人民新報 ・ 第1095号<統合188> (2003年5月15日)
  
                                目次

● 「21世紀の新同盟」は日米攻守同盟 有事法制強行と集団的自衛権「合憲」への転換許すな!

● 長野 ・ 市民の憲法講座

● 大阪 ・ 憲法と戦争を考えるつどい

● 東京地公労・海員組合などが学習集会  姜尚中さん、水島朝穂さんが講演

● 生かそう憲法、高くかかげよう第9条 5・3憲法集会が成功

● 「ピースアクション21」緊急企画  志葉玲さん(ジャーナリスト)がイラク攻撃の現地報告

● 第74回 日比谷メーデー

● 国会の内外力をあわせて   有事法案阻止へ 市民が国会議員を激励

● 再 録 / 「横浜事件」の回想 (4)   板井庄作

● せんりゅう  ( ゝ 史 )

● 複眼単眼 /  リンチ(私刑)が正義の看板で横行する時代


「21世紀の新同盟」は日米攻守同盟

   
有事法制強行と集団的自衛権「合憲」への転換許すな!

「他国領土での戦争が可能」と石破防衛庁長官ら

 日本のネオコンと揶揄される小泉内閣の新国家主義トリオが相次いで好戦的で挑発的な発言を繰り返している。
 衆議院の武力攻撃事態特別委員会での有事法制に関する審議の中で、五月九日、福田官房長官と石破防衛庁長官のとんでもない発言が飛び出した。それがいかに政府・支配層の本音であるとは言え、国会の答弁の中で公然と行なわれたことはきわめて重大なことだ。
 石破長官は有事関連三法案について、海外で自衛隊の艦船などが攻撃を受けた場合、これを「有事」と認定し、自衛隊出動の可能性は排除されていないと述べ、「自衛権行使を理由に他国の領土を含め、どこでも自衛隊が出動し、武力行使することが法律上認められるとの考えを示した」(東京新聞五月一〇日)と発言した。従来の政府見解の「専守防衛」論自体が憲法違反であるとはいえ、今回の石破長官答弁は歴代政権の「専守防衛」論を完全に突破するものであり、他国の領土や領海における侵略戦争を合法化するものだ。
 また福田官房長官は民主党の筒井委員の「ペルシャ湾とかインド洋とか、もっと遠いところでも、組織的・計画的な、わが自衛隊に対する武力攻撃があった場合には(有事法制の発動を可能にする)武力攻撃事態の認定があり得るのか」という質問に答えて「あり得る」「その場合、米国は集団的自衛権を発動して必要な行動をとる」と答えた。
 これは自衛隊の出動しているところではどこでも日米共同軍事作戦が可能だというものであり、まさに自衛隊がグローバルな規模で戦争することを可能にするものだ。
 今回の石破長官・福田官房長官らの発言は政府・与党が進めようとしている有事法制のねらいがどこにあるのかを明瞭にしめすものだ。
 さらに安倍晋三官房副長官は一〇日、将来、安倍内閣が誕生したらまず
九条改憲だとして、「憲法九条に明示的に自衛隊を持つことをちゃんと書くべきだ。書かないといけない」と述べた。内閣官房長官の職務にある者のこうした改憲発言は、憲法第九十九条の憲法遵守・擁護義務にまったく違反するものだ。こうまでつけ上がった発言が飛び出す土壌が作られている事実を絶対に軽視してはならない。

