人民新報 ・ 第1100号<統合193> (2003年7月5日)
  
                                目次


● グローバル規模での日米同盟は戦争への道  自衛隊のイラク戦場への派兵反対

● イラク派兵法に異議あり! 市民と国会議員の緊急院内学習集会

● 2003ピースサイクルがスタート / 沖縄ピースサイクル(6月21日〜25日)

● イラク派兵法(イラク復興支援特別措置法)に異議あり! 市民と国会議員の緊急院内集会

● イラク「復興支援」と国際法   阿部浩紀(神奈川大学) <緊急院内学習集会での講演>

● イラク派兵法案の廃案を要求する /  斉藤吾郎

● 横浜事件再審開始を勝ち取ろう  「板井庄作さんを偲ぶ会」が開かれる

    横浜事件再審決定の意義  横浜事件再審請求弁護団主任弁護人  環 直彌 

● 夏期カンパの訴え / 労働者社会主義同盟中央常任委員会




グローバル規模での日米同盟は戦争への道

            
 自衛隊のイラク戦場への派兵反対

 イラク派兵法案(イラク復興支援特別措置法案)は政府与党の異常な国会運営のなかで、七月四日にも衆議院で採決が強行される状況にある。
 自衛隊を事実上初めて戦闘地域に派兵するという重要な法案は、通常国会を延期したわずかの期間のなかで、広く人びとに説明されるための間もおかずに決められようとしているのだ。これと並行審議しているテロ特措法もこのままでは強行されかねない。有事三法を衆議院で九割もの賛成で採択した小泉内閣は、勢いにのってしゃにむにイラク派兵法制定につきすすんでいる。
 野党各党も批判しているように、この法案は問題が多々ある。世論の多数が米英のイラク戦争を批判し、それを支持した小泉内閣の判断を誤りとしている。にもかかわらずこれを正当化し、戦場に一〇〇〇名に及ぶ自衛隊員を派遣し、米軍に加担させようとするこのイラク派兵法は絶対に許すわけにはいかない。このほど、米国のライス大統領補佐官とアーミテージ国務副長官は日本に対して、イラン・アザデン油田開発の中止まで要求してきた。米国の戦略に限りなく一体化することの要求だ。ポチ・コイズミと揶揄されるこの道は、国の進路を破綻に導くに違いない。
 すでに与党の中からは個別派兵法ではなく、政府の判断で世界のどこにでも随時派兵できるような「恒久法」制定の声すらあがっている。自民、公明、民主の若手国会議員でつくる「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」などは「自衛のための必要最小限の相手基地攻撃能力の保有」を求める緊急声明を発表した。このところ日本の「ネオコン」と言われる安倍晋三官房副長官や石破茂防衛庁長官らの発言はとりわけ突出している。安倍は「私たち若い世代、昭和の後半に生まれた世代が、新しい平成の憲法を作っていく必要がある」などと繰り返し発言している。
 小泉首相はこれら若手の新国家主義者たちの動きを放置し、容認し、先行させることで、日米のグローバルな規模での攻守同盟体制づくり、戦争遂行可能な国家づくりをすすめ、さらに自らの持論である憲法改悪を実現しようとしている。
 イラク派兵法には社民党、共産党、自由党が反対し、民主党も自衛隊の派兵を否定する修正案を提出した。市民運動も六月末の二回の院内集会などで、体制を固めつつ、七月七日にはイラク派兵法反対の反戦集会を準備し、世論への働きかけを強めようとしている。
 政府・与党の姑息な政治手法によって、残された時間は少ないが、あきらめずに全力を挙げて参議院段階でのイラク派兵法阻止の闘いを組んでいく必要がある。
 市民運動や労働運動の活動家たちは、この流れに反撃する闘いをただちに強めなくてはならない。その闘いのなかで、広範な民衆の中に反戦の砦を築きあげ、うち固める時だ。


イラク派兵法に異議あり! 市民と国会議員の緊急院内学習集会

 六月二七日午後二時から衆議院第一議員会館で、「イラク派兵法に異議あり、緊急院内学習集会」が行なわれ、国際法学者の阿部浩紀・神奈川大学教授(講演要旨は本紙二面に掲載)と、憲法学者の山内敏弘・竜谷大学教授が各四〇分づつ講演した。
 集会を呼びかけたのは六月二四日の緊急院内集会と同様に、キリスト者平和ネット、宗教者ネット、市民緊急行動の三団体で、社民、共産、民主、無所属の国会議員と代理、市民など約一一〇名が出席した。社民党の土井党首も二時間近くの会合に熱心に参加した。
 また最近、イラクのバグダットで米軍に不当にも八日間にわたって勾留され、釈放されたフリージャーナリストでWORLD PEACE NOW実行委員の志葉玲さんも出席し、イラク現地の様子を一〇分ほど報告した。
 集会の冒頭、市民緊急行動の高田健さんが「いま国会に上程されたイラク派兵法案は支離滅裂な法案だ。政府はこの派兵法を七月はじめの衆院通過をはかっている。私たちは今日の学習を通じて、法案の問題点を再確認し、街頭で、地域で、広範な人びとの中に入って世論を起すことに全力をあげなくてはならない」と挨拶した。
 国会議員の挨拶につづいて志葉さんは次のように報告した。
 自衛隊を海外に出したい人が「平和主義者は現実の問題から考えろ」などというが、リアリズムがないのはどっちだと言いたい。今回のイラク派兵法はたいへん危険だ。復興を助けるどころか、妨げる可能性がる。
 今回、私はいまイラクでもっとも衝突が激しいラマディなどにいった。毎日のように米軍の拠点が攻撃されている。ラマディはもとより、バグダットですら夜になると激しい銃声が聞こえる。反米デモに米軍が発砲する。その近くにいた人まで撃ち殺される。米兵に両耳を切り落とされたといって入院してきた人もいる。私が拘束されて連行される時に見たことだが、米兵はイラク人捕虜を人間扱いしていない。粗末な施設に二四時間閉じ込められ、銃を持った兵士に監視されて、立つことも歩くこともできない。ずっと縛られ、しゃべったりすると猿ぐつわをかまされ、罵倒される。怪しい奴はどんどん連行するが、拘束する理由は説明されない。だから、米兵は狙われる。米兵の被害はかなり大きいのに隠されているのではないか。
 私が拘束された理由は立ち入り禁止地区に入ったからだというが、立ち入り禁止地区だという説明はなかった。調べでは「なぜお前は米軍の被害を調べているのか」などというもので、取材の妨害そのものだ。
 今回の派兵では自衛隊員が殺される可能性があり、自衛隊員がイラク人を殺す可能性がある。政府はこれをどこまで考えているのか。自衛隊派兵でイラクだけでなく、全アラブでの対日感情が変わるだろう。NGOの職員までがターゲットにされる可能性がある。
 山内敏弘さんは「有事法制につづくイラク派兵法だが、今回の法案も米国の強い要請に基づくものだ。それは米国のイラク攻撃・イラク占領の正当化の一翼を担うと同時に、日本もイラク復興関連利権に預かろうとするものだ。自衛隊の海外での武力行使は、交戦権の行使に踏み込むものであり、あきらかに憲法違反だ。今度は本当に自衛隊が海外で他国の人間を殺戮し、また自衛官が戦闘中に死亡するという事態になりかねない。そのようになった場合に小泉首相はどうやって責任をとるのか」と指摘した。そして、国連憲章に反した米英軍のイラク攻撃が「大量破壊兵器の存在」を大義名分にして行なわれたが、いまだに見つかっていないことや、イラク派兵法の第一条の安保理決議の援用はまちがっていることなどを指摘した。また自衛隊の活動任務、活動の地域的範囲、自衛隊の武器使用などの諸問題を指摘し、その上で今回の派兵法が武力攻撃事態法と「併存」し、連動する危険性を指摘した。政府はいま派兵のための恒久法まで制定しようとしている、これと闘い、憲法第九条を「死に体」にしないために奮闘しようと訴えた。
 最後に、緊急学習集会では七月七日のWORLD PEACE NOWの集会などへの協力が確認された。


