人民新報 ・ 第1091号<統合184> (2003年4月5日)
  
                                目次

● 米軍のイラク侵略反対、即時撤退せよ!小泉内閣の加担許すな!

                      いまこそ全力で反戦行動の高揚を

● 改憲の流れを阻止するため5・3憲法集会の成功へ

● アメリカによるイラク攻撃と日本政府の攻撃支持に反対して、市民団体や労組などが集会とパレード

● イラク攻撃を即時停止せよ  3・21 釧路ピースウォーク

● パートタイム労働者等の均等処遇の実現を  パート議連が法案要綱案(試案)」を発表

● 国労解体を許すな ストライキ基金の流用に仮処分裁判提起

● 反リストラ産経労が最高裁に要請文  東京高裁村上敬一裁判官の反動ぶりを暴露

● ブッシュの非道無法の戦争とそれに追従する小泉政権の犯罪 @

● 編集部・対談   イラク反戦運動の高揚についてB

● 追悼  板井庄作同志 ( 橋本勝史 )

● 再録 ・・ 拘置所の春 勝利と解放の確信の中で ( 板 井 庄 作 )

● せんりゅう ( ゝ史 )

● 複眼単眼 / イラク戦争と沖縄 ハンストをする牧師さん




米軍のイラク侵略反対、即時撤退せよ!小泉内閣の加担許すな!

                   いまこそ全力で反戦行動の高揚を


 全世界に巻き起こった広範な民衆の反戦の声に逆らい、国連加盟国の大多数の反対を無視して、米国のブッシュ大統領と、英国のブレア首相らはイラクに対する全面的な軍事攻撃を続けている。この総攻撃の開戦以来、すでに二週間、イラクの人々には甚大な被害が出ており、戦闘を続ける両軍にも被害が続出している。
 日本の小泉政権はいち早く、米国を支持し、アラビア海派遣の自衛隊による協力や、在日米軍基地の警護などの協力を強めている。
  同時に小泉内閣は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)とのあいだで緊張を激化させることによって米軍のイラク攻撃への支持表明の正当化をはかろうとしている。そして一方では、高まる反戦の世論と低下する内閣支持率の問題を再度逆転させ、有事三法案を容認する国内世論を作り出そうとしており、これによって与党単独でも、今月中下旬には有事法案の衆議院強行採決をも目論んでいる。小泉内閣は北朝鮮の短距離型ミサイルの実験を過大に宣伝する一方で、自らは軍事偵察衛星を打ち上げ、イージス艦を日本海に配置するなど、軍事的緊張をあおり続けている。このようにして軍事力をもてあそぶような危険な対外政策は日本国憲法の基本的な精神から見ても断じて許されないものだ。
 いま統一自治体選挙が全国でたたかわれている。この舞台においても、戦争支持・協力の与党系候補者を批判し、反戦を掲げる候補者を当選させる運動はとりわけ重要な意義をもっている。この選挙戦の天王山としての位置にある東京都知事選挙で反石原知事の統一候補を出すことが出来なかったのは残念であるが、すべての反戦勢力はこの選挙戦でも好戦候補石原慎太郎への批判を続けなくてはならない。
 イラク総攻撃の開始以来、全国各地で多様多彩な反戦闘争が展開されている。イラク戦争阻止の課題は常識を超越した戦争屋ブッシュの単独行動主義によって達成されなかったが、この目的のために全世界で立ち上がった民衆の巨大な力は、今度は一刻も早く戦争を終結させるための力に転化され、発展させられなければならない。ブッシュら戦争屋を包囲し、戦争をとめる原動力はここにある。
 すでに「産経新聞」などが、この間の国際共同行動の牽引力の一つになってきた米国の「インタナショナルANSWER」に対して「過激派左翼」キャンペーンを開始した。これらのネガティブ・キャンペーンをうち破って、国際的な共同行動を堅持し、発展させなくてはならない。すでにANSWERは四月十二日の国際共同行動を呼びかけ、イギリスの反戦連合なども呼応することを決定した。日本でもこの連帯の輪に参加しよう。
 とりわけ日本の運動では四八の市民団体が呼びかけ団体となり、さらに二〇〇近くの諸団体が賛同している「WORLD PEACE NOW実行委員会」の果たしている役割は重大だ。これはこの間の闘いが生み出した新しい力である。この共同機関をさまざまな攻撃から防衛し、発展させる課題は、目下、最重要課題の一つといってよい。WPNが呼びかけ、あるいは協力している4・5、4・12、4・19
の連続行動を成功させなくてはならない。
 あわせて4・8の院内集会を機に有事法制に反対する陣形を再始動させ、陸・海・空・港湾労組二〇団体などによる「STOP!有事」の運動を大きく展開しなければならない。
 いまこそ全力で反戦の行動の高揚を!


