人民新報 ・ 第1066号<統合159> (2002年7月25日)
  
                                目次

● ブッシュはイラク攻撃をするな 自衛隊の加担・参戦反対

● 市民が銀座パレード ウシは10ケタ、ヒトは11ケタ 住基ネット八月五日実施を許さない

● 『海の日』に天皇制を問う七・二〇討論集会  「日本人=海洋民族」論と網野史学についての議論

● 私たちの暮らしに有事法制はいりません

● 侵略戦争反対を圧殺する「治安維持法」  横浜事件再審を実現させよう

● アメリカ資本主義モデルは深刻な危機に直面

● 図書紹介  やんばるに暮らす(著者・浦島悦子)

● 歴史的無責任さを露呈した天皇の中東欧訪問終了談話

● 部落史から取り残された諸賤民について L  陰陽師 (そのB)

● 複眼単眼   しぼんできた首相公選論と一部学者の的外れな議論



ブッシュはイラク攻撃をするな 自衛隊の加担・参戦反対

     @

  有事三法案阻止の闘いは大きな転機に来た。法案への反対や慎重審議を要求する圧倒的な世論の前に、与党と小泉内閣は衆議院特別委員会でも強行をあきらめざるを得なくなった。今国会会期末まであとわずか、「国民保護法制制定優先」などの政府・与党の国会戦術を駆使した変化球による巻き返し策動を許さず、廃案めざして闘争を堅持しよう。この闘いこそが、秋の臨時国会、あるいは次期通常国会での勝利につながる。 一方、米軍によるイラク攻撃が年内か、来年早々にも開始されるという情報が、日米政府関係者などからしきりに流されている。
 昨年十月八日、「アルカイーダのウサマ・ビンラディンとタリバーンのオマル師を捕まえるまでは絶対に止めない」と宣言して、国際法すら完全に無視して開始された「報復戦争」という名のアメリカのアフガン攻撃はいまだにつづいている。ターゲットとされた二人の行方と生死は依然、不明のままだ。
 つい先ごろも、混乱した米軍は一般住民の結婚式の場にミサイルを撃ち込んで大量殺戮を行なうという暴挙を演じた。   欧米諸国の後押しで作られたアフガニスタンのカルザイ政権は、副統領がテロで殺されるなど、その政権基盤の不安定ぶりを露呈した。依然として地方軍閥は割拠している。米国軍をはじめとする外国部隊の支援がなければ、カルザイ政権はただちに崩壊する状態だ。 すでに米軍はアフガニスタンで引くに引けない泥沼に入り込んでしまった。
 この米軍にたいして、インド洋、北アラビア海に自衛隊の補給艦などを派遣し、燃料やその他の軍需物資の支援を積極的に行ない、参戦しているのが小泉政権だ。それにとどまらず、先の海上幕僚監部の在日米軍への「要請」訪問のように、自衛隊の幹部たちはチャンスがあればインド洋にイージス艦など高度の戦闘能力を持つ艦船を派遣し、情報戦や攻撃・防御作戦に参戦させようとしている。
 小泉政権と自衛隊は米軍のアフガニスタンにおける戦争犯罪・民衆虐殺の共犯者にほかならない。

     A

 先ごろ、ブッシュ政権は「大量破壊兵器を開発しているテロ組織や国家」とみなした場合の「先制攻撃の権利」を宣言し、目下、その新国防戦略を策定中だと言われる。これはいわゆる「悪の枢軸」国家、当面はイラクのサダム・フセイン政権への先制攻撃の正当化を念頭に置いている。
 準備されつつあるイラク攻撃はアフガンで泥沼に入った米軍が、その世界戦略の挽回を図り、軍事的・政治的・経済的な戦略的要衝=中東地域における揺るぎない覇権を確立するための軍事作戦だ。
 しかし、先の湾岸戦争時とは異なり、イラク攻撃の最大の基地だったサウジアラビアでは反米の気運が高まり、周辺のアラブ諸国も再度のイラク攻撃に懐疑的になっている。かつて多国籍軍を構成し、最近のアフガン作戦にも協力したヨーロッパ諸国もイラク攻撃には消極的だ。米軍のイラク攻撃は、ほとんど単独で行う覚悟がなければ開始できない情勢にある。 このような条件下で対イラク軍事作戦を遂行するには、米軍は単独で航空機、空母など空海軍に加え、数万人から二十万人におよぶ地上軍を投入しなければならない。
 七月十日、ルービン米前国防省報道官はCBSラジオに対して、一般的には半年は必要だと言われる「二十五万人の米軍のイラク周辺への配備は、二〜三ヵ月で可能だ」と述べた。この大規模作戦でバグダットを攻略し、フセイン政権を転覆させようというのだ。
 また十日のAFPによると、別の米軍事筋は一週間で五万人を展開できる電撃作戦が可能だと述べている。現在、配備されているクウェートの一万五千人に加え、空輸と海上輸送で三万五千以上をクウェート・イラク国境に急派できるという。これによるとサウジアラビアの全面協力がなくても、クウェート、ディェゴガルシア、カタールなどの基地やペルシァ湾に展開する米艦隊から直接に急襲できるというのだ。事実、クウェートやカタールの米軍基地の強化が急速に進んでいる。
 AP通信の十五日報道では、米国の兵器産業の工場でのレーザー誘導爆弾、全地球測位システム使用精密誘導爆弾(JDAM)、巡航ミサイル・トマホークや銃弾などの製造が大幅な増産体制に入ったと伝えている。

