人民新報 ・ 第1092号<統合185> (2003年4月15日)
  
                                目次

● 東アジアの緊張をあおる有事法制のゴリ押しを許すな

● 有事3法案 緊迫する国会情勢に対応 有事法案を廃案に、STOPイラク戦争!緊急院内集会開催

● 激しい風雨をついて 「戦争停止せよ」  WORLD PEACE NOW 4・5

● 改憲へいそぐ憲法調査会 衆参両院で毎月の審議回数を大幅に増加

● 郵政全労協  郵政公社を監視する 全国シンポジウム

● 戦争も雇用破壊も許さない! こんな解雇ルールはいらない! 労基法改悪NO! 4・2中央行動

● ブッシュの非道無法の戦争とそれに追従する小泉政権の犯罪 A

● 映 画 / おばあちゃんの家  原題「チブロ(家へ)」

● 再 録 / 「横浜事件」の回想 (1)  板井庄作

● 複眼単眼  アフガニスタンの中村さんとイラク問題の現下のスローガン案




東アジアの緊張をあおる有事法制のゴリ押しを許すな

 八日の緊急院内集会をはじめ、野党や広範な人びとの反対の声があがる中、衆議院武力攻撃事態(有事法制)特別委員会が四月九日、有事関連三法案の審議を再開した。同法案は昨年の通常国会で継続審議となり、臨時国会では与党修正案も提出されたが、修正案は廃案、法案は継続審議となり、この日、あらためて与党側による修正案の提案理由の説明が行なわれた。修正案は先の臨時国会で廃案となった修正案と同じもので、「武力攻撃の発生」事態と「おそれ」事態を統合して「武力攻撃事態」とし、「予測」事態を「武力攻撃予測事態」とする二段階案とした。またいわゆる国民保護法制につては今国会で前回よりは詳細な「骨子」を示す方針として、不審船やテロ対策への取り組みも含めた。 与党側はこの法案の四月中、衆議院通過を目論でおり、与党単独審議の可能性を言明しつつ、民主党にたいして十四日までに対案を提出するよう要求した。選挙後に採択したいとの公明党思惑もあり、これら国会対策上、現在与党が考えているのは三〇日特別委員会採 択だと言われている。
 米国のイラク攻撃に対して、山崎幹事長などが露骨に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による軍事緊張激化に対応する日米同盟を堅持するためにも支持すると発言したように、政府・与党は北朝鮮への排外主義的風潮を煽り立てながら、有事法制強行の追い風にしようとしている。先ごろ帰国した五人の拉致被害者もこの対北朝鮮政策の道具とされ、犠牲になっている。右派は北の短距離ミサイル実験をことさらに煽り立てながら、核問題も利用して、軍事偵察衛星を打ち上げ、日本海でのイージス艦の活動強化や軍事警戒体制の強化などを進めている。
 このような中で進められる有事法制が日米の本格的な軍事的攻守同盟体制づくりをめざすものであり、北東アジアの緊張を煽り立てるものであることは明白だ。
 一刻も早く戦線を整え、隊伍を整えて有事法制に反対する一大運動を作り上げなくてはならない。その際、この間のイラク反戦闘争の高揚の教訓はおおいに役立つだろう。


有事3法案 緊迫する国会情勢に対応

     
 有事法案を廃案に、STOPイラク戦争!緊急院内集会開催

 四月八日正午から衆議院第二議員会館で「有事法案を廃案に、STOPイラク戦争!緊急院内集会」が開かれ、平日の昼の集会にもかかわらず国会議員や市民など二〇〇名の人びとが参加し、有事法制廃案をめざす運動の一層の強化を確認しあった。
 集会を主催したのは平和を実現するキリスト者ネット、平和を作り出す宗教者ネット、戦争反対・有事法制を廃案へ!市民緊急行動、陸海空港湾労働組合二〇団体の四団体。従来、これらの緊急集会は宗教者二団体と市民緊急行動で行なってきており、「二〇労組」がこの枠組みの共同に加わったのは初めて。
 この日は同時刻から衆議院の武力事態法特別委員会の理事会が開かれており、院内集会はこれへの対抗集会として企画されたもの。集会には民主、共産、社民の代表と各党議員、および代理二十数名が出席した。