「ブッシュドクトリン」の下での日米安保体制の再編成・再定義

 いま小泉首相は自らの訪米(五月二二〜二三日)を前にして、有事三法案の衆議院強行採決を果たすことで、それをブッシュへの手土産としようとしている。首相は訪米につづいてエジプトとサウジアラビアをも訪問する予定になっている。政府は一連の外遊によって日本が米英軍のイラク占領に積極的に加担し、その「復興」利権のおこぼれにあずかることを追求しようとしている。すでに八日の演説でブッシュ大統領は「一〇年以内に米国と中東地域の自由貿易圏を形成すること」を提唱し、米国のこの地域の経済的支配に並々ならない意欲を表明した。
 二三日、米国のテキサスで行なわれる日米首脳会談は、昨年九月のブッシュ・ドクトリンにそって日米安保体制をさらに危険な日米攻守同盟体制を確立するためのきわめて危険な企てが含まれている。日本での有事三法案の策定はその前提的な条件だ。だからこそ政府与党は民主党の新保守主義グループをも巻き込んで、しゃにむに有事三法案を強行しようとしているのだ。
 テキサスでの日米首脳会談のキーワードは「二十一世紀の新同盟関係の構築」だ。この「新同盟関係」とは、「対テロ戦争」「大量破壊兵器使用と拡散の阻止」などを口実にした米国の単独世界支配と、そのための核をも含む軍事先制攻撃を容認した「新国家戦略(ブッシュドクトリン)」の下での日米安保体制の再編成・再定義を意味している。
 一九九七年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」とそれにつづく九九年の周辺事態法の策定によって日本は、グローバルな規模で米軍の戦争への協力体制を作り上げた。これは従来の日米安保体制を新たな段階に引き上げたものだった。さらにこの延長線上に、米軍に呼応して自衛隊が参戦し、それに国民総動員をかけていくための有事法制の制定が企てられてきた。
 現在、語られつつある「日米新同盟の構築」は「集団的自衛権の行使」への具体的で可能な道を開こうとするものだ。すでに二〇〇〇年一〇月の「アーミテージ報告」などで指摘されているように、米国は日本政府に従来の憲法解釈の枠を突破して、現行憲法のもとでも集団的自衛権の行使=日米攻守同盟体制の完成を要求している。これまでも歴代政府は「集団的自衛権の行使は憲法違反であり、不可能」との立場をとりながらも、解釈でさまざまな抜け道を作り、米軍の戦争に協力する方策を講じてきた。米軍のアフガン攻撃、イラク攻撃におけるイージス艦など自衛隊の艦船のインド洋・アラビア海への派兵などはその具体化だった。しかし、なおかつアフガン戦線、イラク戦線で米軍と自衛隊が一体化して戦争を行なうには憲法解釈の重大なしばりがあった。
 いま日米政府は米国の「新国家戦略」を遂行するうえで障害になっているこの「集団的自衛権の行使」の問題に手をつけようとしている。
 すでに五月三日、中曽根元首相は「(集団的自衛権は)いまの憲法でも行使できる。北朝鮮に問題が起き、日本海に米国の空母が出て攻撃を受けたとき、日本は手をだせないなどというばかなことはない。小泉純一郎首相は『行使できる』と一言いえばいい」と、現内閣で「憲法解釈」を変更すべきだと発言している。宮沢元首相も「限定的だが集団的自衛権の行使は可能だ」と述べた。
 小泉首相が有事法制を土産に臨もうとしている今回の日米首脳会談での「新同盟関係」の再構築が、集団的自衛権の行使に向けた本格的動きをつくりだす契機とされようとしていることは疑いない。これが現実化すれば日米攻守同盟体制が確立し、日米がとりわけ今後の国際情勢の中で焦点化されようとしている朝鮮半島問題を含む東アジアで本格的な軍事共同作戦体制をうち立てることを意味する。

一五六国会を悪法乱造の国会にさせるな

 この一五六国会をかつての周辺事態法などの一四五国会のような悪法乱造の国会にしてはならない。政府与党は十五日にもこの有事三法案を衆議院で強行採決しようとしている。すでに衆議院を通過させた「個人情報保護法案」の参議院での審議も始まった。「労働者派遣法改悪案」の衆院での審議も緊迫している。
「教育基本法改定」への動きも強まってきた。「イラク復興支援法案」も今国会で強行されようとしている。
 有事三法案に反対する広範な行動の展開を軸にしながら、小泉内閣の悪政と対決する闘いを展開する任務は緊急の課題だ。可能なあらゆるエネルギーをこれらの闘いにそそぎ、世論を形成しよう。


長野 ・ 市民の憲法講座
  
 五月三日(土)午後一時三〇分より、長野市においての第六回市民の憲法講座&第四回総会が開催された。
 この集会は四年前に長野県内の護憲団体、反戦運動グループ、さまざまな市民団体のメンバーや個人が結集して、代表委員となり個人参加の年会員(現在会員四五〇名ほど)を募って、結成された「守ろう平和憲法信州ネットワーク(信州護憲ネット)」が、毎年憲法記念日の五月三日に開いているものである。
 集会のパターンは若干マンネリ化しているものの、会場には県内各地から代表委員をはじめとする一〇〇名余の人々が集まった。
 憲法講座は「現在の政治状況と平和憲法の可能性」と題して、信州大学経済学部助教授の愛敬浩二さんにより、約二時間の講演が行われた。
 愛敬助教授はアメリカのイラク攻撃には、正義がなく国際法違反・国連軽視・国際世論無視の侵略戦争であると理由を挙げて断罪した。そして、グランドゼロの視点で見れば、これまでアメリカのしてきた戦争による大量殺人、あるいは付随犠牲(攻撃目標ではないがやむを得ず発生した犠牲とアメリカ等が表現している空爆による市民の犠牲)は九・一一をはるかに上回る犠牲者を生み出している。アメリカの戦争目的は、よく言われているような「石油のための戦争」というだけでなく、「戦争のための戦争」となっている。アメリカの行動が次から次へと戦争を作っていく状態を説明した。
 この戦争に対して、支持を与えた日本政府には、正しい根拠も理念もなく建前で国連中心主義を言いながら、実態は対米追随である。この間の一連の日本政府の動きは、一九九〇年代に入って始まった軍事大国化(今は対米追随だが)の方向に沿ったものである。冷戦の終焉で軍事力強化のための「仮想敵」がなくなったあと、「国連中心主義」を掲げたPKO法による海外派兵、新ガイドライン以降の米軍支援法制に進んだ。しかし、それにも限界があるなかで、九.一一テロ事件は海外での武器使用の拡大(PKO法)や自衛隊法の「改正」による軍事力強化にチャンスを与えた。まだ限界(アメリカの東アジアでの軍事行動支援と参戦のために)があるので、「有事法案」が出されてきた。
 防衛関係者の悲願(時代錯誤であるが)、自国の利益のために他国に武力行使できる「普通の国家」化とアメリカの戦争への国民・自治体の協力、さらに「非核三原則」の見直しまでが目論まれている状況にある。
 また、朝鮮問題では「仮想的国」としての「北朝鮮」が作られているが、対北朝鮮政策は対話によるソフトランディングしかないことを強調された。
 そして、私たちにできることは日本政府の「対米協力」を可能な限り限定させることであり、そのための平和憲法の可能性は消えていない。平和のために想像力を発揮して、憲法を活用しようと結ばれた。
 講演の後、数名の代表委員による決意表明をこめての挨拶が行われ、本年度の活動方針などを決める総会が行われて集会を終了した。
 約三時間にわたる長時間休憩もなしに行われたが、帰る人もなく終始真剣な雰囲気の憲法集会となった。(長野通信員)


