人民新報 ・ 第1086号<統合179> (2003年2月15日)
  
                                目次

● 内外の反戦の世論でイラク攻撃を止めよう イラク戦争を止めるために 行動する市民が共同で記者会見

● 天皇制支配と侵略のイデオロギー=「紀元節」  2・11「建国記念の日」に抗議行動

● 『部落史から取り残された諸賎民』  シリーズまとめ そのA ― 完

● われわれの公共サービスは売り物なのか?   日本とフランスの郵政民営化、それとの闘い

● 郵政公社とは悪辣な郵政体質とトヨタ生産方式の結合

● ブッシュ政権の戦争政策とと闘う ( 米国の反戦団体A.N.S.W.E.Rの声明 )

● せんりゅう  ゝ史

● 複眼単眼  / イラク反戦とインターネット時代の若い活動家たち



内外の反戦の世論でイラク攻撃を止めよう

    イラク戦争を止めるために  行動する市民が共同で記者会見

 切迫するアメリカのイラク攻撃に反対して、二月一五日に世界各地で抗議行動が展開される。
この国際共同行動はイギリスのストップ戦争連合の呼びかけで始まり、アメリカのアンサーなどが呼応して設定されたもの。さきの一月一八日の国際共同行動は大きな高まりをみせ、反戦の国際世論形成に大きく貢献した。今回の行動も、すでに全世界の三百数十を越える都市で反戦の行動が予定され、過去最大の反戦統一行動になると見られる。
 日本では東京・渋谷で「世界の人々とともに、2・15ピースアクション in 東京」が行われるのをはじめ、全国各地で行動が予定されている。。また、同日には、このピースアクションに連携しながら、イラクのバクダッドで沖縄の音楽家の喜納昌吉さんらが「2・15
ピースコンサート in イラク」を行なう。
 二月一二日、衆議院第二議員会館で、二つの行動の共同記者会見が行われ、多くのマスコミ関係者がつめかけた。

グリーンピース・ジャパン 福田未来子さん 国際的な反戦の動きについて

 戦争は最大の環境破壊行為だ。戦争は人間と環境に重大な影響を及ぼす。戦争では大量破壊兵器に対処できない。グリーンピースは二七カ国のすべての事務所で、多くの人びと・団体と協力しながら、イラク攻撃反対の行動を行う。イギリスでの海軍の出航を阻止する行動をはじめ中国、スペイン、トルコ、オーストラリア、アメリカなどで行動を行う。

グリーンピース・ジャパン  関根彩子さん  石油利権と戦争

 グリーンピースは、アメリカのイラク攻撃は 石油利権の争奪のためだと考えている。ブッシュが当選した大統領選挙や共和党へのオイルビジネスからの巨額の献金などがそれを証明している。ドイツの投資銀行の分析では、世界最大のエクソン・モービル社がイラク戦争後に最も利益をえる企業と言っている。地球温暖化をもたらす化石燃料を使わないという京都議定書からアメリカは離脱した。これは、ブッシュ政権へ石油資本が圧力をかけて離脱させたのだ、このように多くの例証がある。

NGO非戦ネット 半田隆さん  小泉首相への署名提出について

 NGO非戦ネットは、昨年の七月にアメリカのイラク攻撃に反対し、小泉内閣が強行しようとしている有事法制に反対する目的で結成された。小泉首相と川口外相に対して、日本政府はイラク攻撃に参加するな、問題は外交努力で解決せよと要請している。現在、署名の団体は増えているし、小泉首相に提出するときに参加してくれることを約束している国会議員も増えている。最後まで諦めないでイラク戦争を阻止するために頑張って行きたい。

2・15実行委員会 高田健さん  二月一五日の当日の行動について

 一月一八日の「ワールド・ピース・ナウ」行動は大きな成功をかちとった。「ワールド・ピース・ナウ」実行委員会としては、三月八日に大きな行動を予定している。今回の2・15行動は急遽設定したものだ。東京の二月一五日の行動には、アメリカ、イギリスはもちろん韓国など多くのところから連帯のメッセージが予定されている。

ASIAN・SPARK 柳田展考さん


 私たちは、戦争、飢餓、地雷をゼロをめざす若者のNGOだ。この間の運動でさまざまなパフォーマンスをやってきたが、そこでたくさんの人たちと出会った。二月一五日には、ダンス・パフォーマンスを予定している。それは、「アメリカン魂」というもので、アメリカを皮肉ったものだ。それから劣化ウラン弾のことだ。このような残虐な兵器を絶対に使わせてはならない。なかなか大変な状況だが、みんなで平和アクションを起こせばなんとかなるという気持ちで毎日の運動をしている。

イラク市民調査団 若林徹さん  
イラクで人間の盾となることについて

 二月一六日から市民調査団としてイラクへ行く。訪問団の全員ではないが私たちは、アメリカが攻撃をやめるか、バクダッドが陥落するまで、イラクにとどまり、イラクの子どもたちを守りたい。
 イラクは二月上旬に「人間の盾」方針はやめたが、ビザは出している。
 戦争になれば、日本も加担しているのだから、当然、イラクからの攻撃がありうる。
 そうした場合でも、私たちがイラクでアメリカの攻撃に反対しているのを見れば、イスラムの青年たちも、日本にも友人がいるのだということをわかってくれる。
 暴力の連鎖を断ち切るために行ってイラクに行ってくる。

ピースボート チョウ・ミスさん  イラクでの行動について

 「イラク危機平和解決のためのピースボート訪問団」の五人は、二月一五日から二四日までバグダット・バスラなどを訪問する。イラクでは、世界中で戦争反対の動きを知らせ、またイラクのことを日本や世界に紹介する。
 こうした情報の交流は、アメリカの戦争を止める役割を果たすとともに、イラクの閉鎖の壁を溶かすことも可能だ。そうした意味で、たくさんの人がイラクに入ることが大事だと思う。

