人民新報 ・ 第1114 号<統合207> (2003年11月25日)
  
                  目次

 ●
 国会議員と市民の緊急院内集会開催

    自衛隊員はイラクに行くな! 殺すな! 死ぬな!イラク派兵基本計画反対

 ● 新しい米軍基地建設のための辺野古沖現地でボーリング調査をやめろ

 ● 11.14 アメリカは戦争をやめろ! ラムズフェルド来日に抗議する!

 ● 愛媛県下の市民団体の「戦争につながる経済制裁をせず、拉致問題を平和的に解決することを政府に求める意見書」

 ● 死ぬな!殺すな!行かせるな!中小・非正規・外国人労働者に権利を、秋の共同行動

 ● 有事法制(改正自衛隊法施行令)についての防衛庁の答えになっていない「答え」
     陸・海・空・港湾労組二〇団体が防衛庁(防衛局事態対処法制室)と懇談

 ● T・K生の時代から「いま」を観る    池明観氏の講演

 ● 労働者の解放に捧げた精神を継承しよう  「隅岡隆春さんを偲ぶ会」開く

 ● 日米安保戦略会議の開催に抗議

せ ん り ゅ う ( ゝ史 )

 ● 複眼単眼 /自衛隊員の家族・恋人らイラクに送らないでの悲痛な叫び

 ● 年末カンパのお願い ( 労働者社会主義同盟中央委員会 )




国会議員と市民の緊急院内集会開催

自衛隊員はイラクに行くな! 殺すな! 死ぬな!イラク派兵基本計画反対


 第二次小泉自民・公明連立内閣が発足した。イラクでの米英両国とその追随者による占領軍に対する反撃が強まる中で、小泉首相は動揺しつつも、あくまで、自衛隊のイラク派兵を強行しようとしている。
 いまこそ、すべての力を結集して、自衛隊のイラク派兵基本計画策定の動きに反対し、派兵の中止、イラク特措法の廃止にむけての闘いを強化する時だ。

 特別国会の初日の十一月一九日午後二時から、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネットの三団体のよびかけで、衆院第一議員会館第一会議室において、「イラク派兵基本計画に反対する国会議員と市民の緊急院内集会」がひらかれ、一五〇人の市民と国会議員が参加した。この集会は衆院選後初めての院内集会であり、今後とも市民と野党の国会議員が共同して、イラク派兵反対と、憲法九条改憲阻止のため闘う決意を表明した、意義ある集会となった。
 はじめに司会の高田健さん(市民緊急行動)が発言。イラク派兵基本計画は戦後の日本の歴史を大きくかえるものだ。しかし、小泉内閣は、きちんとした国会討議もしようとしていない。現在、世論調査でも派兵反対の意見は多い。そうした広範な民意に逆らって派兵を行おうとしている。まず北海道の部隊が派兵されることになっているが、ホームページなどを見ると派兵される自衛隊員の妻、恋人、家族の声がのっている。イラクに派遣されたら、イラクの人を殺すかも知れない、また死ぬかも知れないという不安の声が伝わってくる。国会の内外で力を合わせてあくまで派兵中止を要求しよう。
 主催者を代表して、日本山妙法寺の武田隆雄上人があいさつ。
 選挙では護憲派が後退したが、イラク派兵はまだ出来ないでいる。これは国民の故だ。派兵に反対する国会議員を支える多くの国民の共同した反戦の行動が必要だ。宗教界も「人が人を殺してはならない」の一点で大きく運動をつくろうとしている。
 国会議員では、社民党から土井たか子、阿部知子、山本喜代宏、共産党から小泉親司、民主党から円より子、佐々木秀典の皆さんが参加し発言した。
 社民党の土井たか子議員は、最大の政治課題はイラク問題と憲法問題だとして、次のように述べた。
 いま、戦後ががらりとかわる大変な時期だ。イラクに非戦闘地帯などというものがないことは明らかになった。小泉首相も選挙の最中は早期派遣をいっていたが、現在はトーンダウンせざるをえなくなっている。まず緊急な課題は一人たりとも自衛隊員をイラクに送らない闘いを強めることだ。そして憲法九条を護る運動を各地でつくり、それを大きくネットワークしていく必要がある。そのためにともに頑張っていこう。
 共産党の小泉親司議員は、アメリカの無法な戦争・占領こそが問題なのであり、かれらがイラクの国民から敵対されるのは当然であり、日本でも派兵反対が世論の多数派だ、共産党、社民党、そして民主党とも協力して国会でのしっかりした審議を実現したい、と述べた。
 民主党の円より子議員は、小泉首相はこの国会でイラクへの自衛隊派遣の問題を議論しないまま、進めようとしている。私は派遣に絶対反対だという意志を市民の皆さんと一緒に表明したいと思い駆けつけた、と述べた。
 民主党の佐々木秀典議員も、選挙区の旭川では自衛隊員が第一陣として派遣されようとしている。街頭演説で派遣に反対だと訴えていたら、自衛隊員が近寄ってきて「佐々木さん、頑張ってください」と言ってきた。国会で他の野党の皆さんと協力して頑張りたいと挨拶した。
 市民団体からは、ふぇみん婦人民主クラブの赤石千衣子さん、全国FAX通信の国富建治さん、韓統連の宋世一さん、北区区議の古沢久美子さん、平和憲法を広める狛江連絡会の寺尾浩次さん、平和フォーラム事務局長の五十川孝さんが発言した。
 院内集会のあと、国会前路上に集まり、イラク派兵に反対する意思を示す集会をひらき、自衛隊を絶対に派兵させないとシュプレヒコールを行った。


