人民新報 ・ 第1103号<統合196> (2003年8月5日)
  
                  目次


 ● 相次ぐ反動立法と急速に強まる明文改憲の動き  「改憲義連」は来夏に調査会最終報告書提出を目標

      反動的で反民主的な自民党の憲法改正要綱(案)

 ● 2003ピースサイクル走る  

    戦争から平和へのギアチェンジ  東京ピースサイクル

    ピースメッセージを広島・長崎へ  練馬ピースサイクル

    人肌の感動と平和への想いをつないで  長野ピースサイクル

 ● 日本共産党の綱領改定について  六一年綱領路線の行き着いたところ   橋本勝史

 ● 資 料

     イラク特措法案を廃案とすることを求める要望書 (元防衛庁教育訓練局長 新潟県加茂市長小池清彦)

 ● メキシコの画家・フリーダ・カーロとその時代展 今を生きる私たちへのメッセージ

 ● 広河隆一写真集 「 アメリカはイラクでなにをしたか ;

 ● 複眼単眼 / 『草の実会』 このすばらしい女性たちの集団




相次ぐ反動立法と急速に強まる明文改憲の動き

  
「改憲義連」は来夏に調査会最終報告書提出を目標

    
反動的で反民主的な自民党の憲法改正要綱(案)

歴史的な悪法量産の一五六国会

 七月二八日、第一五六国会が終わった。この国会は評論家の佐高信によって
「地獄の釜のフタが開いた」と評された第一四五国会にまさるとも劣らない違憲法案採択続出の反動的な国会であり、国の進路を「(欧米諸国並みに戦争のできる)普通の国家」づくりにむけて本格的に踏みだしたという点で記憶すべき歴史的な国会だった。
 この国会では昨年通常国会から継続審議となってきた「有事関連三法」に加えて「イラク派兵法(復興人道援助特別措置法)」など安保関連の重要法案や、「個人情報保護関連五法」「改正雇用保険法」「改正労働基準法」「改正所得税法・法人税法」などの悪法が制定され、「テロ特措法改正案」「祝日法改正案」などが継続審議とされた。
 政府与党は秋に予定している総選挙の前に臨時国会を開き、十一月で期限が切れる「テロ特措法」の延長を議決し、イラク派兵を年内に実現しながら、来年年頭からの通常国会で、先の有事関連三法を具体化するための「有事関連五法案(国民保護法制案、米軍支援法案、自衛隊協力法案、国際人道法関連二法案)」を一括で採択しようとしている。
 いま政府が着手した「派兵恒久法案」の提出は通常国会になるか、それ以降になるか、目下のところは不確実だが、この驚くべき違憲法案の上程も時間の問題となった。もしこの「派兵恒久法案」に集団的自衛権の行使の合法化のための条項を加えないとすれば、次に来るのは、タカ派集団「若手議員の会」がいうようにそれをも含んだ「国家安全保障基本法」の制定だ。そしてこれらに連なるのが憲法改悪の具体化、明文改憲の動きだ。

憲法調査会の進行をにらんで自民改憲要綱案

 報道によれば七月二五日、中山太郎元外相を会長とする「改憲義連(憲法調査推進議員連盟)」が総会を開き、中山会長が「今年中に憲法調査会で憲法の全条文の調査を終え、来年の通常国会末までに最終報告書をまとめたい」と発言するなど、各党の参加者から改憲をめざした発言が相次いだ。
中曽根康弘元首相は「来年は憲法調査会のしめくくりの年になる。各党が意見を競いあうそういう政治構造の年になる」とのべ、赤松正雄・公明党憲法調査会事務局長は「公明党は護憲から論憲、加憲(かけん)とすすんできたが、『い』の字を加え、『かいけん』へすすむのにあと一歩だ」と述べた。中山会長が来年末を「メド」にしている憲法調査会の設置期限を半年も残して最終報告を出そうとしているのに呼応するかのような改憲促進の発言だ。
 この改憲義連の総会の前日、二四日、自民党の憲法調査会総会(葉梨信行会長)総会が開かれ、ここに同党憲法改正プロジェクトチーム(谷川和穂座長)からだされた安全保障分野に関する「憲法改正要綱案」を了承していた。先の改憲義連の動きはこれに直接連動したものだ。
 同プロジェクトチームは今後一年程度をかけて、さらに天皇、基本的人権、統治機構、司法、地方自治、前文などの改定案の作成に取り組む予定。当面、「憲法改正の最大の争点」である安全保障分野の改定案を提起することで、「(政府の憲法解釈が)説明は限界に来ている。(国防とともに)国際貢献にも問題を起している」ところの憲法九条を中心に改定に着手する必要性(谷川座長)を強調した。

