人民新報 ・ 第1117・8 号<統合210・1> (2004年1月1日)
  
                  目次

 ● 戦争国家の道を阻止し、清算する闘いへ 反戦平和・改憲阻止の広範なネットワークを

                                労働者社会主義同盟中央常任委員会

 ● イラクへの自衛隊派兵に反対し、民衆運動の前進にむけ、団結してともに前進しよう 

        流れをかえる元気で! / 小原吉苗(共生のための尼崎政治センター)
        「国論は二分」〜派兵阻止を! / 樋口篤三
        戦後的価値の総決算 / 小寺山康雄(自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合)
        新しい恐怖の時代の始まり / 降旗節雄(帝京大学教授)
        戦中・戦後世代が問われている その次を目指して / 前田裕晤(大阪全労協)
        米英軍の劣化ウラン弾でイラクの人びとがガンに / 柳田真(たんぽぽ舎)
        イラク派兵反対、護憲勢力の結集を / 吉岡徳次(全港湾労組顧問)

 ● 陸・海・空・港湾労組20団体などの「有事法制の先取りとなる自衛隊のイラク派遣に反対する共同アピール」

 ● WORLD PEACE NOW がよびかけ 首相官邸前でイラク派兵阻止の大衆的抗議

 ● 平和フォーラムが国会前連続行動  日教組、自治労などの組合員が結集

 ● 自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな!行動  「止めよう!イラク派兵と国民保護法制」集会

 ● 宗派を超えて宗教者がイラク派兵反対行動

 ● 加害の歴史に向き合うことの意味  松井やより追悼一周年記念シンポジウムで

 ● 水戸「天狗党の乱」始末 / 北田 大吉

 ● 超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) @  / 関 考一

 ● JR採用差別最高裁反動判決糾弾! 鉄建公団訴訟軸に国鉄闘争の前進を勝ち取ろう

 ● 鉄建公団第 回口頭弁論  鉄建公団(鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に責任を!

 ● 財界の二〇〇四春闘方針  賃下げと春闘解体を公然と要求

 ● 日韓(韓日)市民・民衆の共同宣言 「これ以上被害者を出すな!米国のイラク軍事占領反対!」

 ● イラク派兵に反対する声明
 
             日本青年団協議会常任理事会
             主婦連合会
             YWCA

 ● 映画  美しい夏 キリシマ ( 監督・脚本 黒木和雄 )

 ● 書評  「ブッシュのアメリカ」 ( 三浦俊章著 ) 岩波新書

 ● せんりゅう /  ゝ 史

 ● 複眼単眼 / 対米燃料無料奉仕の任に着く 薫る桜の海自が結ぶ伝統の絆




戦争国家の道を阻止し、清算する闘いへ

      反戦平和・改憲阻止の広範なネットワークを

                       
 労働者社会主義同盟中央常任委員会

 航空自衛隊の先遣隊がクウェートなどイラク周辺国に派遣された。空自は一月下旬に本隊派遣、陸自は一月初旬に先遣隊派遣、二月本隊派遣、海自も二月派遣といわれており、さみだれ式の派兵のあわただしい様相を示している。これらによって、現行憲法下で初めての自衛隊の海外・戦時・戦場派兵が実行されつつある。
 日本政府は昨年三月、国際世論と国際法に反して開始された米英軍のイラク攻撃を各国に先駆けて支持し、占領軍に巨額の資金を提供した。併せて、国内世論の大多数の声を踏みにじり、憲法の前文と第九条の精神に背いて、ひたすら「日米同盟優先」を看板にブッシュ米国大統領の要求に従い、国際政治での地位と、イラクでの経済的権益を追い求め派遣の基本計画を決定した。小泉純一郎首相と、派遣命令を出した石破茂防衛庁長官は、この件において歴史的な責めを負わねばならない。
 二〇〇三年末からこの新年にかけて、政府・支配層はこの国をきわめて危険な歴史的段階に引きずり込んだ。
 明治初年からの日本資本主義は後発の帝国主義として、欧米列強に追いつこうと、七〇余年にわたって戦争と侵略を繰り返し、とりわけアジアの人々の犠牲と闘いによって、一九四五年の歴史的破綻を招いた。
 その結果、再生の途上についた日本資本主義は不戦・非武装という世界にまれな憲法を掲げた。以来、六〇年近くなる今日まで、この憲法を破壊しようとする勢力と、この精神を社会に生かし、貫徹しようとする勢力の激しい闘いがつづいた。
 改憲派はまだ明文改憲こそ実現していないが、その巧妙な「解釈改憲」の政治手法によって、憲法の平和原則を空洞化させることに成功してきた。小泉首相のごときは先の自衛隊派兵の基本計画の説明において、憲法の一部をつまみ食いし、憲法を掲げて憲法に反対するという芸当までやってのけた。しかしそれは近代の国際社会が規範とした「立憲主義」の否定を伴わざるをえなかった。ここまでくればもはやファシズムとは紙一重だ。
 日本資本主義は、別様にいえば日本の近現代史は明治初年、一九四五年に続く新たな段階の扉を開けた。日本は再び「戦争をする国家」として進む道に足を踏み入れた。この国は、かつては日英同盟から日独伊ファシスト枢軸に移行してアジアにおける戦争政策を推進したが、今回は日米同盟でグローバルな規模での「国策」を推進しようとしている。
 反戦平和を掲げ、第九条をはじめとする憲法の三原則の実現を掲げて、歴史的反動勢力と闘ってきた日本の民衆は、この新たな段階に際して、自らの闘いの戦略の再編調整を首尾よく実現しなければならない。
 この新たな様相をした戦争国家との対決は容易ではないし、長期の闘いとならざるを得ない。目前の、自衛隊のイラク派兵を中止させる闘いも決して短期では終わらない。ましてこの国の戦争体制と戦争マシーンを解体する闘いは、社会の革命的変革を伴う長期の闘いだ。不戦非武装、主権在民、基本的人権の保障という日本国憲法の三原則を擁護し、これにそって違憲状況にある日本社会を作り変える闘い、憲法を生かす闘いは革命的な闘いとならざるをえない。
 この過程では政府・支配層の悪政のひとつひとつに対して、傍観したり、見逃したりしないで、倦むことなく暴露し、不屈の闘争を組織しなければならない。「国民保護法」など「国民」の戦争動員をめざす有事関連法案、愛国心や「強い子ども」を作ろうとする教育基本法の改悪、朝鮮半島の緊張を激化させることで戦争政策を推進するための「経済制裁」法案、さらに日米軍事同盟強化のための派兵恒久法案など、準備されている悪法は山積だ。そしてこの下で日本とアジアの民衆には経済的な収奪と犠牲が押し付けられている。
 私たちはこれらとの闘いをそれぞれが自立した広範なネットワークにつなぐこと、新たな統一戦線を形成する方法に熟達しなければならない。
 幸い、まだ明文改憲は許していない。しかし、これをめぐる決戦のときは近づいてきている。第一五九通常国会には、憲法改悪のための手続き法案が上程されようとしている。自民党憲法調査会は新年の秋には改憲試案を作り、党の試案は来年秋に用意するという。民主党も本年末には憲法問題で一定の結論を出そうとしている。憲法をめぐる状況は急速に煮詰まってきている。
 世論の多数はイラク攻撃に疑問を示し、自衛隊のイラク派兵に反対しているし、憲法九条の改悪にも反対している。もし、私たちがこの明文改憲をめぐる闘いに勝利することができれば、名実共に帝国主義列強の仲間入りをするための国連安保常任理事国参加をはじめとする支配層の戦争国家戦略を破綻させることができる。そのときこそ、私たちは日本資本主義の第三段階を清算するだろう。〇四年の新年、私たちはこのための闘いに取りかからなくてはならない。

 二〇〇四年元旦


イラクへの自衛隊派兵に反対し、民衆運動の前進にむけ、団結してともに前進しよう 

流れをかえる元気で!
              
小原吉苗(共生のための尼崎政治センター)

 一二月一一日、尼崎では、イラクへの自衛隊派兵反対のキャンドル・パレードに二五〇名が参加しました。
 市民発/九条を世界へ!尼崎市民の会では、市民が反対の意思を示すためにパッヂをつくることにしました。
 一月二五日には、伊丹基地を包囲するヒューマン・チェーンも企画されています。
 尼崎でも、衆議院選挙敗北のショックはありますが、気持ちを切り換えて、まずは行動することからはじめようと思います。
 流れを変えるような元気で楽しい運動をめざしたいと思います。今後とも、よろしくお願い致します。


「国論は二分」〜派兵阻止を!
               
樋口篤三

 米帝国のブッシュは、最大の同盟国英国で二〇万人のデモ隊に包囲されて、市中に一歩も出れず、ロンドン市長は「最悪の元凶」と糾弾した。
 イラク戦争を先導したネオコン↓ブッシュの「中東民主化構想は、イラク民衆のレジスタンス、アラブ・イスラム世界の反米の大波、人類史上初の開戦前の世界各地における一千二百万人の反戦デモの連鎖、「新たな冷戦」ともいわれる「大欧州の基軸国仏独」(日経論説主幹)との対立に直面している。
 誤った政治・外交一体のラムズフェルドの「軍事の革命」も人民の海と結合したゲリラ戦で立ち往生。
 世界史的転換としての「米国時代の終焉の始まり」なのに、コイズミは日米同盟第一を掲げて戦場への派兵↓二年後の改憲に踏み込んだ。
 創価学会を引き裂いた如く、六〇年安保、ベトナム反戦以来の「国論二分」となっている。
 派兵(陸海自)は、いまならまだ阻止しうる。中道・保守の反対者も含めたネットワークで侵略加担ストップを。


戦後的価値の総決算
              
 小寺山康雄(自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合)

 この国はついに曲がり角を曲がってしまった。
 イラクへの自衛隊派兵(計画)がそれである。
 自衛隊はすでに九一年四月、湾岸戦争の戦後処理に掃海艇を派遣して以降、カンボジア、ゴラン高原などにPKOとして数回派遣されているが、それらはいずれも「平和」的活動であった。しかし、今回は戦闘部隊として派遣されるのである。
 小泉内閣は戦後保守が踏み越えられなかった一線をついに踏み越えたが、それに同意する国民が四割近くもいることに、私は大きな危機感を抱く。
しかも小泉路線は、中曽根政権に端を発し、小沢一郎に継承されている自民・民主を貫通する新国家主義の脈絡の中に位置するのであるから、潜在的な国民的多数派であり、一挙に顕在化する危険性は充分にある。これからの数年間で、平和・民主主義・社会主義という戦後的価値の総決算が問われるだろう。
 ともに闘い抜くことを誓い合って。


新しい恐怖の時代の始まり
                
降旗節雄(帝京大学教授)

 二〇世紀は帝国主義と冷戦の時代でしたが、二一世紀はそれとは異質な新しい恐怖と殺戮の時代になりそうです。
 グローバリゼーションは、地球を明確に貧困地域と富裕地域にわけ、両者の所得格差を大きく拡大しつつ、貧困地域からの反撃をテロ撲滅の名のもとにたえざる局地戦争へとひきずりこむ装置を完成しました。
 日本の自衛隊のイラク派兵はその一環にすぎません。
 先進国の財政は軒並みに破綻し、もはや福祉国家体制を維持する力はありません。
 財政破綻のもとで年金や社会保障は雲散し、大増税とインフレの時代が着実に近づいています。
 ブッシュ政権はついに「ファースト・スプラット条項」を撤廃し、小型核兵器の研究に全力をあげはじめました。
 二つの世界大戦とは異質な新しい小型核兵器氾濫のたえざる局地戦争の時代にはいったのです。ロシアも中国も巻き込まれつつあるグローバリゼーションへの対抗戦略が急がれます。

戦中・戦後世代が問われている その次を目指して
               
 前田裕晤(大阪全労協)

