人民新報 ・ 第1096号<統合189> (2003年5月25日)
  
                                目次

● 広範な運動展開で軍事大国化の道を阻め  有事法制反対の闘いはいよいよ正念場に

● 市民・宗教者・労働組合が共同  有事法制に反対して国会前連続行動

● 国会での労働法制改悪審議が山場へ  労基法・派遣法などの改悪を阻止しよう

● 首切り自由は許さない!  反動判決連発の高裁村上裁判官に抗議を

● 闘うメーデーの具体化へ  第74 回中之島メーデー開催

● 韓国の国会議員三〇名の声明  「 有事法制三法案に反対していただけることを訴えます 」

● 二〇〇三年五・三憲法集会発言 要旨 (上)

     教育基本法「改正]問題について  /  法政大学名誉教授 永井憲一

     沖縄の反戦平和の闘いと憲法  /  元読谷村長 山内 徳信

● 若者たちを先頭に緊急国会行動 永田町に「有事法案廃案!」の声

● 再 録  /  「横浜事件」の回想 (5)    板井庄作

● 資 料 「  横浜事件の再審開始決定(横浜地裁) 」

● せ  ん  り  ゅ  う  ( ゝ 史 )

● 複眼単眼  /  米帝国における「ネオコン」とは何者か


広範な運動展開で軍事大国化の道を阻め

    有事法制反対の闘いはいよいよ正念場に


翼賛国会状況の中での戦争法の採択

 五月十五日午後の衆議院本会議で有事関連三法案が与党三党と民主・自由両党の賛成で可決され、参議院に送られた。賛成した議員は四七七人の出席議員のうち、約九割の圧倒的な多数に及んだ。「安保問題の根幹に関わる法案に野党第一党が賛成したのは初めて」といわれるように、民主党の大転換がこれを実現した。十九日、参議院の特別委員会が組織され、審議も始まった。
 これは実に異常な国会だ。昨一年、「この法案は多くの問題点や欠陥を抱えており、反対する」として野党共闘を続けてきた民主党が四月末に「対案」を提出するや、自民・民主両党の密室協議となり、両党で修正合意が成立すると、その修正法案の討議もしないままに衆議院の特別委員会と本会議で可決してしまったのだ。これは議会制民主主義から見ても異常な手法であり、広く市民の前に公開しつつ国会審議するという民主主義の最低限のあり方をも否定したものだ。
 憲法違反を指摘され、「戦争をしてはならない国、戦争ができない国」から「戦争ができる国、戦争をする国」へと大転換を遂げるための法律、この国の進路の根幹に関わる重要法案を、与野党の圧倒的多数の議員の支持を背景に、このような形で強行することこそ、ファシズムの手法であり、まさに翼賛政治の手法だ。米国のアフガン攻撃とイラク攻撃という戦時において、人びとを煽り立ててを米国両院を翼賛議会にしたと同じような議会状況がすでに日本でもできてしまっているかの観がある。
 小泉首相は「長年タブーとされてきた問題にもかかわらず、合意ができたことは画期的だ」と述べ、菅民主党代表は「与党三党がわれわれの対案を正面から受け止めたことに感謝する。今後とも建設的論議をすすめ、取り組む決意だ」と述べた。この日本現代史を画する希代の悪法を採択した小泉内閣と、その成立に加担した菅・民主党の責任はとりわけ重大だ。
 民主党の前原誠司と修正協議をして合意に持ち込んだ自民党の久間章生元防衛庁長官は商業紙のインタビューで次のように述べた。
「(若手の国防族は自民、民主の壁を超えています。今回の修正合意も象徴的でした)ある意味では危ない。みんな『やれやれ』になっている。批判が出てこない空気は気になる。次の選挙でああいう(共産、社民両党のような)勢力が減っていくだろうと思うと、いいのかな、と。翼賛になってしまったら……」と。 民主党を取り込んだ当事者の久間自身が勝ち誇りつつ、この国の前途に不安を表明するほどの、国防族らの危険な暴走ぶりなのだ。まさにこの戦争法=有事法制を成立させることは、この社会の民主主義を絞め殺し、翼賛体制を作り上げることにほかならない。久間こそそれを牽引したひとりなのだ。

与党と民主の修正合意は法案の性格に変更なし

 民主党が反対から賛成に回った修正合意は次のようなものだ。@「(基本的人権の制限)この場合において、日本国憲法第十四条……その他の基本的人権に関する規定は最大限に尊重されなければならない」がつけ加わったこと、A「(国民への情報提供)状況について、適時に、適切な方法で国民に明らかにされるようにしなければならない」が加わったこと、B「(対処基本方針は必要が亡くなったと認めるとき)または国会が対処措置を終了すべきと議決した時(は廃止を求める)」などで、ほかにC施行日は別に定める、D危機管理庁については検討する、E国民保護法制については一年以内実施目標、F緊急事態基本法については真摯に検討などの諸点だ。
 要するに基本的人権の項以外は検討にも値しない程度のことだ。問題は民主党が「成果」として強調する基本的人権の尊重の項だが、それは政府原案は「制限は……必要最小限」とあったのに、さらに「最大限に尊重」を重ねたことだ。しかし基本的人権の「最小限に制限」と「最大限に尊重」は同義反復にすぎないのだ。
 戦争に際して基本的人権を制限するという同法案の立場は変わっていない。否、実際には戦争において基本的人権が保障されると考えるほうが間違いだということだろう。基本的人権の制限は常に「必要最小限」を口実にして行なわれる。民主党はこの点で一線を超えて妥協したのだ。
 修正法案の議論は衆議院ではまったく行なわれず、第一六五国会での有事法制の審議は参議院を残しているというのに、すでに政府与党やマスメディアは有事三法案後の準備とキャンペーンに入った。これらの悪法とその反動的な本質を暴露しつつ、有事三法案阻止の闘いを展開しなくてはならない。この闘いの質と量こそが今後の戦争体制づくりを阻止する力の根源であり、私たちは絶対に敗北主義に陥ってはならず、闘いをあきらめてはならない。

