人民新報 ・ 第1108号<統合201> (2003年9月25日)
  
                  目次

 ● 自衛隊のイラク派兵と米軍の戦費分担反対

             テロ特措法延長反対、有事関連五法案反対

                        「憲法改悪のための国民投票」法案許すな

 ● WTOカンクン会議が決裂  途上国、NGOの闘いで資本による一体化を阻止

 ● 朝鮮半島の平和と日朝国交正常化をめざして 日朝首脳会談・ピョンヤン宣言一周年9・17集会

 ● <9・13集会 基調報告>  脱WTO草の根キャンペーン  大野和興

 ● 国労大会  闘争団への処分を糾弾する

 ● 資 料
      声明 「 『爆弾テロ当然』発言は許せません。
            都知事失格です  発言の撤回と謝罪を要求し、知事の辞職を要求します 」

     東京全労協声明  「 石原東京都知事のテロ容認発言に抗議する 」

 ● 9・11から二年目にあたってのピースフル・トゥモローズの声明

 ● 追悼 隅岡隆春同志

 ● 書 評 / 藤原 彰 『餓死した英霊たち』

 ● 複眼単眼 / 鋼鉄はいかに鍛えられたか




自衛隊のイラク派兵と米軍の戦費分担反対

  テロ特措法延長反対、有事関連五法案反対

    「憲法改悪のための国民投票」法案許すな


 自民党の総裁選挙が終わり、第二次小泉内閣のもとで、九月二六日に臨時国会が召集される。
この臨時国会では十一月一日に期限切れとなる「テロ対策特措法」の二年延長案などが審議される予定だ。この特措法そのものが米軍のアフガニスタン侵略戦争とその後の占領を支援するための悪法であることは明白だ。集団的自衛権の行使に触れる可能性があると政府自体がみとめるからこその時限立法だった。政府与党はこれを衆議院で二日、参議院で五日程度のわずかな審議で強行可決しようとしている。
 そして一〇月一〇日に特措法を成立させ、衆議院の解散・総選挙という日程が描かれている。このような無法なやり方を糾弾しなくてはならない。そしてもしも総選挙となった場合は、反戦と憲法改悪反対の立場から、社民党や無所属の市民派の候補を積極的に支援して闘わなければならない。
 この期間、一〇月一七日にブッシュ米国大統領がAPEC首脳会議に参加する途中で来日し、日米首脳会談が行われる。この時期のブッシュの来日の目的は、イラクの民衆の占領反対闘争によって泥沼に入り込みつつある米軍が窮地を脱出するため、自衛隊の派兵はもとより、巨額の「戦費分担」と「イラク復興支援資金」の分担を日本に押しつけることにある。その額は当面だけでも一兆円を超えるだろうといわれている。米軍のイラク占領は何時までつづくかわからない。その間の資金の分担は膨大なものとなるだろう。
米国の要請で、憲法違反を犯して行う一〇〇〇人規模の陸海空三軍の自衛隊の戦場派兵と、この経済財政危機のなかでの巨額の資金協力などは全く道理がない。小泉内閣の責任は重大だ。
 先の通常国会で採択された有事関連三法を具体化するためにはさらにいいくつもの法律が必要になる。来年年頭からの通常国会にはこの有事法制関連で(1)「国民保護」法制、(2)米軍支援法、(3)自衛隊の行動を円滑化するための法制、(4)捕虜の待遇に関する法制、(5)非人道的行為の処罰に関する法制の、五法案が提出されようとしている。
 たとえば「国民保護」法制は、「個人情報保護法」が人権を侵害する法律であったと同様に、「国民保護」どころか、住民を戦争に協力させるための法案だ。
予測される法案の内容は(1)「住民保護」体制の確立、(2)住民の避難、(3)防空対策、(4)死傷者対策、(5)情報確保、(6)被害の復旧、(7)住民生活の安定、(8)業務従事命令、徴用、(9)民間船舶・航空機の安全航行確保、(10)保健衛生確保などの多方面にわたるものとなるだろう。
 鳥取県の片山知事らが本年九月に作った「住民避難マニュアル(研究案)」では「わが国に弾道ミサイルが着弾し、『武力攻撃事態』と認定された。またある国では上陸用舟艇を含む多数の艦船が結集しており、上陸進行が予想された」ことを前提にしているように、明らかに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を仮想敵国としている危険な、挑発的なものだ。
これらに見られるように、小泉内閣が推進する有事法制が、米軍の北朝鮮侵略戦争を想定し、米軍の戦争を助け、日米共同作戦を推進しようとするものであることが、ますます明白になってきている。「米軍支援法」はまさにそのために不可欠のものだ。
 鳥取県の「マニュアル」は「交通規制」、「避難の支障となる銃刀について、所持・所在の確認」「ゲリラ等の活動を阻止するため、各要所地点に検問所を設置し、警察、自衛隊との共同運営とする」などと治安対策の規定も入れるなど、「国民保護」法制の治安弾圧の側面も明記している。すでに京都府など、他の自治体でもこうしたマニュアル作りがすすんでいる。
 また「国民保護」法制関連では、前記項目以外にも、「治安・世論対策」に関連する法律も出てくると思われる。その場合、秘密保護、マスメディア統制、電波使用制限、パソコン・携帯電話統制、流言飛語の取り締まり、大衆行動の規制、労働運動の規制、監視・盗聴、疑わしいものの逮捕・収容などが問題となるに違いない。これらは戦争遂行のために基本的人権を破壊するものだ。
 一方、内閣官房は自衛隊の海外派兵のための恒久法案づくりにはいっている。米軍が世界各地で引き起こす戦争にいちいち特措法を作って対応していたのでは間に合わないから包括法をつくるのだという。このような無茶苦茶は容認できない。包括法案はPKO法、テロ対策特措法、イラク復興支援特措法などをも包括するものとされている。
 教育基本法「改正」案も、憲法「改正」のための国民投票法案など憲法改正手続き法案もこの国会会期中に出る可能性が高い。衆議院憲法調査会の中山太郎会長は「憲法調査会最終報告書」を通常国会会期末にだしたいと述べている。
小泉首相は「二〇〇五年自民党結成五〇周年に自民党の改憲草案を提示せよ」と自民党に指示した。今回の自民党総裁選では亀井候補が「二年以内に憲法改正試案を作成、三年以内に国民投票を実施」と主張したし、他の候補も九条改憲を公然と主張していた。小泉首相が「改憲に手をつける余裕がない」などといいながら、虎視眈々と改憲のチャンスをうかがっているのは明らかだ。
 この国の支配層による平和憲法を破壊し、戦争遂行可能な国家づくりの作業は最終段階にはいった。この道を許すことはできない。憲法改悪と戦争に反対し、平和を願う人々の奮起と広範な共同が求められている。