 年末にサダム・フセインが逮捕され、イラクの反抗が低下するとほくそ笑んだ小泉は、早速、自衛隊の派兵を実行しても、世論の反発は収まると軽薄にも思っているのでしょう。
 この派兵はまさしく憲法を空文化するものであり、夏の参議院選挙は、この既成事実を承認する選挙として位置付けられるものでしょうし、その上にたって憲法改悪原案が提起され、国民投票に問うのが、小泉のシナリオであることは間違いありません。
 これは戦後日本社会に築き上げられた、平和・民主主義の社会通念・価値観を根源から覆すものであり、その状況に私たちは如何に立ち向かうのかが問われる事態であり、年になったと思います。
 平和、九条改悪阻止想いは、戦中・戦後を体験した人々にとっては左右を問わず、その人生経験を否定するものに他なりません。
 それなりの社会的地位や、影響力を持った人たちの発言が相次いでなされています。
 議員を辞めた野中広務氏が典型ですが、彼は自身の軍隊経験を踏まえて九条改悪は許さないし、宮沢喜一氏もイラク派兵反対を公言しています。被爆世代は、その語り部として、老いの身を全国に語り回ろうとしています。
 その世代に近い私としては、その想いは痛いほど理解できます。
 問題は、その想いが世代を超えて大きな据野に広がることが出来るがどうかではないでしょうか。
 労働運動の立場にいてもギャッブを感じる時もあるくらいですから、他の分野でも大変だとは思いますが、この一年は、それを超える裾野作りに全力を挙げる、それが私たちの課題、任務になるのではないかと想い込んでいるのですが。

米英軍の劣化ウラン弾でイラクの人びとがガンに
                
 柳田真(たんぽぽ舎)

 一、03年は放射能兵器=劣化ウラン弾の実態とその危険性がかなりの人びとに認識され広まった年でした。04年はこの非人道的兵器・劣化ウラン弾を禁止させる運動と劣化ウラン弾の放射能被害に苦しむイラクやアフガニスタンの人びと―とくに放射能被害を受けやすい子どもたち―へ医薬品を贈る運動を盛り上げる年にしたい。
 二、劣化ウラン弾は第一次湾岸戦争で米軍が使用し、その後遺症が帰還米兵やその子ども、イラクの子どもたちにあらわれて、多数のガン、白血病死となりました。今回のイラク侵略攻撃ではさらに大量に米軍が使用し、イラク全土を放射能で汚染しました。自衛隊派兵予定地のサマワは劣化ウラン弾による高濃度の放射能汚染が予測されます(元米軍医=大佐=で核医学の第一人者ドラゴビッチ博士の談)。派兵すれば自衛隊は放射能被曝します。
 三、劣化ウラン弾は原子力(原発)のゴミでつくられます。原発をやめてモトを断つことが必要です。電力会社は石川県内予定の珠洲原発の建設を断念しました。つづいて新潟県内の巻原発の断念も発表しました。これは原発反対住民運動の勝利=大成果です。
 04年を劣化ウラン弾と原子力発電の廃止にむけた前進の年とすべく力を合わせましょう。

イラク派兵反対、護憲勢力の結集を
               
 吉岡徳次(全港湾労組顧問)

 新年を迎えましたが、厳しい年明けとなりました。
 総選挙の結果第二次小泉内閣が発足し、併せて保守二大政党体制が確立するなかで、憲法改悪の具体化など反動化がいっそう強まっています。
 しかも政府は平和憲法を無視して自衛隊のイラク派兵を決定、アメリカに追随して戦争への道を進んでいます。私たちはこのことを絶対に許してはなりません。
 したがって新年早々からの重要な課題は、自衛隊のイラク派兵反対を中心に反戦平和、憲法改悪阻止の闘いです。国民的な反対世論も強まってきています。
 こんにち労働運動が停滞し、労働者の生活と権利が抑圧されています。同時にそのことが革新的な政治活動の停滞にもつながっているわけで、政治活動や労働運動の活性化に全力をあげるとともに、国民的な平和護憲勢力の結集と拡大をはかることが重要です。
 そのことについての『人民新報』の果たしている役割は大きいわけで、今後なおいっそうのご活躍を期待いたします。


陸・海・空・港湾労組20団体などの

   有事法制の先取りとなる自衛隊のイラク派遣に反対する共同アピール


 国連と世界中の世論の反対を押し切って開始されたイラク戦争は五月の大規模戦闘終結宣言後も戦闘状態は続き、最近ではテロ行為のイラク国外への拡散化とともに、イラク国内においては戦闘がいっそう激化しています。一一月二九日には、イラク国内で日本人外交官が殺害される事件も発生し、こうしたなかで政府は一二月九日、「復興支援」を名目にイラクに自衛隊を派遣する基本計画を閣議決定しました。
 しかし、現状のイラクは米英の占領下にあり、かつ戦争状態にあることは米軍自身が認めているところで、こうした状況下での自衛隊派遣は占領政策支援とならざるをえず、イラク国内の混乱に拍車をかけることが危惧されます。
国際テロ組織アルカイダの指導者を名乗る人物が「自衛隊をイラクに派遣すれば、東京にテロ攻撃を加えると警告した」との報道もされており、自衛隊を派遣すれば日本が報復攻撃の対象となる可能性が極めて高くなり、日本国内はもとより、世界中の日本国民と日本企業に働く人々への危機が増大する恐れがあります。
 イラク特措法では「民間協力」が謳われており、自衛隊派遣とあわせて民間協力が行われれば事実上の戦争協力とならざるをえず、そのことはまた、業務従事命令や有事法制の先取りと受けとめざるをえません。
 私たちは、イラクへの自衛隊派遣の中止を強く求めるとともに、「有事法制を完成させない、発動させない」取り組みを引き続き強めていきます。

                                          以上

二〇〇三年一二月一二日

 呼び掛け 陸・海・空・港湾労組二〇団体
 全日本海員組合・船舶通信士労働組合・全国港湾労働組合協議会・全国港運海貨物流労働組合協議会・交通運輸労働組合共闘会議・全国自動車交通労働組合総連合会・全日本建設交運一般労働組合・国鉄労働組合・全運輸労働組合・全気象労働組合・全税関労働組合・全運輸省港湾建設労働組合・東京都庁職員労働組合港湾支部・横浜市従業員労働組合建設支部港湾分会・川崎市職員労働組合港湾支部・航空労組連絡会・日本乗員組合連絡会議・航空安全推進連絡会議

 賛同団体
 全国建設労働組合総連合・日本マスコミ文化情報労組会議・神奈川県私鉄労働組合・日本出版労働組合連合会・日本新聞労働組合連合・全日本鉄道労働組合総連合会・全国印刷出版産業労働組合総連合会・全日本教職員組合(12月15日現在)


首相官邸前でイラク派兵阻止の大衆的抗議

              WORLD PEACE NOW がよびかけ


 十二月十五日午後五時三〇分からWORLD PEACE NOW(WPN)の主催で「自衛隊を戦場に送っていいの? イラク占領をやめさせるべきです!12・15緊急アクション」が行われた。
 第一部は衆議院議員面会所での「議面集会」。冒頭にWPN実行委員会の高田健さんが「世論の大多数の声に反して小泉内閣はイラクに自衛隊を派兵しようとしている。これを絶対に許さない市民運動をさらに盛り上げよう。WPNは日常的には活動分野なども大きく異なっているさまざまな市民グループが四三団体も参加してネットワークを組んでいるため、意思決定機関の会議も頻繁には開けないが、本日のアクションはWPNの正規の決定を経て呼びかけているものだ。政府はイラク派兵の基本計画で本日から来年の十二月十四日までを自衛隊の派遣期間としている。今日の集会はこれに抗議するものでもある」と発言した。
 この日午前中から、衆議院ではイラク特措法の特別委員会の閉会中審査が開かれており、審議を終えたばかりの赤嶺政賢議員(共産党)と照屋寛徳議員(社民党)が駆けつけ、国会報告をし、答弁にならない答弁で、ただただ派兵を強行しようとする小泉内閣を厳しく批判した。東京都議会議員の福士敬子さんも好戦的な発言を乱発する石原都知事を批判した。また作家で精神科医、バーチャル政党「老人党」のなだいなださんは政治を変えるために行動しようと呼びかけた。
 議面集会の後は第二部の行動で、午後六時から七時まで、首相官邸前の交叉点付近に移動しての路上集会となった。歩行者の通路は確保したうえでの規律ある行動であるにも関わらず、警察の緊張と妨害は異常だったが、一時間の集会を貫徹した。集会は勤め帰りに駆けつけた労働者・市民も含めて四五〇名ほどとなり、ペンライトやサイリュームなどの「光りもの」や色とりどりの大小のプラカード、横断幕、幟などで、にぎやかな抗議行動になった。ピースボートやアジアンスパークなどの青年たちや、キリスト者・仏教者などの宗教者、ふえみん婦人民主クラブやアタック・ジャパンなどの市民団体などが相次いで発言したり、全体で合唱したり、シュプレヒコールをしたりしながらで、首相官邸に向かって抗議をつづけた。主催者からはイラク派兵反対の行動や憲法改悪反対の行動と合せて、十二・二三の日比谷公会堂での教育基本法改悪反対の集会への参加も呼びかけられた。
 「国会へ行こう!」とインターネットで大衆的に結集が呼びかけられて行われた、この日の首相官邸前での抗議行動は、従来の国会請願デモ、議面集会、議面前路上集会、議員会館前路上集会などに加えて、またひとつ、官邸前の大衆集会・抗議という市民運動の国会闘争の新しいパターンを切り開いたといえる。


平和フォーラムが国会前連続行動

            
日教組、自治労などの組合員が結集

 十二月十五日と十六日の両日、十二時から十三時まで、連合系の労組などでつくる「フォーラム平和・人権・環境」は「もう戦争はいらない!自衛隊イラク派兵基本計画にNO〜国会前集会」を開き、それぞれ一〇〇名余りの市民や労組員が参加し、小泉内閣のイラク派兵強行の動きに抗議した。十六日の集会では主催者の平和フォーラムからのあいさつのあと、又市征治・社民党幹事長、福島瑞穂社民党党首、辻恵民主党衆議院議員、大出彰民主党衆議院議員らの国会議員が連帯の挨拶をした。続いて許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんと日本山妙法寺の武田隆雄さんが連帯の挨拶を行った。各組合からは自治労中央本部青年部、日教組中央、国公総連、全林野、国労、大分県平和運動センターなどが決意表明し、その後、平和フォーラムの福山真劫事務局長から一・二五WORLD PEACE NOWの日比谷大集会への結集など、当面の行動提起があった。参加者は首相官邸前まで移動し、シュプレヒコールを繰り返して派兵の動きに抗議した。


自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな!行動

          「止めよう!イラク派兵と国民保護法制」集会


 一二月一七日、文京区民センターで、自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな!1・17行動実行委員会発足集会「止めよう!イラク派兵と国民保護法制」が開かれた。
 憲法学者の清水雅彦さんが、国民保護法制とイラク派兵の問題点と題して発言した。
 国民保護法制での論議は日本有事を想定して行われているが、実際の有事はアメリカのグローバル有事であり、それに日本が兵站の役割を果たすことだ。それに対処するために、「自発的に」戦争に協力する体制をつくり出すことが「国民保護」法制ということなのだ。新自由主義が進むと社会の荒廃がもたらされ、治安強化がいわれるようになる。しかし強制面を強めると反発をまねく。いま東京の千代田区などで、路上禁煙条例などといわれるものが全国に広がっている。それは、「生活安全条例」の一部で、罰則で取り締りが行われる。警察に自治体、市民が協力して、監視社会がつくられている。
 非核市民運動・ヨコスカの新倉裕史さんは、地域における個別の闘いの意義について問題提起した。
 自衛隊の海外派兵と戦争協力に反対する実行委員会の太田昌国さんは、過去の戦争とくにベトナム戦争へのかかわりを振り返る作業の重要性を協調した。