新しい米軍基地建設のための辺野古沖現地でボーリング調査をやめろ

 政府は住民の反対の声を無視して、沖縄・名護市の辺野古沖への新しい米軍基地の建設をめざして、現地でボーリング調査を六三箇所で強行しようとしている。
 これに抗議して、調査の中止を要求する集会が、十一月十六日午後、都内で開かれた。集会は三線での島唄あり、お話ありの多彩なものとなった。
 この日の集会を主催したのは、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、東京沖縄県人会青年部、名護へリポート基地に反対する会、命どぅ宝ネットワークなどの沖縄問題で活動を続けてきた諸団体で、集会には地元・辺野古から「命を守る会」のおばぁたち三名など、政府関係省庁への要請団が出席し、二五〇名余りの参加者にアピールした。
 予定されている工事は「最大十メートル四方もの大きな足場を組み、海底深く穴をほることから、サンゴや藻場を破壊し、そこに生息しているジュゴン(国指定の天然記念物)を追い出すことになる」(主催者の呼びかけ文)ということで、集会では国際自然保護連合(WWFジャパン)の花輪伸一さん、日本自然保護協会の吉田正人さん、北限のジュゴンを見守る会の鈴木雅子さんなどによる「自然保護」の立場からの告発が行われた。それぞれの報告者は、この間の辺野古の海やヤンバルの森の詳細な調査にもとづいて、スライドや統計を示しながら具体的に自然破壊の危機を指摘し、辺野古に新しい米軍基地を作ることに反対した。
 東京沖縄県人会青年部有志による島歌の演奏のあと、命を守る会の三人のおばぁが登壇し、司会との対話の形式でそれぞれの思いを語り、また翌日に予定されている防衛庁への要請行動に参加する決意を述べた。おばぁたちはかつての戦争での苦しい体験と自分たちの生活を支えてきたゆたかな辺野古の海と森が破壊されるのに我慢がならず、命を守る会をつくり、闘うようになったことを語った。
 「命を守る会」の訴えでは「現在、辺野古の集落はキャンプ・シュワブ基地に囲まれています。今までは何とか海の豊かさを残してきたのですが、ここに新しい基地ができたら、私たちの憩いの場すらなくなってしまいます。いくらお金をくれても、生活環境が破壊された場合は何にもなりません。…徹底的に新しい基地建設を阻止しようとがんばっています。…子や孫に残せる財産、それはジュゴンの住む美ら(チュラ)海であるし、名によりもかけがえのない人間の命・地域に生きる人々の尊厳をまもることではないでしょうか」とのべている。
 参加者は辺野古の海に新基地を作らせないための決意をかためあった。


11.14

 アメリカは戦争をやめろ! ラムズフェルド来日に抗議する!

 十一月十四日、アメリカの国防長官でネオコン派の中心人物であるラムズフェルドの来日に抗議して、「アメリカは戦争をやめろ! ラムズフェルド来日に抗議する11.14行動」がおこなわれ、労働組合員を中心に五百人が参加した。
 この行動の主催は、フォーラム平和・人権・環境、戦争反対、有事をつくるな!市民緊急行動、日本消費者連盟、ATTAC Japan、I女性会議、原子力資料情報室、日韓民衆連帯全国ネットワーク、核とミサイル防衛にNO!キャンペーン2003など八団体によるもの。
 六本木の三河台公園での集会で、主催者を代表して、平和フォーラムの福山真劫事務局長があいさつ。
 今日、来日したラムズフェルドはネオコンの親玉の一人だ。アメリカは国際世論、国連を無視してイラクに侵攻した。アメリカの狙いは、イラク石油の支配であり、アメリカ軍需産業の拡大、イラクにイスラエルよりの政権をつくることだ。イラクでは戦争の口実となった大量破壊兵器は見つかっていない。その反対にアメリカはすさまじい破壊力をもつクラスター爆弾、劣化ウラン弾などを多用してイラクの民衆、国土、インフラを破壊した。しかし、アメリカはイラクで困難な事態に陥っている。ラムズフェルド来日の目的は、アメリカのために戦費をだせ、自衛隊をイラクに送れということだ。小泉政権はそれに応じようとしているが、ラムズフェルド自身も、イラクには非戦闘地域はないと言う状況だ。政府も動揺しはじめた。全野党、連合、市民団体とともに、もっと大きな国民運動を展開していこう。
 つづいて、核とミサイル防衛のNO!キャンペーン2003、日韓民衆連帯全国ネットワーク、有事をつくるな!市民緊急行動からアピールがあった。
 集会終了後、参加者はアメリカ大使館にむけてのデモに出発した。
 大使館の付近では、警察の妨害をはねのけて、アメリカのイラク戦争反対、ラムズフェルドはかえれ、自衛隊派兵を許さないなどのシュプレヒコールをあげ抗議した。


