人民新報 ・ 第1068〜9号<統合161〜2> (2002年8月25日)
  
                                目次

● 自己暴露する「国民保護法制」  「国民保護」に名を借りた「戦時国民統制」

● 平和への共通の思い確認 バーバラ・リー講演会

● 国会議員と石原都知事らの靖国参拝に抗議

   有事法制なんかいらない!靖国神社公式参拝反対!平和・共生のアジアをつくろう8・15集会

   国家による戦死者の「追悼」を許すな 8・15集会

   石原都知事は靖国参拝を止めよ 市民団体が都庁で緊急要請行動

● 労社同第3回全国大会について

    社会主義革命の主体的力量の強化し、労働者・人民の未来を切り開くために

● 労働者社会主義同盟第3回全国大会決議

    労働者・人民は団結して、改憲阻止・雇用の統一戦線を形成しよう!

● 子どもたちに戦争と核のない未来を ピースサイクル2002、全国をむすぶ

    暑さに負けずに力強く疾走  長野ピースサイクル

    有事三法案反対を強く訴える  岐阜ピースサイクル

    伊方原発のストップを  四国ピースサイクル二〇〇二

    現地の実際に触れ一味ちがった  新潟ピースサイクル

    二〇〇二ピースサイクル成功裡に完走
 九州一周ルート 広島・長崎メモリアルラン

● この道はいつか来た道 草の実会102回デモ

● 暑く、熱いヒロシマ日誌8月5〜6日

 
   ブッシュの戦争挑発と小泉首相の有事法制に厳しい批判 

● 政府あての有事法案に関する国立市長の質問書と政府回答 A 有事法案に関する市長質問書への政府回答

● 反核・日本の音楽家たち
 

    20年目のグローバル・ピース・ジャパン・コンサート
『イマジン』こそ21世紀のテーマソング

● 図書 /
 うちの美術館 (新潮選書)

● 部落史から取り残された諸賤民について M
  陰陽師 (そのC) その影響について

● 複眼単眼 /
 4年連続3万人の自殺 自衛隊は5年で331人


自己暴露する「国民保護法制」

        
 「国民保護」に名を借りた「戦時国民統制」


国民総動員法を狙う

 政府は秋の臨時国会に向けて、内閣官房の下に増田防衛庁官房審議官を専従の有事法制担当審議官に配置し、各プロジェクトには全て制服組を配置しながら、異例の軍人シフトで有事法制の「見直し作業」を急いでいる。
 同時に従来、特に自治体の首長などから厳しい批判のあった「二年以内を目標に国民保護法制を整備する」という既定方針を前倒しし、臨時国会にはその「概要」を示すとして準備作業に入った。
 また先の有事三法には入れていなかった「米軍の行動の円滑化に関する法制」や「捕虜の取り扱いに関する法制」についても作業に着手しようとしている。
 政府は「有事三法案」については改めて十月冒頭に始まるであろう一五五臨時国会で成立させることを期すとともに、「国民保護法制」についても臨時国会で「概要」を示し、来年冒頭の一五六通常国会での成立をめざす構えでいる。
 しかし、この「国民保護法制」は「国民保護」とは名ばかりで、実際には「戦時国民統制」と「民間防衛動員」をめざすものであり、憲法違反の「国民の権利制限」法案であることがますます明らかになっている。この悪法を「国民」が飲みやすいように「国民保護」というオブラートで包んで法案の国会強行突破を狙っているのだ。ひきつづき有事三法案を広範な民衆の前に暴露すると同時に、この「国民保護法制」の欺瞞を徹底して暴きだす必要がある。

違反者は処罰する

 伝えられている「国民保護法制」の基本的構成は、@総則的部分(※国、都道府県及び市町村の役割分担、※指定公共機関の役割、※都道府県及び市町村の権限、※対処措置等の実施を推進するための措置、※対処措置についての安全確保のための措置、※国民の協力を得るために必要な措置)、A避難に関する措置(※警報の発令、※避難の指示、※避難の誘導、※避難地の確保)、B被害を最小にするための措置(※輸送及び通信、※社会秩序の維持、※消防、※被災者の救助、※保険衛生の確保、※国民生活の安定、※施設及び設備の応急復旧、※国際人道法の適確な実施、※原子力施設の被害防止)、C復旧に関する措置等、に分かれている。これらの「措置」において国と自治体に「命令権」を与え、命令に従わない者には罰則規程も導入する方向だ。
 それによると「有事の際の国民の避難と生活必需品の確保」のために、国や自治体は「国民」に対して「物資保管」や「業務従事」命令を出すことができることになっている。
 具体例としては「@医療従事者による負傷者医療、A輸送業者による避難者の搬送、B医療品などの物資の保管、C避難場所確保のための民間施設や私有地の使用」などを定めるという。これらはすでに先の有事三法案の枠すら超えて、「業務従事命令」の名による強制的な「国民総動員」を可能にするものであり、そのために「国民の協力」「秩序の維持」などが強調さている。
 これらは憲法の規定する「基本的人権」の公然たる制限である。そのうえ、これらは「罰則付き」となっている。政府はこの違憲立法、強権的規定の導入を、「災害対策法」「自衛隊法」にも同様の規定があるなどと称して強行しようとしている。

「民間防衛」による「自主」の装いも

 これに七月末の片山総務相の発言、「国民保護法制の中心となるのは住民保護で、町内会、自治会、消防団などを核にしながら」考えていくとの構想や、本紙前号で指摘した福田官房長官の「思想、良心、信仰の自由については外部的な行為がなされた場合においては、公共の福祉による制約を受ける」などという発言を合わせて考えれば、現在検討されている「国民保護法制」とは、まさに危険な「戦時国民統制」と「民間防衛動員」そのものであることが明らかになる。
 またこの私権制限は有事法制全体の一部であり、今後、さらに整備される「自衛隊の行動円滑化」「米軍の行動円滑化」法制の中で、さらに権利制限規定が盛り込まれる可能性があるという指摘もされている。
 小泉首相が有事法制にたいして消極的な世論を考慮し、「大規模テロや武装不審船対策について根本から整備してくれ」と自民党幹部に指示をだしていることも見逃せない。
 秋の臨時国会とそれにつづく通常国会で、政府は法案の強行突破ができなかった第一五四国会の苦い経験を総括し、法案の手直しや整備、および対野党など議会対策の面でさまざまに画策を強めることは明らかだ。
 しかし、これに対抗するもっとも基本的で、有効な方針は民衆運動の展開と世論の高揚だ。「敵失」や野党への働きかけはそのなかでこそ生きてくるし、まさに一五四国会はそのことを示したのだ。


平和への共通の思い確認 バーバラ・リー講演会

 八月二日、市民団体や超党派の国会議員などの招きで来日したアメリカ連邦下院議員のバーバラ・リーさんが都内で講演した。予定した会場があふれるほどの盛況で、約二〇〇〇人の人びとが参加した。
 講演は当初の予定時間を大幅に上回る熱演で、つづいて行なわれた作家の落合恵子さんとの対談と合わせて、彼女の平和への願いが余すところなく伝わる集会となった。
 彼女は「9・11」に対する報復戦争の熱に浮かされたようなアメリカ議会のなかで、上下両院を通じてただ一人「報復戦争決議」に反対を表明した。ナショナリズムが煽りたてられ、「反テロ報復戦争」が叫ばれる中で、結局こうしたリベラルな立場に立つ議員は一人だけにならざるを得なかったが、しかし彼女の選挙区であるバークレー市などでは八五%を超すような市民の支持があることも報告された。
 彼女は「平和を推進するためには、病気や貧困、失望の思いに対処すべきであり、まず希望をつくるべきです。平和こそがわれわれの最終目的であり、われわれは行動しなければならなりません」と訴えた。
 バーバラ・リーさんは短い滞日期間であるにも関わらず、講演会に先立っては国会議員たちとの懇談を精力的に行い、翌日は自らの希望で広島を訪れ、被爆の実態を見学し、平和と反核の思いを強くして帰国した。


国会議員と石原都知事らの靖国参拝に抗議

 八月十五日、閣僚・都知事の靖国神社参拝に抗議する行動が取り組まれた。 
 8・15閣僚・都知事の靖国神社参拝抗議行動は、九時半に千鳥が淵戦没者墓苑に集合、約百五十人が十時に靖国神社に向けて抗議行動を開始した。ところが、靖国通りの直前で警察が道路を封鎖、交渉の結果、靖国通りに出て、神社に向かって抗議のシュプレヒコールをあげた。その行動に対して、右翼の宣伝カーががなりたて、何人もが突入してくる。そのなかを、「憲法違反の靖国参拝を許さない」、「戦争法を廃案へ」、「繰り返すな侵略の過ちを」、「アジア民衆の声を聞け」、「信教の自由を守れ」などのスローガンをかかげて抗議行動を貫徹した。
 昨年の夏は、小泉首相の靖国神社参拝をめぐって緊迫した状況がつくられ、小泉自身は二日前倒しの十三日に参拝を行った。そして十五日当日には閣僚の靖国参拝に抗議する人びとや内外のマスコミ人に右翼が襲いかかり負傷者がでるという事態が発生した。
 今年、小泉は四月二十一日(春の例大祭)に靖国参拝を強行した。
 これは、八月十五日参拝では、侵略戦争を美化するものだとアジア諸国や国内世論からの批判・抗議がまき起こるのを避けるための手法だ。
 だが、小泉は、福田内閣官房長官の私的諮機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設のあり方を考える懇談会」(座長・今井敬新日鉄会長)で検討している戦没者追悼の新たな国立施設ができても、靖国参拝はつづけると言っている。
 小泉は、今年の八月十五日には千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れたあと武道館での全国戦没者追悼式に出席した。
 閣僚では、中谷元防衛庁長官、武部勤農水相、片山虎之助総務相、平沼赳夫経済産業相、村井仁国家公安委員長が靖国参拝を強行した(十四日までに、塩川正十郎財務相、竹中平蔵経済財政担当相、柳沢伯夫金融担当相が参拝を済ませている)。尾身幸次沖縄・科技担当相(八月下旬訪中予定)はまだ参拝していないが、参拝閣僚は昨年と同じメンバーとなった。
 また超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の国会議員たちは、森喜朗前首相、堀内光雄自民党総務会長、井上喜一保守党政調会長ら五十四人(衆院三十二人、参院二十二人)が集団で参拝し、橋本龍太郎元首相、綿貫民輔衆院議長も個別に参拝した。

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有事法制なんかいらない!靖国神社公式参拝反対!