国防軍の設置と、国民の国防の義務

 同要綱案は先に報道された「国防軍の保持」という表現を「自衛軍の保持」と変えたうえで憲法に明記し、これまで違憲とされてきた集団的自衛権の行使を規定、国民の国防の責務も明記し、さらに現行憲法にはない国家緊急事態の措置も明記した。
 第一に「日本国家は…個別的自衛権および集団的自衛権を有する」として、そのための「自衛軍を保持する」としている。自衛軍の任務は「自衛権行使、国家緊急事態への措置および国際貢献に関わる措置の実施」とした。これは第一に「憲法を中学生のような素直な目で読めば自衛隊は憲法違反だ」という、最近、自民党の議員の中でもしばしばでてくる自衛隊違憲論の存在の余地がないように憲法九条を明白に否定するものだ。第二には歴代政府が集団的自衛権の行使を、憲法九条の規定との整合性上、「集団的自衛権は保持しているが、行使はできない」としてきたことの矛盾を明文で解決しようとするものだ。集団的自衛権とは同盟国あるいはそれに準ずる国が外国から武力攻撃を受けたときに、自らは攻撃を受けていなくとも実力で攻撃に反撃する権利のことであり、専守防衛などの自衛権とは異質なものだ。これは九条の精神の完全な否定であり、帝国主義的な「普通の国」化にほかならない。
 加えて国民の「国家の独立と安全を守る」責務を明確に規定することで、国民の国防の義務を明確にし、国をあげての戦争体制づくりを可能にするものとした。

戒厳令を想起させる緊急事態命令など

 「国家緊急事態」の規定については、次の三種類の場合を想定した。
 (1)防衛緊急事態=外部からの武力攻撃で国家の独立や安全に重大な影響が生じ、また生ずるおそれのある事態、
 (2)治安緊急事態=テロリスト等による大規模騒乱やわが国の民主的な基本秩序に対する差し迫った危険が生じ、または生ずるおそれのある事態、
 (3)災害緊急事態=大規模自然災害等で国民の生命、身体、財産に重大な被害が生じ、また生ずるおそれがある事態だ。
この場合、首相は「国家緊急事態」を宣言することができる。そして防衛緊急事態および治安緊急事態においては、首相は自衛軍に出動を命令できるし、国民に対して「命令」を発し、地方公共団体を「直接指揮」できるとしている。これは事実上の「戒厳令」で、この間に人びとがかち取ってきた民主主義に逆行するものでり、時代錯誤もはなはだしいもので絶対に許せない代物だ。
 政府・与党のあいつぐ反動的な攻撃にたいして、後追い的に対応するだけでなく、これらの動きを見据えた、長期的視野を持った能動的な運動の構築が望まれる。


156国会小泉首相妄言録

 もっと大きなことを考えなきゃいけない、総理大臣として。その大きな問題を処理するためには、この程度の約束を守れなかったというのは大したことじゃない。 (一月二三日、衆議院予算委)
 世論にしたがって政治をするとまちがう場合もある。 (三月五日、衆議院予算委)
 フセイン大統領がいまだ見つかっていないからイラクにフセイン大統領が存在しなかったということ言えますか、言えないでしょう。 (六月十一日党首討論) 
 ブッシュ政権を危険な政権と断定しながら、これからの日米関係をどうやっていくのか。アメリカとの同盟関係をどう考えているのか。 (七月二三日、党首討論で菅・民主党代表に)
 非戦闘地域はあると思う。イラク国内の地名とかを把握しているわけじゃない。どこが(派遣可能な)非戦闘地域で、どこが戦闘地域なのか、いま私に聞かれたって分かるわけがない。 (七月二三日、党首討論で菅・民主党代表に)
 野盗、強盗の類に襲われたら、殺される可能性がないとは言えない。戦って相手を殺す場合もないとは言えない。 (七月九日、参議院委員会)


