人民新報 ・ 第1094号<統合187> (2003年5月5日)
  
                                目次

 朝鮮半島緊張激化政策反対  戦争準備の有事三法案  強行採決を許すな!

● 統一地方選挙が終わって  活路は広範な共同闘争の前進にこそ

● 労働法制大改悪阻止!  雇用ルールの破壊を許さない! 労基法・派遣法改悪に反対する集会

● 怒りを新たに、不当な差別は許さない!  鉄建公団訴訟報告集会

● 郵政4・28処分 24周年  郵政公社・全逓本部に抗議行動

● 有事法制阻止に向けて緊急討論集会  ブッシュの戦争をアジアで起こさせるな!

● 4・29  アメリカの戦争と天皇制を問う

● 黙っていられない! 教育基本法「見直し」  子どもはお国のためにあるんじゃない

● 再 録 /  「横浜事件」の回想 (3)  板井庄作

複眼単眼 / アフガンはまたも世界中から忘れられるのか



朝鮮半島緊張激化政策反対

  
戦争準備の有事三法案  強行採決を許すな!

 有事関連三法案をめぐる国会状況はきわめて緊迫している。
 小泉内閣と与党は米英軍などのイラク侵略戦争を「日米同盟優先」の立場からという理由で公然と支持し、軍事占領政策にも積極的に加担している。この「日米同盟最優先」路線を正当化する理由が朝鮮半島の問題であり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核開発・核兵器の保有と拉致問題などに対処するためだとされている。小泉内閣はマスコミなどを使って、この北朝鮮の危険性についてのキャンペーンを大々的にくり広げなから、昨年一年にわたって国会採択を阻止されてきた有事三法案の必要性を強調することで法案採択の強行突破のための準備を進めている。こうした小泉内閣の対外政策は北東アジアの緊張を激化させている。
 先ごろ、朝鮮半島をめぐっては米朝中の三国会談が行なわれた。同時に朝鮮の南北会談も行なわれた。こうした対話と外交交渉の促進が朝鮮半島を含む東アジアの平和を実現する上で可能なただひとつの道であり、各国政府が交渉のテーブルについたことを歓迎し、今後ともねばりつよく平和的な解決の道を前進するよう要求する。
 私たちは、伝えられるように今回の三国会談の中で米国が強大な軍事力を背景に北朝鮮に対して強圧的に屈伏を要求し、対抗して北朝鮮が核兵器保有を発言するなどして対抗するという、両者の危険な戦争瀬戸際政策に反対する。世界最大の核保有国である米国が、北朝鮮に対して核開発や大量破壊兵器の放棄を要求するのは、イラクにたいして行なったと同様に横暴・無法な帝国主義の政策だ。また核軍拡競争の結果、東アジアの人びとがどれだけ深刻な被害を受けるのかを考えるならば、北朝鮮指導部も核兵器を絶対にもてあそんではならない。私たちは朝鮮半島、さらには東北アジアの非核地帯化の実現をめざして闘う。
 こうした方向にとって、いま小泉内閣が進めようとしている有事三法案は百害あって一利なしだ。有事法制は米国の朝鮮半島に対する侵略戦争に日本が全面的に加担することを可能にする立法であり、その成立は戦争を引き寄せることだ。「備えあれば憂いなし」ではなく、「戦争は備えをするとやってくる」のだ。日本政府がいまなすべきは昨年の平壌宣言にそって国交正常化の実現の課題をはじめ、植民地支配と戦争・戦後責任問題の解決、拉致被害者の救済と補償などさまざまな日朝間の問題を解決するための誠意ある交渉を即時再開することに他ならない。
 衆議院武力攻撃事態対処特別委員会(鳩山邦夫委員長)は、民主党から緊急事態対処基本法案と武力事態法案修正案が提出されたことを受けて、連休明けの六日から与党案との修正協議に入るとしている。六日には特別委員会で民主党案の提案理由説明が予定されている。すでに四月十七日、自由党も「非常事態対処法案」と「安全保障基本法案」を提出している。与党は五月十二日の週に衆院を通過させ、参議院で二週間・五〇時間の審議を経て、今国会会期中に成立と計算していると言われる。もしも六月十八日の会期末に間に合わなければ会期を大幅に延長してでも法案を仕上げるかまえだ。
 こうした事態を受けて、小泉首相は「よいものは取り入れる方向で政策調整されるべきだ」と発言している。与党と民主党の協議で焦点になるのは与党案にはない「基本法案」の問題だ。民主党はこれに大規模災害の被災者救援など「国民保護」関連の内容も含め、修正案とパッケージで提起しており、与党はこの採択に難色をしめしているが、妥協が成立する危険性はきわめて大きい。これを左右するのは世論の動向にほかならない。政府にとっては、もしもこの国会で有事法案が成立しないようなことになれば、同法案が廃案に追い込まれるだけに、今回は必至で成立をはかろうとするだろう。
 事態は緊急だ。この五月の段階で国会内外での大衆闘争を盛り上げ、世論の高揚をはからなくてはならない。昨年の九・一七小泉訪朝以降、有事法制必要論優勢に急展開した情勢をさらに大きく回転させ、有事三法案廃案の闘いを展開しなくてはならない。すでに「戦争反対!有事法案を廃案へ・市民緊急行動」「陸海空港湾労働組合二〇団体」「キリスト者平和ネット」「宗教者平和ネット」の四団体と小田実、澤地久枝、神山健二郎の文化人三氏の呼びかけで、「STOP!有事法制」の実行委員会が再開し、国会行動などを展開している。五月六日には「国会議員と市民の連帯集会」(午後六時半〜星陵会館)も予定され、五月二三日には明治公園で大集会も開催される。全国各地で呼応して闘おう。


