人民新報 ・ 第1093号<統合186> (2003年4月25日)
  
                                目次

 有事法制こそが戦争をまねく

      五月中旬にも衆院強行を狙う小泉内閣   ただちに全国各地で反撃の行動を

● WORLD PEACE NOW 4・19  10000人の結集 

● STOP THE WAR!  4・12 世界中がピースアクション

● 市民緊急行動、平和フォーラムなどが有事法制にNO 緊急学習集会

● 戦争も雇用破壊も許さない! 4・15関西集会

● 有事法制の審議を再開した国会前で連続行動  STOP!有事法案、やめろ!イラク攻撃 国会前行動

● ブッシュの非道無法の戦争とそれに追従する小泉政権の犯罪 B

● 第74回メーデーにあたって イラク反戦の成果をうち固め、有事法案を粉砕しよう!労働者社会主義同盟中央常任委員会

● 横浜事件の再審開始決定  治安維持法にこだわる横浜地検は抗告

● 再 録   「横浜事件」の回想 (2)   板井庄作

● せんりゅう   ( ゝ 史 ) 

● 複眼単眼  /  ピンポイント爆撃と誤爆と民主主義



有事法制こそが戦争をまねく

          五月中旬にも衆院強行を狙う小泉内閣

                 
ただちに全国各地で反撃の行動を

 ブッシュ米大統領のイラク先制攻撃の侵略戦争を支持した小泉内閣と与党は、この国会での有事法案の早期採択をめざして審議を急ぎはじめた。昨年の通常国会と臨時国会で有事三法案は多くの世論の反対と野党の結束によって、継続審議とされてきたが、第一五六国会になって、予算審議が終わるやいなや「衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会」(鳩山邦夫委員長)が再開されるにいたった。
 昨年の年頭には有事法制反対の声は圧倒的少数派であったにもかかわらず、その後の国会外での労働組合や市民・宗教団体による大衆行動の盛り上がり、地方自治体での反対決議や首長の批判、日本弁護士会や日本ペンクラブ、日本青年団協議会などの政治的にはニュートラルな団体の反対声明などの動きによって世論が変化し、「連合」までが「この法案には反対だ」と言い出すに至った。その結果、特に民主党は退路を断たれ、野党四党の結束が維持され、与党の強行採決の動きにしばりがかけられた。
 昨年秋の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による拉致事件確認以降、マスコミによって「弾道ミサイル実験」「核兵器など大量破壊兵器保有」の脅威などの一大キャンペーンが繰り広げられた。その結果、「北朝鮮の脅威論」が世論に相当に浸透させられ、小泉首相による「万が一の事態への備え」としての有事法制は「現実的にありうる事態への備え」として喧伝されるにいたった。第一五六国会では、これを追い風として有事法制必要論が高まっているなかで審議されるだけに、事態は決して容易ではない。石破防衛庁長官がミサイルによる「敵基地攻撃能力」論など、異様な議論を展開しても世論の動きはきわめて鈍くなった。国会の野党側もこのマスコミと右派分子によって作り出された「世論」によって、すでに結束が乱れはじめている。
 この特別委員会は委員長以外に理事が自民党四人、民主党二人、公明・自由各一人で、委員が自民二〇人、民主十一人、公明・自由・共産・社民各二人、保守新党一人、無所属の会一人で構成され、与党が過半数を占めている。
 与党は四月末衆議院採決とか五月中旬衆院通過とか、さまざまな国会対策上のアドバルンをあげつつ、民主党に「対案」の提出を要求し、野党共闘を破壊し、法案強行の環境を整備しようとしている。
 四月十八日には特別委員会が開催され、福田官房長官が「国民保護法制」の「輪郭」について説明し、今後、従来の有事三法案と合わせて一括審議していく体制をとった。連休明けには衆院特別委員会の審議が強行採決はらみで緊迫するのは疑いない。
 一方、すでに自由党は「対案」を作成しており、民主党も執行部が作成した「素案」の党内討議を開始した。与党の一部からは野党修正案の「丸呑み」という策略も語られている。
 北朝鮮に対するネガティブキャンペーンを先行させ、有事三法案と国民保護法制の骨子を承認させようとする政府・与党の危険な企てに反撃するために残された時間は少ない。
 ただちに市民・労働者・宗教者などの共同闘争を再構築し、全力で世論に働きかけなくてはならない。 集会、デモ、団体決議、自治体決議、署名、街頭宣伝などあらゆる手段を駆使して行動を展開し、壮大な共同行動を作り上げよう。