 緊急集会を司会したのは市民緊急行動の高田健さんで、「イラク情勢のどさくさにまぎれ、朝鮮問題を口実に有事法制を衆議院で強行突破する与党の動きをゆるすことはできない」と集会開催の主旨と緊迫した国会状況について報告した。
 主催者を代表して「宗教者ネット」の石川勇吉さんが「剣をとるものは剣でほろぶ。この戦争はどのような結末であろうとも、威信を失墜させたアメリカだ。この米国の戦争に日本を動員するのが有事法制だ。廃案をめざして頑張ろう」と怒りの開会挨拶をした。
 民主党の生方幸夫衆議院議員が「心ある民主党の議員の代表として」挨拶。
「イラクの人びとのことを思うと心が痛む、大量破壊兵器どころか大量虐殺兵器だ。世界は第二次対戦の悲惨な経験を経て、武力で国際紛争を解決することはできないという国際ルールを決めて努力してきた。米国はこれを一切、無視した。こうしたやり方は新たなテロの火種を生み出すものであり、力が力を支配する野蛮な世界が生み出される。これは進攻ではなく侵略だ。有事法制の本質は米国が武力でものごとを解決しようとしていることに日本が積極的に呼応することだ」。
 共産党の赤嶺政賢衆議院議員は「政府は、イラク戦争でみなが心を痛めている最中に火事場泥棒のように有事法制を強行しようとしている。情報によれば十四日にも審議を始め、二一日の週には採決して参議院に送ると言っている。審議はやっても二〜三回だという。前国会であれだけ批判を浴びたのに。米国の戦争に加担するのか、憲法九条の平和の道を行くのか、その選択の正念場だ」と述べた。
 社民党の保坂展人衆議院議員は「イラク攻撃のただ中で有事法制の審議の話がでてきていることに怒りを感じる。即時停戦をつよく訴えます。自衛隊が軍隊として米国の戦争に共同作戦体制をとっている。政府はいま反戦の思いを切り裂くように有事法制を成立させようとしている。これにたいして国会内外の力を合わせて闘っていきたい」と挨拶した。
 主催団体のキリスト者平和ネットからは糸井玲子さん、市民緊急行動からは富山洋子さん、陸海 空港湾労組二〇団体の村中哲也さんが挨拶した。会場に参加している国会議員および代理が紹介されたあと、日本婦人有権者同盟の紀平悌子会長などのメッセージが紹介された。
 集会参加団体からの挨拶では全国労働組合連絡協議会の藤崎議長、全国労働組合総連合の西川副議長、フォーラム平和・人権・環境の五十川事務局次長が挨拶した。
 またNGO非戦ネットの半田さん、草の実会の島田さん、反戦アピールを続けているラミス・まやさん、徳重さんなどからも発言があった。
 これらの発言の最後に二〇労組の村中さんから「共同して有事法制を阻止するために奮闘しよう」とのまとめの挨拶があった。


激しい風雨をついて 「戦争停止せよ」  WORLD PEACE NOW 4・5

 世界の世論を押し切って開始された米英によるイラク攻撃が激しさを増している。戦争の口実となったイラクの大量破壊兵器が「発見」されないまま、アメリカの最新鋭「大量破壊」兵器によって多くのイラクの人びとが殺されている。一刻も早くこの無法な戦争を止めさせなければならない。

 四月五日、東京・代々木公園で「WORLD PEACE NOW 4・5」行動ははじまった。天気はあいにくの雨、それもみぞれまじりの冷たい雨、風も強い。それにもかかわらず、一万八〇〇〇名の人びとがそれぞれの主張のプラカードなどをもって集まり、アメリカのイラク攻撃と日本政府による戦争協力に反対する声をあげた。

 代々木公園B地区の音楽堂ではピースラリーが開かれた。
 ハーグ世界平和会議のコーラ・ワイズ会長(アメリカ人女性)は、アメリカの反戦運動を代表して発言した。世界には二つのスーパーパワーがある。一つは暴力と核。もう一つは反戦を訴える世界の市民の声。戦争は問題の解決にはならない、戦争には徹底して対決して行こう。
 姜尚中(カン・サンジュン)東大教授は、反戦の声をあげ続けることがなによりも重要だとして次のように述べた。アメリカは政治的、道義的には敗北した。この戦争は世界中に一万人のオサマ・ビンラディンを生むとになった。絶対に、北朝鮮を第二のイラクにしてはならない。
 「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんは、有事法制制定の動きについて発言した。小泉は有事法制成立を急いでいる。有事法制の問題を緊急に取り上げなければならない。有事法制は戦争のためのものだ。日本は二度と戦争してはならない。

 午後一時半、ラブ&ピースパレード(代々木公園ケヤキ並木↓公園通り↓渋谷駅前↓表参道↓代々木の一周コース)に出発した。横断幕や旗、プラカードを吹き飛ばす激しい風雨の中、これ以上の犠牲者をだすな、戦争をただちに停止せよ、日本政府の協力反対を訴えた。
 「NO WAR」「子どもたちをころすな」「戦争やめろ」「いますぐやめろ」「爆弾おとすな」「小泉おとせ」な元気なシュプレヒコールがあがる。警察のいやがらせにはあちこちで抗議の声。パレードの沿道のマンションのベランダには「NO MORE WAR」の垂れ幕。通行人からもパレードにピースサインが送られる。パレードの先頭が約三`コースから代々木公園に到着してもまだ最後の隊列は公園を出発していなかった。