                平和・共生のアジアをつくろう8・15集会 


 八月十五日午前九時四五分から、「平和遺族会全国連絡会」が主催する「8・15集会」が、東京・水道橋の全水道会館で開かれた。集会にはさまざまな市民運動などから二八〇名が参加し、集会の終了後には靖国神社周辺を平和行進した。
 集会の冒頭に西川重則平和遺族会全国連絡会事務局長が報告にたち、「首相や都知事は靖国参拝に対するアジアからの批判を『内政干渉』だというが、過去に日本がアジアにたいして何をしたのかを理解しない議論であり、日本民族中心主義だ」として、一部の国会議員や石原都知事の靖国参拝の動きを批判した。
 集会の記念講演は古川純・専修大学教授が行い、「『備え』が『憂い』を招きよせる……軍備なきアジアの共生へ」と題して発言した。

 講演要旨は以下のとおり

 政府はいざという時に自衛隊が暴走しないようにあらかじめ有事法制が必要だなどというが、「緊急は法を知らない」という言葉があるとおり、それはうそだ。いざとなれば有事法制すら無視される。
 日本国憲法はもともと緊急権の規定を排除している。第九条の下では軍事的公共性は存在し得ない。有事法制の制定の動きはこの九条という足かせをはずそうというものだ。
 今回の有事法制は「日本有事」の単独生起を想定しておらず、「周辺事態」有事と連動するものであり、それがワンセットにして考えられているものだ。二〇〇二年の米国国家戦略研究所の「アーミテージ報告」は、有事法制を含むガイドラインの忠実な実行と、日本の秘密情報保護法の制定などを要求しており、有事法制はこの延長上にある。
 いま国会には「有事法制」などという法律を制定すれば全て終わりという立憲主義を否定する風潮がある。これを克服しなくてはならない。十一月三日に予定されている憲法調査会の中間報告提出の動きへの批判と合わせて、これらの立憲主義破壊の傾向と対決する必要がある。
 私たちはいまこそ第九条の平和主義を掲げて、アジアとの共生の道を進まなければならない。
 第一に、米国の核政策の転換や政府の非核三原則の見直しの動きに反対し、有事法制ではなく非核法の制定による核安保の機能制限を推進しなくてはならない。
 第二に、「周辺事態」(アメリカの戦争)や「日本有事」の危険性の縮小のため、またアジアの平和保障のため、政府やNGOのイニシアティブでロシア・中国を含んだ「東北アジア非戦・平和地域連合」を形成しなくてはならない。
 第三、小田実さんが言う「良心的軍事拒否国家」など第九条を持つ日本の道義的立場の構築のためにも、まず市民レベル・公的レベルの歴史認識の共有へ、そしてアジア地域の諸個人にたいする戦後補償(五七年前の負債・責任)の実現をはかることだ。
 第四に、九九年のハーグ・アピール市民会議は、「公正な世界秩序実現のための一〇の基本原則 」を確認し、その第一項に各国議会で日本国憲法第九条の政府の戦争を禁止する決議の採択を呼びかけたが、その推進が必要だ。
 なおこの集会には前沖縄県知事の大田昌秀さん、国立市長の上原公子さんからメッセージがよせられた。

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国家による戦死者の「追悼」を許すな 8・15集会

 八月十五日、午後一時から、「国家による戦死者の『追悼』を許すな!8・15集会」(主催・W杯・天皇訪欧を問い、天皇制の戦争責任を追及する共同行動)が、約一八〇人が参加して開かれた。
 講師の池田浩士(京都大学教員)さんが次のように語った。ナチス・ドイツの国家記念日で重要なものは「英雄追悼の日」と「運動の血の証人」だが、これはヒトラーやドイツ帝国のために死んだ「戦死者」だけを追悼するためのものであり、また「青年の義務の日」(ヒトラー青年団・女子青年団への入団)や「母の日」は、そうした戦死者をつぎつぎに補充していくものだった。ナチスの国家儀礼の基礎はゲルマン神話であり、そこには「ヴァルハラ」(死者の国)があり、他民族と闘って死んだ「戦死者」のみが祭られる。「敵」や非戦闘員の犠牲者などは全く無視されている。靖国神社と同様だ。そこでの追悼とは加害の忘却にほかならないのだ。
 やぶれっ!住民基本台帳市民運動、日の丸・君が代法制化に反対する神奈川の会、8・15靖国行動二〇〇二、閣僚の靖国参拝抗議行動、反安保実からのあいさつがあり、最後に参加者は次のような集会決議を採択した。
 「八月十五日や靖国神杜が、歴史的な象徴的意味を持っとはいえ、それ以外の日や別の追悼施設に首相が参拝することで問題がなくなるわけでは、決してない。問題は、国家や天皇が戦死者を『追悼』することは、靖国神杜であれ、いかなるかたちのものであれ、戦死者の死を国家的に意味付け、価値化することにこそあるのだ。そのことが、今後の民衆の戦争動員と新たな戦死者が生じる事態を睨んだ『戦争国家』と対応していることは明らかであり、私たちは断固として反対する。……戦後日本の、とりわけ戦後『復興』から『経済成長』した『昭和』の時代を賛美するイデオロギーは、この間、東京都立川市の『国営昭和記念公園』への『昭和天皇記念館』建設計圃や四月二十九日を『昭和の日』と改め、五月四日を『みどりの日』とする『祝日法改正案』の国会上程として具体的に現れてきている。自衛隊が米軍とともに参戦し、『有事法制法改正案』から憲法改悪までが政治日程にのせられる時代となった現在、政府・支配層は、アキヒト象徴天皇制を『再定義』すると同時に、明確に、戦前の侵略・植民地支配から戦後の経済侵路の歴史である『昭和』の時代を肯定する作業を進めているのである。『昭和の日』法案は、そうした政治的意図に貫かれたものとして、今秋の臨時国会以降、法制化の動きが具体化するであろう。……私たちは、敗戦記念日の本目に、侵略・植民地支配の歴史を改めて直視し、天皇制の戦争・戦後責任を追及し続け、自衛隊の参戦という時代の下で、象徴天皇制の強化と有事法制定や改憲による『戦争国家』化に具体的に反対する闘いのうねりをつくりだしていくことを宣言する」。
 集会終了後、靖国神社にへのデモが闘いぬかれた。


石原都知事は靖国参拝を止めよ 市民団体が都庁で緊急要請行動

 六月の都議会で石原慎太郎都知事が、三度目の八月十五日の靖国神社参拝を明言したことにたいして抗議し、参拝中止を要求する市民団体の緊急行動が行なわれた。
 八月八日正午から、東京・新宿にある都庁の「都民のひろば」で約四〇名の市民が抗議集会を開き、プラカードを掲げながらリレートークを行なったあと、中止を求める声明を採択し、都庁に申し入れ、記者会見を開いた。
 この日の行動を呼びかけたのは「平和遺族会全国連絡会」「日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会」「政教分離の侵害を監視する全国会議」で、「不戦兵士の会」「許すな!憲法改悪・市民連絡会」など市民団体や宗教団体など二六団体が賛同した。
 集会ではそれぞれの発言者から、@石原知事は憲法十五条二項に明記されている「全体の奉仕者」の立場を尊重し、慎重に対処すべきこと、A都知事が特定の宗教団体・宗教法人靖国神社に参拝を繰り返すことは、憲法二〇条にもとづいて作られた宗教法人法違反であること、B自治体の長として憲法九十九条の憲法遵守義務違反であり、二〇条の信教の自由と政教分離原則違反であること、C国際都市東京として、アジアとの共生を願う立場に反すること、などが指摘された。
 参加者は知事室に向けてシュプレヒコールを繰り返しながら、十五日の靖国参拝の中止をつよく求めた。


労社同第3回全国大会について

  
社会主義革命の主体的力量の強化し、労働者・人民の未来を切り開くために

 二〇〇二年七月、労働者社会主義同盟第三回全国大会が開催された。第三回全国大会の課題は、一九九九年十一月の第二回全国大会で決定した闘争方針の総括、情勢の変化と新しい時代における任務の確認、同盟活動第三期の指導部の選出であった。
 わが労働者社会主義同盟は、同盟綱領と第二回大会の決定に基づき、この間、とりわけ二〇〇一年にはいってからの小泉内閣の出現、9・11事件、アメリカによる「報復戦争」発動とそれへの日本政府の加担、有事=戦争法制定、そして憲法改悪攻撃という時代を画する激動の中で、多くの人びととの連帯を広げながら断固として闘いぬいてきた。
 大会は、副委員長の城戸翔子同志が「同盟は、小泉政権の誕生を時代の結節点ととらえ、憲法闘争、有事法制への反撃など闘いの連続の中で前進してきた。大会では活発に討議し具体的な方針をかちとっていきたい」と開会のあいさつをおこなった。つづいて、大会議長団、資格審査・議事運営委員会、大会書記団、大会事務局が選出された。
 資格審査委員から大会成立要件が満たされいるとの報告があり、大会成立宣言が行われた。
 冒頭、労社同議長であった山川暁夫同志をはじめこの間に逝去された諸同志を偲び、その革命的遺志を引き継ぐことを決意して黙祷を捧げた。
 第一号議案の大会決議案、第二号議案の「有事法制阻止に向け、多様で、重層的で、広範な運動を組織し、発展させる闘いの先頭に立とう」と「改憲阻止にむけた国政レベルの闘いについて」の二つの特別決議案、第三号議案の中央委員会活動報告、第四号議案の財政報告、第五号議案として中央選挙管理委員会より第三期中央役員選挙について、それぞれ報告され提案された。
 大会決議案の提案を橋本勝史委員長が行った。橋本同志は、直前に開催された中央委員会総会での確認に基づき、有事法制・憲法改悪の動きなどに象徴される新しい時代の変化を確認し、闘いに勝利できる方針と指導体制をたたかいとることを大会議論のポイントとして提起した。
 特別決議案の提案は斉藤吾郎書記長が行った。特別決議案@では「有事法制に反対する今日までの前進は画期的だが、まだ初歩的成果に過ぎない。これからが本番だ。立ち止まらずにさらに創造的、重層的、かつ広範な運動を実現しよう。同盟は待機主義やサロン化傾向を克服し、中央はもとより、各地、各職場でその先頭に立ち、その推進のための強固な力を組織し、運動を前進させ」ることが強調され、特別決議案Aでは「いま、改憲阻止に向けて、様々な運動・勢力を合流させ、国政レベルでも議席を獲得できる連合した一大政治勢力の形成が求められている。各党は狭い党派利害を越えて、互いに支援しあう選挙協定を結ぶようにならなければならない。これはわれわれが待っていてできるものでもない。その実現はわれわれ自身の実践的課題でもある。憲法・有事法制反対闘争の中でつくられてきた共闘を基礎に、憲法改悪攻撃にそなえて一大政治勢力をつくれという声と、そのための系統的、かつ緻密で具体的な努力を全国各地で起こさなければならない」ことが提起されている。
 情勢、当面する大衆運動に関しては、テロにも報復戦争にも反対する運動、有事法制阻止闘争、憲法改悪を許さない取り組みなど小泉内閣の戦争のできる国家づくりと対決する大衆的な運動が前進し、その中でわが同盟が一定の役割を果たすことができたこと、前大会での「新たな戦前」という認識を今日の情勢の中でもう一段すすめること、アメリカ帝国主義と日本支配階級の戦争政策がうみだしている東アジア地域のきわめて緊張した状況に真剣に対処すること、反戦・反安保・反改憲の広範な共同戦線をつくり出して闘うこと、労働戦線においては郵政をはじめ各産別での闘いを強化していくことが論議された。
 同盟建設に関連しては、同盟の拡大、青年層の獲得、理論面での強化などのとりくみをめぐって報告と論議が行われ、同盟を大衆としっかりと結びついた強固な革命組織として建設し、また社会主義勢力の再編・統合への努力を強めることなどが確認された。
 議事終了後、それぞれの決議案は出席代議員全員の賛成で採択された。
 つづいて三役と中央委員の選挙が実施され、投票の結果、委員長に橋本勝史、副委員長に城戸翔子、書記長に斉藤吾郎とその他の中央委員の諸同志が選出された。
 大会の最後に、第三期中央委員会を代表して橋本委員長が、第三回大会はその全ての任務をはたした、全同盟は団結を固め、労働者・人民大衆と結びつき、反動攻撃と断固として闘い、社会主義革命運動の前進をかち取ろうと挨拶した。
 労働者社会主義同盟第三回大会は、多くの労働者・人民と結合して、労働運動をはじめとする大衆運動の前進をかちとり、また革命の主体的力量の強化にむけ社会主義勢力の団結・統一を促進させるため、大会決議を実践し、労働者・人民の未来を切り開くために闘いぬくことを確認した。

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労働者社会主義同盟第3回全国大会決議

 
労働者・人民は団結して、改憲阻止・雇用の統一戦線を形成しよう!