大阪 ・ 憲法と戦争を考えるつどい

 五月三日、大阪市立住まい情報センターで、「憲法と戦争を考える大阪のつどい」(主催・同実行委員会)が開かれ、一七〇名が参加した。
 つどいでは、映画評論家の佐藤忠男さんが話した。
 開会の挨拶で関西行動の原田恵子さんは「今ほど憲法九条が軽んじられているときはない。有事法制を必ず阻止するために、皆で声を上げよう」と呼びかけた。
 また憲法9条の会関西顧問の澤野義一さん(大阪経法大教授)が米英の国際法上全く正当性のないイラク侵略戦争を厳しく枇判し、米英に追従する小泉内閣が日米同盟の強化そのためのの有事法制制定の動きと憲法九条の関係を説明された。
 その後、ピースサイクル歌姫隊の『ゆうじ君』などの歌が披露された。
 佐藤忠男さんは次のように話した。
 アメリカのブッシュ大統領は悪の枢軸としてイラク・イラン・北朝鮮を名指しした。私はイランヘは十数回行っている。イランの素晴らしい映画もたくさん見て来た。おそらく世界で一番平和で穏やかな映画を作っているだろう。本当に心優しい思いやりのある、そして外国人難民にたいする深い同情などの内容ものであった。確かに、言論の自由がなく検閲などで規制されているところもある。だが今、イランの人たち自身が宗教の問題やさまざまな軋轢と闘いながら変化の道を探って行っている。「自由がない」と言う前に善意で見守っていかなければならない。アメリカ映画のように何が何でも戦わなけばならないといつたったなにか強迫観念に捕らわれた映両の在り方ではだめだ。モンゴルやフインランド、フイリピン、イスラエルなど、各国の新聞・テレビでは憎しみ合つているけれども映画ではマイナーの交流が深まっている。戦争を制御する和解の糸口が必ずある。
 最後に集会のアピールが採択され、関西共同行動の中北龍太郎さんが閉会あいさつで、憲法の改悪を阻止する大きな運動を作り出そうと述べた。(大阪通信員)


