人民新報 ・ 第1088号<統合181号> (2003年3月5日)
目次
● 世界の人びとと共にイラク反戦を 運動の歴史塗り替える3・8へ
● 広島で六〇〇〇人の反戦の人文字
● 3・8に向けピースウィーク
● 岡山 ・ 日本原からイラク攻撃反対の声 戦争のための演習も演習場もいらない
● 宗派を超えて立ち上がる宗教者 米国大使館への祈念行進
● 戦争はイヤだ、これが市民の声 小田実さんらがイラク反戦の集会
● Don't Attack Iraq ! 2・15 大阪
● レイバーネット日本第三回総会
● 闘う闘争団への除名・圧殺攻撃を止めろ
● 反リストラ産経労への不当判決糾弾 またも全動労判決の高裁村上裁判官が反動判決
● 資 料 / 全日建連帯労組反戦決議
● 本の紹介 / 「地域ユニオン・コラボレーション論 − オルグから見た地域共闘とは」(小野寺忠昭)
● 映画 草ぶきの学校
● 複眼単眼 / ブッシュの教師だった人の証言
世界の人びとと共にイラク反戦を
運動の歴史塗り替える3・8へ
世代の違いを越えて、日常の活動のエリアの違いを超えて、思想・信条の違いを超えて、いま「WORLD PEACE NOW実行委員会」が3・8イラク・ピース・アクションを呼びかけている。呼びかけ団体はさまざまなNGOや平和運動団体など四七団体に増えた。三月八日(土曜日)、日比谷公園、午後一時開場、一時半音楽開始、二時から集会、三時半からピースパレード。
今回の行動の特徴の一つは「玄関でたらピースウォーク」というスローガン。行動が集会から始まるのではなく、家や事務所を出たところから、プラカードなどを持った個人個人のデモがはじまる。東京や周辺の街あちこちから小さなピースウォークが日比谷公園に向かって集中してくる。公園に近いいくつかの駅からは、プラカードを持った人々が歩道を歩いてやってくる。この日、デモコース以外でも、街の多くの人々がイラク反戦のプラカードを目にすることになる。
そして、一週間前から始まったピース・ウィークでは山手線や中央線の電車に乗ってプラカードやチラシを配るパフォーマンスをする青年たち、渋谷や六本木の交差点では大画面に3・8の告知映像が登場する。独自に商業紙に3・8の意見広告を掲載したグループもある。実行委員会も集会の告知のための新聞広告もうつ。集会が禁止されている新宿西口ひろばでは、プラカードを持った数人の女性たちが連日、無言のスタンディングをしている。地域の駅頭などで宣伝が行われている。この期間に行われる様々な市民集会には必ず3・8のチラシが置いてある。「イラク戦争を止めたい」「いまなら間に合う」「一月には必至といわれていたイラク攻撃を世界の反戦の世論が一ヶ月以上も延ばしている」と多くの人びとが、主体的にこの3・8アクションを作り上げようとしている。
いま新たな状況が生まれている。その結果、大組織の「動員」に頼らず、自覚的な市民の結集を目指す集会が一万人、二万人単位で展望されるようになってきた。ここ数十年来なかったような反戦運動の高揚した状況が生まれつつあるのだ。
そしてこれは東京だけではない。3・8は少なくとも全国の二〇箇所以上で取り組まれ、いずれも高揚局面を作り出している。
三・八の成功を闘いとることができれば、運動の一層の大連合も展望できるだろう。そうしなければならない。そこに反戦運動の歴史を塗り替える闘いが展望できる。
ブッシュは国際的な反戦の世論の高まりの中で窮地に立っている。英国のブレアも内外の世論の高揚の中で動揺している。米英の戦争を支援しようとする小泉内閣に抗議を集中させなくてはならない。
まだまにあう。世界の人びとと共に戦争を止めろ。あきらめてはいけない。3・8を成功させよう。反戦の世論を盛り上げよう。
すべての社会主義者は共同し、この闘いを下ささえして、成功のために積極的な貢献をしなければならない。
広島で六〇〇〇人の反戦の人文字
三月二日。広島はおそらくはじめての歴史を刻んだ。
正午 中央公園北側にしつらえたステージ前に、三々五々人々が集まる。ピースコンサートが始まる。
午後一時 NO WAR NO DU ! の人文字づくりが始まる。
午後一時三〇分 参加者は六千人と発表される。広島市長も「一個人」として参加する。
午後二時 会場上空を九機のヘリが飛び交う中に、空撮のセスナが現れる。
しかし、どうやらヘリが邪魔で撮影が思うようにいかない。
六〇〇〇人の手が波のようにセスナに向かって波のように振られる。
午後二時一〇分 喜納昌吉さんの歌が始まる。間をもたせるかのように。最後に、「ヒロシマありがとう。ヒロシマが立ち上がることは、世界の希望です」と絶叫。
会場カンパが一一〇万円集まったと発表される。
