人民新報 ・ 第1083号<統合176号> (2003年1月15日)
目次
● 米国のイラク攻撃と小泉内閣の加担・参戦を止めよう
1・18 イラク反戦国際共同行動に全国で呼応し、起ち上がろう
● 2003年 社会主義と民衆運動の世紀の創造にむけて、団結して、ともに前進しよう
石渡博明(安藤昌益の会事務局長、海技協労委員長) / 中北龍太郎(弁護士、関西共同行動代表) / 樋口篤三(協同社会研究会) / 前田裕晤(大阪全労協) / 増山太助 / 降旗節雄 / 柳田 真(たんぽぽ舎) / 吉岡徳次(全港湾労組顧問)
● 労働委員会を本来の労組・労働者の救済機関へ 労働委員会サポートセンター結成
● 徹底検証・憲法調査会『改憲・護憲何が問題か』 (高田健著)を読む - 内田雅敏
(弁護士)
● 外国人労働者の働く権利を守るために! 広島県呉市で集会
● 映画 たそがれ清兵衛
● せんりゅう ゝ史
● 複眼単眼 / 超高層ビル群とゴーストタウン
● 年末カンパのお礼 ( 労働者社会主義同盟中央委員会 )
米国のイラク攻撃と小泉内閣の加担・参戦を止めよう
1・18 イラク反戦国際共同行動に全国で呼応し、起ち上がろう
一月二十日から第一五六通常国会が始まる。この国会をめぐる政治闘争は、二十一世紀前半の日本の進路を決定づけるであろうきわめて重要な分岐点になるに違いない。一・一八、一・二〇の連続行動を成功させ、これを契機に反戦運動と世論の高揚を闘いとろう。
もはや「戦時」に入りつつある日本
アメリカのブッシュ政権は戦争の回避を願う国際世論に背を向け、「国連決議」や「イラクの査察受け入れ」などすら無視して、横暴にもイラクに対する全面的な攻撃の準備をすすめている。早ければ一月末から二月にもイラク攻撃の火蓋がきられるという説がもっぱらだ。中東を中心とする国際情勢は極度に緊迫の度を高めている。
そして許しがたいことに、小泉内閣がこのブッシュの危険な戦争政策に積極的に追随、加担し、参戦しつつあるのだ。
最近、イラク政府の当局者は、このような戦争協力政策を進める日本政府をして、米国、英国に次ぐ三番めの敵になったと発言した。
一昨年のアフガン戦争の開始を契機に強行された「対テロ特別措置法」の制定により、自衛隊の艦隊がインド洋・アラビア海に出動し、昨年末には憲法に公然と違反する「集団的自衛権」の行使にあたるイージスシステムを搭載した護衛艦「きりしま」まで現地に派遣した。これらの軍艦はアフガンやイラクに出動する米英軍などへの燃料の補給など兵たん活動を行なっている。加えてイージス艦は米軍とのテータリンクシステムによって情報を共有し、軍事作戦に参加している。
そればかりか、アラビア海の戦場ではすでに石川島播磨重工業など軍需産業の民間労働者が自衛艦の補修などの業務についている。これはまさに小泉内閣がこの一五六通常国会での成立を狙っている「有事立法」による「国民総動員」体制の先取りといってよい。
こうした事態は、日本がもはや「戦後」でも「平時」でもなく、また「新たな戦前」ですらなく、言葉の真の意味で「戦時」にはいったとみなければならない。
この国会では米国の対イラク戦争に協力するために、「テロ特措法」「PKO法」「自衛隊法」などの改悪や対イラク戦後復興「支援新法」までが画策されている。
「立憲主義」「法治主義」すら投げ捨てて
こうした中で、一月一日の読売新聞の社説は「集団的自衛権の解釈をめぐり重箱の隅をつつくような『平和ボケ』論議とはきっぱり一線を画す必要がある」として、「自衛隊をインド洋に派遣し、米国などの艦隊への支援活動を実施している。内閣法制局がいかに理屈を組み立てて否定しようと、実態的には、いわゆる集団的自衛権の行使そのものである」「『自衛隊は軍隊ではない』という子どもにでもウソとわかる強弁と同様に、明々白々な現実から遊離した空虚な言葉あそびにすぎない」などとのべた。
国会での多数議席を背景にして、こじつけとも言うべき憲法の拡大解釈=「解釈改憲」を繰り返し、平和憲法をふみにじってきた歴代保守政権と読売などの反動勢力が、いまや自ら行なってきた過去の憲法解釈に対する政治的責任を顧みずに、公然と居直っている。
かつては「護憲派」が「自衛隊は憲法違反だ」と言っていたが、いまや「改憲派」が「自衛隊は憲法違反だ」という時代なのだ。いま日本を平和憲法のくびきから解き放ち、本格的に「戦争のできる国」につくりかえられようとしている。
ブッシュが国際法を無視する政治手法をとれば、小泉内閣も立憲主義の否定の政治を進める。ここではブルジョア社会がたて前としてきた「立憲主義」「法治主義」のベールすら投げ捨てられつつある。
民衆の反戦闘争の再高揚局面を
戦争か、平和かの歴史的な岐路に立って、日本の民衆は自らの意志を公然と表明し、政治的な行動に立ち上がらなくてはならない。もはや沈黙していい時代ではない。
この国が再び公然とアジアの諸国と民衆に敵対する道を歩むことを絶対に許してはならない。
すでに本紙が幾度が指摘してきたように、この歴史的な闘いに際して確認しておくべきことは、昨年一年にわたる「有事三法」成立阻止の闘いの成果と教訓だ。この間、長期にわたって敗北の連続を強いられてきた日本民衆の反戦闘争が、今回の闘争では「継続審議」というレベルではあれ、成果をかちとってきたのだ。そこには事態の重大性を認識したさまざまな勢力や個人の党派利害を超えた献身的な共同があり、それを軸とした世論の高揚があった。そこではアメリカやヨーロッパ、そして韓国やフィリピンなどアジアの反戦闘争の高揚に呼応する日本の民衆の闘いの高揚局面があらわれつつある。
すべての政党や党派に問われている問題は、、あれこれの評論でお茶を濁しているのではなく、この局面を積極的に評価し、自らのもてる力を振り絞って、その前進に貢献する立場に立つかどうかだ。