改憲の流れを阻止するため5・3憲法集会の成功へ

 全国的なイラク反戦闘争の高揚の中で、「生かそう憲法、高くかかげよう第九条 二〇〇三年5・3憲法集会」の準備が進んでいる。
 今年で三回目になる広範な勢力の共同による5・3憲法集会実行委員会は、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」、「憲法会議」、「憲法を愛する女性ネット」、「憲法を生かす会」など超党派的な市民団体八団体で構成され、憲法を無視した日本政府のイラク戦争への支持協力、「北朝鮮問題」を利用した有事法制審議強行の動き、そして憲法調査会で早まる改憲の動きなどに警戒心を払いながら、共同で集会を準備している。
 すでに一〇数万枚のチラシも印刷され、配布が始まった。
 実行委員会共同の宣伝行動なども予定され、四月十五日には国会で記者会見も設定された。
 集会は五月三日午後一時(開場は正午)から、東京・千代田区の日比谷公会堂で開かれる。集会のあと、四時頃から銀座パレード(解散は東京駅付近)に移る。
 集会ではスピーチとして翻訳家で『世界がもし一〇〇人の村だったら』再話者の池田香代子さんと、元沖縄県読谷村長で山内平和憲法・地方自治問題研究所長の山内徳信さん、および社会民主党党首の土井たか子さん、日本共産党委員長の志位和夫さんが発言する。
 またエッセイストの朴慶南さんなどの発言や、若者たちのピースボートによるダンシングチーム「TEAM SPACE」の皆さんのアトラクションなども準備されている。
 集会は入場無料で、手話通訳の用意もある。


アメリカによるイラク攻撃と日本政府の攻撃支持に反対して

            市民団体や労組などが集会とパレード


 三月二七日、イラク攻撃に抗議する行動が行われた。
 この行動は、平和フォーラム(フォーラム平和・人権・環境)や戦争反対、有事法案を廃案に!市民緊急行動などの主催によるもので、三五〇〇名の参加者は、赤坂の桧町公園で集会、その後はアメリカ大使館横を通る抗議のパレードを行った。
 平和フォーラム代表の江橋崇さんは、戦争を一刻も早くおわらせるためにがんばろうと主催者あいさつを行った。
 政党からは、民主党の生方幸夫衆議院議員と社会民主党の今川正美衆議院議員があいさつした。
 戦争反対、有事法案を廃案に!市民緊急行動の高田健さんは、アメリカのイラク攻撃に反対する運動はこの間、日を追って拡大してきている、反戦の力をもっともっと出していけば、イラクの人びとを虐殺しつづけている戦争を止めることができる、運動をさらに大きなものにしていこうと述べた。
 JVC(日本国際ボランティアセンター)の若者は、戦争が長引けばそれだけ多くの人が死ぬ、ただちに戦争をやめさせようと決意を述べた。
 集会の最後にアピールが採択されて、六本木通りから日比谷公園までのパレードに出発した。市民団体を先頭に、日教組、私鉄総連、国公総連、都市交、全水道、自治労、そして民間の労組の隊列がつづき、とくにアメリカ使館の近くでは戦争止めろのシュプレヒコールを声高く叫んだ。

3・27イラク攻撃抗議集会アピール
 
 アメリカとイギリスは、三月二〇日、イラクに対する先制攻撃の戦争を開始しました。
 この攻撃開始は、世界各国政府も人々も圧倒的多数が平和的解決を望み、また努力していることを無視し、これまでの成果を水泡に帰す行為です。また、国連憲章をはじめとした国際法に反する暴挙であり、私たちは断じて許すことはできません。
 日に日に報じられはじめたのは、劣化ウラン弾の使用であり、住宅地への爆撃などの民間の被害です。大都市・人口密集地バクダッドヘの攻撃が続けば続くほどイラクの民衆に多大な被害をもたらすことは問違いありません。愚かな殺人行為を開始した米英両政府に対して、私たちは万感の怒りを込めて抗議します。
 また、米英両国のイラク武力攻撃に対して小泉首相は支持を表明しました。日本国憲法の平和主義にも、国連中心主義にも反する小泉首相の戦争支持を私たちは許すことはできません。
 私たちは、戦争を一刻も早く終わらせるため、米英両国に対しては即刻攻撃の中止を、小泉内閣に対しては戦争支持の撤回を、強く求めます。
 私たちはそのために、これからも「WORLD PEACE NOW 4・5」をはじめ全力で平和を訴える取り組みを進めていきます。


イラク攻撃を即時停止せよ  3・21 釧路ピースウォーク

 三月二一日、アメリカによるイラク攻撃が開始される中、WORLD PEACE NOWの呼びかけに応え釧路市においてピースアクションが取り組まれた。
呼びかけたのはこれまで2・15アメリカのイラク攻撃を止めよう!釧路市民集会を開催してきた市民団体などで構成された実行委員会で市生涯学習センターでの集会では予想をはるかに上回る一二〇名の市民が参加した。
参加者の中には受験を終えたばかりの新高校生のグループや「こうした呼びかけを待っていました」と手作りのプラカードを持参した方も多く、親子揃って参加した家族もかなりの数にのぼった。
集会では、悲惨な戦争体験を持つ年配の方や環境保護に取り組むグループの女性などから戦争反対のアピールが行われた後、アメリカによるイラク攻撃の即時停止と日本政府の攻撃支持に反対する集会宣言を採択した。
 続いて全員でカラフルなプラカードやかぶりもの作りを行ってから、まだ雪が残り風も肌寒い中、元気よくピースウォークを開始した。
参加者は口々に「私たちはイラク攻撃に反対します」「STOP THE WAR」「イラクの子供たちを殺さないで」など叫びながら幣舞橋から釧路駅までアピールを行った。   ピースウォークの後、全員で輪になって、今後も戦争反対の声をあげていくことを確認して、釧路で始めてのピースアクションは成功裡のうちに終えた。 (釧路通信員)