東京地公労・海員組合などが学習集会

     
姜尚中さん、水島朝穂さんが講演

 五月七日、田町交通ビル・大ホールで「有事法制に反対し、北朝鮮問題を考えるシンポジウム」が開かれ三八〇人が参加した。このシンポは、東京地方公務員関係労働組合協議会(自治労東京都本部、東京教組・全水道東京水道労組・東京交通労組)、東京都高等学校教職員組合・海員組合・全日本港湾労働組合が主催し、フオーラム平和・人権・環境が後援団体となっている。
 開会挨拶で人見一夫自治労東京都本部中央執行委員長は、小泉内閣が成立させようとしている有事法制は戦争のための体制づくりであり、公務員、民間をとわず労働者を戦争協力に強制するもので、労働組合も平和を求めてもっと運動を強めていかなければならないと述べた。
 基調講演の一人目は、姜尚中東京大学教授で、姜さんは「北朝鮮問題と日本の安全保障」と題して次のように述べた。
 アメリカの戦略は、9・11事件以降大きく変わったが、その根源は八〇年代のレーガン政権にあった。いまネオ・コンと呼ばれる勢力はその当時からうごめいていたが、それがブッシュ政権で前面に出てきた。そして、アメリカの戦略は、冷戦時代の抑止・封じ込めから、先制攻撃で、アメリカの思い描く世界を実現しようとしている。アメリカの中東政策の橋頭堡は、かつてはイスラエルとイランであり、二〇年ほど前にイランがホメイニのイスラム革命で反米になってからは、イランに対する攻撃を強めフセインのイラクに大量の武器と経済援助を与えてイラン・イラク戦争を闘わせた。フセインの力が大きくなると今度はイラク攻撃を行った。これが一〇年ほど前の湾岸戦争だった。しかし、今回のイラク戦争は、橋頭堡を作って影響力を行使するのではなく、中東全体を支配してしまうというものだ。アメリカの言っているデモクラシーを次々に押し広める。アメリカの言うことを聞かない奴らは悪で必ず攻撃をしてくるはずだから先制攻撃による自衛を行う。アメリカの軍事テクノロジーは世界最強である。これがネオコンが考え実行していることだが、まったくの妄想としかいいようがない。だがアメリカの中東政策は、逆に反米の原理主義勢力を力づけることになり、ふたたびイラン・イスラム革命のような事態をおこす可能性は高く、かれらの妄想は失敗するだろう。しかし、日本の小泉首相は、このイラク戦争に全面的に協力した。そして、イラク戦争協力に北朝鮮問題をあげ、国会では有事法制にむけての審議を進めている。これは北朝鮮に、日本はアメリカと一緒になって対北先制攻撃を行おうとしているという間違ったメッセージを送ることになる。しかも、新しいアメリカの戦略では同盟国もいつまでも同盟国であるとはかぎらない。アメリカの国益しだいで、フセインのように敵となる可能性がある。だから、イラク戦争への協力、有事法制は日本の国益にもならないのではないか。たしかに北朝鮮の核兵器開発は、日朝ピョンヤン宣言や朝鮮半島南北の非核化宣言にも違反する。だがいま最も必要なのは、日朝交渉の無条件の再開であり、そのなかで、拉致問題、核開発、ミサイルなどについても解決する糸口をさがすことだ。
 つづいて、「イラク戦争で見える日本の有事』―「備え」の暴走への備えを―」と題して水島朝穂早稲田大学教授。水島さんは、タイの市民団体がつくった「お尋ね者ブッシュ」、また停泊地を記したイージス自衛艦「くらま」の乗組員が作ったTシャツなどを示しながら発言した。
 今国会での民主党の有事法制に対する対応については、国民保護法の先行ということでなく、はっきりと廃案の立場にたつべきだ、また災害などの緊急事態については、有事基本法などを作らないで現行の法律を具体化・整備していくことを主張すべきだと述べた。
 講演を終わっての職場報告では、全日本海員組合中央執行委員の平山誠一さんが、先の大戦では大きな犠牲者を出した海員の悲劇を繰り返してはならない、有事法案を絶対に成立させてはならないと発言した。つづいて、平和フォーラム事務局長の福山真劫さんが平和フォーラム韓国派遣団の報告を行った。
 最後に伊藤彰信全港湾労組書記長が、力を合わせて有事法案に反対する運動を強めていこうと閉会のあいさつを行った。


生かそう憲法、高くかかげよう第9条 5・3憲法集会が成功 (詳報次号)

 五月三日、東京・日比谷公会堂で「生かそう憲法、高くかかげよう第9条 2003年5・3憲法集会」が開かれた。集会実行委員会構成団体は、憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会。
 集会は日本YWCAの俣野尚子さんの開会あいさつではじまり、永井憲一法政大学名誉教授が「教育基本法の改悪について」特別発言した。
 永井さんは、教育基本法の前文は憲法の理想の実現は教育の力にまつと宣言している、教育基本法の「改正」は憲法の「改正」と連動しており、憲法「改正」の前に、平和を愛し、民主主義を担う国民の育成をめざす教育基本法がじゃまだとして改悪しようとしていると指摘した。
 メッセージが紹介され、各界からの発言となった。5・4全国高校生平和大集会実行委員会、私のピースアクション、平和をつくり出す宗教者ネット、エッセイストの朴慶南さん、内田雅敏弁護士が発言し、ピースボートのプロジェクトチームによるダンス・パフォーマンスが行われた。
 つづいて、翻訳家の池田香代子さん、山内徳信さん(沖縄前読谷村長)、社民党の土井たか子党首、日本共産党の志位和夫委員長、スピーチした。
 『世界がもし百人の村だったら』を「翻訳」した池田香代子さんは、英文の日本国憲法前文をやさしい言葉で訳したものを読み上げ、「憲法は、死者が次の世代を生きる者に託した夢です。私たちは死者の夢を託された夢の子どもなのです」と述べた。
 村の七割以上が米軍基地である沖縄読谷(よみたん)村の前村長山内徳信さんは、基地返還の闘いで、戦争放棄の憲法九条と公務員が憲法を守る義務を規定した九九条を村長室に掛け軸としてかかげ、憲法のこれらの条項が大きな力を与えてくれたと発言した。
 土井たか子社民党党首は、憲法で戦争をしないといっている国の首相が、国際法も国連憲章も無視したイラク攻撃を支持したことはおかしい、有事三法案は日本を戦争できる国にしてアメリカの軍事戦略に加担するためのもので、運動の大きなうねりを全国津々浦々でつくって廃案にむけ闘おうと述べた。
 志位和夫日本共産党委員長は、有事法案は日本が攻められたさいの備えなどではなく、攻めるときの備えであることが明らかになった、憲法九条を守り、国連憲章にもとづく平和のルールをとりもどすために、立場の違いをこえ、さらに大きな共同の輪を広げ、がんばろうと発言した。
 集会を終わってのデモ行進では、市民に憲法改悪阻止!有事法案を廃案へ!を訴えた。