 午後六時半からは、渋谷公会堂で、シンポジウム「いま、『戦争』をとめる。―わたしたちにできることは―」が開かれた。
 第一部は、ショートスピーチ「世界の現状を読み解く」
 コーラ・ワイズさん(ハーグ世界平和会議会長)。戦争は戦争を起こす政府があるからだ、戦争を起こさせないためには、反戦運動で作られた力を次の大統領選挙に活かして行きたい。
 リカルド・ナパロさん(地球の友インターナショナル代表、エルサルパドル環境団体CESTA代表)。戦争はイラクの石油、イラク以外の中東の石油、軍需産業の利益のために起こされた。いま、戦争はお金をつくるための企業活動の一部となっている。大企業がすべての資源を自分のものにしようとしている。それが世界的な貧困を生み出した。九月一一日には三〇〇〇人が殺されたが、同じ日に世界では一万七〇〇〇人がさまざまな病気で死んでいる。その日だけではない、毎日毎日なのだ。私たちは、人間として、貧困・暴力・植民地主義がなくなる日の来るのを夢見なければならない。
 高橋和夫放送大学教授(中東専門家)。アメリカの戦争はディア戦略をもっている。一方的な映像・情報を流して世論をミスリードしようとしている。しかし、テレビ局がアメリカ支持でも対抗の仕方はある。テレビは視聴率に大きく影響される。テレビを見て変だと思うことがあったらすぐに電話することだ。戦争に好意的なキャスターなどは名指しで批判してやることだ。こうしたことは効果がある。
 藤田祐幸(慶応義塾大学助教授)。戦争の中ではDU(劣化ウラン)が多用されている。劣化ウランは、重くて、固くて、価格が安い。戦車などの装甲板を打ち抜くのに使われる。戦車にあたれば微粉末となって飛び散る。あたらなければ地中にめり込む。しかも、放射能の半減期は四五億年で永久的なものだ。その人体に対する影響は想像を絶するものだ。
 第二部のパネルディスカッション「具体的な活動の報告と提案」では、鈴木かずえさん(グリーンピースジャパン)が「環境的視点からのイラク戦争」、寺中誠さん(アムネスティ・インターナショナル・ジャパン)が「人道的、国際条約上から」、熊岡路矢さん(日本国際ボランテイアセンター代表理事)が、「『復興』とNGO、戦争と『復興』の矛盾を考える」、櫛渕万里さん(ピースポート)が「これからの日本と北朝鮮」、小林一郎さん(CHANCE)が「アメリカの戦争を支える日本経済」について発言した。


改憲へいそぐ憲法調査会

      
衆参両院で毎月の審議回数を大幅に増加

 昨年秋、衆議院憲法調査会(中山太郎会長)は「中間報告」を提出した。以来、二〇〇五年年頭までに「最終報告」を提出する方向への動きを急速に強めている。
 本年一月からの第一五六国会では幹事懇談会を開き「今後の進め方」を決定、@一年から一年半にわたる中期的計画を立てて、憲法のテーマ別調査をおこなうこと、A開催回数を増やし、午前・午後の小委員会を月に二回、調査会全体の自由討議を月一回、会期末(六月)に計一四回、他に五月に金沢、六月に高松で地方公聴会を開くというハードスケジュールを決定した。すでに衆議院憲法調査会はこの方針で運営されている。
 これにたいして審議のテンポが遅い(衆議院はこの間の総計二六五時間、参議院は計八五時間)との批判も一部にあった参議院憲法調査会(野田太三会長)では、五月から急速にテンポを早めようとしている。
 野田会長が示した「改善措置」では五月から審議回数を従来の月二回から四回に倍増することになっている。これは実質的には毎週開催されるということで、異常な運営だ。
 改憲派はこうして憲法調査会の開催テンポを早めて、五年の調査会設置期間中に、憲法について長時間議論をしたという「実績」をつくり、それを前提に二〇〇五年には憲法調査会を改憲常任委員会に変え、明文改憲への道を具体化しようとしている。有事法制や集団的自衛権の行使の合憲化など、解釈改憲的手法の政治を進めることと合わせて、こうした明文改憲の動きが急速に進んでいることを見逃してはならないだろう。


郵政全労協  郵政公社を監視する 全国シンポジウム

 四月一日、日本郵政公社が発足した。小泉内閣が構造改革の目玉商品とした郵政民営化は、郵政公社として「実現」した。中曽根内閣の国鉄分割・民営化と同様、公社という営利企業化は一部独占企業の利益のためにあり、地域の利用者や労働者にとって評価されるべきものではないだろう。しかし、連合・全逓労組はこうした流れに沿って強力な郵政公社の実現を主張している。
 郵政全労協は、郵政事業の公共性を守り、郵政公社の営利企業化に反対して様々な運動を進めてきた。そして、公社化を前に、公社の問題点を告発し、郵政労働運動の新たな展望を切り開く全国シンポジウムを準備してきた。
 三月三十日、エルおおさかで「郵政公社を監視する全国シンポジウム」がひらかれた。
 特別講演は、山家悠紀夫神戸大学院教授が「小泉改革はどこへ行く〜郵政改革を問う」と題して行った。
 郵政改革は一層の効率化・合理化によって多国籍資本に奉仕するものだ。民営化の口実のひとつに「赤字」があるが、その原因は、多額の借入による過大な局舎改装・新築であり、設備投資である。それに郵政ファミリー企業群による利権・癒着・腐敗の構造がある。
 公社は四年間の中期計画目標を出しているが超・強気のものだ。しかし郵便・郵貯・郵保いずれも収入減が見込まれており人件費の削減が主なものとなる。それは労働強化ということであり、働きつづけられない労働者が大量にうまれるだろう。トヨタ生産方式が導入され「郵便絶望工場」が充分に予想される。郵政労働者にもとめられているのは、自らの人間性が破壊されることに対する抗議の声を上げることであり、企業内の運動から脱却して社会的な広ひろがりをもった運動をつくり出していくことだ。そして、郵政の官僚的体質・腐敗構造を告発して国民的な共感をかちとっていきながら非営利・公共の開かれた郵政事業を確立していくことである。
 つづくパネルディスカッションでは、パネリストの森博之弁護士、前田純一さん(労働大学講師)、倉林浩さん(郵政全労協)、池田実さん(郵政ジャーナリスト)らが発言した。また、韓国逓信労組直選制推進協議会(逓直推)の朱永斗事務局長が韓国郵便労働者の闘いを報告した。


つぶせ!小泉政権  止めろ!イラク戦争  

        戦争も雇用破壊も許さない!  こんな解雇ルールはいらない!

