人民新報 ・ 第1077号<統合170> (2002年11月15日)
  
                                目次

● 11・3憲法集会 広範な勢力の共同で成功   イラク戦争NO!政府は憲法を守れ有事法制を廃案へ

     11・3憲法集会での発言要旨

       韓国で考えた日本の有事法制…憲法調査会中間報告にもふれて…    水島朝穂

       拉致報道の洪水から何が見えるか                        新崎盛暉

● 第十三回広島県労協定期総会  闘うまともな労働運動をめざして

● 労働者独自の文化のために 日本で初のレーバーフェスタが成功

● 国労定期全国大会(一一月二四〜二五日)  四党合意の破産を認め、闘う方針の再確立を

● 希望をグローバル化するために、闘いをグローバル化しよう ジョゼ・ボベさんの講演(10・29)

● 衆議院憲法調査会中間報告 明文改憲目指して橋頭堡

● 映画 ブレッド&ローズ(ケン・ローチ監督作品)

     実話をもとに、組合づくりと勝利の映像 惜しまれる固定的な男女の人物像

● 複眼単眼 / ガマンならない国家による  拉致の泥試合




11・3憲法集会 広範な勢力の共同で成功

   
イラク戦争NO!政府は憲法を守れ有事法制を廃案へ

 第一五五臨時国会が始まり、有事関連三法案を審議する衆議院の武力事態法等に関する特別委員会の審議も再開された。一方、衆議院憲法調査会(中山太郎会長)は「中間報告」提出を採決で強行し、改憲への足取りを早めようとしている。これに反撃し、反戦平和の運動を発展させようと、十一月三日都内で「イラク戦争NO!政府は憲法を守れ!有事法制を廃案へ!11・3憲法集会」が開かれ、賛同団体五〇団体、賛同個人個人七八〇人以上、当日の参加者四五〇人という結集で成功をおさめた。
 この集会は「11・3憲法集会実行委員会」が主催したもので、それは「許すな!憲法改悪・市民連絡会」「憲法を生かす会」「ふぇみん婦人民主クラブ」「日本消費者連盟」「全国労働組合連絡協議会」「『憲法』を愛する女性ネット」「平和憲法21世紀の会」「日本山妙法寺」「キリスト者平和ネット」「市民憲法調査会」「日本YWCA」などの信条や立場の違いを超えた十一団体で構成されている。
 当日は司会を赤石千衣子さん(ふぇみん婦人民主クラブ)と井上睦子八王子市議(『憲法』を愛する女性ネット)が行った。
 冒頭に集会の基調提起を内田雅敏弁護士(許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局長)が行い、要旨、次のように発言した。
 衆議院憲法調査会は中間報告をだした。憲法調査会はそもそもが「まずはじめに改憲ありき」の議論をしている。調査会ではまともな議論がされていない。人の意見をまったく聞かない、自分の意見だけを言って帰ってしまう。議論によって結論が変わる可能性が保障されていない。地方公聴会で中央の公聴会にたいして意見がでると「地方は情報が十分に伝わっていない」などと切り捨ててしまう。お互いが議論する、相手の意見に聞くべきものがあれば自分はいつでも意見を変える用意がある。少数派が多数派に転じる可能性がある。これがまさに民主主義だ。しかし、憲法調査会は相手の意見に耳を傾けず、はなはだしいのは自分の意見だけを言って帰ってしまう。結局、「最初に改憲ありき」ということだ。
 これと連動して有事関連三法案や米国のイラク攻撃などの問題がある。自衛隊がますます突出している。戦後の日本の法体系は戦争ができない、戦争をしない憲法体系と、米軍と一緒になって戦争をするという相容れない法体系の奇妙な同居だった。そしてそれは日米安保体系による憲法体系の空洞化の歴史であった。しかし、それでもどうしても越えられない壁があった。集団的自衛権の行使は認めないという問題だ。それが周辺事態法で「後方地域支援」という名のもとにいとも簡単に集団的自衛権の壁を越え、昨年のテロ対策特別措置法、そして現在の有事三法案とつながってきた。対テロ戦争に賛成か、反対か、敵か味方かという言論状況だ。危機に瀕しているのは憲法九条だけではなく、立憲主義であり、民主主義だ。
 このような中でさまざまな闘いが組織されている。十二月一日には代々木公園で大きな有事法制反対の集会が準備されている。来年の五月三日にはさらに広範な憲法集会も準備されつつある。私たちは決して少数派ではない、形のうえでは少数かもしれないが、多数派に変わる可能性を秘めている。そして全国、全世界的にみれば憲法九条を擁護する見解は決して少数派ではない。自信をもって運動をすすめよう。
 講演は水島朝穂(早稲田大学教授)さんが「韓国で考えた日本の有事法制…憲法調査会中間報告にもふれて…」(二面に要旨掲載)という題で、新崎盛暉(沖縄大学教授)さんが「拉致報道の洪水から何が見えるか」(二面に要旨掲載)でおこなった。
いずれも鋭い問題提起で、憲法調査会の中間報告や日朝関係正常化問題、拉致報道問題などを分析し、展開した。
 連帯挨拶は「教科書ネット21」から東本久子さんが教育基本法改悪阻止に向けた共同を訴え、「陸海空港湾労組二〇団体」から内田妙子航空連議長はこの間の有事法制阻止闘争の成果をさらに廃案に向けて発展させることを訴えた。「ピースボート」のチョウ美樹共同代表はこの間の市民レベルの外交活動の意義について実践的な報告、「孫の世代の戦争責任って…実行委員会」の狐塚克之さんは、若者の平和への取り組みの紹介、「全国労働組合連絡協議会」の藤崎良三議長は労働運動と市民運動の連携の重要さを強調、「日本YWCA」から俣野尚子さんは各地で手作りの平和運動を展開している報告であった。
 「グループ多摩じまん」の人びとによる音楽と詩の構成「臆病こそ勇気」の」の上演は多くの参加者の感動を呼んだ。
 集会アピール採択と閉会挨拶は日本山妙法寺の僧侶から力強く行われた。

