人民新報 ・ 第1122 号<統合215> (2004年2月15日)
  
                  目次

 ● 自衛隊は直ちにイラクから撤兵せよ

      米英のイラク攻撃から一年、3・20国際同日行動  日比谷野音集会の歴史的な成功を

 ● 2月9日  参院でのイラク派兵承認に抗議

 ● イラク戦争と劣化ウラン弾

 ● 「紀元節」・靖国参拝・「みどりの日」反対する  2・11反「紀元節」集会

 ● 衆院社民党の外為法改悪案賛成は誤り  バッシングをハネ返してこそ展望が

 ● 超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) D   /  関 考一

 ● 声 明

       日本ペンクラブ 「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」

       日本弁護士連合会  「自衛隊のイラクへの派遣に反対する理事会決議」

 ● 書籍紹介

     『 米軍「秘密」基地ミサワ―世界に向けられた牙』(増補改訂版) 斉藤光政(東奥日報社編集委員)

 ● 小川武満さんを偲ぶ  / 高橋龍児

 ● せ ん り ゅ う  /  ゝ 史

 ● 複眼単眼  /  朝日新聞「声」欄のイラスト  「異国の空の下」にバッシング




自衛隊は直ちにイラクから撤兵せよ

      米英のイラク攻撃から一年、3・20国際同日行動

      日比谷野音集会の歴史的な成功を

 国会前に結集した市民たちの抗議の声に背いて、小泉内閣と与党は二月九日夜、参議院本会議でイラクへの自衛隊の派兵承認案件の採決を強行した。
 前日、イラクのサマワに到着した陸上自衛隊本隊第一陣を迎えた先遣隊長は「日本の国際貢献の新たな歴史が確実につくられつつある」と発言した。一〇日の読売新聞社説は「国際平和協力活動にあらたなページを開いた意義はきわめて大きい」と書いた。
 いずれも一種の高揚感を秘めながら、イラク派兵の歴史的意義を強調している。確かにこのイラク特措法と基本計画にもとずく「イラク派兵承認」は、今後の日本の進路を大きく「戦争をする国」にむけて舵を切った歴史的な事件だ。
これほど重要な問題を、国会はどのように審議したのか。
 一〇日付の『東京新聞』は「国会の緊張が乏しい」と題する社説を掲げ、「自衛隊のイラク派遣をめぐる国会承認が、陸上自衛隊本隊の現地到着の翌日議決されたのは、既成事実の後追いのようで釈然としない。審議の緊迫感が薄かったのも、事後承認の弊害ではないか」と書いた。同紙の別の記事では「一つ覚え答弁で突破」「首相、具体論避ける」「『問答無用』は困る」などの見出しが躍った。そして「既成事実が積みあがる中、衆参合計三五時間の審議は、通過儀礼的な色あいを残して終わった」と書いた。
実際、わずかに三五時間という国会の議論での首相答弁は「見解の相違だ」「意見の違いがあると同じものを見ても逆にとる」などとするレベルで、議論は一向に深まらなかった。
イラク攻撃をいち早く支持した小泉首相の「大義名分」は米英軍による「大量破壊兵器の捜索と破壊」にあったはずだ。すでに米国の調査団長が「大量破壊兵器はなかった」と証言しているのに、小泉首相は大量破壊兵器の存在問題をはぐらかした上で、米国への支持は「国連憲章にのっとたもので、間違っていない」「日米同盟は重要だ」と居直ったし、戦地への武装した自衛隊の派遣は明らかに憲法第九条違反だとの指摘に対しては、「自衛隊は戦闘に行くのではなく、復興人道支援に行くのだ」との強弁を繰り返した。
 このレベルでの国会のやり取りでよしとするなら、まさに「通過儀礼」にすぎず、選挙が終われば国会は要らないのであり、議会制民主主義への人びとの不信はますます強まっていくだろう。
為政者自らが立憲主義を壊し、法治主義を壊すのであれば、議会制民主主義を建前にしたこの社会は成り立たない。あとに続くのがファシズムだという指摘は、あながち暴論ではない。
国会で用語だけがむなしく転げまわった感がある「非戦闘地域」なるものも、自衛隊が行ったところこそ「戦闘地域」になるという指摘が人道援助活動をつづけるNGOらが指摘するところだ。
 昨今のイラクの事情を多少なりとも知る人は、米英軍の軍事占領という、この戦闘地域に駐留する自衛隊が、イラクの人々に銃を向けることになるのは、遅かれ早かれ時間の問題に過ぎないことを知っている。それは現行憲法史上初めての事態だ。
だからこそ小泉首相は元旦に靖国神社の参拝を強行したのだし、「任務が終わらないうちは、自衛隊員がテロで殺されても撤兵はしない」などと言っているのだ。しかし、小泉首相はこの責任を免れることはできない。
今回の陸上自衛隊本隊先発隊の派遣に続き、本隊の派遣が二月、三月と続いていく予定だ。私たちはこの派兵に反対し、派遣された自衛隊の撤兵を要求して闘う。そして憲法の精神を踏みにじって派兵した小泉内閣を絶対に許さず、その打倒のために闘う。
 いま、イラク攻撃から一年にあたる三月二〇日、全世界的規模でイラク占領に反対し、パレスチナの平和を求め、各国軍のイラク派兵に反対する闘いが再度、大規模に巻き起ころうとしている。
 日本においてもWORLD PEACE NOWに結集する市民諸団体を中心に、東京・日比谷公園で大規模な行動が企画されつつある。WORLD PEACE NOWが呼びかけたこの日の統一行動は、その幅と規模において、七〇年初頭の運動以来の歴史的なものになるにちがいない。
二・一三大集会の成功の上に、三・二〇の成功を実現し、占領と派兵に反対し、自衛隊の撤退を要求する世論の高揚を闘いとらなくてはならない。
 多くの人びとと共に、三月二〇日は全国から思い思いのプラカードを掲げて日比谷野外音楽堂に集まろう!