1・18イラク反戦国際連帯運動の成功を
一月十八日、アメリカの市民団体ANSWERのよびかけに応えて、日本でも札幌、東京、富山、長野、山梨、愛知、大阪、京都、広島、福岡、沖縄など全国各地でイラク反戦の大衆行動が企画されている。
東京では一月十八日に反戦・反改憲・環境・国際連帯など広範な市民団体約三十団体が呼びかけ、九〇団体が賛同し、千人近い個人の賛同者を集めた「WORLD PEACE NOW もう戦争はいらないわたしたちはイラク攻撃に反対します」という大イベントが開かれ、さらに一月二十日には市民団体、宗教団体の主催で「有事三法案の廃案を求め、イラク戦争に反対する緊急院内集会」が開かれる。
これらを契機としてこの春から夏にかけて、日本の民衆の反戦闘争の歴史的な高揚と世論の高まりをつくりださなくてはならない。
すべての有志の皆さんが小異を残して、ともに闘うよう訴える。
2003年
社会主義と民衆運動の世紀の創造にむけて、団結して、ともに前進しよう
安藤昌益に学んで
石渡博明(安藤昌益の会事務局長、海技協労委員長)
今年は日本思想史上最も独創的な思想家安藤昌益の生誕三百年に当たり、生没地大館を始めいくつもの記念行事が予定されている。
昌益の思想は狩野亨吉の発見以来、農本共産主義・封建制度の批判者・民主主義の先駆者等々、様々に言われ、近年ではフェミニズムやエコロジズムの先駆とも称揚されてきた。
『全集』完結十年余、寺尾五郎著『安藤昌益の自然哲学と医学』により昌益医学の全容が解明され、新資料の発見も相次ぐ中、医師昌益の実像が徐々に明らかになってきた。
それは生命の糧を育む百姓の倅であり、生命を預かる医師としての自己を哲学的に考究した末の生命の哲学の創造であった。 昌益の反戦平和論は生命の尊厳への畏敬を基礎に、有史以来のあらゆる侵略行為を糾弾すると共に、平時における構造的暴力をも告発、軍備・軍学の完全撤廃を訴えている。
昌益に学びつつ、有事法制反対―平和の実現へ向け、新たな世紀を築いていきたい。
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平和のうねりをつくりだそう!
中北龍太郎(弁護士、関西共同行動代表)
二〇〇三年は、アメリカのイラク攻撃のカウントダウンの中で明けました。この攻撃は、冷戦=第三次世界戦争に続く、第四次世界戦争のパンドラの箱を開くことになるでしょう。その元凶・アメリカは、イラク戦争を通じて新たな「帝国」として世界を牛耳ろうとしています。戦争を止めるのは、唯一、民衆の国境を越えた平和の力です。アメリカの戦争にひたすら貢献する日本を、平和憲法が求める非戦国家へ復元することという国際反戦運動の重要な課題を全うしなければなりません。拉致問題を排外主義的国家づくりに悪用している諸勢力との厳しい闘いを通じて、平和のうねりを共につくりだしましょう。
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死恐れず 金愛さず
樋口篤三(協同社会研究会)
鳩山由起夫(民主党)が、西郷隆盛の「地位、名誉、金、命も惜しまない」をいうと「本当かいな?」とまず感ずる。生き方が「軽い」からだ。
張学良は、抗日民族統一戦線結成で、周恩来と共に決定的契機をつくった。西安事件で、反共第一の蒋介石を殺さずに国民党・軍を抗日第一に大転換させたのち、本人はその蒋にその後七〇年余も監禁された。彼は昨年一〇月に百歳で大往生をとげたが、その一月前に漢詩を詠んだ。「死を恐れず金を愛さず、大丈夫は人の哀れを好まず、雄々しく立つ男子、らい落さっぱりと余生を送る」。同じ百歳でも野坂参三より人の風格があった。
「死を恐れず金を愛さ」ぬ人々を、日本革命は必要とする。時代が人をつくり、人が時代を動かす。真の前衛機能をもつイニシアチブ・グループ、横断左翼・大統一戦線の形成へ。周恩来、張学良の志をつぐ大志をもつ日本の若者が歴史の主舞台へ!歴史的な「時」はいまである。
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共生社会めざし大きな政治のうねりを
前田裕晤(大阪全労協)
「戦争の年」の表現が、嫌でも拘らざるをえない時になりました。国の内外、政党の左右を問わず混乱・混迷はピークに達し、戦争と激動の二〇世紀の経験は何も生かされてはいません。
その結果、社会的価値観を市場原理、世界的な大競争時代に求め、弱者を切捨て強者が生き延びる風潮が定着しているかのように見えます。中身のない小泉の改革発言もバケの皮が剥がれようとしていますが、それへの対案は今の野党から出てきません。
四月には統一地方選挙が実施され、衆議院の解散も想定されます。労働運動も社会運動の一つである以上、企業が目己保身のため、合理化・リストラ、臨時・パート労働者の雇用、実は差別労働の常態化をはかり、企業の社会的責任を放棄する社会的不公正・不道徳の状況に、私たちの意思を公然と主張し、政治に反映させるあり方を追求する必要があると思います。
人間社会そのものの崩壊がある今日、共生社会を目指し、新たな社会価値観を求める運動を、まず国政に反映させる仕組みを、私たちの主導で、「国政選挙共同戦線」を呼びかける必要があると思います。
反戦・護憲・平等・公平・環境等の目標を掲げ、政党、グループ、市民運動が、違いを承認の上、統一候補者リストを作り、選挙運動に取組むことが、要請されていると考えるのですが。
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積極的に!