午後二時三〇分 ピースウォークが出発。延々と続く人の列。
繁華街を通過するデモ隊も、行き交う市民も同じ「ただの市民」という光景。
午後四時 すべてのデモの隊列が、平和の子の像前に到着。
この力でイラクへの攻撃をとどめよう、とのまとめで全てを終了した。(広島通信員)
3・8に向けピースウィーク
三月八日の集会の成功を目指して、WORLD PEACE NOW実行委員会による事前行動・ピースウィークが始まった。二日は東京の上野、有楽町、渋谷、新宿の各駅頭で一〇〇名ほどのメンバーが宣伝活動をした。
上野では市民緊急行動がチラシの配布と署名活動、一時間で千数百枚のチラシを配布し、七〇名の署名と、六〇〇〇円余のカンパが集まった。
実行委員会はこの後も記者会見や、新聞広告、イラク帰国報告などの一週間のキャンペーンを行い、3・8に万余の人びとの結集を目指している。
岡山
日本原からイラク攻撃反対の声 戦争のための演習も演習場もいらない
今年の日本原集会は、例年なら雪によって参加者が少なくなりはしないかと心配するのが当たり前なのに、めずらしく雨が降り出した。集会場が田圃でもあり参加者の人数を心配したが、米・英のイラク攻撃の危機がせまり緊迫した状況を反映して雨の中を、二五〇名を越える参加者があったとは喜ばしいことだ。今年は右翼の車も全然来ない。また、機動隊の装備もガラッと変わって、機能的になっているのには驚いた。
集会は解放同盟の内海さんの司会ではじまり、福島日本原基地撤去共闘議長が「米国のイラク攻撃に反対する運動の更なる高揚をかち取りイラク攻撃を阻止し、戦争のない平和な世界を実現しよう」と開会あいさつ。
日本原闘争弁護団として活躍してきた大石弁護士が「精神障害者差別を助長する流れに断固として反撃する運動の陣形を、有事法制を打ち砕く陣形を、人として生きる生存権の確立を」と訴えた。
「東京日本原農民と連帯する会」の澤村氏が次のような発言を行った。
昨年のこの集会で米国のイラク侵攻がさし迫っていることを指摘しました。米国のイラク侵攻の方針は変わってはいません。国連査察委員会は何度もイラク国内の査察を行っていますが、「大量破壊兵器は見あたらない」と言っています。イラクが大量破壊兵器を所持しているかどうかはわかりませんが、インドやパキスタンは実験をやったことからしても所持の事実は明らかにもかかわらず問題にならない。それよりも最も多く大量破壊兵器を所有しているのが米国です。
その米国イラク侵攻をもくろむのはなぜか。それは石油です。サウジに次ぐ埋蔵量の石油を米国の自由にするためにフセインを打倒し親米政権を打ち立てる。これが目的です。
このような米国の横暴を許してはなりません。米国内をはじめとする世界中の地でイラク侵攻に反対する集会・デモをはじめとする闘いが巻き起こっています。日本の小泉首相はどうでしょうか。英国以上に米国に追随的です。イージス艦をはじめとする自衛艦を派遣し燃料補給や兵器輸送を行っています。それよりもっと重要なことは沖縄をはじめとする在日米軍基地の存在がなければ、米国のイラク侵攻は存在しえないということです。
青年労働者のみなさんに訴えたい。何年にもおよぶ不況の中で職場の労働条件は悪化の一途をたどっている。とりわけ青年労働者の労働条件は非常に厳しくなっています。労働組合も萎縮し閉塞的状況を呈しています。しかし、このような状況を労働者・人民に強いざるをえない支配階級こそ厳しい状況にあることに思いを馳せて下さい。軍事力こそもっているが政治的・経済的には崩壊状況に入ってきています。支配階級が、一切の犠牲を労働者・人民大衆に転嫁しこの危機を乗り切ろうと焦り急ぐのは、自らの危機を恐れているからに他なりません。このことをきちんと踏まえて突破口を切り開く知恵を働かせて下さい。
つづいて、現地農民の内藤秀之さんの息子さんが、「父は兄の葬式に立ち会っているのでこの集会には参加できないことを残念がっています。その思いをメッセージで訴えたいということなので自分が代読する」と前置きしてメッセージを伝えた。メッセージで内藤秀之さんは次のように述べている。
「演習場内には農地もあれば共有林もあり、演習はわれわれの日常生活の自由を奪うものだ。九一年の湾岸戦争で米・英軍の使用した劣化ウラン弾がイラク国内で今もなお被害を拡大している。アフガンでもいろいろな爆弾が使用され多くの人びとが、今なお苦しんでいる。戦争は平和をもたらさない。戦争のための演習も演習場もいらない。9・11爆破事件の被害者遺族の組織の人びとが日本に来て米国のイラク侵攻に反対し、平和を訴えた話に感動した。米国のイラク侵攻を絶対に許してはならない。また米軍の日本原演習も絶対に許してはならない。自主耕作や演習場視察や実射阻止闘争をつづけながらともに闘いましょう。」
