人民新報 ・ 第1097号<統合190> (2003年6月5日)
  
                                目次

● 世界的規模での日米新同盟のための有事法制反対  日米政府の東アジアでの戦争挑発を許さない

                  広範な人びとと共に闘いぬいてこそ展望が獲得される

● イラク復興支援新法・テロ特措法延長による自衛隊派兵に反対する

● 有事法案を廃案へ! 明治公園に三万人が結集

● 大阪5・20  海空交通運輸一四労働組合が呼びかけで有事法制反対集会

● 労基法大改悪NO! 戦争も雇用破壊も許さない!こんな解雇ルールはいらない! 5.28中央行動

● 国鉄共闘会議の取組み

● 二〇〇三年五・三憲法集会発言 要旨(下)

      平和な世界に生きてと死者が託した夢    翻訳家・池田香代子

      有事を起こさせない努力をいまこそ       社民党党首 土井たか子

      共同の闘いをさらに大きく広げて        日本共産党委員長 志位和夫

● ビデオドキュメント /  立ち上がる市民 −イラク反戦運動ドキュメント2003春− (ビデオプレス)

● 図書紹介

      イラクから北朝鮮へ ― 「妄想」の戦争  ( 姜尚中 + 酒井啓子 )  

      緊急増刊号『世界』   NO WOR 立ち上がった世界市民の記録 

● 複眼単眼 / 旧石器時代と列島社会、多文化共生列島



世界的規模での日米新同盟のための有事法制反対

        日米政府の東アジアでの戦争挑発を許さない

            
広範な人びとと共に闘いぬいてこそ展望が獲得される

 日米支配層の長年の願望であった「有事法制」の制定は、この一五六国会でいよいよ成立寸前のところに来た。五月十五日に有事関連三法案を衆議院で採択し、それを日米首脳会談の手土産として臨んだ小泉首相は、ブッシュ米大統領との間でグローバルな視野をもった「日米新同盟」路線を確認した。
 そして参議院での有事関連三法案の審議をいそぎ、早ければ五日の特別委員会、六日の本会議での採択という審議日程で強行する構えでいる。
 おりしもこの六日は韓国のノムヒョン大統領の来日の日だ。それを承知で法案の採択を計画するという小泉内閣の傲慢さと歴史認識は怒りにたえない。もしこのような日に有事関連三法案を採択させるとしたら、日本の民衆にとっての二重の意味での恥になるというべきだろう。
 衆議院で九割の国会議員の賛成で成立させた有事法案は、参議院でも同様の状況になりそうだ。本紙前号で紹介したように、民主党との法案修正協議の窓口を担当した久間自民党政調会長代理は新聞のインタビューで「みんな『やれやれ』になっている。批判がでてこない空気は気になる。翼賛になってしまったら……」などと述べている。国会のいくつかの委員会などを傍聴すればわかることだが、現在、自民党のタカ派はまさに『やれやれ』になっている。ブルーリボンをつけた中川昭一などの「拉致議連」の連中はチャンス到来とばかりに、過激な発言を乱発している。それだけでなく民主党の「ネオコン」がこれに同調し、こうした傾向を増幅させている。
 特に小泉内閣の閣僚が憲法を無視した発言を乱発する状況には異常なものがある。彼らの頭の中には立憲主義のかけらもないのではないか。
 「自衛隊が軍隊であると正々堂々言えるように将来、憲法を改正するのが望ましい」(小泉首相)、「集団的自衛権の行使について、内閣としても判断するときがくるだろう。そういう時期の早やからんことを祈っている」(福田官房長官)、「私が総理大臣になったら、まずはじめに憲法九条の改正をやる」(安倍官房副長官)などなど、これでもかこれでもかと乱発されるこれらの発言は「憲法尊重擁護義務」を定めた憲法九十九条違反であることはいうまでもない。
 久間に言われるまでもなくすでに国会は「翼賛政治」状況にあると言わなければならない。これらに対する共産党・社民党の対応もまったくもって無策このうえない。議員の数が少ないという泣き言を言っても始まらない。野党の闘いの脆弱さの原因は議会唯一主義による。
 この両党とも、この国の進路を決定的に左右するような悪法が国会にかけられている時に、民衆を激励し、ともに闘うような姿勢に欠けているのだ。圧倒的な少数派の議会戦術はこの背景なくして、成り立たないのは当たり前のことだ。
 私たちは目前の有事三法案の成立阻止のために、残された期間を全力をあげて闘う。政治党派を名乗るものであるならば、この闘いを闘わなくして、次の闘いを云々する資格はない。この闘いを闘いぬいてこそ、運動はつぎの闘いに継承される。
 そしてたとえ有事関連三法案を政府与党が国会で採択しても、それを万全にするにはさらにいくつものハードルがある。議論になっている「国民保護法制」だけでなく、「米軍の戦闘支援・協力に関する法案」もあるし、有事関連三法案の延長で少なくとも五十本以上の関連法案の修正なども必要だ。そして何よりも業務従事命令に対する労働者のストライキをはじめとする抵抗闘争、不服従闘争を展開することで有事法を発動させないための闘い、有事法をホネ抜きにするための闘い、それらの上に有事法制の廃止を要求するための闘いがある。
 大詰めの国会状況のなかで、この間、イラク反戦や反有事法制を闘ってきた市民団体、労働団体などはいっせいに行動に立ち上がっている。
 イラク反戦を闘ってきた「WORLD PEACE NOW」実行委員会(加盟五〇団体)はその有志で「NOユージ、VIVA友情」プロジェクト(加盟三三団体)を立ち上げ、運動展開している。
 昨年来、STOP!有事法制運動を展開してきた陸海空港湾労組二〇団体、宗教者ネット、キリスト者ネットの共闘はさらに市民団体の「戦争反対!有事法案を廃案に・市民緊急行動」を呼びかけ団体に加え、四団体の呼びかけに体制を強化した。
 平和フォーラムも民主党の裏切りに屈せず、市民緊急行動などとのブロックで連日の行動を組織している。
 いまこそ、これらの諸団体の闘いを支え、戦争への道を阻止するために闘いぬかなければならない。


