人民新報 ・ 第1106号<統合199号> (2003年9月5日)
目次
● 小泉首相、党に改憲草案作成を指示 戦争をする国実現のための改憲策動に対決しよう!
● 関東大震災・朝鮮人虐殺80周年 現在の日本社会の動きは、もう一つの関東大震災だ
● 闘争団切捨てと国労解体を阻止しよう 国労の闘う旗を守れ! 国労第71回定期全国大会
● 東京・日野 「自衛隊参加の防災訓練を考える〜9・1都・市合同防災訓練を前に」
● 民族の和解と祖国の統一、平和なアジア、差別のない社会を 第10回統一マダン(東京)
● 日本共産党の第二三回大会での綱領改定案について 「象徴天皇制」は「立憲君主制の一種」かどうかの論争
● NO WAR! NO WTO! 持ちよろう! みんなのめざす世界を! グローバル・ピース・マーチ 世界同時行動
● 映 画 氷海の伝説 / イヌイトのイヌイト語によるイヌイトの伝説を基につくられた映画
● 複眼単眼 / 残暑の街の奇妙な生きものの話
小泉首相、党に改憲草案作成を指示
戦争をする国実現のための改憲策動に対決しよう!
小泉首相は八月二五日、山崎・自民党幹事長と会い、結党五〇周年にあたる二〇〇五年十一月に向け、同党の憲法改正案の策定と「憲法改正国民投票法案」の検討を指示した。
小泉首相は改憲案の策定着手の理由に、自民党結党の精神が自主憲法制定だったからだということをあげているが、いわゆる五五年体制の成立以来、自民党が「自主憲法制定」を公約に掲げて選挙に臨んだことは一度もない。こうした歴史的事実を無視して、首相があたかも「改憲」は自民党創設以来の公約であるかのように語るのはペテンだ。
なぜ自民党は戦後長期にわたって政権の座にありながら、改憲を選挙公約にできなかったのか。問題はここにある。それは現行憲法の平和主義や基本的人権の思想がこの社会に定着してきたがゆえに、改憲を選挙の公約にできなかったし、自民党自らが棚上げにせざるをえなかったからだということは明白だ。
にもかかわらず小泉首相は昨今の有事法制推進やイラク派兵法採択、あるいは北朝鮮敵視政策よる軍備増強などの風潮に悪乗りして、「自衛隊は常識的に考えて軍隊ではない」などの論理で改憲をすすめようとしてる。自衛隊は警察予備隊であり、自衛隊は戦力ではない、ゆえに軍隊ではないから合憲だといいつづけながら、この軍事組織を育成し、世界有数の軍隊にまで育ててきたのは歴代自民党政府にほかならない。ならばまず現職の自民党総裁として、歴代自民党政府が詭弁によって憲法解釈をごまかし、重大な憲法違反を犯してきたことの責任を明らかにしなくてはならないだろう。
憲法第九十九条に定められた首相の憲法遵守義務の意味するところは明白だ。よもや今回の改憲案作成の指示を、小泉首相は靖国神社公式参拝論争に見られたような「首相としてではなく自民党総裁としての発言だ」などという弁解で逃れることはできないだろう。
第九条以外に改正案策定の理由にあげた、四三条との関連で、衆議院選挙の復活当選の問題と、八九条関連の私学助成問題は、改憲の口実にすらならない低次元の問題だ。復活当選問題は小選挙区比例代表制を強行した時に自民党などが決定したもので、小泉首相らも賛成したものではないか。責任逃れをしてはいけない。私学助成の問題はこれまで国会でも幾度も議論され、政府の政策となってきたものであり、すでに回答はでている。首相が列挙したいずれの根拠も無責任きわまるものだ。
今回の首相の違憲発言を徹底的に糾弾し、来春にも予定されている「憲法改正国民投票法案」の国会上程を阻止なくてはならない。
アーミテージが日本政府を恫喝
イラク復興支援は茶会ではない! ドント・ウォーク・アウェイ!