2003ピースサイクルがスタート

 沖縄ピースサイクル(6月21日〜25日)


 二〇〇三ピースサイクルのスタートとして六月二一日から二五日にかけて沖縄ピースサイクルが行われました。大阪を中心に全国から延べ一四名の参加ででした。期間中、毎日天気にも恵まれ、また怪我や事故などが起こらず無地終了しました。
 六月二一日
 お昼に那覇空港に全国から集合し、車で南部の戦跡アブチラガマ(糸数壕)と沖縄県立平和祈念資料館へ移動し見学しました。アブチラガマは地域の人たちの管理が行き届いており、当時の状況がわかるように表札などが立っていました。車で移動し、読谷村で知花昌一さんが経営する民宿で結団式と交流を行いました。
 六月二二日
 読谷村を自転車でフィールドワーク。当初、知花さんの案内で読谷村の基地や戦跡などを案内してもらう予定でしたが、知花さんの都合で行われませんでした。座喜味城から沖縄戦での上陸場所や読谷村の基地の所在など読谷村の過去と現在を確認しました。座喜味城見学の後、トリイステーションを経由してチビチリガマへ。チビチリガマから嘉手納基地を一周する形で一路、普天間基地がある宜野湾市へ。普天間基地は、宜野湾市の中心にあり、事故などの危険と隣り合わせにありことが実感させられます。佐喜真美術館で丸木夫妻作成の「原爆の図」を見学し、当日泊まる宿へ向かいました。
 六月二三日
宜野湾から那覇市を通過し、「ひめゆり記念館」へ。「ひめゆり記念館」から魂魄の塔へピースパレードに参加し、一九八三年から毎年魂魄の塔前で行われる六・二三国際反戦集会へ参加しました。今年は、沖縄の高校生が沖縄戦や基地の問題について考えるグループによる歌やダンスなど新しい企画(?)が行われました。集会終了後、再び知花さんの民宿へ移動しました。
 六月二四日
 朝食前に知花さんの案内でシムクガマと楚辺通信所(象のオリ)を散歩がてら見学。象のオリは、施設が老朽化し、現在使われていない。数年後に返還されることになり、跡地利用のことで地元地主会の議論されています。普天間基地の移設場所とされている名護市辺野古へ。辺野古周辺にしか生息していないジュゴンおり、辺野古に基地が移設されたらジュゴンの生息そのものが危うくなります。
 ピースサイクルが辺野古に行ったときも、環境アセスメントに先立ち、防衛施設庁などが地元の船を借り上げジュゴンの生息状況などを調査していました。ジュゴンは、船の音に敏感で環境アセスメントの時に、ジュゴンが基地移設予定地にいない状況を創り出そうとしていました。 辺野古近くの無人島に平和や反戦の想いを全国に発信しようとポストの設置を行いました。ポストの設置には琉球新報や沖縄タイムスなどの地元のマスコミの取材を受けました(翌日の新聞に載りました)。普天間基地の即時撤去と名護への移設反対を改めて実感する思いがしました。
 夜は、名護への基地移設反対運動をしている方の家で最後の交流会を行い、沖縄ピースサイクルに参加した感想などを出し合いました。
 今年は、マングローブの植樹は、受け入れの体制が整わなく行われませんでした。


イラク派兵法(イラク復興支援特別措置法)に異議あり! 