WTOカンクン会議が決裂

   途上国、NGOの闘いで資本による一体化を阻止


 九月一四日、メキシコ・カンクンで開かれていた世界貿易機関(WTO)第五回閣僚会議は、新ラウンド(新多角的貿易交渉)の自由化方式の枠組みを盛り込んだ閣僚宣言を出せないまま閉幕した。農業や投資ルールなどの分野で途上国とアメリカ・EUなど先進国の対立が解けず決裂したためである。発端は、アフリカ・カリブ海・太平洋(ACP)沿岸七八カ国が宣言文草案に合意できないと表明したことによるものだといわれている。WTO閣僚会議の決裂は、シアトル会議(九九年一一月)の以来であるが、これによって、二〇〇四年末までと時限が定められたドーハ開発アジェンダの妥結は先行き不透明になった。
 アメリカによるグローバリゼーションはひとまず阻止された。今回の会談で最も重要で尖鋭な争点は、農業分野だった。アメリカなどの大農業ビジネスの世界制覇に対して、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの多くの国々は反対していた。
 カンクン会議には、全世界からNGO団体が終結し、新ラウンド開始阻止の闘いを展開した。会議場前での抗議行動の中、一〇日の午後一時頃に韓農連前会長イ・ギョンヘ氏が割腹し死亡した。カンクンでは故イギョンヘ氏の追悼式が開かれ、韓国をはじめ各国の農民代表や市民団体の人びとが参加した。イギョンヘ氏が亡くなった場所に追慕碑を建てることにし、カンクン市長もこれに同意したと報じられている。
 韓国カンクン闘争団はイギョンヘ氏割腹死亡に対する声明書で「イギョンヘ氏の死亡は、決して単純な事故や偶発的な出来事ではない。イギョンヘ氏はWTOと超国籍資本による韓国経済の侵奪と農業の疲弊、労働者民衆の生存権抹殺に抗議する明らかな意志を表明したのである。……WTOと韓国政府に次のように要求する。まず、現在進められているWTO農業協定をすぐに中断しろ! 二つ目、韓国政府は今すぐにWTO閣僚会議の農業交渉参加を中断しろ! 三つ目、韓国政府は超国籍資本から韓国農業を守って食糧主権を死守するための根本的対策を用意しろ。……故イギョンヘ同志の葬儀は、全世界農民と共に世界農民葬として 執り行われる予定だ」と述べた。
 今回の決裂は、途上国、NGOが団結して反対の意思表示を行えば、先進国が勝手に世界のルールを形成することはできないということを立証した。


朝鮮半島の平和と日朝国交正常化をめざして

   
日朝首脳会談・ピョンヤン宣言一周年9・17集会

日朝首脳会談・ピョンヤン宣言一周年にあたる九月一七日、東京・文京区民センターで「ピョンヤン宣言から一年―朝鮮半島の平和と日朝国交正常化をめざす集い」が約二〇〇なの市民を集めて開かれた。
 実行委員会を代表して渡辺健樹さん(日韓ネット)が主催者挨拶をした。
 平壌宣言が出されてまる一年、事態は核危機が一段と進むという厳しい状況になっている。日本では拉致問題などをテコにしながら、北朝鮮バッシングを煽り、有事法制を成立させるなど、非常に危険な動きが強まってきた。拉致問題の解決も含めて速やかに日朝国交正常化交渉を開始し、そのなかで日朝間に横たわる諸懸案を解決する以外にないと考えている。日本民衆の良心に賭けて、朝鮮半島で再び戦争を起こしてはならないし、同時に過去に日本が犯した侵略・植民地関係を清算し、敵対関係に終止符を打って平和な関係を築かなくてはならない。朝鮮半島の平和と、日朝国交正常化をめざすという点で一致して奮闘したい。
 講演は「朝鮮半島『危機』の平和解決と日朝国交正常化」について松尾高志さ
ん(大阪経法大客員研究員)と第2テーマの「戦後補償運動と日朝国交正常化」について西野瑠美子さん(VAWWーNET Japan共同代表)が行った。
 松尾さんは要旨以下のような話をした。
 米国は朝鮮半島有事の新しい作戦計画五〇三〇を策定した。在韓米軍の配置を南に下げる動きもある。小泉政権は朝鮮半島情勢をにらんでイラク派兵をした。最近では有志連合国による臨検演習も行われた。これらが六者会談と平行して進んでいる。今一度、戦うな、核を廃絶しろ、民族自主による朝鮮半島の平和統一などの立場に立つべきだ。平和の技術は戦争のそれほどには熟達してはいないといわれるが、私たちはそれを切り開いていくべきだ。
 西野さんの発言要旨。
 従来の日朝国交正常化交渉の最大の難点は歴史認識、戦後補償、戦争責任の問題だった。平壌宣言がこれを簡単に乗り越えたのはショックだった。宣言に書かれた「反省とお詫び」は責任放棄の方便だ。異常な反北キャンペーンが始まっている。戦争は沈黙から始まる。草の根レベルの言論弾圧が起きている。「拉致問題は許せない、だからこそ強制連行は許せない」と言うべきだ。石原は爆弾テロは日本人としての怒りの表明だといった。昨日、市民と共に都庁で抗議したが、東京の治安対策の最たるものは石原知事の辞任だとおもう。
 各運動領域からの発言は、民族学校差別撤廃をめざす運動に取り組んでいる都立大生のリャンさん、ワールド・ピース・ナウの富山洋子さん、「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーンの土松克典さん、北朝鮮人道支援ネットワーク(ハンク・ネット)の上野さとしさん、反天皇制運動連絡会の新孝一さん、在日韓国民主統一連合のソン・セイルさんがそれぞれの立場から問題提起をした。途中、同時刻に明治公園で取り組まれた「人文字」実行委員会からの「人文字完成」の報せが携帯で実況された。