イラク復興支援新法・テロ特措法延長による自衛隊派兵に反対する

 米軍のアフガン攻撃に際して「ショー・ザ・フラッグ」と米政府のR・アーミテージが言ったという話は、あまりにも有名になった。日本外務省の出先の自作自演だったという説もあり、真相は不明だが、こんどは四月はじめに複数の米政府高官が「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊の派遣)」「二〇〇〇個のブーツ(一〇〇〇人規模)」と非公式に打診してきたという話がある。政府・与党はこの国会で一日も早く有事三法案を仕上げ、さらに国会会期を延長して「イラク復興支援新法」と「テロ特措法の延長」を、自衛隊の海外派兵関連法案と位置づけて一括提案しようとしている。
 「イラク復興支援新法」は日米首脳会談で小泉首相が確認した「われわれの決断は正しかった」というイラク攻撃支持の立場の正当性の主張と、ブッシュが述べた「日米の地球規模での同盟」の路線にそって、小泉首相が「帰国後によく検討する」と約束したものだ。同法案は、自衛隊をイラクに派兵し、米英軍の軍事的なイラク占領を一部代替するものであり、自衛隊の海外派兵をいっそう日常化するねらいがある。米英軍の治安維持活動に参加させる方向をとるかどうかは未定だが、自衛隊輸送機による物資輸送やイラク国内での物資の輸送、医療支援、鉄道や道路の補修などのための自衛隊派兵の時限立法として考えられている。PKO協力法の「緊急人道支援」の枠組みでイラク周辺国への物資の輸送は可能だとの議論もあるが、イラクではなお軍事占領という戦争状態が続いており、米軍への攻撃がしばしばあることからみて、PKO法の条件を充たしていない。
 憲法調査会では自民党の中川委員が「あのような危険性のあるイラクに派遣できるのは訓練された軍人しかないではないか」などと述べている。
 一方、テロ対策特別措置法の延長とは、二〇〇一年十一月二日施行の特措法が二年で期限切れとなるために、延長措置をとろうとするもの。現在も同法にもとづいて、米国などの対テロ作戦支援のために、海上自衛隊のイージス艦など三隻がインド洋・アラビア海に派遣されており、これまで米英仏カナダなど九ヵ国の艦艇に計二二四回、約三〇万キロリットルの給油をした。先ごろ、これらの自衛艦隊が同法の範囲を超えて、イラク攻撃の米艦隊に給油したことが暴露されたが、日米政府はごまかしに終始している。(S)


有事法案を廃案へ!

         明治公園に三万人が結集


 小泉政権の強引な国会運営、それに協力するかたちとなった民主党の「修正」で、国の将来を左右する有事法案は、審議らしい審議もなく衆院で成立させられ、いま参議院での闘いに移った。しかし、有事法案を廃案にする可能性がなくなったわけではない。小泉政権をめぐる環境は、経済危機、自民党内矛盾、国際情勢の急進展、その他の要因で厳しいものとなってきている。いまこそ、矛盾を突き、さまざまな条件を生かして有事法制反対闘争を一段と強め広げるときである。

 「有事法制に反対する人 みんな集まろう!」というよびかけに、約三〇〇〇〇の人びとが「STOP!有事法制 5・23大集会」(明治公園)に結集した。
 航空労組連絡会議長の内田妙子さんが開会のあいさつ。いまは非常に緊迫した情勢だ。日本はかつてのアジア侵略を反省して、ふたたび戦争はしないという国民の決意が憲法だ。修正された有事法案ということで、憲法が与党と野党第一党によって蹂躙されたことに本当に怒りがこみ上げてくる。しかし、平和に対する国民の決意は今も変わっていないときっぱりと言える。国会のなかの数が、国民の平和を求める声を阻んでいる。有事法案を絶対に廃案にするために、運動を強めて行こう。
 国会議員のあいさつは、社会民主党土井たか子党首と日本共産党政策委員長の筆坂秀世参議院議員。
 土井党首は、有事法案はきわめて危険なものだ、法案を絶対にゆるさないために社民党は総力をあげて闘う、と述べた。
 筆坂議員は、有事法案は、アメリカの戦争に日本が支援をし、そのために国民を強制的に動員するものだ、さまざまに創意工夫をした闘いで、廃案に持ち込もう、と述べた。
 平和をつくりだす宗教者ネットの木津博充上人が、普段はお布施を求めないが、この有事法案阻止の運動のためには大きな資金がいるとカンパの訴えを行った。
 廃案に向けた決意表明は、藤原真由美さん(日本弁護士連合会有事法制問題対策本部事務局次長)、八頭司幸恵さん(日本青年団協議会常任理事)、大倉一美神父(平和を実現するキリスト者ネット)、千葉一明さん(全国建設労働組合総連合・東京都連合会建設ユニオン)、田村祐子さん(NGO非戦ネット)、和光中学校二年生の菱山南帆子さん、福岡STOP有事法制集会の赤島直美さんなどが、廃案にむけて運動をもっともっと拡大して行こうとアピールした。
 アメリカ大使館前で「イラクの子どもたちを殺さないで」と訴えてきた中学生の菱山さんは、戦争は人間が絶対にしてはいけないことなのに、日本は戦争を支持・加担しようとしている、有事法制に絶対反対です、と訴えた。
 最後に集会宣言が確認され、国会請願コース、宮下公園コース、新宿コースの三つにわかれてデモに出発した。国会では野党議員を激励した。