2003ピースサイクル走る  

   戦争から平和へのギアチェンジ  東京ピースサイクル

 東京ピースサイクルは、七月一八日、一九日の二日間の日程で行われ、延べ五〇人以上が参加した。梅雨空が続くはっきりしない空模様の中、暑くもなく寒くもない例年になく快適な実走となった。
 一八日は、千葉県松戸市役所の要請行動から始まった。吉野市議会議員を中心に国会で成立した『有事法制』への対応や環境問題や人権問題について活発な論議が行われた。とくに『有事法制』については、非核平和都市宣言をしている自治体の方針と矛盾する法案であることを前面に押し出し、市側も市民の平和と安全な生活を守ることこそが第一義的な使命であると回答せざるをえなかった。
 次に外環道路建設反対住民との交流を行った。今回は、実際に工事現場の中に入り、工事の進捗状況や完成時が一〇車線(生活道二車線含む)の大型道路になることなど現場責任者(鉄建公団からの出向者)から説明された。工事自体はここにきて遅れが出始め、かなりの予算がかかっている。反対運動も大気汚染や騒音など着実に環境が悪化している点も含め、この不況のさなか、公共事業に莫大な予算をかけて良いのかと訴えていた。
続いて葛飾区役所に対して政府から有事関連の要請があったときは、協力を拒否するよう区民のくらしを政治にいかす会と連名で要望書を提出した。
 続いて東京都江東区に昨年三月に開館した東京大空襲・戦災資料センターを見学した。昨年に続いて二度目の訪問となる。貴重な資料を拝見しながら、何としても戦争の悲惨さを後世に伝え、二度と戦争を起こさせてはならないと決意を新たにした。そして潮見教会まで走り交流会を行い、千葉ネットから引き継ぎをした。交流会では、働きながらライブ活動を続けている方を招き、『イムジン河』をはじめ『がんばろう』など全員で合唱し大いに盛り上がった。
 翌一九日はビキニの水爆実験で被曝した第五福竜丸展示館から出発し、ひたすら海岸通りを走り大田区大森東へと向かった。ここにある干潟・内川河□を埋め立て人工的な海浜公園(人工干潟も含む)を作る工事が進められている。以前、大田ピースサイクルで取り上げた経緯がある。現在、あのときの自然の宝庫だった景色はなくなっていた。あまりの変わりように愕然とした。今、ここで新たな問題が発生している。河口に隣接している東京ガスの旧大森工場から廃棄された約三〇〇〇uものガラ(コークスを燃やした残滓)があることが判った。しかし、大田区はこの産業廃棄物のガラを除去せずに、海底土と混ぜてそれを新しく造成する干潟に使用すると説明し、工事を続行している。ガラの入り混じった干潟の再現は危険で素足で遊べず、それを阻害するものである。私たちはその現場を目に焼き付け交流会場である大田区立生活センターに向かった。
 交流会では別ルートで練馬区役所から多摩川サイクリングコースを走って来た練馬ピースサイクルの仲間と合流し、新しい区長になった練馬区から広島市長、長崎市長、ピースサイクルに対してメッセージを託されたこと、また、参加者から途中までマラソンで参加された仲間を先導に走ったことや、四〇キロも長い距離を走れるか不安だったが完走できて良かったと報告された。大田の地域の方たちや内川と内川河口をよみがえらせる会の方も参加し経過や問題点など訴えた。
 二〇日は、神奈川県川崎市役所でピースサイクル神奈川ネットの出発式に参加し無事に引き継いだ。 その後、午後から渋谷の宮下公園でのWORLD PEACE NOW主催の集会に参加し、イラク派兵法反対の声を上げた。多くの反対の声を無視して小泉政権は有事関連三法を成立させた。戦争への準備が着々と進められている。今度はイラクに自衛隊を派遣しようとしている。自衛隊員が被害にあう可能性もあれば加害者になる可能性もある。そのような状況下で絶対に行かせてはなるまい。
 今回、ピースサイクルを終えて、多くの方の戦争反対の想いを受け止め、ピースサイクルを通じて全国に発信したい、戦争の悲惨さ、愚かさを。そして、日本が二度と同じ過ちを繰り返さないためにも。ヒロシマ、ナガサキ、六ヶ所村を目指して、戦争から平和へのギアチェンジを実現させよう!(東京通信員)

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   ピースメッセージを広島・長崎へ  練馬ピースサイクル

 七月十九日、全国ピースサイクルの日程にあわせて、練馬区から大田区までのルートで自転車を走らせました。今年は、区長が交替したこともあって、あらためて広島・長崎両市およびピースサイクル宛のピースメッセージを志村練馬区長よりうけとりました。
 午前九時、女性二名を含む十三名(初参加二名)で、練馬区役所を出発。夏休み初日とあって交通量がやたら多い。とても車での伴走がなどできない。休息地には自転車のほうが早く到着する。世田谷区の芦花公園を経由して等々力渓谷で昼食。午後は、多摩川のサイクリングロードを快適に大田区まで走りました。
 午後五時、大田区役所隣の生活センターで、第五福竜丸展示館から走ってきた本線ルートと合流し、交流会を開催しました。病に倒れ、久しぶりに会った人もいます。ピースサイクルには何としてもとかけつけてくれたのです。
 今年の「練馬からピースサイクル」は、反戦の強い思いを持ちながらも、サイクリングを楽しむことに主眼をおきました。のんびりしたスケジュールで約四十キロ、全員無事完走しました。(練馬事務局M)

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  人肌の感動と平和への想いをつないで   長野ピースサイクル

 今年の長野ピースサイクルは、七月一三日(日)梅雨の明けきらない長野県の木曽路から始まった。
 木曽漆器で有名な楢川村の奈良井宿から松本までの約四五キロ。観光で訪れている多くの人々に、「有事法制反対」「すべての核廃絶」「憲法九条を世界に」「長野県の豊かな自然を守ろう」などをアピールしながら自転車を走らせた。この日の参加者は一七名で例年に比べると若干少ないが、時々小雨のパラつくなかを全員が元気に走り抜けた。参加者は手作りのロゴ「戦争反対」NaganoPeaceをあしらったTシャツを着たり、「有事法制反対」のワッペンを着けて走った。
 一週おいた七月一九日には、松本市のあがたの森と佐久市役所前の二カ所から出発して宿泊地(松代大本営跡に近い)である更埴市の森温泉をめざした。この日はほとんど曇り空の下、いつもの夏とは違って少し気温の低いなかで、サイクリングとしては最適な条件で走った。そのために休憩時間も少な目で、例年になく早い時間に宿泊地に到着した。
 その分みんなの疲れが少なかったせいか、夜の交流会は遅くまで盛り上がった。今年の学習企画は「イラク反戦ビデオー立ち上がる市民(ビデオプレス制作)」の鑑賞をメインに、実行委員でビデオ編集の仕事をしている女性の制作になるオリジナル版「二〇〇二年長野ピースサイクル」を観て、昨年の活動を振り返えった。今年のハプニングもいろいろあって、いくつものエピソードに話の花が咲いた。
 七月二〇日(日)この日は、いよいよ長野ピースサイクル参加者を「とりこ」にする、心臓破りの急で長い坂の続く新潟県との県境のコース。宿を出発して松代大本営跡に立ち寄り、長野県自然エネルギー研究所のある須坂市へ。夏らしい暑さに本番ピースサイクルの実感が沸いてくる。長野ピースサイクル名物の「冷たいトマトときうり」に参加者の手がようやく出始めた。昨日までの「暗雲たれ込めている日本」を象徴するような天候とはうって変わった青空に、参加者の顔が晴れ晴れとしてくる。距離(約六〇キロ)は短いとはいえ、長くて急な上り坂を前に、みんなの顔に熱気がみなぎってくる。必死でペタルを漕ぎながらもお互いに励まし合う声が聞こえてくる。沿道には伴走のスタッフのほかに、車で応援に駆けつけた参加者が励ましの声を掛ける。約二〇名がいつもより少し早いペースで二日めの宿泊地(信濃町やすらぎの森キャンプ場)に到着。あいにく雨が降り始めたが、野菜たっぷりの焼き肉、焼きそば、焼きうどんと昔ながらのお釜で炊いたおいしいご飯に舌鼓を打ちながら、しっかりと盛り上がった。最後に寝た人は二時過ぎだったとか。
 七月二一日(月)昨夜からの雨が残るなか、上越までの約四五キロを雨ガッパに身を包んで走る。下りが多いとは言え、かなりつらい走行となった。それでも一時間後くらいには雨が上がりはじめて、上越市の海に近づく頃にはいつもの夏が戻ってきた。海の見える海岸線を走りながら、「海の日」の所以をふと思い出す。日本海の水平線に何隻もの「軍艦」が見える日が来ないように、闘いを続けなければとあらためて思う。
 最初の出発が遅れた分若干遅くなったが、海の家に到着して、全員が参加しての感想や新たな決意を述べあい帰路についた。