   一

 現在、内外情勢は激変を見せ、時代は大きな節目を迎えている。
 労働者社会主義同盟第二回全国大会(一九九九年一一月)は、情勢の特徴を「『戦後』から『新たな戦前』への転換であり、日本社会は経済、政治、文化のすべての面で劇的に変化した」と規定し、闘争方針を決定した。それ以来、全同盟の同志たちは大会決議にもとづき闘い抜いてきた。いま情勢は一段と進展し、小泉内閣によって戦後はじめて自衛隊(日本軍)の戦争への参加という事態にまでたちいたった。
 二〇〇一年9・11無差別テロ事件とアメリカの対アフガン「報復」戦争を契機に、これまで蓄積されてきた世界の諸矛盾が噴出している。国内的には失業者の増大・社会不安と憲法改悪に象徴される体制の反動的再編の動きが急である。 
 帝国主義による世界の一体化(グローバリゼーション)と技術革命は、世界的な失業・経済不況と格差・差別の拡大をもたらし、さまざまな社会的軋轢を生じさせ、局地戦争、階級闘争・各種の社会的闘争を激発させている。このことは究極的には生産力の飛躍的な拡大が、現在の資本主義的な外被と矛盾を来たしていること、現存の社会体制が多くの人びとに悲惨な状況をもたらしていることをしめしている。支配層は既得権益を守り、いっそう増大させるために、ひたすら人民に犠牲を強いる新自由主義的「改革」の強行で資本主義体制を延命させようとしているが、労働者・人民の中に、政府・資本と闘わずには生きることが出来なくなったこと、闘わねば平和も、権利も生活も、そして生命さえも奪われるという意識が形成されつつある。われわれはこうした状況を社会主義革命の条件の形成に転化させるために闘う。
 新しい時代は経済構造、政治体制、社会のすべての面でかつてない画期的な変化を生じさせている。
 われわれは労働者・人民の利益のために闘うとともに、マルクス主義の革命原則を堅持し、かつそれを現代的に発展させて社会主義運動の再生をかち取らなければならない。
 労働者社会主義同盟はその課題を断固として担うものである。

   二

 二〇世紀末、ソ連・東欧などのいわゆる「社会主義」は崩壊し、湾岸戦争、コソボ戦争などを経て、また旧ソ連圏・中国その他の広大な地域が資本主義市場に本格的にくみこまれることによって、多国籍企業の世界的支配・アメリカの一極覇権主義の時代が出現した。このグローバリゼーションの嵐の中で資本の新自由主義攻勢が吹き荒れ、世界的に労働運動、社会主義運動は一時的に困難な状況に陥った。
 九〇年代はじめには、「『社会主義』が崩壊した後には資本主義に対抗するものはない。資本主義は永遠に繁栄する」という「歴史の終焉」論(F・フクヤマ)なるイデオロギーがもてはやされた。だが実現したのは、全世界的な規模での貧富の格差の増大であり、資本主義世界をおおう経済的困難であった。今日、資本主義の繁栄を謳歌する大合唱は聞こえず、逆に「世界同時不況」の到来への不安に満ちている。
 政治・経済・社会的諸矛盾が世界の各所で噴出している。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは世界的に支配網を広げようとして、ヨーロッパ・日本をはじめ世界各国を「対テロ戦争」体制にしばりつけ、またアフガンから中央アジアにまで影響力を拡大しようとしている。
しかしアメリカの勢力拡大そのものが矛盾を抱えている。そもそもテロの元凶とされるビン・ラディンはアメリカが反ソ戦争のために一手に育成したものであり、それが保護者の思惑を超えて動きだし、アメリカの世界支配に対抗するようになったものである。イラクのフセインもホメイニのイランに対抗するためにアメリカが育てたものだ。いま、アメリカはイスラエルのパレスチナ占領を支持し、核保有国となったインド・パキスタンなどの独裁政権と連携を強化している。だが、すべてを軍事力によって抑え込もうとする覇権主義・強権政治のやり方は、いたるところで破綻の兆しを見せはじめている。イスラエル・シャロン政権はアメリカの「思惑」をこえて「暴走」し、アメリカの覇権主義・強権政治の遂行にとって困難な問題を作りだした。覇権主義は侵略を拡大することの中に衰亡の根をはらんでいるのである。
 グローバリゼーション・技術革命の資本主義的適用は、アメリカ帝国主義と多国籍資本にたいするさまざまな抗議行動を巻き起こしている。WTOや各種の世界会議に対する連続した抗議行動をはじめ、グローバリゼーションの犠牲となった労働者・勤労人民大衆の解雇・賃下げ・労働条件の改悪に反対する闘いを頻発させている。
 われわれは、アメリカの覇権主義、多国籍企業そして日本帝国主義の支配と野望に抗して闘う全世界の労働者・人民と固く連帯して闘う。

   三

 ここ数年、日本はかつてない政治的経済的な変動に見舞われ、先行き「不透明感」は一段と強まっている。
 小泉政権はアメリカの「報復」戦争を契機に、戦後憲法体制の枠を踏み出して戦争に参加した。アフガン戦争では、実質的な集団的自衛権の行使と日米安保の攻守同盟化が現実化した。そして、日本支配階級は有事体制の確立を強行し、九条を中心に憲法の改悪攻撃を本格化させてきている。
 アフガン戦争への参戦は日本歴史の大きな転換点となった。小泉内閣の戦争と改憲の危険な政策は、広範な民衆に「平和憲法の危機」を実感させ、長い停滞状況にあった反戦・平和運動は昨年末以降、再び活性化の様相を示している。小泉内閣が絶対に成立させると宣言した有事関連三法案は、労働者・市民の反対運動の盛り上がり、全国の地方自治体の慎重審議要請などによって、継続審議となった。これは大衆運動の大きな勝利となった。
 経済状況は一段と深刻な段階に入り危機的様相を強めている。失業者(率)は急激に増加している(失業率は過去最悪記録を更新しつづけている)。国家財政赤字、不良債権、金融危機、株価の低迷、社会保障制度の崩壊など重大問題が山積し、しかもこれら問題のいっそうの悪化は必至である。
 こうしたことは政界・官界・財界(それに労働運動の労使協調主義潮流)の癒着という腐敗構造(本質的には資本主義制度そのもの)がつくりだしたものである。小泉内閣は、「倒産・失業が増えることは構造改革が実行されはじめたことを意味し良いことだ」などの暴言を吐きながら、国民に「痛み」を堪え忍べなどいっている。小泉改革が実際に行っているのは、金融をはじめ大資本の救済であり、それを大衆負担の増加によって「解決」するものだ。自民党政治によっては経済問題は悪化することはあっても解決できないことは明らかである。
 かつてない「高い人気」で出発した小泉内閣は、一年を経ずして、自民党内のさまざまなスキャンダル、閣内不一致、とりわけ経済不況を深化させたことによって、支持率を急落させている。
 こうした事態に直面して小泉内閣はいっそう危険な道を進もうとしている。有事法制・憲法改悪・自衛隊の海外派兵など反動政策を強引に推し進め、アジア・太平洋地域での覇権の確立、政治・軍事大国化の道を推し進めようとしている。
 日本の政局は混迷・流動の状況に入った。小泉「改革」が失敗し、混乱状況が深まれば、支配層は、より国粋主義潮流を前面に立ててくるだろう。それは小泉「改革」攻撃をいっそう極端化し、よりデマゴギッシュな石原慎太郎などの強権的な勢力である。
 現在、小泉「構造改革」攻撃に対決する勢力はいまだ分散状況にある。国会での勢力分布は、改憲派が圧倒的な多数派となっている。労働組合は各ナショナルセンターともに組合員数・労組組織率を減少させている。一部「左翼」党派は内ゲバをつづけている。そして支配層は、野党、労働組合、市民運動そして社会主義勢力などの弱体化と圧殺を狙って、デマ宣伝、謀略、デッチ上げなど陰険な攻撃を強化している。
 この状況を克服し、小泉改革攻撃・リストラ合理化攻撃に対する反撃の陣形を作り上げなければならない。広範な労働者・人民が求めるものは、戦争を阻止し平和を実現し、生活を安定・向上させることである。その実現のために労働者・人民の要求を闘いに組織し、さまざまな闘いを大きく合流させ、階級的社会的力関係を変えていかなければならない。この間の5・3憲法集会、テロにも報復戦争にも反対市民緊急行動などの成功は、政治的な大衆運動が復活の趨勢にあることを示した。これらの運動では、右(反動勢力)からの破壊攻撃を阻止するとともに、「左」(内ゲバ派など)による運動への介入・破壊にも反対して、大きな統一が実現し、運動の健全な発展がかちとられた。
われわれは、労働組合運動、生活協同組合、労働者生産協同組合、自治体・地域などの各戦線で闘う力量を形成し、支配階級の反動攻勢と断固闘う体制を下から形成していくためにいっそう努力しなければならない。
 アメリカ帝国主義の世界支配戦略に連動する日本支配階級の軍事大国化路線は、戦争の脅威を高めている。また資本主義の構造的危機の深化は、遠くない時期に失業率二桁台という事態をもたらす。社会的な対立・抗争の激発は必至である。自民党政権は、強権・弾圧体制によって労働者・人民の不満を抑え込む攻撃を強化してくる。
 現在、社民党、新社会党、共産党、その他の左翼、市民派それに民主党なども流動化と再編の局面を迎えている。これまでの反戦闘争、憲法改悪阻止闘争、労働法制運動などでの共同行動の積み重ねを基礎に、それを目的意識的に全国的全戦線的に押し広げていかなければならない。戦争と失業に反対する広範な全人的な対抗勢力が形成されなければならない。小泉「改革」政権(その亜流政権)と闘い、日本の右傾化と失業の流れを押しとどめる過渡的な政権をめざし、平和と雇用を軸にした諸政策での大きな統一と民衆政治勢力の形成をかちとろう。
 反戦運動の大衆化、改憲阻止運動の高揚、野党共闘の成功、労働組合運動の再活性化などを実現し、憲法改悪阻止、反戦、平和と雇用を政策の軸とする民衆的な連合政権を実現させなければならない。
 われわれの当面する大衆運動の環は……
 1)参戦国体制の強化と憲法改悪を阻止し、憲法を生かしていく。
 2)リストラ・失業に抗し、労働組合運動の前進をかちとる。国鉄闘争を防衛し勝利する。
 3)小泉「構造改革」に反対し、労働者・勤労人民の利益を守り抜く。
 4)国政・自治体政治において、小泉「改革」に対抗する議員を当選させる。
 それらの闘いを、小異を残して大合流させて、自民党政治と闘い、労働者・人民の政治を実現させる戦線を形成する。
 これらの闘いを軸に、労社同綱領の「当面の要求と課題」を実現し、社会主義革命の条件をつくり出す。