現代史を画する政治闘争として

 政府は戦時における米軍との共同作戦に関わる法制の整備、今後の課題とされた「国民保護法制」の整備、緊急事態基本法の検討などに入っている。加えて「りそな銀行の破産」に象徴される未曽有の金融危機対策に便乗して、六月十八日に終えるはずの通常国会を大幅に延長して、「イラク復興新法」などの採択を企んでいる。
 そしてさらには二〇〇〇年の「アーミテージ報告」以来、米国が一貫して露骨に要求している「集団的自衛権行使」の合憲化の実現だ。このためには「国家安全基本法」なども構想され、これによる総合的で恒久的な安保基本法制の実現が企てられている。憲法調査会は来年末をもってその調査期限を終えることになる。いよいよ明文改憲と軍事的大国化が政府支配層の政治的射程に入った。まさに現代史を画する政治闘争になった。この道を許してはならない。この局面で、左派をはじめ、平和運動の前進をねがうすべての自覚的な人びとは、運動の傍観者や評論家であってはならないし、まさに党派的な利害から単なるケチつけの位置に自らを陥しめてはならない。それぞれの責任において歴史に対する責任を果たしぬく構えと行動が要求されている。
 二〇労組、宗教者ネット、キリスト者ネット、市民緊急行動の四者共同を軸とした反有事法制の運動、「WORLD PEACE NOW」を基礎にした「NOユージ、VIVA友情」の青年たちの運動のふたつの流れが連携しながら、この局面で大きな役割を果たす必要がある。この両者にまたがる「戦争反対!有事法案を廃案に・市民緊急行動」などの役割はとりわけ重大だ。全力でこれを支え、推進し、有事法制阻止の大衆的・市民的運動を形成しよう。


市民・宗教者・労働組合が共同  有事法制に反対して国会前連続行動

 有事三法案の衆議院での審議の山場に、市民・宗教者・労組は共同して連日、衆議院議員会館前で集会を開いて抗議行動を展開した。
 五月十三日、「戦争反対!有事法案を廃案へ・市民緊急行動」、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネット、陸・海・空・港湾労働組合二〇団体の四者で構成される「STOP!有事法制」実行委員会は、正午から約三〇〇名の人びとの参加のもとに国会前で緊急集会を開いた。
 市民緊急行動の高田健さんが司会を行い、主催者を代表してキリスト者ネットの糸井玲子さんが挨拶したあと、社民党の又市征治、中川智子、植田むねのり各議員と福島瑞穂幹事長、共産党の赤峰政賢議員が挨拶した。発言は全港建の後藤委員長、宗教者ネットの木津上人、平和遺族会の和多田さん、航空連の内田議長、ふぇみん婦人民主クラブの赤石共同代表などのみなさんだった。

 五月十四日の「STOP!有事法制」実行委員会の国会前行動は、午前から労働法制の改悪とあわせて抗議行動をしていた全労連の人びととの共同行動で、一三〇〇名の人びとが参加した。

 五月十五日、午後一時からの衆議院本会議での有事法案の審議を前に、政府与党と民社党・自由党などが妥協した修正案の強行採決に怒りを込めた集会が「STOP!有事法制」実行委員会の主催で開かれた。集会は正午から午後一時まで行なわれ、雨の中にもかかわらず五〇〇名の人びとが結集した。
 集会は司会を航空連の中川香さんが行い、主催者挨拶は宗教者ネットの木津上人、社民党と共産党の国会議員の決意表明のあと、発言は市民緊急行動、日消連、平和フォーラム、二〇労組などが行なった。
 現場には十五人ほどの右翼が「日の丸」をかかげて出てきて、挑発を繰り返した。

 午後一時からは同所で平和フォーラムが主催する抗議集会が開かれ、福山真劫事務局長の基調提起のあと、二〇労組の佐藤さん、日本山妙法寺の武田さん、市民緊急行動の高田さんらが挨拶した。関東各地からのフォーラム加盟団体の決意表明では、今回の民主党の妥協を厳しく糾弾する声があがった。
集会のさなかに本会議での採決が行なわれたことが報告され、二〇〇名の参加者は参議院での闘いをはじめ、あきらめないで最後まで闘いぬく決意をあらわすためのシュプレヒコールを国会にむかってぶつけた。周辺で挑発を続けていた右翼は日の丸をかかげて「万歳」を叫んでいた。


国会での労働法制改悪審議が山場へ

        
労基法・派遣法などの改悪を阻止しよう

 連休明けの国会では、有事関連法案とならんで、労働法制の改悪法案の審議が山場を迎えている。
 五月六日には、「解雇ルール」を中心とする「労働基準法の一部改正案」が衆議院本会議に上程され、法案の趣旨説明と代表質問が行われた。七日には、衆議院厚生労働委員会で「職業安定法及び派遣労働に関する法律の一部改正案」が本格審議入りした。