 WORLD PEACE NOW 4・19
                        
10000人の結集 

 ワールド・ピース・ナウ4・19は四月十九日午後、東京・渋谷区の代々木公園けやき並木会場を中心に、参加者一〇〇〇〇人の反戦デモとして盛大に取り組まれた。
 この日は会場の代々木公園一帯は「アースデー」で、反戦デモもその一環となった。
 「イラク戦争が終わった」などというマスコミの宣伝のなかで、いまなお戦争の犠牲となって苦しんでいるイラクの人びとに思いをよせながら、都内各地から若者たちを先頭にたくさんの人びとが集まってきた。
 デモでは「一方の手で破壊と殺戮を繰り返しながら、もう一方の手では『復興』をするという、アメリカ政府による正当性なきイラク攻撃が、いまも続けられています。しかし、失われたいのちは復興できるでしょうか。かけがえのない人を奪われた人生は復興できるでしょうか。破壊された環境は復興できるでしょうか。国連も国際法も無視したアメリカ政府によるこの攻撃は、まぎれもない『犯罪』です。私たちは(1)アメリカ、イギリス政府には、今すぐ停戦し、即時撤退するよう要求します。(2)日本政府には、戦争時事の撤回、アメリカ政府主導の復興に協力しないことを呼びかけます。(3)イラクへの侵略という国家犯罪に対して、国連に憲章を呼びかけることを日本政府に要求します。(4)イラクの復興は国連主導のもと、イラク市民の手で行なわれるべきであり、日本を含め各国政府は、信頼の置ける民間NGOなどを通して救援に協力するよう呼びかけます。(5)攻撃によって混乱したイラク市民の声明・財産などを守るために、国
連や民間NGO、イラク市民が協力して取り組むことの実現を求めます。(6)
そして、このような暴虐行為が二度と繰り返されることのないよう、国連はより積極的な平和構築のための役割を責任を持って果たしていくように求めます」というアピールが行なわれた。


STOP THE WAR!

       
4・12 世界中がピースアクション

 四月十二日(土)午後、米国の反戦団体ANSWERなどが呼びかけた国際統一行動に連帯して「STOP THE WAR!4・12世界中がピースアクション」が東京・銀座の坂本町公園で開かれた。この実行委員会は市民緊急行動や市民連絡会、チャンスpono2などで構成され、ワールドピースナウ実行委員会が協賛しており、当日は小雨のなか二〇〇〇人が参加し、銀座から日比谷公園までのデモを行なった。この日は全世界でも反戦デモが行なわれ、ローマ五〇万人、スペイン五〇万人、ロンドン二〇万人、ワシントン数万人などが参加した。
 東京の集会では主催者を代表して市民緊急行動の高田健さんが挨拶。
 自由と民主主義の旗をかかげたブッシュ政権が引き起こした今回の戦争は、世界を新しい危険な段階にひきずりこんだ。米国が危険だと判断しただけで、単独で他国の政権を先制攻撃し、打倒できるという論理を絶対に認めることはできない。世界はまさに無法状態にされようとしている。この米国の戦争に対して日本の小泉政権はいち早く支持を表明し、占領体制に人員を派遣しようとしている。これは歴代日本政府が確認してきたように明確な憲法違反だ。私たちはこうしたご都合主義の策動を許さない。全世界の人びととともに共同して、このような新たな戦争の動きをくいとめるために闘おう。
 「人間の盾」として活動し、帰国したワールドピースナウの実行委員でもある志葉玲さんは「世界の人びとの闘いがあったからこそ、私は生きて帰ってくることができた。そして人間の盾を含むこのような活動があったからこそ、ブッシュがイラクで無差別殺戮をできなかったことに注意を促したい。この戦争はアメリカの戦争だ。戦争はまだ終わっていない。あきらめずに闘おう」と呼びかけた。
 会場にかけつけたジャミーラ高橋さん(アラプ・イスラーム文化協会代表)も連帯の挨拶をした。
 日本山妙法寺の武田隆雄上人は宗教者、陸海空港湾労組、市民緊急行動が共同で呼びかけている一連の有事法制阻止闘争への協力を訴えた。
 集会のあと、参加者は銀座の繁華街を「戦争反対」を叫んでデモ行進をした。