                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


9・17ピョンヤン宣言から一年  朝鮮半島の平和と日朝国交正常化をめざす集いアピール


 私たちは今、大きな歴史の岐路に立っている。
 小泉政権は、「イラク復興支援特別措置法」という名のイラク派兵法を成立させ、イラクに自衛隊を派遣しようとしている。この本格的な海外派兵は、自衛官が陸上戦闘でイラクの人々を殺したり、殺されたりすることを当然の前提としている。これは、日本の《戦争国家》化を画する決定的な節目であるばかりではない。日米共同の《第二次朝鮮戦争》に向けた、実戦による自衛隊の精兵化のプロセスでもある。
私たちは、自衛隊のイラク派兵も、朝鮮半島への派兵も断じて許さない。

 昨年九月一七日、日朝ピョンヤン宣言が発せられた。ところが、首脳会談で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日国防委員会委員長が謝罪の意を表明した日本人拉致が、北朝鮮への敵意を煽り、民族排外主義を高揚させる絶好の材料として徹底的に利用され、この一年間、日本政府はマスメディアと結託して、「北朝鮮バッシング・キャンペーン」を大々的に展開してきた。
 その結果、異常な雰囲気が醸成され、今や、「万が一、北朝鮮が日本を攻撃した時に、米国が北朝鮮に反撃できなくなるから、米国が北朝鮮と不可侵条約を結んでもらっては困る」という発言が、政府高官(安倍晋三官房副長官)から公然と飛び出す始末である。

しかし私たちは、日朝間の早期国交正常化が、拉致問題を含むすべての問題を解決する〈鍵〉であると確信する。一九七二年九月二九日、日中間で国交が正常化され、両国間の戦争状態は終結した。それが、どれほど、両国間にあった敵意と不信を解消し、民衆間の友好と親善の関係を発展させたか、すでに歴史が明らかにしているところである。国交を正常化し、すべてを公式の外交ルートに乗せてこそ、困難な問題の解決が可能になるのだ。
私たちは、長期にわたって敵対してきた日朝両国の首脳が昨秋会談し、国交正常化実現のための共同宣言を発したことを、画期的な前進と考える。しかし、ピョンヤン宣言の第二項で、日本政府が「過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えた」ことを認めながら、その償いを日韓条約と同じ「経済協力」方式で行なうとしていることには同意できない。
日本政府が「痛切な反省と心からお詫びの気持ち」を表明するなら、被害を受けた人びとに対し誠意ある国家補償を行なうべきである。
私たちは今こそ、朝鮮半島の平和と日朝国交正常化を求める巨大な世論のうねりを創り出すことを呼びかける。それは東アジアに平和をもたらすとともに、必ずや南北統一の実現に資すると確信する。
 そのうねりは、すべての当事者が小異を残し大同に就く、相互に寛容で幅広い共闘によって生まれるに違いない。本集会は、そのような世論形成のための第一歩である。

 私たちはまた、米ブッシュ政権が北朝鮮に対し不可侵を保証し、休戦協定を平和協定に転換し、国交樹立を含む米朝関係の抜本的改善に向かうことを要求する。しかし、ブッシュ政権はそれを拒否し続け、北朝鮮に対する先制攻撃を行なうことまで公言している。私たちは、このような米国政府の戦争政策に強く反対する。それゆえ私たちは、新たな戦争を準備するブッシュ大統領の一〇月訪日に反対する。
さらに私たちは、北朝鮮政府に対し核兵器開発を行なわないことを要求する。米朝間で不可侵が保証されるとともに、日本が核武装への道と米国の「核の傘」から脱し、《北東アジアの非核地帯化》が実現されねばならない。

 武力で平和は創(つく)れない。国境を越えた民衆連帯の力が、東アジアと世界に平和をもたらすのだ。すべての仲間たちに再度、呼びかける。日朝国交正常化早期実現のために立ち上がれ!

