人民新報 ・ 第1099号<統合192> (2003年6月25日)
  
                                目次

● イラク派兵法にノーの声を  「復興支援特別措置法」案を廃案へ!

● 朝鮮半島に平和を!6・13反戦アクション 日韓民衆が連帯して反戦の行動

● 東京で6・15反戦行動 私たちの戦争反対!一万枚のハガキから

● 国会の監視カメラに抗議する 国会監視カメラ(防犯・警備モニター)設置に関する抗議と撤去の申し入れ

● 草の根から脱WTOの運動を  「私たちの暮らしとWTO」  大野和興さん

● 書評 辛淑玉・著 『 鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)「楽園」に帰還した私の家族』

● せんりゅう (ゝ史)

● 複眼単眼  /  考えられる「有事」に、われら何をなすべきか



イラク派兵法にノーの声を

  
「復興支援特別措置法」案を廃案へ

 政府・与党は七月末まで延長された通常国会で、自衛隊のイラク派兵をすすめるための「イラク復興支援特別措置法」を採択しようとしている。
 この法案は「イラク復興支援」に名を借りてはいるものの、イラク派兵法そのものであり、支離滅裂な、ある意味で極めて分かりやすい悪法である。
 この法案の契機はアーミテージら米国政府要人から「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」という言葉で、一〇〇〇足の靴(部隊)を要求され、「グラウンドでプレーする」ことを要求された結果、急がれているものである。もしこの法律が成立すれば、自衛隊にとってはPKO活動として過去最大規模だった東ティモールへの陸上自衛隊部隊六八〇人派兵の規模を上回る過去最大の自衛隊の海外派兵となる。
 この法案は「憲法九条は占領行政への協力を不可能としているし、専守防衛のための自衛隊は占領軍を支援できない」という従来の政府解釈を突破しての自衛隊の派遣である。小泉政権の解釈改憲ぶりは独断・無法そのものであるが、イラク派兵法は先の有事三方に続く憲法違反の悪法である。
 この法案によって陸上自衛隊は、イラクの戦場で米英軍への燃料などの補給基地(米英軍へのガソリンスタンドなど)の建設と物資輸送業務を行い、航空自衛隊はC130など輸送機を派遣し、クウェートなど周辺諸国との間を水や食料をピストン輸送する。海上自衛隊は陸上自衛隊の車両・人員・燃料・水や食料などを輸送することとなる。
 法案は派兵要件も従来のPKO法よりさらに緩和して、イラクへの経済制裁解除など人道支援とイラク復興を呼び掛けたにすぎない国連安保理決議一四八三号を根拠にして、イラクの人々の声は全く無視し、米英占領軍の同意だけで派兵可能としたのである。
 加えてこの法案は米国がイラク攻撃の根拠と強弁した国連決議六七八なども根拠として指摘していることから、当然、今回の米国のイラク攻撃・侵略戦争を正当なものと認める立場に立つものであり、この春の国内外の圧倒的多数の世論とは立場をまったく異にするものである。
 また法案は「現に戦闘行為が行なわれておらず、かつ活動期間を通じて戦闘行為が行なわれないと認められる地域」への派遣だとして、非公式の説明ではバグダット以南への派遣だとしている。
 しかし、イラク米地上軍司令官のマキャナンは「イラク全土が戦闘地域だ」と言明している。現にイラクの各地で連日、米軍は戦闘に巻き込まれており、米兵の死者がでている。ここに自衛隊の陸上部隊を派遣するということは、それはイラク国民から見れば米英占領軍に追加・補充された軍隊である。
 イラクでは米英軍の占領に反対し、民族自決を求める民衆の運動が日々高まりつつあり、自衛隊はこの動きに敵対することになる。
 そして自衛隊の派兵は必然的に米軍のイラクでの戦闘に自衛隊が参加することになるということである。
 また今回の派兵法では従来、憲法が禁じていると解釈してきた集団的自衛権の行使にあたるといわれ、米軍などの武力行使と一体化するということで厳重に禁じてきた米軍などへの「武器・弾薬の輸送」について、いちいち荷物の中身を調べることは不可能だなどという口実で、武器・弾薬を「提供はしないが輸送は可能」とするなどとする規定を挿入した。
 そして法案は同法を四年の時限立法とするなど、テロ特措法の倍の期間に設定するとしている。そして、この延長国会にはテロ特措法の二年延長も提起された。
 これら憲法に大きく違反する戦争法案を、四〇日余りの延長国会において通過させようとする政府与党の策動は、絶対に許すことはできない。
 いま政府与党は今国会において「有事三法案」を両院でそれぞれ九〇%近い賛成で成立させたという雰囲気を背景に、イケイケドンドンの空気のなかにある。従来の平和憲法のシバリから、自衛隊を一気に解き放ってしまおうとするきわめて危険な空気がある。 
 イラクでは米英軍の攻撃の最大の根拠とされた「サダム・フセインの大量破壊兵器」はいまだに見つかっていない。
 それどころか、当時、さまざまに説明された「証拠」や「文書」が偽造であるとの指摘が米英両国政府をゆさぶっており、攻撃の正当性がますますボロボロになっている。
 そのような中で、小泉政権だけが国会における与野党翼賛体制を背景にして居直り、イラク攻撃支援を正当化していることを許すわけにはいかない。
 有事三法案では与党との妥協を推進し、世論の厳しい批判を受けた民主党執行部も、選挙をにらみながら、イラク派兵新法支持にまわれないでいる。
 国会会期は残るところ一ヶ月あまりにすぎない。私たちがこの派兵法を廃案に持ち込むチャンスは十分残されている。
 永田町の異常な翼賛体制を打ち破るのは、ただただ世論の力である。その世論は全国各地の民衆の運動によってのみつくられる。
 戦争に反対し、自衛隊の派兵に反対するものはただちに闘いにたちあがり、広範な共同行動を組織しなくてはならない。
 すでに「許すな!憲法改悪・市民連絡会」や「日本消費者連盟」などで組織される「戦争反対!有事法案を廃案へ・市民緊急行動」が提起して、「平和を実現するキリスト者ネット」「平和を作り出す宗教者ネット」の反戦三団体が呼びかけた院内集会が提起されている。
 六月二四日には民主党、共産党、社民党の各党イラク訪問調査団を招いて(予定)の「市民と国会議員の院内集会」が、二七日には憲法学者の山内敏弘教授と国際法学者の阿部浩己教授を招いての、「市民と国会議員の学習集会」が計画されている。
これらを出発点にして、戦術を国会結集のみにせばめることなく、全国各地で、あくまでより多くの人びとを決起させる方向で奮闘しよう。
この春、イラク反戦をともに闘った若者たちをはじめ、労働組合などを揺り動かし、「イラク派兵法」反対の広範な共同行動を組織し、世論を起し、悪法を阻止しよう。
 全力で立ち上がろう。