                          市民と国会議員の緊急院内集会


 「イラク派兵法」案について衆議院の本会議で主旨説明と代表質問が行なわれている最中の六月二四日午後、衆議院第二議員会館で「イラク派兵法(イラク復興支援特別措置法)に異議あり!市民と国会議員の緊急院内集会」が開かれた。主催はキリスト者平和ネット、宗教者平和ネット、市民緊急行動の三団体で、会場を満員にする市民と国会議員など約一〇〇名が駆けつけた。この院内集会はイラク派兵法案に反対する大衆的なレベルでの初めての集会であり、これを契機に同法案の廃案をめざす先駆けの意義をもつものだった。
 集会では司会進行を市民緊急行動の高田健さんが行い、主催者挨拶をキリスト者平和ネットでカトリック正義と平和協議会の木邨さんが行なった。冒頭に社民党と共産党のイラク派遣調査団からの報告と、民主、社民、共産、無所属の各議員からの発言、市民団体からの発言がつづき、イラク派兵法を阻止する決意を固めあった。
 社民党のイラク派遣調査団からは今川正美衆議院議員と山内恵子衆議院議員が報告、共産党の調査団からは緒方靖夫参議院議員が報告した。民主党の谷博之参議院も冒頭に挨拶した。
 出席した国会議員は社民党は又市征治参議院議員、福島瑞穂参議院議員、北川れん子衆議院議員、中川智子衆議院議員であり、共産党は吉川春子参議院議員、井上哲士参議院議員、紙智子参議院議員、吉岡吉典参議院議員、畑野君枝参議院議員、それに無所属の川田悦子衆議院議員だった。ほかに民主党の三名の国会議員の代理、社民党の二名の議員の代理、共産党の一名の議員の代理が出席した。
 市民の側からは東京都議会議員の福士敬子さん、アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会の谷島光治さん、在日韓国民主統一連合のソン・セイルさん、ふぇみん婦人民主クラブの山口泰子さん、市民緊急行動の国富建治さん、NGO非戦ネットの半田隆さんが発言した。
 最後に日本山妙法寺の武田隆雄さんが閉会の挨拶を行なった。
 社民党のイラク訪問団の今川衆議院議員は次のように語った。
 外務省は行かないほうがいいということを匂わせていたが、われわれは緊張感の中でJVC(日本国際ボランティアセンター)の人びととイラクに一緒に入った。六月十九日から二一日までバグダッドにいた。
 現地は事実上の失業状態の人が八割以上いる状況だ。全土でゲリラ戦が拡大し、反米デモが起こっている。
 現地で国際機関を訪れた時には、率直に「現実に自衛隊を派遣することをどう受け止めるか」と聞いた。彼らは機関としては言いにくいと言いつつ、個人的には「あくまで国連のきちんとした決議や認可のもとに出すべきだし、イラク国民の迷惑にならないように小規模にだすことでしょうか」と言葉を濁しながら言っていた。
 「フセイン時代は自由はなかったが、国はあった。いまは自由が与えられたが、国がなくなった」という声を聞いた。
 訪ねた病院では医療器材や医薬品が不足している。学校に行けば教科書もない。ユニセフの支援を受けるのは中流以上のところで、それも受けられないような小学校がたくさんある。教師もほとんどがボランティアだ。しかし、子どもたちには勉強の意欲があり、目が輝いている。
 バグダッド以外では国際機関の支援も行き届かないところがさらにたくさんある。NGOの人びととともにまず子どもやお年寄りなどへの支援をしたい。あらゆる行政サービスは完全にマヒしているので、直接届けたい。明日にでももういちど行きたいと思うほどだ。いま食糧はヨルダンから何十台規模のコンボイでどんどん入っている。
 自衛隊は憲法違反だからというだけでなく、事実として自衛隊を差し向ける場所はない。NGOの人びとは劣化ウラン弾がどこで使われたのか、ボランティアをしていく上でもぜひ調べてほしい、自衛隊が使われたら自分たちまで含めて日本人が敵視される。イラクの人びとから見れば米軍も自衛隊も同じ「軍隊」自衛隊の派遣は「小さな親切、大きなお世話だ」と言っていた。
 今度の派兵法はぜひとも阻止しなくてはならないと思う。


イラク「復興支援」と国際法

      
阿部浩紀(神奈川大学)
 
六月二七日の緊急院内学習集会での講演の要約(文責は編集部)。

 イラク攻撃の始まる前、攻撃は国際法に照らして許されるのかという議論があった。ブッシュ大統領は「最後通告」の中で、「テロ支援をしているイラクの大量破壊兵器を除去し、サダム・フセインの独裁政治からイラク国民を解放するために攻撃する」と言った。国際法はこれだけでイラク攻撃をすることを許していない。国連憲章が許している場合は二つだけ、国連安保理の集団的安全保障体制のもとでの強制措置と自衛権の行使だ。自衛権の行使はある国が攻撃され、国連安保理が強制措置を行なう前の武力行使だ。
 二〇〇二年のブッシュ・ドクトリンで自衛権の行使として、危険がある場合、先制攻撃・予防戦争を発動すると言った。しかし、国際法上の自衛権は武力攻撃が始まったか、差し迫っているという明白な証拠がなければ行使できない。脅威があるとか、あるいは攻撃する可能性があるということで自衛権を発動することはできない。
 ブッシュ・ドクトリンの先制攻撃論は現代版の聖戦論というべきで、攻撃が米国のみに許されるという論理は、あまりにもバランスを欠いた国際社会の法から帝国の法への論理だ。
 イラク攻撃は短期間のうちに米英の「勝利」に終わった。安保理は決議一四八三を採択し、日本政府はそれを踏まえて今回のイラク復興支援特別措置法案をだした。だが決議は米英によるイラク攻撃を認めていない。米英を「占領国」だとの事実を認め、人道活動を調整するように国連事務総長に要請しているにすぎない。特別措置法案が法案の冒頭に述べているようなイラク攻撃を正当化し、合法化したものではない。
 現在、イラクには全土を支配する合法的な政府は存在しない。事実の問題として米英による軍事占領がされており、占領国は国際法上、守るべき義務がある。「ハーグ陸戦条約」(一九〇七年)と「ジュネーブ四条約」(一九四九年)だ。そこでは移送・立退の禁止、強制労働の禁止、食糧・医薬品の確保、衛生施設の確保などの義務、天然資源などを含め財産の保護の義務、基本的に預かっているだけで勝手に処分してはならない。また政治的自決権の保障の義務がある。占領軍はイラク人民の意志を表現できるように側面から支援しなくてはならないし、占領地の現行法制を尊重しなくてはならない。
 このような観点から占領軍の義務が守られているかどうか、チェックする必要がある。これらに違反している場合は戦争犯罪の問題を含めて検討されることになる。
 米英の武力攻撃が侵略であった場合、その違法行為によってもたらされた損害の賠償の問題がある。仮に合法であったとしても個々の攻撃は検証されるべきで、「誤爆」を理由に違法性が許されるわけではない。具体的な軍事的利益と均衡を逸した文民の殺傷、民用物の破壊は責任を問われる。戦争犯罪の処罰はどこの国がおこなってもよいし、処罰する義務を国際法は課している。
 今回の法案はいきなり「復興支援」の話をしているが、その前に武力攻撃によって生じた被害の責任はどうなっているかをきちんとしなくてはならない。
 そのために国際刑事裁判所の重要性を確認してほしい。一九九八年七月に国際刑事裁判所設立の条約が予定され、六十ヵ国が支持を表明、昨年の七月一日に条約が決まり、その後、裁判官や検察官も決められ、この秋から動きだす運びになった。昨年七月一日以降の戦争犯罪については処罰が可能になる。しかし、処罰を可能にするには国際刑事裁判所条約に入っていなくてはならない。米国は入っていない。そうであってもイラクが入っていれば米国をさばくことはできるが、残念ながらイラクの政治指導者は自らがさばかれるのを怖れて入らなかった。しかし、国際刑事裁判所に入っていく国が増えていけば、その国の領域では戦争犯罪を犯すことはできにくくなっていくわけであり、戦争犯罪を押さえこんでいく可能性がある。
 イラクは依然として「国際の平和及び安全への脅威が継続している」(安保理決議一四八三)といわれ、また軍事占領とは国際法上の「戦時」だ。今回の特別措置法はそこに派遣するというのだ。六月十二日に米軍の現地司令官が「全土が戦闘地域で、しばらくその状態がつづく」と言っている。そこに自衛隊を派遣するのだ。国際法的にも侵略をした米英軍を支援することになる。
 平和憲法の理念を生かす可能性は特に国際人権法、人道法などにある。行なわれるべきことはまず被害の実態調査と被害の救済の主張であり、戦争犯罪の処罰だ。不処罰の連鎖を断って、戦争の温床を除去するように努力すべきだし、国際刑事裁判所規定の締結をすすめるべきだ。
 平和憲法を生かして、「力」ではなく、「法」と「理性」の支配する社会へのコミットメントを表明しなくてはならない。


イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案

           イラク派兵法案の廃案を要求する

                                                 斉藤吾郎

 日本を本格的な戦争遂行可能な国とするための有事三法を採択した小泉内閣は、先の日米首脳会談で確認した新時代におけるグローバルな規模での日米攻守同盟体制の確立をねらい、さらに「イラク派兵法案」を成立させようとしている。


@党利党略で派兵を強行

 六月十三日に安全保障会議と閣議で決定され、国会に提出された「イラク復興特別措置法案」は現在、衆議院特別委員会(高村正彦委員長以下四五名で構成)で審議中だ。
 与党は七月はじめにも同法案の衆議院本会議での可決をねらい、参議院に送付、自民党総裁選挙の駆け引きのなかで日程設定された七月下旬の今国会会期切れまでに採択しようとしている。あわせて提出された「テロ特別措置法」の期限を今年十一月の期限切れからさらに二年延長する法案も審議されている。
 特別委員会は自民党二三人、公明党三人、保守・党一人、民主党十一人、共産党二人、社民党二人で構成され、自公保与党はもとより自民党単独でも過半数を確保できる仕組みになっている。加えて姑息にも衆議院では毎日でも審議可能な特別委員会を組織したが、参議院では特別委員会をつくると慣例で順番から共産党が委員長になるというので、週に二回しか審議できない外交防衛委員会(松村龍二委員長・自保)で審議するという。そのために衆議院での審議をとりわけいそいでいるのだ。まさに党利党略そのものだ。
 このイラク派兵法案に対して社民党、共産党、自由党が明確に反対し、民主党は六月末現在、態度を明らかにしていない。国会の論議の中では、この法案の持つ問題点が次第に明らかにされつつあるが、与党は審議をいそいで同法案の本質が明らかにならないうちに、議席の数にまかせてしゃにむに採択してしまおうという意図がみえみえだ。
 私たちは全力を上げてこのイラク派兵法案に反対する大衆運動を全国各地で起し、世論をさらに高めて、廃案に追い込まなくてはならない。そのために同法案の問題点をいくつか明らかにしておきたい。

A米英のイラク攻撃を正当化する法案


 同法案の第一項第一条の目的の項では、冒頭で国連安保理決議第六七八号、六八七号及び第一四四一号と、これに関連する国連決議によって、米国など「国連加盟国」による対イラク武力行使を正当化し、さらに同法案は国連安保理決議一四八三号を踏まえて行なうものと規定している。しかし、この論理には重大な欺瞞がある。
 決議六七八号は前回の湾岸戦争に際したものであり、同様に六八七号は湾岸戦争の停戦に関するもので、今回の米英軍の攻撃を容認するものではない。そして今回の事態に関連して出された一四四一号決議は武力攻撃を容認していなかった。だからこそ米政府は今回、必死になって、新たに国連安保理の支持を取り付け、決議を採択しようとしたのだ。
 これらの一連の決議を米英軍の一方的なイラク攻撃を承認したものと説明する「イラク派兵法案」は、出だしの前提において、欺瞞で成り立っている。言うまでもなく今回の米英軍の攻撃は国連加盟国の圧倒的多数の意思に背き、国連安保理事国の大多数の意思に背いて強行されたものであり、それは国連憲章をはじめとする国際法にも違反した非道・無法の攻撃だった。
 第一に、国連憲章第五十一条の定める個別的自衛権の行使は、今回の米軍などのイラク攻撃には完全に当てはまらない。同条項は「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の権利を害するものではない」としている。今回はイラクから米英両国に対して「武力攻撃が発生していない」のだ。ブッシュ大統領の「予防的先制攻撃」は憲章五十一条の規定にあたらないものであり、国連憲章違反であるのは明白だ。
 国連憲章四十一条、四十二条では、「平和にたいする脅威、平和の破壊及び侵略行為」にたいして、国連安保理はまず武力をともなわない経済制裁や外交関係断絶などの措置をとって解決にあたる(四十一条)とし、それで不十分な場合は国連安保理による武力制裁が可能としている。
 米国はこの規定の発動を期待したが、あらゆる脅迫と懐柔の手段をもってしても安保理の多数を引き付けることはできなかった。このもとでの単独攻撃は明白に国連憲章違反だ。
 こうした国連憲章に反する米英軍などのイラク攻撃を正当化して、それを前提にする同法案は、日本国憲法第九十八条の「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」という条項に反する憲法違反の法案に他ならない。
 もはやこれに日米安保条約の第一条「国連憲章に定めるところに従いそれぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれそれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」に反することまで持ち出して証明する必要はないかも知れない。
 危険なことに政府にはこの明白な国際法違反の条項を野党との取引材料にする動きがある。小泉首相などは再三にわたって「この条項は譲れない」などと言明しているが、これが取引において交換条件の値を釣り上げる予防線になる可能性は十分にあり、警戒が必要だ。