戦争よりも祭りを!イラク訪問団  石岡裕さん  イラクピースコンサートの意義

 訪問団は、明日一三日に日本を発って、一四日にバグダットに入る。
 団員は二〇名で、一五日にはバグダットでピースコンサートをやり、翌一六日には、イラクの音楽家たちとのパレードを考えている。
 「すべての武器を楽器に」を合い言葉に、イラクで武器を溶かして、三味線と交換したいと思っている。イラクの駐日大使は要請を理解したと言ってくれている。

「訪問団」団長 川満信一さん

 私たち沖縄は、沖縄戦でさんざんにやられた。
 しかし、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争では、直接手を下しいないが、間接的な加害者になっている。そのことを見なければならない。
 ベトナム戦争では、沖縄の米軍基地の中で兵役拒否者をひとりでも多くつくるために危険な運動もやった経験もある。
 しかし、先の湾岸戦争ではテレビを見て悔し涙を流すだけだった。
 だが、今度は立ち上がって「戦争よりも祭を」を実現して行きたい。

音楽家  喜納昌吉さん

 いま人類は試されている。日本は西洋の物質文明と東洋の精神文明の合流するところだ。
 日本はアメリカのイラク攻撃にはっきりと反対しなければならない。
 日本の政治の心が試されているのだ。
 小泉政権がアメリカに追随していることを許さず、平和のネットワークをつくろう。イラクでのコンサートで戦争を阻止したい。
 イラクだけではない。
 朝鮮半島でも戦争の危険が大きくなってきている。
 私たちは、板門店でもピースコンサートを開きたいと思っている。


天皇制支配と侵略のイデオロギー=「紀元節」  2・11「建国記念の日」に抗議行動

戦争の時代と天皇制を問う 2・11反『紀元節』行動

 明治政府は、一八七三年(「明治」六年)、国家の最重要な祝祭日として「紀元節」を決めた。それは、神武天皇が国内を平定して即位した二月一一日であるとするまったくの神話にもとづいたものだ。そして「世界の中心たる神国日本・天皇制」なる神話は、日本帝国主義のアジア植民地化と侵略戦争のイデオロギーとなった。
 一九四五年の敗戦で、「紀元節」は当然にも廃止されたが、日本支配層は国内支配の強化と再度の海外進出のため、執拗に復活の策動を行った。そして、一九六六年に、「建国記念日」というかたちで復活が決定された。現在、日本政府は、アメリカの戦争に積極的に加担し、自衛隊を派兵するとともに、有事法制化を急いでいる。そして、「愛国心教育」を公然と押しつけようとしている。

 二月一一日、渋谷勤労福祉会館で、「戦争の時代と天皇制を問う 2・11 反『紀元節』行動へ」の集会とデモが行われた。
 講師は、黒田伊彦さん(「日の丸・君が代」に反対する関西ネットワーク代表)と千本秀樹さん(筑波大学教員)

 黒田伊彦さんは、「建国神話と現代の天皇制」と題して次のように述べた。
 建国記念の日は、一九六六年一二月九日の政令により、旧紀元節の二月一一日を「建国をしのび、国を愛する心をやしなう」と言う規定で翌年から実施された。「建国をしのぶ」とは何か。それは天皇の人民支配=徴兵で命を取られ、税で財産を取られたことを祝い喜ぶことだ。いま、新京都学派といわれる梅原猛や上山春平らが「日本学」で「和」をキーワードに天皇制にアイデンティティをあたえ、新しい国家原理をつくろうとしている。彼らは、「近代ヨーロツパ文化は自然を制服することで公害や現境破壊をうみだした。この現代文明を救うのは『和』『調和』を基本とする日本文化である」と。そして「縄文文化は自然の木を切らないで木の葉を採り、鳥や獣の狩りをして、自然と調和し共存してきた。この考えが、聖徳太子の十七条憲法の『和をもって貴しとなす』という考えである」とのべ、「しかも天皇は鎌倉、江戸時代の武家政権に対しても共存、調和してきた。だから共存、調和の現れが天皇制なのだ。天皇制こそ『和』の日本文化の代表である」といっている。壬申の乱の天皇家の権力闘争、南北朝の対立や明治維新をみても、武家政権と共存・調和してきたなど、真っ赤なウソである。ウソで塗り固められた事実のつまみ食いで、天皇制を守ることが、現代文明を救うつ「和」の精神にあるとして、あたらしい国家像を忠誠の対象としてうちだしてきているのである。「和」の精神は今、文部科学省の「心のノート」で浸透させられている。この道は「いつかきた道」であることを忘れてはならない。「歴史はくりかえす。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」といわれるが、歴史の喜劇役者に仕立てあげられることを拒否しよう。

 千本秀樹(筑波大学教員)は「いま、天皇制の戦争責任をどう問うのか」と題して講演した。
 戦後、昭和天皇がマッカーサーと会見したおりの発言がだんだんと明らかになってきたが、いろいろ重大な発言をしている。とくに、共産主義の脅威から日本を守るためにとして日米安保体制の原型となるようなことまで提案している。戦後責任とは、侵略処理の問題だけではない。昭和天皇の戦後責任の第一は、戦争の責任を果たさなかったばかりでなく、ふたたびアジア敵視の基礎をつくったことだ。