そして、内藤さんの息子さんから「自分も父とともに闘いぬく」という決意表明があり、会場から圧倒的な拍手で応えられた。
集会は、恒例の「自衛隊は日本原から出て行け」大声大会、美作地評岩本議長の「団結ガンバロー」で成功裡に終えた。
集会の後には「平和憲法の会・岡山」を中心とする有志が結集して、駐屯地まで約三`のデモ行進を行った。(岡山通信員)
宗派を超えて立ち上がる宗教者 米国大使館への祈念行進
各界の広範な人びとの中からブッシュのイラク攻撃反対、小泉政権の加担反対の声があがる中、宗教者の人びとによる宗派や教派を超えた「イラク攻撃の回避をいのる」平和を祈念する宗教者のつどいが開かれた。
呼びかけは「米国および世界中で戦争に反対する市民が立ち上がり、平和を求める声をあげています。戦争はすべての命を奪い、環境を破壊する最大の暴力であることを私たちは之までの歴史から学んでいます。米国主導のイラク攻撃にどのような理由もつけることはできません。私たちは米国の武力行使も、日本の参戦も許してはなりません」とのべている。
集会は平和をつくり出す宗教者ネットのよびかけで、三月一日午後六時から、米国大使館に近い東京港区の梅上山光明寺で行われた。仏教、キリスト教、イスラム教などの人びと、約一〇〇名が集まって祈りの集会が行われ、集会後、参会者は雨の中にもかかわらず、米国大使館まで行進し、平和祈念を行った。
集会では日本山妙法寺の木津博允上人が開会の挨拶を行い、宗教者が共同してイラク戦争を止めるために立ち上がることの重要性と、多くの人びとと共同して行動することの緊急性を訴えた。
その後、仏教者、キリスト者の挨拶と祈りが行われたあと、イスラム教から大塚モスクの代表が挨拶、祈りを行った。会場にはお経や賛美歌、コーランが響き渡ったが、それぞれの宗派を超えて共に真剣に祈る姿が特徴的だった。
閉会挨拶は日本キリスト教協議会総幹事の大津健一さんが行った。
戦争はイヤだ、これが市民の声 小田実さんらがイラク反戦の集会
「戦争はイヤだ・これが市民の声だ」と題する講演会が、三月一日午後、東京・神田の神田キリスト教会で開かれ、一〇〇名の市民が参加した。
講演会を呼びかけたのは「九・一一声明事務局」。同声明は昨年九月、作家の小田実さんらが「誰がどう考えてもイラクを先制攻撃するのは間違っている。私たち、日本、世界の市民は反対する」とよびかけ、現在までに一二九九名の人びとが賛同しているもの。
この日は司会をジャーナリストの矢崎泰久さんが行い、小田実さん、作家の澤地久枝さん、キリスト者政治連盟の大島孝一さん、作家の中山千夏さん、原子力資料情報室の山口幸夫さん、評論家の佐高信さん、日本キリスト教協議会の大津健一さんが発言し、会場からの質疑応答が行われた。
小田さんは「マスコミの報道は全くひどい。フランスで反戦運動が盛り上がっているのは、米仏の石油利権争いの結果だなどと解説して平然としている。野次馬評論家が私になぜ日本の運動は盛り上がらないのかなどと聞いてくるから、お前が来ないからだと答えた。われわれが動けば事態は変わるのだと思う」と述べた。
澤地さんは「日本の政治は確かに危機的な状態だが、この反面教師のような社会で、自覚した市民が育ちつつあることに注目している。平和のための最後の砦は市民です。わたしはそういう人々の流れの中に、身を置きたい。一人一人は弱いかもしれないが、私の反戦の志は誰も奪うことができません。こした志を持った人々が協力していけば、状況は変わるのではないかと思います」と訴えた。
中山さんは、「命よりカネが大事だという風潮が社会に蔓延している。一人一人の命に勝るものはない。個人の大切さを確立し、金や国家が大事だという風潮に負けないで生きていきたい」と発言。
佐高さんは「日本の政府は属米だが、私は反米というのではなく、離米が良いと思っている。最近は私の講演会での妨害も目立ってきた。変化を感じている」と発言。
大島さんは「憎悪が憎悪を生み出し、暴力の連鎖が生じていることに、歯止めをかけなくてはならない」と述べた。
大津さんは「流行の転倒された価値観に巻き込まれず、日本国憲法の精神を共通の柱にしていかなくてはならない。イラク攻撃に反対する課題は緊急だが、私たちはアフガンで非戦闘員が三〇〇〇人以上も殺され、劣化ウラン弾などの被害で多くの人びとがいま苦しんでいることも忘れることはできない」と指摘した。
Don't Attack Iraq ! 2・15 大阪
二月一五日、世界同時行動に大阪でも集会とデモが行われた。