統一地方選挙が終わって

   活路は広範な共同闘争の前進にこそ


 二七日の投票で今春の統一地方選挙の後半戦が終わった。おりからの米軍などによるイラク攻撃への態度、経済状態の悪化、自治体の合併問題などをはじめとして、重要な政治的課題は数多く存在したが、マスコミの選挙報道も低調で、選挙に対する有権者の関心はあまり高くなかった。投票率は各首長選挙、各自治体議員選挙とも軒並み過去最低を記録した。そのうち、町村議選挙は一番高く七七・七二%、もっとも低いのは区議選で四三・二三%だった。
 市議当選者数で見ると、公明が一一四〇人で第一位、前回よりも議席を増加させた(同党は推薦を含めて道府県議、政令市議三二四人、市区町村議一七九七人を全員当選させた)。自由は五から一〇に増加、二位の共産は九四〇人で一割近く減らした。自民も八一四人で一割近く減。民主も二九二人で若干減らした。社民は九二人で一割以上の減、という結果だった。新社会党も地域的な差はあるが、全体としては議席を減らした。なかでも東京の都知事選挙で「軍国おじさん」の石原慎太郎が圧勝した結果とあわせ、イラク反戦を政策にかかげた共産党、社民党の敗北がめだった。一部のマスコミがもてはやした北川前三重県知事らが提唱した「マニフェスト」運動と自治体改革政策は「流行」になったが、その中身は既成の政治に対する有効な対抗運動にはなりえていないこともあきらかになった。
 これらの中で、有事法制反対の闘いの先頭に立った東京・国立市の上原公子市長の勝利と、与党連合に対抗して闘った沖縄・宜野湾市長選の伊波洋一候補(革新無所属、社民、社大、共産、民主推薦)の勝利は、今後の普天間基地撤去の闘いの展望を切り開くものであり、いずれも朗報だった。 
 今回の選挙で敗北した共産党は二八日に中央常任幹部会の声明を発表、「(イラク反戦と生活、福祉、教育をかかげて闘い、その訴えが)届いたところではどこでも有権者の支持と共感を広げた」「無党派の人びとと本格的に共同する流れを作りつつあるところでは、新たな前進をかち取った」として、後退の原因は「宣伝と組織活動の総量が、四年前と比べて不十分な結果に終わった…その根本には、党の基礎的 力量の問題があります」と総括して、「反共攻撃に全有権者の規模で反撃できなかったこと」を指摘した。しかし、共産党は都知事選挙の候補者選びにみられるように不徹底で、宜野湾市のような野党共同の展望を必ずしも持ってはいなかった。いわゆる無党派との共同も不徹底で、結局、独自候補の擁立中心という従来の形態が大多数だった。最大のテーマであったイラク反戦も選挙を前に独自集会に傾きがちで、またぞろセクト主義が表面化したこともあった。中央委員長の世代代わりはしたものの地方組織の高齢化は否めず、解決策は見えていない。このままでは共産党の後退現象はつづかざるを得ない。
 そうした中で草の根の市民運動を背景にして各地の市民派議員が奮闘していることは希望が持てる。この分野でも強固な力を持つことなくして民衆運動の本格的な前進はないことを、自らの任務としてあらためて確認しておかなくてはならないだろう。 (S)


労働法制大改悪阻止!

  
雇用ルールの破壊を許さない! 労基法・派遣法改悪に反対する集会

四月二三日、日本教育会館大ホールで、「雇用ルールの破壊を許さない! 労基法・派遣法改悪に反対する緊急集会」(主催・日本労働弁護団)が、五〇〇人あまりの参加者でひらかれた。
 小泉政権は、財界の労働市場の自由化の要求に沿って、労働基準法に「解雇の自由」を明記する全面改悪案をはじめ、労働者派遣法、職業安定法など労働法制の抜本的な改悪を目論んでいる。今国会でそれらの労働法制の大改悪を強行しようとしている。連休明けには本格的な国会審議がはじまる。労働側は、改悪阻止の運動を展開しなければならない。それに備えての集会であった。
 緊急集会では、労働弁護団幹事長の鴨田哲郎弁護士が報告を行った。 
 今回の労働法制改悪は様々な方面にわたっているが一番関心の高いのは「解雇ルール」だ。一部の労働経済学者は、解雇がしやすくなれば、その一方で雇用が増えるなどといっているものもいるがとんでもない。解雇がしやすくなって増えるのは失業者であり全くの詭弁でしかない。これはアメリカの経済界から強く言われ、小泉の鶴の一声で出てきたものだ。そもそも労働基準法は、労働条件の最低基準を決めたものである。そこに「使用者は、この法律または他の法律の規定により、その使用する労働者の解雇に関する権利が制限されている場合を除き、労働者の解雇をすることができる」と定めるというのである。その上で、「ただしその解雇が、客観的かつ合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」としている。闘いの中で、われわれにとって使い勝手の良い法律にかえていくには、法案の前半「解雇自由」を削り、後半の「ただし」以降を生かしていく必要がある。
民主党城島正光衆議院議員、共産党山口富男衆議院議員、社民党大脇雅子参議院議員、UIゼンセン同盟逢見直人政策局長、全労連寺間誠治総合労働局長、全労協藤崎良三議長が、それぞれ労働法制改悪反対の決意を述べた。
 つづいて、有期ネット、派遣ネット、全労働省労組からの発言があり、最後に集会アピールを採択した。