 講演の終了後は、各団体からのアピールが行われた。「日の丸・君が代」強制に反対する神奈川の会、「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会、「日の丸・君が代」反対!学校と地域をむすぶ交流会、立川自衛隊監視テント村、アメリカの戦争反対・日本の参戦を許さない実行委員会が発言し、京都「天皇制を問う」講座実行委員会からの交換アピールが紹介された。
 集会後は、渋谷駅周辺のデモでアピールを行った。


許すな戦争、差別 ―憲法・教育基本法を考える

 二月十一日、東京・千代田区のYMCAで「許すな戦争、差別――憲法・教育基本法を考える」二月十一集会が開かれた。主催は「フォーラム平和・人権・環境」。
 主催者は、戦前の「紀元節」復活反対の声を押し切り制定されたこの日を、日本人の歴史認識の問題点を象徴する日として位置づけている。今年は戦争と差別の問題と教育基本法に焦点をあてた学習会を呼び掛け、会場一杯の二五〇名が集まった。
 講演の一つは「一在日から見た日本の状況」をテーマに鄭暎恵(チョン・ヨンヘ)さん(大妻女子大学教員)が問題提起した。鄭さんは自ら実施した学生へのアンケート結果が如何に世論操作に誘導されやすいかを紹介しながら概略、次のように講演した。
 有事法制の国会審議が始まる直前に「不審船」問題が急浮上した。日本近海には様々な国の船が諜報活動をしているのに、国民の危機感を煽り、在日は「北朝鮮ははめられた」と見ていた。有事法制を通すために国民の世論操作を目的に当局が演出したのではないか。
 テロ、不審船などの危機感が煽られるなかで、民族排外主義は、日本国民を支配するための最大の武器になっている。この民族排外主義は、関東大震災の時から使われてきた。石原都知事の「三国人」発言も使い古された処方だが、排外主義を煽った。
 九・一七日朝会談での報道はショックだった。家を出たら無事に戻れないのではないか。子どもを学校に送り出したらもうこれきり会えないのではないか、という不安が日常的になっている。朝鮮名を書いた自転車の名前を消してしまおうかと迷うが、その迷いを子どもが見ている。マスコミ報道が拉致問題一辺倒になる中で、朝鮮学校の生徒への暴力が拡大していく。報道される被害件数の後には、数えられない不安の日常生活がある。
 日本人が民族排外主義の偏見を植えつけられ、民族差別の加担者となりながら、最も支配されるのは日本国民自身だ。差別・偏見は戦争への道。二度と欺かれてはならない。
 もう一つの講演は「教育基本法をめぐる動きと問題点」と題して中川明さん(弁護士)が講演した。中川さんは、内申書裁判や自衛官合祀拒否裁判などに携わり、子どもオンブズマン研究会代表もしている。
 中川さんの講演の概要は次のようなものだった。「教育基本法は、教育のあるべき姿を人格形成におき、憲法と不可分一体となってきた。この教育基本法を「改定」する動きは制定後くりかえされてきた。中曾根首相の当時「臨時教育審議会」を設け「改定」を狙ったが、その答申には「教育基本法にのっとって」という枠がつけられた。小渕首相の時の「教育改革国民会議」の最終報告についに「見直し」をもりこんだ。
 中央教育審議会の中間報告の問題点は、まず前文の見直しを先送りしたことだ。基本法のエッセンス部分を明らかにしないで具体的な条文の変更をすすめるという巧妙なやり方で、憲法の見直しにつながることは看過できない。
 次に教育の目的を「新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人」の育成としている。教育の目的を、人格形成ではなく国家目的達成の手段とすることは誤りだ。もう一つの問題点は基本理念として「日本人としてのアイデンティティー」「国を愛する心」を新しく加えることだ。今日の教育の荒廃を正すには、教育基本法に基づいた具体的施策と真摯な実践によるべきだ。

 日本社会が拉致問題などで排外主義を強めていくなかの「建国記念の日」だが、批判しにくい社会の雰囲気に抗して物を言っていくことの重要さを示した集会だった。(首都圏通信員)