                         労基法改悪NO!4・2中央行動

 小泉内閣の反人民的攻撃は、アメリカのイラク侵略戦争への加担、有事法制化の動きだけではない。今国会で労働基準法をはじめ労働法制の大改悪を強行しようとしている。労働者の生活と権利を直撃する労働法制改悪を阻止することは、すべての労働者・労働組合にとって避けて通ることの出来ない闘争課題となっている。
 四月二日、激しい雨をついて、「つぶせ!小泉政権 止めろ!イラク戦争 戦争も雇用破壊も許さない! こんな解雇ルールはいらない! 労基法改悪NO!4・2中央行動」が闘われた。この行動は、労働組合といろいろな課題をもって運動しているNGOが幅広く共同して労基法改悪と戦争に反対する意思を表明するものであった。
 スタート集会を衆議院議員面会所で行い、日産自動車本社、日本郵政公社、厚生労働省に対して、抗議・要請行動を展開した。
 そして夜には、日比谷野外音楽堂で中央集会が行われ、約一〇〇〇名の労働者が参加した。
 集会では、均等法ネットワークの柚木康子さんが、戦争と労基法の改悪に反対する大きな運動をつくろうと主催者あいさつ。民主党の石毛えい子衆議院議員、共産党の山口富男衆議院議員、社民党の大脇雅子参議院議員が発言した。
 日本労働弁護団の鴨田哲郎幹事長が、労働法制の改悪のもたらすものについて報告した。全労連の寺間誠治総合労働局長、全労協の藤崎良三議長もあいさつ。藤崎議長は、戦後の労働運動がかち取ってきた諸権利を解体する労基法改悪阻止のために連合、全労連、全労協の共同行動を実現しよう呼びかけた。
 NGO、市民団体からは、移住労働者と連帯する全国ネットワークの渡辺英俊さん、日韓投資協定NO!緊急キャンペーンの土松克典さんが発言した。
 決意表明は、国労闘争団と全造船関東地協ヤサカ分会。
 集会終了後、参加者は国会請願のデモに出発した。


ブッシュの非道無法の戦争とそれに追従する小泉政権の犯罪 A

(2)ブッシュ政権によるイラク戦争

@ブッシュ・ドクトリンとイラク総攻撃

 二〇〇一年の九・十一を口実に開始されたアメリカのブッシュ政権によるアフガン戦争は「自由世界の防衛」の旗をかかげた対テロ報復戦争であり、「テロリストのアルカイーダのビンラディン一味とそれをかくまうアフガンのタリバンのオマル政権を打倒し、両者を捉まえて裁判にかける」と称するものであった。今日、カブールに「カルザイ政権」は作られたが、アフガンの内戦はいまだつづいており、ビンラディーンもオマルも捕まってはいない。イラク戦争の開始でアフガンの内戦はいっそう激化する傾向にすらある。
 ブッシュ米大統領は二〇〇二年年頭の一般教書演説で、イラン、イラク、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の三つの国家を「悪の枢軸国」と規定し、「対テロ戦争は始まったばかりだ」と述べた。そして同年九月に発表された「ブッシュ・ドクトリン」と呼ばれる「国家安全保障戦略」は「テロリストたちがわれわれの国民、わが国に対して危害を加えるのを阻止する目的で先制的に行動することによってわれわれの自衛権を行使するために、必要とあらば単独で行動するのをためらわないだろう」として、「ならず者国家」と「テロリスト」に対する先制攻撃の必要性を宣言した。これは従来の米国の政権が伝統的にとってきた「抑止戦略」の転換であり、世界をアメリカの「正義と自由」の価値観によって峻別し、アメリカの支配のもとに統合しようとするものだった。この統合に同意しない国家や人びとは「ならず者国家」と「テロリスト」およびその潜在的な同調者とされたのである。こうしてブッシュは全世界的なアメリカ帝国の確立をめざして、終わりなき戦いに踏みだしたのである。
 しかし、今回のイラク攻撃では「九・十一」に直接関連する「アルカイーダのテロ攻撃阻止」の旗印は完全に後景に追いやられ、サダム・フセインの持つ「大量破壊兵器」の駆除と、独裁政権の打倒と「自由主義国家」の樹立が目標になった。まさにこのイラク総攻撃ではブッシュ・ドクトリンによる世界戦略が大義名分としてかかげられ、前面にでてきたのである。

A国際法と国連無視のユニラテラリズム(唯我独尊主義)