   四

 労社同の結成は、分裂ではなく団結・統一をもたらす意義をもつものとして歓迎された。わが同盟はさまざまな大衆運動のなかで先進的役割を果たし、日本の階級闘争の重要な一翼を担うようになった。
 わが同志たちは反戦、憲法、日韓連帯など運動において積極的な役割をはたし、労働戦線の各分野においても政治的影響力をひろげてきた。
 同志たちの苦闘の成果はこれから訪れるであろう闘争の高揚期に大きな力を発揮するであろう。われわれは、互いの奮闘を確認しあうとともに、よりいっそう団結を固め、同盟を質量の両面で強化していかなければならない。
 小泉の「構造改革」攻撃は、労働者・勤労大衆を自ら組織し闘わざるをえない状況に追い込んでいる。われわれは、大衆の高まる不平・不満とエネルギーを断固として組織し、その闘いの中で同盟建設の面での前進をかち取らなければならない。
 同盟建設の要は、第一に、時代と闘いの任務について認識を一致させ、積極的に行動をおこすこと、第二に、原則的な組織活動(定期的な会議、政治主張の統一、財政建設)を行うこと、第三に、さまざまな政治勢力との協力関係を強めて大衆運動を推進すること、第四に、社会主義勢力の連携・団結・統合の事業を進めることである。

  ・・・ (略) ・・・

 最後に、われわれの出発の原点を再確認するために、「私たちのよびかけ・日本労働者党と建党同盟の統合にあたって」(労働者社会主義同盟結成大会・一九九八年二月)を引用する。
 「……歴史に少しでも立ち遅れることはできない。そのことに責任を担える主体の実現に今こそ果敢な挑戦と前進をしなければならない。革命の前進と勝利のために、運動の分散ではなく協同と統一へ。二一世紀を切りひらくべく決意する共産主義者は、いま有効なあらゆるレベルでそれが実現するよう、自ら努力しようではないか。私たちは自らの実践と決意をもって、共産主義者を自覚する多くの人びとに新しい協同の努力を呼びかける。同時に私たちは、これと主旨を同じくするいかなるイニシャティブをも支持し、それに誠実に対応することを表明する」。 
 事態は、われわれの予想をはるかに上回るピッチで進んでいる。
  全同盟は、革命への決意を新たに力を結集して、大衆の生活の苦しみに心を寄せ、大衆運動を前進させ、反動攻撃を跳ね返し、社会主義革命運動の飛躍をかちとるために奮闘しよう!


子どもたちに戦争と核のない未来を ピースサイクル2002、全国をむすぶ


暑さに負けずに力強く疾走  長野ピースサイクル

 長野ピースサイクルは、七月二八日(日)に長野県木曽郡の奈良井宿を出発し、八月五日(日)に新潟県の柏崎原発までの約二五〇qの距離を四日間で走った。参加者は延べ五〇人で、運んだピースメッセージは自治体の首長や議長のもの三八通を合わせて、約一八〇通。
 七月二八日は、奈良井宿を一〇時に出発、観光客で賑わう宿場町の風情の中を、「アピール」と街の観賞を兼ねて、ゼッケンを付けて自転車を押して歩いた。多くの観光客が足を止めて振り向いたり、「有事法制反対」などのゼッケンや車に付けた「憲法九条を日本から世界へ」などの横断幕に目をとめていた。このときの参加者は一七名と少し少なかったが、それでもしっかりとアピールできた感じがする。
 この日は、奈良井から松本までの約五〇qを五時間ほどかけて走った。文字通り暑い夏の陽射しの中ではあったが、このルートはさわやかな信州を実感できる走りやすい道筋のため、すがすがしい気分で全員が完走した。今年は、長野ピースサイクルとして新規に購入した、視覚障害の参加者のためのタンデム自転車の試走も兼ねて、次回八月三日からの実走にもそなえた。途中途中の休憩地点では、前夜から冷やしておいたトマトやキウリにも舌鼓をうちながら、ピースサイクルならではの楽しさを味わった。この日は、参加者全員八月三日からの三日間に余力を残した感じで、いったん松本市を引き上げた。
 八月三日には、松本市からのコース(一四名で八五q)と、佐久市からのコース(一六名で七〇q)に分かれて、それぞれ長野市の松代大本営跡まで走った。両方からの参加者のなかには、一日だけの参加の人もいたが、別れ際には、「また一年平和のために行動する決意ができました」とか「今年も参加出来てよかった。来年も参加したい」などのあいさつがあった。ギラギラと照りつける暑い太陽のもとを走り抜いてきた参加者の顔には、平和へのあらたな決意と満足感があふれていた。そして、この二つのコースを別々に走って来た参加者の久々の再開の感激もあった。
 この夜は、松代の宿で沖縄地上戦の体験者で「ちーちゃんの沖縄戦」(ニライ社)の著者である親里千津子さん(長野市在住)の講演を聴いた。長野ピースサイクルからの呼びかけで、この講演だけを聞きに来た方もいた。一三歳の苦しい体験をいくつか語られたあとに、最後の締めくくりで言われた「沖縄戦での体験は、当時は語ることが出来ないほどつらかった。しかし、戦争が人間を殺し、環境破壊をする、どんな理由があってもいけない。若い人たちに語り継ぐことで、平和を守れたらと考えている。無関心は罪である。平和は向こうから来ない、つかみとるもの。武器なしでも平和は作れる」などの言葉は、大変印象深かった。一日自転車で走ってきたあとだけに、みんな眠いことしきりだったが、居眠りをすることもなく聞き入っていた。おりしも、「有事法制」が継続審議になったことにも関連した、日本軍が住民を守るどころか、銃をつきつけて住民を壕から追い出した話などもされ、また「敵として人を殺す教育を受けた軍隊は人の命を大切にしない。だから、命を大切にする教育が大切です」と訴えられた。
 その後は、親里さんを囲んで交流会が行われ、講演に対する感想も含めて参加者全員が自己紹介をし、それぞれの平和への思いを深夜まで語り合った。
 八月四日は、久々に参加した学生二名、東京から参加の視覚障害の女性を交えて、松代から新潟県十日町までのコース(九〇q)を九時間かけて走った。途中須坂市では脱原発運動をしているグループの歓迎をうけて、おいしいスイカや桃に歓声をあげ、鋭気を養った。
 須坂までは例年のルートだが、ここからは久々に千曲川に沿って、新潟県に向かう。新しい道路が出来たこともあって、千曲川の雄大な流れを眼下に見ながらの旧道をさわやかに、ゆったりと走った。全日程で最大の参加者(二〇名)がそろっての長い自転車の列は、道行く人の目を引いていた。おりからの夕立も後ろから追いかけて来る感じではあったが、宿についたところで降り始めると言う運のよさで、無事に十日町に到着した。
八月五日はいよいよ柏崎原発に向けて出発。朝から温度計もウナギのぼり、暑い暑いあの日、八月六日の広島の情景をふと想像する。ここからは、意外と起伏のあるけっこうきついところもあり、走り甲斐抜群であった。苦しい時は全員で励まし合いながら、柏崎原発に向かって走った(一七名六〇q)。原発到着前のきつい坂は「心臓破り」。はじめて参加した学生(四年生)はかなり苦労して走ったが、最後のあいさつで思わず、「また来年も参加したいです」と卒業後の参加まで約束してしまう一幕も。
 今年は、長野から新潟県に抜ける三つのコースのうち、大町から糸魚川までのコースを試走したり、今回のコースを試走しながら、マンネリ化を防ぐ意味もこめてルートを決定した。その甲斐あって、参加者にとっては走り甲斐のあるピースサイクルになったようである。東京から応援に駆けつけた長野大学OB(女性)や大阪からの参加(中国ピースのなかま)、東京からの視覚障害の女性、六一歳の大学教授などを含めた多彩な参加者が、それぞれの平和への思いをこめて走った、暑い四日間の実走は感動のうちに終了した。
 長野ピースサイクルは、これから秋に向けて参加者の感想、ピースメッセージ、通年の活動を綴る報告集作成の活動、「有事法制反対・国民保護法反対」の行動などを続けて行くことにしている。(投稿・長野ピースサイクル実行委員)

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有事三法案反対を強く訴える  岐阜ピースサイクル

 二〇〇二岐阜ピースサイクルは、七月二八日に愛知ピースから全国ルートを引継ぎ、二九日には岐阜市から滋賀県へとルートをつないだ。
 二八日が日曜日となることから、事前に自治体訪問に取組み、七月二五日は瑞浪市と土岐市に対して、二六日には各務原市と岐阜市に対して、それぞれ申入書により平和行政推進の要請を行った。
 特に今年の自治体訪問では「有事関連三法案」反対を強く訴え、官房長官らの日本の核武装合憲発言にも強く抗議し、非核三原則の堅持を訴えた。
 また、岐阜ピース独自の東濃ルートの瑞浪市と土岐市に対しては、原発のゴミ・高レベル放射性廃棄物の地層処分場につながる「超深地層研究所」建設の中止と、文部科学省の核融合研究に反対することなども申し入れた。
 ピース本走の二八日は愛知県の航空自衛隊小牧基地で愛知ピースと待ち合わせ、約二〇名の参加者で基地に対して申入書を提出し、海外派兵反対などを訴えた。その後は岐阜ピースが引継ぎ、愛知県から岐阜県各務原市へと走り、航空自衛隊岐阜基地で東濃ルートのピース隊五名と合流して、タ方には岐阜市内の宿泊地へ到着した。岐阜基地への申し入れでは、自衛隊はアメリカ軍への戦争協力をするな、人殺しをするなと訴え、「空中給油機」を導入しないことや事故防止の徹底なども求めた。
 二九日は岐阜市を出発し、北方町、穂積町、大垣市の自治体を訪問しながら滋賀県へと走った。これらの自治体が揖斐川や長良川の流域にあることから、揖斐川上流の徳山ダム建設中止や長良川河口堰のゲート開放を求めて、ダムに頼らない治水対策と自然環境保護などを申し入れた。また、ピースメツセージをもらえなかった自治体などに対しては来年は誠意ある対応をするよう要請した。この日の参加は約三〇名で、無事に到着した滋賀県米原町の宿泊地で、広島まで走る愛知の中学生や、翌日も滋賀県の仲間と京都まで走る岐阜の仲間を激励し解散した。
 今年も岐阜ピースサイクルの「熱い夏」は終わったが、反省会のバーベキューや秋のフィールドワークなどの計画がされている。(岐阜通信員)

