまは良心的兵役拒否の道をとる方が兵役の道をとるより多い。ドイツの社会福祉産業のうち、老人介護は良心的兵役拒否の若者がいなかったら成立しないです。ドイツの社会保障はちゃんとしていますけれども、そこで働く人の大半は良心的兵役拒否の人たちがやっておられる。

良心的軍事拒否国家

 そういうことを考えるならば、日本国というのは、全体として良心的軍事拒否ですよ。良心的軍事拒否としてわれわれは今後活動する必要があると思います。非武装中立というのは何もしないということでしょ。それにたいして、お前はなんだ、世界がみんな苦しんでいるのに何もしないとは何事だと言われる。冷戦構造のなかでは非武装中立は一つの態度ですけれども、もうそれではやっていけないでしょ。そこで湾岸戦争いらいオタオタしてきた日本なんです。
 たとえばイスラエルとパレスチナがいまは絶望的な状態にあるけれども、ノルウェーがかつて平和のプロセスをつくったでしょ。国連ではなくノルウェーなんです。なんで日本がやらなかった。イスラエルとパレスチナの仲介ぐらい日本がすべきですよ。どちらにも仲良いはずなのに。それが平和憲法の道なんです。それが良心的軍事拒否国家の道なんです。
 あと二つ、考えるべきことがあります。
 一つは、日米安全保障条約、これは軍事条約です。これを友好条約に変えなければならない。日中関係では日中友好平和条約があるでしょ。覇権は求めず、求められず。これは大事です。それから問題解決に武力は用いないと書いてあります。国連憲章に反したことはやらないと書いてあります。安保条約も友好平和条約に変えなければならない。
 それからもう一つ大事なことは、少しでも軍隊を減らしていくことです。「構造改革」ということを小泉さんが言うなら、軍隊の構造改革をやるべきです。

             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

埼玉大学名誉教授 暉峻淑子

リストラ、失業の中で

 すこし見方を変えて国民の生活の中からどうしても憲法を守らなければいけないという話をしたいと思います。
 いま高校卒業と大学卒業の人は五二%くらいしか就職できていません。後の人はどうするのかというと、パートであったり、フリターという非常に不安定な職業についています。昔は五年も過ぎるとフリーターでも正規社員になれる可能性があったのですけれど、今はほとんどありません。そして、そのフリーターの人たちは、まず社会保険がほとんどありません。
いま、失業者のなかで失業保険をもらっている人は半分です。あと半分はもともと失業保険もかけていないし、自分がパートで働いていた会社が雇用保険に加入していないから雇用保険の保険金をもらおうとしても、もともと半分の人がもらっていません。しかも、日本の雇用保険というのは、五年間雇用保険をかけつづけて、もらえるのはたった三ヶ月です。小泉さんは三年くらいは痛みをガマンしろと言っていますが、三年の痛みがどうして三ヶ月の失業保険でガマンできるのでしょう。
失業がずっと長く続くだろうということは財界の人も言っています。パートの人はだいたい正規社員の半分しかお金をもらっていません。同じ仕事をしていてもそうです。だから、いつでもクビが切れて安い賃金で使って、使い捨てにできるというのは財界にとってはとてもいいことなんです。
だけど、それはしてはいけない。若者たちが、そういう形で失業をして、将来どうするかというと、いま二五歳前後の青年がいちばん不安をもっているのです。というのは、年金があるかないか分からないからです。それで、正規社員にもなれない、社会保険もつけてもらえない、しかも健康保険はこんど三割負担になります。これは今度国会で議論されることですが、最高四万二千円位までは自己負担という原案がいま出されています。こんな不況のなかで、そんな私たちひどいことをするというのは、私は本当にガマンできない。
 