『部落史から取り残された諸賎民』

    
シリーズまとめ そのA ― 完

          
大阪部落史研究グループ 鳥井芳朗

 私たち大阪部落史研究グルーブは、三年前より、この諸賎民についてのシリーズを企画して来ました。自身の力量不足により、長期にわたり紙上において迷惑をおかけしたことに深くおわび致します。五年前、六車同志の紹介により『多様な被差別民の世界・近世』(解放出版)を知り、極めて新鮮な気持ちで、江戸時代のイメージがなにか深く広くひろがるような印象をもつことができました。身分制=士農工商えた非人という歴史の認識以外の、様々な身分や様々な仕事・生業を営む人びと、芸能・勧進をしてまわる人びとなどの存在を知ることにより、当時の人びとのつながりや生活実態が見えてくるようです。
 そもそも諸賎民とはなんでしょうか? 中世以来、諸賎民といわれ、いわゆる被差別民として扱われ、権門や幕府の配下におかれました。彼らの仕事は現代でいうボランティア活動とNPOといったところでしょうか。地域の清掃をしたり、葬送や動物の死体を処理したり、長吏(下級警察官)など防犯やありとあらゆる仕事に携わり、占いもし、悩み事にも相談にのり、芸能などで皆を楽しませました。彼らの活動は現代と同じように本当に必要としていた人もいれぱ、もちろんそうでない人もいたと思います。江戸時代の後期になりますとかなり合理的な考え方も出て来て、仕事もしないで析祷とか芸などで物乞いをしての勧進をして回る人たちに公然と批判も出ています。
 諸賎民の特徴は山本尚友氏(世界人権問題研究センター研究員)の言葉を借りれば、一方で社会からの排除と疎外、社会的地位の低さ、寺社等の権現から与えられた「清め」の職掌を軸に独自の集団を形成し、やがては村を作っていきました。このシリーズで何回も出てきました「けがれ」と「清め」の問題は、私たち日本人にとって現代でも大きな課題であります。横井清氏は『部落史を読む』(阿吽社)で近世政治起源説「部落は江戸時代に政治権力によって意図的に作り出されたもの」を批判する中で、「この観点では部落差別の本質が見えない、この列島に住みついてきた我々の祖先たちが、どのような信仰をもち、どのような価値観をもち、どのように文化や考え方をはぐくんできたのかその長い歴史の条件や特質が被差別部落の中に凝縮されている」といわれています。私たちは高度経済成長の真っ只中で育ち成長して来ました。利便性と西洋的な科学的社会主義の考えの影響を強く受けています。自身あえて正面から取り組みたくないそっとしておきたい問題、人びとが大切にしていることつまり精神世界のことや伝統文化などの祭りや文化・技術なども含めていろいろな角度からこの古くて新しい問題を考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 私はこのシリーズを準備する中で、部落史がさまざまな人たちによって書かれ、それもかなり自由な雰囲気で討論されていることに気づきました。また出版社も多様で、とくにいわゆる諸賎民を扱ったものは今後さらに出てきそうな雰囲気もあります。二〇〇〇年『シリーズ近世の身分的周縁線』@民間に生きる宗教者、A芸能・文化の世界、B職人・親方・仲間、C商いの場と社会、D支配を支える人びと、E身分を問い直す(吉川弘文館)は読むだけでも面白いものでした。一九八九年『中世・近世の民衆と芸能』は賎民を多岐にわたり、ていねいに説明してあります。二〇〇二年『日本人の心』六巻シリーズ(講談社)やごぜという三味線とごぜ唄で旅して歩く盲目の女芸人を継承しようと同年『平成娘巡礼記』月岡ゆきこ(文春新書)など、立場観点も違うと思いますが、私自身これも興味深く読むことができました。
 最後に、歴史上にさまざまな人びとを登場させ、それをさまざまな人たちが執筆し、そしていろいろな人がそれを読むことが大切だと思うのであります。形だけで「差別はいけません」と言うことの意味のなさを痛感します。世の中は大不況と言われていますが、多くの人びとが首を切られ路頭にほうり出されるかもしれません。自らの仕事に誇りと自信をもち、それこそ歴史上のNPOのプロ集団に負けないもの創っていきたいと思います。 (おわり)


われわれの公共サービスは売り物なのか?   日本とフランスの郵政民営化、それとの闘い

 二月七日、ATTAC―JAPANの第二回公共サービス研究会「われわれの公共サービスは売り物なのか?〜民営化・私有化問題を考える」が開かれ、郵政全労協の棣棠浄議長が「郵政民営化の今日の問題点―労働者と市民のオールターナテイブはあるのか?」、ATTAC―JAPANの山口啓さんが「フランスにおける郵政民営化問題とSUD―PTT闘い<公杜化以後のフランス郵便労働者の現状>」を報告した(SUD―PTTは、独立系労組SUDの郵政労働者の組合「連帯・統一・民主―郵便電信電話労働組合で、SUDは、「連帯」「統一」「民主」の頭文字をあわせたもの)。

「郵政民営化の今日の問題点」

日本郵政公社発足

 今年の四月一日に「日本郵政公杜」が発足する。
 はじめに言っておきたいのは、日本における行財政改革の特徴は理念無き改革だということだ。郵政民営化は小泉行財政改革の目玉だが、政争の具、利権争奪の場となっている。郵政族・特定局会・金融・生命保険等など官民が入り組んだ争いとなっている。公杜理事会は、商船三井、トヨタなどの大企業出身者や郵政官僚などが並んでいる。

コミュニティーの破壊

 郵政のそれを含めて世界的に公共サービスを破壊し市場化にもちこむ動きが活発化している。これはアメリカ主導のグローバリゼーションで、規制緩和を名目にして、あらゆるものが市場原理に委ねようとするものである。日本でも国鉄の分割・民営化などの交通や、電電公社、郵政などの通信だけでなく、教育、医療、水、地方自治など全般的に公共サービスが狙われている。国鉄が地域に果たしてきた役割はよく言われてきたし、赤字ローカル線の廃止によって地域社会の崩壊・荒廃がもたらされていることは多くの人が知っている。郵便局も同様に地域杜会に果たしてきた役割がある。規制緩和・民営化によって地域コミュニティーが破壊されていく。ヨーロッパでは教会・水車小屋・郵便局そして役場が地域の統合の核になっていたという。私の生まれた北海道でもお寺・郵便局などがそうした役割を果たしてきた。いま、郵便局の利用者を、「お客さま」=商品を買う人として、あいさつは丁寧だが、要は、いかに多くのお金を払ってもらえるかという見方が強調されている。これは、地域の人びとを金儲けの対象としてしか見ないということだ。。

利権温存・労働者削減

 郵政民営化は、利権を温存・拡大し、そして現場の合理化で、労働者を削減し、少人数労働者を目いっぱい働かせる労働強化である。たしかに郵政にはリストラの必要があると言える。官僚が天下りして膨大なファミリー企業が存在していることや、実際の仕事をしない管理者が肥大化している。こうした「扶養家族」をこそ縮小すべきなのだ。しかし、行われていることは、いっそう官僚的運営が強まり、労働者の分断支配のための「職場交流」などである。郵便の配達はその地域に密着した熟練だが、それをわざわざ他の郵便局に移す。地域・番地などを覚え、通区などははじめのから覚え直さなければならない。その結果、サービスが低下している。郵便サービスにとって大事なのは、安全に早く届くことだが、誤配・遅配が増えざるをえない。それと、郵政では、職員の非常勤化が急速に拡大している。正規の職員を削減して有期雇用の労働者が増えている。賃金を押さえ、権利を与えず、辞めさせやすい不安定な雇用職員が増えている。いま、郵便局の労働者の間には、公社化を前に、不安が広がっている。強制配転、イジメ、自殺などが多くの職場で増えている。