市民緊急行動、平和フォーラムなどが有事法制にNO 緊急学習集会

 政府・与党による今国会での有事法制強行の動きが強まる中、「もう戦争はいらない 有事法制にNO〜4・16緊急学習集会」が四月十六日午後六時半から、永田町の社会文化会館で開かれ、約六〇〇人の市民や労働組合員が出席した。主催した実行委員会は、戦争反対、有事法案を廃案に!市民緊急行動/日本消費者連盟/原子力資料情報室/ATTAC JAPAN/フォーラム平和・人権・環境の五団体で構成されている。緊急学習集会は情勢の中で、たいへんタイムリーな集会となった。
 集会は司会を日本消費者連盟の富山洋子さんが行い、主催者挨拶を平和フォーラムの福山真劫さんがおこなった。
 福山さんは「野党共闘、市民団体、労働団体、地方自治体一体となって、あきらめずに闘う。今回の民主党の提案については心配している」と態度を表明した。
 国会報告は民主党の大出彰衆議院議員、社民党の今川正美衆議院議員が行なった。
 大出氏は「有事三法案は憲法第九条の観点からみて反対であるし、法案は米国の戦争に追従する『パシリ法案』だ。また人権と自由の観点からみても、公共の福祉の名目で人権を制限するのは誤りだ。さらに地方自治の観点から考えれば、その本旨が侵される。民主党の案は基本法と修正案が一括りだという立場で、今後、党内で誤りのないよう討議していきたい」とのべた。
 今川氏は「四月十八日には政府による国民保護法制の趣旨説明が行なわれる。政府は基本法をこの国会で決めて、個別法は二年以内に決めるなどといっているが、この危険な戦争法を大衆運動で潰していかなくてはならない。朝鮮半島の緊張はかつてなく高まっている。朝鮮で二度と戦争を起こさせない闘いを共同して作っていきたい」とのべた。
 講演を行なった東大教授の高橋哲哉さんは「世界全体が恒常的な戦争モードに入りつつある。九四年の朝鮮半島危機を契機に有事法制の動きが再始動したが、特に二〇〇〇年のアーミテージ報告で米英同盟になぞらえられた有事法制が急浮上した。今回のイラク攻撃での日本政府の態度は異様だった。米国の戦争は国連憲章違反であり、違法・不正な戦争で、これを支持したのは憲法違反であるだけでなく、日米安保条約第一条違反だ。要するに無法状態だ。有事法制を考えるとき、朝鮮問題が問われる。九・一七平壌宣言は重要な一歩だったが、その後、メディアによって北朝鮮に対する国民感情が作られ、政府与党の絶好の追い風となった。好戦派勢力がメディアと政治の前面にでてきた。彼らは日本の政治と言論の中心となり、いまやトマホークの配備すら問題ないという世論が作られた。しかし、私たちは黙ってしまうことはできない。北朝鮮との戦争を準備することを許さない。私たちは加害者にも被害者にもなることを拒否する」とのべた。
 映像ジャーナリストの清水仁さんがイラク現地報告を行なった。清水さんはとりわけイラクで劣化ウラン弾が使用されたことを怒りを込めて糾弾し、その調査のために再度、イラクに入りたいと表明した。


戦争も雇用破壊も許さない! 4・15関西集会

 四月一五日、大阪中之島、中央公会堂において「戦争も雇用破壊も許さない! 4・15関西集会」が開催された。イラク戦争反対、労働者の権利を守る闘い、そして有事法廃案をめざしての集会とデモが行われた。
 会場には一〇〇〇人を超える労働者・市民が結集。主催者を代表して、おおさかユニオンネットワーク・馬場代表から、
@米英のイラク戦争を糾弾し、朝鮮半島への戦争策動をやめさせること、A有事法制定や改憲策動と対決し小泉内閣の労働法大改悪と対決することーが闘いの基調として提起された。
 戦争に反対する闘い、解雇を許さない現場の闘い、公務員法改革への闘いの報告、提起をうけた。
 「しないさせない戦争協力関西ネットワーク」の中北代表が集会を締めくくり、参加者一同はデモに出発。アメリカ総領事館に抗議を行い、大阪の都心にシュプレヒコールを轟かせながらデモ行進を貫徹した。


有事法制の審議を再開した国会前で連続行動

    
STOP!有事法案、やめろ!イラク攻撃 国会前行動

 政府・与党が衆議院武力攻撃事態法特別委員会で有事法案の審議を強行再開した国会で、陸・海・空・港湾労働組合二〇団体、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネット、戦争反対・有事法案を廃案へ!市民緊急行動の四団体が呼びかけた国会前路上での連続行動が展開されている。
 毎日正午から午後一時までの集会には、社民党、共産党、民主党の国会議員や労働団体、宗教者、市民団体の人びとが参加し、それぞれ決意を固めあい、政府への抗議の行動を行なっている。
 すでに十五日は二〇〇名、十六日は五八〇名、十七日は一五〇名、十八日は二〇〇名と、のべ一〇〇名以上の人びとが参加し、さらに二一日、二二日、二四日と連続した行動が取り組まれている。
 主催した四団体はこうした連続行動を共同して進める一方、二六日には学者・研究者とともに有事法制批判のシンポジウムの開催に協力し、五月六日には「STOP!有事法制、市民と連帯する国会議員激励集会」も計画、さらに五月二三日夕刻には明治公園で大集会を予定、全国の仲間に呼応して闘うよう呼びかけている。
 運動の展開を早め、戦争につながる有事法制を阻止しなければならない。


ブッシュの非道無法の戦争とそれに追従する小泉政権の犯罪 B

(3)小泉内閣の戦争支持は違憲無法の悪政(その2)