パートタイム労働者等の均等処遇の実現を

    
パート議連が法案要綱案(試案)」を発表

 急速な勢いで「非正規」の労働者が増えている。正社員を減らして、必要なとき、必要なだけ労働者を雇用し、出来るだけ賃金支払いを減らして儲ける。これが資本のやり方だ。労働者の中に大きな差別を持ち込むこと、こうした風潮が横行している。こパートや派遣、有期契約労働者などと正規労働者との均等待遇が真に求められている。
 三月二十五日には、民主、共産、社民、自由などの超党派国会議員によって構成される「パートタイム労働者等の均等処遇を実現する議員連盟」(パート議連)が「パート労働法改正案要綱案(試案)」を発表した。パートなどを理由とした差別的取り扱いを禁じることを目的としており、今国会に提出される予定になっている。
 同議連による法案要綱はつぎのようなものだ。
 パート労働法を「短時間労働者等と通常の労働者との均等な待遇の確立に関する法律」に改めること、そして、@賃金、休暇、教育訓練、福利厚生、解雇、退職など労働条件についてパートなどであることを理由とした正規労働者との差別的取り扱いを禁止、A事業主は正規労働者を募集する際、同種業務に就いていて正規雇用を望むパートなどに優先的に応募機会を与える、B正規労働者が育児、介護などのため短時間雇用を申し出た場合、事業主は措置を講じなければならないと定めている。違反事業主に対し厚労相が指導・勧告し、従わなければ公表できる。国の入札から外す措置も検討する。
 連合も、二月二八日東京・日比谷公会堂で一〇〇〇人の「パート・有期契約労働者の集い」を開いている。


国労解体を許すな ストライキ基金の流用に仮処分裁判提起

 国労本部の転落と腐敗は止まるところを知らない。
 国労組合員の血と汗で積み立て、労働者の生活と権利を守るためのストライキ基金が取り崩されようとしている。
 国労第七〇回定期全国大会で、本部は「スト基金のうち八億五千万円を職員の退職基金やいわゆるエリア基金に、規則改正を行わず運用規則外の運用を次期大会で行う」との方針決定を強行した。
 国労の右派幹部は、全国単一組織としての国労を解体し各会社ごとの組織にしようと画策し、そしてJR連合との組織統合をねらっている。そのためのさまざまな醜い策動がかれらによって臆面もなく強行されている。こうしたなかでの「スト基金」の「規則外の運用」だ。誰が見ても、国労を解体しJR連合と一緒になろうとする腐敗幹部たちの国労財産の「分割・私有化」だというのは明らかだ。不法不当な絶対に許されない行為だ。
 当然にも、こうした動きにたいする怒りと反対の行動が広がっている。この間、JR内において闘う闘争団とともに行動する「国労に人権と民主主義を取り戻す会」などを中心に国労本部に質問や要請が続けられてきた。しかし、スト基金流用という重要問題にも本部は何ら誠意のある態度は示さなかった。
 そしてついに四月一日に、取り戻す会は、共同代表八名と事務局長を債権者として、先にあげた七〇回定期全国大会での方針に、東京地裁に国労中央執行委員七名を債務者とした「違法行為差止」の仮処分を提起した。
 四党合意路線が完全に破綻した今、これまでにもまして国鉄闘争は、襲い来るリストラ・失業の嵐に抗する闘いの結節点にならなければならない時だ。
 国労中央やエリア本部の一部右派幹部によるによる組合財産の横領を許すな!
 闘う国労の旗を守り、国鉄闘争の前進を、大衆的な反戦運動と結合して勝ち取ろう。


反リストラ産経労が最高裁に要請文

      
東京高裁村上敬一裁判官の反動ぶりを暴露

 二月二五日、東京高裁(村上敬一裁判長)は、反リストラ産経労(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)の松沢弘委員長がフジ・サンケイグループの日本工業新聞社に対して起こした裁判で極めて不当な判決を出した。懲戒解雇を無効とした東京地裁判決を取り消し、会社側の控訴を全面的に認めるという逆転不当判決である。村上敬一裁判官は全動労判決で国の方針に逆らう労働者への差別は当然だとした男だ(本紙三月五日号参照)。高裁村上裁判官は意識的な司法反動だ。司法の反動化を絶対に許して手はならない。
 三月六日、松沢委員長は極めて不当な判決だとして最高裁に上告した。
 反リストラ産経労は、最高裁に「東京高裁・村上敬一裁判長が松沢弘委員長の懲戒解雇容認の逆転不当判決!最高裁は、公正な審理で正しい判決を!」という要請文を出した。以下はその要旨。


