人民新報 ・ 第1067号<統合160> (2002年8月5日)
  
                                目次

● 臨時国会で有事法制案を必ず廃案へ

 戦争はイヤだ!有事三法案を廃案に7・ 市民集会  国会会期末に向け廃案を要求

 STOP!有事法制、三法案を廃案へ陸海空港湾労組二〇団体などが国会行動

 有事3法阻止、反戦・平和の思い乗せ ピースサイクル・リレー関東を走る

             昨年を上回る参加で  東京ピースサイクル

             平和と防災を考える 練馬ピースサイクル

             県内四コースで実走 埼玉ピースサイクル

             台風の直撃はね返し 茨城ピースサイクル

 政府あての有事法案に関する国立市長の質問書と政府回答 地方自治の場から有事法制に疑義あり @

 「論憲」から「改憲」に踏み込んだ 危険な民主党憲法調査会の最終報告

 闘争団除名の国労全国大会を許すな!

 本  靖国の戦後史(田中伸尚著) 

 複眼単眼   草の根皇国史観と 染五郎のアテルイ観



臨時国会で有事法制案を必ず廃案へ

 第一五四国会で有事(戦時)三法案の採択に失敗し、衆議院特別委員会での継続審議に追い込まれた政府・与党は、十月からの第一五五臨時国会での成立をめざして、態勢の立て直しに入った。
 与党は次の臨時国会でこの有事関連法案と合わせて「個人情報保護」法案、および防衛省設置法案などの提案もめざしている。この秋の国会をめぐる情勢は、全体としてひきつづき「戦争遂行可能な国家」態勢づくりともいうべき、平和条項を柱とする現行憲法態勢の否定という日本の進路を左右する基本路線の闘いとなる。
 有事関連三法案については、すでに政府は「国民の保護」「自衛隊の活動円滑化」「米軍の行動の円滑化」「捕虜の取り扱い」「非人道的行為の処罰」など五法制のそれぞれに作業チームを設置し、スタッフを増員するなど、前倒しの検討に入ったという。
 そして通常国会では「二年以内に制定」などとして批判を浴びた「国民保護法制」に関しては、臨時国会に「主要な論点整理」を提示するとしている。
 通常国会最後の特別委員会になった二四日には、福田官房長官が「武力攻撃事態における憲法で保障している国民の自由と権利について」の政府見解を明らかにした。本紙も再三指摘してきたが、今回の武力攻撃事態対処法案は、公然と憲法十三条の「国民の自由と権利」の制限をうたっている違憲立法だ。これについて「見解」は「内心の自由は絶対的権利」だが、「外部的な行為がなされた場合には…絶対的なものとは言えず、公共の福祉による制約を受けることはあり得る」として、たとえば「物資保管命令」にたいして「思想や信仰を理由に自衛隊に協力しない場合」をあげ、「思想や信仰」の制約を明言した。
 有事三法案の危険性はますます明らかになってきた。
 政府・与党は先の国会での失敗を繰り返さないために、早めにこれらの準備を進めながら、与党単独採決の可能性をもちらつかせつつ、水面下での民主党との協議・妥協の道をさぐり、野党共闘の分断をはかっている。
 野党では民主党も自由党も「緊急事態法制」の整備の必要性を確認するという主張では与党と共通している。ここに政府・与党が付け込む余地はある。また他の野党にも議会主義政党としてのそれぞれの党利党略があり、それが悪しきセクト主義として表面化して共同を妨げる要因となることもしばしばだ。
 先の通常国会では野党内にこうした弱点をはらみながらも、運動と世論の高揚によって与野党の取り引きを不可能にさせてきた。こうした運動展開をさらに大きくできるかどうかが、いま問われている。小泉内閣の経済・財政政策は明確に破綻をみせ、与党内からまで不満が起きている。多くの人びとも不満を強めている。私たちはこれら全体としての小泉内閣の悪政を暴露して闘いながら、有事関連三法案反対の運動をさらに高揚させなくてはならない。
 この夏の反戦平和の闘争のエネルギーを、秋の有事法制廃案の闘いへとつなげよう。


