人民新報 ・ 第1075号<統合168号> (2002年10月25日)
目次
● イラク軍事攻撃反対、有事3法案廃案 院内外を貫く有事法案反対の闘いを
有事法案廃案を要求する国会議員と宗教者・市民の緊急院内集会
● 米軍のイラク総攻撃と小泉内閣の加担反対の壮大な民衆行動を起こせ
● 9・11の遺族の反戦運動にまなぶ 市民緊急行動が反戦市民集会
● 在韓米軍装甲車 女子中学生ひき殺し事件を繰り返させない集い
● 外務省の「FTA戦略」に見る日本帝国主義の野望(上) ( 斉藤吾郎 )
● 地域から有事法制反対の声を 東京・南部で集会開催
● 世界のどこにいる人びとにも私たちのような悲しみを味あわせたくない
ライアン・アマンドソンさん(ピースフル・トゥモローズ) の講演要旨
● 資料 / 有事法制三法案の廃案を求める決議(日本弁護士連合会)
● 「愛国心」盛り込みを図る中教審、教育基本法改悪に向け中間報告素案 ( 佐山 新 )
● KODAMA
学校は何のためにあるのだろうか
( 高三・夜露死苦 )
過去の「社会主義」を克服して
( 樹人 )
● 複眼単眼 / 短歌は「拉致」をどうとらえたか 胸痛む「在日」の悲しみと苦しみ
イラク軍事攻撃反対、有事3法案廃案
院内外を貫く有事法案反対の闘いを
有事法案廃案を要求する国会議員と宗教者・市民の緊急院内集会
臨時国会の初日の一〇月一八日の正午過ぎ、衆議院第二議員会館で「有事関連三法案の廃案を要求する国会議員と宗教者・市民の緊急院内集会」がひらかれ、国会議員一八人(社民九、共産五、民主二、無所属二)と市民・宗教者・労組からの参加者など合わせて一八〇人の人びとが、有事法案の廃案にむけての闘いとイラクへの戦争策動に反対する決意を新たにした。
この集いは、平和を実現するキリスト者ネツト、平和を作リだす宗教者ネット、戦争反対・有事法案を廃案へ!市民緊急行動の三者のよびかけによるもので、先の国会で有事法制法案を通過させなかった院内外を通じた闘争陣形を再度、そしてより強力につくり出すためのものである。
高田健さん(戦争反対、有事法案を廃案へ!市民緊急行動)と西原美香子さん(平和を実現するキリスト者ネツト)の司会で集会は始まり、はじめに、各党からの代表あいさつが行われた。
福島瑞穂・社会民主党幹事長
先の国会で有事法案を阻止できたことは野党の結束にあったが、それ以上に国会外での大衆的な反対運動の盛り上がりがあった。しかし今回の小泉改造内閣でタカ派中のタカ派である石破防衛庁長官が出現したことは、有事法制のための態勢であり、このことに大きな危機感を覚える。世論を呼び起こし、反対の運動を一緒に作って行こう。
木島日出男・共産党国会対策副委員長
有事三法案を廃案にしていくうえで、野党共闘を確立していくことが大事だ。政府は、法案通過のために武力攻撃事態をいくつかの段階にわけたり国民保護を名目にいくらかのを手直しをおこなっているが、まやかしだ。北朝鮮との国交正常化交渉やイラクの核査察の無条件受け入れ表明などは有事法制の土台を崩すもので、日本としては平和外交を進めなければならない。
大出彰・民主党衆議院議員
民主党には二つの流れがあるが私は有事法制反対の立場であり、有事法制やイラク攻撃に反対という世論が高まれば民主党内にも良い影響がうまれる。日本には平和憲法があるのだから、国の基本を無視して戦争に出ていくというならそれは「ならず者国家」といわれるのではないか。今後、国会での動きともに、八〇〜一〇〇万人の運動のうねりをつくり出して、反対の意思表示を行わなければならない。
川田悦子衆議院議員(無所属)
今日の集会にこんなに大勢の人が参加しているのを見て力強く感じられる。経済不況の打開のために戦争が必要だなどという風潮も聞かれるが、この法案が通ってしまえば事実上の憲法改正である。作家の司馬遼太郎さんも言っていたが、軍隊は作戦行動のためには国民をひき殺すものだ。油断することなく国会の内外で有事法案を通さないという声を上げていかなければならない。
島袋宗康参議院議員(無所属・沖縄社会大衆党委員長)
冷戦構造が崩壊したのに、その冷戦構造の中で作られた防衛庁は戦争法案をつくろうとしている。北朝鮮は拉致問題を認め日朝国交正常化を進めようとしている。それなのになぜ有事法制なのか。沖縄の立場から言えば、有事で沖縄はさらに大きな負担を被ることになる。結束を固めて廃案にむけて闘いを強めよう。
出席の国会議員が紹介され、それぞれ一分の決意表明がなされた。出席した国会議員は次の通り(発言順)。山内恵子(社民党)、畑野君枝(共産党)、金子哲夫(社民党)、赤嶺政賢(共産党)、菅野哲雄(社民党)児玉健次(共産党)、今川正美(社民党)、阿部とも子(社民党)、小泉親司(共産党)、保坂展人(社民党)、中川智子(社民党)、北川れん子(社民党)、佐々木秀典(民主党)。 つづいて各界のみなさんの連帯あいさつが行われた。