財界が望む有事法制

 平和と人権と民主主義というのは、三つは縄のようにいっしょになって初めて効力があると思うのですけれども、その中でいちばん大事なのは平和だと思います。平和でなかったら私たちは軍事的な流れに流されてしまいます。
有事法制というけれど、日本は有事をつくらないというのが日本国憲法なのです。有事になる前に私たちが外交的な力、あるいはNGOの力、あるいは国民が助け合うということで、有事をつくらないというのが憲法なんです。
有事法制は、日本がうまく戦争できる国にしたいからです。なんで戦争できる国にしたいのかというと、これはいくつかの原因の一つだと思いますけれど、いま日本はアジアの国に工場をどんどん移して低賃金の工場でいろいろなものをつくっています。たとえばタイとかミャンマーとか、そういうところに投資をして工場をつくった。だけどそこで政変が起こると、財界は投資したものはもう全部無くなってしまいます。それで、軍隊でにらみをきかせるという、これがあります。
 それからアメリカ型のグローバリゼーション、これも言うことをきかないと何か理由をつけてやっつけるぞ、というようなことが一つの原因になっています。ですから財界の人も、昔はあまり軍隊を出すことに賛成ではなかったんですけれど、今は非常に賛成をしています。
 アジアの賃金の安いところに工場が移れば移るほど、日本の国内では職が無くなって失業者がどんどん増えていくわけです。「でも、そんなことを言ってもしょうがないんじゃない」とおっしゃるかもしれません。

労働の権利

 私はここ二年ほどドイツの失業問題を調査しています。日本は失業保険が三ヶ月、六ヶ月、最高十一ヶ月でおしまいですが、ドイツは三年間失業保険が続きます。それで三年間しても職がない場合は、失業扶助というのがあります。これは生活保護ではないので立派な家があってもかまわない。失業扶助というのは、だいた十二、三万から十五万くらいしかないのですが、それは年金をもらう年齢まで国が払います。これは、職業に皆がつく。
私たちの憲法にも、労働の権利ということがちゃんと書いてありますよね。国民は労働の権利をもっている。ドイツも労働の権利をちゃんと保障していないのは国が悪いのだから国が年金の受給年齢まで払います。これで食べていけない人は、児童手当がつくし、住宅手当がつきますから、ともかくぜいたくをしなければきちっとした生活ができます。そして週十五時間までのアルバイトはやってもいいことになっているし、ボランティア活動は無限にやっていいということになっているので、日本のようなみじめな状況ではありません。しかも職業訓練というのが、日本のように一週間とか一ヶ月と、三ヶ月とかということはありません。ドイツの場合は労働の質を上げる、国際的な競争に勝つためには労働者の質を上げなければならないというので、真剣に職業訓練をしています。たとえば、保険関係の新しい仕事をする場合には三年間、生活費も面倒を見てあげて、子どものベビー・シッターの費用も払ってあげて訓練しています。だから単純労働はもっと質の高い労働にしましよう、これが経済競争で勝つことだとなっています。
日本は反対にどんどん皆のクビを切って、財界だけが労賃のコストが安くなったらこれで利益が出ましたと言っているわけです。まるきり反対だと思います。これも憲法の二十五条、健康で文化的な最低限度の生活ですか。ホームレスの人たちがそんな生活をしていることに私たちが怒って自治体にいいますと、生活保護は働ける人には出さなくていい、というのです。それから住居不定の人には出さなくていいと。だって、住居がないからホームレスになっているんでしょう。それは、結局、生活保護をなるべく出さないように、出さないようにという国の政策なんです。

希望はある


 この軍事化にたいして私たちが文句を言えないように盗聴法というものがとおって、私のように批判的なことを言っている者は盗聴されているかもしれないし、それから今度の個人情報保護法案というのもそうですね。政治家が何かをしたときに、新聞記者がそういうことを書き立てると政治家の人権を保護するというので書かせないようにする、これも国会に出ています。あらゆるところで私たちはじりじり攻められて、本当に人権なんてどうなってしまうのかなと思います。でも、皆さん今日来てくださったように、市民の力も大きくなっています。
 私はNGOの活動を十年もやっていて、その中で若い人たちが助けあうというのは本当にいいことだと言ってくれるのですね。戦争などしたって何の解決にもならない、でもこうやって、僕たちが助け合っていくなかで、本当に平和憲法をもっていることの喜びを感じていると。みんなで一生懸命やっていきましょう。