 労基法改正案の主要点は、@解雇権「濫用」法理の法制化、A有期労働契約の期間の上限について一年から三年に延長、B企画型裁量労働制の対象事業所の範囲の見直し、手続き簡素化などである。
 「解雇ルール」について、政府側は、使用者の解雇権を明記した上で「客観的合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない場合に解雇は無効」としているが、解雇を無効とするためには、不当性を訴える労働者に立証責任があるとしている(厚生労働省は四月下旬に、不当解雇を争った裁判での立証責任は、使用者ではなく労働者にあるとの政府見解をまとめている)。
 しかし、現状では使用者に多くの立証が課されているのであり、これが、政府の考え方のようなものになると、労働者の立証責任が重くなり不利になるのは明らかだ。このままでは労働裁判で、労働者敗訴の頻発が予想され批判の声があがっている。とくに弁護士団体からは修正を求める要請が出されている。なかでも、労働基準法は労働者保護法制であるにもかかわらず、その使用者は解雇権を濫用してはならないという法理を明文化した条文に、まったく正反対の意味をもつ使用者が労働者を解雇することができるとの文言を盛り込んだことは、これまでの労働法制、労働関係を根本から破壊するという点についてである。

 職安法・派遣労働の改正案は、通常派遣の期間制限一年から三年への延長、「物の製造」への派遣解禁、職業紹介事業の許可を事業所から事業主単位に改めることなどである。改正案では、派遣期間制限の延長期間の決定に当たっては、派遣先の労組または労働者の過半数を代表する者から意見を聞くことを義務づけてはいるが、それで歯止めになるとは思われない。そして、これまでは政令で実施されていた紹介予定派遣については、法律上の定義を定める一方で、従来禁止されていた事前面接を認めている。これでは、常用者を合法的に派遣労働者に代替させることを促進し、また雇用の安定、社会保険、安全衛生確保などの労働者保護策が十分でなく、雇用の質を悪化させることは必至だ。改正案は派遣先、派遣元の都合が優先されていて、安易な常用代替と労働条件の低下という結果をもたらすのである。

 労働法制の改悪に反対する闘いは正念場を迎えている。この間、委員会傍聴や有事法制阻止の人びとともに国会前座り込みが取り組まれてきた。労働法制改悪反対はナショナルセンターをこえた闘いとなっている。しかし、小泉政権・与党は、今回で有事法案、個人情報保護法案とともに労働法改悪法案の成立をねらっている。
 審議山場が予想される五月二八日には国会、厚生労働省行動、そして午後六時半からは日比谷野音で「労基法大改悪NO!5・28集会」が開催される。
 すべての労働組合は、総力を結集して、労働法制の改悪を阻止しよう。


首切り自由は許さない!  反動判決連発の高裁村上裁判官に抗議を

 首切り自由は許さない!実行委員会は、五月一五日、「東京高裁の不当な判決を批判するシンポジウム」を開き、不当な反動判決を連発する東京高等裁判所に対する闘いを強化することを確認した。

 数年前、労働裁判で反動判決を立て続けに出していた東京地裁労働部は、労働者・労働組合の闘いによって、「解雇は自由」をあまり言わなくなってきている。九九年秋からの労働側八連敗は、ほぼ全事件が勝利、勝利和解となっている。
 これは運動の成果だが、いま国会で審議されている労働基準法改悪案は「解雇ルール」で、「使用者の解雇権」を全面的に認めるものだ。そして、東京高裁とりわけ村上敬一裁判官が、全動労判決(国是に反対する組合員が採用差別されても不当労働行為にあたらない)をはじめ、カジマ・リノベイト、反リストラ産経労、平和学園などでまったくの反労働者的判決を乱発している。

 首切り自由は許さない!実行委員会は、東京高裁村上裁判官に対する批判攻撃を強め、同時に最高裁に対して、公正な判決を!国際労働基準を守れ!、憲法否定の判決をするな!などをかかげ、労働裁判の反動化を社会的問題としていくこと、そのために争議団の共闘を密接なものにすることをきめた。
当面の行動は、地裁高裁前行動(毎月第二木曜日午前八時一五分〜)、最高裁前行動(毎月第四水曜日午前八時〜)をはじめ、労基法改悪反対集会(五月二八日)、「首切り責任逃れは許さない!裁判所に落とし前をつけさせる集会<仮称>」(六月九日)などにとりくむ。また、メーリングリストやホームページの開設で情報の集中と発信、戦後補償団体等と連携していくとしている。


闘うメーデーの具体化へ   第74 回中之島メーデー開催

 五月一日、第74回中之島メーデーが犬阪剣先公園で開催された。
 昨年から集会だけではなく闘うメーデーの具体化が提案され、前段のとりくみとして地域の争議組合などが会社に抗議申し入れを行っている。
 今年は、大塚製薬グループで解雇撤回闘争を行っている大塚製薬労組の仲問が徳島から参加し、大阪本社への抗議申し入れを行った。
 続いて、メーデー会場にも近い目本郵政公杜近幾支杜への申し入れを行った。集会は、近畿支社を取り囲むように三〇〇人の仲間が結集し、公共サービスを守り営利企業化に反対する申し入れを行った。
 そして午前一〇時、メーデー会場である剣先公園に場所を移して第74回中之島メーデーが始まった。
 大阪全労協の前田議長の開会宣言の後、全港湾大阪支部加来委員長が実行委員会を代表して挨拶し、雇用破壊の厳しい状況を跳ね返し、労働者の闘いと団結を強めようと訴えた。
 連帯挨拶では、大阪労働者弁護団、関西共同行動、杜民党、新社会党、市民派議員の皆さんが登壇し、それぞれ代表が挨拶を行った。
 争議組合の紹介では、前段に抗議集会を行った大塚薬品労組、全港湾シノダ物流、全日建連帯・安威川生コン、郵近労が挨拶を行った。
 メーデーアピールは、アメリカの軍事支配に反対し、小泉内閣の進める有事法制や憲法改悪策動に反対し、そして、労働法制の改悪、アジア人民との連帯をめざし闘うことを確認した。
 スローガンを確認して、閉会挨拶、最後に団結ガンバローで終えた。
 デモコースは、アメリカ領事館前を通り、軍事的中東支配を糾弾するシュプレヒコールをあげた。(大阪 西野)