* * * *

 労基法・派遣法等の改悪に反対するアピール

一、政府は今国会に労基法、派遣法、雇用保険法等の「改正」法案を提出している。これらの法案は、「解雇ルール」の設定、有期雇用・派遣労働の拡大、裁量労働制の拡大、雇用保険給付水準の低下等を図るものである。

 二、産業再生機構の発足により不良債権処理とこれに伴う解雇、リストラはいよいよ本番を迎えることとなる。しかるに、「改正」法案等政府施策によれば「解雇ルール」の設定においては、労基法本文に使用者の解雇権限を定めたうえ、労働条件分科会での厚労省及び公益委員の説明とは一八〇度異なり、「正当事由」の立証責任は労働者にあるとし、労働者のニーズの多様化を口実に、有期雇用・派遣労働の拡大を図って労働者を削減する一方、大半が有期雇用であるパート労働者の均等処遇を中心とする待遇改善については何ら具体的方策を示さず、ホワイトカラー労働者には労働時間法の適用除外を目指して、無限定な労働を強いることとなる。
 これでは、解雇・雇止めし易く、セーフティネットは低く、職場に残るためには無限程な労働を受け入れざるをえないという労働環境が作られることとなる。

 三、今日、労働者・家族と労働組合の要求は、雇用の安定、セーフティネットの拡充、人間らしい労働と職場の確立である。これらの実現を阻害する労基法等改悪に反対するとともに、雇用の安定に資する雇用・解雇ルールの制定を要求して、多くの労働者・労働組合が声をあげ、行動することを強く訴えるものである。
  以上

二〇〇三年四月二三日

日本労働弁護団


怒りを新たに、不当な差別は許さない!  鉄建公団訴訟報告集会

 四月二八日、一〇四七名の解雇撤回・鉄建公団訴訟第六回口頭弁論が行われた。地裁の傍聴には一五〇名が列んだ。裁判では鳥栖闘争団の石崎さんの陳述人報告がおこなわれた。裁判のあと最高裁にJR採用差別事件に対して公正な人間らしい判断を求める署名を提出した。
 夕方からは、シニアワーク東京ホールで、「怒りを新たに、不当な差別は許さない!首切り自由社会はゴメンだ! 4・28第六回鉄建公団裁判報告集会」が開かれ、闘争団、国労組合員、支援の労働者など二三〇人が参加した。
 はじめにビデオ(稚内闘争団制作)が上映された。それは稚内の清算事業団の記録で、管理者たちが就職あっせんをやったとする数字合わせの「戦果」をとくとくと喋っているのがテープに取られたもので、一人も路頭に迷わせないと言いながら、実際に行われた解雇された国労組合員のための再就職あっせんなるものがいかにでたらめな嘘で固められたものかを暴露するものだった。
 二瓶久勝国鉄闘争共闘会議議長があいさつ。共闘会議結成から一年がたったが、当時と今の情勢の違いは四党合意が完全に破綻したことだ。数千万円の解決金、JRへの再就職という本部のデマを信じて四党合意賛成になった闘争団も大変な動揺をおこしている。いまこそ国労内の良心派も闘う闘争団と手をにぎってわれわれこそが主流派なのだ、国労を取るという決意をもって欲しい。共闘は一〇〇団体以上、一五万人以上の組織となったが、まだ財政問題など解決すべき問題は多い。もっともっと拡大をしていかなければならない。日本の労働運動は春闘終焉の厳しい状況にある。リストラの嵐が吹き荒れているが、大リストラの原点は国鉄の分割・民営化攻撃だった。国鉄闘争を日本労働運動再生の契機としよう。いま、われわれの力が問われている。こちらにこそ解決できる力があることを示すことだ。
 第六回裁判の報告は加藤晋介弁護士。鉄建公団側は、時間がたちすでに時効だということ、雇用対策特別法の期限も切れた、そして昨年の全動労裁判での国策に反対するような奴は解雇されて当然という高裁判決を出してきている。労働委員会では集団としての国労に対する差別はあったとしているが、今後の裁判を行っていく上では、それだけでは不十分だ。もう一度訴訟を立て直す必要がある。弁護団としては三段階の戦略をたてている。第一には、差別の根源である国鉄の分割・民営化がおこなわれた大きな政策である。当時の中曽根康弘首相は、国労をつぶし、そして総評を解体する。それは社会党の弱体化につながり、そして憲法に手をつけると言った。第二には、各清算事業団でなにが行われたかだ。そして第三には個々の労働者(訴訟原告)がどのように組織脱退工作などを受けたかを立証していくことだ。原告の一人ひとりが主人公としての自覚を高め、そしてこの裁判で勝つ以外にはないという決意を固めなければならない。弁護団も重大な決意で闘うつもりである。
 陳述人の石崎さんは、鉄建公団訴訟にたいして、四党合意賛成派の圧力をはねのけて訴訟を継続する決意をのべた。
 つづいて、全動労判決など悪らつな反労働者的判決を乱発している「国民の犯罪者=村上敬一東京高裁裁判長を弾劾する」発言が続いた。報告者は、反リストラ産経労、全動労争議団、関西航業争議団、首切り自由を許さない実行委員会。
 小野寺忠昭さんは「裁判闘争の位置付け―鉄建公団訴訟の戦略目標と村上判決の関連」と題して発言した。いまの反動判決の連続は、戦後労働裁判でかち取ってきたすべてのものを破壊するいわば「ご破算にねがいまして」というものだ。「労働ハラスメント」とでも言うものだ。これに対決していくためにはとくに高裁村上裁判長を犯罪者として告発し罷免を要求していくことが必要だ。そして個別争議を結びながら、いまの流れの根底にある新自由主義傾向に立ち向かうこと、そして同時に反リストラ産経労ならフジ・サンケイグループに関係するそれぞれの個別闘争の共闘組織を作っていくことだ。
 共闘会議からの行動提起は、内田事務局長がおこなった。共闘会議としては、当面の闘争の重点を、@最高裁署名の取組み再強化、A村上裁判長の罷免や最高裁への激励・要請など裁判所へのハガキ要請行動を五月連休後ただちに行う、B闘争団・有志・家族を財政的に支える「守る会」に取り組む、C国鉄闘争共闘会議合宿交流について、D北海道、九州闘争団・有志合宿交流にとりくむ。
 最後に団結ガンバローで国鉄闘争の前進を確認した。