増山太助
小泉自民党内閣は、手を替え品を替えて有事関連法案の成立をはかっている。
そして、アメリカのイラク攻撃に雷同して、なし崩しに日本の軍事体制を既成のものにしようとしている。
小泉内閣の本性は、『日本の武装化』にあることを、もっと明確に認識する必要がある。また、もし彼らが意図する『日本の武装化』が議会政治の枠内で実現しないことがわかれば、彼らはふたたびかつての「東条内閣」をでっち上げるかもしれない。その可能性はないとはいえないであろう。
日本の議会政治は与野党とも「派閥政治」によって聾断され、民主主義が貫徹されていない。とくに野党は寄せ集め集団で、政策を対置して政治の活性化をはかる力がないのであろう。憂うべき状態にあるといえよう。
新しい年、〇三年は「敗戦」から五八年も経っている。
戦後の平和を守るだけでなく、発展させる意気込みをもちたい。
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痛みの増大する年
降旗節雄
竹中金融改革プランに次いで、与党三党の税制改革大綱が明らかになった。
小泉首相は「改革を断行し、日本経済を強くする。そのためには痛みが伴う」と言い放ったが、その改革と痛みの内容が漸く明らかになってきた。日本社会における強者をより強くし、弱者にそのための痛みを押しつけというのが、小泉宣言の真意だったのだ。所得後の課税最低限を引き下げ、酒と煙草を増税し、資本の研究開発・投資の大減税にまわすというのだ。今どき不動産を売買し、株で儲けて、相続税と贈与税を払えるというのは国民の中の数%の高額所得者に限られる。先行減税一兆八〇〇〇億円はこんな特権階級への大盤ぶるまいに使われるだけなのだ。失業者三七〇万人、ホームレス三〇万人、自殺者三万人という数字がさらに飛躍的に増大する年―それが二〇〇三年の、かなり確度の高い見通しといってよいだろう。
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今年を原発廃止の一年目に 東京電力などの原発事故隠しの教訓
柳田 真(たんぽぽ舎)
一、二〇〇二年は東京電力・中部電力などの「原発データ改ざん・事故隠し」が内部告発で明らかになり、原発への不信が大きく広くなった歴史的な年でした。データ改ざんは、電力のいうあらゆるデータ・数字がゴマ化しで信用できないということであり、すべての基礎・根拠が崩れることを意味します。今年はGEと日立ですが、その他の社のものも当然改ざんありと考えられます。そして東電だけでなく、中電、東北電などほぼ全電力会社に及び、かつ一八年前からでなく「三〇年前からのデータ改ざんだ」(生越忠氏の指摘)という事実が発覚しています。つまり原発は「出発時から うそ でしか成り立っていなかった」わけです。
二、では電力会社と国は反省したのでしょうか。残念ながら「否」で、逆にいなおり、ひび割れ・傷だらけの原発の運転OK法案が自公保三党のゴリ押しで通過しました。この背景は電力会社のもうけ第一主義であり、電力自由化で、きびしい経営ゆえ安全経費を削ろうというものです。
三、日本の原発も三〇年が経過し、老朽化が進み、中小の事故が多発しています。悪法の通過で今後、原発事故は残念ながら増えるでしょう。原発事故の悲惨さは四年前のJCO臨界事故(二名の死者、七〇〇人の被曝者)やチェルノブイリ事故で明白です。東海大地震や関東直下地震が心配されるので、原発廃止の運動はますます重要です。
四、希望は原発廃止の運動が広がっていることです。浜岡止めよう六〇〇人集会(02・10・27)や臨界被曝事故三周年集会(二一〇人)など着実に広がっています。浜岡原発止めよう関東ネットワークの活動も広がっています。この力を生かして二〇〇三年は「原発廃止の一年目に」したい。原発がなくても電気は大丈夫が事実で示されたので、今年は大量消費社会を反省し(節電する)、風力発電など自然エネルギーの拡充にむけて共に力を合わせよう。原発大事故〜大災害の発生を前に、原発を止めよう。
希望の芽を育てよう。
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新年を迎え新たな決意で
吉岡徳次(全港湾労組顧問)
二〇〇三年の新年を迎えましたが、大変厳しい年明けと言わざるを得ません。長引く不況で雇用不安は深刻だし、合理化による賃金を始め労働条件の切り下げ、年金や医療制度の改悪がのしかかってきています。
一方政治の面では、継続審議の有事関連法案が新年早々からの通常国会で大きな山場を迎えようとしいます。それにアメリカ追随の軍事力の増強、教育基本法や憲法改悪の動きなど、反動化が一層強まつています。
こうした状況のなかで、残念ながら労働運動は停滞し、国会でもかってのような保革対決がなく、小泉政権に文句を言っているのは野党よりむしろ与党のようだと新聞が書く有様です。
しかし昨年一二月一日の有事法反対代々木集会を成功させた力もあるわけで、こうした力を結集して平和憲法を守り、戦う労働運動再構築のために頑張らなければなりません。
旬刊『人民新報』の日頃のご活躍に敬意を表し、一層のご健闘を期待します。
労働委員会を本来の労組・労働者の救済機関へ 労働委員会サポートセンター結成
現在の労働委員会は、公益委員が会社側よりの審査指揮をしたり、最初から組合には不当労働行為の立証は難しいとして会社との和解を持ちかけたり、和解水準が低かったり、命令までの時間が長すぎる、また、決定を裁判所で覆されるのを恐れて本来の救済機能をはたしていないなど問題点が多い。