  村上敬一裁判長は僅か三回の公判しか開かずに結審したが、第一回公判で「(賞罰委員会の)適正手続き面は(審理しなくても)いいでしょう」と発言して、最初から懲戒処分の手続き問題を無視する方針を明示。さらには第二回公判で、松沢委員長の事件が、都労委で今なお不当労働行為の審査中で、如何なる命令も出されていないにもかかわらず、「原審(地裁)は、労働委員会の救済命令に引きずられたのだろうが、解雇権濫用に当たるということで」と言明した。これは、事件の経過や経緯に関して調べもせずに、「都労委の不当労働行為救済命令が出されたので、東京地裁もそれに影響されて解雇無効とした」との、事実に全く反する、驚くべき先入観で訴訟指揮に当たったことを自ら告白したに等しい。
    ………
 そればかりか、ご丁寧にも、地裁判決に基づいて松沢委員長が仮執行した、ごく一部の未払い賃金等についても全額返還を命じ、不当解雇後九年近くにわたって生活苦を耐え忍んで裁判を闘ってきた労働者をさらに追い詰めようとするなど、まさに、「クビ切り自由」の労基法改悪を先取りした驚くべきウルトラ反動判決となっている。会社側は〇二年七月、明文の規程違反を断罪した地裁判決が控訴審でも覆らないと敗訴を覚悟して、松沢委員長を従業員として認めないまま「地裁判決に従って、賞罰委員会の構成を是正し、改めて懲戒解雇した」としていた。しかし、村上判決は、こうした会社側の思惑を遥かに越え、団交を拒否したうえで、明文の就業規則=賞罰委員会規程に反しても、勝手に労働者のクビを切ることができると保証したものだ。
    ………
 村上敬一裁判長は、東京地裁在任中、中学二年生のいじめ自殺事件に関して、いじめの事実を認めなかった判決を出して世間の怒りをかい、東京高裁では採用差別の全動労事件や日経記者ホームページ閉鎖要求事件などで、反動判決を濫発している。村上敬一裁判長は、地裁で勝訴した労組側に相次いで逆転敗訴判決を言い渡している東京高裁の中でも、「反動化」の象徴的存在として広範な労働者・市民の批判を浴びている。


ブッシュの非道無法の戦争とそれに追従する小泉政権の犯罪 @

(1)米英軍などによるイラク総攻撃は侵略戦争

@米軍の戦略どおりには運んでいない総攻撃

 三月二〇日早朝(日本時間同日午前)、米英軍などは「イラクの自由作戦」と称するイラクにたいする総攻撃を開始した。この戦争はブッシュの言い分では「米国には国益を守るために武力行使する主権がある」というのである。イラク周辺に三〇万人、陸上だけでも十二万五千人にのぼる米英両国の軍隊を配備したうえで、ブッシュ米大統領は「米国とその連合軍はイラクを武装解除し、イラク国民を解放し、世界の危機をとり除く軍事作戦の初期段階にある」「イラクが統一され、安定した自由な国となるまで継続した関与が必要である」と宣言した。
 開戦からすでに十日あまりを経たが、戦況はかならずしも当初の米軍の予定どおりには進んでいないようである。米英軍側でも、またイラク側でも、戦況に関する厳重な報道規制を実施し、さらに情報戦による意図的な偽報道が流されることから、実際の状況の掌握はきわめて困難なことであるが、この攻撃によって、すでにイラク側に多数の軍民の死傷者がでており、また米英軍側にも予想以上の多数の死者・行方不明者がでていることは間違いない。「象とアリの戦い」と言われるほどに保有戦力に差がある米英軍とイラク軍の戦争ではあるが、すでに米軍が地上兵力を一〇万人増派(総兵力四十万人)することを決定したことにみられるように、米軍は当初の軍事戦略の見直しを迫られているようである。湾岸戦争当時とは異なり、今回はイラク批判はあまり表立っておらず、米国が期待し、予想していたイラクの内乱や大量の難民もいまのところ見られず、反対にアラブ各国からの義勇兵が数千の規模でイラクに到着しつつあるという情報もある。
 この間の攻撃でトマホーク巡航ミサイルなどの発射は七百発を超え、八千発以上の精密誘導弾が投下された。B1、B2、B52などの重爆撃機の出撃回数ものべ一千回を超えたといわれている。米英軍はハイテク兵器など軍事技術の粋を尽くして、イラクに襲いかかっている。このようにして超ハイテク兵器を駆使して集中的に大量爆撃を行い、戦意を喪失させるとする「衝撃と畏怖」などと名付けた作戦が展開されたが、期待したイラクの崩壊は起こらなかった。これにたいして軍事力では圧倒的に劣るイラク軍は、ローテク兵器を駆使して、ゲリラ戦と市街戦によって抵抗している。ブッシュは「この戦争がどれだけの期間にわたるかはわからないが、結論(米軍の勝利)はわかっている、フセイン政権を倒すまで戦う」と繰り返している。しかし、実のところ、この戦争がどのような形で、いつ終結するのか、当事者にもわからないのである。ユニラテラリズム(単独行動主義)のブッシュ政権によって、そのドクトリンを貫徹するために開始されたこの戦争が、イラクの民衆にしても、またイラクと米軍など両陣営の兵士にしても、これからどれだけ多くの人びとの血が流され、あるいはその生活が破壊されるのかを考える時、心からの怒りを禁じ得ない。
 サダム・フセインの政権が軍事独裁政権であり、本質的にイラクの民衆を抑圧する政権であることはいうまでもない。しかし、それが気に入らないとしてブッシュ政権が軍事力を行使してサダム・フセインを殺すこと、あるいは他国の政権を転覆させることなど内政干渉の極致であり、正当化できるはずもない。これはいかなる角度から見ても侵略戦争そのものである。