郵政4・28処分 24周年

   
 郵政公社・全逓本部に抗議行動

 一九七九年四月二八日、当時の郵政省は六一人の首切りを含む八一八三名の大量処分を行った。
 これは、当時まだ戦闘的だった全逓信労働組合が「差別・合理化は許さない」という反マル生闘争への報復処分だった。マル生とは、生産性向上運動を意味し、労働者を働かせるだけ働かせ、同時に労働組合運動が勝ち取ってきた権利を奪い取るものであった。
 首切り免職は全逓労組の機関役員ではなく東京地方の青年労働者に集中した。それらの若い組合員は、全逓の方針を第一線にたって闘い抜いたのであった。しかし、全逓本部は、反処分闘争を闘い抜くのではなく、逆にこの攻撃を契機にして、総評解体・連合結成の流れに沿って大きく右転換した。そして九一年六月免職者全員を組合から追い出し、反処分闘争を終わらせてしまうという大きな裏切り行為を行った。
 だが、免職者たちは闘争を継続している。そのうち、犠牲者救援・全逓組合員資格裁判では、九八年一二月に最高裁で組合員資格について勝利している。また、〇二年九月にも最高裁で犠救特例加算裁判で完全勝利判決を勝ち取っている。しかし、全逓本部はいささかの反省の色さえ見せない。
 
 今年の四月二八日は、郵政4・28処分二四周年にあたる。初夏のような陽射しの中、全一日行動が闘われた。
 早朝の各局への情宣行動からスタートして、昼には郵政公社への抗議行動、つづいて全逓本部にたいして謝罪要求・交渉申入れをおこなった。そのあと、文京シビックに会場を移して、4・28ネット第一二回総会(全国交流会)、反処分二四周年記念総決起集会が行われた。


有事法制阻止に向けて緊急討論集会

  ブッシュの戦争をアジアで起こさせるな!

 国会では連休明けにもも有事三法案についての衆議院特別委員会での参考人質疑が行なわれるという緊迫した事態(国会運営の「慣行」ではこれが終われば採決と言われる)の中で、有事法制阻止のための緊急討論集会が明治大学で開催され、午後一時から六時までの長丁場にもかかわらず百二十人が出席し、熱心に討論した。集会の副題は「イラク侵攻・北朝鮮問題と有事法制−情勢と運動の課題」で、新たな情勢の下での有事法制反対闘争について捉え直そうという主旨で、呼びかけ人は内田雅敏(弁護士)、小河義伸(平和を実現するキリスト者ネット事務局代表)、澤藤統一郎(日本民主法律家協会事務局長)、高田健(戦争反対・有事法案を廃案へ!市民緊急行動)、武田隆雄(平和を作り出す宗教者ネット世話人)、三輪隆(ストップ!有事法制出前講師団代表・埼玉大学教員)、村中哲也(航空労組連絡会副議長)の各氏だった。 

 討論集会は第一部「理論編」、第二部「実践・運動編」に分かれ、第一部は松尾高志氏(軍事問題・ジャーナリスト)と渡辺治氏(政治学・一橋大学教員)が、第二部は高田健氏(市民緊急行動)、藤丸徹氏(全日本海員組合教宣部長)、村中哲也氏(航空連)がそれぞれ問題提起的な基調報告をした。

 松尾氏は「『ブッシュ・ドクトリン』とは何か」と題して問題提起に立ち、最初に有事法制をめぐる闘いが正念場に来たことを確認した。そして氏は従来、有事法制を冷戦構造崩壊後の九四年の朝鮮事態と安保再定義、新ガイドライン路線の文脈の中で考えてきたが、舞台は一回り大きく変わり、米国の政権自体が大きく変わってきたので、それとの関わりで捉え直し、ブッシュ政権がいま何を考えているのかを検討することは重要だと思うようになったと述べた。ブッシュ・ドクトリンは冷戦期の米国の戦略を大きく変更した新しい戦略だと考えるべきだし、ブッシュ政権は戦時政権であり、戦時大統領だと考えていると述べた。また世間で言われている「 米国政権内での路線対立」はタカ派とハト派の対立ではなく、二〇〇二年九月に出された「国家安全保障戦略」の枠内でのタカ派・リアリストとタカ派・ネオコンの差異にすぎないと指摘した。

 渡辺氏は「小泉政権と有事法制問題の現在」と題して報告。ブッシュ政権はクリントン政権後期の「グローバル市場秩序に刃向かう障害物」に対する「吸収路線」を転換させ、「力による抑止論を一歩進め、政権転覆・民主化をはかる」路線をとり、単独行動主義の新段階ともいうべき「ついてくるところだけでよい」という路線をとっている。日本政府は新ガイドライン態勢の限界(集団的自衛権の行使が不可、民間企業と自治体の動員態勢の不備など)を突破するために有事法制を作ろうとした。これが昨年は広範な反対運動とその結果としての野党共闘の堅持によって挫折した。しかし、平壌宣言とその後の北朝鮮問題で状況は変わった。民主党修正案も重大な問題がある。しかし、あきらめずに「ブッシュの戦争をアジアで起こさせるな」の広範な運動を展開し「憲法・平 和主義戦略の国際秩序」のオルタオティブを提起していこうと述べた。