一二月一九日、新宿JILホールで、「甦れ!労働委員会大集会」が開かれた。この集会で、労働委員会を本来の労働組合・労働者の救済機関へ甦らせるために、「労働委員会サポートセンター」が結成された。
労働委員会サポートセンターは、「労働委員会等の活用によって労働者・労働組合の権利を確立する活動をサポートすることを目的」(労働委員会サポートセンター運営規則)とし、@労働委員会の民主化と、労働委員会に関連する情報の収集と整理、A労働委員会に関するニューズレター等の発行、B労働委員会・不当労働行為制度に関する研究活動と学習会・シンポジウムの開催、C労働委員会活用の促進と活用のサポート(補佐人・代理人の活用をすすめる)、D労働委員会利用者の相互交流・相互支援、E労働委員会制度の拡充への諸活動、F労働裁判の拡充のための諸活動、G労働法制の改正のための活動、Hその他前各号の目的達成に必要な活動、を行う。
第一期の役員には、代表に井上幸夫(弁護士)、中野隆宣(労働ジャーナリスト)、事務局長に設楽清嗣(東京管理職ユニオン)などの人びとが選出された。
サポートセンターの発足を記念して、日本労働弁護団の宮里邦雄弁護士が講演を行った。
労働委員会サポートセンターの連絡先は、東京都新宿区西新宿四―一六―一三 MKピル 京京管理職ユニオソ気付 電話〇三・五三七一・五一七〇
徹底検証・憲法調査会『改憲・護憲何が問題か』 (高田健著)を読む
内田雅敏
(弁護士)
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二〇〇二年一一月一日、衆議院憲法調査会は中間報告書を作成し、衆議院議長に提出した。同報告書は両論併記の体裁をとりつつも、全体として改憲志向の強いものとなっている。
それは国会に設置された憲法調査会が「まずはじめに改憲ありき」という姿勢で委員会の構成、運営がなされて来たことからして必然のものといえよう。
本書は「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の中心メンバーであり、同時に日本でもっとも熱心な憲法調査会のウォッチャーであると自他ともに認める高田健氏が前記中間報告書に対抗して執筆したものである。氏は本書の冒頭において現在の憲法状況について、「日本は世界にまれな平和憲法のもとで、『戦争のできない』『戦争をしてはならない国』として自己規制してきたが、いまやその国是をうち捨てて、急速に『戦争のできる国』『戦争をする国』へと変質しつつある。もはやこの国は言葉の真の意味で『戦後』ではなく、また新たな『戦前』ですらない、『戦時』と言っても過言ではない時代に入りつつあるのである。」と分析した上で、本書のタイトルにあるように「改憲・護憲何が問題か」を順次論じている。
その内容は「『戦後』から『戦前』、そして『戦時』へ」「曲がり角に来た憲法調査会と『中間報告』」「新段階の改憲論」「憲法調査会設置とまやかしの『論憲』」「憲法調査会の実態」「憲法調査会での議論」「地方公聴会」「憲法調査会での主な論点」「『憲法改正、国民投票法』案批判」「市民の改憲案運動はどこに行く」等々多岐にわたるが、なんといっても本書の中心を占めるのは「憲法調査会の実態」「憲法調査会での議論」と「憲法調査会での主な論点」であろう。評者もこの三点を中心に論じようと思うが、他の点についても簡単に触れておく。
A
高田氏は本書の冒頭において、今や「改憲調査会」と化した憲法調査会の動きの背景には、九〇年代冒頭の湾岸戦争を契機とする日米軍事同盟の強化、それは正確に言えば、日本の自衛隊、とりわけ海上自衛隊が米軍に組み込まれ、米軍のアジア戦略、さらには中東をも含む世界戦略の中でますます従属性を深めている事実を指摘する。氏はこれを「ポスト冷戦の改憲論」と呼ぶ。
一九九四年六月の北朝鮮核兵器開発疑惑を契機として、一九九六年橋本・クリントン会談による「日米安保共同宣言」…日米安保の目的を再認識し、「極東の平和と安全」から「アジア・太平洋の平和と安全」のために拡大…一九九九年の「周辺事態法」、二〇〇一年九月のニューヨーク同時テロを口実とする「テロ対策特別措置法」、そして今般の有事法制三法案という流れである。これらの流れは米国の要求に基づくものであるが、高田氏は同時にこれは日本の財界からの要求でもあるとして、以下のように指摘している。
「一九九七年当時、経済同友会代表幹事を務めていたウシオ電機の牛尾治郎会長は『国際秩序ということになると、米国の場合、海外進出企業が地域紛争に巻き込まれても、空母を派遣すれば安泰かも知れない。しかし、日本の場合は現状のままだと、個別企業が天に祈るしかない』(読売新聞社「日本は安全か」)と嘆いたことがある。
これより先の一九九四年七月に発表された経済同友会報告は『新しい平和国家』を提唱し、『我が国は、これまで戦争の放棄と戦力の不保持のみを拠り所にする平和国家であった。新しい平和国家とは、これまで以上に国際社会につ
いての明確な認識を持ち、我が国はもとより世界の健全かつ安定的な繁栄を実現するために様々な努力を行なう国家である。すなわち、一国のみの繁栄や一国の中だけの平和に終始することから脱却し、政治的にも経済的にもより一層世界に貢献し、世界と調和するための国内の仕組みと政策を持ち、かつ国際社会の諸問題の解決に積極的に取り組むことである』とのべ、さらに、『安全保障基本法』の法制化、A第九条の改憲、Bそれらを時限的修正九条として現九条
と併記する、の三案を提起した。
これが日本の財界が海外派兵を可能にする改憲を要求する立場であり、かつて小沢一郎らが平和憲法を『一国平和主義』などと言い、敵視したことの背景でもある。」