 今回のイラク攻撃は国連の安全保障理事会でのイラク査察の継続か否かにかかわる議論を中途で放棄して、強引に戦端がきられた。アメリカ政府の発表によると、安保理での「武力容認決議」の共同提案国だった米国と英国、スペインに加え、オーストラリアが戦闘部隊を派遣することを表明、アフガニスタン、アゼルバイジャン、エリトリア、日本、韓国、フィリピンなど合わせて三〇ヵ国が攻撃を支援し、十五ヵ国(のちにさらに数カ国を公表)が匿名で協力を表明した。これらの国々は領空通過の承認や後方支援などによる協力であり、日本は「戦後の平和維持や復興に参加する国」として挙げられた。逆に言えば今回の米英軍の行動は、ODAなどをはじめありとあらゆるアメとムチによる外交手法で各国の支持をとりつける努力をしたにもかかわらず、国連加盟一八九ヵ国のうち二四%程度の支持しかないもとでの攻撃強行であった。
 米国は安保理ではフランス、ロシア、中国やドイツが反対し、ミドル6と呼ばれた中間派の国々も「査察継続」を主張するなかで、孤立し、「武力容認決議」の採択の見込みがなくなり、まさに「単独行動主義」的に戦端を開いたのである。これによって国連とそれに関連する国際法は機能停止状態となった。世界の大多数の国々の世論に背を向け、二月十五日に示された全世界の数千万の人びとの反戦の声に背を向けて、アメリカは戦争を開始した。
 国連という大義名分を失ったブッシュ政権は国連決議一四四一、六七八、六八七などによって自らの正当性を主張するが、これは偽装であり、底の浅いペテンにすぎない。決議六七八は一九九〇年のイラクによるクウェート侵攻を阻止するために武力攻撃を容認したものであるし、六八七は一九九一年の「大量破壊兵器査察受け入れ」を決めた湾岸戦争停戦決議である。一四四一は「武力攻撃への自動的移行を排除」しているものであり、それだからこそ、米英は「武力攻撃容認」の新決議をだそうとやっきになったのである。
 もとより国連と国連憲章はさまざまな問題点を含むものであり、その留保付きでの議論が必要だが、憲章二条四項は個別国家による武力の行使や武力による威嚇を全面的に禁止している。問題の例外規定の自衛権の行使による戦争の容認にしても、五一条は「武力攻撃が発生した場合」に限定しており、先制攻撃を完全に否定している。もうひとつの例外の集団的強制措置も対象を「平和を乱す行為」に限定しているのであり、外国の政権の転覆による「人民の解放」などを絶対に容認していない。
 ブッシュは米英で攻撃するのは安保理や国連で意見が一致しなかったからだといい、仏独など反対した国々に責任を転嫁しているが、このような論理構造が許されるはずはない。意見が一致しなければ、粘り強く意見の一致をめざして努力しなければならないのであり、一致しないからといって単独行動に走ることを容認すれば、その枠組みが破綻するだけである。ブッシュはそのドクトリンにそって、とうとう「地獄の釜のフタ」を開けてしまったのである。
 米国の国連での論理がいかに不当であるかは、国連のアナン事務局長までが二十日、「私たちがもう少し長く辛抱していればイラクを平和的に武装解除できただろうし、そうでなくとも、世界はこの問題を集団的決定で解決する行動をとり、その行動により大きな正当性を与え、いまの事態よりも広い支持を得ていただろう」と米国を批判したことによって明白である。
 もともとアメリカは伝統的に国連を自らに都合のよいときには利用し、都合が悪いときには無視するという、手前かってな行動を続けてきたのであるが、今回のブッシュのように乱暴な対処は国連史上類例を見ないほどに度はずれなユニラテラリズムであり、唯我独尊主義というべきものである。
 この間、急速に拡大したアメリカの反戦運動の中でかかげられるスローガンのひとつに「ノー・ブラッド・フォー・オイル」というのがある。石油のために血を流すなというものだ。ブッシュ政権を支える勢力が米国の巨大な軍産複合体と石油メジャーであることはよく知られている。これを背景にした新保守主義者(ネオ・コンサーバティブ)、伝統的共和党右派、キリスト教原理主義派の連合したマシーンが先の大統領選挙でのゴアとの戦いで不法にブッシュを勝利させた、大統領の椅子につけたグループである。
 原油埋蔵量がサウジアラビアに次いで世界第二位であるイラクは石油メジャーの垂涎の的であった。報道によれば、昨年の十二月二〇、二一日、米国務省は「石油とエネルギーに関するイラク計画の未来グループ」という会議を開き、「フセイン時代後のイラクの石油施設やエネルギーのインフラの修復・近代化などを話し合」ったという。