A復興支援新法と有事法制の強行

 先に指摘したが、開戦に際してのブッシュの最後通告演説で、日本は「戦後の平和維持や復興に参加する国」として挙げられた。それを受けて日本政府は、戦争終了後のイラク国内の復興支援のために自衛隊を派遣するなどを盛り込んだ「イラク特別措置法(イラク復興支援法)」を五月上旬の連休明けにも国会に提出することも検討している。
 自民党の山崎幹事長は先のインタビューで「対テロ特別措置法」のような「イラク特措法」を作り、自衛隊を派遣すると述べた。そして「戦時下の自衛隊出動はできないが、難民支援や難民流出先の周辺国支援はすべきだ。当面、予備費やODAの予算からだすが、予算措置も必要かも知れない」「武力行使の期間や被害程度に影響されるから見積もりはできないが、アフガン復興支援を前例にすべきで、それは二割負担だ。国連分担金も二割だし、これが目安になる」と発言した。当面、この総額は数百億円規模になるとみられるが、ブッシュ大統領が連邦議会に提出した一〇兆円以上の軍費の補正予算などから日本政府に戦費負担を要求してくる可能性がある。そうすれば臨時増税以外になくなる可能性もある。
 イラクの戦後「復興」では、第一段階が「米軍による占領」、第二段階がイラク人による暫定行政機構の設置、第三段階が選挙を経た本格政権の樹立というのが米国のシナリオである。この第一段階の軍政では米国防総省のもとに作られた「復興人道援助庁」(ORHA)が中心になる。このORHAの派遣で政府与党内から、自衛隊の派遣も可能とか、制服はだめだが文民は可能(福田官房長官)などの発言があり、二転三転したうえで、文民派遣を強行した。日本政府は従来から「占領行政」に協力するのは憲法違反という立場であり、この解釈をご都合主義で変えることは許されない。与党内部でも野中元自民党幹事長らから「ORHAの復旧活動が米軍の治安維持と一体化すれば、武力行使を禁ずる憲法に抵触」するという危惧がでたのは当然であり、イラクを軍事占領した米国の政府機関=「復興人道援助庁」(ORHA)に人員を派遣することの憲法違反性は明白だ。軍事占領されたイラクに自衛隊を派遣することは、従来のPKO法や「テロ特措法」と異なり、自衛隊の直接イラク国内での戦闘参加に道を開く本格的な海外派兵につながりかねないものである。山崎は「(戦後のイラクは)政府のない状態になるし、関係国の同意が得られず危険なので、PKOの形はとりにくい。日本ができることは戦闘行為に関係ない輸送や医療、工作(建設)で、そのための自衛隊派遣はありうる」などと述べている。
 いま政府が検討している復興支援法による「イラク復興支援」の内容は次のようなものである。@自衛隊によるイラク駐留多国籍軍への物資輸送、食糧・燃料補給、医療などの後方支援、A自衛隊による化学兵器など大量破壊兵器処理、B自衛隊による道路、施設な どインフラ復旧・整備、などである。
 しかし、過去の自衛隊の海外派兵が「国連決議」や「国際機関の要請」を根拠にしてきたことから、そのために政府は国連安保理での「復興決議」が採択されるのが望ましいとしているようである。政府は安保理の一致もないままに米英側が戦争に突入した経過を踏まえて、「日本が支援対象とする多国籍軍の駐留と、自衛隊の活動を正当化する根拠がなくなる」からだというのである。国連を無視して突入した今回の戦争に関して、「復興決議」が安保理で採択されるかどうかはきわめて不透明だ。すでに米国からは「そもそも決議などは不要」という声がある。その場合、政府は再度、正当性のない対米追従をやらざるをえなくなる。

B立憲主義の否定と戦争遂行を可能にする国家へ

 このたびの小泉内閣のイラク攻撃支持政策は二重の意味で重大な憲法違反である。
 第一は憲法九条第一項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国憲の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とする理念への真っ向からの挑戦である。日本国憲法は武力によって国際紛争を解決する立場に立たない以上、そうした米国の行為を支持することもまた違憲違法となるのは当然だろう。
 また憲法九十八条二項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と述べており、今回の米国による国連憲章違反の先制攻撃と単独行動を支持することは、日本国政府が認めている国連憲章を「誠実に遵守」しないことになり、違憲である。
 あたかもブッシュ大統領が国連を無視し、国連安保理の機能を停止させて、不法不当にイラク攻撃を開始したように、小泉内閣も憲法を無視して米国の攻撃を支持するという違憲不法の行動にでている。
 アフガン戦争にいたる日本政府による一連の「参戦法」の採択自体が憲法違反であり、憲法によって「戦争をしてはならない国家」「戦争のできない国家」から「戦争をする国家」「戦争のできる国家」への変質が憲法違反であることはあらためていうまでもないが、政府が憲法を論じるときにしばしばもちいる「憲法に抵触しないと考えられる」という説明は、政府が憲法に抵触しないと説明すれば何でも可能ということでもあり、憲法は迷惑な存在であるからうまくすり抜ける口実をさがせば、憲法の精神などは無視してよいというものだ。これでは憲法の存在意義はなくなってしまうのであり、立憲主義の立場とは明白にことなる不法なものだ。
 これについては自民党の河野洋平元総裁までが「(首相によるイラク攻撃支持)決定はどれだけ考え抜いたものなのか。国際紛争を武力で解決しないとする憲法の精神との矛盾、乖離をどう説明するのか」と批判した。当然の指摘である。
 相次ぐ戦争による大量殺戮の時代でもあった二十世紀が終わり、そしてまた米ソ冷戦体制も終わって、新しい世紀を迎えて三年が過ぎたというのに、世界では米国の新保守主義(ネオコンサバティブ)、帝国主義的原理主義にもとづく単独行動主義による戦火が拡大している。まさに世界は「終わりのない戦争」の時代に突入したのであろうか。毎日新聞四月十一日で中井良則外信部長は「世界内戦が始まった」という文章を書き、「イラク戦争が現代史に持つ意味は、フセイン体制の崩壊というイラク一国の次元にとどまらない。地球は取り戻しのできないゆがんだ状況に入り込んだ。米国が帝国として君臨する地球の『世界内戦』とでも呼ぶべき新時代の新戦争を私たちは体験している。……地球全体が、さも米国の勢力圏であるかのようにふるまう帝国の中の内戦だ。……いまの米国は敵も戦争理由も自由に選べる」と指摘した。