大阪5・20

      海空交通運輸一四労働組合が呼びかけで有事法制反対集会


 五月二〇日、扇町公園において「有事関連法案を廃案に! 5・20大阪集会」が開催された。ナショナルセンター、所属の違いを超え陸海空交通運輸関係一四労働組合が呼びかけ実現した集会とデモだった。
 有事関連三法案は与党三党と民主党との間で修正協議をへて、五月一五日に衆議院を通過した。戦争へ国民を動員する有事法で戦争協力の矢面にたたせられる運輸関係の労働組合が、様々な違いを認め合いながら、有事法の成立を阻止するために団結して闘うことをめざした取り組みとなった。連合・全労連・全労協の違いをこえて参加した労組、政党、市民団体、民主団体と広範な人々が結集し、活気に満ちた集会になった。
 アメリカの戦争戦略を支持し、憲法九条を踏みにじり、戦争をするための有事法制を阻止するための闘いを職場・地域で強めていくことを確認し、参加者は二手に分かれてデモ行進。シュプレヒコールをあげながら道行く人々に反戦のアピールした。(大阪通信員)


労基法大改悪NO! 労働者の声を国会へ

    戦争も雇用破壊も許さない!こんな解雇ルールはいらない! 5.28中央行動


 国会では、有事法案とともに労働法制の大改悪案が審議されている。五月二一日に、衆院厚生労働委員会で、労働者の派遣期間の上限を一年から三年に延長するなどの派遣法改正案が可決された。
 五月二三日には、衆議院厚生労働委員会で、労基法改悪法案が実質審議入りした。当日の質疑では、使用者に解雇を認める解雇ルールの条文、その及ぼす悪影響について、野党側と厚労省の論戦となった。政府与党側は参考人質疑と二回の審議だけで早期に審議を打ち切ろうとしている。野党側では、解雇ルールや有期労働契約の上限延長に関し、修正案を提出する。
 労働法制改悪案をめぐる国会での攻防は最大の山場を迎えている。

 五月二八日には、「戦争も雇用破壊も許さない!こんな解雇ルールはいらない! 労基法大改悪NO! 労働者の声を国会へ 中央行動」が展開された。当日は、衆院厚労委審議傍聴、国会前行動、厚生労働省前行動を闘い、日比谷野外音楽堂で、中央集会に合流した。
 集会では、はじめに中岡基明全国一般全国協議会委員長が主催者あいさつ。解雇ルールをはじめとする労働法制の大改悪は労働者の生活を直撃する、有事法案と労基法・派遣法改悪法案を廃案にするために多くの労働組合の共同した闘いを強めていこう。
 国会からは、金田誠一衆議院議員(民主党)、小沢和秋衆議院議員(共産党)、大脇雅子参議院議員(社民党)が連帯あいさつ。三議員は、党を代表して、国会の内外の力を合わせて労働法制改悪を阻止していこうと述べた。
 日本労働弁護団の鴨田哲郎幹事長は、労働基準法は改悪ではなく、労働者に使い勝手のよいように改革して行かなければならないと発言した。
 労働政策審議会の労働者委員である田島恵一(連合)全国一般労組書記長が、労政審での論戦内容を紹介し、また審議会のあるたびに厚労省前で抗議集会が行われることは労働者委員として心強いと語り、ともに闘って行くと述べた。
 全労連の寺間誠治総合労働局長と全労協の藤崎良三議長は、それぞれ改悪法案の廃案にむけてナショナルセンターをこえた労働組合の闘いを進めていくと発言した。
 つづいて、「労基法大改悪NO!一分間リレーアピール」となり、郵政ユニオン、鉄建公団訴訟原告団、神奈川シティーユニオン、全統一労組、自立労連タカラブネ労組、全労働省労組、移住労働省と連帯するネットワーク、全統一労組外国人労働者分会、昭和シェル労組、関西航業争議団、首切り自由は許さない!実行委員会、航空労組連絡会が、闘いの現状報告と決意表明をおこなった。
 当面の行動の提起は風呂橋修さん(全造船関東地協いすゞ分会)。国会前行動、国会議員や各党への要請行動など改悪阻止にむけての運動の集中的な展開を訴えた。
集会アピール採択、団結頑張ろうを終えて、国会請願デモに移った。
 衆参両院議面前で出迎える社民党、共産党の国会議員とともに、シュプレヒコールで労働法制改悪阻止運動の前進を確認した。

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5・28アピール

 いま、労働基準法・労働者派遣法の大改悪がなされようとしている。
 労働者の権利を定めた労基法に「使用者は労働者を解雇できる」と使用者の権利を定める、労働契約期間を原則三年に、高度専門職は五年へ延長する、企画業務型裁量労働制の手続要件を緩和し対象を拡大する、派遣対象業務を杜会福祉施設の医療業務や製造業に拡大する、派遣期間を延長することなど、労基法・派遣法を変質させるとんでもない改悪案である。
 ねらいは、正社員を解雇しやすくする一方、無権利でかつ期限切れで容易にクビにできる有期労働者や派遣労働者をさらに拡大し、雇用の流動化と分断化を促進する、ホワイトカラーの時間外労働を合法的サービス残業とすることだ。
 労働者派遣法改悪案は、与党三党の賛成で衆議院を通過、参議院での審議が始まっている。労基法改悪法案審議は、衆議院で最大の山場を迎えている。
 他方、実際に戦争のできる体制づくりをめざす有事関連三法案は、衆議院を通過し、参議院での審議が始まっている。
 まさに、二一世紀のこの国のカタチと私たちの働き方を規定する法律が、真摯な議論もなく、スイスイと国会を通過しようとしている。このようなことを許して良いのだろうか。政府・国会は私たちの声を聞けと言いたい。
 本日の行動と集会の成功をもとに、「戦争も雇用破壊も許さない!こんな解雇ルールはいらない!労基法大改悪NO!」を掲げ、非正規労働者、未組織労働者、外国人労働者やNGOの仲間、すべての働く仲間と共に、有事法制廃案と労基法・派遣法大改悪を阻止するために全力で頑張ろう!