A米軍による大量破壊兵器の使用と史上まれにみる卑劣な軍事戦略

 先の湾岸戦争とその結果、イラクが受け入れた国連による「査察」によって、この十二年間にサダム・フセインの軍隊は戦力を大きく削がれ、戦力は半分とも、四分の一になったとも言われる。加えてイラクの隅々までの「査察」と米軍の査察情報の入手は軍事的スパイ行為の性格を合わせ持っていたことは否定できない。今回の総攻撃の開戦時にはすでにイラクの軍事力はまる裸同然にされていたのである。そうしておいて、米英軍は総攻撃をかけたのである。戦争に正義や王道を求めるのは笑い話のたぐいではあるが、それにしてもまれにみる卑劣な攻撃である。
 イラク戦争に先立つアフガン戦争ではトマホークミサイルなどの大量使用と合わせて、バンカーバスターやディジーカッターなどと呼ばれる大量破壊爆弾の投下が行なわれ、また最近では米軍当局者が劣化ウラン弾の使用を公式に認めるなど、民間にも大きな被害がでた。その結果、いま生まれているイラクの子どもたちはいまだにその影響を受けこうむり続けている。米国政府は今回のイラク攻撃でも劣化ウラン弾の使用を公然と認め、記者会見で「安全だとわかっている」などと居直っているが、許せないことである。劣化ウランの毒性と放射線被曝の影響は多くの人びとが認めているものである。
 「JDAM(ジェイダム)」と呼ばれる精密誘導爆弾による攻撃はGPSという全地球測位システムとINS(慣性航法装置)などを利用して行なわれ、戦闘機から投下されたら自律誘導で標的をとらえる全天候型である。また開戦直前に開発実験されたMOABは重量一〇トンの空中爆破兵器で、戦術核兵器なみの破壊力を持つといわれてアフガン戦争で使用されたディジーカッター弾の一・四倍の破壊力を持っており、空中で爆薬燃料を散布し、気化爆発させることで、半径一キロ範囲のすべての物を破壊し尽くすというものである。報道によれば、その実験の際には三〇〇〇メートル上空までキノコ雲が立ち上がり、五〇キロ離れた地域でも衝撃波が観測されたというほどに驚異的な破壊力をもった爆弾である。加えて、アフガン戦線でも使用された残忍なクラスター爆弾(親子爆弾)の使用も確認された。イラク戦争はこれら大量破壊兵器、先端技術兵器の実験場と化している。
 イラクの大量破壊兵器の危険を防止すると叫んで戦争に踏み切った米国が、かくも大量の大量破壊兵器をイラクの民衆の上に投下するという二重基準を誰が容認できるだろうか。
 米英軍の侵略に対して独裁者サダム・フセインの軍隊が、イラク民衆とアラブ民衆の支持をどの程度獲得できるかどうか、それによっては、あるいは戦局は長期化せざるをえないだろう。アメリカが戦争の目的を「イラク国民の解放」とする以上、「戦場の無人化」はありえてもイラク社会の無人化はありえない。この大義名分をかかげる以上、侵略者はイラクにたいしてジェノサイドを全面的に実行することはできない。しかし、米軍が苦況に立たされれば部分的なジェノサイドも発生するだろう。それはいっそうイラクとアラブの民衆の怒りと反米感情を呼び起こすことになる。かつてのベトナム戦争は南ベトナム解放民族戦線が民衆の圧倒的支持を得ていたことによって、民衆の海の中を泳ぎ回る魚、解放戦線が強力なアメリカ帝国主義を打ち破ることを可能にしたのである。その何分の一かでも、サダム・フセインの軍隊が米軍の侵略を怒る民衆の支持を獲得するかどうか、それとも民衆が軍事独裁政権であるサダム・フセインを見限るのか、この戦争の前途はまさにイラク民衆の動向にかかっている。(つづく)