先般の国会で、小泉内閣と与党は、イラク開戦時の米軍支持につづいて、世論の反対を再び押し切って自衛隊をイラクに派兵する特別措置法を短期間のうちに強行した。これは五月の日米首脳会談で小泉首相がブッシュ米大統領に約束したものだ。しかし、政府・与党はこの明白な憲法違反の特措法を合憲だと強弁するために、「非戦闘地域への派遣だから合憲だ」などという姑息な解釈をつけて成立させざるをえなかった。
だが、イラクでは占領に反対する民衆の闘争が高まり、そのなかで戦闘も継続し、米軍や英軍の部隊が繰り返し攻撃されている。最近でも連日のように兵士の死者が相次いでいる。とうとう国連の現地事務所が爆破されるまでにいたった。現地の米軍からは「イラクでは戦争は終わっていない。全域が戦闘地域だ」というメッセージがたびたび届けられている。
国会で早期に決定しなくてはならないと強行採決したものの、小泉内閣は窮地にたたされた。イラク派兵の下準備に派遣しようとした岡本行夫特別補佐官も訪問を見送らざるをえなかった。政府調査団の派遣も見通しがつかなくなった。政府内部からは「派兵は年明けか」との声がではじめた。福田官房長官は「自衛隊を派遣しないでやる方法もあるかも知れないが、現在の治安状況ではそういうことも慎重にならざるをえない」とまでいい、石破防衛庁長官まで「年内は難しい」といいだした。
これにたして米国政府は怒り、発表したイラク軍事支援国と支援予定国リストからわざわざ日本を外して恫喝をかけてきた。加えて八月二二日、中東担当特使の有馬政府代表と会見したアーミテージ国務副長官は「ドント・ウォーク・アウェイ」(逃げるな)と「きわめて強い口調で」自衛隊派遣を要求してきたのだ。アーミテージは日本政府の約束違反を責めるために、わざわざ五月の日米首脳会談で小泉がブッシュにたいして自衛隊の派遣に前向きな姿勢を示したことに謝意を表明し、現在の日本政府の態度は「テロと闘う国際社会の協調と結束を乱しかねない。イラク国民の復興努力も無にしてしまう」として、派兵に消極的な発言を控えるように迫り、「イラク復興への参加はお茶会ではない」と恫喝したのだ。
米国政府のこの剣幕に驚いた日本政府は「米政府には日本は何をやっているのだという感じがある」「イラク復興に積極関与の姿勢を示す必要がある」として、延期していた政府調査団を九月二二日頃にも派遣する方針をきめた。調査団は内閣府、防衛庁、外務省や自衛官などで構成される。
政府は総選挙を前にして、派兵反対が多数の世論の前に動揺を重ねながらも、米国の恫喝のもとで自衛隊のイラク派兵を急ぎはじめた。
このようなイラク派兵を許してはならない。全世界の人びとと共同し、イラク占領反対、自衛隊のイラク派兵反対、イラクの未来はイラクの人びとにゆだねよの声をさらにまき起そう。
九・一三の「グローバル・ピース・マーチ」につづいて、九・一七「朝鮮半島に平和を集会」と、九・二七「ワールド・ピース・パレード」を成功させよう。
関東大震災・朝鮮人虐殺80周年
現在の日本社会の動きは、もう一つの関東大震災だ
八〇年前の一九二三年九月一日に起きた関東大震災の中で数千人もの人々が「朝鮮人」というだけで虐殺された。日本は韓国を植民地とし、「土地調査」などの名目で土地を取り上げ生活のすべを奪い、そのため多くの朝鮮人が、生きるため日本に働きに来ざるを得い状況に追い込まれた。
九月一日、東京・韓国YMCAで「9・1集会 関東大震災・朝鮮人虐殺八〇周年―在日韓国人・朝鮮人の人権獲得闘争二八周年」が開かれた。
主題講演は、李鐘元(リ・ジョンウォン)立教大学法学部教授が「グローバル化時代の不安と無定形ナショナリズム」と題して行った。
韓国では、三・一独立闘争、八・一五の解放の日はよく記念されているが、九・一はあまり知られていない。私も韓国にいた当時はよく知らなかったが、日本に来て研究をはじめてみると、九・一こそは在日コリアンの原点だということがわかった。関東大震災時の朝鮮人虐殺は死体を文字通りバラバラに解体するものだった。現在の北朝鮮バッシングとそれに連動する日本社会の動きは、もう一つの関東大震災といえるようなものだ。それは在日の実存と精神を解体する虐殺だ。私の周囲の若者たちもおおきな被害を受けている。在日の小学生は父親と町を歩くときも「アボジ」と呼び掛けていたが、昨年の九月以降は「お父さん」と呼ぶようになった。父親の精神的な打撃も大きなものだが、小さな子が日本社会に現出している凶暴さに引き裂かれている苦悩が伝わってくる話だ。アフガニスタンやイラクが問題がおこったときは、タリバンやフセインなどの支配者と民衆は違うと言われた。しかし北朝鮮問題では体制と民衆、そして在日までも一緒にされて、もうすぐ北朝鮮が攻めてくる、みんなその仲間だと言う話になっている。大震災の時も、朝鮮人が殺人、放火、井戸に毒物を撒いているなどという流言ひ語がありもしない脅威をあおった。残念なことに、比較的にリベラルだと思われる人でもそうした発言をしていることが少なくない。
震災の当時の在日の人口は五〜八万人くらいだといわれる。殺された朝鮮人は、いろいろな資料で数字が一致していない。朝鮮総督府のそれは八〇〇人余、上海にあった独立新聞の調査では六四一五人となっている。また吉野作造は二七一一人だとしている。そして朝鮮人虐殺は、異例の早さで拡大していったが、これはパニックに陥った大衆によるものではなく日本国家による犯罪だからこそできたことで、組織的系統的に起こされたものだということだ。事件の背景には、韓国併合後一〇年余りで日本に一定の朝鮮人コミュニティーが出来はじめたことがある。いま日本では八〇年前と同じ様なことがおこっている。ナショナリズムの高揚だ。グローバリゼーションが進む中で、アイデンティティが空洞化し、それを癒すものとしてナショナリズムが言われている。たしかにそうした面もあるだろうが、もっと大きいのは東アジアの激変だ。中国の台頭、朝鮮半島の統合、そして日本の衰退だ。明治以降、日本は強い安定したアジアと対等につきあった経験がないからアジアの台頭に身構えてしまうのだ。アメリカ・ペンタゴンのあるレポートによると、今後、日本の人口は急激に減少し、GNP、総合国力は早いスピードで衰退すると予測している。もし日本が開放されれば危機の回避は可能だが、日本にはそれができないだろうというのだ。日本ではこれからの進路をめぐって二つの見方が争っている。ひとつは、アジアとの相互依存関係を深めていこうとするものだ。もうひとつは、地政学的なもので、愛国心を煽り、管理強化、日の丸・君が代の強制、日米同盟の強化、軍事力の増強で台頭するアジアに対抗するというものだ。この方向のために北朝鮮問題は最大限に利用されている。アメリカ・ブッシュ政権は、北朝鮮にたいして、突き放し、孤立させ、圧力をかけ、崩壊を狙っている。しかし、北朝鮮は崩壊よりも核武装で対抗するようになるかもしれない。アメリカの「無策」が危機を進展させているのだ。新しい動きは辺境、境界線からはじまる。在日のなすべきことは、みずからが境界線にあること、そのつらさをいかして、さまざまなところに働きかけていくことだ。
つづいて、国本衛さんが、「在日コリアンとして、ハンセン病者としての闘い」と題して証言した。一四歳の時にハンセン病にかかり国賠訴訟原告として闘いぬいた国本さんは、「ライ予防法」は「患者は外に出さない、撲滅する」というものであり、日本ファシズムの戦争政策と同根だと指摘し、いまのファシズム体制への逆行を決して許さないと語った。
闘争団切捨てと国労解体を阻止しよう 国労の闘う旗を守れ!