11・3憲法集会での発言要旨 (文責・編集部)

韓国で考えた日本の有事法制…憲法調査会中間報告にもふれて…    水島朝穂

 今週は韓国にいた。
 韓国軍の大佐が言った。「われわれの国防報告は二〇〇〇年までは主要な敵は北朝鮮だったが〇一年からそれを削除した」と。私が「日本の有事法制は北朝鮮のゲリラ・コマンドで日本海側の原発が破壊されるから必要だという議論がある」と話をしたら、「それは何の根拠があるのか」と逆に質問された。「自分たちは北朝鮮の対南工作の能力は統計上落ちていると見ている」という。韓国軍ですらそう言う。
 三八度線は日本で考えているような緊張にあふれるものではなかった。しかし、それは平和というのでもない。ソウル大学の北朝鮮問題の専門家の先生は、「これまでは全面的対決だった。現在は制限的対決だ。制限的相互依存だ。それを全面的相互依存の段階にすることがカギだ」と言った。相互依存は貿易、文化交流、スポーツ交流などのことだ。韓国軍の大佐もそういう認識だった。「われわれは北を軽視しない。しかし、三八度線の四七キロ南にソウルがある。戦争が始まったらわれわれが五〇数年かけてつくりあげた繁栄が一挙に失われる。だから戦争は絶対にしてはならない」という。そして「三八度線の十二キロ南に巨大な工業団地を建設中である。もし戦争を想定していたらこういう工業団地は作らないだろう」と。
 ここには現実主義的な考え方がある。
 衆議院の憲法調査会の中山会長のまえがきでは、カネと時間と労力をかけ大名旅行的比較憲法論をやった報告がある。「世界の憲法見て歩き」をやってきた。「どこの国でも憲法改正が行なわれている。その結果、憲法改正は国際的常識だ」と。これはカネをかけて見てこなくてもわかる。なぜ日本は一度も憲法改正が行なわれていないのかという問題意識から各国ごとの事情を調べるべきだが、そのまなざしはゼロ。憲法改正の作法がなっていない。一国の憲法を変えるという問題が提起される時には、それなりの準備と環境と段取りが必要だ。それがない。まず最初に憲法改正ありきの議論が進んでいる。憲法を変えるのであれば、なぜそれが必要か、その証明責任をはたしていない。
 憲法九条と自衛隊がぶつかっている、現実と規範の違いがある。あたりまえ
だ。最初からわかりきっている。五〇年八月にすでに現実と規範はぶつかっている。現在の改憲派の問題はこれを正面から軍隊といえない、これをすっきりとさせたいということだ。これは一方通行の憲法論議だ。
 私は永遠の憲法改正反対論者ではない。端的に言えば「真の改正」論者だ。とくに第一章はそうだ。しかし、そのかぎりで言えば第一章の議論も現在はすべきではないと思う。憲法改正の環境と作法がないもとでそういう議論はできない。国民の中から本当に切実に憲法を変えろという議論が起こってきたら、私は耳を傾ける。
憲法を変えるのは主権者だ。いま変えたいといっているのは権力者だ。憲法は権力者をしばるためにこそある。権力者が変えたいといっているときには信用するなというのが、アメリカ第三代大統領のジェファーソンの言葉だ。これはあたり前の立憲主義を言っているにすぎない。
 重点は憲法九条といわれたが、まさにそのとおり。その他は「だし」だ。憲法
は「出だし」でおしつけだったなどということはわかっている。しかし、それがどういう思いと準備で作られたのか。日本国憲法は二回翻訳された。最初は日本国内にあった民間の憲法草案をGHQの民生局が英文に翻訳し、それをもとにつくった英文を日本語になおした。憲法の源流には植木枝盛以来の日本の民主主義と、戦後の日本の民主主義と知性の憲法への熱い思いが生きている。これを押しつけと言う没主体性を問いたい。
 日本国憲法の弱点とされる部分はいまから見ると弱点ではない。
 「北朝鮮から攻められたらどうなるか」ということではなく、「もし攻めてしまったらどうなるか」が問題だ。
 この有事法制は決して防衛型ではなく、有事挑発型だ。この過剰な対応は韓国の太陽政策を促進することにはならないということを韓国軍の大佐が言った。「かつての独裁政権が過剰に北の脅威を煽った」と。「冷静なまなざしが足りない」ともいった。「安全第一、自由がほろぶ」だ。絶対の安全はありえない。絶対の安全を要求するのは原発の中だ。テロの問題でも、国家間の問題でも、社会の問題でも、根絶するというのではなく、乾していく、テロをできなくすることが大切だ。太陽政策型だ。
 全欧安保協力機構のような枠組みをどうやって北東アジアにつくっていくか。相手も入れてしまうというやり方がいちばん、安全だ。これに気づくべきだ。
 あるシンポジウムで韓国の学生が言った。憲法改正がされそうだとか、危ないというが、ペットボトルのジュースが半分残っている時、「ああ半分もなくなった」と見るか、「まだ半分も残っている」と見るか、の問題だ。まだ日本は憲法が改悪されていないじゃないかと言った。憲法調査会の中間報告がでたことについて、これはやばいという危機感はもちろん必要だ。その結果、アナウンス効果としては改正に向かっている。しかし、まだ憲法は改正されていない。楽観せず、前に向かいたいと思う。