朝鮮半島に平和を!6・13反戦アクション 日韓民衆が連帯して反戦の行動

 在韓米軍装甲車による韓国の女子中学生ひき殺し事件から丸一年にあたる六月十三日、東京・赤坂区民センターで「朝鮮半島に平和を!6・13反戦アクション」が開かれ、二五〇名の市民の参加のもとで、韓国からのゲストの講演と米国大使館へのデモを行なった。
 集会では昨年六月十三日以来の韓国での民衆の闘争を記録したビデオが上映された。
 はじめに主催した実行委員会を代表して日韓民衆連帯全国ネットワークの渡辺健樹さんが挨拶した。
 渡辺さんは「いま韓国では民衆のローソク大行進が行なわれている。先般、沖縄ではまたも米軍兵士による女性の強かん事件が発生した。いずれも米軍の存在が根源だ。北朝鮮の危険が叫ばれ、有事法制が成立した中で、私たちは対話を通じて平和を実現したい。そのために朝鮮反戦の巨大な運動を作り出したい」と述べた。
 韓国ゲストのキム・ランソンさんは「6・13一周忌追慕大会 自主平和実現キャンドル大行進 国民準備委員会組織委員長」で「民主主義民族統一全国連合自主平和委員長」を務める女性だ。
 キムさんは「韓国では本日七〇箇所あまりでローソクデモをしている。十七万人の人びとが準備委員会の賛同人になっている。昨年六月に二人の少女がひき殺されたことを契機に、在韓米軍の五〇年への思いがこの運動になっている。私たちはSOFA(駐屯軍地位協定)の改定を要求し、あわせてブッシュの謝罪を要求している。インターネットによる市民たちの力と韓国の自主化を願う心が大きな運動を作った。私たちは平和を作り出すために昼夜を問わず努力してきた。私たちはいつも装甲車にひき殺された彼女たちの姿の写真をかかげて闘ってきた。これは国民共通の痛みとなった。いま戦争の危険が高まってきている。私たちは日本で有事法が通ったことに重大な関心をもっている。この法律は朝鮮半島を対象とした危険な法律だ。米国は北の危険を作り出しているが、朝鮮半島の平和は民族の共助によってこそ実現する。そして朝鮮半島の平和の実現は東アジアの平和のカギとなることでしょう」と報告した。
 連帯アピールでは陸海空港湾労組二〇団体から「全国港湾労組」の玉田さん、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの上原さん、「一万枚のハガキ運動」の福富さん、在日韓国青年同盟のムンさんが挨拶した。集会は米国大使館への抗議文を採択し、大使館へのデモを行なった。
 この日、韓国でソウル市庁舎前での四万五千人の参加を含めて、全国五〜六〇箇所で集会が開かれた。