国鉄共闘会議の取組み

 五月二五〜二六日、湯河原で国鉄闘争共闘会議の合宿交流会が開かれ、政府・JR・裁判所を包囲する大衆運動の強化、闘争の基盤となる財政の建設などについて、次のような具体的取り組みが提起された。
 @、「鉄建公団訴訟原告団・家族を守る会」での財政作りに向け、個人会員の加入促進を柱とした取り組みを全国展開する。
 A、最高裁署名の取り組みを再強化する。
 B、裁判所(地裁・高裁・最高裁)への「ハガキ」要請行動を取り組む。
 C、夏期カンパを取り組む。
 D、JR東日本株主総会は、昨年同様の取り組みをする。
 E、最高裁デモを七月一四日に取り組む。
 F、シンポジウムや宣伝行動を計画する。
 G、全国各地での集会・学習会の開催。
 H、裁判の傍聴体制を強化する。
 I、鉄建公団訴訟原告団パンフ「働くものの人生 私たちがきり拓く」の販売。


二〇〇三年五・三憲法集会発言 要旨(下)

平和な世界に生きてと死者が託した夢

    
翻訳家・『世界がもし一〇〇人の村だったら』再話者 池田 香代子

 私は、一種のチェーン・メールとしてまわっていた話を『世界がもし一〇〇人の村だったら』という絵本にしました。それを読んだご年配の方が、「ウチでは『一〇〇人の村』を、『日本国憲法』の隣に置いている」というメールをくださいました。また、あるきっかけでジョン・レノンの「イマジン」という曲の歌詞を翻訳しました。それを読んだ若い方が、「このノリで日本国憲法を読んでみたい」とおっしゃいました。こんな歌詞です。
 さあ、想像して、国家はないと
 難しくはないはず、殺しあう理由がなく、
 宗教の対立もない、ということなのだから
 さあ、想像して、すべての人が平和のうちに生きてあるさまを
 そんなのは夢だと、あなたは言うかもしれない
 でもこれは、私ひとりの夢ではない
 いつかあたなも私たちと、夢をともにしてほしい
 そうすれば、世界は変わる、ひとつになる

 憲法が生まれた時に立ち会った方と、その憲法のなかで生まれ育った方が、『一〇〇人の村』から憲法を連想した。これはただごとではないと思いました。そこで、英文憲法から憲法を訳してみました。それが、『やさしいことばで日本国憲法』です。考えてみれば、日本国憲法をつくったのは、日本人とアメリカ人で、その時の共通語は英語でした。少し前までは六法全書に英文憲法も載っていて、こちらも正式な憲法なのだそうです。私たちが知っている憲法=正文憲法と英文憲法は、双子の姉妹のようなものなのだそうです。憲法のことを、何も知らない人間が憲法を英語で読んだらどうなるだろう、というコンセプトで訳してみました。
 前文だけ読みます。

 日本のわたしたちは、正しい方法で選ばれた国会議員をつうじ、わたしたちと子孫のために、かたく心に決めました。すべての国ぐにと平和に力をあわせ、その成果を手に入れよう、自由の恵みをこの国にくまなくいきわたらせよう、政府がひきおこす恐ろしい戦争に二度とさらされないようにしよう、と。わたしたちは、主権は人びとのものだと高らかに宣言し、この憲法を定めます。
 国政とは、その国の人びとの信頼を、なによりも重くうけとめてなされるものです。その権威のみなもとは、人びとです。その権威をふるうのは、人びとの代表です。そこから利益をうけるのは、人びとです。これは、人類に共通するおおもとの考え方で、この憲法は、この考え方をふまえています。私たちは、この考え方とはあいいれないいっさいの憲法や、法令や、詔勅をうけいれません。そういうものにしたがう義務はありません。
 日本のわたしたちは、平和がいつまでもつづくことを強く望みます。人と人との関係にはたらくべき気高い理想を深く心にきざみます。わたしたちは、世界の、平和を愛する人びとは、公正で誠実だと信頼することにします。そして、そうすることにより、わたしたちの安全と命を守ろうと決意しました。わたしたちは、平和をまもろうとする国際社会で、この世界から、圧政や隷属、抑圧や不寛容を永久になくそうとつとめる国際社会で、尊敬されるわたしたちになりたいと思います。
 わたしたちは、確認します。世界のすべての人びとには、恐怖や貧しさからまぬがれて、平和に生きる権利があることを。わたしたちは信じます。自分の国さえよければいいのではなく、どんな国も、政治のモラルをまもるべきだ、と。そして、このモラルにしたがうことは、独立した国であろうとし、独立した国として、ほかの国ぐにとつきあおうとするすべての国のつとめだと。日本のわたしたちは、誓います。わたしたちの国の名誉にかけて、この気高い理想と目的を実現するために、あらゆる力をかたむけることを。