拉致報道の洪水から何が見えるか     
新崎盛暉

 私は小泉訪朝の発表には意表を衝かれた思いがした。そして北朝鮮が拉致を認め、謝罪した九月一七日の首脳会談、ほとんど日本側の主張にそった平壌宣言の内容にもおどろかされた。しかし、ある意味では小泉訪朝に納得がいった。水面下である程度北朝鮮の出方がわかっていたとすれば、八方ふさがりの小泉政権の支持率浮揚策として格好のパフォーマンスたりえたからだ。それは日朝国交正常化を実現しようとする熱意とは別のところにあった。そのとおり支持率はあがった。日朝首脳会談はアメリカの軍事的威嚇と経済の困窮から抜け出そうとする金正日政権とその場しのぎの小泉政権の思惑の一致から生まれたといえるだろう。しかし、そうではあっても日朝平壌宣言はアジアにおける平和創造の重要なきっかけとなりうるし、そうしなければならないと思う。
 この平壌宣言、日朝会談は植民地支配から拉致問題にいたる日朝間の不幸な過去を清算する第一歩として、一昨年六月の南北首脳会談にも匹敵する歴史的な意味を持つと思う。またそうしなければならないと思った。会談の前から日朝交渉の中心には拉致問題が置かれていた。いうまでもないことだが、いわれもなく国際的な犯罪に巻き込まれた当事者たちの怒りや悲しみは言語に絶するものがあるだろうし、いまなおすべてがあきらかになったとは言えないということについても同感だ。しかし私はいち早く強調しておかなくてはならないと思ったのは、たとえば従軍慰安婦、強制連行のような国家的犯罪の犠牲者にも思いを馳せなくてはならない。これは拉致の問題の残酷さを思えば思うほど反射的にそうならなければならないと考えた。そしてこうした犯罪を生んだ国家間の異常な敵対関係を克服し、不幸な過去を清算しなければならないと思った。
 しかし、平壌宣言は韓国の先例にならう経済協力方式を明記している。これはふたたび相手の弱みに付け込んだやり方だと思う。
 拉致報道の洪水がなぜ起こったのか。たとえば朝日新聞の新聞論調や会談直後の世論調査はどちらかといえばある意味では冷静に問題をとらえていた。しかし、日がたつにつれて、拉致被害者への同情を政治的に利用しつつ、「反北朝鮮」というのがあおられていく。それは従来から反北朝鮮と言ってきた人たちだけがかなきり声をあげているだけではなく、「良識的な知識人」などの中から出てきている。
 拉致疑惑というのは「かぎりなく黒に近い灰色」ととらえる人はかなり多かったと思う。しかし、そういう人たちがこれを人権問題として純粋にとらえられなかったために、結局、孤立した被害者家族は反北朝鮮団体に取り込まれてしまった。こういうメカニズムがあった。 政府はむしろはじめからこの問題と過去の清算の相殺を意図していた。そのことは韓国の新聞が「日本の拉致逆風を警戒する」という社説を掲げて、拉致事件への憤怒は理解できるが、それが植民地支配の清算と経済協力を切り下げる材料にしてはならない、東アジアの安定を実現するよう小泉首相の政治力を求めると主張していた。
 何のために拉致、拉致と言っているのか、それはたいへんな国家犯罪であり、被害者にとってはたいへんな人権問題ではあるが、それを一面的に政治利用している政治風潮があって、それが有事法制などとストレートに結びついている。言葉としては何も結びついていないけれども、だからこそ私はこの集会でこの問題をとりあげなくてはならないと思ったのだ。
 日朝国交正常化は日本にとっては必要ではなく、北朝鮮にとって必要なんだという論調が強まっている。もともと何のために国交正常化が必要になったのか、植民地支配の清算がまだ済んでいないからだ。しかも戦後も一貫して敵対関係を作り、拉致問題にしても七〇年代から八〇年代にいたる時期、韓国における軍事独裁政権と北側がものすごい謀略合戦や相互浸透をしていた時期だ。これにまきこまれたのだ。その結果、一般国民が犠牲になった。
 日朝国交正常化というのは北朝鮮を変える、それも弱みにつけ込んで北を変えるかのように言われているが、大切なことは同時に日本が変わることだ。それが日本の主体的課題であるにもかかわらず、北朝鮮は地獄であるという宣伝だけをやっている。北は独裁者に支配されている飢餓の国、地獄のような北朝鮮と書きまくっている時に、新聞記者たちはちょっとでも日本のことを考えたことがあるのか。たぶん、自由な天国のような日本というのが無意識下になければああいうものは書けないのではないか。その頂点にあるのがあのキム・ヘギョンさんへのこころない質問をあびせたインタビューだと思う。問題は人権感覚のなさ、日本中心主義、新聞記者たちがそうなっていることの恐ろしさだ。
 当面は時間的にも空間的にも視野を広げて、人権感覚を研く努力をする以外にないと思う。その時に重要なのは、植民地支配から原爆投下まで、トルーマンからクリントンにいたるまで、原爆投下も国家犯罪なのにアメリカはそれを認めず、正当化している。そういう国家犯罪を追及しつづけるところからしか未来は開けない。拉致と植民地支配は違うというように、いろんなものをばらばらに分解するのではなく、国家あるいは国家の異常な関係が何を生み出して、一般の民衆にどういう被害を与えるか、それを反省する材料だ。
 被害者家族の問題についていえることは自由往来の保証、その最大の便宜を供与すること、その中でゆっくりとそれぞれが自分たちの将来を決定していく、それ以外にはありえない。