今年は、このあと長野ピースサイクルの四名が大阪ピースサイクルに合流して、広島まで行くことになったため、いつもより早めの日程となり、総参加者は四二名といつもより若干少なかったが、長野ピースサイクルの新しい歴史の一ページが加わった。日程の関係で参加出来なかった人々からも、ピースメッセージや秋のホリディーピース、他の行事には参加したい旨の連絡も入っている。出発地点に急遽駆けつけて見送ってくれた人、熱を出して走れなくても宿には駆けつけてくれた人、大阪から参加した人などがいて、「平和への想いをつないで」二〇〇三年長野ピースサイクルの夏の本走は一区切り。
 これから、大阪ピースサイクルへの参加、報告集の作成、反戦集会などの行動、秋のホリディーピースと長野ピースサイクル実行委員会の行動は続いていく。思えば一三年間で五〇〇名に近い人々が、何らかの形で長野ピースサイクルに関わって来た。広島や長崎、沖縄に届いたピースメッセージは三千を越えるだろう。地道な小さな運動ながら、参加者や周りの人々に「人肌の感動」と「平和への想い」をつないで、暑い夏を全国のピースサイクルの仲間たち、反戦運動の仲間たちと手を携えて、今年も走り抜けて行く。 (投稿 長野ピースサイクル実行委員T・O)