B口実にした「大量破壊兵器」の根拠崩壊

 米国のブッシュ政権がこの非道・無法のイラク攻撃を正当化するために持ち出した論理が「サダム・フセイン政権の大量破壊兵器の保有」であり、その武装解除による脅威の除去であった。
 そして国連の派遣した査察団が、それを発見できず、あと数か月の査察の継続を主張したにもかかわらず、ブッシュ大統領は「保有の証拠あり」として、攻撃に踏み切った。
 だが米英の軍事攻撃に対するイラクの反撃では大量破壊兵器は使用されず、バグダッド陥落以来、三ヵ月近くになろうとする現在、いまだにイラクの大量破壊兵器は見つかっていない。米国は現在も自前の査察官一四〇〇人をイラク全土に配置し、捜索中だ。
 すでに多くの報道が明らかにしているが、米英政権が開戦前に国連や各国政府に示した「イラクの大量破壊兵器の所有の証拠」なるものは、根拠のない憶測や誇張にすぎず、逆に所有に否定的な情報は隠されていた。
 昨年十二月に国連に提出された「イラクのウラン五〇〇トン輸入の動き」を示したというニジェール政府の公式文書は、実は偽造だった。また昨年九月に発表された米国政府の「欺瞞と反抗一〇年」と題する文書と、今年二月の国連でのパウエル演説による「新証拠」はほとんどが根拠のないものか、偽造であった。例えば「生物化学兵器を湾岸戦争前に製造していた」とする亡命者・フセイン・カメル中将の証言から「湾岸戦争前に」を削除して使ったのだ。
 英国では二月にブレア政権が発表した「イラクーその隠匿、偽造、脅迫の構造」という政府報告書は大半が米国の大学院生などの論文の無断転載であり、偽造であったことが判明し、英国議会で問題になっている。開戦後に辞任したショート前国際開発相は「(首相は)昨年夏には対イラク攻撃の方針を決めていたはずだ」と証言し、先に攻撃の結論があったことを証明した。
 小泉内閣は北朝鮮の危険を考慮にいれて考えれば、日米同盟こそ最優先の課題として、「同盟国米国のイラク攻撃」を世界に先駆けて支持した。その論理は「大量破壊兵器によるテロは冷戦後の世界の最大の脅威であり、イラクは過去に同兵器を使用したし、過去十二年間、国連決議に違反し、査察を妨害してきた。これらの兵器は現在も行方不明であり、使用される危険性がある」というものだった。
 この米国支持の大前提が根拠がなく、米英両国政府が「開戦の口実をつくる」ためにウソをついていたことが証明されつつある。
 国会では小泉首相の「サダム・フセインが見つかっていないからといってサダムがいなかったことにはならない。同様に大量破壊兵器が見つかっていないからといって大量破壊兵器が存在しなかったとは言えない」という珍論がとびだした。
 小泉政権は今回のイラク派兵法作成にあたっても、米国支持の根拠にした大量破壊兵器問題を正当化しようとして、苦し紛れに自衛隊の活動のひとつに「大量破壊兵器の処理活動」を入れていたが、自民党の中からさえ異論がでて、削除せざるをえなかった。まさに日本政府の米英両軍の攻撃支持の態度そのものの前提が崩壊しているのだ。これも今回の「イラク派兵法」の不当性を示すものだ。

C戦場への派兵、自衛隊は初の交戦か

 同法案の第二条「基本原則」には「対応措置の実施は(憲法第九条に違反する)武力による威嚇又は武力の行使にあたるものであってはならない」として、「現に戦闘行為が行なわれておらず、かつ、そこで実施される活動の機関を通じて戦闘行為が行なわれることがないと認められる地域」だとしている。
 「非戦闘地域」への派遣という口実について、政府は「派遣前に綿密に調査することで区分けが可能だ」とし、石破防衛庁長官は「戦闘行為は、国や国に準ずる組織による組織的計画的な武力の行使だ。強盗の発砲は戦闘とは言わない」と述べ、治安は悪いかも知れないが、それだけでは戦闘地域とは言えないと強弁している。
 しかし、イラク現地からの報道は戦闘が連日続いており、米英軍にもイラク人にも戦死者が続発していることは明白だ。六月十三日、米駐留軍を指揮するマキャナン司令官は「イラク全土はまだ戦闘中であると考える」と述べ、現在のイラクでは法案がいうような戦闘地域と非戦闘地域の区分けは不可能と断言している。石破防衛庁長官は「定義の仕方が違う」などと弁明しているが、今回のイラク派兵が準戦場への派遣であることは明白だ。イラク人は自衛隊と米英軍を区別しないであろうし、自衛隊もまた占領者、侵略者とみなされるだろう。よって自衛隊がイラク人を殺す可能性は濃厚であり、また自衛隊から戦死者がでる可能性も濃厚だ。
 まさに憲法第九条についての明白な違反となっている。
 加えて武器使用の問題でも従来のPKO法の枠を超えて小型砲まで携行可能にしようとしているし、自衛隊の「交戦規則」(ROE)の策定も検討されており、与党内部には武器使用基準緩和の要求が根強くある。これらが自衛隊員の安全のためなどという口実で議論されているのは笑止千万だ。熱暑のアラビア海に自衛隊員を年に幾度も派兵し、今度は戦場にまで派兵する。それでも下士官クラスは連日の規定違反の宴会で疲れを癒せるが、兵士クラスはそれもできない。自衛隊員だって戦場には行きたくないのだ。起立違反の宴会がチクられたのはそうした隊員の怒りの反映だ。
 政府は法案第三条で自衛隊派兵の根拠を国連安保理決議一四八三などに求めて「イラクの国民に対して医療その他の人道上の支援を行い若しくはイラクの復興を支援することを国連加盟国に対して要請する国連安保理決議一四八三又はこれに関する安保理決議等に基づき」としている。しかしこの決議はフセイン政権の崩壊と米英軍の軍事占領という既成事実の前に、他の諸国が自国の利害や、イラクの復興を計算して妥協の産物として決議された問題の多い決議だ。この決議では軍隊の派遣は必ずしも要求していないことが確認されなくてはならない。しかし米英以外の諸国の活動は米英の占領行政機構(CPA)のもとで行われるとも規定している。派遣される自衛隊もこの指揮下に入ることになるのだ。
 同じく法案第三条の中には「安全確保支援活動」として、その業務を「国連加盟国が行なうイラクの国内における安全及び安定を回復する活動を支援するために我が国が実施する医療、輸送、保管(備蓄を含む)、通信、建設、修理もしくは整備、補給又は消毒(これらの業務に付帯する業務を含む)とする」としている。ここでは戦闘と一体化する憲法違反となるとして「テロ特措法」では認めていなかった武器・弾薬の陸上輸送を否定していない。福田官房長官や公明党の幹部らは「ひとつの荷物から武器・弾薬を区別することは不可能だ」などと説明して、この明白な憲法違反を突破しようとしている。