編集部・対談

     
イラク反戦運動の高揚についてB

編集部・A デモ(パレード)も多様性をもっていますが、集会(ラリー)の内容も実に多様性があり、多彩ですね。
編集部・B これは実行委員会の呼びかけ団体に四七もの市民団体、NGOなどが加わって共同していることと関係がありますが、イラク攻撃反対の主張もさまざまな角度からアピールされます。
 例えばグリーンピース「戦争は最大の環境破壊だ」と訴えるし、アムネスティは「私たちはサダム・フセインの少数民族抑圧に抗議して闘ってきた。しかし、この米国の戦争は許せない」と主張します。国際ボランティア活動をしてきた人びとは「戦争が起きたところでの被災者を救援するだけでなく、戦争を止めることもしなくてはならない」とNGO非戦ネットという組織を作った。また憲法や平和問題に取り組んできた市民団体はまたそうした立場から意見をいう。ミュージシャンや芸術家たちは自らの手法で反戦を表現し、共感を獲得していく。それらが実に多様に組み合わされるわけです。
 こうした共同行動が実現できていることは画期的なことです。
編集部・A アメリカ大使館前の抗議行動には日本青年団協議会が合流しましたね。
編集部・B 三月二十二日の夕方の抗議行動のことです。WPNが設定した開戦抗議行動の三日目、日本青年団協議会の一〇〇名ほどの人びとが参加したいと連絡してきて、副会長のSさんが集会で連帯挨拶をしました。日青協は十五年戦争では戦争に協力し、戦後は再び侵略の銃はとらないとして結成されたことや、ちょうど全国会議を開いていて、いてもたってもおられず、米国大使館前の抗議の人びとに合流したいと考えてやってきたことなどを述べていました。
政治的立場ではニュートラルな日青協のような団体が反戦行動に立ち上がるということはすばらしいことです。
編集部・A その同じ場所での女子中学生のスピーチもすばらしかったですよね。
編集部・B 「イラクの子どもを殺すな」という小さな手製のプラカードをかかげていた少女です。
 十三歳の中学生で、大使館前に来たのは三日目だと言っていました。
 自分は湾岸戦争の時に一歳でおかあさんに背負われてデモにでたそうですが、おぼえていません。ただ、私と同じような年令で、あの戦争の時に生き延びたイラクの子どもたちの上にいま爆弾が降っていることを思うと他人ごととは思えません。私は学校の許可をとって四〇〇枚のビラを作って、イラク攻撃に反対しましょうと訴えました。生徒たちの多くが共感してくれましたが、保護者の一部から「そういうことをする前に子どもはまず勉強すべきだ」と批判されました。私は二号ビラを作って「勉強してからでは間に合わない。戦争になってしまうから」と答えました。私は小さくて、臆病で、力もないけれど、大使館の前にきてどうしても訴えたいと思いました。
 こういう発言でした。このような若者たちが生まれてきたことに感動しました。いま、この運動のダイナミズムを理解することが大切だと思いました。
編集部・A かつてなく高揚してきた現在の反戦運動の、今後の課題としてはどういう問題があるでしょうか。
編集部・B 運動は一貫して高揚するわけではなく、波状的にすすむわけですから、比較的停滞期というのはいずれ来る。世論はとくに大きく変化するでしょう。それらに一喜一憂しても仕方がない。問題はこの運動の中で人びとが何を獲得していくかということです。
 たしかに現在の反戦運動はイラク戦争を止められなかった。しかし、年末にも必至と言われていた開戦を三ヵ月にわたって阻止してきたのは全世界の民衆の反戦闘争だということを疑う人はすくないでしょう。その確信をこんどは「アメリカの戦争を一刻も早くやめさせる運動」に生かしていく時だ。
 同時に現在のイラク反戦闘争は必ずしも有事法制や朝鮮半島の危機の問題で十分な合意があるわけではない。「だから問題だ」などといってもはじまらない。この間の大規模な反戦運動の高揚は、戦争法の有事法制や、朝鮮半島に平和を実現する運動を広範に展開するうえで、きわめて大きな基盤を作り出しつつあることに確信をもたなくてはならないと思います。
 これらの運動をインタ ーナショナルな連携を確保しつつ、大きく展開することは不可能ではないと思います。日本の反戦運動はいま数十年ぶりに、自らの運動に確信をもって前進しつつあるといえます。(おわり)


追悼  板井庄作同志

 三月三一日午後一〇時三六分、板井庄作同志は肺炎のため亡くなられた。八六歳であった。
 板井さんは、一九一七年一月生まれだ。その年におこったロシア革命は現代史を切り開いた。板井さんは戦争と革命、まさに激動の現代史とともにあったといえる。
 板井さんは生涯をかけて、反戦、民主主義、社会主義の道を貫いた。いまアメリカ・ブッシュ政権のイラク侵略に反対するおおきなうねりが驚異的な勢いで世界的に拡大している。日本でも、アメリカによる侵略戦争とそれへの小泉政権の積極的加担に反対して、全国各地で闘いが起こっている。その運動には多くの若者の参加が目立つ。民衆運動の再生がはじまった。板井さんの願っていた反戦、民主主義、社会主義運動の大衆的な高揚が訪れつつある。

 板井さんの青春時代に、日本帝国主義はアジア侵略を開始し、国内では治安維持法と特別高等警察による呵責ない弾圧が吹き荒れていた。しかし、こうした状況下でも政治反動・ファッショに抵抗する人びとは存在した。細川嘉六氏(昭和研究会)をはじめ昭和研究会・昭和塾、中央公論社、満鉄調査部などの知識人やジャーナリストたちであった。
 帝国主義反動勢力は、戦争遂行のためには、一切の批判的科学的な研究・言論を封じる。こうしてでっち上げられたのが、戦時下最大の言論弾圧事件である横浜事件だった。
 板井さんは昭和塾に属していた。塾の解散後、板井さんたちは塾以外の有志もいれて「政治経済研究会」を組織した。板井さんによれば、その研究会では、満州事変以降の日本資本主義分析、政府の物資動員計画の分析、鉄鋼・軽金属・エネルギー・電力などの生産状況、労働者階級の意識状況、独ソ戦や中国共産党の情報などが研究・論議され、一九四三年六月には、日本の敗北の日は近い、勝利した連合国は日本に民主主義的改造を迫る、しかし日本の民主化は民衆の天皇信仰の強さ、労働者階級意識の未成熟などにより当分の間ブルジョア民主主義的なものにとどまるだろう、などの結論に達したという。日本の侵略戦争の前途を横浜事件で弾圧された人びとは明確に見通していたのだ。不法な侵略戦争を強行する権力にとっては、これらの人びとは絶対に許せない存在となる。
 四三年九月九日、板井さんはじめ「政治経済研究会」の八人は、治安維持法により検挙された。「横浜事件」の一環である。
 特高警察は、総合雑誌『改造』(一九四二年の八・九月号に掲載された細川嘉六氏の論文「世界史の動向と日本」を共産主義の宣伝であると決め付け、神奈川県特高警察は、九月一四日に細川氏を出版法違反で検挙した。しかし、細川論文は情報局の厳重な事前検閲を通過していたのだから、共産主義宣伝の証拠の決め手にはならない。特高は細川氏の知人友人をかたっぱしから検挙し、その過程で、細川氏が編集者や研究者を招待したさいの宴会写真一枚を「共産党再建の会議」の証拠だとデッチあげた。特高は弾圧を拡大し、新聞社、雑誌社、研究会などの知識人・ジャーナリストを検挙し、治安維持法で三三名が起訴した。そのうち拷問によって獄中での二名をはじめ出獄後の死亡もあわせれば一〇名近くの人びとが虐殺されたのである。その他の被告も不当な暴虐な取扱いを受け、敗戦の年の九月から一〇月にかけて一律に懲役二年、執行猶予三年という有罪とされて釈放された。敗戦直後、当然にも拷問を行った三人の特高警察官は被告たちに人権じゅうりんの行為を行った罪で告訴され有罪となったが、しかし投獄はされなかった。そして権力は、不当なでっち上げや拷問についてなんらの謝罪・補償をしないだけでなく、裁判の見直し・再審をも拒否してきた。
 横浜事件は権力が仕組んだでっち上げ犯罪であることは明らかである。
 横浜事件にたいしては、戦後なんどもの再審請求訴訟が闘われているが、裁判所は「訴訟資料がなくなってしまっている」(!)ことを口実に請求を棄却してきた。一九九八年には、第三次再審請求訴訟が、板井さん、勝部元さん、畑中繁雄さんの三人の当事者、および木村亨さんの遺族など五人で起こされた。畑中さん、勝部さんが亡くなった後、板井さんはただ一人の当事者として裁判闘争に勝つまではぜったいに死ねないと言って頑張っておられた。
 板井さんが亡くなったことは横浜事件再審闘争・民主主義の闘争にとって大きな損失である。板井さんの訃報を聞いた事件遺族の方々や弁護団、言論と民主主義と守ろうとして活動している多くの人びとは大変に残念がっている。長期にわたる闘いで横浜事件再審には一定の展望も見えはじめている。この二月五日には、あらためて再審開始を求める最終意見書が横浜地裁(矢村宏裁判長)に提出され、近日中に地裁が開始決定の可否を判断することになっていた。