     B

 注目しておかなくてはならないのは米軍のかいらい部隊育成の動きだ。これはこの間もくりかえし行なわれては失敗してきたもので、作戦としては目新しいものではない。いま米国務省はフセイン政権後の新体制の青写真を描く構想「イラク将来計画」をすすめている。
 七月九日、十日の両日、米国務省はイラクの反体制メンバー約二十人をワシントンの国務省に招いて、会合した。また七月十二日から三日間にわたって、ロンドンでイラクの亡命反体制派二〇〇人が会議を開き、「軍事評議会」を結成した。代表には九一年の湾岸戦争直後にイラク南部で蜂起したアルヤシリ元少将が就任した。この協議には米国国防省、国防総省関係者も出席し、ヨルダンのハッサン王子も個人としてオブザーバー参加した。参加者は「米国からは何か重大なことが起きるとのメッセージを受けている。米国は今度こそ(フセイン打倒に)真剣だ」と述べた。
 また米議会の中東専門家は十一日までに「米中央情報局(CIA)がイラク北部のクルド人支配地域での活動を活発化させている」と指摘した。
 湾岸戦争以降、半独立状態になったイラク北部のクルド人居住区を二分して支配しているクルド愛国同盟(PUK)とクルド民主党(KDP)の動きも活発で、周辺諸国を訪問したり、憲法草案を発表したりしている。
 これらの動きはアフガニスタン攻撃と同様のパターンでの米軍のイラク攻撃と「新政権樹立」の正当化をめざすものと見ることができる。

     C

 日本政府も「有事三法」の制定でもたつきながらも、次期臨時国会での採択強行による年内の成立によって、新年早々の米軍作戦に間に合わせようとしている。
 同時に日本政府は有事三法の帰趨いかんにかかわらず、「テロ対策特別措置法」の範囲でイラク攻撃の米軍にたいする支援可能な方途を模索している。
 十二日のワシントンの共同電によると「ブッシュ政権が対イラク軍事行動に出た場合の自衛隊の対応について、アフガニスタンでの作戦支援を名目に米軍艦船への洋上補給を継続する案を非公式に検討している」という。
 現在、北アラビア海で補給活動をしている自衛隊の活動の法的根拠は「アフガンでの対テロ作戦支援」だ。だから対イラク戦争には九・十一テロとイラク政府を結びつける確実な証拠がないかぎり、テロ対策特措法は適用できない(逆に証拠があったと「説明」することもできる)ことになっている。
 しかし、いったん米軍に補給された燃料がイラク攻撃に使われない保証はない。日米政府は姑息にもアフガン戦争支援を名目にしたイラク攻撃への転用という、補給の継続案を検討しているのだ。
 今年一月、自衛隊に対イラク制裁の船舶検査活動中のオーストラリア艦船から補給の要請があったが、断ったことになっている。しかし、自衛隊から補給を受けた米軍がオーストラリア艦隊に間接補給している可能性があることは公然の秘密だ。先の自衛隊海上幕僚監部の「イラク戦争前のイージス艦派遣要請」の陳情など、すでに政府や自衛隊は米軍のイラク攻撃に積極的に加担する道を検討している。
 もし米軍によるイラク軍事攻撃が行なわれれば、中東全域に戦火はおよび、アフガン戦争をはるかに超える大量の死傷者がでるにちがいない。イラクは大量殺人兵器や準核兵器、さらには核兵器の実験場にされるにちがいない。
 そしてアメリカはここでも際限ない戦争の泥沼に入ることになる。小泉政権もまた積極的な戦争共犯者として、この泥沼に引きずり込まれるのだ。
 この秋からの有事三法阻止、米軍の戦争と自衛隊の参戦阻止の闘いは、まさに焦眉の課題だ。


市民が銀座パレード ウシは10ケタ、ヒトは11ケタ 住基ネット八月五日実施を許さない

 政府による住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)の八月五日実施が間近に迫ってきた中、七月二十日午後、日本消費者連盟など多くの市民団体が呼びかけて、八丁堀の労働スクェア東京で「実施を許さない市民大集会・デモ」が開催され、五百五十人の市民や労働者、および地方自治体の議員らが参加した。参加者のなかには大阪や仙台、札幌などから駆けつけた人びともいた。
 冒頭に行なわれた実行委員会の経過報告では、住基ネットに反対する理由として、
 @全国民に強制的に十一ケタの背番号がつけられ、ICカードが発行される。そのシステムやセキュリティには大きな問題がある、
 Aシステムを使うルールもない、
 B国会でも充分な審議はされておらず、国民にも知らされていない点で民主主義に反する、などの問題が指摘された。  つづいて行なわれたリレートークは各党国会議員の挨拶を含めて十四人のスピーカーからつぎつぎに行なわれた。
 有田芳生(ジャーナリスト)、マッド・アマノ(パロディスト)、三橋順子(トランスジェンダー)、板垣竜太(朝鮮研究者)、山根信二(CPSR社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会日本支部代表)、西邑亨(JCAネット)、佐藤文明(戸籍研究家)、二関辰郎(日本弁護士連合会情報問題対策委員会事務局長)、江原昇(自治労東京情報政策委員)、岡崎茂夫(かまがやの地方自治をつくっていく会)、亀倉順子(国分寺市議)、石村耕治(白鴎大学教授)などであり、他に矢島恒男衆議院議員(共産)、北川れん子衆議院議員(社民)と福山哲郎参議院議員(民主)代理の江原都議らが挨拶した。
 有田氏は「国民総背番号制についてのマスコミの報道は少ない。地獄への道は善意で敷き詰められているということばがあるように、住基ネットの問題はたいへんなところに来ている。もし国民の中にイヤなことは見たくない、考えたくないという風潮があるとしたら、たいへんなことだ。いま進んでいる高度国防情報管理国家体制を撃ち破らなくてはならないと思う。こうした市民の試みはマスコミに注目させていく上でも大切だと思う」とのべた。
 坂垣氏は「韓国で行われた住基ネットは国民の戦争動員のための道具であると同時に、『北のスパイ』を摘発するとする排除の道具だった」と指摘した。
 山根氏は「住基ネットは個人のプライバシー情報が役人に管理され、使われるという問題のほかに、住基ネット自体が完全に働かないのではないかという心配もある。そしてその場合の責任体制は不明確だ」と述べた。
 佐藤氏は「自治体の仕事である住民登録に、国が番号をつけるということ自体がおかしいのだ。国は本来は、戸籍に番号をつけたいのだろうが、それは差別の問題を解決できずにやれないでいる。戸籍番号制をやってみたらどうだ。戸籍制度は崩壊するだろう」と皮肉をまじえ批判した。
 リレートークの間にミュージシャンの生田卍さんが「よいとまけのうた」と、新作「地獄の門までついてくる総背番号制ラップ」を演奏し、会場の拍手を集めた。
 集会は最後に住基ネット八月五日実施を許さない決意と、与党が強行してもひきつづき闘っていく決意をこめて決議文を採択した(別掲)。
 集会後、参加者は牛のぬいぐるみや、コンピュータのはりぼてなどを先頭にして、銀座を通り、日比谷公園までデモ行進をした。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・