 二〇〇三年九月一七日
ピョンヤン宣言から一年―朝鮮半島の平和と日朝国交正常化をめざすつどい参加者一同


<9・13集会 基調報告>

  脱WTO草の根キャンペーン  大野和興


 なんともいやな空気が、私たちのまわりに立ちのぼっています。国民的人気を得ているとされている一国の首都の知事が右翼の爆弾テロを叱咤激励、賞賛し、その周りに人々が群れ集まる。いま歴史は確実に、新しい戦前を歩き始めています。
 なぜこんなことになったのか。その根っ子のところに、私は市場の暴力を見ます。あらゆるものに値段表がつけられ、世界中を駆け巡る。自然も、人の命も、人々が代々培ってきた文化も、すべて売り物にされてしまう。売りものにならないもの、売りものになることを拒否したものは、消え去るしかない。WTOが推し進めるこの地球規模に膨らんだ市場主義、いわゆる経済のグローバリゼーションは、自然を壊し、人間の尊厳を踏みにじり、この地球を一握りの富めるもの、力あるものの世界に変えようとしています。
 私たちの足元をみると、一日一人が自殺し、働き盛りの労働者が職を失い、若者は失業者予備軍となり、村が壊れ、農の基盤が崩れ、地域経済は衰退、命を再生産する食の不安が高まっています。今年、東日本は大凶作です。これにコメの関税引き下げが加わると、日本の稲作が構造的な大変動に見舞われることは必至です。こうした私たちの足元の崩れは、飢餓と感染症で命を落とす世界の人々の悲惨と重なり合います。
 強者の側に立てない大多数の、普通の人は、この波に飲み込まれないように首をすくめ、強いものに頼ることでしか、生き延びることができない状況に追い詰められています。地域・国家・国家間を貫く強者依存の連鎖が形づくられ、意に沿わないものにいきなり爆弾の雨を降らせる帝国が誕生しました。日本は、その帝国に付き従い、有事という形で憲法を棚上げし、海外派兵の道を歩みだしました。
 経済のグローバリゼーションは軍事のグローバリゼーションを生み出し、右翼の爆弾テロを賞賛する東京都知事の言説の向こうに、パレスチナ、アフガニスタン、イラクの子どもたちの涙がすけて見えます。
 くらしの危機と平和の危機。この足元にある危機に対し、いま世界の人々が「もうひとつの世界」を求めて立ち上がっています。その核は、強者への依存を断ち切るくらし方を一人ひとりが目指し、社会の仕組みとして作り上げ、横につなげる、「人々のグローバリゼーション」をつくりあげることにあります。メキシコのカンクンで開かれているWTO閣僚会議に照準を定めて、九月のこの一週間、世界中で人々が集まり、「もうひとつの世界」を目指して行動を起しています。私たちの今日の集まりは、その一翼であり、さらに、自立したくらし、社会づくりを基礎に、経済と軍事のグローバリゼーションに対峙する新しい運動の第一歩でもあります。
 この会場には、そうしたくらし方・社会の仕組み方を示すさまざまなテントが張られ、音楽、写真、絵によるメッセージの発信、反戦平和と地域を拠点とした運動現場からの報告が行われます。デモが終わる夕方まで、暑さの中ですが、ともにがんばりましょう。


国労大会  闘争団への処分を糾弾する

 国労第七一回定期全国大会(九月一三〜一四日)がひらかれた。大会会場の社会文化会館は今回も機動隊の幾重にもわたる警備に守られている。昨年暮れに四党合意が完全破綻し追いつめられた国労本部右派はこの大会で闘う闘争団を処分することによってJR連合への合流を狙っていた。
 冒頭あいさつで国労委員長の高島昭一は、「政治解決の努力を放棄することはあってはならない」と述べ、「一部闘争団などによる機関決定を無視した別組織、別方針、別行動は与党から離脱の口実に使われました。…四党合意の破綻は、我らの運動の成果と位置づけ、今なお、その道を歩み続ける反組織的行為は組織の団結上からも許されず、猛省を求めます」と述べた。
 そして、大会二日目になって「査問委員会答申」で、鉄建公団訴訟原告団役員・闘う闘争団事務局・闘争団団長・機関役員など二二名にたいして「組合権三年の権利停止」を提案してきた。この不当な提案に対して賛成、反対の意見が述べられたが、当然にも議場は騒然とした状況となった。そして、会場周辺に結集した闘争団員、国労組合員、支援の労働者たちも処分にたいする抗議のシュプレヒコールを繰り返した。しかし、右派のいわゆる「チャレンジ」グループとそれに連動する革同派(共産党系)は、重大な問題なので記名投票方式にすべきだという意見も押し切って強引に無記名での採決に持ち込んだ。なお、除名には三分の二以上の賛成、権利停止は過半数以上賛成で議決する。投票の結果は、代議員総数一〇二名のうち投票したのは八四名で、賛成六四、反対一三票、白票七となった。その他の運動方針などでの賛成票は大体七四〜五票程度だったのでそれよりは一〇票ほど賛成派少なくなっている。
 九月一六日、鉄建公団訴訟原告団は、「私たちは、このたびのいわれなき処分は断じて許さない。不当な査問委員会答申と、憲法を無視する愚かな処分を撤回させ、汚された組合員としての誇りと尊厳を回復するために、『法的措置を含む対抗手段』をとり、闘う決意である」という声明を発表した。
 国鉄闘争はもう一段新たな局面に入った。国鉄闘争の前進のためにいっそう闘いを強めていかなければならない。


資 料  

 声明 「 『爆弾テロ当然』発言は許せません。
       都知事失格です  発言の撤回と謝罪を要求し、知事の辞職を要求します 」


石原慎太郎東京都知事様

 石原知事は「(外務省の)田中均というやつ、今度爆弾を仕掛けられて当ったり前の話だ」(一〇日)、「いいか悪いかといったら悪いに決まっている。だけど、彼がそいう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか」(一一日)などといって、田中外務審議官の自宅に時限式爆弾がしかけられたことを「当然」と言い放ちました。
 田中氏の評価はさておき、このところ一部の右派メディアが彼に対して「国
賊」とか「天誅を」と煽っているのは周知のことです。このような中で彼の自宅に爆弾がしかけられたのです。こうしたテロによって他人の言論や行動を封殺しようとするのは民主主義と全く相容れませんし、私たちは絶対に容認できません。
 にもかかわらず、憲法を守り、民主主義を発展させるべき責任ある地位にある都知事がそれを「当然」などというのは言語道断です。石原都知事はこのところ、女性を蔑視する発言をしたり、挑発的発言でいたずらに隣国との緊張を煽ったり、都知事に課せられた公務員の憲法遵守義務に反して憲法否定発言を繰り返したり、暴言の数々を尽くしています。今回の「爆弾テロ当然」発言は、そうした姿勢の延長線上にあります。
 私たちは石原都知事に今回の「爆弾テロ当然」発言の撤回と謝罪を要求し、一連の暴言についての石原都知事の厳しい反省を要求します。そして憲法を守れない知事は直ちに辞任するよう、緊急に連名をもって要求します。