 板井さんたちが予想したように、日本帝国主義の侵略戦争は完全に失敗した。無謀な帝国主義戦争は、中国をはじめアジアの民衆そして日本の民衆に大きな犠牲を強いた。
 戦争と弾圧・苛酷な獄中生活の経験から、戦後の板井さんは、侵略戦争とその根源に対する闘い、社会主義・共産主義の実現に全力をつくした。民主主義を実現させる闘いでは細川嘉六氏らとともに、そして共産党の一員としては、徳田球一書記長とともに闘った。また、アジア・アフリカ連帯運動、平和運動で活動した。しかし、一九六六年、革命運動の政治路線をめぐって、日本共産党と対立し、日本共産党とは別の革命的な政治組織と運動づくりの道に踏みだした。そして、共産主義者の再結集と六〇年代後半の学生運動・青年労働者運動の活動家とむすびついて日本におけるプロレタリア革命党の再建に情熱を注いだ。また、故坂本徳松愛知大学教授とともにアジア・アフリカ人民連帯日本委員会をつくり、プロレタリア国際主義にもとづいた第三世界の反帝運動組織との交流や人民中国との友好活動を進めた。
 一九七一年には、日本共産主義者組織の責任者となり、一九七三年に日本労働者党(機関紙「労農戦報」)を結成し、中央委員会書記長に選出された。一九八一年には、日本共産党(マルクス・レーニン主義者)と統合した新たな日本労働者党(機関紙「人民新報」)で中央委員会顧問に就任した。九八年には日本労働者党と建党同盟が統一した労働者社会主義同盟で理論委員会を中心に活動した。板井さんは、つねに帝国主義戦争、専制政治、搾取・収奪のない社会をつくるために日本の社会主義勢力が大きな団結をかち取り、革命的な路線を確立して、日本革命を前進させることに心を砕いた。

 学生だった私が板井さんにはじめて会ったのは、一九六八年四月、板井さんは当時、アジア・アフリカ人民連帯日本委員会の事務局長だった。神田の司町にあったアジア・アフリカ人民連帯日本委員会の事務所は、ベトナム反戦闘争、米軍王子野戦病院撤去闘争、三里塚闘争、学園闘争などの運動のセンターの一つとして、毎日、青年学生の熱気であふれていた。当時、神田の学生街では、大学闘争、反戦闘争に立ち上がった巨大な若者たちのジグザグデモが文字通り大地を振動させていた。
 第三世界の民族解放運動としっかりと連帯すること、学生運動そして青年労働者の運動と結合することによって、労働者階級・勤労人民の解放をかちとること、それが板井さんが願ってきたことだった。
 ここ数年はさすがの板井さんも健康がすぐれず、入退院を繰り返していたが、理論委員会の活動には病をおして参加されていた。
 今年に入ってからは、かなり病も重くなってきたが、それでも病院のベッドには多くの新聞・書籍が持ち込まれ、情勢の変化に気を配っておられた。私も見舞いの際には、現在の反戦運動のもりあがり、その中での同志たちの活躍ぶりなど報告したが、大変に喜んでおられた。亡くなる直前まで意識はきわめて明晰だったと見受けられた。 
 板井さん、そして板井さんとともに闘ってきた大先輩同志たちも、多く、「マルクスに会い」にいかれた。いま、再び、政治反動化と戦争の時代に入ったが、戦争反対、反動化阻止の闘いは着実に前進している。板井同志を追悼するにあたって、私たちは、反戦・民主主義・社会主義、国際主義の闘いをいっそう強めて、板井さん、また今は亡き諸同志の遺志を引き継ぐ決意をあらたにしなければならない。 (橋本勝史)