郵政全労協の事業論

 こうした状況の中で、私たち郵政全労協は闘っているが、闘いの重要な一環として「わたしたちの『事業論』」を提起している。私たちはパンフレット「杜会的有用性のある郵政事業を目指して…民営化反対! 『官営』から『公営』」を発行した。そこでは、民営化や民間開放が、@地方や個人郵便の値上げやサービス切り捨て、A地方の郵便局が閉鎖に、B庶民の預金口座(小口口座)が有料に、などの弊害が起こることに反対して、赤字の原因である利権構造、すなわち、天下り=ファミリー企業や過大な投資と採算無視の施策、管理部門の肥大化、非民主的で非効率な特定局制度を指摘し、問題を解決するどころかますます郵政事業を困難な状況に追い込む「郵政新生ビジョン」に反対して、私たちの提案を出した。それは、「官営」から「公営」ということだ。第一に、ピラミッド型の事業運営からネットワーク型の事業運営への転換、第二に、公杜と各郵便局の運営への職員と市民の参加、第三に、事業運営の徹底した公開と透明化の実現、そして「杜会的有用性」のある郵政事業の確立だ。
 私たちの当面の活動は、こうした考えを宣伝し、各地でさまざまな行動を展開していくこと、事業関連要求の提出・交渉を行う、三月三〇日には大阪で「郵政公杜を監視する全国シンポジウム」の開催を予定している。そして郵政公杜に対する行動を展開し闘っていく。

「フランスにおける郵政民営化」

契約労働者の増大

 フランスでは郵便はすでに公社化されている。一九九一年にフランス郵便電信電話局(PTT)は、省庁から国営企業(EPIC―商業べースの利害に立つ公企業、つまり国家が保持する公共サービスを扱う企業)に移行した。その後、二つに分割され、郵便部門(ラ・ポスト)と電信電話部門(フランステレコム)となった。九七年にはフランステレコムは株式を一般公開して民営化された。国が五〇%以上の株を保有する株式会杜になった。「ル・モンド・ディプロマティーク」の「国営企業のゆるやかな死」(二〇〇二年一〇月)は、「フランスにおける郵便サービスの規制緩和運動は一九八七年に始まった。それは緊密に結びついた二つの要請、『常にヨーロッパ以上に』、『常により競争に開かれた』という要請をよりどころにしていた。郵便・電気通信(PTT)は、住民が愛着を抱いてきたし、今も愛着を抱いている公共サービスのシンボルである。だが、この機構のこれまでの解体は、二重性を伴いつつおずおずとした形で実行したにすぎない」と書いた。
 公社化では、株式会社になったが労働者の身分は公務員のままだった。いま、フランステレコムは、二年前ほど前からのIT株式のバブルの崩壊に伴って、株価が急落して、九七年に一般公開したときに二七・七五ユーロだったのが、昨年末には一〇ユーロくらいに落ち込んでいる。一方の郵便(ラ・ポスト)の雇用は、公社化ののち、退職した人の後措置をしないというかたちで少しずつ削減された。その代わりに、日本と同じように、契約社員(短期間の雇用労働者)が増加した。現在、公務員が二三万人で、契約労働者が八万人という割合になっている。契約労働者の勤務形態はパートタイムで、郵便局の郵便物の区分けセンターで深夜に低賃金で働かされている人が多い。契約労働者の賃金は、正規の労働者の五〇〜四〇%程度、年金が公務員では月収の七五%だが、契約労働者では五〇%となっている。
 公務員の労働者が深夜労働に反対してストライキをうったときに、「ラ・ポスト」の側は、「わかった。その代わりに深夜の勤務時間帯には契約労働者をいれる」として、契約労働者が増大してきた。

企業優先の経営

 それから、「ラ・ポスト」は公社化にともなって郵便局員の意識の改革をはじめた。これも日本と同じで、これまでは、「利用者」という言葉を使っていたが、それを「顧客」へと変えた。「利用者」という言葉はフランス語では公共サービスを利用する人というニュアンスがあるので、「ラ・ポスト」は九〇年代からそれを使わないようにした。そして、「顧客」「お客さま」という概念を従業員の中に広めていった。しかし、フランスでの「顧客」「お客さま」というのは、日本とちょっと違っていて、大口のお客という意味だ。郵便局に利益をもたらすのが「顧客」ということだ。そして、それは、企業優先・大都市優先というサービス面での変化を生みだし、一般の利用者は片隅に追いやられることになってきている。いま、フランスの郵便労働者は機械化による職員削減と勤務形態の変化にさらされている。日本と同じように、区分けセンターでの大型区分け機械が導入され、郵便局では道順組立機が入ってきている。
もうひとつは、フランスでは小口利用者は銀行で口座を開けない。低所得層や移民労働者は郵便局の口座を利用している。しかし、いま、為替業務などにコストがかかるということで、郵便局の口座をやめようとしている。
しかしこれは移民労働者をはじめ打撃を受けるひとが多く、重大な問題となっている。