東京で6・15反戦行動

        
私たちの戦争反対!一万枚のハガキから

 「私たちの戦争反対!一万枚のハガキから」と題した反戦集会が六月十五日午後、東京・一ツ橋の日本教育会館で開かれ、二五〇人の市民が参加した。
 この集会は主旨に賛同した人びとが、事前に合計一万枚のハガキを出して、参加を呼びかけたもの。
 集会ではゲストスピーチとして「ピース・ボート」のチョウ・ミスさん、韓国代表のキム・ランソンさん、フィリピンのコラソン・ファブロスさん、および沖縄から那覇市議の島田正博さんが発言した。
 チョウさんは「北朝鮮へのネガティブ・キャンペーンに反対し、民衆の交流と対話で平和を実現しよう」と述べ、キムさんは「反米・反戦・平和の流れは揺るがすことができない世界的な流れだ」と指摘した。
 アジア平和連合(APA)のコラソンさんは「九・十一事件は米比両国政府に再びフィリピンでの米軍施設を強化していく契機となった。アフガン、イラク攻撃につづいて、いま北朝鮮に対する武装解除の要求がでている。この世界でいま何が進行しているのかを『フツーの人びと』に伝えていく必要がある。一万枚のハガキが十万、百万になるように期待している」と述べた。
 また最近イラクを訪問してきた島田さんは「イラクでは戦争に反対し、戦争はイヤだという多くの市民がいた。イラクはいまだに戦争中であり、連日、銃撃戦があり、米軍人もイラク人も死んでいる。イラクの人びとは『フセインもアリババ(盗賊)だが、ブッシュはより大きなアリババだ』と言っている」と自衛隊を派兵しようとしているイラク「復興支援法」を厳しく批判した。
 その後、海老原大祐さん(米軍人・軍属による事件被害者の会)、新倉裕史さん(非核市民宣言運動ヨコスカ)、天笠啓祐さん(市民バイオテクノロジー情報室)、井上森さん(立川自衛隊監視テント村)、山崎久隆さん(劣化ウラン研究会)、渡辺健樹さん(日韓民衆連帯全国ネットワーク)、大野和興さん(農業ジャーナリスト)などが発言した。集会の後、文京区の礫川公園までのデモ行進を行なった。


国会の監視カメラに抗議する

 国会に、敷地内外を撮影する監視カメラが数十台設置されていることが明らかになった。六月一八日には、多くの市民団体は連名で、衆参両院議長に申し入れを行った。この問題は、今後、共同声明などの形で、より多くの団体にも参加も呼びかけて大きく社会問題化させて、撤去運動をもりあげていかなければならない。「国会監視カメラ(防犯・警備モニター)設置に関する抗議と撤去の申し入れ」を資料として掲載する。(編集部)

 国会監視カメラ(防犯・警備モニター)設置に関する抗議と撤去の申し入れ

衆議院議長 綿貫民輔殿
参議院議長 倉田寛之殿

 私たちは環境や平和、人権などの問題に取り組む市民団体・NGOです。
 私たちは、政策等について意見を述べたり、審議を傍聴するために、日常的に国会や議員事務所を訪れています。
 しかし最近、そのような私たちの行動が、国会内外に設置された多数のビデオカメラによって監視されていることがわかりました。現在、衆議院では一六台、参議院では 二〇台の監視カメラが運用されているとのことです。防犯や警備を目的に、衆議院では二〇〇一年六月に、参議院では二〇〇二年一二月に設置され、参議院では議員会館にも今年三月に新たに設置されたとのことです。
 私たちは、よりよい社会の実現のために、積極的に国政に参加することを目的に国会を訪れています。妨害や破壊、その他の犯罪を犯すために国会を訪れているわけではありません。そのような私たちの行為がカメラによって監視されていたことに驚きを覚えるとともに、非常に大きな不快感と怒りを覚えます。
 よって、以下のような理由から、国会監視カメラの即時運用停止と即時撤去、蓄積された録画映像の消去、管理記録等運用状況の情報公開を求めます。

 一、私たちが陳情や請願、傍聴などのために国会を訪れるのは、請願権として憲法に保障された市民としての当然の権利に基づくものです。しかし、そのような私たちの行動を、監視カメラによって撮影・録画し、記録として残すことは、私たちの権利を心理的、物理的に制限するもので、とうてい許されるものではありません。
 二、私たちは同時に、憲法一三条が保障する「肖像権」において、みだりに姿を撮影されない権利を有しています。国会監視カメラは、このような私たちの権利をも侵害するもので、請権の侵害に加えて、二重の意味で権利を侵害していると言えます。
 三、さらに現在、監視カメラが設置されていることを示す標示はなく、傍聴や陳情の際にそのような注意を受けたこともありません。また、広報やホームページ等でも同様の情報提供はなく、私たちはまったく監視カメラの存在を知らされることなく、一方的に撮影されていたことになります。そのような設置方法が、果たして社会通念上許されるのか、非常に疑問です。そのような方法では、「隠し撮り」と批判されても反論できないのではないでしょうか。
 四、「防犯・警備」を理由にしたとしても、監視カメラを設置する場合、具体的かつ客観的な根拠が示されなければならないことは、すでに判例等で規定されています。つまり、カメラの設置場所で犯罪等が起こる蓋然性や、設置によって犯罪の捜査に効果があることなどについて、合理的な説明がなされなければならないのです。しかし、私たち被写体たる市民にそのような根拠が示されたことはありません。国会監視カメラは、そのような手続きの面でも正当性を欠いています。
 五、また、撮影された映像は個人情報です。この個人情報がどのように管理され、どのような業務に使われているのか、私たちは容易には知ることができません。運用規則の有無さえわからない運用のあり方は、個人情報の取り扱いについて、安全性や透明性の確保を求めた「個人情報の保護に関する法律」の理念にも相反します。
 このように、請願権や肖像権の侵害につながる上、設置方法・根拠・運用の面でも不適切である国会監視カメラは、直ちに運用停止・即時撤去すべきです。