戦争はイヤだ!有事三法案を廃案に7・ 市民集会  国会会期末に向け廃案を要求

 有事三法案が審議にかけられた第一五四国会の最終日の七月三一日を目前にした二八日午後、同法案の廃案を要求する市民の行動が東京・渋谷一帯で繰り広げられた。
 この日の行動は宮下公園での一時間にわたる集会とデモ、および同時に行なわれた渋谷駅ハチ公前でのリレートークと音楽演奏の二本立てで、後半は渋谷駅前で合流したパフォーマンスが行なわれた。
 主催したのは「テロにも報復戦争にも反対、市民緊急行動」や日本山妙法寺などこの間の有事法制反対運動の先頭に立ってきた市民団体でつくる市民集会実行委員会。
 集会は午後二時から三時まで、渋谷駅近くの宮下公園で行なわれ、集会後約二〇〇名の人びとが繁華街をデモ行進した。
 集会は反戦・平和アクションの米沢さんの司会で進められ、冒頭に実行委員会を代表して日本消費者連盟の富山洋子さんが基調報告的な挨拶をした。
 参加した各団体からの連帯挨拶は、陸・海・空・港湾労組二〇団体を代表して航空安全会議の大野議長、自治体議員の運動から清瀬市の布施市議会議員、日本山妙法寺の武田上人、住基ネット八月五日実施を許さない実行委員会の吉村さん、パレスチナ連帯運動をすすめてきた派兵チェックの岡田さん、平和のための戦争展実行委員会の星野さん、キリスト者平和ネットの中尾さんなどで、青森県六ヶ所村から広島に向けて全国キャラバン中の「止めよう再処理!全国実行委員会」からの挨拶も行なわれた。
 この日、公安警察は集会開始前から三〇人ほどの監視体制をとるなど異常な警戒行動にでた。
 富山さんは、この国会で有事三法案が継続審議になろうとしていることについて、この間の市民運動をはじめとするさまざまな人びとの努力の勝利であること、同時に政府は臨時国会ないし通常国会での成立を目指しており、廃案に向けて気を緩めずに闘っていく必要があることを強調した。またこの日の共産党の機関紙「赤旗」が「通るはずだった政府の大誤算」「流れの逆転」を実現した運動の「出発は一月の一五〇人集会」だったとして、一月二一日の市民緊急行動などが呼びかけたの緊急の院内集会を大きく評価していることを紹介しながら、大規模な共同行動の実現を目指した運動をすすめると同時に、このように力は小さくとも情勢を反映しながら、要所要所で敏感に反応し、闘うことの持っている意義について確認した。
 フライトを終えたばかりで駆けつけた大野さんは、当初は「対テロ特別措置法」と同様、結局はやられてしまうのではないかと思っていた状況を逆転する方向に転換した意味は大きい。市民運動が先頭になって切り開いて、自分たち陸海空港湾労組二〇団体も宗教者や市民団体のみなさんとともに四月、五月、六月と大集会を呼びかけ、世論を喚起していった。この前進に確信をもっている。今後もともに頑張ろうと訴えた。
 デモはハチ公前にさしかかると、駅前で大型宣伝カーからリレートークをしていた仲間たちとエールの交換をしながらアピールした。
デモ参加者は解散後、渋谷駅頭に結集し、リレートークと音楽演奏の行動に参加した。
 渋谷駅頭では東京都議会議員の福士敬子さん、江東区議会議員の中村雅子さん、清瀬市議会議員の布施哲也さん、中野区議会議員の佐藤ひろ子さんたちのアピールとミュージシャンの相馬さん、館野さん、ヨッシーさんらの演奏があり、駅前広場のあちこちにたったのぼりやプラカードとともに「有事法制反対」のアピール多くの人びとの注目を集めた。


STOP!有事法制、三法案を廃案へ陸海空港湾労組二〇団体などが国会行動

第一五四国会も最終盤にさしかかった六月二三日、十二時半から国会前の路上で「STOP!有事法制」緊急国会行動が取り組まれた。呼びかけたのは陸・海・空・港湾労働組合二〇団体、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくる宗教者ネットの三団体。労働組合員や市民など約一〇〇〇人が参加した。
 集会では労働組合や宗教者団体からあいついで有事三法案を廃案にするためのアピールが行なわれ、最後に議事堂に向けて力強くシュプレヒコールが叫ばれた。
 この日は国会審議が大詰めになった医療や郵政関連の法案に反対する諸団体の行動、有事法制に反対する弁護士など法曹関連団体の昼休みデモなどが交錯し、国会前は騒然たる状況がつくりだされた。


有事3法阻止、反戦・平和の思い乗せ ピースサイクル・リレー関東を走る

昨年を上回る参加で
  東京ピースサイクル

 東京ピースサイクルは、七月十八日、十九日の二日間の日程で行われ、延べ五〇人が参加した。これは昨年の参加者数を大きく上回り、小泉政権による戦争準備体制への反対の意思表示であり、ピースサイクルとしては力強い追い風となった。
 梅雨明けかと思わせるぐらいの炎天下、厳しい実走となったが、のぼり旗を立て無事に走り切ることができた。
 十八日は、千葉県松戸市役所の要請行動から始まった。吉野市会議員を中心に『有事法制』への対応や環境問題について活発な議論が展開された。『有事法制』については、全国市長会議として国に対し慎重な論議をするよう申し入れていることや、環境に関して都市化が進み、年々緑が減少傾向にあることなどが参加者から意見として出された。
 次に外環遺路建設反対佳民との交流を行った。
 反対運動も三一年目を迎え、大気汚染や騒音など着実に環境が悪化していると訴えられ、遺跡調査も行われているにもかかわらず、国土交通省によって、なりふりかまわない工事が進められている。
 つづいて東京都江東区に今年三月に開館した東京大空襲・戦災資料センターを見学した。戦争体験者の橋本さんや室長の平山さんのお話をうかがい、何としても戦争の悲惨さを後世に伝え、二度と戦争を起こさせてはならないと話されていた。
 そして潮見教会まで走り、交流会を行い、千葉ネットから引き継ぎをした。
 翌十九日はビキニの水爆実験で被爆した第五福竜丸展示館から出発し、外務省で三多摩ピースサイクルの仲間と合流し、戦後補償問題について、とくに従軍慰安婦の方たちに対して謝罪と個人補償をするように強く要請を行った。
 次に今国会に提案されている 『有事関連三法案』を廃案に追い込むために、
有楽町駅マリオン前でビラ情宣に取り組み、国会へ向けて抗議のピースサイクルを行った。
 国会周辺では数多くの市民が、『有事関連三法案』に抗議し座り込みを行っており、そのひとびとを激励しながら周辺を走り大田区へと向かった。
 二〇日は、神奈川県川崎市にある平和館でピースサイクル神奈川ネットの出発式に参加し無事に引き継いだ。神奈川の仲間たちの企画である慶応大学日吉キャンパスにある日吉台地下壕を見学し、東京ピースサイクルの実走を終えた。
 今、戦争への準備が着々と進められている。『有事関連三法案』も与党三党によって七月末まで四二日間会期が延長され、七月末の会期末を控え予断を許さない状況だ。報道では継続審議などの情報が飛び交っている。
 今回ピースサイクルを終えて、改めて戦争の悲惨さ、愚かさを実感した。日本が二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、地道ではあるがピースサイクル運動の継続と前進を勝ち取らねばならない。
 二〇〇二年夏、ヒロシマ・ナガサキ・六ヶ所村を目指して、熱いぺダルをこぎ続けよう。(東京通信員A