 これが、憲法の素人の私が訳した憲法前文です。
 いろいろな発見がありました。まず、のっけからびっくりしました。私の知っている日本国憲法は、「日本国民は…」と始まります。ところが、英語の憲法は、「We, the Japanese people…」と、一人称複数で始まっているのです。「わたしたち」が語っているのです。そこで、ここは「日本のわたしたちは…」と訳しました。
「people」は、法律では「国民」と訳すべきなのだそうです。でも、「people」という語に「国民」という意味がつけ加わったのは、たかだかこの二百年ぐらいのことです。それ以前も、そして今も、「people」は、まずは「人びと」です。それで私はとぼけて、知らんぷりをして、「people」を「人びと」と訳しました。なぜかといいますと、ジョン・レノンの願いとは裏腹に、国はなくならないと思いますが、国と国を隔てる垣根は、どんどん低くなっていくと思います。そうやって垣根がどんどん低くなっていくときに、「people」を「国民」と訳しておくと、垣根の向こうは何々国民で、こっちは何々国民ということになりますが、「人びと」と訳しておけば、あっちにいるのもこっちにいるのも、「国民」であることはそのままなのだけれど、それよりも何よりも「人びと」なんだ、ということが示せるかと思って、「people」を「人びと」と訳したのです。

「丸腰」の夢

 私は、憲法記念日には、トンチンカンなことに、芥川龍之介の『羅生門』を思い出します。あの小説では、下人が門の上に昇っていきますが、朱塗りの階段がある、と書いてあります。ところが、歴史上存在した羅城門には、階段はなかった。とても不思議な建築物です。当時の建築技術を無視するほどに巨大で、楼上には大きな空間がしつらえてありますが、人間はそこには入れない。朱雀門も同じような構造でした。
 平安京は唐の長安の都を模してつくられたものですけれども、長安には都を守るための城壁が築かれました。ところが、平安京には都の外と内を区切る城壁がありません。城壁の代わりに門をつくったのです。
 その楼上の、人間を閉め出した大きな空間には鬼がすむ、という伝説がありました。鬼は「オン」、自然界のさまざまな力です。それが都を守る。この自然界の力とは、精神性です。精神性が都を守るのだ、だから塀はいらない、防御するものはいらない、ということです。驚くべき思想だと思います。ここには、いわゆる丸腰の思想が実現しています。丸腰の平和憲法など外国の押しつけで、いまや非現実だという人がいますけれども、この丸腰の思想は、実は私たちにもともとたいへん親しいものだつたのではないか、と私は思っています。
 この憲法は私たち日本人だけでつくったものではないからイヤだ、という気持ち、私もわからないではありません。それらアメリカの人びと、そして執筆に加わった日本の人びとは、終わったばかりの戦争で、身近に死者をたくさん見送った方々です。一人ひとりが人間として、かつての敵も味方もなく、死者の思いはどうであったろうか、死者たちはどんな世界に生きたかったろうかと、死者の思いに寄り添い、衝き動かされながらつくったのがこの憲法なのではないか。
 私は、物語、昔話をやっています。物語とは、死者の思いを、こうもあったろうかと、物の怪がついたように語る、というのが語源だそうです。たとえば『平家物語』で、木曽義仲が今井四郎とたった二人になってしまったとき、義仲が今井にいう言葉、「日ごろは何とも思えぬ鎧が今日は重うなったるぞ」。このすぐ後に二人とも死んでしまい、この言葉は今井しか聞いていないのです。なのにどうして、私たちは義仲がそういったということを知っている、あるいは知っているつもりになっているのでしょうか。それは誰も聞かなかった、けれども私たちの心の耳にはしっかりと届いているのです。その後の、「つまらない者の手にかかる前にご自害を」とかきくどく今井の長いセリフも、私たちの心が耳をすましたときに、たしかに届いてきた死者の言葉です。
 憲法前文は文学的だといわれます。文学的だというのは悪口らしいのですね。文学をやっている私としては、文学的でなぜ悪い、と思います。これは、次の世代にはこのような世の中に生きてほしい、このような世界にしてほしい、という夢を、死者たちが私たちに託したのだ、そういう死者の声に一心に耳をすました人びとが書いて、私たちに贈ってくれたものだ、と思います。その意味で、憲法前文は、文学のおおもとである物語の精神につらぬかれています。
夢を見た人の国籍を問うことのほうが大切でしょうか。それよりも、私たちは死者の夢を託された夢の子どもなのだということのほうが、うんと大切だと、私は思います。


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 有事を起こさせない努力をいまこそ

                   社民党党首 土井 たか子
 
 小泉内閣が発足して丸二年、私は小泉内閣ほど、憲法をないがしろにして顧みない内閣をいままで見たことがありません。
 小泉首相は、アメリカのイラクにたいする武力攻撃にたいして、日米同盟の重要性からこれを支持すると言いました。国連の決議なし、そして単独でも武力攻撃をやると初めからブッシュ大統領は発言しています。
 国際社会から見れば、先制攻撃は国連憲章に違反している、国法規にも違反している。国際ルールを顧みない、という点からすれば侵略行為と言わざるを得ないと思います。この戦争に対して、日米同盟の重要性からこれを支持すると言うわけです。
日米同盟と言えば軍事同盟ということを意味することから、いままでは保守勢力の中でも、この言葉を使うことにはためらいがあったと思います。しかし今、この日米同盟という言葉は、当たり前のように使われています。ずいぶん状況は変化してきている。
 平和憲法、国連中心主義、これが一つあって、そしてもう一方に日米安保体制という問題があって、その間の非常に微妙なバランスの中に戦後の保守政権があった。
 しかし今、平和憲法も国連中心主義もかなぐり捨てて、ひたすらアメリカに追随していくという立場をとっています。日本の有り様を根本から覆そうというのが、小泉内閣の姿、形ではないでしょうか。
 小泉内閣のこの二年間、平和憲法に真っ向から挑戦するかっこうです。憲法解釈をねじまげて形骸化させて、そして憲法は条文を変えなくとも、実際の中身で形骸化していくという二年間であった。言ってみれば、法の名において憲法違反を横行させて、そして、法によって法治主義を否定していく。法ということで立法しているのだからいいでしょう、と言わんばかりに開き直っています。
 連休が明けますと、いよいよ有事法制の取扱いが大きな問題になってきます。この前の国会は有事法制に反対という皆さん方の声が非常に高くて、政府もその皆さんの声に対して意識せざるを得なかったという面がある。
 どんなにこの有事関連三法案を政府が修正しようが取り繕おうが、国民の主権を侵害してわが国を戦争のできる国につくりかえる本質には何の変化もありません。
 有事法制は修正ではなく、廃案以外にないと思っております。
ブッシュ政権の単独行動主義と先制攻撃論と憲法をないがしろにする小泉内閣が連携する超タカ派ラインのいきつく先を考えるとそら恐ろしいことになるわけです。
 受身であってはいけないと思うのですね。有事をおこさせないための努力をすることこそ先ず先決ではないでしょうか。どこまでいっても外交方策、また話し合い、お互いの対話が非常に大切だと思います。やはり北東アジアで日ごろから多国間の協調的安全保障をしっかりつくらなければならない。
 有事法制をつくるというのは、これは脅威をつくることと同じだと思います。
 近隣の国から見て、脅威である国とどうしてにこやかな顔をして握手ができますか。むしろ、いかにしてお互いが率直にものが言い合う、協力しあって戦争を無くすことのためにまずはあらん限りの力を出す、その先頭に立つ、そういうことを指示しているのが日本国憲法ではないですか。
 この北東アジア地域で非核地帯を設置しようではありませんか。