2月9日  参院でのイラク派兵承認に抗議

 二月九日、政府・与党は参議院のイラク特別委員会と本会議でのイラク派兵承認案件の採択を強行した。
 同日正午から、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネットのよびかけで参院議員会館前で緊急集会が開かれた。ほんの数日の連絡にもかかわらず多くの人びとが集まり、自衛隊は行くな、イラクの自衛隊はすぐに帰国せよと今後の長期にわたる闘いを決意するものとなった。
 主催者を代表して宗教者ネットの糸井玲子さんは、私は戦争が終わった焼け跡にたってこんな馬鹿な戦争を二度としてはならないと思った、いまイラクへ自衛隊を送るという恥ずかしい国会の状況だが戦争反対の市民の声は強い、憲法九条を世界中に広げて行こう、と発言した。
 共産党の紙智子参議院議員は、大量破壊兵器がイラクになかったことでアメリカもイギリスも大変な状況になっているが小泉首相は開き直っている、また自衛隊の先遣隊の調査報告も事前に作成されたということも暴露された、ウソで固められたイラクへの自衛隊派遣にあくまで反対していこう、とあいさつした。
 社民党の福島瑞穂党首は、小泉政権のイラク派兵はまったくの暴挙だ、イラクでは劣化ウラン弾の被害が拡大している、みんなでもっと大きな運動をつくり出して行こう、と発言した。社民党党の照屋寛徳衆議院議員は、ハワイの日系米兵がイラクで戦死し米政府などは彼を英雄に仕立てあげようとしたが、かれの母親は「死んで英雄になんかなってほしくない。生きていてほしかった」とブッシュ大統領を批判していることを紹介し、反戦の闘いを前進させようと述べた。
 つづいて、在日韓国民主統一連合、憲法を生かす会、三鷹市議会議員の嶋崎英治さん、明治大学駿台文学会、ATTAC Japan、アンポをなくせ!ちょうちんデモの会、日本キリスト教協議会(NCC)の山本俊正総幹事、ファックス通信などからのイラク派兵に反対する発言がつづいた。


イラク戦争と劣化ウラン弾

 二月八日、シニアワーク東京で「<講演とディスカッション>イラク現地報告と放射能兵器劣化ウラン いま、わたしたちは何を知り、何をするか」が開かれた。

 劣化ウラン研究会・代表の山崎久隆さんが、「イラク戦争とウラニウム兵器」と題して講演。
 劣化ウラン(DU)は、ウラン燃料や核爆弾をつくるさいに大量に発生する核のゴミだ。日本の核燃料の七〇〜八〇%はアメリカから来ている。アメリカのウラン燃料サイクルではウラン濃縮工場から、燃料製造工場と劣化ウラン貯蔵サイトに分かれる。劣化ウラン貯蔵サイトのものは劣化ウラン弾として戦争で使われる。コソボ戦争では劣化ウラン弾が使われ、イラクでも同様に使われている。その劣化ウラン弾にはアメリカで処理された日本の電力会社のウランからもつくられているはずだが、電力会社は「日本のものとは関係ないと連絡を受けている」と言うばかりだ。劣化ウランは、いっしょに処理されるので、これは日本用、これはそうでないものと区別は出来ず、日本用のものも何%かが戦争で使われていることは疑いようがない。その劣化ウランは、大量の放射能をまき散らし、イラクの人びと、とくに子どもたちに大きな被害をもたらしている。