二〇〇三年九月一六日

 アジア女性資料センター。アジア太平洋平和フォーラム(APPF)。アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会。飯田・下伊那平和教育の会。うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会。核と戦争を許さない流山市民の会。北九州かわら版。キリスト者遺族の会。原水爆禁止日本国民会議。憲法を生かす会千葉県協議会本部。国連・憲法問題研究会。「心の教育」はいらない!市民会議。在日韓国民主統一連合。市民平和ネットワーク。市民の意見三〇の会・東京。写真の会「パトローネ」。自由法曹団東京支部。STOP!改憲・市民ネッットワーク。「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク。戦争と平和を考える金曜連続講座運営委員会。戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動。第九条の会ヒロシマ。名護ヘリポート基地に反対する会。なんで原宿に大規模留置場?撤回してよ!市民行動。西東京平和遺族会。日韓民衆連帯全国ネットワーク。日本キリスト教団神奈川教区国家秘密法反対特設委員会。日本山妙法寺。日本消費者連盟。命どぅ宝ネットワーク。NO!AWACSの会浜松。反戦平和アクション。ピース・さが。PEACE WITH LOVE。ピース・ニュース。「日の丸・君が代」強制に反対する市民運動ネットワーク。「日の丸・君が代」の強制に反対する品川の会。「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会。ひょうたん島研究会。フォーラム平和・人権・環境。平和・市民・町田。平和遺族会全国連絡会。へいわとふくしを見つめる会。平和の白いリボン行動・藤沢。平和をつくる大和市民の会。平和を願う市民の会。星野正樹。前田馨。「孫の世代の戦争責任って…?」実行委員会。民族差別を考える会・むくげ。劣化ウラン研究会。有事法制に反対し平和を作る流山市民の会。有事法制に反対する藤沢市民の会。許すな!憲法改悪・市民連絡会。(他に個人賛同二三〇人)

                   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京全労協声明

   石原東京都知事のテロ容認発言に抗議する


 九月一〇日早朝、外務省の田中均外務審議官自宅に、「国賊征伐隊」を名乗る者によって爆発物が仕掛けられた。このことについて、石原東京都知事は、その日の自民党総裁選挙応援街頭演説の中で「田中均というやつ、今度爆弾仕掛けられて、あったり前の話だ。」と発言した。(中略)
 釈明を求められた知事は、一二日の定例記者会見で「こういう混乱になって非常に遺憾」「爆弾を仕掛けたのが良いわけがない。」とした上で、「ああいう出来事が当然の結果として起こった」「国民の不満であり、不安であり怒りだ」「ありえてむべなるかな」「撤回じゃない、私の本意を説明した」「こういう機会でもなければ彼は反省しない」などと語り、「テロの背景にある心情は正当」という彼の自説を繰り返し強調した。(中略)
 石原都知事による「三国人」発言の時に、私たちは多くの在日外国人労働者が職場から追われるという事態に直面した。「朝鮮と戦争する」と発言した時には、在日朝鮮人学校に通う子どもたちがいじめや嫌がらせにあうことになった。当代一の「人気者」として権力の座に君臨する石原都知事の発言は、残念ながら社会に充満する閉塞感への「はけ口」を用意し、そのたびに社会的弱者に対する排斥を誘発してきた。そのことを彼は知らなければならないし、知っているはずである。彼の発言は、その意味で、テロを容認したのではなく、教唆したものと断言しなければならない。
 かつてこの国では、「正義」を装ったテロリズムが繰り返し社会を震撼させ
た。五・一五事件あるいは二・二六事件と呼ばれるこれらのテロは、農民の窮乏と政治の腐敗に対する青年将校らの「義憤」を背景にしたと言われている。しかしその結果としてこの国が進んでいった歴史は、言論に基づく政治の完全な否定であり、その先には軍部の膨張があり、間もなく侵略戦争への道が開かれていった。
 二〇〇一年九月一一日の同時多発テロの時も、その背景に、アメリカの多国籍企業による収奪によって加速される開発途上国の絶望的な貧困があると言われた。テロ発生直後に、アラブ諸国を中心にテロを歓迎する世論が沸き起こったことが報道された。しかし、良識ある全世界の世論は、いかなる理由があれテロに反対し、同時に、テロ撲滅を口実とした報復戦争にも反対し行動してきた。世界の共通認識は、憎悪の連鎖を断ち切り、あくまで平和的プロセスによって対立を克服する方向に向かっていると私たちは確信する。
 石原発言は、こうした全世界の良識にひとり背を向けるものである。石原都知事は直ちに発言を撤回、謝罪し、そして都知事の座を辞すべきである。私たち
は、憎悪を煽りテロをそそのかす石原都知事を絶対に許さない。

二〇〇三年九月一七日

 東京全労協常任幹事会


9・11から二年目にあたってのピースフル・トゥモローズの声明

 ピースフル・トゥモローズ(September Eleventh Families For Peaceful Tomorrows)が、9.11から二年目にあたって要旨、以下のような声明を発表した。現在、共同代表のディビット・ポトーティさんを招いて東京で集会を持つプランが進行中。一一月二八日午後六時から日本教育会館(一ツ橋)。