平和と防災を考える
 練馬ピースサイクル

 東京ピースサイクルの取組みの一環として、練馬区内では七月二八日(日)に「平和と防災を考える練馬ピースサイクル」が行われた。主催は、練馬区内の市民運動や労働組合でつくる練馬ピースサイクル実行委員会。
なぜ今年は防災をテーマに取り上げたかと言えば、九月一日に「練馬区・東京都総合防災訓練」が練馬区内で行われるからだ。東京の防災訓練といえば、昨年と一昨年に、二年続けて行われた「ビッグレスキュー」が記憶に新しい。これは大量の自衛隊を繰り出した対テロ・ゲリラ対処訓練または治安維持訓練的性格が如実であった。
今回はなぜ練馬区と合同なのか。自衛隊の参加する数は「ビッグレスキュー」に比べれば圧倒的に少なく、問題は少ないかのようにも見える。
練馬区は、阪神淡路大震災以降、区内一〇三の小中学校を避難拠点に指定し、そこに避難拠点運営連絡会を設置した防災計画を進めてきた。いわば住民参加の防災組織づくりである。今回の東京都および国の狙いは、こうした住民参加型の防災組織を有事体制の中の「民間防衛組織」に鞍替えさせる可能性を探ることにある。
すでに「異議あり!練馬区・東京都総合防災訓練実行委員会」も立ち上げられているが、今回は区役所で防災課から説明を受け、自転車を使ってその会場となる個所を回って訓練のイメージを描いた。そしてその足で、この四月にオープンした陸上自衛隊朝霞駐屯地内にある陸上自衛隊広報センターを見学し、併せて平和と防災の問題を考えた。当日は九時から午後三時までの行動で、参加者は約十五名だった。(東京通信員B)

県内四コースで実走 埼玉ピースサイクル

 今年の三月に埼玉で全国ピースサイクル・スタート集会を開催して以来、六月には沖縄ピース、七月には全国ピース開始、八月には六ヶ所ピースを迎えることとなった。
 六号、七号台風のはざ間の七月十五日、ピースサイクル埼玉ネットの実走日を迎えた。四コース(熊谷、寄居、浦和、蓮田)で実走が行われた。
 自治体訪問は十二日に行われた「ミニピース」と当日の行動とを合わせ一八カ所を回ることが出来た。各自治体には要旨以下の要請書を提出した。

 @「平和を願う宣言」(非核平和宣言など)の趣旨を生かすため、必要な予算を計上し、非核・平和のための行政に積極的に取り組まれたい。
 A全世界の核兵器廃絶に向けた取り組みを強化するよう、政府への働きかけをされたい。
 B新ガイドライン関連法の成立により、「周辺事態には自治体と民間の協力」が求められるが、参戦につながるこの「協力」は、拒否されたい。
 C広島・長崎に原爆が投下された八月六日・九日には、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う思いをこめて、サイレンを鳴らすなどの行動を行い、広報などでその趣旨を広く住民に周知されたい。
D自然環境保護政策を推進されたい。
E自転車道及び歩道の整備を推進するなど、自動車中心社会の緩和政策を推進されたい。

 この要請書に対する自治体からのメッセージの印象は、核や原爆、一般的な戦争反対については述べられているが、「周辺事態」法、さらに有事法制で自治体が戦争協力、加担させられることについての意思表明はさけていたことだ。これらの問題が自治体と住民の間で論議されないままでは平和行政は表面上のとりくみにしかなってないように思える。 熊谷コースはミニピースサイクルとして七月十二日に七ヶ所の自治体へ要請行動をした。
また、同日夕方には群馬ピースネットの引継ぎ集会が国労熊谷支部事務所で行われた。例年だと各コースは東松山市役所に合流し、丸木美術館で交流会を開いていたが、今年に入って丸木美術館事務局長が急逝されたこともあって、ここでの交流会は見合わせ、国労熊谷支部事務所の空地で交流会を開き、来年の再会を約して散会した。(埼玉通信員)