国際婦人年連絡会、平和フォーラム、全国自然保護連合、日本弁護士連合会有事法制対策本部、航空安全会議、海員組合、建交労、東京全労協、日本青年団協議会、NGO非戦ネット、平和を創り出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネット、日本消費者連盟などから、廃案にむけてともに協力していこうとのアピールがあり、東京都議会議員の福士敬子さん、東京北区議会議員の古沢久美子さんが地方議員の立場で発言した。
許すな!憲法改悪・市民連絡会の中尾こずえさんが六〇七団体・個人によるイラク軍事攻撃に反対する共同声明について報告し、その場で国会議員と参加者に配布された。
最後の閉会のあいさつで、木津宏道さん(平和を創り出す宗教者ネット)が、未来の世界を戦争で破壊させず子どもたちに残すために手を携えて尽力しよう、と述べた。
米軍のイラク総攻撃と小泉内閣の
加担反対の壮大な民衆行動を起こせ
世界各地で平和の声がますます高まっているにもかかわらず、アメリカのブッシュ大統領はイラクへの先制的な軍事総攻撃の道をしゃにむに突き進んでいる。ブッシュはサダム・フセインの国連による査察受け入れ表明も完全に無視して、戦争の準備に入った。
もしこの戦争が引き起こされれば、バグダッドをはじめとするイラク民衆の被害は巨大なものであることは容易に予測できる。それだけではない、戦火はイスラエル、パレスチナをはじめ、アラブ各国に広がり、大規模な殺戮と破壊が行われるに違いない。
ブッシュは反テロを口実にサダム・フセイン政権の打倒を実現し、この地域に親米政権を樹立し、自らの国家的利益を確保しようとしている。
アラブやヨーロッパではこうしたブッシュの戦争政策に批判の声が高まり、アメリカ議会での批判や民衆の運動も高まっている。二六日にはワシントンDCとサンフランシスコを中心に大規模な民衆行動が計画されている。
日本でもこのアメリカ民衆の闘いに呼応し、小泉内閣の加担・参戦に反対する運動が準備されている。これにつづいてさらに大きなイラク戦争反対の運動を実現できるような構造を作り上げることは焦眉の課題だ。
イラク戦争反対のために、二〇〇二年五・三憲法集会が切り開いた共同の努力などを生かし、壮大な統一行動を作り上げることが求められている。
9・11の遺族の反戦運動にまなぶ
市民緊急行動が反戦市民集会
一〇月十一日夜、東京の総評会館で、アメリカの9・11遺族によって作られた平和団体「ピースフル・トゥモローズ」のライアン・アマンドソンさんを招いて「反戦市民集会」が開かれた。緊急の呼びかけにも関わらず、一〇〇名を超える市民が参加し、真剣に話を聞いた。主催したのは「戦争反対、有事法案を廃案に!市民緊急行動」で、ライアンさんは広島の「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(森滝春子共同代表)の招きで来日し、広島と東京を訪問した。広島では県内各地での報告集会と広島市長などへの表敬訪問、原爆資料館や呉市の自衛隊基地の見学、東京では総評会館での集会のほか、多摩地区の集会や、国立市長への表敬訪問、津田塾大、東京大などでの交流と、横田基地の見学など精力的に活動して十五日に帰国した。
ピースフル・トゥモローズはアメリカの9・11事件の遺族五〇名ほどで作られた反戦平和団体で、ブッシュのアフガン「報復」戦争に反対し、イラク攻撃に反対して活動している。またこの間、アフガニスタンをおとずれ、戦争の被害者との交流をすすめている。またアメリカでの講演活動などを進める一方で、米国の戦争の支援国、イギリスや日本にメンバーを派遣し、アピールしている。ライアンさんは二四歳、兄を9・11のペンタゴンの事件でなくした(本紙前号で同会の声明要旨を紹介した)。
集会の冒頭、市民緊急行動の高田健さんが「間もなく始まる臨時国会で有事法制が審議されようとしており、また本日の夕刊ではアメリカの下院と上院がブッシュ大統領にイラク攻撃の権限を与えたと報道されている。イラク総攻撃が近づいている今、この機会がもてたことは大変うれしい。ライアンさんの報告(別掲)を聞き、今後の平和を実現する運動の糧としたい」と挨拶した。ライアンさんの報告の後、広島から同行してきた森滝春子さんが、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の活動や、ピースフル・トゥモローズとの出会いに至る苦労、広島の市民運動との交流の意義、ライアンさんの来日してからの真剣な学習意欲のすばらしさなどについて発言した。
会場との質疑応答も充実した真剣な応答で、参加者の感動を呼んだ。(本紙三面に関連記事)
なぜ少女たちは死ななければならなかったのか
在韓米軍装甲車 女子中学生ひき殺し事件を繰り返させない集い
一〇月十九日夜、都内で「なぜ少女たちは死ななければならなかったのか 在韓米軍装甲車 女子中学生ひき殺し事件を繰り返させない集い」が開かれ、一〇〇人を越す市民が参加して、韓国から来日した代表の話を聞いた。
この事件は六月十三日、道を歩いていた二人の中学生が、米軍の装甲車にひき殺されたもので、韓国社会の広範な民衆が抗議に立ち上がっている。米軍は一応の謝罪はしたが、犯人の引渡しは拒否している。
この運動の先頭で闘っている汎国民対策委員会の共同執行委員長の金鐘一さんが要旨、以下のように報告した。