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伊方原発のストップを  四国ピースサイクル二〇〇二

 八月一日に高知県高知市から出発し、八月四日に愛媛県松山市に至るまで、猛暑の中で第一四回四国ピースサイクルは約三五〇キロメートルを自転車で走った。
 八月一日(木)、高知市から窪川町まで約一〇〇キロメートルを高知水道労組青年部の一〇名が走り、窪川町の島岡幹夫さん宅で呉ピースサイクルの九名と合流した。呉ピースサイクルは、小学生二名と大人七名で編成した。
 夕方、島岡さんとの交流会を持ち、窪川町の現状と島岡農業塾などの話を聞いた。島岡さんは、窪川原発をつぶした立役者であり、原発に依存しない、第一次産業による町づくりを提案し、自らも有機農業に取り組んできた人で、タイで始めた島岡農業塾の取り組みなどを聞いた。
 八月二日(金)、午前に高知水道労組から横断幕を引き継いだ。毎年ここから自転車走行をスタートさせていたが、今年は四国ピースサイクルで初めて地方自治体への要請をすることになった。窪川町長に『原発中心のエネルギー政策転換を求める』要請書を提出することになり、窪川町役場にピースサイクル全員が集合し、島岡幹夫さんの立会いで、第一に原発中心のエネルギー政策転換を求める政府への要請、第二に「有事法制(案)」に関する政府への要請を行った。町長さんもピースサイクルの主旨を知っていた。
 午後、愛媛県に入り宇和島市の宇和島水産高校を訪れ、えひめ丸の慰霊碑に持参した千羽鶴をささげ、犠牲者の冥福を祈った。
 八月三日(土)、午後に八幡浜市のJR八幡浜駅前で、斉間淳子さんや国労の四名の方と共にビラ配布を行い、伊方原発に向けて自転車を走らせた。
 伊方原発のゲート前で、南海日日新聞の近藤さんと合流し、伊方原発ストップの抗議行動を行った。閉鎖したゲートから出てきた四国電力の宮崎施設防護課長らに『伊方原子力発電所では三年間事故を続発させている。伊方原発は、機器が老朽化しており大事故の危険性を増大させており、原発の廃炉こそが安全の保証である。四国電力は老朽化したり事故を続発させ危険を増大させている伊方原発を全てストップすべきと考える。そして風力、太陽光、バイオマスなど環境に優しく、安全な方法で電力事業を進めるべきである』と抗議したら「社長に伝える」と受け取った。
 その後、原発に向かって『事故を起こす原発はいらないぞ』、『海をよごすな』、『一号炉を止めろ、二号炉を止めろ、三号炉を止めろ』のシュプレヒコール。
 夜、保内町で伊方裁判の原告の佐伯さん、若人の会、国労の四名、近藤さんとなどで交流をした。交流会では、「えひめ丸」事件は米軍に対する真相究明、えひめ丸の船体構造、愛媛県の責任問題などが、いまだ未解決のままであり、事件の真相究明・責任追及を行わなければならないとの報告があった。
 事故を続発させる伊方原発は、大事故の危険性を増大させていることを参加者全員で確認した。(広島通信員)

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現地の実際に触れ一味ちがった  新潟ピースサイクル

 反核・平和を訴えて、チャリンコの旅が今年も走った。これで越後路は一三年めになった。
 一日目の巻町では、長年、有機農業を実践されている農家を訪問。 周囲の用水に棲む、おたまじゃくしやどじょうの子ども、たがめ、みずすまし、などなど、水生動物が元気に迎えてくれた。ここは、『ヘリコプター散布お断り』の区画である。農家のなりわいと生き方について、お話を聞きながら摘みたてのハーブティーをごちそうになる。
三町あまりの田んぼにふきわたる風は、涼やかで、水を十分に吸った稲穂は、緑の茎や葉がすきっとして勢いがいい。田んぼの向こうのあぜ道には、山羊が思い思いに草をはむ姿が小さく見える。翌日に通る方向であり、少し遠回りとはなったが、こうも気持ちがリラックスできるものであったかと一同感嘆のひと時であった。いつも忙しい毎日を送るピース連にとってなんとも『資本主義経済の豊かさ』とやらの空しさを実感させられる。
ここには、経済効率優先―市場原理優先の社会では支えられない課題がある、と感ぜざるを得ない。
 帰りにたくさん頂いた有機なすを肉と一緒に海岸でバーベキュー。なすの食感と甘味がなんともいえない一夜でもあった。
 二日目、柏崎原発のMOX燃料装荷で運動が再燃している刈羽村の事務所を訪問。
 ちょうど、『みどりと反プルサーマル新潟県連絡会』の会議中に伺う。
 すいかを頂きながら、柏崎市民運動や刈羽村の状況について報告を聞く。そして、街宣活動。チラシと車での訴えを行う。    「MOX燃料の装荷は、住民投票で既に結論が出ています」
 「MOX燃料は、いりません。住民投票結果を尊重しましょう」。
 住民投票の結果を、対話集会による村長判断でくつがえそうという国・電力の思惑は、たしかに村民や柏崎市民にとって、そして新潟県民や国民にも危ういものとなっている。
しかし、一年前の住民投票時以上に「MOXいらない」との刈羽村民の思いは堅いものになっているように、私には思える。村長出身地では、「MOX賛成の声が大きい」という報道がある一方、実際に当地で街宣してみると、手をふって応援してくれる子どもやお年寄りが再三あることである。住民投票は、シングルイシューではあるが、たしかに住民の意識を高めてくれるのだ。村長や国の攻勢はあなどれないが、しかし、村民の思いは、決してMOXを受け入れさせない大きな力となるに違いない。
 今年のピースは、現地の実際に触れた旅であった。これからの運動にとっても、一味ちがった、忘れられないものとなった。 (ピースサイクル新潟)

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二〇〇二ピースサイクル成功裡に完走

          
九州一周ルート 広島・長崎メモリアルラン

 二〇〇二ピースもいよいよ最終ランを迎えた。しんがりをつとめるのは、七月二八日スタートの九州一周ルートと、八月三日広島原爆慰霊碑をスタートし長崎に向かう「メモリアルラン」の二ルートだ。
 今年はヒロシマからナガサキがつながって十五周年になる。これを記念して命名されたメモリアルランにふさわしく、両ルートは原発の地・佐賀県玄海町で8・6に感動的な合流をし、玄海原発への申し入れを共同で行った後は、一つの団としてナガサキを目指した。
 これ以前の出来事は紙数の関係で省略するが、いつものように門を閉ざし、警備員のみならず機動隊まで配置したものものしい警備を尻目に、玄海原発申し入れは隣の展示館館長を代理人に、毅然として行われた。十五年前の申し入れに際して、「原発は安全です」などと平然と回答した九州電力のうそと無責任を追及し、電力企業としての社会的責任を果たせと強く要求した。その後は宿舎での両団の交流に移り、久しぶりの再会に遅くまで懇親は続いた。
 翌七日は佐世保までの八五`b。前日同様の人を拒む玄海の山坂は、折からの逆風とあいまって行くてを阻む。まさに今日の情勢を髣髴とさせるこの困難を、ピース持ち前の団結力と「ペーロン笛」の励ましで越えていく。ようやく到着した佐世保では、地元の市民運動との交流。9・11以降の「基地の町佐世保」は、広島の呉と並んで海自の出撃基地としての役割を担わされ、今また米軍空母リンカーンの入港が一七日に画策されている。六八年のエンプラ闘争以来、じつに三五年四一六回に及ぶ抗議行動を続けてきた人々は、これに反対して海上デモで闘うので参加して欲しいと要請。被爆県でありながら同じく出兵を阻止できなかった広島からも参加を約束。
 八日はいよいよナガサキだ。早朝からの暴風雨も出発前にはうそのような晴天。二日続きの現象は、天がわれわれに味方していることの証明か?前日までヘトヘトだった長崎勢も不思議と足並みが軽やか。故郷が近づくにつれてだ。最後の難関の氷見峠もラクラク越えて、トンネルを抜けるとそこは長崎だった。
 一足早く会場入りしたピース団は、夕刻から始まる「8・8平和を考える長崎集会」に備え身辺整理。
 長崎全労協・新社会党長崎・ピース長崎ネットの共催で六回目を数える集会は、まさに「平和が危機的状況にある」中で開催された。主催者を代表して挨拶にたった長崎全労協議長は、冒頭、「被爆地県民として謝罪する。なぜならナガサキが再び出撃基地となっている。諫早湾干拓に見られる環境破壊の最悪県になっているからだ」述べ、「私たちの闘いは何だったのか!?」と鋭く問題を提起した。続く来賓挨拶でも、それぞれの置かれた状況から、危機感と闘いの再構築の必要が異口同音に述べられた。メッセージの紹介、各地の参加者からの発言の後に、集会宣言が採択され、井原東洋一・新社会党県本部委員長の集約発言をもって終了した。情勢に抗しきれない重々しさと、だからこそもう一度踏ん張ろうという決意に満ちた集会であった。
 最終日の九日は早朝から行動が続く。朝鮮人原爆犠牲者追悼集会、資料館見学、長崎市へのメッセージなどの手交の後、ピースウィーク市民集会に参加。ナガサキ・ヒロシマ、水俣、鳥取からの参加者がそれぞれに想いと決意を述べた。
その後、いつもの五島町公園に場所を移し、〇二ピースの完了集会。ここでも、「ピースは今日で終わるが、闘いは今からも続く。各地に帰って本当の平和を創り出すために全力で奮闘しよう」と誓い合って、全行程を終了した。
 本当にその通り。文字通り私たちの闘いこそが問われている。(広島通信員