日本共産党の綱領改定について 

      
六一年綱領路線の行き着いたところ

                        
   橋本勝史
                              
改良か革命か

 不破は、共産党の綱領について、「日本の現状を打開するには、一方ではアメリカの対日支配の打破(反帝独立)が、他方では日本の大企業・財界の横暴な支配との闘争(反独占民主主義)が必要であり、この任務を民主主義的な性格の闘争としてやりとげることが、日本社会が必要とする当面の変革の中心をなすのだと、という理論的な認識と展望は、明確にされました。しかし、その変革の内容を改革の諸政策として具体化するよう、綱領の上で踏みこむことは、当時はまだできないことだったのです。四十二年の歴史と経験をふまえて、綱領の政策的な側面を発展させる」としている。
 「アメリカの対日支配をどうやって打破するか」についての問題性は、前回にふれた。もうひとつの反独占民主主義革命論はどうか。不破も六一年綱領作成過程での論争をふりかえって、「独占資本の支配を倒す闘争なら社会主義革命ではないか」という意見があり、「『いや独占資本との闘争でも、民主主義的な性格の闘争があるのだ』といって民主主義革命の路線を擁護する議論が展開されるのですが、全体が理詰めの性格の論争で、率直にいって、具体的な内容をともなってはいませんでした」と紹介している。
 だが、「六〇年代の後半から七〇年代の前半にかけての時期――公害問題や物価問題などで大企業・財界の横暴に反対するたたかいが、広範な国民の問題となり、いろいろな団体が経団連などの財界団体に要求をもちこむことも普通になる、この時期が一つの大きな転機だった」として、「党の側でも、この時期に前後して、公害問題等々で、大企業にたいする民主的な規制の課題を具体化する仕事が、いろいろな形で開始されるようになりました」と言う。そして、反公害闘争などをとりあげて「私たちの綱領が見通した『反独占民主主義』の運動――大企業・財界の支配と横暴に反対する民主主義的な性格の運動がまさしく現実の問題になっているじゃないか」と反対派に対して言うことができるようになったと記している。
 この説明には、反独占資本民主主義「革命」が「大企業・財界の支配と横暴に反対する民主主義的な性格の運動」にすり替えられている。社会主義革命論者でも、独占資本の支配と横暴に反対する民主主義的な性格をもつ運動を否定するわけはなく、それを社会主義革命にむけた重要なステップとして闘っていくのは当然であり、不破の論理は、反独占民主主義革命論の正しさを立証しているわけではない。逆に、独占資本の「打倒]と、独占資本との「闘い]を混同させ、改良を革命と言いくめるものだ。
 六一年綱領路線は発展する。「『現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である』という、革命の性格と内容についての規定をおこなっています。これは、私たちが『資本主義の枠内での民主的改革』としてのべてきたことを、民主主義革命の任務としてきちんと位置づけ、ことを、明確にしたということです」。ここでは、民主主義革命とは「資本主義の枠内での民主的改革」でしかないことが明確に示されている。そして、だめ押し的に「この民主的改革の先に、なにか革命としてやるべき課題が余分にあるわけではない」と断定する。しかし改革を革命と呼ぶことについて反論を想定して続ける。「では、なぜ、それを革命と呼ぶのか」、「それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる」と。資本主義の枠内での改革を遂行する勢力が「国の権力」を代表する(国会での多数派になる)ことにはなっても、それだけでは支配する階級が変わったことも、社会経済構成体が変化することも意味しない。マルクス主義ではこうしたことは革命とは規定しない。
 綱領改定案では、民主主義革命の内容が、「国の独立・安全保障・外交の分野」、「憲法と民主主義の分野」、「経済的民主主義の分野」としてあげられる。
 安保、天皇制、自衛隊については前回でふれた。
 「経済的民主主義の分野」を見てみる。
 そのうち、第一項では、労働者の長時間労働や一方的解雇など「ルールなき資本主義」の現状を打破し、ヨーロッパの主要資本主義諸国の社会民主主義政権などがかちとったような内容をもつ政策を実現させることが、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」とされる。また、第二項では、大企業にたいする民主的規制を主な手段として、その横暴な経済支配をおさえ、その民主的規制を通じて、労働者や消費者、中小企業と地域経済、環境にたいする社会的責任を大企業に果たさせ、国民の生活と権利を守るルールづくりを促進するとともに、つりあいのとれた経済の発展をはかる。経済活動や軍事基地などによる環境破壊と公害に反対し、自然と環境を保護する規制措置を強化する、と。
 だが、独占資本への民主的な規制をいかにして実現するのか。独占資本・政権党の反撃・破壊工作をいかに抑止するのかということは述べられていない。しかし、全体の文脈から、議会主義的なもの、国会での論戦、現行法規を遵守する行動などが想定されていることは間違いない。
 大企業・財界の支配と横暴にたいする民主的な規制ができ、ルールある資本主義社会(独占資本はそのまま存在する)をつくることができるような力がつくられたなら、労働者はかれらの悲惨さを生み出す根源の搾取・賃金制度そのものをなくそうとするのは当然のことではないだろうか。それがなぜ「資本主義の枠内」でとどまらなければならないのか。六一年綱領は、改良で労働者は救われることが可能だという幻想をまき散らすとともに、労働者の運動が現行体制・資本主義そのものとの対決に向かわざるを得ない時機に来るとそれを抑止する役割をはたしてきた。今回の綱領改定は「資本主義の枠」を強調することによって、いちだんとその否定的な性格を明らかにしている。

市場を通じての社会主義

 社会主義論については、「世界情勢」の項で、ソ連社会についての「結論的な認識」を述べるなど、「今回の改定では、この章は、抜本的に書きあらため」られている。六一年綱領、現行綱領での骨組みは、「だいたい一九五〇年代の国際的な『定説』を前提としたもの」だったが、第二十回党大会で、「ソ連社会は、対外関係においても、国内体制においても、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会であった」という結論的な認識に到達したとされる。そして、今回、社会主義を名乗る国々について、「資本主義から離脱した」あるいは「離脱に踏み出した」国々と規定する。そして「中国、ベトナム、キューバなどで社会主義への前進をめざす努力」に注目し、「なかでも、中国とベトナムが、九〇年代に、『市場経済を通じて社会主義へ』という取り組みをそれぞれ開始し、新しい経済的活力を発揮していることは、大いに研究に値する新しい動きです」と高い評価を与えている。そして「『社会主義をめざす』という言葉は、その国の人民、あるいは指導部が、社会主義を目標としてかかげている、という事実を表しているだけで、これらの国ぐにが、社会主義社会に実際に向かっているという判断をしめす言葉ではない。その社会の実態としては、@その国が現実に社会主義社会に向かう過渡期にある、Aその軌道から脱線・離反して別個の道をすすんでいる、B資本主義に逆行しつつある、Cもともと社会主義とは無縁の社会である、など、いろいろな場合がありうる。その国の実態が何かという問題は、国ごとの個別の研究と分析によって、明らかにすべき問題だ」として、そうした上で、「したがって、新しい改定案で、『社会主義をめざす』という言葉が使われている時は、そこで問題にしている国や過程に、社会主義にむかう方向性がはっきりしているときだと、ご理解ねがいたい」としている。不破は、中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮のうち、「社会主義をめざす」国では中国、ベトナム、キューバをあげて北朝鮮を除外し、「市場経済を通じて社会主義へ」では中国、ベトナムをあげてキューバ、北朝鮮を除いている。日本共産党の「社会主義への道」のイメージは、「市場経済を通じて社会主義へ」と言う路線に深い共感を抱くものとなっている。日本でも「市場経済を通じて社会主義へすすむ問題」が強調され、「中国やベトナムの場合には、いったん市場経済をしめだしたあとで、市場経済を復活させる方針に転換し、いま『市場経済を通じて社会主義へ』という道に取り組んでいます。しかし、日本の場合には、いま資本主義的市場経済のなかで生活しているわけですから、社会主義に向かってすすむという場合、社会主義的な改革が市場経済のなかでおこなわれるのが、当然の方向となります。市場経済のなかで、社会主義の部門がいろいろな形態で生まれ、その活動も市場経済のなかでおこなわれる、そういう過程がすすむし、その道すじの全体が『市場経済を通じて社会主義へ』という特徴をもつ」とされる。資本主義そのものがうみだした解決できない危機が顕在化する状況にあって、日本「革命」が成功したとしても、市場支配が長期にわたって予定されている。こうして、社会主義はほとんど無限のかなたに「放擲」されてしまって、実質的な資本主義(市場経済)永遠論が主張されている。
 綱領改定案では、「来社会論の中心問題は、分配ではなく、生産のあり方、生産の体制の変革にある」ことを強調していることは評価されるが、「社会化」論は具体性を著しく欠くものとなっている。