 つづいて、日本国際ボランティアセンター(JVC)の佐藤真紀さんが、「イラク白血病の問題点 NGOはなぜ支援するのか」と題してイラク現地報告を行った。
 イラクにおける小児死亡率は他国と同様に徐々に減少してきた。しかし湾岸戦争で一気に増えた。その戦争が終わってちょっと減少したが、増え続けている。これには経済制裁の影響などがあった。イラク戦争とその後遺症、そして劣化ウラン弾による放射能の影響を考えると今後いっそう増えて行くだろうと予想されている。しかし、イラクにおける劣化ウラン問題は、地雷や不発弾の調査を行っている機関も調べていないし、UNICEF(国連児童基金)も関知せずという状況がある。WHO(世界保健機関)が白血病などの調査をしていると言われていたが各病院でそのような調査は行われていない。そして、地雷や不発弾に関するポスターはつくられているが、放射能に関する啓蒙活動は見られない。こうした中で、子どもたちは壊れた戦車に入り込んで遊んだりしている。粉塵の中で生活しているかれらは放射能のチリを毎日吸い込んでいるのだ。日本では、子どもの白血病は化学療法で直る可能性が高く七〇〜八〇%は助かるそうだが、イラクでは不治の病だ。第三世界の人びとの運命は先進諸国の思惑に大きく左右されている。グローバリズムの時代に生きるわれわれの社会的責任は、紛争や貧困などの世界の現状をよく認識し、みんなで力を合わせて改善を求めて声をあげていくことだ。われわれは援助に携わりながら多くのことを学んでいる。イラクで活動を続けることは、まさに非戦の活動である。劣化ウラン弾の被害を大きく訴えることで次の戦争に反対し、戦争のない世界をめざしていきたい。


「紀元節」・靖国参拝・「みどりの日」反対する  2・11反「紀元節」集会

二月一一日、渋谷勤労福祉会館で、「イラク派兵と靖国を問う 2・11反『紀元節』集会」が開かれた。
 主催は、「紀元節」・靖国参拝・「みどりの日」に反対する連続行動実行委員会。会場の付近では右翼が、通行人に毒づきながら街宣車の大音量で集会に反対するコールをあげている。
 はじめに実行委員会の池田五律さんが基調報告を行った。
 小泉は正月早々靖国神社に参拝したが、春の例大蔡にも参拝する可能性がある。実行委員会は、今日の「紀元節」を起点に、靖国参拝、四月二九日の「みどりの日」までの連続行動をおこなっていく。
 昨日、小泉は靖国神社にA級戦犯が合祀されていても異和感はないと発言した。また憲法九条の改憲も言っている。最近、昭和天皇に関する書籍が多く出版されたり、メディアでも折りにふれて天皇問題が登場している。立川「昭和天皇記念館」建設がある。そうした中で、緑と平和を愛した昭和天皇のイメージがつくられている。戦前・戦後をまとめて「昭和」を積極的に評価しようとする動きだ。東京都教育委員会は、昨年一〇月に、日の丸・君が代強制の新たな「実施指針(通達)」を出したが、日の丸の正面掲揚、君が代斉唱の式次第への明示、教職員は起立し斉唱する、ピアノ伴奏などが書かれている。侵略のシンボルとしての日の丸・君が代強制と教育基本法改悪に反対する運動を強めて行かなければならない。昨年末の天皇の沖縄訪問では職員・子どもを動員して、日の丸を振らせようとした。アメリカに加担しての戦争で自衛隊がイラク派兵された。政府は戦争をする象徴天皇制をつくりあげようとしている。憲法の明文改悪はかれらの当面の課題となっている。靖国と日本の戦争、日本の戦争責任、憲法改悪の問題と取り組み、天皇制反対、憲法九条改悪反対、戦争反対の運動を、ともにつくりあげていこう。
 愛知教育大学の南守夫さんは「近代欧米戦没者追悼史と靖国神社問題」と題して講演。
 自衛隊関係の戦争記念館は各地に建てられ多くの参観者がいる。例えば鹿屋や佐世保には旧海軍のものがあるが毎年一〇万人もの人が入場している。このことの意味を重く見なければならない。
 靖国だが、問題はそこに七人のA級戦犯が合祀されているとか、信教の自由にかかわることだけではない。戦争での死者の追悼そのものが問われなければならない。朝鮮侵略の江華島事件で一人の兵士が死に合祀された。それ以前の台湾での戦争の死者もそうだったが、対外戦争で死んだ者全体が問題なのであり、A級戦犯はその一部にすぎない。
 一九世紀は近代国民国家の時代だった。ナポレオンの凱旋門をはじめ巨大なモニュメントがつくられたが、それは戦勝を記念し、国王や将軍を顕彰するものだった。しかし、第一次世界大戦でヨーロッパでは一〇〇〇万をこえる死者をだした。被害が大規模化したのは、戦争が国民総動員体制で闘われ、進歩した科学技術でつくられた大量殺傷を可能にした兵器によるものだったが、大戦後には死んだ無数の兵士をたたえる必要が出てきた。イギリスの「無名英国戦士墓」(一九二〇)、アメリカ・アーリントンの「無名者の墓」(一九二一)などである。ここでは、国家への無名の国民の貢献=戦没兵士の追悼が中心となっている。しかし、ドイツだけは依然として旧いままの施設がつくられて、ナチスの戦争を支えるものとなっていた。そして、前の大戦を上回る被害を出した第二次世界戦争を経験したドイツは、統一後の一九九三年には、「ドイツ国立中央戦争犠牲者追悼所」をつくった。それは碑文に「戦争と暴力支配の犠牲者に」とあり、追悼文に「国籍・身分(兵士・市民)をとわず戦争とナチズムによるすべての死者を哀悼する」とある。そして彫像はケーテ・コルヴィッツの「死んだ息子を抱く母親」がある。そしてこの施設の補完として「ベルリン・ホロコースト警告碑」の建設が決定されている(一九九九)。これらは、自国による戦争犯罪を追及するものであり、「被害者と加害者の同列化」を批判するものとして、「無名兵士墓」・国民国家の限界を超える可能性を持つものとして評価されなければならない。日本でも靖国神社的な追悼は克服されるべきで、日本国憲法の反戦・平和主義にもとづく戦争犠牲者追悼施設について考えるべきではないだろうか。
 つづいて、「大東亜聖戦大碑」の撤去を求め、戦争の美化を許さない会、変えよう「金沢」ネットワークの森一敏さんが「『大東亜聖戦碑』 新たなる『英霊』は許さない」と題して話した。
 金沢市にある石川護国神社前に「大東亜聖戦大碑」が建てられた。これは、「大東亜共栄圏」を建設するために天皇がはじめた戦争はいつの世までもつづく歴史を照らし出す手本となるものである、「大東亜聖戦」を心からたたえ後世に伝えよう、とするものだ。
 一九九五年に国会で戦後五〇年決議が出たが、これを「亡国の謝罪」であるとして「日本を守る会」は「この亡国状態への反撃は百千万の口舌より、まず大碑建立をもって継承化すべき」だとして全国によびかけて、二〇〇〇年八月四日に神道形式で除幕された。しかし、それは歪められた歴史観にたつばかりでなく、「少女ひめゆり学徒隊」「少年鉄血勤皇隊」などの名が関係者に無断で刻銘されているというようなものだ。それを石川県当局はほとんど無審査で神社内の県の借り受け地に建設許可を与えた。私たちの抗議で県は「碑文の内容は都市公園内に存在するものとしては必ずしも適当ではない」などと責任の一部を認めるようになった。私たちはこのような碑が石川県に出現したことを非常に残念に思うとともに、この碑の危険性を全国に訴え、撤去を求める運動を強めていきたい。
 集会を終わり、紀元節反対、イラク派兵反対などのシュプレヒコールをあげながら渋谷デモを行った。