国労第71回定期全国大会 9月13〜14日 社会文化会館
四党合意は完全に破産
国労は、九月一三〜一四日、東京・社会文化会館で、第七一回定期全国大会を開催する。
国労は、昨年一一月の大会で、破綻が誰の目にも明らかになっていた「四党合意」による政治解決方針決定を強行した。ところが、大会終了直後の一二月には、自民、公明、保守、社民の四党協議において、社民をのぞく与党三党が、「四党合意」から正式に離脱すると声明したのである。
一〇四七名の解雇撤回・地元JR復帰という闘いを内から破壊して、闘争団を分裂させ、国労の運動と組織に大きな打撃を与えた末に、「四党合意」は消滅したのである。本部は、四党合意によって、数千万円の和解金、JRへの復帰への道がひらけたと嘘をつき、そのため闘争団の中にもそれを信じて、四党合意支持の団員がでて、闘争団のなかに分裂が持ち込まれた。デマをふりまいて幻想を与えて闘争団を切り崩した本部は逃れることのできない責任をおっている。政府・与党の思惑にのり、そしてこの四党合意強行によって自らの官僚としての保身・延命をはかろうとした国労の右派幹部・革同などの責任はきわめて重大であり、断固として糾弾されなければならない。
国労組織破壊に走る本部
しかし、国労本部右派は闘争団員を除名にする策動を強め国鉄闘争の破壊をもう一歩進めて、国労組織そのものをも解体させようとしているのである。右派は秋田地本をはじめとして、全国単一組織としての国労を解体させ、JR各会社ごとの組織であるエリアごとに分割して、それをJR連合に流し込むという路線を強行している。
ストライキ基金は労働組合員が営々として蓄積してきた闘いのための財産である。しかし、国労本部右派は昨年末の大会で「スト基金の取り崩し」を提案している。そして今回の大会で正式決定を強引に押し付けようとしている。「スト基金の取り崩し」が決まれば、これを突破口にして、かれらは、国労財産の処分を勝手気ままに行い、一気に国労機能の麻痺・解体に踏み出すに違いない。しかし国労解体の策謀に対する反対の声が広がっている。このことがかれらの路線に取って大きな障害となっている。そのために、またも国労本部は労働組合にあるまじき行動にうってでてきた。
国労書記の強制配転
七月、国労本部は、一部の書記職員の転勤について一方的に通告してきた。この配転は、本人の同意もないまったく一方的な強制配転で、東京から九州へ、北海道から東京や大阪へなどという配転もあり、配転に応じなければ解雇もあるという。九月には第二次の配転がでる。理由は「財政上の理由」だが、これはまったくの口実であり、国鉄闘争の終焉・国労組織の解体をもくろむ本部の意に逆らう書記に狙いをつけたものであり、国鉄・JR会社が国労などの組合員に対して行ってきた攻撃と同様なものだと言わざるをえない。
国労を企業別に分割
また国労本部は、国労組織のありかたを議論することを中央委員会決定だとして組織している。組織のあり方を論議するとは言っているがその実は、国労の企業別(各JR会社ごとの)組合への再編方針の押しつけにほかならない。現在出されてきている討議資料「国労組織の展望と運動の前進をめざすために」では、差別に対する闘いを行うことが「行き過ぎ」とされたり、分割民営化の基礎となった改革法を承認したことを自ら高く評価するなど、国労のこれまでの闘いと伝統を全く否定するものとなっている。国家的不当労働行為を承認して、労資協調路線を強化し、「JR各社を発展させる」という国労本部は、闘争団・家族、真面目な国労組合員、広範な支援共闘の労働者たちを裏切って、かれら組合官僚小集団だけが延命しようととしているのだ。書記にたいする配転(解雇)では財政的な困難が理由にあげられている。だが、実際には、国労財政破綻の大部分の原因はかれらの財政的な乱脈さによってもたらされたものである。いま闘争団と連帯して闘う国労組合員たちの「国労に人権と民主主義を取り戻す会」は、裁判闘争の場などで腐敗構造を暴く運動をつづけているが、そこに浮かび上がってきているのは堕落を深める本部右派の醜悪な姿である。
全国単一破壊を許すな
前回の国労大会以降の最大の事件は四党合意の完全破綻である。それゆえに今回の全国大会は、四党合意完全破産を総括し、闘いの再建方針をうち固める場でなければならない。同時に四党合意を推し進め、国鉄闘争と国労、そして日本労働運動に多大の損害を与えた国労指導部を罷免して、闘う執行部が選出される場とならなければならない。しかし、国労本部右派は逆に開き直り、自らの責任と路線の破産を棚にあげて、責任を闘う闘争団などに転嫁しようとしている。
全国大会では、四党合意完全破綻の意義とそれ以降の闘いの反転攻勢にむけ、闘う闘争団を軸に大きな団結の回復と闘いの前進、四党合意路線を清算したうえでの裁判闘争やILO闘争の拡大、国家的不当労働行為の先兵であるJR総連の動揺への介入、JR各社で吹き荒れる新たな合理化に反撃する闘いなどの方針が打ち立てられるべきである。
東京・日野
「自衛隊参加の防災訓練を考える〜9・1都・市合同防災訓練を前に」
九月一日は一九二三年の関東大震災から八〇年目にあたる。