韓国の国会議員三〇名の声明

 有事法制三法案に反対していただけることを訴えます

尊敬する議員各位

 韓日両国の未来志向的な同伴者関係の強化を望む心から、大韓民国国会議員三〇名の文章をお送りいたします。

 本日もしくは明日中に日本の国会で有事法制三法案に対する票決がなされると聞いております。日本の国内法に対し隣国の国会議員たちが意見を差し上げるのは適切でないという点はよく承知しておりますが、有事法制はその影響が日本国内に限定されるものでないがゆえに、本日やむを得ず要請文をお送りすることになりました。

 我が議員たちと大韓民国の国民たちは、有事法制が過去のアジア諸国家と国民たちに大きな痛みを与えた不幸であった戦争の歴史を再演しうるということに対し、深刻な憂慮を持っております。有事法制の通過は直ちにアジアの軍事・安保環境を悪化させる充分な契機になるという点からも、極めて大きな憂慮を持っております。

有事法制に対しては、アジアの他の国々だけでなく、日本国内の弁護士団体や知識人たち、市民諸団体も反対の意を多くとなえていることを知っております。昨年の毎日新聞の世論調査でも、八一%が否定的であり、賛成は六%に過ぎないとうい結果が示されました。戦争という悲痛な歴史を繰り返す道を進むまいということが、日本国民多数の意見だと考えます。

日本憲法九条は、軍隊を持ったり戦争をすることを禁止しています。それゆえ、日本の憲法は大韓民国でも「平和憲法」と呼ばれています。ところが、有事法制は平和憲法の精神に真っ向からはずれるものだと考えます。

切に要請いたします。今日の法案決議の場を前に、平和憲法の精神をもう一度考えて下さい。一瞬の誤った判断で世界の人々を戦争の苦痛に追いやった不幸であった歴史をもう一度考えてください。

そして特に、日本が国際社会のリーダー国家として認められる道は、軍事的位相の強化にあるのではなく、高い水準の道徳国家の面貌を見せるところにあり、世界各国がそのような基準によって日本の国際社会での位相と役割に関して考えているという点を充分に考慮し、今回の法案処理に御理解をいただけますよう、もう一度切に要請いたします。

ありがとうございました。

二〇〇三年五月十四日

大韓民國 國會議員

 金希宣、金敬天、金富謙、金成鎬、金榮煥、金泰弘、金孝錫、南景弼、「基善、朴相熙、朴是均、徐相燮、薛松雄、薛勳、宋光浩、宋永吉、辛基南、沈載權、安泳根、元裕哲、李相洙、李在禎、李鍾杰、李昌馥、李浩雄、任鍾ル、全甲吉、鄭東泳、鄭長善、崔龍圭


二〇〇三年五・三憲法集会発言 要旨(上)

教育基本法「改正]問題について

          法政大学名誉教授 永井憲一

 三月二十日に中教審が教育基本法のあり方についての答申を出しました。これを見ました時に、まず一つ、大きな疑問を感じたのは、教育の改革のために教育基本法の「改正」をするのだといって進められてきた中教審の議論のなかに、教育の現場の悩みがまったく採り挙げられ議論されていないということはどういうことなのか、ということでした。
中教審に集まっている人たちの中には、現場の代表者が誰もいません。そこで教育改革が提言できるのか、ということです。そう考えるだけでも、いかにこの答申が政治的な提言なのかということが感じ取れるのではないかと思います。
 内容につきましても、教育基本法の中には「公共心」とか「愛国心」の教育という目線がないので、それを教育基本法の中に入れろというのです。それも、なぜ、そういう必要があるのか、どういう「愛国心」、どういう「公共心」をこれから教育の基本目標に据えていくのかという説明が全くないのです。
 この教育基本法「改正」問題は、これまで憲法の「改正」問題とリンクされてすすめられてきました。それもそのはずです。戦後の政府と国民のこれからの新しい日本の国づくりのために制定された教育基本法は、前文で、「(日本国憲法がめざす理想の実現は)根本にいて教育の力にまつ」と宣言しております。そして、その教育基本法の第一条には、「人格の完成をめざし」――要するに、国のためというよりは、むしろ一人ひとりの人格の完成を優先的な目的として、一人ひとりが平和を愛する国民――次の時代の主権者が日本国憲法の平和主義、民主主義を担っていく、そういう国民を教育をつうじて育成することを目標としています。要するに、日本国憲法の理念をこれからの社会において、そういう教育を通して実現していく、それを教育の目標にしなければならないということを教育基本法は定めているのです。
 実は、ここがジャマなんです。だから憲法の「改正」をする前に教育基本法の「改正」をしたいのだと思います。その証拠に、この答申が出ました後の三月三十一日の朝日新聞に、中曽根元総理大臣が登場しまして、”この教育基本法「改正」の答申を足がかりにして憲法の「改正」問題に取り組んでいく必要がある”ということを堂々と強調しています。
憲法の「改正」問題の中心は、憲法九条にあります。さいきん盛んに北朝鮮からの脅威とか、あるいは国際社会への日本は人的貢献まで必要だということが強調されています。そして、そういう方向への法整備の一環として有事立法なども考えられようとしています。
けれども、日本国憲法が制定された時には、それを制定する第一の責任者であった内閣総理大臣だった吉田茂さんは、こう言っていました。「日本は明治維新いらい、十年に一度ずつ戦争を繰り返してきている。その戦争は、すべて軍備をもっているので、もっているから使いたくなって、使った。その戦争は、すべて自衛の名のもとに行われてきた。だからこれからの日本は、持っているものは使いたくなるのだから、持たないことにする。これが日本国憲法の理念なのです。」と。吉田さんの、この憲法をつくる時の理念は、このように明らかに交戦権を否認し、それをもってこれからの国際社会に役立っていく憲法をつくるのだといっていました。それに国民が協力していかなければならないといっていたのです。
 ところが、それがいまジャマになってきたわけです。私どもは、この五十年間、私そして妻、子ども、孫、みんな具体的に血を流す戦争を体験することなくすごしてきました。これは憲法のおかげだと思います。
また当時、吉田さんは、この憲法を制定する国会で、こうも言っていました。「どこの国も自衛権は持つけれども、自衛権の行使のしかたには二つの方法がある。一つは軍備を持って自分を守ることだが、これからの日本は、もう一つの方法を選び国際社会において軍備をもたないで自衛権を行使する。すなわち、平和的な外交交渉等をつうじて国際社会において名誉ある地位を占める方向を選んだのだ」と言っておりました。このことを思い起こして、初心に帰って、この憲法の集会でもう一度憲法の初心を守る決意を新たにすべきではないかと思います。そして、そのような憲法の普及を基本目標とする教育基本法を、これからはむしろ生かしていく方向で考え、協働し合う姿勢を確認し合いたいと思います。