W杯の最中にあれほど悲惨な事件が起きた。韓国中が大きな怒りに包まれている。その怒りを政府・警察が圧殺しようとしている。すでに逮捕者が一〇人出たが、私たちは後退できない。梅香里の闘いは五〇年続いた陸上演習を中止させた。いまは当時と比べ物にならないほど、力がついた。この闘いは全世界で米軍被害を受けている人びととの共通の闘いだ。私は先週はアメリカのバークレーを訪れ、今日は日本にきた。気持ちを同じくする人たちが世界中にいる。アメリカ軍の存在は大きな壁だが、小さな穴があけば壁はやがて崩れる。特に東アジアでの闘いにとって、日韓の連帯は重要だと思っている。
連帯挨拶は、命どぅ宝ネットワーク、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、許すな!憲法改悪・市民連絡会、韓国青年同盟、日韓投資協定NO!緊急キャンペーンから行われ、今後の共同を確認しあった。
外務省の「FTA戦略」に見る日本帝国主義の野望(上)
斉藤吾郎
@ボス米国の世界と日本
新刊の藤原帰一の「デモクラシーの帝国」(岩波新書)の冒頭では現在の国際社会が「ボスのいる世界」として、次のように描かれている。
「冷戦終結から一〇年の間、国際政治にはさまざまな方向や未来が開かれているように見えた。世界各国が共通の市場によって結ばれ、国境の意味が薄れた、という人もいた。経済ばかりでなく、環境破壊のように国境を越えて広がる問題もうまれたために、民族とか国家を横断した理念やアイデンティティーが育っているという主張もあった。……だが、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロ事件とその後の展開が示す世界は、とてもそんな夢に応える方向には向かっていない。そこにあるのは大国が拮抗する権力政治から、ひとつの大国が権勢をふるう世界への変化であり、アメリカが単独で決定を行い、同盟国も他の国も含め、世界がその決定に従う、という構図である」
これは現下の国際関係の一面をよくとらえている描写だ。
いまボス・アメリカは自らを世界における事実上唯一の実力を持った「自由の擁護者」であるとして、従来の国際法や条約を軽視し、神がかりの極端な単独行動主義(ユニラテラリズム)に走っている。
そしてアメリカは世界の憲兵の役割を果たす上において、自らが抱える不都合な弱点、経済・財政の赤字や国際収支の赤字、膨大な戦費の捻出などは、当然にも「同盟国」が分かち合うべき困難であるとして、他国に協力を要求する。目下、イギリスのブレアと並んで小泉純一郎首相はこのもっとも忠実な従者となっている。
A独自市場への日帝の欲求
では米国の単独覇権の確立という事実上の超帝国主義的世界支配のもとで、日本の支配層は自らの世界戦略を持ち得ないのか。あるいはその欲求をもたないのか。そうではない。ブッシュの国際「反テロ」戦争戦略に従いつつも、日本の支配層は自らの世界戦略を必死で模索している。それらの動きの一端を表わすのが一〇月十六日に発表された外務省の提言「わが国の自由貿易協定(FTA)戦略」だ。
おなじ日、官房長官の私的諮問機関「日・ASEAN包括的経済連携構想を考える懇談会」(座長・白石隆京大教授)は中間報告で、06年までにASEAN主要国とFTAを含めた二国間経済連携協定を結ぶよう、促している。
FTAとは二国間で関税や輸入障壁の撤廃や投資の自由化を促す協定で、人の移動や農業分野の市場開放などの「改革」を重視し、これは「産業構造高度化のプロセスだ」とされている。従来、重視されてきた世界貿易機関(WTO)を軸にした多国間交渉優先の姿勢や、アジア太平洋経済協力会議(APEC)が米日両国を含めて環太平洋地域全体の貿易・投資の自由化を進めてきたものとは異なり、日本の直接の支配権の確保・拡大を目指すものだといえる。(つづく)
地域から有事法制反対の声を 東京・南部で集会開催
「有事法制を廃案に!中村敦夫氏ビッグトーク
in 南部」が、一〇月三日東京・大田区で八〇名の参加で開催された。主催は「有事立法に反対する東京南部連絡会」。
連絡会は、この間、「テロにも報復戦争にも反対」の立場でアメリカのアフガニスタン攻撃に反対してきた東京南部の市民運動・労働組合、個人によってつくられ、有事関連三法案を廃案に追い込む闘いを取り組んできた。先の国会では継続審議になったとはいえ、さらに廃案への取り組みを強めようと夏の段階から準備を進めてきた。さらには、間近にその危険が迫っているアメリカ・ブッシュのイラクヘの武力攻撃反対の声をあげていこうという主旨で、集会が開かれた。
主催者あいさつのあと、国労闘争団、共生・共走リレーマラソン実行委員会からの報告につづき、メインの中村敦夫参議院議員の講演へと進んだ。
中村さんは小泉訪朝、有事関連三法案、ブッシュのイラク攻撃などについて関連性を明らかにしながら話を進めていった。
有事法案の「武力攻撃のおそれがある場合」については、それを誰が判断するのか、そのあいまい性こそが問題。その発想は冷戦構造を前提にしており、おそれがあるといことで戦争をするのは初めてである。それは、二月のブッシュドクトリンと連動している。