台風の直撃はね返 茨城ピースサイクル

 ピースサイクル茨城は七月十五日、十六日に行われ、初日は曇りで絶好の天候、翌日は台風の直撃を受けながらのピースサイクルに、約四〇人が参加しました。

東海村の核燃前で出発式


 一日目は東海村の核燃料サイクル開発事業団前で出発式。脱原発とうかい塾の皆さんの参加のもと、ピースサイクル茨城二〇〇二を代表して杉森弘之さんが挨拶し、続いて東海村会議員の相沢一正さんが地元を代表して挨拶、さらに小林新さんが全国ピースサイクルを代表して挨拶しました。その後、黒羽宏さんが核燃機構に対し申し入れ書を読み上げ、「私たちは、核燃機構の持つ相変わらずの住民無視、無責任な、『動燃体質』が、原研と統合した新組織に引き継がれることを強く危惧する。新組織の事業計画の抜本的見直し、つまり原子力からの安全撤退を研究開発の中心課題とする組織へと改変されることを強く要求する」と訴えました。

百里平和公園を訪問

 百里平和公園では、百里基地反対同盟代表の川井弘喜さんと交流。(写真)民間との共有化=基地の拡大・永続化を絶対許さず、基地撤去を粘り強く闘う姿勢に学びました。川井さんは、運動が盛り上がっているときに闘うことはたやすいが、停滞しているときに堅持することは難しい、遊び心を大切に、地道に闘うことが大事だと話してくれました。
ピースサイクルでも例年、小山さんや阿部さんなどを中心に、「自衛隊違憲」看板や平和公園の草刈りを行っています。

土浦で交流会

 初日の夜は土浦のスーパー銭湯で汗を流した後、花井吉宅さんの司会で交流会。約二〇人が参加し、相沢さんから東海村の現状について報告を聞きました。そして、障害者福祉や高齢者福祉、障害者の高校進学、未組織の労働者の労働運動、地方議会、中小企業、日中友好、日朝友好など各分野で活躍している人々が、心のこもった手作りの料理に舌鼓を打ちながら、交流を深めました。

市民から自治体チェック

 自治体訪問は、東海村、土浦市、牛久市、藤代町、龍ヶ崎市。事前に平和・人権・環境の自治体行政について質問事項を送り、訪問時に報告を受け、意見交換するなど、市民の側からのチェック活動も重視しています。牛久市役所では、あいにく台風のために関係責任者が出動しているとのことで、懇談ができませんでしたが、牛久市職員組合の高谷寿副委員長より連帯の挨拶をいただきました。 他の市町村では首長も出席して、中身の濃い懇談ができました。特に、バトンタッチの最終地点であった千葉県の我孫子市役所では、市長がすべての質問事項について回答するなど、市町村による違いも実感させられました。(茨城通信員)


政府あての有事法案に関する国立市長の質問書と政府回答

        地方自治の場から有事法制に疑義あり @

 さきに東京都国立市の上原公子市長は小泉内閣が推進しようとしている「有事法制」について、自治体首長の立場から質問書を送付し、回答を求めた(五月十六日)。それに対して、このほど政府から「回答」が寄せられた(六月二一日)。しかし内容は極めておざなりなものであり、市長は改めて、再質問書を送付した。これにたいする回答はまだないが、資料として、以下、「有事法案に関する市長質問書」「有事法案に関する市長質問書の回答」「有事法案に関する再質問書」を順次、掲載する。(表題は編集部)


内閣総理大臣 小泉純一郎様

      国立市長・上原公子


 日々、日本国民の生活、生命、財産の安全確保へのご努力に対し敬意を表します。
 さて、政府が四月一七日に国会に上程しました標記の法案につきまして、現在、市民及び市民団体等から本法案に対します反対意見や要望が多数寄せられるとともに、本法案に関する様々な疑問点に対する自治体の長としての考え方が求められています。
 また、当市の平成一四年国立市議会第一回定例会(三月二七日議決)におきましても、「有事立法に反対する意見書」を可決し、既に三月二九日付け国立市議会名で内閣総理大臣、外務大臣、防衛庁長官宛に送付しております。
 地方自治の推進を基本として自治体の長との責務を果たすため、本法案に対する地域住民の不安を真摯に受け止め、適切に対応してまいりたいと考えております。つきましては、別紙のとおり質問書を送付いたしますので、ご回答くださいますようお願い申し上げます。

                                          以上

一 「有事法制と日本国憲法の関係」について

@ 有事法案を制定することの根拠は、憲法条文のどこにあるのか具体的に示して頂きたい。憲法九条は、軍事力による紛争解決という考え方を否定していると思われるが、どうか。
A 憲法は、「軍事的公共性」による基本的人権の制限という考え方を排除していると思われる。従って、「憲法の枠内」での有事法制による人権制限という考え方は成立することが困難と考えられるが、どうか。