愛媛県・右派集団の策動で「北朝鮮に対する経済制裁を求める意見書」

              県下で全六九市町村のうち四一市町村議会で採択


 右派集団「日本会議愛媛」と「救う会愛媛」の取り組みの結果、愛媛県下では先の九月議会で全六九市町村のうち四一市町村議会で「北朝鮮に対する経済制裁を求める意見書」が採択された。「救う会愛媛」は「一度にこれだけの議会で採択されたことは全国で初めてで画期的だ」と評価し、こうした動きの全国化を狙っている。もとよりこうした「経済制裁」を叫ぶ策動は、「非軍事の平和的外交活動」などではなく、それに逆行する挑発的な動きであり、両国間の諸懸案の解決にとって、百害あって一利なしだ。こうした動きはすでに十余年に及んだ「イラク経済制裁」と同様、問題の解決にはならず、強制によって民衆を苦しめることであり、北東アジアの緊張をいっそう激化させるものだ。

 以下は、愛媛県下の市民団体が県下各議会に提出した「戦争につながる経済制裁をせず、拉致問題を平和的に解決することを政府に求める意見書」の要旨。

請願趣旨【要約】

 【「経済制裁」は戦争の一形態】

 「経済制裁」とは、外交や交渉によって問題を解決することを放棄した、いわば「戦争の一形態」と言えるものです。
 湾岸戦争から、今回のイラク侵略・占領までの間の一〇数年の間にも、アメリカ等の経済制裁によって、イラクで多くの人々が死んでいったように、それをやる側にとっても、やられる側にとっても、殺し ― 殺されるということにおいて、直接の爆撃等による死 ― 殺人と本質的に変わるものではありません。
 つまり、経済制裁を求めることは、政府に、「人々を殺せ、戦争をしろ」と迫ることに他なりません。「拉致」の実行とは全く関係のない、「北朝鮮」の人々を苦しめるべきではないと、私たちは考えます。

 【「経済制裁」は拉致問題を解決せぬまま、実際の戦争へとつながる】

 また、経済制裁は、実際の戦争へと一直線につながっています。『救う会』の会長である佐藤克巳氏は、「向こう(北朝鮮政府)は、制裁を宣戦布告と見なし、ミサイルを撃ち込むということに必ずなる。『日米安保条約を発動し対応する』と首相は答えるべきだ。戦争を恐れてはならない。」(『朝日新聞』二〇〇三.二.一九より)と語っています。
 つまり、「経済制裁」が戦争につながることを前提としたうえで、「経済制裁を」と主張しています。
 「北朝鮮」の政府自身、「経済制裁」は「宣戦布告と見なす」と言っています。「北朝鮮」を軍事攻撃する態勢はすでに整えている米日が、経済制裁に続いて、直接の軍事侵略を始めれば、いったいどれほどの人々が死に、殺され、犠牲になるでしょうか。
 そして、そうなれば、経済制裁の目的だとされている「拉致問題」の解決どころか、「北朝鮮」に残る拉致被害者の家族、子どもたちもまた、米軍等の攻撃にさらされる危険のなかにおかれてしまいます。これでは、とても「救う」ことなどにはなりません。

 【拉致問題は日朝国交正常化の過程のなかでこそ解決される】

 拉致事件によって苦しみ続けている人々のことを考え、拉致問題を一刻も早く解決できるよう努めなければなりません。しかし、それは、日本がその植民地支配責任を果たすものとしてある、日朝国交正常化を実現していくなかでこそ、解決に向けた道が再び開かれてくるものだと思います。被害当事者のひとりは、帰国一年を期に書かれた「手記」の中で、「そもそも北朝鮮による拉致被害事件はなぜ起きたのかを考えると、そのひとつに戦後国交が正常化されていない日本との対立関係が背景にあるものと考えられる。そういった意味で拉致は戦争の延長、犠牲とも受け止められる。」と書き、記者会見において、「小泉首相が再び訪朝して、首脳会談するのも一つの解決策」であると語っています。
 日朝の国交正常化が実現し、両国に暮らす人々の往来が自由になってきてこそ、被害者の人たち、その家族らが、双方の国家に左右されることなく、被害者自身の選択によって、今後の生き方を自由に決定していくことが可能になってくるのだと思います。また、平壌会談の時の、「北朝鮮」の報告における疑惑部分も、正常な国交関係ができてこそ、解明、解決に向かう可能性が開かれてくるのではないかと思います。

 【日朝国交正常化は植民地支配国であった日本の責務】
 
 日本は、戦後ずっと「北朝鮮」に対する敵視、孤立化政策を取り続けてきました。その間、三〇〇万人に及ぶ「北朝鮮」の人々が米軍によって殺された朝鮮戦争にも、深く協力、加担しました。そして、「北朝鮮」に対する植民地支配の責任に関しては、半世紀以上もの間にわたって、果たさぬまま今日まできてしまいました。
 日本が、それら植民地支配の責任を果たすことによって、日朝間の正式な国交関係を結び、国交正常化を実現することは、植民地支配をした日本の側の責務です。
 また、日本がその責任を果たしてこそ「北朝鮮」政府に対する、拉致問題解決の要求が倫理的説得力を持ち得、本当の「解決」の実現へと大きく近づいていくことになると考えます。

請 願 事 項

日本政府は
 一、拉致問題を対話と交渉によって、平和的に解決すること。

 一、拉致問題の解決につながらないだけでなく、拉致事件と関係のない多くの「北朝鮮」の人々を苦しめ、なおかつ、戦争へと到る可能性が大きい「経済制裁」をおこなわないこと。