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米国の無法な戦争に加担する有事三法案を廃案に 2003年5・3憲法集会アピール(要旨

 …私たちは、戦後一貫してつづけられてきた憲法改悪の企てを、ことごとくはねかえしてきました。いま、米国の無法なイラク戦争や軍事支配に反対する声は、日本でも世界でも大きく広がり、紛争は話し合いで平和的に解決すべきとの声が世界の大勢となっています。日本国憲法第九条の輝かしい理念は、国際的にも明かになっています。また、暮らしと権利を守るたゆみない運動が各分野で展開され、憲法に保障された自由や権利の精紳は深く人々の中に根をおろしています。
 日本を「戦争する国」にする有事法制は絶対に許しません。憲法九条を高くかかげ、憲法を生かしていくことこそ、二一世紀の明るい日本を築いていく道であることをここにあらためて確認します。


「ピースアクション21」緊急企画

  
志葉玲さん(ジャーナリスト)がイラク攻撃の現地報告

 五月五日午後、東京・文京区民センターで青年を中心にした平和運動グループ「ピースアクション21」緊急企画として、志葉玲さん(ジャーナリスト)によるイラク攻撃の現地報告会を行った。参加者は主催者の予想を越える四十数名で、立ち見が出るほどの盛況であった。
 志葉玲さんは、『WORLD PEACE NOW』実行委員会のメンバーとして活動してきた。またアメリカのイラク攻撃に反対するため三月二二日から四月六日までイラクの「ドーラ浄水場」に人間の「盾」として参加してきた。
 最初二〇分ほどは、イラク現地で撮影した生々しいビデオを使いながら、日本のメディアでは報道されないアメリカのイラク攻撃の真実を報告した。
 志葉さんは「空爆による被害だけがイラクの被害ではないです。何が問題かというと私たちが浄水場や発電所とかに入っていたのは、ライフラインが破壊されることが人々の生活に悪影響を与えるわけです」「病院が破壊されたり、病院で略奪があっても、これも日本で取り上げられましたけど、メソポタミアの貴重な文化遺産が全部略奪されている中で、アメリカ軍は石油施設はきっちり守っていたわけです」「まだ問題は終わっていない。そもそも今回の戦争は国際法や国連を無視して、世界中の反戦の声を無視して、民主主義と言っているアメリカが勝手に戦争を始めてしまったアメリカ問題です」と報告した。
 最後に「日本は全世界にもアメリカに対してもすごい影響力を持っていると自覚して、我々は何をしていくのか、考えていく必要があるんじゃないか。最終的に言えば、私たちの民主主義を守ることにもなります。結局今の世の中というのは残念ながら全世界の人が反対しようが、日本の八割の人が反対しようが、戦争を支持するし、始めちゃうわけです。戦争によってごく一部の人が、非常に儲かっている。そういう状況というのが果たして民主主義なのか。戦争で人々が殺され、戦後の混乱で飢えたりとか、死なないまでもひどい目に遭っているわけです。果たして民主主義なのか。我々が望んでいる世界なのか。この状況に対してごく一部の人が支配するような、そういった世界じゃなくて、本当に我々が平和で、我々自身が尊重されるような世界を作っていかなくてはいけない。そう言う問題なんです。だからこれから頑張らなくてはいけない」と行動提起をした。(A)


第74回 日比谷メーデー

 五月一日、東京・野外音楽堂と周辺で、第74回の日比谷メーデーが開催され、 よく晴れ上がったメーデー日和の下、約二〇〇〇〇人の労働者が結集した。
 オープニングは東京労組ミューズ分会の演奏。ミューズ分会はミューズ音楽院の前近代的な労務管理に怒った若者たちで結成された労組だ。
 はじめに、酒田充国労東京委員長が主催者あいさつし、増淵静雄都労連委員長、有手勉東京都産業労働局長、保坂展人社民党衆議院議員があいさつした。メッセージ紹介では大阪中之島メーデー実行委員会からのものが読み上げられた。平和団体APPF、全石油昭和シェル労組、国労闘争団から、それぞれ反戦平和、労働法制改悪反対、国鉄闘争について報告があった。
 「日比谷メーデー・アピール」を全参加者で確認し、藤崎良三全労協議長の音頭で団結がんばろうを行い、土橋コース・鍛治橋コースにわかれてデモ行進に出発した。
 