                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

沖縄の反戦平和の闘いと憲法

            元読谷村長 山内 徳信

1、 はじめに

「生かそう憲法、高くかかげよう第九条」をメーンスローガンに、二〇〇三年5・3憲法集会が開催、その労をとられました実行委員会の皆さんに敬意を表します。全国集会の中で、沖縄側からの発言の機会を与えて下さいまして心から感謝を申し上げます。

2、 あの光景を忘れるな

 第二次世界大戦の時、日本とドイツは共に同盟国であり、戦争の罪を背負った国であります。歴史との向き合い方に大きな相違点を感じます。
 凄惨を極めた太平洋戦争、日本唯一の地上戦の死闘がくりかえされた沖縄戦、真珠湾攻撃をした日本は結果として人類初の原爆を広島と長崎に投下され、悲惨な体験をしたのであります。
惨憺たる光景を目のあたりにした当時の政治家は、将来への禍根を残さないため、英断を持って日本の平和憲法を制定されたのであります。それは戦争の地獄を体験した日本国民すべての人々の平和への願いが集約されたものであります。

3、 憲法九条は国民にとって命そのものである

現在の日本で世界に誇れるものがあるとすれば、それは世界の法典の頂点に立つ、日本の平和憲法であると確信いたします。
憲法九条は、制定当時から、現在も、これから先も、日本国民にとっては「命」そのものであります。二十一世紀の人類の針路を指し示す「世界の羅針盤」なのであります。
 小泉首相を首班とする連立自公保政権は、いよいよ「本丸」に総攻撃をかけようと、準備を進めております。有事法制を仕上げ、憲法や教育基本法を改悪しようと、虎視眈々としております。
 未来への想像力を失ってしまった政治勢力は、歴史の反省もほうむりすて、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の如く、歴史の歯車を逆まわりさせようとする時代錯誤であり、国民を再び戦争へかりたてていく具体的な準備なのであります。
 憲法九条を無きものにしょうとする政治権力の動きは、国民からは勿論、アジアの国々から猛烈な反発と不信を買い、日本は再び孤立し、自滅への道を歩むことを危惧するものであります。

4、 アジアに銃口をむけるな

 憲法九条を目のカタキのする政治家や国民がおりますが、それはいつしか日本の民主主義と基本的人権、地方自治を蝕み、人権を蹂躙しつつ、アメリカに隷属し、アメリカ帝国主義の世界制覇の尖兵となり、いつの間にかアジアの国々に銃口を向ける立場になってしまうことを恐れるものであります。
 改憲政党や組織の力学の中にあって上意下達にならされ、真実の姿と未来を見失ってしまえば、再び戦前の政治家や軍人と同じ過ちをくりかえしてしまうのであります。心すべきであります。

5、 政府は憲法を守れ

 戦後の米軍統治下の沖縄は、無憲法、無権利の状態でありました。
 米軍は沖縄県民に「銃剣をつきつけ、ブルドーザーで家屋敷を破壊し、焼きはらって土地を接収し、基地を作った」のでありました。戦後五八年経過いたしましたが、現在でも日本全体にある米軍基地の七五%を沖縄に押しつけて平然と差別しつづけているのが日本政府であります。
沖縄側からの基地の整理、縮小、返還、基地被害の改善、日米地位協定の見直し等、全く聞く耳を持たない日本政府の理不尽さを告発するものであります。

6、 憲法を楯に本気で九条を守る壮大な闘いを

 私は一九七四年から一九九八年まで二四年間、基地の村、読谷村(人口三七〇〇〇人)の村長をしておりました。村域の七三%が米軍基地でありました。米軍基地を返還させ、夢あふれる跡地利用を精力的に進めてまいりました。村政の基本姿勢は「憲法の精神を踏まえ、憲法を実践する」ことでありました。村長室には「憲法九条」と「憲法九九条」を掛軸にしてかかげてありました。
国民が本気で真剣に闘うのであれば、憲法は「非常識を常識化し、不可能を可能とする」力を国民にあたえてくれることを私は体験したのであります。
 したがって私にとって憲法は、幾百万人、幾千万人の力を貸してくれたことになります。
 今、権力の横暴や不法不当を認めない為に制定された憲法が、逆に権力者や、憲法を目のカタキとする政治勢力によって、骨抜きにされ、憲法が無視され、改悪への動きが顕著になってきております。
これにどう立ち向かうか、日本と日本人の将来を左右する極めて重要な問題であります。
憲法九八条は「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」。これを武器として理論武装はできないものか。
憲法九九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。小泉内閣や国会議員は、この憲法を擁護する義務を負わされているのです。政府の反憲法的行為を放置せず、司法の場、行政の場、運動の場を通じて「相手の動き」を牽制し改悪を阻止する。そういう展望を開く為の理論武装と実践論の確立を急がねばなりません。