 一、日本の植民地支配に対する責任を果たし、日朝の国交正常化を実現する
こと。


死ぬな!殺すな!行かせるな!自衛隊イラク派兵反対

使い捨てはゴメンだ!中小・非正規・外国人労働者に権利を、均等待遇を私たちの手で

                                            
 秋の共同行動

 十一月一九日に恒例の秋の共同行動が展開された。
 その日は早朝から転籍否認解雇争議での大塚製薬にたいする抗議要請行動をはじめ、カメラのニシダ倒産問題での東京スター銀行、厚生労働省前ビラまき行動、一方的不利益変更裁判でSONY本社、光輪モータース、レイキ、いすゞ自動車リストラ責任問題でみずほ銀行、フィリピントヨタ組合否認でトヨタ東京本社への抗議・申し入れ行動を行った。
 共同行動の集約は、総評会館ホールで、死ぬな!殺すな!行かせるな!自衛隊イラク派兵反対、使い捨てはゴメンだ!中小・非正規・外国人労働者に権利を、均等待遇を私たちの手で、をスローガンに集会が開かれた。
 はじめに主催者を代表して、中岡基明中小労組政策ネットワーク共同代表があいさつ。
 今日の集会にあるようにわれわれが闘わなければならない課題は大きく多い。とくに米英のイラク戦争への加担、憲法九条改悪、軍国主義への右旋回に抗する闘いでの共同を強めよう。
 特別報告として、全労働東京基準支部執行委員の藤川康雄さんが、労基法が適用されない労務委託、請負いの問題について発言した。
 いま、労務委託、請負いは世界的な傾向だ。労働者が、これからは「あなたは一人の経営者だ」として、労働契約が解除され労働法や社会保険の適用がない非常に不利な状況におかれる人が増えている。しかし、労働者であるかどうかは、形式ではなく実態が大事だ。支配従属関係があるかどうか、時間的場所的制約があるかどうか、代替性の有無などが問題だ。そこで労働者性がわかれる。よくメモをとり証拠をあつめて実態をつかんでおくことが闘いに勝利する武器になる。
 つづく特別報告は佐久間誠さん(国労名寄闘争団副団長)。佐久間さんは、地元の自衛隊がイラク派兵されることについて、自衛隊員や家族への働きかけ、北海道での派兵反対運動について発言した。
 つづく一分アピールでは、都庁職労働支部、カメラのニシダ、大塚製薬労組、千葉市非常勤職員組合、フィリピントヨタ労組、アタックジャパン、脱WTO草の根キャンペーン、全統一光輪モータース分会、レイキ分会、ケーメックス分会、外国人労働者分会、電通労組、神奈川シティユニオン、下町ユニオン、日韓民衆連帯全国ネットワーク、国労闘争団、郵政ユニオン、移住労働者と連帯する全国ネットワークから、それぞれ力強い決意表明がつづいた。
 最後に、春の行動へのアピールが確認された。

    § § § §


アッピール(要旨)

 イラクでは五月のブッシュ大統領による戦争終結宣言にもかかわらず戦争が継続、アメリカなどによるイラクヘの不当な軍事行動はイラク人民や世界の多くの反対や反撃にあっている。しかし、小泉内閣は世界の趨勢とは逆に今年中に自衛隊をイラクヘ派兵し、世界に向かって約束した平和憲法の精神さえ踏みにじろうとしている。私たちは自衛隊が戦争に巻き込まれることも、アメリカの戦争のために協力することにも、イラク民衆を殺すことも断固、反対である。私たちは多くのNPOや市民団体、労組などイラク戦争反対の運動を共に続けてきた仲間たちと連携し派兵を止める闘いを一層強化していかなければならない。
 資本のグローバル化は企業の社会的責任を暖昧にし、社会や働くものの生活を破壊し解雇・失業・生活苦・自殺など雇用や社会不安を現出させている。労基法など労働法制の規制緩和は結果として職場の競争と無権利状況を助長している。ホワイトカラーを週四〇時間規制から除外することが目論まれ、仕事を個人契約と見せかけ雇用関係を隠蔽し働くものの労働者性までも剥奪し、労働法制の枠外に放置させようという動きも急増している。このような身勝手な行動はもはや看過できない。使い捨てはゴメンである。パート、派遣、有期などの非正規雇用労働者、中小・零細企業で働く労働者、外国人労働者、女性労働者など、今や働くものの多数派である労働者は、このような反社会的で不当な扱いに抗議し、闘いに立ち上がる。
 二〇〇三年秋の闘いから二〇〇四年春への闘いは、すべての労働者の均等待遇や差別是正、安心して、誇りを持って働ける職場や非正規労働者の権利確立が主要な課題である。 二〇〇四年春、全国の働く仲間達の闘いを結びつけ、これらの声を大きなうねりにするようがんばろう!