D米軍の戦争支援、またも安保体制の変容

 以上、大まかに見ただけでもこの法案の不当性は明白だ。ほかにも活動期間が四年と長いことや、国会との関係など問題点は多数存在する。これらを議会の数の力で短期間のうちにゴリ押しするようなことを許してはならない。
 小泉内閣は「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」という米国政府の要求に唯々諾々と従いながら、イラクにおける石油などの利権の分け前に預かり、またグローバルな規模での日米同盟を推進しようとしている。この政権は史上まれにみる極悪の内閣だ。米国がいまイラクでしていることは、強盗に入って、衣類(石油)を盗みだし、それを叩き売りしているようなことだと言った人がいたが、日本政府はその売り子の役を買ってでているのだ。
 先の日米首脳会談と有事三法、そして今回のイラク派兵法を通じて、日米安保体制はまたも大きく変容しようとしている。
 平和憲法体系を駆逐しながら、戦争遂行可能な国家づくりが急速に進められている。立憲主義は事実上、地に捨てられた。
 この流れに抵抗する時はいまをおいてないのではないか。


横浜事件再審開始を勝ち取ろう

      「板井庄作さんを偲ぶ会」が開かれる


 労働者社会主義同盟の老同志であり、長く共産主義運動、アジアアフリカ人民連帯運動で活躍されてきた板井庄作さんは、三月三一日に亡くなった。板井さんは、戦前の最大の言論弾圧事件・横浜事件の最後の生存者として裁判の再審請求のために闘ってきた。そして、亡くなられてから半月後、横浜地裁は再審開始決定を行った。検察側は即時抗告したが、再審開始決定は画期的なものである。いままた戦争体制つくりが進行するなか、戦前の天皇制による侵略戦争遂行のために反戦運動はじめ反体制的動きを圧殺してきた治安維持法による裁判に再審の道がひらかれる意義は大きい。

 六月二九日、東京・文京区民センターで「板井庄作さんを偲ぶ会」が、板井さんと交友のあった人びと、横浜事件の関係者の方がたなどがあつまって開かれた。「偲ぶ会」が、加藤長雄(アジア・アフリカ人民連帯日本委員会)、木島惇夫(人民新報社)、木村まき(横浜事件再審請求人)、高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会)、田中伸尚(ノンフィクションライター)、谷栄(旧くからの知人)、花村健一(樹花舎代表)、松原明(ビデオプレス)などの人びとによって呼びかけられた。
 会は、高田健さんの司会ではじまった。
 はじめに、松原明さんが挨拶し、ビデオプレスが「偲ぶ会」のためにつくったビデオが上映された。ビデオでは、板井さんが、昭和塾のこと、横浜事件のこと、第三次再審請求にむけての決意などを語っている。
 木島惇夫さんが板井庄作さんの経歴を紹介し、つづいて環(たまき)直彌弁護士が「横浜事件再審決定の意義]について講演を行った(下段に掲載)
 アジアアフリカ人民連帯日本委員会理事長の加藤長雄が挨拶し献杯の音頭をとった。板井さんとは長年のつきあいで、戦後は、私が社会党左派の事務局長的な役割で共産党の板井さんたちと協力していろいろな仕事をした。また、日中友好運動、アジア・アフリカ人民連帯運動では一緒に闘った。いま、日本には厳しい逆風が吹いているが、しかしいつまでも逆風はつづかないことを信じて努力していきたい。板井さんの遺志を引き継ぐことを誓って、献杯!
 内田剛弘弁護士は、中央公論で木村栄さんの同僚であり拷問によって獄死した浅石晴世さんが青山墓地に葬られていることをつきとめ、板井さん、木村まきさん、浅石さんの婚約者だった小泉さんとともに墓参したことについて話した。
 第三次再審請求請求人の木村まきさんは、板井さんの写真を木村栄さんのアルバムで見て、とても可愛い方だとおもったこと、再審請求の運動で板井さんの存在がとても心強かったこと、第三次再審請求の直前に亡くなった木村栄さんの悔しさを板井さんに味合わせたくないが再審開始決定に間に合わず亡くなられて残念だったことを語り、地裁の再審開始決定書を板井さんの遺影に供えた。
 山田聡子さんは、細川嘉六さんお連れ合いの山川暁夫さんのさんの親密な関係、細川さんから託された五十冊ほどのドイツ語のマルクス・エンゲルス全集(横浜警察、裁判所の判がついていた)などについて話した。
 静岡から参加した塚本春雄さんは、静岡での横浜事件再審請求集会について報告し、その集会に参加した板井さんが「もっと声をあげなきゃ」といっていたこと、いまこそ板井さんの言ったように運動を起こさなければならない時だと述べた。
 わだつみ会の谷栄さんは、板井さんのお父さんと私の父が同級生だった関係で、五歳の時からずっと板井さんを知っていて、板井さんは勉強にもスポーツにもすぐれ、私の母が、いつも、「庄ちゃん」(板井さん)のようになってほしいと言っていたと板井さんの少青年時代の思い出を語った。
 吉永満夫弁護士は、板井さんが裁判所に出した書類の中で、「検事は下級の警察官をつかっていろいろ残虐なことをしているが自分は手を下していない、非常に卑劣な人間だ、裁判官もそうだ」と言っています、当時も現在も司法がしっかりしていないし、今裁判が二年間で判決を出すということでますます粗製乱造になってきている、司法をしっかりさせるためにも横浜事件の無罪をかち取ることが大事だと述べた。
 社会運動史研究者の本村四郎さんは、板井さんには何度かお会いして、近代社会運動史人物大事典にも板井さんのことを書いた、昭和史を総括することがますます重要なことになってきており、横浜事件では、特高だけでなく検察、裁判官の役割もはっきりさせていかなければならない、と述べた。
 森川金寿弁護士は、私は一九一三年生まれだが、横浜事件再審請求は長い闘いになって、木村さん、板井さんなど多くの人が亡くなった、こうした事件をふたたび起こさせないようにしていくために努力していかなければならない、と述べた。
 吉原真次アジアアフリカ人民連帯事務局長代行は、板井さんは年下の人でも見下すようなことはなかったし、「君子乱れず」の言葉通りどんな苦境にあっても平然としていた、これからも板井さんの残した仕事を継続させていきたい、と述べた。
 最後に司会の高田健さんが、参加の御礼を述べるとともに、いままた戦争の危険が近づいてくる中で、板井さんの願った反戦運動の前進、横浜事件の再審開始にむけてともに頑張っていこうと閉会の挨拶をおこなった。