宗派を超えて宗教者がイラク派兵反対行動

 十二月十四日の日曜日、宗教者ネットが呼びかけ、有楽町マリオン前で「自衛隊のイラク派兵に反対する」署名活動が行われた。シスターを中心に、キリスト教、仏教、イスラーム、神道、天理教など宗派を超えて約二〇〇名が行動に参加。二時間の間に一一〇〇筆の署名が集まった。
 この署名を首相に届けようと十八日、「自衛隊のイラク派兵中止を求める宗教者の要請行動」が行われ、約六〇名の宗教者と市民が行動した。
 十二時からは衆議院議面集会が開かれ、社民党の阿部知子、民主党の生方幸夫、共産党の吉井英勝の各衆議院議員が挨拶、市民連絡会の高田健さんが今後の行動予定などを報告した。
 十三時からは八名の代表が首相官邸への申し入れを行い、参加者は官邸前要請行動、議員会館前路上集会を行った。


加害の歴史に向き合うことの意味

     
 松井やより追悼一周年記念シンポジウムで

 十二月二十一日、東京の江戸東京博物館ホールで「『松井やより追悼』一周年記念シンポジウムが開かれた。主催したのは「VAWW−NETジャパン」と「女たちの戦争と平和人権基金」。
 ジャーナリストであり、二〇〇〇年には東京で「女性国際戦犯法廷」を開くために尽力した松井やよりさんが亡くなってから一年、松井さんが強く願っていた「女たちの戦争と平和資料館」建設に向けての準備が進められている。
 これまで建設の呼びかけと平行して、資料館の構想として、なぜ記憶するのか、どう記憶するのかを検討してきたが、今回は「戦時性暴力をどう記憶するのか」をテーマにシンポジウムを行った。ドイツの戦争記憶の取り組みと、韓国の「慰安婦」の記念館(ナヌムの家歴史館)を手がかりにしている。
 はじめにビデオ「アウシュビッツからベルリンへ 加害の記憶をたどる旅」が上映され、ビデオを作成した池田恵理子さん(女たちの戦争と平和資料館建設委員長)がドイツの
戦争の記憶について映像による報告をした。
 シンポジウムは東海林路得子さんが司会をして、はじめに伊貞玉さん(ユン・ジョンオク、韓国挺身隊問題対策協議会前代表)が発言した。伊さんは「日本の韓半島占領期の歴史は収奪の歴史だった。収奪の最後が朝鮮女性の性収奪だった。四五年以後も日本の指導者により繰り返される盲言は韓半島を侵略している。『国民基金』は失敗したが、韓日の若者に日本軍性奴隷問題を誤って知らせる計画になかった事業をはじめた。わたしたちは被害者の記念館をたてようとおもう」と述べた。
 山下公子さん(早稲田大学教授)は、ドイツにおけるヒトラー政権に対する抵抗者を記念する二つの組織の経過や現状を報告し、歴史的事実をどう伝えていくかの問題点を報告した。
 西野瑠美子さん(VAWW−NETジャパン共同代表)は、「女性国際戦犯法廷」のハーグ判決にふれながら、ナヌムの家歴史館の記憶の仕方について、過去・現在・未来を一体化した空間としていることや、「一般的な慰安婦」像ではなくハルモニ一人ひとりの顔が見える場所として構想されていることなどを報告した。
 池田恵理子さんは、アウシュビッツの見学者がドイツ人が最も多いことや、ドイツでの加害責任の顕彰が、子の世代から親の世代への「どうして戦争を止めなかったのか」という問いかけが市民運動の発端となっているなどについても語った。
 シンボジウムでは「どう記録するか」について、一人ひとりの被害人間を特徴的に展示する必要性や、中帰連など加害証言と「慰安婦裁判」での被害証言などがあること、今も世界中で戦時性暴力被害がつづいていることなどが出された。
 日本社会として戦争の被害と加害に正面からむきあわなかった結果として、戦争体験のない子の世代の政治家により、イラク派兵が行われようとしている。こうした時だからこ
そ、加害の事実から目をそらさず、一人ひとりに伝えることができる歴史記念の場は必要であるし、遅いということはない。(Y)


寄稿

   水戸「天狗党の乱」始末
                          
北田 大吉

 水戸は尊王攘夷運動の聖地である。水戸藩二代藩主徳川光圀が編纂した『大日本史』は、尊攘派の聖典となった。尤も光圀の「尊王」はけっして討幕とか倒幕を意味しなかった。それは封建制度に内在する矛盾の激化によって危機に直面しつつあった幕藩体制を尊王イデオロギーを利用して強化しようという類のもので、本質的には「佐幕」以上のものではない。
 しかし一八世紀後半になると、西欧の資本主義は帝国主義の一歩手前の段階にまで発展し、インド・中国・日本を含むアジア諸国に開国を迫り、これらの諸国を資本主義の世界システムに組み込もうとする動きが活発化してきた。資本主義列強のこのような趨勢に危機意識を抱いた水戸藩主徳川斉昭は、一八三〇年、まず藩政の「改革」に乗り出し、次いで一八三四年に幕府老中となった水野忠邦に幕政の「改革」を強く要求した。
 斉昭は、西欧列強の資本主義的進出に対して民族的な危機意識を抱き、「攘夷」思想を鼓吹したが、彼は「攘夷」の根拠として「尊王」思想を基礎づけ、「神の国」日本を汚らわしい夷狄の手より守るために「海防」に努めるよう幕府に強く進言した。したがって斉昭もまた、けっして倒幕派ではなく、幕府体制の強化をめざす「佐幕」にすぎない。
 一八五三年、米国東インド艦隊司令長官ペリーが、軍艦四隻を引きつれ浦賀に来航し幕府に開国を迫る。一八二五年の「異国船無二念打払令」にも関わらず、幕府は一八五四年に日米和親条約を結び、次いで米国総領事ハリスとの間で日米修好通商条約を結ぼうとしていた。この間、斉昭は水戸藩主の座を慶篤に譲り幕府の海防や軍制の参与をつとめていたが、幕府の屈辱外交に憤り藩主慶篤をともなって勅許を待たずに条約に調印した大老井伊直弼を面詰した。
 斉昭が幕政に対して強く意見をだす背景は、水戸藩は親藩として幕政の輔弼を求められてきたからであるが、同じ親藩でも尾張藩や紀州藩とは異なり、「参勤交代」を免ぜられ江戸屋敷に常駐して世に「天下の副将軍」と囃されるような立場にあったからでもある。
 水戸藩は三五万石と尾張や紀州に比べ禄高も低く、「常府制」という二重生活を強いられたために支出も大きく、さらに領内に飢饉が発生するなど、一八二〇年頃には水戸藩の財政は逼迫を告げていた。斉昭は藩政においても財政はもとより、兵制改革や兵器製造など軍備増強に努め、門閥に捉われず人材の登用、藩校や郷校の充実を図り人材の育成にも努めた。
 朝廷は幕府に勅諚を下したが、「幕府の有司を詰責し、内政を改め、外海を防禦する、の三件を熟図せしめる」別勅を水戸藩に下した。列藩に回達せよという副署もあった。いわゆる「戊午の密勅」である。藩主慶篤は斉昭と諮って尾張・紀州の両家、田安・一橋の両卿にその旨を伝え、幕府の指示を仰いだ。幕府は水戸藩に「列藩への回達に及ばず」と命じた。九月に井伊大老は激化する尊攘派の弾圧「安政の大獄」に踏み切った。梅田雲浜、吉田松陰らをはじめ、水戸藩では留守居役鵜飼吉佐衛門、家老安島帯刀、茅根伊予之介が捕らえられ死罪に付された。
 斉昭の藩政改革には重臣山野辺義観のほかに水戸学派の儒者藤田幽谷、藤田東湖、会沢正志斎ら新参軽輩の士が主流となって働いた。これら改革派に対して、結城寅寿ら保守門閥派がいた。勅諚の回達をめぐって水戸藩は紛糾した。幕府を後ろ盾に保守派が勢いづくほか、尊攘派自体も勅諚の回達を急ぐ高橋多一郎、金子孫二郎の激派とそれを阻止しようとする会沢正志斎らの鎮派に分裂した。
 一八六〇年(万延元)、桜田門外の変で井伊大老が暗殺されたが、薩摩浪士の有村次佐衛門を除く一七名は「奉勅除奸」を唱えた高橋多一郎と関鉄之介、金子孫二郎ら水戸脱藩浪士であった。

 一八六四年(元治元)年三月、明治維新に先立つことわずか四年の時期に、藤田小四郎ら天狗党激派は筑波山に挙兵した。小四郎は長州の桂小五郎との密約にしたがって決起したとされるが、背景に水戸藩に下された「戊午の密勅」があることは疑い得ない。世に「天狗党の乱」と呼ばれるが、「天狗」とは結城寅寿らの保守門閥派が、会沢正志斎や藤田東湖ら改革派を蔑視した呼称である。小四郎らは確かに「天狗党」激派の一部ではあるが、「天狗党」には鎮派もあり、また激派でも挙兵に加わらなかった者が多かったから挙兵した小四郎らを天狗党と呼ぶのは正確ではない。むしろ天狗隊というべきであろう。
 小四郎は藤田東湖の四男で、幽谷の孫に当たる。郷校、藩校を経て水戸の菁莪塾に学んだ。同僚に二歳年下の田中愿蔵がいる。小四郎と田中はともに竜虎と称される秀才であり、その境遇は天と地ほどちがう。小四郎は幽谷・東湖と続く水戸学の泰斗を出した家柄の出身で激派とはいえ水戸藩のエリート武士であるが、田中は田舎医師の養子にすぎない。田中は江戸に行って留守にしていたという事情はあるが、挙兵の相談にも与っていない。
 小四郎は、挙兵に当たって、府中(現石岡市)の妓楼紀州屋を本拠にした。ここへ同志である水戸藩士、郷士、浪士たちが詰めかけた。小四郎は水戸藩町奉行田丸稲之衛門を総帥に推した。小四郎らは各地を遊説し同志と軍資金の獲得に努めた。三月二七日に、一行六三名は、府中の鈴宮稲荷神社に集合し、筑波山に向かった。筑波山の大御堂で軍議をおこない、大将に田丸稲之衛門、総裁藤田小四郎以下隊の編成をおこない、日光を占拠する目的で四月三日、筑波山を下った。挙兵時に六三名だった隊員は一七〇余になっていた。日光では幕命により防禦に当たっていた宇都宮藩など諸藩の兵力に阻まれて占拠はできなかった。再び筑波山へ戻った天狗隊は新たな同志を加えて一〇〇〇人余に膨れ上がった。
 水戸藩内の諸生党は天狗隊討伐に闘志を示した。保守派の攻勢は、弘道館の書生に手を回して「書生」の名で藩主に建白書を出したことに始まる。市川の一党およびそれに手を貸した尊攘派鎮派が小石川の水戸藩邸の慶篤に五〇〇余名でデモをかけ重役更迭、天狗党取締を要求した。その結果、藩主慶篤は山野辺主水正はじめ激派幹部を罷免した。五月末、幕府と藩主の意向によって尊攘派の執政武田耕雲斎が職を解かれ、代って朝比奈弥太郎、市川三左衛門、加藤図書らが藩政の実権を握った。ここから藩内の保守派・門閥派、総じて反激派一般を書生派と呼ぶようになった。
 水戸へ戻った市川らが留守家族を虐待しているという情報を筑波山で聞いた天狗隊は、大急ぎで水戸へ向かった。筑波山では、田中のように、いったん決起した以上は水戸藩内の紛争に時を失うべきではない、初志を貫徹して攘夷に徹するべきだとする主張もあったが、大勢は浮き足立って水戸へ向かった。隊内には郷士や豪農もいたが、武士身分への上昇志向が強く、飢饉に苦しむ農民のことなど念頭になかった。
 藩主慶篤は激化する事態の収拾を図ろうとして、支藩の宍戸藩主松平頼徳を自分の名代として家老榊原新左衛門ほか数百名をつけて水戸へ送った。途中、鎮撫役の目付山国兵部(田丸稲之衛門の兄)の一行と家老職を解かれた武田耕雲斎の一行が合体し、さらに筑波勢を加えて諸生党に立ち向かう形勢となった。やがて幕府軍の支援を受けた諸生党と、鎮撫役の藩士が合流した天狗隊が那珂湊での戦闘にもつれこんでいく。
 天狗隊の初志は「戊寅の密勅」を戴いて攘夷を実行することにあったが、諸生党との派閥闘争はこの初志から大きく離れることであった。一〇月下旬、天狗隊は更めて武田耕雲斎を総大将に仰ぎ、上洛を図った。当時、禁裏守衛の総督であった一橋慶喜を頼り、尊王の素志を天朝に達せんと願ったのである。