住基ネット八月五日実施を許さない集会宣言

 今年八月五日、住民基本台帳に記載された日本「国民」全員に十一桁の住民票コードが付番されようとしています。そして、各市区町村、都道府県と全国センター、そして国の行政機関等をオンラインで結ぶ住基ネットで住所・氏名・生年月日・性別・住民票コード・変更履歴の本人確認六情報が飛び交うことになります。
 旧自治省は、改「正」住基法成立当初、その導入目的に住民票の広域交付や転出入事務の簡素化を挙げていましたが、導入経費四〇〇億円、毎年のランニングコスト二〇〇億円という莫大な税金を投入して、たったこれだけの利便性が目的であるわけがありません。八月五目前にもかかわらず、国の適用業務一〇省庁九三事務を二六四事務に拡大する法案が国会に提出されていることを見ても明らかなように、住基ネットの適用業務は今後拡大していくことは間違いありません。特に電子社会における個人認証の基盤となる構想が明らかにされたり、納税者番号としての利用の可能性が喧伝されたりしているところを見るにつけ、官民問わず広く住基ネットが利用されていく危険性があります。
 十一桁の背番号をキーコードとして利用先から私たちの個人情報を容易に検索、加工できるようになる、それは国家が私たちを日常的に監視できるということを意味します。防衛庁の情報公開請求者のリスト問題、原発の給付金受給拒否者のリスト問題など最近発覚した問題からも、私たちの個人情報が私たちの知らないうちに収集され、データベース化されていることの恐怖を強く感じました。国民総背番号制/住基ネットは、そうした個人情報の収集・加工を今より数段容易にします。
 九九年法成立時、当時の小渕首相の答弁や改「正」住基法の付則も個人情報保護法制の存在を住基ネット実施の前提としていましたが、今国会で官民個人情報保護法が成立しないため、このまま八月五日に住基ネットを実施することはできないはずです。多くの地方議会や自治体の首長もこの点をもって八月五日の延期を求めています。
 しかし、個人情報保護法が成立したからといって住基ネットを稼動させていいわけではありません。そもそも統一番号をつけて人間を管理しようという発想を私たちは受け入れません。
 ウシは一〇桁、ヒトは十一桁。BSE対策として導入された「家畜個体織別システム」では、全国すべてのウシに一〇桁の識別番号が割振られます。「家畜個体識別システム」と国民総背番号制の発想は同じです。私たちはウシ同様、番号で識別され、どこにも逃げられず、「情報」という名の檻の中に閉じ込められようとしています。
 しかし、私たちは決してあきらめません。韓国では一旦法制化された住民登録証のICカード化を市民の力で廃止に追い込みました。

 私たちは住基ネット八月五日実施を許さない!

 私たちに十一桁の国民総背番号はいらない!

 私たちは住基ネットの廃止まで闘うことを宣言します!