郵便労働者の闘い

 八〇年代まではフランスの郵便・電信電話局(PTT)には五つの組合があった。フランスでは二年ごとに従業員代表選挙が行われる。その時には、組合に入っているものもそうでないものも、自分たち労働者の代表を決める。それの得票率順にいうと、CGT(労働総同盟)、CFDT(フランス民主労働同盟)、FO(労働者のカ)、CFTC(フランスキリスト教労働者同盟)、CGC(幹部総同盟)だった。しかし、八九年のストライキをきっかけにして、闘いを支持しないCFDTから独立して、あたらしい新しい組合(SUD一PTT)が結成され、いま、一万七〇〇〇人以上となってCGTに次ぐ第二の影響力をもつ組合となっている。既存の組合と違った新しいタイプの労働組合とういうことで、移民・不安定雇用者・失業の闘い、杜会運動との連帯、他組合との共闘・連帯に取り組み、そして組合民主主義の徹底という面できわだっている。徹底した現場重視で、専従役員をやっていても、その後は必ず現場に戻っている。
 その後、九五年にジュペ内閣の福祉削減の計画に反対する公共部門のストライキが闘われ、鉄道部門のSUD―RAILをはじめとして、多くの分野でSUD系の労働組合が生まれた。SUDはナショナルセンターはつくっていないが、一五〜二〇くらいの組織が緩やかな連合体をつくって活動している。

公共サービス防衛へ

 昨年、ヨーロッパの公共サービス防衛のアピールが出された。そこでは、「われわれの公共サービスはフランスでもヨーロッパでも売りものではない」ことが強調された。SUD―PTTの出した郵便局と公共サービス防衛のためのパンフレットでは、自由化と民営化がもたらすものは、全世界共通してサービスの質の低下・料金の値上げ・労働者への攻撃であるとして、公共サービスを提供する郵便局を防衛するための結集と郵便局の未来を提案している。そこでは、公共サービスの中で最も密集度の高い郵便局網の利用など公共サービスと従業員のために闘う方針を出している。
 昨年の一〇月には、郵便仕分けセンターの全国ストライキが闘われ、一一月には「ラ・ポスト」と「フランステレコム」で全国ストライキがうたれ、公共サービス従事者の大規模なデモが行われた。「フランステレコム」ではスト参加者は五〇%、「ラ・ポスト」でのスト参加者も三〇%ちかくあった。デモ参加者はパリだけで七万人となり、そのうち鉄道労働者が五万人となった。パリ以外でも数千人規模のデモが行われた。
 いま、ヨーロッパにおける公共サービス・郵便事業は解体されようとしている。二〇〇九年までに郵便サービスの全面自由化がもくろまれている。民営化されて職員数・郵便局数が大幅に減り、逆に郵便料金は跳ね上がっている。
 世界中で公共サービス防衛の運動はますます重大な意義をもつようになってきている。


郵政公社とは悪辣な郵政体質とトヨタ生産方式の結合

 郵政民営化は、小泉内閣の構造改革の目玉商品として売り出されている。そして四月一日から郵政公社が発足する。
 赤字体質からの脱却が目的だとされているが、実際は、醜い利権争いでしかない。それは人員削減・労働条件の低下、利用者へはサービスの低下を伴う。大企業と高級官僚の利益のためだ。そして犠牲はすべて労働者と多くの民衆へしわ寄せされる。
中曽根内閣は国鉄の分割民営化を行政改革の中心にすえたが、それは、大資本、官僚、政治家が濡れ手で粟の利権あさり、「赤字ローカル線」の切捨てによる地域社会の崩壊、そして国家的不当労働行為による組合差別・解雇・労働強化の蔓延をもたらした。
 今回の郵政民営化でも、すでにあの手この手の労働強化策は始まっている。そのひとつが、かの「トヨタ生産方式」の導入だ。
 昨年一二月一七日、郵政事業庁の松井浩長官は記者会見で、郵便業務の配達など一連の作業に、トヨタ自動車の経営改善ノウハウ、「カンバン方式」などの「トヨタ生産方式」を導入すると発表した。そして松井長官は「官庁は在庫保管コストの認識が薄い。必要なものを必要な時に必要な量だけ生産、運搬する方式は大いに参考になる」と発言した。郵便を「ジャストインタイム」方式で行うというのだ。
 今年四月には郵政公社化と郵便の民間開放を控えている。それら民間企業との競争力を強めるためだと言っている。
 埼玉県の越谷郵便局をプロフィットセンター試行局として、そこにトヨタの物流部門専門チームの社員七人が年明けから約一年間常駐し、窓口業務、郵便物の収集・仕分け・配達などの作業の手順を改善するためのアドバイスをし、日常業務の改善点を調査する(実施時期は二〇〇二年一二月一七日から二〇〇四年三月三一日まで)。
この「調査」をもとに事業庁(郵政公社)が改善マニュアルを作って、全国の郵便局に導入する。越谷局で、労働強化モデルを作り上げ、それを押し広げる方式だ。
 「トヨタ生産方式」は、乾いた雑巾からも水を搾り出すという究極の合理化方式であるが、働き方の「ムダ」を見つけ出し、それを排除することを、労働者自身に行わせる。もし「ムダ」が見つからないのなら、作り出せばよい。そうした意識に労働者を追い込み、一切の権利意識を奪い取る。労働強化と賃金抑制による生産性の向上が狙われているわけだ。
 越谷局の「調査」から出てくることは、いままでの仕事がきつくなることは明らかなことだ。目的は、少ない労働者で、今まで以上の仕事をこなすことなのだから。そして、なによりも、公社の利益をあげることなのだから。
 郵政公社とは、郵政の悪辣な労務管理と利用者の不便、労働者の汗の一滴一滴から儲けを作り出す「トヨタ生産方式」という最悪の結合の姿である。