 一一月一日、天狗隊は久慈郡大子を出発した。那須野を経て野州路を南下、武州本庄、藤岡へと進んだが、下仁田で高崎藩兵と交戦する。道を信州路にとって内山峠を越えたが、和田峠では松本・高島両藩兵との戦いが避けられなかった。下諏訪から伊那渓谷を南下して清内路へ行き、中仙道馬籠から美濃路を西進、鵠沼から間道に入って揖斐へ到着、行く手に彦根・大垣の藩兵が待ち構えていると聞いて、谷汲街道へ転じて越前へ向かった。濃越国境の蠅帽子峠を雪中行軍し、苦難の末に越前今庄へ着いた。そこから木芽峠を越えれば新保駅である。天狗隊は新保で力尽きた。常陸を出発してから一月半、武田耕雲斎以下八二三名は加賀藩に降った。彼らの頼むべき一橋慶喜がなんと追討軍を率いて出馬を志願したのだという。万事休す、無念極まりない終局であった。

 天狗隊に対する幕府の処断は苛酷を極めた。一八六五年(慶応元)一月、敦賀の鯡倉に監禁された天狗隊は、翌月に処刑された。幕府の担当者は、市川の背後にいて那珂湊で天狗隊が抗戦した幕軍の総大将田沼意尊であった。武田耕雲斎、藤田小四郎、田丸稲之衛門、山国兵部らは敦賀の海岸で斬られ、のち首級は水戸で晒された。この月、五度にわたって斬罪または死罪に処せられた者三五二人、追放に処された者一八八人、流罪は耕雲斎の孫武田金次郎ら一〇〇余名であった。残虐を極めたのは、幹部の武田や田丸の妻子家族、八二歳の老人から二歳の幼児までもが、死罪または永牢の刑を科せられたことである。

 一八六八年(慶応四)正月、水戸を離れて京都の本圀寺に駐在していた執政大場主膳をはじめ鈴木重義、山口正定ら三〇〇余名が、勅書を奉じて立ち上がった。天狗党の主流をもって任じる本圀寺詰一隊は、市川三左衛門らの保守派・諸生党の幹部を奸人とみなし、かれらを除くために二月に江戸に入り、藩主慶篤の帰藩を乞い、三月半ば水戸城へ着いた。市川三左衛門ら諸生党は水戸を捨てて会津へ走った。まもなく藩主慶篤は江戸を発して水戸へ下り、一意恭順を表明した。
 本圀寺派の鈴木重義・山口正定の率いる追討軍は、市川三左衛門らの諸生党を求めて、会津及び北越へと向かった。この間四月六日、藩主慶篤が逝去し、藩主の兄である十五代将軍慶喜が藩校弘道館に謹慎の身を寄せた。流罪を解かれた武田金次郎ら天狗隊の生き残りが反対派の人々に「天誅」の剣を振るった。
 慶応あらため明治元年(一八六八)一〇月一日、会津若松の落城によって拠点を失った市川らの諸生党が弘道館を奪った。激闘二日、諸生党が敗走したときにはわずか一〇〇余名となっていた。水戸藩の追討軍は諸生党の敗残兵を下総で壊滅させた。
 同年一二月弟の昭武が十一代藩主となった。よく年五月、大総督の命を受けて、昭武は水戸藩兵を率いて青森から江差へ来航した。めざすは五稜郭による榎本武揚らの旧幕府軍である。東京へ逃亡した諸生党の頭領市川三左衛門が捕らえられた。市川は水戸の在で逆さ磔に処されたという。

 天狗隊は「戊寅の勅」を愚直に奉じて攘夷のために挙兵したのであるが、水戸藩の内紛に巻き込まれて攘夷は実行できなかった。ひたすら慶喜を頼った天狗隊の西上も、肝心要の慶喜が追討軍の首領となったからには、行き倒れに終わるしかなかった。もうその頃には小四郎と盟約を結んだ桂小五郎ら勤皇派は、攘夷を捨てて開国に転向していた。彼らにとって「尊皇攘夷」とは、討幕のための戦術的スローガンに過ぎなかった。攘夷論者斉昭ですら、資本主義列強の前に攘夷が空しいものであることを知っていた。
 水戸藩は尊攘派と門閥派に二分され、最後には血で血を洗う騒乱の舞台となった。書生派はもとより鎮派も激派もすべての人材は消耗し尽くされた。天狗隊は後に明治維新の魁として名誉を回復されたが、攘夷とは所詮、ペリーの来航に象徴された資本主義の世界化に空しく抗することであり、封建制度のなかに徐々に育まれつつあった内部矛盾の激発を待つことなく早産せしめられた下級武士の政治意識のイデオロギー以外のものでなかった。
 しかし天狗騒動は、土地に依拠し土地に生きる農民からの搾取の上に存在根拠をもつ武士階級が、豊臣秀吉以来、土地を離れ都市に集住せしめられた結果として、野呂栄太郎が喝破したように、実際の権力は直接的土地占有者の手に移る「下克上」を内的法則とする封建的矛盾の発露であったことは、藩権力が次第に下級武士の手に移り、更に郷士や豪農が政治的発言権を強めてきた事態で十分に読み取れるのである。
 「知的早漏」に陥っていた下級武士層は、植民地化の危機の可能性を現実の危機と取り違え、徳川絶対主義あるいは天皇制絶対主義への政治権力の集中に急なあまり、農民を中軸とする封建制度の根本的爆破の到来を待ちきれず、人民不在の武装闘争に訴えざるを得なかった。実際に、長征を果たした天狗隊も内部に農民的要素を含まないわけではなかったのに、結局は土地革命を機軸とする「人民革命」を準備し達成することができなかった。わずかに長征を水戸藩の内紛に終わらせることに抵抗した岩谷敬三・田中愿蔵らは小四郎の尊攘論が結局「敬幕論」に過ぎず、討幕でも倒幕でもないことに気づいており、封建制度の桎梏に苦しむ農民を主体とする人民革命の思想にいま一歩近づいておりながら、余りに性急な運動論のために、一〇ヶ村二六〇〇人を組織した鯉渕勢のような農民の自警団の形成を許し、終には農民部隊に八溝山に追い詰められて殲滅されることになった。田中はオルグにしても軍用金集めにしても、武士のように格好をつけることはせず、四民平等を実践し、服装・調髪なども自由にしていたために世に「ザンギリ隊」と呼ばれ、若者たちは田中の隊に入りたがる傾向が強かったようだ。田中隊には一三歳以下の者を含め二〇歳以下の少年が二九人もいた。田中隊は天狗隊の幹部たちの顰蹙を買い、宿泊も行進も差別されていた。田中隊の隊員はほとんどが農民であるが、大工、髪結、馬喰、僧侶、修験などいろいろの職業の者が含まれていた。田中の軍用金集めのやり方は強引だったといわれるが、利根川、鬼怒川などの河川交通で財をなした商業ブルジョアジーから金をふんだくるのがよほど面白かったらしく、隊員たちは喜び勇んで働いたという。田中には民衆の革命的エネルギーをうまく引き出すことのできる能力があった。
 天狗党の乱から四年後に戊辰戦争がはじまるが、勤皇派も佐幕派も農民のエネルギーを利用するだけで、用済みとなれば農民は再び封建制度の桎梏のもとに戻されたことは、藤村の『夜明け前』にも見られる通りである。天狗隊は長征の途中に馬籠を通過しているが、その折、藤村の生家である島崎吉左衛門宅に本営をおいた。伊那谷には平田篤胤の門下の農民がおり、天狗隊を歓迎している。なかでも佐藤清臣という勤王家などは、武田耕雲斎に「小藩を倒して城を奪い、時の来るのを待っては」と勧めたが、慶喜に会うことを最優先にしていた武田には通じなかった。


超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) @

                              
関 考一

 世界中の反対を押し切りイラク侵略戦争を開始した超大国=アメリカ帝国主義は、今やイラク民衆の反撃にあいアメリカにとって悪夢ともいえる第二のベトナム化=泥沼化に直面している。そしてフランス・ドイツなどEU諸国の反発と非協力、ロシア・中国の中立的対応などアメリカの困難は増すばかりであろう。しかしアメリカは、一方でイラクに数十万人の重装備した軍事要員を派遣し、そのハイテク化した巨大な軍事力を保持できる膨大な軍事予算を注ぎ込める国家財政と経済力をもっていることも冷徹に見なければならない。しかし一方では、その超大国アメリカを支えるアメリカ経済が今日、巨大な不均衡に直面し、第二次大戦から幾多の景気変動を経ながらも続いていた繁栄の持続可能性(サステイナビリティー)が大きく問われている。
 このアメリカが抱える経済的不均衡の増大をどう見るのかは、今後の世界の政治・経済の動向分析に不可欠であり、そしてアメリカに同調しつつ自らの利益と覇権を確立しようとしている日本がいかなる余波を受けるのかを見極める上でも重要である。

一、未曾有の規模に拡大する経常収支赤字

 アメリカの経常収支は長期的に赤字を続けてきており一九九二年から赤字幅を急拡大させている。八〇年代の赤字のピーク(八七年千六百七億ドル)を九八年に超えてから一段と拡大のテンポを速め二〇〇〇年には四千億ドルを突破、〇一年には三千九百三十七億ドル、〇二年には四千八百八億ドル、そして〇三年は五千四百億ドルへ拡大すると予測されている。これは八〇年代のピークの三・四倍にも達する過去最大規模の経常収支赤字である。
 この経常収支の大きさを名目GDP(国内総生産)に対する割合でみると、アメリカの経常収支赤字が政治問題化しG5が「プラザ合意」に基づきドル高是正に動いた八〇年代でも三%台が最高であったが、二〇〇〇年に四・二%に達したのに続き〇二年には四%台後半、〇三年は五%台前半になるのが確実とみられる。この趨勢が続けば今後数年でアメリカの経常収支赤字はGDPの七%になることが予想されている。近年のアメリカ経済は、輸入額が輸出額の約一・四倍の規模となっており、この過剰消費状態を続けるためアメリカ国債の大量発行と外国の投資資本の絶えまない流入に依存する以外、持続できない借金依存体質に陥っている。アメリカの経常収支の赤字体質をさかのぼれば、一九五〇年代の朝鮮戦争、一九六〇年代のベトナム戦争によって巨額となった軍事支出・対外援助により一九七一年には二〇世紀に入って初めて貿易赤字に転落したことから始まる。第二次大戦後、世界の覇者として登場したアメリカ帝国主義は圧倒的な経済力を背景にドルを世界の基軸通貨として通用させたが当初は「金・ドルの兌換の保証」をその裏付けとしていた。しかし相次ぐ戦争によって国際収支の悪化とドルの減価=金流出の増大によりついに一九七一年七月「金・ドルの交換停止」を発表しそれまでの為替の固定相場制(一ドル=三六〇円)から変動相場制に移行せざるを得ない事態となった。この「金・ドルの交換停止」の意味するところこそ、今日までのアメリカ経済の繁栄の源でもあり同時アキレス腱ともなっているのである。金とドルとの交換の義務を放棄したアメリカは、自らの借金依存体質を解決する努力をまったく行わないで自国の経済成長刺激の為にあたかも無尽蔵の通貨膨張・信用膨張・財政赤字拡大を可能としたのである。また常に金との交換に制限されていたためとっていた対外投融資規制を撤廃し、国内外に金融自由化を推し進める堰を切ったのである。このことが今日、実際の世界貿易額の数百倍にも達する国際資本取引の膨大化(国際決済銀行BISによると〇一年末の金融派生商品(デリバティブ)取引残高は百十一兆千百五十億ドル=日本円換算約一京四千兆円)と巨額な国際的投機的取引開始の引き金ともなったといえる。
 こうした長期にわたるアメリカの経常収支の赤字は、九〇年代のIT革命とバブル景気に沸いた活況期にはあまり表面化しなかったが今や世界経済にとって許容限度を超える額に達しようとしている。その兆しはすでに為替市場にドル安=ドルの減価となって表れており今後の展開が注目を集めている。