日比谷メーデー・アピール

 国会では、解雇自由社会への道筋を作り、裁量労働拡大によるサービス残業の恒常化と有期・派遺等の不安定雇用拡大をもたらす労働基準法改悪の準備が進められています。また、平和的解決を求める国際世論を押し切って強行された米英軍のイラク武力侵攻・占領に対して、、不戦を国是とする日本の小泉首相は公然と「支持」を表明し、戦争協力の立場を明かにしました。全国民を戦争協力体制に組み込みに組み込み、一切の人権を抑圧する「有事法制」をめぐる動きも大きく動きだそうとしています。
 私たちが進むべき社会は、競争を規制し協力と共生をめざす社会、効率第一主義を規制し公正と安定をめざす社会でなければなりません。巨大多国籍企業の利害にのみ価値をおく「グローバリズム」に対しては、職場や地域に立脚した感じ方・見方にこだわった、真に国際的な共感を対置しなければなりません。(要旨)


国会の内外力をあわせて

   
有事法案阻止へ 市民が国会議員を激励

 五月六日、国会近くの星陵会館で、「STOP!有事法制、市民と連帯する激励集会」が開かれ、約三〇〇人が参加し、有事法案の廃案にむけて運動を強めていくことを確認した。この集会は陸・海・空・港湾労組二十団体、戦争反対・有事法案を廃案へ!市民緊急行動、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネットが主催したもの。
 集会は、航空労組連絡会の村中哲也副議長の司会ではじまり、開会あいさつで全日本海員組合の福岡眞人政策教宣局長が、有事法制は戦争への強制動員であり、みんなで力を合わせて法案成立に反対していこうと述べた。
 国会議員のあいさつでは、社会民主党の土井たか子党首、日本共産党の市田忠義書記局長、民主党の生方幸夫衆議院議員、無所属の川田悦子衆議院議員が、国会外の大衆運動の盛り上がりと結びついて国会において有事法案と闘うなどの決意表明を行った。
 つづいてメッセージの紹介と集会参加議員の紹介が行われた。
 市民運動、宗教者、労組からの激励発言では、はじめに日本弁護士連合会の有事法制対策本部の小山達也弁護士があいさつ。全国の日弁連組織で反対決議が上がり、弁護士の国会デモが行われるなどの状況について報告した。日本青年団協議会の渋谷隆事務局長は、青年団運動が戦前、戦争に仲間を駆り立ててきた経験を反省し、ふたたび仲間たちを戦争に協力させる有事法案には絶対反対すると述べた。戦争反対・有事法案を廃案へ!市民緊急行動の富山洋子さんは、有事法案に反対する運動を強めひろげて、小泉政権を打倒するうねりをつくりあげようとアピールした。日本山妙法寺の武田隆雄上人は、アメリカの先制攻撃ですべてが解決できるという迷信が広がっているが、これは文字通りの迷信でしかない、と発言した。航空労組連絡会の内田妙子議長は、有事法制を許したら労働者の人権は奪われてしまう、死に物狂いで国会を包囲する運動にとりくみ法案を廃案にしようと、呼びかけた。