衆院社民党の外為法改悪案賛成は誤り  バッシングをハネ返してこそ展望が

 朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)経済制裁法案の一つである「外為法」改悪法案はほとんど討議もないままに一月二九日には衆議院を通過し、参議院も二月九日に採択、成立した。この法案は在日朝鮮人などが北朝鮮の親戚などに送金することに対して、停止することができるというものであり、さらに準備されている「特定外国船舶入港禁止法」と同じく、北朝鮮に対する打撃を狙ったものだ。かつての日本帝国主義の植民地支配と強制連行の結果としての在日朝鮮人たちの、家族たちとの交流を大幅に制限することなど、人道上も許されることではない。
 私たちはこの間、こうしたやり方は日朝間、あるいは北東アジアの緊張を激化させるものであり、切実な課題である日朝間の諸問題の解決や、日朝国交正常化に逆行するものであることを指摘してきた。そしてこうした経済制裁法制はいま整備されようとしている有事法制に対応するものであり、その一環だとも指摘してきた。
 「経済制裁」はイラクの例をみても明らかなように、相手国の子どもや「弱者」を苦しませこそすれ、問題の解決にはならない。小泉内閣のいう「対話と圧力」方針の具体化としての、このような国際法に反する経済制裁は、対話の破壊であり、拉致問題や、核開発問題の解決につながらないし、現在すすめられつつある六者協議などの努力に水をかけるものだ。
 たしかに、小泉内閣とマスコミの世論作りのもとで、朝鮮問題では正論が正論として通りにくい社会になっていることは事実だ。しかし、この法案に衆院社民党までが賛成した国会状況は深刻だ。この問題で衆院では共産党の反対を除いて、事実上の翼賛国会状況ができた。「政審の決定ではあるが、外為法改定問題は党議拘束なし」として、参院社民党は福島党首、又市幹事長以下、五名全員が棄権した。参院社会党はかろうじて踏みとどまり、賛成しなかった。衆院社民党の賛成は来る参院選でのバッシングを恐れたと聞くが、しかし、その選択は重大な誤りだ。こうした譲歩はさらなる譲歩への圧力を招く。その先にあるのは翼賛体制だ。参院社民党をはじめ、社民党の中でこれに抵抗した議員や党員たちがいる。これらの人びとの努力に期待したい。社民党バッシングがつづくだろう。市民派は社民党内の良心的な人々の努力を擁護して闘わなくてはならない。