この道はいつか来た道  草の実会102回デモ

 恒例の「草の実会・十五日デモ」が、今年も八月十五日に、東京の渋谷駅に近い宮下公園に六〇名のひとびとが集まり、第一〇二回目の行動が行われ、古くからの会員の女性たちのほか二〇代、三〇代の女性や男性も交え、若者たちで賑わう渋谷駅周辺をデモ行進した。
 会を代表して挨拶した安増武子さんは「有事法制を廃案にするために行動することが今こそ重要である」「そのためにも戦争を体験している自分たちが、戦争の実際を若い人たちに知らせていかなければならない」と語り、今回のデモにあたっても、今は平和な渋谷や青山の戦災時のパネル写真を準備したことなどを報告した。
 また八月一五日の「草の実メッセージ」は、「今日 八月一五日 敗戦五七年目 STOP!有事法制」と題して、替え歌の形式で、受け入れられやすい内容に工夫された。
 「…この道はいつかきた道 あゝそうだよう 他国を侵略した いくさへの道だよ
 …この道はいつかきた道 あゝそうだよう 女も子どもも銃後の戦士だったよ
 …この道にさようなら あゝそうだよう 武力によらない平和な世界を」
 東京南部地域の会員からは、有事法制に反対する行動を日常生活のなかでおこし、顔見知りのひとたちのなかで行動した体験などが報告された。
 また参加した婦人有権者同盟、ふぇみん・婦人民主クラブ、日本消費者連盟、許すな!憲法改悪・市民連絡会などが紹介され、それぞれ一言挨拶した後デモに出発した。
 手にしたプラカードには「平和憲法と非核」「二度と靖国の母にはなりません」など、参加者一人ひとりが手作りしたメッセージが込められていた。高齢の女性を含めた特徴あるデモが沿道の市民に平和を訴えた。(Y)


暑く、熱いヒロシマ日誌8月5〜6日

       ブッシュの戦争挑発と小泉首相の有事法制に厳しい批判



盛りだくさんの市民企画
 
さまざまな平和団体が原水爆禁止関連の行事を開催する八月五日、六日のヒロシマの街には特別の雰囲気がある。今年も焼けつくように暑い。白やショッキングピンクの杏竹桃の花が鮮やかに咲いている。八月のヒロシマの花はなんといってもこの花だ。
 街をゆく人びとも各地の名前を書いたのぼりを掲げて歩いている人や、バッチやワッペンをつけている人など、すぐにそれとわかる人びとも実に多い。
 政党関係や労働組合関係などの取り組みとは少し距離を置きながら開催される市民運動側の催しも多彩で、盛り沢山だった。
 広島の市民運動の人たちの反核平和への思いが熱気となってひしひしと伝わってくる感じがした二日間の行動のレポート。

ピースサイクル到着

 五日正午、原爆ドームの前に「ピースサイクル」の自転車が到着する。横断幕をもって迎える人びとの前を自転車が走り抜ける。北海道・東北など全国からいくつかのコースを自転車でリレーしながらここに着いた。すでに地元広島の人たちは長崎にむかって走っているという。これら各地の動きは本紙に順次報告が掲載されている。
 まもなく始まった歓迎集会では各地から走ってきた人びとが挨拶する。名古屋や岡山などから走ってきた子供たちもちょっとほこらしい顔で挨拶にたった。
 午後二時からは「フィールドワーク」で「平和公園内の碑めぐり」が企画されていた。

8・6ヒロシマ平和へのつどい2002

六時からは平和公園の近くの「県民文化センター」で「8・6ヒロシマ平和へのつどい2002」と題するメイン集会。集会のサブタイトルは「戦争のない世界へ、人々はどうつながる」。外国からのゲストを含めて百五十名ほどの参加で集会が始まった。
 問題提起は「希望の戦略・アジア平和連合(APA)の試み」と題して「ピープルズ・プラン研究所」の武藤一羊代表が行なった。
 「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」の森瀧春子さんは四月から五月にかけて広島・長崎の反核使節団をつくり訪米した時に、ニューヨークでテロの犠牲者の遺族でアフガン空爆に反対している「平和な明日へ」というグループに会うことができたと報告した。そしてアメリカにも愛する人を失った悲しみを他のひとの上にあじあわせたくないと考えている人々がいた。ヒロシマの体験を原点に第三の核戦争を食い止めるために核廃絶の国際連帯、とくにアメリカの人々との連帯をつくりだしたいと考えていると述べた。
 つづいてインドから来た映画「ブッタの嘆き」の監督・シュリプラカッシュさん、パキスタンの「パキスタン・インド平和と民主主義を求める人民フォーラム」のザリーナ・サラマットさん、ベトナムの代表団、ブラジルの被爆者代表などがつぎつぎに発言した。

武藤さんの報告

 武藤一羊さんの基調的報告は要旨、以下のようなものだった。
 この一年は歴史の激変の一年だった。それはツィンタワーの崩壊が引き金を引いて起きた巨大な世界的な激変だった。
 ブッシュ大統領は当初は「報復」の論理を強調した。そして「それに従わないものは村八分だ」と宣言した。しかしいまその「報復」の論理は聞かれない。あとに残ったものは「戦争」だけだ。
 ブッシュは今年の年頭教書で「戦争の新しい段階だ」として、「悪の枢軸」との戦いの意義を強調し、世界を「善」と「悪」にわけ、米国は善を代表してテロリストと戦う、この戦争を推進する権利を持っていると宣言した。問題はテロ組織との戦いから、悪の枢軸とその同盟者との戦いに変化したという。これは従来の戦争の論理とは大きく異なる論理だし、大きな修正だ。アメリカは自ら帝国主義であることを宣言したのだ。
 こうして世界は冷戦期とは異なる新しい時代にはいった。アメリカは冷戦期が終わったあと世界の唯一のパワーとなった。
 ヒロシマ、ナガサキはアメリカの圧倒的な軍事的優位を示そうとするものだった。しかし、それはすぐに冷戦にとって代わられた。現在、米国は自らの軍事力を相対化し、それを測るものがなくなった。ブッシュ演説で言われた軍事費四〇〇〇億ドルとは悪魔的な数字だ。アメリカはいまあらゆることにおいて支配的であろうとしている。これはすでにクリントン政権の時代、九五年頃から始まっていた。
 米国は対イラク戦争を真剣に考えているといってよいだろう。米国の石油戦略を含めて、中東地域とカスピ海周辺諸国をすべて米国の支持勢力で固めようとしている。
 このアメリカ帝国の出現に、世界を文明と野蛮、善と悪の戦い、西欧的な価値観という流れに対して、世界の反グローバル化運動は対抗勢力となりうるだろうか。そして日本ではこの運動はほとんどない。
 日本の小泉首相には「米国とともにあゆむ」という論理しかない。有事法制制定の動きは日本の保守勢力の執念であると同時に、米国の変化への対応という世界的な反テロの風潮の一環でもある。問題になっている住基ネットすら世界的な監視体制の強化の流れの中にある。
 これらの世界的な流れに対して、われわれの側の備えがない。憲法の平和主義に依拠して闘っていくことは今後も必要だ。しかし、それだけでも現状に対応することはできない。日本では憲法・有事法制、韓国では南北統一、フィリピンでは民族民主的なという、それぞれの一国だけの運動では対応しきれないのではないか。国際的な連帯が必要だ。
 ヒロシマにひきつけて考えるなら、日本の侵略戦争の批判はそれとして、原爆投下が人道に対する罪であることをはっきりしなくてはならない。これは日本帝国主義の免罪云々というのとは異なった文脈で考えるべき問題だ。こうした視点で考える国際的な連帯が必要ではないか。
 この夏、フィリピンで開催されようとしているAPA(アジア平和連合)はそうした準備だと言えよう。空想ではなく、われわれの経験に根ざした作業をはじめなくてはならない時だ。

8・6ダイ・イン

 その日の夜は恒例の交流会。関東地域、関西地域、広島、九州各地などから参加した市民運動のメンバーが、韓国からの代表団などを交えて互いに自己紹介などをしながら、遅くまで交流した。
 六日は朝七時から原爆ドーム前で昨日の市民集会の「市民宣言」と、第九条の会ヒロシマなどが当日の朝日新聞に掲載した「八・六意見広告」のコピーの配布をした。
 八時十五分が近づくと各地からやってきた市民たちとともに「グランド・ゼロのつどい」を開催。鐘の音を合図に「ダイ・イン」。横たわる人びとの上を峠三吉の詩が朗読され、歌が流れる。
 平和公園の式典では小泉首相などが参列しているはずだ。あとで知ったのだが、この時、広島市の秋葉市長はアメリカの戦争政策と日本政府の有事法制などをきびしく批判するしっかりした「平和宣言」を発表した。
 ドーム前はダイ・インをする人びとでギッシリに埋められた。とくに子どもたちと若者たちが多いのが特徴だった。つどいでは各地の市民団体や子どもたち、長崎の高校生などが発言した。

外国の代表団の人々

 九時半には近くの中国電力本店の正面玄関の前を中心に、反原発の座り込みが始まった。建物に添って百五十人近い人びとが連なった。茨城や敦賀、下関などから来た人びとがつぎつぎと反原発のアピールをする。
 十一時三〇分からはYWCAの事務所でベトナム代表団と市民運動の交流会。ベトナム側はベトナム戦争時に筆舌に尽くせない悪条件の監獄「トラのオリ」に入っていて生還した人、毛沢東とホーチミンの会談の通訳をしたという人、文芸作家協会の会長の三人だ。今回はベトナム戦争当時、日本の横浜で闘われた「村雨橋戦車阻止闘争」三〇周年を記念して来日した代表団だ。彼らはベトナムの細いトンネルのなかで日本の村雨橋の戦車阻止闘争をラジオで聞いて感動し、励まされたと報告した。
 四時からはヒロシマ平和記念資料館に会場を移して「8・6ヒロシマ国際対話集会・反核の夕べ2002」が開かれた。主催したのは「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(代表・岡本三夫・河合護郎・森瀧春子)。
 オープニングは子どもたちと広島市民による市民合唱団の『世界の命=ヒロシマの心』。すばらしい合唱に拍手がなりやまなかった。
 つづいて行なわれたパネルディスカッションはコーディネーターが岡本三夫さん、パネリストはアメリカのリタ・ラザールさん、インドのシュリプラカッシュさん、パキスタンザリーナ・サマラットさん。

9・11の遺族でつくったグループの代表

 アメリカのリタ・ラザールさんは「9・11」事件で家族を亡くした遺族で作る「ピースフル・トモロー」のメンバー。
その日、弟さんは車椅子の同僚の介助をしつづけたために逃げ遅れて犠牲になったと言われる。しかし、ブッシュ大統領がその弟の死を戦争のアジテーションに利用したことに抗議し、アフガン戦争に反対して、現地を訪れ、被災者の支援活動をしている人だ。戦争の危機をはらんだ核保有国の南アジア諸国の代表の参加と合わせて、アメリカのリタ・ラザールさんの参加はこの対話集会の価値を多いに高めた。

 集会は要旨、以下の「広島アピール」を採択した。

 米国のなりふりかまわぬ単独行動主義はいまや世界最大の脅威となっている。とりわけ憂慮されるのは、核兵器の実戦使用が選択肢となっていることだ。このような凶器によって世界を支配し、非核兵器国を脅迫しつづける米国は「テロリスト国家」だ。
 被爆五七周年を迎えて、改めて米国をはじめとする核兵器国が、核軍縮を推進し、二十一世紀のできるだけ早い時期に核兵器廃絶を実現するよう努めることを強く要求する。(K)