図書
       
 ドキュメント「憲法を獲得する人びと」 田中伸尚・著

                
           岩波書店 一九〇〇円+税

憲法は「守る」ものではなく「獲得する」もの

 憲法問題での運動論の議論になるとかならずでてくる論点のひとつに「単なる護憲ではなく」とか「憲法を神棚の上に飾るのではなく」という意見がある。
 そして「単なる改憲反対ではなく、よりよい対案を提示する必要がある」というところにまで踏み込む人もいる。だが、ちょっと待ってくれ。
 「単なる護憲」とか「神棚に憲法を飾った」とは過去のどういう人たちのことか。たしかに社会党・総評に代表される戦後の「護憲派」や、それらが主導してきた「護憲運動」に問題がなかったとは言わない。筆者も憲法は守るものではなく、生かすもの、闘いとるものだと考えている。
 しかし、それを誇張して他者を非難し、自己を正当化する議論は決して有益ではない。紙面の都合であまり論じられないが、運動の歴史に対する現在の高みからの高踏的な論難はやめたほうがいい。
 そういう人びとの中から、最近、飛び出してきたのが、北海道大学教授の山口二郎氏の「よりよい『憲法改正国民投票法案の対置』を」という意見であり、あるいは法政大学教授の五十嵐敬喜氏らの「市民版憲法調査会」による「改憲はさけられないので市民サイドにたった改憲試案を提起する」などという対案提起の動きだ。先ごろ、毎日新聞の社説も「革新の系譜に連なる人たちの間で改憲は長い間タブーだった。……だからこちらも様変わりといってよい」などと評価した。しかし「タブーだった」ことなどない。いま「よりよい改憲論」を展開することがどのような役割を果たすかについて、よく知っていたからそんなおろかな議論をしなかっただけのことだ。いま、山口氏や五十嵐氏の議論が運動にとってどういう役割を果たすか、少し考えればわかることだ。現実の彼我の力関係すら考慮に入れないこの人びとが提起した運動と、その結果もたらすものに無責任なこういう議論こそ有害だと思う。五十嵐氏の構想には環境運動家の天野礼子氏やキャスターの筑紫哲也さんなども賛同しているが、惜しいことだ。
 かつて「政治改革に賛成しない者は人ではない」と言わんばかりの議論をメディアで展開した山口二郎氏は、その結果がどうなったかを考えればよい。小選挙区制と議会野党の崩壊、そして翼賛国会化は直接的には山口氏らが賛成した「政治改革」の「功績」なのだ。

 本書は雑誌『世界』二〇〇一年四月から二〇〇二年三月まで一年間連載されたシリーズ「憲法を獲得する人びと」の単行本化だ。この分野では当代随一といってよい田中伸尚氏による、十二人の社会運動家の活動のドキュメントだ。田中はそのまえがきでこう言っている。
 「この二〇年ほど私は、憲法に書き込まれている内容を少しでも実現し、豊かにして行こうとして生きている人びとに出会う旅をしてきた。彼らは……憲法の内容を『獲得』しながら、その実現を課されている公権力の担い手に届けようとしてきた。私はこの人びとの悩み、苦しみ、逡巡、決断、言動といった『生きぶり』を伝えたいと思った」と。
 とりあげられた十二人の人びとの各タイトルと名前、およびそれぞれの文章の巻頭に取り出されていることばを列挙するだけで紹介になると思う。この短いことばがたいへん味わい深い。
毎月二日は基地の前で」(福岡・渡辺ひろ子さん)「表現の自由って、権力にノーを言う自由なんです」
私は裁判官になりたい」(大阪・神坂直樹さん)「どんな事件にも憲法が隠れているんです。それを引き出すのが裁判官の仕事です」
教員として、母として」(福岡・永井悦子さん)「内心の自由ってそれを保障する手立てをつくらなければ実現できないんです」
『神主の娘』の意見陳述」(東京・大村和子さん)「それぞれの立場で、それぞれのやり方で、権利を行使していけばいい」
遺族が求めた合祀とりさげ」(島根・菅原龍憲さん)「首相の靖国神社参拝は、個人の内面を支配し、国家にまつろわせる行為です」
揺れる心で『アイヌ宣言』」(北海道・多原良子さん)「人種差別をなくすには何より和人は、侵略・同化の歴史認識をもってほしい」
在日だけど、日本社会の一員だから」(大阪・徐翠珍さん)「納税者として、社会の構成員として、おかしいと思ったらノーという責任がある」
死刑囚養母の不安と勇気」(群馬・増永スミコさん)「くり返させないためにも、死刑制度を廃止し、外部交通権を認めなくてはならない」
朝鮮人被爆者の遺骨に聞く」(長崎・故岡正治さん)「持てば使いたくなる。武器というものは守るためだけということはありえない」
自治体の『平和力』こそが武器」(神奈川・新倉裕史さん)「小さくても人を励ますことができるし、ある瞬間、力を発揮することができる」
沖縄に基地があるかぎり」(沖縄・中村文子さん)「この島を戦場にしたのはどこの国?『戦後』をしかと見よ 九条に照らして」
『開かずの扉』を開けるまで」(大阪・加島宏さん)「憲法訴訟を続ければ、市民も弁護士も変わる。裁判所だって必ず変えられる」