資本主義の枠の突破を

 日本共産党の綱領路線を評価する場合でも、マルクス主義の原則とともに資本主義の現在をどう見るかが重要な点である。
 いま、資本主義の危機が深化し、抜本的な改革を迫られている。
 このことは、綱領改定案でも、不破報告でも指摘されているところだ。小泉内閣の構造改革論もこうした資本主義の段階を背景にしている。だが、自民党政権による「改革」が「資本主義の枠内」のものであり、結局、労働者・勤労民衆に犠牲を押しつけ、独占資本を肥えふとらせ、また不況を深化させ、「夢」をふりまいただけで破綻の運命にあることは明らかになってきた。小泉らの政策は、それが「急進的」なだけ、局部的な手直しがかえって、それだけはやく体制全体の危機に拍車をかけるものとなっている。
 経営コンサルタントの神様と言われる船井幸雄までもが『断末魔の資本主義』(徳間書店)なる本を出すような時代である。
 この時代に、日本共産党が綱領改定で一層の「資本主義の枠内」での改革による資本主義の救済路線は、労働運動と民衆の闘いに否定的な影響を及ぼすもの以外ではない。
 日本共産党の不破・志位指導部は、この間のイラク反戦をはじめさまざまな運動などでセクト主義の色合いを薄め、共同行動の一翼を担うようになってきた。かつてのように大衆運動でも、反党分子の名前がのっていることなどを理由に共同の闘いを拒否するようなことは少なくなった。
 しかし、それが、資本主義承認・市場経済賛美のかぎりない右傾化路線と結びついているのである。
 政治・経済・社会のすべての分野で激動が訪れている。
 政治勢力でも、議会政党も社会主義勢力をとわず、激動・分化・再編の時代をむかえた。日本共産党の辿ろうとしている道とは反対に、資本主義の枠を突破して労働者・勤労民衆に解放の道を指し示すプロレタリアートの革命的政治勢力こそが求められているのである。


資 料

 元防衛庁幹部の加茂市長がこのたびのイラク派兵法に異議を表明する要望書を出した。立場こそ違うが、学ぶものは多く、参考に掲載する。(編集部)