 高田氏はこの間の反戦運動の経験から総括的提起を行なった。イラク反戦運動が市民の五万人もの規模で展開されたが、何かそれを当然のように思ってしまいがちだ。「イラクは対岸の火事だから盛り上がった」などという人さえいる。しかし、昨年秋には有事法制反対を闘った二〇労組などの「STOP!有事」運動は内部の調整がつかず、イラク反戦をかかげることができなかった。市民運動の中にもイラク問題は遠いし、サダムフセインが独裁者だというのはハッキリしていて、反戦運動を起こすのは難しいと嘆いていた人もかなりいた。いま大きな運動が起こると、こういうことは忘れてしまう。反戦の市民運動は昨年段階ではどんなに頑張っても二千人しかあつまらなかった。今は一万人集まっても「少ないな」などという人がいる。ある作家はWPNの運動が展開していくと「児戯、滑稽、無惨、あほらしさ、はずかしさ、むなしさ」などと最大級の形容を使って罵倒した。日本でいまこうした国際連帯の大規模な反戦運動が起こったことの意味が何もわかっていない評論だ。いま有事法制に反対する運動の中で「日朝市民平和交渉団」と北東アジアの非核地帯の創設の運動や、板門店での平和の祭りなどの運動が提起されている。広範な人びとの運動と連帯しつつ、市民運動は新たな展開をしようとしていると報告した。

 藤丸氏は海員組合が連合傘下の組合だが、船乗りが有事法制に反対するのは、この前の戦争で大変な目にあってきたからで、平和な海なくして国民の経済生活も成り立たない。朝鮮戦争では七〇隻の船舶が米軍に徴用されたし、亡くなった人もいる。ベトナム戦争でもそうだった。四次にわたる中東戦争、イラン・イラク戦争、これらと船乗りは無縁でなかった。だからこそ「命と安全を守るため」に有事法制反対運動に取り組んでいる。今回、船主との協定を結び、周航海域の制限や、乗船拒否権などを認めさせた。有事法制が通ればこういうことすら許されない。ぜひともに闘っていただきたい。

 村中氏は代々木公園の六万の人びとの結集を頂点にして、有事法制反対の運動が大きく展開し、有事法制を阻止してきた。イラク戦争は終わりではなく、米英軍の占領に反対する運動を作る必要がある。同様に、いま有事法制に反対する闘いを、二三日に市民運動、宗教者の運動、文化人などのみなさんと協力しながら明治公園の大集会を提起している。さらに大きな運動をつくり、有事法案を廃案にしよう、と呼びかけた。


4・29

  
アメリカの戦争と天皇制を問う

 四月二九日、渋谷勤労福祉会館で、一二〇人の人びとが参加して「アメリカの戦争と天皇制を問う4・29集会」がひらかれた。
 はじめに立川テント村の加藤克子さんが「国家―枠を越えることと、相対化することと」と題して話した。
 「手をつなぐために天皇はいらない」は逆にいうと「戦うために天皇が必要」になるということだ。天皇制の強化と軍国主義の復活は同義のものとして現れている。
 つづいて、ピープルズプラン研究所共同代表の武藤一羊さんが、アメリカによるイラク戦争で世界は混沌とした新しい時代に入ったと講演を行った。
 9・11以降、世界的な規模でクーデタがおこった。まず第一には、ネオコンといわれる最も暴力的で驕り高ぶり、そして蒙昧な勢力がアメリカ国家を乗っ取った。第二にはそのアメリカが世界を乗っ取った。それは世界に対する支配を主張し貫徹し、その上にたってイラク攻撃が行われた。しかし、こうしたアメリカの戦争には全世界で千数百万という大規模な反戦闘争がおこった。そして、フランス・ドイツなどがアメリカの戦争を引き留めようとする戦争反対の第二戦線も出来た。しかし、アメリカやイギリスなどは、どんなに反対があったとしても戦争に勝ってしまえば抑え込めると言う気で開戦した。しかし今度の戦争は戦争の名に値したいものだ。戦争は少なくとも戦争をする双方に一定の釣合というものが存在するが、アメリカは湾岸戦争以降イラクに爆撃を繰り返していたし、技術、物量、情報の圧倒的な優位にたち、一方的に軍事力を行使した。これは戦争と言うより狩猟・サファリとでも言うべきものだ。いまラムズフェルド国防長官などは得意満面である。しかしこれは力で勝ってしまえばこちらのものだという暴力団の論理だ。すでにアメリカは、イラクに続いて、シリア、イラン、北朝鮮などに新たに手を伸ばそうとしている。今必要なのは、こうしたアメリカのやり方にはなんの合法性もないことを暴露していくことだ。
 参加団体からのアピールは、植樹祭・インターハイ・国体に反対する千葉の会、日の丸・君が代の法制化と強制に反対する神奈川の会、良心・表現の自由・声をあげる会、性と天皇制研究会、5・3憲法集会実行委員会などから行われた。
 採択された集会宣言は、「私たちは、天皇制国家の植民地支配・侵略戦争の歴史と朝鮮の人々に対するその責任を不問にしてきた戦後日本人の責任という問題をふまえ、アメリカの軍事力をもあてこんだ日本政府の排外主義的な対応、戦争国家・社会づくりと対決していかなければならない。……今年のこの日を、私たちはアメリカ占領軍によって、天皇制(『昭和天皇』)は延命したという歴史的事実をあらためて想起し、アメリカ『帝国』の戦争への協力・加担の遣を進む、象徴天皇制国家の支配の強化と対決する。そして、反天皇制=反戦運動づくりをさらに力強く持続することを、広く再確認する日としたい」と述べている。
 集会の後、大音量のスピーカーや露骨に挑発してくる右翼の執拗な妨害をはねのけて、渋谷の繁華街でのデモを行った。