 ブッシュ政権の戦争政策とと闘う

     米国の反戦団体A.N.S.W.E.Rの声明

緊急の抗議と罷業を

米国の平和運動組織・インタナショナルA・N・S・W・E・Rが二月一〇日に発表した文書を紹介する。

 ブッシュ政権は単独戦争も辞さないと脅しているので、われわれは、この運動を、戦争をとめる唯一最大の障碍とするためにできうる限りのことをしなければならない。われわれは戦争が不可避だとは信じない。
 しかし、もし戦争がはじまれば、われわれは戦争マシーンに抵抗し、無力化するために組織化されなければならない。

 1 イラクへの新たな米戦争がはじまった日…緊急抗議
 以下の中心的な場所において、午後5時(爆撃が夜、始まったときは翌日の午後5時)から戦争に抗議するために都市近郊を行進する。
 ホワイトハウス(ワシントン)
 タイムズスクエア(ニューヨーク)
 パウエル アンド マーケット(サンフランシスコ)
 多くの都市と地域社会は米軍の侵略に対応してこれらの緊急行動を行う伝統を持っている。もしもあなたの地域共同体が伝統的な計画委を持たないならば、連邦ビルや町のホールなどの賑やかな場所、交差点を選べ。

 2 戦争がはじまった翌朝・・・・・罷業・離業せよ!
 学校、仕事からの罷業を組織し、家を離れよ。
 午前中は人々に反戦行動に参加するよう呼びかけるリーフレットを配布せよ。
 国中のANSWERの事務所と組織体のセンターが午前中、リーフレット提供のために開いている。そこからあなたは、他の人々とともに、あなたの地域社会に向かうことができる。
 正午に戦争反対の抗議行動に参加するため都市中心に集結せよ。  www.internationalanswer.orgからチラシをダウンロードしてあなたの地域の組織体に配備せよ。

 3 そのあとの最初の土曜日・・・ホワイトハウスに集まれ
 イラクへの戦争がはじまった直後の土曜日には何千もの人々が正午にホワイトハウスに集まるであろう。

ブッシュとパウエルの国連発表に対する回答

 ジョージ・W・ブッシュは今夜、全米向けテレビに出て「ゲームは終わった」と宣言し、国連各国が、国内の戦争反対世論に抗して、ブッシュのイラク侵略を支持するかどうかの決断を迫った。ブッシュの演説は国務長官パウエルの昨日の国連発表への、よく振付けられたフォローアップであった。ブッシュは、この戦争をとめたいと願う世界の広範な民衆の意志と精神を打ち砕くために、戦争は不可避であると世界に思い込ませようと試みた。それに対して、われわれの世界規模の運動は大衆的反対を築きあげることであり、これこそがブッシュ、チェイニーそしてペンタゴンをとめうる唯一の政治的手段である。
 以下はパウエルの二月五日演説に対するA・N・S・W・E・R連合の回答である。


 パウエルの国連発表は不思議の国のアリス的宣伝の見本であった。現実が完全に逆転されていたのだ。十二年に及ぶ経済制裁と米空爆で疲弊し切ったイラクが、一〇万以上の軍隊、戦闘機、戦艦、ハイテクミサイルといった重装備侵略勢力に包囲され、核攻撃で脅されているその時に、パウエルはイラクが『平和』に対して重大な脅威を与えていると主張した。

 ペンタゴンは最初の四八時間に三〇〇〇発以上の爆弾・ミサイルによる電撃戦をイラクに仕掛けることによって平和を維持するという計画を発表した。この計画は政府によって『衝撃と恐怖』と名づけられた。
 三〇〇発から四〇〇発のトマホーク巡航ミサイルが米国の攻撃の最初の日にイラクで炸裂する。この個数は第一次湾岸戦争の全四〇日間に発せられた総数を越える。二日目にはさらに新たな三〇〇から四〇〇発の巡航ミサイルが撃ち込まれる。
 「バグダッドに安全な場所はない」とある政府高官は言った。さらに「このような規模はこれまでに見られたこともないし、考えられたこともない」とも言った。
 「衝撃と恐怖」計画の作成者の一人はその意図を「数日、数週ではなく、数分で広島の核兵器なみの効果を及ぼす」ことだと述べた。

 パウエル長官はメデイアでは通常、ブッシュ政権内の穏健派あるいはハト派と見なされている。しかし、一九九一年の湾岸戦争終了直後の記者会見において、殺されたイラクの兵士と市民(一〇万以上と言われる)の見積もりを聞かれた時に「私は数字にはあまり関心がない」と答えたのはコーリン・パウエルその人であった。

 戦争に正当性があるだろうか。
 ブッシュの戦争がもたらす危機は膨大である。何十万ものイラク人が殺されるだろう。何万もの人々が送り込まれ、命を危険にさらすことになるだろう。二千億ドルから二兆ドルもの経済的負担が国庫を襲い、次世代にまで付けを遺すであろう。それは教育、健康、児童福祉、仕事といった本質的な人間的必要に供することのできる資金の枯渇をもたらす。

 どのような状況下で、このような確実な危険と損失が正当化されるだろうか。パウエルの発表では何も示されなかった。米国あるいは他の誰に対してもイラクが脅威を与えていることは示されなかった。
 パウエルの発表には二重の目的があった。それは単に、戦争のための「状況つくり」のためだけでなく、中東地域を再植民地化しようとするブッシュ政権の真の目的から米国民の目をそらすことにあった。パウエルは煙、鏡、誤導を使い分け、恐怖まき散らし役を劇的に演じた。そして、もともとは米国の大量破壊兵器貯蔵から起こったタンソ菌襲撃にまで言及し、イラク攻撃が米国を安全にするかのように示唆したのだった。