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「独裁的体制」を過去の取材の経験を踏まえて批判するとともに、いわゆる「拉致問題」については、日本がなぜ大騒ぎをしているのか、彼らにとって不思議なことである。北と韓国は休戦状態であること、国交がなく日本との戦争も終わっていないことを日本人は理解していない。
日本政府も外務省も外交、防衛問題をアメリカに「丸投げ」してきた。戦争とは資源を奪うために起こす行為、資源のない日本に攻撃をしてもメリットは何もない。ましてや、世界第二位の戦力を時つ日本に、圧倒的に劣る北朝鮮が攻撃できるはずがない。
アメリカはなぜイラクを攻撃したがっているのか。石油メジャーの代表であるブッシュは埋蔵量一、二、三位のサウジアラビア、イラク、イランの石油が欲しいのである。そのためには親米政権が必要で、サウジアラビアとは折り合いをつけ、米軍基地がすでにある。反米であるイラン、イラクに、親米政権をつくることが目的であると。アメリカでは「NO WAR FOR OIL」の反戦デモが始まっている。
中村さんはまとめとして、経済成長をめざし資源を奪い合う戦争、工業による無限の経済成長をやめ、自然と折り合いをつけるような世界に変えなけれぱならないと強調し、話を終えた。
最後に有事法制反対、アメリカのイラク攻撃反対のさまざまの取り組みについての確認をおこなった。 (東京南部通信員)
世界のどこにいる人びとにも私たちのような悲しみを味あわせたくない
ライアン・アマンドソンさん(ピースフル・トゥモローズ) の講演要旨
怒りと報復で問題は解決しない
(初めの報告) お集まりいただいて感謝します。日本に招いていただいて光栄に思いますが、しかし喜んでここにいるわけではありません。
九月十一日、兄の働いているオフィスにハイジャックされた飛行機が突っ込み、兄を失いました。兄は二八歳、二人の幼い子どもがありました。そのとき私は兄の死をもたらした人びとに怒りをおぼえました。同時に、兄の死に深い悲しみをおぼえました。
しかし、もし私が怒りや怨念でいっぱいになってしまうと、兄を殺した人びとと同じになってしまう危険があると思いました。私は悲しみによって導かれる道を選びました。悲しみは兄への愛だと思いました。私の慰めになったのは、家族同士の絆も強まりましたし、何年も連絡が取れなかったような友人たちとも連絡がとれました。そして見も知らない人たちとも仲良くなりました。そして遺族同士でも仲良くなり、壁が取り壊されていきました。
しかし、こういう面だけをお話したのでは真実ではありません。古い壁が崩れた一方、別のところで新しい壁ができました。アメリカでは中東系の人が、場合によっては報復の名で暴力をふるわれています。 九月十一日のあと、ブッシュ大統領は国防総省を訪れ、こう話しました。「一方では悲しみをおぼえるが、一方では怒りをおぼえる。その怒りをもって問題解決に向かう」、そして大統領は「報復」という言葉を使いました。
わたしはこれは兄が殺されたと同じような、人を殺すと言うことが起こると思いました。私は怒りによって私たちの悲しみが解決するとは思いません。
戦争は必要悪か
私は兄の死に直面するまで、平和とか、戦争とか、暴力について真剣に考えたことはありませんでした。暴力は問題解決の効果的手段であると思っていましたし、学校の教科書でも、戦争は避けられない必要悪だと教えていました。
歴史の本では、広島、長崎に原爆を落としたことは、アメリカのさらに多くの命を守るために必要なことだったのだと教えています。そういう戦争の評価を信じていました。
またイスラエルが人びとを守るためにはパレスチナにたいして戦車や銃や爆弾で攻撃するしかないという正当化を信じていました。そしてパレスチナ人がイスラエルに攻撃するのはテロリズムであると思っていました。
戦争という集団的暴力は残念ではあるが、戦争をなくすためには必要悪であると信じていました。しかし、兄を失ったあと、そういう考え方を見直さざるをえませんでした。
私は世界の戦争やテロの犠牲者たちとのつながりを感じるようになり、自分もそういう犠牲者の一員であると感じるようになりました。そして暴力がさけられないという考え方を再考せざるをえなくなりました。暴力は必要悪だという考え方ではなく、暴力は必要でない悪だと考えるようになったのです。
私はそういう暴力の被害者の一員であるというアイデンティティをもつようになり、集団暴力の被害者との共感を持つようになり、もうぐずぐずしてはいられないと思うようになりました。私は世界のどこにいる人びとにも、私と同じような思いを味あわせたくないと思います。
アメリカでまたテロが起きて、どれだけの人が苦しむことになるかを心配しますが、同時にアメリカの報復でどれだけの人の命を奪うのかを考えます。
それを確認させたのが、政治家たちは声高に暴力的な報復を行うと怒りをあらわにする叫びだったのです。遺族の悲しみを利用して、そういう行動を正当化しようとしています。そのためにすでに数千人が殺されています。