超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) D

                               
関 考一

十一、過剰生産の深奥の動因=進行する労働手段の革命的変革

 @ 労働手段=機械とは何か。


 これまでみてきたように過剰生産こそ資本主義の下で恐慌へ駆り立てる要因であるが、今日の過剰生産の背景にはコンピューターという革新的な技術の集積の下にエレクトロニクス機器を駆使したオートメーション(自動機械体系)という機械を越える質的に新しい労働手段の驚異的な発展がある。
 資本主義を生み出した労働手段は機械であり、マルクスはこの時代を画する革命的変革をもたらした機械について次のようにのべている。
 「労働手段とは、労働者によって彼と労働対象のあいだに入れられてこの対象への彼の働きかけの伝導体として彼のために役立つ物またはいろいろの物の複合体である。」(資本論第五章労働過程と価値増殖過程)「なにがつくられるかではなく、どのようにして、どんな労働手段でつくられるかが、いろいろな経済的時代を区別するのである。労働手段は人間の労働力の発達の測度器であるだけでなく、労働がそのなかで行われる社会的諸関係の表示器でもある。」(同前) 封建時代までの主要な労働手段は道具であった。道具によって新たな道具を製造・使用してきたことこそ人間を動物界から分かつ始原であるが、人類は長い歴史過程で絶え間なく改良と飛躍を重ねながらマニファクチャア時代の中でついに道具から機械を生み出すに至った。「生産様式の変革は、マニファクチャアでは労働力を出発点とし、大工業では労働手段を出発点とする。だから、まず第一に究明しなければならないのは、なにによって労働手段は道具から機械に転化されるのか、または、なにによって機械は手工業用具と区別されるのか、である。」(資本論第一三章機械と大工業)
 マルクスはこの道具と機械とを区別する指標を提示するに際し、機械の構成を分析して「すべての発達した機械は、三つの本質的に違う部分から成っている。原動機、伝導機構、道具機または作業機がそれである。……機構のこの両部分(原動機と伝導機構)は、ただ道具機に運動を伝えるためにあるだけで、これによって道具機は労働対象をつかまえて目的に応じてそれを変化させるのである。機械のこの部分、道具機こそは、産業革命が十八世紀にそこから出発するものである。」(同前)としまた「道具と本来の作業機体との区別は、それらの出生にまで及んでいる。すなわち、これらの道具は今なお大部分は手工業的にまたは、マニファクチャア的に生産されていて、あとからはじめて、機械的に生産された作業機体にとりつけられるのである。つまり道具機というのは、適当な運動が伝えられると、以前に労働者が類似の道具で行なっていたのと同じ作業を自分の道具で行なう一つの機構なのである。その原動力が人間からでてくるか、それともそれ自身また一つの機械からでてくるかは、少しも事柄の本質を変えるものではない。本来の道具が人間から一つの機構に移されてから、次に単なる道具に代わって機械があらわれるのである。」(同前)として道具と本質的に異なる機械の特質を解明している。マルクスは、新たな労働手段である機械と旧来の道具との間に本質的な相違を見ることが出来なかった当時の数学者や機械学者に対して、彼らは簡単な機械的な力であるテコや斜面、ネジ、クサビなどまで機械と呼んだり道具では人間が動力であり機械では動物、水、風力などのように人間力と違った自然力が動力であるということに求めている人がいる。この区別に従えば、生産上の非常にさまざまな時代に現れる牛をつけた犂(すき)は機械だが、たった一人の労働者の手で動かされて一分間に九六、〇〇〇の目を織るクローセン式回転織機はただの道具だ、ということになるであろうと批判している。
 この人間の手を離れて道具が一つの機構に移されることに機械の特質があり、人間労働の肉体的限界から解放された機械による生産は@同一生産物の均質化・高精度化A作業のスピード化B生産物の時間的制限のない連続的な大量生産を可能とし資本主義的生産の爆発的拡大生み出した真の動因である。ところが一般的に流布されている産業革命とは、蒸気機関の発明を出発点とする解説が幅を利かせ時代区分さえ動力だけを基準にして蒸気機関時代↓電気時代↓原子力時代↓燃料電池時代などとしている。しかしマルクスは動力自体の発展に着目しつつも「それ(蒸気機関)は、どんな産業革命をも呼び起こさなかった。むしろ反対に、道具機の創造こそ蒸気機関の革命を必然的にしたのである。」(同前)と道具機=機械こそが産業革命の出発となったことを力説している。
 機械の登場はそのすぐれた能力から原動機や伝導機構や道具機の規模が増大し、それらの構成部分がいっそう複雑多様になり、いっそう厳密な規則性をもつようになって高度な機械の生産はマニファクチャアによって供給されることができなくなった。「こうして大工業はその特徴的な生産手段である機械そのものをわがものとして機械によって機械の生産をしなければならなくなった。このようにして、はじめて大工業は、それにふさわしい技術的基礎をつくりだして自分の足でたつようになったのである。」(同前)
 その一方で「機械労働は神経系統を極度に疲れさせると同時に筋肉の多面的な働きを抑圧し、心身のいっさいの自由な活動を封じてしまう。労働の緩和でさえも責め苦の手段になる。なぜならば、機械は労働者を労働から解放するのではく、彼の労働を内容から解放するのだからである。資本主義的生産がただ労働過程であるだけではなく同時に資本の価値増殖過程でもあるかぎり、どんな資本主義的生産にも労働者が労働条件を使うのではなく逆に労働条件が労働者を使うのだということは共通であるが、しかし、この転倒は機械によってはじめて技術的に明瞭な現実性を受け取るのである。」(資本論第一三章機械と大工業)
 こうして機械は道具による生産に必ず伴う人間の筋肉の運動力や手の反復的な運動を機械力に置き換え人間労働を大幅に軽減した。その反面、人間の労働は機械の運動に全て縛られるものなり労働者は機械の生きている付属物となった。
 しかし冷徹に機械が果たした歴史的役割をみるならば「機械としての労働手段は、人力のかわりに自然力を利用し、経験的熟練のかわりに自然科学の意識的応用に頼ることを必然にするような物質的存在様式を受け取る。マニファクチャアでは社会的労働課程の編成は、純粋に主観的であり、部分労働者の組み合わせである。機械体系では大工業は一つのまったく客観的な生産有機体をもつのであって、これを労働者は既成の物質的生産条件として自分の前に見出すのである。……機械は、……直接に社会化された労働すなわち共同的な労働によってのみ機能する。だから、労働過程の協業的性格は、今では、労働手段そのものの性質によって命ぜられた技術的必然となる。」(同前)としてマルクスは新たな生産様式の前提となる協業的側面を積極的に評価している。 (つづく)