扇町公園(大阪市北区)で開催された「しないさせない戦争協力・関西ネットワーク」主催の集会には約一五〇〇人が参加した。思い思いのプラカードやゼッケン、バンダナで戦争反対の意思表示し、「アメリカはイラクを攻撃するな」とシュプレヒコールをあげて市民にアピールした。
途中、自民党大阪府本部、アメリカ総領事館に対して抗議のシュプレヒコールを行い、大阪市役所までのデモ行進を行った。
(大阪通信員)
レイバーネット日本第三回総会
インターネットを活用して、労働運動の情報をネットワークすることで、労働者の権利を確立し、国内外の労働者の連帯を強化する
三月一日、「レイバーネット日本」(代表・伊藤彰信全港湾書記長)の第三回総会が開かれた。レーバーネットのHPは、 (http://www.labornetjp.org/)
レイバーネットは、「労働運動の情報をネットワークすることを通じて、労働者の権利を確立し、国内外の労働者の連帯を強化すること」を目的とした個人ベースの独立メディア団体だ。
はじめに、伊藤代表が、イラク反戦運動の高揚におけるインターネットの役割を強調し、インターネットを駆使して労働運動の前進をめざすレイバーネットを定着させようとあいさつした。
つづいて、経過報告、国際、ネット技術、ニューヨークでのレーバーテック会議、昨年一一月の「レイバーフェスタ」、会計報告などがおこなわれた。
二〇〇三年度の方針では、@現場から情報発信を強化する、(インターネットやビデオの使い方講座を定期的に開く、ウェッブサイトの管理をできる上級者の育成)、Aウェッブサイトの充実のために(日本国内の運動情報の海外への発信、海外情報の日本語での発信)、Bインターネット放送の具体化、C「レイバーフェスタ二〇〇三」に全面的に協力する、Dレイバーネットの本の出版、Eインターネットの国際的ルールづくり、F海外の労働メディアとの交流、GレイバーネットのNPO法人化をめざす、などが決まった。
総会の最後に、代表に伊藤彰信さん(全港湾)、副代表に松原明さん(ビデオプレス)、安田幸弘さん(市民電子情報網)、事務局長に河添誠さん(公務公共一般組合)などの役員が選出された。
総会につづいて、レイバートーク「民営化に対抗する世界のうねり」が開かれた。
今年の一月二三〜二八日、ブラジルのポルトアレグレで、第三回世界社会フォーラムが開催され、一五六カ国から一〇万人以上が参加した。世界社会フォーラムは、新自由主義と資本による世界支配とあらゆる形の帝国主義に反対し、「人類同士の、また人類と地球との実りある関係をめざす世界社会の構築に従事する団体や運動」が、「互いの経験を自由に交流し、効果的な行動にむけて提携する開かれた会合の場」(基本原則憲章)だ。日本からも多くの人びとが参加した。
世界社会フォーラムに参加した佐久間誠さん(闘う闘争団)は、熱気溢れるフォーラムと、巨大なうねりとなったデモの状況について感激的に報告した。また、国鉄闘争を世界に広めるため、小泉首相あての葉書を世界の人びとに書いてもらったこと、「国労冬物語」のビデオ・CDの配布、インターネットでの闘争団の闘いの情報発信などについて語った。
フォーラムに参加した大屋定晴さん(首都圏青年ユニオン)は、第三回世界社会フォーラムについて報告。フォーラムに参加した人たちは、グローバリズムのすべてに反対しているわけではない。新自由主義のグローバリズムには徹底的に反対するが、人権のグローバリズム、連帯のグローバリズムは大いに進めていこうといっている。フォーラムの公式プログラムは、@民主的で持続可能な発展、A原理と価値、人権、多様性と平等、Bメディア、文化、対抗ヘゲモニー、C政治権力、市民社会、そして民主化、D民主的な世界秩序、軍事主義への闘いと平和の促進の五つのテーマで、全体会議が一〇回、パネルディスカッションが三六回、個人演説会が二二回、セミナー・ワークショップでは一二八六も企画があった。その中で、社会運動団体から共闘目標として、@社会運動ネットワークの構築、A新自由主義グローバリゼーションへの対抗、B軍事主義と戦争への反対、が呼びかけられた。第四回フォーラムは、来年にインドで開かれることが決まった。
集会の最後に、佐久間さんが、一人でも多くの人がインドでの世界社会フォーラムに参加し、国際的な力で戦争や差別のない社会を創っていこうとよびかけた。
闘う闘争団への除名・圧殺攻撃を止めろ
JRに法的責任なしとする四党合意の完全破綻は、一〇四七名の解雇撤回を中軸とする闘いを正道に戻し、勝利の展望を切り開くチャンスであった。しかし、国労本部は逆に、国鉄闘争の破壊、そして国労組織の完全解体に踏み出したのである。国労本部の闘争圧殺を許さず、闘う闘争団を守り抜き、鉄建公団訴訟を前進させる支援の輪を広げよう。