(4)戦争反対、有事法案阻止へ

 わたしたちはこのような時代に平和の旗印をかかげて、どのように闘い進むのか。
 希望はある。昨年来、アメリカやヨーロッパの反戦運動組織が提唱して、繰り返されてきた国際反戦統一行動は、先の二月十五日の一〇〇〇万人を超える市民の反戦運動として、ベトナム反戦運動の規模を超え、史上初めての規模となった。戦争が始まったいまも、この運動は継続されている。日本でもこうした世界の人びとの波に触発され、市民の反戦運動は巨大化してきた。昨年の十月二六日にいくつかの市民団体が共同して開いた六百人の集会を機に、一月十八日には三六の市民団体・NGOなどが共同して七千人の集会とデモを行なった。三月八日には四七団体に増えて四万人の市民が参加した。そして三月二一日には五万人と規模が拡大し、四月五日は荒天のなかでの一万八千人の参加となった。四月十九日はアースデーの一環の行動に一万人が結集した。そしてこれらの集会の圧倒的部分が個人や草の根の市民グループによって占められており、こうした反戦デモへの初めての参加者がきわめて多いことが特徴である。この規模と質の両面から考えれば、反戦運動は日本でもベトナム戦争反対の運動を超えたということもできる。
 昨年の有事法制廃案をめざす運動が労働組合の組織動員を軸に四万、六万などの結集を果たし、世論を高揚させた結果、一年以上も継続審議に追い込んでいることに加えて、今回のイラク反戦運動はこうした全世界的な新しい反戦運動が高揚するなかで、昨年末には開戦かと言われたイラク攻撃を三ヵ月にわたって延期させてきた。開戦は阻止できなかったが、この力は大きい。日本でも世論調査によれば八割近くの人びとがイラク反戦であり、小泉内閣の支持率を低下させ、政府を震撼させた。これらの運動の今後の展開のなかで、有事法制廃案の課題や、朝鮮半島に平和を実現する課題、そして憲法改悪を阻止する課題などとが結合されていけば、この国でも戦争勢力に打撃を与えることができるのではないか。これらの人びとの力こそが、アメリカとその追随者による戦争を止める力の根源である(本稿は四月初めに書いた予定原稿に、その後の情勢変化を考慮して最小限の加筆を行なったが、他の部分はあえてそのままにした)。(おわり


第74回メーデーにあたって

       
イラク反戦の成果をうち固め、有事法案を粉砕しよう!

                      
労働者社会主義同盟中央常任委員会

 すべての労働者のみなさん!

メーデーにあたり、労働者社会主義同盟中央常任委員会はみなさんに熱烈なあいさつを送ります。

 この数カ月、アメリカ帝国主義・ブッシュ政権の無謀なイラク侵略戦争に反対する闘いは全世界で燃え広がりました。世界中で数千万人規模の統一した反戦の行動が展開されました。
 イラク戦争では、ブッシュ政権は、新たな国連決議すら獲得できず、フランス、ドイツ、ロシア、中国などの批判を押し切って戦争を開始し、米英軍は、圧倒的な軍事力とりわけ最新鋭・超大型の破壊兵器を駆使して進撃しました。人民的な支持基盤の薄弱なフセイン独裁政権は人民戦争的な抵抗を行うこともなく短期間で崩壊し、バグダットは陥落しました。この戦争の過程では、多くの戦死者がうまれ、とりわけ数千名にのぼる一般市民が虐殺されました。住居・社会的設備が破壊され、文化的な遺産が消滅しました。劣化ウラン弾(DU)、地雷化した不発弾などはこれから長きにわたって市民を苦しませ続けるでしょう。
 イラク戦争の口実となり、アメリカがはっきり証拠さえもっているとしたイラクの大量破壊兵器はまだ見つかっていません。それなのに、戦争はイラクだけにとどまらない状況となっています。アメリカは、次はシリア、イランだとして戦争を拡大し、中東全域の「民主化」=アメリカ化を実現しようとしています。中東ではこの状況にイスラエルの好戦勢力がいっそう冒険主義的な行動に出てきています。また、クルド人をはじめさまざまな民族独立の動きが加速し、また宗教的な対立が激化してきています。アメリカのイラク占領・植民地化と中東支配は、アラブ諸国人民の反発、各種矛盾の激発をもたらしています。アメリカは、はじめはイラクの危険な大量破壊兵器をなくすための戦争だといっていました。それがイラク人民をフセイン圧制から解放するための戦争だに変わり、いままた中東全域の「民主化」のためにアメリカ軍がいると主張しているのです。しかしこの戦争が、アメリカの中東全域の植民地支配の野望に基づくものであり、軍需産業、石油産業の繁栄のためのものであることは明らかです。イラクの人びとは、アメリカ軍を解放者ではなく侵略軍と見なしています。これは当然のことであり、アメリカとイラクやその他の中東諸国人民の対立はいっそう激しくなっていくことは必至です。
 日本の労働者階級・勤労人民は、イラクをはじめ中東諸国人民、全世界の人びととともに、アメリカのイラク占領、戦争拡大、中東の植民地支配に反対する闘いを強化していかなければなりません。そして、国際主義的な連帯をいっそう強化しながら、侵略戦争と人民支配をもたらす根源・帝国主義と資本主義制度の廃絶にむけた闘いを前進させていかなければなりません。