映 画

     「鬼が来た!」 (原題 鬼子来了)


       原作・監督・主演 姜文(チアン ウエン)、 香川照之 
                   
2000年作品 パートカラー140分

 生まれる時と場所は選べないとしても、己の命あるかぎりは他人と同様の唯一無二の時を過ごす、それが人間だと私は考えている。
 自己責任や競争が声高に叫ばれ、勝者のみが全てを独占する世界は、人が心から望む世界ではありえないし、もしそれが当然になったらば、自然界で唯一共喰いのできる動物である私たちは死滅するしかないのだ。
 協調して生きていくのが人間の本性ならば、その対極にあるのが軍隊である。
 たとえ言葉や考え方は違っても、本来なら理解できる人間同士を敵味方に引き裂いて、共喰いさせるのが侵略戦争であり、それは兵士を「心ある人間」から「掠奪、放火が当然の殺人兵器」へと改造させることを忘れてはならない。
 そしていったん殺人兵器となった人間は、自分の生皮をはぐほどの自己批判をしないかぎりは元に戻れないのではないだろうか。
 映画を見て真っ先に思ったのはことのことであり、戦後一貫して侵略戦争の反省をしてこなかった日本人の一人として、暗澹とした気持ちにとらわれる。
 映画の舞台は中国華北地方、万里の長城近くにある日本軍の支配下におかれた寒村・掛甲台(コアチアタイ)。時期は日本軍の敗戦近くの一九四五年旧正月前の二月から八月まで。
 主人公の馬大三(マー・ターサン)は「私」と名乗る正体不明の人物に銃を突き付けられ、旧正月の晦日の夜までに二つの麻袋を預かるよう強いられる。
 袋に入っていたのは陸軍軍曹の花屋小三郎と中国人通訳の童漢臣(トン・ハンチン)。「私」はさらに馬に二人を尋問するよう命じた。
 万一、日本軍に見つかったり、二人が死んだりした場合の責任は、馬が負わなければならず、最悪の場合は村人にまで累が及ぶことになる。
 困り果てた主人公は、村人と相談して二人を地下の納屋に閉じ込め、「私」が引き取りにくるのを待つ。しかし、約束の時期を過ぎても「私」は現われず、季節は冬から春に移り変わっていく。A級戦犯・東条英機が定めた「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を骨の髄まで叩きこまれた花屋は、はじめのうちは殺されようとして日本語で中国人を罵倒するが、通じない。そして童に教えられた「お礼の言葉」を「ののしりの言葉」と思い違いして叫ぶ。あるいは自殺をはかって柱に頭を打ちつけたり、日本軍が近くを通りかかった時には、さまざまな方法で助けを求めるが、成功しなかった。
 時が経つにつれて、村人にとっては二人が重荷となり、殺害する方向に追い込まれていく。しかし馬は二人を殺すことができず、海軍部隊の砲台近くにある長城ののろし台に監禁の場を移し、村人に知らせることなく面倒をみる。
 ここでも花屋は助かるための画策をするが、失敗する。村人に知られた主人公は、町で殺し屋を見つけ殺害を依頼するが、二人を殺すことはできなかった。
 時は春から夏へ。花屋の心は少しづつ変り、馬車二台の穀物と引き替えに自分を解放するよう村人に提案する。
 馬たちが自分を殺さずに食料を与え、さらに傷の手当てまでしてくれたことに感謝するようにまでなるのだ。
 花屋は馬たちに連れられて部隊に帰るが、当然のことながら待っていたのは、戦陣訓を奉じる上官たちの罵倒とリンチであった。
 それでも、彼と同郷の酒塚隊長は、約束の三倍の穀物を与え、村で海軍部隊との合同交歓会を開き、村人を招待した。餅がつかれ、陸海軍と村人は酒を酌み交わし、お互いに唄を歌い、時を過ごす。しかしそれは一時に過ぎず、村は殺戮の場に変っていく。
 日本軍は武器を持たない村人に襲いかかり、銃剣や軍刀を突き立て、体の不自由な老人を火に投げ込む。子どもに飴を与えていた海軍部隊長は平然と子を刺し殺す。
 用事があり、村にいなかった馬は、炎に包まれた村を呆然として見るしかなかった。
 しかも、この殺戮の口火をきったのは、尊敬する隊長を侮辱されたと勘違いした花屋であった。半年かけて人間らしい心を得たはずなのに、復帰したとたんに鬼=「日本鬼子」に戻ってしまったのだ。
 その日は八月十五日で、当然ながら軍隊は戦闘行為を中断しなければならなかったにもかかわらずである。
 生き残った馬はひとりで捕虜収容所を襲い、日本軍兵士を殺害するが、花屋を追い詰めたところで国民党軍兵士にとり押さえられる。
 そして国民党軍長官の命により、花屋は日本刀で馬の首を切り落とす。ここで画面はカラーに変り、馬の首が見た画像になって、花屋が日本刀を酒塚の持つ鞘に納めるのを見る。
 戦後から半世紀が経ったにもかかわらず、映画を過去のものとして見られない日本の現状に気づき、愕然とせざるを得ないのは私だけだろうか。(樹人) 
 五月中は新宿武蔵野館(03―3354―5670)と渋谷イメージフォーラム(03―5766―0114)で上映中。 延長の可能性有り。