                                                  以上

【申し入れ団体】
 日本消費者連盟/盗聴法に反対する市民連絡会/許すな!憲法改悪・市民連絡会/フォーラム平和・人権・環境/一矢の会/反住基ネット連絡会/監視社会に反対するネットワーク/NGO非戦ネット/ユーゴネット/旧ユーゴの子どもを支援する会/ヤブカ募金/日本ネグロスキャンペーン委員会/ふぇみん婦人民主クラブ/戦争反対、有事法案を廃案に! 市民緊急行動/原子力資料情報室/たんぽぽ舎/「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)/平和の白いリボン行動・藤沢

二〇〇三年六月一八日

【連絡先】
 日本消費者連盟
 〒一六二|〇〇四二 東京都新宿区早稲田町七五 日研ビル二F
電話〇三(五一五五)四七六五


草の根から脱WTOの運動を

      
「私たちの暮らしとWTO」  大野和興さん

 「脱WTO草の根キャンペーン」(ホームページは、http://members.tripod.co.jp/davidyt/grassroot/home.htm)のWTO問題連続学習会がはじまった。
 グローバリゼーションはあらゆるものを市場経済に投げ込み、それを制度的に支えているのがWTOだ。草の根キャンペーンは、今年の二月東京で開かれたWTO非公式閣僚会議に反対する運動を契機に、足元からの脱WTOを掲げて、くらしの現場、生産の現場、労働の現場で自分自身の課題を直視し、掘り起こし、つなげ、世界の人びととともに「いまのようでない世の中」をめざしてつくられた。そして、全国各地で地域・職場の問題とWTO問題をむすびつけて考える大小さまざまなあつまりをつくることのサポートと相互の交流、情報の内外への発信などをとおして、九月にカンクン(メキシコ)で開かれるWTO閣僚会議にむけて運動をつみあげている。六月一九日には、総評会館で、キャンペーンのWTO問題連続学習会の第一回目が開かれた。講師は、脱WTO草の根キャンペーン事務局長の大野和興さん(農業ジャーナリスト)でテーマは「私たちの暮らしとWTO」。(文責・編集部)

 
深刻な事態

 私は、農業問題が専門で日本のあちこちの村を歩いてきました。八〇年代からはアジアの村も多く訪れました。そこで、WTOに代表されるグローバリゼーションが深刻な事態を生んでいるのを見て、その上で、それに対して別の世界をつくることができるのかを考えてきたわけです。
 グローバリゼーションとは、あらゆるものに値段をつけて売買することで、売ってはいけないものにまで値段をつけている。自然、文化、人の臓器、血液などなど、労働によってつくられたものでないものがみんな売買されるようになろうとしています。
 SARSは今のグローバリゼーションを象徴するものだが、その前段として一九九九〜二〇〇〇年に、口てい疫の事件が起きた。もともと、こうした疫病はあったとしても、汚染地域は限定されていました。それが、グローバリゼーションの中で、またたく間に世界中に広がって、イギリスは、香港からうつされたと言い、香港が怒った。韓国は黄砂で中国から北と言い、中国が怒った。その中国はモンゴルから来たといっていました。とにかくいろいろな地域で同時多発発生という事態が起こった。BSEもSARSもおなじ様相をしめして、今後も同様なことは続いていくだろうと思います。

農村の止めどない荒廃
 
日本の各地を歩いてみてつくづく感じるのは農村の止めどない荒廃です。数字をみてみれば一目瞭然です。たとえば総農家数は、一九六〇年には六〇五・七万戸あったが、二〇〇〇年には三一二万戸です。六〇年を一〇〇とすれば五一・五に半減していて、そのうち自立経営農家は五二・一万戸、二〇〇〇年には一四・六万戸となり、これも一〇〇から二八・二にまで減少しました。
 その結果、穀物自給率は六〇年が八二%だったのに、二〇〇〇年には二八%にまで低下してしまっている。
 わたしの知っている山形県の村でも、三〇〇戸二〇〇〇人だったのが、一五〇戸四〇〇人となり、水田は半減し、売っていた米も五〇〇〇俵から二〇〇〇俵にまでなってしまった。
 そして、いま日本農業を支えているのは、男七〇歳、女六六歳を中心とする層です。年々、年齢は上がっていきます。これらの人びとは敗戦後の増産、その後の減反など日本農業の本当に厳しい時代を生き抜いてきた人たちですが、その後の農業をやる人は激減しています。農業就業者の高齢化は進行し、これらの人たちは当然、農業の現役とは言えず、例えば孫に美味しい米を食べさせたいというようなことで農業をやっている人が多いわけです。本当に、農業そして地域全体が荒廃しているという感を強くさせられます。