テロの根本的な原因にメスを入れなければなりません。こういうテロに対する戦争は不毛です。テロに対する戦争の理論を使えば、アメリカも、世界もより安全でなくなり、より不安定になるわけです。
兄の死を報復に使うな
私たちの家族の悲しみが利用されて、さらなる惨害が押し寄せるという状況の中で、平和を訴えることはより重要だと思いました。同じように考える他の遺族と手を取りあって作ったのが、ピースフル・トゥモローズです。
ピースフル・トゥモローズのメッセージは多くの人びとの信念と真っ向から対立するものです。彼らは軍事行動こそアメリカをテロから守る効果的な手段だと考えています。
多くの人が戦争によって平和を実現することができると考えています。しかし、そういう平和はある特殊な平和です。本当の平和は真に戦争がないという平和です。平和は正義の実現の上にうち立てられなければなりません。命の大切さを基礎にするものです。それは絶えざる平和の実践によって実現されるものです。
兄を失って、こういう自覚をするようになりました。私にとってこれは戦争対テロではなく、問題は暴力対非暴力です。
一部の人は私たちの考えは感情論だといいます。たしかにそうです、しかし戦争を求めている人たちも感情論です。ブッシュ大統領の言葉のように、「一方では悲しみ、一方では怒りを」というのですから。大統領は怒りを利用して共通の敵との戦いの必要性を語ります。私たちは悲しみを持って、共通の敵、暴力と戦います。
平和な世界、9・11がないような世界、広島の原爆のようなことがない世界、それは願うだけでは実現しません。もちろん、希望は必要です。平和をねがうことと、信じることには違いがあります。戦争をする人たちは平和を信じてはいません。平和を信じることは、平和を実践することです。わたしはいつの日かアメリカが方向転換することを望んでいます。
9・11のあと、平和を願う方々がアメリカにできる最良の支援はアメリカの軍事行動に協力することではありません。それは平和の模範を示すことです。
アフガンの人々の悲しみ
(質疑応答から) 私たち遺族は復讐を望んでいるのだろうと思われがちです。事件の後、私たちを慰めようと抱きしめて、「大変だったね、心配要らないよ、きっと報復してやるから。数倍も殺してやるから」という人がいました。事件の三日後に遺族の集まりに政治家が来て「報復」を言いました。でもそこに集まっていた人たちはうなだれて、首を左右に振って「そうではない」と言いました。遺族であれば、当然、報復を求めるだろうという考え方が広まっています。私たちはまずこの常識を覆したいと思います。
この一年、私たちはアフガニスタンの被害者の人たちへの支援のキャンペーンにとりくみました。イラクの人に同様のことが起きないように、イラクにたいする戦争がおきないですむように願っています。これを実現するのは大変な目標ですけれども。
私自身はアフガニスタンに行っていませんが、アフガンに行って帰ってきた人から聞くと、アフガンの人びとはアメリカ軍によって爆撃を受け、殺された人々がたくさんいるにも関わらず、アメリカ人に反感を持っていないと言います。
アフガニスタンの現地をおとずれると、アメリカの9・11の犠牲者とアフガンの人びとには共通点があるのに気づきます。同時に大きな違いがあるのも分かります。アメリカでの犠牲者の家族には世界中から同情が寄せられ、支援がよせられます。たとえば兄の子どもは学資の支援もありました。アフガンの犠牲者はそうではない。ある女性はタリバンに夫を殺され、アメリカの空爆で八人の家族を失った。彼女は「助けてほしい」という手紙を書いて、アメリカ大使館に行ったのですが、追い返されたといいます。
殺しても殺されてもダメ
九月十一日の直後は大統領への支持が大変高かったのですが、それは大統領の政策や能力への支持ではありません。こういうときには、不安ですから大統領のような権威ある立場の人に従うという空気ができるのです。ブッシュ大統領のほうもそういうのを利用するのがうまかったのです。しかし、一年経って空気は変わってきています。
兄のことですが、兄が軍に入ったのはショックでしたが、経済的な安定、生活のためが理由でした。最初の任地がペンタゴンでした。実は私たち家族はそれを喜びました。海外に駐在するのではないから、世界一安全なところだろうと思ったのです。
兄は平和活動家ではありませんでしたが、好戦主義者でもありませんでした。毎日、通勤に使う車に「世界の平和を心にかけて」というステッカーを貼っていました。職種はスペシャリストと言うことで、軍隊では下位のほうに属していました。
軍隊にいましたが、兄も罪のない人でした。軍の中にいる人も、普通の人なのです。それを思うと、他の国の軍隊の人のことも思ってしまうのです。イラク人でも、タリバンでも。
よく「罪もない市民」「罪のない犠牲者」といわれます。しかし、兄も「罪のない人」です。ですから、市民のことだけを考えてもいけない。相手の国の軍隊の中にも「罪のない人びと」がいるのです。
日本の平和憲法はすばらしいと思います。アメリカを支援するということで、平和憲法を弱めることは、アメリカの市民を危険にさらすことにもなります。どんな理由があろうとも、日本の平和憲法を弱めてはいけないと思います。(文責は編集部)