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共同の闘いをさらに大きく広げて

              日本共産党委員長 志位 和夫
 
 昨日、米国のブッシュ米大統領は、米空母のうえで「イラクを解放した」と誇らしげに宣言しました。たしかに米軍は軍事力では、イラク制圧に成功したかもしれません。
 しかし、私は、これはまともな「勝利」とはよべないし、ましてや「解放」ともよべないと思います。ほんとうの勝利とは、正義と道理にたったものだけが口にできる言葉であり、ほんとうの解放とは、その国の国民自身が国の主人公になったときに、はじめていえる言葉ではないでしょうか。
イラク戦争にかかわって、私は、二つ強調したい。
一つは、この無法な戦争を追認してはならないということであります。戦争の帰趨にかかわりなく、この戦争が、国連憲章をじゅうりんした無法な侵略戦争であったこと、数千人といわれる罪なき市民の命を奪った非人道的な戦争であったこと――失われた命や、粉々にちぎれた子どもたちの手足は、二度と戻ってはきません。
そして、この無法な戦争に、米国いいなりの思考停止でまっさきに支持をあたえた小泉政権と、自民党、公明党などの責任も、きびしく問われなければなりません。
もう一つは、新しい植民地主義を許さないということであります。米国は無法な戦争のうえに、無法な軍事占領をおこない、それをテコに米国いいなりの政権を樹立することをめざしています。
 しかし、このくわだては、すでに激しい矛盾に出合っています。「サダム・ノー、アメリカ・ノー」を叫ぶイラク国民の運動が広がっています。私は、新しい植民地主義には、けっして未来はないと考えるものであります。
 イラクの復興支援の主体となりうるのは、唯一国連のみであります。国際社会はこのことを確認し、その枠組みのなかで、すみやかに米英の侵略軍を撤退させるべきであります。
 それでは、世界の平和のルールをとりもどしていく希望はあるでしょうか。私は、危険は直視すべきだが、おおいに希望はあると思っています。半年間にわたって国連安保理事会を舞台にした激しい外交的なたたかいがおこなわれました。そのなかで米国は、二度にわたって外交では敗北をしました。
 第一の敗北は、昨年十月に米英が提出したの武力行使容認の決議案が拒否され、十一月はじめに安保理決議一四四一という査察による平和解決をすすめる決議が採択されたことでありました。
第二の敗北は、今年二月に米英が提出した、査察を中断して戦争にきりかえる決議案が拒否されたことでした。米国は血眼になって、多数派工作をおこないましたが、国連安保理はこの決議案をついに受け入れなかったのです。
目を日本にうつしてみますと、イラク戦争を支持した勢力によって、有事三法案の強行がはかられようとしています。
この法案の本質は、この一年あまりの国会論戦で、すでに明らかです。それは「日本が攻められたさいの備え」の法案ではありません。米軍の先制攻撃の戦争に、日本が武力行使で参戦し、国民を罰則つきで強制動員する。「攻めるときの備え」をつくる、米軍の先制攻撃の戦争に、武力行使をもって参戦し、国民を強制動員する。これが有事法制の本質です。
 有事法制を許さないたたかいは、憲法九条を守りぬくたたかいであるとともに、世界の平和のルールを守りぬくたたかいでもあります。
 昨年のこの日を思いこしますと、「憲法のつどい」が一つの出発点となり、四万人、六万人という規模で有事法案反対の大集会がもたれ、二度にわたって国会での強行を食い止めてきた。
 ぜひこの力をさらに大きく広げ、有事法案を廃案に追い込むために共同のたたかいを、いま急速に広げようではありませんか。


ビデオドキュメント

   立ち上がる市民 −イラク反戦運動ドキュメント2003春−


               ビデオプレス制作 撮影・編集 ビデオプレス

                            
音楽=生田卍とSO−SO  20分 3000円

 この春のイラク反戦運動の高揚に関する記録はいくつものビデオに撮られている。それらはさまざまな学習会などで紹介され、効力を発揮している。筆者も多少まとまったビデオ・ドキュメントだけでもすでに三本を観た。行動自体が大きく高揚し、感動的なだけに、いずれのビデオも失敗はない。しかし、撮影・編集者がどういう観点からこのイラク反戦運動を捉えようとしているかが、作品にはあらわれるのがおもしろい。
 ビデオプレスの作品のキャンペーン用チラシはいささか一般的だが次のように述べている。