二、史上最大規模に拡大する財政赤字


 アメリカの財政収支は八〇年代においては経常収支の赤字と並んでいわゆる「双子の赤字」と称され問題視されてきたがクリントン政権時代の好景気と株価上昇による税収の急増の影響もあり九八年度には黒字化し、〇〇年度には二千三百六十四億ドルの黒字となった。その後のブッシュ政権からは大型減税による景気刺激策とアフガニスタン・イラク侵略戦争による軍事予算の大幅増額によって〇二年度には赤字額は千五百七十八億ドルまで膨らみ、わずか二年間で約四千億ドルも悪化した。アメリカ行政管理予算局の〇四年度の見通しでは四千七百五十億の規模まで拡大するとしている。今また八〇年代とは規模と深刻さを一段と増した「双子の赤字」がアメリカ経済を苦境に追い込んでいる。
 しかしブッシュ政権は景気回復の切り札としての大幅減税と軍事予算の大幅増額=軍事ケインズ主義とも「国防(ディフェス)バブル」ともいわれる赤字増大に歯止めをかけるそぶりもみせず、今後、イラク戦費が一段と膨らめば巨額の財政赤字の拡大が予想されている。

三、株式バブルと不動産バブルの脆弱性

 九〇年代のITバブルが崩壊し高成長を誇っていたアメリカの株式市場も落ち着きを取り戻したかのように見えたのもつかのま、現在NYダウ工業株はバブル期とほぼ同じ水準の一万ドル台の高値になっている。これは、ブッシュ政権による小切手還付による大型減税の波及効果やイラク戦争特需による軍需産業の活況・米企業が実質的には売上減と収益減に陥っているにも、かかわらずドル安によって見かけ上高収益を確保していることが株の上昇となってあらわれているにすぎない。株価が依然としてバブル状態にあることを示す株価収益率(PER)という指標がある。株価収益率とはアメリカのS&P五百社の株価をその収益で割ったもので企業の成長力や収益性から見て、株価が割高か割安かを判断するための指標である。アメリカのエール大学シラー教授の著書「根拠なき熱狂」(ダイヤモンド社)によると『アメリカの過去百二十年間の株価収益率は平均十五前後で推移してきたが、一九二九年に三十台半ばという異常な高さとなった。これは世界恐慌に引き金となった同年のウォール街の株大暴落に先行する株式バブルに対応してことを示している。昨今の株価収益率はそれをも上回る四十台前半となっており』シラー教授はこの状況を「根拠なき熱狂」=バブルとしている。
 またアメリカの現在の景気回復を演出している不動産の活況は極めていびつな要因から生まれている。それはITバブル崩壊後の不況対策として連邦準備制度理事会(FRB)が大幅な金利低下を実施したことを利用した高金利ローンから低金利ローンへの借り換えによる購買力の増加によるものと高騰した不動産価格を担保とした新たな借り入れによるものだからである。それは九〇年代における日本のバブル期の地価高騰を再現する様相を呈している。

四、起死回生を狙う「ドル安」のもたらすもの

 経常収支のかってない大幅な赤字に苦しむアメリカは〇二年前半から意図的にドル安への誘導を始めた。ドル安とはこれまで一ドル=百二十円の交換レートであったものを一ドル=一〇〇円とすること(日本からみれば円高でありアメリカからの輸入製品の値下りを意味する)であり、結果的にアメリカの輸出増加と設備稼働率の改善となりアメリカの景気を押し上げる効果をもっている。
 しかしドル安はアメリカ経済にとってプラス効果をもたらすばかりではなく逆に劇薬ともなるものでもある。ドル安は@輸出促進効果を持つ反面、輸入においては価格の上昇となり経常赤字の一段の増大に直結し国内物価をインフレに導く恐れが高いこと。 Aインフレ圧力の増大は、金利の上昇に転化する可能性が高いこと。(金利を上げると景気抑制効果と通じて物価の上昇を抑えることにつながる)また金利の上昇は株価の大幅下落につながり易い B「双子の赤字」を穴埋めする海外からの資本流入が激減する可能性があること。などのマイナス要因を持っている。事実クリントン政権時代は、こうしたマイナス面を考慮して「ドル高」政策をとってきたが、ブッシュ政権は〇四年秋の大統領選挙を想定してイラク戦争での行き詰まりをそらす国内景気の回復を優先させ大きなリスクのある「ドル安」へと舵を切ったのである。 とりわけBの海外資本流入の減少はすでに表面化しており極めて不安定な動きを示している。〇二年初めからドルの実効為替相場はこれまでに約二割下落しておりドルの減価を嫌ってアメリカに流入する海外資本の減少が続いている。すなわち金利が五〜六%と高いからといって元本が二十%も下落すれば巨額の損失が発生し投資するメリットがなくなるからである。ITバブルが続いていた二〇〇〇年にはIT関連株の高騰やIT関連会社の買収を狙って外国から大量の資本が流入し(二〇〇〇年一兆百六十億ドル)、四千億ドルを超える経常収支赤字を埋め合わせることが充分可能であったが、ITバブルがはじけてからは〇一年には外国からの資本流入は前年比マイナス二五%となり総額では七千六百億ドルとなったが経常収支赤字三千九百三十七億ドルをまかなうことができた。しかし〇二年には流入資本が約五千二百億ドルに対し経常収支赤字は四千八百八億ドルと急激にその差は縮小してきており逆転することも予想される事態となっている。こうした状態が続けば過剰消費体質を改善しないまま借金で遣り繰りする自転車操業が行き詰まり、「ドル安」からドルの信用が失墜する「ドル暴落」の事態がいつ発生してもおかしくはない。

五、アメリカ及び世界経済の危機をどうとらえるか。

 「ドル安」の進行は、アメリカ経済そしてそのアメリカに依存する割合の高い日本・中国そしてEUの経済を大きく揺るがす問題であり今後の動向はきわめて重要である。〇三年十一月十六日、欧州中央銀行(ECB)ハマライネン前専務理事は「ドルは暴落する可能性があり、世界経済の回復にとって大きな脅威になる」と述べた。また同十一月二〇日にはグリーンスパンFRB議長は「米経常収支赤字の増加が続けばある時点で調整が起きることを疑わない」と述べたと報道されている。アメリカのモルガン・スタンレー証券主席エコノミストのスティーブン・ローチ氏はその著書「超大国の破綻」(中央公論新社)のなかで『アメリカ中心の世界経済』の不均衡がますます大きくなっていることを指摘し『株式バブル後のアメリカ経済がずっと抱えてきた緊張は、いよいよ限界点に達しつつある。』とし資本主義の再生は可能との視点からではあるがアメリカ経済の陥っている危機を具体的に論じている。
 また景気悲観主義派とみなされている元三菱総合研究所の高橋乗宣氏は最近の著書「二〇〇四年の日本経済」(東洋経済新報社)において日本やアメリカの巨大な不均衡を打開するには、『ひずみを是正する「恐慌」によってまた新たな成長可能な条件がつくられる』と述べている。また景気楽観の主流派が、克服した過去の遺物としている「恐慌」を『経済の生理現象』とまで言い切っているのは居直り的ではあるが、世界経済が抱える危機的不均衡を覆い隠して「不良債権解消」=「景気回復」しか言わない竹中平蔵氏よりは数段率直さにおいて評価できよう。これらのエコノミストの述べていることやアメリカ経済の抱えている巨大な不均衡の実体を知れば、今や「世界恐慌」の発生の可能性を極めて現実的なものとしてとらえなければならないということである。
 これまで世界経済の動向と「恐慌」を結び付けるのは、万年景気悲観主義派エコノミストか、万年「資本主義の全般的危機論」に固執する教条的マルクス主義者ぐらいとされ、「恐慌」を唱えるものは体制派・反体制派を問わず「狼少年」視されてきたが、今や真摯に二十一世紀型「世界恐慌」発生の可能性や発生した場合の影響をあらためてマルクスに基づいて注意深く分析・研究し新たな事態の出現に備えなければならない時代に入ったのである。(つづく)


 JR採用差別最高裁反動判決糾弾!鉄建公団訴訟軸に国鉄闘争の前進を勝ち取ろう

 一二月二二日、最高裁判所第一小法廷(裁判長深沢武久、裁判官横尾和子、甲斐中辰夫、泉徳治、島田仁郎)は、JR採用差別救済に関する三事件(北海道・九州・本州)について、中労委、国労の上告申立を棄却する判決を言い渡した。すでに一二月一五日に、最高裁第一小法廷は、国労および全動労(建交労)の各上告事件について口頭弁諭を開かないまま上告棄却の決定をしている。これらの判決・決定は、国鉄分割民営化にさいしての採用差別につきJR各社に不当労働行為責任がないとする不当なものだ。
 しかし最高裁判決は、三対二に分かれた。少数意見の深沢裁判長、島田裁判官は、採用手続きにあたって国鉄に不当労働行為があった場合には、JRの設立委員とJRに使用者責任を認めるというもので、この重大な反動判決はたった一票差で決まった。
 最高裁の周囲には早朝から全国から国労闘争団をはじめ国労組合員・支援の労働者が結集し、五〇〇人をこえた。判決を聞いた労働者たちは、不当な判決を糾弾し、国鉄闘争が勝利するまで闘い続ける決意をいっそう固めた。
 国労本部は、午後二時から社会文化会館で報告集会を開いた。酒田充委員長は、判決は分割民営化時の政府答弁、付帯決議、ILO勧告、憲法二八条の団結権保障、労働委員会による不当労働行為救済を否定するものであり、強く抗議するとともに、不当労働行為があり闘争団員が存在するかぎり、闘いを放棄するわけにはいかない、全機関・全組合員が本部方針に結集し、総団結で闘おうとあいさつ。つづいて宮里邦雄弁護士が判決を分析する報告を行った。
 鉄建公団訴訟団と共闘会議は、「最高裁採用差別判決批判声明」を出すとともに弁護士会館で報告集会。二瓶久勝共闘会議議長、佐藤昭夫弁護士、萩尾健太弁護士、酒井直昭公団訴訟原告団長が、判決の不当性を糾弾するとともに、判決の少数意見は一六年余にわたる採用差別反対の主張と運動がもたらしたものだ、国鉄・清算事業団に採用差別責任があるという鉄建公団にすべての闘争団の参加をかち取り闘いを勝利させよう、などの発言を行った。
 国鉄闘争は、四党合意完全破綻につづいて、最高裁での判決で新たな段階に入った。鉄建公団訴訟を軸に全闘争団の団結回復、国労に再び闘う旗を打ちたてる時である。

最高裁採用差別判決批判声明

 一、われわれは、JRの採用差別救済に関する事件につき、最高裁が口頭弁論を開き、当事者の主張を尽くさせた上で公正な判決をだすことを求めていた。だが一二月一五日、最高裁第一小法廷は、国労および全動労(建交労)の各上告事件について口頭弁諭を開かないまま上告棄却の決定をし、二二日には上告受理申立事件についても同様に、棄却の判決を言渡した。これらの決定、判決は、国鉄分割民営化にさいしての採用差別につきJR各社に不当労働行為責任がないとするものであり、最高裁自らが憲法二八条(団結権保障)、九八条(国際条約遵守)違反を犯すものであって、われわれは決して承服できない。

   (………)

 五、国鉄分割民営化は、当時の首相中曽根康弘が「戦後政治の総決算」を唱え、実は戦後民主主義の「総ご破算」による憲法改悪を展望し、そのために「国労が崩壊すれば総評が崩壊することを明確に意識して」強行したものであった。
 日本は、五七年前の一九四六年、戦禍の中から非武装・平和を誓って新憲法を制定し、人権保障を「国是」とした。それが今、政府は侵略国家の手先となって「自衛隊」と称する武装部隊をイラクの戦闘地域に派遺しようとしている。平和国家から軍事国家への変貌の危機にある。その意味で、上記中曽根元首相の狙いは半ば実現しつつあるようである。そしてこれに呼応するように、労働運動破壊の原点となった国鉄分割民営化事件について、憲法と条約を無視し、団結権を蹂躙する最高裁判決が現れた。裁判官が、歴史的に確立された労働基本権の性格を理解せず、これに敵対するのなら、そのような裁判官は替えるほかはない。
 六、それゆえわれわれは、時の政治権力に追随し、憲法尊重擁護の義務に背く最高裁第一小法廷の三名の裁判官の辞任を要求する。さらにこのような裁判官を任命した内閣の責任を追及し、真に非武装平和・人権・民主主義を実現する政府をつくり出す必要を痛感する。そしてこの判決を許さず、憲法やILO条約、そして正義に基づいて、一〇四七名のJRへの復帰をあくまで要求していく。
 われわれは、先に鉄建公団(現、鉄道運輸機構)への地位確認、損害賠償等請求訴訟を提起したが、本日の判決言い渡しを機に、まだの仲間もこの鉄道運輸機構への訴訟を提起して一〇四七名共通の訴訟とし、各組合もこれを包んでわれわれと共に闘うよう呼びかける。またわれわれは、韓国の労働組合の協力も得て、すでに八〇〇をこえる労働組合が共同し、ILOの条約勧告適用専門家委員会に、日本政府の条約履行義務違反の責任を問う申立も行っている。今こそ国内外の多くの労働者が、党派の違いを超え、団結権擁護の一点で総結集すること、そして「平和を愛する諸国民」(憲法前文)と共に、イラク出兵や憲法改悪を許さない運動に参加していくことを訴える。
 われわれも、そのために全カを尽くすことを声明する。

二〇〇三年一二月二二日

 最高裁訴訟第三者参加申立人一同
 同事件弁護団
 一〇四七名の不当解雇撤回・国鉄闘争に勝利する共闘会議


鉄建公団第 回口頭弁論

    
鉄建公団(鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に責任を!