黙っていられない! 教育基本法「見直し」  子どもはお国のためにあるんじゃない

 四月二九日、東京の明治大学ホールで「黙っていられない! 教育基本法「見直し」 子どもはお国のためにあるんじゃない PART2」集会が五〇〇名余りを集めて開催された。主催は教育基本法「改正」反対市民連絡会。イラク戦争が始まった三月二十日、中央教育審議会が教育基本法「改正」の答申を出したことに抗議して開催されたもの。
 主催者あいさつでは市民連絡会の賛同者が六〇〇名を越えたこと、集会の主催者は参加者と発言者みんなだと呼びかけた。はじめの発言は精神科医のなだいなださんで、「杉林がいいか、雑木林がいいか」と題して「自由意志を持っていきることやくじけないで生きていくことが教育の目的であり、今の教育基本法こそ実行されるべきだ」と話した。
 弁護士で日弁連子どもの権利委員会委員の坪井節子さんは、三月二十日付けの日弁連会長声明を基に中教審答申の問題点として、@答申が「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」の観点から法改正をするとしているのは、教育を国家のための人材育成との位置づけであって憲法に違反する、A公教育の場で「国を愛する心」を押し付けることは内心の自由を保障する憲法一九条に抵触する、など七点を指摘した。
 つづいて二つの発言があった。医師の山田真さんは「「たくましい日本人」をつくる健康増進法」について「この法律は健康であることが国民の責務とされているもので、戦前の日本やドイツでも制定された。病気や障害者などは非国民とされる。健康を国家が管理するのは戦争の準備だ。昨年七月にひっそり制定された」と報告した。松山大学教員の大内裕和さんは「大学独立法人化と教育基本法改悪」について「独立法人化は、大学の目標を文化省大臣が決め、大学の企業依存を強める。社会への多様な人材供給や批判的言論の場としての大学の機能を奪うものだ」と報告した。
 東大教員の高橋哲哉さんは「「心のノート」と教育基本法改悪」について話した。高橋さんは「教育は個人の人格形成のために行われるべきものなのに、答申では教育の目的を国家戦略の下に国家の統治行為にした。河合隼雄が二十一世紀日本の懇談会で出したものと同じだ。有事法制と教育基本法の改正で戦争をする国作りをすすめ、心のノートで戦争を支える心を形成しようとしている。その先は憲法改正だ」と話した。
 在日朝鮮人の若者の梁英聖さんと、イラク攻撃反対の行動を続けたアジアンスパークも発言した。集会の後は、靖国神社近くまで神田の書店街の大通りをデモ行進した。


再 録

   
「横浜事件」の回想 (3)     板井庄作

細川先生の逮捕

 この細川先生が翌一九四二年九月十四日治安維持法違反容疑で警視庁に検挙された(世田谷署に留置)。先生はこの年「改造」の八、九月号に「世界史の動向と日本」と題する論文を発表したが、陸軍報道部長谷萩大佐は「日本読書新聞」紙上でこれを「共産主義の宣伝」ときめつけ、これを合図に警視庁の細川検挙、「改造」発禁となったのである。
 これは重要な言論弾圧事件である。だが先生が一九四四年五月東京から横浜に移送され、横浜事件の巨魁とされるに至ったのは、右の筆禍事件とは直接的関係はない。先生の論文とは別のルート、つまりアメリカ帰りの川田寿らのルート(特高のいう『米国共産党員事件』)から神奈川特高に検挙されたいわゆる「泊(とまり)」グループ(益田直彦、平館利雄、西沢冨夫、西尾忠四郎、相川博、小野康人、木村亨、加藤政治ら)が拷問によって「党再建準備会」事件なるものをでっちあげられ、先生はその巨魁とされ、このために横浜に移送されたのである。
 事件そのものについては多数の文献が出版されているのでここでは触れない。私がこの手記でぜひとも再録しておきたいと思ったのは、「世界史の動向と日本」その他の論文を発表された当時の先生の心境である。先生は「思想」一九五四年四月号に書いた「書斎の思い出(続)」のなかで当時を回想してつぎのように述べている。
 「一年に十指を数えないほどの論文数ではあったが、中央公論や改造を舞台としてこれを発表した。甚だしい弾圧下の日本社会において政治評論を発表することは言うまでもなく身辺の危険をともなっている。これを承知している私ではあったが、この重大時局に唱うべきことを唱えずにおることはとうていできない。この場合、沈黙生活をすることは私にとっては死であった。私はもとより遅筆ではあったが、しかしこの弾圧に抗し、時局に対して諭ずべき言論は、表現の仕方、言葉づかい等に細心の注意をはらい、あたかも手に鎖をつげられている思いをしながら発表論文を書いたのであった。一文を発表する毎に、今度も無事であったか。それではもっと書いて発表することができるかと、内心元気も出てきた」、「弾圧はますます激烈となった。言論界ではますます変節改論者が続出し、気力のないものは身辺を案じて沈黙した。しかし、だからといって勤労階級の間では、平和を求め民主主義を求めるものは、いろいろの方法で惨憺たる下積みの努力をささげた。(中略)一九四二年夏の『改造』に発表した私の論文『世界史の動向と日本』が、まず軍部の忌諱にふれ、私は同年九月逮捕された」。
「さてこの事件の製造は、左翼くずれのあわれなインテリたちの売り込みから始まったということである。この筆禍事件が共産党再建運動としてデッチ上げられようと、どうであろうと、私の心は動かない、ただ求めたところは幸福なわが国民の前途だけである。尾崎君が逮捕されて以来半年、この重大な時局に役立つことはないかと苦慮したのであった。その結果が無能力な身に鞭打って勉強し、問題の論文を発表することとなった。これを発表しえたことの裏には編集者たちの憂国の志から出た協力が積まれているのである。泊事件とか横浜事件とか称された空前の血なまぐさい弾圧事件は、実は私たちが私の故郷泊町に遊びにいった他愛ないことが、共産党再建という大事業にこしらえあげられたものにすぎない。この事件は多少の憂国の志がまったくひどく買いかぶられたものであると同時に、侵略戦争の打ち続く失敗に当面した軍部が、いかにあわてふためいたか、これへの売り込みに官僚がいかに浮身をやつしていたか、という窮状と醜態をばくろしたものである」。
 それは、天皇制ファッシズムに対する、言論による必死の闘争であった。