若者たちを先頭に緊急国会行動 永田町に「有事法案廃案!」の声

 もう戦争はいらない、わたしたちは有事法制に反対します、非暴力による行動をつらぬきますを合い言葉に、「NOユージ VIVA友情 キャンペーン」行動が取り組まれた。
 五月一六日に行われた「5・16 NOユージ集会&国会請願行動」では、国会近くの星陵会館で集会が開かれた。
 主催者を代表して、高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)があいさつ。
 衆議院では九割の国会議員の賛成で有事法案が通過した。翼賛国会というゆゆしい事態だ。しかも、民主党による修正を受け入れて新しい法案になったというのに、審議らしい審議はまったくない。多くの人がわからないだけでなく、民主党や自民党の議員だってわからないようなものだ。民主党は基本的人権が入ったので賛成したといっているが、自民党案では基本的人権の制限は最小限にとなっていたのが、民主党の修正で最大限に保証となっただけで変わりはない。五〜一〇%でも制限したら、やがてすべてなくなってしまう。衆議院で通過した日、雨の中での国会前抗議集会で本当に悔しい思いをしたが、改めて廃案闘争の決意を固めた。イラク反戦では短期間のうちに五万人もの若い人が結集する闘いが盛り上がってきた。いま審議は参議院に移った。時間はないわけではない。諦めずに闘おう。闘いはこれからだ。
 つづいて、伊藤彰信さん(全港湾書記長)が発言した。
 有事ということになれば、運輸・土木関係の労働者は真っ先に動員される。輸送の前提は安全だが、いったい誰が安全と判断するのか。また基本的人権は保証されているというが、企業に従事命令が出され、企業から労働者には業務命令が出される。そして戦争を協力を拒否して処分になっても基本的人権の侵害にあたらないという。こんな悪法は廃案しかない。ともに闘いを強めていこう。
 在日三世である文世賢(ムン・セヒョン)さん(在日韓国育年同盟中央本部副委員長)の発言。
 私たちはいま非常に危険な状況にいる。同族同士が殺し合わなければならない戦争が身近に迫っている。アメリカの悪の枢軸規定以来、韓国の米軍も地上戦を想定した移動をはじめようとしている。韓国軍の統帥権は駐韓米軍司令官にあり、アメリカの戦争発動の危険は高まっている。このような情勢での有事法案だ。法制化に反対してともにがんばっていきたい。
 リコさん(「はてみ」)の発言。
 私たちはインターネットのサイト「はてみ」で戦争反対を訴えている。国会では何の議論もしていないで、そのまま通過させられようとしている。私たちは、法案は出来ても協力しない人たちを大勢つくる運動をやっている。「どのようなことがあっても戦争には協力しない」という非協力の宣言に賛同者を集めている。みんなと一緒に、こんなメチャメチャな法案を廃案にしていきたい。
 アジアンスパークの三人が、ピンクレディーの「UFO」をもじった「YUJIHOU」のパフォーマンスで、有事法制反対運動へカンパを訴えたあと、国会請願に出発した。
 参議院議員面会所には、共産党の井上哲士、宮本岳志議員、社民党の福島瑞穂議員が出迎え、院内外でともに有事法案を廃案への決意を確認した。
 衆議院議面では、共産党の木島日出夫、瀬古由紀子、塩川哲也議員が出迎えた。首相官邸の前で、有事法制反対のシュプレヒコールをあげ、銀座をパレードして、水谷橋公園で解散した。