資料
有事法制三法案の廃案を求める決議
日本弁護士連合会
一〇月十一日、郡山市で開かれた日本弁護士連合会人権大会は、有事三法案の廃案を求める決議を棄権一のみの圧倒的な多数で採択した。これは三月の「国会上程に反対する決議」、六月の廃案を要求する決議に続く日弁連の三回目の決議だ。日弁連は弁護士の強制加入団体であり、思想・信条の違いを超えた団体だ。そうした団体が反対決議をだしたのはよほどのことであり、注目される。なお、日弁連は二三日昼、国会に向けて有事法制反対の請願パレードを行った。(編集部)
決議
政府・与党が第一五五回国会において成立を図ろうとしている有事法制三法案には、憲法原埋に照らし、少なくとも以下に指摘する重大な問題点と危険性が存在する。
一、「武力攻撃のおそれのある事態」や「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」までが「武力攻撃事態」とされており、その範囲・概念は極めて曖昧である。政府の判断によりどのようにも「武力攻撃事態」を認定することが可能であり、しかも国会の承認は「対処措置」実行後になされるとから、政府の認定を追認するものとなるおそれが大きい。
二、内閣により「武力攻撃事態」の認定が行われると、陣地構築や軍事物資の確保等のための私有財産の収用・使用、交通・通信・経済等の市民生活の規制などを行うこととなる。また国民は国等の措置に「必要な協力をするよう努めるものとする」とされる。これは思想・良心の自由を侵害し、憲法規範の中核をなす基本的人権保障原理を変質させる重大な危険牲を有する。
三、「武力攻撃事態」における自衛隊の行動は、憲法の定める平和主義の原理、憲法九条の戦争放棄・軍備及び交戦権の否認に抵触するのではないかとの重大な疑念が存在する。
また周辺事態法と連動して、米軍が行う戦争あるいは紛争に我が国を参加させることにより、日米の共同行動すなわち個別的自衛権の枠を越えた「集団的自衛権の行使」となり、我が国に対する攻撃を招く危険を生じさせる。
四、武力の行使、情報・経済の統制等を含む幅広い事態対処権限を内閣総理大臣に集中し、その事務を閣内の「対策本部」に所掌させることは、行政権は内閣に属するとの憲法規定と低触し、また内閣総理大臣の地方公共団体に対するする指示権及び代執行擁は地方自治の本旨に反し、憲法が定める民主的な統治構造を大きく変容させる危険性を有する。
五、日本放送協会(NHK)などを指定公共機関とし、これらに対し「必要な措置を実施する責務」を負わせ、内閣総理大臣が、対処措置を実施すべきことを指示し、実施されない時は自ら直接対処措置を実施することができるとすることは、政府が放送メディアを統制下に躍くものであり、市民の知る権利、メディアの権力監視機能、報道の自由を侵害し、国民主権と民主主義の基盤を崩壊させる危険を有する。
以上のように、有事法案三法案は、武力又は軍事力の行使を許容するための強大な権限を内閣総理大臣に付与する授権法であり、基本的人権侵害のおそれ、平和原則への低触のおそれだけでなく、憲法が予定する民主的な統治構造を変容させ、地方公共団体、メディアを含む指定公共機関の責務と内閣総理大臣の指示権、直接実施権及び国民の協力・努力義務を定めることにより、国家総動員体制への道を切りひらく重大な危険制を有するものである。
当連合会は、法案の持つ重大性、危険性に鑑み、法案の闘題点を国民に明らかにし、上記理由に基づき、有事法制三法案に反対、廃案にすることを改めて強く求めるものである。
以上のとおり決議する。
二〇〇二年一〇月一一日
日本弁護士連合会
「愛国心」盛り込みを図る中教審、教育基本法改悪に向け中間報告素案
佐山 新
またぞろ審議会政治
「飲み屋の教育談義」と酷評された教育改革国民会議の議論等を受け、文部科学省は昨年十一月、中央教育審議会(以下「中教審」)に「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」について諮問した。この十六日、中教審の中間報告の素案が公表され、翌日一斉に新聞報道された。それによれば、素案は、現行教育基本法には「新しい時代を切り開くたくましい日本人の育成の観点からは、重要な理念や原則が不十分」とし、新たな教育の目的・方針として「@社会の形成に主体的に関わる『公』の意識や公共、道徳心、倫理感の育成、A国際性と日本人としてのアイデンティティーの確立、B個人の能力を伸ばす、C時代や社会の変化に対応した教育」などを挙げている。
そもそも、諮問するにあたっての諮問理由で「伝統、文化の尊重など国家社会の形成者として必要な資質の育成という視点」「宗教的な情操を育むという観点」「基本的な生活習慣や倫理感、自制心、自立心」を強調していたのだから、官僚が用意した案を、任命制の御用委員が追認し、お墨付きを与えるという「審議会政治」のパターンをなぞったにすぎない。
愛国心強調の意味するもの
「公」「愛国心」「公共心」「道徳心」などの規範意識は、一貫して右派勢力が声高に主張してきたものである。しかし、今、敢えて教育基本法に手を入れてまで盛り込もうとするのは何故か?