B
憲法調査会を傍聴していて感ずることは、@当初、そこでの議論は、「護憲」「論憲」「改憲」の三つの立場があるとされていたが、今日では「論憲」派が――主として民主党・公明党であったのだが――その軸足を「改憲」へと移してしまったこと。A調査会での議論が「学級崩壊」とでも形容するような、およそ委員会の成立自体が危ぶまれるような雰囲気の中でなされていること。B委員会での議論が「お笑い憲法調査会」とでも呼びたくなるような低レヴェルのもの、等々である。これらの点については高田氏がほぼリアルタイムで週刊金曜日に連載していた「今週の憲法調査会」が本書の末尾に再掲載されているので、これを読むと分かりやすい。
@について高田氏は、「当初『論憲』派と言われた公明党・民主党の委員たちの多くが、この三年足らずの期間に『改憲』派としての立場を鮮明にしてきたことである。実に憲法調査会が看板にした『論憲』は、これらの中間派を改憲の渦に呑み込んでしまうブラックホールであった。この傾向は調査会が発足して一年目頃から顕著に現われた」と述べ、民主党の鳩山代表(当時)の「自衛隊は海外から見れば軍隊で憲法解釈はあいまいだ。そこに(自衛隊員の)自尊心の喪失がある」、「憲法の中で集団的でも個別的でも本来あるものなら(自衛権の行使)を明記すべきだ」という発言、或いは公明党の赤松委員の「論じて変えないのは論憲ではない」「最大の論点は安保問題であり、やっかいでもここから手をつけなければならない」と言った発言を指摘している。
Aについて高田氏は以下のように述べる。
「これらの査会を傍聴して実感したのは、論議が形式的であり、各委員が憲法の議論に真剣に取り組んでいるとはとうてい思えないことであった。憲法調査会はいわば「学級崩壊」状況の中で開かれているのである。
各委員の会議への出席率は極めて悪い。開始予定時間がきても出席者が過半数の定数に達しないので、会長が開会を宣言できずに待っていることすらある。たいていの場合、多くても三分の二くらいの出席で開会する、約三分一は遅刻か欠席である。時間がたたつごとに櫛の歯が落ちるようにポロポロと欠けていき、その日の会議の終わり頃には五〇人(衆議院)の定数のうち一〇数人ほどしか議場に居ない場面はザラにある。発言は多数会派から順に行なわれるかから、とくに会議の終盤の『護憲』論側の委員の発言時間になると、与党側の委員はほとんどいない。折角出席していても眠っている者がすくなくない。実に上手に居眠りをする。先にも述べたが、中曽根元首相などは着席するや腕組みして目を閉じ、間もなく口を開けて眠りはじめて、目が覚めると退場する。
隣の委員などとの私語も多い。例えば党の大会や代表選挙が近かったりすると、とたんに議席の渡り歩きが活発になる。多数派工作でもしているのか、後ろから相手の肩を抱くようにして耳に口を寄せて話し込む。そうかといえば自分の発言の時だけ出席して帰ってしまう。あるいは明らかに調査会以外の書類を読んだり、書き物をしたり、甚だしい場合は週刊誌を読む者までいる。
奥野誠亮元文相のように議論のテーマがまったく違うのに、いつもの自らの持論である『憲法はアメリカにおしつけられたのだから改憲すべきだ』という話を延々とやって、各委員に『またか』という顔をされる『こまったおじさん
』的な委員もいる。あるいは保守党の小池百合子委員のように、参考人や他の
委員の発言を聞かないまま、自分の発言の時間に入場して、用意したメモだけ
読み上げて退席するという大胆な離れ業をやってのける委員もいる」
そして「この実態は『学級崩壊』以下ですらある」と断じる。委員会の議事録だけで見てもこのようなことは正確には分からない。委員会を傍聴してみて、はじめて分かることである。このようなひどい実態にもかかわらず、調査会の報告書ということになると、何回、何時間、真剣に論議したということになってしまうのであるから恐ろしい。委員会を傍聴できるのは、ほんのわずかな人々だけであるから、本書のような指摘は極めて重要だ。
Bについては、高田氏が指摘するように、例えば、 「(九条について)戦争が終わったばかりで戦争を嫌がるのは、二日酔いで頭が痛いときに酒を飲まないのと一緒だ」(青山武憲)、「日本は世界にまたとないい君主制の国家であり、見事な王朝文化を中心に、東洋と西洋の文明の融和に成功しつつある国家であり、国民であります」(市村真一)
「日の丸の旗は血塗られているというお話がよくでるわけですけれども、大東亜戦争で亡くなった方というのは、数え方にもよりますが、大体三〇〇万人
ぐらいだと思います。それに対しまして、戦後の合法的に認められました中絶
の数は一億人とおっしゃる産婦人科の医者がいらっしゃる。……大東亜戦争三三回分の殺人を合法的に繰り返したのは戦後の日の丸の旗でございました。どちらが血塗られた旗か」(曽野綾子)
「国会で今すべきことは、そういった歴史というものをふまえて、国家の宣言、国家の自律制というものを再確認しながら、この憲法を歴史的に否定することなんです。否定するのはどうこうって、ただ、とにかくこれは好ましくな
いし、こういう形で、決して私たちが望んだ形でつくられたんじゃないということを確認して、国会で否定したらいいじゃないですか。否定するには、内閣の不信任案と同じなんで、過半数があったら通るのです。手続きじゃないのです。改正の手続きに乗ることはない。……否定された上で、どこを残して、どこを直すかということの意見がはじまったらいいのです」(石原慎太郎)等々のように、暴言、時代錯誤の発言が多々なされている。