 二年前のきょう、わたしたちの愛する人たちは、米国と世界を揺るがしたテロ行為によって惨殺された。彼らが亡くなってから、わたしたちはそれぞれ悲しみの日々をおくってきたが、この恐るべき攻撃の犠牲者たちに世界中の人々が寄せてくれた共感と支援によって、わたしたちは癒されている。しかしながら、わたしたちの愛する人たちの死に対する米国政府の対応は、人々の良識ある言葉や励ましの行動とはまったく対照的である。
 わたしたちの愛する人たちの死をきっかけにして、米国政府はアフガニスタンを攻撃し、抑圧的なタリバン政権を打倒した。アフガニスタンにおける米国の軍事行動が確かにもたらしたものがひとつある。それは、わたしたちと同じような、家族の一員が攻撃の犠牲となった人々を増やしたということである。アフガンの一般市民が米軍の爆弾で死に、クラスター爆弾で負傷し、戦闘で難民となった。彼らもまた九.一一の惨事がつくりだした犠牲者である、とわたしたちは思う。
 昨年の今頃、ブッシュ大統領は、わたしたちの愛する人たちの死の一周忌を利用して、対イラク戦争を「売り込む」キャンペーンを開始した。サダム・フセインと九・一一の出来事との間につながりはないにもかかわらず、ブッシュ政権はそのつながりをほのめかし、米国人が持っている九・一一の恐怖心につけこんで、不必要な対イラク戦争へ米国を引きずり込んだのである。その際、わたしたちの愛する人たちの死を言い訳として使った。開戦にあたっての表向きの理由の背後にあった欺きは明らかになりつつあるが、イラクの民衆とイラクにいる米兵は苦しみ続けており、死者の数も毎日増えている。きょうわたしたちは、イラク人の死者および戦争のすべての犠牲者を悼む。わたしたちはまた、命を賭けた兵士たちをこの誤った任務から解放して無事に帰還させ、イラクの復興を国連に委ねることを、我が国の政治指導者たちに求める。
 米国は暴走していないだろうか。九・一一の後、米国は世界中の共感を得た。対イラク戦争以後、国際的な共感と支援は嫌悪と失望へと変わった。反米感情は世界中で高まっている。テロリストが勢力を拡大するに際して、これ以上有利な環境はないのではないか。
 九・一一に対する米国政府の対応は、九.一一以来の恐怖とパニックの中に、わたしたちを縛りつけてきた。けれども、わたしたちは、米国の政策を恐怖と怒りに基づくものから転換し、国際社会に再び合流して国際的、建設的な共同作業によってテロリズムと戦争に対処することこそが、米国人にとって最善なのだ、ということを米国政府に訴えたい。
 九・一一は米国の経験においては特異な惨事であるが、他国の人々はつねに、注目されることもなく、彼ら自身の九・一一を経験してきた。それが悲しい現実である。
 二〇〇三年二月一五日、世界的な大転換が明らかになった。世界中で何百万もの人々が対イラク戦争に反対してデモ行進をしたのであり、これは世界には今やスーパーパワーが二つあるということを示したのである。わたしたちは、この地球で共存するためにもうひとつの生き方を見つけようとしている世界の同胞と一緒にいることを光栄に思う。
 きょう死者を悼み、想起し、思い出すにあたって、真の平和、安全、正義を追求するわたしたちの営みに、あなたにも加わっていただきたいと思う。この営みは、死者に負っており、いま生きている者にとって必要であり、そして将来の世代のために成し遂げなければならない。平和な未来をつくるために、ともに前進しようではないか。
(君島東彦訳・amlMLから要約して転載)