 十二月一五日、鉄建公団第一一回口頭弁論が行われた。昼からは東京地裁前で一〇〇名をこえる宣伝行動が行われた。当日の口頭弁論は鉄建公団(鉄道建設・運輸施設整備支援機構)側の反論の予定だったが、公団側は、具体的な反論を行わず、裁判長が公団側も具体的な準備書面をもって反論をするように促すしまつだった。
 その後、JR東会社と鉄建公団に対して要請行動が取り組まれた。
 引き続いて、千代田公会堂に、闘争団をはじめとする国労組合員、支援の労働者など四五〇名が結集して「鉄建公団訴訟勝利をめざす総決起集会」が開催された。
 二瓶国鉄闘争共闘会議議長は、来年を解決の年とするために総力をあげよう、そのために共闘会議の拡大が必要だ、仲間は広がっているがまだ団体加入があまりない、そして弱点である財政を強めていかなければならないと述べた。
 主任弁護人の加藤晋介弁護士が裁判闘争について報告した。
 原告は、不当労働行為でどれだけいじめぬかれたか、家族ともどもどんなに苦しんだかと言うことを証人をたてて個別立証していかなければならない。その中で、公団側が主張する「就職斡旋は十分にやった」などという主張のいい加減さをはっきりさせ差別の実態を明らかにしていかなければならない。心を動かす立証をすることが大事だ。二二日には最高裁判決が出る。これは鉄建公団訴訟のみが問題解決できる闘いだということを示すものである。
 鉄建公団訴訟原告団の酒井直昭団長から報告と闘いの決意が述べられた。この冬はきびしい山場となるだろう。共闘会議の仲間たちからはカンパなど支援をいただき闘う態勢を強めている。国労本部には九月大会での私たちに対する処分を撤回するよう申し入れを行ってきた。裁判闘争では、地裁・高裁でJRに解雇問題の責任はないという不当な判決が出されてきたが、その中でも旧国鉄清算事業団の責任は否定されていない。鉄建公団訴訟闘争では、鉄建公団(鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に責任を取らせていかなければならない。
 家族からの訴えは、名寄闘争団家族の橋本真弓さんから。
 つづいて、愛知県から駆けつけた教員の板谷信彦さんがギターを弾きながら国鉄闘争への連帯を歌い上げた。
 原告団の闘いを記録したビデオ「国鉄闘争の勝利をめざして・原告団カレンダー二〇〇三」の上映後、壇上にあがった闘争団員が今年の総括と来年の決意が述べられた。


財界の二〇〇四春闘方針

         
賃下げと春闘解体を公然と要求

 一二月一六日、日本経団連は「経営労働政策委員会報告」(経労委報告)を発表した。これは財界の春闘方針であり、これまでも総資本を代表して個別企業経営者に対して賃上げ抑制、労働組合の抱え込みなど指令として機能し、労働者の生活と権利を脅かすものだった。今回のそれは一段と攻撃的なものとなっている。われわれは、財界の春闘抑え込み・変質の攻撃を打ち破り、〇四春闘を闘い抜かなければならない。

露骨な労働者攻撃

 二〇〇四年版経営労働政策委員会報告「高付加価値経営と多様性人材立国への道〜今こそ求められる経営者の高い志と使命感〜」は、序文、第一部「企業経営の動向と課題」@企業経営をめぐる動向、A国際競争に勝てる企業経営の課題、第二部「雇用・人材育成・労使関係」@雇用創出、雇用機会拡大のための施策、A多様な働き方を推進する人事管理、B賃金問題の考え方、C人材育成・教育、D持続可能な社会保障制度のグランドデザインの構築、E労使関係のあり方、第三部「今後の経営者のあり方」@経営ビジョンの限りない追求、A経営者の使命・役割、という内容となっている。

定昇制度の廃止・賃下げ

 報告は、「国際競争に勝てる企業」が、@コスト削減による効率化の努力を継続的に続け、A顧客ニーズを確実に把握してタイミングよく創造的な商品やサービスの提供、の二点を世界規模で展開しているとして、「このような目標の実現は、情報技術の進歩によって、企業の規模に関係なく可能となっており、こうした経営を実現するための絶えざる努力を企業は続ける必要がある」と国際競争力のある企業・多国籍企業としてのモデルを設定する。
 そのなかでは、とりわけ「適正な人件費水準の管理」が強調されている。「付加価値生産性の上昇率がマイナスになれば、人件費を減らすという覚悟で賃金決定を行なう姿勢が必要」と言う。そして「多様な人材を活用していくためには、仕事と役割の特性に応じた賃金体系を自社の事業内容や組織構成等に応じた最適な形で確立させる『複線的な賃金体系』の確立が求められる」として、「賃金水準の適正化と年功型賃金からの脱却」が求められ、その中で、「一律的なベースアップは論外であり、賃金制度の見直しによる属人的賃金項目の排除や定期昇給制度の廃止・縮小、さらにはベースダウンも労使の話し合いの対象となり得る」としている。
 これまでの経労委報告では、「賃上げは論外、定期昇給の凍結・見直し」による賃金抑制によって実際上の賃下げを強要するものだったが、今年の報告は、さまざまな手当の削減・廃止、定期昇給制度の否定、ベースダウンによる、実質・名目賃金の低下をも打ち出しているのである。

労働法制の一層の改悪

 また、二一世紀における企業の人事管理の主目標は、「多様性をもった適応力の高い組織の形成」であるとして、「多様な働き方を推進するために、従来から労働市場の規制改革を求め、徐々に規制緩和が進んできたが、二〇〇三年の通常国会において、労働基準法、労働者派遣法、職業安定法が改正されることとなった。これらの改正は、労働市場をより円滑に機能させる方向をめざすものと評価されるが、今後とも、一層の規制改革が必要である」と言う。
 それは「働く人々の多様なニーズに応えうる選択肢を提供」するもので、「若年者、女性、高齢者、障害者、外国人など、多様な人々の活用をより一層推進していく」としている。不安定雇用の労働者をいっそう増やすことによって、低賃金・低労働条件を一般化させようとしている。これらは働く者のニーズなどではなく、資本の要求そのものである。

労組の変質

 報告の「労使関係のあり方」では、「今次労使交渉・協議の課題は、引き続き、企業の存続と雇用の維持を最重点に、労使で徹底した議論を行なうことにある」とし、「経営環境が激変している今日、企業別労使関係を基軸とする良好な労使関係の維持・発展が重要となっている。今後、個別企業が生き残りをかけ、労使一体となって生産性向上に取り組むとともに、さまざまな改革を成し遂げなければならない。その意味で、企業別労使関係の重要性はますます強まっており、労働組合の有無にかかわらず、企業労使が経営環境の変化や経営課題について広範な議論を行ない、企業の存続、競争力強化の方策について、討議・検討する『春討』、『春季労使協議』の充実が望まれる」と言っている。これは、労働組合を資本の支配の本に取り込み、リストラの一翼を担わせようとするものだ。


イラク派兵に反対する日韓(韓日)市民・民衆の共同宣言

   
 これ以上被害者を出すな!米国のイラク軍事占領反対!

 日韓(韓日)の市民・民衆が恐れ、警告していた事態が起こった。一一月二九日、イラク北部ティクリート近郊の幹線道路を車で走行中の日本人外交官二人が銃撃を受け、イラク人運転手を含め三人が命を落した。翌一一月三〇日には、ティクリートの幹線道路で韓国の民間人が乗った車が銃撃を受け、二人が死亡、二人がケガを負った。
 亡くなった日本人外交官は、バクダッド陥落後の今年四月、日本政府によって米復興人道支援室(ORHA)に派遣され、現在の米英暫定占領当局(CPA)と連携して活動していた。続いて亡くなった韓国の二人は、ソウルに本社を置く電気関係企 業の社員で、米企業からティクリート付近の送電塔工事を請負い、派遣されていた。
 日韓(韓日)両国と世界の市民・民衆は、この事件がけっして偶発的な出来事とは見なしていない。
 全世界の平和を愛する人々の反対にもかかわらず、ブッシュ米大統領が開始したイラク戦争は、「大量破壊兵器の脅威除去」という大義名分すらもはや存在しない、 自国の軍事的経済的利益のための違法な侵略戦争であることが誰の目にも明らかになっている。この侵略戦争と軍事占領によって、多くのイラク民衆が殺され、生活基盤が破壊された。劣化ウラン弾による被害も拡大している。加えて占領軍の横暴やイラクの人々への発砲は、イラクの人々の怒りをさらにかきたてている。
 こうした中で、ブッシュ米大統領の「戦闘終結宣言」にもかかわらず、占領支配に対するイラク民衆の抵抗は日に日に激しさを増し、米軍兵士の犠牲も増加の一途を辿っている。米英軍はイラク民衆の怒りの渦の中で泥沼に陥りはじめているといえるだろう。それは、イラクにおける戦争が依然として継続中であることを物語っており、このことは米軍の現地司令官自身が認めていることだ。米英の侵略と占領政策を支持する諸国の現地派遣要員や軍隊に対する攻撃も拡大してきていた。
 そして、日韓(韓日)両国政府が、米国政府の要求に応えて年内にもイラク派兵を強行しようとしているまさにその時、日本人と韓国人に銃撃が加えられたのである。
 日韓(韓日)の死者を生み出した責任は、何よりも侵略戦争を引き起こした米英政府、そして、その侵略戦争を支持し、イラク派兵を強行しようとしている日韓(韓日)両国政府にある。
 日韓のイラク派兵は、両国が米英の侵略・占領政策の共犯者―イラクやイスラム民衆の敵となること以外のなにものでもない。米英の軍事占領の継続と日韓(韓日)による派兵は、泥沼の戦争とイラクの人々の苦しみがさらに続くことを意味する。そして、派兵が強行されればどのような名目であれ、日本の自衛隊員も韓国軍兵士も、大義なき米国の侵略戦争のためイラクの人々と「殺し・殺される」関係に身を置くことになるのだ。いったい、日本人も韓国人もイラクの人々と殺し合ういかなる理由があるというのか!
 日韓(韓日)両国政府は、米国の侵略の共犯者としての汚名を自らに課す愚行をおこなうべきではなく、日韓(韓日)の市民・民衆に世界史的な不名誉をなすりつけてはならない。
 イラク戦争をほんとうに終わらせるためには、国際的な派兵と米軍の作戦指揮下で構成される多国籍軍の創出ではなく、米英占領軍の即時撤退がなされなければならない。
 平和を愛する日韓(韓日)の市民・民衆はともに手を携え、全世界の人々とも共同して米英軍のイラクからの即時撤退を強く求め、日韓(韓日)両国によるイラク派兵を決して許さないことを宣言する。
 私たちはまた、米国の戦争政策に便乗して加速する日本の軍事大国化の流れに対し、歴史的警戒心を持ち、これを断ち切るためにともに手を携えていくことを宣言する。
 日韓両政府は、イラク派兵にあたり「米国との同盟優先」を掲げているが、「もう一つの火薬庫」と呼ばれている朝鮮半島の平和のためにも、世界大に拡大する米国政府の戦争政策と、東アジアに戦争機運をもたらす日韓両国のイラク派兵を許すべきではない。
 日韓両政府は、ともに年内にも派兵を強行しようと動きを強めており、事態は緊迫している。
 平和を愛する私たち日韓の市民・民衆は、ここに共同して次のように要求する。
 米英軍はイラクから即時撤退せよ!
 日本と韓国(韓国と日本)政府は、イラクへの派兵計画を即時撤回せよ!