これらの発言に共通することは、知的誠実さの欠如、あるいは歴史に対する無知、いやその改ざんということである。曽野綾子の発言について云えば、戦争の死者と、妊娠中絶の数を比較する非常識さはもちろんのこと、「大東亜戦争で亡くなった方……というのは……大体三〇〇万人」という発言に見られるように、そこには日本人以外の二〇〇〇万人とも云われるアジアの人々の死に対する眼差しが全く欠けていることに驚く次第である。そして石原慎太郎の云う国会による「廃案決議」云々については、現行憲法上国会にそのような権限のないことは明らかであり、彼の発言は国会議員に対して憲法破壊、立憲主義否定のクーデターを教唆しているものに他ならない。
ひどいものである。
C
高田氏は本書において、改憲論者がその理由付けとして主張する「新しい人権論」について、それは改憲のための口実にすぎないこと、五十嵐法大教授らの提唱する「市民の憲法論」の危うさに等についても論及しているが、本評においてはそこまで触れる紙幅がないので、これらの点について本書を読んでいただきたい。
最後に、本書の中で高田氏が「中曽根元首相は憲法調査会に出席しても、たまにしか発言しないし、席につくや否や腕組みして目を閉じ、やがて口をぽっかり開いて眠りに入り、しばらくして目が覚めたらやおら退席するという具合で、一見、ほとんど仕事をしているようには見えないのであるが、与党や改憲派の国会議員たちにとってはその存在は相当の重みがある。事実、中曽根は首相や与党の主だった議員との非公式の食事会や、公開の演説会、あるいは雑誌の場などを通じた発言でしばしば憲法調査会と改憲の運動の戦略的な方向性を示し、依然として改憲運動の指令塔になっている。」と述べている。中曽根康弘という人物について述べておこうと思う。高田氏も指摘するように、中曽根元首相は、
一、鳴呼戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す
平和民主の名の下に
占領憲法強制し、
祖国の解体計りたり
時は終戦六ヶ月(以下略)
と「憲法改正の歌」(一九五六年)を自ら作詞したり、憲法調査会でも、「明治憲法は天皇が下された欽定憲法であり、今の憲法は、占領中、占領軍の有力な指導、影響でできた占領憲法だ。我々は初めて、国民憲法をみんなでつくろう、そういうような意図で国家の形と心をはっきり固めて、この国家構造をしっかりした上で、戦略的にも米英に軽視されない、中国やロシアにも軽視されない、顔のある国家に作っていかなければならぬ、そういう段階に入ったと私は見ています」等のいわゆる「押しつけ憲法論」を展開している人物である。しかし、このような発言は外、すなわち海外では以下のように変ってしまう。
一九八五年一〇月二三日、国連創立四〇周年記念総会において中曽根首相(当時)は次のように述べた。
「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大の惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、我が国固有の伝統と文化を尊重しつつ、人類にとって普遍的な基本価値、すなわち、平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、そのための憲法を制定しました。我が国は、平和国家をめざして専守防衛に徹し、二度と再び軍事大国にはならないことを内外に宣明したのであります。…国連加盟以来、我が国外交は、その基本方針の一つに国連中心主義をかかげ、世界の平和と繁栄の実現の中に自らの平和と繁栄を求めるべく努力してまいりました。その具体的実践…の第一は、世界の平和維持と軍縮の推進、特に核兵器の地球上からの追放への努力であります。
日本人は、地球上で初めて広島・長崎の原爆の被害を受けた国民として、核兵器の廃絶を訴えつづけてまいりました。…とりわけ、米ソ両国の指導者の責任は実に重いと言わざるをえません。両国指導者は、地球上の全人類・全生物の生命を断ち、かけがえのないこの地球を死の天体と化しうる両国の核兵器を、適正な均衡を維持しつつ思い切って大幅にレベルにダウンし、遂に廃絶せしむべき進路を、地球上の全人類に明示すべきであります」
彼は、この発言に先立つ同年八月一五日、内閣総理大臣として初めて東京裁判でA級戦犯として処刑された東條英機元陸軍大将らをも合祀している靖国神社に公式参拝し、中国・韓国・北朝鮮ら近隣アジア諸国からの厳しい批判を受けた。それ以前も「日本国家単一民族論」とか日本列島「不沈空母論」などと、偏狭なナショナリズムを煽り、軍事力の強化を主張していた。
彼のこれらの発言そして前述した憲法調査会での発言と前記国連演説との落差の大きさには驚くばかりである。なんという言葉の軽さ、歴史に対する不誠実さか。高田氏が指摘するように、このような人物が今や改憲調査会と化してしまっている憲法調査会の「指令塔」「イデオローグ」なのである。
この国の前途を思うとき暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
本書はこのような憲法調査会の実態、そこで論議の問題点を鋭く指摘したものであり、多くの人々によって読んでいただきたいものである。
― 本稿は新時代社発行・週刊「かけはし」紙と「人民新報」からの求めに応じて、内田氏が両紙に寄稿されたものを一部省略したものです ―
外国人労働者の働く権利を守るために! 広島県呉市で集会