政治経済研究会のこと

 一九四二年一月に再出発した研究会は次第にメンバーをふやし、一年半余りのち一九四三年九月九日に私たちの大半が検挙された時には総勢十二名になっていた。前記四名のほか勝部元、森数男(大東亜省)、山口謙三(日本鋼管)、小川修(古河電工)、白石芳夫(糖業連合会)、和田喜太郎(中央公論社)、渡辺公平(日鉄)、中沢護人(日鉄)。これら気鋭の人びとが加わって、研究会は情熱と活気にみちていた。昭和塾の時とちがい、こんどははじめから非合法を覚悟し、場所もはじめは神田の学士会館などを使ったが、九月細川先生が検挙されてからはメンバーの私宅に切りかえ、また一九四三年一月からは二班にわかれることにした。高木の手記によれば(「浅石晴世の想い出」、『横浜事件関係者追悼録』所収)研究のテーマはおおよそつぎの通りであった。(一)日本の再生産構造と戦力(二)国家財政とインフレーション(三)日本ファシズムの本質(四)革命の諸形態(五)日本資本主義の特質と権力構造(六)ヨーロッパ戦局と国際関係(七)日本の終戦形態と戦後民主主義の条件(八)中国問題(九)文化問題など。
 どんな議論をしたか、詳しくは記憶もうすれさだかでない。私に関していえば、職揚の関係で物資動員討画(いわゆる物動)や電カ事情の資料をあつかっていたので、それをもとに重工業など産業別の電力需要を分析し、総体として電力供養が減少に転じた状況を報告したと記憶している。
 私の手もとにぼろぼろになったルーズ・リーフのノートが一冊ある。当時の記念に保存しているものだが、中味は八枚のリング・ぺーパーの表裏に万年筆でびっしり書いたいわゆる「三二年テーゼ」である。「文部省編思想調査資料十八輯」というパンフレットのなかにこのテーゼ全文が掲載されており、私はこのパンフレットを勝部から借用して全文を書き写したのである。私は大きな感動をもってこのテーゼを読んだ。「帝国主義戦争反対。帝国主義戦争の内乱への転化」「ブルジョア=地主的天皇制の転覆。労働者農民のソビエト政府の樹立」―私はこの偉大なスローガンを支持した。むろん私だけではない。テーゼそのものを議題にのせたことはなかったが、議論のなかでテーゼの基本線が是認されていた。私たちは、いつかは日本共産党と接触できるだろうと信じていた。
 国際情勢、戦局の分析、ソ連、中国の動向は私たちの重要な研究課題であった。私の手もとにはマル秘印のついた在上海日本大使館特別調査班訳「中共三風粛正必読二十二文献」と、同じくマル秘で興亜院政務部発行のニム・ウェールズ(エドガー・スノー夫人―引用者)著「赤色支那の内幕」とがある。この二冊は恐らく森から借用したものだと思う。森はこのほかに外務省編「全聯邦共産党史」(戦後「ソ連共産党(ボ)歴史小教程」として出版されている)を入手して私たちの回覧に供した。私はそのなかの「弁証法的唯物論と史的唯物論について」の一節を、これまた全文筆写したことを覚えている。一九四三年二月スターリングラードにおける赤軍の勝利、日本軍のガダルカナル島撤退、戦局は重大な転機をむかえたように思われた。
 私たちのグループはインテリ集団である。しかし私たちは次第に労働者階級と結びつこうとする方向に動きはじめていた。日鉄のグループは製鉄業における労働力構成について報告し、八幡に出向いて実地調査を行なった。日本鋼管の労務課にいた行動派の山口は川崎製鉄所における朝鮮人ストライキと日本人労働者の意識を報告し、また産業報国会を利用するなどして現場労働者の組織に当るべきだと主張した。
 一九四三年六月六日に市川市の勝部の宅で開いた二班の合同会議が最後の会議となった。この会議でそれまでの研究成果をしめくくったが前記高木の手記によれば次の通りである。
 「(一)まず戦局であるが、中国では日本軍が『点と線しか占領しておらず、中共軍のゲリラ戦術が浸透しつつあるから、今後、日本軍は消耗だけを余儀なくされるだろう。ヨーロッパの東部戦線ではソ連軍がすでにイニシアチヴをとっており、東欧諸国の解放が日程にのぼっている。西部戦線でもイギリス、アメリカの第二戦線の結成が近い。北イタリアではイタリア共産党の指導するゲリラ活動が活溌になっており、ムッソリーニ政権は間もなく倒壊するだろう。
 (二)日本国内では鉄鋼、非鉄金属の生産は原料条件から急速に減少してゆくだろう。すで兵器生産は頭打ちになっている。重工業全体の停滞は電力需要の減退に現われている。恐らく日本の戦力は来年に入って急速におとろえる。これに対して、アメリカの生産力はますます拡充されつつあるから、日本の敗北は近い。敗北が決定的になるのはおおよそ二年後で、アメリカ軍が小笠原島に上陸したとき、日本の支配層は軍部を見棄てて降伏するだろう。
 (三)日本は降伏にあたって天皇制の護持を条件とするだろうが、連合国はこの条件を受入れて日本に民主主義的改革を迫るだろう。この場合のイニシアチプはアメリカがとる。
 (四)日本の民主主義的改革がどの程度にどのような内容をもって行なわれるかは、日本国内の事情と力関係に大いに制約される。日本民衆の天皇制信仰の強き、労働者の階級意識の末成熟にかんがみると、改革は当分ブルジョア民主主義的なものだろう。
 (五)しかし、戦後は労働組合が急遠に成長するだろうから、その指導いかんではそれを社会主義建設の基礎とみなすこともできるが、指導的な前衛党が存在しないから、社会主義への歩みはかなり先のことになるし、アメリカはブルジョア民主主義の国だから、日本の社会主義化を阻む役割を買って出るにちがいない。
 (六)これからの研究課題は、軍需生産によって日本の産業構造のこうむった変化が、戦後の労働者運動の政治性にどのような影響を与えるかを展望することである。日本の産業が軽工業から重工業へ比重を移したにしても、労働者の志向や性格は機械工業と鉄鋼業とでかなりちがうだろうし、農村から最終的に離脱した都市プロレタリアートが果してどの程度に成長できるか問題になる。
 右のような総括に出席者が全員一致したというのではなかった。まず敗戦が直接にどんな結果をもたらすかについて山口は森や勝部と対立した。アメリカの占領によって日本は植民地化されるのではないか。そうだとしたら、日本の民主化などやれるわけはないというのが山口の主張だった。これに対して、森と勝部は、今度の大戦で連合国はソ連と一緒になってファッシズムの打倒を目標としているから、アメリカが帝国主義国家であっても従来のような形で日本を植民地化するよつなことは考えられないといた。…(以下略)
 いまから二年ほど前の七九年五月、勝部の上京を機会に久し振りに集ったことがある。席上この高木の「総括展望」について、「これは出来すぎ」、「『あと知恵』の感なきにしもあらず」等の意見が出た。だが高木は、あれは書き残してあったものに基いて書いたので確かだ、といった。大筋はそんな議論であったろう、ということに落着いた。(つづく)