再 録  「横浜事件」の回想 (4)    板井庄作

警察で

 一九四三年七月十一日細川先生の「植民史」を手伝ったアジア協会の新井義夫が検挙され、ついで七月三十一日、浅石晴世が検挙された。風雲急を告ぐ、であった。私たちは研究会を中止した。高木はこの段階で「その日」の到来を観念したらしい。山口は飯場へもぐることを主張した。だが私などはまだ「半分半分」位の甘い考えでいた。結局、様子を見るしかない、ということになった。
 一カ月たった。この間に連合軍はシシリー島に上陸し、イタリアのムッソリー二政権は倒れてバドリオ内閣が生まれた。森からコミンテルン解散のニュースが伝えられた。これは、急変する情勢に各国の人民が的確機敏に対応するための措置と思われた。活動を再開しなければならぬ、いつまでも役人などやっておれないぞ、そう思っていた矢先、九月九日寝込みを襲われ私を含めクループの八名が一斉に検挙された(高木、由田、勝部、森、小川、白石、和田と私)。山口は逃亡を企てたが十日につかまり、「この野郎、手間をかけやがって、と半殺しの目にあい病院にかつぎこまれた」(中村智子著『横浜事件の人びと』)。渡辺は十一月二十七日、中沢は翌年の二月十七日に検挙された。
 私は横浜の磯子警察署に連行・留置された。たしかその日の夕方であったと思う(あるいは翌日)、ブタ箱からひっぱりだされて二階の調べ室に連れてゆかれた。横浜地検の長谷川検事が自ら首実験するためにやってきたのであった。かれは「わたしは長谷川検事だ」と名乗り居丈高に私を罵った。「この非常時に国家の官吏たるものが、共産主義を信奉して不逞をはかるとは何事か。わたしはお前の一高の先輩だが、一高からお前のようなものが出たことは心外である。国賊といわれてもしかたあるまい」。私は終始沈黙して答えなかったが、この長谷川の最後の言葉には黙っているわけにいかなかった。一言こう答えた。「国のためを思えばこそやったことだ」と。「この野郎、検事に口答えしゃがって」、私はたちまち怒声をあげる刑事どもにひきたてられ再びブタ箱に放りこまれた。
 そして翌日から松下特高係長指揮のもとに拷問がはじまった。松下が椅子にすわり、私はその前の床にひきすえられた。「共産党再建についていえ」というので否認すると、やにわに頭髪をつかんで顔を地面にこすりつけ、土足で頭をふんづけた。「足尾には何しにいった」「あれはハイキングだ」「警察をなめるなよ。小林多喜二はどうして死んだか知ってるだろうな」。あとは竹刀、木剣などでめったやたらになぐりつけ、けとばし、ふんづけた。特に大腿部はひどく殴打され、内出血で一面紫色に、いつもの二倍位の太さにふくれあがった。そしてとうとう失神状態になり、頭から水をかけられ、両わきを交えられて留置場につれもどされた。(足尾というのは、昭和塾が解散した直後の四一年十月、高木、由田、浅石、板井の四名で古河鉱業の足尾銅山にいったことをさす。当時大鹿卓の『渡良瀬川』という田中正造の鉱毒事件を描いた小説が出版されたが、そんなことにかこつけ、古河に出ていた由田の世話で一泊旅行をこころみたのであった。特高はこれを共産主義運動遂行のための協議とでっちあげたのである)。
 だが私などへの拷問はまだまだ生優しいものであったと、と思う。私たちのグループで一番ひどくやられたのほ浅石である。前記したようにかれは私たちより一ヵ月前に検挙された。特高はかれから私たち昭和塾―政治経済研究会グループのことを引き出すために凄惨きわまりない拷問を加えたのであった。私は磯子署から笹下の拘置所に移されてのち、散髪や運動の折に二、三度、浅石とすれ違ったことがある。その時見かけたかれの顔は蒼白で生気は全然なかった。かれはもともと胸を煩っていたが、それが嵩じていることは明らかだった。かれの独房は私と同じ「三舎下」で、私の房の五つか六つさきであった。朝晩の点呼の時、私は仲間に元気なことを知らせようと思い、できるだけ大きな声で「一一三番」(私の番号)とどなったが、浅石は虫のなくような声しか出せなかったのであろう、その声は私のところにとどかなかった。そして四四年十一月十四日朝のことである。浅石の房の前に看守が二、三人集まってひそひそ話をしている。やがて房の扉をあけ、なかから何かひきづりだしているようである。私は直感した、「浅石が死んだ」と。あとで聞いたことだが、浅石は特高の拷問に心身ともに弱り果て、栄養失調、病魔、寒さに苦しめられ、自らの吐血にまみれて死んだそうである。(拷問については、藤田、美作、青山、渡辺共著「横浜事件」エディター叢書、に詳しい)
 浅石に対する拷問によって、特高は、私たちが捕まった時には、すでに、私たちのグループについてのシナリオを書きあげていたのだ。あとは、この「コミンテルンおよび日本共産党の目的遂行のため」というテーマにそったシナリオを、テロルをもって私たちに承認させ、あわよくば新しいネタを仕入れることであった。
 私は前記したようなひどい拷問を二度受け、必死になって敵のいう「罪状」を否認した。だが、それ以後やり方を変えた。敵が私たちの行動の大部分をすでにつかんでいることが判ったからである。それと、なんとしてでも生きのびねばならない、と思ったからである。この裁判は、どっちみち戦争とかけっこのようなものだ。勝負は戦争の帰すうによってきまる。いまは、被害が他人に及ばぬよう自分のところでくいとめればそれでよい。そう思って私は特高の調書づくりに応じ、かれらに強制されてできあがった調書に拇印を押した。
 私の仲間の多くのものは、私たちが特高の意にそった調書をとられた、テロルに屈したインテリの弱さとして恥じている。確かに私たちの態度には「弱い」「だらしがない」といわれて仕方のないものがあった。しかし調書をとられたことについては、私は必ずしも右の見解に同意できないのである。もしあの状況のもとで強いて頑張ったなら犠牲者は浅石や和田だけにとどまらなかったであろう。勝部はどうなったか、森はどうなったか、山口はどうなったか。まだ予審もあり公判もある。結果からいうわけではないが、裁判そのものがふっ飛ぶ可能性さえあったのである。浅石、和田という痛ましい犠牲をふまえて考える教訓はつぎのようなことである。捕まった時一番大切なことは、他に波及しないように自分のところでくいとめることである。同時に「まだ捕まっていない部分は、捕まらないように体制を再整備しなければならない。私たちが捕まったのは、浅石が拷問に耐え切れずに私たちの名前を出したからである。だが浅石だけが責めらるべきであろうか。浅石と私たちの検挙の間には一カ月余の時間があった。もし検挙を、すなわち敗北を避けようとするならば、私たちこそこの間にそれ相応の措置をとるべきであったのだ。浅石はそれだけの時間をかせいでくれたのではないだろうか。はじめに書いたように、浅石が逮捕されたにもかかわらずまだ「半分半分」位に考へ何の対策も講じなかった―或は講じ得なかった―のであるから、私たちの組織はその程度の、とても戦闘組織などといえるものではなかったのである。階級敵と闘うためには、そのような訓練をつみ、規律と力量をもった革命的組織すなわち党が絶対に必要である。(つづく)