追悼 隅岡隆春同志

 労働者社会主義同盟の再古参の一人であった隅岡隆春同志は、二〇〇三年九月五日、癌のために逝去した。享年七八歳だった。
労働者社会主義同盟のすべての同盟員は、生涯にわたって労働者階級解放の革命へ献身した隅岡同志の対して深い哀悼の意を表している。
 隅岡同志は、一九二五年、広島県呉市に生まれた。隅岡同志は敗戦直前に徴兵され、そこで天皇制軍隊の非人間性と腐敗をいやというほど体験させられた。
 一九四五年八月、日本帝国主義は打ち破られた。隅岡同志は、旧制山口高等学校に入り、マルクス主義を学び、青春の情熱のすべてをかけて民主革命と社会主義のための闘士に自己を形成した。一九四八年には学園民主化闘争の全学ストライキで退学処分をうけた。隅岡同志は、大先輩である革命家・原田長司同志の指導と薫陶をうけ共産主義運動の担い手となり、以後一貫して革命家としての道を歩んだ。
 隅岡同志は、日本共産党中国地方委員会の指導的幹部として、戦後の労働運動の組織化、朝鮮戦争下の闘い、しかも共産党分裂下での苛酷な条件での闘争を闘いぬき、革命の政治的組織的な力を形成するために奮闘した。だが、その日本共産党は宮本路線によってマルクス主義の革命路線を放棄し投げ捨て変質した。これに抗して決起した日本共産党(左派)の結成では中心的役割をはたした。ところが、日本共産党(左派)も福田正義の極左主義・セクト主義によってあやまった道に陥ったため、隅岡同志らは福田路線と対抗する日本共産党(左派)臨時指導部をつくった。革命のためには革命の指導部である党の形成が前提条件であり、そのためにはマルクス主義的路線の基本的な一致の基礎の上に、分裂ではなく共産主義者の統一が真摯に追求されなければない。この考えに基づいて、隅岡同志たちは、原田長司同志、田中廉造同志らの日本共産党(マルクス・レーニン主義)と団結して日本共産党(マルクス・レーニン主義者)をつくり、その後、板井庄作同志、林毅同志らの日本労働者党と組織統一をなしとげて新しい日本労働者党を結成した。隅岡同志は、それぞれの組織で指導部の一員として活動した。一九九八年には、山川暁夫同志らの建党同盟と日本労働者党は組織統合をなしとげ、現在の労働者社会主義同盟がつくられた。隅岡同志は、革命をめざすものは、分裂ではなく、小異を残して大きく団結しなければならないという自らの主張を具体化するために、社会主義政治勢力の再編・統合の闘いで常に積極的に主張し実践した。
 隅岡同志のお連れ合いは、敗戦直後の全逓婦人部の活動家であったが、ここ数年寝たきりの状況になり、入退院を繰り返していた。隅岡同志は介護にあたっていたが、細胞指導、理論委員会活動を休むことはなかった。しかし、この夏、ぎっくり腰になったといって理論委員会に欠席通知があり、その直後の八月二六日に緊急入院することになった。入院時には、ベッドの上で「ぎっくり腰がひどくなってどうしようもない。腰や背中が痛い」といいながらも、「煙草をすう。火はあるか」などと元気に言っていた。だが、ほんの数日後、実は癌が全身に転移していたことがわかった。その後急激に病状は悪化していった。見舞いに行っても、ほとんど意識がない状況であったが、薬で痛みが止まっていたのか安らかに寝息をたてて眠っていた。そして九月五日についに帰らぬ人となった。
 隅岡同志は、労働者社会主義同盟での活動においては、いくつかの細胞の指導にあたるとともに、主に理論委員会に属して活動していた。階級・階層分析を深めて日本革命の性格についてはっきりした方針をもたなければならないということを強調していた。とりわけ国際共産主義運動の総括、なかでもスターリン主義発生の問題を総括しなければ日本と世界の革命運動の展望は切り開けないと常々語っていた。そしてマルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、毛沢東だけでなく、トロツキーのスターリン批判などについても丹念に読んでいた。理論委員会へのレポートでもそうした問題提起が数々あった。
 隅岡同志といえば、タバコはいつもは昔懐かしい「ゴールデン・バット」を馴染みの店で買い込んできて吸っていたこと、マルクス主義の本をかたわらにおいて、酒のコップをかたむける姿が思い出される。今から三年くらい前だったか、左翼のさまざまな潮流のホームページを見て学習しなければならないと決意したということで、一緒にパソコンを買いに行った。七〇台も半ばになってインターネット、メールをはじめたのには驚かされたが、持ち前の集中力で腕前は急速に上達し、どこどこにこんな文章があったなどとプリントアウトとしたものを持って来てくれたりしたこともたびたびあった。
 ふりかえって見ればこの一〇年の間には隅岡同志とともに闘った諸先輩たちが逝去された。一九九三年に原田長司同志、九八年に田中廉造同志、二〇〇〇年には労働者社会主義同盟議長であった山川暁夫同志、そしてこの二〇〇三年三月には日本労働者党書記長であった板井庄作同志が、われわれに革命の道を前進するよう言い遺して逝ってしまわれた。その他の革命運動の半ばで逝かれた多くの諸先輩たちも後につづくものたちにたいする思いはおなじでことあったろう。
 同時にこの一〇年は、世界的に新自由主義の攻撃が吹き荒れ、労働運動、社会主義運動は後退を強いられてきた。しかし、今日、アメリカのイラク侵略戦争反対、反グローバリゼーションの闘いの高揚は社会主義革命運動前進の前提をつくった。隅岡同志のところには、かつて左派党員として活動し、それぞれの時代に福田路線と決別し、共産主義運動の再建を願う人びとからの連絡もいくつも来るようになっていた。隅岡同志は、こうしたことも社会主義運動の停滞からの脱却の兆しのひとつだと積極的に評価し、討論を重ねていた。しかし一方で、戦争とテロ、長期不況という資本主義の危機か顕在化しているこの時に日本共産党は宮本路線をいっそう発展させ、不破路線によって、天皇制・自衛隊の承認、革命なき「資本主義の枠内での改革」という綱領を決定するところまで来た。
 隅岡同志を送るにあたって、われわれは、反戦・改憲阻止、労働者の生活と権利の防衛など民主的な諸課題を大衆の先頭にたって闘い抜き、社会主義革命への道を切り開いていく決意を新たにしている。
隅さん、どうぞ安らかにお休みください。(橋本勝史)


書 評

  藤原 彰 『餓死した英霊たち』

 
      青木書店  四六版二三五ぺージ  定価二五〇〇円

 侵略戦争であったアジア・太平洋戦争を美化する人々は、「英霊」という言葉を使い戦没者を神聖視する。
 しかし、彼らは戦没者の過半数が華々しく闘って死んだのではなく、悲惨な餓死であったことを知っているのだろうか。
 全ての戦場において、多くの将兵は食料や医薬品の補給が途絶した中で飢えにさいなまれ、体力を消耗しつくした身体を病に蝕まれて死んでいったのだ。