 二〇〇二年七月二〇日

                     住基ネット八月五日実施を許さない集会


『海の日』に天皇制を問う七・二〇討論集会

         「日本人=海洋民族」論と網野史学についての議論

 『海の日』は一九九五年に国会で決められ、以降毎年七月二十日に関連行事が行なわれてきた。
 日本の祝日の多くは天皇制と関わって制定されているが、「海の日」は明治天皇が一八七六年(明治九年)の東北・北海道「巡幸」の帰路、青森から「明治丸」に乗船し、函館を経て横浜に帰着した日とされている。それが一九四一年、十五年戦争の末期、日本帝国主義の「大東亜共栄圏構想」による「南進論」に呼応するがごとく、「海の記念日」とされた日だ。
 しかし、先般の政府の祝日法改定により、いくつかの祝日は日曜に重なる場合には連休として休日をずらすことになり、今後、海の日は必ずしも二十日に限らなくなった。
 反戦平和や反天皇制などの課題をかかげて活動するいくつかの市民団体で構成されている「W杯(ワールドカップ)・天皇訪欧を問い、天皇制の戦争責任を追及する共同行動」は、この日夕刻から都内で、女性史研究者の加納実紀代さんを招いて討論会を開いた。加納さんは制定当初から一貫して『海の日』に異議申し立てのキャンペーンをしてきた。
 加納さんは「七回目の『海の日』に……二つの『日本人=海洋民族』論と女性天皇問題」と題して報告した。
 加納さんは網野善彦の『「日本」とは何か』(講談社)を紹介しながら、網野は従来の史観とは異なり、古代から「日本」(網野は当時は日本はなかったと説く)は決して孤立した島国ではなく、「日本海」という内海を交通路として大陸と交流してきた海洋民だったとする。大陸の東には、ベーリング海、オホーツク海、「日本」海、東「シナ」海、南「シナ」海と五つの内海が連なっている。
 地図は日本を中心に見れば軍国主義者が言っていたように「西はシナ大陸」となるが、実は「日本はアジア大陸周辺ではないか」と、「環日本海」という視点を提起する。
 加納さんはこれらの網野の指摘を支持しながら、新潟の学校に勤めているのでより問題意識があるのだが、「裏日本」という概念は近代になって作られたものだと指摘する。
 加納さんは網野史学は「海の日」にみられるような侵略的な海洋民族論とは対立するものだと指摘した。これにたいして会場の参加者からは彼が他でいっていることも含め、「網野史学」をそこまで評価できない、という指摘もあった。
 女性天皇制の問題では加納さんは歴史と天皇制を「階級、民族、ジェンダー」の三つの視点から見ることの重要性を強調し、フェミニズム運動の一部にある女帝容認論は女性のリプロダクティブ・ライツの視点からも批判されるべきだと述べた。 いずれも議論の余地の多い問題提起であり、今後の課題としなくてはならないだろう。「日本」の呼称は網野のほかにも指摘されているが、「常識」の陥りやすい誤りだ。(T)


 私たちの暮らしに有事法制はいりません

 有事法制に反対する自治体議員の共同アピールなどの動きと合わせて、各地での法案に反対する決議や慎重審議を要請する決議を採択する動きも強まっている。
 七月十七日午後、衆議院第二議員会館で、「私たちの暮らしに有事法制はいりません、有事法制に反対する地方自治体議員共同アピール」を推進する地方議員たちによる「有事法制にトドメをさす自治体議員と首長の集会」が開かれた。集会には約三〇名の地方自治体議員と若干の市民が出席した。各地から集まった議員たちはそれぞれの活動経験を交流したあと、国会議員に対するロビー活動を行い、そののち「有事法制と自治体」と題する講演会を開いた。
 講演会の冒頭、主催者は「共同アピールはすでに四〇〇人近くになっている。
この運動をさらに広げて有事法制をささえる考え方、そのものを拒否していく運動を自治体から作りたい」と挨拶した。
 講演した前沖縄県知事で社民党衆議院議員の太田昌秀さんは要旨、次のように述べた。
 国会に有事法制案がだされるなど、私たちはたいへん厳しい状況におかれている。戦争を体験した私たちから見れば、このままいけばとり返しのつかないことになると思われる。この動きはいずれ徴兵制までいかざるを得ない。
 ひとたび有事体制になれば、法律のある、なしにかかわらず戒厳体制になる。にもかかわらず国会の与党の人びとはその恐さをわかっていない。政府は「有事の時に自衛隊が超法規的にならないように有事法制を作るのだ」などと説明しているが、有事には超法規にならざるをえないのだ。
 一部のひとは「沖縄は日本の縮図だ」というが、そのことばの真の意味は、沖縄戦で起こったことが、今度の有事体制の下では全国で起こり得るということではないだろうか。
 講演のあと、参加者は今後、さらに地方自治体の場から有事法制反対の運動を起していくことを確認しあった。


侵略戦争反対を圧殺する「治安維持法」  横浜事件再審を実現させよう

 戦時中、天皇制軍部と官僚は侵略戦争遂行に反対するすべての動きをでっち上げまでして弾圧した。多くの犠牲者がつくりだされたが、しかも、警察、検察、裁判所などの、そうした弾圧に対する反省は現在にいたるまでなされていない。それどころか戦前の治安維持法体制は戦争遂行のための有事法制づくりをいそぐ支配階級にとって学ぶべきモデルなのである。戦争体制づくりは人権無視と表裏一体である。
 横浜事件の第三次再審請求闘争が闘われている。第三次の闘いでは、横浜事件が拷問・フレームアップ事件であること、特高警察・思想検事・裁判所などによる職権犯罪が行われたこと、それとともにポツダム宣言の受諾により天皇制・治安維持法体制は効力を失い横浜事件の裁判は無効であることが主張されている。五月二八日、横浜地裁の鑑定では、鑑定人の大石真京大教授は「受諾によって、ポツダム宣言は国内法としての意味を持ち、大日本帝国憲法の性格と内容は根本的に変化した……天皇制に関する規定は失効し『国体』と密接に関連する治安維持法も効力を失ったと解釈すべきだ」とする意見書を提出した。この鑑定は再審に道を開くものとなっている。