( 再録 ) 拘置所の春 勝利と解放の確信の中で

          
         板 井 庄 作

 私が磯子署の拘置所に移されたのは一九四三年の暮れもおしせまった頃だった。だから敗戦で釈放されるまで二度ここで正月を迎えたわけだ。
 (中略)
 われわれは当時こうした戦局やまた国内生産の状況などからみて、戦争はすでに日本敗退の局面に入ったこと、あと二年位しかもつまい、日本のブルジョア階級は最後には天皇制の維持を条件に軍部をみすてるだろう、などと話し合っていたものだ。
 拘置所では情勢がわからないのが何よりも苦痛であった。それでも「人」という囚人用の新聞で大局だけはわかった。二、三カ月もおくれて、しかもとびとびの「人」新聞がときどき配られ、私はこれによって米軍がフィリピンに上陸したこと、やがて沖縄で決戦が行なわれたこと、こうして、日本帝国主義の最後が急速に迫ってきていることを知った。
 敗戦は直ぐにわかった。八月十五日、房内で本を読んでいると、うしろの窓の鉄格子で音がした。土くれが飛んできたのだ。立ちあがって窓から外をみると花壇のところに雑役夫の「床屋」がたっていた。彼は拘置所内雑役に従事していた囚人の一人で、われわれ未決囚の床屋もやっていたが、東京の警視庁から横浜拘置所に移送されてきた細川嘉六先生の影響をうけてわれわれの味方になっていたのだ。「床屋」は、「負けた、負けた」と手を振って敗戦を告げ、すぐ他の房へと走り去った。
 「とうとう勝負がついたか!」日本帝国主義にたいする勝利の喜びと、やがて解放されるだろうという期待と、これからの日本のなりゆきと、いろいろな思想が一ぺんに頭におしよせてきて一日中興奮するのをどうしようもなかった。
 「初鳥や八紘一宇になきわたる」
 これは細川老が八月十五日、天皇の敗戦放送をきいたときにつくった句である。われわれにとって本当の正月は八月十五日にきたのである。
(「労農戦報」一九七八年一月一日号より)


せんりゅう

          ゝ史

手も足ももいどいて猛爆撃

米国の大殺戮兵器が御活躍

ブッシュ型ジェノサイドさぁ〜て御覧あれ

大本営ブッシュの口はばかでかい

イラク報道のかげで有事法が

ナチスより百倍強いブッシュ王

圧制ブッシュで戦死者失業者

鉄腕アトムブッシュ退治によみがえる

ブッシュのパラノイア政治こそ責めよ

ブッシュの威を借る小泉キツネだぞ

二〇〇三年三月


複眼単眼

 
イラク戦争と沖縄 ハンストをする牧師さん

 先ごろ、所用で沖縄を訪れた時に、友人から浦添市の米国総領事館の前でハンスト・座り込みをしている牧師・平良夏芽さん(四〇歳)のことをきいて、会いたくなり、仕事を終えたその日の深夜にタクシーを飛ばして現場を訪れた。
 総領事館の前には大きな横断幕や寄せ書きなどがあり、その前で大柄な平良牧師が布団の上に座っていた。数人の支援の人びとがいてそこに一緒に泊まり込んでいた。
 平良さんはこの一月、沖縄の平和市民連絡会のイラク訪問団員として現地を訪れている。
 きけばイラク総攻撃が始まった三月二十日から一〇日間のハンストに入ったのだという。平良さんはハンストの三日目頃がいちばんきつかったが、あとは平気だと言っていた。座り込んでいると、高校生などが激励してくれると元気に語っていた。
 話している間も通りがかりのタクシーがクラクションを鳴らして合図していく。あるいは人が訪ねてくる。座込みは確実に波紋を広げていることを実感した。
 いまイラク戦争がらみで米軍基地を防衛するために、沖縄には本土から数千規模の警官隊が派遣されている。一見、周囲があまり緊張している様子はない。
 しかし、私がフラッと立って、薄暗い正門のほうへあるいて行くと、すぐにガードマンらしき人が走ってきて、「どちらへ」と詰問した。改めて領事館の緊張を知った。
 私がこの間の東京などでのイラク反戦闘争のことを伝え、現場を辞すにあたって、上着に着けていたWPNのワッペンを外して差し出すと、平良牧師はすぐに自分の胸につけてくれた。
 東京にもどって新聞を見ると、平良さんのことが記事にでていた。
 「国連がまったく不公平でしょ。イラクが大量破壊兵器を使うから攻撃するというが、持っているのはアメリカで、バクダッドで使うと言っている」と指摘したあと、こうも述べている。
 「イラク攻撃が始まって、沖縄旅行をキャンセルした人たちは、二度と沖縄に来ないでほしい。自分たちで基地を押しつけておいて、沖縄は危ないから来ないというなら、基地撤去するまでこないでほしい。だって僕らは暮らしているんですから」と。「観光業の人も基地との共存は無理だと気づくべきだ。『だいじょうぶさあ沖縄』という観光キャンペーンをしているが、大丈夫じゃないですよ。実際に(基地がらみの)事故や事件が起きている」と。
 先日、北関東のある都市で取り組まれた反戦行動の呼びかけの中に「こたつの中で湾岸戦争を眺めるのではなく、街に出よう」という訴えがあった。
 平良牧師の沖縄観光キャンセルの話と合わせて、私たちが心しておくべきことだ。(T)