二 「武力攻撃事態」について

@ 「武力攻撃事態」とはいかなる時か。
A 現在、日本を直接武力攻撃する危険性をもつ国があるのか。あるとすれば、具体的に根拠をあげて示して頂きたい。
B ないとしたら、議論が十分されないままなぜ急いで法制化するのか。 
C 「武力攻撃のおそれのある場合」と「武力攻撃が予測される場合」とはどうちがうのか。その違いを示して頂きたい。また、具体的に、どういう場合を想定しているのか。想定している場合を例示して頂きたい。
D 防衛庁は、北朝鮮が発射したテポドンは、ミサイルであったとしているが、有事法が当時成立していたら、発射前は「武力攻撃事態」だったのか。
E 武力攻撃事態法案二条六号によれば、武力攻撃事態に際しては(ということは、「武力攻撃のおそれがある場合」や「武力攻撃が予測される場合」にも)、日本政府は「武力攻撃事態」を終結させるために「武力の行使」ができるような規定になっている。これは明らかに政府がとってきた自衛権の行使の要件をも逸脱すると思われるが、どうか。
F 「武力攻撃事態」と「周辺事態」とは「併存する」ことがありうると、政府は述べているが、具体的にどのような場合に「併存する」のか。具体的な場合を例示して頂きたい。
G 「周辺事態」で米軍の後方支援をしている自衛隊が武力攻撃を受けた場合には、武力攻撃事態法案に基づいて自衛隊は武力行使をするのか。そのような武力行使は、憲法が禁止する集団的自衛権に該当すると思われるが、どうか。 
H 武力攻撃事態における「対処基本方針」を国会の事後承認としているのは、なぜか。これは、シビリアン・コントロールの観点から問題がないのか。
I 武力攻撃事態法案の三条四項に「国民の自由と権利を制限するのは必要最低限にする」としているが必要最低限とはどこまでを言うのか。
J 河川、山等を崩して自然災害が起こった場合は、だれが補償するのか。
K 避難訓練をするという答弁があったが、(福田官房長官)強制力はあるのか。
L 強制移転先は、同市内なのか。他市へ移転させられた場合は、手続きはどのようになるのか。

三 「指定公共機関」について

@ 「独立行政法人」の中には、「国立大学法人」も含まれるのか。
A 日本放送協会は、関連機関(NHK学園)も含むのか。
B 「指定公共機関」の中に日本赤十字社ものっているのは、戦時における中立をうたった、国際赤十字の原則に反すると思われるが、どうか。
C 政令で定める「公共的機関」「公益的事業」として、どのようなものを想定しているのか。民間の放送会社や新聞社も含まれるのか。
D 「指定公共機関」が行う「対処措置」として、具体的に想定しているのは、どういう措置なのか。「公共的機関」及び「公共事業」のそれぞれについて、具体的に例示して頂きたい。 

四 「地方公共団体の責務」等について


@ 武力攻撃事態法案五条に基づいて地方自治体が実施する責務を有する「武力攻撃事態への対処に関し、必要な措置」とは、どのような措置を想定しているのか。都道府県レベルと市町村レベルに分けて具体的に例示して頂きたい。
A 同法案一四条一項が規定する、対策本部長による「総合調整」とは、具体的にはどのような手続きで行われるのか。また、その具体的な内容はなにか。
B 同法案一四条二項が規定する「意見を申し述べる」とは異議申し立てをも含むのか。
C 同法案一五条一項で規定する「指示」とは、具体的になにをどのようにすることを意味するのか。「国民の生命、身体若しくは財産の保護または武力攻撃の排除に支障がある」と内閣総理大臣が考えたとしても、地方公共団体の長がそうは考えなかった場合には、地方公共団体の長の判断に従うことが、憲法で保障した地方自治の本旨にかなうものと考えるが、どうか。
D 首長が市民の生命、財産を守るために戦争協力拒否をした場合は、当該自治体及び首長に対して、どのようなことが起こると想定されるか。
E 自治体が協力拒否をした場合、首長、または拒否した職員の罰則も今後作られるのか。
F 同法案一五条一項及び二項が「別に法律で定めるところにより」と規定しているのは、地方自治法などの現行法律を指しているのか。それとも、新法の制定を想定しているのか。もし前者であれば、具体的に法律名と該当条文を、また後者であれば、具体的にどういう法律の制定を考えているのか。
G 同法案一五条二項で内閣総理大臣が自らまたは大臣を指揮して「対処措置」を「実施し、または実施させる」とあるのは、住民の生命、身体などを守るのは第一次的には地方公共団体の責務であり、かつ権限であるという地方自治の本旨に反するものと考えるが、どうか。
H 同法案一五条にある「武力攻撃の排除に支障があり」とは具体的にどのようなことか。それは、自治体の非協力を含むのか。
I 同法案二二条一号に規定されている措置の中で、都道府県、市町村が行うことが要請される措置は、それぞれ具体的にどのようなものか。措置の具体的な内容を例示して頂きたい。