二〇〇三年一二月一七日

(以下、日本側二一三団体)
I 女性会議/アイヌとシサムのウコチャランケを実現させる会/青森県労働組合総連合/あごら・湘南/アジア共同行動―九州・山口実行委員会/アジア共同行動・京都/アジア女性資料センター/アジア平和連合(APA)Japan/アジア連帯講座/アジェンダ・プロジェクト/足の裏から憲法九条を考える会/「明日を拓く」編集委員会/アメリカのイラク攻撃を許さない実行委員会(九州・山口)/アラブイスラームの子供たちを助ける会/「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーン/移住労働者と連帯する全国ネットワーク/今治宗教者平和の会/「イラク特措法」に反対する数学者の会/ウリパラム/エコアクション・なごや/NGO非戦ネット/大阪中央区革新懇話会/おおさかピースサイクル/岡山県部落解放運動連合会/岡山県平和委員会/沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動/沖縄の自立解放闘争に連帯し、反安保を闘う連続講座/沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック/海兵隊移転反対別海町連絡会議/確信犯?シングルの会/核戦争に反対する北海道医師・歯科医師の会/神奈川県労働組合総連合/かながわ平和憲法を守る会/川崎合同法律事務所/韓国良心囚を支援する会全国会議/韓国労働者支援連絡会議/北九州がっこうユニオン・うい/北九州かわら版/北九州共生文化講座トラジ学園/北九州ココロ裁判原告団/北九州第一法律事務所/北朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)/基地はいらない!女たちの全国ネット/協同センター・労働情報/京都憲法会議/京都「天皇制を問う」講座実行委員会/京都労働運動研究センター/グローバルピースメーカーズ・アソシエーション/軍国主義に反対する会/経済政策ひろしまオンブズパーソン/けやき総合法律事務所/原子力空母の母港化に反対し、基地のない神奈川をめざす県央共闘会議/原水爆禁止徳島県協議会/原水爆禁止福岡県協議会/憲法9条を世界に広げる諏訪地方ネットワーク/憲法勉強会・ベアテの会/憲法を生かす会・大阪/憲法を生かす会・京都/憲法を生かす会・滋賀/憲法を考える集い/憲法を守り生かす茨城ネットワーク/国際人権活動日本委員会/国際シンポジュウム日本事務局/国労与野本町駅分会/コスタリカの人々と手をたずさえて平和をめざす会/在日韓国青年同盟(韓青)/在日韓国青年同盟中央本部/在日韓国青年同盟愛知県本部/在日韓国青年同盟大阪府本部/在日韓国青年同盟神奈川県本部/在日韓国青年同盟京都府本部/在日韓国青年同盟東京本部/在日韓国青年同盟兵庫県本部/在日韓国青年同盟広島県本部/在日韓国青年同盟三重県本部/在日韓国民主女性会/在日韓国民主統一連合/在日大韓基督教会小倉教会/在日大韓基督教会西南基督教会館活動委員会/在日大韓基督教会西南地方会社会部/在日の慰安婦裁判を支える会/山谷労働者福祉会館活動委員会/自衛隊の海外派兵と戦争協力に反対する実行委員会/自主・平和・民主のための広範な国民連合/自主・平和・民主のための広範な国民連合・愛知/自治労連・徳島県公務公共関連支部/市民の意見30の会・東京/市民ピースネットワーク山梨/写真の会・パトローネ/自由空間創楽邑/自由法曹団/自由法曹団愛知支部/自由法曹団大阪支部/自由法曹団神奈川支部/自由法曹団京都支部/自由法曹団埼玉支部/自由法曹団東京支部/自由法曹団兵庫県支部/湘南合同法律事務所/城北法律事務所/女性と天皇制研究会/新ガイドラインに異議あり!北九州行動会議/人権アクション浜松/新社会党京都府本部/信州からPEACEネット/新日本婦人の会北海道本部/人民の力/杉並の教育を考えるみんなの会/STOP改憲・市民ネットワーク/諏訪学習協会/全国一般女性センター/戦争いやだ、憲法守れ、青森県民の会/戦争協力を拒否し、有事立法に反対する全国Fax通信/「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)/戦争と平和を考える金曜連続講座/戦争反対・平和の白いリボン神奈川行動実行委員会/戦争反対、有事をつくるな!市民緊急行動/戦争への道を許さない北・板橋・豊島の女たちの会/戦争屋にだまされない厭戦庶民の会/戦争をしない・戦争協力もしない三重ネットワーク/全統一労働組合/全労連全国一般労働組合東京地方本部/全労連全国一般東京地方本部証券関連労働組合/全労連全国一般東京地方本部女性懇談会/全労連・全国一般法律特許一般労働組合文京台東分会/第9条の会なごや事務局/第九条の会ヒロシマ/闘う国労闘争団を支援する京都の会/朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会/天皇制に問題あり!福岡連絡会/天皇制の強化を許さない京都実行委員会/東海民衆センター/東商連港支部/東濃西地区母親連絡会/徳島健生協労働組合/徳島県平和委員会/特定非営利活動法人 草の根援助運動/都民中央法律事務所/とめよう戦争への道!百万人署名運動/長野県アジアアフリカラテンアメリカ連帯委員会/長野ピースサイクル/ナマケモノ倶楽部/西宮有事法制に反対する市民の会/日韓民衆連帯全国ネットワーク/日朝協会/日朝協会東京都連合会/日本科学者会議/日本科学者会議沖縄支部/日本国民救援会諏訪地方支部/日本山妙法寺/命どう宝ネットワーク/NO!AWACSの会浜松/ノーモア南京・名古屋の会/馬車道法律事務所/派兵チェック編集委員会/浜松月桃の会/林百郎法律事務所/林百郎法律事務所労働組合/反戦・平和アクション編集委員会/反天皇制運動連絡会/ピースサイクルおおいた/ピースサイクル埼玉ネット/ピースサイクル千葉ネット/ピースサイクル浜松/ピースさが/ピース・ニュース/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/ひまわり農場(天草)/広島瀬戸内新聞 /ピンチ!ふくおか/ふぇみん婦人民主クラブ/福井県労働組合総連合/福井県労働者学習協議会/福岡地区合同労働組合/撫順の奇蹟を受け継ぐ会・九州/不戦へのネットワーク/仏教徒非戦の会・福岡/「米海兵隊は日本にいらない!」意見広告を広げる東京・関東のつどい事務局/平和憲法の会おかやま/平和憲法を活かす熊本県民の会/平和憲法を守り、軍事基地と安保条約をなくす会・東京/平和・人権・環境を守る岐阜県市民の声/平和と命を守る連絡会/平和都市をつくる会・ふじさわ/平和と人権のための市民行動静岡/へいわとふくしを見つめる会/平和の白いリボン行動・藤沢/平和を創る映画会(天草)/平和をつくる大和市民の会/「報道と女性」研究会/報復戦争に反対する会/法律会計特許一般労働組合女性部/本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール(HOWS)/みえこ通信グループ/みなと合唱団/南大阪法律事務所/民族差別を考える会・むくげ/明治大学駿台文学会/ヤブカ募金/山形教育文化センター/山形県憲法会議/やまびこ会/ユーゴネット/有事法制について学ぶ若手弁護士の会/有事法制に反対する神奈川市民キャラバン/有事法制NO!多治見市民の会/有事法制反対ピースアクション/有事立法はイケン(違憲)!広島県市民連絡会/郵政全労協・郵政近畿労働組合/許すな!憲法改悪・市民連絡会/横浜合同法律事務所/横浜市従業員労働組合/恋民の会/
(韓国側賛同団体・略)


イラク派兵に反対する声明

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日本青年団協議会常任理事会

イラクへの自衛隊派遣の中止を求めます  これ以上の犠牲者を出してはいけません

 一二月九日、政府はイラクへの自衛隊派遣の基本計画を閣議決定しました。私たち日本青年団協議会は自衛隊派遣に強く反対するとともに、国連を中心とした国際協調のもとでイラク復興支援をすすめるよう、日本政府に求めます。
 イラクでは日本人外交官2名と運転をしていたイラク人一名が移動中に殺害されるという事件が起きました。報道されるようにイラク国内の治安は悪化するばかりで、イラクが現在もなお「戦争状態」にあることは明白な事実です。
 それはイラク国民の八割が「米英占領軍を信用しない」というように、米英による無法な戦争と、その後の軍事占領への不満と抵抗の結果と言っても過言ではありません。日本政府が急ごうとしている自衛隊派遣は、イラクの人々の日本への不信感を募らせ、米英軍とともに反感の対象となり銃を向けられるだけでなく、自衛隊員がイラク国民に銃を向けることにつながりかねません。それでは復興支援の目的に反して、イラクを引き続き「戦争状態」におしとどめるばかりです。
 イラクの市民は自らの手でイラクを復興させることと、そのための支援を日本に望んでいますが、それは自衛隊の派遣ではないと言います。今日本が取り組むべきことは、復興支援の名の下に日本国憲法に反してイラクに自衛隊を派遣することではなく、イラク復興が国連を中心とした国際協調の中ですすめられるよう、アメリカをはじめ、国際社会に働きかけることです。
 私たちは武力による紛争解決を禁じた日本国憲法に反して、単独行動主義をますます強めるアメリカに追従するようなイラクへの自衛隊の派遣を中止するよう、日本政府に強く求めます。

二〇〇三年一二月一三日

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主婦連合会 

 憲法違反であるイラクへの自衛隊派遣は中止すべきです

 イラクにおける紛争が泥沼化する中、遂に日本人の犠牲者が出るという事態が発生しました。深い悲しみを感じます。
 一連のテロの原因は、正当性のないイラク攻撃が発端です。不法な占領に対する抵抗がテロを生み、一般市民を巻きぞえにしながら拡大しつつあります。
 小泉総理は、イラクへ自衛隊を派遣すると表明していますが、イラクへの自衛隊派遣の是非と基本計画の内容は、国会で徹底して審議すべきです。さらに、小泉総理は自衛隊派遣について国民に説明する責任があります。
私たちは、イラクへの自衛隊派遣は憲法違反であり、中止すべきと考えます。

二〇〇三年一二月三日

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YWCA

 イラクへ自衛隊を派遣しないことを強く要望いたします

 私たちYWCAは、武力によらない平和を創り出すために、世界一〇〇カ国以上の仲間とともに活動しています。
 日本政府がイラクへ自衛隊を派遣することは、日本国憲法に違反する行為であり、断固反対いたします。
 米英軍主導による「対テロ対策」と称するイラクへの軍事侵略・占領は、イラクの人々を爆撃の脅威にさらし、深刻な劣化ウラン弾の被害を引き起こしています。人々の占領軍に対する不信と反発は日々高まるばかりです。
 こうした状況下で、日本政府が米英軍に追従し、その占領を支援するためにイラクに自衛隊を派遣することは、一切の戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権を認めないことを定めた日本国憲法に違反することは明白です。日本は過去の侵略戦争を反省し、武力による平和はありえないことを憲法に定め、堅く守ってきました。自衛隊をイラクに派遣することは国民の意思をないがしろにする重大な行為といわざるを得ません。
 日本政府が行うべきは、海外派兵につながる自衛隊派遣ではなく、イラクの人々が求めている自国民による真の民主主義に根ざした平和であり安全に暮らすことへの支援です。