死者・不明者十四万数千人、全壊・消失家屋五七万数千の被害があり、震災に乗じて日本軍や警察・自警団によって朝鮮人六千人以上、中国人七百人以上、多数の日本人の社会主義者などが虐殺された。
九月一日、東京都と日野市の合同防災訓練が行なわれた。
石原東京都知事は二〇〇〇年には『三国人』発言につづいて、『ビックレスキュー2000首都を救え』という防災訓練を行い、多数の自衛隊を出動させ、戦車が銀座を走り回るという異様な状況を演出した。今回の合同演習もその延長線上にあるものだ。
この日を前に八月三〇日午後、日野市生活保護センターで「反核平和の火リレー日野地区実行委員会(自治労日野市職員労働組合など)」による「自衛隊参加の防災訓練を考える〜9・1都・市合同防災訓練を前に」と題する集会が開かれ、多数の市民が参加した。
集会では実行委員会を代表して日野市職労の安達書記長が挨拶したあと、基調講演が朴慶南さんと田中直哉さんから行なわれ、アピールや質疑応答があった。
朴さんは「関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件と石原都知事の差別発言」と題して要旨、以下のような講演をした。
今年は関東大震災から八〇年なので格別の思いがある。昔、聞かされた朝鮮人が井戸に毒を入れたと言われ、虐殺された話には子どもの頃、心が氷りついた。軍隊は戦争をするため、人を殺すためにるのだから、軍隊が朝鮮人を殺したことには「驚かない」。しかし、恐ろしいのは普通の人たちが朝鮮人を殺したということだ。普段、仲のよかった日本人が、その時に本当に友人であるのか、わからないことが恐ろしいことだった。
デマが流されて日本人が虐殺に走った背景には、世論操作がある。一九一九年の三・一独立万歳運動は暴動だと当時のマスメディアが報道し、朝鮮人への恐怖感を煽っていた。これらのキャンペーンが虐殺の布石になっている。
加えて、第二のデマはこれらの朝鮮人の背後には日本人の社会主義者がいると宣伝されたことだ。この騒ぎの中で日本人の社会主義者が殺されている。
朝鮮人虐殺は九月一日の夕方から始まった。戒厳令は二日にでた。これらの虐殺は官憲と民衆が一緒になって行なった国家的犯罪だ。
石原都知事は防災訓練に自衛隊を使って何をやろうとしてるのか。二〇〇〇年に石原の「三国人発言」があったときに、身が氷る思いがした。九・一七で拉致事件が明らかになったあと、マスコミは一斉に北朝鮮バッシングに走り、煽り立てた。その中で日本は戦争のできる国家への道にドライブをかけた。私のホームページにもいやがらせのメールが殺到した。
そこに暮らしているどの人の命も守るというのが行政の仕事だ。しかし、石原は日本人と外国人の間に線引をする。以前、防災訓練の時に「防災訓練に反対するバカな日本人がいる。しかし、震災の時にはこの連中でも守らなければならない」と差別発言をした。
いま、つらい立場にある人の痛みをどれだけ感じられるか、その人びとの背後にある歴史についての認識が問われているのではないか。
民族の和解と祖国の統一、平和なアジア、差別のない社会を
第10回統一マダン(東京)
第一〇回統一マダンが八月三一日午後五時(出店は午後四時)から東京三河島の旧真土小学校で行われました。
今年は、関東大震災から八〇年ということで、例年より一ヶ月ほど遅く開催されました。
統一マダンは、一九九四年に「民族の和解と祖国の統一を、また平和なアジア、差別のない社会」を願って始まりました。東京以外でも大阪、兵庫、名古屋でも開催されています。
東京の統一マダンは、在日韓国民主統一連合などの在日韓国・朝鮮人の民族団体を中心に、日本で日韓連帯運動を行っている市民グループや労働組合などによって実行委員会を構成しています。
韓国民主女性会のサムルノリ
在日韓国青年同盟と在日朝鮮青年同盟のアンサンブル
金剛山歌劇団「響(ヒャン)」
閉会の挨拶は部落解放同盟荒川支部の高岩さんから受けました。
閉会の挨拶の後、出演者と参加者が一緒に群舞で盛り上がり終わっていきました。
日本共産党の第二三回大会での綱領改定案について
「象徴天皇制」は「立憲君主制の一種」かどうかの論争
十一月下旬に予定されている日本共産党の第二三回大会での綱領改定案について、とりわけ自衛隊や天皇制の評価の問題に党内からの批判が集中している。
前号で紹介した自衛隊問題につづいて、この号では天皇制問題での論争を紹介しておきたい。
八月八日発行の「しんぶん赤旗 別刷り学習・党活動版臨時号」では南沢大輔(兵庫)が「『憲法の枠内でのみ天皇制を認める』ことは不可能である」、団拓人(東京)は「改正案への二つの提案」、石川和夫(山口)は「一〇の修正と補足の意見」、栗山功(大阪)は「『天皇条項』への警戒を怠らないこと」、令名敏(岡山)は「『天皇制廃止』と『社会主義・共産主義』について」の意見書のなかで、それぞれ今回の綱領案の天皇条項の規定を厳しく批判している。