再 録

 「横浜事件」の回想 (5)    板井庄作

むすび

 一九四三年の暮に私は磯子署から笹下の横浜拘置所に移された。それ以後の拘置所内のことは前に書いたから省略し、さいごにこの事件結末に触れておきたい。
 八月十五日の敗戦を迎えると裁判所は急に私たちの裁判を急ぎだした。占領軍がこないうちに早く片付けてしまおうと考えたようだ。それまで放っておいたのに、広沢判事というのがゲートル姿で拘置所に現われ、私を訊問した。しかも広沢は一度しか現われなかった。私の手許にある「予審終結決定」書の日付は八月二十四日である。そして八月三十日横浜地方裁判所で高木、由田、山口それに私の裁判が行なわれた。その他の仲間は病気その他の理由で保釈或は責任付出所をかちとり、裁判の日は私たちとちがった。
 私たちは懲役二年執行猶予三年の判決をうけた。だが裁判そのものがもはや何の意味ももたなかったのである。私はいまでも覚えている。裁判長八並達雄は裁判を終えるに当ってつぎのように述べた。「君たちが考えていた通りになりましたね。だが誰が勝った負けたでなく、これからの国の再建のために尽して下さい」と。八並は間もなく裁判官を辞して弁護士になったときいている。
 私はこの手記のはじめに、私たちの事件を「みじめな敗北」と書いた。なすところなく捕まったこと、つまり敵の捕虜となって活動の自由を奪われたことは致命的な敗北であった。だが八月十五日を迎えて私たちは勝者になった、といえると思う。たとえ自分の力ではなく、また日本人民の力でもなく―それらが全然なかったというのではないが―全世界の大団結した民主勢力の力によって解放されたとしても、やはり私たちは結局は勝利したのだ。暴虐な日本軍国主義、天皇制ファッシズムに勝利したのだ。私たちはこの喜びと希望をもって八月三十一日二年振りに自由の身となったのである。
 この、私たち昭和塾―政治経済研究会グループを含め横浜事件なるものをでっちあげた神奈川特高、その上に控える勢力の意図、ねらいはどこにあったのだろうか。細川先生はさきに引用したように、この事件は「軍部への売り込みに官僚がいかに浮身をやつしていたか、という窮状と醜態をばくろしたもの」とみている。これは政治的判断になるが、私も大体それにちがいないと思っている。風見章先生は尾崎さんを近衛内閣の内閣嘱託に推薦したように親しい関係にあったので、ゾルゲ事件では予審判事の取調べをうけ、また横浜事件では、細川先生の検挙後その留守宅に見舞金を送っていたという件で横浜地裁に召喚されている。元総理大臣の平沼麒一郎、東条内閣の内務次官唐沢俊樹、これら極反動の反近衛・官僚勢力が、風見先生を「赤」に仕立てて風見―近衛の反東条勢力追落としをねらったことは十分にありうることである。私たちの弁護に当ってくださった著名な弁護士故海野晋吉はこう書いている。海野ともある人が根拠のないことをいう筈がない。「特高はこの虚偽の自白をまことしやかに作りあげ、内務省に報告した。同省の最高幹部は、これを根拠に昭和塾の首脳部を検挙し、近衛勢力の打倒さえも考えた」(「横浜事件を弁護して」『総台ジャーナリズム研究』昭和41・11<二七>」。
 はじめに返るが、横浜事件は言論関係者の部分についていえば―そしてそれが社会的影響という点では大きかったわけであるが―テロルでデッチあげた言論弾圧事件、といってよいであろう。だがその一構成要素であった昭和塾=政治経済研究会グループ事件は、どんな意味をもっていたのだろうか。さきに引用した勝部の手記「わたしの『横浜事件』」をみると、立教大挙教授田宮裕は我妻栄編「日本政治裁判史録、昭和・後」(第一法規社)のなかでつぎのように述べているそうである。的を射た評価だと思うので、孫引きで恐縮だが以下に引用させていただく。
 「横浜事件の本質は、特高警察による『拷問とデッチあげ』につきると一般に考えられている。これは、ある意昧では正しいが、デッチあげということの内容を反省しないと、事態を単純化しすきるきらいがあると思われる。それは、特高が考えているような共産党再建運動でもなかったが、さりとて空中楼閣といった意昧でのデッチあげだと考えることも不正確である。…
 たしかに、被告の多数を占める雑誌編集者たちは、かつて学生運動の経験者であったという程度で、確定した所属のもとに各自共産党再建の駒となって動いたということはなかったといってよかろう。また、昭和塾や、世界経済会や満鉄グループなども、右の運動の一環として動いていたということはなかったといえる。したがってこれら各グループの間に強いて脈絡をつけた構想は、故意のデッチあげとまではいえないにしても、事実無根であったろう。また、編集者グループの検挙は、共産主義者の取締りというよりは、進歩的な自由主義者に対する、ファッショ体制のヒステリックな言論弾圧というべきであろう。治安維持法違反ときめつけるのは、明らかに不当であった。
 しかし、このように全体の構想や一部グループの検挙が不当弾圧だとしても、他のグループの活動は、これとやや異質の本質をもっていたといえなくはないのである。たとえばその典型が昭和塾関係の研究諸活動である。これは自由主義的というよりは、やはり共産主義を背景にもった研究活動であった。この事実は重要であって見逃されてはならないと思われる。それは事実を正しく観察することが必要であるからばかりでなく、狂暴なファシスムが荒れた戦争の真只中でさも、左翼思想が脈々とつながっていたことを知り、戦前の共産主義運動の本質を解明して戦後のそれとの接点を評価しなおすよすがとなりうるからである。これまで、横浜事件はどちらかというと言論の弾圧という方向から、ジャーナリストによってふりかえられてきた。それはまちがいではなかったが、当然のことながらやはり一面的だという性格を拭い切れないのである。今後はもう少し多方面からの再発見・再評価が必要だと思われる」。(五二一―五二二ぺージ)
 まだいくらか書き残したこともあるが、それは別の機会にゆずり、今回はこれでこの手記を終る。
はじめに書いたように、私は大学を出た頃はまだマルクス主義者ではなかった。それから四年四カ月たって検挙され、それは大変悔しいことであったが、しかし私は自分のしてきたことを悔いる気は毛頭なかった。マルクス主義、それから導き出される民主主義、社会主義日本の希望にみちた展望を信じ、敗戦の日のくるのを待ち望んだ。この時期には、私はマルクス主義者になっていた、といってよいだろう。
 私の青春、従ってまたその後の生涯は、戦争と切っても切り離せない。そしてこの戦争に対し、ただ一つマルクス主義だけがもっとも原則的に、正しく、対応することができたのであった。
今日一層残酷な戦争の危険が増大しつつあるとき、この過去の一つの経験を書いた一文が反帝・反戦・反覇権闘争を闘っている人びとに、多少とも役立てば幸である。(完)

(「労農戦報」一九八一年九月一日号より)


資 料

 
 横浜事件の再審開始決定(横浜地裁)

 横浜事件の最後の生存者であった板井庄作同志は三月三一日に逝去した。それからわずか半月後の四月一五日、横浜地裁は横浜事件の「各再審請求について再審を開始する]という決定を行った。その理由として、ポツダム宣言の受諾によって治安維持法が失効したという理由をあげている。不当な弾圧自体を取り上げていないものの、これまでの裁判所の態度から見れば画期的なものといえる(横浜地検は治安維持法は有効だったとして即時抗告した)。横浜地裁決定の一部を資料として掲載する。(編集部)