複眼単眼

    
ふるさとの田畑は荒れ なお野山は青々

 東北地方のある町で有事法制と憲法の問題での講演会があり、新幹線で出かけた。「飛行機でいくか」という迷いもあったが、久しぶりに自分の出身地あたりを通って風景を見たかった。
 車窓は田植えのまっさかりで、米どころの水田は薄緑色に染まっていた。農村の家々の庭にはつづじが色とりどりに今を盛りとばかりに咲いて、里山の木には藤の花が目立っていた。かつて見慣れた風景に出会った思いがした。しかし、気がついてみると農繁期なのに人が少ない。もちろんいまどきの田植えは機械でするのは承知しているが、それにしても野良にでている農家の人たちの姿がパラパラだった。むかしは男も、女も、子どもももっとたくさん野良にでていたと思う。
 少し目をこらすと、平地でもとうに草原化した田畑がつづく。里山は蔦類が覆い、荒れている。天候は曇りだったので、那須山も、安達太良山も、吾妻山も、蔵王も雲に包まれていたのも残念なことだった。青い峰々の間に少し残る白い雪渓などが見えるのを期待していたのだが。
 新幹線が突然停車した。行く先で大きな地震があり、線路をすべて点検しないと走れないというのだ。飛行機でいけばよかったなどというのは後の祭り。結局、三時間以上の遅れで、講演開始前一時間に到着する予定が、講演終了予定時間に会場に駆け込むはめになった。幸い、主催者が会場を延長してもらい、小一時間は話をすることができたが、汗顔のいたりだった。
 参加者の方たちは熱心な方たちで、あらかじめ送っていた筆者の「小論」を読んだり、有事法制などについて意見交換をしながら待っていてくれたという。
 講演の冒頭、地震にあって遅れたことをおわびをしながら「備えあれば憂いなしなどと小泉首相は言う。しかし地震は突然やってくるが、戦争は突然には来ない。かつてクラウゼビッツは戦争は政治の延長だと言った。そうであるならば政治によって戦争を避けることはできるし、平和憲法はそれを要求しています」と言った。
 翌朝の新幹線は快調で、山越えの窓外には水芭蕉が咲いているのも見えた。かつては毎年のように行っていた尾瀬ガ原を訪ねることもできなくなって、水芭蕉もあまり見ることができなくなったななどと思った。窓外に見えた白い花がうれしかった。そういえばいま尾瀬では携帯電話のアンテナをめぐって問題が起こり、また長蔵小屋の改築廃材の投棄も話題になっている。私は「はるかな尾瀬、遠い空」の尾瀬に行ってまで携帯を使わなくたっていいのではないかと言いたいのだが。(T)