一二月二二日、広島県呉市広公民館で「外国人労働者の働く権利を守るために!呉集会」が開催され、約六〇名が参加した。主催はスクラムユニオン・ひろしま、賛同団体は働く者の相談室ひろしま。英語が解らないので、ペルー人はスペイン語、ブラジル人はポルトガル語が会場内を飛び交った。
スクラムユニオン・ひろしまの土屋信三さんが開会の挨拶で「現在、まったくと言っていいほどの無権利状態に置かれている外国人労働者、とりわけ派遣労働に従事している労働者の権利を守るための闘いであり、裁判を提訴しているブラジル人とスペイン人との三名の支援を仲間に呼びかける集会です。真に労働者の権利を勝ち取る力は、派遣労働に従事している外国人労働者自身が立ち上がり団結して闘う言うことです」と述べた。
呉市会議員の得田正明さんは、「土屋さんから相談を受けており、いい方向を出したい。」と連帯の挨拶をした。
原告代理人弁護士の足立修一さんからは経過報告があり「日本は南米と北米に移住してきた歴史があるが、現在の日本は経済的に繁栄していると思われており、ブラジルで出稼ぎを募集し送り出している。短期の派遣労働者が多く、正社員以外の労働者を増やしている。六ヶ月間働くと有給休暇を会社は出さないといけない。外国人労働者が権利を要求しても、会社は解雇できない。会社がやっていることは違法行為である」と報告された。
ペルー人のアルベルトさんは、「もう仕事がないから、明日から来なくてもいい」という資本のまったく一方的な首切りに対して、人を人とも思わない仕打ちに対して、提訴している。ブラジル人のコスタさんは、派遣労働者全員に有給休暇を取る権利があることをみんなの前で公然と語ったことによって、解雇となりました。セリアさんは、会社から契約更新しないと言われています。
外国人労働者の三名は、スクラムユニオン・ひろしまに相談し、派遣労働の中で過酷な搾取と抑圧を受けている仲間たちの権利を獲得するために、提訴という形で闘いに立ち上がりました。
現在、派遣会社は組合との交渉においては、労働基準法の遵守を語り、法律に沿った労働条件の整備を確認しています、ところが、恫喝を加え、実質的な権利行使を妨害している。
アルベルトさんやコスタさんやセリアさんの勇気ある闘いを支援し、裁判闘争勝利に向けて、外国人労働者や広範な働く仲間の皆さんに支援を呼びかけた。
(広島通信員)
映画
たそがれ清兵衛
監督 山田洋次
キャスト
真田広之
宮沢リエ
映画『男はつらいよ』シリーズや『故郷』『幸せの黄色いハンカチ』『学校』など、数々の名作を撮ってきた山田洋次監督が、初めて手懸けた時代劇映画。原作は独特の時代ものを書き綴ってきた藤沢周平。昨年十一月公開以来、静かに浸透して正月を越すロングラン。観客動員数はすでに八十万人という。みぞれ混じりの雨が降った正月のある日、映画館は中高年の人も、若者もと、幅広い観客で立ち見もでる満席だった。
「ふたりの娘が日々そだっていく様子を見ているのは、草花の成長を眺めるのに似て、楽しいものでがんす」
この映画の主人公が、病で妻に先立たれ、二人の子どもを抱えて貧しい生活を送っていることにたいして「惨めだ。後添いをもらえ」と親戚から言われたことに対する答えである。この言葉にこの作品のテーマが込められている。
頃は幕末、主人公は羽州庄内の海坂藩(実在しない)十二万石の蔵の出納管理にあたる御蔵役、五十石取りの下級武士である井口清兵衛(真田広之)。この人物に同僚がつけたあだ名が「たそがれ清兵衛」である。たそがれ時、下城の太鼓の音とともに、同僚の酒肴の誘いも断り、一路、家路をいそぐことからついた名前である。
物語は北国の小藩とそこで淡々と仕事をこなし、つつましく生きる清兵衛のまわりにも、幕末の動乱がひたひたと押し寄せ、やがて貧しいけれども平穏な暮らしが激動の渦に巻き込まれる。
海坂藩でも家老を中心とする改革派が勃興し、やがてこの一派は反逆の罪に問われる。しかし、余吾善衛門という一刀流の使い手は、討手を逆に討ち、家に立て篭もる。
清兵衛に討手の仕事が命じられる。実は清兵衛はかつて戸田流小太刀の師範代を務めたほどの遣い手であったのだ。
責めたてられて引き受けざるをえなくなった上意討ちだったが、清兵衛はなんとか余吾を討ち果たす。しかし清兵衛の一家に安穏が訪れたのは束の間、やがて佐幕派の海坂藩は官軍に追われ、滅亡し、彼も戦死することになる。
この筋書きに、幼なじみの朋江(宮沢りえ)という女性が絡んで、すがすがしい物語を織りなしている。
評者にとって、藤沢周平は時代物の書き手としては数少ない好きな作家である。文壇でも、戦後一流の時代物作家との定評がある。そのユニークな個性と作風ゆえに、藤沢周平ファンはかなり多い。それぞれの読者がそれぞれなりに自らの中に藤沢周平への共感を感じているのだと思う。十七歳で敗戦を迎えた藤沢は、軍国少年であった。その体験から戦争が嫌いで、熱狂と流行が嫌いになったと言われる。
同じ時代ものを題材にしたとはいえ、藤沢周平と司馬遼太郎はきわめて対照的な作家である。
司馬は「竜馬がゆく」などをはじめ数々の作品群を世に送り、大きな影響を与えた。それは司馬史観といわれた独自の歴史観に貫かれていた。
司馬はいつも歴史(それも結果論的に)を社会の高みからながめて作品を書いた。そして彼の作品に登場するのは英雄である。司馬史観は英雄史観である。小説としては面白いし、多くの読者を魅了する。しかし、しばしば言われることではあるが、端的に言えば司馬の歴史小説は高度経済成長期の経営者群のバイブルであったのではないだろうか。