 小泉内閣は、アメリカ・ブッシュの戦争を積極的に支持し、イラクの人びとの虐殺の一翼を担いました。日本政府は、憲法の平和主義の原則を公然と踏みにじり侵略戦争の側に立ちました。小泉は、世界の民衆に敵対する位置に自らをおいたのです。この勢いにのって、小泉は、日本の戦争体制づくりを一気に進めようとしています。今国会では、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発・拉致問題を口実に有事法制を絶対に成立させるといっています。また、憲法調査会での審議を加速させ憲法改悪の早期実現をもくろんでいます。
 私たちは、多くの市民、陸海空港湾労組、野党など団結できるすべての力をそう結集して有事法案を何度も阻止してきました。そうした経験を活かし、とくにこの間の毎度も数万人の結集を見たイラク反戦運動の成果の上にたって、断固として有事法案を完全に廃案に持ち込む闘争の高揚を実現しなければなりません。

 現在、日本経済はいっそう不況色を深めています。小泉「構造改革」は、その犠牲を一方的に労働者階級・勤労人民におしつけています。資本は、リストラ・搾取強化を強行し、多くの労働者と家族の生活は深刻な不安の中にあります。
 いまこそ、労働組合は労働者の生活と権利を守るために、闘う態勢をつくりあげなければなりません。連合系労組も労資協調主義から脱却して、解雇ルールをはじめとする労働法制の大改悪を阻止するために大きく団結して闘いぬくことが必要です。

 すべての労働者のみなさん!

 戦争と失業・不況が世界を覆っています。グローバリゼーションと技術革命、そして新自由主義的「改革」は、資本主義体制と労働者階級・勤労人民との対立をいっそう激しいものにしています。

 全世界の人びとと連帯してアメリカの汚い戦争に反対しよう。戦争加担の小泉政権に攻撃を加えよう。有事法制を阻止しよう。憲法改悪を許さない幅広い戦線をつくりだそう。日米安保体制粉砕、軍事基地撤去、自衛隊解体のために闘おう。
 リストラ・雇用破壊攻撃、賃下げ・労働条件の劣悪化と闘おう。労働法制改悪を阻止しよう。闘う闘争団を防衛し国鉄闘争を前進させよう。未組織労働者の組織化、強大な労働組合・組合組織合同を実現しよう。闘う労働運動の潮流をつくり出し、労働戦線の左翼的再編の基盤を形成しよう。

 万国のプロレタリア、団結せよ!

二〇〇三年五月一日


横浜事件の再審開始決定

       
治安維持法にこだわる横浜地検は抗告

 四月一五日、横浜地裁(矢村宏裁判長)は、大戦中の最大の弾圧事件である「横浜事件」で再審開始を行うという画期的な決定を下した。
 横浜事件は、侵略戦争遂行のためあらゆる批判的な声を押しつぶそうとして、神奈川県特別高等警察課が、共産主義運動の容疑でジャーナリスト・学者などを検挙し、拷問での獄死四名をはじめ多数の犠牲者を生み出した稀にみる国家権力犯罪である。しかも、その有罪判決は、敗戦が確定した四五年八月末から九月に出されている。
 横浜事件では、これまで四次にわたって再審請求が起こされているが、再審開始決定が出たのは初めてである。これまでの横浜事件の再審請求は、「当時の裁判記録が消失しており、事実を確認できない」(最高裁)などとして棄却されてきたが、今回決定の出た第三次再審請求(九八年八月申し立て)では、大石真・京大教授(憲法学)の鑑定書が、横浜事件の法的根拠となっている治安維持法は、日本がポツダム宣言を受諾した時点で効力を失ったとして指摘している。地裁は、大石鑑定を踏まえて、元被告に適用された治安維持法は、「民主主義の根幹をなす結社ないし言論の自由を否定するもので、ポツダム宣言に抵触して適用をすることが許されず、(宣言の受諾後は)効力を失うに至ったというべき」として再審を決定したのである。
 裁判での当事者・遺族側弁護団側の主張は、ポツダム宣言を受諾した時点で、治安維持法は事実上失効したのであり、受諾後に判決を受けた元被告は無罪か免訴とすべきだというものだった。これに対して、横浜地検は、勅令で廃止されるまで治安維持法は効力があったとして、治安維持法による有罪判決を正当なものあるとして反論してきた。同時に、再審では法律の解釈論は制度の対象外で再審理由とならないと棄却を求めていた。
 横浜地裁の決定は一つの画期的な勝利であった。 しかし、これで問題が解決したわけではない。請求人側弁護団は、地検は決定に服して速やかに再審開始を確定させるべきだとしてきた。ところが、横浜地方検察庁は一八日、「ポツダム宣言を受諾した一九四五年八月一四日に、同法の一部が失効したという原決定の判断は誤り」として、東京高裁に即時抗告を申し立てた。戦争と平和、弾圧と言論の自由の流れの闘いは続いている。
 横浜事件の再審訴訟は、戦争体制がつくられつつある今、反戦平和・自由と民主主義の闘いの闘いの重要な一環であり、その勝利のために闘いを強めていかなければならない。