声 明

日本ペンクラブ
 「自衛隊のイラク派遣に反対する声明」

 
 われわれ日本ペンクラブは、平和を愛し、言論表現の自由と人権を守る立場から、これまでいくたびも、米英軍の対イラク戦争に反対し、米英軍を支援する日本政府に抗議する声明を出してきた。
 しかるに、小泉政権と政府与党は、日米同盟重視を理由に、アメリカ政府の要請に応じて、多くの国民と野党の反対のなかイラクへ自衛隊を派遣した。
 われわれ日本ペンクラブは、そうした小泉政権と政府与党に対し、深い憤りをもって抗議するとともに、自衛隊をイラクから撤退させることを要求する。
 もとより、われわれ日本ペンクラブは、イラク戦争と自衛隊派遣に反対するからといって、人々を恐怖政治で支配していた旧サダム・フセイン政権を擁護する立場ではなく、また過激派の無差別テロにも絶対に反対である。
 さらにわれわれは、日本の国際協力、イラク復興支援にも何ら反対するところではない。日本は世界の先進国として経済支援、教育、農業、工業技術といった分野において、充分に国際貢献できるものと考えている。
 そもそもイラク戦争はアメリカが世界の世論を無視し、国連安保理の同意を得ずに、イラクを先制攻撃ものであり、国際法違反である。
 また戦争の「大義名分」にされたイラクの大量破壊兵器も見つかっていない。
 さらに銃器などの武器を携行した自衛隊の海外派遣は、国際紛争を武力で行わないと定めた日本国憲法第九条にも違反している。
 現在イラクは米英軍の占領下にあり、どこもかしこも戦場である。そのイラクへ自衛隊を派遣することは、イラクの「復興支援」にはならず、米英軍の占領統治を「軍事支援」することにほかならない。イラク人から自衛隊は米英軍の一翼を担う部隊と見なされ、イラクの武装勢力から攻撃される危険性も高い。
 小泉政権や国会議員諸氏は、そういう事態が起こるのを予測しながら、あえて自衛隊の若者たちをイラクの戦場へ送り出し、血を流させるつもりなのか? いま政治家はもちろんのこと、国民のひとりひとりの良心が痛切に問われている。
 われわれは、イラクの復興と統治は米英軍によらず、国連の支援のもと、イラク国民自身の手によってなされるべきであると考える。
 日本が敗戦の大きな犠牲によって平和を得てから半世紀以上、軍隊を海外に派兵することなく、武力を使って他国を侵略せずに今日まで来たことを、われわれは誇りに思う。
 日本ペンクラブは、小泉政権と政府与党が国民を二度と再び戦争に駆り立てないことを国民に誓って、自衛隊をイラクから撤退させるよう、強く要求する。