二月一五日に開かれた国労第一七三回拡大中央委員会は、またも警察の警備出動を要請し会場の交通会館(国労本部)前はバリケードで封鎖された。
中央委員会で、本部は、四党合意の責任をまったく開き直った。それだけでなく、闘う闘争団への除名攻撃、そして、国労の全国単一組織の解体(JR連合への合流)までが提案されたのである。
国労本部は、四党合意破綻の責任は鉄建公団訴訟原告団をはじめとする闘う闘争団にあるとして、査問委員会を設置し、査問委員会を博多(二月二六日)で九州の闘争団員六名、札幌(三月三日)で北海道の闘争団員二四名に、「事情聴取」を行うとしている。国労本部は、闘う闘争団の除名・圧殺の行動に出てきた。
その査問通知は、二月一六日に届いた。国鉄の分割・民営化が強行された一九八七年の二月一六日のその日、分割・民営化に反対する国労組合員であるということで解雇された日だ。二月一六日は闘争団員にとって決して忘れられない日となっている。その日付けで査問通知を届けたことは国労本部が完全に分割・民営化路線に屈服したことを象徴している。
「事情聴取」通知を受けた闘争団員たちは、査問委員会の場でも断固として自らの考えと運動の正当性を主張していくといっている。
国労本部は、鉄建公団訴訟などが、国労規約の組合員の権利・義務(三二条)に違反し、処分(三三条)に該当する」としているが、鉄建公団訴訟こそは、旧国鉄の承継組織である鉄建公団とJRの責任を追及するものである。国労本部は、ただちに査問委員会を解散させなければならない。
(なお、二月二六日の九州の査問委員会は、査問委員会側が、弁護人については交通費を払わないなどという態度を取ったため、出頭する条件が整わず、一人も出頭せずに開催できなかった)。
反リストラ産経労への不当判決糾弾
またも全動労判決の高裁村上裁判官が反動判決
二月二五日、東京高裁(第八民事部・村上敬一裁判長)は、反リストラ産経労(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)の松沢弘委員長が産経新聞グループの日本工業新聞社を相手取って起こした社員としての地位確認等を求める裁判の控訴審で、松沢委員長の懲戒解雇を無効とした東京地裁判決を取り消し、懲戒解雇を容認する逆転不当判決を言い渡した。
反リストラ産経労は、九四年一月一〇日に、産経新聞グループの産経新聞社や日本工業新聞社などのリストラに反対する労働者たちによって結成された。しかし、産経新聞グループは日本政治反動化の先兵をつとめるマスコミの牙城で、しかもサンケイ労組は有名な超御用組合である。
会社側は、反リストラ産経労の委員長に就任した松沢さんを、同年二月一日、新聞販売を担当する販売・開発局の所属で、支局員が一人しかおらず、通勤に往復約五時間もかかる日工・千葉支局に、わざわざ専任支局長ポストを新設する形で不当配転し、同年九月二二日に理由も示されずに懲戒解雇した。
解雇攻撃を受けた反リストラ産経労は、会社への抗議闘争、東京総行動へ参加などの行動にあわせて都労委、東京地裁での闘いを展開してきた。
長期にわたる闘いの中で、昨年の五月三一日に東京地裁民事第一九部(山口幸雄裁判長)は、「懲戒解雇処分は適正手続きに違反し、解雇権濫用に当たるので無効だ。賃金・賞与等を支払え」との労組側勝利判決を出した。また地裁判決は「論説委員も支局長も使用者の利益代表者であるとはいえない」として松沢委員長の労組法上の組合員資格を認定し、反リストラ産経労についても「労働組合法上の労働組合と認めるのが相当である」として労組法の適合組合であると認めていた。
それを東京高裁・村上敬一裁判長は覆したのである。
この不当判決を出した村上敬一というのは、国鉄の民営化にともなう採用差別の全動労事件をはじめとするさまざまの重大な裁判で、数々の反動判決を連発している男なのだ。全動労事件判決では、国是の国鉄民営化に反対するものがJRに採用されないのは当然だとして、労働運動を「国賊」視していた。今回の松沢さん不当解雇事件でも、会社に逆らうような奴の解雇は当たり前だという立場からのものでることは明白である。
松沢委員長は「高裁の判決は、憲法等に違反しており、到底受け入れられない。直ちに上告して最高裁の判断を仰ぎたい」との決意を表明している。
裁判所の反動化が進んでいる。これは労働法制の大改悪と相まって首切り自由社会を到来させるものである。
解雇撤回、労働条件の改悪反対、労働者の生活と権利を守る闘いをいっそう強化しよう。
資 料
全日建連帯労組 「 イラク攻撃反対・北朝鮮敵視政策そして有事立法などアメリカと日本の戦争政策に反対しストライキで闘う決議」
アメリカは、全世界民衆の反対を無視してイラクに戦争をしかけようとしている。