 天皇は、八月一四日にポツダム宣言を受諾するとともに終戦の詔書を発し、ポツダム宣言を受諾したことを国内的にも公示している。
 旧憲法の上諭の趣旨や、旧憲法下における天皇の地位・権限(唯一の主権者であり、統治権を総攬し、緊急の必要がある場合に法律に代わる勅令を発することや、戦時又は国家事変の場合に臣民の権利義務に関する大権の施行も可能であった)に照らせば、国内法的には、上記事実をもって、緊急状況下における非常大権の一環として、天皇が少なくとも勅令に準ずる権限を行使したと解するのが相当である(なお、旧憲法下において、勅令は後に開かれる帝国議会の協賛・承諾がなければ効力を失うとされているところ、ポツダム宣言受諾直後の帝国議会において、天皇がポツダム宣言を受諾したことを前提として議事が行われたことは自明の理であるから、かかる経緯に鑑み、前記行為は直後の帝国議会において黙示の協賛を受けたものと解すべきである)。
 そうすると八月一四日に天皇が終戦の詔を発したことにより少なくとも勅令を発したのに準じた効力が生じたというべきであり、ポツダム宣言は国内法的にも効力を有するに至ったというべきである。
   ……
 ポツダム宣言一〇項では、日本国国民間に於ける民主主義的傾向の復活強化、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重の確立が命令形と解しうべき文言によって求められている。上記条項は、治安維持法等の法規の改廃を直接に要求するものとまでは言い難いが、これが国内法化されたことにより、当該条項と抵触するような行為を行うことは法的に許されない状態になったと解される。
 他方、本件で木村亨らに適用された治安維持法一条には「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結杜ヲ組織シタル者又ハ結杜ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結杜ニ加入シタル者又ハ結杜ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ三年以上ノ有期懲役ニ処ス」と規定され、同法一〇条には「私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結杜ヲ組織シタル者又ハ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者若ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一〇年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス」と規定されている。これは態様を問わず特定の事項を目的とした結杜をすることなど自体を処罰するものであって、かかる行為自体を直接に処罰することは、民主主義の根幹をなす結杜ないし言論の自由を否定するものである。してみれば、当該条項を適用し違反者を処罰することは上記ポツダム宣言の条項と抵触するものであると言える。
 そうすると、治安維持法一条、一〇条は、ポツダム宣言に抵触して適用をすることが許されない状態になった以上、もはや存続の基盤を失ったというべきであり、実質的にみて効力を失うに至ったと解すべきである。


せ  ん  り  ゅ  う

 国会無憲法状態へ起立

 起立する違憲議員まずしさ

 うれいつくって爆撃の可能性

 事態とは構想されるパラノイア

 米軍に協力おしまぬ三法案

 ブッシュの北にらみへ御協力法
 
 ブッシュさま料理の準備はできました

 人権は最大限規制の中で尊重する

 正体は第二自民党の菅直人

 SARSより格段怖い三法案

 参院は継続とせよ三法案

               ゝ 史

二〇〇三年五月一五日


複眼単眼

   
米帝国における「ネオコン」とは何者か

 このところ、マスコミによるブッシュ政権の世界戦略の説明で多用されるネオコン(ネオ・コンサーバティブ、新保守主義者)とは何者だろう。今回のイラク戦争でもネオコン(強硬派とも言われる)のラムズフェルド国防長官対現実主義(穏健派などとも言われる)のパウエル国務長官の争闘という構図の説明はけっこうわかりやすい。戦争の開始に際して、国連や国際協調を重視したパウエルと、先制攻撃による短期戦を重視したラムズエルドの対立(「フセインを十二年も延命させたのはパウエルのせいだ」などとネオコンが批判したり、ネオコンに近いギングリッチ元下院議長は「外交的失敗の六ヵ月と軍事的成功の一ヵ月」などとパウエルを批判した)とか、イラク占領体制の人事における国防省と国務省の対立など、これらで説明されることが多い。
 筆者は以前、このコラムで、これらの差異をみておくことも重要だと述べたことがあるが、メディアがこうもネオコン論を垂れ流すと、「両者の共通性も見ておけよ」と反発もしたくなる。
 ブッシュ政権におけるネオコンの人脈は、チェイニー副大統領、ラムズフェルド、ウルフォビッツ国務副長官、パール前国防政策委員長などだと言われる。これらに対抗する「現実主義」派がパウエルであり、アーミテージ国務副長官、ハース政策企画局長らだといわれ、これはニクソン・フォード政権当時のキッシンジャー元国務長官やパパ・ブッシュ政権当時のベーカー元国務長官やスコウクロフト元大統領国家安全保障担当補佐官らの流れをくむものだといわれる。
 このネオコンの潮流は七〇年代以降、対ソ強硬論を主張して米国の共和党保守派に浸透してきたもので、民主党から転換をはかった人びとも多く、キリスト教原理主義的な思想を持っていると言われる。
 しかし、ラムズフェルドとパウエルの対立をタカ派とハト派の対立などと見てよいだろうか。同様にクリントンとブッシュの差異をそのように見る立場もある。
 ブッシュがタカ派であることに疑いないが、クリントンはハト派ではない。同様にラムズフェルドがタカ派であるのは事実だが、パウエルもハト派ではない。この間のブッシュ政権のアフガン攻撃、イラク攻撃を推進するにあたって、この両者の「対立」は国際世論の工作において相乗効果の役割をはたしたのではないだろうか。
 ブッシュの国際戦略である〇二年九月の「国家安全保障戦略」の基礎には二〇年の「アーミテージ・レポート」にみられる考え方が下敷きにあり、その基本は変わっていない。結論を言えば、両者の差異はタカ派内の「現実主義」と「原理主義」の差異と見て、それらが米帝国主義の政策を補いあっているとみるほうがよいのではないだろうか。(T)