二〇〇四年二月六日

 社団法人 日本ペンクラブ  会長 井上ひさし

日本弁護士連合会 
 「自衛隊のイラクへの派遣に反対する理事会決議」
 
 石破防衛庁長官は、二〇〇四年一月二六日、イラク特措法に基づき陸上自衛隊本隊と海上自衛隊に対し、イラクへの派遣命令を出した。派遣隊員は、すでに派遣命令の出されている航空自衛隊等をあわせ、陸海空の三自衛隊で一〇〇〇名以上にのぼる見込みであり、本日陸上自衛隊施設部隊がイラクに向けて出発した。
 当連合会がすでに指摘したとおり、イラク特措法は、イラクにおける自衛隊の武力行使を容認することにつながるものであり、国際紛争を解決するための武力行使および他国領土における武力行使を禁じた憲法に違反するおそれが極めて大きい。
 しかも今回の派遣は、国連のPKO活動に対する協力としてなされるものではなく、国連の要請もイラクの同意も存しない。米英によるイラク侵攻は、国連憲章に反するばかりか、大量破壊兵器等が発見されず、米英の主張した正当性さえ失われている。自衛隊の活動は、そのような侵攻の戦後処理としての占領行政に対する協力にほかならない。
 現在イラクでは、米兵等に対する攻撃が全土で連日のように発生し、自衛隊の派遣予定地に近いナシリヤでイタリア軍に多数の死傷者がでるなど、その治安は依然として危険な状態にある。国連事務所や国際赤十字事務所も攻撃を受けており、国際機関職員や外交官の安全すら確保されていない。米軍も認めるとおり、「イラクは戦争状態にあり、その全土が戦闘地域」であり、安全な「非戦闘地域」などが存在しないことは明らかである。「自衛隊等の対応措置は非戦闘地域において実施し、武力による威嚇または武力行使にあたるものであってはならない」とするイラク特措法の基本原則からみても、イラクに自衛隊を派遣することは許されないものである。
 このような状況下でイラクに自衛隊が派遣されるならば、米軍の協力者として格好の攻撃目標となり、自衛隊員が死傷する事態、自衛隊員が装備する対戦車砲等を用いてイラク国民に対し武力行使をせざるを得ない事態が発生することは必至であり、さらに大使館員やNGO関係者など、イラク国内の日本人が広く攻撃の標的となるおそれすらある。
 「テロに屈してはならない」「汗を流す必要がある」との掛け声のもとに、若い自衛隊員の尊い生命が犠牲とされること、また自衛隊の武力行使によりイラク国民に犠牲者を出すことは、決して容認できない。
 わが国は、国連を中心とした枠組みのもとで、非軍事的な分野・手段でイラクの復興を支援すべきである。

 当連合会は、自衛隊のイラク派遣に強く反対し、政府に対し、既に派遣された自衛隊の即時撤退と今後の派遣中止を求めるものである。

二〇〇四年二月三日

日本弁護士連合会


書籍紹介

     『 米軍「秘密」基地ミサワ―世界に向けられた牙』(増補改訂版)


               斉藤光政(東奥日報社編集委員)著 同時代社 1900円

 この本は、アメリカ統合参謀本部が「日本列島の北の要衝の地」と位置づける在日米軍三沢基地の実態を、青森の地元紙「東奥日報」が連載したものが中心になっている。空軍部隊に焦点を合わせた「解かれた核の封印」と海軍や情報戦についての「日米安保50年 ミサワの闇に光を」がそれで、「イラク戦争、そして北朝鮮」が増補されている。
 イラク戦争における在日米軍の役割は大きい。
 とくに巨大な盗聴網エシュロン施設が存在すると言われる青森県三沢基地の在日米軍は、防空網制圧を目的とするF16戦闘機による「全軍の一番ヤリ」であり、つねに戦争の最前線に位置している。
 イラク侵略戦争でミサワの果たした役割は決定的なものがあった。
 アメリカ軍によるイラク正規軍の制圧は、一日あたり最大二〇〇〇回出撃の空からの攻撃、重装備の機甲部隊の地上侵攻、海からの大量の巡航ミサイルの発射、軍事衛星による全方位のリアルタイムの監視、情報の共有による統合作戦などによって実現した。
 とりわけ緒戦においてイラクの防空網を破砕し制空権を確保したことが決定的だった。三沢基地の第三五戦闘航空団(約四〇機)第一四飛行隊(一八機で編成)のうちの六機がその作戦に従事した。
 著者は「航空作戦は開戦とともに三月一〇日夜にはじまったが、防空網制圧という特殊部隊の性格から、ミサワが一八〇〇機に及ぶ全軍(米海軍、米海兵隊、米陸軍、英軍、オーストラリア軍、カナダ軍を含む)の露払い役を努めていたことがよく分かる」と言う。
 そして、戦略基地ミサワのヤリが次の標的として狙っているのが北朝鮮であることは言うまでもない。
 小泉政権はアメリカ・ブッシュの無謀な戦争政策・強権政治に積極的に加担して海外派兵を強行し、日本はいっそうアメリカの軍事戦略に組み込まれていく。在日米軍の危険な本性を見つめ、イラク戦争と日米軍事同盟に反対する運動をつよめていくためにも、一読をすすめたい。