第十三回広島県労協定期総会

        
闘うまともな労働運動をめざして
    
 十月十八日、午後六時半から、「第十三回広島県労働組合連絡協議会〔県労協〕定期総会」が、広島市のインテリジェントホテルで開催された。
 県労協の柱である「労働者の権利確立、闘うまともな労働運動を」をスローガンに春闘、メーデ―、護憲、平和の闘いを総括し、向こう一年間の新たな方針をどう打ち立てていくのかを決める重要なこの定期総会に、県内傘下労組の組合員が百名参加した。
 総会の開会後、早速議長団が選出され、池上県労協議長があいさつした。来賓には、前田大阪全労協議長、安保新社会党県本部副委員長が駆けつけ、定期総会に力強いエールを送った。
 経過報告では、長期化する経済状況の中で二万件を越える企業倒産、五・四%の失業率、三百六十万の失業者、さらには行革、規制緩和、大リストラの攻撃の中での闘いとなった○二春闘の総括や、県内二ヶ所での労働相談の取り組み、ナショナルセンターの枠を超えた取り組みとなったメーデーの成果、護憲、平和、有事法制反対の取り組みとしてピースサイクルの行動が報告された。
 方針提案として、春闘勝利に向けた県労協春闘総決起集会の成功、郵政事業の公社化検証と民営化阻止に向けての取り組み、未組織労働者の組織化拡大等を満場一致で確認した。
 質疑の中で、まともな闘う労働運動を進めている県労協にぜひ加わりたいと決意したオブザーバー参加のスクラムユニオンの土屋委員長が、闘争報告を熱く語り総会は一段と盛り上がった。
 最後に総会宣言を参加者の大きな拍手で採択し、議長の団結がんばろうで総会を終了した。(広島通信員)


労働者独自の文化のために 日本で初のレーバーフェスタが成功

 一一月四日、東京・中野ゼロの小ホール(公民館)で「レイバーフェスタ二〇〇二 ◆あなたにパンとバラを◆ 「労働」を観よう・聴こう・話そう」が開かれ、五〇〇人が参加した。
 レイバーフェスタ(労働祭)の運動は、映画や音楽などを通じて、身近な「労働」「生活」を見つめなおす、働く人々のお祭りで、アメリカ・韓国などでは毎年開催されているもので、労働者の文化を受け継ぎ、発展させ、資本の統合攻撃に対抗して、労働者独自の世界を形づくってきた。それは、労働者の生活・権利の確立にむけた闘いにおける重要な構成部分となり、労働者の団結と労働運動の前進を促進している。
 日本で初めての試みだ。
 全港湾書記長でフェスタ実行委員長の伊藤彰信さんの開会あいさつでフェスタははじまった。
 第一部は、映像メッセージ「アナタの仕事・ワタシの権利」。これは公募で集まった三分間のビデオ二〇本が一挙上映された。出品されたのは、「がんばれサンヒョン〜日本の教師の仕事」「衝撃! 税金のムダ使いバイト」「アルミ缶集めという『仕事』〜路上で生き抜くため」「アタシのバイト」「はじめてってのはいつも」「がんばってます東部労組」「女性ユニオン・紙芝居をつくりました」「郵政4・28処分 判決に日」「解雇者が総結集 霞が関大行動」「『人らしく生きよう』上映運動の記録」「国労闘争団日記」「戦時下の映画からみえてくるもの」「サンフランシスコ・レーバーフェスタ」「韓国レーバーフェスタ」「レーバーボイセズ レーバーテック」「もう一つの世界は可能だ〜世界社会フォーラム二〇〇〇二レポート」「日韓生コン労働者共同行動実行委員会・闘いは国境を越えて」「もう一つのミョンドン・韓国病院労組で起きていること」「韓国労働ニュース団・韓国鉄道労働者ゼネスト」「ドックでの闘い」で、それぞれ短い時間だが、労働者の生活と闘いが印象的にアピールされた。
 第二部の闘いから生まれた歌・レーバーライブでは、グループ自由の木、生田卍とSOSO、沖電気争議を闘う田中哲朗さん、ノレの会などが熱演した。
 第三部は「魅力ある労働運動」と題され、、はじめに劣悪な労働条件で働く移民労働者の組合結成と闘いを描く映画「ブレッド&ローズ」が上映された。パンは生活・雇用、バラは尊厳・誇りを意味し、権利をかち取っていく過程が感動的に描かれている(本紙四面に関連記事)。
 そして、第三部の後半の「あなたにパンとバラを」シンポジウムでは、映画のモデルになったアメリカ・ビル清掃労働者を特別ゲストに迎えて「魅力ある労働運動」をいかにつくっていくかをテーマにディスカッションが行われた。映画の舞台になったのはロスアンゼルスで、そこのビル清掃労働者で全米サービス従業員組合(SEIU)の支部役員ビクター・ラメレスさんは、ペルーからのアメリカ移民である自分が労働組合に入り、いかにして活動家になったかの経過を報告した。ラメレスさんが、日本の労働者に強調したいことは、団結してこそ勝利できること、闘いは生活のためであるとともに尊厳のためであること、そして前進は可能であること信じることだと述べた。またサンフランシスコのレイバー・ビデオのスティーブ・ゼルツアーさんと鳥居和美さんが「レーバーネット米国」の活動について報告した。
「レーバーフェスタ」は成功し、来年はもっと大きな規模で取り組もうという雰囲気にみちたものとなった。