これにたいして藤沢周平が題材に取り上げたのは社会の下層に生きる人びと、下級武士であったり、庶民であった。いわば「ふつうの人」である。そんな人びとが小説になるのかと思われるような普通の人びとである。司馬の作品群に似た実在の人物に題材をとった作品でも、同郷の清河八郎を描いた『回天の門』、同じく雲井龍雄を描いた『雲奔る』などは、司馬の直線的な史観とは異なる錯綜した対照的な世界である。「男はつらいよ」などで庶民を描いてきた山田洋次が、その時代物の第一作に藤沢作品を選んだのは、この意味で必然なのだろう。
しかし、司馬のように直截に史観を打ち出してはいないが、藤沢作品にも凛とした史観がある。
清兵衛という幕末明治の激動に巻き込まれ、革命に反対する勢力の中で翻弄されていく下級武士を描きながら、『たそがれ清兵衛』では、決して歴史を突き動かす役割ははたさなかったが、その中に庶民の生きざまのけなげさを描き、また時代の流れを描く。百姓の祭りが好きな朋江を描くことで、民衆のしたたかさも描いている。
山田洋次の談話がいい。 「清兵衛の生き方を通してほんの少し前の僕たちの祖先はこんな辛い環境のなかで暮らしながらもどこか凛としていたんだなってことを知り、今の日本人は本当に幸せなのかなと自問自答しながら家路についてほしい」と言うのである。(S・G)
せんりゅう
ゝ史
福袋みたいだった純ちゃんのかお
消費税あげれと献金ビジョン
着ぶくれて誘導灯ふる警備員
イージス参戦政府も詐欺へいき
若人は盧氏庶民派に道をみる
年金も給料もへらす景気策
日のあたる会社なんだがつめたさよ
サラ金もあいてにしないリストラ者
○福袋は中味がみえない。期待して買ったがいらぬものばかり…ハハハー純一郎ちゃん
○日本経団連「活力と魅力あふれる日本を目指して」(奥田ビジョン)を発表
○ 月 日 韓国大統領選
○「日のあたる石にさわればつめたさよ」という正岡子規の俳句がある。死を自覚している作者の淋しさが吐露された名作。近代俳句の出発点として象徴的な作品であろう。
複眼単眼
超高層ビル群とゴーストタウン
日本経済は長期にわたって停滞してる。
しかし、その一方、東京では高層ビル建設のラッシュという奇妙な現象もみられる。六本木、汐留(新橋)、品川など五〜六箇所で再開発などの名で、地上数十階建ての巨大なビルが互いにその高さを競うがごとくに、幾つも幾つも建ちはじめているのだ。実はこの大規模オフィビルの供給量はバブル期を上回り、過去最高量になるという。しかし、需要は供給量を大きく下回っている。これは二〇〇三年問題といわれ、旧国鉄用地の再開発などの結果だ。用地売買で切り売りしたため、都市計画もなければ、統一性もないというひどい事態だ。
JRの新橋駅と浜松町駅の間の両側に展開する汐留地区もそのひとつだ。ここは「汽笛一声新橋を…」の歌にある日本で最初の鉄道開通の「新橋、横浜間」の「新橋駅」のあったところであり、旧国鉄の汐留貨物駅があった跡地で、再開発のための工事をはじめたら江戸時代の仙台藩などの遺蹟がでてきて、しばらくはその文化財の発掘・保存に時間がとられたところだ。この地区は一九九二年から再開発計画がはじまった。
まだまだ空き地があり、ビルの建設中だが、すでに電通本社ビル、松下電工、鹿島、NTV本社ビル、日本通運本社ビル、共同通信など大手企業のビルが建ち並び、さらにJRAのウィンズ汐留の馬券売場の建物をはじめ「イタリア街」(ここに建てるビルはイタリア風であることが条件とされている)まである。超高層の住宅ビルも建てられている。
この汐留地区に海をはさんで隣接しているのがお台場地区、ここも異常な開発ラッシュ。すでに若者達の新名所で、汐留地区とは無人モノレール「ゆりかもめ」で接続されている。
これで本当に不景気なのかとみまごうようなビル建設ラッシュだ。この風景がしめすものは、景気というものは社会全体でみれば「まだら模様」を描いているに過ぎないということだ。日本経済全体が停滞していても、一様に停滞しているわけではなく、ここに超高層ビルを作るような企業もあるのだ。
都内各地に建設される超高層ビル、たとえばこの世界では名の知られた森ビルなどは、汐留地区に隣接する愛宕地区にフォーレストなどと名付けた、バベルの塔もかく在ったかとと思わせるような巨大さで、全棟ガラス張りの住宅を建てている。完成直後にはすべて入居者が決まったという。その一方、都内の各地の賃貸ビルのゴーストタウン化が進んでいる。それどころか、地域のゴーストタウン化が急速に進んでいる。
そして、これらの超高層ビル群の耐用期限が来る時期を想像してみる。そこには廃墟が立ち並ぶにちがいない。「風の谷のナウシカ」にそんな場面があったような気がする。(T)
年末カンパのお礼
労働者社会主義同盟中央委員会
読者のみなさん!
活動資金カンパに、ご協力いただき、ありがとうございました。皆さんの暖かい支持に感謝いたします。私たちは決意も新にいっそう奮闘していきたいと思います。
一月二〇日に開会される通常国会で、小泉内閣はさまざまな悪法を成立させようとしています。とくに昨年も世論の反対で強行できなかった有事関連三法案は絶対に成立させると言っています。より広範な反対運動の合流で、完全に廃案に追い込まねばなりません。
アメリカ・ブッシュ政権は、無法なイラク総攻撃の開始にむけて着々と準備を進めています。小泉内閣は、アフガン戦争につづいて、アメリカのイラク戦争に積極的に加担しようとしています。
私たちは、全国の労働者・市民のみなさんとともに、反戦・平和・憲法改悪阻止の共同の闘いを進めていきます。また、社会主義勢力の協同・団結のための努力を強化していきます。
読者の皆さん!
ともに闘い、ともに前進を勝ち取りましょう。
二〇〇三年一月