それらの意見は「天皇制反対を明白におり込むべきだ」(団)、「憲法の民主主義、平等の原則と対立する天皇制思想(イデオロギー)の非民主的、差別性は、今日なお根深く存在し、その影響力は大きい」(石川)、「忘れてならないのは『天皇絶対の専制政治』『天皇制の存続を認めた天皇条項は民主主義の徹底に逆行する弱点』を持っていることへの警戒を怠らないことです」(栗山)などだ。とりわけ令名と南沢の批判意見は厳しく、今回の綱領案の弱点批判の的を射たものとなっており注目したい。
「立憲君主制」規定の削除とその問題点
今回の綱領案の天皇制問題の提起の特徴は、天皇制について従来「ブルジョア君主制の一種」としてきた規定を変更し、君主制規定をやめ、その結果、将来における天皇制の廃止の課題も綱領から外したことだ。
これについて令名は冒頭に「『天皇制の廃止』のない綱領案にショック」と書き、七中総で幹部会を代表して発言した不破議長の提案報告に異義を述べている。
「私は戦後の民主教育のなかで日本は『立憲君主制』の国家と習い納得もしていた。ところが不破報告では、憲法において天皇には国政に関する権能即ち統治権がないので君主制とは言えないと定義づけられている。さらに、『天皇制』といえば憲法の主権在民の理念から主権がどこにあるか誤解をまねくとも言われている。このことは党内のみで通用する詭弁」であり、「また天皇は世襲制であり、…権限は異なっていても従来の天皇家が存在し…生活実態は主権者である国民の労苦や貧困とはまったく乖離してた異常な状況であることから共和制に至っていないと考えるのが妥当」であり、「当面天皇制と共存し時期が成熟すると国民が決めるなど他力本願の日和見主義」だと批判している。
不破は提案報告で「主権在民の原則を明確にしている日本は、国家制度としては君主制度の国には属しません。狭い意味での天皇の性格づけとしても、天皇が君主だとはいえない」とのべ、「だいたい国政に関する権能をもたない君主などというものは、世界に存在しません」として「日本の天皇の地位は、立憲君主制という国々における君主の地位と、その根本で違いがある」と述べている。
まわりくどい説明になっているが、この議論はもともと日本国憲法は主権在民規定を明確にしながら、絶対君主制の残滓としての「象徴天皇制」を規定するという矛盾を盛り込んでいるという歴史的事実を無視した机上の空論だ。
不破もいうように「個々の国々を調べてみると、統治権の一部が国王の権限として残っている場合もしばしばあるし、実質的には政府の項なのだが、形の上では国王の行為として現われるという場合も残っている」のだ。ところが不破は「天皇外交」や「天皇のお言葉」などの乱発が憲法違反であることを認めるだけでなく、厳格に憲法が実行されるにしても「国民統合の象徴」としての世襲の地位自体と、六条と七条の国事行為の規定自体が主権在民原則と衝突する規定なのであり、形の上ではあるが統治権を象徴する行為になっているのだということを忘れてしまっている。そうでな
ければ天皇のこのような、「戦争のできる国家」づくりの過程で、社会的にますます必要とされてきている国事行為、冒頭に紹介したような天皇の「お言葉」とはいかなる性格を持つものなのか。歴史における民衆の成熟という、何か共産党の闘いとは関わりのないレベルで、いずれ遠い将来、自然に実現したときに象徴天皇制もなくなるかも知れないなどというのは、まさに典型的な日和見主義そのものだ。これでは「歴史の法則だからいずれ将来、社会主義社会がくる」などという階級闘争不要論と同じレベルの誤りだ。
天皇制との限りない妥協
この不破の路線が実践されるとどうなるか、それを具体的に証明しているのが南沢の意見だ。
南沢は改定案が象徴天皇制を「一人の個人あるいはひとつの家族が『国民統
合』の象徴となる制度」と規定して、天皇以外に皇族を加えたのは憲法にもない誤記で削除せよという。そのうえで「しかし、これは意図的なごまかしであると考えられる。なぜならば、憲法上の制度たる『国民統合の象徴』の範囲に、天皇だけでなくその家族も含めないことには、一昨年の愛子誕生賀詞に賛成した党中央の行為を正当化できなくなってしまうからである。愛子は『象徴』ではないのだから…賀詞賛成を正当化することはできない」として、問題になった共産党が賀詞国会決議に賛成したことを鋭く批判している。
共産党はこの間、例えば八六年の浩宮の国会傍聴の際の態度などに見られるように「皇族の特別扱い」には反対してきた。この愛子誕生の際の賀詞は異例だった。党内からも少なからぬ抗議と失望が表明された。これに類するのが「二〇〇〇年の皇太后死去の際の弔辞に賛成した」(南沢)ことであり、この時から「天皇制について党は明確な方針転換を行なっている。これはわが党の歴史における重大な汚点であった。不破報告は、『全般として否定する方針はとっておりません』というが、歴史を捏造してはならない。それ以前に賀詞・弔辞に対する賛否の基準としてそのようなことを述べたことがあるのならば、ぜひその典拠を示していただきたい。不破報告は国家開会式における天皇出席が『戦前の…やり方を形を変えてひきついでできたもの』というが、これは当然賀詞・弔辞にもあてはまるはずである」(南沢)と指摘されるものだ。