弾圧のための治安維持法

 反骨のジャーナリストの細川嘉六は、雑誌『改造』の一九四二(昭和一七)年八、九月号に「世界史の動向と日本」を執筆した。その内容は、中国に対する戦争は、天皇中心の荒唐無稽な神話にもとづく非科学的非人道的侵略であり、逆にアジア民衆の民族解放の闘いは世界資本主義の行き詰まりを表すとともに「新たなる人類社会発展を示唆」すると言うものである。
 一九三一年九月一八日、関東軍は南満州鉄道線路を爆破、これを中国軍の行為だとして、軍事行動を開始し中国東北部(満州)を占領し、三七年の七月七日には盧溝橋事件をつくり出して中国への全面侵略戦争となった。そして四一年一二月にはハワイを奇襲し米英などとも戦争になった。当時、中国侵略戦争は泥沼化の様相を見せ、アジア・太平洋でも日本に不利な戦局が形形成されはじめ、厭戦気分のひろがりとそれが反戦運動につながるのを恐れた軍部は、細川の論文を共産主義啓蒙のためののものと断じ、特高警察は細川を「治安維持法」(注)違反として検挙、激しい拷問をおこなったが、細川は屈しなかった。
 軍部はこの細川論文を口実に弾圧を拡大し、治安維持法を最大限の拡大解釈で戦争に疑問を持つ多くの人びとに襲いかかったのである。
 それが横浜事件であった。

 <注・一九二五年五月に施行された「治安維持法」は、「国体の変革または私有財産制度否認を目的とする結社を組織またはこれに加入した者に一〇年以下の懲役または禁固」とする共産党弾圧の法律で、二八年六月には、懲役一〇年以下が「死刑または無期若しくは五年以上の懲役若しくは禁固」に改悪されるとともに、同年七月全国警察部に特別高等警察(特高)が設置され、また全国裁判所や検事局に二六人の思想検事が配置(四一年には七八人となる)された。治安維持法は、弾圧対象を拡大していき、宗教者、自由主義者など天皇と軍部の侵略戦争に反対するすべての動きを圧殺するものとしてあった。それは多くのでっち上げを伴い、戦争と国内のファッショ的支配の要としてあった。>

再審を求めて

 第一次再審請求は八六年だった。
 一審の横浜地裁は「当時の裁判記録が存在しないので審査を進めることができない」として棄却、二審の東京高裁も、三審の最高裁も同様にして棄却した。しかし、当時の裁判記録がないのは、連合軍の進駐にあわてた当時の司法部の連中が悪事がばれるのを恐れて焼却したということなのだ。そうしておいて「記録が存在しない」というのである。
 しかし闘いはつづいた。九八年八月一四日には第三次再審の請求が行われた。板井庄作、勝部元、畑中繁雄(以上、現存者)、木村亨、小林英一郎、高木健次郎、平館利雄、山田浩(以上・相続人)計八人の請求者によつて、横浜地裁に再審請求が申し立てられた(今日、勝部さん、畑中さんも他界され、現存者は板井さんただ一人となっている)。

第三次再審の請求理由 

 第三次再審の請求理由では、@ポツダム宣言受諾により、本件判決当時(昭二〇年八月一八日ないし九月一五日)治安維持法はすでに廃止されていたというべきであり、連合国最高司令官の「政治犯釈放」通牒、「民権、信教白由の制限撤廃覚書」は旧刑事訴訟法四八五条六号の再審事由に当たる、A「日本共産党史(戦前)」(公安調査庁)によれば、日本共産党は一九三五年三月四日をもって壊滅したとされ、公知の事実であるから、本件判決の認定事実のうち日本共産党の「目的遂行ノ爲ニスル行爲」はありえず、本件は犯罪の証明がない場合に当たる、B特高幹部三名に対する有罪判決は旧刑事訴訟法四八五条七号の「捜査二関与シタル検事」にあたると解すべきで、再審理由にあたる(自白強制)ことは明らかである、なお、本件横浜事件の刑事記録は敗戦のさい司法官憲によって故意に焼却浬滅されたおそれのあるものであるから、再審法規を請求人に有利に弾力的に解釈すべきである、ことがあげられている。

再審を要求する集会

 七月十三日、東京・駿河台の明治大学で「言論弾圧と戦い続けて六〇年 横浜事件再審開始を!市民の集い」が開かれた。
 集会は、ビデオ「横浜事件・半世紀の問い」の上映の後、「横浜事件再審請求の争点」と題して小田中聰樹専修大学教授が講演を行い、ポツダム宣言の受諾問題についてつぎのように語った。
 ポツダム宣言は、「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力又勢力」の除去をうたい(六項)、日本国の戦争遂行能力破砕の確証あるまでの日本占領を表明した後、第一〇項において「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」と宣言し、更に第二一項において「前記諸目的ガ達成セラレ旦日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍、直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」と宣言した。
 また、日本政府の照会に対する所謂バーンズ回答(一九四五年八月一一日付)は、「降伏ノ時ヨリ天皇及ビ日本政府ノ国家統治ノ大権ハ……聯合国軍最高司令官ノ権限ノ下ニ置カルルモノトス。最終ノ日本国政府ノ形態ハポツダム宣言ニ従ヒ日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」と言明した。
 この二文書が表明したことは、第一に思想、言論の自由の保障であり、第二に国民の自由に表明された意思による統治体制(統治形態)の決定、の二点であった。換言すれば、天皇による統治権掌握・行使の統治体制の絶対性、不可変更性を否定するとともに、これによって完全に変質することになった天皇制のいわば「残骸」の処理を「国民の自由に表明された意思」に委ねることとしたのである。
 このポツダム宣言を、天皇は統治権を総攬する最高権力者として受諾することを決断し、政府はこれに従った。このことは、天皇および政府が、天皇に統治権掌握・行使体制の絶対性、不可侵性を自ら放棄し、新しい統治体制(統治形態)の策定・選択を国民の自由な意思に委ねることを決断したことを意味する。この決断・決定の名宛人は連合国であっただけでなく、国民でもあった。そして現実の事態はそのように推移していったのである。
 弁護団から横浜事件再審弁護団の大島久明弁護士の報告、再審請求人の木村まきさんのアピールがおこなわれた(再審講求人である板井庄作さんは体調不良のため欠席し、闘いの決意が司会者から伝えられた)。
 つづいて、ジャーナリストの斉藤貴男さんが「メデイア規制三法と横浜事件」と題して講演した。