有事法制(改正自衛隊法施行令)についての防衛庁の答えになっていない「答え」


 一〇月二七日午前陸・海・空・港湾労組二〇団体は、一〇月三日に閣議決定された自衛隊法施行令について防衛庁(防衛局事態対処法制室)と懇談を行った。以下は、マスコミなどに配布された資料

防衛庁との懇談について(コメント)

 一.陸・海・空・港湾労組二〇団体は一〇月二七日午前(一〇:〇〇〜一二:一〇)、一〇月三日に閣議決定された自衛隊法施行令について防衛庁(防衛局事態対処法制室)と懇談を行いました。
 今回の政令改正は「事態対処法制の整備の一環として、これまで未整備であった事項の整備」とされ、自衛隊法施行以来半世紀にわたり手がつけられてこなかった業務従事命令対象業種や物資保管命令対象施設などが法制化されました。これにより交通運輸産業に携わる私たちは、業務従事命令という法的義務を負う立場に置かれる事になったわけですが、私たちの「いのちと安全」にかかわる極めて重要な事柄が国会の議論にさらされることなく、閣議決定という形で一方的に決められたことに強い憤りを覚えました。そのうえで、政令改正と私たちの「いのちと安全」の関係を直接質すべく、防衛庁に懇談の申し入れを行ったものです。
 懇談は、事前に提出していた「申し入れ事項」にそって行われましたが、防衛庁回答は、「いのちと安全」に対する私たちの不安や懸念を払拭するものとならないばかリか、逆にれを深めるものとなリました。以下いくつか指摘します。
 
 二.@防衛庁は「我が国」の範囲を「基本的には領土・領海・領空」としながらも、「公海も含まれる」ことを明言しました。「必要な限りにおいて公海の輸送もありうる」としたうえで、その輸送には「制度上、兵員・武器・弾薬も含まれうる」と回答しました。これにより、公海における兵員・武器・弾薬の輸送は排除されていないことが確認されました。一方で防衛庁は、「輸送は武力行使にはあたらない」とも述べていますが、「兵員・武器・弾薬」は明白な兵站活動であり、「武力行使にはあたらない」とも述べていますが、「兵員・武器・弾薬の輸送」は明白な兵站活動であり、「武力行使にはあたらない」は詭弁と言わざるをえません。

 A業務縦事命令の地域について防衛庁は、「自衛隊の行動に係わる地域以外の地域」(自衛隊法一〇三条第二項)は「現に自衛隊が行動している地域以外の地で、今後も行動が予定されない地域」を「内閣総理大臣が告示で定めた」(同)ものであり、「(安全確保が判断できなければ内閣総理大臣は(「自衛隊の行動に係わる地域以外の地域」を)告示できない」として、『安全だから地域を告知するので告知された地域は安全だ』旨の回答に終始しました。つきつめれば『政府を信用してほしい』であリ、こうした対応は私たちを納得させるものとならなかったばかりか、逆に不安や懸念を深めるものとなリました。
 B業務従事命令について防衛庁は、「直接の当事者は(政令で)規定されている。当事者が下請けを雇って(命令された業務を)やることはできる」との回答をしました。このことから、防衛庁の規定する業務従事命令の実質的対象範囲が、事業者にとどまらない、よリ広い範囲で想定されていることが明らかになりました。また業務従事命令発動にについては、「物理的に行えないこと、できないことは(業務従事を)お願いできない。その場合は命令の取り消しになる」「罰則は課せられられない」「(ストライキで命令が)遂行できないこともありうると思う」「(関係法規に基づく権限が定められている場合は)それぞれの法に則ってもらう」など原則的な回答がされていますが、それはあくまでも現行法制の枠内のことであり、将来の強制化を否定するものとはなっていません。現実として、物資保管命令には罰則が課せられましたし、有事三法案制定に至る論議の中では強制化を求める声が出されていました。一連の防衛庁答弁が、業務従事命令強制化への懸念を払拭させるものとはなりません。
 C防衛庁は、「イラク派遣に民間船舶や民間航空機の使用も検討されているのか」との質問に、「担当が違うし有事法制とは別個のもの」としながらも、「(民間船舶や民間航空機の使用)が排除されていない」と回答しました。かりに、自衛隊のイラク派遣に民間船舶や民間航空機が使用されるとなれば、私たちは、業務従事命令や有事法制の先取りと受け止めざるをえません。

 三.私たちは九九年の周辺事態法以降、「いのちと安全」を守る立場から、民間輸送の軍事利用に反対してきました。その点では、今回の防衛庁との懇談内容、私たちの不安や懸念をさらに裏づけるものとなりました。私たちは引き続き、宗教団体、市民団体をはじめとする多くの方々と連帯しながら、有事法制を「完成させない」「発動させない」をめざして取り組みを進めていきます。


T・K生の時代から「いま」を観る    池明観氏の講演

 七〇〜八〇年代の韓国軍事政権に対する闘いは、日本の月刊雑誌『世界』に一九七三年五月から八八年三月まで一五年間にわたって連載された「韓国からの通信」(TK生)によって生き生きと伝えられた。韓国の民主化を闘う人びとはそれを読むために日本語を学んだ人も多かったと聞く。
 今年、池明観氏が自分が「T・K生」であると告白した。池明観氏は、一九七二年に軍政下の韓国を脱出し、九三年まで日本に滞在、東京女子大学で教えるとともに、韓国や日本の協力者とともに、匿名で地下通信「韓国からの通信」を発信しつづけた。韓国に帰国して後は、韓日文化交流政策諮問委員長、KBS理事長、盧武鉉大統領の就任演説委員長などをつとめた。その後、独善的な姿勢を強める盧武鉉政権のあり方を批判し、困難な時代の精神の継承を忘れてはならないと強調している。十月二十二日には、韓国から池明観氏を招いて、講演会「T・K生の時代と『いま』―東アジアの平和と共存への道」が開かれ、三百名を越える参加者があった。以下は、講演で池明観氏がT・K生の時代とくらべての現在についてふれた部分。(文責編集部)