* 横浜事件の最後の当事者であり、第三次再審請求訴訟の原告でもあった板井庄作さんは、三月三一日に亡くなった。その半月後に横浜地裁の決定が出された。板井さんには、生きてその決定を聞いていただき、ともに喜びを分かちあいたかった。そのことが悔やまれてならない(本紙は、前号に続いて、板井さんの横浜事件についての文章を再録する)。


再 録   「横浜事件」の回想 (2)   板井庄作

昭和塾のこと

 私は一九三九年(昭和十四年)に東大工学部電気工学料を卒業した。当時私はまだマルクス主義者ではなかった。私の一高、東大時代は、すでにファッショの台頭が著しく、左翼学生運動は弾圧され、その存在は判らなかった。(戦争が終ってから、あの時代にも一高に何人かの組織があったことを知った)理工学部系の学生であったせいであろうか、私は哲学や技術論を通じて、そしてもちろん戦争という大事件を通じて、次第にマルクス主義へ接近していったと思う。自然の認識可能性などの問題から哲学の本をかじりはじめ当時の高名な哲学者西田幾多郎や田辺元などの本も読んだ。しかし何のことやらさっぱり判らなかった。やがて弁証法的唯物論の本を読みはじめたが、いまでもはっきり覚えているのは、エンゲルスの「フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終焉」を読んだ時の感激である。本当に目からからウロコがとれたような気がした。西田先生とか田辺先生などの本はいくら読んでも判らないのが当り前だ、ということがよく判った。
 私は工学部にすすんだが、技術の社会的意義ということが私の一つの関心事であった。それは、唯物論哲学の影響もあったし、戦争の発展、そのなかで自分の進路を考えねばならないということからも促された、と思う。いくつかの技術論を読んだが、記憶に残っているのはダニレフスキーの『技術史』(枡本セツ訳)である。この本はマルクスの資本論に依拠し、史的唯物論の立場からかなり的確に技術の発展をあとづけていた、と記憶する。資本諭を読まねばならぬ、というかねてからの気持はさらに強まったが、在学中はとうとう読むことができなかった。資本論を読んだのは大学を卒業してからである。資本論、特にその第一巻の絶対的および相対的剰余価値生産のくだりは、その理論展開の見事さに圧倒された。
 大学を卒業して逓信省電気庁に勤めることになった。そしてその翌一九四〇年後藤隆之助を塾長とする昭和塾に入った。これは、大学、逓信省を通じ私の二年先輩であった大来佐武郎のすすめによるものであった。かれは昭和塾の一回生、私は三回生であった。
 昭和塾は、『広い意味での将来の日本の指導者を養成すること』(西園寺公一直話、風間道太郎『尾崎秀実伝』)を目的とし、食事を共にしつつ講師を中心に時事問題を議論することを主な教科としていた。しかし塾長後藤は近衛文麿のブレーンの一人であり、昭和研究会の主催者でもあったところから、昭和塾は青年の近衛支持の勢力を培養するものと見るむきもあった。一九四〇年七月成立した第二次近衛内閣のもとで同年十月大政翼賛会が発足した時、後藤はその組織局長に就任し、塾生・塾友(塾卒業生を塾友と称した)のなかから何人かがこれに参加している。
 塾の実際上の運営には理事の平貞蔵が当たっていた。講師としてきた人びとには陸軍少将柴山兼四郎だとか前内務省警保局長唐沢俊樹などもいたし、風見章、細川嘉六、尾崎秀実などの諸先生もいた。私は尾崎さんとは親しくする機会がなかったが(尾崎さんは一九四一年十月十五日に検挙された。いわゆるゾルゲ事件)風見、細川両先生には、おふたりが亡くなる日まで敬愛する先輩として親しく御指導をいただいた。
 横浜事件の一つの構成グループである政治経済研究会が別名昭和塾グループといわれているのは、この研究会が、もともとは私たちが昭和塾で組織した「塾友研究会政治班」(一九四一・六)の発展したものであったからである。塾友研究会政治班は、昭和塾そのものが一九四一年十一月尾崎さんの検挙を契機として解散してしまったので(もちろん当時われわれに真相は判らなかった)、新たに別組織としてメンバーを更新し、政治経済研究会として翌一九四二年一月再出発したのである。塾友研究会政治班が存続したのは半年そこそこの期間であった。私たちは蝋山政道「政治史」をテキストとし、主として講座派理論によって幕末から日露戦争前後に至る日本資本主義の政治過程を勉強した。私自身は「征韓論と西南戦争」について報告したことを記憶している。私はこの班のメンバー高木健次郎(当時日鉄本社勤務、戦後独協大学教授)、由田浩(当時古河電工本社勤務、戦後東京都労働委員会を経て幼稚園経営)、浅石晴世(当時中央公論社動務、獄死)らから日本資本主義研究の手引きをしてもらい、猛烈に勉強したものである。しかしこのむしろありふれた研究会というべきものに参加した十余名の塾友たちの意識は、もちろん一様ではなかった。昭和塾の解散にもかかわらず、ひきつづき「政治経済研究会」を組織しこれに参加したのは、前記した三名と私の四名だけである。昭和塾の解散から新しい研究会の結成へ私たちが苦闘した一九四一年末は、あの太平洋戦争がはじまった年である。十月十五日、尾崎秀実検挙、翌十六日第三次近衛内閣総辞職、十八日東条陸相が現役のまま内閣を組織、十二月八日太平洋戦争開始。この間私たちを一貫してはげまして下さったのは細川先生である。前記四名で小田急沿線千歳船橋の先生のお宅を訪ねたこともある。先生の言動はきわめて慎重であったが、要するに「君たちが活躍すべき桧舞台が必ず開ける。力を養っておけ」ということであった。私たちはこの古武土の風格のある老人にどれほど激励されたかわからない。私たちはこの年の暮先生をまねいて九段の大周楼で忘年会を開いた。(大周楼は私たちの現在の事務所勁松社のすぐ近くで、いまも開業している)先生は興に乗じてお得意の河童の絵を半紙に描いてみなにくれた。笑止千万な話だが、神奈川特高はこの河童の絵を先生が心許した同志におくった結盟のしるし(党員証?)だとこじつけたものである。(つづく