政府あての有事法案に関する国立市長の質問書と政府回答 A

      
有事法案に関する市長質問書への政府回答

 前号で東京都国立市の上原公子市長の政府に対する「有事法制」についての質問書を掲載した。これは政府からの「回答」(六月二一日)の一部。 次号にこの続きと、市長の再質問書を掲載する。 (編集部)

             
国立市長 上原公子殿

   内閣官房 防衛庁

     
 平成十四年五月十六日付国企政発第十五号をもって送付のあった標記質問書について、内閣官房所管の「武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案」及び防衛庁所管の「自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案」に関する下記の資料を送付しますので、よろしくお取計らい願います。
 なお、政府としては、今回提出した武力攻撃事態対処関連三法案は、武力攻撃事態という国及び国民の安全にとって最も緊急かつ重大な事態への対処を中心に、国全体としての基本的な危機管理態勢の整備を図るものであり、いかなる事態にも対応できる安全な国づくりを進めるため、是非とも必要と考えておりますので、御理解と御協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
              記
一、「武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案」等について
二、武力攻撃事態対処法案について       
三、武力攻撃事態対処法案の主要論点(地方公共団体関連)
四、自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案の概要について
五、自衛隊法等一部改正案の論点
※ 二、三及び五については、平成十四年六月十二日に開催した都道府県知事との意見交換会の席上配布したものです。

「武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案」等について


一、「有事法制と日本国憲法の関係」について

 国家の緊急事態に対する対処は、独立国家として当然の、最も重要な責務であり、政府としては、国及び国民の安全を確保するため、いかなる事態にも対応できる安全な国づくりを進めていくこととしている。
 この取組の一環として、武力攻撃事態という国及び国民の安全にとって最も緊急かつ重大な事態が生じた場合における対処を中心に、国全体としての基本的な危機管理態勢の整備を図るため、「武力攻撃事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律案」(以下「法案」という。)等武力攻撃事態対処関連三法案を提出したところである。
 平和な時にこそ、こうした態勢の整備を進めておくことが重要であり、その意味で、いわゆる「有事法制」は、国家存立の基本として整備されていなければならなかったものであり、特定の国からの武力攻撃をあらかじめ想定しているものではない。
 これらの法制の整備は、当然のことながら、憲法の範囲内で行うが、政府としては、従来から、憲法第九条において、自衛のための必要最小限度の実力を行使することは認められていると解している。また、旧憲法下の戒厳令や徴兵制のような制度は、全く考えていない。

二、「武力攻撃事態」について

@武力攻撃事態について
イ 武力攻撃事態とは
 法案において、武力攻撃事態とは、「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と、「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態」を指すものである。
 ここで、武力攻撃とは、我が国に対する外部からの組織的、計画的な武力の行使をいうものである。また、武力攻撃を加えてくる主体としては、国だけでなく、国に準ずる者もあり、攻撃の規模の大小、期間の長短や攻撃が行われる地域、攻撃の態様等も様々であり、武力攻撃の態様は一概に言えないものである。
法案において、現実に武力攻撃が発生した事態に加えて、「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」及び「武力攻撃のおそれのある場合」を含めて武力攻撃事態としているのは、武力攻撃に際して攻撃の効果的な排除や国民の生命、身体及び財産の保護に万全の措置を講ずるためには、武力攻撃が発生する以前の一定の段階において、国民の被害を防止するための警報の発令、避難の指示等の措置や、武力攻撃が現実に発生した場合に自衛隊がとる措置の準備を開始することが必要との考え方に基づくものである。
 また、法案においては、武力攻撃事態の認定は、対処基本方針に定める事項とされている。さらに、この対処基本方針は、閣議で決定された後、直ちに国会の承認を求めることとされている。             
ロ 武力攻撃が予測されるに至った事態とは
 「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」とは、自衛隊法第七十七条の防衛出動待機命令等を下令し得る事態である。
 これは、その時点における国際情勢や相手国の動向、我が国への武力攻撃の意図が推測されることなどからみて、我が国に対する武力攻撃が発生する可能性が高いと客観的に判断される事態である。
「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」とはどのような事態であるかについては、事態の現実の状況に即して個別具体的に判断されるものであるため、仮定の事例において、限られた与件のみに基づいて論ずることは適切でないと考える。その上であえて申し上げれば、例えば、「武力攻撃のおそれのある場合」には至っていないが、その時点における我が国を取り巻く国際情勢の緊張が高まっている状況下で、ある国が我が国への攻撃のため部隊の充足を高めるべく予備役の招集や軍の要員の禁足、非常呼集を行っているとみられることや、我が国を攻撃するためとみられる軍事施設の新たな構築を行っていることなどからみて、我が国への武力攻撃の意図が推測され、我が国に対して武力攻撃を行う可能性が高いと客観的に判断される場合は、「事態が緊迫し、武力攻撃が予測される事態」に該当すると考えられる。

ハ 武力攻撃のおそれのある場合とは
 「武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む。)が発生した事態」は、自衛隊法第七十六条の防衛出動を下令し得る事態である。
 ここで、「武力攻撃のおそれのある場合とは、同条の規定する防衛出動下令の要件の一つである「武力攻撃のおそれのある場合」と同じである。
 これは、その時点における国際情勢や相手国の軍事的行動、我が国への武力攻撃の意図が明示されていることなどからみて、我が国への武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していることが客観的に認められる事態を指すものである。        
  武力攻撃のおそれのある場合とはどのような場合であるかについては、事態の現実の状況に即して個別具体的に判断されるものであるため、仮定の事例において、限られた与件のみに基づいて論ずることは適切でないと考える。
 その上であえて申し上げれば、例えば、ある国が我が国に対して武力攻撃を行うとの意図を明示し、攻撃のための多数の艦船あるいは航空機を集結させていることなどからみて、我が国に対する武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると客観的に認められる場合は、「武力攻撃のおそれのある場合」に該当すると考えられる。   

A「おそれのある場合」や「予測されるに至った事態」における自衛隊の「武力の行使」について
 本法案及び自衛隊法上、我が国による武力の行使は、我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した場合に限られており、「武力攻撃が予測されるに至った事態」や「武力攻撃のおそれのある場合」において、我が国が武力を行使することはない。             
 法案第二条第六号イ(1)の「武力攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使」との表現は、ここでいう武力の行使が、憲法上認められている自衛権の発動の三要件を満たした場合における武力の行使であるとの趣旨を表現したものであり、ここでいう「武力攻撃を排除」とは、文字どおり、現実に発生した武力攻撃を排除することをいうものである。  
 したがって、本条にいう武力の行使は、予測やおそれの事態といった武力攻撃の発生以前の段階で実施されることはない。

B武力攻撃事態と周辺事態との関係及び米軍への支援について
 武力攻撃事態と周辺事態とは、それぞれ別個の法律上の判断に基づくものであり、我が国に対する武力攻撃事態が発生しているときに、状況によっては両者が併存することはあり得ると考えられる。
 周辺事態への対応としての米軍支援は周辺事態安全確保法により、また、武力攻撃事態への対応としての米軍支援は今後整備される新たな米軍支援法制に基づき、それぞれ実施することとなる。   
 武力攻撃事態への対応としての米軍支援の在り方については、今後、米側のニーズも踏まえ、事態対処法制の整備を行っていく中で検討することとなる。
 ただし、米軍に対するいかなる支援も、憲法の範囲内で行われることは当然である。

C周辺事態安全確保法等に基づき活動している自衛隊が攻撃を受けた場合の対応について
 周辺事態安全確保法やテロ対策特措法に基づく対応措置は、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」との要件を満たす地域において行われることとされており、さらに、万一、近傍において戦闘行為が行われるに至った場合等においては、活動の一時休止等の措置をとることとされている。また、国際平和協力法に基づく国際平和協力業務は、停戦合意の存在などを内容とするいわゆるPKO参加五原則の下で行われることとされている。
 したがって、これらの法律に基づき活動する自衛隊の部隊等に対し武力攻撃が行われることは想定されず、政府としては、この法案を適用することも想定していない。

D「対処基本方針」の国会承認について  
 武力攻撃事態への対処は、時機を失することなく適時適切に行われる必要があり、特に国民の被害を防止するための警報の発令、避難の指示等の措置等を迅速に実施する必要がある。このため、政府は対処基本方針を定めて対処措置の実施を開始するとともに、直ちに対処基本方針について国会の承認を求め、不承認の議決があったときは、速やかに対処措置を終了することとしたものである。     
 ただし、防衛出動についてだけは、現在の自衛隊法の規定が原則として事前に国会の承認をとることとされているため、この制度を維持した規定振りとしている。              
 法案では、現行自衛隊法で国会承認の対象とされていない防衛出動待機命令等についても、対処基本方針に記載し、国会の承認を得ることとするなど、現行法制に比べて国会の関与を強化するとともに、制度上、厳格なシビリアン・コントロールを確保していると考えている。

E国民の自由と権利の制限について
 法案では、基本理念として、「日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず、これに制限が加えられる場合は、その制限は武力攻撃事態に対処するため必要最小限のものであり、かつ、公正かつ適正な手続の下に行わなければならない」と明記しているところである。
 一方、憲法第一三条では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と定めている。このような規定から、公共の福祉のため必要な場合には、合理的な限度において国民の基本的人権に対する制約を加えることがあり得ると解されているところである。 
 したがって、「我が国の平和と独立」や「国及び国民の安全」を確保するという高度の公共の福祉のためには、必要最小限の範囲において基本的人権を制約することが許されると考えている。
 なお、権利の制限を伴う対処措置については、今後の個別の法制整備において、この基本理念にのっとり、制限される権利の内容、制限の程度等と、達成しようとする公益の内容、緊急性等を総合的に勘案して、その必要性を検討することとしている。   
 したがって、制限される権利やその内容については、法案の枠組みの下、今後整備する個別の法制において、個別具体的に規定することとなる。

F武力攻撃により生じた被害の補償について
 武力攻撃による国民の被害には様々な場合があり、個別具体的な判断が必要と考えている。補償の問題については、武力攻撃事態終了後の復興施策の在り方の一環として、政府全体で検討すべきものと考えている。

G住民の避難等について
 住民の避難のための警報の発令、避難の指示、避難の誘導等については、今後、国民の保護のための法制において具体的に定めていくこととなる。
 住民の避難が必要な場合として様々な状況が想定されることから、屋内退避や避難所への避難等の具体的な方法については、関係機関の意見を踏まえながら、住民の安全の確保のために万全の措置が講ぜられるよう国民の保護のための法制の整備の中で十分検討してまいりたい。(この項はつづく)