農業破壊の世界史的進行

 アジアを歩いてみても全く同じことが進行しています。農業破壊は日本だけでなく、いわば世界史的なものが進行していて、それぞれの国、地域であらわれているということです。
 農業というのは、自然の力を人間がうまく引き出すことにあって、自然は世界各地域でそれぞれ違う、だから各地にそれぞれの農法がある。いろいろな食物があり、調理もちがう。そして、人と人のつきあい、文化などそれぞれ独特のものをもっているわけです。
 しかし今、それがいたるところで壊されています。その後に、大量・効率のアメリカ式農業が入ってきている。単品栽培、機械化、化学肥料、農薬散布という反自然の農業です。これがグローバリゼーションの圧力で入ってきて、村・地域と農業が壊されている。それは、地域の商店・商業、地域の加工業・地場産業に壊滅的な打撃を与え、商店街が潰れ、シャッター通りができるという風景が多くのところで見られます。
 八百屋の例ですが、大型店が出てきて、とくに大型の郊外店ができると人の流れが変わってしまって、町の八百屋はつづけていけません。先日、生協運動の大先輩が「八百屋がなければ年寄りは町に住めない」と言っていました。どういうことかというと、地元の八百屋があると、八百屋には毎日買いものに来るわけだから、あるお年寄りが何日も姿を見せないとすると、どうしたのか、ということになる。そうすると、近所の人に聞いたりして、何があったかすぐわかった訳です。病気などで起きられないなら、宅配するというようなことになる。もし事故がおこっていたなら早期発見となると言うことです。いまの若い人たちは、よくコンビニにいっていますから、そこがそういうところになるかも知れない。しかし、コンビニの短期間のアルバイトでそんなことができるか難しい所です。とにかく、八百屋に限らず、地域の地元の商店・商店街というのは、ものを売るというだけでない大切な機能をもっています。そうしたもの全体が壊されそうになっているのが今です。 
 私は埼玉県の秩父に住んでいますが、秩父は、かつては養蚕・織物、そして秩父セメントの町になり、セメントが駄目になると電子機器の工場が入ってきました。しかし、最近はキャノンも撤退し、本当に雇用がなくなってきています。近所の高校生も卒業しましたが、なかなか仕事が見つかりません。やっとセメント工場の臨時雇いになりました。いまセメント工場が、セメントをつくるのではなく、汚泥を高温で燃やす、そうするとダイオキシンが出ないと言う触れ込みで、まあ環境産業だということになっているわけです。しかし、働いている人に聞くと、この仕事についてから、咳が止まらなくなった。しかも、煙突から白い煙が出ているときはいいけど、黒い煙になったときはダイオキシンが出ているのではないかといことでした。地域が壊れていくと、雇用のためには何でもしなくちゃ駄目だということで、段々ひどいことになっていっています。
 
食卓から

 野菜の消費量は、一六〇〇万トンくらいで、四〇〇万トンは輸入です。輸入の半分は中国から、ついでアメリカ、アジア諸国となっている。アメリカは別ですが、だいたい南がつくり北が食べる構造になっている。
 野菜の大部分は水で、だから近場のものが美味しい。しかし輸入できるようになった。なぜか。ひとつは、化学薬品を使う、いわゆるポストハーベストといわれるもので、防腐剤、防カビ剤、漂白剤などを入れる。そして低温輸送です。こうして、資本によって畑(生産)から消費までの統合がなされている。
 その生産も、たとえば中国からの輸入は九割が開発輸入です。日本の業者がでていって中国の農民を指導して野菜をつくらせている。
 その一方で、食べ物についてのブラックボックス化が進み、何をどうやってつくっているのかがわからなくなっいています。この数年、肉をはじめ多くの食品の問題が暴露されているが、そのほとんどは内部告発からです。消費者も農家も蚊帳の外におかれているのです。
 
職場から

 次に、労働者の権利はどうなるのかということです。私も、今は農業問題をやっていますけど、むかしはかなり過激な労働組合運動もやったことがありますが、そのころは労働者の権利を主張する一方で、経営権なんか絵に書いた観念的なものにすぎないなどとやっていました。ところが、労勧法制改悪で、労働基準法に「解雇権」を書き入れるまでになってきている。これは労働者の権利を無視して、経営の一方的な権利をみとめると言うことです。
 そのねらいは、賃金や労働条件をアジアスタンダードヘ下位平準化させようとすることです。いま、派遣労働者が激増して、去年の段階で一七五万人となり、これは対前年度比二六・一%増です。八八年に二七万人、九八年に八六万人でしたから、すごい増えかたです。時給は 派遣労働ネットワークが調べたところでは一四六六です。九四年に一七〇四円、九八年に一六六〇円だったから、こちらはすごい減りかたです。そして、激増する過労死です。過労死の労災認定が一六〇人、過労自殺(未遂を含む)が四三人となっており、いずれも過去最高となっています。また、フリーターという新しい日雇い労働者が増加しています。
 こうしたことがどういうことを生んでいるか。失業が増えると自殺者が増えるという関係がはっきりしています。そして年齢階級別自殺率では五〇歳台男がだんとつに多い。また理由別自殺者数では経済生活問題が一位になった。また刑法犯発生数も失業率と同様に増加しています。
 リストラ失業、熟年男子の自殺、ホームレス化、家族と家庭の崩壊のなかで人が壊れていく様相が強くなってきています。