(「労農戦報」一九八一年八月一日号より)


せんりゅう

                ゝ 史

 国こずく過激派ですと石原君

 中尉ただいま帰還と軍国知事

 戦争もする国づくり法案だ

 国益というは財閥益なのさ

 ごちそうがイラクにあると料理人

 侵略を人道支援ともいい

 属国としちゃう支援の力こぶ

 ねらっているコンテンポラリー植民地
                
二〇〇三年四月

 ○ヨーロッパにはじまる近代人権思想は株式による人間支配の政治的基礎となっている。ちかごろの理知はこのことを忘却している。鰍tSAがフセインを抹殺した意味は何か。イラクに輝かしくも人権・自由が与えられるとコンテンポラリー奴隷がうまれてくるだろう。人道的支援という名でイラクは料理され新たな国際秩序つまり旨味の取りあいっこがはじまっている。


複眼単眼

   
ピンポイント爆撃と誤爆と民主主義

 『愛媛新聞』四月九日の社説に「ピンポイント爆撃 これは紛れもなくテロである」というのが掲載された。
 以下、引用する。
 イラク戦争は最終局面を迎えつつあるようだ。これにともない首都バグダッドでは米英軍が新たな作戦を強化している。フセイン大統領ら要人を狙ったピンポイント爆撃である。
 自軍と周辺市民の被害を最小限にとどめるためにの限定戦略とされる。ハイテク技術もふんだんに駆使しているという。だが、現実には『誤爆』が繰り返されて名もない市民の犠牲が相次いでいる。
 「ピンポイント爆撃」と言えば、不思議なことに「きれいな戦争」を思わせ
る。言葉そのものにゲーム感覚の雰囲気すら漂う。だが、紛れもなく、それは要人を狙った「暗殺」なのである。
 「テロ撲滅」をうたい文句に始まったこの戦争で、今度は米英軍が「組織的なテロ」に自らの手を染めている。
 戦争はそのようなもの だと言えばそれまでだ。フセイン大統領さえやっつければ兵士や一般市民の犠牲が少なくなる、というのも軍事的には正しいのかも知れない。
 それでもなお、このような形の暗殺作戦計画が許されるとはとても思えない。特定個人をターゲットにした攻撃はどんな形にしろテロ以外の何ものでもない。ましてや、米英軍が「イラクの民主化」を謡ながら進攻しているのであれば、なおさらのことだ。民主国家であれば戦犯といえども裁判を受ける権利が保障される。手前勝手さと傲慢さを思わずにはいられない。
 「社説」はまだつづくが、引用はこの辺で終わる。この考えはかなりの人びとに共通だろう。しかし、すでにこの程度の主張さえ、大手のメディアからは消えてしまった。今回のイラク攻撃に際しては、大手の朝日紙ですら「サダム・フセインを倒せ」と主張する始末であった。今回の戦争でアメリカ民主主義の限界を人びとは見て取ったと思うが、日本の「戦後民主主義」はどうであったか。少なくとも、それを超えてはいない。
 統一地方選挙の前半戦が終わった。あらためてこの国の民主主義と議会制民主主義について考えさせられる。大衆運動や世論が選挙に収斂されるのは危険だとも改めて思う。イラク反戦の運動が議会制民主主義に収斂されるとき、そこに生まれた運動のダイナミズムはただちにエネルギーを失うことになる。民衆運動と議会選挙は別のものだというのは九〇年代はじめの「PKO選挙」以来の教訓で、持論だが。
 話はもどるがB1、B2、B52の重爆撃機による爆撃や、ディジーカッター、クラスター、MOABなどによる爆撃、大量のトマホークミサイル攻撃がピンポント攻撃だなんてブラックジョークにすぎない。爆弾一発の爆発が広範な周囲の人びとと建物と環境をどれだけたくさん破壊したか。(K)