小川武満さんを偲ぶ

 平和遺族会全国連絡会代表の小川武満さんが最近亡くなられたことを知り、悲しい気持ちになった。
 小川さんとの最初の出会いは「日本の侵略展」いわての一環として講演していただくべく交渉した有楽町の茶店であった。靖国神社でビラまきをして右翼に背中を刺された話を八十代とは思えない元気な声で話され、快諾してくれた。
 キリスト者であり医師でもある小川さんは当日、戦争中日本軍医の立場から日本兵に殺されつ中国人の様子を話し、非戦平和を訴えた。その後、いきつけの居酒屋へお誘いしたら「愉快々々」と日本酒七合も飲み、翌朝六時の新幹線で帰られた。
 二回目にお会いしたのは平和遺族会が開く年一回の八・一五集会であった。地元で活動する女性会員がいっしょに参加しようと招待してくれた。このときも小川さんは全国から集まった仲間を前に元気に基調報告を行った。
 「人民新報」にも二回にわたりインタビュー記事がのり、取材に行った記者は家へ泊めてもらったそうである。
 そろそろ機会をつくって来ていただきイラクのことなど話し合おうと思っていた矢先のことで残念でならない。
(〇四・二・五 高橋龍児


   せ ん り ゅ う

 ウラン弾わたしゃ知らぬの川口外相

 押し貸しのようなイラク派兵です

 支援という名の植民地化出兵

 撃てば殺人罪ですよイラク行き

 イラクへ五億ドル養鯉業者へ涙
 
 ベア見送りだって会社は世界二位

 経団連 政治は金で買いましょう

 米軍を守って自衛とはふしぎ

             ゝ 史

二〇〇四年一月


複眼単眼

    
朝日新聞「声」欄のイラスト  「異国の空の下」にバッシング

 二月一日から掲載された『朝日新聞』オピニオン面の「声」という投書欄の「異国の空の下」と題するイラストが問題になり、四日で掲載打ち切り、五日からは植物の絵に差し替えられた。
 『朝日新聞』広報部は
 「今回は作家自身がイラクに赴く自衛隊員の身の上を思い、『こんなことがあってはならない』とのメッセージをこめるために、銃を地面に突き刺した、墓標をイメージさせる図柄を選んだとのことです。…『異国の空の下』という説明もイラクを意識して作者がつけてきましたが、編集部はそのまま採用しました。これに対して、掲載直後から四日までの間に読者のご意見が六件寄せられ、そのうち四件は『隊員の家族が悲しい思いをする』など否定的な意見でした。自衛隊関係者からも批判が寄せられています。さらに社内からも批判があり…」ということで、差し替えたという。
 早速、『産経新聞』がバッシングにでた。
 曰く、「『兵士の墓標』連想 派遣時期 朝日新聞『声』欄カット 陸自装備品と酷似 自衛官ら『不謹慎』 社内で論議 急遽、差し替え」などの見出しが躍る『産経』の記事は、その最後の部分に志方俊之帝京大教授(元自衛隊北部方面隊総監)の「イラクへ向かっている自衛隊員や家族がどんな思いを持つのかということに、なぜ配慮が至らなかったのか。あまりにもおそまつな印象を受ける」という談話を掲げている。軍事評論家の神浦元彰は「殉職を前提にしたようなイラストは、どう考えても無神経」と語っている。
 この問題は、いろいろなことを考えさせられる。
 かつて大分の日出生台演習場で自衛隊の演習に抗議する集会の準備をしていた平和団体が、自衛隊の総監から「反対運動は北朝鮮を利するものだ」との執拗な抗議を受けた。この冬の札幌雪祭りでは自衛隊の幹部が、雪を運んで協力する自衛隊員が不快になるような反戦行動があれば引き上げるという主旨の発言をし、自衛隊のイラク派兵に反対していた上田札幌市長も、結局、市民運動を制限する羽目に至った。
 確かにこの挿絵には異論があろう。しかし、作者は「『こんなことがあってはならない』とのメッセージをこめるために、銃を地面に突き刺した、墓標をイメージさせる図柄を選んだ」といっている。この動機に文句はあるまい。
 それをわずか四通の抗議で差し替える『朝日』の姿勢はなんなのか。「売り上げ維持のため、ひたすら無難に」という姿勢があからさまではないか。
 まして「声」欄だ。しばらくここで議論したらどうか。事実、他の問題では「声」欄はしばしばそのようにして、特別編集をしている。問答無用で掲載打ち切りをする先には報道統制が見える。おりしもイラクではすでに自衛隊関係の報道統制が始まった。
 「常識」を装って非常識がまかり通っているのではないか。こんな流れには抵抗しなくてはならない。小泉首相だって、「イラクで自衛隊員が殺すことも、殺されることもあるかもしれない」といっているではないか。この挿絵は十分に現実的な問題なのだ。(K)