 駆け抜けた反戦運動の波〜それは何だったのか ブッシュの理不尽なイラク攻撃に対して、日本でもついに反戦運動が大きく広がった。四万人が集まった三月八日のWORLD PEACE NOWはその象徴的出来事だった。そしてアメリカ大使館前の抗議行動、三・二一日集会と続いた。このビデオは二〇〇三年春の反戦運動の息吹と「立ち上がった市民」の思いを伝えている。

 だが本当を言えば、このビデオはビデオプレスというレーバーネットなどに関わっている編集者の作品だという点に特徴がある。撮影・編集者の問題意識はこの間の市民運動がどうしてあのように巨大な高揚を示したかの解明に焦点をあてながらも、一方でたえずこの市民運動と労働組合運動の出会いと変化に関心が払われている。そこがこのビデオを数あるイラク反戦の記録の中でユニークさをもったものとした。労働組合運動に関わっている読者はぜひこれを観てほしい。運動にとってのさまざまなヒントが隠されていると思う。
 作者は作品のなかで、組合の部隊の中に寄せ書きで作られたのぼりを発見する。参加できなかった組合の仲間たちの思いを表現した手作りののぼりは、組合のできあいののぼりとちがってひときわ目立ったのだ。三月二十一日
の五万人の集会では組合員に「このような市民の多様な行動はいいね」という意味のことを語らせているし、三月二十日のアメリカ大使館の前の抗議行動に来ていた女性組合員たちが、四月のWPNのパレードに来ていたのを見つけて、それが動員ではなく、彼女等の意思による参加であることを確認する。
 この撮影者ならではのシーンだと思う。 (T)

ビデオプレス  電話 03(3530)8588 FAX 03(3530)8578 http://www.vpress.jp/


図書紹介

      
イラクから北朝鮮へ ― 「妄想」の戦争

         姜尚中 + 酒井啓子  編集 = 日弁連  太田出版 本体七〇〇円 A5版 一六〇頁

 本書は三月二〇日、日本弁護士連絡会と東京弁護士会、第一東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会が行なった「緊急対談 アメリカの『正義』と日本の『有事』−イラク・北朝鮮を考える」と題するシンポジウムの記録、および姜尚中氏への内田雅敏弁護士(日弁連有事法制問題対策本部事務局長代行)によるインタビューが収録されている。
 副題の意味は本書で姜が、アメリカの戦争は「帝国の戦争の世紀を予感させる」、それは「戦慄すべき逆ユートピア時代だ」、それは「素晴らしい世界」を実現しない>それは「妄想の戦争だ」と主張しているのによる。
 酒井はイラク攻撃の前から冷静にイラク・中東情勢を分析してきた論者であり、われわれは彼女の議論から多くのことを学んできた。
 酒井は米国の主張する民主主義は米国しか認めないごく限定された民主主義にすぎないとして、中東でもっとも民主的に行なわれたイランの選挙とハタミ政権の誕生、九一年のアルジェリアでの地方選挙を例示し、これらの選挙の結果、イスラムが多数を占めたので米国はそれを民主主義と認めていないというダブルスタンダードを指摘する。つまり米欧にとっては「イスラム勢力が伸長するような民主化をすすめるくらいであれば、一党独裁の世俗的政権を支持する」というスタンスだという。さらにいえば、米国の民主化の行き着く先にあるのは「イスラエルとの共存」だと指摘する。
 そして酒井は有事法制との関連で戦争問題をこう指摘する。
 「いきなり突入する戦時などというものはありえないわけでして、長く長く外交交渉が続けられたうえで、その最終的な行き着く先に戦時がおとずれる可能性が出てくるということでしかないはずです。ところがいまのアメリカは『即、先制攻撃』というようなやり方です」と。まさにそのとおりで、クラウゼビッツの言ったように「戦争は別の手段による政治の継続」なのだ。
 最近、姜は各所でネオコン批判と対でトロツキストに対する一種の嫌悪感をしめすし、本書も例外でないが、それがどういうねらいなのか、筆者にはまだわからない。
 本書で姜は韓国のノムヒョン政権がイラク攻撃を支持し、人員の派遣にも応じたことについてこう述べる。「苦渋の選択」などといって小泉政権と一緒にするのは誤りだ。そういう認識が出てくるのは「日本と韓国の歴史認識の差が埋まらず、半島と列島の戦後史が共有されてこなかったことのあらわれだ」と。そしていま朝鮮半島は「撃ちかた止め、の状態なんです。だから北朝鮮としては、撃ちかた止めの状態から完全な戦争終結状態にして、平和条約でお互いに敵国とみなさないだけでなく、平和的に友好関係を結びたいわけです。それをやらないと経済制裁が解除できない。北朝鮮が望んでいるのは、たんなる物的な援助だけではなくて、制裁解除なんです。…いまの経済制裁があるかぎり、世銀からもIMFからも、その他さまざまな国際機関からも融資や援助が受けられない。防衛もかなり限定されている。だから北朝鮮はダーティ・ビジネスに手を染めているわけです。国家的な規模でダーティ・ビジネスをやらざるをえないところに追い込まれています」と述べる。だから北が求めているのは戦争状態の完全な終結であり、金正日が自分の命が欲しいから体制保証を求めているなどというのは歴史的経緯がわかっていない人の言だという。
 また姜は国会での有事法制論議について「(国民の権利を守るか守らないか)それはもちろん大切なことでしょう。ただ、問題は、国民の権利が守られている状況ならば戦闘状態にはいっていいのかどうか、ということです、何が有事なのか、有事はなぜ発生するのか、つきつめていない」と鋭く指摘している。
 本書はこれらの問題についてコンパクトにまとめられており、自らの論理を豊かにし、確かめるうえで有効だと思う。 (S)