 全三章からなる本書は、第一章で各戦線における餓死の実態を克明に描き、第二章で餓死を招いた作戦計画と指導、さらに作戦を立案した参謀本部の問題点を指摘し、第三章ではそのような参謀を生み育て、独善と横暴を許し、将兵を餓死に追いやった日本軍の本質を暴き出している。
 各項目の注を見ればお解りのように、本書を書くにあたり著者は多くの戦史や参謀等の回顧録を読み通し、慎重に真為を吟味している。
 そのおかげで、私のように戦争の歴史に詳しくない者にも比較的容易に理解することができた。
 戦後五八年が過ぎて戦争の歴史が風化し、事実を知らないのに過去を一方的に美化する風潮がまかり通る現在、アジア太平洋戦争の実態を理解する上で必読の本だと思う。
 本書の中で私が特に注目したのは、第一章・五「孤島の置きざり部隊」である。
 餓死と言えば、「飢島」と呼ばれたガダルカナルが有名だが、一万五千人前後の戦病死者を含む二万人以上の戦没者を出しても撤退できたのと異なり、とり残された部隊は補給が実施されない中、投降を許されず現地で自活ができない状態で敗戦まで生き延びることを強制されたのである。
 そのため島の食料を厳重に管理し、本来の持ち主である現地の島民が勝手に食べると処刑した。マーシャル諸島のミレ島では一九八人が虐殺されている。さらに朝鮮人労務者を殺して食べたという凄惨な事件も、これらの島々で生じている。
 しかも、支配者である日本軍の中では末端の兵士が餓死を最も強要された。
 メレヨン島にとり残された陸海軍将兵の中の平均生還率は二五%だが、将校の六七、准士官の七七、下士官の三六と比べると、大多数を占める兵士の一八%は雲泥の差と言うしかない。
 戦争を美化する人たちは「将兵心を一つにして戦った」などと言うが、そんな事をほざけるのはその人が幸運だったからに過ぎない。
 しかも、戦史は陸海軍部隊の運命についてはわずか八行しか割いていないのだ。
 一二万以上の将兵を補給が見込めない、しかも現地で十分な食料が確保できない孤鳥に派遣し、その後の通信で部隊の状態を把握していたにもかかわらずである。
 「痛みに耐えて」などと小泉首相はうそぶくが、しわ寄せは何時も末端にかかってくるものである。
 自民党と言えば軍隊では高級将校、間違っても前線になど行くことも飢えることもない。しかし、投降を許されない兵士は生き残る為には鬼になる以外に手段はなかった。
 映画「日本鬼子」では、証言者が強姦した中国人女性をその後殺害して食った事実を告白するが、食糧が豊富な中国大陸においても多数の死者を出しているのだ。
 こう書くと、「それは過去の出来事にすぎない」との反論を受けそうであるが、人権を無視した日本軍の本質は、戦後も企業や社会に受け継がれていると言っても決して過言ではない。
 世界で第二の経済力を持つ国で、一年に三万人以上の自殺者が出ているのに有効な政策が取られていない。
 リストラを逃れた労働者には「サービス残業」というタダ働きが強制されるのに、己の経営の間違いで企業をつぶした大企業の経営者はのうのうと生き延びる。
 さらに、今度はどこが戦場かわからない国に自衛隊を派兵しようというのだ。
 宗主国の名ならばどのような無理難題でも引き受けるし、戦閾で何人の自衛官が戦死しようとものの数ではないのであろうか!。
 最後に、私の父方の伯父は第一章のインパール作戦で戦病死している。
 飢えた体をマラリアやアメーバ赤痢に蝕まれ死ななければならなかったと思うと、いたたまれない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
 父は死ぬまで戦争を語らなかったが、戦争で生死の境を何度となく彷徨った人間は皆そうである。
 司馬遼太郎がノモンハン事件を書けなかった理由が心底から理解できた。(樹人)


複眼単眼

     鋼鉄はいかに鍛えられたか


 隅岡同志が亡くなって、私たちの組織は山川暁夫さん、板井庄作さんを含めて労社同結成当時の三人の顧問格の老同志を全て失ったことになる。
 それにH同志も忘れることはできない存在だ。人間という生き物の定めとはいえ、なんとも痛恨のきわみだ。
 これらの人びとの人生はその大半が戦争に反対し、革命と労働者・人民の、そして人類の解放のためにささげられた。
 四人のいずれの方々もこの点においては、生涯を通じてほとんど無私の活動をしてこられた革命家だと言える。
 先輩たちの人生は苦闘の連続であり、決して大道を進みつづけるような順風満帆の人生ではなかったはずだ。ある時は闘いのなかで疲れて病に倒れ、ある時は激しい闘いに深手を負い、ある時は資金もなくひもじい思いすらしたことだろう。
 しかし、それらが報いられる思いをした輝くような場面もまた、先輩たちの人生のいくつもの時期にあったと思う。
 厳しい顔つきの時が多かった先輩たちが、しばしば見せるあのすばらしい笑顔にそれがかい間みえたような気がする。
 先輩たちは自らの死に臨んで、その人生を悔いなかったと私は信じている。先輩たちが亡くなって感傷的になっているのだろうか、あらためて私もこれらの先輩の生きたように生きたいと心底、思う。そして唯物論者の言葉にはあるまじき言葉になるが、もし再びの命というものがあるなら、この道を歩みたいと思う。
 かつて夢中になって読んだことのあるオストロフスキーの「鋼鉄はいかに鍛えられたか」から、作者が主人公パーベル・コルチャーギンに語らせた言葉を掲げて先輩たちの人生に敬意を表したい。そういえば山川さんが酒を飲むと、ときどきパーベル・コルチャーギンの「生き急ぐ」ということばを語っていたことを思い出す。

  人間にあって一番大切なもの、
  それは生命だ。
  それは人間に一度だけ与えられる。
  そしてそれを生きるには、
  あてもなく生きてきた年月だったと、
  胸をいためることのないよう
  生きねばならぬ。
  卑しい下らない過去だったという恥に、
  身を焼くことのないように、
  生き通さねばならぬ。
  そして死にのぞんで、
  全生涯が、
  また一切の力が、
  世界で最も美しいこと、つまり、
  人類解放のための闘争にささげられたと、
  言い切ることができるように、
  生きねばならぬ。
                    (T)