五 「事態対処法制の整備」について

@ 武力攻撃事態法案二一条二項が規定する「国際人道法」とは具体的にどのような条約あるいは慣習国際法を指しているのか。
A 武力攻撃事態法案二一条二項の国際人道法に該当すると思われる。ジュネーブ四条約に対する二つの追加議定書に日本は加入していないが、これを機に加入するのか。加入するとしたらいつか。
B 二つの追加議定書のうち、「国際的武力紛争における犠牲者の保護」を定めた第一追加議定書の第59条に「無防備地域」の規定がある。同地域への軍事攻撃を絶対的に禁止している。宣言する主体は、「紛争当事国の適当な当局」である。地方自治体が「無防備地域」宣言をして戦争協力を拒否した場合は、どのようなことが想定されるか。
C 同法案二二条一号のイからヘまでに掲げられている措置に関する法制の具体的な内容を示して頂きたい。また、これらの措置は、国民に対して強制力をもつのか。国民がこれら措置に従わなかった場合には、罰則が科されるのか。
D 同法案二二条二号の各措置に関する法制の具体的な内容を示して頂きたい。
E 同法案二二条三号が規定する、米軍の行動が円滑かつ効果的に実施されるための措置とは、具体的にどのようなものを想定しているのか。武力攻撃事態における米軍と自衛隊の指揮命令関係はどうなるのか。

六 「自衛隊法改正案」について

@ 同法改正案七七条の二で規定する「展開予定地域」とは、具体的にはどの程度の地理的な範囲を想定しているのか。また、「防衛施設」として、「陣地」以外のどのような「施設」を想定しているのか。
A 同法改正案一五条の四から二一のように広範な適用除外ないし特例を認めることは、自衛隊の部隊などについてのみ例外を認めることになり、憲法の平等原則に抵触すると思われる、どうか。また、自衛隊の存在そのものについても、違憲の疑いがある場合には、なお、さら平等原則は厳格に適用すべきではないのか。
B 自衛隊車両の通行のために道路拡張などで、民間の土地、家屋の徴用、破壊することは憲法二九条に違反しないか。(土地収用法(一九五一年)が制定される際、「国防目的」の事業のための土地の強制収用、使用は憲法に抵触する疑いが強いとして規定されなかった経緯がある。)
C 徴用、破壊に対する補償は誰がするのか。
D 同法改正案一二四条から一二六条が規定している罰則は、憲法が保障する財産権及び住所の不可侵に抵触すると思われるが、このような罰則が認められるとすると、その憲法上の具体的な根拠はなにか。
E 良心的戦争協力拒否を理由に、保管業務や立ち入り検査を拒否した場合に罰せられるとあるが、そのような場合にも罰せられるとすると、憲法一九条の思想・良心の自由に違反しないか。
F 業務従事命令は、強制労働を禁じた憲法一八条に抵触しないか。また、職業選択の自由を保障する二二条に抵触しないか。外国へ赴くような業務命令も出るのか。通勤が不可能なようになる、業務従事命令も出るのか。
G 自衛隊法一〇三条が規定する業務従事命令に対する罰則は、将来ともに制定する予定はないか。


「論憲」から「改憲」に踏み込んだ 危険な民主党憲法調査会の最終報告

 民主党の憲法調査会(中野寛成会長)は七月末の総会で、「さらなる論憲を進めて創憲へ」とする「最終報告」を了承し、鳩山代表に提出することにした。
 これは九月の代表選挙に向けた鳩山代表らを側面支援する政治的ねらいを持つもので、鳩山代表を中心とする民主党の改憲路線の定着を狙っている。
 総論では「新憲法を創ることも視野に入れ、論議を進める。日本国の伝統と文化の尊重…などを盛り込む」と述べており、しきりに「伝統と文化」を強調する自民党などの改憲派とうり二つの主張だ。
 「国際・安保」の項では「集団安全保障活動は、『自衛のため必要最小限度』の武力行使とは別枠で認められるとの解釈に変更する。もしくは、認められる武力行使の在り方を書きなおす」などとして、「国連平和維持活動」はもとより、将来の国連軍や、各種の多国籍軍への全面的参加も可能との立場をとる。
 そのために@政府の従来の第九条の解釈の変更か、A「安全保障基本法」の制定によって自衛隊の海外派兵を正当化する「立法改憲」か、B前文・九条の明文改憲かの三つの道の選択をあげた。これも自民党などの改憲派の主張と全く同一の立場だ。
民主党憲法調査会の中野会長は衆議院憲法調査会の会長代理であり、会長の中山太郎氏(自民)とともに、憲法調査会の「改憲調査会化」を推進している人物だ。民主党憲法調査会の「最終報告」作成は、中山氏らの憲法調査会での改憲論議のスケジュールを保障してもいる。
 この民主党の「創憲論」は横路派などをはじめ同党内の一部や、連合傘下の「平和フォーラム」系労組などの反発を招くのは必至だ。しかし、一方で本紙が再三指摘してきたような五十嵐法大教授らの「市民の憲法創憲」論のような改憲の変化球の動きと連動していくなら、この問題は決して民主党のみの問題にはとどまらない。有事法制阻止の運動と合わせて、民主党改憲派に対する市民運動、労働運動からの適確な反撃が必要だ。(S


闘争団除名の国労全国大会を許すな!