横浜事件とは

 警察の当時の秘密資料『特高月報』一九四四年(昭和十九年)八月号は、「神奈川県における左翼事件の調査状況」を次のように報告している。
 「神奈川県に於いては昭和十七年より本年(昭和十九年のことー引用者)に掛け、それぞれ人的連係を持つ一連の事件として『米国共産党員事件』、『ソ連事情調査会事件』、細川嘉六を中心とするいわゆる『党再建準備会グループ事件』、『政治経済研究会事件』、『改造社並びに中央公論社内左翼グループ事件』、『愛政グループ事件』等、総員四十八名を検挙し」云々。そして神奈川県特高は、これら組織的になんの関係もないいくつかのグループ、個人の活動を、すべて細川嘉六先生を中心人物とするコミンテルン及び日本共産党、この「両結社の目的遂行のためにする行為」、「国体を変革することを目的とする行為」―治安維持法―としたのであった。
 この架空の事件をでっち上げるために彼らが頼った唯一の「証拠」は、凄惨きわまる拷問による「自供」だけである。その犠牲者は獄死したもの四名、釈放直後死亡したもの一名、失神状態に陥ったもの三十余名である。【板井庄作「横浜事件第三次請求にあたって」(『人民新報』)九一二号】より】


アメリカ資本主義モデルは深刻な危機に直面

大統領発言に「失望」

 世界経済の先行きに不安が広がっている。その発信源はアメリカで、長距離通信大手・ワールドコムが巨額の粉飾決算が発覚し破綻したのをはじめ、嘘で塗り固められた企業会計への不信が高まっている。その結果、株価が大幅に下落している。
 事態に対処するためにブッシュ米大統領はたてつづけに経済立て直しの発言を行っている。七月一五日には、株価低迷は九〇年代急速な景気拡大の後遺症に悩まされているのに過ぎないとし、インフレ懸念が出ていないこと、労働生産性が向上し続けていること、消費が堅調に推移していることなどを強調して「アメリカのファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件)は依然として強く、景気は回復を続けている」と米経済の先行きにきわめて強気の見通しの演説をおこなった。しかし、同日のダウ平均株価は、大統領の演説中に一時、前週末に比べて三〇〇ドル近く急落するなど、ブッシュの強気発言は「かえって市場の失望を買った」とする声が多い。 

日本経済の困難増大


 米国株の大幅反落で世界経済の先安懸念が強まるなか、一九日の東京株式市場は大幅に反落し、日経平均株価は前日比二四八円一〇銭(二・三六%)安の一万〇二五〇円一六銭で取引を終えた。
 アメリカ経済の混迷は、通貨ドルに対する信頼性をゆるがせ、ドル安円高が進んでいる。福田康夫官房長官は記者会見(一七日)で、為替相場が東京市場で一ドル=一一五円台に突入したこと(一年五カ月ぶり)について「日本経済にとって厳しいのではないか。今の水準はちょっと高いと思う」と述べた。
 一九日、日本銀行は、六月に開催した政策委員会・金融政策決定会合の議事要旨を公表した。その中では、審議委員からは、円高が日本経済にあたえる悪影響を懸念する声や、政府が実施した円売り・ドル買い介入を支持すること、また金融不安再燃に対する警戒感が意見が出された。

ソロス、米政府を批判

 アメリカ経済の変調・ドル安について、世界的に著名な投資家のジョージ・ソロスが「ドル安は米政府の経済政策が問題だ」といっている。ソロスはアジア経済危機を起こした張本人であり、またみずからも通貨投機の失敗で巨額の損失を出し、近年は「反」資本主義的言動が目立つが、そのソロスが英上院経済委員会で、外国為替市場におけるドル安が続いているのは米政府に責任があるとして、「ブッシュ政権の世界経済に対する姿勢には、なんらの信頼感もない、世界中の投資家が不信任をつきつけたということだ」と述べ、「ブッシュ政権の経済政策は、レーガン政権初期の経済政策を踏襲するもので、財政赤字を拡大し国防費を増大し、その原資は外国資本を呼び込むことでまかなおうとしている」と述べた。

会計不信と政治不信


 その上、不透明な企業・会計にたいする不信でアメリカ経済が混迷を深めるこの時に、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領に企業不正疑惑が浮上してきた。ブッシュはテキサス州の石油会社ハーケン・エナジーの役員時代低利融資をうけて株購入したこと、チェイニーは石油会社ハリバートンの最高経営責任者(CEO)の時に破綻したエンロンやワールドコムの監査を行っていた不正会計事務所アンダーセンを宣伝ビデオで賞賛していたことなどが疑惑としてあげられている。ブッシュとその取り巻きには、エネルギー産業や軍需産業との「不適切な関係」をもつ者が多い。今後、政権関係者がらみの不正・汚職疑惑が続出する。
 ブッシュには一連の企業会計不正に対して取締の強化をうったえていたやさきに、この疑惑が生じたわけで、企業会計不信は政治不信に直結した。これらのことがアメリカ経済をいっそう混迷をもたらすことは明かである。
 まさに不信の連鎖である。アメリカ発の世界的な経済混迷は一進一退を繰り返しながら深化していく。それを小泉流「改革」は労働者・人民の犠牲で対処しようとしているのだ。いまこそ、戦争・有事法制阻止の闘いと民衆の生活の防衛闘争を結合させ、反動政権の打倒に向けて闘うときである。