平成一五年七月八日
 衆議院議員各位様
 参議院議員各位様
 各大臣様

      元防衛庁教育訓練局長 新潟県加茂市長小池清彦

イラク特措法案を廃案とすることを求める要望書

 一 イラク全土は、常にロケット弾攻撃、自爆テロ、仕掛爆弾攻撃等の危険が存在する地域であり、戦闘行為が行われている地域であります。このことは、米国による戦闘終結宣言によって左右されるものではありません。
 二 「戦闘行為」を「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」と定義し一に掲げる攻撃が「戦闘行為」に当たらないとするイラク特措法の考え方は詭弁であり、強弁であります。
 三 イラクは、全土において、前線も後方もありません。イラク全土がいまだ戦場なのであります。
 四 このような地域へ自衛隊を派遣することは、明確な海外派兵であり、明らかに憲法第九条に違反する行為であります。イラク特措法が定めるような海外派兵さえも、憲法第九条の下で許されるとするならば、憲法第九条の下でできないことは、ほとんど何もないということになります。
 五 憲法第九条は、もともとアメリカによって押し付けられたものであることは事実でありますが、しかし、同時に憲法第九条は、終戦後今日までの五八年間、日本及び日本国民が国際武力紛争に巻き込まれることを固く防止して来たのであります。また、憲法第九条の存在によって、日本人は世界中の人々から平和愛好国民として敬愛され、今日の地位を築くことができたのであります。さきの大戦において、祖国のため、戦火に散華された英霊が望まれたことは、祖国日本が再び国際武力紛争に巻き込まれることがないようにとのことであり、日本国民が再び戦場で斃れることのないようにということであったはずであります。私達は今一度大戦中の苦い経験をかみしめ、昭和二〇年八月一五日の原点に立ち還るべきであります。
 六 イラク派兵がひと度行われるならば、平和愛好国民としての日本人に対する世界の特別の敬愛は消滅し、日本は普通の国となって、多くの災いが降りかかって来ることになりましょう。
 七 イラク国民は、決して日本国自衛隊の派遣を求めてはおりません。中東諸国の国民も自衛隊の派遣を求めてはおりません。自衛隊は招かれざる客なのであります。
 八 自衛隊の本務は、祖国日本の防衛であります。自衛隊員は、我が国の領土が侵略された場合には、命をかけて国を守る決意で入隊し、訓練に励んでいる人達でありますが、イラクで命を危険にさらすことを決意して入隊して来た人達ではないのであります。「国から給料を貰っているのだから、イラクへでもどこへでも行って命を落とせ」とか、「事に臨んでは危険をかえりみない職業だから、どこへでも行って命を落とせ」ということにはならないのであります。自衛隊員の募集ポスターやパンフレットには、「希望に満ちた立派な職場だ」とのみ書いてあるのであって、「イラクへ行って生命を危険にさらせ」とは書いてないのであります。
 九 私は市町村長の一人として、毎年自衛隊入隊者激励会に出席し、防衛庁・自衛隊の先輩の一人として、「自衛隊はすばらしい職場です。どうかこの職場ですばらしい青春を過ごし、意義ある人生を送って下さい。」と祝福し、励まして参りました。もし、イラク特措法が成立して、私が激励した人達が、招かれざる客として、イラクに派遣されて、万一生命を落とすようなことになったら、私は今度は自衛隊入隊者激励会において、何と申し上げたらよいのでしょうか。私は言葉を知りません。
 一〇 自衛隊は、現在は不況下のため隊員の募集難は解消しておりますが、つい先日までは、著しい募集難の中にありました。今後の少子化によって、自衛隊は近い将来再び大きな募集難の時代に入ることになると予想されます。このたびの自衛隊のイラク派遣は、戦場への派遣でありますので、犠牲者が出る可能性は、大きなものがあります。もし、イラクで犠牲者が出た場合、自衛隊は職場としての魅力を失い、大募集難が到来することになりましょう。隊員が集まらなくなった自衛隊は、その根幹が崩壊するのであります。その時は、徴兵制が取りざたされることになり、ファシズムが台頭する危険さえ出て参ります。
 一一 イラクで犠牲者が出た場合、自衛隊員の不満は大きなものとなり、国内に大きな衝撃を与え、極めて好ましくない事態が起こってくることを危惧するものであります。
 一二 「兵は妄りに動かすべからず」。古今の兵法の鉄則であります。兵を動かすことを好む者は、いずれ、手痛い打撃を受けるのであります。それは、やがて国民を不幸に陥れることになるのであります。安易に兵を動かしてはなりません。アメリカに気兼ねして、イラク国民と中東諸国民が欲せぬ派兵をしてはなりません。
 一三 防衛政策の中核である防衛力整備をおろそかにして、海外派兵のことばかり考えることは、大きな誤りであります。国土が侵略されたとき、現在の自衛隊の防衛力は、独力でどの程度まで祖国を防衛することができるのですか。極めて不十分な防衛力ではありませんか。この程度の防衛努力しかできない国が、イラク派兵に狂奔するなど、「生兵法大怪我のもと」であります。今こそ日本は、海外派兵重視の防衛政策から防衛力整備重視の防衛政策に転換すべき時であります。名刀は鍛えぬいて、されどしっかりと鞘の中に収めておくのが剣の道であり、兵法の極意であります。
 一四 以上に鑑み、二一世紀の日本及び日本国民の安泰を祈念し、イラク特措法は廃案とされるよう、強く要望するものであります。


メキシコの画家・フリーダ・カーロとその時代展

      
今を生きる私たちへのメッセージ

 絵画などには全くの門外漢なのだが、かれこれ十年ほど前、とある待合室で何気なく手にとったグラフ誌の絵に目を奪われた。そこには飛んでいる鳥のように両側の眉が繋がっていて、口の周りにはうっすらと髭が描かれている女性の自画像があった。メキシコの女性画家・フリーダ・カーロの作品とその生涯が特集されていた。
 彼女は重い障害をもちながら美術作品を描き続けたというだけでなく、メキシコを代表する画家であるディエゴ・リベラを夫とし、リベラとの葛藤のなかでの創作であったということ。そのリベラはトロツキーのメキシコ亡命の援助者でもあったということだった。