四党合意は「ゼロ回答」だ


 国鉄闘争はいま重大な局面を迎えている。
 四月二十五日、旧国鉄の承継組織である鉄建公団にたいする訴訟などに立ち上がった闘争団員の「生活救助金」(月・二五〇〇〇円)の凍結を強行した(合計すると月約七五〇万円、一年間では九〇〇〇万円にものぼる)。
 四月二十六日、自民・公明・保守の与党三党は国労本部に実質的な「四党合意」の破棄を通告した。しかし国労本部は、これを四党合意促進の指令と受け止めた。 そして五月二十七日またしても機動隊に守られた国労臨時大会は、@最高裁訴訟の取り下げ、A鉄建公団訴訟取り下げの強要、その指令に従わない闘争団員に対する次期大会での除名処分、BILO提出の情報の撤回という方針を決定した。
 そして七月十日には国労中央執行委員会は、闘う闘争団員の査問委員会送致を決定したのである。
 これらの国労本部の行為は、労働組合にあるまじき暴挙であり断じて許されないものである。
  しかも国労本部は、この期に及んでも、「解決案」の幻想をまき散らしているのである。では四党合意にもとづく「解決」の実態はとはどのようなものなのか。七月十一日に、国労本部、闘争団・家族が自民党へ要請行動を行った。その中での四党合意推進の中心人物である甘利明自民党副幹事長の答がその内容を示すものとなっている。甘利副幹事長は、「国労執行部にはゼロプラスアルファという現実の中で選択をしてほしいと言ってきた」としている。そして数千万円の解決金・JRへの復帰などは絶対にありえないとしたうえで、闘争団除名を迫ったと伝えられている。限りなくゼロに近い回答であることは間違いないだろう。

7・31シンポ開催

 七月三十一日、東京・なかのZEROホールで、「現代のリストラ・人権と一〇四七名の解雇問題を考えるシンポジウム」(主催・評論家の佐高信さんや参議院議員の中村敦夫さんなど「国労闘争団の復職を求める闘いを支持する」署名者グループ呼びかけ人、賛同署名弁護士、一〇四七名の解雇撤回・国鉄闘争に勝利する共闘会議)が開かれた。
 はじめに、二瓶久勝国労共闘会議議長が主催者あいさつ。四党合意はすでに破綻していることが明らかなのに、国労本部はそれに最後までしがみついている。そして査問委員会を設置し、闘う闘争団員の除名の準備を進めている。共闘会議は四月に結成され、現在すでに六〇数団体、一〇万人が参加している。九月二十六日には東京地裁で鉄建公団訴訟の第一回口頭弁論とJR総行動が行われる。鉄建公団訴訟は難しいと言われてきたが口頭弁論が開かれるようになったことは運動が前進していることを示している。このJR総行動を起点に、全国で二〇カ所の連鎖集会を開き年末に東京で大衆集会を予定している。また、「人らしく生きよう」の連続上映運動をはじめ政府・JRに対する社会的包囲網をつくる闘いを強めていく。共闘会議は、社会的に認知されてきてはいるが、今後も加盟団体を増やし、財政を強化していくことが必要だ。
 連帯あいさつは、矢澤賢都労連顧問が行った。
 つづいて、佐高信さんからの「『一人も路頭に迷わせない』と言いながら、それを反故にした中曽根と、そのDNAを受け継いで有事法制を強行しようとしている小泉に対決し、戦争法制を許さず、護憲の旗を降ろさずに、リストラという名の人間破壊に抵抗することは現在の社会状況を考える時たいへん重要です。一〇四七名の解雇撤回を求めて、誇り高く生きる道を選んだ皆さん方の闘いは、必ずや多くの人びとの心を捉えるでしょう」というメッセージが紹介された。
 沖電気被解雇者の田中哲朗さんのギター弾き語りにつづいて、パネルディスカッションがはじまった。前田憲二さん(映画監督)をコーディネーターに、鎌田慧さん(ルポライター)、川田悦子さん(衆議院議員)、針生一郎さん(評論家)、加藤晋介さん(弁護士)がパネリストとして、国鉄闘争などについて語った。
 
闘いの三つの柱

 集会での闘争団からの訴えは、解雇撤回・JR復帰を闘う闘争団共同代表の原田亘さん。闘争はすでに一六年になるが、状況は大きく変わった。しかし、私たちはJRの責任を追及していくことを確認して運動をつづけていく。いま国労の中に「国労に人権と民主主義を取り戻す会」がうまれたが、労働組合のなかにこうした組織が生まれることは、国労組織が正常でなくなっていることを表すもので恥ずかしいかぎりだ。しかし私たちは解雇撤回をもとめてあくまで闘う。当面は三つの柱を中心に、内外で世論づくりを行う。その第一は、最高裁での闘いでJRの責任を明らかにしていく。次には鉄建公団訴訟。第三にはILO闘争だ。すでに六〇〇を越える労組が加わり、その内には一六〇の韓国労組が入っている。九月までに一〇〇〇をこえる労組の参加を実現したい。私たちの闘いは正義の闘いである。皆さんに、いっそうの支援を訴える。
 最後に閉会あいさつを萩尾健太弁護士が行った。