グローバリズムの下で展開される新自由主義政策が生み出す階層分化と貧困層の拡大は社会の分裂を急速に進める。長期経済不況がこれに拍車をかけ、ますます深刻化している。それは端的に犯罪件数や自殺者の増大として統計的にも確認できることだ。社会の構造的矛盾から眼をそらさせ、すべてを「心」の問題に解消し(前号「強化される『心』の管理教育」参照)、内的に体制に順応する「公民」を育成するという、いわば一種の治安対策的な意味をもっている。
そしてまた、衆議院憲法調査会が中間報告をまとめるなど、着々と実績づくりが進んでいる憲法改悪の動向とも密接不可分である。戦争をする国への国民動員体制に「愛国心」の浸透が欠かせないのは言うまでもない。
何をもたらすのか
中教審中間報告素案を報じた同じ新聞の社会面に、高校生が「ホームレス」と勘違いして、路傍で寝ていた会社員の顔に熱湯をかけて火傷を負わせた事件の記事があった。犯人の高校生は「世直しのためにやった」とうそぶいているとのことだ。「ホームレス」襲撃事件は各地で頻発している。
作家大江健三郎も小学生であった戦時中、「愛国心」に充ちた校長に不忠者として、奥歯の骨が歪む程殴られた経験を語っている。「日の丸・君が代」の理不尽な強制に見られる狭隘な「愛国心」の横行は、必ず「非国民」を生み出さざるをえない。くだんの高校生のような薄汚い破廉恥漢が「愛国者」面をして「非国民」狩りに大いに張り切るのだ。それはまさに戦争中に広く見受けられた光景であり、今また支配層は同じ情況を作り出そうとしているのである。
改悪を許すな
これも同じ日付の新聞で、地方分権改革推進会議で、義務教育費国庫負担制度を見直し、退職金分等五千億円を削減する方向と報じられている。会議の議事録によれば「金をだすから口がだせる」と抵抗する文部科学省と、「金をださなくても口はだせるはずだ」というメンバーのやりとりが記録されている。一方で「心」までからめとろうとし、他方で国の財政負担を大幅に削減する、小泉構造改革の教育版はこうした代物なのだ。
日本弁護士連合会は九月に、「公教育はみだりに(徳といった)内面的価値に入ることをしてはならないというのは、近代公教育の原則」として教育基本法見直しを批判する意見書を中教審、文科省に提出した、改悪阻止の闘いの広がりが求められている。
KODAMA
学校は何のためにあるのだろうか
「ダメだな」の一言だった。私の通っている高校は進学校でアルバイトが禁止だった。私は今年の夏あたりに自分の夢をかなえるため専門学校に進学することを決めていたので、進学資金を少しでも得るためにアルバイトをする必要があった。なので先生にアルバイトの許可をもらいに行ったのだ。しかし許可はおりなかった。授業終了後の課外授業を受けてからならば許可を出す、ということだった。課外授業を受けながら勤務できるアルバイトが皆無だということは目に見えていた。理由は「クラスの雰囲気を壊すから」というものだった。私は学校のこの対応に納得がいかなかった。今の自分にとってアルバイトをすることは大学進学のための受験勉強と変わりないことだ。他のクラスメイトが勉強している時、私がアルバイトと専門学校の試験勉強をしていれば、どうして雰囲気を壊すことになるのだろうか。半端に「受験戦争」に参戦するよりも、自分の進路達成のために必要なことをやる方がよほど価値があるのではないだろうか。高校入学当時の目標と現在の目標が違うのはあって当たり前のことだ。しかし今日の教育機関ではその変化に臨機応変に対応できない。私のように進路目標が変わった者は、邪魔にならないよう、おとなしくしていなければならないのだ。
「受験戦争」から一歩距離を置き、疑問に思うことはこれだけではない。今教室で黙々と受験勉強をしている生徒は、マルクス・エンゲルスの名前は知っているが「共産主義」が何なのか知らないのだ。北朝鮮の拉致問題は知っているが、日本と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との間にどんな過去があるか知らない。つまり今受験生が行っている学問は、入試用なのだ。もちろん中には進路達成のため、本当に必要でやっている人もいる。しかし多くの受験生は入試後高校で学んだ知識の大半を失うだろう。現に社会進出までの余暇を満喫するために大学へ進学する人もいる。これでは学力低下が騒がれるのも納得できる。それが分かっていながら学校では、表面的な使い捨ての知識を受験生の頭に詰め込んでいる。それを拒否すれば邪魔者にされてしまう。私たちは軍隊ではないのだ。教科書と知識を武器になぜ戦わなければならないのかわからないまま受験という戦場に狩り出される。自分の本当にやるべきことに気づき、退こうとする者は「敵前逃亡」と思われ、白い目で見られることになる。六十年前の日本が姿形を変え再現されようとしているのだ。
今私たちが学んでいる知識が全く役に立たないとは思っていない。しかしより重要で実用的な知識を教えるべきではないか。その知識と今受験生たちが血の滲むような思いで学んでいる知識が融合した時はじめて本当の意味での教育となり、血となり肉となるものではないだろうか。そして生徒一人ひとりの進路達成を考慮にいれた対応を学校にして欲しい。学校が受験勉強の場ではなく、進路達成への道となることを願っている。
(高三・夜露死苦)
過去の「社会主義」を克服して
今まで、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「拉致疑惑」を一笑に付していた私にとって、金正日が拉致の事実を認めたことは衝撃以外の何物でもない。
仮想敵国の言葉や習慣を工作員に学ばせるという利点はあっても、拉致は決して利にかなう行為ではない。むしろ、自国の人間を教育したほうが疑惑を生む必要もないし、そして安上がりである。個人の能力の差はあるにしても、人間の頭脳は学習により向上することができる。