アメリカはまた、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を「無法者政権」と称し、日本および韓国にたいして金正日政権を目的にした経済封鎖の実行を要求している。
日本の小泉政権は、これらアメリカの戦争政策に無条件で追随して、イラク攻撃のため、すでにイージス艦を中東地域に派遣したほか、軍事行動支援の新法づくりや有事立法の制度を急いでいる。
連帯労組に結集するわれわれは、アメリカを中心とするこれら戦争政策に断固反対するため、労働者の闘う武器であるストライキを頂点として全国で一斉行動に立ち上がることを決意した。
アメリカを中心とする帝国主義国が、イラク開戦を急ぐ理由は明白である。エンロン、ワールドコムなどの破産が示すとおり、「グローバリゼーション」を謳ったアメリカ資本主義の世界支配は破たんした。
国家財政も三千億j(六〇兆円)もの空前の赤字を記録し破綻寸前である。この危機を戦争によって打開し、世界の経済・産業・市場・エネルギーにたいするアメリカの一極支配を維持すること。これがアメリカと、これに同盟する帝国主義のねらいである。さらに、イラク攻撃を通じてアメリカ支配に反対するパレスチナなどの国と勢力に壊滅的打撃を与え、イスラエルを中心とした地域支配と石油利権を確保することが真の目的である。アメリカの民衆は、「石油のために血を流すな」をスローガンに反対運動を展開している。
北朝鮮敵視政策もアメリカの世界支配戦略にもとづき展開されている。一九九〇年代に入って、分断された民族が南北統一を願って、政治・経済、文化交流を積み重ね、例えば南北統一鉄道も開通間近だというのに、九四年米朝合意(北朝鮮が独自の原子力・ミサイル開発を中止する代わりに、アメリカや日本が軽水炉原発を〇四年中に建設し、それまでの間、重油も供給する。)をまず反故にして、北朝鮮に挑発をしかけ、朝鮮半島の軍事的緊張をつくりだしたのはアメリカであった。
日本政府は、このアメリカの戦争政策を受け入れ、自ら踏み出した日朝国交正常化と東アジアの非核化・軍事緊張緩和の道を閉ざしてしまった。
これは、誤りであり、日本政府と多くのマスコミは、アメリカの戦争政策にもとづく北朝鮮敵視政策を即時止めるべきである。
いわゆる拉致問題は、日朝間の近現代史を誠実に、すなわち、日本による朝鮮半島の植民地支配(一九一〇〜一九四五)、その後の敵対的国家関係(日本は北朝鮮を国家として認めず、存在そのものを否定する日米韓軍事同盟の一部分として機能してきた。)を、日本人民の主体的努力で総括・清算して、互恵・平等な平和的共存関係を創造する枠組みのなかに位置づけて解決すべきである。また、北朝鮮に核放棄を要求するのであれば、日本政府はアメリカにたいしても、韓国および日本に配備した核兵器や大量破壊兵器を撤去することを同時に要求し、かつ日本自身の軍事力削減を約束すべきである。
われわれ労働者は、歴史と社会発展の担い手である。われわれには、支配者と権力の理不尽な戦争政策を中止させる力があり、同時に義務がある。その立場を自覚するわれわれは現下の情勢に照らして以下のとおり闘うことを決意する。
一、アメリカ・イギリス等がイラク攻撃を開始した場合、@当日、ただちに職場集会を開催し、アメリカ大使館への抗議、FAX・電話などの抗議行動を実行し、A翌日始業時から「アメリカ・イギリスは、イラク攻撃を即時中止せよ!小泉内閣は戦争に参戦するな!有事立法制定反対!」を掲げ、二時間のストライキを頂点とした諸行動を実行するなど、全国一斉の抗議行動を組織する。(なお、戦術決定は、各地方毎に最終決定する。)
二、日本政府にたいして、北朝鮮敵視政策を中止し、〇二年九月ピョンヤン宣言にもとづく日朝国交正常化交渉の即時再開、在日米軍の核および大量破壊兵器の即時撤去・日米安保条約の廃棄を要求して申し入れを行う。
以上、決議する。
二〇〇三年二月十一日
全日本建設運輸連帯労働組合 第一八回中央委員会
本の紹介
「地域ユニオン・コラボレーション論 − オルグから見た地域共闘とは」
小野寺忠昭・著 インパクション出版・2000円
「地域ユニオン・コラボレーション論」は、小野寺さんが一九六六年に東京地評青年婦人対策オルグになり今年の一月の退職までの三七年間の労働運動のオルグの活動歴と思いと夢をめいっぱいぶち込んだ一冊だ。