国労定期全国大会(一一月二四〜二五日)

     四党合意の破産を認め、闘う方針の再確立を

四党合意は完全に破綻

 国労定期全国大会は、一一月二四〜二五日に開催される。
通常は八月に開かれるべきものが、国労本部の進めてきた「四党合意」路線の破綻が明らかになる中で遅れに遅れたものである。四党合意は、何の見返りもなしに、JRに法的責任なしとし、一〇四七名の解雇撤回・地元JR復帰をめざす一五年にわたる闘争を敗北させるものであり、闘う闘争団と支援の国労組合員、広範な労働者が反対しているものである。
国労本部は、四党合意についてさまざまな幻想をふりまくとともに、闘う闘争団員を国労から除名してまで、政府・与党に追随し、そのことによってJRにおける自らの御用組合官僚としての生き残りを狙っているのである。
 四党合意の破綻は今や完全に明かとなった。
 しかし、国労本部は依然としてその路線的破綻を認めず、全国大会で、「採用差別事件の解決案を討議し、批准する」と言っている。
 だが、社民党を通じた政府との話し合いは、すでに一年以上も止まったままであり、大会で討議し決定するとしている解決案は影も形もない。また、自民党・政府は鉄建公団訴訟を取り下げることを解決案提出の前提条件としているが、鉄建公団訴訟はより広い闘う陣形をつくり出しながら進められている。そして、鉄建公団訴訟原告団への統制処分を全国大会に提起するとしてきたが、そのための査問委員会での「当事者の意見の聴取」すら行われていないのである。
 このように四党合意路線は完全に行き詰まり、国労本部は立ち往生状態となっている。
 今回の国労大会の課題は、四党合意を推し進めてきた路線の完全な破綻を認め、新たな闘う方針の確立・闘う執行部の選出する以外にはない。

鉄建公団訴訟の意義

 国労本部が四党合意のレールの上を走っている今日の段階で、鉄建公団訴訟闘争の意義が大きい。国鉄の承継法人は清算事業団であり、いまそれは鉄建公団に承継された。国家的不当労働行為は、現在の段階は鉄建公団がその相手となった。鉄建公団訴訟は、「門前払いされる」などという国労本部やその仲間たちの妨害をはねのけて九月二六日に第一回口頭弁論が行われた。そして、横浜人材活用センター事件での横浜地裁判決では、鉄建公団との雇用関係が確認された。これは鉄建公団訴訟に大きな法的理論的根拠があることをしめすものとなった。
 現在、四党合意に賛成したりなんらかの幻想を持っていた闘争団やJR内国労組合員の中からも、四党合意はやっぱり駄目なのではないかという気運が広がっている。
 国労大会では、鉄建公団訴訟を国労全体としての闘う方針を決定しなければならない。

国労に闘う旗を

 国労本部は、運動方針第一次草案で、方針案は「大会直近の状況によって、変更もありうる」しているが、それは、あたかも大会までに解決案が出るかの様なことを言って幻想を与えるとともに、四党合意破綻が公然化した場合に、大会当日に「追加方針」を出し、より悪質な右転換をはかり、なりふりかまわず、国労組織の解体・JR連合への合流の方針を強行する可能性も考えているのであろう。しかし、その方向は許されない破滅への道である。
 国労が闘う旗を掲げ直すことは、国家的不当労働行為をゆるさず「解雇撤回・JR復帰」の原則的な路線に復帰することであり、JR職場での差別・労働条件悪化に抗する闘いであるだけでなく、小泉構造改革攻撃の激化の中で、闘う労働運動の再建前進に積極的な影響を与えるものとなる。
 全国の労働者・労働組合は、闘う闘争団、良心的な国労組合員の四党合意反対の闘いを断固として支援しよう。
 国労大会での四党合意路線との決別、闘う方針・闘い執行部の確立を実現しよう。


希望をグローバル化するために、闘いをグローバル化しよう

        ジョゼ・ボベさんの講演(10・29)