図書

  やんばるに暮らす

         著者・浦島悦子

     ふきのとう書房刊 定価本体・千六百円

 この本の表題の「やんばるに暮らす」は、太古の昔からここに暮らしている人びとの生活と、外からこの地域に来て暮らしはじめた著者の浦島悦子さんの生活との、ふたつの視点から描かれていることを表している。著者の詩的な筆力が、このちいさな本を巧みな「やんばる賛歌」に作り上げた。著者にとって「やんばる」の自然を愛することは、その「やんばる」を壊すものを鋭く告発することである。「やんばる」に生きる人びとを愛することは、それを鏡として己れの生き方を問い直すことだ。 本書はこの何年かにわたって浦島さんが雑誌「週刊金曜日」や、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの機関誌『一坪反戦通信』などに書いた文章を編集したものだが、まとまって書き下ろされたように一冊の本に調和している。
 浦島さんは『あとがき』で言う。「沖縄はことしで『日本復帰』三〇年を迎えた。この三〇年が沖縄にとって何だったのかを考えるとき、失ってしまったもの、失いつつあるものの大きさを思わずにはいられない。……この島を襲った変化の波はあまりにも急激過ぎたと思う。……それでもまだ、すべてが押し流されてしまったわけではない。ここ、やんばるにかろうじて残された自然があり、それとともにあった暮らしの知恵を体現しているオジィ・オバァたちがいる。それは決して過去の遺物ではなく、……さまよっている私たちを本来の軌道に戻し、未来を創っていく礎となるものだ。私はそれらを、宝物を拾い集めるように一冊の本に編んだ」と。これは掛け値なしの本書のすぐれた自己紹介だ。
 第一部、「戦中・戦後を生きぬいたやんばるのオバア・オジィ」に集められた「宝物」のことばからいくつかを紹介しよう。 「自分はもう先は長くないからいいけど、これから生きていく若い人たちのことを考えると、基地は絶対につくらせてはいけない。この頃、海がますますきれいに見えるのよ」(伊波和子さん)
 「そうだよ、子や孫たちのためにね。貧乏でも正しいことをやったほうがいいって、あんたもそうおもうでしょう」(知名トシさん)
 「一時は儲かってもすぐさびれるよ。辺野古をみればわかるさ。人間は働いて、農業してたべるのが本当よ」(宮里弘子さん)
 「沖縄から早く基地をなくさないと、また沖縄から召集されるよ。軍需工場と同じで、基地があると攻撃されるのに、どうして新しい基地を作ろうとするのかねぇ」(知念セツさん)
 「食べるだけの食べ物と、少しの着物と、雨に濡れない家があれば、それでいいのに、もう充分豊かになったのに、なんでこれ以上欲しいのかねぇ……。もう一度戦争を見る前に、死にたい」(喜納好子さん)
 本書の第一部は聞き書きだが、第二部は著者が「足」で書いた「やんばる」の自然の報告だ。「やんばる」には美しい山があり、海があり、川があり、人びとの闘いがある。本書の各所にちりばめられた「やんばる」の自然を写した写真がとてもきれいだ。


歴史的無責任さを露呈した天皇の中東欧訪問終了談話

 七月十九日、二週間にわたるポーランド、ハンガリー、チェコ、オーストリア訪問を終えた天皇・皇后はその「感想」を発表した。
許しがたいことに、「感想」はその半分を使って以下のように述べている。
 「このたび訪れた国々には、他国からの侵入、他国による分割や併合の時代があり、それに伴う大きな国民の犠牲を、不屈の精神をもって乗り越え、今日に至った歴史があることに深く思いをいたしました。中でもポーランドの第二次世界大戦による犠牲には計り知れないものを感じました。そのような状況の中で各国の人々が、それぞれの文化を大切にし、またその文化により人々が支えられて来ていることに心を打たれました」 「ポーランドの第二次大戦の犠牲」を言うなら、その犠牲を与えたヒットラー政権と同盟して戦争した天皇制帝国主義の責任のかけらでも考えたのだろうか。まったくそれがうかがえない「感想」には本当に腹だたしい思いがする。一般に「他国の侵入」などと言う問題ではなく、歴史は具体的なのだ。アキヒト天皇の父親のヒロヒト天皇を頂点とする天皇制帝国主義がそのナチを全面的に支持した戦争の結果の「犠牲」なのだ。どのように「深く思いをいたしたのか」、加害者の側の当事者がいうのはそらぞらしいにも度がすぎる。
 今、国会の議論で改憲派は「国柄が表現された憲法を」「日本文化の匂いがする憲法を」といって、改憲論の根拠に、天皇制=日本文化論を展開する。この「感想」はこれと無関係ではないだろう。まるで「天皇制を大切にせよ」と言っているように聞こえる。
 大体、「皇室外交」などと言って天皇がこうした政治をやること自体が憲法違反そのものだ。 (S)


部落史から取り残された諸賤民について L

           陰陽師 (そのB)        