(「労農戦報」一九八一年九月一日号)


 せんりゅう

                 ゝ 史

 「誠意を見せて下さい」松浪君

 清浄器国会にでんと据えたい

 銀行が増産するは倒産の声

 カラ貸しのような援助が戦後策

 原発はどろぼうのはじまりは嘘

 ゲノムゲノム……落語家は知っていた               

二〇〇三年四月

 ○「誠意を見せて下さい」とはヤクザが企業などを恐喝するときに使う常套句。
 ○カラ貸し、押し貸しはサラ金・高利貸しの悪徳手法。
 ○東電 基の原発停止、積年の虚偽・陰蔽の結果だ。原発もこわいがそれ以上に権力者・為政者の住民だましがおそろしい。
 ○ ヒトゲノム解読完了。「じゅげむじゅげむ」だったな。


複眼単眼

  
リンチ(私刑)が正義の看板で横行する時代

 ブッシュ大統領らによるイラク攻撃は「戦争」の名にすら値しないリンチ(私刑)であったことは多くの人びとの共通認識になっている。「正義と自由」の名のもとに、自ら相手を「悪人だ」と認定したら先制攻撃してもよいのだというのが「ブッシュ・ドクトリン」の論理だ。攻撃を正当化するために持ち出された口実が「イラクによる大量破壊兵器の保有と拡散の危険性」というものだった。しかし実際には核兵器も生物化学兵器も出てこなかった。「大山鳴動して鼠一匹」ですらなかった。米国はいま、知らん顔で「勝てば官軍」を決め込んでいる。 米国政府によって国連憲章や国際法がこうもあからさまに破られるのをみて、国際法学者は皆「大変な時代がきた」と嘆いている。
 これは米国の対外政策においてのみ生じている現象ではない。自由と民主主義を看板にする米国内でも、このリンチの風潮が罷り通っている。最近の米国社会におけるイラク攻撃を批判したり、反戦を言う人びとへの圧迫と攻撃は異常そのものだ。諸外国の知米派は「これが米国民主主義の現実だったのか」と嘆いている。
 ひるがえって「憲法」とは権力者の行動を規制するためにあるというのは憲法学の基本であるが、最近の日本での風潮は「法は権力者や強者が守らなくてもよいが、弱者には厳しい罰則が待っている」というものだ。いま立憲主義の崩壊の危機が指摘されている。
 ブッシュが国内外でリンチの政治を行なうのに呼応するかのように、日本でもこの風潮が蔓延しつつある。
 例えば一昨年十二月、名古屋刑務所では看守による消防ホースで受刑者が虐待され殺された事件があった。いまこの刑務所内の悪質なリンチ事件が次々暴かれ、法務省の姿勢が問われている。
 これに限らず、マスコミの事件報道などはほとんどリンチそのものだ。多くの人びとがまだ容疑者にすぎないのに、最初から犯人扱いされる。人権の侵害は日常茶飯事だ。これを「売らんかな」のメディアが煽りたてる。 これに疑問を投げかけた「『白装束』報道加熱ぶり疑問」と題する要旨、次のような投書が某商業新聞に載った。
 テレビのワイドショーのリポーターがこの集団を執拗に追いかける。それは現代の魔女狩りさながらだ。オウムを連想させるというだけで、彼らは犯してもいない罪に問われている。この国では思想信条の自由は保障されているのではなかったか。違法行為は取り締まられるべきだろう。しかし、彼らも法的に守られなくてはならないはずだ、という論旨だ。
 いま松本サリン事件の被害者の河野義行さんを思い出す。彼は田中知事のもとで県の公安委員になった。彼は被害者であるにもかかわらず、サリン事件やオウムの事件と人権問題を極力冷静に考えながら、裁判を見守っている。その姿勢はリンチの思想と対局にある。彼自身が容疑者扱いされた経験の持ち主でもあることが、元来持っていた人権感覚をさらに研きあげたのだと思う。ブッシュや小泉などに彼のつめのアカでも煎じて飲ませたいものだ。 (T)


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