 ……(前略) 私に与えてくださいました演題「T・K生の時代と『いま』」に即して考えますと、「T・K生の時代」は非常に困難な時代ではあっても未来が明るく見えた時代であった。ところが「いま」の時代は、T・K生は迫害を受けないし、帰って何をしゃべっても構わないのですが、しかし未来は暗く見える時代である。だからこの演題は非常に優れた演題だと思わざるをえません。「T・K生の時代」は苦しみながらも未来をバラ色に見た時代でありました。しかし「いま」というのはT・K生は苦しまない、楽しんでいるけれども、しかし未来に対しては暗く見えている、雲がかかっているように見える、そういう時代になってきた。
 いわば楽観的歴史観が全面的に転落してしまった。革命的言語の喪失の時代です。シニシズムのほうが強い時代になってしまった。そしてそれが私の老後と一致してしまったわけです。そこで、私はときたま慎重に考える時は、自分の考えが韓国の現実と歴史をまともに見た結果として持っている考えなのか、年をとってしまった結果としてこんな考え方をしているのかわからなくなって、その区別がつかないのです。その区別をはっきりさせないといけないと悩むのです。しかし、自分の考えは、やはり現実そのものから来る発想でないといけない、自分の老後の私情で彩った思想であってはならないと思っています。
 いずれにせよ、こういう考え方をもちながら、国民の二〇%程度しか現政権を支持しないという状況に、どう対応していくか。こういうことが私の解決のない悩みです。私がここに来ている間に、盧武鉉さんは「国民投票で信任を問う」といい始めた。それに対して私はいろいろな見解をもっています。そんなことを聞きつけて、早速マスコミが云々言うので、「考えさせてもらいたい」と言って保留しているのです。
 ……(中略)
 二〇〇三年の九月の『世界』に、私がT・K生であったという告白をしたわけでありますが、これは大分苦渋に満ちた決断でありました。私はそのまま忘れてしまっていいと思ったのですが、周辺にそれを許さないような勢力が非常に強くて、最後に、私もやはり独善的であってはならないと考え発表したわけです。できるだけこれを国際共同プロジェクトとしての「韓国からの通信」であったということを強調しようと思って、あのような形になりました。
 そこで一番最後の言葉を引用しながら、いまの私の立場について自己弁明を試みたいと思います。そこでこういうことを言いました。「韓国からの通信」について、長いこと悩んでいたことを最後に一つだけ言わせてくださいと。闘いの書というのは常に闘うほうを過度に英雄化します。そこで私には、闘っている人々をあまりにも美しく書きすぎたのではないかという自己反省があると。まずそう言って、事実、真実、真理――これらは絡んだ問題でありますが――そのために特に勝利の日には敵対関係を越えて一つにという理想を抱いて苦しみました、と。
 いま韓国において問題になることは、これと似たような問題なのです。大統領選挙戦に勝利するまでは戦闘的になっても構わない。それはできるだけ力を強めるためなのですから。しかし、勝利した瞬間は民主主義の大統領にならなければならない。すべてを許して、すべてを一つにまとめる大統領にならなければならない。これが私の希望でした。そのために働いてきましたが、率直に申しましてそれに私は失敗したのです。これからどうすべきかという問題に悩んでいるわけであります。そういう背景があるから、こういうことを二〇〇三年九月号の『世界』で言わざるを得なかったわけです。
 しかし、現実はどうもそうはいかないもののようです。この年になって革命家の老後における悲しみが多少はわかるような気がいたします。八七年まで韓国の国民が激しい闘いをして勝ち取った民主主義、それがどうも我々が願ったようには動かないという事実に逢着しているのです。ハンナ・アーレントは「成功した革命はない」といいました。革命の歴史を眺めながら、痛恨を込めてこう言わざるを得なかった。しかも革命的に闘ってこない人なのではなくて、革命のために闘ってきた人たちが最後になってこう言う。私はこの心情をかみしめるのです。
 ……(中略)
 私は盧武鉉政権の誕生のために多少力を尽くした者です。彼は、若い人と一緒にニューレフト的ラインを通して当選しました。しかし、今後は国民的政府を作らないといけない。
……(中略)
 私はKBSの理事長をしていましたが辞めました。新しい理事長を任命する過程においても、完全に自分と近しいじつに小さいグループの人間を強制的に任命しようとしました。こんなやり方ではこれからの政治はできないということで、私はこれに抵抗しました。それからだんだん遠くなりました。盧武鉉政権はいまの姿勢を続ける限り、失敗するだろうと思います。これははっきりした姿勢で申します。
 ただ盧武鉉政権にそうした面があるにしても、私が他の人よりそれほど悲観していません。たしかに権力の中枢は無政府状態のように動揺し、そのためにマイナスも多いですけれども、案外に韓国は自分の道を行っている。企業もそれに動揺しないで動いています。べつの言い方をすれば、韓国はもう既に大統領によって動かされる社会ではなくなっているのです。もちろん優秀な大統領がいればなおいいですけれども。
 こう考えてくると、金大中氏などのようにカリスマ性をもった人はもう韓国には出てこないという条件の中で、どういう社会=政体を目指したらいいかを考える。今後の政体をいかに作るべきか、これを考えるべきです。いまの混乱は、政体をどういうふうに変えるか、そのための一種の模索であり、悶えであるというように私は解釈しているのです。ですから、それほど悲観的には考えていません。……(後略)