(3)小泉内閣の戦争支持は違憲無法

@戦争支持の口実の変転

 この米国の非道無法な戦争に対して、日本の小泉首相はすでに十八日の段階で世界各国に先駆けて早々と支持を表明した。ブッシュ演説のわずか三時間後のことである。「日米同盟の信頼性をそこなうことは国益に反する」「戦後五十年間、日本を平和と繁栄に導いたのは日米同盟だった」という理由だった。
 昨年来、小泉内閣はイラク軍事攻撃には国連決議一四四一以外に「新たな武力行使容認決議」が必要だという立場を繰り返し表明してきた。こうした立場から昨年十一月には福田官房長官は「米国の代表も決議一四四一には武力行使に関する隠された引き金も自動性も含まれていないと述べているので、そのように理解している」などと述べていた。そして今年二月に米英などが国連安保理提出した決議案と、その後の修正案の採択を求めてきたのである。この時点までは少なくとも国連の新決議があれば米軍のイラク攻撃を支持するという立場であった。
 しかし、米国が新決議のないまま攻撃を宣言した十八日には「やむをえない決断だ」として、これを逆転させたのである。従来、外務省が看板にしてきた「国連中心主義にもとづく国際協調」がという看板が崩された。「査察に協力しなかったイラクが悪い」とか、「フランスやドイツの頑なに協力しない姿勢が国際世論を分裂させた」などという説明は、反論も必要ないほどの居直りでしかない。 一月六日の年頭会見で小泉首相が「(アラク情勢については)主体的に判断する」などと述べていたのは実に茶番でしかなかった。三月十七日には「(米国を)支持している。すでに前から支持している」と言ってしまったのである。要するに日本外交は「はじめに米国追従ありき」でしかないことがまたも露呈されたのである。
 現在、日本政府がこの日米同盟優先論の根拠にしているのが、北朝鮮の脅威論である。
小泉首相は十八日、「(今回の米国支持と北朝鮮の関連は)当然考慮に入っています。大量破壊兵器への脅威にどう対応するか」と述べ、北朝鮮の脅威に対応するためには日米同盟が不可欠だという意図を強調した。これは自ら署名した「日朝平壌宣言」を否定したも同然である。米国支持の口実に窮した小泉首相は、拉致問題と核開発疑惑であおってきた反北朝鮮キャンペーンにのっかることで排外主義をあおりたて、自らの変説の正当化をはかるという危険な博打にでたのである。
 自民党の山崎幹事長は三月十八日、新聞のインタビューに答えて「国益、国民の利益を踏まえて外交を展開している。米国を支持しなければ、日米同盟堅持という外交方針はどうなるのか。北朝鮮対処はできるのか。安全保障に関する国連の機能は米国抜きでは考えられない。日米同盟を断ち切って自国の防衛をやるなら、大変な防衛費が必要で核武装論もでてくる」などと北朝鮮との戦争の可能性を引き合いにだして、この不法な戦争を支持する根拠とした。(つづく)


映 画

  
おばあちゃんの家  原題「チブロ(家へ)」

    監督・脚本 イ・ジョンヒョン

    主演  おばあちゃん …… キム・ウルブン
         サンウ    …… ユ・スンホ

 韓国映画 87分   2002年 大鐘賞最優秀作品賞
 
 監督のイ・ジョンヒョンは、一九六四年ソウルで生まれ大学卒業後、国立映画アカデミーで映画を学び、九八年「美術館の隣の動物園」でデビューし、本作は長編第二作となる。監督自身すでになくなっている祖母から受けた愛情が忘れられず感謝の意味を込めてこの映画をつくったそうだ。
 
 七歳の少年サンウは母親と大都市ソウルに二人でくらしていたが、母親が失職し、新たな職さがしのため、電車とバスを乗り継いで山の中の寒村の祖母の家に連れていかれた。母親の仕事が見つかるまでという期限つきで、都会に育ったサンウにとってファーストフードの店も、水洗トイレもない村の生活は退屈きわまりないものだった。
 食事にしても母親がおいていった大量の缶詰を食べ、コーラを飲み、祖母がつくってくれた食事にはまったく手をつけようとしなかった。朝から晩まで携帯ゲーム機で遊んでいたが、電池も切れてしまい、まどろんでいる祖母のかんざしを盗んで山をおりて電池を買おうとまでする。
 缶詰も底をつきしゃべることのできない祖母に身ぶり手ぶりでフライドチキンが食べたいと説明すると、祖母は育てた野菜をニワトリと交換してきて料理を作ってくれるが、サンウはこれはフライドチキンではないと泣きわめく。やがてそんなサンウにも変化が見えてくる。村へおりて買物をした帰り節約のために自分だけバスに乗せてくれた祖母にしだいに心を開いていくのだ。そんなサンウに母親から手紙が届く。迎えに行くという。
 韓国中央部忠清北道永同(チュンチョンブクドヨンドン)は小白(ソベク)山脈のふところにいだかれた山村である。この映画の撮影はこの過疎の村ですべておこなわれた。大都市ソウルとの対比感をだすためにまずロケ地さがしからはじまったがそれは難航を極めた。また主人公となる「おばあちゃん」も適当な人が見つからず、イ監督はたまたま村を歩いていた老女になにかインスピレーションを感じ、何度も何度も交渉し出演にこぎつけた。
 この映画の話の展開はいたって単純なものである。大きな事件があるわけではまったくない。しかし少年サンウの成長、とりわけ心の成長、そして祖母との心の交流に静かな感動を憶えずにはいられないだろう。考えてみれば都会生活の事象はろくなものはない。ファーストフード、ゲーム機、etc……。少年の成長にとって阻害物でしかないだろう。この映画に登場する人物はおばあさんもふくめて本物の村人だけで演技のしろうとばかりだ。サンウ少年役のユ・スンホだってCMに出たことがあるだけだ。そのことがういういしさをかもし出し、映画に説得力を与えている。今にもくずれそうなあばら家、おまる(携帯用トイレ)、腰がまがり杖をつく祖母、背負子をせおった村の少年、それぞれの風物が都市化の波にのまれ、今や崩壊に瀕している、いなかの風景がなつかしくも悲しくも感じられる。この映画はもちろん韓国のいなかを舞台にしたものではあるが、私たちの琴線に確実にふれてくる。自分自身の状況におきかえて、ああそんな時代もあったのだなと納得させられる映画だ。やがてわかれの時はやってくる。字の書けない祖母にハングル文字で「痛い」「会いたい」という言葉をさながら絵日記のように書いて祖母に渡すシーンは感動をおぼえざるをえないだろう。
 かつての韓国映画には上流社会の愚にもつかないメロドラマか歴史物がかなり多かったように思う。韓国社会の民主化が実現してからさまざまな分野の映画が出現してきた。ドキュメンタリー映画の分野で女性監督のビョン・ヨンジュの従軍慰安婦をテーマにした「ナヌムの家」(95)が有名だが、この映画のイ・ジョンヒョンも女性監督であるということを記しておこう。そして「シュリ」「JSA」のようなアクション映画とは、この映画はちがった系譜の映画であることも。
 