過当競争の結果

 基本的人権と環境破壊の世界的連鎖が進行しています。農産物輸出国の農民も楽ではありません。中国の野菜農民の場合を見てみましょう。ニンニクは一九九六年には一`cあたり〇・六四jで輸出されていましたが、二〇〇〇年には〇・三六jと半額になり、ショウガでは同じく一・五五jが〇・四一jと三分の一以下に、干しシイタケに至っては五・六九jしていたものがわずかに〇・四〇jとなってしまいました。これは過当競争の結果であり、ますます買いたたかれるようになり、出す側も楽じゃないということです。
 次にフィリピンの例です。スペイン植民地は大土地所有制を取っていましたが、フィリピンではいまだに半封建的な土地所有が続いています。だから、包括的な土地解放を熱烈に農民は望んでいます。耕す者に土地をです。今年の三月にネグロス島のエスペランサ農園でサトウキビ植え付けをしていた労働者が元地主の雇った私兵に銃撃され殺されました。これは氷山の一角にすぎません。地主たちは「地主連合」をつくって農地改革に頑強に反対してあらゆる手段を使っています。そして、農地改革が行われれば、農地が零細化して、グローバリゼーション時代の農業ビジネスに不利だという理由をいっています。グローバリゼーションと半封建的な土地所有が癒着するようになっています。
 次にシューズのナイキの場合です。ナイキは自分の工場を持っていません。安い労働力をもとめて生産基地を移動さています。韓国、インドネシアへ、そしてベトナム、中国へ移動しました。そして多くのところで、発ガン物質のトルエンの使用、セクハラ、労働者を殴る蹴る、金払わないなどの問題をおこしつづけています。
 世界の土と水が壊れ循環と多様性の危機に瀕しているのは日本も同じです。阿蘇の壮大な草原はユネスコの世界遺産にも申請されていますが、グローバリゼーションで自然循環が破壊されました。阿蘇の赤牛は有名ですが、牛肉の輸入自由化でそこの畜産は崩壊させられました。牛がいて、また野焼きなど人間が一定の手を加えて自然が保たれてきましたが、いまはもうすさまじい荒廃ぶりです。 

世界的な不均衡

 地球的な規模での所得と経済の不均衡が進行中です。最富裕層二〇%が世界の総所得額の八二・七%、総貿易額の八一・二%をもっています。日本ではソフトバンクの孫正義とか消費者金融の武富士の会長とかがいます。一方で最貧層二〇%では総所得の一・四%、総貿易額の一・〇%しか占めていません。そして格差は拡大しています。
 世界食糧会議で飢餓人口を八億人としてその減少のためにつとめることが決められました。しかし、いまも八億人とされ、実態はもっと進んでいます。絶望・憎しみが生まれ強まり、これが9・11事件の背景となっています。それに対して、ブッシュは「報復」し、アフガン、イラクを戦火で荒廃させました。いままた、イラン、北朝鮮に矛先をむけている。それに日本は有事法制をつくって加担しようとしています。

ではどうするか

 先の地方選のひとつの特徴は共産党の大後退でした。秩父でも市長選が行われましたが、最悪のものに支持が集まりました。とにかく中央にパイプをもっていて仕事を持ってきてくれるのではないかという思いがあるわけです。それが実現するというわけではないのですけれど、目先の利益のために強い者へ依存を強めていく。そういうことがあるわけです。日本の対米協調も同じです。
 いかに地域から自立していくのか。そうでなければブッシュにいくしかない、こういう構造を変えていかなければなりません。
 農業では、政府も環境保全農業をいっていますが、安全だけなら輸入でも可能になってきています。中国野菜も三年以内には安全になる、中国農民もそうしてきています。安全というだけでなく、農業があることによって地域がつくられていくと言うことです。田圃があって赤とんぼが飛び、いろいろな虫や草があって、渡り鳥も来る。そうした中で田圃も育っていく。そうした試みがいくつかのところで行われはじめました。
 商店街では、山形の長井というところの例をあげます。商店街の若旦那衆、といってもみんな五〇歳台ですが、地元の人が買いにきてくれる商売、それを忘れていたんじゃないだろうかと反省し、そば、豆腐、人参ジュースなどをつくる地場産業おこしをしたわけです。そして地元のものを地元で売る。野菜などはそれがもっとも新鮮で美味しくて安全なわけです。贈答品なども地元のものを使ってもらう。そして福祉などにもとりくんでいるわけです。
 こうしたことが、日本のあちこち、世界のあちこちで、おこってきています。つまり地域全体をつくりかえてグローバリゼーションに対応するということです。人間、どんづまりになるといい知恵が出るといいますが、本当に真剣で面白い試みが各地で見られます。こうした各地の動きを結んで脱WTOの動きを草の根からつくっていきたいと思っています。