「拉致をしなければいけないほどあの国は人材不足なのかい?」 拉致疑惑について問われたなら、私はこう答えたであろう。拉致に粛清、そして虐殺と前世紀の社会主義国は多くの過ちを繰り返してきた。金の為に人を切り捨てる資本主義を止揚して、平等を旨として一人ひとりが心から「生きていてよかった」と言えるはずの社会を作りだした社会主義、それを体現すべきであった国は乗り越えるはずの旧社会よりも苛酷であったのだ。
「党の為」とか「社会主義防衛」という名目で、唯一無二の人間を闇に葬りさるならば、それは「自由と民主主義を守る」と称して関係ない人の頭上に爆弾をばらまく最大の「ならず者国家」と変わりがない。
残念ながら、私には「党の為」とか「民主主義を守る」というお題目が資本家と一部のエリートを守ると同じに感じられるのだ。
確かに、今の日本では直接国が手を下す虐殺は見えないように思える。しかし三万人を越える自殺者、これは間接的に手を下す虐殺ではないだろうか。それは、人を殺す場合に首を切るか真綿で首を絞めるかの違いでしかない。
「痛みに耐えて」という言葉を発する人間に限って、痛みとは無縁の場所にいて痛みを自分より弱い者に課しながら平然としている。何故なら、彼らは自分を天上界にすむ人間と誤解しているからだ。俯瞰の位置から眺めれば国民は蟻と同じように見えるだろう。それでは、何をもって資本主義と前世紀の社会主義を乗り越えるのか、私は民主主義と平等だと考える。
真の民主主義は、多数決ではなく、反対意見の中に自分にはない利点を見いだす努力をおこたらないことではないだろうか。ソ連邦の解体、そして中国の市場経済化をもって前世紀に生まれた現存社会主義は党官僚の支配する資本主義となってしまった。
新しい杜会主義を目指すためには、まず人権を一番にした国造りが必要となると考える。それには今以上に国家と社会の関係を緩やかに、そして悪いことであろうと報告する透明性が必要となろう。
少なくとも人の命を奪っておきながら、それを「誤った英雄主義」の一言で済まして平然としている人間、被害者の家族を二五年問も放置し、切実な訴えにお茶をにごす答弁しかできない人間、そんな人間を作る杜会を私は望まないが、読者諸兄姉はどうであろうか。 (樹人)
複眼単眼
短歌は「拉致」をどうとらえたか 胸痛む「在日」の悲しみと苦しみ
新聞の歌壇について、本欄はこれまで何度か書いてきた。しかし、今度ばかりは気が重い。拉致被害者の生存者が明日帰ってくると、テレビは繰り返し繰り返しキャンペーンをしている。どの放送局もそうだ。あきらめて、いま、それを聞きながら新聞の短歌欄を読んでいる。
本日、一〇月十四日の朝日歌壇では「拉致」問題に触れた短歌が四〇首中一〇首あった。うち、一首は三人の選者が採り、もうひとつは二人の選者が採っている秀作だ。
☆強制連行のアボジの子なり棄民なり差別・蔑視・無視・放置の六〇余年(町田市)朴貞花
これは近藤芳美が第一首に、佐々木幸綱が第二首に、馬場あき子が第五首で採った作品だ。もっともこの朴さんは朝日歌壇でしばしば見受ける常連だ。
いま「拉致」問題が洪水のように語られるこの国で、「強制連行」の名によるアボジの「拉致」によって、いまだ「現状回復」ができない、その子どもの朴さんがいる。「拉致」と「強制連行」による在日は決していずれも過去のことではない。にもかかわらず、この国では「在日」ほとんど過去のこととばかりに見向きもされない。そればかりか、「在日」にまで拉致の責任を問う声が渦巻く。今日、ある町での街頭宣伝でそうした意見を言ったら、罵詈雑言が投げつけられたとの友人からのメールがあった。ふだんは「善良」な草の根右翼がこの時とばかりに、顔をだす。「棄民・差別・蔑視・無視・放置」の言葉が突き刺さるように痛い。
☆チマ、チョゴリの少女が石を投げらるるこの悲しみを祖国より受く(大阪府)金忠亀
この作品は近藤が第二首で、馬場が第四首で採った。石を投げるもののいる国、その口実を祖国が作っている。それを「怒り」と表現できず、「悲しみ」という。どうしてこの子らが石を投げつけられなくてはならないのか。少なからぬ日本人がいま、これらの人びとの「悲しみ」を忘れている、無視している。この民族的行為を天が許すはずはない。歴史におけるそのツケは大きいに違いない。
おなじ作者の別の作品を佐々木が採っている。
☆拉致事件のショック大きく日本人のみの職場に向く足重し(大阪府)金忠亀
それでも会社に行かなくてはならない。彼は労働者だ。しかし、労働者の階級連帯なんか感じられない。この「悲しみ」を共有する同胞も一人もいない職場。ほんとうに「足が重い」。
ほかの歌は以下のようなものだ。テレビや週刊誌などのメディアが煽り立てる拝外主義の洪水の中で、これらの作品に見る民衆の視点が比較的冷静なのが救いだ。
☆かわいそうの一語で隅に置きしかど拉致の報道心胆寒し(香芝市)堀田たかえ
作者は何に心胆寒いものを覚えたのだろう。「拉致」にか、それとも「拉致の報道」のされ方か。あるいは両方か。
☆拉致ありと認めしは一人かの夏に終戦を決ししも同じく一人(武蔵野市)雨宮孝
天皇と金正日委員長の共通性、かの国の問題はわが国の問題でもあるか。
☆昭和史の強制連行棲む裡に拉致慟哭のうからまた棲む(坂戸市)神田直人
馬場はこの歌の評に「近代以降の歴史だけを取り上げても、朝鮮半島と日本の不幸な関わりはつねに苦いものがある。第一首は労働力の補いとして戦中におこなわれたかの国の人々への厳しい仕打ちを内省しつつ今日の拉致事件を悲しんでいる」と書いた。
☆あっさりと死亡とつげられ長かりし不在の年月いかに処理せむ(奈良県)山口彰子
作者は静かに拉致事件の被害者の親族に思いをよせている。この後、歌壇にはどのように日朝現代史がつづられていくのだろうか。(T)