                       大阪部落史研究グループ 


エリート陰陽師について


 前記シリーズ「近世の身分的周縁・1」梅田千尋の『陰陽師』より

 陰陽師若杉権の丞の新年(宝暦一三<一七六三>年)は大変忙しかった。正月、御所の自宅を出て新年を祝う家々を訪ない、新年恒例の守り札を配り、初穂料を集めるために歩き回った。一日、北野で銭四〇八文と米二斗五合、九六軒の家を回ったとある。こうして祈祷や守り札配りと初穂料集めは連日続き、二二日ごろにようやく一段落したという。
 若杉家の日常の活動形態は、宮中の陰陽師土御門家が天皇に対して行っていた宮中行事に類似し、公家に限らず町人の家でも執行していた。「病気の祈祷」「かまごい」「荒神祓い」「地鎮め」あるいは敷地そのものや火・水を使用する台所、井戸や便所を掘ったり、埋めたりするときも彼らは招かれ、「鬼門封じ」「方除け」などの依頼も多かった。陰陽師は自ら旦家を持ち毎年同じ家を回った。寺院の持つ檀家と意味合いが違い、宗教者・芸能者たちの受け持ちの場を指す「旦那場」という意味合いに近い。それは証文・物件として仲間同士で売買されていた。
 このように陰陽師若杉家は京都を中心に堂上公家諸家から武士・町人・洛外の村々までさまざまな階層の旦家を持ち、基本的に家、個人を単位とした占い・祈祷をする、寺院の僧侶でもなく、神社の神主でもない。しかし、京の住人にとって身近な重要な役割を占める宗教者であった。もっとも若杉家は陰陽師の家として代々受け継がれ、土御門家からの「許状」をもち、一般杜会から認められた存在で、上層の陰陽師らしい陰陽師であった。

土御門家による陰陽師支配と若杉家との関係

 近世前期までは陰陽師は大きく三つの流れがあった。安倍晴明を代表とする陰陽道の流れをくむ土御門家、賀茂家を代表する暦道の流れをくむ幸徳井家、「左義長」(正月のどんと焼に似た宮中行事)の執行者で中世より一貫してその仕事の流れを継承し来た大黒家があった。一六六五年幕府の諸社禰宜神主法度により、全国の神職の裁許権を吉岡家が掌握することとなり、さまさまな宗教者・芸能者の職分の帰属が問題となった。それが契機となり三家による争いに発展する中で、土御門家が中世以来の声聞師的性格を持つ陰陽師集団を一元的な本所支配に編入していった。土御門家では当主の下に三人の家司がいて全国の陰陽師に「許状」の発行をし、陰陽道を教授した。
 一方各地の陰陽師は年に一〜二回土御門家に顔を出し、献上の金銀を持参するほか祭礼の手伝いなどをしていた。若杉家は当初は被支配の関係にあったが、天明期ころには若杉家が家司の役割を務め、陰陽師支配の全国化を成し遂げることになる。(つづく)


複眼単眼

       しぼんできた首相公選論と一部学者の的外れな議論

 昨年の首相就任以来、小泉首相が改憲のための世論作りの呼び水として鳴り物入りで宣伝してきた首相公選制。これは中曽根元首相が提唱して以来、政治不信の高まりを利用した改憲派の変化球としてしばしば登場してきた議論だ。
 小泉首相は就任後、私的諮問機関として「首相公選制を考える懇談会」(座長・佐々木毅東大学長)を作って、この問題を検討させてきた。首相公選制の導入は憲法改定を伴うものであり、この懇談会の設置自体が、憲法の遵守義務がある首相の行動としては大いに問題があるわけだが、このほどその懇談会から「報告書案」が提示され、来月上旬には「最終報告」がだされことになった。
 報告書は改憲の提起をしている二つの案を含む三案併記で、第一案は直接の首相国民投票による大統領型、第二案は衆院選で首相候補を掲げて争うことで事実上の首相選出選挙とする議員内閣型、第三は現行憲法の枠内で首相のリーダーシップを強めるもの。
 何のこともない結論だ。この程度なら始める前からわかっている。これがわざわざ諮問委員会をつくって検討したというほどの結論だろうかとあきれるばかりだ。
 たくさんの市民団体がこの諮問委員会の設置が改憲策動の伏線であることは明確だとして、これに反対のキャンペーンを行なったが、北海道大学の山口二郎教授は「ただ反対するだけではやられてしまう。中にはいってよりよい首相公選制を提言すべきだ」として、この懇談会のメンバーになった。
 この人物は「政治改革さわぎ」の時もそれに乗っかって「政治改革に反対するのはおかしい」等と言って騒いだという過去があるし、最近では同様の論理で「市民の側からの憲法改正国民投票法案を提起しよう」と呼びかけている。
 この山口氏のような類のトンチンカンな行動をする人が学者のなかにはときどきいる。「反対だけではだめだ、対案が必要だ」などという議論の多くは善意であるにはちがいないのだが、その結果は民衆の運動にとってはたいへんよくない場合がある。しかし、そうした人は結果がでても責任をとるわけでもないし、とりようもない。本紙でも紹介されたが、市民憲法づくりによる市民の側からの改憲を提唱している法政大学の五十嵐敬喜教授もこの類だ。
 誰かの言ではないが、まず「ダメだ」ということが大切だ。「対案がない」などと言って、反対意見を封じてはいけないのだ。
 首相公選制の動きは昨年の一時期よりは停滞している。両院の憲法調査会でも与党側の委員すら首相公選論者の議論の性急さ、乱暴さにあきれている様子がうかがえる。世論も、高い人気を誇った小泉首相のデタラメな政治や、首相候補に擬せられた田中真紀子の無残な姿を見て、公選制への熱情もさめてしまったのではないかと思われる。
 しかし、油断はできない。いつこの改憲のための変化球が息を吹き返すか、わからない。「水に落ちた犬はたたけ」という格言もある。当面は来月はじめの最終報告に注目しよう。(T)