(「労農戦報」一九八一年八月一五日号より)


複眼単眼

  
アフガンはまたも世界中から忘れられるのか

 映画『カンダハール』の監督のモフセン・マフマルバフは、かつて「仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何のたしにもならないと知って砕けたのだ」(「アフガニスタン仏像は…」現代企画室・出版より)と述べたが、いままたアフガニスタンは世界から忘れられようとしている。今度は沸き立つように語られているのは「イラク復興」なのだ。
 中村哲医師らを先頭にアフガニスタンで医療支援などに取り組むNGO「ペシャワール会」の会報75号が届いた。
 巻頭が「実事業をもって平和に与(くみ)す〜アフガン東部で15年計画の水利事業開始」という文章だ。その冒頭にこうある。
 「昨年の今頃は、明るい『アフガン復興』の話題で日本中が沸いていました。『アフガニスタンはそのうち忘れ去られるだろう。だがペシャワール会の方針はこれまでも 変わりなかったし、今後も変わらないだろう』と述べたのは、その頃だったと思います。事実その通りになりました」と。
 そしてつづいて「アフガニスタンの復興が『旱魃対策=自給自足』の農村の回復にある」として、ペシャワール会=PMSの医療活動、飲料水確保とあわせて、灌漑用水確保十五年計画が実施段階にはいったと報告している。
 その報告の最後に再びアフガニスタンの実状の報告が次のように書かれている。
 アフガニスタンで駐留米軍への攻撃がつづいており、「米軍が去れば一日で現政権が崩壊すると皆信じています。最近の傾向は、米兵とその協力者だけに的が絞られて襲撃が活発化していることです。私たちは、このような馬鹿げた戦争が実状を無視して正当化され、嵐のように駆け抜けた『アフガン復興ブーム』の結末に怒りを感じます。…先日のカブールの反米デモでは、日章旗が英米の国旗とともに焼かれました。あれほど親日的な国であったのに、戦争協力で日本は『米国のポチ 公』との認識が広まりつつあります。『対テロ戦争』はテロリストを大量生産しました。そのツケが日本国民の頭上にのしかかることは時間の問題かもしれません。…忍耐も限界に近づいています。喋ったり、批評するだけの時期は過ぎ去りました。負け犬の遠吠えでは事態は変わりません。平和はもっと積極的な力であるべきです」と。
 マフマルバフにしろ、中村さんにしろ、これらは痛烈な言葉だ。心からの叫びだ。
 これらの叫びの前に自らの力と行動の小ささを恥じ入るばかりだ。歯軋りをしながらも、力を振り絞って闘いたい。そのように闘い、連帯したいといま切に思う。 (T)