南沢が指摘するように、これは共産党指導部の「現実追随」主義のあらわれ
だ。選挙での中間派目当ての「何でも反対党」からの脱却をめざす行動と、売り物の「筋を通す党」との間の路線上の矛盾であり、常にこの解決は右への妥協として現われてくる。
南沢の議論はここにとどまっていない。少し長いが重要な指摘なので紹介しておく。
「もちろん、天皇本人に対する賀詞や弔辞も当然無条件に党は認めるべきではない。そのような行為は、決して憲法の全条項を擁護しているのではなく、主権在民・国民の平等という条項を犠牲にしてのみ可能な行為である。憲法の天皇条項に対しては、破防法や盗聴法と同じく、その廃止を追求しつつ、具体的な運用に当たっては、人権や民主主義の擁護を徹底的に優位させ、その無力化を図らなければならない」「憲法の枠内でのみ天皇制を認めるということは、一見『原則的』に見えるが、じつはそれは不可能である、ということを銘記しなければならない。天皇制は、憲法の他の民主的条項と衝突せざるをえず、常にどちらかを選択しなければならない。天皇制は、それが血統を尊重する制度である以上、天皇本人のみならずその家族に対する特別扱いも付随せざるをえない。また同様にたとえ憲法の枠内であっても天皇制を認めることは、記紀神話も認めることにならざるをえない。というのは同じ人間であるにもかかわらず、なにゆえにこの私ではなく明仁氏がいま天皇の地位にいるのかということを説明できる唯一の根拠は、彼が天照大御神の子孫である、ということだからである。天皇制からこれらのことを切り離すことはできない」と指摘している。これは正当な批判だ。
すでに指摘したように憲法第六、七条の「国事行為」の規定から見て、天皇の「お言葉」や「皇室外交」などは憲法違反であり、こうした天皇の政治的利用や活動・権限の拡大は絶対に許してはならない。天皇と政府は憲法を無条件で守らなければならない。しかし、このことと私たちが天皇制や天皇の「国事行為」に反対しないということはイコールではない。共産党はこの点でも誤った道に踏みだした。 (M)
NO WAR! NO WTO! 持ちよろう! みんなのめざす世界を!
グローバル・ピース・マーチ 世界同時行動
東京・芝公園23号地(JR浜松町駅、地下鉄三田線御成門駅下車、東京タワー下)
9月13日(土)午後12時30分開場〜3時30分マーチ出発
主催 9・13グローバル・ピース・マーチ実行委員会
私たちの足元がゆらいでいます。自殺者が五年連続して三万人を超えました。一日当たり一〇〇人です。働きたくても働く場のない労働者、失業予備軍と化した若者たち、増え続けるホームレスの人々、年金も健康保険も当てにならず、農林漁業は衰退し、山村が次々消えています。商店街はシャッター通りと化し、伝統的な地場産業や老舗店が消滅しています。ダム、道路、空港建設の強行など地域やくらしへの直接的な暴力もきわだっています。福島県の郡山では一民間会社であるドコモが地域社会の願いを暴力的にねじ伏せ、携帯電話の鉄塔建設を強行しました。地域でも職場でも、状況はいっそう深刻になり、人々を不安に陥れているのです。
私たちを襲う『足元の不安』は、貧困・飢餓・人権侵害・環境破壊といった形をとって世界中に広がっています。その根源を探っていくと、市場原理主義を掲げ、規制緩和や効率化を人々に押し付けるグローバリゼーションの暴力という共通の根っ子にぶつかります。生命も自然も文化も、すべてのものに値札がつけられて売り物となり、世界を駆け巡る、そんな時代に私たちは生きています。本来その地域に住む人々のものであった自然環境も地域資源も、そして文化や人材までも、カネ(資本)があり力のあるものに吸い上げられてしまい、富むものがますます肥え太り、貧しいものはいっそう貧しくなっていくという現実がいま、世界を覆っているのです。
グローバリゼーションがもたらす『不安』は人々の絶望を誘い、紛争とテロリズムを生み出します。しかし、強者とりわけ米国はそのことを決して認めず、逆にテロを口実にしてアフガニスタンやイラクで「大量殺戮兵器」を使って、罪なき人々や子供たちを殺しています。
また『不安』は強者への依存に人々をいざないます。日本では人々のそうした気持ちに付け込むように、政府の手によって「戦争のできる国」づくりが着々と進んでいます。朝鮮半島有事を言い立て、国民総監視体制と有事法制を完成させた小泉政権は、イラクを占領する米軍支援のために、戦後六〇年人々のたたかいによって曲がりなりにも食い止めてきた「日本軍隊の海外派兵」を決定しました。私たちは、国のうちそとを問わず、人々に銃を向ける軍隊をもつに至ったのです。
いま経済のグローバリゼーションと軍事のグローバリゼーションがひとつながりとなって私たちのくらしの足元をゆさぶり、いのちの危機をつくりだしています。
経済のグローバリゼーションをもっとも強力に進める国際機関がWTO