              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

緊急増刊号『世界』

     
 NO WOR 立ち上がった世界市民の記録

                             岩波書店一二〇〇円

 …あまりにもあからさまな帝国主義的な戦争に対して、「ベトナム戦争以来」といわれる反戦・非戦の市民運動が世界中に広がりました。これまで反戦運動などに関わってこなかった普通の人々が街頭に出てきたことが、大きな特徴です(本誌巻頭)。

 反戦運動の嵐が世界と日本を駆け抜けた四ヵ月。その巨大な渦の中にいると、人々は全体を観ることができない。会場の中にいた人、外にいた人、壇上にいた人、何万という参加者の渦の中にいた人、組合の部隊の中にいた人、若者の中にいた人、一度だけ参加した人、たくさん参加した人、通りすがりにデモの一部分を見た人、テレビで知った人、東京で参加した人、他の地域で参加した人、日本にいた人、外国にいっていた人、主催側で頑張った人、傍観していた人、批判的だった人……、みんなそれぞれのところから、この間の反戦運動の嵐を見ていて、評価する。
往々にして、自分の見ているものはその一部に過ぎないとは思わないで議論する場合もある。
 大衆的な運動の高揚と下降は波状だ。今回の反戦運動はインターネット時代を反映して、一気に盛り上がり、そして急速に下降した。いま、ふりかえってこの間のイラク反戦運動の闘いを総括しておかなければならない。それが短期間の巨大な闘いであっただけに、総括的な議論をする時間があまりにも少ない。人々が十分に全体像を把握しない内に収束しているので、その意義が忘れられ、あるいは一部では不当に低められている。
 例えば作家の辺見庸は憲法フェスティバルでの講演でまたも「なぜいつもイマジンを流さなくてはならないのか」などと、この間の反戦運動を毒づいた。辺見が見たわずかなデモの場面にそのようなことがあったであろうことはあえて否定しないが、辺見はどれだけのイラク反戦デモを見たというのか。事実は辺見の説とはまったく違うのだ。これがデマゴーグでなくてなんだというのか。
 いま必要なことは、こういう歪んだ総括ではない。今後のさらなる反戦平和の闘いに有意義な、事実に基づいた真剣な総括こそ必要だ。今回の『世界』の増刊号はそうした作業の資料のひとつとなりうる。
 ぜひ書棚に一冊そろえておきたい。


複眼単眼

     旧石器時代と列島社会、多文化共生列島

 古代史の研究が激動している。
 この列島に旧石器時代が存在したかどうかの議論は、一九四九年に群馬県の岩宿で相沢忠洋氏が旧石器を発見したことなどで後期旧石器時代の存在が確認された。およそ三万年前のことで、実はこの時期は列島ではなく、アジア大陸東部の大きな湖を抱える陸橋だったと考えられている。
 その後、七〇年代に入って、この相沢氏に憧れた藤村新一氏(東北旧石器文化
研究所前理事長)が次々に歴史的な「発見」を行った。藤村氏によって、この列島社会での前期・中期の旧石器時代の存在を証明する遺跡が発掘され、旧石器時
代の存在は約七〇万年前までさかのぼった。しかし、二〇〇〇年十一月、毎日新聞が藤村氏の捏造現場の写真をスクープすると、学会は大騒ぎになった。そしてこの五月二四日、日本考古学会は最終報告をだし、藤村氏が関わった一六二に及ぶ全ての遺跡を捏造と断定した。これによって、この列島社会での人間の存在の確認は相沢氏による後期旧石器時代にまで立ち戻った形になった。藤村氏が遺跡を発掘すると、当該の町や村では観光資源にと「原人くん」のキャラクター・マークをつくったり、「原人モナカ」を売り出したり、大騒ぎだったが、すべて裏切
られた。藤村氏も罪作りなことではある。しかし、当時は古代史学会の多くの人びとも、マスコミも「ゴット・ハンド」などと、この藤村発掘を持ちあげ、喧伝してきたのも事実だ。それが北京原人よりも古い日本歴史などとナショナリズム、「日本民族の優越性」の証明とからめて語られることさえあった。藤村氏の偽装を学会やマスコミが見抜けなかった背景に、このナショナリズムによる「いけいけ、どんどん」がなかったか。検証が必要だ。告白するが、そういう筆者も、当時はマスコミの報道を見て「すごいなー」と感嘆していたのだ。
 本稿で「日本列島」と書かないのは、歴史家・網野善彦さんの指摘(岩波新書「日本社会の歴史」ほか)などに啓発されてのことだ。たしかに当時は日本も日本人も存在していない。現在の近畿から九州の地域が日本と号されたのは七世紀末以降だ。古代史にはこうした混乱もある。
 最近、国立歴史民俗博物館による土器の年代測定で、この列島で水田耕作が始まったとされる弥生時代が紀元前一〇〇〇年前からであり、現在の定説よりも五百年遡るという説がでてきた。「古いほどいい」という風潮は気なるが、朝鮮半島ではこの頃から稲作文化があったことは以前から証明されていたから不思議ではない。ただ、考え方の問題でいえば、列島社会に稲作文化がもたらされたというと、それがあたかも一気に列島全体に広まり、それまでの縄文文化は交代したかのように理解することが問題なのだ。縄文文化と弥生文化がかなりの期間にわたって併存していたと考えられる。
 昔、観た映画で記憶が不鮮明だが、ショーケン主演の「瀬降り物語」というおもしろい映画があった。四国地方の山の民の話で、狩猟採取をなりわいとし、中
央権力にまつろわぬ民の話だ。それが徴兵制との関係で戸籍登録を強要され、抵抗する。弥生時代や、北海道のアイヌ民族のことだけでなく、日本列島はやはり多文化列島だったのではないだろうか。 (T)