労働者の解放に捧げた精神を継承しよう

             「隅岡隆春さんを偲ぶ会」開く


 労働者社会主義同盟の老同志であり、戦後一貫して共産主義革命運動の闘士であった隅岡隆春同志は、去る九月五日、癌のため亡くなられた。七八歳だった。
 いま、アメリカ・ブッシュ政権の無謀なイラク侵略戦争と小泉政権の積極的な加担、憲法改悪の動き、その一方で反戦運動のかつてない高まり、全世界的な激動の開始、そして革命勢力の再編・結集が求められるという情勢において、隅岡同志を喪ったことは、われわれにとってきわめて大きな損失である。われわれは、決意も新たに、大衆運動の先頭にたって闘い、革命的力量の蓄積・前進のためにいっそう奮闘する。
 
 一一月一五日、東京・全水道会館で、「隅岡隆春さんを偲ぶ会」が隅岡同志の戦友、そして旧くから親交のあった人びとが参加して開かれた。
 はじめに司会者が偲ぶ会についての経過を報告し、参加者全員が隅岡同志の遺影にたいして黙祷し、故人の革命の遺志を継承することを誓った。
 隅岡同志の経歴紹介が行われ、隅岡隆春同志が、戦後革命の高まりの中で大衆運動に参加し、マルクス主義を学び、共産主義者となり、日本共産党に入党し、その後も、さまざまな誤った理論・路線と闘ってきた生涯が報告された。
 労働者社会主義同盟の木島惇夫さんが、追悼の辞(別掲)で、隅岡同志の遺志を引き継ぎ、多くの人びととの協力を強め、憲法九条改憲阻止、労働組合運動の戦闘的な再生、社会主義革命組織建設のためにいっそう奮闘する決意を述べた。
 献杯の音頭は、隅岡同志から指導を受けた若い世代の同志が行った。
 「失ったものがあまりに大きいとはいえ、悲しみに打ちひしがれている余裕はありません。闘いに勝利することが私たちの責務であり、そのための理論と陣形作りを共同の任務として直ちにとりかかります。隅さん、もうゆっくりやすんで下さい。」
 つどいに参加できない同志・友人からのメッセージが紹介され、つづいて参加者の皆さんからのスピーチがつづいた。
 スピーチは、隅岡同志との出会い、各時代における共同の闘い、理論にたいする真摯な姿勢、また意見の対立・分岐と再会など興味深い話が紹介された。
 最後に、全員でインターナショナルを斉唱し、隅岡同志の遺志を引き継いで、これからも全力で奮闘していくことを確認した。

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隅岡隆春同志を偲ぶ 

                                木島惇夫


  隅岡隆春同志は、二〇〇三年九月五日、逝去されました。隅岡同志の生涯は、労働者階級の解放、社会主義革命の実現のための奮闘の日々の連続でした。
 今日ここに隅岡同志の各世代の同志・友人とともに、隅岡同志の思い出を語り合い、そして革命の遺志を継ぐ場として偲ぶ会を開いています。
 隅岡同志は、敗戦直後の旧制山口高等学校における学園民主化闘争での闘いをはじめ、共産主義革命運動にその人生のすべてをかけてこられました。
 隅岡同志は労働者社会主義同盟の最古参のお一人でありました。私たち労働者社会主義同盟のすべての同盟員は、隅岡同志に対して深い哀悼の意を表しています。
 私たちは、この間、戦前からの革命家、敗戦直後から革命運動に参加した多くの先輩を喪いました。隅岡同志の旧くからの戦友では原田長司同志、田中廉造同志、日笠慶尚同志が、また共同通信レッドパージ闘争を闘った諸同志、労社同初代議長であった山川暁夫同志、そして今年の三月に板井庄作同志、九月には隅岡同志を喪いました。私たちは、無数の懐かしい思い出とともに、諸先輩たちが私たちに残した課題の大きさを感じずにはおられません。悲しみを力に変えて前進して行かなければなりません。
 亡くなる前の隅岡同志は、日本と世界の共産主義運動の総括、その誤った側面の克服が大事だと強調されていました。また、革命運動において大局的な見地に立てず多くの対立・分岐を繰り返したことの反省と克服、それに基づく確固たる革命勢力の確立こそが、労働者の解放・社会主義革命の前提だと強調しておられました。
 いま、自民党・小泉政権のもとで、自衛隊のイラク派兵が強行されようとしています。憲法九条の明文改悪の動きも具体化してきました。その一方で、そうした攻撃と闘うべき勢力の現状は、先の総選挙の結果が示すように厳しいものがあります。日本共産党の路線的右傾化は決定的な段階に入りました。左翼勢力の再建・強化は焦眉の任務となっています。
 今年、イラク反戦運動のかつてない盛り上がりなど人民大衆の意識の積極的な転換が見られました。イラクでも米英占領軍にたいする反撃が強まり、アメリカ帝国主義は中東人民の敵意に囲まれ、泥沼に足をとられ動きが取れない状況に陥っています。アメリカに追随する小泉政権も自衛隊派遣で困難な立場に追い込まれています。
 私たちは、ここに参集した皆さんをはじめ多くの人びと協力を強めていきたいと思っています。私たちは、憲法九条改憲阻止の広範な統一戦線を結成し、同時に労働組合運動の戦闘的な再生をかち取るために、そして日本における社会主義革命組織建設のためにいっそう奮闘する決意です。
 隅岡同志、どうぞ安らかにおやすみください。