国鉄闘争の勝利へ

 国労本部は次回の全国大会で、国鉄闘争の完全幕引きの決定を強行しようとしている。本来八月開催のはずだが、しかし現在の七月末の時点になっても、大会開催期日、大会代議員選挙の告示は行われていない。一〇月下旬開催とも言われているが、国労の内外からの批判の声の高まりは国労本部を追いつめている。
 四党合意の破綻は明らかだ。JRの法的責任の追及・一〇四七名の解雇撤回・地元JRへの復帰を掲げ、国鉄闘争の勝利に向けて闘おう。




   
靖国の戦後史

      
田中伸尚著 

            岩波新書 780円+税

 また靖国問題の八月十五日が来る。しかし、「有事三法案」が国会で継続審議となった今年の靖国は従来にもまして、重要な問題を含んでいる。
 本書の帯には「なぜ国家は戦死者を追悼する場を求めつづけるのか?」と書いてある。
 「有事法制」という名の戦時法制はこの国が「戦争のできる国」になるための軍事法システムだ。しかし、著者はいう。「『戦争できる国』には、ハードな装置だけではなく、国民の心を支配・管理・服従させていくソフトなシステムが求められている。戦争は総力戦体制をフル稼働しなければならないからである」と。小泉首相は「世の中おかしな人たちがいるもんだ。もう話にならんよ」などとはぐらかさずに、彼は答えなくてはならない。
 「国家はなぜ戦死者を追悼するのか、国家の追悼はなぜ感謝と敬意なのか、戦死者を一様に『命を捧げた』と讃えるのはどうしてなのか、……なぜ国家はそのような施設を必要とするのか、そのような国家装置こそ国民に新たな死を強い、戦争をくりかえさせてきたのではないか」
 靖国に反撃するこの夏の、必読の書だ。(S)


複眼単眼

    
草の根皇国史観と 染五郎のアテルイ観

 市川染五郎が一〇年来の資料収集の上に、八月の新橋演舞場で「アテルイ」を演じるという。アテルイは漢字では阿弖流為とか、悪路王とか書かれる古代北方部族の「蝦夷」の英雄だ。この歌舞伎の内容はわからないが染五郎は新聞に「征夷大将軍という役職を作らねばならないほどに、アテルイは恐れられる存在でした。朝廷側からは『オニ』の一言で片付けられていますが、蝦夷から見れば朝廷側が『オニ』です」と語っている。この点で言えば染五郎はなかなか透徹した史観の持ち主だと思った。
 当時、近畿地方を中心に勢力を拡大してきたヤマトの政権が、豊かな蝦夷の居住地であった現在の東北地方を侵略しようと、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ(はじめは副将軍)、大軍を派遣した。田村麻呂は東北の山野を背景に部族連合戦線を結成した勇敢なアテルイらのゲリラ戦法に苦戦し、何度も反撃され、敗北を重ね、十余年の戦いののち、謀略をもって降伏させ、京都で処刑した 。古代天皇制国家が残虐な戦争と謀略によって版図を拡大していったことを示す一例だ。
 しかし「歴史」ではこの事件は「坂上田村麻呂の奥州征伐」として語られる。
蝦夷の側から見れば「征伐」などされる理由はなく、ヤマトの「侵略」以外のなにものでもない。
 私事で恐縮だが、生れ故郷の福島県郡山市に「三春駒」という木馬の民芸品がある(最近は「高柴デコ屋敷」という人形のはりぼて(デコ)で有名になった集落で、その人形師がこの木馬も作っている)。木彫の素朴な馬で、白と黒の二種類がある。白馬は幕末期の三春藩馬術指南を勤めた家老の徳田三平の愛馬に由来するもの。これにも筆者は一言あるのだが、黒馬が今回の本題の坂上田村麻呂に由来するものなので禁欲する。
 記憶が定かではないが、この黒馬を入れた箱に説明書が入っていて「この地で乱暴を働き、人びとを苦しめていたオニを討伐するために、坂上田村麻呂がやってきて戦をした。苦戦して危うくなった時に、どこからともなく田村麻呂の陣営に黒い馬たちがやってきた。それに乗って田村麻呂は戦局を転換し、勝利をおさめたことを記念し、木馬を造った」というような能書きが書いてあったはずだ。
 いつから三春の在の高柴集落の人びとがこうした説明を書くようになったか、わからない。しかし、東北地方の歴史遺跡にはこうした類の侵略者の側にたった由来書きが少なくない。
 岩手県平泉町の「達谷窟」の毘沙門堂は坂上田村麻呂が創建したと言われ、町の観光課が建てた掲示板には「この窟に蝦夷の悪路王、赤頭等が居を構え乱暴な振る舞いが多く、良民を苦しめ、東北開拓のさまたげになるので西紀八〇一年人皇五〇代桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍としてこれら征伐を命じた」とある。「東北開拓」とはよく言ってくれる。アメリカの西部開拓史と同様の侵略史観だ。そういえば青森のネブタにアテルイが登場したのはごく最近のこと。それまではずっと巨大な坂上田村麻呂のネブタだけが引かれていて、違和感をもっていた。
染五郎の歌舞伎がこんな皇国史観の「常識」に一石を投じてくれる結果になるのだとしたら結構なことだ。(T)