 この映画の主人公の「おばあちゃん」役のキム・ウルブンは現在七九歳で、この村に住み、冬のあいだだけソウルの家族のもとに行くそうだ。祖母はほとんどお金を持たず自分で栽培した野菜を村の市場へ行って物々交換で必要な物を手にいれているそうだ。栽培技術といい意外に器用なんだなと感心させられる。もうひとつ納得させられたのはサンウの住んでいるソウルの風景が映画の中にまったくでてこないことだ。全編永同の村の風景だけ。こういった手法はさすがにきめ細かい演出技術だと思った。
 しかしただひとつ残念なのは映画の長さの問題である。八七分は少し短すぎる。サンウと祖母の心の交流をもっともっと見せて欲しかった気がする。しかしそのことを除いてあまりある感動を与えてくれる映画であることは事実だ。 (東幸成)
 
 六月二七日(金)まで、岩波ホールで上映中


再 録

 
「横浜事件」の回想 (1)    板井庄作

 われわれの大先輩であり、横浜事件の最後の当事者であった板井庄作同志は三月三一日に逝去した。板井さんの葬儀には、社会主義運動、横浜事件など関係者多数が訪れ故人を偲んだ。
 板井さんは、戦争への抵抗と横浜事件について、いくつかの文章を残しているが、本紙は、「八・一五を迎えて 『横浜事件』の回想」(「労農戦報」一九八一年八月一日号から三回にわたって掲載された)を再録して板井さんへの追悼の気持ちを表したい。本紙前号には、板井さんの「拘置所の春 勝利と解放の確信の中で」(「労農戦報」一九七八年一月一日号)を掲載した。
(編集部)

 私は一九七八年一月一日号の本紙に「拘置所の春」と題する一文を書いた。それは、いわゆる「横浜事件」の被疑者の一人として、敗戦直後まで二年間拘置されていた横浜拘置所における生活と闘争を書いたものである。
 それはつぎの言葉で終っている。
 「『初鶏(とり)や八紘一宇に鳴きわたる」
 これは細川老が八月十五日天皇の敗戦放送をきいたときにつくった句である。われわれにとって本当の正月は八月十五日にきたのである」。
 その八月十五日がまたやってくる。そして私は、本紙の求めに応じて、もう一度横浜事件のことを、前回には触れなかった事件そのものに重点をおいて書いてみよう、という気になった。反動攻勢が強まり、戦争の危険が深まりつつある現在、たとえそれがみじめな敗北に終ったものであったにせよ、戦前の一つの反帝・反戦闘争を回想することは、この時代をほとんど知らない若い人びとにとって、多少とも役立つのではなかろうか。それは同時に、私自身にとっても自らをはげますことである。