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横浜事件再審決定の意義

              横浜事件再審請求弁護団主任弁護人  環 直彌 


 昭和六一(一九八六)年に横浜事件の第一次再審請求が起こされ、森川金寿弁護士を中心に弁護団が結成されました。しかし、昭和六三(一九九一)年に最高裁に棄却されました。
 そこで、平成七(一九九五)年頃から、横浜事件再審弁護団は第三次の再審請求はできないかと検討をはじめ、第一次の際の弁護団のみなさん、それに新たに私が加わりまして準備を進めておりました。やっと平成一〇(一九九八)年の八月になって、第三次再審請求えを起こすことができました(<注>請求人は、 板井庄作、勝部元、畑中繁雄<以上当事者>、木村亨、小林英三郎、高木健次郎、平館利雄、由田浩の各遺族)。
 板井さんは、かならずといっていいほど弁護団会議に出席し、非常に冷静に、しかも情熱的に第三次再審請求について語っておられました。
 第三次再審請求を起こす前に、それまで中心的に再審請求を闘ってこられた木村栄さんが亡くなられてしまいました。再審請求を起こしたということを木村さんにご報告できなかったし、再審請求をおこしてからも、勝部さん、畑中さんがあいついでおなくなりになりました。唯一の生存者となった板井さんはとくに責任を感じられたというか、それらの方々の代表でもあるという自覚を強くおもちになられまして再審請求を行った。その姿が深く私の瞼にきざまれています。
 ところがその板井さんが、再審開始決定に間に合わずにおなくなり、霊の前に再審開始決定を報告するという悲しいことになり、そのことを考えると胸がつまる思いです。
 板井さんは昭和一八(一九四三)年の九月九日にいわゆる「政治経済研究会」の一員として検挙され、警察の著しい拷問に堪えながら、敗戦の後の八月二四日に予審終結決定というのがあって、八月三〇日にわけのわからんような判決(治安維持法違反で懲役二年執行猶予三年)がでた。
 板井さんは、再審請求で裁判所にもご自分の考えを述べた書面を出された。次のようなものです。私が裁判官に望むのは、法廷で聞いてもらいたいことは、果たして治安維持法で罪にあたいしたのかどうか、また日本の敗戦により天皇制が崩壊したにもかかわらず、天皇制を護持するための法律によって、私を有罪とできるのか、その点を明らかにするのが裁判所の役目である、と。さらに、日本の裁判所は、私にたいして一度も私の言い分を聞かずに裁判をしたと言う事実を正すためにも、この再審裁判で私の言う話を聞いていただきたい。私は年齢八五歳になり、裁判所に一度も私の言い分を聞いてもらえず、犯罪者として一生をおえるのはいくらなんでも堪えられない。また、戦前の裁判所の犯罪を徹底的に追及するのがこの再審請求の目的であるとおっしゃっていました。このことは、板井さんにかぎらずすべての請求人について言えることです。弁護人についても同様です。
 横浜事件には、みなさんご存知のようにほとんど記録がありません。判決は一通もありません。予審終結決定もごく一部しかありません。それから訴訟記録はまったくありません。そういう困難な状況の中でこの再審を開始させるにはどうしたらいいだろうかということで、われわれ弁護人も焦ったわけであります。
 第二次再審請求は、拷問によってこの事件がでっち上げられたんだと言うことを中心に主張しました。第三次再審請求では、四つばかり再審開始の理由を述べました。なんとかして再審を開始させたいと言うことで、ポツダム宣言受諾によって治安維持法の当該条項、板井さんたちが処罰の対象となった一条と十条などという規定が実質的に無効になった、だから裁判所としては刑を言い渡すことはできない、訴えを免ずる、免訴という手続きをするべきなんだという主張を考えだしました。これをつけくわえて第三次再審請求を起こしたわけです(<注>治安維持法一条「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結杜ヲ組織シタル者又ハ結杜ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処シ…」。同法一〇条「私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結杜ヲ組織シタル者…一〇年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス」)。
 第三次再審請求の理由すべてみな大変に難しいことがありましたが、弁護団などがおおいに頭をしぼりまして、とにかく、ポツダム宣言受諾によって治安維持法の規定が実質的に無効になったということを、学者に鑑定を求めることにしました。裁判所としても、そうであるなら記録がなくても裁判ができると、大変に乗り気になってきた。その乗り気になってきたところで、われわれは、鑑定を提出したわけです。裁判所はそれにのっかってきたわけです。
 しかもその鑑定人となった京都大学の大石真教授がわれわれの主張と全く同じといってもいいような鑑定の意見を述べてくれました。
 こういうことがあって、第三次再審請求での鑑定請求が認められて再審開始の決定がなされたわけであります。
 この再審開始決定についてはみなさんご存知のことと思いますが要点を申し上げます。昭和二〇(一九四五)年の八月一四日に日本がポツダム宣言を受諾した。そのことによってポツダム宣言は国際的に法律としての効力をもち、しかも天皇がポツダム宣言を受諾したという詔書を書いた。このことによって、ポツダム宣言は国際的に効力を持つだけでなく国内法としても効力を持った。ポツダム宣言は国内法としての効力を持つと結論されると治安維持法はどうなるかが問題となる。ポツダム宣言には治安維持法の一条、十条に書かれていることと矛盾するようなことの廃止が降伏条件として求められている。したがって、ポツダム宣言が国内法として効力を持つということになると、それと矛盾する治安維持法一条十条は効力を失うという結論です。
 そうすると、板井さんたちを処罰する法律的根拠がなくなったわけですよ。そうなりますと、これが一体、旧刑事訴訟法の再審事由にあたるのかどうかということになります。裁判所は、再審は事実認定の誤りをただすために存在する制度なんだという考えが普通です。しかし、免訴にすべきも再審にいれているんだから、刑が廃止されたと、こういう場合までいれるべきです。横浜地裁は、再審開始理由としてこれを認めて開始決定をしたわけです。
 ただ考えますと、われわれが横浜事件再審を求めたのは、悪法中の悪法である治安維持法による事件、しかも拷問によって事件が捏造されていった、それに司法が犯罪的に関与したという趣旨で再審開始を求めたわけですから、その実態を明らかにするんだという目的があったわけです。それで、こういう理由で再審開始決定されたのでは、十分目的は達せられていないのではないかという懸念も多少はございます。
 しかしながら、このような理由であっても、再審開始が決定された以上は、治安維持法が悪法であること、この事件が冤罪であり捏造されたものであること、これらのことを明らかにする方法はこれからのやりかた次第で十分かなうことであります。
 再審開始決定は第一審の決定でありまして、検察官も即時抗告をして争う姿勢を示しております。再審開始決定が終局的に決まるまでには時間もかかります。しかしわれわれとしては、再審開始まで決定的に努力を致していくつもりです。再審開始にもちこんで、今度は再審公判において、横浜事件の裁判というものがいかに国家・司法の犯罪的な裁判であったかということを明らかにしていくつもりでおります。