 十月二九日、東京・文京区民センターで、「ジョゼ・ボベさんと大いに語る東京集会」(主催:ジョゼ・ボベさんを招く会、ATTACジャパン)が開かれ、六〇〇を超す人びとが参加した。昨年設立されたATTACジャパンは、日本での全国的な反グローバル化運動を作り上げていくためにジョゼ・ボベさんを日本に招いた。
 ジョゼ・ボベさんはフランス農民運動の指導者であり、全世界での反グローバリゼーション運動のシンボル的活動家である。ボベさんは、「マクドナルド店解体」で有名だが、遺伝子組み換え作物(GMO)やWTO反対運動では常に行動の先頭に立って闘っている。ボベさんは遺伝子組み替え作物反対闘争で罰金と懲役の判決がでていて、一一月下旬には下獄するという情況の中で来日した。
 集会では、北海道農民連盟、食糧センタービジョン21、山谷争議団などのあいさつがあり、ボベさんが講演を行った。講演が終わってからは再び運動団体のあいさつとなり、「ASEED JAPAN」、アジア平和連合(APA)、移住労働者、電通労組などからの発言があった。

ジョゼ・ボベさんの講演

 日本の農業の抱えている問題は世界の直面しているのと同一だ。同じ帰結は同じ原因によってもたらされている。農民を土地から追い出し、食品の質を悪化させ、環境を悪化させること、これらはWTO(世界貿易機関)によるものだ。農民による農業を破壊してアグリビジネスに道を開く政策だ。国境を開き、必要もないのに食糧を輸入させようとしている。それはひとにぎりの食糧輸出国・アグリビジネスたちの利益のためだ。関税障壁を下げ、各国がそれぞれの農業を支えることをやらせないようにしている。こうした動きは、一九八六年のガット・ウルグアイラウンドで枠組みを決められ、WTOの設立によって加速された。アメリカは環境保護の名目で農業への補助金を七〇%も増やしておきながら、同時に他の国々に対しては補助金を減らせ、関税障壁を下げろと要求している
 アメリカの動きは地球に対する支配であり、また輸出の偽装された形態である食糧援助という形でも行われている。
 こうしたシステムを変えなければならない。いま、食糧主権という考え方が必要だ。これはすべての民族にとり基本的な権利だ。WTOは自国の食糧で自国を養うのを妨げ、大部分の農民を消滅させて、ひとにぎりのアグリビジネスに食糧生産を任せようとしている。この政策は地球という星にとって自殺行為だ。
 中国がWTOに加盟したが、これはこれから二億五千万人が離農するということを意味する。すでに一億八千万人が住むところもなくさまよっている状況にある。
 農民は、WTOが農業から出ていかなけばならないという問題でそれぞれの政府を議論に引き込まなければならない。しかし、フランスでも日本でも、市民がWTOに発言権を持っていない。自由貿易のルールが強制的に押しつけられているのに、われわれには選択権がない。議員も発言権がない。政府だけで決めているのだ。
 農民を襲うこの論理は、賃金労働者に関しても同じだ。
 現在の支配的なものは規制緩和の論理だ。これは弱者をいっそう弱くするもので、社会的弱者を増やすものだ。WTOは一九九五年に設立されたが、格差の拡大と資本の集中が急速に進んだ。世界で最も豊かな三人の収入は、最貧国四〇カ国・六億人のそれを上回っている。
 社会的な均衡だけでなく、人類共通の資産が危機にさらされている。たとえば水がそうだ。石油燃料の浪費、大気・土壌の汚染によって汚染されていない水が商品化されるようになっている。
 生物多様性の破壊という問題は最終段階に入っている。遺伝子(ゲノム)の私物化が進み、人ゲノムを操作しての薬品開発が行われている。遺伝子組み替え作物の拒否は世界共通の闘いだ。遺伝子組み替え作物の反対することは権利ではなく、義務である。日本のみなさんは米遺伝子組み替えを阻止することを、場合によっては違法な手段を使ってもそうするべきだ。
 最後に私は、私も属している国際的な農民組織「農民の道」のスローガンを紹介したい。「希望をグローバル化するために闘いをグローバル化しよう」。