反核・日本の音楽家たち

     
20年目のグローバル・ピース・ジャパン・コンサート

               
『イマジン』こそ21世紀のテーマソング

 「反核・日本の音楽家たち」が主催してきたグローバル・ピース・ジャパン・コンサートが、今年も八月六日に東京のすみだトリフォニーホールで開催された。チェルノブイリ事故をきっかけにはじまったコンサートは二〇年を迎えた。
 司会の池辺晋一郎さんは「反核コンサートを芥川也寸志さんたちと始めた時には、二〇年も続くとは思わなかった。しかし決して世界の情勢は良くなっていない。二一世紀になっても続けていきたい」と述べたあと、ユーモアいっぱいのトークで会を進めていった。
 二〇年ということもあってか、今年のコンサートは実に盛り沢山の内容になっていた。
第1部はロックと邦楽のコラボレーション。古典尺八の中村明一さんが尺八の技巧をこらして「鶴の巣籠」を演奏した。続いてロックの力の入った演奏。
 第2部は合唱団「響」、指揮・栗山文昭さんによる合唱。中国、沖縄、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドイツ、そして「死んだ男の残したものは」など日本の曲をつづけた。じつに感動的な合唱で、観衆は演奏にぐいぐいひきこまれていった。
 第3部は守屋純子さんの率いるセクステットでジャズのスタンダードナンバーや自作の曲を乗りにのって演奏した。
 第4部のオーケストラは「広島レクイエム」とラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。流れるピアノ演奏に魅了された。
 フィナーレは池辺晋一郎さんの歌唱指導による聴衆も含めた全員参加による大合唱。曲目は、外山雄三編曲、林光訳詩による「イマジン」。
司会の湯川れい子さんは「九・一一のテロ以来状況はますます厳しいようだけれど、二一世紀こそ『イマジン』がテーマソング。みんなで歌いましょう」とよびかけた。会場は「……財産なんか/なくしてごらんよ/ひもじさも欲も/消えうせて/世界をわけあい/くらすだろう……」の「イマジン」大合唱となった。
 二〇年目を迎えて「グローバル・ジャパン・コンサート」は「あり方を大きく変化させて、新しい道をめざす」という。「これまでよりも、ずっと幅広い分野の音楽家たちが、積極的に力をあわせて、ひたすら平和を信じ、平和を祈って、生きているもののいのちをみんなで大切にする世界をめざして共通の場を生みだしていきたい」「年々積極的な意欲は熱をおびて来ています。この動きを息永く前に歩みを進めて」いくと、決意あらたにしている。
 八月六日は、大きな感動のなかに、新しい決意の意欲があふれたコンサートとして開催された。音楽を媒介とした平和への努力に今後も期待したい。(Y・Y)


図書

  
うちの美術館 (新潮選書)

      田島美津雄(朝日新聞社)編 発行1992年11月

 少し古い本の紹介になるが、本書には鹿児島から北海道まで一〇三館、個性的でキラリと光る美術館ばかりが詰まっている。
 一九八九年から二年間にわたって朝日新聞日曜版に連載された「うちの美術館」をもとに、美術館めぐりに役立つようにまとめられた一冊。当時、新聞やテレビにほとんど登場しなかった美術館とオーナーを聞き書きという手法で紹介している。
 編者の田島氏は朝日新聞社で政治部記者、社会部、朝日ジャーナル副編集長を経て日曜版編集長に就く一方、「美術集団『道』」の会員で自らも絵筆を握る。
 氏は「背景には、全国の地方自治体が高価な美術品購入と豪華な美術館建設を競った時期があった。しかし、美術品の異常高騰がこのブームの火を消し、時期を重なるように静かに広まったのが『わたくしの美術館』運動である。豪華な建物や高価な西洋絵画がなくても、個性的な目で集めた心打つ作品があれば、たとえ一坪でも立派な美術館だ。バブル経済のなかで泥まみれになった美術界。しかし、ここに登場する美術館には、資財をなげうって美の世界に奉仕した人たちのすがすがしい物語が秘められている。この本をガイドに、ユニークで心温まる美術館を、あなたも訪ねてみよう」と述べている。 

本書で紹介されている熊谷守一美術館のこと

 都心に近い住宅街、緑木に囲まれ静かに在る当館は、守一が生前四〇年間暮らした家を、娘たちが改造したものだ。
 展示はアカデミックな初期のものから、フォーブ調の中期、そして線で区切って「平ぬり」する戦後の熊谷芸術と呼ばれる画風へと移っていく。晩年になる程、余分なものはそぎ落とされてシンプルな構成となり、色調は一層深くなっていく。
作品は動物、裸婦、花、風景等をテーマに一〇号〜二〇号と比較的小ぶりだが観る者を深く圧倒するような力をもっている。ものの存在の正直、普遍さにせまる力強さを感じる。
 館長である榧(かや)さん(守一の長女)は「『うまい絵を描こうとは思わない』と語っていました。だから九七歳まで長生きしたのだと思います。熊谷芸術の本質は、作品に嘘がないことと思います」と語っている。
 画家で陶芸家でもある榧さんは美術館を維持するため喫茶室を設け、自作の陶器や絵の販売も手がける。もちろん、美味しいコーヒーが入る器は彼女の作品だ。
 戦争画を拒否した画家は、戦後、「おれは、お国のために役だったことはない。」と文化勲章を拒否している。
 写真家の土門拳が晩年の生活を映し続けた。とても美しい風貌だ。

  §§ メ モ §§

 住所 東京都豊島区千早町二ー十八ー十三
 電話 03(3957)3779
 入場料 大人五〇〇円 学生三〇〇円 子供一〇〇円
 休館日 毎週月曜日(夏・冬休み有り)
                              (S・K)


部落史から取り残された諸賤民について M

       
陰陽師 (そのC) その影響について

                     
大阪部落史研究グループ 

 一八七二年(明治五)明治政府は従来の太陰暦(太陰太陽暦)を廃止して、欧米諸国で採用している太陽暦を使用することにした。そのために陰陽道は禁止され、土御門家による許状の発行も停止された。神道国教化を進める明治維新政府にとって陰陽道は近代国家にふさわしからぬ宗教とみなされた。ただ明治二〇〜三〇年に至って陰陽道の宗教法人の設立運動を目指す部分があった。分けても歴代組と呼ぱれた摂津・河内地方の触れ頭陰陽師による運動では若杉家当主による講演会の開催等も行われたそうだ。

六曜の迷信と定着


 『どう超えるのか?部落差別』(緑風出版、塩見鱗一郎・小松克己一九九六年)によると、農村では季節の働きに合わせた太陰暦が節句、旧正月などの民俗行事とともに農耕生活の中で生き続けた。「運勢暦」・「おばけ暦」などとして定着し、大安・仏滅といった『日の吉凶』は幕末期に成立したものでそれほど古い「ならわし・しきたり」ではないとしている。
 現代まで私たちの日常の生活に生き続けている六曜について考えてみよう。
 幕末期、神道や仏教といった既成の宗教権威は幕府の権威とともに民衆のよりどころから離れていった。そのころ『生き神』として現れた黒住教・天理教・金光教など『世直し』的要素をもつこれらの宗教が登場し、深く民衆に浸透していったのは興味深い。そのような時代背景の中「六曜」もまた民衆に受け入れられていくのであるが、単純で機械的な配列の「六曜」は「運命」の占いに身をゆだねて行動することへの「安心感」があったと思われる。明治維新後新政府は「六曜」を暦に使用することを厳禁した。「上からの改革=徴兵制・租税・義務教育・賎民廃止令など」が矢継ぎ早に起こされ、杜会は激動し、人々は翻弄され続け、主に農村部において新政府のそれに反発が特に強かったと前述の書は指摘している。これらは上杉聡『部落を襲った一揆』(一九九三年)などの研究などとともに今後さらに掘り下げられることと思う。
 最後に六曜の微妙な心理状態について前書は井元鱗之氏の言葉を紹介している。「部落差別は他の日本杜会の問題と無関係かつ単独に『部落だけの問題』として存在するのではなく、広く日本杜会のあらゆる非科学的、非合理的な迷信や因習や杜会のしきたり、それらを温存し助長する固魎な杜会意識の集約的、濃縮的な心理的実態として存在するものであります」「六曜などの迷信と部落差別は直接的にはつながりません。しかし、この二つが自分の身に及んだ場合にとる行動、心の動きがよく似ていることがわかるかと思います」
 歴史的経緯もさることながら「みんながそうしているから」「世間には逆らえない」といった雰囲気や占いや迷信を信じる事など井元氏の鋭い指摘は当たっていると思う。 (つづく)


複眼単眼

     
4年連続3万人の自殺 自衛隊は5年で331人
 
 七月下旬に発表されたことだから、すでに旧聞に属することだが、書いておきたい。
 警察庁の集計によると昨年の自殺者数は三万一〇四二人で、四年連続で三万人を超えたという。この社会のどこかで一日に八五人もが自殺している。
 「交通戦争」と言われる交通事故死者数の、実に三倍以上だ。 その動機だが「経済・生活問題」、いわゆる経済苦による自殺が六八四五人で統計をとりはじめた七八年以降を見ると過去最高だという。これは一〇年前は四分の一の一六六〇人だった。それが九七年に三五五〇人、九八年には六千人台と急増し、以降、漸増だ。とくに四十代、五十代の男性労働者が深刻になっていると言われる。リストラと長引く不況が直接の原因になっている。
 自殺者の中で無職の人びとが半数いる。この中にはリストラで仕事を失い、探しながら死んだ労働者も多数含まれているだろう。サラリーマンや公務員などの労働者の自殺も七三〇七人だ。過労の労働者も少なくないだろう。
 多数の働く者たちが肉体的にも精神的にも病んで、自殺に追いやられているのだ。
 「日本いのちの電話連盟」(東京都)が昨年十二月に実施したフリーダイヤルの電話相談は「一週間で一万件の相談があった。以前は若者が中心だったが、最近は中高年男性が増えている」という。相談内容は「リストラされた」「うつ病になって退職に追い込まれた」というケースが目立つという。
 小泉首相は「経済構造改革には痛みが伴う」などとうそぶく。しかし、この軽薄宰相の小泉は、これらの死まで思い詰めた人びとの「痛み」に、本当に思いをいたしたことがあるだろうか。小泉首相はかくも軽く語る「痛み」の陰で、悔しさと疲労のなかで、無念にも死を選択する人びとがふえていること、それが自らの政治の責任だとは考えない。まったくの無策だ。
 「死ぬなよ、こんな奴らの犠牲にされてたまるものか」
 かつて「自殺は人間最後の自由だ」と言った人がいた。自殺する人が多い社会は自由のない社会だ。
 ところで自殺の問題で言えば最近は自衛隊でも多くなっている。昨年度は陸海空合わせて五九人。この五年間で三三一人にのぼる(湾岸戦争以前は年に数人だった時もあるという)。うち自殺原因が不明とされている者は一四四人、「職務」のせいが四三人、「借財」が八〇人だ。「不明」が半数近く占める統計というのがいかにも自衛隊の統計らしいではないか。防衛庁広報課は「いじめが原因という報告はいくつかあがっているが、数や個別の中身は公表できない」と言っている。
 七月二十日の東京新聞は「今年三月末に発足したばかりの陸上自衛隊『西部方面普通科連隊』で隊員三人が自殺した。九州・沖縄の離島防衛のため、全国初の有事即応部隊として鳴り物入りで創設されてからわずか三ヵ月。……えりすぐりの精鋭部隊であいつぐ『死』は偶然なのだろうか」と報告している。(T)