 今回「フリーダ・カーロとその時代」展が東京で開催されているので、本物を見たいととにかく出かけてみた。
 まず第一に印象的なのは自画像だ。リベラを深く愛し、またリベラの女性関係にも悩んだフリーダは、結婚以来その思いを沢山の自画像として描いている。リベラとの一体化を望んで二人の顔を縦に半分ずつ合わせて一つの肖像画にしているが微妙にずれているところにフリーダの感情が表されている。一度離婚した後再びリベラと再婚するが、その頃の
作品では額の第三の目にあたるところにリベラの顔をえがいているが縮れた黒髪が首に巻きつきフリーダの苦悩が示されている。猿や熱帯を思わせる樹木を背景とした自画像も強いメッセージを感じさせる。
 フリーダ・カーロ(一九〇七−一九五四)は一一歳のときに小児麻痺にかかりほとんど歩けない時期があった。また一八歳のときには交通事故にあい、脊髄、骨盤、子宮に回復出来ないほどの障害をもつことになった。二二歳のとき四二歳のリベラと結婚した。メキシコ革命やスペイン市民戦争やロシア革命、第一次大戦や第二次大戦とつづく渦のなかで平和のために闘う人びととともに彼女も活動に加わった。
 子どもを欲したフリーダだったが何回も流産を経験し、その悲しみを作品に表現している。フリーダの作品は、メキシコの土着の生活習慣も反映されていて、万物の連環と人間が宇宙の一部であるという今日の環境問題の認識のようなものも表現されている。悲しみ、執着と愛、自然との調和、土着性などを力強く描き続けたフリーダの軌跡は、当時よりも今を生きる私たちに近しいメッセージがこめられているのではないだろうか。
 フリーダは、第二次大戦を逃れてヨーロッパからメキシコに渡った芸術家たちとも深い交流をもった。今回の展覧会は「メキシコの女性シュールレアリストたち」の副題があり
、フリーダと繋がる女性芸術家の作品のなかでフリーダの位置もみることができる。女性写真家のローラ・アルバレス・ブラボの撮ったフリーダの写真は実に美しく魅力的だ。
 同展覧会は渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで九月七日まで。以後、大阪・名古屋・高知で開催される。
 また今年のアカデミー賞二部門を受賞したジュリー・ティモア監督作品による映画「フリーダ」も八月二日より東京で上映が始まる。 (川田 南海)


広河隆一写真集

 
 アメリカはイラクでなにをしたか

         A5版六四頁一二〇〇円 「あごら」03・3354・3941

 写真家の広河隆一が今年三回にわたるイラクでの取材の記録写真集を、女性誌「あごら」の形で緊急出版した。「アメリカはイラクで何をしたか」というタイトルは、「爆撃する側に立った日本はイラクに何をしたか」の問いかけでもある。
 広河は「イラクは巨大なアメリカの占領地として、パレスチナのような混乱状況を呈していくだろう」と見ている。
 モノクロの写真の中でカメラを見つめるイラクの男や女、子どもたちの瞳が、怒りというよりは哀しみの色を込めて、何かを語りかけるように写っている。
戦場の街の写真集とはいえ、私にはこのような瞳ばかりの写真集を見た記憶がない。昨今のマスメディァの報道を通じただけではこれらの人びとの声は私たちに届かない。広河はそれを痛感している。広河の写真を見つめることで、この声に耳をかたむけてみよう。


複眼単眼

    
『草の実会』 このすばらしい女性たちの集団

 今年の八月十五日も『草の実会』が第一〇三回「草の実会十五日デモ」を呼びかけている。
 『草の実会』のことは本紙でもその活動がときどき報道されるので、ご存じの読者も少なくないと思う。筆者が会の人びととさまざまな場面でお付き合いするようになってから一〇年以上になると思うが、すばらしい女性たちだといつも感心させられる。
 同会は一九五五年四月に発足総会を開いた。『朝日新聞』の「ひととき」欄や『婦人朝日』の文芸欄への投稿者を中心に呼びかけて作られた女性たちの会だ。
 「趣意書」にはこう書いてある。
 「私どもが日ごろ考えること、社会、政治経済、その他さまざまのことについて、私どもの生活に根ざしての希いは数限りなく」「行動の花やかさを競うのではなく、どこかの日かげの道ばたにも種を落として根強く実をつけてゆく、堅実な集まりでありたいと希い」発足したとある。
 今年の四月、第四九回総会が開かれた。来年は五〇周年。機関誌『草の実』は第四九巻二号通巻第四六九号(A5版六六頁)だ。これは驚嘆すべき息の長さだ。機関誌の編集委員の平均年令も八〇歳だという。
 今年の活動計画では機関誌の発行を年に六回、八・一五デモ、平和と民主主義を侵す動きに対しては他団体と随時連帯し行動する、親睦旅行・懇談会・学習会など随時開催、五〇周年記録集の編集などと、多彩な活動が提起されてる。
 同会が三月二十日に小泉首相に送った「抗議文」はたいへん鋭い。
 「私たちは、世界に先駆けて非武装・不戦を誓った、誇り高き平和憲法を持つ国の主権者です。…国連安保理の『戦争回避』への努力を平然と踏みにじる『イラク攻撃』に対して、諾々として従う小泉首相の行為は、断じて許されません」と指摘している。
 この間の市民の反戦デモや憲法改悪反対の集会の中には、かならずといってよいほど草の実の女性たちがいる。若者たち(中年も?)をいつも激励し、集会や行動の呼びかけや賛同金集めなど、裏方の仕事に真剣に取り組んで援助してくれる。彼女たちが頑張っていること自体で後輩は大変に励まされるのだが、それにとどまらず、彼女たちは実践の場に駆けつける。彼女たちは「どこかの日かげの道ばたにも種を落として根強く実を漬けてゆく」という趣意書の言葉をそのまま実践している。
 それでいて迎合的であるのではなく、誇り高く、しっかりと一本筋がきちんと通った論理の裏付けがある。社会党の村山政権の路線転換の時など、それへの批判は厳しいものがあった。内ゲバ党派への批判も厳しい。すばらしい先輩たちだ。
 彼女たちがいま反戦運動の中に、再び若者たちが登場してきたことをたいへん喜んでいる。「よかったわね〜」と声をかけてくれる一言にどんなに感慨がこめられているか。反戦平和の運動が注目される夏に思う。彼女たちは、平和のために活動する全ての活動家たちの範とされなくてはならない。(T)