(世界貿易機関)です。WTOは九月一〇日から一四日までメキシコのカンクンで交渉の一里塚ともいえる閣僚会議を開きます。このWTO閣僚会議にあわせ、世界の社会運動団体やNGOによって、『経済のグローバリゼーションと戦争政策』に抗しての国際同時行動を九月一三日におこそうという呼びかけが発せられました。「グローバル・マーチ」と名づけられたこの行動は、反戦平和への意思とグローバリゼーションへの異議申し立てとを結合し、「もうひとつの世界を」めざす行動を全世界で起こそうというものです。
私たちもこの呼びかけに応え、日本で現に起きている地域や職場へのグローバリゼーションによる暴力に異議申し立て、そうではない社会づくりを提起する同時に、米英軍のイラク占領やその地への自衛隊の派兵に反対していくこと、朝鮮半島の平和を求めることなどを軸に、この「グローバル・マーチ」を東京で取り組んでいきたいと考えます。
■賛同団体・個人 脱WTO草の根キャンペーン全国実行委員会、アジア農民交流センター、アジア平和連合(APA)ジャパン、アジア連帯講座、ATTAC 京都、ATTAC Japan、「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーン、ACA、協同センター・労働情報、グローバル・ヴィレッジ、全国一般労働組合全国協議会、全国労働組合連絡協議会、戦争反対、有事をつくるな!市民緊急行動、全日本農民組合連合会、地球的課題の実験村、中小労組政策ネットワーク、日韓民衆連帯全国ネットワーク、日本カトリック正義と平和協議会、日本国際ボランティアセンター(JVC)、日本消費者連盟、ピースボート、ピースネット、フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)、米兵・自衛官人権ホットライン、みたかたべもの村、許すな!憲法改悪・市民連絡会
■連絡先 ATTAC Japan / ピースネット気付 電話〇三(三八一三)六四九二
FAX〇三(五六八四)五八七〇
Eメール attac-jp@jca.apc.org
映 画
氷海の伝説
イヌイトのイヌイト語によるイヌイトの伝説を基につくられた映画
2001年カンヌ映画祭新人監督賞(カメラドール)受賞
ザカリアス・クヌク監督作品
2001年カナダ映画 172分
なんとも不思議で美しい映画だ。
視界に入る海と陸地は全て氷に覆われ、その氷原に太陽が目を刺すように輝く。気温は零下二〇度から零下五〇度。そこに人間が生きている。トナカイ、ジャコウウシ、シロクマなどが氷原を駆け回り、空にはたくさんの渡り鳥が舞う。そして夏、陸地の氷が少し溶けると、アザラシや北極イワナが泳ぎ、時をあらそって背の低い草花が一斉に鮮やかに赤紫や黄色の花を咲かせる。人間も動物たちもその花をおいしそうに口に運ぶ。
この氷原の住人イヌイト(イヌイットとも言われる)は従来、エスキモーと呼ばれてきた。エスキモーとは「北米大陸の先住民」たちが名付けた蔑称で「生肉を喰うやつら」という意味だ。イヌイトとは「人間」という意味。私たちはアイヌという言葉も「人間」の意だったことを思い出す。雪山で雪洞をつくる要領だが、雪や氷のブロックを積み重ね、ナイフで整えた、想像以上に大きな住居(イグルー)や動物の皮でつくったテントに住んでいる。
イヌイトは北東アジアからベーリング海峡を越えて移住した人びとで、日本人とも姿格好はよく似ている。アラスカ、カナダ、グリーンランドに至る広大な氷原地帯で、十数人から数十人程度の小規模集団を作り(夏になると家族単位に分散し、狩猟生活をする)、移動しながら狩猟をし、生活をしていた民族で、四〇〇〇年にわたる文化を持っている。
映画の舞台はカナダのヌナプト準州イグルーリック。
時代は一〇〇〇年前(なお現代のイヌイトは一九九九年に実質的なホームランド・自治州としてのカナダ・ヌナプト準州を発足させ、二六の町村に二五〇〇〇人が定住しており、生活の水準はカナダの他の地域と変わりはないと言われる。ヌナプトとは我らの大地の意)。
「氷海の伝説」はイヌイトの中で数百年にわたって語り継がれてきた口承伝説に題材をとった作品で、アイヌのユーカラなどと同様、すぐれた文化の伝承の発露したものだ。
三〇人程度の小さな集団の中の話ではあるが、闘争あり、謀略あり、凄惨な殺人あり、権力闘争ありで、愛憎のある場面が描かれている作品だが、厳しい環境のもとで悪人も善人もみな憎めない気のするひとびとに描かれてるのが不思議な気がする。これらの人びとが季節のゆったりとした移り変りのなかで、自然と調和しながら生きている。そして自然と人びとの生活との矛盾は善悪のシャーマンによって「解決」される。シャーマンはなくてはならないこころの拠り所だ。
画面いっぱいに移しだされる広々とした氷の大地と海もすばらしいが、アップで移しだされるイヌイトの人びとの表情がとてもいい。
物 語
村長(むらおさ)の父を殺して長になったサウリの息子オキは乱暴者だった。サウリに村八分同然に扱われてたトゥリマックの二人の息子、アマグアックとアタナグユアト(主人公)はたくましく育ち、兄は力持ち、弟は走るのが速い、ソリの名手だった。
美しく、芯の強い女性アートゥワはオキの許婚だが、たくましい青年アタナグユアトが好きだった。