横浜事件の評価

 横浜事件というのは、普通は、戦争中特高警察が残虐なテロルでデッチあげ言論弾圧事件ということになっている。事実この事件では多数の言論関係者が検挙され、当時の代表的雑誌社であった改造社と中央公論社は解散させられた。また神奈川特高は、この事件で検挙した人びとの活動をすべてコミンテルンと日本共産党、この「両結社の各目的逐行の為にする行為」(『予審終結決定書』)としてデッチあげるために、凄惨きわまりない拷問を加えたのであった。(四名が獄死し、二名が出獄後間もなく死亡した)これらのことについては、すでに多数の文献が出版されている。
 しかし横浜事件はさまざまな構成要素を含んでおり、これを一概に「テロルによるデッチあげの言論弾圧事件」とするわけにはいかない。昭和十九年(一九四四年)八月分の「特高月報」は「神奈川県に於ける左翼事件の調査状況」をつぎのような書出しではじめている。「神奈川県に於ては昭和十七年より本年(昭和十九年のこと―引用者)に掛け、夫々人的連係を持つ一連の事件として『米国共産党員事件』、『ソ連事情調査会事件』、細川嘉六を中心とするいわゆる『党再建準傭会グループ事件』、『政治経済研究会事件』、『改造社並に中央公論社内左翼グループ事件』、『愛政グルーブ事件』等総勢四十八名を検挙し(以下略)」、つまり神奈川特高はAからB、BからCと「人的連係」をたぐって芋づる式に検挙の網を拡げてゆき、元来何の関係もなかったいくつかのグループ、個人を、細川嘉六先生を中心人物とする「日本共産党再建」運動と称するものと関係づけ、位置づけたのであった。たしかにこれはデッチあげである。だが、それなら、すべてが虚構であったかといえば、そうはいえない。状況はそれぞれのグループによってひどくちがっていたのである。
 いまから五年前の一九七六年二月、横浜事件関係者の会=笹下(ささげ)会は東京谷中の全生庵で三十年ぶりに追悼慰霊祭を行ない、そのあと上野の料亭で会食会を催した。この時隣にすわった青地晨(かれはいま金大中氏救出などの問題で立派な活動をしている)と私との間につぎのような問答があった。青地「君たちはあの時つかまると予想していたのかね」板井「半分半分だよ」。この問答の意味はこうである。青地は、一九四三年九月九日に検挙された私たち「政治経済研究会グループ」(或は「昭和塾グループ」ともいわれている)よりおそく、一九四四年一月二十九日に元中央公論編集長小森田一記らとともに「中央公論社グループ」の一員として検挙されたのだが、かれはこの時「新体制運動」の一翼たる翼賛壮年団の報道部次長をしており、つかまるなどとは夢にも考えていなかったのだ。私が「半分半分」といったのは、私たちのグループが大半つかまる前に、私たちのグループに関係のあった新井義夫(朝鮮名姜。かれは当時われわれの研究会から脱会していたが、まえに一、二度出席したことがあった)と浅石晴世(中央公論社員)がつかまっていたが(それぞれ一九四三年の七月十一日と三十一日)、これは私たちのグループとは関係のないジャーナリズムの件でやられたと考えられたので、私たちのところまでは及ばないだろうという甘い予想と(これが半分)、当時私たちがやっていたことが知れれば、もちろん特高は黙ってはいまい、と考えていた(これが半分)からである。
 横浜事件を、「何もしなかった。する意志がなかったのにテロルで、事件をデッチあげられた」とする一部言論関係者の評価には、私たちのグループの一員だった勝部元(かれは戦後長い闘病に耐えぬき、政治学者として健筆をふるい、桃山学院大学の学長などをした)が「わたしの『横浜事件』」(「運動史研究5」所収、一九七九、三一書房)を書いて反対している。勝部は自己の思想遍歴と政治経済研究会グループの活動を述べたあと、その文章をこう結んでいる。「わたくしにとって『横浜事件』とは、口にするのもはずかしい程の実績しかなかったが、やはり死をかけた一つの抵抗への意志のあらわれであった。テロルで殺されかけ、長い病魔との闘いに苦しめられたが、一番くやしいのはそのことではなく、まさに闘いを始めようとする瞬間に逮捕されたことである。まさにやろうとしたことを果すことなく、むざむざと検挙されたことである。だから再言するが、それが特高のデッチ上げであり、すさまじい暴力による拷問であったとはいえ、何もしない、する意志のなかったものにたいするデッチ上げ事件という評価はうけ入れることはできないのである」。私は勝部のこの意見に同感である。
(つづく)


複眼単眼

  
アフガニスタンの中村さんとイラク問題の現下のスローガン案

 戦乱のイラクに思いを馳せながら、以下のような独り言のようなスローガンを思いついた。

 WORLD PEACE NOW!
 もう戦争はいらない!
 戦争をすぐやめろ!
 米英軍のイラクからの即時撤退!
 大量破壊兵器を使用したのは米軍だ!
 国連で権威を失墜した米国は勝利していない!
 国連は米国の戦争犯罪を調査し弾劾すべきだ!
 米国一国支配の世界はゴメンだ!
 石油メジャーのイラク進出を許さない!
 イラクの未来はイラクの人びとにまかせよ!
 イスラエルはパレスチナを攻撃するな!
 他国への「悪の枢軸国」などのレッテル貼りを即刻やめろ!
 殺すな! 殺させるな!暴力・戦争の連鎖を断ち切ろう!
 失われた命は「復興」しない!
 失われた環境は「復興」しない!
 自衛隊のイラク派兵反対!
 自衛隊はインド洋・アラビア海から撤退しろ!
 米軍支配を援ける「イラク復興支援」は反対だ!  「復興支援」法反対!
 NGOに協力し、イラク 市民の目線での援助を!
 朝鮮半島に対話と平和を!
 戦争のための日米同盟反対!
 有事法制は有事を招く!戦争のための有事法制反対!
 北東アジア非核地帯の創設!

 四月八日の毎日新聞にペシャワール会の中村哲さんのインタビューが「アフガンは今 治安の悪化 貧富の差 米国に恨み 反日の動き」と題して掲載された。 以下、その要旨。
 パキスタンにいた二〇〇万の難民が帰国したが、旱魃で荒れ果て暮らしがたたず、パキスタンに舞い戻ったり、あるいは難民キャンプ以下の生活をしている。富む人はますます豊かになっているが、治安も風紀も乱れている。住民が本当に必要としているものは何かを考えず、人の生き方にまで干渉するということを考え直してほしい。アフガンには「電気がない」「教育がない」「車もない」…それをみじめなものと決めつける。そのまなざしが事実をねつ造することにつながっている。善悪でなく、文化の相違なのです。アフガン「復興」を「成功例」として今度はイラクに行なうのだろうか。(T)