書評

 
 辛淑玉・著

      
鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)    「楽園」に帰還した私の家族

                                         解放出版社 1800+税

 なんという表題だろう。怖れと畏れに身震いするような、それでいて哀しさにはちきれそうな表題である。
 「鬼」には死者の魂の意味があり、「鬼哭」とは亡霊の泣き声だ。「啾啾」には魂が泣いているという意味がある。「鬼哭啾啾」とは死者が恨みを抱いたまま亡霊となってひそひそと泣いていることだ。
 辛淑玉はいう。「いま生きぬいている私たちは、多くの人の血と涙に覆われた人生を踏み台にして、その上にいる。ならば、そこまで来れなかった人たちのために、何ができるのかを考え、行動すべきではないだろうか。少なくとも私は、そう思った。だから、声を上げ行動しつづけている。それが、大人の責任だからだ。それが、弱者の上に乗っかっている私の責任だからだ」と。辛は自分の足下で泣いている死者の、亡霊の「啾啾」という声を聴きながら闘いつづけている。
 いうまでもなく、この「亡霊」とは「在日」を含む数えきれないほどの朝鮮人たちの死者なのだ。「私の足もとには、数えきれないほどの朝鮮人の涙と血と命が幾重にも折り重なっている。その犠牲の上に、いまの私は立っているのだ」と。

 いま日本人が、とりわけその社会活動家が、まして左翼が、そして私が在日の問題に触れ、語る時にはある種の覚悟が必要になっている。その思想性の軽重の試金石でもある。私たちにまとわりついているどうしようもない「軽さ」が浮かび上がってくるのだ。
 辛はそれを「パニックになる日本人」という項で容赦なくえぐりだす。まず一般的な日本人論。「日本人が、北朝鮮にかかわる問題になると冷静さを失ってしまうのはなぜなのか。私は、これにはふたつの理由があると思っている。一つは、植民地政策によって植え付けられた朝鮮人に対する差別意識だ。その差別意識ゆえに、恐怖心を自分たちで作り上げている。『いつかやられる』……その恐怖心がパニックになる。(中略)もうひとつは、北朝鮮の体制の中に、日本人が自分の心の片隅に追いやっているもの−醜いと感じ、忘れたいと思っている部分−を、見てしまうからだ。かつて日本人は、天皇の『ご真影』を抱き、皇国臣民として戦争を行なった。そして敗戦。(中略)人間は、見たくないものを見せられたときにパニックに陥る」と。
 そしていう。「朝鮮学校に励ましの電話やメールが届いていることを美談として報じるマスコミに、良心の呵責はないのだろうか? 『そんな日本人ばかりじゃないよ』という言葉の背後には、『あなたが強くなったとき、私には仕返しをしないでね』という気持ちがかい間見える。『頑張ってね』という言葉の後にある残酷さをどうして美談として報じることができるのだろう。ガンバレないから『弱者』なんだ。変えられないから『弱者』なんだ。頑張る弱者が美しいという発想は、頑張れない弱者を追い落とし、頑張る構造を温存させることでしかない。声を上げるのなら、加害者にたいして言うべきなのだ。『おまえ、そんなことはするな!』と。震えている人が見えないのか? それとも、見て見ぬふりなのか? 目を開いて欲しい。そして見つめて欲しい」と。
 辛が日本人の中学校に転校したときに「与謝野晶子の詩を解説してくれた社会科の教師は、『チョゴリで学校に来てもいいんだよ』とある日、ポツリと口にした。やさしい言葉ではあったが、では着てきたときの反動をいったい誰が受け止めてくれるのだろう。『先生はその時、逃げずに私のそばにいてくれますか?』そう心のなかで叫んだ。学校は、静かな処刑場であった」という箇所などは読んでいて胸が痛む思いがする。