日米安保戦略会議の開催に抗議

 十一月二〇日からの第二回日米安全保障戦略会議(永田町の憲政記念会館)に対して、日本山妙法寺の僧侶や市民が抗議行動をした。警察は会場に通じる公道を封鎖して妨害した。
 この会議は自民・民主の国会議員でつくる安全保障議員協議会と、米国のヘリテージ財団などが主催し、米国の軍需産業がイージス艦システムやミサイルなどのモデルの展示などをしながら、シンポジウムを行った。自民党の額賀政調会長は、改憲、集団的自衛権容認の発言。


  せ ん り ゅ う

            
  ゝ史

 国軍と呼べ破憲だと首相言い

 五〇億ドル恩を着せるは油がほしい

 石油盗り虎穴に入れ自衛官

 外地まで衛(まも)れ命令とんでもない

 一億円出す死んでも損させぬ

 スーパーのチラシできまるお献立

 百円ショップデスカウントリサイクル店で暮す


複眼単眼

自衛隊員の家族・恋人らイラクに送らないでの悲痛な叫び


 イラクへの自衛隊の派遣が近づくにつれて、派遣予定の隊員の家族や恋人によるメディアへの投書が多くなってきた。すでに旭川や、札幌の部隊では派遣部隊参加の「意思確認」や「予防接種」が行われているという。
 朝日新聞の声欄には「恋人に迫った派遣をやめて」という札幌の女性の投書に続いて、「自衛官の彼に別れ告げられ」という千葉の女性の投書が掲載された。週刊誌なども自衛隊員の恋人や、妻、家族などの手記を取り上げている。インターネットのサイトにも自衛隊関係者からの書き込みが多く見られる。それらの中には「もし、夫がイラクで死んだら、私も生きる希望がないから死ぬつもりだ」というものまである。
 札幌の女性は「私の恋人は自衛隊員です。来春、イラクへ行きそうです。…現場の部隊では意思確認の面接があり、『八割方、行くことになる』そうです。まさか自分の身近な人がこんなことになるなんて夢にも思いませんでした。…改めて小泉首相の無責任な発言に腹が立ちます。考えても見てください。とても大事な人が戦地に行くのです。命を落とすかもしれないのです。たとえ彼が行かなくても、変わりの誰かが行くことになり、私と同じ思いをする人がいるのです。…昔、戦争を体験した人たちもこんな思いをしたのでしょうか。それならなおのこと、同じことを繰り返さないで、と思います。自衛隊のイラク派遣、本気でやめてください」と言った。千葉の女性は「(彼は第一陣からは外れたが)いつ派遣されることになるかと不安な毎日です。そして外れた彼の代わりに誰かが行くことになるのです」といい、彼に「生きて帰ってくる保証もないのに、待っていてくれとはいえない。別れてほしい」と告げられたと書いている。週刊誌では自衛隊員の恋人が「(首相は)自分の息子がイラクに派遣されたときのことを考えてほしい。あきらめている人もいるかもしれないが、反対の方がいるなら、デモでも投書でもいい、反対意見を出してほしいのです。私のように突然、彼氏がイラクへ行くことになってもおかしくないのですから」と怒っている。
 最初に派遣される部隊のある北海道はとくに不況で仕事がない。自衛隊を辞めたら食っていけない。その足元を見透かしたように「死んだら一億円の弔意金をだす」などという。イラクに行けば侵略者だが、行かされる自衛隊員も明らかに犠牲者だ。かく言う私もかつて若かりし頃は自衛隊員をみると「ヘッ、税金泥棒」と悪罵をいう口だった。いまはとてもそんな気にならない。今は「イラクに行くな!、イラクの人を殺すな!、死ぬな!」と強く言いたい。いまこそこの声を全国に広げたいと切に思う。 (T)


年末カンパのお願い

       
 労働者社会主義同盟中央委員会

読者のみなさん!
 アメリカが世界の反戦の世論に背いて強行した無法なイラク侵略戦争は、イラクと全世界人民の怒りを巻き起こし、米英占領軍は日に日に困難な状況に引きずこまれています。
 小泉内閣はアフガン戦争につづいて、このブッシュの戦争に積極的に加担しようとしています。そして、有事関連法やイラク特措法を成立させ、いま、自衛隊をイラクに派遣させようとしています。しかし、この間、日本においても戦争に反対する運動は、海外の運動と緊密な連携を作り上げながらかつてない高揚を勝ち取りました。
 小泉構造改革による労働者・市民にたいする攻撃は激しくなっています。失業者の増大、経済不況の深化は、おおくの人びとの不満をたかめています。
 読者のみなさん!
 いまこそ、団結して闘うべきときです。
 時代は大きく転換しようとしています。
 私たちは、今後、全国の労働者・市民のみなさんとの協力関係を強化して反戦・平和・憲法改悪阻止の共同の闘いに全力をあげて取り組みます。私たちは、労働運動の前進、社会主義勢力の再編・再生のための努力をいちだんと推し進める決意です。
 読者のみなさん!
 みなさんにともに闘うよう訴えます。運動の勝利的な前進のために冬季カンパをお願いします。あわせて機関紙「人民新報」の購読を訴えるものです。

 二〇〇三年冬