衆議院憲法調査会中間報告 明文改憲目指して橋頭堡

 衆議院憲法調査会(中山太郎会長)は十一月一日、「中間報告書」を綿貫民輔衆議院議長に提出した。これに先立って同日午後、憲法調査会が開催され、各党の委員が中間報告提出の是非をめぐって意見を述べた。
 会議の冒頭に中山会長が「中間報告書」の主旨及び内容について説明した。その中では@制定経緯の評価は別としても一連の客観的な歴史的事実については共通認識が得られた、A海外調査をしたいずれの国でも随時、憲法改定が行なわれている、などの指摘があった。
 この一点目は、ためにする議論をのぞけば歴史的事実についての共通認識などは当然のことで、問題はその評価にあるはずだし、二点目にいたっては、わざわざ莫大な税金を使って国会議員が海外にいかなければわからないことではない。「論議もした、地方公聴会もやった、海外調査だってやった」という、形式的な既成事実づくりのみをねらう運営に走っている憲法調査会の実態を露呈している発言だ。
 「中間報告」は全文七〇六頁に及ぶ膨大なもので、内容は四編構成で、特に委
員や参考人の発言から憲法の条章ごとに論点を採取・分類した第三編第三章が中核になっている。ここではとりわけ第九条問題に特別のスペースが割かれ、「参考人や委員の意見には九条改憲論が多かった」という「事実」を主張するような編集になっている。
 憲法調査会の構成や運営では、おおよそ政党の議席数にしたがって委員が割り当てられ、参考人もそうした力学から招かれるのであり、結果として与党などの改憲派の立場からの発言が多くなる。それを「公平」に採録すれば「改憲」の立場からの意見が多くなるのは必然だ。「中間報告」は客観性を装いながら、実はこのようにして「はじめに改憲ありき」の立場から作られている。
 この「中間報告」の提出に賛成したのは与党各党と民主党と自由党で、反対したのは共産党と社民党だった。
 賛成意見は概ね「報告は客観的な提起で、国民の間における今後の憲法論議の活発化に貢献できる」(保岡興治・自民)というようなもの。反対意見は「本来、憲法調査の最初に行なわれるべき『憲法の持つ理念、原則が現実の政治の中でどのように活かされ、実践されているのか。現実の政治との乖離はないのか、あるとしたらその原因は何か』について、いまだに調査されていない。日程の折り返し点にきたから中間報告を作るというのは妥当ではない。運営もほとんどが参考人質疑のみで、テーマに即して委員が意見を述べる機会はほとんどない。中間報告書のまとめ方は恣意的なキーワードの設定にしたがって各委員や参考人の意見を細切れにし、貼りつけたものにすぎない。そのことで意見が曲解されている部分すらある」(金子哲夫・社民、春名眞章・共産)などだ。金子委員らのこの指摘はまったく正当な批判だ。
 各党の代表が短時間、意見を述べたあと、起立採決が行なわれた。直前の党大
会で「加憲」論なる改憲論を採択した公明党はさておき、民主党が憲法の理念を擁護する発言をしてきた委員たちも含めて全員が「中間報告」に賛成したことには注目しておく必要がある。この辺が民主党「護憲派」の限界だろうか。
 今回の「中間報告」は国会における民主主義の在り方について、大きな禍根を残した。相手の意見に耳を傾けず、最初から自分の所属する政党の立場と見解を押し通すのであれば、議論はいらない。事実、憲法調査会の議論はあまりにも貧弱だ。にもかかわらず、「はじめに改憲ありき」の立場から作られた中間報告を採決に付すのは民主主義の自殺行為だと言わねばならない。
 改憲派の委員たちの中からは「今後は集約をめざすべきだ」(井上喜一・保守)とか、「タブーのない論議で国民による憲法の作成を」(保岡興治・自民)などという声があがった。今回の「中間報告」は憲法改定にむけた改憲派の橋頭堡にされるだろう。
 中山会長はこの「中間報告」の提出に先立ってひんぱんにマスコミに登場し、
調査会設置期間の残り二年余を目処に審議をすすめ、最後はかつての内閣憲法調査会のような「護憲・改憲の両論併記」などではなく、採決して最終報告書を提出する、そのうえで憲法調査会を議案提出権のある「憲法改正常任委員会」に改組するという構想を語っている。
 十二月九日には福岡市で第六回目の衆議院憲法調査会地方公聴会が開かれる。全国十一ブロックで開催するという公聴会も、着々と「実績」が積み上げられている。憲法改悪を許さない闘いの更なる強化が求められている。


映画 

      
ブレッド&ローズ(ケン・ローチ監督作品)

  
実話をもとに、組合づくりと勝利の映像 惜しまれる固定的な男女の人物像

 「声を出すな!」「走れ!」。緑の木々と山肌が流れ、十人ほどの男女がわずかな荷物のリュックを背にして転げるように走りつづける。メキシコ国境からアメリカ合衆国への密入国だ。
 米国の町に着いたバンからつぎつぎと越境者が飛び出してくる。身寄りの者が準備した金を数える手配師から自由になり、密入国したメキシコ人は一人ひとり町に消え去る。最
後に残されたマヤは、姉の準備した金が僅かに不足していたために、手配師に連れ去られ、強姦されそうになる。その場を逃れようと必死のマヤは、手配師を騙し、逆にホテルの部屋に鍵を掛けて閉じ込め姉のもとに逃れる。
 米国国籍を取得し、夫と十代の娘が二人いる姉の家族とともにマヤはロサンゼルスで暮らし始める。マヤのありついた仕事は酒場のホステス。マヤはパートのビル清掃員として働く姉に、同じ仕事を紹介してくれるよう頼むが難しい。姉の努力もあってようやく清掃員の職にありつく。
 慣れない仕事にまごつきながら働くある日、ビルの幹部に追いかけられている男に頼まれ、清掃用具の中に男をかくまい、逃してやる。しばらくして男はマヤたちの住む家を訪ねてくる。その男、サムは労働組合のオルグだった。しかし姉はサムの話には一切耳を貸さない。サムはマヤに連絡先を書いたカードを渡す。
 パートの清掃員の仕事はきつく、一寸した遅刻や失敗でも、妊娠していても、病気の家族がいようとも容赦なく首を切られる。こんな労働現場に悩み、マヤはサムからもらったカードでサムを訪ねる。労働組合の組織化が始まる。
 組合の結成はロサンゼルスの他の清掃労働者から大いに歓迎され、賃上げと労働条件向上のための闘いが続く。町で最大のビルの前での抗議行動、ストライキ、市内デモ、ビル所有者への説得とマスコミを利用した宣伝など、戦術は多彩に展開される。
 こうした中で、始めからマヤに好意をよせていた同僚が、弁護士になるために闘いを離れようとする。また、組合潰しのビル管理者への協力者が姉であったことにマヤはショックを受ける。姉をなじるマヤに、姉から返ってきた言葉はさらに厳しい現実だった。それでもマヤは闘争にもどる。闘争の中で大量の組合員が逮捕されてしまうが、最終的に勝利し、逮捕者は全員、監獄からだされる。
 しかし、ひとりマヤはメキシコに送還されることになる。それはマヤがガソリンスタンドの店主を騙し、レジから金を盗んだことが警察に分かったからだ。あの弁護士志望の同僚が、わずか二百ドル足らずのカネが不足して奨学金が受けられないと知ったマヤの犯行だった。マヤはサムや組合員と思いを込めて別れの手を振る。遠くから見ていた姉はマヤの乗ったバスを追って走りつづける。 