小野寺さんといえば、「総行動の寺(テラ)さん」のイメージが強い。東京総行動についての項に限って紹介したい。一九七二年にはじまった東京総行動は、「『首切りはゆるさない、権利は譲らない』という単純明快なスローガンを掲げ、組織としての縛りや覇権を求めず、どんな争議団・争議組合も出入り自由とし、排除することなく仲間として一緒にやってきたのであった。運動は、必要に応じて、また当該の甲斐性において闘いの責任を持つ、という無責任この上ない『脱』指導」によって行われた。運動の基本は、現場の労働者が直接行動と直接交渉で相手に迫ったことだという。そして、「たとえ一人争議であったとしても、労組法を根拠にして、共闘運動でその争議を労働組合における団体行動の一形態に押し上げていったことである。それが画期的であったのは、中小企業の労資関係を超えて、日本の独占資本体制に迫る大衆行動戦略を創ったこと」をめざしたということだ。企業内組合が資本にからめとられていくなかで、解雇・リストラ攻撃が吹き荒れている。そのとき、企業と運命共同体的関係にある「組合」は、有効に闘うことはできない。一人争議が多発するのは当然だ。戦後日本の企業内組合は特殊なもとで、戦前の日本や世界の多くの労働組合は、オルグが、企業の外から、企業の利益と敵対する形でつくられた。労働組合は、企業の「従業員」的な基盤ではなく、「労働者」階級として組織し闘うものだ。企業内組合形態が当たり前で、合同労組や総行動のような運動は「邪道」だと揶揄されたりしてきたが、いまや主役は逆転した格好となり、新たな組合・行動がいろいろなところで見られるようになった。しかし、総行動の現在についても、冷静な分析がある。「国内で独占資本を相手にした場合は、この手法は、一九八〇年代まで、時代に適った有効な争議運動であった。しかし、グローバルな資本・新自由主義時代を迎えて、争議の主体も国内の労働者だけに限られなくなり、相手も多国籍化してきている。また現在は、失業時代といわれるように、雇用破壊と労働力流動化や、労働者の底辺に向かう競争と平準化の中で、非正規労働者や、内外における外国人争議との新たな連帯など、争議運動についても、グローバルな状況の中におかれてきている。だから連合や全労連という従来の労働団体の枠を底辺から越えていく飛躍が、東京総行動に求められてきているのである」と。資本のグローバリゼーションに対抗する、企業を越え、国境を越えた、労働者の団結と運動だ。
二月二〇日に「小野寺忠昭さんの退職と出版を祝う会」が、労働運動関係者をはじめ多くの人びとが参加して賑やかに開かれた。テラさんは、終わりのあいさつのなかでも、労基法改悪阻止にむけて春の共同行動が呼びかけている4・2日比谷野音集会を一万人を越える大集会にしようとオルグしまくっていた。本の中に「どこまでもうつつと夢のオルグ道」とあった。一読を薦めたい。 (K)
映画 草ぶきの学校
1999年/中国映画/1999年中国・金鶏賞児童映画部門最優秀作品賞/2000年
イラン・イスファハン国際少年映画祭金胡蝶賞/2000年イタリア・ジフォーニ国際映画祭銅獅子賞/岩波ホール創立35周年記念作品 (1時間47分)
監督/シュイ・コン
キャスト/サンサン(桑桑)=ツァオ・タン(曹丹)、ジーユエ(神月)=ウー・チンチン(呉琴琴)、サン校長(桑喬)=トゥ・ユアン(杜源)
主人公の少年・サンサンの小学校は草葺きの屋根を持つ校舎だ。屋根は村の人びとが心を込めて集めた金色に輝く草葺きのもので、質素だが美しい。父親はこのヨウマーティ(油麻地)小学校の校長で、家は校舎に付随している。
時は一九六二年、この一年間のサンサンをめぐるいくつかの事件(物語)で構成された映画だ。
特別の筋があるわけではなく、映画では草葺き屋根の校舎の一角から教室に通うサンサンの生活、転校してきた美しく物悲しげでいわくありげな同級生の少女、金持ちの同級生のもっている新品の自転車をめぐる話、学芸会の演劇をめぐる騒動、担任の青年教師の恋と破綻の背景に流れる笛の音、病にかかったサンサンが父のやさしさを集める日々などの多彩な物語が、水豊かな美しい農村地帯を舞台にしてくりひろげられる。
映画評論家の佐藤忠男は「草葺きの映画がまだあった一九六〇年代はじめの中国の農村の小学校を描いている。つまりなつかしい時代への追憶をこめた物語である。中華人民共和国が成立して十数年、そして悪名高き文化大革命はまだ始まっていない。人びとは貧しくとも、社会主義の未来を信じていた」と書いている。
観客はこの映画を時には静かに笑い、時には感動してそっと涙を流しながら観ているようだ。それは自らの子どもの時代に思いを馳せ、それと重ね合わせて、遠くはるかな思いにひたることができるからだろう。
実際、五十年代の日本でもこうした光景はどこにでも見られたものだ。筆者の村の小学校は中学校と同じひとつの建物だった。萱ぶきでこそないが、木造の二階建で、校長の家は校舎の傍にあって、子どもたちはしょっちゅう侵入しては叱られていた。同級生にはこの校長の子どももいた。学校はこの映画と同じように、巡回の映画や劇団の催しの会場で、春や秋野農閑期に行なわれる運動会や学芸会には村人が総出で弁当持参で集まってきた。子どもたちは村人全体に育てられるように、地域と学校と、そして自然は接近していた。