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横浜事件とは

 警察の当時の秘密資料『特高月報』一九四四年(昭和十九年)八月号は、「神奈川県における左翼事件の調査状況」を次のように報告している。
 「神奈川県に於いては昭和十七年より本年(昭和十九年のことー引用者)に掛け、それぞれ人的連係を持つ一連の事件として『米国共産党員事件』、『ソ連事情調査会事件』、細川嘉六を中心とするいわゆる『党再建準備会グループ事件』、『政治経済研究会事件』、『改造社並びに中央公論社内左翼グループ事件』、『愛政グループ事件』等、総員四十八名を検挙し」云々。そして神奈川県特高は、これら組織的になんの関係もないいくつかのグループ、個人の活動を、すべて細川嘉六先生を中心人物とするコミンテルン及び日本共産党、この「両結社の目的遂行のためにする行為」、「国体を変革することを目的とする行為」―治安維持法―としたのであった。
 この架空の事件をでっち上げるために彼らが頼った唯一の「証拠」は、凄惨きわまる拷問による「自供」だけである。その犠牲者は獄死したもの四名、釈放直後死亡したもの一名、失神状態に陥ったもの三十余名である。
【板井庄作「横浜事件第三次請求にあたって」(人民新報)】九一二号より】


夏期カンパの訴え

   労働者社会主義同盟中央常任委員会


読者のみなさん!
 多くの反対の声を押し切って小泉内閣は有事法を成立させました。自民党、公明党、保守新党、そして野党第一党でありながら裏切り的に法案に賛成した民主党など、私たちは、これらの政党を戦争体制づくりの犯罪者として糾弾し続けなければなりません。
同時に、いっそう民衆の運動を強め、戦争法具体化反対と戦争非協力の態勢をつくるために奮闘する決意です。
 イラク侵攻の口実となった「大量破壊兵器」も発見できないまま、アメリカのイラク占領は中東諸国の人びとの占領反対の動きを拡大させています。それは、イスラエルの横暴なパレスチナ民衆への攻撃に対する反発とあいまって中東情勢を一段と混迷状況に持ち込んでいます。しかし、小泉政権はそのイラクに自衛隊を派遣しようとしています。それだけではありません。有事法制は朝鮮半島をはじめ北東アジアの緊張を激化させてています。また、小泉政権は、労働基準法はじめ労働法制、社会保障、教育などすべての局面にわたる大改悪、そして増税などの攻撃をしかけてきています。
 私たちは、これまでにもまして多くの人びととの協力を拡大して、さらに反戦平和、憲法改悪阻止、労働者・勤労人民の生活防衛の闘いを前進させていくつもりです。
 戦争システムづくりと労働者・人民の権利の抑圧や生活破壊の攻撃を絶対に許さずともに闘っていきましょう。
 私たちは、これらの闘いのなかで、社会主義の理論と運動を再生するための努力を強める課題を追求していきます。
 読者の皆さんにともに闘うよう訴えます。あわせて、その活動資金確保のための夏季カンパと、機関紙「人民新報」の購読を訴えます。

二〇〇三年夏