 東京ではこの秋、「ブレッド&ローズ」はすでにいくつかの映画館で上映されてきた。またユニオン系統の労働組合が組合員を特別招待したことなどでも話題になっている。二〇〇〇年にアメリカを中心に上映された。
 ケン・ローチ監督といえばスペインの解放闘争を題材とした「大地と自由」や、イギリスの港湾労働者の闘いを描いた「ピケをこえなかった男たち」を思い起こす人も多いだろう。
 今回の作品も、米国労働運動の特徴を感じさせながら、観る者に元気を与える。アメリカ社会の人種と階層・鋏状の経済構造などもよくわかる。
 しかし、観ていてだんだんと違和感が大きくなってきた。なぜ、白人オルグのサムとそれに好意をよせていくマヤ、という、お決まりの男女のパターンが必要なんだろう。恋愛物語がなくたって労働運動を組織し、闘い続けなければならない社会的条件は作品の中に描けているのではないか。それに指導者がなぜ男性なのか。サムとともに行動するオルグの女性がサムの位置にとって代わっても少しも不思議ではない。
 女性の労働運動への主体的な参加が、運動の質と展望を生み出しつつある。ケン・ローチ監督には、こうした要素も望みたいものだ。(Y・Y)


複眼単眼

    
ガマンならない国家による  拉致の泥試合

 時代が大きく動いている。ここに書かねばならないこと、書きたいことがやたらと多くなって、間に合わない。
 米国の中間選挙は与党共和党が上下両院で過半数を占める勝利をおさめた。「米国はイラクを制裁する。国連がやらないなら、単独でもやる」と絶叫するブッシュに米国民は支持を与えた。日本でも米国の民主主義への憧憬は知識人などの間に根強いが、昨今のかの国を見ていると、底が割れた思いがする。
 しかし、日本の選挙もそんなものだからあまり言われないのかも知れないが、この中間選挙の投票率は三九%程度だ。共和党とブッシュ大統領は、ようやくその過半数、全有権者の二割弱を確保したにすぎない。これでイラク戦争への信任だというのだ。
 さて日本では長期の経済停滞の深刻さが、民衆の生活を直撃している中で、完全失業者は三六五万人(五・四%)と統計数字の高原状態がつづいている。一口に三六五万人というが、その一人ひとりに生活がある、生身の人間だ。このことだけでも政府の罪状は重大だ。
 なのに小泉首相は人の痛みもしらない竹中などという学者閣僚に経済政策を丸投げしたまま。不良債権問題を解決するというが、その結果、さらに離職に追い込まれる六〇万人とも、一六五万人とも言われる労働者の問題はどうするのか。何も考えていない。「改革には痛みが伴う」というばかりだ。
 「痛みに堪えて頑張った!」などと小泉が絶賛した大相撲の横綱貴乃花はどうなったか。先場所は一年ぶりに土俵にあがったが、また傷をぶり返してしまった。痛みに堪えて無理をした彼は再起不能になりかねない。
 話が脱線してしまったが、痛みを知らない奴が、簡単に他人の痛みを煽り立てるなと言いたいのだ。
 その人びとの不満を北朝鮮の拉致キャンペーンで解消するなどということを、わずかでも考えているとしたら許せない。拉致報道の洪水のなかで、帰国した五人の被害者たちは翻弄されている。胸につけた金正日のバッチと、家族の会の青いリボンがどんなに重たいか。被害者たちは北朝鮮と 日本のふたつの国家の間の外交戦の道具にされている。
 あきらかに政府や報道の連中は「北が洗脳で思想を刷り込んだのだから、今度は日本が洗脳する番だ」と考えている。日本国家が「北には帰さない」とか「子
どもを呼び寄せる」とかいうことが、おかしいことではないかという疑問すら報道にはでてこない。「子どもを連れ戻す」というがほんとうに子どもの人権などは考えられていない。いまあの家族たちは本当はどんな思いでいるのか。
 拉致問題の解決は必要だ、しかし、いま米国のイラク戦争キャンペーンと似て、北朝鮮をたたけばたたくほど政府への支持があがると踏んで、他民族への蔑視と排外主義が横行している。北は悪いのだから何をやってもよいという風潮がこの国の報道をおおっている。日本が何十万人もの朝鮮人を拉致してきた歴史が今日なおつづいていることが、メディアにも政府や政治家の口からもでてこない、この状況は何なんだ。拉致と強制連行を相殺してはならないなどは当たり前だ。国家の歴史的犯罪としてともに解決しなければならないのだ。にも関わらず曽我ひとみさんをはじめ五人の被害者とその子どもたちを、また国家が力を使ってその人権を蹂躙しようとしている。(T)