 本書の第一章「離散家族の運命」は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への最初の帰還船がでた年に生まれた著者の、高校卒業までの半生記だ。元共産党員ら経歴を持つ父親、その貧しい在日二世の子として生まれ、差別ゆえに幼稚園にも行かれず、病院にもかかれない。怪我をしてようやく行った医者には暴行され、つらい体験を話せば友だちは逃げていく。そんななかで聞こえてくる「医療費も、学問もただの国」への誘い。日本の学校から、朝鮮学校に転校し、また日本の学校に転校するなかで彼女がそれぞれのところで味わう形の違った差別。
 民族学校に入った辛が味わった暴力の嵐。外の社会からの暴力を考えると泣き寝入りせざるをえない関係。
 どこに行けばいい?
 どこに希望があるだろう?
 軍事クーデターで大統領になったパクチョンヒの韓国。キムデジュンを拉致するような韓国。どうしようもない韓国。そして希望のない日本での生活。漏れ伝わってくる北の状況が、たとえ「楽園天国」などではなかったとしても、まだ韓国よりはいい。日本よりはいいにちがいないと希望にすがりたくなる。当時の私(高校生当時の辛)もそうだった。
 第二章「『楽園』への帰還」は北朝鮮帰還事業の検証と分析だ。
 第三章「わたしの旅」、第四章「百年の旅の終わり」は、二〇〇〇年三月、重い足を引きずるようにして、気力で北朝鮮国境の中国の町を訪れ、難民たち、特に元在日帰国者たちの難民にあった時の記録。いずれの章も迫力がある。
 朝鮮半島有事を想定した「有事三法」が成立し、その具体化を推進する政府の下にあって、もはや私たちはその可能性を想定しないでは、この国の将来を語ることもできなくなった時代に生きている。この問題での在日の人びとの緊張は想像にあまりある。本書を読むことで、私たちはきわめて多くのことを教えられる。必読の本だと思う。 (斉藤)


せんりゅう

 ぞうきんで会長の顔ふいてやろ

 ハッカーは住基ネットも視野にあり

 名医殿まずもうかるかよく診ます

 アメリカへ新工場、で職がない

 過労死の無効にリストラあるという

 米軍に軍勢贈る閣議決定

 旧軍の毒気いまだに効いていた

二〇〇三年六月

 ○ 人間とは何か。永遠の謎である。人間は自分がどのような存在者であるのか、自分で自分を知ることはできない。
 もしも、解が得られるならば、解のもとに絶対の倫理が描かれるであろう。
 たしかに、一部の人々は絶対の倫理を信じている。また、絶対の倫理が国家によって虚構されることもある。
 先日、イスラエルで自爆テロがあった。イスラエル軍はテロへの報復爆撃を行った。
 絶対の倫理の下にテロは行われ、そして虚構された倫理の下に報復爆撃がされた。
 現在の倫理学はこのことを論じない。おそらく倫理学者は言うであろう。この問題は政治経済学上の課題なのだ、と。
 人間とは何か。これは確かに不可解なものである。 (ゝ史)


複眼単眼

  
考えられる「有事」に、われら何をなすべきか

 有事三法が参議院で九〇%弱の圧倒的多数の賛成で採択された。「良識の府」の参議院だというのに、野党の民主党からは神本美恵子議員ひとりが棄権して抵抗した。
 「有事」とはまず戦争だ。概念としては政府は自然災害も恐慌のような経済危機も含めているが、とりあえず「戦争」として考える。法案の作成者が想定している戦争とは第一に北朝鮮との戦争だ。第二には緊急の問題ではないにしても中国であろう。
 北朝鮮がいま日本に攻めてくるだろうか。昨今、多くなった「金正日は独裁者だから、何をやるかわからない」などという人も含めて、だれもそんな戦争の可能性は考えないだろう。世界の軍事予算が第二位だとか第三位だとういう日本に、その代償も考えずに、一方的に暴発して攻めてくるなどということは考えられないのだ。
 南北の朝鮮では双方に平和の可能性をさぐりつづけているし、韓国のノムヒョン大統領も対話を重視しているから、停戦中にすぎなとはいえ、ここでいま北朝鮮による戦火が開かれ、その波及が日本に及ぶと考える人もあまりいないだろう。
 誰もが思うのはブッシュの米国が北を攻撃する可能性だ。例えば北朝鮮の核開発施設があるといわれる寧辺を「ピンポイント」爆撃する。これは現に一九九四年にあって中止された計画だ。そうすれば北朝鮮の軍隊が、その反撃として韓国の米軍基地や日本の米軍基地を攻撃する可能性は十分すぎるほどあることだ。「日本の米軍基地」への攻撃はただちに「日本」への攻撃とみなされるから、日本の軍隊も北朝鮮を攻める。そうすれば北朝鮮は米軍基地以外の日本全土を攻撃対象とするだろう。
 韓国駐留米軍の移転が語られ、韓国政府が戦々兢々としているという最近の報道は、そういうこともまんざらなくはないだろうとおもわせる。北朝鮮攻撃において、駐韓米軍が報復攻撃を受けることを避けたいのだという説が、妙に説得力を持つこのごろだ。チラホラと話がでる沖縄の海兵隊の縮小説もこれとの関連で考えられることしばしばだ。
 ありうる「有事」とは第一にこれだ。
 第二に、理論上あり得るのは台湾海峡でのなんらかの戦闘と、その結果としての米軍の中国本土作戦が中米の戦いとなり、まず沖縄の米軍基地が中国軍によって叩かれることだろう。これも米軍の存在のゆえだ。これは中米の対決がどれほど地球に被害をもたらすかを考えれば容易にはありえない可能性だ。
 クラウゼビッツを待つまでもなく、戦争は別の手段による政治の継続だ。このような「有事」を避けるために、いま何をなすべきか。答は明らかだ。(K)