 パウエルの全発表を通じて、「石油」という言葉は一度も使われなかった。
 しかし、全世界はブッシュとその取り巻きがすでにイラクの石油埋蔵量把握のための計画を立てていることを知っている。表向きには武装解除や民主化が語られるが、隠れたところで、政権は、イラク油田分割のために石油産業重役と会っている。
 (「ウオールストリートジャーナル」 二〇〇三一月一六日)

 民主主義とは正反対に、ブッシュはイラクを支配するために、トミー・フランクス将軍を長とする軍政を敷こうとしている。イラク侵略のチアリーダーであるトーマス・フリードマンは二月五日のコラムにおいて得意げに次のようにイラクの将来図を描いてみせた。
 「イラクは米軍隊とその同盟の鉄拳によって支配されるだろう。そして毎日の生活を営むために、この鉄拳の陰から、市民の諮問的行政府が徐々に生まれるだろう。」(「ニューヨーク・タイムズ」 二〇〇三年二月五日)

 パウエルは脅威、計画、可能性について何も示さなかった。侵略の一撃を加え、イラク国民を大量の火器にさらすことに正当性があるだろうか。
 世界の平和に最大の脅威を与えているのは誰なのか。
 パウエルの発表はイラクの仮定の、そしていずれにせよ微々たる兵器に関するものであったのに対し、ペンタゴンは現実の、恐らく核兵器さえ含む大量破壊兵器を使ってイラクに壊滅的な攻撃を加える準備を進めている。
 大量破壊兵器に関して、パウエルはイラク政府はいつか核兵器の所有を望むかもしれないと主張した。
 しかし、ブッシュ政権が来るべきイラク戦争で核兵器を使う選択肢を残していること、そして、最近ペンタゴンによって発表された新軍事ドクトリンによって非核国に対しても最初の核攻撃を行う権利を留保していることを世界は知っている。

 パウエルはもしも国連が、国連憲章を破壊する、米国のイラク軍事侵攻・征服を支持しないならば、それは国連の適性を失うと主張した。歴史は大いなる皮肉をもってパウエルの次の声明を思い起こすことであろう。
 「われわれは、自分流の立場に立つすべての人々への威嚇、強要、絶滅といった己の知る唯一の手段を使ってイラクと周辺中東を支配する野心を追い求めてきた指導者にストップをかけなければならない」

 ブッシュ政権はイラクによる差し迫った危険を取り払うために奔走しているのではない。彼らはわれわれの運動が戦争への打ち勝ちがたい障害になることを妨げようと奔走しているのだ。
 来るべき決定的な週日において、われわれの運動を一層、強めることを誓い合おうではないか。

二〇〇三年二月六日


 せんりゅう
                  ゝ史


食品偽装。政府は軍隊偽装
イージス派遣だから武運参拝
肩を張り目を尖らせて御参拝
「たいしたことじゃない」歴代の九条破り
査察団やってることはスパイ団
だんだんとブッシュの顔が邪鬼になり
攻撃するな民衆の声国を越え


   二〇〇三年一月

○ 一月一四日、小泉首相、内閣総理大臣の名で靖国神社参拝。とぼけた弁明、本心は戦争政策行動に現れている。○公約破りは「大した事じゃない」国会答弁。○一月一五日、米大統領、積極的差別撤廃措置(一九六四)を違憲と見解。イラクや金正日への偏見はナチを想い出させる。○一月一八日、日比谷公園七〇〇〇人、アメリカはじめ三〇数カ国でイラク攻撃反戦集会デモンストレーション。


複眼単眼

   
イラク反戦とインターネット時代の若い活動家たち

 若い友人たちがイラクのバグダットにむかうことになった。いろいろと迷いながら、エイヤッとばかりに人間の盾となる決意をしたのだ。会議のあと「じゃぁ気をつけて行ってきてね」などと、ピントはずれの別れの挨拶を言ってしまった
 資本と市場のボーダーレス化は久しく言われてきたが、日本の社会活動をする若者たちがかくも国際的な動きを、ごく自然に展開するようになったのはそんなに以前のことではない。いわばインターネット世代とでもいうようなものではないか。
  いまイラクに向っている人だけでもけっこう多くいる。ミユージシャンの喜納昌吉らのチャンプルーズもバグダットでコンサートをやる。NGOのいくつものグループも行っている。日本人だけではない。ヨーロッパからはバスを仕立てて向っている人びともいる。米国からは退役軍人らも含めて人間の盾をめざしてイラクに入っている。
 イラクの問題だけではない。さまざまなNGOの運動が日常的に日本と外国を行ったり来たりして、国際的な活動をしている。
 この間のイラク反戦の国際共同行動ではワシントンやニューヨークでデモをした日本人も少なくない。この人びとにとって東京でやることも、ワシントンでやることも同じイラク反戦で、今回は自分はどこで行動してみようかなという選択の対象であるにすぎない。
 筆者も昔だったら「外国に行く前にここでやってみな」と文句のひとつも言ったはずだけど、いまはそうは思わない。
 そして先の一・一八日比谷には外国人の参加者が目立って多かったことも見逃せない。
 いま、国境を超えて活動している若者たちの感覚は、かつてアラブや北朝鮮、キューバなどに「革命根拠地」を作るなどと叫んで事実上の戦線逃亡をはかって現地入りし、さんざん地元の人びとに迷惑をかけた連中の幼稚さとは異質なものがある。この幼稚な連中がそのまま歳を重ね、昨今のように若者たちがイラクに行ったりする情勢になると、またぞろ元某派の議長のSとか、民族派右翼のKなどまでがバグダット入りを画策するというのだから呆れ果てる。SもKも、いい加減にしなさい、まったく。(K