そうした村の学校でも、若い教師の恋物語はしばしば噂になったし、遠くの都会から転校してきた少女は何か都会の香を運んできたようでわんぱくどもの関心の的だったこともある。自転車は大人のものの三角乗りで、そのタガはタガ回しの遊び道具だった。教科書も先輩から譲り受ける古いものを使っていたし、病気になっても村には医者はいない。こんな村でも貧富の差は歴然としていて、その子どもたちにも投影される。子どもたちは互いに喧嘩もするが、傷はかすり傷程度にしかならないような限度も知っている。
これは映画と同様の場 面を思い出してみた筆者の子ども時代だ。
資本主義の発達と大量生産・浪費の文明がこれらの思い出の村を壊し、人びとのこころをすさんだものにしてきたからこそ、この映画は中国人にとっても、私たち日本人にとっても甘酸っぱく、なつかしい思いを呼び起こさせるのだろう。一概に過去を礼賛するつもりはないが、そこには破壊してはならない人間としての大切なものが数々あったのだ。いまそれらはとり返しのつかないほど遠くに行ってしまった。人びとはそのことを予感しながら、この映画にこころを寄せるのにちがいない。
奇病にかかったサンサンを背負って町に出かけて医者を探し歩いた父親は、ようやく特効薬を見つける。物語はある日、父親は屋根に上ったサンサンから病気回復の証拠である透明の小水を顔にひっかけられ、感激して両手で受けるシーンで終わる。
多忙な日々の一時、ふと過去の世界に連れ戻してくれるような、さわやかな映画であった。しかし、それ以上でも、以下でもないという物足りなさがのこるのも事実だ。
(三月二八日まで岩波ホールで上映中)
複眼単眼
ブッシュの教師だった人の証言
二月六日の地方紙(おそらく共同通信の配信であろう)に「国際感覚も歴史観もないブッシュ氏」という元ハーバード経営大学院教師(現ニューヨーク市立大学教員)の霍見芳浩氏が寄稿した文章が掲載されている。
面白いので以下、引用する。
「二八年前にハーバード経営大学院で私の学生の一人だったブッシュにはこんな(イラク攻撃準備の歴史的失敗に気づく)勇気、歴史観や国際感覚(大統領として米国と世界の利益を大所高所から見なおすだけのビジョン)も指導力も、また社会的責任感もない。建国以来四三人の大統領の中でも最低の資質だろう」
「私が教えたブッシュは二七歳の金持ちのドラ息子で、同級生からもその独り善がりで怠け癖のために嫌われていた」
「経済政策の授業で米国の大恐慌や貧富の差に触れると、『貧乏人は怠け者だ』と臆面もなく発言していた。私は『君が社長にでもなったら、社員も顧客も苦労するぞ』とたしなめたものだった」
「しかも悪いことには、私の学生だったころに見せた浅薄な性格と傲慢な独り善がりに加え、その後テキサスに帰り、日曜学校で聖書を教えていたローラと結婚し、テキサスの石油産業の山師たちの後押しで共和党内で勢力を広げ、国粋的なキリスト教原理主義者となってしまった。これで、自分や支持者のエゴが『正義』で、これに反対する者は『悪』だと決めつけるようになった。イラク侵攻を神がかった『正義』などと口走り、聖書の文句の曲解を演説に勝手に引用する」「隣人がいつか襲ってくるかも知れないとの疑心暗鬼から隣家を襲って予防的に彼を殺せば、どこの国でも殺人罪に問われる。しかし、ブッシュによるサダム殺しを裁く国際法廷は無い」
こういう問題をどうとらえるのが正解なのだろうか。
例えば私はかつては「米国で共和党が政権を獲ろうが、民主党が政権を獲ろうが、その本質は同じだ」と考えていたし、人にもそう語ったように思う。
この理解は「本質論」でいえばあながち間違いだとは言えない。しかし、この考えは「本質」を論ずるあまりに、具体的な差異に注目できず、きってすてているものだ。クリントンからブッシュへの政権の移行は本質的にはアメリカ帝国主義の枠内のことではあるが、そう言ってしまえば運動の具体的な展開は容易にでてこない。この交替は現実にはかなり違った影響がでてくる。運動がそこに着目できないと、ダイナミックな展開は困難になるだろう。これは韓国のノテウ、キムデジュン、そしてノムヒョンについても言えることだ。日本での村山、小淵そして小泉の本質と差異についても言えないか。いろいろと考えさせられる問題だ。
私たちの理論は現状変革の運動の指針だ。変革の闘いに役立ってこその理論だ。ブッシュの浅薄な原理主義も恐いが、私たちも単純な原理主義に陥らないように心がける必要がある。
それにしてもブッシュはひどい。 (T)