 世界中で反戦平和の声が高まり、大きなうねりとなっています。日本政府がこの人々の声に耳を傾け、自衛隊派遣計画を直ちに撤回し、イラクへ自衛隊を派遣をしないことを強く要望いたします。

二〇〇三年一二月一日


映画

      美しい夏 キリシマ

         監督・脚本 黒木和雄

         主演 日高康夫……柄本 佑
         日高重徳……原田芳雄
         日高しげ……左 時枝


                            2002年 118分

 監督の黒木和雄は一九八八年「TOMORROW/明日」で原爆が投下される前日の長崎にくらす人びとの生活を描き、次に少年時代を過ごした宮崎の農村を舞台に「美しい夏 キリシマ」(二〇〇二)を完成させた。現在完成が待たれる「父と暮らせば」(原作・井上ひさし)は、広島に落とされた原爆で父親を失った女性を題材にした作品で、近々完成の予定だそうだ。これら三作品を総称して「戦争レクイエム三部作」というとのこと。
 
 一九四五年夏、敗戦直前の宮崎にある静かな農村地帯。アメリカ軍はこの地域にも飛来していた。旧満州地域に住む家族と別れ、厳しい祖父(原田芳雄)夫妻と同居する康夫(柄本佑)は、勤労体験に行った工場で空襲にあい、友人をそこでなくし、本人も精神的なショックで肺浸潤になり、自宅療養生活を送っていた。村には日本軍が駐屯し、住民も竹槍訓練にかり出されていた。日高家は軍隊に食料などの備蓄に場所を貸していたが、夜陰にまぎれて食料を盗み出す兵隊もいた。
 爆死した友人からもらったイエス・キリストの絵と聖書を大事にもっていた康夫に祖父は耶蘇の絵は捨ててしまえと説得する。人びとの心のなかに日本は戦争に負けるという意識が深まっていくなか、村の生活は一見のんびりとしている。稲は青々と繁り、山々は太古の昔からと様相はさほど違いはない。亡くなった友人の妹を康夫は何度も訪ねるが、うちとけて話をしてくれない。とうとうその妹は康夫に兄の仇をとってくれと懇願する。康夫はそれ以来なにかにとりつかれたかのように竹林に穴を掘り、竹槍で突進する訓練をする。やがて玉音放送が流れ、軍隊も武装解除し、進駐してきたアメリカ軍が農道を行進していくのだが、康夫はそれに向かって竹槍を持って突進していく。まるでドン・キホーテのように。
 一九四五年五月、当時の中学三年生だった黒木少年は都城の航空機工場で爆撃にあい友人を亡くした。その友人を助けられなかったという思いは後々まで残ったそうだ。心理的後遺症として。
 この映画は静かな作品である。決して激昂することはない。しかし戦争に会うことの悲しみ、せつなさがよく表されている。康夫少年はどこか生きていく価値を見いだせない感じがする。あの時代にはそれがあたりまえのことだったのだろうか。それは現代とまったく隔絶するものではない。戦争前夜の現在の日本の状況と通底するものがあるに違いない。
 霧島山地の美しい風景。それに比して人間の心のなんと卑小なことか。些細なことで喧嘩をし、疑ってみたりする。逆にそのことが人間が人間たるゆえんなのかもしれない。この映画のなかで自然と人間の営みの対比がよくでている。片方はあまりにも美しいのに、もう片方は……という意味おいて。 ある批評で「黒木監督の年輪がおのずと紬ぎだした傑作である」と書かれていた。それほどではないと思う。今まで数々の反戦映画、戦争についてえがかれた映画が輩出したが「美しい島 キリシマ」はだれでもが認めうる傑作とはいえない。映画の冒頭部分に人間関係が複雑に込み入りすぎている。少したってくるとようやく理解できてくる。これは難点である。静かすぎる。抑揚がなさすぎる。亡くなった友人の妹は子守りの合間に沖縄の服を着て屋根の上にずっと座って遠くを眺めている。なんと不思議なシーンだろう。
 農道の土手、康夫はお手伝いのはるに自転車の乗り方を教えている。ふと見上げると、アカボシウスバシロチョウが飛んでいる。これは日本に本来生息しない蝶である。黒木監督は劇映画としては初めての作品「とべない沈黙」(一九六六)にナガサキアゲハという幻の蝶を出現させた。この映画はこの幻の蝶を追って物語が進行していくものだった。なぜ黒木和雄はなぜこのように象徴的なシーンを多くもちいたがるのか私にはよくわからない。
 それに映画の冒頭に近いシーンで集合する兵隊に向かって大尉が訓示する「……祖国存亡を賭した本土決戦の火蓋はすでに切っておとされている。……鬼畜米兵を一人一殺、最後の勝利を確信して戦い抜く決意を固めてほしい」。映画のなかで「一人一殺」を「ヒトリイッサツ」と読んでいたが「イチニンイッサツ」の間違いではないだろうか。(東幸成・評

 岩波ホールで上映中
 その後、大阪、京都、神戸で上映の予定


書評

   
 ジャーナリストによる内在的なブッシュの米国論 

          
「ブッシュのアメリカ」
 

          岩波新書 三浦俊章著 二〇〇三年七月発行 七〇〇円+税

 911 からアフガン報復戦争、イラク先制攻撃とつづく米国の動きはきわめて異常で危険で、残虐なものだ。それだけに私たちはブッシュの米国への憤激を強くする。だが、これがブッシュにだけ特有なものではなく、クリントンにも、さらにはケネディの米国にも共通するという側面を持っていることにも気づかされている。
私たちはブッシュの米国への非難をさまざまにする。ネオコンの支配するアメリカ、キリスト教原理主義の支配するアメリカ、「帝国」のアメリカ、ユニラテラリズムのアメリカとブッシュの米国を批判する。最近の米国を見ていると、私たちはますます嫌米になり、反米になる。だが、アメリカは一くくりできるほど単純ではないことも知っている。ブッシュとクリントンは共通もするが、異なりもする。米国には帝国主義的な好戦主義者もいれば、反戦主義者もいる。ANSWERや、ユナイテッド・フォー・ピース・アンド・ジャステスのような大きな全国的な反戦団体、ピースフル・トモロウズのような9・11被害者家族の会、ミリタリー・ファミリー・スピークアウトのような兵士の帰還を要求する軍人の家族の会もいるし、ノーム・チョムスキーやノーマ・フィールドをはじめとする米国の優れた知識人たちもいることを知っている。
しかし、私たちのアメリカ社会の認識はやはりかなり断片的で、硬直していることを認めざるをえない。私は二十一世紀の国際社会における核心的な問題は、テロとの戦い、反テロ問題ではなく、「アメリカ帝国」問題だと考えている。しかし、「帝国」のアメリカと闘うには、アメリカをもっと知らなければならない。とりわけ、日本の小泉首相が同盟国は米国だけだと国会でも公言してはばからない今日、米国問題は私たちにとっては小泉問題、日本問題だからだ。
本書は二〇〇一年四月から二〇〇三年五月まで、朝日新聞アメリカ総局に勤務した記者による、米国を内在的にみて、分析した「ブッシュのアメリカ」論だ。多少、脱線的で冗長な面はあるとしても、アメリカを考える上で有益で貴重なレポートだ。著者は本書執筆の狙いを「9・11からイラク攻撃までのアメリカ政治とアメリカ社会の流れを見ていると、決して単線的な動きではなかった。様々な可能性がありながらも、他の選択肢が次々に閉ざされていき、結果的にはネオコンに引っ張られるように、イラク攻撃に至ったのである。この本では、その過程を検証してみようと思う」と述べている。
 興味深い論点は多々あるがひとつだけ紹介しておく。著者は米ソの冷戦期を通してのアメリカ帝国主義と、9・11以降の十九ヶ月(ブッシュのアメリカ)の違いとして、「ある種の視野の狭さ」を見て、以下の三点を指摘する。
第一、 国際機関や国際法を破壊することにみられるビジョンの欠如。第二、社会の亀裂の拡大の推進、無策。第三に大統領の哲学的貧困、であるという。新年、ブッシュは再選するのか、新しい大統領が生まれるとしたら、この三つの狭量は覆されるのか。(S)


 せんりゅう

              ゝ 史


 閣議決定腐ったナチの如し

 国会怪鬼大辞典ならわかる

 グァンタナモにいままたアウシュビッツ

 エノラ・ゲイに峠の詩を張ってくる

 ○ 「年金妖怪大辞典」という広告を国民年金未納者対策として岐阜社会保険事務所が出した。なんたることか。
 ○ キューバにあるグァンタナモ米海軍基地には、アフガニスタンの「イスラム原理主義」者約二〇〇〇人が収容されたまま二年になる。
 ○ エノラ・ゲイ …… 広島に原爆を投下した米軍機、博物館に展示されている。
○ 峠 三吉 …… 原爆詩集の詩人


複眼単眼

対米燃料無料奉仕の任に着く 薫る桜の海自が結ぶ伝統の絆


 海上自衛隊のウェブサイトを覗いてみた。「平成(ママ)十三年十二月二日以降、平成(ママ)十五年十二月十五日までに実施した協力支援活動等の実績」というのが掲載されている。アフガン特措法に基づくインド洋、ペルシャ湾での給油実績一覧表だ。
 それによると回数は三二二回(補給艦「とわだ」八九回、「ときわ」一一七回)、「はまな」一一六回、補給先は米国補給艦および駆逐艦二一九回、カナダ駆逐艦三一回、フランス駆逐艦二〇回、イギリス補給艦および後方揚陸艦一五回など、ほかにドイツ、ギリシャ、イタリア、オランダ、ニュージーランド、スペインを含めて計一〇カ国。補給量は三三万四千キロリットルだという。
 ここに書いてはないが試算では約一五〇億円分だという。これらの燃料はどこかアラブの港から、日本の商社が買い付けたものを自衛艦が積んできて、補給する。自衛隊は商社から買う。商社は伝票だけで利ざやが転がり込む。こんないい商売はない。これらが無料で供給された。無料のガソリンスタンドと言われるものだ。これらの燃料はテロ特措法の枠を超えて、アフガン戦線だけではなく、イラク戦線の米英艦などにも補給されたという。実際のところ、米英の補給艦に補給すれば、そこから先はアフガン戦線か、イラク戦線かは相手の意のままだろう。とんでもないことだ。
 サイトを見ているうち、「海上自衛隊の隊歌の制定」というのがあって、クリックしてみた。
 海自は従来の準隊歌「海をゆく」が「必ずしも現状に適合し難いものとなってきた」ので、五〇周年を記念して公募し、新しい「海をゆく」を制定したそうだ。
  新隊歌の一番は
 明け空告げる海をゆく
 歓喜沸き立つ朝ぼらけ
 備え堅めて高らかに
 今ぞ新たな陽は昇る
 おお堂々の海上自衛隊
 海を守るわれら
  三番は
 絆に結ぶ伝統の
 誇り支えるこの山河
 永久の平和を祈りつつ
 祖国の明日を担うため
 おお栄光の海上自衛隊
 海を守るわれら

  従来のものは、
 男と生まれ海をゆく
 若い命の血は燃える
 薫れ桜よ黒潮に
 備え揺るがぬ旗じるし
 おお選ばれた海上自衛隊海を守るわれら

 なんだか「海ゆかば」みたい。「伝統の絆」って、何のことだ、きっと、「これは恐れ多くも天皇陛下を意味します」なんて、教えられているんではないかな。誰か、関係者の方、この実態を教えてくれませんか。隊員はこんな歌を歌いながら、アフガン戦線や、イラク戦線に送られている。
 旧隊歌は「男と生まれ」などとあり、女性の自衛官が増えているので、なじまないので作り変えたのだろう。「若い命の血は燃える、薫れ桜よ」なんて、まさにかつての軍歌の文句だね。これをうたいながら「桜のように香り、パッと散れ」っていうのかねえ。(T)