村の宴会でアートゥワをめぐってオキとアタナグユアトが決闘する。精霊の援助で勝利したアタナグユアトは結婚する。オキはアタナグユアトを恨む。アマグアックとアタナグユアト兄弟はそれぞれの妻とともに仲良く生活する。アートゥワとアタナグユアトには子どももできる。
しかし、ある日、カリブー猟にでかけたアタナグユアトに同行したプーヤ(オキの妹)は彼を誘い、愛し合い、「第二夫人」となる。トラブルメーカーのプーヤはアタナグユアト兄弟の家でもギクシャクする。とうとう義兄を誘惑し、家を追い出される。兄弟の関係の危機が訪れるが、優しい義姉とアートゥワの努力で信頼関係が回復した。プーヤは実家に帰ってオキに訴え、オキはアタナグユアト兄弟の殺害を決意、二人の仲間を誘って、眠っている兄弟のテントを襲撃する。兄は即死するが、弟は逃げだした。アタナグユアトは寝ていたままの裸の姿で氷原を走る。持ち前の俊足だ。槍をもった三人組が追う。髪の毛を振り乱し、氷で足を傷つけ、倒れ、水に落ち、氷原を這う、走る、跳ぶ。ときどき行く手を精霊が案内する。とうとう追っ手を振り切ったアタナグユアトはある老イヌイト夫妻に救けられ、兎のお守りをもらって、回復につとめる。
オキは自分の父のサウリも事故に見せ掛けて殺し、村長となる。そしてアートゥワを強姦し、兵糧攻めで結婚を迫る。
氷結した海を越えて、復讐のためにアタナグユアトが犬ゾリで帰ってくる。アートゥワが遠くから見つけて走りよる。夫は妻のみすぼらしい服装を脱がせ、暖かいすばらしい皮の衣服を贈る。
アタナグユアトはオキと二人の仲間に対して知恵と力で闘う。新築のイグルーを滑りやすい氷の床に研きあげ、肉のご馳走を食べさせながら、時分はあらかじめ用意しておいた「カンジキ」のようなものを履き、足場を安定させて闘い、勝利した。しかし、アタナグユアトは三人を殺す寸前で止める。
村の宴会。長老のシャーマンが長い間、村を苦しめてきた悪霊との闘いを宣言し、長時間の闘いの末、勝利する。そして長老は村人たちに「復讐ではなく、許しを。争うな、殺し合うな」と訴える。殺されることを免れたオキとプーヤと二人の仲間は集落を追放となる。村には平和がきた。(鈴木)
複眼単眼
残暑の街の奇妙な生きものの話
暑いので、奇談をひとつ。
雨上りの朝の道端の石垣の隅に、金色のサヌキウドンのような細くて、長い奇妙な生きものが何匹もいるのに気づき、驚いてから二カ月も経つだろうか。都心の神宮の森のそばの道路端でのことだ。最初はヘビかミミズだとおもった。
子どもの頃、遊んだ田舎にはツチムグリなどという潜り上手のヘビがいたが、その蛇よりも細くて長い。
棒きれを拾ってきて突いたり、挟みあげたりしてみると、ネットリしている感じで、体を急にヒュルヒュルとちぢませる。それでヘビでもミミズでもなくヒルのようなものだと思った。頭(?)は少し平べったい。蛇行しながら体を伸縮させて進むさまはヒルに似ているのだ。しかし、金色(黄色ではなく黄金色とでもいうのか、あるいは明るい褐色か)なのがなんとも私には珍しくて、写真にとって友人に見せたりした。
夜も暗がりで足元に目をこらすと、舗装道路のまん中辺にまで出てきている。踏まないようにとあわてて足を引っ込める。実に妙な動物だ。
これがオオミスジコウガイビルというヒルに似た、しかしヒルではない生きものだというのは、ある日、なにげなく見ていたテレビの報道で知った。まったくの偶然だった。言われてみれば、大きいし、たしかに黒い細い縦のラインが走っている。ミスジというのだから、それが三本あるのかも知れない。コウガイとは竹冠の字で、髪の毛を結うときに使うヘラのような道具のことだ。湿りの多い梅雨時や雨上りにはいいだろうが、晴れがつづくと、石垣の隙間に小さくなって潜り込んでいる。それでもさらに晴れがつづくと、どこにいったのか、もういない。干涸びたのかも知れないし、干涸びてもまた湿気が戻れば再生するのかも知れない。
しかし、これは生命力が強くて、たとえ体が切れても、それぞれがプラナリア並みに再生するらしい。テレビで見たのだが、この生きものは自分より太いツチミミズにからみつき、しっかりとらえたあと、ミミズの頭から丸呑みするということまでやってのける。そうえばこれを見つけた雨上りの歩道には太いミミズが何匹も這っていた。コウガイビルはそれを餌として狙っていたのかも知れない。この動物は「空を飛ぶ」という噂もあったそうだが、研究者の説明では、実は高いところから下にむかって、数倍もの長さで体をのばして、ブウラブウラ風にゆれながらのびていき、先端が地面に着地するとゴム紐の原理で一気にピョーンと地面に体全体を着地させる芸当をするので、それが飛んだように見えたのだろうということだ。もともとはじめに発見したのは皇居の森だったそうだが、注意深く調べるとわりあいどこにでも棲息しているらしい。
都心とはいうものの、実に多くの生きものたちがいるものだということを改めて思った。
東京という、資本主義によって極限近くまで工業化された、お化けのような街で、オオミスジコウガイビルなどというたいそうな名前のついた動物が、しぶとく棲息しているのを知ったのが妙にうれしかったので報告するのだが…、さてどれほどの意味があるか?。(T)